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文明との衝突

日本でも「イスラム国」という呼び方をやめて「IS」や「ISIS」「ISIL」などと呼び変えるようになりました。「イスラム」という呼び名を避けたのは「イスラム教との戦い」だというニュアンスを消して世界中の穏健なイスラム教徒への差別や偏見を助長しないようにとの配慮です。

同じ理由でこれを「文明の衝突」と呼ぶのも間違いだと言われます。サミュエル・P・ハンティントンが20年近く前に記したこの言葉は、西欧文明とイスラム教圏とがやがて衝突するという予告のことでしたが、今回の「IS」との戦闘はそれとは無関係だというわけです。なぜなら多くのイスラムの国々もまた「IS」に対抗する有志連合としてともに戦っているからです。

しかし、ではいったいシリアとイラクを中心に展開しているこの戦いは何と何が衝突しているのでしょうか?

「IS」は昨年6月、カリフ(預言者ムハンマドの後継者=イスラム共同体の最高権威者)制イスラム国家の樹立と、そのカリフに指導者アブ・バクル・アル=バグダディが即位したことを宣言しました。そしてその国家「IS」は、世界秩序を国家を単位として築くという、現在の主権国家の共存体制を確立した17世紀のウエストファリア協定を否定し、現在の国境や国民の定義も越えて、アッラーを信じる者がいる場所はすべて「イスラムの国」なのだという「神の国」を企図しています。

ここからは私の仮説です。これは「文明の衝突」ではなく「文明そのものとの衝突」なのではないかということです。

宗教はこれまで、時代に合わせてどんどん世俗化してきました。そして絶対的だった神が、どんどん相対的な存在になってきました。それは神聖vs世俗、原理主義vs修正主義の対立を呼びます。神への疑問は人間の傲慢です。けれど神への疑問はじつは人間の知性の表れでした。この知によって、神はどんどんと神聖さを剥ぎ取られてきたのです。

世界はずっとこの神と知の齟齬を棚上げしてきました。ガリレオが地動説を唱えて異端審問にかけられたのも、科学が神に反したものだったからです。でもいつの間にか神は科学と棲み分けするようになりました。さらに人間は神を政治から忌避して政教分離を果たし、神授された王権から離れて民主制度を作り出しました。異教徒を奴隷にすることもやめ、女性たちにも人権を認め、同性婚すら知性の力で認めようというところまで来ました。

しかしそういう民主主義も人権主義も、神から見たらとんでもない俗化であり堕落です。そんなことはユダヤ教、キリスト教、イスラム教のどの教えにもそぐわない。でもそれはいま、つまり神と俗とは、この世界で棲み分けて共に存在しています。それは神を如何ともしがたい、ある意味で人間たちの大人の対応というものでした。

それでもそれを理解できない者たちがいる。神にすがりたい人たちがいる。人間という相対に耐えられずに神という絶対を欲しがり、修正の煩わしさに原理を盲信し、全ては構築された存在であるという複雑さに倦んで本質論の容易さに固執する。「俗」という言葉の持つあらかじめの汚名は、なぜなら「聖」という言葉の持つあらかじめの神々しさの影だからです。それは「悪」という言葉そのものと同じくらい脱構築の困難な価値です。

すなわち「IS」にとっては、知によって世俗化したこの文明世界そのものが堕落した「悪」なのでしょう。だからそんな文明世界を、絶対的な「善」である「神の国」に置き換えようとしている。

西欧の民主主義国家への移民家族のもとに生まれ、そんな世俗な社会制度に、資本主義文明に、聖と俗との齟齬を永遠に棚上げして誤魔化している大人の「知恵」に、育てられながらもしかし結局は常に差別され疎外されてきた若者たちが「IS」に答えを見つけようとするのも、そういうことなのだと思います。

しかしそれは、「神」の歴史を知らずにいまもまだ答えが「絶対神」にあると思っている、あまりに安易な無知に起因しています。いやむしろ彼らはそんな無「知」をこそ志向しているのかもしれません。

なぜなら現在の文明世界の全ての根源に人間の「知」があるからです。

それを神は何と呼んだのだったか? 「リンゴ」です。「原罪」と呼んだのです。つまり「無知」を志向するということは、「無罪」を志向するということなのです。

だとすると「知」から逃れられない私たちはいま再び「知」を「原罪」と呼びなし排除しようとする「無知」に、つまりは「神」に、ケリをつけなければならないはずです。論理的にはそれしかないのです。生きよ、堕ちよ。坂口安吾の先にあるのはそういうことなのです。

しかし、それはあまりに知的に過ぎる作業です。おそらく人類は、種としてはそこまで強くない。人間の、神から見た原罪ではなく人間としての原罪は、だとするとリンゴを一齧りしたことではない。リンゴを一齧りしかしなかったことなのかもしれません。

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