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爬虫類の脳

ディック・メッカーフ Dick Metcalf(67)という米国の銃器評論家の第一人者がいます。有名雑誌に連載を持ち、テレビでも自身の番組を持って最新銃器のレビューを行う大ベテラン。イェールやコーネル大学で歴史を教えてもいるその彼が昨年11月以降メディアから姿を消しました。なぜか? その経緯が新年早々のNYタイムズで記事になっていました。

40万購読者を誇る「Guns & Ammo(銃&弾薬)」という雑誌のコラムで10月末、彼が「Let's Talk Limits」というタイトルの下、「銃規制」を呼びかけたことが原因でした。とはいえ書いたことは「憲法で保障されている権利はすべて何らかの形で規制されている。過去もそうだった。そしてそれは必要なことなのである」ということだけ。つまり銃の所持権に関しても同じだろうということで、べつに声高に銃規制を叫んだわけでもありません。彼はそもそも銃所持権支持者なのですから。

ところがこれが掲載されるや抗議のメールが編集部に殺到し、あっという間に読者が大挙して定期購読をキャンセル。ネットでは大バッシングが始まり、長年のスポンサーだった銃器メーカーは支援を中止、出演していたテレビも打ち切りとなりました。そして彼は根城だった保守論壇から完全に干されたのです。

もちろん銃規制という国を二分するセンシティブな問題のせいもありましょう。でも注目したいのはこの間髪入れぬ激昂の反応です。ここには有無を言わせぬ敵愾心だけがあります。人間の知性と理性はどこに行ってしまったのか?

人間の脳は何百万年もかけて原始的な脳から層を重ね、いまの大脳皮質まで辿り着きました。原始的で凶暴な反応は上層の大脳皮質にまで行き着くことで理性的になり知性的に発展します。その最深部の最も原初的な層はR領域と呼ばれます。Rとはレプタイル(reptile, 爬虫類)のこと、つまり相手が近づくと誰彼なくとにかく反射的に噛み付いてみるヘビやワニなどの脳のことです。そういう爬虫類脳同然の反応……。

ことはアメリカに限りません。イギリスでは昨年夏、新しい10ポンド紙幣に女性の肖像画(ジェイン・オースティン)を採用するよう運動していたフェミニスト女性がツイッター上でレイプする、殺すと脅され、それを報道した女性ジャーナリストまでが脅迫された事件が起こりました。犯人2人には今月24日に判決が下ります。ナイジェリアでは反ゲイ法が成立発効して有無を言わさず待ち構えていたように100人以上のゲイ男性たちが逮捕されるという事態が起きています。翻って日本であっても、ツイッターで例えば例の安倍の靖国参拝を批判すると猛然とすぐに噛み付いてくる匿名の見知らぬ安倍崇拝者たちがいます。噛み付き口汚く罵り気勢を上げてはまたどこかに消える。これらはみんな同じタイプの人間たちです。こちらで丁寧に対応しても聞く耳など持ちません。

かつては発言するということはその言葉が実社会で他人からの批判や反論の摩擦を受けるということでした。ところがインターネットの一般化で摩擦を受けずに自分の言葉を直接そのまま発信できるようになった。それは権力を手にしたかのような幻想を与えます。1人評論家ごっこもできるし、切磋琢磨を経ない石のままの言葉を投げつける独善主義にもなれる。

ひとつ引用しましょう。たとえば私にツイッターで一方的に絡んできた彼は、私のことを「ジャーナリスト様」と揶揄しながらこう書いて溜飲を下げていました。「インテリを自称する連中は、知性が高くても精神的に成熟している訳ではなくむしろ未成熟。自分は何でも知っていて絶対に正しいと思い込み自分の理解できないものをくだらないと否定し、自分を理解しない人間を愚かだと見下す」

これもその彼に限ったことではありません。すべての噛み付き性向の者たちはまるでどこかで示し合わせてでもいるかのようにほぼこの「引きずり下ろし」とも呼ぶべきパタンを踏襲しています。なぜかわからないが自分よりもエラそうに社会的に発言している者たちへの攻撃パタンです。ここで図らずも白状するかのように記してしまっている、「愚かだと見下」されていると自分のことを妄想する被害者意識と劣等感。それらを起爆剤として彼らは自爆テロのように爆発するのです。

それは知性に敵対する行為です。そう考えて思い当たるのは、文化大革命やカンボジアのポルポトで、まず根絶やしにされたのが知識層だったという史実です。スターリニズムもそうでしたし、アメリカの赤狩りでも同じことが起こりました。権力側が彼ら反対勢力の知的抵抗を怖れたからというのもあったでしょうが、それよりもそれは一部大衆による、知識層への恨みにも似た劣等感とその反動が推進力でした。それらのドキュメンタリー映像に映る激昂する人々の顔は知識層への恐ろしいほどの憎悪と敵意に満ちています。本当は丁寧な知性は大衆の敵ではなく味方であったはずなのに。

知性は勉強ができるできないとは関係ありません。知性とは本来エリート主義とは無縁です。知性とは人々すべての善き人生のための問いかけと答えの運動のことなのです。なのに鼻持ちならない一部エリートたちへの嫌気から彼らと知性とを混同し、知性を蔑み敵対し夜郎自大になる──それがポピュリズムを煽る日本のネトウヨ(ネット右翼)や米国の「ティーパーティー」の、そしてその層を利用している日本の安倍政権や米共和党右派の、爬虫類的な大いなる禍いなのです。

世界で共通するこの反知性主義。「反」くらいな感じでは済まないほどの根拠のない怨念めいた憎悪が渦巻く日本のネット社会。知性フォビア。知性憎悪症。ポピュリズムというのはもともとは反エリート主義の大衆政治のことでしたが、その基盤となった大衆知がいつのまにか本当の知性に置き換わって知性を攻撃しだす。中途半端な知識人への嫌悪が知性を矮小化しその生き方と価値とを憎み倒すようになる。そうして鬱憤を晴らして、しかし彼らはどこに行くのでしょうか?

劣等感というものは、どう転んでも個人的鬱憤の次元から出るものではありません。どう鬱憤を晴らしてもそこから先はないのです。そこから先を作るのは劣等感ではなく知性です。もう一度言います。それは勉強ができるとかできないとかじゃなくて、現在を批評的に捉えて次のより自由な次元へと飛翔するための気真面目な問いかけの運動のことなのです。

ペンは剣よりも物理的には強いはずがありません。ペンが剣より強いのは人間の知性がそういう社会を志向するときだけです。そして反知性主義は、そういう社会を志向しません。剣がペンよりも強い世界、それは微笑みよりも噛み付く牙がすべてである爬虫類の世界です。

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Comments

爬虫類は爬虫類でちゃんと地球と共生して
現在に至るまで生き続けてきたわけで
(恐竜の絶滅も外的要因説が主流)、
自分で自分を滅ぼそうとしている愚かな人類と一緒にするのは
爬虫類に失礼でしょう。

ああ言うのって、日本だけじゃなかったんですね。

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