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「令和」の裏で

新元号の事前のウラ話題はそこに「安」の字が入るかどうかでしたw。反安倍政権の著名人たちはツイッターなどで盛んにその"懸念"を先取り表明し(私もですがw)、朝日新聞には「新元号安晋だけはご勘弁」なんぞという読者川柳まで掲載されました。

まあ「安」は安倍晋三の「安」じゃなくとも普通に使われそうな「良い字」ですから、「元号の私物化」をことさらに言い立てるのもジョークみたいなものだったのですが、何しろNHKを始めとした忖度によるメディアの"私物化"や官僚の"私物化"、果ては自民党や各種諮問委員会の"私物化"までが喧伝されるこの長期政権のこと、冗談にかこつけて「事前予想されたものは候補から外れる」という慣例を盾に「安久」だの「安武」だの、ひいては夫人の名前まで持ち出して「安恵」だのと散々予防線を張ったのでしょう。

で、フタを開けると「令和」──「レイワ」という響きの麗々しさもあって概ね評判は上々です。しかも出典が「万葉集」と説明されて、安倍首相も「いかに時代がうつろうとも日本には決して色あせることのない価値があると思います。今回はそうした思いの中で、歴史上初めて、国書を典拠とする元号を決定しました」と「美しい国」論者の面目躍如と相成りました。

もっとも、ここにも大変興味深い「裏話」があります。「初春令月、気淑風和」という万葉集の引用部分は、実はさらに「仲春令月、時和気清(仲春の令月、時は和し気は清む)」という、中国の詩文集『文選』に収録されている後漢の科学者・張衡の詩「帰田賦」の一部を踏まえているのです。「文選」というのは周〜梁時代の千年にわたる百人以上の詩・散文八百余を収録したもので、漢文の素養が必須だった奈良・平安期の貴族にとっては基本のキの教養書でした。

つまり、この「令和」は「国書」から取るという革新的な一手を装い(国粋主義者たちを満足させ)ながら、その実、日本の元号の伝統たる中国の漢籍に大元の根を持つ(ことで保守派も満足させる)という、二重の出自を備えたなんとも巧みな選択なわけです。というかあの時代、文章は全て漢文か万葉仮名でしたから、漢字文化圏としては国書を漢籍から分けること自体が無理な話なのですが。

さてこの「帰田賦」、その題からも分かるように「官職を辞して田舎に帰る」という詩です。作者の張衡は時の皇帝に召されて役人になるのですが、その皇帝は側近たる宦官の専横を許して政治が腐敗、後漢滅亡の端緒となるのです。だから「こんな治世は嫌だ、(令月の、時候も和やかな)田舎に帰るぞ」となるわけです。

で、ここからがネットで一部拡散されている「説」なのですが、その悪政の皇帝の名前がなんと「安帝」だという、あまりにも出来すぎな話です。これを基に「令和」を考案した選定委員の学者さんはかなりの切れ者で、ダビンチ・コード顔負けの政権批判の暗号をこの元号に忍ばせた策士である、との"解説"も一人歩きしています。

事実は、張衡が「帰田賦」を書いたのは安帝の息子の順帝の時代、西暦138年のことです。宦官政治は先代の安帝から続くものではあるのですが、張衡の批判は直接的には順帝に向けられていて、安倍憎しの余りの「安帝」持ち出しは水をそちらに引っ張りすぎでしょうね。

ところで日本政府はこの「令和」の通知を諸外国にファックスで送ったそうです。そして公文書には今後も元号と印鑑で対応せねばならない──グローバル化が始まった昭和から変わらず続くその辺りの非効率性は、せっかくの新時代もまだ続くようです。

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