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May 31, 2006

うちの義経

ちょっと触れてもいましたが、13年間連れ添った我が家の猫の義経くんの、右腕の上腕部に腺癌による腫れが見つかりました。で、これはおそらく、肺に出来た腺癌からの転移であろうという可能性が最も高いようです。

その場合、余命4カ月足らず、だそう。

でね、両方とも切除してしまうのがよいと、NYで最も大きな動物病院であるアニマル・メディカル・センターの担当医に告げられました。

重要なのは、とにかくなるべく最後まで楽に生きていられることですわね。手術しないと腕はどんどん腫れ上がり痛くなり、肺からがんがリンパ腺や他の部位に転移したり、肺自体も呼吸困難になって食欲も落ちるだろうとのこと。そりゃかわいそうだ。でも最期はどっちの道でも同じなんでしょうけど、そこにいたるまでを楽に過ごさせてやりたいわけで。

で、手術からは2〜4週間で回復する見込み(合併症とかが起きなければ)。で、残る3カ月近くがそれで楽になるなら、と思うのです。3カ月というのもわからんのだけどね。肺がんになった猫は、平均で約115日しか生きられないんだそうです。なんかすごく具体的ですよね、数字が。

でも一方で、手術して、そんで予後が悪くて、というか手術が負担でなおさら具合が悪くなって、そんでフルに回復しないままどんどん苦しくなっちゃったらもっとかわいそうだよなあ、なんて、心は揺れ動く。

キモとかはあまり効果はないようで、手術が最善のオプションだといわれました。

手術からは、2〜3日後に退院できるそうです。

手術させようっと。
またオシッコ臭くなって帰ってくるの、かわいそうだけど。
なんか、腕取っちゃったら治るんじゃないかって、バカなこと考えてるんですけど。そんなこと、ないですよね。ふーむ。

***

これを読んだお仕事関係の方、どーか、お仕事くださ〜い。
マジでお金かかるんで〜す。

***
すり寄りて舐めくる舌のあたたかく違うよ慰めらるべきはきみ

ひくついて夢見てるんだ春日向きみも生き物ぼくも生き物

どこにでもついてくる癖びっこひいて来なくていいよトイレに行くだけ

首を上げ上目遣いで仰ぐきみよごめんなぼくは神ではないんだ

陽溜まりや青葉薫風いのちに溢れ五月はいつもなにかを喪う

(俳句にはできなんだ。三十一文字だと、なんだかぜんぶ、口からついて出てきた)

May 29, 2006

力を入れればチューブのお尻が破れる

近年まれに見る痛快な奇想ですわね、こりゃ。
ま、産経新聞の記事をお読みください。

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「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?

 卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。
 替え歌の題名は「KISS ME(私にキスして)」。国旗国歌法の制定以降に一部で流れ始め、いくつかの“改訂版”ができたが、今年二月の卒業シーズンごろには一般のブログや掲示板にも転載されて、広く流布するようになった。
 全国規模で卒業式、入学式での国旗掲揚、国歌斉唱に反対する運動を展開するグループのホームページなどでは、「君が代替え歌の傑作」「心ならずも『君が代』を歌わざるを得ない状況に置かれた人々のために、この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となる」などと紹介されている。
 歌詞は、本来の歌詞と発声が酷似した英語の体裁。例えば冒頭部分は「キス・ミー・ガール・ユア・オールド・ワン」で、「キー(ス)・ミー・ガー(ル)・ヨー・ワー(ン)」と聞こえ、口の動きも本来の歌詞と見分けにくい。
 歌詞の意味は難解だが、政府に賠償請求の裁判を起こした元慰安婦と出会った日本人少女が戦後補償裁判で歴史の真相が明らかにされていくのを心にとどめ、既に亡くなった元慰安婦の無念に思いをはせる−という設定だという。皇室に対する敬慕とはかけ離れた内容で、「国家は殺人を強いるものだと伝えるための歌」と解説したホームページもあった。
 ≪陰湿な運動≫
 高橋史朗・明星大教授(教育学)の話「国旗国歌法の制定後、正面から抵抗できなくなった人たちが陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動だろう。表向き唱和しつつ心は正反対。面従腹背だ。国会審議中の教基法改正論議で、教員は崇高な使命を自覚することが与野党双方から提案されている。この歌が歌われる教育現場では、論議の趣旨と全く反する教育が行われる恐れすらある」
     ◇
 ■「君が代」の替え歌 歌詞と訳
 【詞】
Kiss me, girl, your old one.
Till you're near, it's years till you're near
Sounds of the dead, will she know?
She wants all told, now retained.
For cold caves know the moon's seeing the mad and dead.

 【訳】
 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。
(産経新聞) - 5月29日3時16分更新


***

何が面白いかって、この英語、一応意味が通じるし、ちゃんと君が代に聞こえないこともない。

もっと面白いのは「高橋史朗・明星大教授(教育学)の話」。「陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動」とかって、でもこれ、「陰湿」な感じはあんまりしないんじゃないかなあ。
それと「屈曲」ねえ。まあ、まっすぐじゃないわな、わたし bent ですからそもそもそういうのが好きなのかも。ってか、権力が正面からドドってやってくるときに、非権力者たちはそれを躱すために躯を柔らかくしてくねくねといろんな策を練っていたのであって、高橋史朗ちゃん、民衆の教育ってのはそれが醍醐味、そうも含めて考えないとダメなんでないかね? 産経は北朝鮮関連の工作員もしくはその周辺の反日活動と関係しているのかもしれないと(例の産経抄でも)臭わしておりますが、まあそういうこともあり得るだろうけどね。それより、ここまで(屈曲的に)知的だと、こちらも自覚的にあるいは対抗的に知的にならざるを得ないから、そんで赦せちゃうというか、敢闘賞をあげてもよいような気になってくる。

それと、「表向き唱和しつつ心は正反対。面従腹背」とかっていう批判はむしろ、それを強制させた方に向けられるべきものであって、意を尽くす努力なしに強制すれば面従腹背というのは当然の結果として生じてくるのは歴史の常。そこを考えずにけしからんっていうのは、ひとの家に放火しといてその家から逃げるとは何事だって怒ってるような、盗人猛々しいというか(ちょっとちがうか)、お門違いの批判でしょう。

けっきょくはあれでしょ、日本国の首相も言ってたじゃない? 靖国参拝に関して「私の心の問題だから、他人が口を挟むことはしてもらいたくない、また口をはさむことが問題だ」って。

君が代、日の丸も心の問題。心を尽くさずして強制したつけがお尻から出てきただけの話で、私はむしろこの替え歌は、とても屈曲しつつもちゃんと光を求めて空へと顔を出す松が枝のようにたくましく健康的に見えます。

それにしても産経がこれを報じたというのがいいですわね。これが朝日だと新聞沙汰にしてさらに意図的に煽ってるみたいな印象になるが、産経だと、批判しつつもなお、結果的に世間に流布・流通するって感じの段取りを踏むだろうから。皮肉なもんだ。

ちなみに、歌は次のように日本語音に対応します。

Kiss me, girl, your old one.
き み  が よ お わ
Till you're near, it's years till you're near
ち よ  に    や  ちよ   に(it's は飲み込む)
Sounds of the dead, will she know?
さ  ざ   れ  ぅいし の
She wants all told, now retained.
 いわ   おと  な りて(最初のS音を脱落させる)
For cold caves know the moon's seeing the mad and dead.
  こ け  の    むう  すう    まあ あ で(最初のFor は言いかけて飲み込む)

May 19, 2006

共謀罪

うちの猫が、義経というのですが、ガンになっちゃったかもしれなくて、先週から病院に行って検査、検査です。右前肢の、人間でいう二の腕の部分が腫れ上がっていて、原因不明。ビッコ引いてるんだよね。かわいそうに。おまけに右肺にも影が見つかりました。レントゲン、生検、CTスキャン、生検、と繰り返して、来週半ばまで結果が出ない。

6年前、ヨシくんの母親のギャビちゃんが右前肢をひょいと上げてビッコを引くようになったのでお医者さんに連れて行ったのですが、原因不明。それから数週間後に引きつけを起こし、病院に急行し、入院し、その夜に死んでしまった。最後にはお医者さんの診察台の上で目も見えなくなっちゃって自分でパニックを起こしてみゃーみゃー鳴いて、かわいそうだった。脳腫瘍だったんだろうって、あとからお医者さんにいわれて、わかってもどうすることもできなかったと慰められたけど、先週の月曜にこんどはヨシくんが右前肢をひょいと上げているのに気づいて、わたしは、ああ、血の気が引くってのはこのことだってわかりました。

まあ、脳腫瘍でもない、骨にも異常はない、ということで、いまのところ本人も痛がってはいないようで、でも、きっと軟組織の肉腫の疑いが強いってことなんですわね。腕を取っちゃったら予後はいいんだろうか。

ネットで同じような症状を検索しても出てこないんです。

ま、というわけでヨシくんのことにかまけてますけど、日本では共謀罪の成立が土俵際のせめぎあいになっています。あまりにも唐突な話題転換。でも、そうなんだからしょうがない。

まったく、いろんな悪法が自民党によって強行採決されてきたけど、これも歴代トップ級のとんでもない法律だってこと、肝に命じておいてほしいです。

難しいことわからない人、おれを信じろ。この法律は通してはダメだ(といってきた法案はすべて通っちゃってきてるけどねえ)。

こういうときに必ず聞こえてくるのが「べつに自分で罪を犯していないなら心配する必要はないじゃないか」というやつです。「悪いことさえやらないなら、きみには関係のない法律だ」、すなわち、「そういうのに神経を尖らせるのは、なにかやましいことがあるからだ」となって、「そういう法律、べつにあったっていいんじゃないの?」「ダメだっていう理由ないじゃん」という結論になるわけですよ。

でも違うの。
法律ってのはね、たとえ政府が変わっても、この法律があれば大丈夫ってものを作っていく、それが基本。まあ、クーデタなんかだと法体系自体が無視されちゃうけど。

で、自民党支持者は、たとえ共産党が政権を取っても、この法律はきちんと運用されると思うのか、というふうに考えてみる。まあ、共産党が政権を取ることはないだろうし、そして、現在の日本共産党は自民党の毛嫌いしたかつての政党とは違ってしまっているけど、それは今という刹那のこと。そうじゃなくて、たとえ、とんでもない連中が政権を取ってもこの法律を安心して存続させていられるのかどうか、そこを考えなくちゃダメなのですわ。そんじゃなくては、怖くてしょうがない(いまの自民党だって怖いのに)。だいたいね、法律ってのは、恣意的に使いたくなるもんなの、権力を持つと。だからなおさらそこを締めなきゃならんのです。だって、こないだだって日テレのアナウンサーの炭谷宗佑(26)っていうバカが女子高生のスカートの中を盗み撮りしたのに、日テレは個人情報保護法なんだかどーだか知らんが、「プライバシーに関わることなのでコメントできない」とかって、あんた、報道も扱っているメディアの言うこととは思えないコメントだもんね。なによ、その不公平は。

そういうもんなんすよ。奢れるものって。

そう考えたら、共謀罪、危なくて、自民党ですら反対すると思いますよ。
だからダメなの、これ。

つまり、自分が悪事をするかどうかではなくて、政府を信頼するかどうか、なのですわ、問題は。そんで、その政府ってのは、いまの政府だけではなく、その法律が続く限りの、未来永劫のいろんな可能性の政府を含めて、なわけ。

あなたの嫌いなやつらが政権を取ったと想像してみてください。そんで、ここが肝心なのだけど、そいつらもあなたが大嫌いなのです。そんなやつらがこの共謀罪を大嫌いなあなたみたいな連中にどう使ってくるか、怖くありませんか? そういうことなのです。そこまで責任を持った上でこの法律はいいのかどうか。

法律というのは万事、だから徹底して、恣意的に運用され得ないものを作らなくてはいけないのです。

あちこちの人権派のHPで、こんな場合も逮捕される危険があります、こんなことをしても訴追されるかもしれません、という脅しの宣伝をやっていますけど、あれ、基本的にあんまり効果ないと思うんですよね。だって、ふつうの人は「悪いことさえやらないなら、わたしには関係ないもん」だもん。そういう人には、脅しにすらなってないんですよ。

豪腕・小沢の腕の見せ所。「国際条約に関する法律を政争の具にするのはよくない」と河野衆院議長が自民党に要請しているようですが、いや逆の意味でこれはまさに小沢民主党最初の政局です。どんどんぶつかる覚悟でやっていただきたいわね。

May 16, 2006

1ドルの仕事、1億円の仕事

 先月のフォーブス誌によれば、米国の売上上位500社(Forbs 500ってやつです)の昨年のCEO平均報酬は1090万ドル(12億円)だったそうですね。うち51%、560万ドル分がストックオプションの行使で得た収入だそうですんで、そのまま給与というわけでもないんですが、12億円というのは1カ月に1億円の収入ですわ。

 トップのキャピタル・ワン・ファイナンシャルのリチャード・フェアバンクCEO(55)にいたっては、ほとんどストックオプションながら2億4930万ドル(275億円)の収入だったとか。こちらは1日で7500万円の計算。いったいどういう仕事や業務がそれほどのお金の価値に値するのか、浅学な私には皆目見当もつきません。ちなみに日本の上場企業の社長さんは年収で平均4000万円くらいなんですって。まあ、このくらいなら想像できる金額ではありますがね。

 とふと、その号が発売されてややした5月1日に、全米で「移民がいなくなった日」と題した中南米系移民の一斉スト及びデモが行われました。米国内で働いている不法移民は720万人に及ぶのですけど、そのとき、頭の中で、あ、この人たちがみんな1日分の賃金で10セントずつ少なく支払われていれば、フェアバンクさんへの1日7500万円がちょうど出てくる計算だな、と思っておりました。いや、これはとても失礼な素人比較ではあります。フェアバンクさんのお仕事はとてもストレスフルで、1日7500万円もらってちょうど割が合うほどなんだ、というのかもしれない。でもねえ。ほんと、フェアバンクさん、貰ってるということはそれだけの価値を生み出してるってこと。そんな巨額なお金をまいにち生み出しているのかしら? まあ、いずれにしても氏に行っているお金はだれかがどこかで生み出しているに違いはないのでしょう。

 私は、じつはダウンタウンのSOHOの入り口というか、あのハウストンとブロードウェイの角にあるクレイト&バレルって店が好きで、ふと散歩がてらに覗くこともしばしばです。品の良い食器とかグラスとかがポーランドとかあそこらへんから大量に輸入されているせいでしょうか、すっごく安い値段で売られてたりして、うちでよくパーティーをやってワイングラスも大量に仕込まねば割れたりしてすぐなくなっちゃうので、あそこで大振りのボルドーとかブルゴーニュ・タイプのグラスをバーゲンで3ドルくらいで買っちゃうわけです。で、クリスタルなんですよ。大量生産品ではありますがいちおう手吹きですし、そんなとき、3ドルじゃなくたとえ5ドルもらっても10ドルでさえ、私にはこのグラスは作れないなあと思ってしまってしょうがない。だいたいNYではガラスの工房を借りるだけでも何十ドルもしますし、話は違うがコットンの下着が3枚で9ドルとかも私にはぜったい作れない。こちとら文章を書いてるだけですからね、よく考えると、けっこう自己嫌悪のタネが仕込まれたりします。

 でね、こんなに安くていいのかなあ、と思うわけです。まあ、バカラの200ドルのグラスにはそれなりの,それこそ品格みたいなものさえ感じられますが、作れないにしても、200ドルなら作ってもいいかなとは思う。で、クレイト&バレルの方のグラスは everyday wine 用だからこれでじゅうぶん。しかし、3ドルって、おれはぜったいに作れないというより、作らない。そんなお金で仕事なんかできませんもの。

 付加価値まで含めた第1次や第2次産業製品の総体価値がそのまま社会全体の実体価値ではないのでしょうが、どこかで富は生み出されている。それがわずかずつではあるが最下層には少なく配分され、わずかだからたいして騒ぎ立てたり怒ったりするほどのことでもないけれど、そうやって見過ごしているうちに過少払い分が上位層に順次吸収されていって、それで最終的に何百人か何千人かの、宝くじ的な報酬へとつながっていく。塵も積もれば、の逆典型。とどのつまりはこれが「格差社会」の仕掛けなんでしょ? ま、昔いってた資本主義経済の弱肉強食、食物連鎖ってヤツだけど。

 宝くじ、といいましたがそうですわね。100円くらい簡単に出しちゃいます。気にならない。でも格差社会が宝くじと違うのは、当選者がだいたい決まっているってことです。

 その当選者層に入り込みたいという各人の意欲と努力が競争と切磋琢磨という社会のエネルギーを生み出すのだ、という論理はよくわかりますし賛成もしますよ。だが、いくらなんでもひと月に1億円というのは違うだろうという気がするんですよね。

 だって方や人目につかぬNYのチャイナタウンの縫製工場では、背広1着縫って工賃はわずか1ドル前後なんすよ。たった1ドル。それも違うでしょう。そう思わへん?

 アメリカンドリームはいまや、いつか当たると思ってもじつは当たりくじのないインチキゲームと同じになっているとちゃうかという指摘もあります。むかし、お祭りの夜店にそういうのがあったけど。日本では小泉が格差社会について「成功者をねたむ風潮、能力のある者の足をひっぱる風潮は厳に慎んでいかないとこの社会の発展はない」なんて格差社会とはまったく関係ないことをいってごまかしてましたが、アメリカみたいに1着1ドルと1カ月1億円ってな差が出来ている社会、だれか調整してくれないと、こんなふうにねたみたくなってからでは遅いんですわ。で、小泉政権の“推進”する格差社会というのは、政府の社会不均衡調整機能ってもんをはなから放棄しちゃった職務怠慢なんじゃないのと思う今日この頃です。

May 05, 2006

ホモフォビア撲滅運動

さいきんやたらと気が立っていて、それもこれも、わたしもご多分に漏れずミクシなんてものに参加しているのですが、そこで垣間見るいわゆる一般ピープルの「書き込み」というのでしょうか、あれです、日記とかレビューとかで書かれている内容ですわ、それに、いちいち反応してしまうのは大人げないと思いつつもついつい読み込んじゃったりしてしまい、なんというのでしょう、日本のいまの雰囲気というんでしょうか、乗っかっちゃっているその神輿というのでしょうか、そういうものがとてもとてもと繰り返すほどに阿呆らしくて、だいたいがまああれです、れいの「国家の品格」ですわ、あれ、まだ書籍売上で週間トップなんかを取っているのですよ、そんで、そのミクシ内にも溢れるレビューなんかを読んでいると、ほんと情けなくなるというか叱りつけたくなるというか、みなさん、まあ言祝ぐこと言祝ぐこと、いったいどーなっちゃってるんでしょう、日本の知的レベルは。そもそも、知的ということが価値を持ったことがないのかもしれない、というくらいにとんでもないことになってしまっているようです。

で、障害者自立支援法です、教育基本法です、共謀罪です。
わたしはかつて小泉の登場によって日本の政治に私語が持ち込まれたと、その点では評価した一人ではありますが、いま、そんな自分の不明を恥じます。ごめんなさい。この5年は、けっきょくとんでもないところに日本を招き入れてしまった。ワンフレーズ政治でどんどんひとびとがものを考えずに引っ張られるようになってしまった。小泉のことをちょっとでも面白がった自分が恥ずかしい。ことはホリエモンとは違って一国の総理大臣。権力の在り様が違った。自民党は壊れたわけではなく、小泉に成り代わっただけだった。

そういう苛立ちの中で、5月17日は国際的な「ホモフォビア反対運動の日」だということで、大阪府議の尾辻かな子さんから反ホモフォビアに関する協賛コメントを求められたので、書いたのですが、これもまたろくでもない文章になってしまいました。

http://actagainsthomophobia.txt-nifty.com/blog/cat5814336/index.html

こんなふうに書いていたら、伝えたい相手は却って引いてしまうだろうという、悪い見本のような文書です。でも、吐き捨てたかったわけですな。頭ごなしに、そう指弾したかった、そんな大人げない文章になってしまっております。

以下、反省を込めて、再録します。
腹を立てるとロクなことはありません。


ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じです。

それは病気です。

フォビアとは病気なのです。
病的な嫌悪感、恐怖心。

いろいろなフォビア(恐怖症)があります。広場恐怖症、閉所恐怖症、高所恐怖症というポピュラーなものから雷光恐怖症、水恐怖症、暗夜恐怖症、あるいは陶磁器類恐怖症、空気恐怖症、言語恐怖症などというわけのわからないもの、はては13という数字が駄目な十三恐怖症(トリスカイデカフォビア)なんていうものさえあります。この場合、治療の対象は「広場」でも「高所」でも「空気」でも「陶磁器」でもましてや「13」という数字でもないのと同じように「同性愛」ではありません。治療の対象は「恐怖症」のほうです。つまりあなたがホモフォビック(同性愛恐怖症的)ならば、治すべきはあなたの嫌いな「ホモ」たちではなく、あなた自身の恐怖・嫌悪という病的反応のほうだということです。

まずは病識を持つことです。自分が病気だと思っていない病人ほどたちの悪いものはありません。あなたが「生理的」に苦手だと思っている「ホモ」たちは、じつは「ホモ」たちが悪いのではなくてあなたの「生理」が異常なのだと自覚することです。

いやいや、そんなに大袈裟なものじゃなくて、ただなんとなく「嫌」なんだ、と思っているだけなら、ああ、そりゃよかった。それは病気ではありません。それはホモフォビアではない。それは思い込みです。あるいはたんなるフリ、そういう格好をしといたほうが無難だ、あるいは、受ける、というふうに思っての仕草に過ぎません。それは専門的な神経症の治療を施さなくともだいじょうぶです。だって、それはたとえば「納豆が嫌い」というのと同じ、「ヘビがだめ」「クモは苦手」「芋虫、食べられない」というのと同じだということでしょう? だれも無理なものを食べろなどとはいいません。触れともいいません。好きになれとは無理強いしない。安心なさい。万が一そういわれても決然とNOといえばよろしいだけの話です。だが、あなたが嫌っても苦手でも叫んでも、ヘビや納豆は厳然と存在する。カエルやナメクジに罪はない。ボクラハミンナ生キテイル。それが世界だ。そういうもんだ。

それとも、あなたはそれだけじゃ気が済まなくて、それらすべてを一掃したいと思っているのですか? だからヘビや納豆を見ただけでぎゃーぎゃー騒がしく自分の嫌悪を表明し賛同者を募るのでしょうか? ゴキブリはぜんぶ殺せ。クモは死ね。納豆なんか殺菌しろ。陶磁器は生き埋めだ。民族浄化だ撲滅だ。クリスタルの夜だ。セルビアの悪魔だ。

もし、そんなあなたが、好悪に関しても発達過程にあるせいで自分を納得させるためにもどうしても騒がしい表明をしてしまわざるを得ない小学生ではない場合、そんなあなたはやはり病気です。まあ、少なく見積もっても情操障害か。
さらにもし、そのあなた個人の嫌悪の対象が生きている人間であると認識していてすらも、その嫌悪と憎悪と恐怖とを聞こえよがしに振りまいて憚らないというのであるならば、あなたはやはりもっとしっかりと病識を持ったほうがよい。あるいは少なくとも犯罪の自覚を。

ですから、ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じなのです。
それは,病気だ。でないなら、犯罪です。
悪いことはいいません。お治しなさい。一刻も早く。
人間、ひとに危害を加えない努力が肝要なのです。
それがいまの人間社会というものの存在基盤なのですから。
ね。

(筆者注)上記の文章は「病気の人」たちを疎外しようとの意図で書かれたものではありません。むしろ、病者でもないのに「病者を騙る人」たちを炙るための文章であることをご斟酌ください。

May 03, 2006

猫に鰹節

 NYに3年くらい派遣されても英語がペラペラになるようなことはまずありません。で、小さいころから英語をやっていればなあという思いが生まれるのは当然でしょうが、そうしていれば本当に話せるようになっていたのかというとそれはまた別の問題です。

 日本の中教審外国語専門部会が「小学校高学年から英語を必修にする」との方針を示したと聞いて、藤原正彦じゃあないが、こいつはまったくの見当違いだろうとの疑問が拭えません。まあ文部省関連ではゆとり教育だとか愛国心教育だとか、朝令暮改でもとから信用できないのですが。

 子供のころからバイリンガルというのは理想的ですが、よほど言葉の才に長ける子を除いて日本語も英語もどちらも満足に使えない虻蜂取らずの危険も待っています。だいたい中学から大学まで10年も英語をやって話せないものを、小学校高学年からの2年を加えたってどうなるものでもないでしょう。英語のできない原因は他のところにあるのです。

 言葉というのはいくら仕組みや言い回しを学んでも、肝心なことは「言いたいこと」「語りたいこと」があるかどうかです。器を買っても、中に入れる料理がなければ観賞用のただの飾りでしかない。では日本の教育は器の中身を満たすその料理のうまい作り方を教えているのかというとそれも心もとないのです。

 自分なりの意見を持つこと、その意見を人前で表明すること、少数意見を邪険にしないこと、他者への批判や反対はその意見を咀嚼し尊重したうえで行うこと──コミュニケーションのその4つの基本はたしかに日本の教育現場でも奨励されてはいるでしょう。しかしその実現に具体的に努力するよりむしろ、「他人と違わないこと」「むやみに私見を主張しないこと」「公共の場では黙っていること」のほうがうまい生き方だと、多くの子供たちが思っているのではないか? 先日発表の経産省の就職アンケートで、「自らやるべきことを見つけて積極的に取り組む」という「主体性」に自信のある大学生はわずか28%でした。

 あるいは東京都の教育委員会が「職員会議で挙手や採決によって教職員の意向を確認するような運営は行わない」という通知を各都立学校長宛に出したというニュース。かつて「NOと言える日本」を記した石原慎太郎都知事ですが、日の丸・君が代問題でもなんでも教育現場でどんどん「NO」と言うことさえ出来ない状況が拡大しています。ではいったい何を話せばよいのか? 子供たちにだって、話すことではなく「話さない」ことが奨励されている。

 そんな中で英語を話せと言われたって無理なのです。話す主体としての「自分」が無いからです。大切なのは「英語を」話すことではなく、英語で「自分を」語ることだというのに。

 前にも書きましたが、こんな笑い話があります。日本人が事故を起こして大ケガをした。アメリカ人が近寄って大丈夫かという意味で「ハウ・アー・ユー?」と訊いたら、ケガでダラダラ血を流しながらその日本人、「アイアム・ファイン、サンキュー、アンド・ユー?」と笑顔で答えた──あまり笑えた話じゃないですが。

 そうしたらこんどは日本で、中学生から使えるクレジットサービスが始まるんですって。まったく、仕事も収入もない中学生に中身の伴わない「クレジット(信用)」を与えてどう使わせるつもりか。猫に小判。いや、この場合は、猫に鰹節、でしょうか。