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今野雄二の死去と大橋巨泉

「フツーに生きてるGAYの日常」というウェブサイトを運営しているakaboshiくんが、「今野雄二の訃報コメントがフジテレビに“添削”された顛末」を書いた大橋巨泉のことを紹介していました。

「彼の同性愛者らしい細やかなセンスを買っていただけに残念」という彼の表現が、フジテレビ側から「文章の中の『同性愛者』という表現が、死んだ人に対する表現としては使えないので、それを取って『彼らしい細やかなセンスを・・・』とさせていただきたいのですが」「上司と相談したところ、矢張りある程度同業者の中では知られていても一般的な事ではなく、人が亡くなった時という特殊な時期なので、今回はその表現を控えさせて頂きたい」という事情で書き換えられたという話です。

「人の死に“同性愛者”はふさわしくないのか?日本にはタブーが多すぎる」●今野雄二さんの訃報コメント変更で大橋巨泉さん注目発言

添削されてもブチ切れるんじゃなくて、「もう寝た後の話でどうしようもありませんでしたね。こちらは一向にかまいません。ただこのことは週刊現代に書くつもりです」と、事の顛末を自身の連載コラムで発表するというところがこの人の軽やかさ。メディアで生きてきた人ならではです。

で、わたし、藤村有弘が死んだときのこの大橋巨泉の弔辞もはっきりと憶えています。もう30年近くも前の話ですから、うわあ、すごいこと言うなあ、この人、と思ったものですが、アウティングされた本人とも「巨泉さんならしょうがないか」というような付き合いをしていた、というその自負と自信からの宣言なのでしょうね。

そんなアウティングは、その人個人の責任として為されるもので、当然それなりの覚悟もあるものです。アウティング行為にケチを付けるやつも、アウティング対象の友人にケチを付けるやつも、そういう連中はぜんぶおれんとこに来い、相手してやる、ということなんでしょう。それは世間一般でいう、他人に対するアウティングとはちょいと違います。

それをさておき、「死んだ人」を知りもしない赤の他人が、おこがましくもそこに口を挟む。今野雄二も、巨泉さんになら代弁をしてもらいたいが、フジテレビのサラリーマンに自分の代弁をしてほしいと頼んだ覚えはない、というところでしょう。ま、そのことに乗じて私たちもなんやかんや今野雄二のアウティングに対してコメントする資格もないわけですが……。

しかしいったい、ゲイだと言ったらフジテレビにどういうクレームが来るのかなあ。サラリーマン体質っていうのか役人根性というのか小市民的というのか、減点評価に極端に神経質になっちゃって風が吹くのにもおびえる桶屋の商売敵がほんと多すぎます。ひいてはそれが日本社会の衰退の元凶なのよね(←大袈裟)。

大橋巨泉は希代の遊び人で、むかしから1本芯の通った数寄者です。11PMでも終戦だとか原爆だとか同和だとか硬派企画をどんどんやっていて、そこにこの人の何とも不思議な「日本人離れ」したコメントが重なる。北海道の少年時代に11pmを見ていると、ジャズだとかゴルフだとか英語だとかパイプカットだとかの話題も加わって、ああ、東京の人ってすごいなあ、って唖然としたものです。

18で初めて東京に出てきたときも、わたしが怯んだのは頭のいい人たちではなくて大橋巨泉的な都会人に対してでした。なんだか、生きてきた人生がぜんぜん違うのね。だって、芸能人とか文化人とか芸術家だとかと、子供のころから親交があったりする。これはもう取り返しもつかず、ただただ口を開けるか脱帽するしかないわけで。

今野雄二のこの件も、巨泉さんのこのコラムで、歴史として残ることになりました。「事実」は、いずれにしても書き残さねばならないのです。ところで織田裕二、どうしちゃったんでしょうね。って、関係ないか。

ではごきげんよう。来週半ばからはまた日本です。


***
とまあ、上記のような「日記」を先週、ミクシで書いたところ、フジTVに務める私のマイミクさんの1人が次のようなコメントを寄せてくれました。上記の私のテキストに足りない要素が指摘・補填されていて、合わせてお読みくださると問題の重層的な部分が見えてくると思いますので、コメント者の了解を取って採録しますね。


***

2010年08月22日 04:27
僕は生憎、その件の担当ではありませんでしたが、それでも、僕はその弊社スタッフと結果的に同じ対応を取ったと思います。

僕と、そのスタッフ(たち)の思考経路がどのような展開の末に、同じ結論に至ったのかには相違があると思いますが、僕の場合、まずご遺族・存命の関係者の存在について考えたでしょう。

そして、今野さんが生前、ご自身の意思として、カムアウトしていたのか、していなかったのか、確認が既に容易には取れないその時点で、当人がもしかすると隠していたかもしれない性的指向をメディア・サイドの判断でおおっぴらにしていいものか、その権利がメディアにあるのか、ということを考えると思います。

大橋さんが自分の土俵で語ることについては、大橋さんの責任で負えばいい。大橋さんは今野さんのゲイとしてのスタンス、ご家族について、などご存じだったかもしれない。

が、そういった手がかりのない1メディア担当としては、もし当人がセクシュアリティを隠していたという可能性が少しでもあったら、遺族・関係者の手前、それをアウティングすることはできない、と判断します。

もちろん最善は、遺族・関係者に連絡を取り、このようなコメントが出ますが、問題ございませんか、などと確認を取ることだと思うのですが、自殺というショッキングな状況に対応しているご遺族に、そのタイミングで、この確認は、僕の気持ちとしてはできない。また、報道が出るまでの限られた時間の中ですべての関係者についてそれを網羅することはとうていできない。

弊社スタッフがとったと同じ対応をおそらく自分も取っただろう、というのは、アウティングということに対する僕自身の見解にもよるものでしょう。

社会的な影響力を少なからず持っている同性愛者が、反ゲイに価する言動を行う、またはその人が沈黙していることが、ゲイの立場の向上に反している、そのような限定条件下で、アウティングは行われるべきものだというのが私見です。

自分自身のセクシュアリティに悩んでいる・結論の出ていない、迷える同性愛者(及びその家族)を徒にアウティングすることには反対です。

以上、私見でした。
ご意見・ご反論ございましたら、承ります。


***
このコメントに対して、わたしもコメントを返しました。それが以下のものです。


***
2010年08月22日 06:08
なるほどなるほど、そういや、自殺だったんだ。私の上記の書き物にはその視点が一切欠けていました。つまり2重のスティグマというわけです。そうね、その場合は少しでもそれを軽減させようとするのもメディアたるものの立ち位置かもしれないね。

ただここで肝心なのは、きみの註釈したように当の担当者が思考したという跡すじが、巨泉さんのテキストを読む限りではいっこうに窺えないということです。「結果的に同じ対応を取る」ことと、その問題はまったく別のことです。おそらく巨泉サイドが、上記のきみのような意を尽くした事情説明のコメントを聞いていたら、彼はおそらくそのこともきっとコラムに書くんじゃなかろうか? 結果として、彼のコラムは変わっていたのではないか? ま、わたしも直接フジの担当者に当たったわけでもなく巨泉サイドに確認したわけでもないから、適当にしか言えんのですが。

じっさい、きみの書いた上記コメントは、十分に思考された説得力のあるものですから、たとえ結果が「添削」という同じもので終わっていたとしても、わたしはそこでは両者間にある共通認識が生まれ、これはまた次のステップに進むための一歩になり得たはずだと確信します。

それがしかし「死んだ人に対する表現としては使えない」「人が亡くなった時という特殊な時期」というようなだけの説明では、これはどこにも行き着くところのない言い訳、言い逃れに過ぎなく聞こえてしまうでしょう。じっさい、巨泉さんはそうやって聞いた。そこにはきみのコメントにある説得力はなかった。そういうことではないのでしょうか。

貴社の担当者としては、もし仮にきみのいうようにその辺の遺族への配慮が行き届いていたのだったとしら、コメントを要望した相手への配慮と事情説明もまた行き届いていて然るべきだった、と、ま、そういうことでしょうか。しかしまた、後者がそうではなかった以上、前者もまた、恐らく違っていたのではないか、と推察できてしまう。私はそれを「サラリーマン体質っていうのか役人根性というのか小市民的というのか、減点評価に極端に神経質になっちゃって」と非難したいのです。

いかがなもんでしょうかね。


***
かくして、再びそのコメントをくれた本人から次のような返事が。


***
2010年08月22日 07:09

そうだね。
「死んだ人間には使えない」って説明がヘンだものね。

多分、直接、巨泉さんサイドと対応したスタッフはあまりものがわかってない、ただのメッセンジャーだったのかもしれないですね。

俺としては、少なくとも、彼が相談したという「上の人間」というのは、俺と同じような考え方をした、と考えたいところだけれど。(多分、クラス的に、その「上の人間」は今の俺と同程度の職歴・年齢であるはずなのね。)

ただ、間に立っていたそのメッセンジャーくんが、それをうまく伝えられなかった、と僕は思いたい。

でも、ま、わからないですな。
差別の問題はほんと難しい。
ゲイに関しては、自分がそうだから、一応わかるんだが、同和のこととか、まったくわからないもん。
みんなが避けて、隠してしまうトピックだから、見えて来ないんだよね。だから、きちんと学べない。

もっと見える存在にならなければならない、というのは本当に、真の命題ですな。


***

テレビ局にもいろいろ考えている人間はいるわけです。
もちろんゲイもレズビアンもトランスジェンダーもいるわけですから。
というわけで、この問題に関してはこんなもんですか。
彼がコメントを寄せてくれたおかげで、わたしも問題の多面性を紹介できたと思います。

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同じ北海道・室蘭市、出身の者同士として残念でたまりません!!

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