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水際作戦という欺瞞

日本に帰国する飛行機の中で、自分の座席の2メートル以内に発熱した人がいて、その人がもし新型インフルエンザ(豚フルー)の感染者・患者だったら自動的に10日間ホテルに隔離されるそうです。ホテル代は国持ちらしいですけど、帰国が10日以内の予定ならそれで日程のすべてを使って余りある(っていう日本語も変かしら?)。

根拠となっているのは検疫法。
でも、それを聞いただけでNYに住む私たちはげんなりしてしまいます。

これを日本政府は「水際作戦」と称して、新型フルーを日本に上陸させないための有効な手段として喧伝しています。でも、よく考えてみましょう。新型フルーにも潜伏期間があって、その間には発熱もしません。現在の第1次検疫はこの発熱の有無で行うので、潜伏期間の感染者は成田でも大阪でも停め置かれることなくスルーして日本国内に入ってしまいます。

水際作戦は、これでも政府の喧伝するようにウイルスの上陸阻止に「有効」なのでしょうか? むしろ確率を考えるとウイルスはすでに日本に入っていると思った方がいい。いや、百歩譲ってまだだとしても、いずれは入るでしょう。そういうもんです。したがって、水際作戦はそれほど「有効」ではないんです。

では、水際作戦はこの「上陸」を遅らせ、その間に国民にウイルス対策感染予防を周知させる猶予期間として有効活用できるから有用なのでしょうか? でも国民には「手洗い、うがいの励行」「人の集まる場所には行かない」「早めに病院へ」と言うだけで、こんな3つならもう周知されているでしょう。それ以上に連日の報道はパニックをあおるだけで、いたずらに国民をおびえさせているようにしか見えません。日本政府は、わが国民をそんなに脅されなければ動かない愚民と思っておるのかしら? おまけに、この間を利用して病院の態勢を整えることもできるはずなのに、脅されたせいか、ぎゃくに感染の疑いのある人たちを断る病院が出てきているという情けなさ。脅しても脅さなくてもダメってことです。

水際作戦はつまり、ウイルスの侵入を防ぐためのものとしてはまったく無効なのです。そうではなく、前回の繰り返しですけど、ウイルスは入り込むかもしれないが、しかし感染者を早期に発見し一刻も早くその彼・彼女を救うことができる、そうすればその彼・彼女からの二次感染も最小限にできる、という意味においてのみ有効なのです。

言ってみれば、水際作戦を排除の論理としてではなく、救済の論理として位置づける。これだけでも社会はずいぶんとやさしくなれます。そうは思いませんか? そういう国なら一時帰国したときに停留・隔離させされたって、ああ、ありがたいなあって思えるんじゃないでしょうか?

なのに、日本はまた排除に動いています。シカゴで6歳の男児が「日本人で初の感染」って、何がニュースなのでしょうか? で、日本のメディアがシカゴ市街の映像を流し、その子の通っていた日本人学校を取材する。それに何の意味があるのか? ほっといてやれよ、です。

実際、厚生労働省のウェブサイトのQ&Aでは、感染の疑いがあっても「健康監視されていることは秘密にしてもらえますか?」という問いに「検疫所と都道府県および保健所の担当者により、厳格に個人情報は保守されますので、御安心ください」と答えてます。なのに、外務大臣や厚生大臣がどこそこの誰それが感染と、まるで犯罪者扱い。おまけに成田での検疫も「この時期に海外に行く方が悪い」という輩がいたりと、また例の自己責任論なのか非国民扱いです。

何度でも言います。小沢騒動からこの前の草彅くんのとき狂騒といい、最近の日本、ちょっとおかしい。おかしいというより、危うい。

新型フルーは長期戦です。その作戦も立てずに最初からフルスロットルで突っ走っていれば、私たちはすぐにこのフルー情報に疲れ果てます。そのときです、本当の感染爆発が起きるのは。

何度でも言います。いまからでも遅くありません。長期戦としての態勢の立て直しを図るべきなのです。私たちはいつもと同じ生活を続ければよいと思います。いつもよりちょっとだけ健康と予防に注意して。無理をしないこの「ちょっと」が効果的なのです。

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Comments

 ご指摘の通りですね。参考までに《飛行機の座席に座っているだけで濃厚接触だなんて》
http://miyatak.iza.ne.jp/blog/entry/1035440/

>ビギナーズ鎌倉さん

そちらに行ってコメントしようとも思いましたが、なんだかコメント欄、よく読解できぬコンテンツもあって、引き揚げてきました。

言語感覚、おっしゃるとおり。「後期高齢者」と通底してる。政府なのかメディアなのか、発語者はわからんですが。

HIVの感染検査がなぜ浸透しないのか、なぜ後押ししないと受けないのか、いろいろと知恵を絞ってきたのにまだ同じである理由がわかったような気がします。

HIV検査が、排除の論理の中に位置づけられている社会では、どんなことを言ったって自分から排除されようと検査を受けるやつはいないということですね。陽性ならば排除されると感じてしまうような社会。

一方で、陽性ならば救済されると感じられるような社会があります。そんなありようの社会でないと、だれも検査なんか受けないです。

あの当時、米国や欧州の国の一部では政府の及び腰もありながらも民間が懸命に救済のイメージを振りまきました。おれたちが助けるからとコミュニティレベルで患者・感染者支援に回った。それが、限界はあったとはいえ一定の効果を示したのでしょう。

豚フルーにしても、ひょっとしたら隔離されると思ったら、進んで検査に行く人は少なくなる。

水際作戦にしても何にしてもつまり、この豚フルーにしてもエイズにしても、基本的な考え方が間違ってるってことです。

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