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August 29, 2006

ちょうど150人

報道機関への要望書間は、締め切り後の作業中もメールでの連名の申し出が続き、結局150人分を添付し、報道各社に送りました。在京新聞社の編集局長及び社会部長、在京テレビ局の報道局長及び報道部長、あるいは、報道番組のキャスター、プロデューサー宛です。この後、手がすいたら新聞社の一面コラム氏にも送ろうと思っています。

みなさんのご協力に感謝します。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

北丸雄二拝

August 20, 2006

ありがとう;署名最終結果

連名署名の受け付けを締め切ります。
ありがとうございました。

私の手元に、120人の名前をお預かりしました。これからカウントされた方々(まだ返事をお出しするひまがなかった方々)に返事を出します。
大半がわたしのこれまで知らなかった人たちです。16歳の大分の高校生という方からも署名をいただきました。ちょっとうれしかった(べつに年齢差別じゃないけどね、笑)。
このほかにも、他の方にとりまとめを頼んだ名前がまだ挙がってくるはずです。

で、最終稿の文面を少し変えました。
これで行きますが、この文面だと賛同できないという方はお手数ですがまたメールを下さい。お名前を外します。だいたい同じですが、ある部分ではさらに主張が明示的になっています。そのくらいの違いだと思います。

もう一つ、ぜひお願いがあります。
各新聞社・通信社で働いている皆さん、おたくの編集局長の名前、社会部長の名前、を教えて下さい。
テレビ局の場合は、新聞社の編集局長・社会部長に該当する報道局長? 報道部長? というのでしょうか、その方々の名前を私宛のメッセージでお知らせ下さい。
手紙は、個人名も含めて出したほうがよいと思いますので、ぜひ、ご協力下さい。
教えてもぜんぜん問題はないよね?

ということで文面again but a final versionです。
****
前略 編集局長ならびに社会部長さま(ここには各社における個人名を入れる予定です)

とつぜん長文の手紙を差し上げる無礼をお赦しください。
私たちは先日8月12日(土)午後に東京・渋谷から新宿にかけて行われた「東京レズビアン&ゲイパレード2006」を準備し、あるいは参加し、あるいは関心を持って見つめていた同性愛者などの性的少数者とそれに寄り添う異性愛者の有志のグループです。今回のこの手紙は、私たちのこの人権パレードが、翌日の新聞各紙でなにひとつ、あるいはテレビニュースでもほとんど取り上げられていなかったという事実に少なからぬショックを受けてお出しするものです。

12日当日は、東京はご存じのように激しい雷雨に見舞われ、午後3時から予定していたこの人権パレードもあわや中止に追い込まれるところでした。しかし中止にすることはどうしてもできませんでした。このパレードは1年近い大変な準備の末に行われる、性的少数者の年に1度の東京での示威行動です。もっとも「示威」といっても、もちろん私たちにはなんの「威力」もありません。私たちがこのパレードで目指しているのは「威」というよりもただただまずは「存在」を世に「示」したいということです。なぜなら私たちは、性的少数者への差別は、性的少数者の実際を知らない、あるいは実在すら知らない、多くの人たちのその無知と偏見から来ているものだと知っているからです。これを正していくには、第一に当事者たちの存在を具体的に示すこと以外に方法はないのだろうと考えています。私たちにとって、それは「カムアウト」という言葉で表されています。このような英語で表記せざるを得ないのは、それが日本的な方法ではないからなのでしょう。しかしとりあえずいまの私たちにはそれしかない。しかも欧米先進国に比べて著しく潜在している、あるいは言語化すらされていない差別感を抱える日本社会で、カムアウトすること自体にも大きなリスクが伴うのは確かです。ですから、このパレードには、取材されて顔が出ては困るという参加者のために例年、「取材および写真撮影不可」という隊列カテゴリーももうけているほどです。

あの激しい雷雨で山手線がスットップしていたこともあり、今年は参加者の激減が危惧されました。ですがあの雨の中、それでも昨年とほぼ同じ2292人が出発地点の代々木公園に集合し、予定の15分遅れで行進が開始となりました。雨は不思議と止んだのでした。沿道からの応援やイベント会場の参加者を合わせると私たちの数は計3800人にもなりました(デモ行進扱いのマーチは、東京では3000人を超える行進者は認められないようです)。東京ばかりではなく、みんなこの日のために全国から集まってくれた人たちです。ゲイとかレズビアンとか単純にカテゴライズされるけれど、中には学校の先生がおり、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどのグループもいました。HIV/AIDSの支援団体の人もいれば、会社員も弁護士も会計士もコンピューター技術者もフリーターも学生も、それにメディアで働くゲイやレズビアンも参加してくれました。日本で初めて政治家としてレズビアンであることをカムアウトした尾辻かな子大阪府議会議員や、トランスセクシャルを公言する上川あや世田谷区議会議員も歩きました。社会民主党の保坂展人さんは国会議員として初めてこのマーチに参加してくれ、そのもようをご自身のブログでも公開してくれました(http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/d/20060812)。事実上の同性婚を法的に保障している英国のロンドン市長ケン・リビングストン氏からは、このイベントは「日本のレズビアンやゲイの方々の貢献をたたえ、目下の課題である人権問題や法的平等を勝ち取るための戦いを知らしめる絶好の契機だ」(Tokyo Pride is a timely opportunity to celebrate the contribution of Japanese lesbian and gay people and to acknowledge their ongoing struggle for human rights and legal equality.)とのメッセージが寄せられました。その他にも多数の欧米の政治家、人権団体代表の方々からメッセージをもらいました。日本の政治家からは、上記御三方以外のものは、ありませんでした。

ご存じのように、同性愛者など性的少数者の人権問題は宗教問題を絡めながらも現在の先進諸国の最大の政治課題です。にもかかわらず日本では、そのことを議論するどころか口にすることすらも忌避される傾向にあります。欧米で真剣に議論されている同性結婚の問題も、日本の新聞で読むとなにか「遠い異国の話」でしかない。そんな風潮は、もともと「性的なこと」を話題に上らせるのをよしとしないという、日本の文化的背景も一因であろうとは承知しています。さらには議論して衝突することを嫌う社会であるせいでもありましょう。でも「結婚」は、たんに性の話でしょうか?

でも、私たちが「示」したいのは、私たちの「性」の話ではありません。それらもすべて含めた、私たちの「生」のことなのです。そのために私たちは年に1度のこのパレードで私たちの「生命」と「生活」の存在を世間に示しています。それが差別と偏見をなくしていく最初の一歩だということを、先輩諸国の人権運動の歴史が示してくれているから、だからこそ私たちはリスクを冒しても顔を見せ手を振って公道をパレードしているのです。また、そうでなくては、欧米諸都市での数万人、数十万人規模のゲイ・パレードの説明もつきません。そこに参加する警察官の、消防士の、裁判官や検事や弁護士など法曹界の、政治家の、銀行や会計事務所や一般企業の、ありとあらゆる分野の参加者たちの動機を説明できないのです。ロンドンやパリやニューヨークなどでは、市長や国会議員が先頭に立ってこの人権パレードを歩く。その意味を、読者・視聴者に伝え得た日本の新聞・テレビはほぼ皆無です。それは、日本のメディアに従事するほとんどのジャーナリストがその意味を即答できないことでも明らかでしょう。それは、政治的な点数稼ぎのためではすでにありません。

このパレードに先立つ7月に、東京・新木場公園で同性愛者を狙った強盗傷害事件が起きました。
時事通信による配信では次のような事件でした。

**
◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。
**

この記事の書き方のせいでもありましょうが、このニュースはインターネット上のブログやミクシィというSNSコミュニティ内で「突っ込みどころ満載」と形容され、さんざん面白おかしく取り上げられました。「衣服を着けずに歩いていた」のにどこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それって犯罪じゃないの? 両方とも犯罪者じゃないの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。そうしてこの被害者は、強盗傷害の犯人と同列に、あるいは揶揄の点からはそれ以上に非難されることになった。自業自得、自己責任、というふうにしか発想しないこの本末転倒、ニュースを読む側の倒錯。こうした日本社会の非情の背景にはいったい何があるのでしょう。それをめぐって東京のゲイ・コミュニティでは70人が出席する緊急討論会も行われたほどです。もちろん、それも報道はされませんでしたが。

私たちがなぜ性的少数者への差別の解消を訴えているのか。
それは、性的少数者を差別しない社会は、他のすべての差別や卑下に関しても許さない正しい社会になるだろうと思うからです。日本でこれまでほとんど知的議論の対象になってこなかった性的少数者という存在を理解することは、あるいはとても難しいことかもしれません。それでなくとも日本社会には面白おかしい「ハードゲイ」像とか「おかま」像とかしか表面化していないのに、いったいどうやってそんな固定観念から自由に同性愛者というものを受け入れていくことができるのか。あるいはいまだに同性愛というものを「そっちのセックスのほうが好きだから自分で選んでそうなった」と思っている無知がはびこる中で、どうやって正しい知識を広める機会を持てるのだろうか。私たちの課題はとてつもなく大きく、重たいものです。でも、それを超えて、日本というこの社会をもっと真っ当なものにしたいからこそ、これからもパレードを続けていこうと思っているのです。なぜなら、同性愛者たちにきちんと向き合える社会は、病者や老人や外国人など、いわれなき偏見と差別にうちひしがれているすべての種類の人びとにもきちんと向き合える社会だと信じているからです。

しかし、それを日本でも成功させるには私たちだけの力では足りません。私たちにも、どうしてもメディアの力が必要なのです。欧米でももちろんそうでした。マスメディア各社の力添えがない限り、私たちの3800人のパレードは沿道わずか数十メートルの幅の、延長わずか数キロでしかないその通りすがりの人びとにしか伝わらない。いや、通りすがりの人びとにすら無視されるかもしれないのです。お願いです。貴メディアの力をお貸しいただきたい。私たちのことを、興味本位のものではない、ジャーナリズムの目を通して報道してください。私たちの現在は、人種、宗教、病気、性別、階級、障害、年齢、それら歴史上のすべての差別問題の再現なのです。私たちは、歴史です。それも現在進行形の。

私たちが最も恐れることは、私たちが単なる情報として消費されてしまうことです。HIV/AIDSの問題でもそういう消費と疲弊とが進行しています。それは教育と啓発の問題なのに、いつのまにかファッションの問題に置き換わってしまっている。結果、日本は先進諸国中ゆいいつHIVにとても脆弱な国家になってしまっています。

私たちは生きています。私たちを、私たちという歴史を記録してください。
今後末永く、少しずつでいいですから私たちをジャーナリズムに載せていってください。
そのために、いますぐでなくとも、性的少数者の問題を長期的に「生」の問題として扱う社内態勢あるいは社内コンセンサスを形作っていただきたいのです。

パリのドラノエ市長も、ニューヨークのブルームバーグ市長も、スペインのサパテロ首相も、私たちが求めればニュースになるようなメッセージくらいいくらでも送ってくれるでしょう。現在の東京都知事に期待できることはまったくないにしても、しかしこれくらいのことは「外圧」を必要とせずに私たち日本社会の中でやり遂げたい。
どうか、この困難な人権運動にお力添えください。

長文の、一方的なお願いの手紙になりました。
貴重な時間を割いて読んでいただいたことを感謝いたします。

お願いついでにもう一件。
来る9月17日(日)に、北海道札幌市中心部でこの種のパレードの第二弾となる「第10回レインボーマーチ札幌」が行われます。他都府県からも多くの参加者が札幌に向かいます。札幌の上田文雄市長は、この人権マーチに賛同を表明している数少ない日本の行政執行者・政治家の一人です。紙面の余裕がありましたら、ぜひ取材・報道してみてください。
詳細は「www.rainbowmarch.org/」にあります。

貴社の、ますますのご発展をお祈りいたしております。

不一。

             在NYジャーナリスト 北丸雄二拝

この書簡に賛同する方の連名署名をネット上の私のブログなどで募ったところ、5日間で次の方々から私宛のメールでお名前をお貸しいただきました。全員のメールアドレスは私が保管してあります。ご覧のようにメディア関係者のほとんどは残念ながら匿名・仮名での署名でした。本来ならばメディア内部の私たちの仲間が率先して社内啓発に努めるべきなのでしょうが、現在の日本で、社内「カムアウト」することの複雑困難な背景が存在するという事情をこのことからもご高察くだされば幸いです。このお願いの手紙は、貴社内で公開くださってもかまいません。
この手紙に関するお問い合わせ、ご意見は、遠慮なく私宛にお返しください。

(以下、連名署名を並べます)

August 16, 2006

連名で要望を出しましょう

先日の東京LGパレードが、けっきょくどこの新聞でも報道されなかったということを知って、私はすごくショックを受けました。それで、次の内容で東京の報道メディア各社(朝・毎・読・日経・東京・産経・共同・時事、それとテレビ各局)に手紙、まあ、要望書ですね、それを送りたいと思っています。北海道新聞にも送ろうかしら。

この書簡の内容に、連名で名前を載せてくれるひとを募ります。
あなたの名前を貸してください。

肩書き(職業、なるべく具体的な社名)と名前をください。名前を出せないひとは、たとえば職業のほうは本当のものを書いて「TBS社員、何乃誰平(仮名)」とかいうふうにしてください。 パレードの準備委員会だった方、あるいはボランティアをしていた方は、その役付きも表記してください。

お名前は、わたし(yuji_kitamaru@mac.com)宛に、メールでその旨を知らせてください。この要望内容に賛同する方ならどなたでも結構です。
ここのブログのコメント欄でもよかったのですが、このコメント欄、不具合で使えません。
申し訳ない。近々、ブログページ自体を変えますのでお待ちください。

また、みなさん、ここにリンクを張ってこの連名署名への参加者を呼びかけていただけるとうれしいです。

で、書簡の内容です。長文注意。


***
前略 編集局長ならびに社会部長さま

とつぜんお願いの手紙を差し上げる無礼をお赦しください。
私たちは先日8月12日(土)午後に東京・渋谷から新宿にかけて行われた「東京レズビアン&ゲイパレード2006」を準備し、あるいは参加し、あるいは関心を持って見つめていた同性愛者などの性的少数者とそれに寄り添う異性愛者の有志のグループです。今回のこのとつぜんの手紙は、私たちのこの人権パレードが、翌日の新聞各紙あるいはテレビニュースでなにひとつ取り上げられていなかったという事実に少なからぬショックを受けてお出しするものです。

12日当日は、東京はご存じのように激しい雷雨に見舞われ、午後3時から予定していたこのパレードもあわや中止に追い込まれるところでした。しかし中止にすることはどうしてもできませんでした。このパレードは1年近い大変な準備の末に行われる、性的少数者の東京での年に1度の示威行動です。もっとも「示威」といっても、もちろん私たちにはなんの「威力」もありません。私たちがこのパレードで目指しているのは「威」というよりもただただまずは「存在」を世に「示」したいということです。なぜなら私たちは、性的少数者への差別は、性的少数者の実際を知らない、あるいは存在すら知らない、多くの人たちのその無知と偏見から来ているものだと知っているからです。これを正していくには、第一に当事者たちの存在を示すこと以外に方法はないのだろうと考えています。私たちにとって、それは「カムアウト」という言葉で表されています。もちろん、欧米先進国に比べて著しく潜在している差別感を抱える日本社会で、カムアウトすること自体にも大きなリスクが伴います。ですから、このパレードには、取材されて顔が出ては困るという参加者のために例年、「取材および写真撮影不可」という隊列カテゴリーももうけているほどです。

あの激しい雷雨で山手線がスットップしていたこともあり、今年は参加者の減少が予想されました。が、それでも昨年とほぼ同じ2292人が行進し、沿道からの応援やイベント会場の参加者を合わせるとその数は計3800人にもなりました。東京ばかりではなく、この日のために全国から集まってくれた人たちです。中には学校の先生がおり、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどのグループもいました。HIV/AIDSの支援団体の人もいれば、会社員も弁護士も会計士もコンピューター技術者もフリーターも学生も、それにメディアで働くゲイやレズビアンも参加してくれました。日本で初めて政治家としてレズビアンであることをカムアウトした尾辻かな子大阪府議会議員や、トランスセクシャルを公言する上川あや世田谷区議会議員も歩きました。事実上の同性婚を法的に保障している英国のロンドン市長ケン・リビングストン氏からは、このイベントは「日本のレズビアンやゲイの方々の貢献をたたえ、目下の課題である人権問題や法的平等を勝ち取るための戦いを知らしめる絶好の契機だ」(Tokyo Pride is a timely opportunity to celebrate the contribution of Japanese lesbian and gay people and to acknowledge their ongoing struggle for human rights and legal equality.)とのメッセージが寄せられました。その他にも多数の欧米の政治家、人権団体代表の方々からメッセージをもらいました。尾辻、上川両氏以外の日本の政治家からは、ありませんでしたが。

ご存じのように、同性愛者など性的少数者の人権問題は宗教問題を絡めながらも現在の先進諸国の最大の政治課題です。にもかかわらず日本では、そのことを議論するどころか口にすることすらも忌避される傾向にあります。新聞で読んでもなにか「遠い海外の話」でしかない。そんな風潮は、もともと「性的なこと」を話題に上らせるのをよしとしないという、日本の文化的背景も一因であろうとは承知しています。さらには議論して衝突することを嫌う社会であるせいでもありましょう。

でも、私たちが「示」したいのは、私たちの「性」の話ではありません。それらもすべて含めた、私たちの「生」のことなのです。そのために私たちは年に1度東京に集まってこのパレードで私たちの命の存在を世間に示したい。それが差別と偏見をなくしていく第一の道だということを、先輩諸国の運動の歴史が示してくれています。だからこそ私たちはリスクを冒しても顔を見せ手を振って公道をパレードしているのです。そうでなくては、欧米での数万人、数十万人規模のゲイ・パレードの説明もつきません。そこに参加する警察官の、消防士の、裁判官や検事や弁護士など法曹界の、政治家の、銀行や会計事務所や一般企業の、ありとあらゆる分野の参加者たちの動機を説明できないのです。

このパレードに先立つ7月に、東京・新木場公園で同性愛者を狙った強盗傷害事件が起きました。
時事通信による配信では次のような事件でした。

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◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。
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この記事の書き方のせいでもありましょうが、このニュースはインターネット上のブログやミクシィというSNSコミュニティ内で「突っ込みどころ満載」と形容され、さんざん面白おかしく取り上げられました。「衣服を着けずに歩いていた」のにどこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それって犯罪じゃないの? 両方とも犯罪者じゃないの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。そうしてこの被害者は、強盗傷害の犯人と同列に、あるいは揶揄の点からはそれ以上に非難されることになった。自業自得、自己責任、というふうにしか発想しないこの本末転倒、ニュースを読む側の倒錯。こうした日本社会の非情の背景にはいったい何があるのでしょう。それをめぐって東京のゲイ・コミュニティでは70人が出席する緊急討論会も行われたほどです。もちろん、それも報道はされませんでしたが。

私たちがなぜ性的少数者への差別の解消を訴えているのか。
それは、性的少数者を差別しない社会は、他のすべての差別や卑下に関しても許さない正しい社会になるだろうと思うからです。日本でこれまでほとんど知的議論の対象になってこなかった性的少数者という存在を理解することは、あるいはとても難しいことかもしれません。それでなくとも日本社会には面白おかしい「ハードゲイ」像とか「おかま」像とかしか表面化していないのに、いったいどうやってそんな固定観念から自由に同性愛者というものを受け入れていくことができるのか。あるいはいまだに同性愛というものを「そっちのセックスのほうが好きだから自分で選んでそうなった」と思っている無知がはびこる中で、どうやって正しい知識を広める機会を持てるのだろうか。私たちの課題はとてつもなく大きく、重たいものです。でも、それを超えて、日本というこの社会をもっと真っ当なものにしたいからこそ、これからもパレードを続けていこうと思っているのです。なぜなら、同性愛者たちにきちんと向き合える社会は、病者や老人や外国人など、いわれなき偏見と差別にうちひしがれているすべての種類の人びとにもきちんと向き合える社会だと信じているからです。

しかし、それを日本でも成功させるには私たちだけの力では足りません。私たちにも、どうしてもメディアの力が必要なのです。欧米でももちろんそうでした。マスメディア各社の力添えがない限り、私たちの3800人のパレードは沿道わずか数十メートルの幅の、延長わずか数キロでしかないその通りすがりの人びとにしか伝わらない。いや、通りすがりの人びとにすら無視されるかもしれないのです。お願いですから力を貸してください。私たちのことを、ワイドショー的な興味本位のものではない、ジャーナリズムの目を通して報道してください。私たちの現在は、人種、宗教、病気、性別、階級、障害、年齢、それら歴史上のすべての差別問題の再現なのです。

どうか、私たちのこの運動にお力添えください。
今後末永く、私たちをジャーナリズムに載せていってください。
性的少数者の問題を長期的に「生」の問題として扱う社内態勢を形作っていただきたいのです。

長文の、一方的なお願いの手紙になりました。
貴重な時間を割いて読んでいただいたことを感謝いたします。

お願いついでにもう一件。
来る9月17日(日)に、札幌中心部でこの種のパレードの第二弾となる「第10回レインボーマーチ札幌」が行われます。紙面の余裕がありましたら、ぜひ取材・報道してみてください。
詳細は「www.rainbowmarch.org/」にあります。

貴社の、ますますのご発展をお祈りいたしております。

不一。

August 09, 2006

義経

さきほど、9日午後2時40分(日本時間10日午前3時40分)、永眠しました。

立派なもんでした。ちゃんと、ゆっくりと、しずかに、でも5回喘ぎましたが、ぼくの腕の中でひとりで死んだ。えらいな、よしくん。

一昨日から動けなくなって、ずっといっしょにいた。昨晩はバスルームに枕を持ち込んで一緒に寝てたら変な姿勢だったんでこっちの脚が吊ったけど。
今朝がたからはちょっと呻いたりしてた。11時ころからは水も飲まなくなった。苦しいんだろうなって思って安楽死も考えた。どこまでが私のわがままでどこからが彼の平穏なのか。でもその間もなく、ちゃんと自分で死んだ。ぼくはたすけられた。

えらいもんだ。ほんと。
それにしても、3年連続で夏はなにかを喪う季節だな。
きょうは、清々しい快晴だった。

August 06, 2006

新・新木場事件に思う

 2000年2月11日早朝、東京・新木場の「夢の島緑道公園」内でゲイ男性とおぼしき若い男性が頭や顔から血を流して倒れているのをジョギング中の会社員が見つけるという事件が起きました。やがてこの男性への強盗殺人容疑で江東区東雲2、無職、中野大助(25)=当時=と同区立中学3年の少年(14)、同区都立高校1年の少年(15)=同=ら計7人が強盗殺人容疑で逮捕されました。これはいわゆる、日本で初めて殺人にまで発展した「ホモ狩り」、ゲイバッシング殺人事件ですが、裁判では、この被害者男性の遺族であるお母さまの事情も鑑みて、事件をゲイバッシング=ヘイトクライム(憎悪犯罪)と規定するに至らず、たんなる通行人を狙った小遣い稼ぎの凶行、と認定するにととどまりました。

ところが同じようことが6年半後の先月、同じ場所で起きました。

以下、時事通信の記事です。

**
◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。

**

 この事件は、ミクシィというSNSの中での日記書き込みで万人に「突っ込みどころ満載」と形容されました。そうしてまずは面白可笑しく取り上げられていったのです。「衣服を着けずに歩いていた」のに、どこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それも犯罪じゃないの? 逮捕されないの? 両方とも犯罪者じゃないの? で、「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。

 こうしてこの新・新木場事件は、各人が各様に(これはゲイであるかストレートであるか関係なく)「突っ込みどころ」のユニークさとその「突っ込み方」の面白さを競うような(あるいは競ってはいなくともここでなにか一言でも言っておきたいというような)対象となっていきました。もちろんすぐに「そうじゃないだろう」という対抗言説も生まれましたが、また同時に、同じゲイの中からも「こんな全裸徘徊をしているから襲われるんだ」「新木場は危ないと知っていてそういうことをしているのなら、それは自己責任ではないのか」という批判も生まれました。

 こうした反応をさまざまなブログやミクシィ内の日記などで読みながら、私はこれは基本的には社会的なコンセンサスの問題ではないかと思いました。コンセンサスとは、人びとに共通の、社会の大多数の人びとが同じようにもっともだと思う、その共通認識のことです。もちろん自然と形作られていくようなものもありますが、ゲイに関すること、LGBTに関わることでは、情報自体がいつもどこででも公になるというものではないですから、公のコンセンサスというものは、黙ったまま何もしないでいるといつまでもできてこないものです。

 たとえばこの新・新木場事件に10の論点があるとしたら、私の印象は、みんなが順不同に3を言ったり5を言ったり7を言ったり4を言ったり2を披露し合った、というものです。ときにはまだだれも言っていないからと6.5の部分を指摘したり、と。そうして、私たちは10の論点のすべてを消費しました。で、結果、なんらかのコンセンサスは得られたのか?

 『バディ』というゲイ雑誌の編集もしている斎藤靖紀さんは、ミクシィ内で「実際に既に重傷を受けている人間がいるのに、その罪よりも、そこにいたった行動のほうを問題にするのは、お願いだから別の機会にやってほしい」と書き込みました。これを受けて、同じく編集者であるみさおはるきさんが「今回の事件に対して『自己責任』とか『自業自得』って意見を出した人は、これが二丁目の近くでゲイを狙った事件で、たまたまそこに通りかかった自分が襲われて被害者になったとしたら「ゲイが集まることで有名な二丁目に行ったから自分は襲われたんだ、自業自得で自己責任だから仕方がない」なんて」言えるんだろうか、という視点を補足しました。

 斎藤さんがまとめたこの事件に対する人びとの反応はつぎのようなものです。

「事件が報道されたというのが最初の衝撃。

「被害者の変態行動どうよ」な声がワッと出たのが第一の反応

それを見て、「被害者の変態行動どうよな非情発信はどうよ」、というのがその次の反応↓

それを見て、「被害者の変態行動どうよな非情発信はどうよという言論統制的圧迫はどうよ」というのがその次の反応」

 このまとめはじつに要領を得たものでした。こうして、この事件に関する10の論点のほぼすべてが網羅されました。
 そういう書き込みを読みながら、私には、みさおさんにしても、斎藤さんにしてもみんなが一様に、最初の「被害者の変態行動どうよ」というものへの対抗言説として、様々な視点からこの事件に対してどういう態度を取るのが正しいのか、それを懸命に模索しているという印象を受けたのです。とにかく足場が必要だ。その足場がなければ、次のところに進めない。先ほどの物言いでいえば、その足場こそがコンセンサス、共通認識です。みんなが、あるいは少なくとも大多数がそうだと合意できるような、論理的な、しかも万人が納得するような平易な足場。斎藤さんがミクシの中で言っていたことはまさにそういうことでした。10ある論点のうち、1が定まらなければ2に行けないのに、どうしてみんな先に5とか7とか8とか9とかの話をするんだ? どうして1に関して、あるいはその派生としての2に関してきちんと合意もできていないまま3に進んじゃったり6を知ってるってひけらかしたりするんだ?

 そういうことなんだろうと思います。わたしたちは、こういうゲイバッシングに関して、いったいどこでどういうコンセンサスを形成してきたのか? いや、ゲイバッシングにのみ関係する問題ではありません。ゲイに対してまずは公の言説がほとんどなされていない日本という社会のなかで、言説がないのにコンセンサスが生まれるはずもありません。ではバッシングに関してはどうなのかというと、はて、いじめの問題は、いじめられる側にも問題がある、という物言いが平然と訳知り顔で公言されるような社会で、いったいどんなコンセンサスが真っ当なものなのでしょうか。

 思えば現代日本社会は、私の知る限り、公の議論と公のコンセンサスというものをないがしろにして成熟してきた社会のように思えます。戦後30年ほどは、つまりは1975年くらいまでは、いちおう、戦争をしないというコンセンサスがあったように記憶しています。もっとも、それもなんとなく戦後という時代の空気がそうだったのであり、べつに議論してそうなったのではなかった。だからいま、言葉としての伝達がないままになって久しく、ついに憲法9条もまたコンセンサスたり得なくなっている。

 すべてがこの調子です。日本社会は衝突を嫌う社会だという紹介が欧米では為されています。衝突を嫌うあまりに、議論をしなくなってしまった。自分たちの思考を言葉で切磋琢磨することを避けてきてしまった社会です。言葉がないところに、コンセンサスは生まれない。みんな、なんとなくそうでしょう、という雰囲気だけがフワフワと漂っていて、そしてひとたび問題が起きるや、そのなんとなくそうだという幻想の化けの皮がはがれることになる。え、そうじゃなかったの? と慌てるのです。そんな雰囲気だったのに、という共通認識は、じつは各自の勝手な思い込み、思い込みででっち上げられた誤解なのです。

 7月最終の週末に、つまりいまからつい1週間ほど前に、カリフォルニア州サンディエゴでゲイプライド・フェスティバルが行われました。29日夜の公園でのプライドコンサートの帰り道、3人のゲイ男性が、若者5人組に野球バットとナイフで襲撃されるという事件が起きました。3人は命に別状はなかったものの重傷を負い、容疑者の16歳から24歳までの男性が逮捕・起訴されました。前述のみさおさんが指摘した、「ゲイが集まることで有名な」ゲイプライドなんかに行ったから襲われた、のかもしれません。しかし、アメリカにおけるコンセンサスはすでに違います。

 サンディエゴの市長ジェリー・サンダーズは、すぐさま次のようなスピーチを行いました。
 「こんな下劣な犯罪を行うような輩に、あるいはこんなふうに人間を襲撃しようと企てているような連中に、言うべき言葉はわずかだ。きみたちは卑怯者だ(You are cowards.)。犯人たちは3人をバットで殴りながらゲイに対する卑劣な罵倒語を浴びせかけていた。これはヘイトクライムの、まさに定義そのものの犯罪だ。あきらかに、このケモノたちは被害男性たちをまたクローゼットに押し戻したかったのだろう。わたしたちは、ぜったいに、そんなことをさせないし、許しもしない」

 その前月の6月には、NYのゲイプライドに登場するはずだったケヴィン・アヴィアンスがやはり16-20歳の若者4人組に襲撃され、顎の骨を折る重傷を負いました。このときにはNY市長のマイケル・ブルームバーグが即座に「こんなヘイトクライムをしでかして逃げ仰せると思っていたら、それは悲しいくらいの大間違いだ」という声明を発表しています。

 学校での同性愛嫌悪的ないじめをなくすためにイギリスで先ごろ教師向けに作られたDVDの中で、ロンドン市長のケン・リヴィングストンは「私たちの目の前には、gay という言葉を侮辱的に用いるような低レベルな偏見・差別をなくすために、しなければいけないことがたくさんある」と訴えています。

 これがいまの欧米社会の世論の足場です(もちろん現実にはバッシングは頻発しているにしても)。そうしてこれさえあれば、私たちはみずからどんなジョークを言おうがあるいはだれかから笑い話にされようが迷うことはありません。なぜなら、これがいまの社会の背骨だという正義に支えられるからです。もちろんその背骨はアメリカではまだかぼそく、ちょっと横にずれて同性結婚とかの話になるとそれこそ屋台骨が揺らいだりするのですが、しかし暴力に関してはすでにこのサンダース市長らの言説に面と向かって反論することはできない。反論するには、面と向かわない、横を向いた、それこそ卑怯者のやり方でしかできない。

 今回の新・新木場事件で、私たち日本人社会はこの市長たちが代弁したようなコンセンサスを得てはいません。こんな基本的なことが、暴力を振るった者に対するこの絶対の批判が、社会で共有されていないのです。6年半前のあのオリジナルの新木場事件のときよりも、たしかに談論風発ではありましょう。いろんな意見が飛び交いました。相変わらず能天気で問題の核心をはずしているストレートのパッパラパー連中のことは別にしても、ゲイ・コミュニティ(もしそういうものがあるとしたら、ですが)、そしてそのコミュニティに寄り添おうとしているストレートの人びとの中で、たしかにかつてないほどの意見の披瀝と忌憚ない批判がありました。それは6年半という時間を感じさせる展開だと思います。

 ただしそれらは、足場がない限りどこにも行けないのです。10の論点を我れ先に見つけて発表し合うだけで、だからといってすごいね、よくわかったね、気づいたね、と褒められても、あるいはなにかを書き込んだことで自己充足していても、そこから私たちはいったいどこに行けばよいのでしょうか。このままでは私たちは、10の論点を情報として消費してしまったに過ぎない。私たちは、情報を消費するだけで、なんら新しい情報を作ってはいないのです。私たちは私たちのコンセンサスを作ってはいない。

 コンセンサスは、ゲイ・コミュニティの内部だけで作るものではありません。圧倒的な数を誇るヘテロセクシュアルの社会を巻き込まなければ、いえ、われわれの生きるそうした社会全体のなかでこそコンセンサスを作っていかなければ、意味がない。それはどういう運動かというと、じつは、大げさに聞こえるかもしれないけれど、日本の社会を変える運動なのです。たんにゲイに関するコンセンサスの話ではない。ゲイのことを軸にしながらいまの日本の社会のどうしようもなさを変えてゆくことにつながる、もっと大きな運動のことなのです。

 さてそのコンセンサスをどうやって形作ってゆくか。それは、先ほども言ったとおり、情報を消費するだけでなく、情報を作ってゆくことなのです。ゲイに関する、多種多様な情報を社会に向けて発信していく。これまではゲイコミュニティ内部への情報発信だったのを、これからはそれを外部へとつないでゆくこと。私たちの情報を一般社会へと広げてゆくことだと思うのです。これまでの10年間が個々人のカミングアウトの時代だとすると、そこを経ていま、今度はゲイコミュニティ自体が、一般社会へとカムアウトする時代になっていくのだと思います。

 おそらくそれにはまた10年を要するでしょう。でもそのとき、私たちの社会はいまよりもすこしだけ真っ当になっていることは確かだと思う。いやしかしまた、もしそうなっていないとしたら、それはつまり、だれもが不満を抱えているような、嫌な日本の病状が進行してしまっていることになるのだと思います。

 ですから、方法はやはり明らかです。ハーヴィー・ミルクが殺されて28年が経とうとしているいまも、彼が言ったことはだれがどこでどんな屁理屈をでっち上げようが保留をもうけようが、結論としてはぜったいに正しいものです。もちろん過程としてはさまざまな方法論や手練手管はあるでしょうけれど、それは28年を経ていままでだれもだれひとりとしてそのことを否定できなかったという歴史が証明しています。

 「カムアウト! カムアウト!」

 これを否定できた人はいません。すくみあがりたじろぎ留保したひとは多くいるけれど、否定できたひとはだれもいないのです。たとえカムアウトした先に死刑が待っていようとも、その死刑を覆すにはやはりカムアウトするしかないのだという理を、否定できはしない。
 それは、私たち自身を作り上げることです。私たちをこそ情報として発信することです。全裸徘徊が情報として誤解だと思うならば、全裸徘徊ではない自分自身をもまた伝えればよいだけの話です。

 「カムアウト! カムアウト!」

 このことをこそ、まずは私たちのコンセンサス、共通認識にする。いまはカムアウトできなくともよいのです。ただし、いまカムアウトできなくとも、カムアウトすることは正しいことなのだという結論は、揺らぎのないものなのだという歴史的な事実だけは知っておく。そういうことなのだと思います。そうみんなが思っていれば、それだけでも社会は確実に真っ当な方向に進んでゆくはずなのです。