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May 18, 2005

いま日本

あさって、中野で講演会をします。
アイデンティティハウスの鍛治良実さんが昨年に続いて企画してくれました。
以下の要領です。

北丸雄二時事講演会
「マジためゲイ講座番外編=だれもが避けていた世界観 〜 小泉首相とリチャード・ギアのダンスが教えるもの」

日時:2005年5月21日 (土)午後2時〜5時
場所:中野ZERO 学習室(中野区中野2-9-7 JR中野駅下車南口、徒歩8分)
http://www.nices.or.jp/02guidance/02-1.html
参加費:1000円

「1000円」って、高いですな。こりゃ、ちゃんと面白い話をしなくちゃ、映画のレディースデイに負けちゃう。
でもまだ話すことをまとめておりません。まずい。明日までのアエラの締め切りもあるし、今夜は飲み会だし。大丈夫でしょうか。不安。
お時間ある方、ふらっとお立ち寄りくだされませ。

May 09, 2005

マイクロソフト、折れる

ふーむ、やっぱりマイクロソフト、戻ってきました。
同性愛者差別禁止法に対して、「やっぱり、考え直したら、多様性だよね、こういうのは支持しなきゃいけないってわかったよ」というわけです。しかしスティーブ・ボルマーさんよ、「考え直したら」って、あんた、「考え直し」たせいでこういう議論の分かれる社会問題には企業はどちらも支持しない立場を取ろうって決めたんじゃないの。ま、こういうのはもうちょっと最初から真剣に考え込まなけりゃね。

詳細は
http://japan.internet.com/busnews/20050509/11.html
(とうか、このブログの末尾にもくっつけちゃお)

日本語、ちょっと読みづらいけど、ま、私のブルシットでこれまでの経緯を知っていればどうにか理解できると思います。いちばん最初に「これはこうやって報道されたら、法案の否決は変わらないにしてももう一回なんかあるような気もしますな。」と書きましたが、「一回」どころか、何度もあって結局ぐるっと回って元に戻った、ということでしょうか。

ヘテロな企業もなかなか大変です。
でも、まあ、よかったよかった。あはは。

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「多様性を尊重」、Microsoft が同性愛者差別禁止法案を支持
▼2005年5月9日付の記事
■海外internet.com発の記事翻訳

Microsoft (NASDAQ:MSFT) は、ワシントン州が審議中の同性愛者差別禁止法案に対する支持を先ごろ撤回したが、その姿勢を変え、再び支持を表明した。

同社 CEO の Steve Ballmer 氏は6日、従業員に宛てた Eメールで、姿勢変更について説明した。それによると、民間企業がこうした政策論議に関わることが正しいことかどうかなど、同問題について熟慮した結果、論議はあるにしても多様性を尊重する方が良いとの結論に達したという。

Ballmer 氏は、次のように述べている。「この問題については様々な観点からの意見が寄せられたが、その意見とは別に、わが社が多様性を重んじている点については全ての人が強い支持を表明した。私にとって、これは大変重要なことだ。わが社の成功は、顧客と同じように多様な従業員を持つこと、および、そうした多様性の全てを活かすよう従業員が協力しながら働くこと、にかかっている」

Microsoft によると、社内通信を公開したのは、差別禁止法案に関する同社の姿勢について、広く一般の関心が高まっていた状況を考えてのことだという。

同社は、早くから同性愛者同士で暮らす従業員に対しても家族手当などの恩恵を与えている企業の1つだ。しかし、Ballmer 氏が先ごろ出した社内通信で、ワシントン州の同性愛者差別禁止法案について同社が中立的立場をとると決めた理由を説明したことから、同性愛者の人権擁護団体から非難が湧き上がっていた。

こうした事態を鑑み、あらゆる側面から問題を再検討した結果、職場における多様性も自社にとって重要だとの結論に達したと、Ballmer 氏は言い、次のように述べた。

「したがって、わが社が職場における多様性を奨励し保護する法案を支持することは、適切なことだ」

さらに、Ballmer 氏の通信は、雇用差別禁止連邦法に性的指向による差別禁止条項を加えることを支持している企業に Microsoft も仲間入りする意向だとも記している。連邦の雇用差別禁止法は、すでに人種/性別/国籍/宗教/年齢/身体障害による雇用差別を禁じているが、性的指向による差別も禁止すべきだという声も増えており、Microsoft もそれに賛同したことになる。

Microsoft Changes Stand on Gay Issues
By internetnews.com Staff

After withdrawing its support for a pending gay rights bill in Washington State, Microsoft (Quote, Chart) has changed its mind.

In an e-mail to employees Friday, Microsoft CEO Steve Ballmer said after thinking the issue over -- such as whether it was appropriate for a public corporation to get involved in such public policy discussions -- he decided to err on the side of diversity.

"Regardless of where people came down on the issues, everyone expressed strong support for the company's commitment to diversity," Ballmer's memo said. "To me, that's so critical. Our success depends on having a workforce that is as diverse as our customers -- and on working together in a way that taps all of that diversity."

Microsoft said it released the memo to the public in response to widespread public interest in the company's position about the anti-discrimination legislation.

Although Microsoft is among the earliest companies to extend company benefits to same-sex partners, a prior memo from Ballmer, explaining why Microsoft decided to remain neutral on an anti-discrimination bill in Washington State, sparked an uproar among gay rights groups.

"I said in my April 22 e-mail that we were wrestling with the question of how and when the company should engage on issues that go beyond the software industry. After thinking about this for the past two weeks, I want to share my decision with you and lay out the principles that will guide us going forward," Ballmer said.

"First and foremost, we will continue to focus our public policy activities on issues that most directly affect our business, such as Internet safety, intellectual property rights, free trade, digital inclusion and a healthy business climate."

But after looking at the question from all sides, Ballmer said he concluded that diversity in the workplace is also an important issue for the company.

"Therefore, it's appropriate for the company to support legislation that will promote and protect diversity in the workplace."

In addition, the memo said Microsoft would join other companies in supporting federal legislation that would prohibit employment discrimination on the basis of sexual orientation -- adding sexual orientation to the existing law that already covers race, sex, national origin, religion, age and disability.

"Obviously, the Washington State legislative session has concluded for this year, but if legislation similar to HB 1515 is introduced in future sessions, we will support it."

May 06, 2005

何が見苦しいかといって

いつも言ってることなんですが、「寄ってたかって」というのがいちばん見苦しい。

JR西の、事故車両から離れてさっさと仕事場に行ってしまったという社員2人にしても、そりゃ「あんな大惨事でその場で助けなきゃ人間じゃない」というひとの意見はもちろん分ります。そういうことを、その現場で駆けつけて救助作業を手伝った多くの近隣住民が呆れ顔で口にするのはまったくもってそのとおりだし、たしかにそういうことを言ってほしい、よくぞ言ってくれた、というふうに思いもします。

が、同時に、すくなからず自分も車内で衝撃を受けて転がっちゃったりした“被害者”ならば気が動転していて、さらには脱線衝突車両からはやや離れていた車両だったらば、ショック状態のままそこからのこのこと現場に割り入っていくのだってなかなか大変だと思うのです。しかも「上司の指示」もあって出勤、というお墨付きももらって、人間心理としてはそっちの楽な方に向かっちゃったのは分らないでもない。ぱっと判断してぱっと行動できるのは、事故の当事者ではなく横で一部始終を客観的に見ていた者たちだからです。当事者は、なかなかそうはいかない。それでもできるひとは、それは美談の対象になるでしょ? たとえば怪我をしていながらもその場で必死に他の人を救助していたJR社員がいたとしたら、TVはこれを絶対に美談で取り上げますよ。「あたりまえの話」ではなく伝えるはずです。あるいは「当たり前と言われれば当たり前だが、そういうときというのは気が動転していてなかなかそうはとっさにできないですよね」というふうに。

ホリエモンが「どうせ物語を作るんでしょ、ぼくは物語なんかありませんよ」とそういうニュースの取り上げ方を拒否したり否定していたりしましたが、彼が言っていたのはそういうことです。新聞もテレビも、ニュースをたしかになんでも物語として伝えたがる傾向がある。というか宿命なんだな、それは。

そのときにあるのは、安っぽい物語か、そうじゃないか、です。かつて現場にいた人間としては、安っぽい物語は極力排除したい。安っぽくしかならないときは物語性をあらかじめ放棄すべきなんですよ。

だから、あれはああも何度もテレビやなんかで「乗り合わせていたにもかかわらずそのまま出社した」とかと非難がましく言わなくたっていいじゃないの、って思います。伝えるのは重要ですが、しかし、それは一回か二回の報道で事足ります。それを、鬼の首でもとったみたいにその話題になると何度も何度も呆れたふうに繰り返す原稿を書くニュースデスクは、なんともチープで浅ましくなくないですか。

こういう非難がましさは、JR西の「遅刻→懲戒→再教育」とまったく同じなメディアのいじめ体質です。そりゃ呆れる話だが、アナウンサー、あんたに代わって呆れてもらわなくたっていいんだよって感じになりません? 呆れるのは私にまかしてほしい。ニュースを読む連中にその呆れを先取りしていただかなくて結構。そのくらいは自分でできます、って感じに。

それはボウリング大会にもいえます。
こっちはもっとたしかにひどい。しかし、それにしたって報道は一報と続報、そして調査報道の3回でじゅうぶん。いちいち「こともあろうに」とか「そればかりでなく」とか、そういうふうに主観を交えてさも憎らしげに視聴者をあおるのはいかがなものか、フジTV。「さらに明らかになりました」とかというのはたしかに続報の範囲内ですが、ボウリングの二次会に出ていた人数がもうちょっと多かったからと言って、だからなんだというんでしょう。呆れた、怒った、もっと叱りつけてやれ、ってことですか?

みなさんそうやってすぐに簡単なところで悪者を作って発奮して叱りつける、いじめる。

もっと大人になりましょうよ、報道現場にいる人たちも、デスクにいる人たちも。
視聴者だって大衆だって、あおられるのが好きな人たちばかりではないでしょう。
ここで報道が問題とすべきは、JR西の企業・組織としての危機管理の甘さと、その職員たち個人の危機対処の訓練・指導の甘さです。それは組織構造上の欠陥かもしれないし、個々の士気や誇りの低下の問題かもしれません。それは叱るべきことではありますが、いつまでもぎゃーぎゃーと叱り続けるべきことではありません。

キリキリ絞めつけたって、効果を持つのは最初の段階だけです。そこで止めるべきなのです。それ以上続けたら、結果はなんらプラスには働かないどころか、限界を超えるとゴムが切れるみたいにこんなふうな事故を起こすことにつながったりもするのです。そのふたつはまったく同じなんだもの。

そんでね、じつをいうとさ、そうやって煽るような人ほど、じつは同じような状況になったときに事故現場をそそくさと立ち去って我関せずで出勤するような人たちなんですよね。ちゃっかりボウリング大会に行っちゃってたりするタイプのひとなんですよ。

みんな、そんなに怒りたいのかしらね。いやそんなことはない。怒っていたらとっくに政府は倒れているだろうはずだし銀行や証券会社はもっとまともになってるはずだ。
そうじゃなくて、だれかを叱りつけたいんだな。だれかを人身御供にしたいんだ。政府や銀行はなかなか叱りつけ方が難しい。しかし適当な個人を見つけ出して怒鳴りつけるのは簡単です。それはたしかにインスタントなストレスの発散法です。だが、問題の解決法ではまったくない。

90秒の遅れを認めなかったのは、JR西の社長ではなく、そういういい加減さ=よい加減さのありようを見極められないで人身御供がいさえすればすぐにキリキリ絞めつけ上げるばかりの(日本社会に多く見られる)人たちなんではないでしょうか。だって、90秒の遅れは認められないくせに何年待ってもちっとも増えない銀行利子とかにはぜんぜん余裕で待ち続けられるんですからね。まあ、みんなの責任だなどと、一億総懺悔=責任の一億総拡散化みたいなことは言いませんが、背景認識としては必要かもしれない、程度で。

いずれにしても、呆れ顔で将来的な展望もなくただただ怒鳴りつけたり叱りつけたりするのは、まともな人間のすることじゃありません。それが「寄ってたかって」ならもう、なにをかいわんや、です。

May 03, 2005

せまい日本、そんなに急いで

 じつはいまでも列車の先頭車両のいちばん前に立って迫り来る景色を見ているのが好きなんですが、だけど鉄道の運転士に憧れたことはなかった。あの「指差確認」というのがすごくいやだったんですね。子供のころ、初めてそれを見たとき「このひと、変な独り言をいってる」と思って窓の景色そっちのけでじっと観察してしまった。日本ではタクシーの運転手さんでもそうやって声を出しながら指差確認をしているひともときどきいて、それもなんか苦手なんだなあ。

 まあ、それもこれももちろんじゅうぶんに有効性の確かめられた安全対策なので好き嫌いの問題じゃあないんですけどね。そんなことでもしないと安全が確保されないような、高度に複雑な交通システムの中で私たちは暮らしているということですから。

 もっとも、ニューヨークにいると地下鉄もバスも、郊外列車のハーレムラインとか長距離のアムトラックまで、大げさにいえば時刻表どおりに動いたためしがなく、いや地下鉄なんぞはそもそも時刻表自体があるのかどうかも疑わしいと思ってしまいます。ホームのどこにもそんなもの見当たりませんしね。

 もちろん地下鉄にだって内部的にはちゃんと運行表があるそうです(そりゃそうだ、なきゃ走れるもんじゃない)。でも後ろが詰まれば前の列車は勝手に駅を飛ばして“急行”になっちゃうし、グランドセントラルでもペンステーションでも列車が到着した順番にホームを割り当てるもんだから毎日つねに発車番線が違っていて、最初はずいぶん戸惑います。保線状況だって惨たんたるもので、線路は波打っているし揺れはひどいし、ATSなどという上等なものもありません。

 そんな鉄道事情の国ですから、NYタイムズも尼崎のJR事故には解説を付けることを忘れませんでした。いわく「日本の列車は通常かくも正確な時刻表どおりの運行をしているので、乗客はとても複雑な旅程をウェブサイトで組むこともできるほどだ。遅れというものがないから乗り換えでミスをするということもないと知っている」と。時刻表の知識を駆使する鉄道ミステリーという推理小説の一分野は、脈々と培われた鉄道への信頼によって成立している、アメリカでは存在し得ない分野なんです。

 そんなハイスタンダードを維持するために、日本では人間ならばだれでもがもつような詰めの甘さを、極限まで排除する指差確認のようなシステムまで導入して事故を防いできたんだなあと思います。あの指差確認って、じつはすごく画期的なものだったんじゃないだろうか。いったい、だれが考えたんでしょうね。オリジナルって、なんだったんだろ?

 一方、お寒い環境ながら曲がりなりにもこれまで「大惨事」というような事故を起こさずに日々ニューヨークの地下鉄が走ってこれたのは逆に、「遅れるのが普通さ」という、人間の持ついい加減さのおかげだったような気がします。ここの地下鉄は開通が1904年ですから、もう100年を越えました。たしか線路の総延長が世界でも1、2の巨大システムじゃなかったっけかなあ。これを維持するのは、前述したようにとにかくその場その場で運行の仕方が変わるんですから、かっこよくいえば「臨機応変」、まあ実際は「その場しのぎ」。というか、まずはあんまり高度に複雑にしない、という基本姿勢なのかもしれませんね。尼崎事故のように、90秒の遅れを取り戻すために疾駆するNYの地下鉄だなんて、考えるだに恐ろしい。

 JR西の23歳の運転士に宿った時速108kmの焦りは、いい加減さをゆるさない会社の、ひいては世間のプレッシャーを反映していたのかもしれません。90秒の遅れは、そうしてついに到着を果たせない永遠の遅れになった。

 犠牲になられた方々、怪我を負われた方々に心からのお悔やみ、お見舞いを申し上げます。

May 01, 2005

キャッチアップMS

先日来のマイクロソフトのごたごたは、先週、ビル・ゲイツが地元シアトルタイムズのインタビューに答えて「数多くの社員から批判のメールを受け取って驚いている。次にこういうことの決定を行うとき、これは主要な決定要素になるだろう」と語って、またまた方針転換を匂わす、あるいは鎮静化のための甘言をいっておく的な態度を見せました。

しかし一方で、マイクロソフトが反ゲイの保守派として有名なラルフ・リード(キリスト教者連合の前会長です)の運営するロビー会社(つまり、ワシントンDCで共和党にいろいろと働きかけて自社に都合のよいような政策を取るように動き回るための会社です)を使っていることが明らかになりました。マイクロソフトは今回のワシントン州のゲイ差別禁止法案に関してはこの会社は何の関係もないといっていますが、そもそも、そういうところに金を出して雇っているということ自体、何だかなあという感じがしますわね。

その辺の経緯について、日本語で、きちんとまとめたのを見つけましたので参考にしてください。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20083228,00.htm
です。(ここ、なんか、トラックバックができるようになっているみたいだけど、どうやってやればいいのかわからないので、また、上記URLをコピペしてね)
ここは、ネット関連の海外ニュースを翻訳紹介しているところなんですが、日本のメディアはこれは最初に共同がちょっと伝えただけで、そのまんまですね。他にどこも続報を行っていません。その程度の関心と言ってしまえばそうなのでしょうが。