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ホリエモン理論

ホリエモンに関する、とってもよいテキストを見つけました。
例の江川紹子さんのインタビューです。
これ読むと、じつによくわかります。

http://www.egawashoko.com/c006/000119.html

ホリエモン、頭いいし、思い切りもとてもいいけど、ある境界線を通り越すと、というか、あるジャンルからはずれると、「ぼくには興味ない」って思考停止するんですね。というか、そこを突き詰めていくと、ホリエモン理論が崩れる。そしてそこを突き詰める人があまりいないからホリエモン理論が成り立っていける。そういうところに立脚しているんだな。じつはそこを突き詰めることこそが肝心の(面白い)論点なのですが。

数学(経済ニュース)と文学(社会ニュース)の違うところ、それはね、数字はストーリーを記述するだけで作ることをしないが、文字はアプリオリにストーリーを探り求めて次の文字とつながる、つまりストーリーを作り出しながら自己増殖するということなんだ。したがって、彼のいう「市民ニュース記者」を使ったって、文字のあるところにはストーリー(ホリエモンの言うところの恣意性、虚構)が生まれるということ。物語の呪縛から抜け出せないんですよ。それは紙媒体だって、インターネットという媒体だって、言語を思考メディアにしている限りまったく同じなんだ。

そのときにさ、要はどの虚構が現実に拮抗できるだけの結構を持っているかということが問われるんですよね。そこを突き詰めると、かれの「ニュースランキング」構想は破綻します。破綻するから、彼は「どうでもいいっすよ」と言うしかない。

彼はこういいます。「事実を書きながら、そこに思いを込めることが可能じゃないですか。新聞って、みんなそうなんですよ。それって、思い上がりじゃないのっていうことです。」

つまりこれは、新聞だけの話ではないんですよ。文章ってみんなそうなんだ。日記だってそう。そういうの、文学の世界でもなんでも、もう言い尽くされていることで、だから脱構築とか言ってきたわけです。モダンという意味に満ちた世界からポストモダンへと抜けようとしたわけでしょ? ま、脱構築というのもまた、新たなストーリーを(しかし意味の存在に自意識的に)作る行為だ、ということを知りつつね。バルトの言った「零度のエクリチュール」ってのもその模索なんだ。その辺のこと、ホリエモン、知らないと思います。知る必要ない。というか、知ったら、言えなくなるから、あえて、知らなくていいんだって言っているんだろうね。その辺の、感覚、というか、見え方、あるていど、彼、持っているんでしょうね。先を見る目はけっこう鋭い。変なにおいがしたらそこには触れない。ふふ。

てらいとかウソとかって、でも、彼、ないですね。その辺もすごいと思う。背伸びはあるけど、かなり正直で、その正直さもお金の論理という単純さに支えられた若き自信の為せる技なのかもしれません。

彼はやはり当代きっての、というか、当代であるがゆえの、たぐいまれなるトリックスターですよ。この彼を楽しまない手はない。宮沢喜一みたいな引退じいさんはなんか嬉々として楽しがって堀江コメントしてるようですが、そういうのを現役の経済人、政治人がやらないとなあ。 もっと楽しまなくちゃもったいないですよ。

ハイゼンベルクの「不確定性原理」じゃないけど、わたし、この人のおかげでいままでどの位置にあるか不確定だった人々の位置が急に観測できるようになって、とても面白いです。

友だちになりたいかどうかっていう話は、またぜんぜん別ですけどね。

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