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実名報道とは何か

日本では匿名報道とかボカシ報道が広がっています。読者・視聴者はそうして現場のナマの個人の証言や現実を知らずに済んでいます。アルジェリアの天然ガス施設の人質事件でも「実名にしなくとも」とか「遺族が可哀相」という反応が多くありました。

私は元新聞記者として実名報道こそが基本だと教わってきました。実名がわからないと取材元がわからない。取材できないと事実が確認できない。大袈裟な話をすれば、事実確認できない状態では権力が都合の悪い事実を隠蔽したり別の形に捏造する恐れがある。すべてはそこにつながるが故の、実名報道は報道の基本姿勢なのです。

しかし昨今の被害者報道を見ていると「実名」を錦の御旗にした遺族への一斉取材が目に余る。メディアスクラムというやつです。遺族や関係者だって心の整理がついていない時点での取材は、事実に迫るための手法とは確かに言い難いでしょう。

ただ、それを充分承知の上で、日本社会が「なにも実名にしなくとも」という情緒に流れるのには、なにか日本人の生き方に密接に関わっていることがあるからではないかと思っています。

苛酷な事件や事故で自分が死亡したとき、自分の死に様を報道してほしいかどうかはその人本人にしか決められないでしょうし、そのときの状況によっても違う。

それは人生の生き方、選び方なのでしょう。実際、苛酷で悲惨なドキュメンタリーや報道を好まない人もいるでしょうしその人はそういう現実になるべく心乱されない人生を送りたいのかもしれません。しかしそれでも誰かがその悲惨と苛酷とを憶えていなければならない。それも報道の役割の1つです。

記録されないものは歴史の中で存在しないままです。「存在しないままでいいんです」という人もいます。でも、その「存在しないままでいいと言う人たち」の存在も誰かが記録せねばならない。それは報道の大きな矛盾ですが、それも「書け」と私たちは教わってきました。なぜならそれは事実だからです。

「そんなことまで書くなんて」とか「遺族が可哀相」とか言っても、同時に「そこまで書かねばわからなかったこと」「別の遺族がよくぞ書いてくれたと思うこと」もあります。どちらも生き残った者たちの「勝手」です。私たちはその勝手から逃れられない。そのとき私たちは「勝手」を捨てて書く道を選ぶ。

それは、今の生存者たちだけではなく未来の生存者たちに向けての記録でもあるからです。スペイン戦争でのロバート・キャパの(撮ったとされる)あの『兵士の死』は、ベトナム戦争のエディ・アダムズのあの『サイゴンでの処刑』は、そういう一切の勝手な思いを超えて記録されいまそこにあります。それは現実として提示されている。

匿名でいいんじゃないか、遺族が悲しむじゃないか、その思いはわかります。実際、処刑されるあのベトコン兵士に疑われた男性の遺族は、あの写真を見たらきっと泣き叫ぶ。卒倒する。でも同時に、もしあの写真がなかったら、あの記事がなかったらわからなかった現実がある。反戦のうねりも違っていたでしょう。

解釈も感想も人それぞれに違う。そんなとき私たちは読み手の「勝手」を考えないように教えられた。それはジャーナリストとしての、伝え手としての「勝手」にもつながるからです。そうではなく、書く、写す、伝える、ように。なぜならそれは「勝手」以前の事実・現実だからだと教わったのです。そして読者を信じよ、と。

「読者を信じよ」の前にはもちろん、読者に信じられるような「書き手」であることが大前提なのですが。

日揮の犠牲者については、報道側もべつに「今すぐに」と急ぐべきではないと思います。こういう事態は遺族や企業の仲間の方々にも時間が必要です。今は十全に対応できないのは当然です。むしろ報道側には、ゆっくりじっくりと事実を記録・検証する丁寧さが必要とされている。1カ月後、半年後、10年後も。

大学生のときに教えていた塾の教材でだったか、ずいぶんと昔に目にした、(死者は数ではない、だから)「太郎が死んだと言え/花子が死んだと言え」という詩句がいまも忘れられません。誰の、何という詩だったんだろう──そうツイッターでつぶやいたら、ある方が川崎洋さんの『存在』という詩だと教えてくれました。

「存在」  川崎 洋

「魚」と言うな
シビレエイと言えブリと言え
「樹木」と言うな
樫の木と言え橡(とち)の木と言え
「鳥」と言うな
百舌鳥(もず)と言え頬白(ほおじろ)と言え
「花」と言うな
すずらんと言え鬼ゆりと言え

さらでだに

「二人死亡」と言うな
太郎と花子が死んだ と言え

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