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March 20, 2009

ハートをつなごう

NHKの「ハートをつなごう」という番組のプロデューサーたちに先日の滞日の際にハーヴィー・ミルクの映画「ミルク」について寄稿を頼まれたのが出来ました。以下のリンクから、選んでください。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/lgbt/kiji/index.html

どうぞご笑読を。

4月の公開が近づいたら、このページでまたいろいろとこの映画製作の舞台裏の話を掲載するつもりです。

わが尊敬する大塚隆史さんもおっしゃってましたが、この映画は、あの、やはりオスカーを受賞したすごいドキュメンタリー「ハーヴェイ・ミルク」と対を為すものですわね。これを機に、そっちもまた多くのひとが見ることになるといいと思います。私もじつは80年代の終わりに新宿ゴールデン街の飲み屋である映画関係の若い人にそのドキュメンタリーをビデオで渡されて推奨されるまで、ミルクという人物についてはほとんど知らなかったのです。てか、情報がなかったんだよね。

おもえばずいぶんといろんな情報がいろんな人の手によって紹介されるようになったもんです。たった20年ですが、隔世の感です。

March 17, 2009

死んでゆく新聞

NYタイムズの本社ビルの一部が売りに出されたり、有名なサンフランシスコ・クロニクル紙が廃刊しそうだとかある新聞は全部オンラインに移行するだとか、「旧メディア」としての新聞の危機が叫ばれています。とはいえ、心配しているのはわたしたち新聞に関わっている者たちだけかもしれません。42%のアメリカ人は自分の住む町からそこの地方紙がなくなっても困らないと答えたことが最近の世論調査で明らかになりました。

べつにアメリカに限った話ではありません。日本でも新聞離れが言われて久しいし、じっさい、若者たちはニュースのほとんどを無料のオンライン新聞で得ています。あるいはニュースそのものをどこからも得ていないのかもしれませんが。

先月、創刊150周年を目前にしたコロラド州デンバーのロッキーマウンテン・ニューズ紙が廃刊に追い込まれました。最終発行日のその日、同紙のウェブサイトには「ファイナル・エディション(最終号)」と称して同社編集部の様子や記者・従業員へのインタビューが動画で掲載されました。

20分ほどのそのビデオで、ある記者が悲しそうな顔で訴えていました。

「新聞がなくなったらこれから誰が質問するんだ? ブロガーは質問なんかしないよ。それでいいのか?」

新聞はこれまで、莫大な金と時間を投資して有意の若者たちを訓練し一丁前のジャーナリストに育て上げてきました。時の権力のさまざまな形に「質問」の力で対峙できるように訓練してきたのです。新聞はしばしば「ペン」に喩えられますが、ペンよりも以前に権力の不正や怠慢や欺瞞を見逃さずに質問し調べ上げる「取材」の力によって支えられていたのです。もちろんその途中で権力にすり寄ったり自分を権力と同一化して弱い者いじめに加担するエセ・ジャーナリストも数多く生まれましたが、勘違いするやつが生まれるのはどの業界でもまあだいたい同じようなもんでしょう。

とにかくいまインターネット上にはそうして得られた情報が無料で開示されています。そうしてそれらを基に、多くの第2次、第3次情報が取材調査もしない手先の情報処理だけでえんえんと生み出されている。

そこには「ペン」だけがあって、その事実を支える種々の努力が欠如しがちです。そうすると何が起こるか? 「ペンは剣よりも強し」ではなく、ペンは剣と同じくひとを傷つける怖いものにも成り果てる。それは「2ちゃんねる」などの中の一部掲示板で繰り広げられる「あらし」や「まつり」にも如実に表れています。先日の日テレの「バンキシャ」虚偽証言タレナガシ岐阜県庁裏金作り報道も、結局はネット情報だけでやっちゃった結果なんでしょう?

だれが事実を検証するのか? だれが権力に対峙できるだけの知識と手法とを駆使して真実を知らせるのか? それはよほどの「ブロガー」でなければできないでしょう。もちろんそれは、よほどのジャーナリストでなければできないことでもありますが、「よほどのブロガー」はそんな「よほどのジャーナリスト」たちの第1次情報をネタ元の1つにしているのも確かなのです。

新聞を殺してもよいのか? そんな問いはしかし無効です。新聞はいずれ死にます。さらに、新聞が何ほどのもんだという批判もあるでしょう。しかし社会構造として新聞社が組織的に担っていた対抗権力の大量生産能力には小さからぬ意義があったと思うのです。

そうやって新聞が行ってきたジャーナリストの製造、つまり「質問」と「調査」の新しい担い手を、わたしたちの社会は早急に見つけ出さねば、あるいは育て上げねばならないのだと思います。

無理かもしれませんけどね。

March 07, 2009

類似性

ちょいと酔っぱらって頭が働いた。
小沢のことを言うわけではないんですが。

辻元清美の話。
あれは秘書給与流用詐欺と言われた事件で、そういうのは、みんなじつは便法としてどの国会議員もやっていた。その仕組みを、辻元は歴代の政界の手法として教わってそのままそういうもんだと思って自分の秘書の給料を回していたのですね。それが、いつかなんとなく違法だとなって、いや違法だというのは違法だったんだが、違法でかつ摘発される、ということになって、それで逮捕された。 それまでは違法だがしかし、摘発=強制捜査には至らなかったのです。

あのね、司法というのは、取り締まりだけではなく、という以上に、取り締まる以前に犯罪の予防を行えばそれが最善なわけですわ。なぜなら、訴追費用はもっと節約できるし、なにより、犯罪を事前に回避できればそれはとても倫理的な予防行為になるから。それが慣例的に行われていて明確な犯意というものがなかったらなおさらです。たとえばそれは田舎の農家での未成年の無免許運転とか、ある地域でのどぶろく造りとか、と同じようなもん。その地域の特殊性。この辻元の場合は政界という伏魔殿の特殊性。

そこにも手が入るんだぞ、なぜならこれが近代国家だからだ、と強制捜査踏み切りの基準を変えたことをまずは宣言、とまではいかずともなんとなく周知させねば、なんでいままで造ってたどぶろくが急に重大犯罪扱いになって摘発されるのか、戸惑うだろう。「容疑は容疑だ」と言われればまさにそのとおりではあるにもかかわらず。

そうすることなく掌を返して引っ掛けるのはワナですわ。ワナとは、明確な恣意性の認識の下で、特定の標的を狙って仕掛けるものです。

これが、何より今回の東京地検特捜部のおかしなところ。森喜朗とか二階とか(二階は小沢のかつての腹心だった=同じ手法を知っていた)、そういうところを捕まえたり捕まえなかったりの恣意性は、ワナであるという、ここに起因するわけです。

だから何が言いたいのかというと、辻元の逮捕と、今回の小沢秘書の逮捕は、とてもよく似ているってことです。まあ、もっと奥があるのか、つまり受託収賄にまで発展するのかわからんが、これまでのところ、小沢の反応を見ていると「おいおい、それはないだろう」という部分が大ですもんね。

民主党が政権を取ると、自民党だけでなく、官僚組織も面倒なことになるのは確かで、そのあたりの魑魅魍魎も今回の小沢陣営強制捜査の裏でうごめいているのかもしれませんな。

March 06, 2009

なるほど麻生が粘ったわけだ

わたしはべつに民主党の支持者でも小沢の信奉者でもありません。ただ、自民党からの政権交代が逐次行われるような政治体制でないとダメだとかねてから思っていて、そのために多少の瑕疵には目をつぶっても民主党の政権を作ることのメリットのほうが大きいと思っています(あの、なんで民主党にいるのかわからない、自民党のスパイみたいな薄ら笑い前原は好きになれんが)。

いわゆる自民党的なるものというのは、すでに賞味期限を過ぎて、日本の政治には新しい流れであるとか新しいパラダイムというのが差し挟まれなければどうにも機能不全なのだという思いが強いです。それこそがとにかく日本という国家のためであるという信念は揺るぎません。しかし、自民党はそうじゃないらしい。自分たちが政権に固執していることこそが日本のためという振りをして、それはしょせん自分たちの保身のためでしかないことは明らかです。なぜなら、彼らのいうのはいつも「このままでは選挙を戦えない」であり、「このままでは日本はダメになる」という発想ではいちどもないからです。

麻生が二進も三進も行かなくなって、解散も内閣改造も、そして選挙すらもできない、という状況であるのは確かなのですが、しかしこのところの政権へのしがみつき具合はいったい何なのか、と疑問に思っていました。予算、補正、給付金、二次補正と、とにかく隙を与えずに次の飛び石に向けて邁進する。先の見えないこのガムシャラぶりはいつか破綻すると決まっていたのですが、なるほどそれもこれもすべて、この東京地検特捜部の動きと連動していたわけです。

しかし東京地検特捜部も、今回はえげつないことをしたものです。
特捜部の捜査というのはいつもかならず政治的なものです。「巨悪を眠らせない」といったあの時代も、じつは巨悪だけでなく小悪も中悪も、いろいろと目配りして手や口を突っ込んでいて、それは国民の雰囲気を読みながら刑法を背景にしたもうひとつの政府だったのです。しかし、これまではつねに「選挙」には細心の注意を払って、そこへ腕を突っ込むような、刑法によるあからさまな政治的介入だけは避けてきたはずです。むかし、私が新聞記者だった時は、選挙があるときは警察・検察は敢えて動かない、と教えられたものなのに。すべては選挙のあとだ、と。なのに、今回は選挙の前にこれをやった。

確かに一部が今月末で時効となる事案だったかもしれません。しかし、そうであったとしても「この種の捜査で逮捕者を出したことなどない」と言う小沢の指摘は正しいものです。なのにこれをやった。そういえば、司法が自民党の保身に加担するようになったこの傾向は、あの辻元清美が(政治家ならだれでもやっていた、そして辻元はまだやっていた、というのに過ぎなかった)秘書給与流用で警視庁捜査2課に逮捕されたころからでしょうか。「あくまでも容疑があれば捜査をするだけ」という建前が建前であることは司法というものを少しだけでも知っている者ならだれでも知っています。それが社会的にどういう意味を持つか、それが国民のどれだけの支持を得るか、その捜査がどれだけ勧善懲悪の顔をしているか、そのへんをいろいろと計算して強制捜査に入るのです。

そうやって眺めると、東京地検特捜部を指揮するいまの法務大臣は麻生派の森英介です。
こいつ、こないだ東京に帰った時の鮨屋でたまたま同じカウンターに座ったんだが、魚は養殖がいいとか、何を言ってるんだかわからんことを披瀝して、聞いていてこちらが恥ずかしくなってしまった。一応相手が権力者だから言うけど、この男は、バカである。
さて、とにかくもそういうわけで麻生は西松捜査が小沢に向かうことを知っていたわけで、とにかくそこまで生き延びれば起死回生の一手となる、とふんだわけなのです。それまではとにかく国会審議と外遊(アメリカに次いで、すぐに中国です)を連発してつないでいく。なるほど、権力というのはかくもえげつなく恐ろしい。それを知ると情けなくもしかたないが。

小沢への強制捜査はあるのでしょうか?
しかし、こうやって新聞社を離れて見ると、新聞報道もかなりいい加減です。検察リークを基にしてしか書いてない。以前からそういうもんではあったのですが、司法からのリークは裏を取る必要なく記事になるので、なるほどこれも政権への補強と傾くのは当然なんですね。
いやはや、これで小沢の首を取れなかったら、検察当局は次は首相になった小沢から大粛清を食らうでしょう。なぜってリーク情報で言えばこれは明らかに大規模な受託贈収賄事件なんですからね。
双方、命がけの攻防です。

面白いと言えば面白いが、その間にも日本はどんどんと腐ってゆくんだなあ。
疑惑が本当なら、小沢も二重に罪なことをしたことになります。
そうじゃなきゃ、麻生・自民党こそが諸悪の根源ということです。