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2004年のクリスマス

 クリスマスの週の夕食会の後、友人とさらに飲み直そうといことになってミッドタウンのバーに入った。カウンターで飲んでいるうちに右どなりの男性の話が耳に入ってきた。イラクから帰ってきて、来週またイラクに戻るのだという。
 その彼はジェリーさんといった。39歳、離婚したが2歳と4歳の子供がいる。その子らに会うのが今回のクリスマス休暇の目的だ。
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 米兵ではない。例のハリバートンの子会社KBRのイラク建設事業に、自分で建設請負会社を設立して参画し、04年3月からバグダッドに入っている。危険は厭わない。
 「ニューヨークで生きてきたんだ。いまじゃここもアメリカで最も安全な街の一つになったが基本は同じ。後ろに注意する。周りをよく見る。知らないやつは信じない」
 イラクで仕事をするには3つの「P」があるという。「Be Professional(プロであること)」「Be Polite(地元の人間に丁寧に接すること)」、そして「Be Prepared to kill(ひとを殺さなければならないときは躊躇なく殺せるようにいつでも心構えしておくこと」。この3Pを怠ったときは、自分が殺される(かもしれない)ときだ。
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 そんなところに身を投じたのは、90年代の証券市場やレストラン事業での失敗を「イラク」という大きなビジネスチャンスでオセロゲームよろしく一発逆転させるためだった。「イラク」はいま、どんなものでも求めている。そこに入り込めれば、一攫千金は夢ではない。危険は頭を使えば回避できる。
 日本人が殺されたのも知っている。斬首されたアメリカ人の通信技術者も、仕事仲間から聞いた話では「いいやつ過ぎた」らしい。「だめなんだ、それじゃ」と彼はいう。
 至る所に反米勢力のスパイはいる。仕事を通じて親しくなったイラク人に結婚式によばれたこともある。行かなかった。信じていないわけではない。しかしそういうときは万が一のリスクでも回避する方を取る。それだけのことだ。だいたい、危険だといっても2年近く戦争をしてきて米軍側の死者が1300人というのはけっこういい数字じゃないかと彼はいう。アメリカでは交通事故で年間4万人以上が死ぬのだ。
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 バグダッドでは米軍基地に暮らす。軍関連の仕事を請け負うハリバートンの関係だ。イラク復興事業に関与するイギリスやトルコなど数カ国の民間事業者もその米軍基地を拠点として活動するようになっている。ほかに安全なところがないからだ。危険なところに放置して拉致され、救出しなければならないとなったらなおさら厄介だからだ。
 橋やビルや学校など建設事業はKBRが一括管理し、その都度下請けの入札や談合が行われる。そこにジェリーさんのようなさまざまな中小事業者が仕事を求めて群がる。
 ジェリーさんの会社がビル建設を落札したら、そこから地元バグダッドの個人建設会社を孫請けにしてイラク人労働者を雇い入れ、工事に着手する。1万ドルあれば引退して悠々自適の生活ができるというイラクで、今年初めの労賃は1日3ドル以下だったのが、その後5ドルになり、10ドルになり、いまでは20ドルに近づいているという。
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 イラクの人々は「スウィートだ」とジェリーさんはいう。やさしい人びと。だが、そうやって割のいい仕事を求めて群がる彼らが、子供までもが物乞いのように雇用を懇願する。それを見るのは忍びない。だが、それが現実だ。
 「現実ってのは、これからどうするかってことだよ。アメリカ人がイラクにいる権利は本当はないのかもしれない。だが、もういるんだ。もしいまアメリカが手を引けば、この無政府状態のイラクにイランが侵攻してくるだろう。するとトルコもイランに攻め込むかもしれない。するとヨルダンがどう動くか。そんなことになったらまたアメリカがイラクに戻ってこなくてはならなくなる。そうなったらいまよりひどい混乱が起きるだけだ」
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 砂嵐は二度経験した。外になど出ていられない。それよりも怖かったのはゴルフボール大の雹(ひょう)の嵐だ。米軍宿舎がごんごんごんごん音を立てるものだから何だと思ったら雹だった。その雹よりいやなものが虫だ。凶暴なハエ。透明なサソリ。そして毒蛇。「おれはやっぱりニューヨーカーなんだ」と笑う。
 この経験は自分にとって何になるかと聞いてみた。「よりよい人間になると思う」と即答された。
 よりタフな人間?
 「いや、ベターな人間さ。ものをよく考え、状況を判断し、そして、ひとを裏切らない人間」。なぜなら、「なんといっても、イラクでの仕事の魅力は友情、同志愛なんだ。あそこくらい男の世界はないからな」
 すべて仕事が終わったら金を持ってニューヨークに戻ってくるのか? 「次はイランだな、イランに行く」
 そこまで聞いて零下11度の未明に別れた。
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 まだ酔いの残る翌朝、ベッドから起き上がってニュースをチェックすると、イラク北部、モスルの米軍基地がロケット弾で攻撃されたという記事が飛び込んできた。昼食中の米兵ら22人が死亡。ハリバートンの子会社KBRの社員4人も死亡していた──バグダッドではないとはいえ、それはジェリーさんの語った軍とKBRの話そのものだ。その話をしていた1時間後、時差8時間先での出来事だった。
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 ジェリーさんの話には数字のウソがある。
 米国の交通事故死は3億人の総人口に対する値だ。イラク派兵数は15万人。15万人当たりの交通死者は年20人に過ぎない。
 そしてもうひとつ。「P」はおそらく3つでは足りない。
 新しい年はイラクにもやってくる。ただしそれは、私たちの新年とは違うのも確かだ。

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