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代弁者のいない死

死んだという事実すらもがなんだかステージ・パフォーマンスのようにメディアに横溢して、なにをどう考えればよいのかしばらくじっとしているしかなかった。それはまだ続いているけれど、さっきYouTubeでマドンナの欧州ツアーのステージを覗き見たらマイケルのそっくりさんの日本人パフォーマーが登場していて驚いた。そのうち、あ、こういうことなんだと気づいた。

ぼくは70年前後のスーパーハードなロックの時代に思春期を過ごしてきたせいで、80年代に入ってからのミーハーで商業主義なポップの時代にはほとんど同時代の音楽を聴かなくなった。それでもマイケルの「スリラー」のカセットテープ(!)はちゃんと買っていて、新人新聞記者としてかけずり回る中古車の中でほとんどエンドレスで繰り返し聞いていたものだ。なにせ世界で1億枚売れたんだから、ハードロックなぼくでさえその1人であってもおかしくはない。

でもだからといってMJに特別な思いがあったわけじゃなかった。みんながすごいすごいと言う「ビート・イット」にしても「バッド」にしても「ヒストリー」の短編映画にしても、コンセプトはこっぱずかしいくらいに子供っぽいし、そのうちにこの人の奇行ばかりがニュースを賑わし始めた。「キング・オブ・ポップ」だったMJは、次にどんな曲を出すのかよりも、次はどんな顔になっているのかのほうが話題になった。そうして例の男児性愛疑惑。MJは奇人変人の代名詞になった。彼のセックスにみんなが、というか、ぼくも思いを巡らせた。彼はゲイなのか、ペドフィリアなのか。まあ、それはそのうちぼくにとってはどうでもいいというか、きっと彼は性的少数者ですらなくて、少数者どころかひょっとしたら性的希有者、単独者かもしれない、とかまあ。

でもそれは社会的にはどうでもよいことではなくて、死んだ直後もテレビがそうしたゴシップをあえて無視するように彼を讃えれば讃えるほど、ぬぐい去れないスティグマ(穢れ)が影のように暗く向こうに佇んでいるような気がした。

でもさっき、現在進行中のマドンナの欧州ツアーで、マドンナの曲のメドレーの中で急にMJの「ビリー・ジーン」が流れ、日本人のMJソックリさんがそれを踊るのを見ていたら、ああ、マドンナはこうしてMJを追悼してるんだと思った。それでちょっと切なくなった。べつにマドンナもぼくにはお気に入りでもなんでもないのだが。

田村隆一はかつて「新しい家はきらい」だとしてその理由を「死者とともにする食卓もな」いからだと言った。詩人の谷郁雄はそれを引いて「詩人の仕事とは、生と死の間に境界線を引くことではなく、死者を日常の中に蘇らせることだ」と書いた。これは友人の張由起夫くんの指摘だ。

MJ以外にいま、世界中のどの世代も知っている「スター」はおそらくマドンナしか残っていない。MJもマドンナも、YouTubeもMP3もない「古い家」で育ってきた最後のスーパースターだ。マドンナはそんな同胞を「食卓」ならぬステージに蘇らせて追悼しようとしたのだろう、と張くんは言う。

YouTubeやオンライン市場はいま数限りない多くの才能に開放されているし、それらは実際に流通してもいる。でもその選択肢が多ければ多い分だけ、MJのような普遍的なスーパースターはもう誕生できない。MJですら、MJであることができない時代になっていたのだ。

オースン・スコット・カードの小説に「死者の代弁者」という長編がある。死者の思いを継ぐ者としての代弁者を描いた名作。でも、マイケルのような死者には代弁者もいない。だれが何と言おうと、あの歌と踊りは、彼以外にはできない。

代弁者のいない死。死の直前のリハーサルの動きを見て、本当にそう思った。彼は、永遠に喪われた唯一無二の何物かだったのだと今さらながら気づいた。それでいますこし、ぼくは立ちくらんでいるのだ。

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