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『反自然的な変態は殺されるべきか?』

 先日、4回の連載が終了したばかりだというのにまたまた登場ということになってしまいました。読者の方々からの反響が予想以上に大きく、まだ書いていないことがたくさんあるとお叱りすらいただいたからです。ゲイに関することを書き始めたら本が何冊あっても足りないことは承知の上です。なお、日本のゲイのことに関する状況論・哲学論的な論考としては、わたしが全面的に監修した『ゲイ・スタディーズ』という本が昨年、青土社から出版されています。かなり本格的な(つまりは読むのがけっこう面倒な)本ですが日系書店に頼めば取り寄せてくれるでしょう。なかなか刺激的なことが書いてあって、ご自分の人生観に「揺らぎ」を欲する人には最適な本かとも思います(ちなみにお買い求めになってもわたしには一銭も入りませんからこれは宣伝ではありませんよ)。さて、今回は3回の連載です。まずは最新のホットな話題からお話ししていきましょう。

 いま、日本のゲイの人たちの間でものすごく話題になっていることがあります。それは、この(1999年)9月と10月に日本のTBS系列で全国放送された「ここがヘンだよ日本人」という番組が発端です。

 スタジオに日本人を50人、さらにその対面に在日外国人をやはり50人集めて、ある一つのことに関して外国人たちが日本人にいろいろと文句をつける、というのが番組コンセプトです。番組ホストが北野たけしですから、面白おかしく、しかも刺激的に、かつでき得るならばちょっと知的にといったところを狙っているのでしょう。

 で、そこで同性愛のことがテーマになりました。日本人の席に集まっているのはもちろん日本のゲイとレズビアンの50人です。いままで2回にわたって激論が繰り広げられているのですが、日本人のゲイがこんなにあからさまに真剣に怒っているのが放送されたのは、おそらく日本のテレビ史上初めてのことです。そこで外国人の側から「ホモの子供が産まれたら殺す」という発言が飛び出して、スタジオが騒然となったのでした。

 その発言内容を一部ですが再録しましょう。これは日本で同性愛への理解を深めようと講演や執筆活動などを行っている「すこたん企画」というゲイのサイトで聞き取り掲載したものの転載です。第2回放送の内容で、第1回で問題になった「アフリカには同性愛者はぜったいにいない」とするアフリカ人の発言から話題は始まります。司会陣にはたけしのほかにテリー伊藤やサッカーのラモス、タレントの加藤和彦らがいます。

ガーナ人「(同性愛者など)いないものはいない。いないと言ったらいない」
加藤和彦「なぜ黒人差別に怒るのに、ゲイを認めようとしないの」
ナイジェリア人「(ゲイなど)見たことない」
テリー伊藤「社会的に抹殺されるから(自分がゲイだと)言えないんでしょ」
日本人ゲイの席に座る東城さんという男性「(ゲイ向け旅行ガイド本の)『スパルタカス』によれば、ほとんどのアフリカ(の大都市)にゲイバーがある」
イラン人「(同性愛という)フツーじゃないこと、なんで自慢してるの」
東城さん「魂の叫び。苦しいことを伝えてる」
米国人1「病気の人でも差別しないのに……」
パキスタン人「(病気の人は)治療受けるでしょ」
米国人1「さまざまな生活を肯定しないのは、時代遅れ」
キューバ人(パキスタン人へ)「前に日本で外国人だからって仕事上差別されたって言ったでしょ。マイノリティがマイノリティを否定しちゃいけない。キューバでも同性愛というだけで優秀なのに共産党員になれない人がいた」
パキスタン人「否定してない。ちゃんと治療受けなきゃいけない」
中国人(女)「病気じゃないけど変態」
東城さん「どこまでを変態だとして線引きするの」
ガーナ人「男と男でどうやってエッチするの?」
テリー伊藤(ガーナ人に向かって)「ケツ出せ、ケツ出しゃ、教えてやる」
たけし「人間はパンツをはいた時点で変態。繁殖期以外もセックスする人間そのものが変態」
東城さん「子どもが同性愛者だったら?」
インド人1「子どもがホモになったら殺す。男同士女同士セックスするなんて許さない。(東城さんに向かって)あなたが親戚だったらあなたも殺すよ。お尻の穴から子どもは生まれない」
インド人2も賛成。
(会場騒然)
ラモス「人の命をなんだと思ってる。アンタたち、子どもを殺すのか。自分の息子を殺すのか。そういう子どもを見たくなきゃ、自殺しろ」
インド人1「自分の人生殺してるよ。殺人者だ。なんで男で女になるの」
ナイジェリア人「生きる資格ない。子ども殺す」
ラモス「オマエにそんなこと言う資格ない」
インド人2「家族や親戚に迷惑かける」
テリー「かけても守るのが親だろう」
米国人2「こういう殺してもいいという人がいるかぎり、同性愛者にはふたつの選択しかなくなる。ウソの人生を送るか安全な場所に移るかだ。アメリカでも田舎にいると殺されかねないから、みんなサンフランシスコやニューヨークへ行く」

 字面だけを読んでもかなり激しい内容だということがわかるでしょう。日本人だけではこんなにあからさまなゲイ否定論は出てこないでしょうから、話題を盛り上げようという番組プロデューサーの思惑は的中したわけです。

 ゲイ攻撃の先頭に立っているのはアフリカ系の人、及びインド、パキスタン人などです。とはいえこれはスタジオ内の話だけでは済みません。ちょうど同じころ、9月末にはアフリカのウガンダで大統領ヨウェリ・ムセヴェニが刑事警察局に対し、同性愛者を「忌まわしい行為」のかどで一斉逮捕せよと命じました。

 対してアメリカ国務省が10月15日、ウガンダ政府に強い警告を行っています。いわく「性的指向に基づく個人の逮捕及び収監は、ウガンダ国内法に定められていようがいまいが深刻な人権侵害であるとわれわれは考える。ウガンダの政府高官は自国が国際的人権宣言国の一つであることを想起すべきである。たとえそれら人権宣言及び国際協定がとくに性的指向に触れていずとも、これらへの参加は必然的に各個人の人権を尊重することを伴うものである」

 ところがその数日前には今度は中国が北京の地区裁判所で同性愛を「アブノーマルで受け入れがたいもの」と近代中国史上初めて規定したというニュースが流れています。

 中国は人口12億。インドも10億を突破したばかりです。アフリカ全体の人口増加も著しい。そういう中で同性愛者たちが21世紀をどう生き残れるのか、という問いには、いままでこつこつと懸命に築いてきた欧米での民主的なゲイ人権運動が、ともすると圧倒的な数の論理でたちどころにつぶされてしまうかもしれない、というまさに生命に関する具体的な危惧が潜在しているのです。ことは、TBSの番組でゲイの人たちが真剣に怒っていた以上に深刻な事態なのかもしれません。

 さて、いみじくもあの番組の中では「病気じゃないけど変態」「男と男でどうやってエッチするの」「お尻の穴から子どもは生まれない」などといった発言が登場していました。こうしてみると「反自然」というのが世界的に同性愛者に対する敵対や虐待の口実になっています。これがもう少し進むと「わざわざ快楽のためにそういう反自然な性に耽溺している」という論理になります。これは宗教的な断罪にもつながります。

 でもね、セックスしないゲイだっているんですよ。「快楽だなんてもう面倒くさくて嫌い」という人は、どうしてそれでもまだゲイをやってるんでしょうか。わざわざ「反自然な性に耽溺」するなんてのもけっこうしんどいはずです。おまけに人からバカにされたり場所や時代によっては懲役や鞭打ちや火あぶりまで待っていたんですよ。そうしてまでして「溺れよう」なんて思うかなあ。それもまだ性の何たるかを知らない思春期のゲイの子供たちまで。

 それとも、同性愛というのがそれほどまでに「蠱惑的」だと異性愛者のあなたが考えるのなら、それはまさに性に対する「あなたの願望」を語っているのであって、同性愛者の性の実体をではない、ということになる論理の落とし穴すら待っているのです。

 いえ、わたしはべつに「同性愛は自然だ」と言い張りたいわけではありません。
  前回の連載第一回で「同性愛は人間以外の自然界を見ても異常でも病気でもない」として、その説明を省いてただ「その議論の論理的帰結はすでに定まっています」とだけ書きました。そうするとある読者の方から「説明もなしに同性愛が正しいと言われても納得できない」というご指摘をいただきました。

 わたしは、「同性愛が正しい」とは言っていないのです。さらに言えば「異性愛こそが正しい」とも証明されてもいないのに、わざわざ「同性愛は正しい」ということを証明する必要もないとも思っています。

 「正しい」「正しくない」といった議論にはその言葉の定義の問題とともに価値観も働きます。しかし、それ以前に、生きた同性愛者を目の前にして、正しいも正しくないもあったもんじゃないだろう、というのがわたしの第1の論点です。

 これは「正しい」を「自然だ」に置き換えても結構です。その「自然」にはしばしば人間の勝手な「功利主義」が付随します。同時に中途半端な「合理主義」も働きます。それ以外のものを切り捨てるのは、じつはナチスのやり方なんですよ。気づいていましたか?

 「女は子供を産むもの」というのが自然だと考えれば、不妊症の女性は生きている価値がなくなります。「男は子供を産ませるもの」だから、無精子症の男性はバカにされて当然とお考えですか? それとまったく同様の論理で、五体不満足な身障者は「自然」ではないから殺すべきですか? いったいどこからどこまでが「普通」ですか? あなたの身長は「普通」ですか? あなたの年齢は「普通」でしょうか? 肝機能やら視力やら「普通」ではない年寄りは捨ててもよいのですか? いったい、だれが「自然」なのですか? あなたはその基準を適用しても自分は排除されないという自信がありますか? そして、自信があるならほかの人間はどう排除されてもいいとお考えですか? それが、たとえば、たまたまあなたの愛してしまった人だったとしても?

 その意味で「人間はパンツをはいた時点で変態。繁殖期以外もセックスする人間そのものが変態」と北野たけしがあの番組で言っていたことはとても「正しい」のです。論理学で「前提が偽なら結果はすべて真」という定理がありますが、人間の存在がそもそも「反自然の変態」なら、やってることはどうせみんな「どうでも正しい」のかもしれません。もっとも、それでも「殺せ」と叫ぶ人は後を絶たないのですが……。

 「神はアダムとイヴをお造りになった。男と男をではない」というのが例の同性愛者逮捕令を出したウガンダの大統領ムセヴェニの弁です。

 そのウガンダの首都カンパラの有力紙に最近、ゲイ読者からの匿名の投書が初めて掲載されました。「同性愛も自然なことだとは、あなた方の偏見の中では思いも寄らないでしょう。しかし必要な科学的根拠抜きにそれを反自然だとしてしまう意見こそ、じつはとても疑わしいものなのです」。投書氏は問います、「警察は、オーラルセックスやコンドームを使用している人たちをも、自然に反した肉欲に走っている者たちとして逮捕するつもりですか?」
(続く)

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