Main | 2001/02「リアリティとは何か?」 »

2001年1月「酒とバラの日々」

 日本で暮らす欧米人のほとんどが恋しがるのがワインとチーズだ。アメリカ人も80年代からずいぶんとワイン党が増えた。カリフォルニアでも極上のワインを作るようになった背景にはもちろん健康ブームがある。ウイスキーやバーボンなど強い蒸留酒の消費が落ち込み、食事とともに楽しめるワインが伸びた。

 日本のような「同僚と一緒にとことんハシゴ酒」といった酔っ払い文化がないのも一因だろう。年末年始もアメリカでは一般の路上で酩酊者に会うことはまずない。酔っ払っていたらそれは明確に社会の落伍者の徴しだ。酔って放歌高吟というのは日本や韓国に限らないが、少なくともアメリカでは御法度。ニューヨークでは屋外で裸の酒瓶から直飲みしていると軽犯罪法で摘発される。だから“社会の落伍者”でさえも路上で酒を飲むときは酒瓶を紙袋で隠して飲んでいる。

 ところでそのワイン、普及の背景には値段の安さもある。日本ではレストランでワインを頼むと元値の3倍も4倍もの値段になる。あれは何なんだろう。まるでスナックでのボトルキープの値段だ。さすがにバブル後はそうひどくなくなったが、それでもレストランは自分のところで作る料理とサービスでお金を取るべきで、ワインという「他人のふんどし」で売上げ勝負をすべきではない。

 一方アメリカではだいたい元値の2倍がカジュアルなレストランで出すワインの相場。したがって20ドル代でもけっこうなワインがゴロゴロしている。もっとも先日帰国したときにうちでよく飲む9ドルほどのカリフォルニアの赤が2500円で売られているのを見つけたから、まず市価で3倍、レストランでさらに3倍だとあのワインも日本では7000円にもなってしまうのか。あらら、そりゃ大変だ。

 日本を笑えない現象も起きている。カリフォルニアのナパ渓谷には途轍もない高級ワインを作る小さなワイナリーがいくつかある。コルギン・セラーというワイナリーが生産できるのは年間500ケース以下。市場にはほとんど出回らないのでウェイティングリストには現在4500人もが名を連ねている。そこでは最近、94年のヴィンテージワインを1箱、メルセデス・ベンツの新車と交換してくれと言ってきた人もいるのだとか。

 インターネットでのワインオークションが投機的な高値をあおる。飲むつもりもないのに友人との話題のためだけに高額なカルトワインを購入する人もいる。ワインが飾り物や戦利品のように扱われるのは今に始まったことではないが、20世紀的な贅沢を続けていれば21世紀は人間社会が保たないこともまた事実。なかなか気持ち良く酔えない時代ではある。

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://www.kitamaruyuji.com/mt/mt-tb.cgi/269