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May 31, 2011

現場と個人を潰す社会(前回の「ジョプリンと福島」改訂版)

前回のブログ、なんだか覚え書きのようにだらだら書き連ねていただけなので冗漫で重複の多い文章でしたよね。それに手を加えてまた書き直すのも何なんで、最初から書き直してみました。こっちのほうが簡潔に言いたいことがわかりやすいと思いまーす。つまり、こういうことなんですわ;

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◎現場と個人を潰す社会


ミズーリ州ジョプリンの竜巻は幅が1.2kmもあったというから驚きます。テレビで見る破壊の様子は、局地的とはいえあの東北の海岸沿いと同じ、家並みや木々が根こそぎかっさらわれて、まるで水のない津波被災地のようです。

被災者の悲嘆も行方不明の家族を探す人の必死さもみなあの東北の人々と同じです。でも1つ違うことがありました。それは当局者が必ず現地で、被災の現場で会見を開いていたことです。

日本では会見は概ね本社や中央官庁で行われ、現場で関係者に質問しても往々にして「それは上に聞いて」とあしらわれます。事件事故いずれの場合もそうです。今回の震災でも会見は東電本店や保安院や首相官邸ばかりですよね。これ見よがしに防災服を着ていたりしますが、クーラーの効いた東京の会見場でそんなもの着てて何になるんだろうって思ってしまいます。

アメリカでは現場責任者が現場で会見やインタビューに応じます。ジョプリンの竜巻の場合も連邦緊急管理庁(FEMA)や地元警察・消防などが被災現地で対応していました。ジャーナリストたちは現場が第一なので、当局としてもこうした体制を構築してこなければならなかったわけです。かくして現場を任された人は一般に、どの情報を開示すべきか自分で判断し、自分の責任で会見を仕切るのです。

それにしてもこれは教育の違いなのでしょうか? 会見者は米国ではじつに堂々としています。まっすぐに相手を見つめ、情報を伝えるのだという意気込みすら感じられます。個人の使命感が目に見えるのです。

対して日本では(というのもステレオタイプな比較で嫌なんですが、まあ、それは置いといて)保安院や東電に限らず一般にどうもおどおどしているか、さもなくば上手にはぐらかそうとするタイプに二分されます。で、極論を言えば、両者とも自分に責任が及ぶのを避けよう、言質を取られないようにしよう、出過ぎた杭にならぬようにしようと必死なふうなのです。で、けっきょく何のための会見なんだかよくわからなくなる。

会見ですらそうなのですから実際の行動指針も同じようです。好例、というか情けない例が先日の海水注入中断問題でした。津波にやられて電源が失われた原子炉は、注水で冷やし続けねばならなかったのに、菅首相の許可が取れていなかったためにその注水を一時中断していた、というのが東電側の発表でした。

この注水停止で原子炉がいっそう危機的状況になったのではという疑念が国会でも追及されたのですが、実はこの判断を現場で陣頭指揮を執る福島第一の吉田昌郎所長が一存で却下、注水は継続されていたとわかったのです。

そもそも東電本店でテレビ会議越しの高見の見物を決め込んでいるから何が重要なのかの生情報がわからなくなるのです。どうして原発の現場で記者会見をしないのか? まあ、テレビ局や新聞社では自社の記者たちに福島第一の50km圏内に入るなと言っているところがありますからね。癌にでもなったら労災認定で責任や面倒が生じますから。とはいえ、あろうことか、東電本店ではこの吉田所長を注水継続を報告しなかったかどで処分しようという動きもあるとか。

現場軽視もここに極まれリ、です。東京の報道各社も東電や政府の幹部もみんな現場に赴かない中、希望の光の「フクシマ50」として海外で英雄視される人々がこうして日本では蔑ろにされている。この場合、処分されるべきはむしろ、注水中断の流れに唯々諾々うなずいた東京の本店幹部のはずです。その連中が、自分たちの誤りの行き着く先の大惨事を最小限に抑えた功労者である吉田所長を処分する? これはいったいどういう笑劇なのでしょうか。

自らの責任で決断した者が、それが正しい行動だったとわかっても処分され、判断を他に委ねて責任を転嫁した者が、それが誤った対応だったと判明しても処分されない。だとしたら、東電も行政も恐ろしいほどに倒錯した組織です。いやむしろ、現場の個人の頑張りをこうして押しつぶそうとする日本社会が、そもそも倒錯しているのかもしれません。

May 26, 2011

ジョプリンと福島

アメリカで大きいのは人や車だけじゃありません。野菜も大きいし、びっくりしたのは雪の結晶までが大きいのです。なんと直径で5mmほどもあって、虫眼鏡も必要なく肉眼ではっきりとあのきれいな結晶が見えてしまうのです。

そういうこととも関係しているんでしょうか、春から初夏にかけてアメリカの中部・南部を襲う竜巻も、日本とは比べものにならないくらい巨大なものです。5月22日夕方にミズーリ州ジョプリンで発生したのは幅1.2kmにも及ぶ巨大竜巻でした。それが長さ6km以上にわたって街の中心部を吹き飛ばしたのです。風速は秒速90m近く。時速でいうと新幹線よりも速い320kmです。

こうなると地上のものは木からビルから根こそぎ持っていかれます。なので竜巻多発地域に住む人々は住宅に必ず避難用の頑丈な地下室を作っています。

ジョプリンの竜巻現場は、見覚えのある津波被害の東北の光景そのもので、まるで水のない津波に襲われたかのようにどこもかしこもあるべきものがごっそりと持ち運ばれています。これを書いているのは竜巻3日後の25日ですが、死者は125人、負傷者750人、瓦礫の下に埋まっている人や風にさらわれてしまって行方不明の人は1500人を数えています。

今年は竜巻の当たり年のようで、4月下旬の3日間にもアラバマ州やミズーリ州などで305個もの竜巻が地表にタッチダウンし、340人以上が亡くなりました。年間を通しても平均1000個の竜巻が起きますが、今年はすでにその数を越えてしまっています。

と、ここまでが日本時間で昨日深夜のTBSラジオ「dig」で話したことです。時間がなくなって話せなかったことがあります。TVニュースは盛んに救助作業の進展を伝えていてこれも震災の東北で見覚えのある光景なんですが、しかし1つ、決定的に違うことがあるのです。それはアメリカでは当局者が必ず被災現場でインタビューに応じ、記者会見を開くということです。ジョプリンの場合は連邦政府から緊急管理庁(FEMA)というのが災害対策に入っていて、そこのナンバー2が、ジョプリンの市の当局者や消防や警察・保安官らとともに必ず現場で、それも被災した野外で定時に会見を開いています。

さすがに福島では屋外というわけには行かないでしょうが、東北の被災現場から現場の対策責任者が記者会見やインタビューに応じているという絵はなかなか日本ではお目にかかりません。というのも日本では現場では往々にしてなにも情報が入ってこないことが多くて、新聞記者やテレビ記者もあまり現場では当局情報を当てにしていないのです。つまり、記者発表は現場ではなく中央官庁で行われることが多いというのが既定の事実になっているので、みんな期待すらしていないんですね。

でもこれは考えたらおかしなことで、事件や事故で現場リポートをするテレビのリポーターは、実は情報は現場で得ているのではなくて中央の本社管轄の省庁、あるいは支局管轄の地方官庁で集めた情報をもう一度現場に送ってもらってそれを再構築し、まるでその場で得られた情報のように報告するのです。現場で入手できる情報は、そうしてほとんど地取りの情報、近所の人たちの話や周辺の様子といった、本筋とはほど遠い枝葉のネタでしかないのが実情なのです。

それはなぜかというと、日本では公式発表というのはいったんすべて上部(本社や上級官庁や本部)に上げられて発表するかしないか精査された情報で行われるからです。ほんとうは現場こそがいちばんナマの情報に溢れているのに、情報の混乱があってはまずい、情報の錯綜があってはまずい、情報の誤りがあってはまずい、ということで上部に上げてそれを整理してから発表する、というのが建前です。

でも実は、それは、下手にしゃべってしまって責任を取らされたらまずい、情報を得ていることを自慢げにしゃべっていると思われたら嫌だ、というとても日本的な社会文化背景があるのではないかと疑っています。

というのも、アメリカではよほどのことがない限り情報は現場責任者が自ら判断してなるべく公開するのが基本姿勢です。現場にはそういう権限が与えられています。現場情報に混乱や誤報があるのは当然です。それは織り込み済みで、しかし現場でしかわからない情報がある。そういう情報を報道関係者は現場で厳しく当局者・担当者に要求します。事件事故の当局や当事者はその厳しさに対応しなければなりません。そこを避けてなんでもすべて本社で本部で中央官庁で会見というのは許されないのです。もちろん中央での会見はありますが、それは別の次元での情報公開で、現場会見とは意味合いが違います。

そうして鍛えられているせいか、そういうもんだという覚悟が出来ているせいか、アメリカの事故・事件現場の責任者たちの会見の受け答えは往々にしてとても見事なものです。なんというか、話し慣れているというか、言えないことは言えないと言うし、質問をはぐらかすこともありません。これは子供のころからの教育のせいなんでしょうか、とにかく日本では絶対にお目にかかれない種類の対応の仕方なのです。

対してなんでもない情報まで一度本部に上げてからでないと言えない、ノーコメント一点張りの木で鼻をくくったような対応が目立つ日本は、それは勢いハンカチ落しみたいな発表責任の順送りということでしかありません。それはけっきょくは情報の抑制だけにに働いて、時間が経つと情報の経緯自体がわからなくなるのです。現場での喫緊の情報はいつのまにか切迫感のない数字に置き換えられ、塩漬けになってしまう。

それが福島原発の東電や保安院のあり方です。何が重要かを個人で判断できない、いや、個人で判断する責任を負わない。だから、とりあえず発表しないでおく。それが一番。あの、津波直後に「メルトダウン」の可能性を指摘した人は、いまいったいどこにいるのでしょう。それすら開示されないのです。それが国民にとってとても不幸なことなのは、いまの放射能汚染の真実がどこにあるのかみんなが疑心暗鬼になってしまっていることでも明らかでしょう。原発以前に、日本人の何かが壊れているような気がします。

May 03, 2011

ビン・ラーデンの「死」

タイムズ・スクエアもグラウンド・ゼロもホワイトハウス前も数百人、数千人の人たちの歓声と「USA! USA!」の連呼で埋まりました。2日朝のトーク番組も「ジョイアス・デイ(歓喜の日)が明けました」と始める司会者がいました。CNNも「アメリカ人が最も望んでいたことが起きた」と言うし、NYポストは例によって「GOT HIM!」です。ひどかったのはフォックス・ニュースが(ドサクサに紛れて?)オサマじゃなくて「オバマ・ビン・ラーデン殺害」とやって相変わらずだったこと。まあ、イラクの位置をエジプトと間違えたり、日本の核施設にShibuya Eggmanを含めたりという放送局ですからね。

ところでこの狂喜のさまには見覚えがあります。湾岸戦争の時もイラク侵攻の時も、同じ種類の歓呼が起きました。アメリカ中が星条旗で溢れ、当時の両ブッシュ大統領の支持率も80%とかに跳ね上がりました。その他の声は掻き消されるか、あるいはもともと存在さえしないかのように思えました。

日本でもこんな狂騒ばかりが報道されているせいでしょう。「人を殺しておいてこんなに喜ぶなんてアメリカ人って信じられない」という反応が数多く見られます。

ただ、そういう人は日本にも、おそらくきっと同じくらいいる。日本にもこういうときに熱狂して国旗を振り回す人は少なくないはずです。そうして、こういうときはそういう人たちの国名の連呼の方が大きく聞こえるし、メディアもそういう人たちの声の方が伝えやすい。いまアメリカから見えているのはそういう部分です。

こういうときに「まだ容疑者だったのだから殺害せずに取り調べるべきだった」とか「アメリカって野蛮だ」とかと言うと、それこそ空気が読めないヤツということになりましょう。だからそういう内省的な声はいま、鳴りを潜めている。いつもこうでした。でも、アメリカにはそういう声が聞こえはじめる時が必ず来る。この国はそんな2つがせめぎあう国なのです。だいたいイラク戦争にだっていまでは50%以上が反対しているのです。そういう声はメディアでは大きく取り上げられませんが。

印象的な写真があります。NYタイムズが2日未明にツイッターで紹介していたものです。グラウンド・ゼロに集まって熱狂する人ごみから1人離れて、消防士なんでしょうか、FDNYと書いてあるTシャツを着た男性が金網にしがみついて泣いている写真でした。

9.11の後、遺族や343人もの同僚を失ったFDNYの消防士たちを取材して、仇討ちの成就に対するある種の歓喜はわからなくもないのです。しかしそれをわかった上で、空気を読めないからではなく読んでいるからこそ、仇討ちでは解決しないものがあると言わなくてはならない。個人の死は等しく悲しいと言わねばなりません。

そう思うんだ、と言ったら、アメリカ人の友人から次のような引用がメールで送られてきました。

"no problem can be solved with the same kind of thinking that created it"
-albert einstein

「いかなる問題も、それを生み出したと同じ種類の思考によっては解決に至らない」
 ──アルバート・アインシュタイン

ところで、ジョージ・W・ブッシュが9.11直後の10年前に言ってたことですが、「ビン・ラーデンというのはネットワークの代表者の名前だ」という事実は、ブッシュにしてはよいところをついたものでした。ビン・ラーデンは死にません。なぜならそれは概念の名前であり、個人の殺害とは無関係なのです。そう、だからこそCIAは殺害後すぐに彼を海の中に葬った(と発表した)のです。イスラム教もキリスト教も同じなのですが、とにかく聖遺物があるとそこが聖地になる。彼を殉教者として祀らせない、聖地を作らせない、それが水葬の意味でした。まあそれも、同じ種類の思考方法の中の、手当に過ぎませんが。

殺害の成功を報告する1日深夜の10分ほどのオバマの大統領会見は、9.11の回顧からこの10年をなぞって「私たちは1つのアメリカの家族として団結した」と総括しました。全体を貫く「アメリカ的なものを守った」というトーンは、もちろん来年の大統領選挙を見つめたものでもありました。

オバマの支持率はこれで少し回復するでしょう。とりわけ、7月に予定していたアフガン撤退が、ビン・ラーデンの殺害という一区切りを得ながら着手できるということは大きい。さらに、これで巨大な財政赤字の元凶である軍事費の削減にも手をつけられます。おまけに今年の9.11の10周年には、オバマはヒーローとして登場することになるはずですから。なにかと批判の多いリビア攻撃にも、これで「任せておけ」という雰囲気ができるかもしれません。なにより、ビン・ラーデン殺害を喜んでいるのは、かつてオバマを支持し、しかしいっこうに好転しない就職事情や政治状況に悲観的になってオバマ離れをしていた若者たちにも多いのですから、彼らのオバマ回帰が始まるかもしれないのです。

オバマもまた、彼を取り巻く人々によって作り上げられた大統領です。つまり、ビン・ラーデンの殺害をも選挙に利用するネットワークの代表者の名前でもあるのです。