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November 28, 2004

永易さん──「にじ」休刊にあたり

おそらく、海外事情を伝えられようと、日本の事情を伝えられようと、あるいは隣家の事情を伝えられようと、自分のリアリティをさえ遮断してしまっているときにはむしろ逆に「痛み」を感じないようにと、自分自身の内部ですら立ち回るのかもしれません。すべてはそうやって遮断されるのです。個人が世界と断絶しているのも、日本が世界と遮断されているという幻想も、みなそういうメカニズムなのでしょう。日本はLGBTだけではなく、社会そのものが巨大な身内のクローゼットのようです。

無反応の理由、というよりも、「無反応」のなりから抜け出さないでいる理由の根っこはわかっているのです。「にじ」に、無反応だったというのではなく、無反応のなりをしているのがいちばん楽だった、ということなのでしょう。カムアウトしないのがいちばん楽であると思うとき、私たちはリアリティを犠牲にせざるを得ない。そしてその犠牲をすらも楽だと思う擬勢が、次のウソを発明するのです。

私は、カムアウトは時と場合による、という謂いをじつは信じていません。処世としてはいろいろな方法もTPOもあるでしょう。しかし、それは時と場合にはよらず、結論として絶対にカムアウトなのです。そうして初めて批評の土壌に出ても行けると思っています。そうしてその場合、カムアウトはべつにセクシュアリティの固定化には関与しません。むしろおっしゃるサムソン高橋さんの変遷こそがカムアウトなのだ、という意味においてのカムアウト。身内のクローゼットからの大きなカムアウト。それは自己の問題だけではなく、他者を認識するという問題でもあるはずです。

「ほとんど反応はありませんでした」とお嘆きなさるな。
私たちはそこから始めたのではなかったか。そこ以下には引き下がりようもなく、また引き下がらぬとの意志的な思いにおいても。

あなたが「にじ」を始めたのは、そうする以外になかったあなたの誠実であり、あなたの切実でもあったと思います。「自分がゲイもの企画をやったり、『にじ』を自媒体で紹介して、「疑われる」のは困る」という人々は、しかし、そういうウソのほうを楽だと感じているのでしょう。ですが、あなたといちばん最初にお会いした14年前にはいなかった軽々とした若者たちが育っているのも確かです。

「当事者である書き手のがわの内面化されたホモフォビアをかえって刺激し,沈黙させるしかなかった」という事情は、日本の(あるいは東京のギョーカイの)事情を知らぬ私には論評しかねますが、私はホモフォビアともう一つ、もっと日常的な、ゲイネスですらクローゼットなりに急速に日常化してしまうような情報消費社会のかったるさが相手なのではないかと思っています。ちょうど、「なべてこの世は事もなし」と呟きつづけた大江健と、風呂に浸かりながらこの平和な日常に負けたのだと思った高橋和巳の呟きの表裏一体さのような。

LGBTのジャーナリストネットワークというのは、おっしゃるように、自分のネタを共有し合うようなものではないでしょう。書き手はつねに、その種の共同作業が苦手なものです。わたしが新聞社を辞めた理由も、じつは共同作業を監督責務とするようなポストになってしまうからでした。

書き手と編集者という共同はありますが。ご紹介したNLGJAもそういうことは行っていません。各自、自分の仕事は自分でやり、この場は若いジャーナリスト志望者へのセミナーやワークショップを行ったり、あるいは講演会を催したりといったことに使っているようです。さらには、LGBT関連の優れたジャーナリズムの業績の顕彰活動。また、LGBT報道への監視ですね。

もうひとつ例に挙げたAGPも多くのワークショップを行っているようです。AGPのように、LGBT関連のジャーナリズムに関するレクチャーやワークショップを開催するのも面白いと思います。ジャーナリズムに限らず、広くマスメディア一般にかんすることでも。

とにかく数を集めたい。そうして、本名は出せなくとも責任をもって、そのネットワークの名前で発言も行っていきたい(ジャーナリズムのネットワークとしては政治的にはニュートラル=不偏不党ではありますが)。

事務局作りとか、そういうロジスティックももちろん必要でしょうが、まずは参加者の数です。永易さん、あなたの目にかなうようなネットワークを作りたいと思います。その際にはぜひお力添えください。

引き続き、このネットワークのリストへお名前をお寄せください。
yuji_kitamaru@mac.com
です。

November 26, 2004

ハッピー・サンクスギビング

ぼせさん、KREATIVE35さん、前回のブログへのコメントありがとうございます。

おかげさまで、ぽつ・ぽつ・とではありますが反応のメールもいただいています。
メールをくださった方々もありがとうございます。

しかし、よく考えると、「プロのジャーナリストのみなさんへ」というのは正確ではなかったかもしれません。

プロのジャーナリストはもちろんのこと、プロのジャーナリストを目指す人も、あるいは情報・意見を責任をもって広めたい人も、さらにはLGBT以外のジャーナリストでLGBTに同伴したいと思っている人も、いろんな人への呼びかけでありたいと思います。ぼせさんのブログ(http://blog.livedoor.jp/bose_web/)から飛んできてわたしにメールをくださった方は報道の世界には直接関係はなくても、情報を発信することを通じてこのコミュニティーになにかを為したいとおっしゃっています。

まだまだ「ネットワーク」を構成するに至るには時間がかかるかもしれませんが、こういうのは歴史ですから、拙速は目指しません。具体的な構想もまだですけれど、いま私のアタマの中にあるのは、日本ではLGBTの医療・社会福祉関係者のネットワークであるAGP(http://homepage2.nifty.com/AGP/)の活動とか、ひいては米国のThe National Lesbian & Gay Journalists Association(The National http://www.nlgja.org/index.html)に匹敵するようなものへの発展です。

また段落ごとにご報告します。
気長にお見守りいただければ幸いです。

さ、今日はこちらはサンクスギビング。
友人宅にお呼ばれだったのですが、そこのオブンが壊れてしまって、急きょ我が家でパーティーをやることになりました。七面鳥を焼くのは久しぶりです。4年ぶりかな? 15kgあるので4時間はぶっ込んでないとダメですかね。

ではでは。

November 21, 2004

プロのジャーナリストの皆さんへ

バディの新しい号が届きました。
DVDも付いていて、これで1500円というのは安いかもしれませんね。レインボウマーチのクリップだけでなくちゃんとポルノも入っていて、きちんと買うとこういうのは日本じゃもっとするでしょうに。ふむ。メディアミックスというわけですか。企業努力でしょうね。

その中でいつも読んでいる伏見君のコラムで、コミックやフィクションの(当事者の)フリーの書き手は育ってきている,「大きく水準が上がってきている」、にもかからず、ノンフィクションが弱い、ということが載っていました。

まさにそのとおりなのです。
わたしもその分野にいるのでわかるのですが、その理由は、おそらく伏見君もノンフィクション、というかルポルタージュにトライしたことがあるからわかっていると思うのですが、あれはカネがかかるのです。おそらく、ひとえにそれが理由です。

小説とかコミックは、あれは1人でできる作業です(違う人もいますが、基本的に、ということで)。夜、ひとりで書くことができる。
しかし、ルポルタージュは、昼に作業をしなくてはならない。いろんな人に会って、その人の時間をもらい、そうして、信頼をも勝ち取って、さらにそれがどういうように形になって世に出るのかということまでを折伏して、そうして初めて作業を進めることができる。これは大変な労力です。インタビューをただまとめるのとはまたちがう。生活のほとんどをかけなくてはできないのです。

そうやって時間と労力と、つまりはひいてはお金とをつぎ込んで、しかも、ジャーナリズムの訓練もきびしく積んでいなくてはならない、という場合、これは、個人の努力ではなかなか難しい。小説を書くのとは次元が違うのです。もちろん、フィクションとノンフィクションの、どっちの次元がすごいというものではなく、たんに物理的に違うのです。それがいまのマーケットで、コストパフォーマンスからいってどちらが有利なのか、という、たんにその違いなのではないか、と思うのです。小説は、自分の経験からいっても、気が楽なんだ(精神の消耗の仕方が違うという意味で)。

伏見君は産經新聞の宮田くんのことを引き合いに出していますが、ぶっちゃけた話、エイズ関連でずっと彼が第一線でやってこれたのも、あれは産經新聞に勤めていたからです(宮ちゃん、言わせてね)。彼も何度もフリーになろうとした。しかし、それはできなかった。フリーになってエイズのことだけを追っていては食っていけないし、そればかりかエイズの記事を載せてくれる媒体すら見つからない、という現実があります。だからこそ彼は産經新聞内で頑張ってくれているのです。

それは、社会の問題です。つまりは、マーケットの問題です。ノンフィクション分野の成育ほど、社会の様相を反映しているものはないのではないかとおもいます。ジャーナリズムの国、アメリカですら、LGBT関連のノンフィクションは、ジャーナリズムは、他の分野に遅れて最後に形成されたのです。

ではどうすれば育つのか。
それは、フリーランスではかなり難しい。
そのフリーランスの土壌を開くためにも、もうそろそろ、メディア内部のGLBTをまとめあげる時なのかもしれません。ずっと考えていたことなんですが。
いや、なにをすべきというのではなく、まずはニュースレターなどを回して、緩やかなネットワークを形成する。さてさらにそのあとに、どうするか。

いまアメリカのLGBTのニュースメディアは、ジャーナリズムのプロの集合体であるブロッグ形式でのニュース投稿をやりはじめています。この大統領選挙の前後では特にブロッグへの移行が目立ちました。

ただしネットの落とし穴は、みんなが発信者になってしまって、どれが信頼のおける情報なのかわからなくなっているということです。デマですら体裁の良いニュース記事の顔を装うことができる。ブロッグでもそうです。

そういうときに、プロのメディアの連中がメンバーとして自分なりにニュースソースを咀嚼して責任をもってブロッグ投稿する、そういう掲示板的なサイトが必要かもしれません。
そこから何が生まれるかは、わかりません。
でも、何かが生まれるかもしれない。
さて、それをそろそろやってみましょうか?

これを読んで下さっているプロのジャーナリストの皆さん、フリーランス、あるいは企業内記者の方、自分の仕事の空いている時間に、LGBT関連のニュースを自分の取材範囲の中から取り上げ、どこかに発表・投稿したいと思っている方々、わたしまでまずはメールでご連絡いただけませんか。

そういう方が、10人、あるいは20人くらいになったら、そういうプロのジャーナリズムのブロッグ板を立ち上げるというのはどうでしょう。

私も忙しいですが、どうにか事務局を立ち上げたいと思います。
参加してもよいとおっしゃる方、わたしまでメールで連絡ください。
まずは参加者のリストを作ってみます。とりあえずはネットワークです。
わたしのメールは
yuji_kitamaru@mac.com

ここに、ご自身の名前(本名の他、ハンドルでも,あるいは両方でももちろん結構です)、所属報道機関名、またそこでの経歴、経験年数(ご年齢でも結構)、あるいはフリーランスならばどういう分野でどういうお仕事をなさって来たかということ、ご住所,電話番号、メールアドレス、さらにはどういう分野でのLGBT関連の報道に興味があるかということ、あるいはご要望、ご意見などを添えて、メールいただけませんか?

ネットワーク内でも、情報は開示してよいもの以外は開示いたしません(わたしだけが知っているということになりますが)。

さて、この提案は、どこまで届くでしょうか。
ご検討ください。

北丸雄二拝

November 19, 2004

イギリスでも“結婚”

イギリス人の恋人がいて、この夏にニューヨークを引き払ってロンドンのその彼のもとに行ってしまった日本人の友人から、英国上院でシビルパートナーシップ法案が会期切れ一日前に可決したというメールが飛び込んできました。しかも251対136の大差。よかったね、イギリスに住んでる人たち。保守党党首のマイケル・ハワードもこの法案を支持してたというから、イギリスもこれで同性カップル認知においてとうとう21世紀に入ったわけですな。

私の友人も、これで恋人と“結婚”して,晴れてイギリスの永住権も獲得できるわけです。メールの文面から、うれしそうな様子が伝わってきました。この法律がなければつねにビザの更新を心配しなくてはならないし、そのことで疲弊して恋人との仲も悪くなるカップルはたくさんいるのです。かなしいことに、「愛」は物理的なものに勝てないこともあるんだよね。

なぜか、アメリカのメディアは完全無視で、英国関連ではキツネ狩り禁止法が成立というニュースばかりです。「結婚」じゃあないからかしら? 不思議だなあ。今夜あたりのニュースに出るのかなあ。

しかし内容は結婚とほぼ同じです。名前が違うだけ。
年内に女王のお墨付きをもらって法律として成立します。それからこのパートナーシップ法に合わせて税法とか年金法だとかの書き換えが行われて地方の役所段階でも受付業務変更の訓練なんかもやって、来年の秋には晴れて同性“結婚”第一号が誕生する見込みです。
イギリスのゲイサイトでは早くもみんなの喜びの声の書き込みが殺到しています。そういうのを読んでるだけで幸せな気分になれます。いいなあ。よかったなあ。

翻ってアメリカは、という話はやめましょう。
ブッシュの新しい駐日大使になるやつが、トマス・シーファーだそうです。やっぱりテキサス人脈で、石油や天然ガス、野球がらみでブッシュのビジネスパートナー。

ね、こりゃやっぱり、完璧な論功行賞政権ですわ。

November 16, 2004

断罪の社会

(改訂版)
 もう選挙の必要がない2期目のブッシュに、かつてレーガンの2期目のような「思いやりのある保守主義」を期待する向きもあるのだけど、選挙後この2週間で出てきた政権の動きは残念ながらそうではないようです。

 みなさんもうご存じのように、選挙直後にこの勝利の仕掛人だった大統領政策顧問カール・ローブは、一度破れたはずの同性婚禁止のための連邦憲法修正の成立をいま一度図ると早ばやと表明しました。

 続いてブッシュが命じたイラク・ファルージャへの総攻撃は肝心のザルカウィ一派の中枢を獲り逃して地元反米勢力の若者たちら1600人を殺害するだけの、相変わらずの力任せの軍事行動です。昨夜はCNNをはじめ各局ともが、ファルージャのモスクで重傷を負って横たわっていた“武装勢力の1人”が「こいつ、死んだふりをしている」と叫ぶ海兵隊員によって銃で頭部にとどめを刺される映像が(肝心の瞬間は音声だけで)流されました。こういうことは戦場ではおそらくよくあることなのでしょうが、湾岸戦争以降のアメリカの戦場の内実はほとんど納税者には知らされないようになりました。戦争報道とは事実であればあるほどそのまま反戦報道であり、良き戦争映画もまたそのままどうしても反戦映画にならざるをえないという宿命があります。ホワイトハウスはこれでまた取材規制を強めるでしょう。

 というか、すでに竦(すく)んでしまっている社会のようすが先週の「プライベート・ライアン」の放送自粛の波からも窺えます。4文字言葉など暴力的な表現が多かったから、というのが退役軍人の日の放送を見送ったABC系列の3割以上を占める地方局の言い分でしたが、この映画はすでに2度、アメリカでは放送されているのです。それが今度は怖じ気づいた。表向きはFCC(連邦通信委員会)からの罰金が恐い、ということになっていますが、さて、厭戦メッセージを嫌ったからではなかったのかと勘ぐりたくなるような社会のムードなのです。

 そればかりではありません。ホワイトハウスは元UPIの名物記者ヘレン・トーマスさん(84)をこれまでの指定席だった記者会見室最前列から最後尾の席に“追放”してしまいました。ヘレンおばさんは、イラク戦争を恥知らずとののしりブッシュを史上最悪の大統領をこき下ろしている人です。1961年のケネディ政権以来ずっとホワイトハウス付きのジャーナリストとして活動し、一定の尊敬を受けている彼女がブッシュを観察してそう判断した。そうしたらあっという間に末席に追いやられた。

 笑ってしまうのは例のスペインの新首相からの再選お祝い電話をブッシュがとらない、という報道です。スペインはマドリッドの列車テロで200人近い死者を出して総選挙で政権交替になってしまい、そうして就任したいまのこのサパテロ首相がイラクからの撤兵も決断した。ブッシュにとっては裏切り行為に他ならなかったのでしょう。で、そんなやつからの祝い電話など取りたくもない、ということなのでしょうが、まったく大人げないというか、まあ、そういう精神性、精神年齢なんでしょう。

 極めつけは健康上の理由から辞任した悪名高きアシュクロフト司法長官の後任者の指名でした。後任のアルベルト・ゴンザレス(49)の名前を聞いたときは、なるほどそうかと思いました。ブッシュは包容など目指していないようです。こいつ、またやる気なんだ、という感じが、ほとんど確信に変わりました。

 ゴンザレスってのは「初のヒスパニック系司法長官」と紹介されていますが、マイノリティー出身だからといって穏健派かというととんでもありません。今回の選挙でも大多数のマイノリティーは民主党支持でしたが、数少ない富裕層のマイノリティーは圧倒的にブッシュ支持だった。現体制にうまく順応した少数派出身者ほど体制忠誠に傾くのは自然なのかもしれませんが、このゴンザレスも例に漏れずテキサス人脈の1人で、石油産業界専門弁護士としてエンロンなど業界とのつながりも深い人物です。

 ブッシュの州知事時代には知事の法律顧問として知的障害者への死刑執行にもゴーをかけるなどした大変なやつです。続く大統領法律顧問としても02年1月、アフガニスタン戦争で拘束したアフガン人捕虜をジュネーブ条約の適用となる「戦争捕虜」とすると人権に配慮しなくてはならなくなるため、「戦争捕虜」ではなく「テロリスト」、つまり犯罪者だと規定して拷問的な尋問も可能にしたのはこのゴンザレスのアイディアでした。これが後にイラク・アブグレイブ刑務所での虐待につながるのです。とんでもない話でしょ。

 政権内唯一の穏健派とされていたパウェル国務長官も予想どおり辞任です。きょうはその下のアーミテージも辞表を提出しました。「融和」など望むべくもないような雰囲気が続いています。そうして今度はコンドリーザ・ライスが国務長官になる。なんだか、ゴンザレスといい、みんなアンクル・トムみたいな連中ばかり。しかも、よくよく観察していると、新閣僚はますますテキサスの金権集団の利益代表みたいな連中ばかりなのです。カネですよ、カネ。この新政権は一皮むくと我利我利亡者の地獄の門みたいな様相を呈しはじめているのです。

 そんな中、カナダは本当にシアトルとサンフランシスコ、ロサンゼルスの3都市で米国からの移民歓迎のためのセミナーを開くそうですよ。

 保守ってのにはかつて、「やさしく穏やか」というイメージもあったんです。でも、そこからだんだん離れて、アメリカではこの勝利をかさに宗教右派をバックにした「偏狭で断罪的」というイメージに変わりつつあります。勝ち誇る者たちの威圧的な君臨。ほんとうは選挙を勝たせたのは宗教右派ではなくてふつうの穏やかで敬虔なキリスト者たちだっただけなのに、その意思を翻訳すると宗教右派的道徳至上主義になってしまうのは如何ともしがたいのでしょうか。倫理主義者の顔をして、その実はカネに飢えた私利私欲の塊。まったくぐったりします。

 ところでふと目を日本に転じると、最近やたらとニュースに映る「いろいろお世話になったりご迷惑をおかけした世間に感謝/謝罪する被害者(家族)の映像」というのが気にかかりませんか? あの無事解放されたイラク人質事件での家族コメントへのバッシングあたりが始まりなんでしょうけれど、香田さんの遺族にしても、新潟の被災者にしても、北朝鮮拉致被害者の家族会にしても、だれもかれもがテレビの前でよくよく「世間」に謝意を表明し,深々と頭を下げる映像がこれ見よがしに強調されます。これって、とても断罪的な「世間」への怯えを透かし見せているのではないかと気になってしょうがありません。

目に見えない時代の雰囲気、とでもいうのでしょうか、それがなんとなく息苦しくなってきている。日本とアメリカは、いまそんな気持ち悪さがなんともいえず似ているような気がします。

November 14, 2004

ダウン

数日、サーバがダウンしてたようでここにアクセスできませんでしたね。
本日は復旧したようです。

先日、天皇ネタを書いたばかりですが、今回のあのお嬢さんの婚約内定報道を見るにつけ、皇室メディア(ってものがあるわけではないのですが、皇室に触れるその書き方、話し方)の気持ち悪さがたまりません。おいおい「くろちゃん」って何よ、ですわ。

日本のコミュニティって、自分以外は、身内か、よその人か、それともお客さんか、の3種類しか存在しないのですね。よその人は関係ないので、どんな罵詈雑言を言っても向こうには聞こえないと思っているし聞こえても関係ないと思っている。対して、親しくなったり親しくなりたいひとはみんな身内に準じてしまって、どんどんづけづけとその人の私生活に入り込んでも構わないと思っている、もしくは入り込むことこそが関係性を強化するものだと信じて止まない。

で、どこにも、自己と対等の他己、ってのが成立しないので、「公」が育たない。
まあ、この「他者」っても「公」ってのももともと西洋の概念なんでしょうけど、あんまりみなさん美容室でオカマかぶってるおばさん状態というか焼き鳥屋で説教垂れてるおじさんモードというか、そういうふうになっちゃってるのは、というか、それだけっていうのは、微笑ましいながらもなんとも鬱陶しいところもあるわけですわ。

身内モードって、心地よいですけどね、でも、「このスーパーでこれと同じ服を買った模様です」ってあの曽我さん母娘のショッピングをリポートされた日には、何なの、それ? じゃあないですかね。きっと今回もおなじようなレベルの話がこれからどんどん出てくるでしょう。どうでもいいんですけどね、どうでもいいことはどうでもいいってことを押さえておいてくれないと、なんとも情けない。

まあ今回は朝日は他紙が夕刊で後追いできないように日曜の朝刊でぶつけて、スクープって形なんでしょうか。でも、各社ともみんな知ってた本来はシバリのニュースなのでしょうから、いまごろ宮内庁記者クラブは朝日の抜け駆けにプンプンでしょう。クラブ出入り禁止とかの懲罰措置を話し合っているのでしょうか。

それにしても「紀宮さまと黒田さん、メールで愛育む」って見出し(朝日続報)は言葉を失います。本文はべつに悪くはない(とはいえ、「これまで候補者は何人も浮かんだ。しかし、『これまでは宮さまがどうしても胸に飛び込みたいとまで気持ちを動かされるには至らなかった』と、ある関係者は振り返る。」というのはすごい言い回しですけど)のですが、見出しはここまで俗悪にキャッチーにならざるを得ないのかなあ。

November 10, 2004

キャッチアップ

1)iPod Photo を見たときに、なんでこんな写真機能なんて持たすのかなあ、あんまりピンと来ないなあ、なんて思ってたら、昨日、アメリカ人に会ってわかった。こっちのひとってみんな家族とかの写真を持ち歩いてるのね。財布をパンパンにして。あ、これなんだわ。これからジョブちゃん、発想したんだわい。なるほどね。でも、日本人のぼくにはわからないかも。そうだなあ、持ち歩くべき写真。そういうもの、あるといいけれど。
 ちなみに、これ、iPhod って名付ければよかったのに。アメリカ人にはなんだかわからんだろうから意味ないけど、日本人にはわかるわね。

2)20年前に小説出したときに、「そんなうちに大相撲は大関陣全員黒星で幕を明け、西武は二位になっていた。」っていう文を入れました。そのときに、巨人のことに触れるのは意地でもいやで、それで西武を選んだんだけど、同時に、ずっと未来になっても西武なら存続しつづけるだろう、とふんだからなのです。というか、その小説はちょっと近未来で、その近未来でも存在しているようなものじゃないとだめだったわけで。
 その西武の身売り話が出て、栄枯盛衰というよりも、なんてんでしょう、あのライブドアと楽天の新規参入に関する審査というんですか、あの茶番を思ったわけで。だれも今後将来にわたってどこが存続するかなんてわからない。しかも、それをすべて球団経営に失敗して赤字を出しているようなところのオーナー連中が“審査”する。おいおい、審査されるべきはおまえたちなんじゃねえの、と、こりゃきっと堀江さんも三木谷さんも、内心、思っていたに違いないなあ、ってね。

3)たしか今春、2丁目のアクタで話をしたときに家族制度というか結婚制度の話で天皇制のことに話題が及んだときに、わたしとしてはいま、天皇が抑圧の象徴として出てくるという歴史的背景は横に置いておいて、もっと現実的というか日常のレベルでは、平和主義の象徴として登場してくることのほうが多くなるのではないか、それが日本の政界の反動連中に拮抗力を持つのではないか、むしろすでに、自民党右派の連中には、天皇は目の上のたんこぶなのではないのか、という話をしました。
 米長某が褒められたがりの小学生みたいに「日の丸を揚げ君が代を歌わせるようにしています」と言って点数稼ぎを図ったときに、「強制にならないようにね」と言った明仁は、まさしく彼らにはじつに邪魔な、おまけに厄介な存在だった。
 面白いですね。こういう傾向はかくじつに浩宮(なんていうんだっけ、いまは?)に引き継がれるでしょうから、日本の戦後平和憲法はすごいところで象徴的な平和主義者かつ民主主義者を産み出していたわけです。さあ、反動右派は、天皇制度排斥に動けるのでしょうか。右派=天皇主義であった近代日本の文脈の中で、彼らは重大なアイデンティティ・クライシスを迎えているのかもしれませんね。

4)ふと気づいた。あと、人生、20年しか残っていないかもしれない。アメリカに来て12年。20年って、そういう具体。iPhod 買おうかな(ウソ)。

November 09, 2004

ひとを裏切るということ

Uちゃんへ。

裏切りというのは、おそらくだれの心の中でもだいたいはマイナス価値の上位に位置するものだろうから、おそらく裏切りを為す人は、だれかが憎くて進んでそうするという確信犯以外は、自分じゃそれを裏切りだとは認識していない、というか、もっと別の理由付けを自動的に貼り付けていてそれ自体は裏切りだとは思わないとか、それはしょうがなかったのだとか思うようになっている、というか、もっと別の大義を意識の中心に置いてその裏切り自体のことは意識に上らせていない、ということなんだろうと思います。だから、裏切られた人はかんたんに、全面的に、裏切られたという事態をいつまでも引きずることになるが、裏切った当の本人のほうはというと、ぜんぜん関係ないところでのうのうというかぬくぬくというかノンシャランというか、ヘッチャラな顔して楽しくやっているんですね。そうじゃないと、ひとなんか裏切れない。不誠実とか、不実とか、不義とかも、きっとそうなんでしょう。みんな、じぶんにはとても甘い。自分にとっての言い訳はいくらでも湧いて出てくるけれど、ひとにとっての感じ方はかんたんにネグレクトできる。そうじゃないと、自己嫌悪で生きていけないからでしょうね。ひどい話だけど、きっとそうやって生きつづけるひとがいるんです。弱いんだろうね。かわいそうに。そうして、そうやってひとを裏切ったことのあるひとは、それを認識しない限り、かならずこれからもなんどもだれかをおなじように裏切るのです。

わたしたちにできることは、でも、そういうひとを哀れんだり怨んだりすることではなくて、忘れることぐらいなのかもしれません。昨日は記憶でしかなく、明日は空想でしかない。そして、今日は記憶の焚き木なのです。たとえ火傷のように熱くても、早く燃やして,灰にするしかないのです。

November 06, 2004

カナダ移住

ほんと、皆さん、カナダとかヨーロッパとかへの移住を口にする人が多い。
ま、ほとんどは口だけだろうけど、その手続きや詳細紹介のためのサイトが人気で。

ブッシュの次の4年についての考察はしてるんだが、まだぜんぜーん書く気しねえぜ。

「それより、みんな、外国なんか移住しないほうがいいよ。アメリカにいたほうが安全だ。だって、外国に引っ越したら、そこが次のブッシュの標的になるかもしれないじゃないか。」
ってのが本日のビル・マーのジョークでした。

またワインが空いちゃった。
さあ、クスリ服んで寝るか。
いま、TRIOっていうケーブルチャンネルで、日本のおじさんたちの自殺のドキュメンタリーをやっている。ひどい話だなあ。

November 05, 2004

おお

画像貼付けに成功した。
やってみるもんだ。

さて、つぎはこのブロッグを他のブロッグのようにトラックなんとかとかコメントなんとかとかが出るようにしたいんだが。はて、それは次の課題か。ふむ。いろんな窓が多すぎてわからん。

こんなん見っけ

Newmap.jpg

選挙後3日目、いまだ鬱症状改善されず。
上記、地図のごとく、カナダと合併すべし。
残りは「ジーザスランド」となって朽ち果てよ、ってか。
ふむ、第二次南北戦争の地図割りのようでもあるな。

November 04, 2004

ふて寝の果てに

こういう気分は前回に続いて2回目ですからね、もう学習していて、防衛本能が働くんでしょう、私の心はぜんぜん大統領選挙などなかったかのようなモードに入っています。選挙はなく、ただこれまでの政権が続くんだ、と、そういうような日常ですか。

でもいちおういろんなことはあちこちに書かねばならないので、まるで他人事のように頭の中をパーティションで区切って、そんでそっちのほうで考えて書いてる、みたいな。

で、わたしなりの分析は、先ほどバディ用に書き終えました。もうそれ以上書く気はしません。まあ、また別の分析が頭に浮かんだら書くでしょうが、そうじゃない限りはもう知らんぷりモードです。いいじゃないすか、それで。あはは。

どうしてブッシュが勝ったか、それはバディでお読みください。
日本の新聞でもワシントンの連中がそれぞれに分析をするでしょうが、ま、同じかどうか、どちらが説得力を持つかは、読み比べてご判断を。とはいえ、私のはバディで20日発売ですか、すこし旬を過ぎるかもしれませんね。でも、まあ、熱気も冷めたところでお読みいただいてもまあそれもそれかな、と。

さあ、気分を変えましょ。
そうじゃないと世界が滅びる前に自分が滅びるわ。

November 03, 2004

負けたか

もう寝る。

ふむ、土俵際

フロリダがブッシュに行っちまったぜ。

ケリーは瀬戸際です。
CNNのリベラルのコメンテイターたちも元気がなくなってきた。

オハイオだ。これを落としたらまたブッシュです。

コメントはまだ。

November 01, 2004

誤謬

香田さんのことを、「冬山に夏服で登って遭難した」だとか、「周囲が危険だと止めているのにライオンを見たかったからというのでライオンの檻に入っていって食われてしまった」とかいう比喩を使う人がいるようです。

とてもわかりやすい比喩です。
わかりやすいのは無意識に受けをねらっているからでしょうか。
受けをねらうと間違えます。
この比喩には決定的な欠陥がある。

相手を自然や動物に喩えているところです。
がさつな思考としか言いようがありません。
こういう思考からは、相手を征服する、あるいはねじ伏せる、という結末しか生まれてこない。簡単ですが、その論理が破綻しているということはいますこしの知恵があればわかるでしょうに。なさけない。

さて、あと24時間後には、選挙の行方も見えてきているでしょうか。

女子大生

ハロウィンの今宵、日本から大挙してやってきた某大学の国際学科? メディアスタディーズ? のゼミの? 女子大生16人? 17人?とお話をしてきました。

いやあ、女の子はいいなあ。まっすぐで、いっしょけんめいで。
男の子のまっすぐ(ストレート)さとは違うね(とひとくくりにしてはいけないけれど)。マチズモに侵食されていないまっすぐさというのはきわめて貴重なんだと改めて気づかされました。

ジャーナリズムの話とか、いまの世界情勢とか、大統領選挙の話とか、まあ、ここにつらつら覚え書きしてあるようなことをひとまとめにして話してきたのですが、ときどきはああいうつぶらな目の集団にさらされてみるのもいいなあ。ゲイでよかった。ハグしても、キスしても、セクハラにならないしね(ってこうやって字面に書いてみると妙にいやらしいが)。

で、最後にゲイの話をしました。
みなさん、私のことをゲイだとはもちろん知らずに(なんといっても肩書きは国際ジャーナリストっすから(ってエアヘッド舛添みたい))話を聞いてくれていたもんですから、けっこう無防備に「いやあ、気持ち悪いっての、ありますよね」とか「どうしてもセックスのことになっちゃいます」とか、「笑わないと話せない」とか、まんまと乗ってくれまして、はい。その後の展開はおもしろかったです。

で、おもしろかったというのは、なぜかというと、いったん、そういう世間のモードをはがしてやると、彼女たち、ほんと、すぐ、とてもすなおにシフトしてくれるんだ。

若いって、無惨だけど、ほんと、希望はある。(いや、むしろ、希望しかない、ときもあるけれど)
わたしのこのサイトを教えたから、あと数日して日本に帰ったらこれもきっと読んでくれるでしょう。持つべきものはゲイの友だちだよって言ったら最後はすごく納得して頷いていたから、ここの読者の皆さん、「持つべきものはゲイの友だちだよ」という幻想を、おおくの彼女たちにすこしは持たせてあげて下さいね。