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うるわしき毒

スポーツというのはじつはジャーナリズムの中で最も記述の難しい分野ではないかと思っています。中立が旨である報道の中で、スポーツ記事だけがそのカセをはらってなんとも身びいきだったりします。したがって、NBCの五輪中継を見ていてもあんまり面白くないということになります。日本がさっぱり出てこないしね。主役ではないのですから。

しょせん私たちは自分の知りたい情報しか知りたくないのかもしれません。たとえば北京五輪の射撃の表彰台で、銀と銅を獲得したロシアとグルジアの女子選手が頬にキスし合って抱き合ったというニュースが朝日のウェブサイトで紹介されました。

ご存じのようにロシアとグルジアは南オセチア自治州の統治をめぐって戦闘状態に突入したばかりでした。そして朝日のサイトは2人仲好く並ぶ写真に「スポーツは政治を越える」というロシア選手のコメントを引用し、見出しも「表彰台に友情の花」と紹介していたのでした。

スポーツは政治を越え「ない」ことはだれもが知っています。それどころかスポーツはつねに政治に利用される。中国での五輪の開催はまさしく、世界の先進国社会に正式に仲間入りしたい中国の政治的思惑と、中国も五輪の体面上、国際的に反発を買うような外交決断や人権侵害は避けるようになるだろうといった西側の政治的思惑の交差したところに成立したものです。

にもかかわらず「スポーツは政治を越える」と言うのは、私たちがつかの間のそんな幻想を信じたいと思っているからでしょう。シビアな現実世界の、それは一服の清涼剤めいて、私にはそれを責める気はありません。私も新聞記者1年生のときは「読者が感動できる物語を探して書くんだ」と先輩記者に叩き込まれた口です。

かくしてオリンピック報道は往々にして選手やその周囲の美談と感動の根性物語になります。

そんなことをつらつら考えていると、今度は五輪開会式でソロを歌った「天使の歌声」の女の子がじつは口パクで、舞台裏ではその子よりも見た目のそうよくはない、しかし歌はうまい別の女の子が歌っていたのだというニュースがありました。なるほど、世界が見たいだろうと思うものを見せる、それはスポーツ報道に限らない。新聞なら美談で、テレビなら画面上の美しさ。それがなんで悪いんだ、というところでしょうか。で、同じくあの開会式の花火のCGです。ふむ、徹底していますな。

しかし日本だってエラそうなことはいえません。ヤラセと演出の違いに敏感なのは、とりもなおさずヤラセでも視聴率が取れるという現実が厳然として存在するからです。中にはヤラセとわかっていてわざとそれを楽しむなんていう高度な視聴技術さえ新しい世代には育ってもいる。

視聴者も読者も、そうやって美談という名の毒消しを求める社会は幸せな社会なのでしょうか。そしてあるとき、美談そのものが現実を直視しないうるわしい毒になって蔓延している。

新聞記者時代、もう1つ大先輩から教わったことがあります。「ときには読みたくないことも書かねばならない。その社会にとって都合の悪いことも書かねばならない。あるときは害であることですら書かねばならない。なぜかわかるか? なぜなら、それが事実だからだ」

中立とか中道とか、そういうバランス感覚の問題ではなく、あるいは社会の木鐸なんぞといった大仰な構えからでもなく、それが単に「事実だから」というだけの単純明快な基準に、若かった私はまさに目からウロコが落ちた思いでした。

五輪のドラマが続いています。NBCやNYタイムズから知る数少ない日本人選手の活躍ぶりは、あんまり面白くないし物足りなくもあるけれど、逆に熱狂的にあおられる感じもなくて、スポーツ観戦のなんだか不思議に新しい経験です。

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