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August 01, 2006

第7回 Gay Games シカゴ・ルポ

 向こう岸など見えるはずもない海のように巨大なミシガン湖を横に、シカゴの街は例年にない猛暑に包まれていた。7月15日(土)の夕刻、第7回ゲイゲームズの開会式場であるNFLシカゴ・ベアーズの本拠地スタジアム「ソルジャーフィールド」(6万2千人収容)へと続く通りは、四方八方からやがてひとつにまとまる長く晴れやかな人びとの列で埋まっていた。

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 「こんなに客がいるシカゴは初めてだよ」と、開会式へと向かうタクシーの中で、アフリカ・ナイジェリアから15年前にシカゴにやってきた運転手が言った。何かが行われることは知っていたが、具体的に何のイヴェントなのかはよくは知らなかったようだ。「はあ、国際競技大会なのか。道理で人がいるわけだ」。けれどナイジェリアといえば昨年、同性間性行為を認めた男性が石打ちの刑で死刑になったイスラム教とキリスト教の国だ。

 もういちど「ゲイの国際大会なんだよ」と意地悪にも念を押してみる。「そういうのには抵抗はないの?」。なんだかへらへら笑いながら、運転手は「おれはジャッジメンタルじゃないよ」と流す。「客は客さ」

 そう、ここはナイジェリアじゃない。アメリカ第2の経済・金融拠点で、市内人口は285万。周辺部まで含めると1千万人近い人が生きる大都市圏だ。中心部には世界1の高さを誇ったシアーズタワーがそびえていて、市内北部にはゲイエリアとして有名な「ボーイズタウン」がある。あのストーンウォールの暴動の翌年からゲイの人権デモがここでも行われ、いまそのゲイ・プライドマーチはサンフランシスコやニューヨークに次ぐ全米で3番目の規模を誇る。

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 開会式に先立ってプレスIDの申請にダウンタウンのシカゴ・ヒルトンに行った。1500室以上を持つこのホテルの建物はまるごとゲイゲームズに協賛して、ロビーから会議室から宴会場まですべてが貸し切り状態。ヒルトンはここだけでなく、近くの豪華パーマーハウス・ヒルトンも「ハブ・ホテル」として大会委員会に提供した。シカゴ観光局ももちろんゲイゲームズと提携。市内の20ホテル以上約4万部屋を最大50%引きの割引価格で選手や応援客に提供することに尽力した。

 シカゴ・ヒルトンは選手申請や宿泊手続きでごった返していた。あちこちにレインボウフラッグが飾られ、地下ホールでは健康用品や観光など各種ゲイ関連の商品展示会が催されていた。ゲイゲームズ関連ショップは初日だというのにすでにお土産を買い求める世界中の人で埋まっていた。そのみんながにこやかで、ID申請の長い列も苦にならない。係員はみんなシカゴの大学生や一般市民のボランティアなのだ。コンピュータ操作に手間取ったってそれは愛嬌。「あら、もっと時間をかけてもいいわよ!」だなんて、若い学生スタッフの前でキャンピーな会話が始まったりもする。
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 「ゲイゲームズをシカゴは誇りを持ってホストする」とシカゴ観光局の副局長ブラッド・ルイスは言う。「この街がとてもゲイフレンドリーな観光地だとだれもにわかってもらえるはず」。ゲイゲームズの開催が発表されて、宿泊問題でコンタクトをしてきたのはホテル側のほうだった。全面的なサポートを行う、と確約しながら。

 結果、この大会及び関連イベントの8日間で、シカゴにやってきた人は予想を40%も上回る14万人。大会のチケット販売も予想の5割増で、市全体に落ちたお金、つまり経済効果はなんと1億ドル以上(120億円)とも推計された。そういえば、モントリオールのアウトゲームズも、同じく1億ドルが街に落ちたと発表している。

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 「いまもゲイゲームズは将来の開催都市を探してるんだ。で、近い将来、いつかアジアでぜひやりたいんだよね」と、大会副会長のケヴィン・ボイヤー(43)が言った。「日本はどうかな?」

 虚をつかれた。「うーん……」と言いながら次の言葉が出てこなかった。いろんな考えが頭を出たり入ったりした。5秒ほどして、「ああ、できる日が来るかもしれない」と思っていた。

 東京で石原慎太郎が2度目のオリンピックに名乗りをあげたのはもちろんその経済効果を狙ってだ。ならば1週間強で1億ドル。これは美味しい話ではある。石原の構想や発想にはないだろうが、たとえばまた札幌はどうだろう? オリンピック招致で東京に負けた福岡は?

 街じゅうに世界中のLGBTたちがあふれる。みんなにこやかでたのしくて、「いちど日本に来てみたかったのよ。こんなことでもないと来れなかったわ」と、たとえば60歳のレズビアンのおばちゃんサイクリストがうれしそうに話す。そんな光景があちこちで展開する。なんだか夢のように遠い風景に見えるけれど、そこへの道はここからもかならず続いている。いや、ぼくらの後ろに道はできる。

 「うん、開催できるかもしれないね」と、ケヴィンとふたりでうなづいていた。

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 なかなか暮れない真夏の空の下で、やがて照明の灯りはじめたソルジャーフィールドの大観客席が銀色に染まってきた。

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 午後8時、開会式がスタート。ABC順に参加各国の選手たちが入場してきた。前回4年前にシドニーでゲイゲームズをホストしたオーストラリアがやはり千人規模の大選手団を送り込んできた。12年前まで戦争をしていたボスニアからは2選手が姿を現した。急な申請だったのかプラカードは間に合わなかったようで場内アナウンスだけ。なのに大きな拍手が起きる。モントリオールでアウトゲームズをホストするカナダからも千人単位の選手たち。中国からは5人が開会式に。イスラエル、イタリアと続いて、やがてJAPANと大書された縦書きのプラカードの向こうから水泳に出場する日本人4選手が甚平姿で現れた。

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 ゲイプライドでもそうだけれど、浴衣とか甚平とかいうのはじつに観客の受けがいい。たった4人でこんな大歓声を受けるのは珍しい。もっとも、ウガンダやジンバブエといった、やはりアフリカの同性愛を刑罰の対象とする国家からの参加選手は、たった1人での行進でも満場の喝采を浴びていた。それはしょうがない。「勇気」は、このソルジャーフィールドにカムアウトしてきたすべての人間が、かつてもいまも共有する大切な防具だ。

 アメリカの選手入場が州ごとに始まる。テキサスは全員がカウボーイハットで決めた。もちろんあの「ブロークバック」を意識して。カリフォルニア州、ニューヨーク州の大選手団に負けず、ホスト都市シカゴは2500選手を登場させた。観客席の声援はピークに達した。

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 全員が開会式に姿を見せたわけではないが、今大会の参加者は世界70カ国・地域から1万2千選手。ゲイゲームズはいまでは、本家オリンピックを抜いて世界で最大の競技参加者を誇る国際スポーツ大会。もっとも、ことしはアウトゲームズも111カ国から同規模の参加選手を集めて、ゲイ関連大会が世界のスポーツ界を睥睨した感もある。

 次回ゲイゲームズは4年後のドイツ・ケルン。アウトゲームズは1年前倒しの09年にコペンハーゲンへと向かう。
(了)

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 【開会式でのシカゴ市長リチャード・デイリーの挨拶(抄)】

(シカゴのスポーツ施設は世界クラスで、ゲイゲームズ開催に最適の都市だ、などとしたあとで)そしてなにより、ゲイ男性・女性がシカゴでは大歓迎だということです。(略)多様性が私たちの街を強く豊かにエネルギーあふれたものにするということを知っているからです。

(略)3週間前にここにいらしていたら、雨の中、ゲイ&レズビアン・プライドパレードに40万人の人出があったのを目にしたことでしょう。すべての年齢層から、すべての収入層から、すべての生活層からの参加者たちでした。ゲイとレズビアンのコミュニティは私たちの兄弟姉妹であり、息子や娘です。彼らは母親であり父親であり、医師であり銀行員であり学校の教師であり工場の労働者であります。そうしていまここで目にしようとしているように、彼らの多くはなんともすばらしいスポーツ選手でもある。
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シカゴ市はLGBTコミュニティに早くからドメスティックパートナーシップやコミュニティセンターなどを提供しています。LGBTコミュニティも想像できる限りの方法で市に貢献しています。ビジネス、教育、文化芸術、都市開発。市が彼らの味方であるのは当然のことであり、少なくとも私が市長である限りそれは続きましょう。

もっとも、不幸なことにすべての場所がシカゴのようにオープンかつウエルカム、というわけではありません。世界のさまざまな国でLGBTは暴力や警察による迫害や検閲や差別を受けている。このアメリカですら多くの州で、連邦政府でさえもが、選挙で容易に勝てるからとして反ゲイ立法を推し進めようとしています。そう、LGBTの人たちが他の社会構成員と同じ権利を享受するためにはまだまだやらねばならぬことが山積している。

前進するために、ゲイゲームズのモットーを全世界に広げましょう。「参加すること、包み入れること、ベストを尽くすこと」。ゲイゲームズはLGBTに誇りを与えようと創案されました。しかしゲームはすべての人に門戸を開放している。すべての人に平等なこと。これこそ私たちのコミュニティの立脚点です。シカゴの拠って立つところでもあるのです。

さあ、みなさん、大会を楽しんで、シカゴで素晴らしい時を過ごしてください。
(了)

【サイドストーリー;世界の真ん中でJAPANを叫んだスイマーたちへ】

世界の真ん中でJAPANを叫んだスイマーたち

 「こんなにたくさんいるんですねえ」と、ソルジャーフィールドを埋める3万人もの選手や観客を眺めながら、この日の夕方に東京からシカゴに着いたばかりの彼は感極まるようにつぶやいていた。本名は言えない。36歳、だれもが知る大手企業でだれもが知るコンピュータソフトの開発に関わっている。けれど彼がここに来ていることを、社内のだれもが知らない。

 つい先ほどまで眼下のフィールドで世界の数千人のLGBTアスリートたちに混じり、「JAPAN」のプラカードと日の丸のもとで開会式の入場行進に参加していた。日本からの参加は水泳チームリーダーの彼以下4人。そろいの甚平姿は「すごい人気で(他の国の選手に)いっぱい写真を撮られました」とうれしそうに話す。

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 頭ではわかっていた。けれど目に前にある「こんなにたくさん」の具体は口が開くほど圧倒的だった。性的「少数者」だなんてだれが言ったのだろう。それに、全米で1、2といわれる立派な競技場をわがもの顔に使っているだなんて。こんなにしっかりした大会だとは想像していなかった。

 水泳は体が鈍ってきた社会人になってから始めた。ゲイゲームズのことは前回シドニー大会にも出たチームメートから聞いた。東京では8年前からゲイの水泳チームにも所属している。このチームには名前がない。いや、決まった名前がない、というべきか。競技会ごとに名前を変える。アレがゲイのチームだと噂になったら困るから、そのとき限りの名前で泳ぐのだ。名指しの指をすり抜けるように。

 「でもね、東京にもこれだけオカマ・スイマーズがいるんだってことを、どうにかしてアピールしたかったんです」

 名前を持たない者たちの、存在の証。ぼくはここにいるというささやかな叫び。まじめで実直そうなエリート会社員の彼にとって、それはいきなりゲイゲームズだった。2年前から準備が始まった。

 さらに考えた。「JAPAN」をアピールするにはどうしてもリレー競技に出たかった。それには4人の泳者が必要だ。しかし7月中旬の開催というのは、日本では企業で取る夏休みにはまだ少し早すぎる。じっさい、今年はじめに集めた4人のリレーチームのうち、1人は急に夏の仕事ができて参加不能になった。ほかにシカゴまで行ける仲間は見つからなかった。しかしどうしても4人で行きたい。ならば、アメリカにはだれかいないか。日本人ゲイで、いっしょに泳いでくれるやつが。

 4月、ゲイ関連のアメリカの日本語の掲示板にスイマー募集と書き込んだ。「いっしょにシカゴに行こう。ゲイゲームズでリレーを泳ごう」と。

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 サトシは9年前に日本からアメリカに渡った。20歳だった。ホテルマンになりたくて大分から東京の米国系大学に進み、それから留学の道を選んだ。希望進路はいつしかアートやファッションに変わり、NYの有名デザイン大学FITでメンズウェアを学んだ。色々なところで働き履歴書を書き込み、いまはNYのアパレルのデザインハウスで働く。

 NYには、英語ではなく日本語でコミュニケートしようという「日本語で喋るゲイの会」というサークルがあって、サトシはそこの何代目かの代表も務めている。アメリカ人も日本語が話せる人だけ入会できる、ちょっと逆差別っぽい意趣返しというか、シャレというか、そんな変な親睦会だ。サトシはそこで仲間を募ってBBQをやったり誕生会を催したりクラブに行ったり、それだけでなく自分でNYマラソンを完走したりとじつに活動的だ。

 だが、それも彼なりのルサンチマンの昇華法だった。九州男児だった。自分がゲイだとはどうしても言えなかった。東京でも、NYに来てからも長いことカムアウトできなかった。FIT時代はルームメートがゲイだったのに自分もそうだとは言えなかった。そのうちにおかしくなった。情緒不安定。クラブ通いでドラッグをやるようになった。5、6年前のことだ。眠れなくなった。このままではいけないと思った。よく眠るためにまずは体を動かそうと思った。そうして、カムアウトも。
 この世の果てだと思ったカミングアウトは、この世の始まりだった。それはカムアウトしてみないとわからないことだ。薬もやめられた。ジムとジョギングが日課になった。ゲイやビアンの日本人の友人もNYでたくさんできた。

 そうしてことし4月、「日本語を喋るゲイの会」のリンク先の掲示板に、ゲイゲームズでスイマー求むの書き込みを見つけた。世界の中心で「日本」を示したい、と彼も思った。メールを出すのに躊躇はなかった。なにせ15年前、大分・滝尾中学では水泳部のキャプテンだったのだ。「おかまだったんですけどねえ。あはは」

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 こうして4人はつながった。そんな彼らの「日本」は、きっと歴史上のどのナショナリズムともちょっと違う。それはむしろ「名乗り」に近い。日本を世界にカムアウトさせる営みに近い。そうじゃなきゃ日本に誇りなど持てない。日本に誇りを持ちたいがための彼ら自身による身代わりの名乗り。

 入場行進で掲げられた「JAPAN」のプラカードは、1万人の選手の中で迷子にならないように懸命に手を振る、いたいけなアジアの子供のように健気だった。

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 で、結果報告。

 2年前のアテネ五輪の日本の水泳チームの水着を、当時4人分買い込むまでして臨んだ男子200mメドレーリレーは、不慣れな英語によるエントリーミスで出られず。これはとんだ笑い話。

 サトシは5月からの特訓むなしく自由形100、平泳ぎ50とも「書かなくていいですよ」と敗者の弁かつ一念奮起の形相。チームリーダーの彼はリレーのショックから1日目はコース間違いもおかして泳ぐことすらできず。しかし気を取り直して臨んだ2日目は200m平泳ぎで数年ぶりの自己ベストを更新して35〜39歳部門で20人中8位の成績。その他2人のチームメートは、シドニーにも出たAさん(36)は自由形800の35〜39歳部門で堂々の6位入賞、今回初出場のBさん(30)はメドレーと平泳ぎで健闘するも入賞ならず。

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 後日、チームリーダーの彼からメールが届いた。こうあった。

 「先週からチームの練習会に復帰し、東京のオカマスイマーズに今回のシカゴの体験談を聞かせています。意外にも20代後半くらいの人が興味を示してくれています。僕的には、こうやって少しでも多くの人に興味を持ってもらう事を続けていれば、いつかは日本でGayGamesが開催される日も来るんじゃないかな〜と途方もないことを考えております」

 いつも希望は未来にある。次回のケルンこそはリレーに出るぞ、と笑う彼の4年後の未来は、だれか社内からの応援もきっと得ることになるはずだ。4年とは、そのための時間でもある。

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(了)

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<<ちょっとギャラリー>>
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ミシガン湖を舞台にヨット競技

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アイスホッケーの観客席にはこんなかわいい応援団も


そうそうたるGayGamesのスポンサーたち(クリックすると大きくなります)

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アメリカン航空もゲイフレンドリー

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だれでも参加できるのが GayGames。本家よりもオリンピックの精神を体現する世界最大の祭典だ。

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何をか言わんや……