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太宰治をクイアする

  1998年5月1日付け、ニューヨーク・ポスト紙は「GAY JESUS MAY STAR ON B'WAY(ゲイのイエスがブロードウェイでスターになるかも)」という見出しのスクープを報じた【注:New York Post 5/1/98 "GAY JESUS MAY STAR ON B'WAY" by Ward MorehouseIII and Tracy Conner】。同記事によると、トニー賞3回受賞の第一線の劇作家テレンス・マクナリー【注:代表作に『Love! Valour! Compassion!』『Master Class』『Kiss of the Spiderwoman』】がマンハッタン・シアター・クラブと共同で極秘製作中のその劇は、イエスの名をヨシュア【注:Joshua 自体が救世主という意味を持ち、Jesusと同義でも用いる】と変えてはいるものの使徒を率いてローマに入り、新約聖書に伝えられるイエスの数かずの台詞をしゃべる。劇の題名は『Corpus Christi(キリストの躰)』。この劇で、そのイエスらしき主人公は使徒の何人かと性関係がある。さらに有名なローマ総督ピラトとの対峙において、聖書の「汝はユダヤの王なるか?」という審問が劇中では「汝はクィアの王なるか?」に変わり、主人公は聖書のとおり「汝の言うが如きなり」と答えるのである。

 欧米のゲイ・スタディーズの学者たちはこれまでもイエスとその使徒の何人かがゲイである可能性(とはいっても現代のパラダイム上でのgayではあり得ないが)を指摘してきた。だがそれは欧米カトリシズムの最も大きなタブーの一つであり、天皇の人間宣言と同様、キリストの人間宣言すらもまた1970年のロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』でキリスト教会から熾烈な非難を浴びたのである。アンドルー・ロイド・ウェーバーの曲とティム・ライスの歌詞によるこのロック・ミュージカルでは、キリストを「He's a man. He's just a man(ただの男)」【注: Tim Rice "I Don't Know How To Love Him" 1970】とした歌詞がカトリックの逆鱗に触れた。さらに全編、ユダの目をとおした悩める男キリストが焦点になっており、ユダは彼イエスを愛するがゆえに彼を裏切り銀貨30枚で彼を売り、そして最後に彼と口づけをしてのちに縊死するのである。キリスト教会は当時、マタイ伝26章49などで新約聖書にも記される劇中でのこの男同士の接吻にも異常な嫌悪感を示した(浅利慶太演出による日本の物マネ版ではユダとキリストとのキスは物マネの分さえも弁えずにおこがましくも割愛された)。

 今回のゲイのヨシュアにもすでにポスト紙が同記事中でカトリック界の反応を紹介している。代表的なものは次のような言説だ。
 「それ(イエスと使徒とのセックス関係が劇で示されること)が本当ならば恐ろしいことだ」「とても信じられない」【注:()内は筆者追記】(ニューヨーク大司教教区スポークスマン、ジョー・ズウィリング)
 「(そのような劇は)言葉に出来ないほどに病的だ」【注:()内は筆者追記】(宗教と市民の権利のためのカトリック連盟、ウィリアム・ドノヒュー)
 冒頭からの2つの劇の視点は、じつは1940年に太宰が『駈込み訴え』【注:《中央公論》昭和15年2月号初出】 で示したものと本質的に異ならない。太宰のユダは次のように、「あの人」と「あなた」の三人称上の憎悪と二人称上の愛情と間の渓谷をめまぐるしく跳び移る対象としてのイエスを、「凡夫だ。ただの人だ」つまり「He's a man. He's just a man」として形容する。
 なんであの人が、イスラエルの王なものか。馬鹿な弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて(中略)欣喜雀躍している。今にがっかりするのが、私にはわかっています。【注:新潮文庫版《走れメロス》『『駈込み訴え』P124】
 ああ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキがまわった。もう、あの人には見込みがない。凡夫だ。ただの人だ。【注:同P128】
 さらに『スーパースター』ではイエスは売春婦として描かれたマグダラのマリアと恋人であるとされ、それについてユダは「あなたのような人があの種の女に身をやつすとは私には奇妙でわけがわからない。そう、彼女が楽しませてくれるのは私にもわかる。だが彼女にその身をさすらせその髪に口づけさせるのはまったくあなたらしくはない」【注:Tim Rice "Strange Thing Mystifying" 1970年】 と嘆くのだが、太宰の『駈込み訴え』ではその恋の相手、マルタの妹のマリアについて同じようにこう「訴え」るのである。
 あの人ともあろうものが。あんな無知な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。取り返しの出来ぬ大醜聞【注:同『駈込み訴え』P126】
 ではマクナリーの「クィアのキリスト」とはどうつながるのだろうか。『キリストの躰』は今秋(編注;1998年秋)のブロードウェイまたはオフ・ブロードウェイでの開演に向け予想されるキリスト教右派の攻撃を回避するためか箝口令下にあり、詳細をいまだいっさい明らかにしてはいない。が、いま現在の取っ掛かりとしては太宰のユダの「クィアネス」の指摘だけでもこのエッセイの意図に適って充分だろうと思われる。

 太宰のユダの心理の流れを任意に、といっても感情の屈折点を示すと思われる部分を順番に書き出していってみよう。
 1)あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
 2)私はあの人を、美しい人だと思っている。(中略)あの人は美しい人なのだ。
 3)私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただあなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。(中略)誰よりも愛しています。
 4)私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。
 5)あの人は、私の此の無報酬の、純粋の愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。
 6)(マリアに関するイエスについて)ああ、我慢ならない。堪忍ならない。(中略)もはや駄目だと思いました。
 7)それでも私は堪えている。あの人ひとりに心を捧げ、これまでどんな女にも心を動かしたことは無いのだ。
 8)(マリアについて)私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。
 9)そうだ、私は口惜しいのです。
 10)あの人は私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。
 11)ああ、ジェラシイというのは、なんてやりきれない悪徳だ。
 12)(イエスを売ろうとしたのを指摘されて)逆にむらむら憤怒の念が炎を挙げて噴出したのだ。(中略)売ろう。売ろう。あの人を、殺そう。
 13)捕えて、棒で殴って素裸にして殺すがよい。
 14)銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。
 こうしてピンポイント的に抽出してみたとき、私たちはこのユダの心理の流れの下に、あの、古典的で、恐ろしいほどに明晰なフロイトのパラノイア分析の主要図式をほとんどそっくりそのままに透かし見るのである。フロイトは次のように指摘した。
 「パラノイアのよくある主要な形態はすべてただ1つの命題、すなわち《私(男)は彼を愛している》という命題の引き起こす否認として説明され得るということは注目すべき事実である。そればかりか彼らは、そのような否認を定型化し得る、可能なかぎりのすべての方途を使い果たすのである。
 《私(男)は彼を愛している》というその命題は次のように否認される。
(a)迫害妄想
 《私は彼を愛していないーー私は彼を憎んでいる》
 この否認は、無意識の中でそれよりほかには表現され得ないが、しかし、パラノイア患者にはこの形を取っては意識されることがない。(中略)《私は彼を憎んでいる》という命題は結果的に他者への投射によって変形するのだ。つまり《彼は私を憎んで(迫害して)いる。そのことが、私が彼を憎むことを正当化する》。こうして、じっさいはこちらこそが動因力であるその無意識の感情が、あたかも外的な認知の結果であるかのように次の形で姿を現すのである。
 《私は彼を愛していないーー私は彼を憎んでいる、なぜならば彼が私を迫害しているからだ》
(b)恋愛妄想
 《私は彼を愛していないーー私は彼女を愛している》
 そして同じように投射への必要性に従順に、この命題は次のように変形する。《私は、彼女が私を愛していることを知っている》
 《私は彼を愛していないーー私は彼女を愛している、なぜならば彼女が私を愛しているからだ》
(c)嫉妬妄想
 《その男を愛しているのは私ではないーー彼女が彼を愛しているのだ》。そして彼はその女性が、彼自身が愛したいと誘われる男たちすべてと関係があるのではないかと疑うことになる。
 (中略)
 さてこの3つの命題を共通して構成している命題、つまり《私は彼を愛している》という命題はこれら3つの異なった方法によってのみ否認されると思われるかもしれない。嫉妬妄想は主体主語を否認する。迫害妄想は動詞を否認する。そして恋愛妄想は対象目的語を否認する。しかし、じっさいは4番目の種類の否認も可能なのである。いわばその命題そのもの全体を拒否するやり方が。
 《私は愛することなどしないーー私はだれをも愛さない》。そして、結局のところは、人のリビドーはどこかへ向かわなくてはならないから、この命題は次のような命題と心理学的に等値になるようである。つまり《私は私だけを愛する》。したがってこの種の否認が私たちに教えるものは、自我に対する性的過大評価として見ることのできる誇大妄想である」【注:THREE CASE HISTRORIES of COLLIER BOOKS edition, " Psychoanalytic Notes Upon an Autobiographical Account of a Case of Paranoia (Dementia Paranoides)(1911年) III. On the Mechanism of Paranoia P.139〜141より北丸が抄訳】

 フロイトのこのじつに数学的な論理の立て方と、いっけん混乱を極める太宰のユダの息切らして駈込み訴えるその饒舌とを、カット&ペーストで私たちは次のように整理することができる。

(a)迫害妄想(被害妄想)《私は彼を愛していないーー私は彼を憎んでいる、なぜならば彼が私を迫害して(憎んで)いるからだ》
1)あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
5)あの人は、私の此の無報酬の、純粋の愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。
12)(イエスを売ろうとしたのを指摘されて)逆にむらむら憤怒の念が炎を挙げて噴出したのだ。(中略)売ろう。売ろう。あの人を、殺そう。
13)捕えて、棒で殴って素裸にして殺すがよい。
(b)恋愛妄想《私は彼を愛していないーー私は彼女を愛している、なぜならば彼女が私を愛しているからだ》
8)(マリアについて)私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。
10)あの人は私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。
(c)嫉妬妄想《その男を愛しているのは私ではないーー彼女が彼を愛しているのだ》
6)(マリアに関するイエスについて)ああ、我慢ならない。堪忍ならない。(中略)もはや駄目だと思いました。
9)そうだ、私は口惜しいのです。
10)あの人は私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。
11)ああ、ジェラシイというのは、なんてやりきれない悪徳だ。
(d)誇大妄想《私は愛することなどしない||私はだれをも愛さない。私は私だけを愛する》
7)それでも私は堪えている。あの人ひとりに心を捧げ、これまでどんな女にも心を動かしたことは無いのだ。
14)銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。
 そしてこれらの命題の陰に、フロイトは何があると指摘したのだったか。そう、それはいまここで分類し残した太宰のユダの吐露と一致する。つまり、《私は彼を愛している》という、フロイトの言うすべての男性に存在する可能性としての無意識下の唯一の大前提と、作家太宰が意識の上に恥ずかしげもなく引きずりだした愛と。
2)私はあの人を、美しい人だと思っている。(中略)あの人は美しい人なのだ。
3)私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただあなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。(中略)誰よりも愛しています。
4)私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。
 ところでパラノイアはすべて外界からの知覚と内的な動因との齟齬によって惹起される。この葛藤は内的な同性愛的動因を外的な異性愛的知覚に投射して合致させることで歪みを生じさせ、ついには病理学的な領域へと踏み込むのである。しかしここで注意しなくてはならないのは、フロイトの指摘した病理は、同性愛的動因ではなくて、その内的動因と外的知覚との歪みのことだということである。冒頭部分で示した「ゲイのキリスト」に対して、右派キリスト者たちが「それ(イエスと使徒とのセックス関係が劇で示されること)が本当ならば恐ろしいことだ」「とても信じられない」「(そのような劇は)言葉に出来ないほどに病的だ」とした「恐ろしい」「信じられない」「病的」という指摘は、フロイトが同じ嫉妬妄想の記述で展開した「主語主体の転換とともにすべてのプロセスが自我の外に投げ出される」【注:同THREE CASE HISTORIES P.140】のと同じ論理構造を持つことも指摘しなくてはならないだろう。こうした病理学の領域へと投げ出す無自我の言説が蔓延る社会では、(まるで同性愛者のように)心優しき太宰読みである奥野健男がせっかくその『駈込み訴え』の解説で「ぼくはこの作品を翻訳、出版し、西洋諸国の人々に読ませたい気がする」【注:新潮文庫版解説P.247】と書いても、結果は、たとえ「ゲイ」が「キリスト」ではなくこれまでさんざんに汚辱を負わされてきた「ユダ」のほうであったとしても、嫉妬妄想的に「キリスト」と「ユダ」の主語主体は混同され、全体像を否認する形の木っ端微塵の悲惨なものになるだろうことは覚悟しなくてはならない。
 ところがそういう浅薄な読みを越えて、ここではフロイトのパラノイア患者とこのユダの造形者太宰との違いを指摘しておかなければならない。さきほど「太宰が意識の上に恥ずかしげもなく引きずりだした愛」と記したのは、まさにそれこそが太宰文学の核心であるだろうからだ。フロイトは、患者自身の同性愛的感情についての「この否認は、無意識の中でそれよりほかには表現され得ないが、しかし、パラノイア患者にはこの形を取っては意識されることがない」と記したのだが、太宰のユダはその感情を明確に意識しているのである。
 彼はキリストへの愛ばかりか、「ああ、ジェラシイというのは、なんてやりきれない悪徳だ」という述懐で自らの嫉妬妄想を、「ああ、もう、わからなくなりました」という混乱の自覚で恋愛妄想を、「逆にむらむら憤怒の念が炎を挙げて噴出したのだ」という解説で迫害妄想を、そしてこの小説最後の結語「私の名は、商人のユダ。へっへっ。イスカリオテのユダ」という場面の「へっへっ」に象徴される空恐ろしい自意識の自嘲で、自らの誇大妄想をも自覚しているのである。
 このとき、「クィアネス」はこのユダのセクシュアリティのみの「変態性」から飛び立って、ユダの意識そのものの「変態性」へと突き刺さるのだ。それはトム・ライスの描いた『スーパースター』ではユダとイエスのキスの場面以外では意図してかしないでか覆われていた、そしてテレンス・マクナリーの『キリストの躰』とは「クィア」という言葉を介して少なくとも表沙汰としては繋がり得るだろう変態性のことである。それはミシェル・フーコーの言葉を借りれば「制度」が「虚を突かれてしま」うような変幻自在な関係性のことなのだ。
 フーコーは次のように記している。
 「私は、こうしたことこそが同性愛を「当惑させるもの」にしているのだと思います。性行為そのものよりも、同性愛的な性の様式の方が遥かに。法や自然に適合しない性行為を想像することが、人々を不安にするのではありません。そうではなくて、個々の人間が愛し合い始めること、それこそが問題なのです。制度は虚を突かれてしまいます。(中略)制度的諸コードは(中略)こうした関係を合法化することができないのです。制度内にショートを引き起こし、法や規則や慣習のあるべき所に愛を持ち込むこうした諸関係を。」【注:ミシェル・フーコー『同性愛と生存の美学』哲学書房1987年5月刊、増田一夫訳P.12〜13】
 私たちはここで、太宰の場合に、「パラノイア」という制度的諸コードの1つが、あるいは制度によってコード化される心的諸メカニズムの1つが「虚を突かれてしま」っているさまを目の当たりにする。何によってか。それはユダのキリストへの愛の自意識によってである。そしてこの「愛の自意識」こそ、「同性愛的な性の様式」と「クィアネス(変態性)」とを二股分かれにグニョグニョと変形動員して、「愛」の「制度的諸コード」を深く「突き」貫き、復活の前にある死に向けて「ショート」させるロンギヌスの槍なのである。
 もう一人の卓越した太宰読みである吉本隆明はこの太宰の「クィアネス」について次のように述懐している。
 「太宰治という人は、ぼくがお会いしたときには、まことに見事に常識でいう社会的な善と悪が、ちゃんとひっくり返っている人になっていました。つまり、一般的に人々がいいことだとおもっていることは全部悪いことで、悪いことだとおもっていることは全部いいことだというふうに、完全に、揺るぎない自信でひっくり返っていまして(後略)」【注:吉本隆明「愛する作家たち」コスモの本、P.34】
 サルトルによる『聖ジュネ』を、つまりはサルトルの目に映った世紀のクィア、ジャン・ジュネに関する言説を強く連想させるこの文脈においてすら、デフォルトとしての異性愛を「完全に、揺るぎない自信で」信じている吉本が太宰の「同性愛的な性の様式」を指摘できないことは無理もない。先に指摘した「愛の自意識」に関しても彼は同じ論考で次のように統括している。
 「太宰治の根本的なモチーフは、家庭愛でも人類愛でも男女愛でもいいんですけど、愛ということだとおもいます」【注:同P.41】
 吉本ほどの書物の解体論者がすべての男性のパラノイアの唯一の原因命題である「私(男)は彼(男)を愛している」という、これ自体は病理ではないのだから特殊命題として排除する理由もないむしろ公理を、太宰の中から見逃しているのはどういう理由からなのだろう。
 太宰に関しては前述した『駈込み訴え』ばかりでなくじつはいくらでも「同性愛的な」たたずまいを摘み出すことができるのだ。第1創作集である《晩年》の中の『思い出』【注:昭和8年同人雑誌『海豹』初出】には「私は同じクラスのいろの黒い小さな生徒とひそかに愛し合った」というまさに直裁的な記述があって「お互いの小指がすれあってさえも、私たちは顔を赤くした」とまで書いてある。だがじつはこんなのは牧歌的に「同性愛」的ではあるが「クィア」ではまったくない。クィアの白眉は『彼は昔の彼ならず』【注:昭和9年10月『世紀』初出】の木下青扇であり、『ダスゲマイネ』【注:昭和10年10月『文藝春秋』初出】の馬場数馬であり、『古典風』【注:昭和15年6月『知性』初出】の美濃十郎であり、『乞食学生』【注:昭和15年7〜12月『若草』初出】の自称・佐伯五一郎であり、そしてなによりもそのそれぞれの小説の「私」と「僕」だ。
 たとえば、「ヨオゼフ・シゲティというブダペスト生まれのヴァイオリンの名手」と馬場数馬との邂逅とされる次のような一節に私たちはいったいいくつのクィアな暗示を見つけ出せば足りるのか。
 「その夜、馬場とシゲティは共鳴を始めて、銀座一丁目から八丁目までのめぼしいカフエを一軒一軒、たんねんに呑んでまわった。勘定はヨオゼフ・シゲティが払った。シゲティは酒を飲んでも行儀がよかった。黒の朝ネクタイを固くきちんと結んだままで、女給たちにはついに一指も触れなかった。理知で切りきざんだ工合いの芸でなければ面白くないのです。文学のほうではアンドレ・ジッドとトオマス・マンが好きです、と言ってから淋しそうに右手の親指の爪を噛んだ。ジッドをチットと発音していた。夜のまったく明けはなれたころ、二人は、帝国ホテルの前庭の蓮の池のほとりでお互いに顔をそむけながら力の抜けた握手をしてそそくさと別れ(後略)」【注:新潮文庫版《走れメロス》『ダス・ゲマイネ』P.12】
 さらに、『思い出』には微塵もなかった、愛の確信犯としての、次のような「私」に対するクィアな馬場の告白。(文中「海賊」は共同企画の同人誌のプラン)
 「君を好きだから、君を離したくなかったから、海賊なんぞ持ちだしたまでのことだ。君が海賊の空想に胸をふくらめて、様様のプランを言いだすときの潤んだ眼だけが、僕の生き甲斐だった。この眼を見るために僕はきょうまで生きて来たのだと思った。僕は、ほんとうの愛情というものを君に教わって、はじめて知ったような気がしている。君は透明だ、純粋だ。おまけに、ーー美少年だ!」【注:同P.38】
 太宰の小説には限りなく「美少年」という言葉が登場する。だからこの結句はことさら驚くようなことではない。しかしこの告白の後で馬場が「ちぇっ! ぼくはなぜこうべらべらしゃべってしまうのだろう。軽薄。狂騒。ほんとうの愛情というものは死ぬまで黙っているものだ」と“反省”して“見せる”とき、私たちはそこにとてもストレートで迷いのない『葉隠』の美学を反転させた声を聞くというより、あのオスカー・ワイルドの同性愛裁判での捻じくれたクィア宣言、「最も高貴な愛の形」としての「敢えてその名を告げぬ愛」のほうの、聞こえよがしの逆さ言葉を聞いてしまうのである。

 私が「太宰をクィアする」と題したこのエッセイで為したいのは、しかし、太宰が同性愛者だったとか隠れホモじゃなかったのかとかバイセクシュアルだったかもしれないとかいうような論証ではまったくない。たとえ指摘した彼ら登場人物のことごとくが、ワイルドばかりか、太宰とほぼ同年代のイヴリン・ウォーの手になる『ブライヅヘッドふたたび』の同性愛者のクィア、「プルーストやジードと一緒に食事をする仲で、コクトーやディアギレフとはもっと親しく」「ロナルド・ファーバンクはその小説に熱烈な献辞を書いて送」ったというアントニー・ブランシュ【注:『ブラウヅヘッドふたたび』ちくま文庫、吉田健一訳P.66】をも彷彿させるにしても。
 じつは表題とした「クィア」という(本来は)名詞が、何をどう定義するものなのかということについては、ゲイ・スタディーズ、クィア・セオリーの発祥地ともいえるアメリカでも数多くの議論がなされてきて、結果、「現在」の、「アメリカ」の(と厳密にはきわめて限定的にしかーーそれももっと特定的にという者もあるほどにーー指示できないような)同性愛者たちは、自分たちをゲイと呼ぶべきなのかクィアと呼ぶべきなのかにさえも迷わざるを得ない状況でもある。だが、1つの、きわめて謙虚でありながら遺漏のない定義の提示がデイヴィッド・ハルプリンによってなされている。

 「この言葉の否定的な面も十分承知した上で、その可能性を開いた状態にしておきたいという、というのがわたしの望みである。つまり「クイアー」は(ホモ)セクシュアル・アイデンティティを、必ずしも実質的にではなく、対抗的かつ関係的に、そして実体としてではなく位置として、ものとしてではなく規範に対抗する抵抗として、定義することができるのだ」【注:デイヴィッド・ハルプリン《聖フーコー》太田出版1997年5月、村上敏勝訳『ミシェル・フーコーのクイアー・ポリティクス』P.98。なお、クィアとゲイの間の論議もこの同じ論考のP.90〜100に詳しい】
 私が指摘したいのは、したがってまさにハルプリンの定義どおりの太宰治のクィアネスではあるものの、さらにそのクィアネスの付随によって、彼の「愛」がきわめて「開いた状態」にあるという事実である。もっといえば、だれにでもセクシュアル・アイデンティティというものはあるのだから(フロイトが解説するまでもなく「人のリビドーはどこかへ向かわなくてはならない」のだから)、太宰の小説内のリビドーもどこかに向かっているのは確かなのだ。しかしそれは「どこかに」というより、「どこへでも」辺りかまわず向かっている状態にあり、そんなクィアな心象の中での、ホモセクシュアリティの存在というよりもむしろ、ホモフォビアの不在こそが(不在の証明というのは、じつは人間のアリバイとは違ってとても難しいのだが)問題になるということなのである。したがって前述の吉本の「太宰治の根本的なモチーフは、家庭愛でも人類愛でも男女愛でもいいんですけど、愛ということだとおもいます」というさりげないまとめの言葉は、「家庭愛でも人類愛でも男女愛でもいいんですけど」なんていうさりげないもんじゃねえだろ、と、まさにその部分にこそ、ツッコミが入って然るべきだということなのである。

 ところが太宰のその時代が、時代として同性にも朗々と愛を語れる環境にあったのだというなら話はここで終わる。
 氏家幹人がその労作の(とはいえ奇妙にホモフォビアとホモフィリアの綯い混じった)教養書『武士道とエロス』【注:講談社現代新書1239、1995年2月刊】の中で駆け足で明治・大正・昭和の日本文学における男色・少年愛・同性愛の系譜を紹介している。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』(明治42年《スバル》)や秋田雨雀の『同性の恋』(明治40年《早稲田文学》)、久米正雄の『学生時代』、さらに明治34年までの志賀直哉の「必ずしもプラトニックではなかったやうに見える」少年愛などを紹介しながら、その明治期の牧歌的な少年愛指向が終焉するありさまを稲垣足歩の言葉を借りて「明治の美少年パニック」の風潮は「明治初年から半世紀の間続いてきて、大正期に入るとともに漸く影が薄れた」【注:『武士道とエロス』第二章「君と私」P.79】と説明している。その後に登場するのはどういう言説かというと、大正2年に発表された里見とん(編注;漢字がない。弓へんに享)の『君と私と』(《白樺》4〜7月号)が、学習院中等科時代(明治30年代中期)に主人公「私」里見が「君」である志賀直哉に「男同士の恋」を抱いた事実をモデルにしたことについて、志賀が「イヤな感じを受けた」と書いていることが紹介されている。川端康成もまた齢五十のときの昭和23年の『少年』で大正初期の自らの寄宿舎時代の肉体的な同性愛関係を描きながら、執筆時には「中学校の寄宿舎には、たとひいかなる事情がおありでも子弟を送ることはお止しなさいと、世間の父兄に私は忠告したい」ともらしている【注:同P.66】、としている。

 太宰は明治42年(1909年)生まれ。性に目覚めるだろうときを大正後期から昭和にかけて送っている。「同性の恋」に関する牧歌的な時代は終わり、その種の過去を後悔するような卑屈な言説が登場してくるころである。浜尾四郎の『悪魔の弟子』(昭和4年)【注:『悪魔の弟子』の分析に関しては『ゲイ・スタディーズ』青土社(1997年6月)のキース・ヴィンセントの読み(P.127〜131)が日本のAIDS言説と対照させて興味深い】や夢野久作の『死後の恋』(昭和3年)、堀辰雄の『燃ゆる頬』(昭和7年)など、男同士の恋に、昔ながらの死の香りを付与する相変わらずの言説も再生産されている。そして時代は稀代のホモフォウブにしてホモファイル、三島由紀夫の登場を待つのである。

 したがって、話はやはり終わらない。
 フーコーが次のように語ったことはいまではあまりにも有名である。
 「もうひとつ警戒しなければならないことは、同性愛という問いを「私は何者なのか? 私の欲望の秘密は何なのか?」という問題に引き戻す傾向です。おそらく「どのような関係が、同性愛を通じて成立され、発明され、増殖され、調整されうるのか?」と問いかけた方がよいのではないでしょうか。自分の性の真理を即自的に発見するのが問題なのではなく、むしろこれからの自分の性現象を、関係の多様性に達するために用いることなのです。そしておそらくこれこそが、同性愛は欲望【@デジール】の一つの形態ではなく、ある望むべき【@デジラーブル】事柄であるということの真の理由なのでしょう。したがって、われわれは懸命に同性愛者になろうとすべきであって、自分は同性愛の人間であると執拗に見極めようとすることはないのです。同性愛という問題の数々の展開が向かうのは、友情という問題なのです。」【注:『同性愛と生存の美学』P.9〜10】
 私たちはここでもまた、フーコーのこの「友情」に寄り添うようなものとしての教科書的なテキストを太宰の作品の中に容易に思い浮かべることができるのだ。その『走れメロス』は、欧米で広く知られている「ダモンとピシアスDamon and Pythias」の故事(「メロス」がピシアスで「セリヌンティウス」がダモンに相当する)に太宰が太宰的な肉付けを行ったものだ。

 故事の原型はエドワード・カーペンターの『IOLAUS: AN ANTHOLOGY OF FRIENDSHIP』【注:http://www.fordham.edu/halsall/pwh/iolaus.html に全文を見ることができる】 (1908年)にも友情の形を取る同性愛のケースとして「ダヴィデとヨナタン」の関係などと並んで収容されている。アメリカの場合、1962年にメトロゴールドウィン(MG)が映画化しているが、そこではピシアス(つまりメロス)が暴君ディオニスに一時帰郷の許しを請うのは国にいる妻と子供たちに最後の申しつけをするためということになっている。さらにダモンにおいても(つまりセリヌンティウスにも)彼の愛する女性が登場して、彼がピシアスをその女性に会わせもするという、念入りの伏線が張られている。つまりこの2人は「どう見てもホモに見えるけど、でもそういうヘンなのじゃなくて女と付き合ってるんだからダイジョーブですよ」というわけだ。これを引いたか定かではないが、小学校高学年用に出回っている劇の脚本【注:James Stephan ParksとSally Powell Corbettの共作】もあって、これにも妻と子供が用意されている。付け加えれば、メロスとセリヌンティウスの友情の厚さに感じて最後には「どうか、わしをも(王の面前でひしと抱き合っているその2人の)仲間に入れてくれまいか」と言ってしまう王にも、こちらではきちんとお后がいる。
 対して『メロス』はそこはまったく無防備である。ここには基本的に女性は登場しない。女性は、メロスの帰郷の理由としてのチョイ役を担わされる16歳の妹と、そして最後の最後にやはりチラとだけ出てくる「ひとりの少女」だけだ。そしてその2人とも名前すら与えられていない。しかもこの最終部の少女たるや、登場のわけは「緋のマントをメロスに投げ」るためだけの役である。なぜなら、メロスは(たとえ濁流を渡り山賊を蹴ちらしてきたにしても、だ)なんだか無意味に「まっぱだか」なのである。

 フェミニストたちが読み砕けば必ずや苦虫をも噛み砕くことになるだろうこのテキストは、かくもホモセクシュアルとはいわずともホモソーシアルであることは疑いない。ホモフォビアに向かわないホモソシアリティ……。いやそもそも、太宰の小説に「男女」は登場するのか。太宰は『女人創造』という短いエッセイで自己弁護している。
 「女が描けていない、ということは、何も、その作品の決定的な不名誉ではない。女を描けないのではなくて、女を描かないのである。そこに理想主義の獅子奮迅が在る。美しい無知が在る。私は、しばらく、この態度に拠ろうと思っている。」【注:新潮文庫《もの思う葦》所収『女人創造』P.108】
 太宰のその他数多のミソジニー的言説は彼のホモソシアリティと裏表にある。しかしこの「理想」は、いま一つ、フーコーが関心を寄せた問いかけと重なる。フーコーはその「友情」の形として(そして太宰が材を取ったと同じ)古代を、現制度をショートさせる虚構としての可能性の叩き台の1つとして持ち出すのである。
 「すなわち、男たちにとって共にあるということはいかにして可能なのか? 共に生き、時間を、食事を、寝室を、余暇を、悲しみを、知を、秘密を分かち合うことはいかに可能なのか? 家族、職業、強制された仲間関係といった制度的な関係の外で、「ありのままの」男同士でいるとは何なのだろうか?」【注:『同性愛と生存の美学』P.10】
 その問いに、「単純な男であった」メロスが、じつは答えを(あるいは答えの暗示を)与えている。シラクスの市の、すでに沈もうとする夕陽を受けてきらきら光る塔楼が見え、セリヌンティウスの弟子であるフイロストラトスが「あなたは遅かった」と叫ぶのを「いや、まだ陽は沈まぬ」と走りつづけるメロスは、「間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ」として、「私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ」と宣言するのである。

 「なんだか、もっと恐ろしく大きいもの」||それは友情か信義か愛か? いや、違うのだ。メロスはすでにこれら「愛と誠の力」や「友と友の間の信実」や「名誉」という言葉なら口にしている。「殺される為に走るのだ」とも「身代わりの友を救う為に走るのだ」とも「王の奸佞邪知を打ち破る為に走るのだ」とも言っている。そういうものならわかっている。しかしここでは、そういうものではない「なんだか(わからないもの)、もっと恐ろしく大きいもの」「わけのわからぬ大きな力にひきずられて」走っている。わかっていることをふとすべて棄却して、そういうものばかりではない、「単純」ではないなにかがそこに待ち受けていることを一瞬だが洞察するのである。それは、このメロスの物語が大団円で閉じるそのときにはすっかりあっさり忘れられ、ついに解決されることはないのだが。

 「男同士でいるとは何なのだろうか?」。その答えもまたなにかもっと恐ろしくて大きいものだ。制度を撹乱し不安にし、他方で男同士でいるその男たちにも苦行と脱性器化の、新たな関係の地平の発明の継続を求めるもの。
 この二つを結びつけることーーほんとうのことをいえばそんなこと、へっへっ、力技に過ぎるのは当たり前だ。太宰の時代にそして太宰の日本に東京に、ミソジニーもホモソシアリティも、さらには私たちがいま使っている道具としてのセクシュアリティの概念も、そんなものは存在しなかったのだから。それはまさしくフーコーがK・J・ドーヴァーの『ギリシャにおける同性愛』【注:邦訳、リブロポート1984年刊、中務哲郎・下田立行訳】を指して「この本において最も重要だと思われるのは、ドーヴァーが同性愛・異性愛というわれわれの切り方がまったくギリシャ人やローマ人に対しては適切ではない、と示したこと」【注:『同性愛と生存の美学』P.21】と言ったのと同じだ。太宰がフーコーを、現代で言うセクシュアリティさえをも理解しないのは当たり前だ。ミソジニックと非難されてぽかんと口すら開けるだろう。まったく、何が嫌いかと言って、タイムマシンで訪れた人間がなんだきみはマッチも知らないのかと言うことくらい腹立たしいものはない。おじさん、×ボタンはキャンセルでしょ、としたり顔で言うのもやめにしよう。ただし、「なんだか、もっと恐ろしく大きいもの」があることをこのメロスの作者は知っていたのである。

 「なんだか、もっと恐ろしく大きいもの」とは何か、と問われて、「人生そのもの」とか「生き方すべてをひっくるめたもの」とか、そう答えれば中学校の中間試験では満点を取れるかもしれない。だが、問題は、それを問うたしたり顔の教師という制度コードの虚を突くことなのだ。そして太宰の読者なら、というか太宰をそうまで偏愛的に、つまりはクィアに「愛」している読み手(たらんとする者)なら、その太宰の意味する「人生」とか「生き方」とかいうものが、いったいどんなに恐ろしく自由で対抗的で苦しく開かれているかを(その女性嫌悪の深層をも片目で客観的に見据えつつ)一瞬でも透視する機会を見逃すべきではないということなのだ。私が奥野健男を指してずっと先で「同性愛者のように心優し」いと、現実の同性愛者一般とは関係のない喩えを持ち出したのはそういう意味である。さらに吉本隆明を指して「デフォルトとしての異性愛を完全に、揺るぎない自信で信じている」としたのも、また同じくそういう意味である。吉本はフーコーの『同性愛と生存の美学』に関する書評【注:『言葉の沃野へ・下』中公文庫P.61〜69(「マリ・クレール」1987年7月号初出)】で「脱性化」と「脱性器化」とを読み違え、さらに「同性愛という主題は当事者にとって切実で深刻な主題であるほどには、当事者でないものには切実でも深刻でもなく、性の自然さにゆだねたまま流し過ぎてしまう面がある」と言ってしまう。「流し過ぎて」は私が読んだように「流してそのまま過ぎてしまう」の意味なのか、それとも私の誤読で「流してしまう傾向が多過ぎる嫌いがある」という反省の描写なのか、後者ならばよいのだけれど、そのあとに続く文がたった3行で結びとなってしまっているために後者の読みとは繋がらず、結果、「性の自然さ」の部分を換えればこれは「同性愛という主題」でなくとも、「女性問題」でも「部落問題」でも「世田谷3丁目の野良猫問題」でも同じだろうということになる(にもかかわらず、最後の文では脈絡不覚に唐突に「エイズ」を口に滑らせる)のである。

 ここまで書いたとき、朗々たる愛のクィアな確信犯である太宰を、どうして三島があれほどまでに毛嫌いしたか、川端が昔の「中学校の寄宿舎」を振り返るように眉を顰めたか、志賀が鼻糞でも丸めるように太宰を無視したかの理由の一つが見えてくる。それが見えたとき、日本文学もそしてまた、自分がクィアであると(クィアという言葉を知らなくとも)自覚している者と、自分がクィアであることを糊塗しようとする輩と、そしてその2つがどうしても理解できないストレートな道を勝手にうねりながら進む連中との3種類に、ぱたぱたと分類できてしまうのである。
 そうして問題は、問題というものがいつも最後にそうであるように、自分はそのどれなのかということ、いや違う! そのような「私は何者なのか?」の問いに引き戻すことではなく、そうではなくて、「われわれは懸命に」、そのどれに「なろうとすべき」なのかと問いつづけることなのである。

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