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暴力のジェンダー

札幌市厚別区で行方不明になっていた伊藤華奈さんが殺害されていたという痛ましいニュースを目にしながら、その数日前に起きたカリフォルニア州サンタバーバラでの大量殺人事件の余波を考えていました。というのも「暴力には人種や階級、宗教や国籍の別はない。けれどジェンダー(男女)の別はある」という米国の女性作家の言葉が忘れられなかったからです。

サンタバーバラでの事件は単なる「もう1つの銃乱射事件」ではありませんでした。自殺した犯人の男子大学生(22)が残した犯行予告のビデオや百三十七ページの手記の内容が、全米の女性たちに異例の反応を惹き起こしたのです。なぜならば犯人は「自分のような完璧な紳士を相手にしないのは女たちの不正義であり犯罪だ。そんな女たち全員に罰を下してやるのがぼくの喜びだ」などと発言していたからです。

この激しいジェンダー間憎悪。ここにあるのは一義的には「モテない男の個人的な恨みつらみ」ですが、その根底には男たちの拭い去りがたい女性嫌悪、女性蔑視が横たわっているのではないか──その気づきが全米の女性たちに大議論を巻き起こしたのです。

ツイッターなどを舞台にしたその議論のハッシュタグ(合言葉)は「#YesAllWomen(そう、女たちはみんな)」。

男性性への批判に対して男たちが反論するときに「Not All Men(男がみんな〜〜だとは限らない)」と切り出す決まり文句があります。それに対抗して女性たちがいま、直言や皮肉として逆に「そう、女はみんな〜〜だ」という合言葉の下、自分の経験した性暴力や性差別、嫌がらせや性的脅しなどの具体例を報告しているのです。その数すでに百数十万件。つまりここにあるのは圧倒的なジェンダーの不均衡です。男女間の暴力事案の被害者は圧倒的に女性が多く、加害者は圧倒的に男性が多いという事実の列挙です。

しかも今回の犯人はメンズ・ライツ運動(男性の権利を取り戻す運動)に関わっていたこともわかりました。しかも彼の場合は女性の権利の台頭に恐れをなした男性側が、男性性の優位を訴えて権利回復を叫ぶというとても短絡的な主張です。これはつまりフェミニズムに出遭ったときに男性たちがそれを取り込んで柔軟かつ大らかに変わるのではなくて、そんな女性たちに対抗し競争して打ち勝つ、というなんとも子供じみた衝動なのです。

冒頭の「暴力にはジェンダーの別がある」というのは歴史家でもある作家レベッカ・ソルニットの新著「Men Explain Things to Me(私に物事を教える男たち)」の中の言葉です。今回の事件に関して彼女は「democracynow.org」という独立系の米ニュースサイトで「世界中で女性に対する性暴力が溢れている。なのにそれが人権の問題としてとらえられることは少ない」と論難しています。先のツイッターでの議論ではインドやアフリカ諸国などで多発する強姦事件や女性の人権無視も数多く言挙げされています。いやそれだけでなく、米テキサス州で「ビールとバイオレンスはドメスティックに限る!」と手書きの看板を出していたマッチョなバーもあることが報告されました。奨励される前者は国産ビール、後者は身内での暴力、特に女性への暴力のことです。

伊藤華奈さんへの加害者が男性なのかはまだわかっていません。しかし思えば先日のAKB握手会事件も男性が女性を襲ったものでした。暴力事案をこうしたジェンダーの視野から照らして見る。そうしなければ男たちは、犯罪に潜む身勝手な女性嫌悪と女性蔑視とに永遠に気づかないかもしれません。ええ、男がみんなそうだとは限らないのですが。

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