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December 08, 2008

RENTとあの時代

現在、日比谷シアタークリエで公演中のミュージカル「RENT」のパンフレット用に次の文を書いています。
年末の30日までの公演です。新年には大阪公演もあるようです。

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今度、「アルターボーイズ」にも出てもらう田中ロウマくんがエンジェル役で出ています。「ヘドウィグ」で緊急代役で出てくれた望月英莉加ちゃんもモーリーン役で出ています。

残席わずからしいですが、機会があればぜひ見てください。
http://rent.toho-stageblog.com/

◎『RENT』とあの時代、そして、死者の代弁者
           ──北丸雄二

 最も困難なときに、ひとは最も美しい物語を紡いだりします。けれどそれはあとになってわかるだけで、そのときその場では生きるだけで精一杯です。あるいは死ぬだけで。

 あの時代、RENTの舞台であるマンハッタンのイーストビレッジは、それもアルファベットシティと呼ばれる東端の地区はニューヨークでも最も荒れた場所といわれていました。中心部にあるトンプキンズ・スクエア公園は麻薬のディーラーたちのたむろする場所で、日本人のわたしが歩いていても「ハッパ、ハッパ」と囁かれたりしました。それが日本語の「葉っぱ(=大麻草)」のことだと知ったのはずいぶん考えてからでした。

 麻薬はじつは60年代のベトナム戦争からの遺物です。あの時代、戦争から帰還した若者たちはボロボロの心でこの街に流れてきました。麻薬でもキメてなければやってられない戦争だったのです。もともと開発に取り残された移民用の安アパートが多い地区でしたが、プエルトリコ系やアフリカ系の詩人や芸術家、反体制の知識人も多く住んでいて(これがRENTではエンジェルとコリンズに形を得ます)、ここはベトナム反戦運動の東の中心地となります。つまり反体制と対抗文化の中心地として、麻薬がその象徴のようにもてはやされもしたのです。

 それは十数年後に予期しなかった悲劇をもたらします。80年代の、HIV/エイズ禍の拡大です。その感染は、麻薬の静脈注射と危険を知らなかったセックスを主な経路としていた。それが照らし出す性的少数者の問題(主要登場人物8人のうちの4人がゲイ・レズビアン・トランスジェンダーです)、人種的少数者の問題、ホームレスの問題──こうして、最も困難なRENTの舞台装置は揃ってしまうのです。

 RENTというのは、よく知られる「借りる」とか「家賃」とかいう意味のほかに、ここでは「REND」の過去分詞形の「RENT」、つまり「ズタズタに引き裂かれた」という形容詞や、「裂け目、決裂」という名詞の「RENT」なのです。タイトルナンバーである『RENT』の歌詞の最後に「'Cause Everything is Rent」とありますが、それは「すべては借り物だから」という意味ではなく、「だって、みんなズタズタだから」という叫びなのです。

 「RENT」な時代の背景としてのHIV/エイズ。患者・感染者は聖書にある「癩者」のように忌み嫌われました。その嫌悪は感染拡大の元凶のようにいわれたゲイの人たちに等しく及びました。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは、多くの専門家からエイズ大流行が予言されていたのにも関わらず、それが「ゲイたちの病である」という偏見から、ほとんど必要な予算を割かずに彼らを見殺しにしたのです。結果、アメリカはその数年後にHIVの感染爆発を見ることになります。エイズはそんな社会的排斥・憎悪・分裂の象徴としてこのミュージカルに登場します。しかしそれは逆にエイズ患者・感染者側からは友愛と慰撫の手綱として描かれる。当初、マーク以外の主要人物が全員HIVに感染しているという設定だったほどに強烈に。

 あの時代、エイズはほんとうに5年後、10年後の死につながる病でした。じつはいまでも死病であることに変わりはありません。エイズが治った、つまり感染源のウイルスが体内から消えたという人はいまもって1人もいない。治療法が見つかったのではなく、延命の方法が見つかったというだけの話なのです。しかしその延命策にしてもなかなかに副作用が大きく、人によってとてもつらいものだったりします。延命医療の届かないアフリカやアジアの国もたくさんあり、現在でも国連の最大の課題はエイズ対策です。

 そうした困難の中から芸術分野で多くの傑作が生まれてきます。絵画のキース・ヘリングも写真のロバート・メイプルソープもエイズを発症したゲイのアーティストでした。『コーラスライン』を作ったマイケル・ベネットら多くの才能をエイズで失ったブロードウェイでも、同じくゲイでHIV陽性のトニー・クシュナーがやがて渾身の『エンジェルズ・イン・アメリカ』を書き上げます。エイズを扱った小説、映画、テレビの名作は数知れません。そしてジョナサン・ラーソンも『RENT』を発表するのです。

 あの時代、エイズとゲイへの社会的憎悪が募れば募るほど、逆にエイズとゲイを取り巻く善意と勇気のネットワークが紡がれ広がっていったことを思い出します。劇中で描かれるエイズ患者支援グループ「ライフサポート」は、ラーソン自身が通い詰めた実在の支援団体Friends in Deed(行動する本当の友人たち)がモデルですし、エイズ禍最初期に6人のゲイ男性によって組織されたGMHC(Gay Men's Health Crisis=ゲイ男性の健康の危機)は現在も世界最大の患者・感染者支援団体です。無理解な政府に直接行動で抗議し続けたACT UPも、患者たちの自宅に食べ物を配達するGod's Love We Deliver(神の愛を届ける私たち)もこの時期に結成されました。若者たちはあの時代、死者に寄り添うようにやさしく根気づよく偏見と差別と憎悪とに「NO!」と意思表示し続けたのです。ニューヨークはそしていまHIV/エイズの患者・感染者や、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーたちが共生できる街になりました。多様さへの理解がこの街の強さになったのです。もっとも、RENTの舞台だったイーストビレッジはいまスクワッターたちも一掃されて久しく、トンプキンズ・スクエアもすっかり小奇麗になり、さらにはこのところのアパート不足ですっかり家賃が高騰して、たとえルームシェアしてもマークやロジャーたちの住める場所ではなくなりつつあります。

 最も困難なときに、ひとは最も美しい物語を紡いだりします。でも、あのズタズタに困難な時代の愛と涙の美しさを、憶えている者も少なくなりました。そうしていままた、ニューヨークでもRENTな時代を知らない若者たちのあいだにHIV/エイズの再流行が起きている。

 死んでいった者たちの願い、見送った者たちの痛み──あの時代を生き延びた者たちは、みな、そんな死者たちを取り巻く代弁者でした。RENTを再演する日本の若い役者さんたちもまた、あの時代の代弁者です。そしてその愛と涙とを、つぎにはRENTを知ったあなたが伝えていってくれたらと思います。
(了)

December 02, 2008

世界エイズデー

セックスって、気持ちいいですよね。
あれ、どうして気持ちいいんだろう。
男は射精の快感だっていうけれど、それだけじゃぜったいにない。
なんていうか、ふれあったり、だきあったり、だきしめあったりしているだけで、なんだかからだじゅうに気持ちのいいホルモンがじわじわとしみわたっていくみたいな、そんなじわじわした幸福感につつまれる。

これもじつは生殖のために遺伝子が仕組んだ(あるいは神が仕組んだ?)餌というか罠というかご褒美というか、そういうもんだってことは知ってるんですが、わたしが投げ遣りなときに陥る唯脳論に立脚すれば(ってまあそんなたいそうなもんじゃないが)、最初はそうだったかもしれないが、そのうちに脳がどんどんそれを自分で勝手に発展させて、快感ってものを別の回路でも関知できるように独立して作ってしまったんじゃないかと思うわけです。ちょうど、数字が数学をつくったように。

そうすると、わたしたちが思い込んでいる「性欲」とは、本当にわたしたちが思い込んでいるような「性欲」なのか、という反語が出てくる。そうして次のような仮説を、考えちゃうわけです。

つまりセックスとは、セックスを通じて、じつは人を好きになり たいという(そのほうが生物学的には変態的ではあるのですが)、そういう意志の欲望なのである、と。

まあ、戯れ言はこの辺にして、ていうか、もしそういう意志の欲望だとしたら、セックスは、ちゃんとセイファーなものでもぜんぜん問題はないわけで、というところにつなげたかったわけなんですがね。

で、12月1日は第20回の世界エイズデーでした。1988年に、世界先進国の厚生行政の大臣たちがサミットを開き、HIVの感染拡大を防ごうとこの日を設けたわけです。

でも、HIV/エイズはその後も第三世界へと拡大を続け、現在では世界で3300万人がHIVに感染し、その数は昨年2007年だけで270万人が増えました。この中には、もちろん、わたしたちの知人・友人、あるいはその知人・友人がおそらく含まれています。わたしたちが知らないだけで。あるいは、わたしたち自身かもしれません。

わたしの新聞記者時代の畏友、産經新聞の宮田一雄さんは日本でいち早くこの問題に取り組んだジャーナリストです。彼の飄々たるブログサイトを推薦します。鎌倉に住み始めて、「ビギナーズ鎌倉」というブログを書いていらっしゃいます。

'http://miyatak.iza.ne.jp/blog/

ニューヨークでは、先週のメイシーズ百貨店の感謝祭パレードで、キース・ヘリングのバルーンが登場しました。

キース・ヘリングもエイズ関連の合併症で1990年2月16日、31歳で亡くなりました。生きていれば来年50歳だった。

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ダウンタウンのバンクストリートからハドソン川に通じたところにあるハドソンリバー公園では、エイズ・メモリアルのベンチが設置されました。長さ12m強の、黒い御影石のベンチです。遊歩道に沿って少し湾曲しています。御影石には、旧いスカンジナビアの民謡の歌詞が刻まれています。

'I can sail without wind; I can sail without oars. But I cannot part from my friend without tears.'
わたしは風がなくとも舟を出せる。わたしはオールがなくとも舟を出せる。でも、涙がなければ、わたしはわたしの友と別れることができない。

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ニューヨークでは1日、エンパイア・ステート・ビルディングが恒例の赤い色に染まりました。

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