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2003/02「やっつけないとわからない」

 正月で一時帰国した。予想はしていたが、日本のワイドショーめいたニュース番組では北朝鮮の国内向けテレビの内容を紹介して、コメンテイターのみならずキャスターまでもが「ひどい国ですねえ」といわんばかりのあきれ顔をしてみせる。ただし、だれもあれを自分たちの60年前の姿と同じだとは言わない。

 金正日体制とかつての日本の天皇制との絶対的な近似。そんな簡単なことに気づいていないはずはないと思うのだが、テレビや雑誌に溢れる「ああいう連中はやっつけないとわからないんだよ」という雰囲気はいったい何なのだろう。

 現在の日本国民は「ああいうのはやっつけないとわからないんだよ」という論理で行われた東京大空襲やヒロシマやナガサキの生き残りである。昭和20年までの日本に生きていた自分たちの親や祖父母たちの上に無差別に被された「やっつけないとわかんないんだよ」という論理を、その生き残りの末裔たちが、あるいはその生き残りたち自身が肯定する。それはどういうことなのだろうか。

 「やっつけないとわからない」と被爆国・日本の国民が発語するとき、それは非戦闘員の市民の上に爆弾を落とすことをその非戦闘員たる市民が望んでいる、ということを意味する。そのとき「やっつける」側は解放軍である。「やっつけられる」のは抑圧的な独裁政府とそれを支える蒙昧な国民で、解放軍によってその抑圧国家の国民は解放され、めでたしめでたしと相成る。そういう図式だ。

 それでいくと、いま北朝鮮に対して「やっつけないとわからないんだ」と言い放つことは、かつてのアメリカに対し「日本に原爆を落としてくれてありがとう」と感謝することにつながるのである。戦後復興から高度成長、経済大国の道を進んで「めでたしめでたし」と相成った(まあ現在の大不況は横に置いておいて)のも、アメリカの原爆があったからだ、ということになる。

 それはそれで一理ある。じっさい、アメリカの論理は今も昔もそれで変わっていない。しかし私たちの考え方として、それはほんとうにそれでよいのか。いつから私たちは、こうもあっさりと世界で唯一の被爆国の視点を忘れ去り、非戦闘員の市民のうえに原爆を落としたほうの国家の視線でものごとを考えるようになったのか。北朝鮮もすごいが、こういう節操のない横滑りを何事もなかったかのように済ましてしまう日本のありようのほうがじつは慄然とはしまいか。

 「やっつけないとわからないのだ」と言う輩はいつもあのときの広島でも長崎でもない安全な場所にいる。言葉は勇ましいが、卑怯と無責任の匂いがする。

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