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December 02, 2008

世界エイズデー

セックスって、気持ちいいですよね。
あれ、どうして気持ちいいんだろう。
男は射精の快感だっていうけれど、それだけじゃぜったいにない。
なんていうか、ふれあったり、だきあったり、だきしめあったりしているだけで、なんだかからだじゅうに気持ちのいいホルモンがじわじわとしみわたっていくみたいな、そんなじわじわした幸福感につつまれる。

これもじつは生殖のために遺伝子が仕組んだ(あるいは神が仕組んだ?)餌というか罠というかご褒美というか、そういうもんだってことは知ってるんですが、わたしが投げ遣りなときに陥る唯脳論に立脚すれば(ってまあそんなたいそうなもんじゃないが)、最初はそうだったかもしれないが、そのうちに脳がどんどんそれを自分で勝手に発展させて、快感ってものを別の回路でも関知できるように独立して作ってしまったんじゃないかと思うわけです。ちょうど、数字が数学をつくったように。

そうすると、わたしたちが思い込んでいる「性欲」とは、本当にわたしたちが思い込んでいるような「性欲」なのか、という反語が出てくる。そうして次のような仮説を、考えちゃうわけです。

つまりセックスとは、セックスを通じて、じつは人を好きになり たいという(そのほうが生物学的には変態的ではあるのですが)、そういう意志の欲望なのである、と。

まあ、戯れ言はこの辺にして、ていうか、もしそういう意志の欲望だとしたら、セックスは、ちゃんとセイファーなものでもぜんぜん問題はないわけで、というところにつなげたかったわけなんですがね。

で、12月1日は第20回の世界エイズデーでした。1988年に、世界先進国の厚生行政の大臣たちがサミットを開き、HIVの感染拡大を防ごうとこの日を設けたわけです。

でも、HIV/エイズはその後も第三世界へと拡大を続け、現在では世界で3300万人がHIVに感染し、その数は昨年2007年だけで270万人が増えました。この中には、もちろん、わたしたちの知人・友人、あるいはその知人・友人がおそらく含まれています。わたしたちが知らないだけで。あるいは、わたしたち自身かもしれません。

わたしの新聞記者時代の畏友、産經新聞の宮田一雄さんは日本でいち早くこの問題に取り組んだジャーナリストです。彼の飄々たるブログサイトを推薦します。鎌倉に住み始めて、「ビギナーズ鎌倉」というブログを書いていらっしゃいます。

'http://miyatak.iza.ne.jp/blog/

ニューヨークでは、先週のメイシーズ百貨店の感謝祭パレードで、キース・ヘリングのバルーンが登場しました。

キース・ヘリングもエイズ関連の合併症で1990年2月16日、31歳で亡くなりました。生きていれば来年50歳だった。

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ダウンタウンのバンクストリートからハドソン川に通じたところにあるハドソンリバー公園では、エイズ・メモリアルのベンチが設置されました。長さ12m強の、黒い御影石のベンチです。遊歩道に沿って少し湾曲しています。御影石には、旧いスカンジナビアの民謡の歌詞が刻まれています。

'I can sail without wind; I can sail without oars. But I cannot part from my friend without tears.'
わたしは風がなくとも舟を出せる。わたしはオールがなくとも舟を出せる。でも、涙がなければ、わたしはわたしの友と別れることができない。

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ニューヨークでは1日、エンパイア・ステート・ビルディングが恒例の赤い色に染まりました。

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February 25, 2008

オスカー、レッドリボン、同性カップル

つらつらと横でアカデミー賞授賞式をつけながら原稿書きをしていると、時折映る会場の列席者の襟元にちらほらとレッドリボンがつけられているのに気づきます。日本ではなんだかすっかり流行り廃りのなかで忘れ去られてしまっている感のあるこの赤いリボンはもちろんエイズ禍へのコミットメントを示すもので、そりゃたしかに歳末の助け合い共同募金の赤い羽根のように政治家が襟元につけて国会のTV中継で映るようにする、みたいな善意のアリバイみたいなところもあるけれど、しかしハリウッドが被ったエイズ犠牲者の多さを考えればきっと、これらの人びとにとってはけっしてアリバイ作りのための仕草ではないのだろうなと思い至るのです。

思えばアカデミー賞の授賞式はこれまでも戦争や宗教や社会問題へのハリウッドの若い世代からのメッセージの場でもありつづけてきました。たしかにみんな大した俳優や制作者ではあるんだけど、よく見れば20代とか30代とかも多くて、そんな人びとの若い正義感のほとばしりが現れてもなんら不思議ではない。で、レッドリボンをつけている人たちは80-90年代は若かったけれど、いまは決してそう若くはないなあってことにも気づくのです。

エイズが死病ではないという謂いは、1995年のカクテル療法の成功から生まれてきました。当初はそれはやっとの思いの祝辞として、あるいはエイズ差別への対抗言説として宣言されたものだったのですが、人間というものはなかなか深刻だらけでは生きられないもんで、いつしか「死病ではない」が「恐れるに足らず」と翻訳され、「べつに大したことのないこと」となって、まあ、安心して生きたいのでしょう。いま、日本ではエイズ教育はどうなっているのかなあ。政府による啓発広報はなんだかいつもダサくておざなりで、いまも続いているのだろうか。ゲイコミュニティの中では善意の若者たちがいまも懸命にいろいろな形の啓発活動を模索しているけれど、その間にも日本のHIV感染者は特に若い世代で静かに確実に増えています。だって、社会全体が騒いでいないんだもの、ゲイコミュニティだけで笛を吹いたって気分はあまり踊らない。

学校で、エイズ教育してるのかなあ。あるいは性感染症に関することも。
ずっとエイズ啓発は教育現場で地道に続けることこそがゆいいつの方法論だって言い続けているのですが、でもね、そういうものはとりもなおさず性教育のことであり、セックスのことって、よほど信頼しているひとからじゃないと真面目に聞く耳なんか持てないもんなのです。だれが尊敬もしていない先生からセックスの話題なんて聞きたいもんか。だから大変なんですよね、性教育って。それを教える人間の、人間性の全体重が測られるから。

まあ、そんなアメリカだってエラいことは言えません。こっちだって若年層のHIV感染者は増加傾向にあるんですから。

今年のオスカーは、じつは候補作で私の見たのは「ラタトゥーユ(レミーの美味しいレストラン)」と「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(クリックしたら感想ブログに飛びますよん)くらいで、あまり関心がなかったのですが、両作とも健闘して受賞してましたから(特にマリオン・コティヤールの主演女優賞はアメリカの人びとには驚きだったようです)なかなか効率の良い見方でしたね。

ところで短編ドキュメンタリーで受賞した作品「Freeheld」は不覚にも知りませんでした。ダメだなあ。

ローレル・ヘスターはニュージャージー州で25年間、警官を務めて警部補になった女性です。映画制作(2006年)の6年前からパートナーを得てともに家庭を築いてきました。パートナーはステイシー・アンドリーという女性です。ところがローレルはそこで肺がんと診断されます。ローレルの願いは、自分の死後もステイシーが自分の遺族向けの死亡見舞金を得られるようにということでした。計13,000ドル(140万円)ほどの金額はけっして以後の生活に十分な金額というものではありませんが、少なくとも2人の思い出の家を維持してゆくだけの助けにはなる。ところが、居住地のオーシャン郡の代議員会はその死亡見舞金の受給資格を否定するのです。余命6カ月のローレルとステイシーは、もはやレズビアンであることを隠すことなく公の場で戦いに出る道を選びます。

こんなに愛し合っている2人を、否定する、否定できる人間がいるということは知っています。だからこそ、この38分のドキュメンタリーは作られたのでしょう。私たちには、それを見て受け止める作業が差し出されているのです。

この訴訟が1つのきっかけとなり、ニュージャージー州では6つの郡が法律を変えて同性パートナーにも年金受給資格を与えるようになりました。そしてローレルの死後9カ月後に、ニュージャージー州は州としてシヴィルユニオン法を可決したのです。

監督のシンシア・ウエイドの受賞スピーチです。

彼女自身はヘテロセクシュアルの既婚女性です。でも、スピーチでは「結婚している女性としての私は直面することのない差別に、この国の同性カップルが直面している」として、この映画をローレル・ヘスターの生前の遺言だと紹介しています。会場にはもちろんステイシーもやってきていたんですね。

今回のオスカーでも受賞コメントでのさりげないカムアウトがいくつかありました。ビデオを撮ってなかったので正確に確認できないのだけれど、作品賞も取った「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」のプロデューサーは、ステージ上で感謝する相手として最後に自分のパートナーとして「ジョン・なんとか」って名前を出し「ハニー」と呼びかけたのだけれど、「ジョン」だったのか「ジョーン」だったのか。なにせながら族でしたのでちょっといまは確認できず。
(確認しました。そのプロデューサーはスコット・ルーディンScott Rudinで、たしかにパートナーのジョンに向けて最後の最後にどさくさ紛れで「ハニー」って叫んでました。うふふ、よかったねスコットちゃん)

司会のジョン・スチュワートはゲイジョークとして楽屋裏で受賞した喜びでオスカー像同士をキスさせようとしている受賞者同士の会話を紹介してました。「でも、オスカーって男性よ」と1人。「そうね、でも、ここはハリウッドだから」と相手が言っていた、というもんです。ま、ネタでしょうけどね。

そうやって今年のオスカーも終わりました。地味目でしたね。
恒例の鬼籍に入った映画関係者の映像の最後に、ヒース・レッジャーが映りました。
なんだか胸が詰まりました。
でも例年になく、一人一人の映像が短かったような気がします。
で、ブラッド・レンフロがこの追悼映像リストになかったのは、どうしてでしょうね。忘れられちゃったんだろうかなあ。

October 03, 2006

HIVはゲイの病気です

このポスター及びキャンペーンはいまロサンゼルスのゲイ&レズビアン・センターが展開しているものです。

80年代に登場したAIDSは、最初期に「ゲイ関連病」とか「ゲイの癌」と呼ばれていたそのスティグマのせいもあって盛んに「ゲイの病気じゃない」「みんな危ないんだ」というふうに喧伝されて現在に至ります。たしかにゲイだけの病気じゃなかったわけだし。

それがいまふたたび、「ゲイの病気だ」というコピーで啓蒙されることに関しては、もちろんアメリカでも賛否が分かれています。ショッキングですし。

でも事実、ゲイの感染率が多いのは確かだし(ロサンゼルスではHIV感染者の75%がゲイです)、ここに来て95年までの「死への恐怖」を知らない若者たちの感染も増加してきている。

そこで、あの病禍を自分たちのものとして引き受け、さかんに予防啓発活動の先頭に立った80年代のゲイたちの活動や意識を想起・再燃させようと、こうしたコピーで世論をあおるという戦略は、私はありだと思う。ゲイに再びスティグマを塗り付けるためのコピーではなく、あの主体的なHIV/AIDSへのコミットメントを思い起こさせるためのコピーとして。もちろん、「汚れ(スティグマ)」を自覚させるためのなにげないカマシも含めてね。

それにこれはG&Lセンターがゲイコミュニティに向けて展開しているキャンペーンです。もちろん一般社会にも出回るでしょうけど、それも含めてゲイたちを身内として挑発している。そういうことが、まだ誤解はあるだろうけれど、できるような社会になったという自信もアメリカのゲイたちにはあるのかもしれない。右翼保守陣営からのキャンペーン・コピーだったら意味がまったく違ってきますけどね。まだそんなこと言ってるのかよ、ってな、勝手にしてろ、みたいな。

これとおなじく、感染率の増えているアフリカ系、ラテン系、女性コミュニティーは彼ら・彼女らなりに「HIVはアフリカ系アメリカ人の病気です」「HIVはヒスパニックの病気です」「HIVは女性たちの病気です」と発信するのもぜんぜんありじゃないでしょうか。そうして「HIVは男のビョーキです」ってのも、ある意味すごい。

それを日本に置き換えてみればつまり、日本でも、先進国でゆいいつ感染率が増加の一途であることを憂慮して、「AIDSはいま、ニッポン人のビョーキなのです」ってやってもいいと思う。

それにしても、こうしたコピーの変遷に時代を感じてしまいます。怠慢を繰り返してしまうわれら人間の愚かしさも同時に。

みんな、ほんと、気をつけてね。

June 14, 2006

FOXにもこんなキャスターが!

いやいや、すばらしい。
このYouTubeのビデオ、5分ありますが、5分見続ける価値あり。

<該当のYouTubeビデオ、著作権問題で削除>

イラクで亡くなった米兵の葬儀に、「こいつはゲイだ」として墓地への埋葬にデモ隊を送り出してたウエストボローバプティスト教会(カンザス州)の一派があるんだが、その広報の女性に、FOXニュースのジュリー・バンデラスがピチッと切れて烈火の如き猛攻撃。

こいつらね、9/11もイラクの戦死者もAIDSもなにも、すべて神の思し召しだっていうわけだ。いまのこの世の悪行がすべて報いとなって現れているんだというわけね。ゲイプライドなんてものは倒錯を誇ってることで、そんなんがあるせいで天罰が下っているってのさ。

いやはや、ジュリーさん、怒りようが尋常じゃない。「Oh, really?」ってのは、けっこうけんか腰の物言いでね、「あら、ほんと、はあ?」ってな感じ。よく見ると首を横に揺らしてる、もうこりゃ、本気だね。聖書のレヴィ記を引用する相手のシャーリー・フェルプス・ローパーに真っ向から噛み付き、おまけに声がきれいだから相手のきんきん声を圧倒してなおさら小気味よい。しかしこのおばちゃんも最初は低〜い声で穏やかぶってたんだけど、いやいやどんどん声は高くなるし叫ぶし、がははは。
しかしFOXって、保守派だと思ってましたが、こういうキャスターもいるのね。

「神の言葉が憎悪だなんて、そんなことはあるはずがない!」
「だれがあんたに神の代弁をさせる権利を与えてるの? 何者なのあんたは? 説教者?」
「あなたが憎悪をばらまいてるのよ。あなたこそが悪魔よ。聖書を信じてるって? なら、あなたこそが地獄に堕ちなさい!」
「あなたみたいな人はアメリカ人じゃないわ。その教会を持ってどこか他の国に行くべきよ!」

以上全部、ジュリーの発言。ふだんは同じ文句をゲイの方が言われているのに、それをそっくりお返ししてやっているという構図。これは、前から考えてないと出てこないしゃべりですね。お見事!

June 03, 2006

森喜朗のフットボール

国連AIDS総会に出席した森嘉朗が、「私はラグビーフットボールが好きです。次回にはAIDSにトライできるように頑張りましょう」とにやけながらスピーチしました。外務官僚の用意した原稿の丸呑み、棒読みです。この作文を書いた官僚の、ass-kissingがにおうような演説でした。そもそも、こんなところで比喩というよりもシャレに近い言い回しを用いる神経とはなんなのでしょうか。

エイズ対策は一にも二にも教育です。日本では90年代後半、公教育でAIDS教育を性教育と絡めて行ってきた歴史もあります。それが、「行き過ぎた性/ジェンダー教育反対キャンペーン」という反動に遭ってほとんど行われなくなっています。例の日の丸君が代強制問題や多数決も採用できない職員会議問題、官憲をも動員した懲罰主義などとも通底して、教育現場は竦み上がり硬直しきり、疲弊し果てているようにも映ります。

日本ではいま、5人に1人が65歳以上の高齢者だそうです。少子化と若者の減少。その若者たちがHIVにさらされています。それは労働力の減少や社会基盤の脆弱を憂う話ではありません。HIVに感染し、AIDSを発症しても、彼ら/彼女らを支え励ます人がいないと危惧する話です。HIV感染差別の無知は、HIV感染そのものの無知と同じです。つまり、差別者と感染者が同じ無知でつながっているような社会です。これは、不幸が堂々巡りする社会です。暗愚の迷宮です。

自民党政府と官僚の怠慢と無能、自治体の無知と事なかれ主義、そして勝共連合のカラス頭とが、この不幸を増殖させています。「性的少数者の問題には関心もないしその必要もない」とか「性的放埒を嗜好するゲイのライフスタイルを喧伝させるな」というそういう目先のフォビアにブロックされて、その先に何が待っているのかを考えられない。社会を滅ぼすのはゲイたちのライフスタイルではありません。社会を滅ぼすのは憎悪に駆られたアドレナリンです。それは視野狭窄をもたらします。

とにかく、学校でAIDSを、AIDSの背景を、AIDSから学んだ人間の知恵を、子供たちに教えることを一刻も早く再開しなければなりません。日本では、先日もフジテレビがアフリカの貧困地帯のAIDSを取り上げて女性アナウンサーがルポみたいなことをやっていました。その努力は認めます。たとえ彼女がHIVのことをウイルスではなく病気そのもののように話す間違いを自覚していないとしても、アフリカのエイズ問題で浮き彫りになる世界の矛盾はぐったりするほど重大なことです。

けれど、それをアリバイにしないでほしい。アフリカのことをやっていればエイズ問題をカバーしたつもりにならないでもらいたいのです。日本もいま、いや、日本はいまもまだ、HIVの蔓延に無防備のままなのです。その日本のHIV/AIDSを、日本のTV局は、アフリカのいたいけな子供たちの感染を語ると同じように思いやりをもって語ってくれているのだろうか。遠い国の子供たちを同情を込めてこぞって取り上げるその裏側に、間近な性感染者の若者たち大人たちへの、それは自業自得だという、すでに一度10年以上前に破綻したはずの、因果応報論がぶすぶすと発酵してはいないか。

ニュースは自分に近い場所で起こったものほどそのひとにとっては大きな問題のはずです。にもかかわらず、AIDS問題では遠くのニュースの方が大きく頻繁に取り上げられる。おまけに日本政府は、今回の国連AIDS総会用の日本の取り組みのレビューに、4ページの英語のファイルしか用意しませんでした。日本国内向けには説明しなくてよいと考えているようです。それは日本という社会の、「品格」も「けじめ」もむなしい、とても倒錯的な非情を象徴しています。

ちなみに、前回も国連AIDS総会に日本代表としてやってきた森喜朗は、2000年1月、福井県の講演で「選挙運動で行くと農家の皆さんが家の中に入っちゃうんです。なんかエイズが来たように思われて…」としゃあしゃあといいのけた人物です。そのほかにもえひめ丸沈没事故の際のゴルフ続行問題、神の国発言、大阪たんつぼ発言と、史上最も頭の悪い総理として名を為した人。いまもポスト小泉のキングメーカーたらんといろいろとうるさい発言を続けていますが、あのデカい図体、ラグビーフットボールじゃなくとも、ほんと、森喜朗は、邪魔だ、どけ、と一喝したい男です。「トライ」されるべきは本人でしょう。

April 19, 2005

新法王 ラツィンガー

新法王に選ばれたヨーゼフ・ラツィンガーについて、「Becoming a Man」というポール・モネットの半自叙伝に次のような記述があります。彼は24年にわたって教理省長官を務め、教義において超保守的とされた前法王ヨハネ・パウロ2世の側近中の側近でした。バチカンのこの20数年間の超保守主義を形作って恥じなかった人物です。エイズ禍初期の80年代に、いかにひどい憎悪の言葉が彼らの口から発せられたか。そういう男が今度の法王です。

ただし、違う読みもあります。ラツィンガーはいま78歳。法王としてもっても数年でしょう。このラツィンガーで保守派の生き残り連中のガス抜きをして、改革派は次を狙っている。それが今回のコンクラーベ、比較的早く決まった理由だと。とりあえず花を持たせておいて保守派の顔も立て、さて、次がどうなるか。じつはバチカンの次回のコンクラーベはすでにいまこの時から始まったと言ってもいいのだと思います。

****以下、「Becoming a Man--男になるということ」からの抜粋訳

 「ローマ・カトリックの問題点は」と、ある司祭が残念そうにぼく【註;ポール・モネット】に語ってくれたことがある。「ずっと逆上ってアクィナス【註:トマス・アクィナス。中世イタリアのローマ・カトリック神学者でスコラ哲学の大成者。主著「神学大全」】に帰結する」と──13世紀カトリックのあの野蛮人。女性とゲイに関するやつの煮え滾ぎるナンセンスが聖書と同等の権威になったのだ。これは憶えておく価値がある。最初の千年王国では、教会はゲイとレズビアンをも歓迎する場所だった。既婚聖職者を受け入れていたと同じようにゲイとレズビアンをも受け入れていたのだ。さらにもう一つ、優しきヨハ2ネ23世【註:1958〜63年のイタリア人ローマ法王。62〜65年にかけ、第2ヴァチカン公会議を開催。キリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定したことで有名】時代に、偏見と頑迷さとが俎上に上りそうになった瞬間があったことをぼくは知っている。第2ヴァチカン公会議が光を注いでいたそのときに、フェミニズム運動とストーンウォール革命とがあの家父長制度の目の前でぼくらへの鞭打ち刑を打ち砕いたのだ。その二つの出来事が時期を同じくしたのはけっして偶然ではない。

 しかし第2公会議は自らを去勢した。いまやバラ色の60年代ではすでになく、新たな異端審問が咆え声も高らかに全速力で疾走している。率いるのは錦織の法衣を着た狂犬病のイヌ、ローマ法王庁の枢機卿ラツィンガー【註:こいつが今度の法王】だ。ゲイを愛することは「本質的な邪悪である」という御触れを発布した悪意のサディスト神学者。エイズ惨禍のこの10年間、ぼくは道徳的堕落に関するグリニッジ標準時のごとき存在としてのあのポーランド人法王【註;ヨハネ・パウロ2世】の教会に何度か足を運んだ。ぼくなりのささやかなやり方でナチ突撃隊長【@シュトゥルムフューラー】ラツィンガーへの返礼をするために。法王の植民地の手先どもが一週間でもいいから黙っていてくれることはまずない||ニューヨークではオコーナー【註;1984年から2000年までNYのローマ・カトリック教会大司教で、法王の最高顧問である枢機卿の一人だった。2000年5月死去】が、ロサンゼルスではマホーニー【註;同じくLAの大司教・枢機卿】が、自分らの女性恐怖症と同性愛恐怖症とを辺りかまわず吐き散らかしている。セックスはついには死に至るのだと勝手に勝利に呆けながら。

 けれどぼくは、たとえそうでもカトリックそのものを憎むことはしないように努めている。これに関しては、神は罪は憎むが罪人を憎むのではないという法王さまたちご自身のお言葉に倣うのだ。そうしてぼくはミサにやってくるかよわい老婦人たちのために、あのブロケードの法衣の向こうにどうやるのか神を見ようとする貧しい異国の人々のために、さらには遠慮がちにこの恐怖の時代はやがて終わりますとぼくに手紙を寄越した怯える司祭たちのためにすら、舌を噛んでじっと言葉をこらえるのだ。

April 08, 2005

スワジランドって知ってる?

本日は次のような衝撃的なニュースが。

More than half of young Swazis are HIV-positive

According to the 9th HIV Sentinel Survey, conducted by the Swaziland National AIDS Task Force, 56% of the nation's adults ages 25-29 are infected with HIV. Data for the survey were taken from pregnant women who attended prenatal clinics in 2004; this group is considered a valid model for projecting the adult population's overall HIV rate. According to the survey, the HIV infection rate among people ages 19-49 rose to 42.6% from the 38.6% recorded last year. Helping to drive the epidemic, activists say, is a reluctance to test for HIV and a cultural taboo against admitting illness. Reuters obtained a copy of the report, which is to be released later this month by the health ministry. (Reuters)

スワジランドっていうのは南アフリカの中に包まれるようにあって、モザンビークと隣接している世界最貧国のひとつです。モザンビークはその4倍くらい貧乏ですけど。

上記のニュースはそのスワジランドのエイズ調査で、全国の25〜29歳の成人の56%がHIVに感染していることがわかったというものです。2004年に産婦人科に訪れた妊娠女性の追跡調査からわかったもので、19〜49歳の感染者は前年の38.6%から42.6%に上昇。感染拡大の原因はHIV抗体検査をなかなか受けないことと、病気であることを認めるのが文化的なタブーになっていること、だと書いてあります。詳細は今月中に保健当局から発表されるって。

しかし、56%って、すごすぎないか。 国が滅びるぞ、ほんと。

米国CIAの調べではスワジランドはキリスト系の土着信仰が40%、カトリッックが20%、英国国教会とかメソジストとかモルモンとかユダヤ教といった厳格宗教が合わせて30%だそうです。つまり、ポープの教えと似たり寄ったりでコンドームは使っちゃいけないというのもあるはず。というか、こういうところではコミュニティーの機能として教会が進んでコンドームを配布しないことには新しいコンドームも手に入らないし、そうすると古いのを使い回しして大変なのです。

ニューヨークのセントルークス病院でエイズ研究を80年代初期から続けている稲田頼太郎先生は最近毎年ケニアに入って地域医療検診を行ってエイズ教育にも力を入れてるんだけど、ぜんぜん追いつかないんだよ、って暗い表情です。先生のいつも行く地域でも、30代の女性の感染率が40%近いとか言っていました。とんでもない数字です。そうして、これらの数字のうしろには、ひとりひとりの悲劇がひとりひとりの名前とともに山積みになっている。

われわれにできることはなにか?
即効性のあることなんかほとんどありません。稲田先生のように現地に乗り込んでコンドームを配ったりする人もいるでしょうが。でもまずは事実を知ること。それを人口に膾炙させること。そこから動き出すものを信じるしかないのです。そうして各自が、各自でできることをやるしかない。

July 29, 2004

エイズと言葉と制度の課題

 日本のHIV(エイズウイルス)感染者数が最近3カ月で199人とまたまた過去最高だったというニュースが報じられました。日本というのは先進国の中でゆいいつ感染者が増加している国です。「日本だけ」とはいったいどういうことなのでしょう。日本に、なにか根本的な欠陥があるのでしょうか。

 じつは,HIVは言葉のないところで広がる病原体なのです。言葉のないセックス、相手とコミュニケートしない性交渉で広がるのです。言葉を復活させることがHIV感染予防の第一歩になります。

 で、エイズに関すして言葉を復活させるというのはどういうことか。

 一般的な啓蒙活動とか広報活動とかは、これはもう、日本みたいな情報がどんどん消費させられてしまう高度情報社会ではもう無効なんだと思います。ではどうするか。

 残っているのは、教育現場です。教育現場というのは、ゆいいつ言葉を四六時中活用している現場です。そこでエイズ・HIVに関する情報を敷衍させる。これってでも情報が疲弊することがない。なぜって、毎年毎年、新しい人たちがそれを聞くわけですから。問題は、話す方、つまり教育者たちが一緒なので、話す方が疲弊したり飽きたりすることがあるということですね。でも、それは教科書と同じで、毎年同じ教科書を使っててもそれをやらなくちゃいけないわけですから。これを教育現場で本気で取り組まねばならない。それは君が代日の丸の話なんかよりむしろずっと強制力を持たせるべき事柄です。なのに、どうも倒錯していますよね。

 もう1つの現場は、職場なんです。最近、アメリカのCDCも職場のエイズという数百ページのマニュアルをまとめました。これはいま私が翻訳していますが、職場を同じく教育現場にしようというものです。従業員教育の一環として、社員の家族も含めたセミナーを開催したり、パンフレットを配布したりしています。

 米国ではHIVに現在、100万人近くが感染していると推定されています。50人以上の従業員のいる米国の会社では6社に1社が、また50人未満の小規模な会社では16社に1社が1人の患者・感染者を雇い入れています。悲惨な病気はどんなものでもそうですが、HIV/エイズもいろいろな意味で雇用者にとって他人事では済まされません。

 そういうふうに、エイズはすでに「制度」として取り組まなければならないんです。標語とか、キャンペーンとか、そういう問題ではすでにない。もちろん、そういうことも必要ですけど、すでに標語とかで届く一般人の努力の範囲を超えているわけで、政府に、そういう気構えがあるのか。それをこそ問うべきです。

 ニューヨークで93年から活動している日本語によるエイズ情報提供ボランティア組織「JAWS」のサイトがやっとスタートしました。いままで忙しくて着手できなかったんですが、順次、コンテンツを増やしていきます。

 エイズ問題の参考にして下さい。

http://www.jawsonline.org/Japanese/index.htm

July 11, 2003

エイズになって死んでしまえ

皮がむけむけです。いま一番ひどいのが胸。次にほっぺた。不思議なことに腹まわりがいちばん真っ赤だったのに、いまも真っ赤なままでぜんぜん剥けてない。死んでるのかも。

ところで。
やってくれますねえ。米国社会ぜんぶがブッシュのばかに感染したみたいに、なんだか最近、とっても粗雑な物言いをする連中が多いような気がするんですけど、実際のところはどうなんでしょう。で、今回のやり玉はマイケル・サヴェージというトークショーのホスト。それもMSNBCという、マイクロソフトと三大ネットのNBCが作った24時間ニュース局ね、ここで土曜の夕方5時からのトークショーを持ってる男がさ、視聴者からの電話の1つに「おまえなんかエイズになって死んでしまえ、ブタ野郎!」って言っちゃったのよ。

“事件”は7月5日に起きた。トークショーってのはね、視聴者からの電話にホストが面白おかしくコメントして受けをねらうって番組なんだけど、その土曜日のテーマは「飛行機での恐怖の体験」。ある視聴者が自分の恐怖体験を電話で披露していたとき、サヴェージが「ってえことはあんたも例のホモ連中の1人ってことか?」と突っ込んだわけ。その視聴者が「イエス、アイ・アム」って答えたらさ、サヴェージちゃん、椅子の上でふんぞり返って腕を組み、サングラスをかけてからこう言い返したのですわ。
 「おやおや、ホモ連中の1人ときた! おまえみたいなのはただエイズになって死ぬべきなんだよ、このブタ野郎が!」。英語ではこうね。「Oh, you're one of the sodomites! You should only get AIDS and die, you pig!」
 この時代、こういうことを言うってのは蛮勇っていうよりもただのバカなんでしょうな。しかしこうした人物をトークショーのホストに起用した局の責任はどうなるのさ。

 案の定、MSNBCは週明けの7日にサヴェージの解雇と番組の打ち切りを発表しました。広報がロイター通信に話した局としてのコメントは「彼の話したことは非常に不適切で、番組打ち切りの決定は容易だった」。しかしこれもおかしな話でしょ。「イージー・デシージョン(容易な決定)」という言葉を使っているんだけど、そんなに「簡単」に事が済むと思っていいんでしょうか。
 なぜなら、サヴェージを起用したのは彼のそんな荒っぽくがさつなコメントが視聴者受けするだろうとふんだ局でしょ。番組はこの3月に始まったのね。そのころ、ニュース番組はFOXが対イラク戦争開戦に向けてのイケイケムードに乗じて保守的なキャスターを多用し、MSNBCはその波に乗り遅れまいとリベラル派のトークショー・ホスト、フィル・ドナヒューをクビにしたのだ。そうしてサヴェージみたいなのを雇った。
 サヴェージはラジオのトーク番組出身で、カリフォルニアで右翼的な政治団体を創設し、これまでだって「メキシコ移民を締め出すために国境を閉鎖しろ」「バイリンガル教育など必要ない」「少数人種優遇政策(アファーマティブアクション)など不要だ」という持論を展開してきただけじゃなく、ゲイコミュニティーを「タードワールド(クソ漬けの世界)」「ホモセクシュアルパーヴァージョン(倒錯)」と呼んではばからなかった。人種差別、性差別、性的少数者差別……MSNBCはそういう言動を承知で彼を雇い入れたわけでしょ。

 サヴェージは8日になって自分のウェッブサイトで謝罪しました。いわく、「もし私のコメントがだれかに苦痛を与えたなら、それは私がまさに意図しなかったことでありこのような結果をもたらしたことを謝罪する」「特にゲイコミュニティーの中の私の多くのリスナーたちに与えたかもしれない無意識の侮辱に関して、私のこの謝罪を受け入れてもらいたい」
 しかしその前段は「これは仕組まれたんだ」「あの電話を掛けてきたやつは他の競合トーク番組の回し者で、おれを個人攻撃したから個人的に言い返したまでだ」「しかしそれが放送されてしまった。もちろんそのコメントが病気や苦痛に関するおれの見解であるはずがない」「おれはいままでもずっと病気の連中を癒す西洋医学以外の薬がないかと探してきた」云々。やっぱりこいつはバカです。
 この「謝罪文」に、どうしてHIV/AIDS関係者への謝罪がないのかにも、こやつの頭の働きの欠落部分がわかる。謝罪の部分にしたって「もし」だとか「与えたかもしれない」だとか条件節が多すぎないかい。おまけに「無意識の侮辱(inadvertent insults)」というのはありません。思っていないことは口からは絶対に出てきません。
 それが出てしまったというなら、それはそれこそが病気なんです。

あ〜、今回は長かった。