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「私」から「公」へのカム・アウト──エイズと新型インフルエンザで考える

(これは2009年12月12日、大阪のJASE関西性教育セミナー講演会で話したことを要約しまとめたものを(財)日本性教育協会が『現代性教育研究月報』4月号で採録、さらにその原稿をこのブログ用に加筆したものです。実際にはいろいろ与太話なんかまで含めて1時間ほどの講演でした)


▼社会を映し出す病気

 私が新聞記者になったのは80年代初めですから、アメリカでのエイズ騒ぎが日本でも報道されるようになってきたころでした。最初に配属される地方支局の、これまた担当の県警記者クラブのスプリングのいかれたソファのうえで、このスキャンダラスな病気のスキャンダラスな週刊誌記事なんぞを読みながら、おい、病原体に、人間がゲイかゲイでないかを見分ける能力なんてあるわけねえじゃないかと、呆れながらも不愉快になっていたことを思い出します。あのころは誰もなにもわかっていなかった。わかっていないで口を開くものだからすべてが神話やSFみたいな主観の色を帯びていたのです。(エイズの当時の仮称だった)「ゲイ関連免疫不全(GRID)」だなんて、非科学極まりない呼称を許す社会とは何だったのでしょう。まさにバカじゃねえの、です。

 けれど不謹慎な言い方をすれば、この病気はとても興味深いものでした。この病は、歴史上のすべての差別病と同じく、その社会自体の病を逆に照射して余りあるものでしたから。エイズの厄災の半分(以上)は、じつはその社会の罹っている病理のせいだったのです。それがわかってきたころから私は、エイズは新聞ネタではなく、教育ネタなのだと言い続けてきました。患者・感染者探しに薄暗い功名心をあおられたイエロージャーナリズムは所詮どこにも行き着く先はなく、ただ子供たちへの地道で退屈な反復作業だけが彼らを守り社会の病を軽減することができるのだ、と。もちろん日本の教育界や政治の世界に直接それを伝えるチャンネルは持っていなかったので、もっぱら新聞紙面で、しかもそれから10年後にはもうニューヨークにいたのでニューヨーク発の記事の中でしかそれを言う機会はなかったのでしたが。さていまエイズは、教育界ではどうネタになっているのでしょうか。

 日本ではいま、毎年百数十万人が人生で初めてのセックスに出遭います。おそらくその半数ほどは十代だと思います。いや、二十代も多いかな。そのときに必要なのは、一過性のスキャンダラスなニュースやポルノではなくてきちんと系統立てた教育だというのは、ちょっと考えればだれにもわかることなのに。

 でもじつは私も、80年代はそんなセンセーショナルな新聞報道に関与しなければなりませんでした。毎日新聞から東京新聞に移った86年、社会部で夜勤をこなしていたときに、ある大物俳優が「エイズで入院した」といううわさが芸能部から伝えられ、何をどう報道すべきか、あるいはそもそもそれは報道できるのか、という指針も方針も見込みもないまま私もまた東京某所のその俳優の私邸にまで押し掛けたのでした。

 結局それは(その大物俳優のゲイの噂に付随した)デマだったのですが、これはちょうどその前年、アメリカのやはり大物俳優だったロック・ハドソンがエイズで亡くなった事件と好対照を為していたのでした。

 これはアメリカの歴史全般に言えることですが、とても乱暴に言ってしまえば、アメリカはその都度カム・アウトしながら歴史の転換を進めてきたのだと思います。日本ではこの「come out」という言葉を、まるでたんに「他人に知られていない秘密を打ち明ける」という意味でいろんなことに敷衍して軽々しく使っていますが、come out は自動詞です。目的語は取りません。それはたんに「秘密を」という目的語に卑小化してはならないことなのです。そうではなく、あえて説明すれば「自分というまるごとの存在」が、主語として外に、つまり公の場所に出て行く行為のことです。どこかのニヤケ顔の司会者が「◯◯県民、カミング・アウト!」と言うのは、誤用なのです。

▼「カミング・アウト」の真意

 さて、現代アメリカのカミング・アウト運動は大きく4つあったと言ってよいと思います。ひとつは50年代からの黒人たちのそれです。続いて60年代の女性たちのそれ。そうして60年代末から70年代にかけての(そしていまも続く)ゲイやレズビアンたち性的少数者たちのカミング・アウト運動。そうして80年代から90年代にかけての、HIV・エイズ患者・感染者たちのそれです。

 史的にはそれは日本語では「〜〜解放運動」と呼ばれます。でもそれはちょっと違うんじゃないかと思います。解放というのは他動詞で、だれかがだれかを解放するのです。すると黒人解放運動は、白人たちが黒人たちを解放したことになる。女性解放運動は、男性が女性を解放してやったことになります。そうじゃない。黒人は白人によって解放されたんじゃありません。それまでずっと「目的語」としてしか語られることのなかった彼らが、今度は彼ら自身が「主語」となって主体的に社会の中で自らを語りだしたのです。ゲイの話でいえば、それまでは常に病理学的な(性的倒錯の)対象症例者としてしか語られることになかった彼ら自身が、自分たちの言葉でその二元論的な言説の誤りを正し、多義的な別の言説を対峙させた運動でした。それが「カミング・アウト」なのです。(もちろんそれらの大前提として、liberationってのは自分で自分自身を解放するという、本来の他動詞の再帰用法的語義が基なんですけどね)

 ロック・ハドソンに話を戻しましょう。ロック・ハドソン自身はしかし、ゲイとしてもHIV感染者としても実際にカム・アウトはできませんでした。けれど85年の彼の死は何よりも雄弁に、彼の信頼する友人たちの(ドリス・デイやエリザベス・テイラーらの)補足的で親愛的な語りも得て(ボーイフレンドによるヒステリックな遺産相続と損害賠償訴訟の発覚も含め)彼の苦悩をカム・アウトさせたのでした。アメリカのエイズ人権運動はここで大きな転換を迎えることになりました。アメリカの息子、アメリカの男の中の男だった(はずの)ロック・ハドソンが、ゲイでエイズだったという事実をどう解釈すべきか、そのことをアメリカ国民の半数が親身になって考え抜いたのです。

 エイズ禍で社会的抑圧も増加したゲイ・コミュニティもこれに果敢に対応しました。ジャーナリズムやメディアもまた、患者・感染者を差別する側が悪いとするPC(政治的な正しさ)の公理を徹底させました。結果、その後、バスケットのマジック・ジョンソンや血液製剤感染のライアン・ホワイトくんや、HIVエイズの患者・感染者にカミング・アウトが続出するようになったのです。中にはそれまでカム・アウトできなかったゲイたちまでが、エイズのカム・アウト運動の「正しさ」に後押しされ、少なからず勢いでゲイで感染者だとカム・アウトしたりしたほどでした。

 アメリカ人の物事への対処法はかくもあからさまに力技的で、いろんな要素をすべて明るみに引っ張りだしてきてそれをどうにか言葉で片付けようとするものです。精神分析なんかまさにそれです。無意識の、記憶の奥底にあるものを引きずり出してきてそれを徹底して意識化し、片をつけてしまおうとする。それで精神分析医に1時間400ドル(4万円)も払って話を聴いてもらうのです。でも日本人は精神分析医のところに行く代わりに4000円持って飲みに行き、はっきりと口に出さないままなんとなくそこの優しい女将さんに慰めてもらってどうにか生きつなぐ。

 この、「はっきりと口に出さないまま、生きつなぐ」という処世が、じつはいまこの高度に情報化して交通化している現代日本社会で、急速に実効力を失いつつあるというのが、話半ばに至っての今回の私の論点なのです。従来のまことに日本人的な「なんとなく」の対処法だけでは、どうにも私たちは立ち行かなくなっているのではないか? それはこないだの新型インフルエンザのときの日本社会の右往左往に如実に現れていたようにも思うのです。

▼「身内」と「赤の他人」が構成する日本社会のあれやこれ

 私たち現代日本人の「なんとなく」の対処法は、周りが気心の知れた身内や仲間たちに囲まれているときにのみ有効です。日本人社会はずっとこれで通用してきました。というのも、私たちには自分以外の「他者」の分類として、どうも「身内」か「赤の他人」か、の2つしか存在しなかったからかもしれないと思うからです。

 携帯電話が普及し始めたころ、私は日本に帰ってくるたびに「車内での携帯電話は周りの人の迷惑になるのでご遠慮下さい」と繰り返される電車やバスや地下鉄でのアナウンスに、このしつこさは何なんだろうと考えていました。そりゃ電話口で普段より大声になってしまう人は多いし、それをうるさいと思う人もいるでしょうが、はっきり言ってこのアナウンスの方がうるさかった。言葉は丁寧だがその実ひとを子供扱いしているようなこの慇懃無礼な命令はいったい何なんだろう、と感じていたのです。

 対してアメリカでは、というかニューヨークなどの都会では、街角でもビルの中でもスーパーの中でも、他人に声を掛けることにあまり抵抗がないように思えます。ひとにぶつかりそうだったらエクスキューズ・ミーと言うし、ぶつかっちゃったらソーリーと言う。バスでも地下鉄でもよく堂々と会話してるし、高齢者に席を譲る場合もきちんと言葉を掛けて、譲ったあとでもそれで終わらずけっこう長々となにかをしゃべったりもしているのです。こういうのはパーティーでも差が出ます。日本人の私は最初、ぜんぜん見ず知らずのひとたちに何を話してよいものか、いやそもそも話し掛けて失礼に当たらないか、なんてことを考えて時間が経っていました。それがアメリカ人たちはじつに自然に話題を振って、なんでこんなにおしゃべりなんだろうと思うくらい会話を続けるのです。映画館でもそうです。こないだ日本で母親といっしょに映画を見に行って、私がおかしい場面で大声で笑うものだから、見終わったあとで母親に「あんた、アメリカ人みたいね」と言われてショックを受けました。そういえば日本じゃ他人に囲まれている映画館で1人で大声で笑ったりはしない。アメリカじゃ笑いや拍手やため息や感嘆の発声はそう珍しいことではないのですが。

 逆に、アメリカ人のけっして口にしないことが、日本ではよく言葉になることがあります。いろんなおしゃべりをしながらも、アメリカ人はその相手のプライベートな部分に入っていくことは微妙に回避しているのです。たとえば、結婚しているのかどうか、恋人はいるのかいないのか、子供はいるのか、などの身元調査みたいな質問はよほど親しくならなければ訊いてきません。対して日本人というのは、話のきっかけ、というかそういう初対面の場面で何を話していいのかわからないからなのか、最初の質問から逆にそういうとても個人的なことだったりします。「ご家族は?」「カノジョ、いるの?」

 これは、べつにその質問の答えがほんとうに聞きたいというわけでもないのですね。では何かと言うと、こういう私生活、プライベートな部分に立ち入ることで、その相手と「身内」のような関係性を擬似的に創り上げるためのものなんです。それが彼らにとっての仲良しになるための唯一の道なのです。

 日本の政治家って、特に自民党政権時代、すごく失言が多かった。それはなぜかというと、あれ、みんな内輪話の最中にやっちゃうんですね。自分の後援会のパーティーとか、息のかかった地方政治家の応援会とか、みんな身内しか集まっていないと思ってるからその中で内輪だけに話せる冗談やら陰口やら大ボラやらを吹く。するとみんな、身内扱いされたと思って聞いている方もその「先生」を「なかなかこなれた人だ」「打ち解けた人だ」となって、いつか自分とツーカーの身内のように感じる。で、そういうインナーサークルを作って、そこで阿吽の呼吸で「みなまで言うな」の関係が成立している(ように感じる)のですね。

 そこでは身内以外はみんな「政敵」か「赤の他人」です。そして「赤の他人」はときには人間ですらない。

 満員電車の中でギューギュー詰めになっているときに、それを不快だと思わずにいられる方法は、身体を密着させている他人が人間だと思わないことです。ジャガイモかなんかだと思えば耐えられます。日本ではそれが直近の「他者」との付き合い方です。そんなジャガイモ=赤の他人が急に携帯電話で話して人間に戻ったら、それは「困惑」しますし「迷惑」だし「気持ち悪い」。私たちは、身内以外に他人とのうまい付き合い方を知らないのですから。それがあの神経症的な車内アナウンスの反復の理由なのではなかったか? 電車の中では、いや、公共の場では、日本人は友達同士でもないかぎり、人間ではないフリをしてじっと存在を消しています。映画館でもエレベーターの中でも。それが日本社会の身の処し方なのではないか? 極論を言えばつまり、「公共」に、人はいないのです。だから平気で電車の中で化粧もできるし、行き倒れのホームレスを見て見ぬフリもできる。

 対してアメリカ型社会は、プライベートとパブリックが並立しています。「私」と「公」の間を個人が行き来しています。他者は、自分とは違う可能性として他者のまま存在しているのです。そこではひとは「公」の場でも個人であり続ける。そしてなぜか、「私」と「公」の間に、自然な回路が通じてるんですね。だから簡単に他者に声も掛けるし、発言もするし、不正に抗議したりもする。

 ここから各種の社会運動が生まれたのです。「私」が「公」の部分へとカム・アウトすることを公民権運動と言います。そうやって黒人たちも女性たちも性的少数者たちも、そしてエイズ患者・感染者たちも主体としての人権を訴え、それを獲得してきました。

 現代日本には他者は「身内」と「赤の他人」しかいないと言いましたが、じつはだからといって「公」の場面が存在しないというわけではありません。たとえば街頭でTVインタビューなんかされると、政治に関しても経済に関してもさいきんの日本人は老若男女、とてもうまくしっかりと話したり意見を表明したりします。街頭や電車の中や行き倒れの人たちへの対応だって東京と大阪では違うかもしれませんから一概には言えません(ほんと、論を書きながら白状するのもおかしいですが、こういうのは本当のところはスパッと断言なんかできないんですがね)。でも、「私」と「公」とを行き来する回路になんかちょっとしたスイッチがあって、米国型社会よりもそのスイッチが入りづらいということはあると思う。これは、コミュニティの性格と、それを基にした教育の違いなんでしょう。

 それと他者なんですが、じつは日本には「身内」「赤の他人」の他にもう1つあります。英語で言う guest と customer というのが一緒くたになった「お客さん」という概念です。これもとても日本的なもので、お店に行くと日米では対応がぜんぜん違います。なので正確には、私たち日本人の他人との関わり方は「身内」と「赤の他人」と「お客さん」の3つに大別されると言った方がいい。もっとも、「お客さん」というこの心地よいカテゴリーを論じるにはちょいと横道が必要なんで、その詳細はまた別の機会に譲ることにしましょう。

▼排除は感染拡大につながり、 受容は感染を食い止める

 さて、日本人は「身内」以外の他者との付き合い方を(あとは「お客さん」としてでしか)知らない、と書きました。「公共」という「他者との共通の場」が普段からは成立しにくいからです。そこに「公」に「共」に生きる他者はなかなか見えてこない。これはありとあらゆる機会に破綻を来します。たとえばエイズ患者はどう考えればよいのでしょうか?

 日本人の付き合い方は一方で身内の温かさを持ったとても心地よいものでもあります。でも、エイズ患者を身内に持つことを考えられるでしょうか? いや、優しい日本人はきっとそれをも厭わないでしょう。「私があなたを身内として守る」という思いを熱く抱くひとは必ずいる。むしろたくさんいるはずです。でも、そのことは往々にして「他の人には言わない方がいいかもしれない」となる。なぜなら、そのエイズ患者を「他の人」と共有する公共の場がないのですから。すべては身内の内側で対処するしかないのです。ゲイの場合もそうです。「よくゲイだと打ち明けてくれた。私はずっと友だちだ。でも、それは他の人には言わない方がいいかもしれない。なぜなら、他の人も私と同じように理解があるとは限らないから」。なぜなら、他の人と思いを同じくできる共通の「公共」の場が常設されていないからです。

 かくしてエイズ・パニックのときに日本社会は破綻を来しました。どう対処するかさっぱり指針を決められないまま、犯人探しのような感染者探しが続きました。エイズ患者がカム・アウトしていく先の「公」の場がないので、2010年の今でも、エイズの患者・感染者は不可視のままです。

 同じことが新型インフルエンザの騒ぎでも起きています。自民党政府が行ったことは新型流感の感染者(らしき人たち)をまさに「赤の他人」の領域に隔離することだったのです。それは「身内」からの排除の論理に他なりません。そしてこの排除の論理がまったく有効でないことは、すでにエイズ禍のときに学習していなければならないはずのものだったのです。なのにそれをしていなかった。

 米国のエイズ禍で私たちが学んだことは、第一にパニックを煽らないこと、そして患者・感染者を決して排除
しないことでした。それが危機をしっかりと受け止め、それにきちんと対処できる社会を作る基本だったのです。なぜならば、排除すれば感染者は隠れるだけだからです。しかし受容すれば感染は明るみの中でどうにかみんなで食い止められる。それはまさに「身内」の力なのですが、その身内の力を徹底させるために他者の存在を認める「公共」の場からの言説が必要だったのです。

 09年春からの新型流感に対して、自民党政府がやったのはすべてその逆でした。厚労相だった舛添さんは「いったい何事か」というべき異例の深夜1時半の記者会見を開き、まだ感染の事実すらはっきりしない「疑い例」なる高校生の存在を発表してパニックを煽りました。しかもこの高校生をまるで犯罪者のように「A」と呼び捨てにし、図らずも患者・感染者への排除の姿勢を身を以て示してしまったのです。

 あの緊急記者会見を見ながら、せめて「Aくん」と呼んでやれよ、と思ったのは私だけではありますまい。まるで感染した者が悪いのだといわんばかりの日本社会のバッシング体質。エイズ禍でも初期は「自業自得」論が大手を振っていましたっけ。これは例の「自己責任論」にも通じる狭量さで、「疑い例」の高校生には「新型流感がはやっているのを承知で海外渡航したのだから自業自得だ」といううんざりするくらい同じ非難が浴びせかけられました。おまけに「他人の迷惑を考えない」という携帯電話と同じ理屈も。そんなことを責めても感染危機には何の役にも立たないどころか、そういうことに目を奪われる分、対策の遅れにもつながりかねないのに。

 果たしてこの高校生はその後、実際には新型流感には感染していなかったことがわかり、校長が涙を流して安堵している様までがメディアを通じて流されました。

 もう一度言いましょう。排除すれば感染者は隠れる。受容すれば感染は食い止められる。新型流感でも「感染者を隔離する」とやればだれだって検査すら受けたくなくなります。でも「感染した人をみんなで助ける」となればいち早く検査を受けて助けてもらおうとするのが人情というものでしょう。

 欧米ではそうやってHIVの感染を抑えることに成功してきました。エイズやセックスにまつわる多くのスティグマを解体しながら、欧米の教育現場では「公」に「共」に生きるという言説を、飽きることなく繰り返し子供たちに教えることで未来をつないできたのです。もちろんそのすべてが成功しているわけではありません。ただ、そういう地道な教育活動なしで、何かが成功するということもまたないのです。

 日本人の身内社会の温かさと心地よさを、そうしてどうにか「公共」の次元にも広げていきたいものです。それを担える学校の先生たちの仕事は、苦労する甲斐のあるものだと私は信じています。
(了)

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