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礼節を知る

選挙の際になぜいつも景気の話が最も重要視されるのか、それは何を為そうにも生活が保障されていない限りすべてがむなしいからです。ですから今回の解散総選挙で安倍首相は「この道しかない」と言ってアベノミクスの推進を前面に押し出しているのでしょう。

けれど、アベノミクスそのものが成功しているのか、正しい「道」なのか、という点には実質賃金が16カ月連続でマイナスになっているなど、さまざまな疑問が生じ始めているのも事実です。

思えばアベノミクスはその命名自体こそが政治的成功でした。経済の話は難しいのでなかなかついていけない。でも「アベノミクス」と聞けばなんとなく実体があるような、具体的な政策のように聞こえます。

簡単に言えばそれは世間にお金をじゃぶじゃぶ注ぎ込んでカネ余りの状態を作り、そこで「国土強靭化」と称する公共投資をやっていけば、そのうちに民間の会社にも活力がみなぎるはずだという政策なんですが、活力がみなぎる前に米格付け会社ムーディーズが日本の国債を1つ格下げしたというニュースも飛び込んできました。

ムーディーズも勝手なもんで「消費増税を見送ったことで財政健全化が遠のいた」というのが一因だそう。一方では消費増税のあおりで個人消費が落ち込み、財政健全化の一端を担う税収増の源(民間活力)がヘトヘトになっているのに。結局アベノミクスも「行くも地獄、戻るも地獄」状態だということですか。

しかし「この道しかない」と言うだけあって、野党にはアベノミクスに対抗する経済政策の上手いネーミングがありません。なので有権者には魅力的な「別の道」がさっぱり見えてこない。

私は「アベノフィックス(アベノミクスの修正)」が必要だと思うんですが、そもそもどうして景気が大切なのかというと、それは「衣食足りて礼節を知る」ためなのだと信じています。少なくとも私は礼節を知って「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会(世間)において、名誉ある地位を占めたいと思」うのです。

ところがアベノミクスでもなんでもいい、とにかく日本経済を再生させて安倍政権が手に入れようとしているものが、どうもこの「礼節」とは違うもののように思えてしょうがない。

集団的自衛権の閣議決定という解釈改憲やチェック機能なしの特定秘密保護法の施行は、戦争や全体主義のあの時代の残酷さを忘れた逆の意味の「平和ボケ」にしか思えませんし、先の選挙で脱原発や反TPPを訴えてそれらを全て反故にした無責任さも、景気条項を外した消費増税の決定を「増税先送り」と呼ぶセコさも、そして何より首相自らが民族差別組織を宣伝したり先の大戦を美化したりするような不見識も、礼節とはかけ離れている。礼節なくしていったい何のための景気回復なのでしょうか?

選挙に際してぜひ肝に銘じてほしいことがあります。民主主義というのは何かをするのに適した制度ではなく、むしろ何かをさせないよう生み出された制度なのです。何かを為すには話し合いなどない独断専行がいちばん手っ取り早い。でもそうすると権力は必ず独善と横暴に堕します。

独裁や専政、圧政、そういうことをさせないためにわざとまだるっこしい手続きである民主制度が作られました。選挙とは、権力の奢りを遅滞させ反省させる唯一の武器なのです。まだるっこしさの覚悟がないところに民主主義は成立しません。景気の話と同時に、選挙では礼節と覚悟の話もぜひ考えてください。

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