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「臭いものに蓋」法

近代国家は国家機密に関するきちんとした法律を持っていければならないと思います。きちんとした特定秘密保護法案ならまったく反対しません。ところが衆参両院で強行可決された「特定秘密保護法」は、スパイ防止にならないばかりか単に官僚たちの「臭いものに蓋」としてしか機能しないだろうと強く懸念される。だからこの法に反対しているのです。国民の知る権利がどうだとかジャーナリズムがどうだとかそんな高尚な話ですらありません。法律として、また審議過程としてもボロボロだからです。

欧米の同様法は外国への機密漏洩を厳罰化しています。利敵行為への戒めです。対して日本のこれは誰にも喋ってはいけないという法律です。しかも秘密の範囲は漠として曖昧。公務員も何が秘密かわからず戦々恐々。つまり何であれ喋らぬに越したことはない。触らぬ神です。国民の代表である政治家たちにも明かせない。

すると政治家にとっても霞ヶ関の情報収集が従来のようにはいかなくなる上に、政策の立案も精度が落ちてきます。秘密を知る官僚だけが考えることになるのですから、じつは自民党は自分で自分の政治家としての首を絞めたのも同じです。

一方でこの法は官僚機構そのものの弱体化すら招きます。他人に説明しない=説明を怠る癖は、説明責任=論理構成力をも殺ぎ取ることにつながり、独善的なシステムを構築するに至る。それはつまり、官僚機構そのものの堕落に直結するのです。

日米双方の官公庁を取材して違うのは、日本の役所ではほとんどの情報がまずは「秘密」に設定されるということです。宣伝になること以外はこちらから突つかない限りはまず出てこない。資料を出すのを面倒くさがる。情報がみんなのものだという意識が低い。秘密保護法なんて必要ありません。そもそも最初からみんな秘密なんですから。

情報を持っているというのは力です。情報を秘密にすればそれは権力になる──例えば警察取材では日本の一年生記者は揉み手をし頭を下げて情報をもらいます。そこで先輩に「ご用聞きじゃないんだ!」と叱責されるのですが、全員がそんな立派なジャーナリストに育つわけでもありません。揉み手のクセが抜けない記者も多いのです。一方で警察は、いや普通の役所ですら、揉み手をしてにこやかに接してくれる新聞記者が心地よい。自分のところで情報を塞き止める「よかれと思ってする自己規制」「勝手な判断」がそうやって生まれもします。本来そもそも市民国民のための情報であるにも関わらず(主権在民とはそういうことです)、その情報を恣意的に自分の手で出し惜しみして末端の権力の味を味わうのが好きな小役人はどこにでも一定数存在するのです。

もう1つ、米国では政権交代のたびに官僚組織のトップが5000人とか7000人の単位でガラッと入れ替わります。すると党派的に都合の悪い秘密などは隠していた方がまずいことになる。「臭いものへの蓋」は政権交代ごとに開けられてしまうからです。そうやってバレたらなおさらまずいでしょう。だから「機密」は客観性の高いものにならざるを得ない。

対して日本の「秘密」とはそうした客観的にもおかしくはない国家機密のほかにも、その時点の国家機構や組織の弱点を隠すための秘密も含まれがちなのです。組織のトップが責任を問われずに済むように情報を隠しておく、だってそれが優秀な部下の務めでもあるわけですから。内部告発なんかとんでもない。そういうのは内部告発ではなくまずは内部処理です。それが日本的組織です。

しかも安倍政権はそんな秘密を「保存中に破棄することもある」とさえ閣議決定してしまった。シュレッダーに掛けちゃうというのです。そういうことをすると、秘密と権力だけが実体もなく延々と保全されることになります。保身の前には秘密の保全こそが重要であって歴史の保全などは二の次、むしろ邪魔っけな考え方なのです。

例えば国会審議の最中の12月2日、東海村の原子力機構で高レベルの廃液が未処理で残り水素爆発の恐れまであるという記事が出ました。これは日本の混乱を狙うテロリストには格好の情報たりうるでしょう。また森雅子担当相は「食の安全」もテロリストの脅迫材料になるから「特定秘密の可能性がある」と答弁しました。そうなると国民は食品の危険を知らされないおそれだってあるかもしれない。もちろん政府はそんなことはないと言うでしょうが、そうならそうできちんとそこを法律として規定しなければならない。時の政府の恣意的解釈ができないものでなくては法律とは言えないのです。

皮肉を言えば自民党は、「自分たち以外」の「危険な政府」が誕生するかもしれないことをまったく頭に入れていないのでしょうか? つまり絶対に政権はもう二度と誰にも渡さないぞ、という構えを強化するつもりなのでしょうか?

米国では国家機密も原則25年で公開です。日本では60年。これは事実上「公開されない」と同じです。だって60年って、関係者はみんな死んでしまっているのですよ。そう批判すると米国だって最長75年、英国では100年の秘密もある、という反論が返ってきます。でもそれは何が秘密かはわかるようになっているのです。保全途中での秘密裏の廃棄だってあり得ません。情報公開法だって素晴らしく機能しているのは日本の「秘密」が米国の情報公開で次々と明らかになっていることからもわかるでしょう。

そしてそれはどうして日本では秘密なのか、その理由さえよくわからないものばかり。日本政府もその理由を説明しません。なぜならそれは「秘密」だからです。キャッチ22ですか?

いま一度言いましょう。特定秘密保護法案という概念にはまったく反対じゃありません。賛成派はそんなものは当然の法律で反対する方がおかしいと言いますが、そうやって勝手に反対の理由を捏造しないでいただきたい。そんなことで反対してるんじゃない。反対なのは、あくまで強硬可決された「この特定秘密保護法」が、スパイ防止などではなくむしろ官僚制度や自民党の「臭いものに蓋」法として機能するしかないだろうからなのです。

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