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2003/06「なぜ、日本にとんど報道されないのか?」

 米国最高裁が6月26日、テキサス州の「ソドミー法」をプライバシー侵害で違憲とする判決を下した。それだけでなく、ジョージア州のソドミー法を合憲とした1986年の判決も覆し、全米13州に残るソドミー法の全廃を示したのである。

 日本の多くのメディアは、どうしてこれを報道しないのだろう?(毎日新聞は27日報道)。思うに、これが何を意味するのか、多くの特派員ともおそらくよく理解していないのだ。

 こういうことなのである。

 米国には、違法な性行為を規制する「ソドミー法」というのが存在する。「ソドミー」とは旧約聖書のソドムとゴモラのあのソドムから出た言葉で、日本語では「男色」とか「同性愛」と訳されるが、英語ではじつは広く異性間性交渉も含んで婚姻内受胎に関わらぬ性行為すべてを指す言葉である。

 たとえば、女性をむりやり性行為の対象にすることも「ソドマイズ」という。レイプというのは実際の交合を指すが、ソドマイズはもっと広い意味だ

 さて、そのソドミー法の実際の条文はたとえばマサチューセッツ州では「忌避・嫌悪すべき、自然に反する罪を犯した者は重罪である」「いかなる反自然の淫らな行為を為してもその者は重罪を犯したことになる」と曖昧かつ広い。

 同性間に限ったものとしてはカンサス州「同性の者同士のソドミーは軽犯罪である」、ケンタッキー州「同性の他の者と異常な性交に関わることは軽犯罪である」。そのほかにも「淫らな」「倒錯した」(メリーランド州)、「著しく猥褻な」(ミシガン州)、「公共の品位を著しく犯す」(オクラホマ州)などといった恣意的な表記がほとんど。

 ニューヨーク州にも1965年に発効したソドミー法があった。それにはこうある。「異常な性交は軽犯罪である」「異常な性交とは結婚していない者同士がペニスとアヌス、口とペニス、あるいは口と外陰部とを接触させる性行為を意味する」。つまりこれを厳密に当てはめるとほとんどの若者がソドミー法違反になるだろう。

 だが、これがじっさいに適用される例はほとんどなかった。現行犯じゃないとわからないからだ。

 今回の裁判の事の起こりは1982年にさかのぼる。アトランタで深夜、ゲイバーから出てきた従業員のマイケル・ハードウィックが酒酔い運転で警官に摘発された。罰金の支払いで行き違いの生じたハードウィックの自宅に、後日ある夜、当のその警官が家宅捜索令状を持って入り込む。

 そのとき、ハードウィックは寝室で他の男性と性行為を行っていたのだった。警官はその2人の性行為を陰から観察し、2人ともをジョージア州のソドミー法違反の現行犯で逮捕したわけだ。

 ハードウィックは逆にソドミー法は憲法の保障するプライヴァシー権違反だとして、州を相手取り、同法の無効を求めて訴訟を起こした。これは最終的に連邦最高裁まで行き、86年、当時の最高裁は5対4という僅差で同州のソドミー法をプライバシーを侵害したものではなく公共の利益の観点から合憲としたのだった。

 当時の新聞の見出しには「最高裁、ゲイセックス禁止にOK」。ここで“晴れて”同性愛者の性行為は違法になったわけである。昨日までずっと違法だったのだ。

 しかし、ここで気をつけたいのは、アメリカのいかなる法も同性愛それ自体は違法とはしていないということ。同性愛者にとって違法なのはその性行為なのである。

 が、さらに重要なことは、にもかかわらずこれらのソドミー法が同性愛者自体を「生来の犯罪者」として見なす絶対的な風潮を生んだということである。つまり、存在は“合法”とせざるを得ないが、同性愛者たちは「どうせベッドで犯罪を犯している連中」であり「二級市民」だったのである。

 ここからすべてが始まる。住居の選定や就職問題から親権やドメスティック・パートナーシップにいたるまで、いかなる領域でも差別と偏見を持って然るべきなのだというその法的根拠は、このソドミー法なのだった。

 今回の最高裁の判決はこのハードウィック裁判を直接再審で裁いたわけではないが、同じような事件があったテキサス州のソドミー法に関して違憲と宣言したその切って返す刀で、86年のハードウィック裁判での最高裁の“誤り”をも認めたのである。そして、現在13州に残る「ソドミー法」(これは68年には全州に存在していた。6年前の97年時点でもまだ半数の25州で有効だった)すべてが違憲である、と言った。

 「同性愛者をその性行為によって貶めてきた最高裁判決は誤りだった」と、その当の最高裁が謝罪したのである。

 さあ、これは大変なことだ。

 日本のメディアはいままでヨーロッパのオランダやベルギーでの同性間結婚のことを報道してきた。カナダもつい最近同性間結婚の合法化に踏み切ると宣言した。そして、アメリカのこの動きである。それも保守的なブッシュ政権下でのこの最高裁判断。昨日は1日中、米国ではあちこちのテレビのニュースショーで大討論会が繰り広げられていた。

 大統領選に立候補したこともある保守派の論客パット・ブキャナンなど「プライバシーの名に隠れて、これではベッドルームではどんな犯罪行為をやってもよいということになる」と発言し、人権活動家から「同性愛は犯罪ではない」と反論され、「しかし、多くの米国人はホモセックスは異常だと思っている」と抗弁したとたん、最新の世論調査を示され言葉を濁した。

 その調査は「アメリカの成人の65%は、同性間セックスも異性間セックスと同じように合意の2成人の間では認められるべきと考えている」というものだった。65%というのは、大多数といっていい数字である。だいたい、どこの国家が他人の寝室に踏み込んで犯罪を摘発しようとしたか。それは全体主義国家のすることである。

 これは「同性間結婚」とか「ソドミー法違憲」とか、そういう現象的なことを報道するだけではほんとうはダメではないのだろうか。何か大きな、パラダイム自体の変容が今、欧米で起きている。それは何なのか。それを、こんな旬なジャーナリスティックな歴史の胎動を、日本の新聞・テレビの報道人はそろって見過ごしている。そう感じられる。これはいったいどうしたことなのだろう。

 揺り戻しも激しいアメリカのことだから、これからも紆余曲折はあるだろうが、しかし確実に言えることはアメリカもまた足かせだったソドミー法が消えることで同性間結婚に向けて動き出すということだ。同性愛者を犯罪とするいかなる法的根拠もなくなるわけだから。

 アメリカがそうなったら日本はどうなるのか? 今からでも準備しておかないと、それはけっこうきつい話になるのではないか。いったい、なにがどうなっているのか、欧米という「世界」の趨勢を、今からでも遅くはない、きょとんとしていないで新聞・テレビという大衆メディアこそがリポートすべきなのである。

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