« 検察審査会もおかしいぞ(10/18、加筆あり) | Main | 自由と平等との衝突 »

中村 中「少年少女」

そりゃ私は中村中を応援してはいます。デビューしたのがなんだっけ、汚れた下着? 友達の詩? そんなことはどうでもいいんですが、とにかく、久しぶりに気骨というのかなあ、歌い手としてだけではなく、歌の作り手としても、ケッと言っても動じない、押されても倒れないやつとして、こういうやつがいるんだなあ、という印象を持った。てか、まあ、それは間違いかもしれないから、いまだから言えるみたいに、あるいは後づけとして言ってるんだけど。後出しジャンケンみたいにね。

そう、いつも人を賞賛したいときには前置きと言い訳が長くなる。素直に人を褒められない時代。褒めるのにも理由がいる時代。いや時代の所為にしちゃダメだよな。ってまたここでも長くなるわね。

本日はまたよい酒を飲んできた後で、なにかというと、尾瀬の雪解けの大吟醸、これ美味いんですよ。ちょいと乳酸っぽくて。それと、満寿泉の大吟醸をアンリ・ジローの樽に6カ月入れて熟成させたやつとか、こいつはもうすごい。まるでひれ酒のような旨味が横溢(マイナス魚臭さ)。そしてもちろん、その当のアンリ・ジローのトップラインの Cuvée Fut de Chene 2000 Ay Grand Cru とかも料理に合わせて飲んできたんです。これもすごいシャンパン。

ふむ、それは関係ないか。

そしていま、中村の「少年少女」を聞いている。「今夜も僕らは、なんとか生きている」とか歌われちゃってる。

私にとってこのアルバムは、なんだか知らんが、ジェフ・バックリー以来のヘビーローテーションです。つまり5年ぶりの、いつ終わるとも知れぬリピート聴取状態。NYの地下鉄でもずっとiPhoneで聞いている。さすがに聞き過ぎだな、と思って辻伸行くんのラフマニノフとか、パトリック・コーエンのサティとかも聞いたりしてるんだけど、ふと気づくと夜中に頭の中で「少年少女」の中の何かが渦巻いてる状態。

いま、ちょうど「ごめん、私は、喉をやられてる」って歌われてます。

最初のころは、そう、このね、何たっけ? そうそう、みんな絶賛の「戦争を知らない僕らの戦争」にやられたんですが、そのうちに、もっとさりげない、最初は聞き流していた歌ね、初恋とかさ、秘密だとかさ、ともだちになりたい、や、青春でした、だとかさ、そういうののメロディーまでもが浸食してくるんだ。

まあ、これこそヘビーローテーションの為せるわざですが。

技術的なことを言うと、曲作りがすごくうまくなった。とても自然になった。メロディーにおかしな力が入っていない。味わっていると旨味がじわじわと出てくる。なのでもう3週間くらい繰り返し聞いていても全然だいじょうぶ。ヘビロテに耐えうる。前のアルバムも褒めたけど、これとは違ってる。

でね、ちょうどこれを聞いてるのと平行して、アメリカでは、ゲイの十代の男のたちがどんどん嫌がらせやいじめに遭って自殺するという事件が続発しているのです。この2カ月くらいで8人かな。わかってるだけで。ルトガーズ大学の19歳は、寮の部屋で好きな男の子とキスやなんかしてるのをSkypeで自動中継されちゃって、ジョージ・ワシントン・ブリッジから投身自殺した。あの橋、すごく高い。そこから飛び降りるよりつらいことがあったということでしょう。考えるだけでまいっちゃいます。

ついこないだ、10月13日に自殺した子はカリフォルニア・ビバリーヒルズの高校生で、学校帰りに5人の他の生徒に殴る蹴るの暴行を受けた。そして家に帰って縊死した。「何よりもつらかったのは、肋骨を折ったことじゃない。ぼくの大事な人たちからもらったものを盗まれてしまったことだ。最悪の日だ」と遺書にあった。「カミングアウトと、(ボーイフレンドの)ダリックと幸せだったことが人生で最高のことだった。でも、それが自分の死につながるとは昔は知らなかった」とも。

そう、中村中の「少年少女」を聞いていて思うのは、これをいまの十代の子たちに聞いてほしいなあということです。聞いて、何?という子はいつの時代でもいるでしょうから、そういうのはどうでもいい。そうじゃなくて、聞いて、励まされる子たちが必ずいる。励まされる? ちゅーか、ああ、自分は1人じゃないって、そう感じる子が必ずいる。そういう子たちに聞いてほしい。いや、これは変な言葉遣いだ。そういう子たちが、たまたま聞いていてほしい。

いまや、年を取った私はこのアルバムを聴いてもこれっぽちの涙も表沙汰にはならないけれど、大脳皮質の地層の奥のどこかで、15のぼくがカッと赤く熱くなっているのがわかる。そう、じゅうぶんに時は隔てているけれど、15のぼくは1人じゃないって、おぢさん、思うよ、ってな感じ。

とてもたくさんのメッセージが込められたアルバムでも、でもさ、メロディーが付いてこないとこんなに長く繰り返し聞けない。なんだか、ちょうどいいあんばいで詩と曲が流れてる。ま、それも私の感性にとって、ということだけれど、それは信じてもらわねばしょうがない。

わたしのこのぶろぐに「少年少女」が訪れているとは考えられないけど、もし読んでいるなら、アルバム、聞いてごらん。もし、そんな少年少女を知っている人なら、さりげなくその子たちにこれらの曲を聴くよう仕向けてください。ただ1人でも、そんな子たちの命を救えるなら、いや、実際に死ぬ、生きるってな話じゃなくてもね、そうなら、単なるCDとしては儲けもんじゃないでしょうか。

またぐるっとまわって「独白」になった。
中村中のセリフが、ちょいと訛ってるのはどこの言葉? ま、愛嬌だけどね。

あ、そうそう、中ちゃん、この曲の最後、私はあれは違うと思います。
「わたしを愛してくれますか?」じゃないだろう。

あそこはさ、

「わたしを愛したり、できますか?」

あるいは、もっと直截に

「私を、愛せますか?」

っていう投げかけ、詰問じゃないか?

不満っていえばそれくらいでしょうか。

おやすみなさい。寝ます。

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://www.kitamaruyuji.com/mt/mt-tb.cgi/621

Post a comment

(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)