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February 15, 2017

対米追従外交

日米首脳会談に関して官邸や自民党は「満額回答」と大喜びです。安倍首相も帰国後のテレビ出演でトランプがゴルフで失敗すると「悔しがる、悔しがる」とまるでキュートなエピソードでもあるかのように嬉々として紹介していました。でも、これ、アメリカ男性にはよくある行動パタンなんですよね。「少年っぽくてキュートでしょ」と思わせたいというところまで含んだ……。

「満額」とされる日米の共同声明は日本政府がギリギリまで文言を練ってアメリカ側に提起したものでした。安保条約による尖閣防衛などに関してはすでにマティス国防長官の来日時に言質を取っていたものの、外交というものはとにかく「文書」です。文字に記録しなければ覚束ない。

対するトランプ政権はアジア外交の屋台骨もまだ定まっていませんでした。日本の専門家もいません。そこに日本の官邸と外務省が攻め込み、まんまと自分たちの欲しかったものの文書化に成功したわけです。

でも、その共同声明の中にひとつ気になる文言があります。

「核及び通常戦力の双方によるあらゆる種類の軍事力を使った日本の防衛に対する米国のコミットメントは揺るぎない」

日本政府は米国の核抑止力に依存していることは認めています。しかしここにある「核を使って」とまで踏み込んだ発言を、これまで日本はしていたでしょうか? 「抑止力」とは核を実際には使わずに相手の攻撃を防ぐ効果を上げる力のことです。でも、その「核」を「使う」と書いた。これは大きな転換ではないのでしょうか? どの日本メディアもその点について書いていないということは、私のこの認識が違っているのかもしれませんが。

いずれにしてもアベ=トランプの相性は良いようで、産経新聞によると安倍首相は「あなたはニューヨーク・タイムズに徹底的にたたかれた。私もNYタイムズと提携している朝日新聞に徹底的にたたかれた。だが、私は勝った…」と言って、「俺も勝った!」と応じたトランプの歓心を得たとか得ないとか。

ただですね、報道メディアを攻撃するのはヒトラーの手法です。歴史的には褒められたもんじゃ全くないのですよ。

さて、マール・ア・ラーゴでの2日目のテラス夕食会で「北朝鮮ミサイル発射」の一報がホワイトハウスからトランプのもとに飛び込んできて、前菜のレタスサラダ、ブルーチーズドレッシング和えを食そうとした時にテーブルは慌ただしく緊急安保会議の場と化したんだそうです(CNNの報道)。その時の生なましい写真が会食者のフェイスブックにアップされて、一体こういう時の極秘情報管理はどうなんているんだと大問題になっています。安全保障上の「危機」情報がどうやって最高司令官(大統領)に届くのか、それがどう処理されるのか、というプロトコルは最高の国家機密です。つまりはアジア外交どころか絶対にスキがあってはいけない安保関連ですら、トランプ政権はスカスカであることを端なくも明らかにしてしまったわけです。大丈夫か、アメリカ、の世界です。

そこには血相を変えたスティーブ・バノン首席戦略官とマイケル・フリン安保担当大統領顧問も写り込んでいました。そしてそれから2日も経たないうちにそのフリンが辞任するというニュースも飛び込むハメと相成りました。

フリンはそもそもオバマ政権の時に機密情報を自分の判断で口外したり独断的で思い込みの激しい組織運営のために国防情報局(DIA)局長をクビになった人物です。当時のフリンを has only a loose connection to sanity(正気とゆるくしか繋がっていない)と評したメディアがあったのですが、事実と異なる情報を頻繁に主張したり、確固たる情報を思い込みで否定することが多く、そういうあやふやな情報は職員からは「フリン・ファクツ Flynn Facts」と呼ばれていました。まさに今の「オルタナティブ・ファクツ(もう一つ別の事実)」の原型です。

そんなフリンが昨年12月、オバマ大統領によるロシアの選挙介入に対する制裁があった際に、その解除についていち早く駐米ロシア大使と電話で5回も話し合っていたというのが今回の辞任の「容疑」です。そもそも彼は「宗教ではなく政治思想だ」と主張するイスラム教殲滅のためにロシアと手を組むべしという考えを持っていた人です。そのためにオバマにクビになってからはロシア政府が出資するモスクワの放送局「ロシア・トゥデイ」で解説役を引き受けたりもしていました。ロシアとはそもそも縁が深い。

今回の辞任は民間人(当時)が論議のある国の政府と交渉して、政府本来の外交・政策を妨害してはいけないというローガン法という決まりがあって、それに違反していると同時に、政策に影響を与えるような偽情報を副大統領ペンスに与えていた(ペンスには当初「制裁解除の交渉はしていない」と報告したそうですが、その後にその話は「交渉したかどうか憶えていない」と変わり、ならばそんな記憶力のない人物に安全保障担当は任せられないという話にもなりました。要は、法律違反、利敵行為、情報工作、職務不適格)という話です。まあしかし、それもフリンのそんな電話会議のことをペンスが承知の上だったなら副大統領までローガン法違反の”共犯”ということになりますから、それはそう言わざるを得ないのかもしれませんし。

つまり疑惑は辞任では収まらないということです。疑惑はさらに(1)こんな重要案件でフリンが自分一人の判断でロシア大使と会話したのか(2)その交渉情報は本当にトランプやペンスらに伝わっていなかったのか(3)ロシアとは他に一体何を話し合っていたのか、と拡大します。おまけにトランプ本人の例の「ゴールデンシャワー」問題もありますし。

実はトランプ陣営でロシア絡みで辞任したのは選挙期間中も含めこれでポール・マナフォート、カーター・ペイジに次いで3人目です。ここでまた浮かび上がるのがトランプ政権とロシアとの深い関係。だってトランプ自身も昨年7月の時点ですでにクリミア事案によるロシアへの制裁解除を口にしていたのですよ。この政権がロシアゲートで潰れないという保証はだんだん薄く、なくなってきました。

ところでそんな懸念はどこ吹く風、ハグとゴルフでウキウキのアベ首相は3月に訪独してメルケルさんに「トランプ大統領の考えを伝えたい」とメッセンジャー役を買って出る前のめりぶりです。トランプ政権の誕生で戦後日本の国際的な位置付けや対米意識により独立的な変化が訪れるのではないかと期待した向きもありますが、自民党政権によるアメリカ・ファーストの追従外交には、今のところまったく変化はないようです。

ところでこの「追従」って、世界的には「ついじゅう」と「ついしょう」の両方で捉えられています。就任1カ月もたたないうちにメキシコ大統領と喧嘩はする、オーストラリア首相とは電話会談を途中で打ち切る、英国では訪英したって議会演説や女王表敬訪問などとんでもないと総スカンばかりか英国史上最大の抗議デモまで起きるんじゃないかと言われている次第。こうして西側諸国から四面楚歌真っ最中のトランプ大統領が、アベ首相をキスでもしそうなくらいにハグし歓待したのも、そういう状況を考えると実に頷けるわけであります。

さあトランプ政権、次は誰が辞めさせられるのか? ショーン・スパイサーか、ケリーアン・コンウェイか、はたまたスティーヴ・バノンか──この3人が辞めてくれればトランプ政権もややまともになるとは思うのですが、しかしその時はトランプ政権である必要がなくなる時でもあります。アメリカは今まさに「ユー・アー・ファイアード」のリアリティ・ドラマを地で行っているような状況です。

November 01, 2016

「女嫌い」が世界を支配する

投票日11日前というFBIによるEメール問題の捜査再開通告で、前のこの項で「勝負あったか?」と書いたヒラリーのリードはあっという間にすぼみました。州ごとの精緻な集計ではまだヒラリーの優位は変わらないとされますが、フロリダとオハイオでトランプがヒラリーを逆転というニュースも流れて、なんだかまた元に戻った感じでもあります。

だいたい今回のメール問題の捜査対象は、ヒラリーの問題のメールかどうかもわかっていません。ただFBIがまったくの別件で捜査していたアンソニー・ウィーナーという元下院議員の15歳の未成年女性を相手にしたエッチなテキストメッセージ(sexting)問題で彼のコンピュータを調べたところ、中にヒラリーのメールも見つかったので、それをさらに捜査しなくてはならない、というだけの話なのです。もっと詳しく言えばそのウィーナーのコンピュータは彼が妻と強要していたもので、かつその妻がヒラリーの側近中の側近として働いてきたフーマ・アベディンという、国務長官時代は補佐官を務め、今は選対副本部長である女性なんですね。ということで、そのアベディンのメールも調べることになっちゃう。だからその分の捜査令状もとらなくちゃならない、ということで、「ヒラリーのメール問題」とすること自体もまだはばかられる時点での話なのです。

つまりそのメールが私用サーバーを使った国家機密情報を含んでいるものとわかったわけでもなんでもないのですが、とにかくFBIのジェイムズ・コミー長官は自分の机の上に10月半ばまでに「ヒラリーのメールがあった」という書類が上がってきたものだから、これはこのまま黙殺はできない。捜査はしなくてはならないが、捜査のことを黙っていたりその情報自体を黙殺でもしたら後で共和党陣営にヒラリーをかばうためだったと非難されるに決まっている。しかしだからと言って捜査を開始したと言ったら選挙に影響を与えてしまうとして民主党側からも非難される。どっちが自分のためになるか、おそらく彼は苦渋の決断をしたんだと思います。その辺のジレンマの心境は実は彼がFBIの関係幹部に当てた短文のメールが公表されているのでその通りなんでしょう。でも、それは保身のための決断だった印象があります。

そもそもFBIの捜査プロトコルでは、捜査開始のそんな通告を議会に対して行う義務はないし、むしろ選挙に関係する情報は投票前60日以内には絶対に公表しないものなのです。つまり彼はヒラリーの選挙戦に悪影響を及ぼしても自分が職務上行うことを隠していたと言われることを避けた。そちらの方がリスクが高いと判断したんでしょう。つまりリスクの低い道を選んだわけです。誰にとってのリスクか? そりゃ自分にとってのリスクです。つまり保身だと思われるわけです。

で、週末にかけて、アメリカのメディアはコーミーのそんな保身を責めたり、いや当然の対応だと擁護したりでこの問題で大騒ぎです。

ところが問題はもう1つ別のところにあります。

8年前のヒラリー対オバマの大統領選挙の時も言ってきましたが、なぜヒラリーはかくも嫌われるのか、という問題です。なぜ暴言の絶えないトランプが支持率40%を割ることなく、2年前には圧勝を噂されたヒラリーが最終的にかくも伸び悩むのか?

この選挙を、「本音」と「建前」の戦いだと言ってきました。「現実」と「理想」とのバトル。そしてその後ろで動いているのが、もう明らかでしょう、実はアメリカという国の、いや今の世界のほとんどの国の、拭いがたい男性主義だということです。これまでずっとアメリカという国の歴史の主人公だった白人男性たちが今や職を奪われ、家を失い、妻や子供も去って行って、残ったのが自分は男であるという時代錯誤の「誇り」だけだった。いや、職も家も妻子も奪われていなくとも、もうジョン・ウェインの時代じゃありません。当たり前と思ってきた「誇り」は今や黒人や女性やゲイたちがアイデンティティの獲得と称してまるで自分たちの所有する言葉のように使っています。そこで渦巻くのは、アイデンティティ・ポリティクスに乗り遅れた白人男性たちの、白人(ヘテロ)男性であることを拠り所とした黒人嫌悪であり女性嫌悪でありゲイ嫌悪です。ヒラリーに関してもこの女嫌いが作用しているのです。

マイケル・ムーアの新作映画『Michael Moore in Trumpland』で、彼も私と同じことを言っていました。ムーアは昨年、映画『Where to Invade Next?』を撮るためにエストニアに行ったそうです。かの国は出産時の女性の死亡率が世界で一番少ない国です。なぜか? 保険制度が充実しているからです。アメリカでは年間5万人の女性が死んでいるのに。

そこの病院を取材した時にムーアは壁にヒラリーの写真が飾ってあることに気づきます。彼女もまた20年前に同じ目的で同じ病院に来ていたのです。国民皆保険制度を学ぶために。一緒に写る男性を20年前の自分だと言う医師がムーアに言います。「そう、彼女はここに来た。そして帰って行った。そして誰も彼女の話を聞かなかった。それだけじゃない。彼女を批判し侮辱した」

20年前、国民皆保険導入を主導したヒラリーは一斉射撃を浴びました。「あなたは選ばれてもいない、大統領でもない。だから引っ込んでいろ」と。それから20年、アメリカでは保険のない女性が百万人、出産時に亡くなった計算です。保険制度を語る政治家は以来、オバマまで現れませんでした。

ムーアは言います──ヒラリーが生まれた時代は女性が何もできなかった時代だった。学校でも職場でも女性が自分の信じることのために立ち上がればそれは孤立無援を意味した。だがヒラリーはずっとそれをやってきた。彼女はビルと結婚してアーカンソーに行ってエイズ患者や貧者のための基金で弁護士として働いた。で、ビルは最初の選挙の時に負けた。なぜか? 彼女がヒラリー・ロドムという名前を変えなかったから。で、次の選挙でヒラリーはロドム・クリントンになった。で、その次はロドムを外してヒラリー・クリントンになった。彼女は高校生の頃から今の今までそんないじめを生き抜いてきたのだ、と。

そんな彼女のことを「変節」と呼ぶ人たちが絶えません。例えば2008年時点で同性婚に反対していたのに今は賛成している、と。でも08年時点で同性婚に賛成していた中央の政治家などオバマをはじめとして1人としていなかったのです。

マザージョーンズ誌のファクトチェッカーによればヒラリーは米国で最も正確なことを言っている主要政治家ランキングで第2位を占めるのですが、アメリカの過半が彼女を「嘘つきだ」と詰ります。トランプは最下位ですが、どんなひどい発言でも「どうせトランプだから」の一言で責めを逃れられています。同ランク1位のオバマでさえ再選時ウォール街から記録破りの資金提供を受けていたのに、企業や金融街との関わりはヒラリーに限って大声で非難されます。大問題になっているEメールの私用サーバー問題だってブッシュ政権の時も同様に起きていますが問題にもなっていません。クリントン財団は18カ国4億人以上にきれいな飲み水や抗HIV薬を供与して慈善監視団体からA判定を受けているのに「疑惑の団体」のように言われ、トランプはトランプ財団の寄付金を私的に流用した疑惑があってもどこ吹く風。おまけにこれまで数千万ドル(数十億円)も慈善団体に寄付してきたと自慢していたトランプが実は700万ドル(7億円)余りしか寄付をしてこなかったことがわかっても、そんなことはトランプには大したことではないと思う人がアメリカには半分近くいるのです。

これは一体どういうことなのでしょう? よく言われるようにヒラリーが既成社会・政界の代表だから? 違います。だって女なんですよ。代表でなんかあるはずがない。

嫌う理由はむしろ彼女が女にもかかわらず、代表になろうとしているからです。ヒラリーを嫌うのは彼女が強く賢く「家でクッキーを焼くような人間ではない」からです。嫌いな「女」のすべてだからです。「女は引っ込んでろ!」と言われても引っ込まない女たちの象徴だからです。違いますか?

日本では電車の中で化粧する女性たちを「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」と諌める"マナー"広告が物議を醸しています。みっともないと思うのは自由です。でもそれを何かの見方、考え方の代表のように表現したら、途端に権力になります。この場合は何の権力か? 男性主義の権力です。男性主義を代表する、男性主義の視線そのものの暴力です。「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」は、どこをどう言い訳しても、エラそうな男(的なものの)の声なのです。

ヒラリーが女であること、そしてまさに女であることで「女」であることを強いられる。それはフェアでしょうか?

この選挙は、追いやられてきた男性主義がトランプ的なものを通して世界中で復活していることの象徴です。私が女だったら憤死し兼ねないほどに嫌な話です。そしてそれはたとえ7日後の選挙でヒラリーが勝ったとしても、すでに開かれたパンドラの箱から飛び出してきた「昔の男」のように世界に付きまとい続けるストーカーなのです。

September 10, 2016

いつか来た道

北朝鮮の核実験やミサイル発射でこのところ日米韓政府がにわかに色めき立って、韓国では核武装論まで出ているようです。日本での報道も「攻撃されたらどうする?」「ミサイル防衛網は機能するのか?」と「今ここにある危機」を強調する一方で、どうにも浮き足立っている感も否めません。

でも少し冷静になれば「攻撃されたらどうする?」というのは実はこれまでずっと北朝鮮が言ってきたことなのだとわかるはずです。戦々恐々としているのは北朝鮮の方で、彼らは(というか"金王朝"は)アメリカがいつ何時攻め込んできて体制崩壊につながるかと気が気ではない。何せ彼らはイラクのサダム・フセインが、リビアのカダフィが倒されるのをその目で見てきたのです。次は自分だと思わないはずがありません。

そこで彼らが考えたのが自分たちが攻撃されないための核抑止力です。核抑止力というのは敵方、つまり米国の理性を信じていなければ成立しません。理性のない相手なら自分たちが核兵器を持っていたら売り言葉に買い言葉、逆に頭に血が上っていつ核攻撃されるかわからない。しかし金正恩は米国が理性的であることに賭けた。

実はこれはアメリカと中国との間でかつて行なわれた駆け引きと同じ戦略なのです。冷戦下の米国は、朝鮮戦争時の中国への原爆投下の可能性を口にします。その中で中国が模索したのが自国による核開発でした。米ソ、中ソ、米中と三つ巴の対立関係の中で、核保有こそが相手側からの攻撃を凍結させる唯一の手段だと思われたのです。

そうして60年代、中国はロケット・ミサイルの発射実験と核爆発実験とを繰り返し、70年から71年にかけて核保有を世界に向けて宣言するわけです。それこそがどこからも攻め込まれない国家建設の条件でした。

慌てたのはアメリカです。どうしたか? 71年7月、ニクソン政権のキッシンジャー大統領補佐官が北京に極秘訪問し、それが翌72年のニクソン訪中へと発展するのです。米中国交正常化の第一歩がここから始まったのです。

今の北朝鮮が狙っているのもこれです。北朝鮮という国家が存続すること、つまりは金正恩体制が生き延びること、そのために米国との平和協定を結び、北朝鮮という国家を核保有国として世界に認めさせること。おまけに核兵器さえ持てば、現在の莫大な軍事費を軽減させて国内経済の手当てにも予算を回すことができる。

もちろん中国とは国家のスケールが違います(実際、アメリカが中国と国交を回復したのはその経済的市場の可能性が莫大だったせいでもあります)が、北朝鮮の現在の無謀とも見える行動は、アメリカに中国との「いつか来た道」をもう一度再現させたいと思ってのことなのです。

そんなムシのよい話をしかし米国が飲むはずもない。けれどいま米韓日の政府やメディアが声高に言う「北朝鮮からいまにも核ミサイルが飛んでくるかもしれない」危機、というのもまた、あまりにも短絡的で無駄な恐怖なのです。そんな話では全くないのですから。

さてではどうするか? 国連による経済制裁も実は、北朝鮮と軍事・経済面でつながりを持つアフリカや中東の国々では遵守されているとは言いがたく、そんな中での日本の独自制裁もそう圧力になるとは思えません。たとえ制裁が効果を持ったとしても国民の窮乏など核保有と国家認知の大目的が叶えばどうにでもなる問題だと思っている独裁政権には意味がないでしょうし、中国も手詰まりの状態です。なぜなら金正恩は金正日時代の条件闘争的な「瀬戸際外交」から、オバマ政権になってからの放置プレイにある種覚悟を決めた「開き直り外交」にコマを進めたからです。「いつか来た道」の再現には「この道しかない」わけですから。

金正恩の一連の行動は全て、動かないオバマの次の、新たなアメリカ大統領に向けてのメッセージなのだと思います。さて、彼女は/彼は、どう対応するのでしょう。

August 27, 2016

オルトライト?

大統領選はどんどんうんざりする方向に進んでいます。ここでもトランプvsクリントンの選挙戦を何度も「本音と建前の戦い」と説明してきましたが、このトランプ勢力の本音主義、白人男たちの言いたい放題の感情主義を具現する集団を、クリントンがとうとう「オルトライト(alt-right)」と名指しして批判しました。

「オルトライト」とは「オルタナティヴ・ライト Alternative Right」つまり「もうひとつ別の右派」「伝統的右翼とは違う右翼」のことで、本当は右翼かどうかも疑わしいのですが、この5〜6年、自分たちでそう呼んでくれと自称していた人たちのことです。トランプと同じく「政治的正しさ(Political correctness)なんか構ってられない」と、あるいはアメリカの主人公だった白人男たちの特権を取り戻せと、つまり「アメリカを取り戻す!(Make America Great Again!)」と言っている人たちです。

右翼とは本来、保守、愛国、国家主義を基盤としていますが、この「オルトライト」たちには今のアメリカ国家は関係ありません。白人のアメリカだけが重要なのです。したがって「黒人や有色人種はDNAからいって劣っているから差別されて当然」「移民・難民とんでもない」。それだけだと昔からある白人至上主義と似ていますが、彼らは女性差別も当然だと言ってはばからない。反フェミニズム、男性至上主義も取り込んでいるのです。

なにせ、彼らの理想の国は「女性が従順な日本や韓国」なのだそう。それだけではありません。ツイッターなど彼らのSNS上のアイコンはなぜか日本のアニメの女の子であることが多く、しかも日本のネット掲示板「2ちゃんねる」を真似た「4チャンネル」なる掲示板を作って好き勝手な差別的方言暴言で盛り上がっています。新作の女性版「ゴーストバスターズ」の映画で、ヒロインの1人の大柄な黒人コメディエンヌ女優の容姿をさんざんな悪口で侮辱、罵倒して、彼女がツイッターをやめると言うまでに追い込んだ輩たちもこの「オルトライト」たちです。

こういうと何か連想するものはありませんか? そう、日本でさまざまな差別的ヘイト・スピーチを繰り返す「ネトウヨ」と呼ばれる連中のことです。「ネット右翼」=匿名をいいことにネットを中心に辺り構わず差別的言辞を繰り返し、標的のSNSアカウントを「炎上」させては悦に入っている輩ども。

こちらも「右翼」という名が付いてはいるものの、本来の「保守」主義からは程遠く、「反日」「愛国」と叫びはしますが平和を唱える今上天皇をも「反日」認定したりと、まったく支離滅裂。むしろそういう真面目な主義主張や信条をからかうこと自体を面白がる傾向すらあります。

実際、「オルトライト」の名付け親とも言われる人物は、今回クリントンが名指しで批判したことに対して「やっと大統領候補みたいな大物政治家にも存在を認められた」と言って喜ぶのですからどうしようもありません。

反知性主義、排他主義、男性主義、そういうものが世界中で同時発生的に増殖しています。30年前のネオナチから続く流れにポップカルチャーが混じり込み、それにネットメディアが「場」を与えたのかもしれません。そのせいで今、アメリカの共和党が崩壊の危機にあります。

今回の大統領選挙は、そんな傾向に対抗する言説がどれだけ有効かを見る機会かもしれません。ただ、それにしてはクリントンの好感度がどんどん下がって、対抗言説どころの話ではなくなっているのが冒頭の「うんざり」の原因なのですが。

May 24, 2016

広島と謝罪と「語られていない歴史」

共同通信のアンケートで、広島や長崎の被爆者の8割近くの人たちがオバマ大統領に原爆投下への謝罪を求めないと答えました。「謝罪しろと言ったら来ないだろうから」と言う人もいました。確かに原爆ドームや展示館は、「来る」だけで何らかの思いを強いるものでしょう。

日本人は原爆を落とされた後の「結果」を見る。アメリカ人は原爆を落とす前の「原因」を見る。で、今も原爆投下を日本の早期降伏のために必要だったと考える人はアメリカに今も56%います。

でも同じアメリカ人でも44歳以下では投下を正しくなかったと答える人の方が多くなってきました。そんな世論と世代の変化を背景にオバマ大統領が広島で犠牲者を追悼します。これはアメリカ(大統領)が、原爆を落とした「結果」について触れる初めてのことでもあります。

もっとも、アメリカは第二次大戦前も今も同じ国体を保っています。同じ「国」が、自分の過去を謝罪することは、そこから続く現在の国のあり方を謝罪することにもなって論理的に難しい。1945年の前と後では国体の異なる今の日本が、違う国だったあの「大日本帝国」の慰安婦問題やバターン死の行進、南京虐殺を謝罪するのとは意味が全く違うわけです。

さて、それでもオバマ大統領が広島訪問にこだわったのは、もちろん就任直後に核廃絶を謳った09年のプラハ演説(ノーベル平和賞を受賞したきっかけです)の締めくくりを任期最後の年に行いたいという思いがあったのでしょう。でもこの間、世界の事情は大きく変わりました。「イスラム国」の台頭で核兵器は米ロ中といった国家間での交渉だけの問題ではなくなりました。世界の核管理の問題がより複雑になり、そこに北朝鮮やイランなどの不確定要素も加わって、核廃絶の道は遅々として進まないままです。

日本の事情もありました。鳩山政権時の09年にオバマ大統領が広島訪問を日本側に打診した際には、当時の藪中外務次官がルース駐日大使に「反核団体」や「大衆」の「期待」を「静めなければならない」ため「時期尚早」と自ら断っていたのです。民主党政権の得点になるようなことを、一官僚が個人的な忖度で回避したのだという見方もあります。

その後もオバマ大統領は広島訪問を探りますが、やがて与党に返り咲いた自民党・安倍首相が靖国参拝を断行したりハドソン研究所で「私を軍国主義者と呼びたい人はどうぞ」とスピーチしたりで日米関係は最悪になります。

それでもオバマ政権の嫌悪感をよそに憲法改定への道を探りたい安倍首相は、集団的自衛権の容認及び法制化で、米国(特に国防省)に擦り寄る作戦に出ました。同時に米国(これは国務省です)の強い要請のあった懸案の韓国との表面上の和解も果たして、外交的にも鎮静化を図ります。そうして伊勢・志摩サミットの開催で、オバマ広島訪問のお膳立てがそろったのです。

米側、というよりも任期最後の大統領の個人的な思いと、安倍首相の狙う平和憲法改定へ向けての参院選挙あるいは衆参同時選挙のタイミングが、ここで合致します。そこで広島の平和記念碑の前で日米トップのツーショットが世界に発信されるのです。この辺の安倍政権の算段は、偶然もありましょうが実に見事と言わねばなりません。

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実は71年前の原爆投下の後で、7人いるアメリカの5つ星元帥及び提督の6人までが(マッカーサーやアイゼンハワー、ニミッツらです)原爆は軍事的に不必要で、道徳的に非難されるべきこと、あるいはその両方だと発言しています。その中の1人、ウィリアム・リーヒー提督は、原爆使用は「"every Christian ethic I have ever heard of and all of the known laws of war.(私の聞いたすべてのキリスト教的倫理、私の知るすべての戦争法)」に違反していると指摘し、「The use of this barbarous weapon at Hiroshima and Nagasaki was of no material assistance in our war against Japan. In being the first to use it we adopted an ethical standard common to the barbarians of the dark ages.(この野蛮な兵器を広島・長崎で使用したことは、日本に対する我らの戦争において何ら物理的支援ではなかった。これを使用する最初の国になることで、我々は暗黒時代の野蛮人たちに共通する倫理的基準を採用したのだ」とまで言っています。

これらはアメリカン大学のピーター・カズニック教授の「The Untold History of US War Crimes」(米国の戦争犯罪に関する語られない歴史)というインタビュー記事に中に出ています。

それによれば、戦争末期には日本の暗号はすべて米側に解読されていて、日本の軍部の混乱がつぶさにわかっていたのです。マッカーサーは「日本に対し、天皇制は維持すると伝えていたら日本の降伏は数ヶ月早まっていただろう」と発言しています。実際、1945年7月18日の電報傍受で、トルーマン大統領自身が「the telegram from the Jap emperor asking for peace.(日本の天皇=ジャップ・エンペラーからの和平希望の電報)」のことを知っていました。トルーマンはまた、欧州戦線の集結した1945年2月のヤルタ会談で、スターリンが3か月後に太平洋戦争に参戦してくるのに合意したと知っていました。その影響の大きさも。4月11日の統合参謀本部の情報部の分析報告ではすでに「If at any time the USSR should enter the war, all Japanese will realize that absolute defeat is inevitable. ソ連の参戦は、日本人すべてに絶対的な敗北が不可避であることを悟らせるだろう」と書いてあるのです。

さらに7月半ばのポツダムで、トルーマンはソ連の参戦を再びスターリンから直に確認しています。その時のトルーマンの日記は「Fini Japs when that comes about. そうなればジャップは終わり」と書いてあって、翌日には家で待つ妻宛の手紙で「We'll end the war a year sooner now, and think of the kids who won't be killed. 今や戦争は一年早く終わるだろう。子供達は死なずに済む」と書いていました。もちろん、日本の指導者達はそのことを知らなかったのです。

そして広島と長崎の原爆投下がありました。マッカーサーは広島の翌日に自分のパイロットに怒りをぶつけているそうです。そのパイロットの日記に「General MacArthur definitely is appalled and depressed by this Frankenstein monster. マッカーサー元帥は本当にショックを受けていて、このフランケンシュタインの怪物に滅入っていた」と記されていました。「フランケンシュタインの怪物」とは、人間の作ってしまったとんでもないもの、つまりは原爆のことです。

ただし、原爆が日本の降伏を早めた直接の契機ではなかったのです。46年1月、終戦直後の米戦争省の報告書は(最近になってワシントンDCの米海軍国立博物館が公式に見つけたものです)"The vast destruction wreaked by the bombings of Hiroshima and Nagasaki and the loss of 135,000 people made little impact on the Japanese military. However, the Soviet invasion of Manchuria … changed their minds."(広島と長崎の爆弾投下によってもたらされた広範な破壊と13万5千人の死は日本の軍部へ少ししか衝撃を与えなかった。しかし、満州へのソビエトの侵攻こそが彼らの意見を変えた)として、日本の降伏を早めたのは原爆ではなくてソ連の満州侵攻だったのだと分析しています。

あの当時、戦争の現場にいて原爆の非情な威力を目の当たりにした軍部のトップ達はおそらく自分たちの軍が犯したその行為の「結果」に、恐れをなしたのだと思います。それはしかし、取り返しも何もつくものではなかった。だから歴史を「語り直す」作業がそこから始まったのでしょう。「日本は原爆によって降伏を早めたのだ」と。「日本の本土決戦で奪われたであろう50万人のアメリカ兵の命と、やはり犠牲になったであろう数百万人の日本人自身の命をも救ったのだ」と。

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今は語られていないその歴史も、「戦争」を冷静に見ることのできる世代が育ち上がればやがて米国の正史になるかもしれません。それはひょっとすると数年先のことかもしれません。

でもその前に、次に安倍首相が真珠湾で謝罪し、さらに「トランプ大統領」が回避されれば、という条件が必要でしょうが。

February 23, 2016

丸山発言のヤバさ

CNNが「日本の国会議員が『黒人奴隷』発言で謝罪」という見出しで報道した自民党の丸山議員の発言は、大統領=オバマ=黒人=奴隷という雑な三段(四段?)論法(というか単純すぎる連想法)が、人種という実にセンシティブな、しかも現在進行形の問題で応用するにはあまりにもお粗末だったという話です。たとえ非難されるような「意図」はなかったとしても、そもそも半可通で引き合いに出すような話ではありません。とにかく日本の政治家には人種、女性、性的マイノリティに対するほとんど無教養で無頓着な差別発言が多すぎます。

この人権感覚のなさ、基準の知らなさ具合というのは、何度もここで指摘しているようにおそらく外国語情報を知らない、日本語だけで生きている、という鎖国的閉鎖回路思考にあるのだと思います。日本では公的な問題でもみんな身内の言葉で話すし、そういう状況だと聞く方も斟酌してくれる、忖度してくれる→そうするとぶっちゃけ話の方が受けると勘違いする→すると決まって失言する→がその何が失言かも勉強しないまましぶしぶ謝罪して終わる→自分の中でうやむやが続く、という悪循環。そういう閉鎖状況というのは昭和の時代でとっくに終わっているはずなのに、です。

かくして丸山発言は当事者の米国だけではなく欧州、インド、ベトナム、アフリカのザンビア等々とにかく全世界で報じられてしまいました。

このところこのコラムで何度も繰り返している問題がここにもあります。日本では本音と建前の、本音で喋るのが受けるという風潮がずっと続いています。建前は偽善だ、ウゾっぽい、綺麗事だ、とソッポを向かれます。だから本音という、ぶっちゃけ話で悪ぶった方がウケがいい。

しかし世界は建前でできています。綺麗事を目指して頑張ってるわけです。綺麗事のために政治がある。そうじゃなきゃ何のために政治があるのか。現状を嘆きおちょくるだけの本音では世界は良くなりはしない。

まあ、トランプ支持者にはそういう綺麗事、建前にうんざりしている層も多いのですが、CNNはじゃあこの丸山議員はわざと建前を挑発して支持者を増やそうとする「日本のトランプなのか?」と自問していて、しかし、そうじゃない、単に「こうした問題に無関心かつ耳を傾けないこの世代を象徴する政治家だ」と結論づけているのです。

さてしかし私は、今回のこの丸山発言、問題は報道されたその部分ではなくて実はその前段、「日本がアメリカの51番目の州になり、日本州出身の大統領が誕生する」と話した部分なんだと思います。

発言はこうです。日本が主権を放棄して「日本州」というアメリカの「51番目の州」になる。すると下院では人口比で議員数が決まるからかなりの発言力を持つし、上院も日本をさらに幾つかの州に分割したらその州ごとに2人が議員になれるから大量の議員役も獲得できる。さらに大統領選出のための予備選代議員もたくさん輩出するから「日本州出身大統領」の登場もおおいにあり得るぞという話。そこでこの「奴隷でも大統領になれる国」という発言が飛び出すのです。

日本がアメリカの属国状態だというのは事実認識としてわかりますが、しかし「日本が主権を放棄する」って「売国」ですか? いやもっと言えば、売国するフリしてアメリカを乗っ取ってしまおう、って話じゃありませんか?

これはヤバいでしょ。しかしそこはあまり問題にならないんですね(日本のメディアが詳報しないんで外国通信社もそこを報道しないため気づかれていないということなんでしょうが)。ま、日本のメディアが報道しないのは、そういうのはどうせ居酒屋談義だと知ってるからでしょうけど、政治がこういう居酒屋談義、与太話で進んでいる状況というのはいかがなんでしょうか。そして何より、この丸山発言に対して、当の自民党が総裁を始め幹部一同まで明確にはたしなめも断罪もしないという状況が、対外的メッセージとしてはそれを容認しているということになってしまって(まあ、事実そうなんですけど)さらにヤバいと思うのですが。

December 23, 2015

私怨と公憤

11月のパリ、12月のカリフォルニアのテロが象徴するように2015年は世界秩序が「イスラム国」に揺るがされた年でした。その反動でフランスでは移民排斥を謳う右翼政党「国民戦線」が大躍進し、米国でもイスラム教徒入国禁止をブチ上げたドナルド・トランプが共和党の大統領候補として相変わらず支持率トップを維持しています。2016年はどういう年になるのでしょうか。

「イスラム国」の惹き起こす各種の問題は今年も続くでしょう。「イスラム国」とは何かという問題に、私はこれは、私怨を公憤に簡単に変えてくれる「装置」なんじゃないかと感じています。

欧米でも「新住民」として定着しつつあるイスラム教徒は「旧住民」との間に様々な軋轢も持つでしょう。それは実は単に「新」と「旧」との軋轢に過ぎないのですが(日本でも新・旧住民間の軋轢は至る所で起きています)、それがここではキリスト教コミュニティとの宗教的軋轢として格上げされてしまう。

新住民たるイスラム教徒たちが「自分は疎外されている、いじめられている、仲間外れになっている」という鬱憤を抱くことはあるでしょう。これまでその鬱憤は私的なことでした。鬱憤を晴らすことも個人的な範囲で抑えられてきました。なのでそんな鬱憤には「晴らす」までに至らずさらに鬱積したものもあったでしょう。それはこの世の常です。それはまた様々な手段で解決していかねばならい。

ところがそこにいつの間にか「イスラム国」というお題目が与えられました。それを唱えるだけで、これは社会的な矛盾だ、キリスト教とイスラム教の宗教対決だ、思想戦争だという、なんだか大義名分のある(ような)鬱憤に格上げしてくれる。「イスラム教徒がいる場所がイスラムの国だ」という思想の下、単なる個人的な鬱憤だったものがなんだか偉そうな大問題に思えてくるのです。この短絡が成立すればもう際限がない。その鬱憤を晴らすことには大義がある。その大義のためには銃器を入手することも爆弾を作ることも人を殺すことも正しく思えてくるのです。

対してトランプが言ってることも同じです。彼の発言もとても個人的な敵対感情です。社会のこと、世界の仕組みのことなんか吹っ飛ばして、個人的な、私的な恐怖心を、大統領候補という大義名分のある地位で、なんだか公的なことのように言葉にする。いま起きていることはつまり、実は私怨と私怨のぶつかり合いなのです。なのにいつの間にか公憤、公の正義同士のぶつかり合いのようなものに、見かけ上は変貌している。

「驚愕反射テスト」というのがあります。突然大きな音を聴かせたり、感情をかき乱すような画像を見せたりする様々な「驚愕すること」に、どのくらい敏感に反応するかという検査です。その結果、保守派のほうがリベラル派よりも「ショックを受ける傾向」が強いという事実が「サイエンス」誌に発表されています。怖がりだとか臆病だとか、そういう生理的傾向が政治思想に影響するらしいのです。

強権主義だとか国家主義だとか男尊女卑だとかそういう強硬な「保守」思想が、結局はその人の性格の問題だなんてなんだかガッカリしますが、その意味では「恐怖をあおる」トランプの選挙手法は保守派の票の掘り起こしにはつながるのかもしれません。

でも、こちらの恐怖には相手側からも恐怖しか返ってきません。それが「公憤」を装う「私怨」同士の応酬につながっているのです。その傾向を、どうにか断ち切れないものかと考えあぐねる新年です。

December 08, 2015

排除と防衛の本能

6日に行われたフランスの地方選で極右政党の「国民戦線」が記録的な支持を集めました。得票率は全体の28%。5年前の前回選挙では11%でしたから2倍半にも増えました。全13の選挙区のうち半分近い6選挙区で首位、しかも党首マリーヌ・ルペン(47)とその姪の副党首マリオン・マレシャル・ルペン(25)は、それぞれ40%超の票を獲得したのです。

130人もが殺害された11月のパリ同時多発テロの不安が「反EU」「反移民」を訴える同党への共感を呼んでいるのでしょう。

同じことがカリフォルニア州の銃乱射テロでも言えます。共和党大統領候補ドナルド・トランプは例によって全てのイスラム教徒の米国渡航を禁止すべきだと主張し始め、支持率をさらに上げています。

銃規制問題も、こういう事件が起きるたびに米国社会には「銃規制すべきではない」「自分と家族を守るために銃所持は必要」という世論も逆に高まるのです。

これまで、米国で最も銃が売れた1日は3年前の12月21日でした。この日の1週間前、コネチカット州ニュータウンで26人殺害の例の「サンディフック小学校銃撃事件」が発生していたのです。

今年のブラックフライデーでも、過去最高の18万5千件以上の銃購入犯歴照会すなわち過去最高の銃セールスがありました。もっともブラックフライデーに限らず、銃の売り上げ自体も今年は年間を通して例年より増加しています。というか、4人以上が死傷した銃乱射事件自体が今年はすでにカリフォルニアの事件で355件目。こういうのを「負のスパイラル」というのでしょうか。

「反EU」「反移民」「難民規制」「反イスラム」「反銃規制」──これらはすべて人間として当然の防衛本能から始まっていることです。私たち人間は、経験則からも常に「悪いことが起きる」と想像してそれに対処できるようまずは身構えることから始めるようにできています。何かいいことがあるはずと想像してガッカリするよりも、初めに悪いことを想像していればそう落ち込まずにも済む、という先回りした自己防衛です。

しかしそればかりでは人間生活は営めません。周囲に戦々恐々としているだけでは友情も共存も平和すらも訪れません。つまりは繁栄もない。「己を利する」ことだけを考えていては結局周囲の反感を買って「己を利する」ことができなくなるという「利己主義」の矛盾がそこにあります。

「防衛」も似た矛盾を抱えています。究極の防御は「予防的防衛」です。「予防的防衛」は「予防的先制攻撃」にすぐにシフトします。そして「予防的攻撃」に専心すれば相手側も先に予防的攻撃を防ぐ予防的攻撃を画策するでしょう。

それが軍拡競争でした。7万発という、人間世界を何度滅ぼせばいいのかというレベルの核兵器が存在した80年代冷戦期の愚蒙を経て、私たちはその矛盾を知っていたはずでした。

それでも背に腹は変えられない。まずは生き延びねば話にならない。それはそうです。しかしそういうことを主張する人々が「防衛」の後の「共存」の展望を、「利己」の後の「利他」の洞察を、ほとんど度外視しているふうなのは何故なのでしょう。その人たちの脳はマルチタスクではないのでしょうか?

フランスやアメリカを笑ってはいられません。中国の脅威だ、北朝鮮のミサイルだ、と同じパニック感を背景に日本でもいま、平和共存の理念が排除防衛の本能に置き換わろうとしています。

背に腹は変えられません。が、背と腹はともに存在して人間なのです。

November 16, 2015

11.13と9.11

思えば14年前、私たちニューヨークに住む者たちは今のパリの人々と同じ恐怖と不安と怒りと悲しみとを共有していました。あのころアメリカには星条旗が溢れ、同じように「普段と同じ生活を続けよう。家にこもっていたらテロに屈したことになる」という呼びかけが誰からともなく発せられ、世界中から数限りない追悼と支持のメッセージが寄せられました。

ただ、14年前と今ではなにやら受け取り方が違うところもあります。Facebookではパリ市民への支援といたわりを込めて自分のアイコンにフランス国旗の三色を重ねる人が急増していますが、一方でパリ事件の前日にあった43人死亡のベイルートでの連続テロ事件には何ら大きな反応を示さなかった大多数の「自分」たちに、「この違いは何なのだろう」という疑問が浮かんでいます。FBが、パリ事件で急きょ適用した安否確認機能も、ベイルートやその他のテロ事件では有効にしなかったことへの批判が起きました。

思えば2001年のあの当時は、欧米はまだ自分たちが「無実の被害者」であることを信じていた時代だったのかもしれません。もっとも、現在のテロ戦争へと連なる動きは直接的には1979年のソ連アフガン侵攻あたりから始まってはいたのです。その時アメリカはソ連に対抗してアフガニスタンの反政府勢力に武器を提供しました。それがイスラム原理主義勢力で、そこにオサマ・ビン・ラーデンもいた。

やがてソ連は侵攻に失敗し91年の崩壊につながりました。中東ではイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争の勃発、そしてアフガンの無秩序状態と内戦が始まりました。タリバン、アルカイダは、そんな背景から起ち上がってきたのですから。

でも、それは世界貿易センターの崩壊という圧倒的な事件の前では吹っ飛んでいました。世界はアメリカを支持し、ビン・ラーデンは世界の悪者となり、やがてそれはサダム・フセインにも向けられて、米英などの「有志連合」によるイラク戦争へと突入していったのです。

フランスに溢れる「パリは恐れない」というスローガン、「我々はパリとともに立つ」というメッセージ──ニューヨークも同じものを経験しました。私はいまも、そこから起きた労わりと善意と親切と癒しとを忘れていません。そして同時に、狂騒と間違いをも。

イラク戦争の大義名分だった「大量破壊兵器」は虚偽でした。そしてそのウソから始まった戦争がイラクの混乱を招き、タリバン、アルカイダに続く原理主義「イスラム国」を生み出した。

私たちはもうそれを知っています。パリの虐殺に対し、FBの三色旗アイコンに賛否が分かれるのも、シリア出身の女性の「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います」というツイートがたちまち世界中に拡散しているのも、私たちは世界がすでに「あの時」よりも複雑になってしまったことを知っているからなのでしょう。

政治家に求められているのは常に、直近の問題解決能力と10年後のより良い未来を作る能力です。しかしその2つが両立しない場合、前者を行えば後者が成立しない場合、「目には目を」が世界を盲目にするだけの場合、私たちはどうすればよいのか? その難問がいま私たちに突きつけられています。

日本のある若手哲学者が「まいったな。これが21世紀か」と嘆いていました。ええ、これが21世紀なのでしょう。

November 09, 2015

旭日大綬章

ジャパンハンドラーとして有名なリチャード・アーミテージやブッシュ政権での国防長官ドナルド・ラムズフェルドの2人が秋の叙勲で旭日大綬章を受けることが発表されたその翌日、イラクの政治家アフマド・チャラビが自宅で心臓発作で死亡していたとの報が届きました。この取り合わせに興を殺がれたのは私だけでしょうか。

このチャラビという人物がアメリカを誘導してイラク戦争に突入させたのです。いえ、それにはもちろんチャラビを利用してイラクに介入し、中東におけるアメリカ戦略を有利に進めようとしたラムズフェルドらネオコン一派がいたことが背景でした。

チャラビはイラク・シーア派の名家の出で、16歳でマサチューセッツ工科大学に入るなど神童と呼ばれた人物。サダム・フセイン時代には国外に亡命していた反フセイン運動の政治策士でした。

憶えていますか? イラク開戦の理由は、9.11から続く対テロ戦争の流れで「イラクは核や生物化学兵器など大量破壊兵器を隠し持っている」というものでした。それが嘘だったことは今では明らかで、イラク進攻に前のめりだった当時のブレア英首相も先月、CNNのインタビューに答えて「情報が間違っていた」と謝罪したほどです。なぜそんな情報が流れたのか?

そこに反体制派組織イラク国民会議(INC)の代表のチャラビがいました。フセインの追放を目指していた彼が、ここぞとばかりに大量破壊兵器のニセ情報を軍事機密として売り込んだのです。「フセインに虐げられているイラク国民がアメリカの進攻を待ち望んでいる」「フセインを追放したらアメリカは解放者として歓迎される」とラムズフェルドや同じくネオコンの筆頭格ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)に信じ込ませたのも彼でした。

精緻に仕組まれたニセ情報だとしてもネオコンたちはなぜかくも簡単にそれを信じたのか? ネオコンは親イスラエルです。そのネオコンのパトロンたちに、チャラビはフセイン後に自分がイラクの指導者になれば、イラクをアラブ民族主義から脱却させて民主化し、その上でイスラエルと和平を結んでイスラエル企業がイラクでビジネスできるようにする、イラク北部のモスル油田とイスラエルの製油港はイファをつなぐパイプラインを作る、とも約束していたからです。

人は信じたい未来しか信じないと言いますが、米国とイスラエルの抱える難題を一気に解決するこの中東再編の「夢物語」にラムズフェルドらはまんまと引っかかったのでした。

この経緯はマット・デイモンが主役を務めた『グリーン・ゾーン』という映画にもなっています。懸命に大量破壊兵器を探しても見つからず、そのうちに国防総省の大変な情報操作と陰謀とが明らかになっていくという映画です。これに登場する亡命イラク人「アフマド・ズバイディ」のモデルがチャラビでした。

フセイン憎しの私怨と金儲けしか頭になかったようなチャラビは、果たしてイラクでも全く人望もなく、ラムズフェルドらがイラク新政権の首班に置こうとしたのも当然のように失敗しました。かくしてブッシュ政権ネオコン一派が夢見た「新イラク」は破綻し、そのゴタゴタを縫って「イスラム国」という化け物が誕生したのです。

その責任の一端にチャラビがいます。そしてもう一端にラムズフェルドらがいる。チャラビは暗殺もされかけましたが結局は自宅のベッドの上で病死しました。そしてイラク戦争の「戦犯」と批判されるラムズフェルドは安倍政権からは旭日大綬章を贈られるのです。

October 15, 2015

一億総活躍

第三次安倍改造内閣の目玉ポストと位置付けられている「一億総活躍」担当相とはいったい何なのか、海外メディアが説明に困っています。ウォールストリート・ジャーナルはこれを有名な映画の題に掛けて「ロスト・イン・トランスレーション」と見出しを打って説明しています。

そもそも「一億総ナントカ」というのは日本語でこそ聞き慣れてはいますが、外国語においては熟語ではないのでどう呼ぶのか思案にくれるわけでしょう。アベノミクスの「新3本の矢」を強力に推進していくというのですが、「強い経済」なら経済再生相、「子育て支援」と「社会保障」なら厚労相とどう違うのかもよくわからない。そんな内容以前にまずはそのネーミングをどう翻訳するかもわからない、というわけです。

WSJ紙はまず直訳を試みます。「All 100 Million(一億総)Taking Active Parts(積極参加)」。ところが「ワン・ハンドレッド・ミリオン」が日本国民のことだとは普通はわかりません。「アクティヴ・パーツ」は何への参加なのかもわからない。

そこで米国の通信社であるAP電の表記を引いてみます。するとAPは「一億」の部分の翻訳を諦めていて、で、「経済を強化し出生率を増やすことで人口を安定させ国家が浮揚し続けることができるようにする大臣」としていました。

これでは長すぎて話になりません。ではその内容をよく知っている日本の新聞の英字版はどうなんだろうと、そちらを当たってみます。すると毎日新聞は「minister to promote '100 million active people'」(一億の活動的な国民をプロモートする大臣)。読売は「promoting dynamic engagement of all citizens」(全市民のダイナミックな参画を推し進める)。ジャパンタイムズは、これまた長いですが「minister in charge of building a society in which all 100 million people can play an active role」(一億国民全員が積極的役割を担えるような社会を建設する担当大臣)。

ところがロイター電はちょっと違っていました。一応の説明をした後で安倍首相の「一億総〜」のスローガンを「戦時中のプロパガンダの不気味な残響」と注釈したのです。そうです、あの「一億総特攻」とか「一億総玉砕」「一億総懺悔」です。

そもそも「一億総〜」というネーミングはこれまで、戦中のプロパガンダへの反省や揶揄を込めて「一億総白痴化」だとか「一億総中流」だとかといった、何らかの恥ずかしさを伴った批評の文脈でしか使われてきませんでした。

そもそも「一億総〜」というネーミングは、戦後70年かけて培ってきた、一人一人が違っていいのだという成熟した民主社会とは真逆の呼びかけです。「神は細部に宿る」というせっかくの気づきを台無しにするベタ塗りの文化です。

そういえば「行きすぎた個人主義」だとか「利己的」だとかは安倍政権周辺の人たちが最も好む、パタン化した非難のフレーズです。「一億総〜」というのは確かに「個」ではなく「全体」を重視する発想ですしね。

そんなことを考えていたらある人から「一億総活躍」にピッタリの英語熟語があると言われました。「ナショナル・モービライゼーション National Mobilization」。国家国民を(National)全て動かすこと(Mobilization)、はい、すなわち日本語の熟語で言うところの「国家総動員」という言葉です。

ちなみにこの新大臣に任命された安倍首相の右腕、加藤勝信衆院議員は「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」などの政府批判メディア弾圧発言が相次いだ自民党「文化芸術懇話会」の顧問格でした。

一億総活躍

第三次安倍改造内閣の目玉ポストと位置付けられている「一億総活躍」担当相とはいったい何なのか、海外メディアが説明に困っています。ウォールストリート・ジャーナルはこれを有名な映画の題に掛けて「ロスト・イン・トランスレーション」と見出しを打って説明しています。

そもそも「一億総ナントカ」というのは日本語でこそ聞き慣れてはいますが、外国語においては熟語ではないのでどう呼ぶのか思案にくれるわけでしょう。アベノミクスの「新3本の矢」を強力に推進していくというのですが、「強い経済」なら経済再生相、「子育て支援」と「社会保障」なら厚労相とどう違うのかもよくわからない。そんな内容以前にまずはそのネーミングをどう翻訳するかもわからない、というわけです。

WSJ紙はまず直訳を試みます。「All 100 Million(一億総)Taking Active Parts(積極参加)」。ところが「ワン・ハンドレッド・ミリオン」が日本国民のことだとは普通はわかりません。「アクティヴ・パーツ」は何への参加なのかもわからない。

そこで米国の通信社であるAP電の表記を引いてみます。するとAPは「一億」の部分の翻訳を諦めていて、で、「経済を強化し出生率を増やすことで人口を安定させ国家が浮揚し続けることができるようにする大臣」としていました。

これでは長すぎて話になりません。ではその内容をよく知っている日本の新聞の英字版はどうなんだろうと、そちらを当たってみます。すると毎日新聞は「minister to promote '100 million active people'」(一億の活動的な国民をプロモートする大臣)。読売は「promoting dynamic engagement of all citizens」(全市民のダイナミックな参画を推し進める)。ジャパンタイムズは、これまた長いですが「minister in charge of building a society in which all 100 million people can play an active role」(一億国民全員が積極的役割を担えるような社会を建設する担当大臣)。

ところがロイター電はちょっと違っていました。一応の説明をした後で安倍首相の「一億総〜」のスローガンを「戦時中のプロパガンダの不気味な残響」と注釈したのです。そうです、あの「一億総特攻」とか「一億総玉砕」「一億総懺悔」です。

そもそも「一億総〜」というネーミングはこれまで、戦中のプロパガンダへの反省や揶揄を込めて「一億総白痴化」だとか「一億総中流」だとかといった、何らかの恥ずかしさを伴った批評の文脈でしか使われてきませんでした。

そもそも「一億総〜」というネーミングは、戦後70年かけて培ってきた、一人一人が違っていいのだという成熟した民主社会とは真逆の呼びかけです。「神は細部に宿る」というせっかくの気づきを台無しにするベタ塗りの文化です。

そういえば「行きすぎた個人主義」だとか「利己的」だとかは安倍政権周辺の人たちが最も好む、パタン化した非難のフレーズです。「一億総〜」というのは確かに「個」ではなく「全体」を重視する発想ですしね。

そんなことを考えていたらある人から「一億総活躍」にピッタリの英語熟語があると言われました。「ナショナル・モービライゼーション National Mobilization」。国家国民を(National)全て動かすこと(Mobilization)、はい、すなわち日本語の熟語で言うところの「国家総動員」という言葉です。

ちなみにこの新大臣に任命された安倍首相の右腕、加藤勝信衆院議員は「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」などの政府批判メディア弾圧発言が相次いだ自民党「文化芸術懇話会」の顧問格でした。

October 06, 2015

仲良し会見

首相官邸などでの公式記者会見で「円滑な進行のため」に、日本の報道各社が事前に質問を取りまとめて提出するように求められるのは何十年も前から慣行化しています。この場合は政治部ですが、首相官邸だけでなく様々な官庁にある記者クラブ内にはどこでも「幹事社」と呼ばれる取りまとめ役が月ごと(あるいは2カ月ごと)の持ち回りでいて、そこが当局と話して質問の順番が決められるのです。

政府側が説くその「必要性」は国会質疑におけるそれと同じで、「事前に質問を知っていれば十全な情報を用意できるので、報道上も都合が良いだろう」というものです。そう言われればそうかなと思ってしまいそうですが、しかしその慣行によってお手盛りの記者会見はもちろん形骸化し、よほどの大事件でもあった場合は別にしてもほとんどは何ら「問題」の起こらない予定調和の場になっています。

記者クラブ側が、あるいは報道機関がそれ自体を「問題」だとも、問題と思ってもそれを変えようとも思わなくなっているのも、さらには変えねばと思っても「空気」に圧されて手がつけられなくなっているのも、実はこれまでも何度も指摘されてきました。ところが記者たちもまたその記者クラブには持ち回りで属するだけでせいぜい2年で担当が変わったりしますから、意思決定も流動的で定まらないから変えられない、という事情もありましょう。かくして記者会見はその内容を報じる記事もまるでつまらない、「予定稿」でも済むような退屈なものになってしまうのです。

で、そのほころびが先日の安倍首相の国連記者会見で浮き彫りになりました。国連総会での一般演説の後に記者会見に臨んだ安倍首相が、そんな「事前提出」の質問表にはなかったロイター通信のベテラン記者による質問に、とんでもない回答をしてしまった。

この会見も本来は恙無く執り行われるはずでした。首相官邸が取りまとめた質問の内容と順番は次のようなものでした。

NHK(日露関係について)→ロイター(新アベノミクスの3本の矢について)→共同通信(内閣改造の日程について)→米公共放送NPR(普天間移設について)→テレビ朝日(国連改革について)

ところが2番目に立ったロイター記者は、予定質問に次いで、予定としては提出していなかった次の質問を追加したのです。「日本はシリア難民問題で追加支援すると表明したが、日本が難民の一部を受け入れることはないか?」

安倍首相の眉がクイっと上がりました。首相はアドリブで答えざるを得なかったわけです。で、その答えは次のようなものでした。

「これはまさに国際社会で連携して取り組まなければならない課題であろうと思います。人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前に、女性の活躍であり高齢者の活躍であり出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるということでもあります」

大挙して押し寄せる難民をどう受け入れをするか欧米が深刻に悩んでいる時です。彼はそれを国内の少子化、人口減少問題に絡めて、その問題を解決し、不足を補充する「移民問題への対処法」の是非として答えてしまったわけです。そもそも難民問題を自らの国の問題としてはほとんど考えてはいなかったのでしょう。なのでこれは「勘違い」というよりも、自分の頭の引き出しから、似たような問題への回答模範を引っ張り出してきたらこうなってしまった、ということなのかもしれません。

ところがそんな「出まかせ」を、「予定調和」の記者会見など知らない、あるいはそんなものを記者会見とは呼ばない真剣勝負の欧米ジャーナリズムは「真に受けた」。

「アベ:日本はシリア難民受け入れより国内問題の解決が先」(ロイター)
「日本は難民支援の用意はあるが、受け入れはしない」(ワシントンポスト)
「アベ:シリア難民受け入れの前に、国内問題の対応が不可欠と話す」(英ガーディアン)

即応した欧米メディアに比して(ガーディアンは日本の移民・難民事情についてかなり詳しく紹介していました)日本の報道は当初はこれを問題視もせずにほぼスルーしました。いつもの記者会見のつもりで「予定外」のニュースに慣れていなかったせいでしょうか。あるいはこれは「真に受けてはいけない間違い答弁」だと斟酌してやるいつもの癖が出たのか。

問題だと気づいたのは、先の見出しが欧米の主要ニュースサイトで踊ってからです。安倍さんも日本の同行記者たちも、現在の難民問題に関するメッセージの重要性の認識が、なんとも実にお粗末であることをはしなくも露呈した形です。

実は予定外の質問はロイターだけではありませんでした。NPRの記者もまた辺野古移転の沖縄の世論の問題を「予定通り」質問した後でさらに、「辺野古移設に関連した環境汚染の問題についてどう考えるのか?」と畳みかけたのです。これにもまた安倍首相は日本式の的を得ない、はぐらかしの、言質を取られないような、四の五の言う長い答えでお茶を濁していたのです。

こういう「予定質問のやらせ会見」というのは「政治部」だけの話では実はありません。実は社会部マターでも経済部でも運動部の会見でも、相手が大物の定例記者会見などという場合には少なからず見られる慣習です。

海外の他の国の事情は詳かではありませんが、少なくともアメリカでは記者会見で事前に質問を提出するなんてことは経験したことはありません。なので鋭い質問が飛んでくると、質問された政治家や官僚や関係者は「それはいい質問ですね」とまずは言っておいて、そこで適当な答えを組み立てる時間稼ぎをするのです。

そもそも質問が事前に分かっているぬるい世界では、「それはいい質問ですね」などという定型句は生まれようもありませんものね。

なので、会見というのは実はとてもピリピリした緊張感が漂い、しかもそれをいかに和ませるか、いかに緊張していないかを演出する度量をもまた試される場になるわけです。そういうのを、視聴者は、読者は、有権者は、見ているのですから。

安倍政権になってから、欧米ジャーナリズムは「日本のメディアは政権に牛耳られている」と折りあるごとに報じてきました。今回の国連記者会見では、その「折り」が実は常態化しているのだということが明らかになってしまいました。

September 22, 2015

最も偉大な愛国心

安倍政権の安保法制が可決しました。世界の反応として中韓以外の国々が多くこれを支持、歓迎していることを受け「ホラ見たことか、国際的にも支持されているじゃないか」と鬼の首でも取ったようにドヤ顔の人たちがいますが、それはそうでしょう。その国々はみな、これで日本が海を渡って自分の国を守りに来てくれると期待しているのですから。

なのでここは本来「あ、それはちょっと待ってください」と言うのがスジじゃないでしょうか? 「それは誤解です。自衛隊はアメリカや同じ目的行動をとる部隊しか助けないんです」と言わねば。

同じように、国内の街頭インタビューでも「日本を守ることは大切ですので賛成です」と言う人たちがいます。しかしこれも実は今法案論議の最初期に「そういうのは個別的自衛権だから、今回の集団的自衛権の法案とは直接関係がない」として片付いたものです。個別的自衛権とは国家固有の権利ですし、今以上に十全な自衛を追求するならむしろ武力だけでは賄えない部分をこそ万全にすべきというのが現在の常識です。そんな世界情勢の中で武力が挑発ではなく抑止になると考えるのはあまりに楽観的で単純すぎるでしょう。

国会での政府答弁も故意と勘ぐられるほどに核心を外していました。首相がイラストまで使って説明したあの日本人母子の乗る米艦防護にしても、後に「邦人が乗っているかどうかは絶対条件ではない」と撤回されました。唯一具体的な立法事実想定だったホルムズ海峡の機雷除去も「現在は想定していない」と首相自らが否定した。にもかかわらず追加の議論も説明もなしの強行採決でした。

よって、この法律に関する「違憲である」「立法事実がない」「歯止めがない」という三大瑕疵については、何の解決もないままです。そもそも武力行使要件の1つである「必要最小限の実力行使」という条項にしても、その「必要最小限」は、相手から一発タマが飛んでくるだけで「最小限」のレベルが対応的に変化するのは論理的にも当然なのですから。

ことほど左様にこの法案に関しては欠陥が多すぎる。しかし、とにかく日本が「70年の平和主義を放棄」(CNN)し「海外での軍事的役割拡大」(BBC)する方向で「立憲平和主義の終わり」(リベラシオン)を迎えたというメッセージだけは「既成事実」として発信されました。

首相はこの安保法制反対論にも「時間が経ていく中で間違いなく国民の理解は広がっていく」とうそぶいていますが、この論でいけば、首相が自信を持って進める全ての法案審議に国民の理解は無用であるということになります。法に則るのではなく、権力者の恣意に基づく政治を「独裁」と呼びます。

今回の法制可決で放棄されたのは日本の平和主義だけではありません。私たちの国はいま、法治主義でも立憲主義でもない国家になりました。法的安定性を放棄した今、法学は、日本ではなくどこかの別の国の法精神を語る夢語りに貶められました。

国家の安全保障はとても重要なものです。しかしそれは「愛国心」をまとったナショナリズムとは違います。私が今回の安保法制に反対しているのは、それが愚かなナショナリズムに支えられているというその一点から始まっています.

フランス自然主義の作家モーパッサンは「愛国心という卵から戦争が孵化する」と言っています.

アイルランド出身の劇作家バーナード・ショウは「愛国心とは、自分がそこに生まれたというだけの理由でその国が他より優っていると信じること」と言い捨てました.

同じく英作家のジュリアン・バーンズは「最も偉大な愛国心とは、あなたの国が不名誉で愚かで悪辣な行いをしているときにそれを指摘してやることである」と言っています。

June 26, 2015

アメリカが同性婚を容認した日

2015年6月26日、連邦最高裁が同性婚を禁止していたオハイオ州など4州の州法を、法の下での平等を保障する連邦憲法修正14条違反と断じました。これで一気に全米で同性婚が合法となったのです。

聖書によって建国されたアメリカには戸惑いも渦巻いています。28日に全米各地で行われた性的少数者のプライド・パレードにも眉をひそめる人が少なからずいます。その「嫌悪」はどこから来るのでしょう? そしてアメリカはその嫌悪にどう片を付けようとしているのでしょう?

それを考えるには、1973年、1993年、2003年、2013年という節目を振り返ると良いと思います。

▼それは22年前のハワイで始まった

じつは「法の下での平等」というのは1993年にハワイ州の裁判所が全米で初めて同性婚を認めた時にも使われた論理です。ところがそれは当時、州議会や連邦政府に阻まれて頓挫します。それから22年、今回の連邦最高裁の判断までに何が変わったのでしょう?

これを知るには46年前に遡らねばなりません。69年6月28日にビレッジの「ストーンウォール・イン」というゲイバーで暴動が起きました。警察の摘発を受けて当時の顧客たちが一斉に反乱を起こしたのです。

そのころのゲイたちは「性的倒錯者」でした。三日三晩も続いたそんな大暴動も、新聞記事になったのは1週間経ってからです。それは報道に値しない「倒錯者」たちの騒ぎだったからです。

▼倒錯じゃなくなった同性愛

ところがその4年後の1973年、アメリカの精神医学会が「同性愛は精神障害ではない」と決議しました。同性愛は「異常」でも「倒錯」でももなくなった。では何なのか? 単に「性的には少数だが、他は同じ人間」なのだ、という考え方の始まりです。

その20年後の1993年には世界保健機関(WHO)が「同性愛は治療の対象にならない」と宣言しました。これで世界的に流れは加速します。ハワイが同性婚容認を打ち出したのもこの年です。

そして2000年以降オランダやベルギーなど欧州勢が続々と同性婚を合法化し始めました。

▼犯罪でもなくなった同性愛

そんな中、アメリカ連邦最高裁が歴史的な判断を下します。2003年6月26日、13州で残っていた同性愛性行為を犯罪とするソドミー法を、プライバシー侵害だとして違憲と断じたのです。これでマサチューセッツ州が同年、同性婚を合法と決めたのでした。

しかし2州目はなかなか現れませんでした。それが変わったのが2008年です。オバマ大統領が選ばれた年です。その原動力だった若い世代が世論を作り始めていました。

彼らの世代は性的少数者が普通にカミングアウトし、「異常者」ではない生身のゲイたちを十全に知るようになった世代でした。結果、2013年には「自分の周囲の親しい友人や家族親戚にLGBTの人がいる」と答える人が57%、同性婚を支持する人が55%という状況を作り出したのです。

▼だから法の下での平等

その年の2013年6月26日に再び連邦最高裁は画期的な憲法判断をします。連邦議会が1996年に決めた「結婚は男女に限る」とした結婚防衛法への違憲判断です。そして2年後の先週6月26日、さらに踏み込んで同性婚を禁止する州法自体が違憲だと宣言したわけです。

結論はこうです。1993年時点では、そしてそれ以前から、同性愛者は「法の下での平等」に値しない犯罪者であり精神異常者でした。それがいま、「法の下での平等」が当然の「普通の」人間だと考えられるようになったのです。人々の考え方の方が変わったのです。

ところで1973、1993、2003、2013年と「3」の付く年に節目があったことがわかりましたが、途中、1983年が抜けているのに気がつきましたか? そこに節目はなかったのでしょうか?

じつは1980年代は、その10年がすべての節目だったのです。何か? それはまるごとエイズとの戦いの時代だったのです。同性愛者たちは当時、エイズという時代の病を通じて、差別や偏見と真正面から戦っていた。その10年がなければ、その後の性的少数者たちの全人格的な人権運動は形を変えていたと思っています。

興味深いのは昨今の日本での報道です。性的少数者に関する報道がこの1〜2年で格段に増えました。かつて「ストーンウォールの暴動」が時間差で報道されたように、日本でもやっと「報道の意義のある問題」に変わってきたということなのかもしれません。

May 07, 2015

あめりか万歳!

安倍首相の米国訪問が終わりました。こちらではボルチモア暴動やネパール大地震が連日ニュースを占めていて、安倍関連はちょっとしか報道されていませんでしたね。日本のどこかの新聞が書いていたように「異例の歓待」とか「高い評価」とはちょっと違ったように思います。

上下両院合同会議での演説も、いろいろと反応を聞いていくと(1)米国にとっては非常に納得できるものだったでしょう。軍国主義者だと聞いていたがアメリカ留学の経験も話していたしアメリカが好きだと言っていたし、新ガイドラインとやらで自衛隊が出てきてくれるそうだし米国の安全保障にも100%の協力と貢献をすると言っていたし、これだけカモネギというかお土産抱えてわざわざこっちまでやってきてくれて、「なんだ、思ってたのと違って結構ナイスガイじゃないか」という印象で、大合格点だったようです。

報道のされ方もあって(2)日本国内での受け取られ方も大方はそうだったようですね。演説も全部英語で頑張ったしスタンディング・オベーションとやらが10回以上あったそうだし(3月のネタニヤフの時は23回ありましたが)、アメリカさんがそうやって喜んでくれていたんだから及第点。ただし米国ヨイショの度合いがちょいと過ぎて、そこがワザと臭いと思われなかったか心配。

一方で普段から安倍の家父長主義ぶりを警戒している(3)日米欧の監視層(これにはNYタイムズやワシントンポスト、英ガーディアンやBBCなどの報道機関も含まれます)には、慰安婦問題では謝罪も回避して女性の人権問題という一般論でごまかすし、国会審議も経ずに安保法制の今夏成立を国際公約してしまうし、さりげなく戦犯だった祖父・岸信介の名誉回復は図るし、許せない詭弁演説だったという感じでしょうか。おまけに日頃から英語で苦労して他人にも厳しい日本人の耳には、ブツ切れの単語と結語で高揚するあの英語(デモォークラシイイイとかリスポォン・・シビリテイイとか)はかなり恥ずかしいとクソミソでした。

もっとも安倍政権はこの演説を(1)の米国向けに行ったのであって(3)の批判層の歓心を買おう、汚名を濯ごうと思って用意したわけではなかったわけです。つまり(3)は相手にしていないのですから苦虫を噛み潰すのは当然。(1)の歓心を買うことが目的だったと思えば、歯が浮くようなアメリカ万歳でもオッケーだった──そういうことなのです。

ただ、演説でアベとエイブ・リンカーンとの近似を示唆したり(慰安婦が「性奴隷」だと言われてる時にですよ)、会見ではキング牧師の「I Have A Dream」を文脈を無視して引用したり(ボルチモアで黒人層がこれは「夢の未来」ではないと抗議してる時にですよ)、そういうセンスはかなり危なかったしジョークもなんだか滑ってたし。そもそも議員たちは事前配布の手元のスクリプトに目を落とさねばあのブツ切り英語はよく聞き取れなかったのだと思います。

じつはオバマの安倍への態度や会話も、よく観察すると心なしか終始硬かった、というか、なんだか素っ気ないというか、はっきり言えば軽蔑した相手への態度のようだったのですよ。日本政府が異様にこだわるファーストネーム呼称もすぐ忘れたし会見中は体の向きが外向きで、安倍首相の方へは向かないし。それに普通、共同記者会見した後は後ろ向いて去りながらも会話したりするもんなんですが、オバマはぜんぜん話しかけてなかったですもんね。笑顔が笑ってなかったんですよ。

その辺、行動心理学者に見せたら面白いだろうに、日本のテレビはどこもそんなことはしなかったです。きっと大歓迎だったと頭から信じているからでしょう。それはまあ、あれだけの「お土産」ですからねえ、失礼な対応はしませんでしたが……。

私が気になったのは1つ、安倍がオバマとの共同記者会見で指摘した「レッテル貼り」の批判というか例の「言い返し」台詞です。60年の安保改定の時に「戦争に巻き込まれる」というレッテル貼りが行われたが、それは間違いだったことは(戦争に巻き込まれなかった)歴史が証明している、と安倍は言っていました。しかしその戦争を防いだのは平和憲法でしたし、それを変えようとしてるのが安倍政権だという矛盾はどう考えればよいのでしょう。

戦後日本に山羊や羊を何千頭も贈ってくれた米国、民主主義のチャンピオンたる大使を次々と送り込んでくれた米国。それを褒め称えながら、民主主義の本当のチャンピオンたる「憲法」だけは「押しつけられた」と言うのは、「矛盾」というよりも「二枚舌」と呼ぶべきです。「賞賛」というより「面従腹背」というべきなのです。口では何とでも言っていいんだ、とこの人は思っているのだということなのです。

April 28, 2015

舌をまくほどにお見事!

日米の防衛協力ガイドラインが18年ぶりに改定されました。とはいえこれは国会で話し合われたわけでもなく、今回の安倍訪米に合わせてバタバタと日米両政府間で合意したのです。これで自衛隊は「周辺事態」を越えて世界規模で活動することができるようになる。集団的自衛権容認の閣議決定からこの方、安倍政権は思うがままに日本を変えています。

「え? オバマ政権ってそういう日本の軍事拡大を警戒してたんじゃないの?」と思う人もいるでしょう。

オバマ政権だけでなく欧米諸国およびその報道メディアはいまでも安倍首相の国家主義的な歴史認識を懸念しています。なぜなら彼の歴史修正の方向性は(「イスラム国」と同類の)第二次大戦以降の国際秩序への挑戦だからです。

NYタイムズは安倍訪米に先立って論説室の名前で今回の訪米の成否は「首相が戦争の歴史を直視しているかどうかにかかっている」と断言し、さらに別の記事でも「政府による報道機関の政権批判抑え込みが功を奏している」と批判の度合いを高めています。フォーブス誌に至っては首相の上下両院合同会議での演説はカネで買ったようなもんだというコラムを掲載するし、ウォールストリート・ジャーナルも首相は「歴史に関する彼の見解がかき立てた疑念」を抑止する必要があると指摘しました。英ガーディアンも安倍演説に先立ち「日本の戦時の幽霊がまだ漂っている」と警告していたのです。

けれど、安倍訪米団の最初の仕事であった防衛協力ガイドライン合意の際の相手方、ケリー国務長官の満面の笑みは、まるでそんな懸念など関係ないかのようでした。なぜか?

ちょっとおさらいしましょう。

オバマ政権はアフガン・イラク戦争からの撤退で「世界の警察」の地位から下りることを志向しました。これは何度も書いてきたことです。何千人もの若者たちの命と何億ドルもの軍事費を費やしても地域紛争は果てることなく続き、米国の介入が逆に恨みを買うことも少なくない。ならばその地域の安全保障はその地域で担ってもらおう、という方向転換でした。その中に「東アジア・太平洋地区のリバランス」というものも含まれています。

ここに安倍政権は乗ってきた。取り直しの形で登場してきた第二次安倍政権は、第一次で手もつけられずに退陣した悔しさからか平和憲法の改変と「美しい国」という家父長制国家の復活を明確に押し出してきました。しかしそれは2013年12月、靖国参拝を敢行することで米国の異例の「失望」表明を招き、失敗します。なぜなら日本の存在する東アジア「地域」では、それが中国と韓国を挑発して却って「地域」の安全保障を毀損するからでした。それはリバランスの目論見も崩れて米国の方針に叶わなかったからです。

そこで安倍政権は軌道修正をしました。靖国は参拝しない。ハドソン研究所での演説のような「私を軍国主義者と呼びたければどうぞ」的な無用な国粋主義発言も控える。今回の訪米での厚遇を目指して、安倍政権はこの1年ひたすら米国の歓心を買うためにそうやって数々の布石を打ってきたのです。

昨年7月の集団的自衛権の容認も米国支援を名目に憲法の実質的改変を含んで一石二鳥でした。従軍慰安婦問題については「人身売買」だったとの表現で主語を曖昧にしたまま反省の雰囲気を醸し出しました。先日のバンドン会議では中国の習近平主席と2度目の会談を実現させて「地域」の緊張緩和を演出し、「侵略戦争はいけない」という、これまた主語の違う一般論で先の大戦を反省したような演説も行った。

米政権が懸念するのは米国の安全保障政策に則らない他国の軍事拡大です。その意味で安倍政権は、中国の海洋進出などの脅威増大を背景に実に周到に米国に取り入った。これだけ上げ膳据え膳の「お土産」をもらって喜ばない政府はないし、その菓子箱の底に首相の恣意的な理想国家実現のプロジェクトを忍び込ませたわけです。

なんとも舌を巻くほどに見事な権謀術数ではないですか。

April 01, 2015

文明との衝突

日本でも「イスラム国」という呼び方をやめて「IS」や「ISIS」「ISIL」などと呼び変えるようになりました。「イスラム」という呼び名を避けたのは「イスラム教との戦い」だというニュアンスを消して世界中の穏健なイスラム教徒への差別や偏見を助長しないようにとの配慮です。

同じ理由でこれを「文明の衝突」と呼ぶのも間違いだと言われます。サミュエル・P・ハンティントンが20年近く前に記したこの言葉は、西欧文明とイスラム教圏とがやがて衝突するという予告のことでしたが、今回の「IS」との戦闘はそれとは無関係だというわけです。なぜなら多くのイスラムの国々もまた「IS」に対抗する有志連合としてともに戦っているからです。

しかし、ではいったいシリアとイラクを中心に展開しているこの戦いは何と何が衝突しているのでしょうか?

「IS」は昨年6月、カリフ(預言者ムハンマドの後継者=イスラム共同体の最高権威者)制イスラム国家の樹立と、そのカリフに指導者アブ・バクル・アル=バグダディが即位したことを宣言しました。そしてその国家「IS」は、世界秩序を国家を単位として築くという、現在の主権国家の共存体制を確立した17世紀のウエストファリア協定を否定し、現在の国境や国民の定義も越えて、アッラーを信じる者がいる場所はすべて「イスラムの国」なのだという「神の国」を企図しています。

ここからは私の仮説です。これは「文明の衝突」ではなく「文明そのものとの衝突」なのではないかということです。

宗教はこれまで、時代に合わせてどんどん世俗化してきました。そして絶対的だった神が、どんどん相対的な存在になってきました。それは神聖vs世俗、原理主義vs修正主義の対立を呼びます。神への疑問は人間の傲慢です。けれど神への疑問はじつは人間の知性の表れでした。この知によって、神はどんどんと神聖さを剥ぎ取られてきたのです。

世界はずっとこの神と知の齟齬を棚上げしてきました。ガリレオが地動説を唱えて異端審問にかけられたのも、科学が神に反したものだったからです。でもいつの間にか神は科学と棲み分けするようになりました。さらに人間は神を政治から忌避して政教分離を果たし、神授された王権から離れて民主制度を作り出しました。異教徒を奴隷にすることもやめ、女性たちにも人権を認め、同性婚すら知性の力で認めようというところまで来ました。

しかしそういう民主主義も人権主義も、神から見たらとんでもない俗化であり堕落です。そんなことはユダヤ教、キリスト教、イスラム教のどの教えにもそぐわない。でもそれはいま、つまり神と俗とは、この世界で棲み分けて共に存在しています。それは神を如何ともしがたい、ある意味で人間たちの大人の対応というものでした。

それでもそれを理解できない者たちがいる。神にすがりたい人たちがいる。人間という相対に耐えられずに神という絶対を欲しがり、修正の煩わしさに原理を盲信し、全ては構築された存在であるという複雑さに倦んで本質論の容易さに固執する。「俗」という言葉の持つあらかじめの汚名は、なぜなら「聖」という言葉の持つあらかじめの神々しさの影だからです。それは「悪」という言葉そのものと同じくらい脱構築の困難な価値です。

すなわち「IS」にとっては、知によって世俗化したこの文明世界そのものが堕落した「悪」なのでしょう。だからそんな文明世界を、絶対的な「善」である「神の国」に置き換えようとしている。

西欧の民主主義国家への移民家族のもとに生まれ、そんな世俗な社会制度に、資本主義文明に、聖と俗との齟齬を永遠に棚上げして誤魔化している大人の「知恵」に、育てられながらもしかし結局は常に差別され疎外されてきた若者たちが「IS」に答えを見つけようとするのも、そういうことなのだと思います。

しかしそれは、「神」の歴史を知らずにいまもまだ答えが「絶対神」にあると思っている、あまりに安易な無知に起因しています。いやむしろ彼らはそんな無「知」をこそ志向しているのかもしれません。

なぜなら現在の文明世界の全ての根源に人間の「知」があるからです。

それを神は何と呼んだのだったか? 「リンゴ」です。「原罪」と呼んだのです。つまり「無知」を志向するということは、「無罪」を志向するということなのです。

だとすると「知」から逃れられない私たちはいま再び「知」を「原罪」と呼びなし排除しようとする「無知」に、つまりは「神」に、ケリをつけなければならないはずです。論理的にはそれしかないのです。生きよ、堕ちよ。坂口安吾の先にあるのはそういうことなのです。

しかし、それはあまりに知的に過ぎる作業です。おそらく人類は、種としてはそこまで強くない。人間の、神から見た原罪ではなく人間としての原罪は、だとするとリンゴを一齧りしたことではない。リンゴを一齧りしかしなかったことなのかもしれません。

February 03, 2015

「あらゆる手段」って……

もう40年以上もニューヨークに住む尊敬する友人から電話がかかってきて「ねえ、教えて。安倍さんはどうして海外で働いている私たちを危険にさらすような演説をしたの? 最後の一人まで助けるとか言っておいて何もできないなら、何のための政府なの? 私たちは平和を貫く日本人だったのに、これからはテロや誘拐の対象になったの?」と聞かれました。それは私の問いでもあります。

安倍首相のエジプトでの2億ドル支援声明の文言が拙かったことは2つ前のこのブログ「原理には原理を」で紹介しました。日本人人質の2人が「イスラム国」の持ち駒になっていて、この犯罪者集団がその駒を使う最も有効なタイミングと大義名分を探っていた時にまんまとそれらを与えてしまった。そのカイロ演説がいかに拙かったかは、首相自身と外務省が自覚しているのです。なぜなら人質発覚後のイスラエル演説の語調がまるで違っていたからです。「イスラム国」の名指しは最初の呼びかけだけ。あとは「過激勢力」という間接表現。内容も日本の平和主義を前面に押し出したきわめて真っ当でまっすぐなもの。カイロ演説の勇ましさが呼び水だったと自覚していなければ、なぜこうも変わったのか。逆にいえば、なぜ初めからそういう演説をしなかったのか。

そして後藤さんも殺害されてしまいました。3日の国会で、安倍首相は「中東での演説が2人の身に危険を及ぼすのではないかという認識はあったのか?」と問われ「いたずらに刺激することは避けなければいけないが、同時にテロリストに過度に気配りする必要はない」と答弁しました。テロリストへの気配りなんか言っていません。「人質の命」への気配りでしょうに、この人は自分の保身のためにはこんな冷酷なすり替えをするのです。こんな時の答弁くらいもっと正面から堂々ときちんと誠実に答えたらどうなのでしょう。

おまけに言うに事欠いて「ご質問はまるでISILに対してですね、批判をしてはならないような印象を我々は受けるわけでありまして、それは正にテロリストに私は屈することになるんだろうと、こう思うわけであります」。この人は批判や疑義をかわすためならそんな愚劣な詭弁を弄する。

まだあります。安倍首相は後藤さん殺害を受けての声明で事務方が用意した「テロリストたちを決して許さない」との文言に「その罪を償わせる」と書き加えたのだそうです。

以前からこの人の言い返し癖、勇ましさの演出に危惧を表明してきましたが、この文言はCNNやNYタイムズなどでは「報復/復讐する」と紹介されています。NYタイムズの見出しは「Departing From Japan’s Pacifism, Shinzo Abe Vows Revenge for Killings(日本の平和主義から離れて、シンゾー・アベ 殺害の報復を誓う)」でした。それは日本政府として抗議したんでしょうか? 抗議してもシンゾー・アベの政治的言語の文脈ではそういう意味として明確に英訳した」と言われるのがオチでしょうが。

平和主義のはずの日本がなんとも情けない言われ様ですが、これはつまり平和憲法を変えてもいないのに、戦後日本の一貫した平和外交も変えてないのに、一内閣の一総理の積極的「解釈」変更と各種の演説によって、日本は世界に向けた「平和国家」という70年間の老舗看板を、勝手に降ろされてしまっているということなのでしょうか?

早くも政府は閣議で、今回の人質事件では「あらゆる手段を講じてきた。適切だった」との答弁書を決めたそうです。一方で菅官房長官は「イスラム国」は「テロ集団なので接触できる状況でなかった」とも明かしました。接触もできなかったのに「あらゆる手段を講じた」? 例えば接触して人質解放を成功させたフランス経由も試さなかった? つまり「イスラム国」のあの時の突然の要求変更は、2億ドルの身代金云々を告げたのに日本政府がぜんぜん何も接触してこなかったので、詮無く交渉相手をヨルダンに変えた、ということだったでしょうか? つまり初めから後藤さんらを救うための交渉などしてこなかったということなのでしょうか?

それを裏打ちするように、これも3日の参院予算委で岸田外相が、2人の拘束動画が公開された1月20日まで、在ヨルダン日本大使館に置いた現地対策本部の人員を増員していなかったことをしぶしぶ明らかにしました。つまり昨年8月の湯川さん拘束後の5カ月間、後藤さん拘束が発覚した11月になっても、現地はなにも対応を変えなかった。こういうのを「あらゆる手段を講じてきた」と言うのでしょうか?

冒頭に紹介した友人の「最後の一人まで助けるとか言っておいて何もできないなら、何のための政府なの?」という切実な問いに、いまの私は答えを知りません。

January 27, 2015

素晴らしい日本

湯川さんが殺害され、後藤さんの解放が焦眉の急となっている状況で、欧米のメディアが日本人社会の不可解さに戸惑っています。再び登場した「自己責任」社会の冷たさや、2人の拘束されている画像を面白おかしくコラージュ加工したものがツイッター上に多く出回っているからです。

ワシントンポストなどは「自己責任」論に関して04年のイラク日本人人質事件に遡って解説し、あの時の人質の3人は「捕らえられていた時より日本に帰ってきてからのストレスの方がひどかった」という当時の担当精神科医の言葉なども紹介しています。タイム誌は今回の事件でもソーシャルメディア上で溢れる非同情的なコメントの傾向を取り上げ、ロイター電は「それらは標準的な西洋の反応とは決定的な違いをさらけ出している」としています。

確かに米国でも「イスラム国」に人質に取られたジャーナリストらの拘束映像が放送されました。しかしどこにも自己責任論は見られませんでしたし、ましてや彼らをネタに笑うようなことは、少なくとも公の場ではありませんでした。そんなものがあったら社会のあちこちで徹底的に口々に糾弾されるでしょう。80年代にあった「政治的正しさ(PC)」の社会運動は、批判もあるけれどこういうところで社会的な下支えとしてきっちりと共有され機能しているのだなあと改めて感じます。

ちなみに「自己責任」に直接対応する英単語もありません。それを「self-responsibility」とする訳語も散見されますが、英語では普通は言わないようです。また、後藤さんのお母様が記者会見で最初に「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝ったことも欧米ではあまり理解できない。そもそも悪いのは「イスラム国」であって「息子」たちではない。

日本語の分かる欧米人は「自己責任」と聞くと「自分の行動に責任を持つ」という自身の覚悟のニュアンスとして、つまり立派なものとして受け止めるようです。でもそれをもし他者を責める言葉として使うならば、それは「It's your own fault」や「You were asking for it」というふうに言う。つまり日本で今使われる「自己責任」とはまさに「自業自得」という切り捨ての表出でしかないのですね。

2人の拘束画像を茶化すようなツイッター画像の連投は「#ISISクソコラグランプリ」つまり「クソみたいなコラージュ」という意味のタグを付けられて拡散しています。例えば拘束の後藤さんと湯川さんの顔がアニメのキャラクターやロボットの顔にすげ替えられているものや、黒づくめの「イスラム国」男が逆に捕らわれているように入れ替えられているもの、その男がナイフをかざしているのでまるで料理をしているように背景を台所に加工しているもの、と、それはそれは多種多様です。外電によればそんなパロディ画像の1つは投稿後7時間でリツイートが7700回、お気に入りが5000回という人気ぶりだったそうです。

こういう現象に対し「人が殺されようというときになぜそんなおふざけができるのか?」「日本人ってもっと思いやり深く優しい人たちじゃなかったのか?」という反応は当然起こるでしょう。

もっともこれを「アニメ文化の日本の若者たちらしい」「イスラム国を徹底的におちょくるという別の戦い方だ」と見た欧米メディアもありました。しかしそれはあまりに穿った見方だと思います。これらの投稿のハシャギぶりは、実際には「イスラム国」への挑発でしかなく、「イスラム国」関係者とみられるあるツイッターのアカウントは「日本人は実に楽観的だな。5800km(おそらく8500kmの誤記)離れているから安全だと思うな。我々の兵士はどこにでもいる」と呆れ、「この2人の首が落とされた後でお前たちがどんな顔をするか見てみたいものだ」と返事をしてきたのです。

「日本は素晴らしい国だ、凄い国だ!」と叫ぶネトウヨ連中に限ってこういうときに「自己責任だ」として他人を切り捨て、嘲り、断罪する。そういう日本は素晴らしいのでしょうか? それは自己矛盾です。そうではなく、「日本を素晴らしい国、凄い国にしたい」という不断の思いをこそ持ち続けたいのです。

January 21, 2015

原理には原理を

「イスラム国」が2億ドルの身代金を払わねば人質の日本人2人を殺害すると予告した事件は米国でも波紋を広げています。米国ではすでにジャーナリストら3人が容赦なく斬首されていて、この件で私に話しかけてきた友人たちも、2人の運命がすでに決まっているかのように「アイ・アム・ソーリー」と言うばかりでした。

米政府はこれまで交渉を表向き全く拒否して空爆を強化してきました。「それが功を奏しつつあってISIL(イスラム国)は追い込まれている」とも発表されたばかりでした。20日のオバマ大統領の一般教書演説でも「イスラム国」の壊滅を目指し、国際社会で主導的な役割を果たすとの決意表明がありました。

交渉しない代わりに、諜報力でどこに拠点があるのか割り出し、そこを急襲して人質を救出するという作戦も行われています。ところが失敗して、昨年12月には数日中に解放予定だった英国人人質を殺させてしまったこともある。

そういうのがアメリカのやり方です。まるでハリウッド映画です。そうじゃない世界の可能性というものはないのか? アメリカ式ではない別の道はないのでしょうか?

今回、拉致されているジャーナリストの後藤さんはシリアに入る際に「日本はイスラム国と直接戦っていない。だから殺されることはないだろう」と語っていました。しかし、安倍首相はエジプトでの記者会見で「イスラム国対策2億ドル支援」を勇ましく表明しました。曰く「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止める」「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドル程度支援をお約束」。

ところが人質殺害予告後のイスラエルでの会見はもっぱら「非軍事的な人道支援」を強調した内容で、「イスラム国」を刺激しないためか一転して名指しすらせずもっぱら「過激主義」とのみ呼んでいました。

私はイスラエルでの会見はとてもバランスのとれた、平和主義日本の立場をよく説明した声明だと思いました。それは日本憲法の前文と9条の精神を下地にしたもののようでした。「イスラム国」に対し「何を言っているのだ。日本は困っている人々に手を差し伸べる国家なのだ。2億ドルはそういう支援だ。そんな私たちの国民を殺害するなどイスラム法に則っても正義はない」と正面から啖呵を切れる論理だったと思えたのです。

ここに疑問が湧きます。エジプトでの声明とイスラエルでの声明との間にある明らかな語の選択と語調の差。それこそが安倍外交の齟齬、外務省の失敗の自覚なのではないか? エジプト声明での自慢気さに「拙い」と気づいての慌てての語調変更。

私は「イスラム国」には対抗すべきだと思っているし、「わざわざ標的になるような余計なことは言うな」とは思いません。ただ、彼らの原理主義への対峙は、米国追従やハリウッド的なテロ絶対悪説ではなく、もっと根源的な別の人間原理に基づくべきだと思っています。その原理とはまさに憲法前文と9条と民主主義による真正面からの反撃のことなのだと思うのです。そしてそれこそが、ハリウッド式ではない、世界のもう一つの在り方なのだ、ということなのです。

そんなことを言うとまた「平和ボケのお前が9条を掲げてシリアに入って、おめでたい人質救出交渉でもしてこい」とか「北朝鮮や領土問題の中国や韓国にも同じこと言えるのか」と言う人が現れます。はいはい、でも私が話しているのはそういうその場その場での対処方法の話なんかじゃないんです。

83年からパキスタンやアフガニスタンで戦火の中でも医療活動や水源確保・農業支援活動を続けてきた中村哲さんが毎日新聞の取材に答えて次のように語っています。

「単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

平和憲法を平和ボケだとかお題目唱えてろとか言う人たちは、そんな中村さんたちの、現場の切実な安心感はわからんのでしょうね。

原理には原理を

「イスラム国」が2億ドルの身代金を払わねば人質の日本人2人を殺害すると予告した事件は米国でも波紋を広げています。米国ではすでにジャーナリストら3人が容赦なく斬首されていて、この件で私に話しかけてきた友人たちも、2人の運命がすでに決まっているかのように「アイ・アム・ソーリー」と言うばかりでした。

米政府はこれまで交渉を表向き全く拒否して空爆を強化してきました。「それが功を奏しつつあってISIL(イスラム国)は追い込まれている」とも発表されたばかりでした。20日のオバマ大統領の一般教書演説でも「イスラム国」の壊滅を目指し、国際社会で主導的な役割を果たすとの決意表明がありました。

交渉しない代わりに、諜報力でどこに拠点があるのか割り出し、そこを急襲して人質を救出するという作戦も行われています。ところが失敗して、昨年12月には数日中に解放予定だった英国人人質を殺させてしまったこともある。

そういうのがアメリカのやり方です。まるでハリウッド映画です。そうじゃない世界の可能性というものはないのか? アメリカ式ではない別の道はないのでしょうか?

今回、拉致されているジャーナリストの後藤さんはシリアに入る際に「日本はイスラム国と直接戦っていない。だから殺されることはないだろう」と語っていました。しかし、安倍首相はエジプトでの記者会見で「イスラム国対策2億ドル支援」を勇ましく表明しました。曰く「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止める」「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドル程度支援をお約束」。

ところが人質殺害予告後のイスラエルでの会見はもっぱら「非軍事的な人道支援」を強調した内容で、「イスラム国」を刺激しないためか一転して名指しすらせずもっぱら「過激主義」とのみ呼んでいました。

私はイスラエルでの会見はとてもバランスのとれた、平和主義日本の立場をよく説明した声明だと思いました。それは日本憲法の前文と9条の精神を下地にしたもののようでした。「イスラム国」に対し「何を言っているのだ。日本は困っている人々に手を差し伸べる国家なのだ。2億ドルはそういう支援だ。そんな私たちの国民を殺害するなどイスラム法に則っても正義はない」と正面から啖呵を切れる論理だったと思えたのです。

ここに疑問が湧きます。エジプトでの声明とイスラエルでの声明との間にある明らかな語の選択と語調の差。それこそが安倍外交の齟齬、外務省の失敗の自覚なのではないか? エジプト声明での自慢気さに「拙い」と気づいての慌てての語調変更。

私は「イスラム国」には対抗すべきだと思っているし、「わざわざ標的になるような余計なことは言うな」とは思いません。ただ、彼らの原理主義への対峙は、米国追従やハリウッド的なテロ絶対悪説ではなく、もっと根源的な別の人間原理に基づくべきだと思っています。その原理とはまさに憲法前文と9条と民主主義による真正面からの反撃のことなのだと思うのです。そしてそれこそが、ハリウッド式ではない、世界のもう一つの在り方なのだ、ということなのです。

そんなことを言うとまた「平和ボケのお前が9条を掲げてシリアに入って、おめでたい人質救出交渉でもしてこい」とか「北朝鮮や領土問題の中国や韓国にも同じこと言えるのか」と言う人が現れます。はいはい、でも私が話しているのはそういうその場その場での対処方法の話なんかじゃないんです。

83年からパキスタンやアフガニスタンで戦火の中でも医療活動や水源確保・農業支援活動を続けてきた中村哲さんが毎日新聞の取材に答えて次のように語っています。

「単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

平和憲法を平和ボケだとかお題目唱えてろとか言う人たちは、そんな中村さんたちの、現場の切実な安心感はわからんのでしょうね。

January 19, 2015

運動としての「表現の自由」

仏風刺誌「シャルリ・エブド」襲撃事件はその後「表現の自由」と「自由の限度」という論議に発展して世界中で双方の抗議が拡大しています。シャルリ・エブドの風刺画がいくらひどいからといってテロ殺人の標的になるのが許されるはずもないが、一方でいくら表現の自由といっても「神を冒涜する権利」などには「自由」は当てはまらない、という論議です。

私たちはアメリカでもつい最近同じことを経験しました。北朝鮮の金正恩第一書記をソニーの映画「ジ・インタビュー」が徹底的におちょくって果てはミサイルでその本人を爆殺してしまう。それに対してもしこれがオバマ大統領をおちょくり倒してついには爆殺するような映画だったら米国民は許すのか、というわけです。

日本が風刺対象になることもあります。最近では福島の東電原発事故に関して手が3本という奇形の相撲取りが登場した風刺画に大きな抗議が上がりました。数年前には英BBCのクイズ番組を司会していたスティーヴン・フライが、「世界一運が悪い男」として紹介した広島・長崎の二重被爆者の男性の「幸福」について「2010年に93歳で亡くなっている。ずいぶん長生きだったから、それほど不運だったとも言えないね」と話したところ在英邦人から抗議が出てBBCが謝罪しました。

シャルリ・エブドの事件のきっかけとなった問題は、風刺の伝統に寛容なフランス国内でも意見は分かれるようです。18日に報じられた世論調査結果では、イスラム教預言者ムハンマドを描写した風刺画の掲載については42%が反対でした。もっとも、イスラム教徒の反対で掲載が妨げられてはならないとの回答は57%ありましたが。

宗教批判や風刺の難しさは、その権威や権力を相手にしているのに、実際には権威や権力を持たない市井の信者がまるで自分が批判されたかのように打ちのめされることです。そして肝心の宗教そのものはビクともしていない。

でも私は、論理的に考え詰めれば「表現の自由に限度はない」という結論に達せざるを得ないと思っています。何が表現できて、何が表現できないか。それはあくまで言論によって選択淘汰されるべき事柄だと思います。そうでなくては必然的に権力が法的な介入を行うことになる。つまり風刺や批評の第一対象であるべきその時々の権力が、その時々の風刺や批評の善悪を決めることになります。自らへの批判を歓迎する太っ腹で寛容で公正な「王様」でない限り、それは必ず圧力として機能し、同時にナチスの優生学と同じ思想をばら撒くことになります。

もちろん、表現の自由の限度を超えると思われるようなものがあったらそれは「表現の自由の限度を超えている」と表現できる社会でなければなりません。そしてその限度の境界線は、その時々の言論のせめぎ合いによってのみ決まり、しかもそれは運動であって固定はしない。なので表現の自由とその限度に関する議論は止むことはなく、だからこそ自ずから切磋琢磨する言論社会を構成してゆく、そんな状態が理想だと思っています。

ヨーロッパというのは宗教から離れることで民主主義社会を形成してきました。青山学院大学客員教授の岩渕潤子さんによると「ヴァチカンが強大な権力を持っていた時代、聖書の現代語訳を出版しようとしただけで捉えられ、処刑された。だからこそヨーロッパ人にとってカトリック以外の信教の自由、そのための宗教を批判する権利、神を信じない権利は闘いの末に勝ち取った市民の権利だった」そうです。

対してアメリカは宗教とともに民主主義を培ってきた国で、キリスト教の権威はタブーに近い。しかしそれにしても市民社会の成立は「神」への永遠の「質問」によって培われてきたし、信仰や宗教に関係するヘイトスピーチ(偏見や憎悪に基づく様々なマイノリティへの差別や排斥の表現)も世界の多くの国々で禁止されているにもかかわらず「表現の自由」の下で法的には規制されていず、あくまでも社会的な抗議や制裁によって制御される仕組みです。もちろんそれが「スピーチ(表現)」から社会的行動に転じた場合は、「ヘイトクライム(偏見や憎悪に基づく様々なマイノリティへの犯罪行為)」として連邦法が登場する重罪と位置付けられてもいるのです。いわば、ヘイトスピーチはそうやって間接的には抑圧されているとも言えますが。

「表現の自由」の言論的な規範は、歴史的にみればそれは80年代の「政治的正しさ(PC)」の社会運動でより強固かつ広範なものになりました。このPC運動に対する批判もまた自由に成立するという事実もまた、根底に「正しさ」への「真の正しさ」による疑義と希求があるほどに社会的・思想的な基盤になっています。

でもここでこんな話をしていても、サザンの桑田佳祐が紅白でチョビ髭つけてダレかさんをおちょくっただけで謝罪に追い込まれ、何が卑猥かなどという最低限の自由を国民ではなく官憲が決めるようなどこぞの社会では、何を言っても空しいままなのですが。

December 23, 2014

クーバ・リブレ!

キューバとの国交正常化に向けてのホワイトハウスの動きには驚かされました。どの報道機関もスクープできなかった「青天の霹靂」でしたが、じつは昨年6月ごろからオバマ政権とカナダ、さらに仲介役としてこれ以上は望むべくもないローマ法皇庁のあいだで水面下の交渉が行われていたようです。オバマは大統領就任以前からキューバとの問題を解決したいと意欲的でしたし、そこに昨年3月、国際問題でも平和と公正を訴えて積極的にコミットする人物が法王になった。下準備を経て今年2月のオバマ・フランシスコ会談ではこの問題が内密に直接話し合われたといいます。

20年前にキューバに訪れたことがあります。ちょうどソ連崩壊でサトウキビと石油とのものすごい好条件のバーター貿易体制が崩壊した後で、この社会主義の優等生国が困窮の配給制を実施、路上に初めて物乞いの子たちが立つようになっていたころでした。

キューバではフィデルとエルネストという名前の人がとても多い。それは59年のバチスタ政権打倒でカストロとゲバラが英雄となり、当時生まれた男の子に多く彼らの名前が付けられたせいです。20年前のキューバでは、そのフィデルとエルネストたちが経済危機と独裁の圧政でその自分の名祖を罵っていました。

もっともキューバは他の社会主義の(ジメジメしたり暗かったり寒かったりする)どの国とも雰囲気が違っていて、それはきっとあの南国の明るい空気とスペイン語の陽気な発音のせいなんじゃないかと思いました。首都ハバナは新市街と旧市街に分かれていて、ヘミングウェイの愛した旧市街のバーでクーバ・リブレ(「キューバに自由を!」という名前のラムとコーラとライムのカクテル)などを飲んでいると若いお兄ちゃんが手招きしてきました。何だと思って近寄ると、いいものがあると言って路地に連れて行かれます。そこでそのお兄ちゃん、おもむろにズボンのベルトを外し、腹からコヒーバの葉巻を取り出すのでした。

コヒーバやモンテクリストは世界最上等の葉巻銘柄で、禁輸のせいでアメリカでは絶対に手が入らない垂涎の的でした。それが随分と安い。葉巻工場で働いている友達がこの経済混乱の中、生活のために横流しして観光客から米ドルを稼いでいるのだと言います。もっとあると言うので付いていくとたしかに木箱に入った「工場直送葉巻」が山積みになっていました。葉巻なんか吸わなかったけれど2箱買うとその夜、そのお兄ちゃんは街の裏側を案内してくれました。

友達がカリブ海を渡ってアメリカにイカダで亡命したという若者の家にもこっそりと取材に行きました。お母さんは配給手帳を見せてくれて、芋とババナしか手に入らないとカストロのダメさ加減を激しく非難していました。親戚にもアメリカに逃げた人がおり、ドルを地下送金してくれるネットワークのことも聞きました。自分たちもいつか亡命したいと言っていましたが、彼らはいまどうしているのかなあ。

それでもカストロ体制は90年代をなんとか乗り切り、21世紀に入ってからは各種経済システムの自由化を実施して、最近ではエボラ禍の西アフリカに国家事業でもある医師団の大量派遣を行って面目を施していました、米国内でもついひと月ほど前、この国際貢献に免じて経済制裁の緩和という動きも報じられていたのです。

ところがその一方で今年の原油急落はキューバにも大きな影を落としていました。ソ連の代わりにキューバを支えていた産油国ベネズエラが経済破綻に直面し、それがキューバ経済に波及していたのです。ラウル・カストロ政権としてもオバマ政権のこの「太陽政策」は渡りに船だったはずです。

もちろん、カストロ革命で米国に亡命せざるを得なかった当時の既得権益層はいつかキューバを取り戻そうと復讐心に燃えていたのですが、このオバマの方針変更でカストロ体制が延命するとカンカンです。でも、亡命移民の二世、三世はむしろこれを歓迎している。共和党の有望株マルコ・ルビオ上院議員(42)はキューバ系で、国交回復反対の急先鋒ですが、それはむしろ世代的には少数派。オバマ民主党は、200万人近いこのキューバ系有権者の票勘定もしたはずです。それはフロリダ州での次期大統領選にも関係してくるし、フロリダのヒスパニック票がいまプエルト・リコ系の方が多いという事実も分析したはずなのです。

ところで、来年から上下両院で多数派となる共和党は国交再開のための予算執行や経済制裁解除で徹底拒否に回るでしょう。大使館の設置にしてもその建設費などは議会の承認を経ないと出てきませんから。そこでオバマとしては大統領令でできる細々としたことで先に既成事実を積み重ねてゆく、という算段でしょう。共和党としても反対一本槍では、150kmも離れていないカリブ海の隣国との関係として、果たしてどれだけ支持されるでしょうか。じじつ、日本と違って党議拘束などない米国議会では、この国交再開を歓迎している共和党議員も出ています。なにせ50年以上も経済制裁を続けて埒が開かなかったのは、転機を訴えるのによいタイミングだったのかもしれません。

それにしてもオバマは中間選挙での敗北を経て、逆にオバマらしさを打ち出してきて、レイムダックになるのをまったく感じさせません。まあそれも来年の議会との攻防を見なくては判断するに早いでしょうが。

November 17, 2014

エボラ禍で私たちにできること

米国移送の最初のエボラ感染患者がニューヨークの病院から退院する一方で新たに搬送されたシエラレオネの医師が治療の甲斐なくネブラスカ州で死亡するなど、エボラ熱との戦いはまだ続いています。感染爆発の西アフリカでは死者5000人を超えました。

これから始まる新たな社会問題もあります。エボラで死んだ親の子供たちが、感染を恐れる親戚にも見放されて続々
と孤児になっているのだそうです。中でも死者が3000人近いリベリアでは孤児の数も4000-5000人いると見られています。ところが彼らを世話する孤児院がない。

その孤児院を建設しようと、1人の牧師さんがこの夏からニューヨークで資金集めに奮闘しています。首都モンロビアで最大のキリスト教区を持つサミュエル・リーブズ牧師です。

そもそもなぜリベリアで感染被害が多いかというと、リベリアは家族や友人をとても大切にする社会で、道で会っても話をするときでもいつもハグしたりキスしたり手を取り合ったりしているのだそうです。また家族が亡くなるとみんなでその遺体を拭き清める習慣もある。そんな温かい関係がかえってエボラ熱の接触感染を広める仇となったのです。

にもかかわらずエボラの恐怖と社会的スティグマは家族親族の関係を断ち切るほどに強い。私たちも知っているエイズ禍の時と同じです。

リーブズさん自身、9月の故国からの電話で、幼馴染の隣の教区の牧師さんがエボラで急死したという方を受け取りました。国の保険証の担当官と一緒に国内のエボラ患者の支援と救済に飛び回っている最中に自身もエボラに感染してしまったのだそうです。

リーブズ牧師はどうにか孤児たちを引き受ける孤児院を作りたいと奔走しています。全米の教会を回り資金集めに忙殺されていた9月には、幼なじみだった隣の教区の同僚牧師さんがエボラで急死したという電話連絡も受けました。リベリアの厚生省の担当者といっしょに国内各地を回って患者たちの世話をしていて感染したそうです。

リベリアはやっと内戦が終わり民主社会を建設中でした。それがまた壊滅的な打撃を受けています。その立て直しは孤児院の建設から始まると言うリーブズ牧師は、最終的に国内に15の院が必要になると話しています。その第一号の建設地はすでにシエラレオネとの国境沿いに国際支援でできた医療センターと高校施設との共同敷地があるそうです。

資金集めの目標は1000万ドル(10億円)。そこにニューヨークで40年活躍しているジャズマンの中村照夫さんが慈善コンサートで資金集めに協力することになりました。中村さんは日本のジャズ界の大きな賞である南里文雄賞の受賞者で、20年来、日米でエイズの啓発コンサートも続けてきた人です。

今年も12月1日(月)は世界エイズデーです。この日に「エイズからエボラへ」という持続的な社会啓発を謳って中村さん率いるライジングサン・バンドがブルックリン・パークスロープの「ShapeShifter Lab(シェイプシフター・ラブ)」で7時から演奏します。寄付は現金と小切手で受け付けます。詳細は次のとおりです。

    *

【世界エイズデーコンサート=エイズからエボラへ】
日時=12月1日(月)午後7時〜9時
場所=ShapeShifter Lab (18 Whitewell Place, Broklyn, NY=最寄駅はR線のユニオン・ストリート)
出演=Teruo Nakamura & the Rising Sun Band, with Monday Michiru (Vocal/Flute)
入場料=15ドル
寄付願い=できれば10ドル以上を。小切手宛先は The Safety Channel。全額がモンロビアの「Providence Baptist Church Medical Center and Orphanage」へ寄付されます。

October 10, 2014

「イスラム国」とは何か?

9.11の後で私たちはこれからの戦争が国家vs国家ではなく、国家vsテロ集団だということを知らされました。領土も持たず絶えず移動する相手にどういう戦争が可能なのか、それを考えている最中に今度は「イスラム国」が出てきました。
オバマ大統領も今年初め彼らをNBAになぞらえて「一軍に上がれない連中」「大した脅威ではない」と見ていました。ところがあれよあれよと勢力を拡大しシリアからイラクに侵攻し、この6月に指導者のアブバクル・バグダディが自らを「カリフ(ムハンマドの後継者=最高権威者)」と名乗って「イスラム国」の建国を宣言したころにはすでに国際的に無視できない存在になっていたのです。

アルカイダもタリバンも「国」を模索しませんでした。ところがこの「イスラム国」は「国」です。ただしこの「国」は私たちの言う「国」とは違うのです。

現在の世界は「それぞれが主権を有する国家」同士の共存体制を執っています。日本も米国も英国もぜんぶそんな「主権国家」です。この考え方は17世紀のウエストファリア条約で確立しました。この「主権国家」は帝国主義や植民地主義や第一次、第二次世界大戦を経て統合したり分裂したり独立したりして現在に至ります。ただし「主権国家の共存体制」といっても国境線がまっすぐだったりするアフリカや中東では無理矢理この「国家」像を押し付けられた感も残ります。

それに対して「イスラム国」の「国」は違います。これは国境や領土や国民といった世俗的な国ではなく「神の国」という意味です。イスラム教を真に信じる人がいれば国境も領土も関係なくそこが「イスラム国」だという意味なのです。

これはつまり、世俗的な「国家」を単位として構成されている現在の世界に対する、根本的な対峙なのです。そんな堕落した世俗の「国」ではなく、神の「国」なのだ、ということです。

そこに世界数十カ国から10000人以上の若者が戦闘員として集まっている。欧米からも3000人がシリアに入っていると言われます。彼らはイスラム原理主義への共鳴者だけではなく、金権主義で堕落した西欧社会に愛想を尽かした層、西欧で高まるネオナチなどによる移民排斥運動あるいは9.11以降の米国でのイスラム教嫌悪で真っ向から差別を受けた中東などからの移民2世3世です。さらには「自分探し」「英雄志向」「変身願望」の者たちも少なくありません。なにせイスラム教とは本来、困っている者たちを無償で支え合う理想の相互扶助、平等の宗教だからです。イスラム教においては利子を取ることさえ禁止されています。

ところが「イスラム国」はそこから徹底して異教徒を排斥する。異教徒なら奴隷にしても斬首してもかまわないと公言する。支持者たちはそれを「度を超した過激」とは見ずに「純粋」なイスラム主義と受け取る。

この「排斥主義」は元を正せば欧米のイスラム教徒排斥の裏返しです。国家であれば「自衛のための攻撃」と呼ばれ、国家でなければ「テロ」と呼び捨てるのはアルカイダやタリバンを相手にしたときだけではなく、イスラエルとパレスチナの関係でもそうでした。

そうした卑劣な「近代国家」像に「神の国家」の力を対峙させる──それは斬首された米国人ジャーナリストたちがその公開動画でオレンジ色の服を着せられていたことでも明らかです。あれは米国の、アブグレイブ刑務所の囚人服の再現なのです。私たちは私たちの拠って立つ世界の基盤への本質的な問いかけに直面しているのです。

September 14, 2014

朝日非難の正体

朝日新聞が大変なことになっています。

まずは8月5日にこれまでの「従軍慰安婦」関連報道の検証を公表して、32年前の吉田清治証言など多くの事実関係の誤りを認めました。次にこの問題を分析して「訂正するなら謝罪もすべきではないか」と論評した池上彰氏の同紙コラムを不掲載として、これも大批判を浴びました。さらには東電福島原発事故の際の吉田調書のスクープ(5月20日付記事)でも「吉田昌郎所長の命令に違反して所員が撤退した」とした記事が誤報だったとして9月11日付で再び削除、謝罪するに至りました。そこで現在、同業の読売、産経をはじめ週刊誌や自民党政治家などから「朝日は潰れろ」とばかりの袋だたきに遭っているのです。まるで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態です。

背後にはとにかく「従軍慰安婦問題」が気に食わないいわゆるネトウヨ(ネット右翼)がいるようです。というのも慰安婦問題そのものがなかったかのような「訂正しろ」コールが沸き起こっているのですね。

実は「吉田証言」はかねてから怪しいとされてきて、さまざまな国際報道でも疑義が差し挟まれてきました。訂正するにしても本質的な全体像にはあまり変わりはないのですが、首相である安倍サンですらこの虚報騒動の中で「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められる」「事実ではないと国際的に明らかにすることをわれわれも考えなければならない」と、何かまるで全部「事実ではなかった!」みたいな言い方でしょ。

もちろん池上問題はまったく弁解の余地もない話ですし、引き続く「吉田調書」スクープでの失敗も、記者がとにかく「原発は危ない」「東電はけしからん」などの世論と呼応して前のめりになってしまって、調書の読解が「ウケ狙い」の曲解に傾いたのが原因だと思います。

朝日が大きな間違いを犯したのは事実です。でも、それで巻き起こっている日本社会の非難の正体が何なのかが気になるのです。産経に至っては連日の批判記事の他に「朝日よ『歴史から目をそらすまい』」「産経 史実に基づき報道」という大見出しで全面PRまで作って読者牽引を図っているサモシさですよ。

例えばNYタイムズが誤報をして、それを他のメディアが嬉々として叩いて客引きする、なんて図式はアメリカではまず考えられません。Foxでもそこまではしない。むしろジャーナリスト同士で叱咤すべきは叱咤し、商売仇とはいえ同僚でもある当該紙の再起を願うはずです。なぜならそれが言論全体の健全さを保障すると、ジャーナリストなら知っているからです。

でもそんなことを言うと「反日だ」とレッテルが張られます。「朝日をかばうのか」「捏造した記事を書く新聞は逝ってヨシ」などといった実に乱暴な反論が(罵詈雑言とともに)ツイッターで返ってきます。彼らの「反日」とは国内向けにはまさに「非国民」という意味なのですが、なぜか彼らは「非国民」という非難の仕方は避けています。アノ時代のアノ人たちとは違うと思われていたいのかしら?

私たちの言論の拠って立つところは、実はとても稀少で脆弱です。みんなで育て支えていないとすぐに崩れる。なのに、そういう乱暴な声の行き着く社会が、真っ先にそういう人たち自身の物言いをも封じ込める社会だとは気づいていない。

かくして欧米では朝日の誤報自体と同時に、朝日の誤報以降に安倍政権や保守派勢力が朝日=リベラル勢力に対して絶え間なく圧力を掛けているという話もニュースになっているのです。

August 30, 2014

氷のビショービショ

友人からチャレンジされて私もアイスバケットの氷水をかぶりました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病の支援を目的に7月末から始まったこのキャンペーンは有名人を巻き込んであっというまに300万人から計1億ドル以上を集めました(8月末現在)。昨年の同じ時期に米国ALS協会が集めた募金は280万ドルだったといいますから、このキャンペーンは大成功です。

フェイスブックやツイッターで映像画像を公開しているみなさんは嬉々として氷水をかぶっているようですが、スティーヴン・ホーキング博士も罹患しているこの病気はじつはとても悲惨なものです。四肢から身体全体にマヒが広がり、最後に残った眼球運動もできなくなると外界へ意思を発信する手段がなくなります。意識を持ったまま脳が暗闇に閉じ込められるその孤独を思うと、氷水でも何でもかぶろうという気になります。

啓発のためのこういうアイディアは本当にアメリカ人は上手い。バカげていても何ででも耳目を集めればこっちのもの。こういうのをプラグマティズムと呼ぶのでしょうね。もちろんチャレンジされる次の「3人」も、「幸福の手紙」みたいなチェーンメール方式と違って断る人は断ってオッケー、その辺の割り切り方もお手の物です。

レディ・ガガにネイマール、ビル・ゲイツやレオナルド・ディカプリオといった世界のセレブたちが参加するに至って案の定、これはすぐに日本でも拡散しました。ソフトバンクの孫さんやトヨタの豊田章男社長といった財界人から、ノーベル生理学・医学賞の山中教授、そして田中マー君も氷水をかぶりました。

ところがあるスポーツタレントがチャレンジの拒否を表明して、それが世間に知られると「エラい」「よく言った」と賞讃の声がわき起こったのです。ある意味それはとても「日本」らしい反応でした。その後ナインティナインの岡村隆史も「(チャリティの)本質とはちょっとズレてきてるんちゃうかな」と口にし、ビートたけしも「ボランティアっていうのは人知れずやるもの」と発言しました。こうした批判や違和感の理由は「売名行為」「一過性のブーム」「やっている人が楽しんでるだけで不謹慎」「ただの自己満足」といったものでした。

日本にはどうも「善行は人知れずやるもの」というストイックな哲学があるようです。そうじゃないとみな「偽善的」と批判される。しかし芸能人の存在理由の1つは人寄せパンダです。何をやろうが売名であり衆人環視であり、だからこそ価値がある。ビートたけしの言い分は自己否定のように聞こえます。

私はこれは日本人が、パブリックな場所での立ち振る舞いをどうすべきなのかずっと保留してきているせいだと思っています。公的な場所で1人の自立した市民として行動することに自身も周囲も慣れていない。だからだれかがそういう行動を取ると偽善や売名に見える。だから空気を読んで出しゃばらない。そんな同調圧力の下で山手線や地下鉄でみんな黙ってじっとしているのと同じです。ニューヨークみたいに歌をうたったり演説をする人はいません。

そういう意味ではアイスバケット・チャレンジはじつに非日本的でした。パブリックの場では大人しくしている方が無難な日本では、だから目立ってナンボの芸人ですら正面切っての権力批判はしない。むしろ目立つ弱者を笑う方に回る。

私は、偽善でも何でもいいと思っています。その場限りも自己満足も売名も総動員です。ALSはそんなケチな「勝手」を飲み込んであまりに巨大なのですから。

May 12, 2014

日系企業のみなさんへ〜任天堂事件の教訓

記憶に新しいところではこの4月、ファイアフォックスのモジラ社の新CEOがかつてのカリフォルニアでの反同性婚「Prop8」キャンペーンに1000ドルの寄付をしていたために就任10日で辞任に追い込まれました。東アジアのブルネイが同性愛行為に石打ち刑を適用することに対し全米でブルネイ国王所有のホテルチェーンにボイコットが起きていることも大きなニュースです。そういえばロシアの反同性愛法への抗議でソチ五輪で欧米諸国がそろって開会式を欠席したのもまだ今年の話でした。

性的少数者への差別や偏見に対してかくも厳しい世界情勢であるというのに、どうして大した思想も覚悟もあるわけでない任天堂米国社が、6月に発売するソーシャルゲーム「Tomodachi Life(日本名ではトモダチ・コレクション=先にコネクションとしたのを書き込み指摘により修正しました)」の中で同性婚が出来なくなっているのでどうにかしてほしいと言うファンからの要望に対して「任天堂はこのゲームでいかなる社会的発言も意図していません」「異性婚しかないのは、現実世界を再現したというよりは、ちょっと変わった、愉快なもう1つの世界だからです」と答えてしまったのでしょうか。

実は同じことは日本版リリース後の昨年暮れにも起きました。このときは日本国内での話題で、一部外国のゲームファンの中からも問題視する声がありましたが、任天堂はこれを「ゲーム内のバグ」と言いくるめて押し通し、肝心の同性間交際の問題には正面からはまったく対応しませんでした。そして今回に至ったのです。

これはマーケティング上の大失敗です。なぜならこれは、米国では誰から見ても明白に「大きな問題」になることだったからです。そして、同性婚を連邦政府が認めているアメリカで「異性婚しかないのは」「現実世界」とは違ってそれ「よりはちょっと変わった愉快なもう1つの世界」の話だからだと言うことは、まるで同性婚のある現実世界はその仮想世界よりも楽しくないという、大いなる「社会的メッセージ」を発することと同じだったからです。

果たしてこれをAP、CNN、TIME、ハフィントンポストなど、米国のほぼ全紙全局が一斉に報じました。AP配信の影響でしょうか、アメリカのゲーム関連のニュースサイトもちろん速報しました。「任天堂は同性婚にNO」という批判文脈で。それでもまだ任天堂は気づいていなかった。というのもハフィントンポストからの取材に対して日本の任天堂は「すでに発売された日本で大きな問題になってはいませんし、まずはゲームを楽しんでいただきたい」とコメントしたのです。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/08/nintendo-tomodachi_n_5292748.html
「日本では昨年発売されたものですし、お客様にも大変喜んでいただいています。
 ゲームの中で、結婚したり、子供を作ったりという部分が特徴的なのは確かですが、それだけではありません。いろいろなことができるゲームですし、その部分のみが取り上げられるのは、ゲームの中身が理解されていないのかな、という印象です。まだ海外では発売すらされていないので、そういった報道になるのかもしれません。すでに発売された日本で大きな問題になってはいませんし、まずはゲームを楽しんでいただきたいと思います。」

そして翌9日、任天堂は謝罪に追い込まれました。「トモダチ・ライフにおいて同性間交際を含めるのを忘れたことで多くの人を失望させたことに謝罪します」と。

We apologize for disappointing many people by failing to include same-sex relationships in Tomodachi Life.

TIMEは次のようにこの謝罪も速報しました。

The company issued a formal apology Friday and promised to be "more inclusive" and "better [represent] all players" in future versions of the life simulation game. The apology comes after a wave of protests demanding the company include same-sex relationships in the game

もっとも、任天堂は例の「社会的発言」云々のくだりなど、それ以前のコメントの「間違い」への反省の言及は一切ありませんでした。

LGBT(性的少数者)の人権問題に関してどうして日系企業はかくも鈍感なのでしょう。そもそもアメリカに進出していてもLGBTという言葉すら知らない人さえいます。かつて日系企業の米国進出期には女性差別やセクハラ、人種差別やそれに基づくパワハラが訴訟問題にも発展し、多くの教訓を得てきたはずです。にもかかわらず今度はこれ。実際は何も学んでこなかったのと同じではありませんか。

性的「少数者」として侮ってはいけません。米国社会では親しい友人や家族の中にLGBTがいると答えた人は昨年調査で57%います。同性婚に賛成の人は先日のCNN調査で59%にまで増えました。所謂ゲーム世代でもある18歳〜32歳の若年層に限ると、同性婚支持の数字は68%にまで跳ね上がるのです(ピューリサーチセンター調べ=2014.3.)。

つまり、LGBTに関して「あいつオカマなんだってさ」「アメリカにはレズが多いよな」などという言葉を吐こうものなら、あなたは7割の若者から差別主義者の烙印を押されることになるのです。それで済めば良いですが、もしそれが職場や仕事上の話題ならば、訴訟になり巨額のペナルティが科せられます。冒頭に挙げた例はビッグネームであるが故の社会制裁を含んだものですが、アメリカでは最近、せっかく新番組のTVホストに決まっていた双子の兄弟が過去のホモフォビックな活動を問題視されて番組そのものがあっというまにキャンセルされてしまった例もあります。こう言ったらわかるかもしれません。アメリカ社会で黒人にニガーという言葉を投げつけただけであなたは社会的にも経済的にも大変困ったことになります。その想像力をそっくりLGBTに対しても持つ方がよい。ホモフォビックな性的少数者に差別と偏見を向ける人は、よほどの宗教的な確信犯ではない限り、すでにそちらこそが少数派の社会的落伍者なのです。

そんなこんなで任天堂問題がツイッターなどを賑わしているさなかに、大阪のゲーム会社がまた変なことをやらかしていることが発覚しました。

ノンケと人狼を見分けて「(ホモ)人狼」を追放する「アッー!とホーム♂黙示録~人狼ゲーム~」だそうです。

こうなるともうわけがわかりません。

これがアップルやグーグルのゲームアプリとして発売されるというので、いまツイッターなどでみんながアップルとグーグルにこんなホモフォビックなゲームは販売差し止めにしてほしいという運動を起こしています。なにせアップルもグーグルも世界的にLGBTフレンドリーを公言している企業だから尚更、というわけです。

このゲーム会社、大阪のハッピーゲイマー(Happy Gamer)というところらしいですが、ツイッターで抗議されて慌ててこのゲームのサイトに「表現について」という急ごしらえの「表現について」http://ahhhh.happygamer.co.jp/expressというページを追加してきました。そこで「このゲームにおいて「性的少数者=人狼」のように表現はされておりません」と釈明したのです。でも、それ以前にこの会社、ツイッターで「#ホモ人狼 あ、ハッシュタグ作ったんで使ってくださいね!」という「人狼=ホモ」という何とも能天気な自己宣伝をばらまいていたんですね。頭隠して尻隠さずというのはこういうことを言うのです。あまりに間抜けで攻めるこちらが悲しくなってきます。

というわけでこの会社が両販売サイトから差し止めを食らうのも時間の問題です。おそらく零細企業でしょうし、「ホモ人狼」などと堂々と宣伝してしまうところから見てもまったく意識がなかったのは明らかですが、「差別するつもりはなかった」という言い訳が通用するのは小学生までです。ユダヤ人に、黒人に、世界中でどれほどそういう名目での差別が行われてきたか、「差別するつもりはなかった」ということをまだ恥ずかし気もなく言えるのもまた日本社会の甘やかなところなのだと、とにかく一刻も早く気づいてほしい。並べて日本の会社はこの種のことにあまりに鈍感過ぎます。

「差別するつもりはなかった」という言葉で罪が逃れられると思っているひとは、「殺すつもりはなかった」という言葉があまり意味のない言い訳であるということを考えてみるといいと思います。こんなことが差別になるとは知らなかったと言って驚く人は、こんなことで死ぬとは思っていなかったと言って驚く人と同じほど取り返しがつかないのです。LGBTに関して、いま欧米社会はそこまで来ています。

ゲイやレズビアンなどの市民権がいまどうして重要なのか。いつから彼らは「ヘンタイ」じゃなくなったのか。私はもう20年以上もこのことを取材し書いてきました。日本企業のこの状況を、ほとほと情けなく思っています。この問題について企業研修をやりたいなら私が無料で話してさしあげます。連絡してください。

April 28, 2014

尖閣安保明言のメカニズム

「尖閣諸島は安保条約の適用対象」という文言が大統領の口から発せられただけで、鬼の首でも獲ったみたいに日本では一斉に一面大見出し、TVニュースでもトップ扱いになりました。でも本当に「満額回答」なんでしょうか? だって、記者会見を聴いていた限り、どうもオバマ大統領のニュアンスは違っていたのです。

もちろんアメリカ大統領が言葉にすればそれだけで強力な抑止力になります。その意味では意味があったのでしょう。しかしこれはオバマも「reiterate」(繰り返して言います)と説明したとおり、すでに過去ヘーゲル国防長官、ケリー国務長官も発言していたこととして「何も新しいことではない」と言っているのです。

Our position is not new. Secretary Hagel, our Defense Secretary, when he visited here, Secretary of State John Kerry when he visited here, both indicated what has been our consistent position throughout.(中略)So this is not a new position, this is a consistent one.

ね、2度も言ってるでしょ、not a new position ってこと。これは首尾一貫してること(a consistent one)だって。

それがニュースでしょうか? それにそもそも安保条約が適用されると言ってもシリアでもクリミアでも軍を出さなかったオバマさんが「ロック(岩)」と揶揄される無人島をめぐる諍いで軍を動かすものでしょうか? だいたい、上のコメントだって実は中国をいたずらに刺激してはいけないと「前からおんなじスタンスだよ、心配しないでね」という中国に対する暗黙の合図なのです。

それよりむしろオバマさんが自分で安倍首相に強調した( I emphasized with Prime Minister Abe)と言っていたことは「(中国との)問題を平和裏に解決する重要さ(the importance of resolving this issue peacefully)」であり「事態をエスカレートさせず(not escalating the situation)、表現を穏やかに保ち(keeping the rhetoric low)、挑発的な行動を止めること(not taking provocative actions)」だったのです。まるで中学生を諭す先生のような言葉遣いです。付け加えて「日中間のこの問題で事態がエスカレートするのを看過し続けることは深刻な誤り(a profound mistake)であると首相に直接話した(I’ve said directly to the Prime Minister )」とも。

さらにオバマさんは「米国は中国と強力な関係にあり、彼らは地域だけでなく世界にとって重大な国だ(We have strong relations with China. They are a critical country not just to the region, but to the world)」とも言葉にしているのですね。これはそうとう気を遣っています。

注目したいのは「中国が尖閣に何らかの軍事行動をとったときにはその防衛のために米軍が動くか」と訊いたCNNのジム・アコスタ記者への回答でした。オバマさんは「国際法を破る(those laws, those rules, those norms are violated)国家、子供に毒ガスを使ったり、他国の領土を侵略した場合には(when you gas children, or when you invade the territory of another country)必ず米国は戦争に動くべき(the United States should go to war)、あるいは軍事的関与の準備をすべき(or stand prepared to engage militarily)。だが、そうじゃない場合はそう深刻には考えない(we’re not serious about those norms)。ま、その場合はそういうケースじゃない(Well, that’s not the case.)」と答えているのです。

どういうことか?

実は尖閣諸島に関しては、オバマさんは「日本の施政下にある(they have been administered by Japan)」という言い方をしました。これはもちろん日米安保条約の適用対象です。第5条には次のように書いてある;

ARTICLE NO.5
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.
第5条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する。

でもその舌の根も乾かぬうちにオバマさんは一方でこの尖閣諸島の主権国については「We don’t take a position on final sovereignty determinations with respect to Senkakus」とも言っているのですね。つまりこの諸島の最終的な主権の決定(日中のどちらの領土に属するかということ)には私たちはポジションをとらない、つまり関与しない、判断しない、ということなのです。つまり明らかに、尖閣諸島は歴史的に現在も日本が施政下に置いている(administrated by Japan)領域だけれども、そしてそれは同盟関係として首尾一貫して安保条約の適用範囲である(the treaty covers all territories administered by Japan)けれど、主権の及ぶ領土かどうかということに関しては米国は留保する、と、なんだかよくわからない説明になっちゃっているわけです。わかります?

つまり明らかに合衆国大統領は尖閣をめぐる武力衝突に関しての米軍の関与に関して、言葉を濁しているんですね。しかももう1つ、安保条約第5条の最後に「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動する」とあって、この「手続き」って、アメリカはアメリカで議会の承認を経なきゃならないってことでもありますよね。米国連邦議会が「岩」を守るために軍を出すことを、さて、承認するかしら? ねえ。

この共同会見を記事にするとき、私なら「尖閣は安保条約の適用対象」という有名無実っぽいリップサービスで喜ぶのではなく、むしろ逆に「米軍は動かず」という“見通し”と「だから日中の平和裏の解決を念押し」という“クギ刺し”をこそ説明しますが、間違っているでしょうか? だってリップサービスだってことは事実でしょう? 米軍が守るというのはあくまで日本政府による「期待」であって、政治学者100人に訊いたら90人くらいは「でも動きませんよ」と言いますよ。

ところがどうも日本の記者たちはこれらの大統領の発言を自分で解読するのではなく、外務省の解釈通り、ブリーフィング通りに理解したようです。最初に書いたようにこれは「大統領が口にした」というその言葉の抑止力でしかありません。そりゃ外務省や日本政府は対中強硬姿勢の安倍さんの意向を慮って「尖閣」明言を「大成功」「満額回答」と吹聴したいでしょう。でもそれは“大本営発表”です。「大本営発表」は「大本営発表」だということをちゃんと付記せねば、それは国民をだますことになるのです。

私がこれではダメだと思っているのは、何故かと言うと、この「尖閣」リップサービスで恩を売ったと笠に着て、米国が明らかにもう1つの焦点であったTPPで日本に大幅譲歩を強いているからです。ここに「国賓招聘」や「すきやばし次郎」や「宮中晩餐会」などの首相サイドの姑息な接待戦略は通用しませんでした。アメリカ側はこういうことで恐縮することをしない。ビジネスはビジネスなのです。

思えばオバマ来日の前週に安倍さんが「TPPは数字を越えた高い観点から妥結を目指す」と話したのもおかしなことでした。「高い観点」とはこんな空っぽな安保証文のことだったのでしょうか? 取り引きの材料になった日本の農家の将来を、いま私は深く憂いています。

April 26, 2014

勘違いの集団自衛権

みんな誤解してるようだけど、日本が戦争をしかけられるときには集団的自衛権は関係ないんだよ。つまり尖閣での中国との衝突なんて事態のときは、集団的自衛権は関係ないの。どうもその辺、混同してるんだな。集団的自衛権が関係するのは、日本の同盟国である米国が攻撃されたとき。それを米国と「集団」になって一緒に防衛するってこと。つまり米国が攻撃されたらそこに日本が出て行くってこと。米国と同盟国だから。さてそこでそれを「限定的に使うことを容認したい」って言い始めてるのが安倍政権。どこまでが「限定的」なのかは、そんなの、難しくて言えない、ってさ。個別に判断するようです。でも「地球の裏側にまで出かけることはない」とも言ってるけど、「じゃあどこなら行くの?」には答えられていない。

一方、尖閣でなにかあったときに米国が日本を助けてくれるのは、これは米国側からの集団自衛権、それと、それをもっと明確にしての日米安保条約。だから、尖閣の有事の時のために集団自衛権が必要だ、と思い込んでる人は間違いなの。で、今回の日米共同声明では、尖閣も含んだ日本の施政下の場所は、それは「安保条約第5条の適用下にある」ってこと。

いわば、米国から守ってもらいたいがために、日本も米国を一緒になって守りますよ、っていう約束がこんかいの「集団的自衛権の行使」容認に向けた動きなのです。つまり、なんかあったら日本もやりますから、という証文。先物取り引きみたいなもの。約束。だから、日本になんかあったらよろしくね、というお願いとのバーター取引なのね。

でも、じつはこれ、バーターにしなくてももう昔からそう決まっていたの。だって、安保条約、前からあるでしょ? 集団的自衛権行使します、なんて決めなくても、もうそれは約束だったんだから。

じゃあ、なんでいままたそんなことを言いだしたの? というのでいろいろ憶測があって、それは、1つは靖国参拝、1つは従軍慰安婦河野発言見直し、つまりは「戦後レジームからの脱却」「一丁前の国=美しい国」──そういうアメリカが嫌がることをやらなきゃオトコじゃねえ!と思い込んでるアベが、嫌がることの代償にアメリカが有り難がってくれることをやってやればあまり強いこと言わんだろう、ま、だいじょうぶじゃね?という思惑で(というか、もちろんそれはちゃんと武力行使もできるような「一丁前のオトコらしい国家」であることの条件でもあるんでそこはうまく合致するんだけど)、それで前のめりになっているわけ。だってほら、昨年12月26日の靖国参拝で「disappointed」なんて言われちゃったから、なおさら機嫌直さないといけないでしょ。

アメリカだって、助けてくれると言うのをイヤだなんて言いません。そりゃありがとうです。でも、要は、そんなこんなでアメリカが日本の戦争に巻き込まれるような事態はいちばん避けたいわけです。でも日本が集団自衛権行使容認に前のめりになればなるほど、中国や北朝鮮を刺激してそういう事態が訪れる危険度が高まるというパラドクスがあるわけ。だから、アメリカもアメリカに対して集団自衛権を行使してくれるのはありがたいけど、まあちょっとありがた迷惑な感じが付き纏う。

だから、こんかいの共同声明では、集団自衛権の「行使容認に向けての動き」を歓迎・支持する、ではなくて、集団的自衛権の行使に関する事項について「検討を行っていること」なわけよ、歓迎・支持の対象は。

でね、オバマが強調したのは「尖閣も守られるよ」ってことじゃないの。オバマが強調したのは「対話を通した日中の平和的解決」であり、オバマは「尖閣諸島がどちらに属しているかに関してはアメリカは立場を明確にしない」と繰り返したんです。さらに「米国は軍事的関与を期待されるべきではない」とも話した。

そりゃね、大統領が明言し共同声明にも「尖閣諸島を含む日本の施政下の土地」は安保条約第5条の対象だと明示したことは、それだけで他国からの侵略へのけっこうな抑止力になります。これまでに繰り返された国務長官、国防長官レベルの談話よりは抑止力になる。その意味ではよかった。でもそれだけです。

だいたい日米安保条約第5条にはこう書いてある。

「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するよう行動する」

つまりは、まずは尖閣をめぐって攻撃されても、まずは「自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」わけ。武力行使なんて、ここには明記されていない。

でもってこれ、「施政下」というのがじつはキモでね、「日本の領土」じゃないのよ。オバマは「尖閣諸島がどちらに属しているかに関してはアメリカは立場を明確にしない」と言って、「尖閣」とともに中国名の「釣魚島」の名前も言ってるのね。で、尖閣はいまは日本の実効支配下にあるけど、いったん中国が奪い取ったらこれは中国の施政下に入って、安保5条の適用される日本の施政下の領域じゃなくなるわけよ。ね? つまり、その時点で安保によって守られることから除外されるわけ。スゴい論理だよね。

そもそもあそこは無人島なんですよ。英語では「rock」と呼ばれるくらいに単なる岩なわけです(ほんとは海洋資源の権利とかあってそうじゃないんですけどね)。シリアやクリミアで軍事介入しなかったアメリカが、無人島奪還のために軍事介入しないでしょう。大義名分、ないでしょう。アメリカ議会、承認しないでしょう。するわけないもん。

だからここまで考えると、日本のメディアが今回の日米首脳会談、TPPはダメだったけど安全保障の上では尖閣の名前を出してもらって「満額回答だ!」「日米同盟の強固さに関して力強いメッセージをアピールできた!」なんて自画自賛してる政府や外務省の思惑どおりの報道をしてるけど、それ、自画自賛じゃなくて我田引水だから。実質的には何の意味もないってこと、わかるでしょ?

だから「尖閣、危ないじゃん、だから集団自衛権、必要なんじゃね?」と思ってるそこのキミ、それ、違うからね。

集団自衛権ってのは、日本が攻撃されていないのに、同盟国が攻撃されたときにそこに(友だちがやられてるのに助けないのはオトコじゃねえ!って言って)自衛隊派遣して、そんでお国のため、というよりも別の国のために、誰かが死ぬかもしれないってことだから。ま、その覚悟があるんならいいけど、そんで、誰か自衛隊員が不幸なことに殺されたら、それはもうそっからとつぜん日本の国の戦争ってことになって、そんで戦争になっちゃうってことだから。で、日本国が攻撃されるかもしれないってことだから、その覚悟、できてる? ていうか、それって、憲法、解釈変更だけでできちゃうの? ウソでしょうよ、ねえ。

そゆこと。

もいっかい言うよ、集団自衛権と尖閣は関係ない。なんか、オバマ訪日の安倍政権の物言いではまるでそうみたいだったけど、尖閣と関係するのは安保条約。集団自衛権は、その見返りとして日本が別の戦争に加わること。

でさ、その「別の戦争」だけど、友だちを助けないのはオトコじゃねえ、と反射的に思う前に、その喧嘩の仲裁に入るのがオトコでしょう、って思ってよ。そっちのほうが百倍難しい。それをやるのがオトコでしょうが。

というわけで、今回、アメリカの妥協を引き出せなかったTPPのほうが具体的な現実世界ではずっと大事なんです。私昔からTPP反対ですけど。

April 17, 2014

オバマ訪日に漕ぎ着けたものの

昨年のハドソン研究所での安倍さんの「軍国主義者と呼びたきゃ呼んで」発言から靖国参拝、さらにはNHK籾井会長や経営委員の百田・長谷川発言まで、あれほど敏感に反応してうるさかった欧米メディアの日本監視・警戒網が、この2〜3カ月ぱったりと静かなことに気づいていますか?

なにより安倍さん自身が河野談話の見直しはないと国会で明言してみせたりと、これまでの右翼発言を封印した。とにかくこれらはすべて来週のオバマ来日がキャンセルになったら一大事だからなんですね。

これにはずいぶんと外務省が頑張ったようです。岸田外相以下幹部が何度もオバマ政権に接触し、米国の顔を潰すようなことはもうしないと説明した。この間の板挟み状態の取り繕いは涙ものの苦労だったようです。そういえば岸田さんは最近では自民党でさっぱり影の薄いハト派、宏池会ですからね。そこには使命感に近いものもあったのではないでしょうか。

そうして一日滞在だったのが一泊になり、次に二泊になって宮中晩餐会へのご出席を願う国賓扱いにまで漕ぎ着けた。ふつうは向こうが国賓にしてほしいと願うものなのに、今度は日本政府からオバマさんにお願いしたのです。もっともそれでもミッシェル夫人は同伴させませんが。

そこで現在の注目点はいったい23日の何時に日本に到着するのかということです。夕方なら翌日の首脳会談の前に安倍さんがぜひ夕食会に招きたい。ところがオバマさんはいまのところ安倍さんと仲の好いところを見せてもあまり国益がなさそうです。なにせTPPの交渉がどうまとまるのか(17日になった現在もまだ)わからない。ウクライナ情勢が緊迫していてそこで安倍さんと食事しているのも得策ではない。なので直前までワシントンで仕事をして日本入りは23日深夜かもしれない。そうすると日本訪問は実質的に最初の計画どおり24日の一日だけという感じ。二泊するから日本のメンツは立て、実質一日だから米議会にも申し訳が立つ。

そこで安倍さん、今年に入って米国のご機嫌伺いに集団自衛権にやけに前のめりですし、先日はリニア新幹線の技術を無償で米国に提供するとまで約束する構えになりました。ものすごいお土産外交です。

ところが米国にとっても都合の良い集団自衛権はすでに織り込み済みで新味がない。極論を言えば、そういう事態にならないようにすることこそが重要なわけで、集団自衛権を使うような有事になったらそっちのほうが米国にとってはやばい。しかも集団自衛権が日本国内で盛り上がることでむしろ集団自衛権を発動しなければならないような状況を刺激するかもしれない。つまりは自国の戦争には協力させたいが日本が起こす紛争に巻き込まれるのはまったくもって困る、というわけなのです。それは米国の国益には反するのです。だから集団自衛権なんてものは、喫緊の議題としてはオバマさんにはむしろ、どっちでもいい、くらいなところに置いておいた方が得なわけです。

で、ならばとばかりにリニア新幹線です。普通は、大もとの技術は特許関連もあるので日本が押さえる、でもインフラや部品は無償で供与する、というのが筋です。しかしそれが逆。じっさい、無償で技術提供を行って引き換えに車両やシステムをたくさん買ってもらった方が得ということもあるでしょう。

でも、ご存じのようにアメリカは鉄道の国というよりは自動車やコミューター飛行機の国です。全米鉄道網というような大規模なものならともかく、いまのところリニアは可能性としてもワシントンDC、ニューヨーク、ボストンといった東部地域のみの感じで、そこら辺は厳密に損得勘定を計算してのもの、というより、大雑把にまあここで恩を売っとけば見返りもあるんじゃないかなあ、というような感じの判断だったなんじゃないでしょうか。しかもワシントンーボルティモア間の総工費の半額の5千億円ほどを国際協力銀行を通じて融資するという大盤振る舞いなんですよ。軸足はやはり「お土産」に置いていると言ってよい。

いかに靖国で損ねたご機嫌を取り繕いたいと言っても、これって安倍さんの大嫌いな屈辱外交、土下座外交、自虐ナントカではないですか?

というわけでオバマさんの訪日、どこが注目点かというと、23日の何時に到着するかということと、翌24日の共同声明でオバマさんが安倍さんの横でどんな表情を見せるか、ということです。満面の笑みか、控えめな笑顔か。宮中晩餐会は平和主義者の天皇のお招きですから満面の笑顔でしょうが、さて、安倍さんとはどういう顔を見せるのでしょうね。

March 29, 2014

48年間の無為

48年という歳月を思うとき、私は48年前の自分の年齢を思い出してそれからの月日のことを考えます。若い人なら自分の年齢の何倍かを数えるでしょう。

いわゆる「袴田事件」の死刑囚袴田巌さんの再審が決まり、48年ぶりに釈放されました。あのネルソン・マンデラだって収監されていたのは27年です。放送を終えるタモリの長寿番組「笑っていいとも」が始まったのは32年前でした。

48年間も死刑囚が刑を執行されずにいたというのはつまり、死刑を執行したらまずいということをじつは誰もが知っていたということではないでしょうか? なぜなら自白調書全45通のうち44通までを裁判所は「強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの」などとして任意性を認めず証拠から排除しているのです。残るただ1通の自白調書で死刑判決?

また、犯行時の着衣は当初はパジャマとされていましたが、犯行から1年後に味噌樽の中から「発見」された5点の着衣はその「自白」ではまったく触れられていず、サイズも小さすぎて袴田さんには着られないものでした。サイズ違いはタグにあったアルファベットが、サイズではなく色指定のものだったのを証拠捏造者が間違ったせいだと見られています。

いずれにしてもその付着血痕が袴田さんのものでも被害者たちのものでもないことがDNA鑑定で判明し、静岡地裁は「捏造の疑い」とまで言い切ったのでした。

ところがその再審決定の今の今まで、権力の誤りを立ち上がって正そうとした者は権力の内部には誰ひとりとしていなかった。それが48年の「無為」につながったのです。(1審の陪席判事だった熊本典道は、ひとり無罪を主張したものの叶わず、半年後に判事を辞して弁護士に転身しました。そして判決から39年目の2007年に当時の「合議の秘密」を破って有罪に至った旨を明らかにし、袴田さんの支援運動に参加しました。ところが権力の内部にとどまった人たちに、熊本氏の後を追う者はいなかったのです)

こうした経緯を考えるとき、私はホロコースト裁判で「命令に従っただけ」と無罪を主張したアドルフ・アイヒマンのことを思い出します。数百万のユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだ責任者は極悪非道な大悪人ではなく、思考を停止した単なる小役人だった。ハンナ・アーレントはこれを「悪の凡庸さ」と呼びました。

目の前で法や枠組みを越えた絶対の非道や不合理が進行しているとき、非力な個人は立ち上がる勇気もなく歯車であることにしがみつく。義を見てせざる勇なきを、しょうがないこととして甘受する。そうしている間に世間はとんでもない悪を生み出してしまうのです。その責任はいったいどこに求めればよいのでしょう?

ナチスドイツに対抗したアメリカは、この「悪の凡庸さ」に「ヒーロー文化」をぶつけました。非力な個人でもヒーローになれると鼓舞し、それこそが社会を「無為の悪」から善に転じさせるものだと教育しているのです。

こうして内部告発は奨励されベトナム戦争ではペンタゴンペーパーのダニエル・エルスバーグが生まれ、やがてはNSA告発のエドワード・スノーデンも登場しました。一方でエレン・ブロコビッチは企業を告発し、ハーヴィー・ミルクは立ち上がり、ジェイソン・ボーンはCIAの不法に気づいてひとり対抗するのです。

対して日本は、ひとり法を超越した「命のビザ」を書き続けた杉原千畝を「日本国を代表もしていない一役人が、こんな重大な決断をするなどもっての外であり、組織として絶対に許せない」として外務省を依願退職させ、「日本外務省にはSEMPO SUGIHARAという外交官は過去においても現在においても存在しない」と回答し続けた。彼が再び「存在」し直したのは2000年、当時の河野洋平外相の顕彰演説で日本政府による公式の名誉回復がなされたときだったのでした。すでに千畝没後14年、外務省免官から53年目のことでした。

それは袴田さんの名誉が回復される途中である、今回の「48年」とあまりに近い数字です。

February 23, 2014

拡大する日本監視網

浅田真央選手のフリーでの復活は目を見張りました。ショートでの失敗があったからなおさらというのではなく、それ自体がじつに優雅で力強い演技。NBCの中継で解説をしていたやはり五輪メダリストのジョニー・ウィアーとタラ・リピンスキーは直後に「彼女は勝たないかもしれない。でも、このオリンピックでみんなが憶えているのは真央だと思う」と絶賛していました。前回のコラムで紹介した安藤美姫さんといい、五輪に出場するような一流のアスリートたちはみな国家を越える一流の友情を育んでいるのでしょう。

一方でそのNBCが速報したのが東京五輪組織委員会会長森嘉朗元首相の「あの子は大事な時に必ず転ぶ」発言です。ご丁寧に「総理現職時代から失言癖で有名だった」と紹介された森さんのひどい失言は、じつは浅田選手の部分ではありません。アイスダンスのクリス&キャシー・リード兄妹を指して「2人はアメリカに住んでるんですよ。米国代表として出場する実力がなかったから帰化させて日本の選手団として出している」とも言っているのです。

いやもっとひどいのは次の部分です。「また3月に入りますとパラリンピックがあります。このほうも行けという命令なんです。オリンピックだけ行ってますと会長は健常者の競技だけ行ってて障害者のほうをおろそかにしてると(略)『ああまた27時間以上もかけて行くのかな』と思うとほんとに暗いですね」

日本の政治家はこうして自分しか知らない内輪話をさも得意げに聴衆に披露しては笑いを取ろうとする。それが「公人」としてははなはだ不適格な発言であったとしても、そんな「ぶっちゃけ話」が自分と支持者との距離を縮めて人気を博すのだと信じている。で、森さんの場合はそれが「失言癖」となって久しいのです。

しかしこういう「どうでもいい私語」にゲスが透けるのは品性なのでしょう。そのゲスが「ハーフ」と「障害者」とをネタにドヤ顔の会長職を務めている。27時間かけてパラリンピックに行くのがイヤならば辞めていただいて結構なのですが、日本社会はどうもこういうことでは対応が遅い。

先日のNYタイムズは安倍政権をとうとう「右翼政権」と呼び、憲法解釈の変更による集団自衛権の行使に関して「こういう場合は最高裁が介入して彼の解釈変更を拒絶し、いかなる指導者もその個人的意思で憲法を書き換えることなどできないと明確に宣言すべきだ」と内政干渉みたいなことまで言い出しました。国粋主義者の安倍さんへの国際的な警戒監視網はいまや安倍さん周辺にまで及び、というか周辺まで右翼言辞が拡大して、NHKの籾井会長や作家の百田さんや哲学者という長谷川さんといった経営委員の発言から衛藤首相補佐官の「逆にこっちが失望です」発言や本田内閣官房参与の「アベノミクスは力強い経済でより強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだ」発言も逐一欧米メディアが速報するまでになっています。

日本人の発言が、しかも「問題」発言が、これほど欧米メディアで取り上げられ論評され批判されたことはありませんでした。安倍さんはどこまで先を読んでその道を邁進しようとしているのでしょうか? そのすべてはしかし、東アジアにおけるアメリカの強大な軍事力という後ろ盾なくては不可能なことなのです。そしてそのアメリカはいま、日本経済を建て直し、沖縄の基地問題を解決できると踏んでその就任を「待ち望んだ安倍政権を後悔している」と、英フィナンシャルタイムズが指摘している。やれやれ、です。

February 17, 2014

自信喪失時代のオリンピック

安藤美姫さんが日本の報道番組でソチ五輪での女子フィギュア競技の見通しに関して「表彰台を日本人で独占してほしいですね」と振られ、「ほかの国にもいい選手はいるから、いろんな選手にスポットライトを当ててもらえたら」と柔らかく反論したそうです。

五輪取材では私は新聞記者時代の88年、ソウル五輪取材で韓国にいました。いまも憶えていますが、あのころは日本経済もバブル期で自信に溢れていたせいか、日本の報道メディアには「あまりニッポン、ニッポンと国を強調するようなリポートは避けようよ」的な認識が共有されていました。それは当時ですでに24年前になっていた東京オリンピックの時代の発展途上国の「精神」で、「いまや堂々たる先進国の日本だもの、敢えてニッポンと言わずとも個人顕彰で十分だろう」という「余裕」だったのだと思います。

でもその後のバブル崩壊で日本は長い沈滞期を迎えます。するとその間に、就職もままならぬ若者たちの心に自信喪失の穴があくようになり、そこに取って替わるように例の「ぷちナショナリズム」みたいな代替的な擬制の「国家」の「自信」がはまり込んだのです。スポーツ応援に「ニッポン」連呼が盛大に復活したのもこのころです。

知っていますか? 現在の日本では街の書店に軒並み「嫌韓嫌中」本と「日本はこんなにスゴい」的な本が並ぶ愛国コーナーが設けられるようになっているのです。なにせその国の首相は欧米から「プチ」の付かない正真正銘の「ナショナリスト」のお墨付きをもらっているのですから、それに倣う国民が増えても不思議ではありません。だからこそ64年の東京五輪を知らない世代の喪失自信を埋め合わせるように、日本が「国家的自信」を与える「東京オリンピック」を追求し始めたのも当然の帰結だったのでしょう。

そこから冒頭の「表彰台独占」コメントへの距離はありません。さらに首相による羽生結弦選手への「さすが日本男児」電話も、あざといほどに短絡的です。80年代にはあったはずの日本人の、あの言わずもがなの「自信」は、確かにバブルのように消えてしまったよう。まさに「衣食足りて」の謂いです。

そんな中で安藤美姫さんも羽生選手も自信に溢れています。それはやるべきことをやっている人たちの自信でしょうが、同時に海外経験で多くの外国人と接して、その交遊が「日本」という国家を越える人たちのおおらかさのような気がします。そしてその余裕こそが翻って日本を美しく高めるものだと私は思っています。じっさい、安藤さんのやんわりのたしなめもとても素敵なものでしたし、羽生選手の震災に対する思いはそれこそじつに「日本」思いの核心です。

スポーツの祭典は気を抜いているとことほどさように容易に「国家」に絡めとられがちです。だからヒトラーはベルリン五輪をナショナリズムの高揚に利用し、それからほどなくしてユダヤ人迫害の大虐殺に踏み切ることができました。ソチ五輪もまたロシア政府のゲイ弾圧に国際的な黙認を与えることかどうかで議論は続いています。

オリンピックはいつの時代でも活躍する選手たちに「勇気を与えてくれた」「感動をありがとう」と感謝の声をかけたくなります。そして表彰台の彼らや日の丸につい自己同一してしまう。そんなとき、私はいつも歌人枡野浩一さんの短歌を思い出します──「野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない」

はいはい、わかってはいるんですけどね。

February 04, 2014

ソチ五輪の華やかさの陰で

ロシアで15歳の少女が反ゲイ法に抗議して学校の友だちの前でカムアウトしました。父親は少女を激しく殴打し、頭部に重傷を負った少女は入院しました。裁判所は有罪を言い渡しました。父親ではなく、少女に対して──同性愛を「宣伝」することが犯罪になるロシアでも、未成年に対する初の法適用だそうです。

ソチ五輪が始まります。スポーツの祭典といわれるオリンピックがこれまでさまざまな政治論争に利用されてきたことは多くの人が知っているでしょう。今回も開会式に欧米首脳が一斉欠席。冒頭の同性愛宣伝禁止法が人権弾圧法であり、その影響でロシア全土でLGBTQへの虐待や暴力、殺人行為までもが急速に広まっているのにロシア政府は何ら手を打たない。それに反発する欧米の世論が、自国のトップの開会式出席を許さなかったのです。

ソチではフィギュアやスキーのジャンプなど日本選手の活躍もおおいに期待されています。それはそれ。だがしかし、そんな面倒くさい政治が、このスポーツの祭典には付き物なのです。

例えば6年後の東京オリンピックでは8千億円以上の公的予算、つまりは税金からの拠出が組まれ、経済効果は3兆円ともいわれます。さらにこれを主催する国際オリンピック委員会(IOC)という組織には、テレビ放映権や公式スポンサー企業からの収益で2千億円近くのおカネが入ります。

夏に比べ冬の五輪は規模は小さくなりますが、それでも国家と企業とがこれだけおカネを出しているのですから、五輪がその国の政治や経済、そしてスポンサー企業の宣伝に利用されるのは当然、というよりもむしろそのためにこそ五輪を開いていると言ってもよい。そしてソチ五輪はロシア国家の威信をかけて、なんと5兆円もの予算規模で行われるのです。これは夏の北京五輪の4兆円をも上回る巨費です。五輪が「純粋なスポーツの場」というのは、その競技を見て楽しむ私たちの頭の中だけの話。オリンピックは「村おこし」ならぬ、「国おこし」「企業おこし」の超巨大イベントなのです。

なので過去の五輪メダリストやソチに出場する12人の現役選手を含む計52人の五輪選手たちが、LGBTQ迫害のロシア政府、そしてそれを黙認するIOC、そしてソチ五輪スポンサー企業を批判する声明に署名しているのも無理もありません。そんな人権弾圧国の「国おこし」には加担したくないのです。ちなみにそれに「加担している」と批判されている世界スポンサー企業にはコカ・コーラ、マクドナルド、ビザ、サムスンなどに混じって日本のパナソニックもいます。

この声明運動は五輪憲章にある「オリンピズムの根本原則」第6条にちなんで「第6原則(principle six)キャンペーン」と呼ばれています。その第6条には「人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック運動とは相容れない」とあって、差別はダメなんじゃなかったの?というわけです。

署名者には米スノーボード金メダリストのセス・ウエスコット、ソチ出場のカナダ選手ロザンナ・クローフォード、オーストラリアの男子4人乗りボブスレーチームが含まれます。他にも国際的スポーツ選手で史上最初にカムアウトした1人であるテニスのマルチナ・ナブラチロワやイングランドのサッカーチーム「リーズ・ユナイテッド」の元選手ロビー・ロジャーズらそうそうたる名前が並びます。残念ながら、日本人選手の名前は見当たりません。

きっとこの抗議運動自体を知らないのでしょう。冒頭の事件などを教えてやれば必ず署名してくれる選手が多いはずだとは思うのですが、日本社会の世界情報遮断力はとても大きい。なにせ国のトップが、そういう情報をまったく意に介さない人ですから。

January 20, 2014

逆張りの泥団子

昨年の夏に、来月7日から始まるロシアのソチ五輪ボイコットを呼びかけるハーヴィー・ファイアスティン氏の寄稿がNYタイムズに掲載されたことを紹介しました。プーチン政権による同性愛者弾圧を見過ごして五輪に参加するのは、ユダヤ人弾圧に抗議もせずドイツ五輪に参加した1936年の国際社会と同じ愚行だ、という意見でした。当時、私は、ロシア産品の不買運動もすでに始まっており、五輪を巡るこの攻防は国際的にはさらに大きな動きになるはずだと書きました。

果たして予想は当たり、国際社会はその後、米英仏独や欧州連合(EU)などの首脳が相次いで開会式への欠席を表明して、ソチ五輪は国際的にはロシアの人権弾圧に抗議を示す異例の事態下での開会となります。

そんなときに日本の安倍首相が、「北方領土の日」に重なるとして一旦は「欠席」だった開会式に一転、出席する意向を示しました。日本はいちおう西側社会の一員ですが、欧米と逆を行くこの対応は何なのでしょう。

「日ロ関係全体を底上げし、北方領土問題の議論に前向きな結果をもたらすことを期待」と外相が代わって意味づけをしましたが、プーチンさんとの首脳会談も日程的に難しいそうです。それでも開会式に出席すれば北方領土問題でロシアに貸しを作れると思っているなら、それはナイーブに過ぎます。それより何よりロシアの例の同性愛者迫害の一件はどうスルーするのでしょうか?

日本社会では性的少数者の人権保障はいまだ大きな政治課題に育っていないのは確かです。しかし性的少数者の人権保障はいまや先進民主主義国の重要な政治傾向。それを無視して、あるいは知らない振りをしてシレッと開会式に出る。こういうのを何と言うのでしたっけ? 「逆張り」?

そこで思い出すのは昨年12月10日のマンデラさんの葬儀です。アパルトヘイトという史上最大級の差別への反省から、自身で作った南アの新たな憲法で世界で初めて同性愛者などの性的少数者への差別をも禁止したこの偉人の弔問外交の場には、世界の首脳140人が一堂に会しました。それにも安倍首相は欠席した。その3日後に東京で開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)特別首脳会議のため、というのが公式理由でした。

でもここまで来ると安倍さんは仲間はずれ、つま弾きになりそうなところには行きたくない、歓迎されるところにしか行きたくないのだと疑ってしまいます。いろいろ文句を言ってくる欧米はメンツを潰されるので嫌いなのだと。

私は日本が国際社会で「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」国家であるという「名誉ある地位を占めたいと思」っています。でもここまで「逆張り」が続くと国際社会の動向の「読み違い」が原因というより読もうという努力をハナからしていない、いやむしろ確信犯的に「逆」を張ってどこまで「持論」を通せるか反応を試しているようにさえ思えます。その持論である「美しい国」には国際社会からの評価は必要ないのでしょうか。

国際社会に媚びろと言うのではありません。積極的平和主義だろうが何だろうが、政治も外交も一にも二にも正確な状況分析がすべての土台だということです。それなのに日本はいま、世界の情報を日本語だけで勝手にこねくり回して勝手に解釈している。伝言ゲームよろしくまったく違った牽強付会の泥団子をめでているのです。その泥団子はまずいどころか本来は食べる物ですらないというのに。

私はオバマさんの4月の来日が不安です。

December 29, 2013

I am disappointed

クリスマスも終わってあとはのんべんだらりと年を越そうと思っていたのに、よいお年を──と書く前に驚かされました。安倍首相の靖国参拝自体にではなく、それに対して米国ばかりかヨーロッパ諸国およびEU、さらにはロシアまで、あろうことかあの反ユダヤ監視団体サイモン・ウィーゼル・センターまでもが、あっという間にしかも実に辛辣に一斉大批判したことに驚かされたのです。

中韓の反発はわかります。しかし英語圏もがその話題でもちきりになりました。靖国神社が世界でそんなに問題視されていることは、日本語だけではわからないですが外国に住んでいるとビシビシ刺さってきます。今回はさらにEUとロシアが加わっていることもとても重要な新たなフェイズと認識していたほうがよいでしょう。

こんなことは7年前の小泉参拝のときには起きませんでした。何が違うかと言うと、小泉さんについては誰も彼が国粋主義者だなんて思ってはいなかった。でも安倍首相には欧米ではすでにれっきとした軍国右翼のレッテルが張られていました。だって、3カ月前にわざわざアメリカにまで来て「私を右翼の軍国主義者だと呼びたいなら呼べばいい」と大見得を切った人です(9/25ハドソン研究所)。それがジョークとしては通じない国でです。そのせいです。

例によって安倍首相は26日の参拝直後に記者団に対し「靖国参拝はいわゆる戦犯を崇拝する行為だという誤解に基づく批判がある」と語ったとされますが、いったいいつまでこの「誤解」弁明を繰り返すのでしょう。特定秘密保護法への反発も「誤解」に基づくもの、武器輸出三原則に抵触する韓国への弾薬供与への批判も「誤解」、集団的自衛権の解釈変更に対する反対も「誤解」、この分じゃ自民党の憲法改変草案への反発もきっと私たちの「誤解」のせいにされるでしょう。これだけ「誤解」が多いのは、「誤解」される自分の方の根本のところが間違っているのかもしれない、という疑義が生まれても良さそうなもんですが、彼の頭にはそういう回路(など)の切れている便利な脳が入っているらしい。

果たしてニューヨークタイムズはじめ欧米主要紙の見出しは「国家主義者の首相が戦争神社 war shrine」を参拝した、というものでした。それは戦後体制への挑戦、歴史修正主義に見える。ドイツの新聞は、メルケル首相が同じことをしたら政治生命はあっという間に終わると書いてありました。英フィナンシャルタイムズは安倍首相がついに経済から「右翼の大義」の実現に焦点を移したと断言しました。

問題はアメリカです。クリスマス休暇中のオバマ政権だったにもかかわらず、参拝後わずか3時間(しかもアメリカ本土は真夜中から未明です。ケリー国務長官も叩き起こされたのでしょうか?)で出された米大使館声明(翌日に国務省声明に格上げされました)は、まるで親や先生や上司が子供や生徒や部下をきつく叱責する文言でした。だいたい「I am disappointed in you(きみには失望した)」と言われたら、言われたほうは真っ青になります。公式の外交文書でそういう文面だったら尚更です。

アメリカ大使館の声明の英文原文を読んでみましょう(ちなみに、米大使館サイトに参考で掲載されている声明の日本語訳はあまり日本語としてよくなくて意味がわかりづらくなっています)。

声明は3つの段落に分かれています。前述したようにこれはアメリカで人を叱りつけるときの定型句です。最初にがつんとやる。でも次にどうすれば打開できるかを示唆する。そして最後にきみの良いところはちゃんとわかっているよと救いを残しておく。この3段落テキストはまったくそれと同じパタンです。

第一段落:
Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan's leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan's neighbors.
日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかし、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させる行動を取ったことに、米国は失望している。

これは親友に裏切られてガッカリだ、ということです。失望、disappointedというのはかなりきつい英語です。
というか、すごく見下した英語です。ふつう、こんなことを友だちや恋人に言われたらヤバいです。もっと直截的にはここを受け身形にしないで、You disappointed me, つまり Japan's leadership disappointed the United States, とでもやられたらさらに真っ青になる表現ですが。ま、外交テキストとしてはよほどのことがない限りそんな文体は使わないでしょうね

ちなみに国連決議での最上級は condemn(非難する)という単語を使いますが、それが同盟国相手の決議文に出てくると安保理ではさすがにどの大国も拒否権を行使します。で、議長声明という無難なところに落ち着く。

第二段落;
The United States hopes that both Japan and its neighbors will find constructive ways to deal with sensitive issues from the past, to improve their relations, and to promote cooperation in advancing our shared goals of regional peace and stability.
米国は、日本と近隣諸国が共に、過去からの微妙な問題に対処し、関係を改善し、地域の平和と安定という我々の共通目標を前進させるための協力を推進する、建設的方策を見いだすよう希望する。

これはその事態を打開するために必要な措置を示唆しています。とにかく仲良くやれ、と。そのイニシアティブを自分たちで取れ、ということです。「日本と近隣諸国がともに」、という主語を2つにしたのは苦心の現れです。日本だけを悪者にしてはいない、という、これもアメリカの親たちが子供だけを責めるのではなくて責任を分担して自分で解決を求めるときの常套語法です。

そして第三段落;
We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past and his reaffirmation of Japan's commitment to peace.
我々は、首相が過去に関する反省を表明し、日本の平和への決意を再確認したことに留意する。

これもあまりに叱っても立つ瀬がないだろうから、とにかくなんでもいいからよい部分を指摘してやろうという、とてもアメリカ的な言い回しです。安倍首相が靖国を参拝しながらもそれを「二度と戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるという決意を伝えるため」だという意味をそこに付与したことを、われわれはちゃんと気づいているよ、見ているよ、とやった。叱責の言葉にちょいと救いを与えた、そこを忘れるなよ、と付け加えたわけです。

でも、それを言っているのが最後の段落であることにも「留意」しなくてはなりません。英文の構造をわかっている人にはわかると思いますが、メッセージはすべて最初にあります。残りは付け足しです。つまり、メッセージはまぎれもなく「失望した」ということです。

参拝前から用意していたテキストなのか、安倍首相はこの自分の行動について「戦場で散っていった方々のために冥福を祈り、手を合わす。世界共通のリーダーの姿勢だろう」と言い返しました。しかし、世界が問題にしてるのはそこじゃありません。戦場で散った人じゃなく、その人たちを戦場で散らせた人たちに手を合わせることへの批判なのです。これはまずい言い返しの典型です。この論理のすり替え、詭弁は、世界のプロの政治家たちに通用するわけがありません。とするとこれはむしろ、国内の自分の支持層、自分の言うことなら上手く聞いてくれる人たちに「期待される理由付け」を与えただけのことだと考えた方がよいでしょう。その証拠に、彼らは予想どおりこの文脈をそっくり使ってFacebookの在日アメリカ大使館のページに大量の抗議コメントを投げつけて炎上状態にしています。誘導というかちょっとした後押しはこれで成功です。(でも、米大使館のFB炎上って、新聞ネタですよね)

さてアメリカは(リベラルなコミュニティ・オルガナイザーでもあり憲法学者でもあるオバマさんは安倍さんとは個人的にソリが合わないようですが)、しかし日本の長期安定政権を望んでいるのは確かです。それは日本の経済回復やTPP参加で米国に恩恵があるから、集団自衛権のシフトや沖縄駐留で米国の軍事費財政赤字削減に国益があるからです。そこでの日本の国内的な反発や強硬手段による法案成立にはリベラルなオバマ政権は実に気にしてはいるのですが、それは基本的には日本の国内問題です。アメリカとしては成立してもらうに不都合はまったくない。もちろんできれば国民が真にそれを望むようなもっとよい形で、曖昧ではないちゃんとした法案で、解釈ではなくきちんと議論した上で決まるのが望ましいですが、アメリカとしては成立してもらったほうがとりあえずはアメリカの国益に叶うわけです。

しかしそれもあくまで米国と同じ価値観に立った上での話です。ところが、安倍政権はその米国の国益を離れて「戦後リジームからの脱却」を謳い、第二次大戦後の民主主義世界の成り立ちを否定するような憲法改変など「右翼の大義」に軸足を移してきた。

今すべての世界はじつは日本だけではなく、あの第二次世界大戦後の善悪の考え方基本のうえに成立しています。何がよくて何が悪いかを、そうやってみんなで決めたわけで、現在の民主主義世界はそうやって出来上がっているわけです。それが虚構であろうが何であろうが、共同幻想なんてみんなそんなものです。そうやって、その中の悪の筆頭はナチス・ファシズムだと決めた。だから日本でも戦犯なんてものを作り上げて逆の意味で祀りあげたのです。そうしなければここに至らなかったのです。それが「戦後レジーム」です。なのにそれからの「脱却」? 何それ? アメリカだけがこれに喫驚しているのではありません。EUも、あのプーチンのロシアまでがそこを論難した。その文言はまさに「日本の一部勢力は、第2次大戦の結果をめぐり、世界の共通理解に反する評価をしている」(12/26ロシア・ルカシェビッチ情報局長)。安倍首相はここじゃもう「日本の一部勢力」扱いです。

なぜなら、今回の靖国参拝に限ったことではなく、繰り返しますが、すでに安倍首相は歴史修正主義者のレッテルが貼られていた上で、その証左としてかのように靖国参拝を敢行したからです。そうとして見えませんものね。だからこそそれは東アジアの安定にとっての脅威になり、だからこそアメリカは「disappointed」というきつい単語を選んだ。

何をアメリカがエラそうに、と思うでしょうね。私も思います。

でも、アメリカはエラそうなんじゃありません。エラいんです。なぜなら、さっきも言ったように、アメリカは現在の「戦後レジーム」の世界秩序の守護者だからです。主体だからです。そのために金を出し命を差し出してきた。もちろんそれはその上に君臨するアメリカという国に累が及ばないようにするためですし、とんでもなくひどいことを世界中にやってきていますが、とにかくこの「秩序」を頑に守ろうとしているそんな国は他にないですからね。そして曲がりなりにも日本こそがその尻馬に乗ってここまで戦後復興してきたのです。日本にとってもアメリカは溜息が出るくらいエラいんです。それは事実として厳然とある。

それはNYタイムズが26日付けの論説記事を「日本の軍事的冒険は米国の支持があって初めて可能になる」というさりげない恫喝で結んでいることでも明らかです(凄い、というか凄味ビシバシ。ひー)。そういうことなのです。それに取って代わるためには、単なるアナクロなんかでは絶対にできません。そもそもアメリカに取って代わるべきかが問題ですが、独立国として存在するためには、そういうアナクロでないやり方がたくさんあるはずです。

それは何か、真っ当な民主主義の平和国家ですよ。世界に貢献したいなら、それは警察としてではなく、消防士としてです。アナクロなマチズム国家ではない、ジェンダーを越えた消防国家です。そうずっと独りで言い続けているんですけど。

いまアメリカは安倍政権に対する態度の岐路に立っているように見えます。「日本を取り戻す」のその「取り戻す日本」がどんな日本なのか、アメリカにとっての恩恵よりも齟齬が大きくなったとき、さて、エラいアメリカは安倍政権をどうするのでしょうか。

October 03, 2013

靖国とアーリントンと千鳥ヶ淵と

しかし安倍政権もよほどオバマ政権に嫌われたものです。この前のエントリーでも安倍さんのハドソン研究所講演などにおける米民主党との疎遠ぶりに触れましたが、今度は日米外務・防衛担当閣僚会議に訪日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官が、10月3日のその会議の朝に、わざわざ千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、献花・黙祷したのです。

米国の大臣が2人そろって日本人戦没者を追悼する──この異例の弔意表敬は何を意味しているのでしょう?

これには伏線がありました。安倍が今年5月の訪米に際して外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」のインタビューでバージニア州にあるアーリントン国立墓地を引き合いに出し「靖国はアーリントンだ」という論理を開陳したのです。

「靖国神社についてはどうぞ、アメリカのアーリントン国立墓地での戦没者への追悼を考えてみてください。アメリカの歴代大統領はみなこの墓地にお参りをします。日本の首相として私も(そこを)訪れ、弔意を表しました。しかしジョージタウン大学のケビン・ドーク教授によれば、アーリントン国立墓地には南北戦争で戦死した南軍将兵の霊も納められているそうです。その墓地にお参りをすることは、それら南軍将兵の霊に弔意を表し、(彼らが守ろうとして戦った)奴隷制を認めることを意味はしないでしょう。私は靖国についても同じことが言えると思います。靖国には自国に奉仕して、命を失った人たちの霊が祀られているのです」

このケビン・ドーク教授のくだりは産經新聞への寄稿からの引用で、産経の古森のオジチャマも「靖国参拝問題で本紙に寄稿したジョージタウン大学のケビン・ドーク教授が『アーリントン墓地には奴隷制を守るために戦った南軍将兵の遺体も埋葬されているが、そこに弔意を表しても奴隷制の礼賛にはならない』と比喩的に指摘したことに触発され、初めて南軍将兵の墓を訪れてみたのだった」とコラム(2006年05月31日 産経新聞 東京朝刊 国際面)で触れているから、おそらくそれを読んでの引き合いだったのでしょう。

例によって古森のオジチャマはフォーリン・アフェアーズ記者への安倍の回答を、自分のコラムを読んでくれていたせいか「なかなか鋭い答えだと思います」と賞賛しています。

ですが今回、日本の首相たちのアーリントン墓地表敬訪問の返礼として、オバマ政権が選んだ場所はその「靖国」ではありませんでした。千鳥ヶ淵だったのです。これはつまり日本で「アーリントン」に相当するのは「靖国ではない」ということを暗に、かつ具体的に示したのです。かなりきつい当てつけです。普通の読解力があれば、これは相当に苦々しいしっぺ返しです。

アメリカとしては、東アジアでキナ臭いことが起きたら大変なのです。にもかかわらず相も変わらず中韓を刺激するようなことばかりする安倍内閣というのは何なのかと呆れている。安倍さんは民主党政権でぐちゃぐちゃになったアメリカとの関係を「取り戻す」と、これも自らの宣伝コピーとともに宣言してきましたが、「取り戻せた」と自賛するほどにはまったく至っていないのは自分でも知っているはず。

同時に千鳥ヶ淵献花はかつての敵国である米国による日本との完全な和解の象徴でもあります。いま敵対している中国や韓国との関係をも、このように敬意を示して和解に持っていけよ、というオバマ政権からのメッセージだと読めなくもありません。

「完全な和解の象徴」と書きましたが、じつはその「完全」にはきっと次があります。それは核廃絶を謳ってノーベル平和賞を受賞したオバマさんが広島に行くことです。

米国はイランや北朝鮮の核開発を認めるわけにはいきません。テロリストに核爆弾が渡るのも流血を厭わず阻止し続ける。その強硬一本の姿勢とともに、彼はヒロシマ献花という平和の象徴的なメッセージを世界に振りまく戦略を考えているのではないか。

折りも折り、日本の大使には「叔父(エドワード・ケネディ)とともに1978年に広島に訪れて深く影響を受けた」と承認のための上院公聴会でわざわざ話したキャロライン・ケネディがまもなく赴任します。大統領の広島記念式典への出席には米国内でいろいろと異論も多いのですが、天下の「ケネディ」とともに出席すればその批判も出にくくなるでしょう。

来年の8月、あるいは選挙もない任期最後の2015年8月に、私は今回のケリーとヘーゲルのように2人並んで広島で献花するオバマとケネディの姿が目に見えるような気がするのですが、ま、そんな先のこと、今から確定するはずもありませんけどね。

September 27, 2013

アベノミス

NY訪問を終える安倍首相のフェイスブックのページに「安倍政権の目指す方向を世界に発信できた有意義な出張でした」と書き込まれていました。「発信」といっても報じたのは日本のメディアで、アメリカではほとんど触れられていませんでしたが。

「発信」は今回、ハドソン研究所、ウォールストリートの証券取引所、そして国連総会での3つの演説でした。この中にオバマ政権との接触はありませんでした。

ハドソン研究所というのは限定核戦争を肯定したり核戦争下での民間防衛のあり方を論じたりしたタカ派の軍事理論家ハーマン・カーンの創設したシンクタンクです。もちろんここは共和党と親和性が高い。ちなみにこのカーンさん、あの名高い映画『博士の奇妙な愛情』の主人公ドクター・ストレンジラヴのモデルなんです。

もっとも、ここでの講演は安倍さんがそのカーンの名を冠した賞を授与された記念講演でした。同賞歴代受賞者はレーガンやキッシンジャー、そして前副大統領のチェイニーらほぼ共和党系。そんなところで「私を右翼の軍国主義者と呼びたければ呼んでください」とやればもちろんそれは受けるでしょう。けれど東アジアの、特に日中の緊張関係にヒヤヒヤしているオバマ政権はどう思うでしょう。それでなくとも安倍さんを「右翼の国粋主義者」として距離を置いているオバマ民主党です。中国を意識して言い返したつもりの先の決め言葉は、彼らには当てこすりと聞こえたに違いありません。

そして証券取引所でのスピーチでした。私はこれにも「おや?」と思いました。安倍さん、出だしで「ウォール街──この名前を聞くとマイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出す」とやったんですね。

この映画、オリバー・ストーンが監督で徹底してウォール街の嘘とごまかしと裏切りとインサイダー取引とマネーゲームのひどさとを描いたものです。そしてゲッコーこそがウォール街を具現する悪役なのです。それを思い出すと言うとは、安倍さんは金融マンたちを目の前にして皮肉をかましたんでしょうか?

彼はまだ続けます。「今日は皆さんに、日本がもう一度儲かる国になる、23年の時を経てゴードンが金融界にカムバックしたように『Japan is back』だということをお話しするためにやってきました」。そして「ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには3語で十分です。『Buy my Abenomics』」と……。

映画の続編で、慕ってくる青年にゲッコーが「Buy my book」つまりオレの本を買えばわかると言ったことに引っ掛けたわけですが、ゲッコーはその続編でも手痛いしっぺ返しを食らうのです。その文脈に沿えば、アベノミクスはしっぺ返しを食らう運命にあるってことの隠喩でしょ? これって自虐ジョークじゃないですか?

終始ヤンキーズやイチローやバレンティンや寿司の話などアメリカ人の好きそうなエピソード満載のスピーチで、安倍さんはとても得意げだったのですが、私は逆に微妙な違和感を持ちました。演説の〆で、この演説の悪ノリの印象は決定的になりました。

安倍さんは五輪開催を決めた日本に触れます。そこでヤンキーズのリベラ投手のテーマ曲を持ち出し(リベラはこの演説の翌日が引退試合でした)「日本は再び7年後に向けて大いなる高揚感の中にあります。それはヤンキースタジアムにメタリカの『Enter Sandman』が鳴り響くがごとくです」とやったんです。

でもこのヘビメタ曲、敵チームに対し、リベラが出てきたから「もうお前たちは眠りにつくしかない」と敗戦を言い渡す歌なんですよ。サンドマンというのはまさにその「眠りの精」こととなんですから。東京五輪に来る人たちに「さあ、おまえらはこれからやっつけられるんだぞ」と言うのは、それは大変失礼というもんじゃないでしょうか。

巷間なかなか評価の高い安倍さんのスピーチライターは元日経ビジネスの記者だった谷口智彦内閣審議官なのですが、安倍さん、本当にこのメタリカってヘビメタバンド、知ってるんでしょうかね。どこからどこまでが安倍さんのナマの言葉で、どこからどこまでが谷口さんの入れ知恵かはわからないのですが、いずれにしてもその比喩の原義の取り違えと文脈の無視、私には詰めの甘いミスとしか思えなかったのです。

September 03, 2013

孫子の兵法

シリアの首都ダマスカス近郊で毒ガス兵器による死者が1429人も出て(うち426人が子供だとケリー国務長官は言っています)、これを見逃すことは国際社会としてタブーである化学兵器、ひいてはイランや北朝鮮の核兵器開発をも見逃すという誤ったメッセージになる──これがオバマ大統領がシリア政府を攻撃しようとしている理由です。

もちろんこれ以上の一般市民の犠牲を防ぐという人道的な背景もありましょう。ですが国際的な軍事モラルとバランスの維持というのがアメリカにとっての第一の国益なのです。ええ、その「モラル」も「バランス」もアメリカにとっての、というのが国益の国益たる所以ですが、毒ガス兵器がむやみにテロリストやマフィアや犯罪組織に渡ったりするのは確かにまずい。

なのでシリアは(懲罰的にも、国際的な見せしめとして)叩かねばならない、というのが米政権の論理です。ところがアラブの春以来のこの2年半でシリアは内戦状態になり、しかも情勢は政府vs反政府勢力という単純な構図ではなくなっています。日本人ジャーナリストの山本美香さんも昨年8月、そんな混乱の中で政府軍に射殺されました。

反政府勢力の中にも民主化を求める市民勢力やアルカイダ系のイスラム原理主義集団、ジハード主義集団などが入り乱れていて、さらにそこにイランやロシアといった政府支援国、レバノンのヒズボラの参戦やトルコ、イスラエルといった敵対隣国の事情も絡み、国際社会もどう手をつけてよいかわからないのが現状です。

例えばオバマがトマホークを射ち込んで、シリア政府はどうするでしょう。シリアはロシアから地対空ミサイル防衛システムももらっています。報復としてアメリカではなくその同盟国のイスラエルにロシア製のスカッドミサイルを射ち込むということは大いに考えられます。その場合、それがまた化学兵器だったらそこから大変な戦端が開かれる恐れもあります。それを合図にレバノンもまたイスラエルを攻撃するでしょう。イスラエルはすでにそれに備えて「アイアン・ドーム」と呼ばれる防空システムを配備しています。アサド政権の後ろに控えるイランやロシアも黙ってはいないでしょう。アメリカではいま、サイバー・パールハーバー(コンピュータ戦争における真珠湾攻撃)も懸念されています。1週間前にニューヨークタイムズのサイトがハッキングされたのもシリア関連の攻撃だと言われているのです。なにより、個人の持ち込む兵器によるアメリカ本土でのテロも怖い。そんなことになる前にまずロシアと米国の反目が激化します。ロシアが動けばアメリカのソチ五輪ボイコットという事態もあるでしょう。

そしてそれらは、さらに先の、「ひいての」アメリカの国益につながるのだろうか?

その問題がオバマが今回の軍事介入をあくまで「限定的なもの」で「アサド政権の打倒を目指すものではない」として、慎重である理由です。トマホークを射ち込んでも次にどうなるのかが見えない。この軍事介入には「Bad ひどい」か「Worse よりひどい」か「Horrible とんでもなくひどい」の3つの選択肢しかないと言われる理由です。進むも地獄、進まぬも地獄……。

そこでオバマ政権の国防安保チームが知恵を絞ったのが今回の「軍事介入に当たって議会の承認を求める」でした。もちろん前週に英国議会がキャメロン内閣の軍事介入方針を否決した影響もあります。ただこれでオバマは、ブッシュのように猪突猛進はしないと宣言できました。なにせイラクもアフガンもリビアも、米国が軍事介入してうまく行った例はベトナム以降皆無なのですから、ノーベル平和賞受賞者としては1人で勝手にミサイルは射てません。でもこれで軍事介入の責任を議会にも分散させられる。リベラルの大統領としてはアリバイができる。

しかしその一方で東地中海のシリア沖に展開している5隻の駆逐艦、400基以上のトマホークはいまも待機状態で、いつ何時でも有事の際には攻撃できるようになっています。声明でも「司令官から常時報告を受けている。攻撃はいつでも可能。攻撃は一刻を争うもの(タイムセンシティヴ)ではなく、明日でも来週でも1カ月後でも有効だ」と断言しています。議会承認を求めると言う前にオバマがまずは「私は軍事介入を決心した」と明言したことも忘れてはいけません。

これはシリア政府に向けた恫喝です。アメリカの大統領は議会の承認を経ずに宣戦布告して60日間の軍事行動をとれます。つまり、議会の承認を求めるとは言ったものの、シリア政府軍に何か新たに不穏な動きがある際は火急の対応として攻撃できるんだ、とシリア側に宣告しているわけです。

これではシリア軍はなにもできません。いまシリアの司令本部や通信施設は攻撃を予測して移動し仮の状態です。兵器や部隊も分散させてシリア軍はいま本来の力を出せません。それが続く。つまり攻撃しないでも、軍事行動をとったに似た効果をもたらしている。これは孫子の兵法でいう「戦わずして人の兵を屈するは善の善」です。

もっともそれもかりそめのものです。9日以降の議会の承認審議は大揉めに揉めるでしょう。米国民の世論だって軍事介入にはもう乗り気ではない。もちろん介入が否決されてもオバマ大統領は次のシリアの出方でそれはまた変えることはできます。結局はやはり軍事介入、ということになる可能性も高い。シリア国内でも、アメリカの介入を求める人々が多く存在します。介入を求めない人々も多くいます。国際的にも賛否は真っ二つです。なにもしないでよいのかという人道的な憤りも加わって、アサド政権の非道さへの批判は高まる一方です。

しかし結局軍事介入することになっても、「その後」がわからないのはそのときも変わらないのです。そんなことも考えずに、アメリカよりも先に「アサド退陣」を求め、アメリカ国民よりも先に「アメリカ支持」方針を早々と打ち出してしまっている日本の安倍政権の不見識を、とても恥ずかしく思います。

July 24, 2013

ロシアの反ゲイ弾圧

ニューヨークタイムズ22日付けに、ハーヴィー・ファイアスティンの寄稿が掲載されました。
プーチンのロシアの反LGBT政策を非難して、行動を起こさずにあと半年後のソチ冬季五輪に参加することは、世界各国が1936年のドイツ五輪にヒットラーのユダヤ人政策に反発せずに参加したのと同じ愚挙だと指摘しています。

http://www.nytimes.com/2013/07/22/opinion/russias-anti-gay-crackdown.html?smid=fb-share&_r=0

以下、全文を翻訳しておきます。

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Russia’s Anti-Gay Crackdown
ロシアの反ゲイ弾圧
By HARVEY FIERSTEIN
ハーヴィー・ファイアスティン

Published: July 21, 2013


RUSSIA’S president, Vladimir V. Putin, has declared war on homosexuals. So far, the world has mostly been silent.
ロシアの大統領ウラジミル・プーチンが同性愛者たちに対する戦争を宣言した。いまのところ、世界はほとんどが沈黙している。

On July 3, Mr. Putin signed a law banning the adoption of Russian-born children not only to gay couples but also to any couple or single parent living in any country where marriage equality exists in any form.
7月3日、プーチン氏はロシアで生まれた子供たちを、ゲイ・カップルばかりか形式がどうであろうととにかく結婚の平等権が存在する【訳注:同性カップルでも結婚できる】国のいかなるカップルにも、または親になりたい個人にも、養子に出すことを禁ずる法律に署名した。

A few days earlier, just six months before Russia hosts the 2014 Winter Games, Mr. Putin signed a law allowing police officers to arrest tourists and foreign nationals they suspect of being homosexual, lesbian or “pro-gay” and detain them for up to 14 days. Contrary to what the International Olympic Committee says, the law could mean that any Olympic athlete, trainer, reporter, family member or fan who is gay — or suspected of being gay, or just accused of being gay — can go to jail.
その数日前には、それはロシアが2014年冬季オリンピックを主催するちょうど半年前に当たる日だったが、プーチン氏は警察官が同性愛者、レズビアンあるいは「親ゲイ」と彼らが疑う観光客や外国国籍の者を逮捕でき、最長14日間拘束できるとする法律にも署名した。国際オリンピック委員会が言っていることとは逆に、この法律はゲイである──あるいはゲイと疑われたり、単にゲイだと名指しされたりした──いかなるオリンピック選手やトレイナーや報道記者や同行家族やファンたちもまた監獄に行く可能性があるということだ。

Earlier in June, Mr. Putin signed yet another antigay bill, classifying “homosexual propaganda” as pornography. The law is broad and vague, so that any teacher who tells students that homosexuality is not evil, any parents who tell their child that homosexuality is normal, or anyone who makes pro-gay statements deemed accessible to someone underage is now subject to arrest and fines. Even a judge, lawyer or lawmaker cannot publicly argue for tolerance without the threat of punishment.
それより先の6月、プーチン氏はさらに別の反ゲイ法にも署名した。「同性愛の普及活動(homosexual propaganda)」をポルノと同じように分類する法律だ。この法は範囲が広く曖昧なので、生徒たちに同性愛は邪悪なことではないと話す先生たち、自分の子供に同性愛は普通のことだと伝える親たち、あるいはゲイへの支持を伝える表現を未成年の誰かに届くと思われる方法や場所で行った者たちなら誰でもが、いまや逮捕と罰金の対象になったのである。判事や弁護士や議会議員でさえも、処罰される怖れなくそれらへの寛容をおおやけに議論することさえできない。

Finally, it is rumored that Mr. Putin is about to sign an edict that would remove children from their own families if the parents are either gay or lesbian or suspected of being gay or lesbian. The police would have the authority to remove children from adoptive homes as well as from their own biological parents.
あろうことか、プーチン氏は親がゲイやレズビアンだったりもしくはそうと疑われる場合にもその子供を彼ら自身の家族から引き離すようにする大統領令に署名するという話もあるのだ。その場合、警察は子供たちをその産みの親からと同じく、養子先の家族からも引き離すことのできる権限を持つことになる。

Not surprisingly, some gay and lesbian families are already beginning to plan their escapes from Russia.
すでにいくつかのゲイやレズビアンの家族がロシアから逃れることを計画し始めているというのも驚くことではない。

Why is Mr. Putin so determined to criminalize homosexuality? He has defended his actions by saying that the Russian birthrate is diminishing and that Russian families as a whole are in danger of decline. That may be. But if that is truly his concern, he should be embracing gay and lesbian couples who, in my world, are breeding like proverbial bunnies. These days I rarely meet a gay couple who aren’t raising children.
なぜにプーチン氏はかくも決然と同性愛を犯罪化しているのだろうか? 自らの行動を彼は、ロシアの出生率が低下していてロシアの家族そのものが衰退しているからだと言って弁護している。そうかもしれない。しかしそれが本当に彼の心配事であるなら、彼はゲイやレズビアンのカップルをもっと大事に扱うべきなのだ。なぜなら、私に言わせれば彼らはまるでことわざにあるウサギたちのように子沢山なのだから。このところ、子供を育てていないゲイ・カップルを私はほとんど見たことがない。

And if Mr. Putin thinks he is protecting heterosexual marriage by denying us the same unions, he hasn’t kept up with the research. Studies from San Diego State University compared homosexual civil unions and heterosexual marriages in Vermont and found that the same-sex relationships demonstrate higher levels of satisfaction, sexual fulfillment and happiness. (Vermont legalized same-sex marriages in 2009, after the study was completed.)
それにもしプーチン氏が私たちの同種の結びつきを否定することで異性婚を守っているのだと思っているのなら、彼は研究結果というものを見ていないのだ。州立サンディエゴ大学の研究ではヴァーモント州での同性愛者たちのシヴィル・ユニオンと異性愛者たちの結婚を比較して同性間の絆のほうが満足感や性的充足感、幸福感においてより高い度合いを示した。(ヴァーモントはこの研究がなされた後の2009年に同性婚を合法化している)

Mr. Putin also says that his adoption ban was enacted to protect children from pedophiles. Once again the research does not support the homophobic rhetoric. About 90 percent of pedophiles are heterosexual men.
プーチン氏はまた彼の養子禁止法は小児性愛者から子供たちを守るために施行されると言っている。ここでも研究結果は彼のホモフォビックな言辞を支持していない。小児性愛者の約90%は異性愛の男性なのだ。

Mr. Putin’s true motives lie elsewhere. Historically this kind of scapegoating is used by politicians to solidify their bases and draw attention away from their failing policies, and no doubt this is what’s happening in Russia. Counting on the natural backlash against the success of marriage equality around the world and recruiting support from conservative religious organizations, Mr. Putin has sallied forth into this battle, figuring that the only opposition he will face will come from the left, his favorite boogeyman.
プーチン氏の本当の動機は他のところにある。歴史的に、この種のスケープゴートは政治家たちによって自分たちの基盤を固めるために、そして自分たちの失敗しつつある政策から目を逸らすために用いられる。ロシアで起きていることもまさに疑いなくこれなのだ。世界中で成功している結婚の平等に対する自然な大衆の反感に頼り、保守的な宗教組織からの支持を獲得するために、プーチン氏はこの戦場に反撃に出た。ゆいいつ直面する反対は、彼の大好きな大衆の敵、左派からのものだけだろうと踏んで。

Mr. Putin’s campaign against lesbian, gay and bisexual people is one of distraction, a strategy of demonizing a minority for political gain taken straight from the Nazi playbook. Can we allow this war against human rights to go unanswered? Although Mr. Putin may think he can control his creation, history proves he cannot: his condemnations are permission to commit violence against gays and lesbians. Last week a young gay man was murdered in the city of Volgograd. He was beaten, his body violated with beer bottles, his clothing set on fire, his head crushed with a rock. This is most likely just the beginning.
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの人々に対するプーチン氏の敵対運動は政治的失敗から注意を逸らすためのそれであり、政治的利得のためにナチの作戦本からそのまま採ってきた少数者の魔女狩り戦略なのだ。私たちは人権に対するこの戦争に関してなにも答えないままでいてよいのだろうか? プーチン氏は自らの創造物は自分でコントロールできると考えているかもしれないが、歴史はそれが間違いであることを証明している。彼の非難宣告はゲイやレズビアンたちへの暴力の容認となる。先週、州都ヴォルゴグラードで1人の若いゲイ男性が殺された。彼は殴打され、ビール瓶で犯され、衣服には火がつけられ、頭部は岩でつぶされていた。これは単なる始まりでしかないと思われる。

Nevertheless, the rest of the world remains almost completely ignorant of Mr. Putin’s agenda. His adoption restrictions have received some attention, but it has been largely limited to people involved in international adoptions.
にもかかわらず、そのほかの世界はほとんど完全にこのプーチン氏の政治的意図に関して無関心のままだ。彼の養子制限はいくらか関心を引いたが、それもだいたいは国際養子縁組に関係している人々に限られている。

This must change. With Russia about to hold the Winter Games in Sochi, the country is open to pressure. American and world leaders must speak out against Mr. Putin’s attacks and the violence they foster. The Olympic Committee must demand the retraction of these laws under threat of boycott.
この状況は変わらねばならない。ロシアはいまソチで冬季オリンピックを開催しようとしている。つまりこの国は国際圧力にさらされているのだ。アメリカや世界の指導者たちはプーチン氏の攻撃と彼らの抱く暴力とにはっきりと反対を唱えなければならない。オリンピック委員会は五輪ボイコットを掲げてこれらの法律の撤回を求めなければならない。

In 1936 the world attended the Olympics in Germany. Few participants said a word about Hitler’s campaign against the Jews. Supporters of that decision point proudly to the triumph of Jesse Owens, while I point with dread to the Holocaust and world war. There is a price for tolerating intolerance.
1936年、世界はドイツでのオリンピックに参加した。ユダヤ人に対するヒトラーの敵対運動に関して何か発言した人はわずかしかいなかった。参加決定を支持する人たちは誇らしげにジェシー・オーウェンズ【訳注:ベルリン五輪で陸上四冠を達成した黒人選手】の勝利のことを言挙げするが、私は恐怖とともにそれに続くホロコーストと世界大戦のことを問題にしたい。不寛容に対して寛容であれば、その代償はいつか払うことになる。

Harvey Fierstein is an actor and playwright.
ハーヴィー・ファイアスティんは俳優であり劇作家。

June 10, 2013

テロ戦争の代償

「テロ戦争」の根幹が揺れています。情報こそすべての現代のテロ対策で、オバマ政権で引き継がれているPRISM(プリズム)と呼ばれる秘密の大規模国内監視プログラムが暴かれました。国家安全保障局(NSA)がネットや通信の大手企業中央サーバなどにアクセスして個人データや通話履歴を収集保存しているというのです。まるでオーウェルの「ビッグブラザー」の世界。

オバマは演説では理想主義者で人道主義者です。しかし今現在のことに関してはかなりシビアに対処するようで、理想の未来を語る一方でそのためにいまやれることは徹底してやる。司法手続きを踏まないグァンタナモ刑務所での無期限拘束や尋問もそうです。

今回のPRISMに関してもオバマは「100%の安全と100%のプライバシーと0%の不都合とを同時に手にすることはできない。社会としては何らかの選択をしなくてはならないのだ」として悪びれることがありません。09年のニューヨーク地下鉄爆破テロ計画は電話履歴の捜査によって回避できたというのですから、背に腹は代えられないのは確かなのですが。

多くの民間人犠牲者を出しながらも拡大する一方の無人機(ドローン)攻撃もそうです。

10年前には50機にも満たなかった米軍の無人機は現在、機数だけで言えば7000機と、軍所有の航空機の40%以上を占めるようになりました。米軍がこれまでの無人機攻撃で殺害した人々は主にパキスタン、イエメン、アフガニスタンなどで今年2月時点で計4700人とも言われています。

私はこの無人機が「戦争」の仕方を変えつつあると思っています。スピルバーグが「プライベート・ライアン」で描いたノルマンディ上陸作戦のような、ああいう多大な人命を犠牲にする揚陸強襲作戦というのはもうあり得なくなっています。

どうするかというと、緻密な(あるいは大雑把でもいいから)敵側情報を分析し、最初から最後まで無人機攻撃で叩く。実際の人間を投入するのは最後の最後だけ。味方の人的被害はこれで最小限に抑えられます。

しかしなにしろ1万キロ以上離れたネバダの砂漠の空軍基地からの遠隔操縦です。どういうことが起きるかというと、殺害した4700人のうち、テロ組織の首脳たちは全体の死者のわずか2%でしかないとされています。パキスタンでは3000人ほどが殺されているのですが、最大でうち900人近くがテロとは無関係の一般市民とも言われます。

それだけではありません。味方にだって取り返しの付かない傷が残る。先日、NBCが引退した無人機攻撃の27歳の遠隔操作官のインタビューを放送しました。彼は退任時に「これまであなたの参加した作戦で殺害した人員は推計1626人」という証明書を渡されたそうです。

「アフガニスタンで道を歩く3人の標的に向けてミサイルを2発撃ったことがあった。コンピュータには熱感知映像が映っている。熱い血だまりが広がっていくのが見えた。1人の男は前に行こうとしている。でも右足がなくなっている。彼は倒れ動かなくなる。血が広がり、それは冷えていってやがて地面の温度と同じ色になる」「いまでも目をつぶれば僕にはそのスクリーンの小さなピクセルの一つ一つが見える」「そして、彼らが実際に殺害すべきタリバンのメンバーだったのかどうかは、いまもわからない」「自分に吐き気がするんだ、本当に」

彼はいまPSTDに苛まれています。突発的な怒りの発作、不眠、そして記憶を失うほどの酒浸り。「背に腹は代えられない」と先ほど書きましたが、その結果もまた地獄なのです。

June 01, 2013

2013年プライド月間

私が高校生とか大学生のときには、それは1970年代だったのですが、今で言うLGBTに関する情報などほとんど無きに等しいものでした。日本の同性愛雑誌の草分けとされる「薔薇族」が創刊されたのは71年のことでしたが、当時は男性同性愛者には「ブルーボーイ」とか「ゲイボーイ」とか「オカマ」といった蔑称しかなくて、そこに「ホモ」という〝英語〟っぽい新しい言葉が入ってきました。今では侮蔑語とされる「ホモ」も、当時はまだそういうスティグマ(汚名)を塗り付けられていない中立的な言葉として歓迎されていました。

70年代と言えばニューヨークで「ストーンウォールの暴動」が起きてまだ間もないころでした。もちろんそんなことが起きたなんてことも日本人の私はまったく知りませんでした。なにしろ報道などされなかったのですから。もっともニューヨークですら、ストーンウォールの騒ぎがあったことがニュースになったのは1週間も後になってからです。それくらい「ホモ」たちのことなんかどうでもよかった。なぜなら、彼らはすべて性的倒錯者、異常な例外者だったのですから。

ちなみに私が「ストーンウォール」のことを知ったのは80年代後半のことです。すでに私は新聞記者をしていました。新聞社にはどの社にも「資料室」というのがあって、それこそ明治時代からの膨大な新聞記事の切り抜きが台紙に貼られ、分野別、年代別にびっしりと引き出しにしまわれ保存されていました。その後90年代に入ってそれらはどんどんコンピュータに取り込まれて検索もあっという間にできるようになったのですが、もちろんその資料室にもストーンウォールもゲイの人権運動の記録も皆無でした。

そのころ、アメリカのゲイたちはエイズとの勇敢な死闘を続けていました。インターネットもない時代です。その情報すら日本語で紹介されるときにはホモフォビアにひどく歪められ薄汚く書き換えられていました。私はどうにかアメリカのゲイたちの真剣でひたむきな生への渇望をそのまま忠実に日本のゲイたちにも知らせたいと思っていました。

私がアメリカではこうだ、欧州では、先進国ではこうだ、と書くのは日本との比較をして日本はひどい、日本は遅れている、日本はダメだ、と単に自虐的に強調したいからではありません。日本で苦しんでいる人、虐げられている人に、この世には違う世界がある、捨てたもんじゃない、と知らせたいからです。17歳の私はそれで生き延びたからです。

17歳のとき、祖父母のボディガード兼通訳でアメリカとカナダを旅行しました。旅程も最後になり、バンクーバーのホテルからひとり夕方散歩に出かけたときです。ホテルを出たところで男女数人が、5〜6人でしたでしょうか、何かプラカードを持ってビラを配っていたのです。プラカードには「ゲイ・リベレーション・フロント(ゲイ解放戦線)」と書いてありました。手渡されたビラには──高校2年生の私には書いてある英語のすべてを理解することはできませんでした。

私はドキドキしていました。なにせ、生身のゲイたちを見るのはそれが生まれて初めてでしたから。いえ、ゲイバーの「ゲイボーイ」は見たことがあったし、その旅行にはご丁寧にロサンゼルスでの女装ショーも組み込まれていました。でも、普通の路上で、普通の格好をした、普通の人で、しかも「自由」のために戦っているらしきゲイを見るのは初めてだったのです。

私はその後、そのビラの数十行ほどの英語を辞書で徹底的に調べて何度も舐めるほど読みました。そのヘッドラインにはこう書かれてありました。

「Struggle to Live and Love」、生きて愛するための戦い。

私の知らなかったところで、頑張っている人たちのいる世界がある。それは素晴らしい希望でした。そのころ、6月という月がアメリカ大統領の祝福する「プライド月間」になろうとも想像だにしていませんでした。

オバマが今年もまた「LGBTプライド月間」の宣言を発表しました。それにはこうあります。

「自由と平等の理想を持続する現実に変えるために、レズビアンとゲイとバイセクシュアルとトランスジェンダーのアメリカ国民およびその同盟者たちはストーンウォールの客たちから米軍の兵士たちまで、その歴史の次の偉大な章を懸命に書き続けてきた」「LGBTの平等への支持はそれを理解する世代によって拡大中だ。キング牧師の言葉のように『どこかの場所での不正義は、すべての場所での正義にとって脅威』なのだ」。この全文は日本語訳されて米大使館のサイトにも掲載されるはずです。

この世は、捨てるにはもったいない。今月はアメリカの同性婚に連邦最高裁判所の一定の判断が出ます。今それは日本でもおおっぴらに大ニュースになるのです。思えばずいぶんと時間が必要でした。でも、それは確実にやってくるのです。

February 26, 2013

アメリカ詣で

オバマ大統領にとって5人目の日本の首相が就任後の挨拶回りにやってきました。訪米前から日本側はメディアの報道も含めてTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加問題こそが今回の首脳会談の主要テーマとしていましたが、それは結局はTPP参加に進むと心に決めている安倍がいかにオバマから「聖域あり」との(参院選に向けた、自民党の大票田であるコメ農家の反対をなだめるための)言質を引き出すかといった、安倍側のみの事情であって、米国側にとってはとにかくそんなのは参加を決めてくれない限り主要問題にもなりはしない、といったところでした。

その証拠に、首脳会談の最初の議題は東アジアの安全保障問題だったのです。TPPはその後のランチョンでの話題でした。

東アジアの安全保障とはもちろん北朝鮮の核開発の問題であり、そのための日韓や日中関係の安定化のことです。とにかく財政逼迫のアメリカとしては東アジアで何か有事が発生するのは死活問題です。しかも米側メディアは安倍晋三のことを必ず「右翼の」という形容詞付きで記事にする。英エコノミストも「国家主義的な日本の政権はアジアで最も不要なもの」と新年早々にこき下ろしました。NYタイムズも「この11年で初めて軍事予算を増やす内閣」と警戒を触れ回ります。同紙は河野談話の見直しなど従軍慰安婦問題でも「またまた自国の歴史を否定しようとする」と批判しており、米国政府としても竹島や尖閣問題で安倍がどう中韓を刺激するのか気が気ではない。まずはそこを押さえる、というか釘を刺しておかないことには話が進まなかった。

会談では冒頭、オバマの質問に応える形で安倍がかなり安保や領有問題に関して持論を展開したようではありますが、中国との均衡関係も重視するアメリカは尖閣の領有権問題では踏み込んだ日本支持を表明しなかったのです。なぜなら中国は単に米国にとっての最大の貿易相手というだけでなく、北朝鮮を押さえ込むための戦略的パートナーであり、さらにはイランやシリアと行った遠い中東での外交戦略にも必要な連携相手なわけですから。ただ、この点に関しては安倍自身も夏の参院選が終わるまではタカのツメを極力隠すつもりですから、結果的にはそれはいまのところは米国の希望と合致した形になって、今回の首脳会談でも大きな齟齬は表に出はしなかった。しかしそれがいつまで続くのかは、わからないのです。安倍は、アメリカにはかなり危ないやつなのです。

読売などの報道では日本政府筋は概ねこの会談を「成功」と評価したようですが、ほんとうにそうなのでしょうか。アメリカにとっては単に「釘を刺す」という意味で会談した理由があった、という程度です。メディアも「警戒」記事がほとんどで成果などどこも書いていません。そもそもここまで慣例的になっているものを「成功」と言ったところでそれに大した意味はありません。もし今回の日本側の言う「成功」が何らかの意味を持つとしたら、それは唯一TPP交渉参加に関して「一方的に全ての関税撤廃をあらかじめ約束することを求められるものではない」という共同声明をギリギリになって発表できたということに尽きます。

しかしこの日本語はひどい。一回聞いてもわからないでしょう? 安倍や石原らが「翻訳調の悪文」として“改正”しようとしている憲法前文よりもはるかにひどい。「一方的に」「全ての」「あらかじめ」「約束」「求められる」と、条件が5つも付いて、「関税撤廃を求められるものではない」でも「一方的に関税撤廃を求められるものではない」でも「一方的に全ての関税撤廃を求められるものではない」でも「一方的に全ての関税撤廃をあらかじめ求められるものではない」でもありません。その「約束」を「求められるものではない」という五重の外堀に守られて、誰も否定はしないような仕掛け。それを示された米側が、しょうがねえなあ、と苦笑する姿が目に見えるようです。

これは国際的には何の意味もありません。ただただ日本国内および自民党内のTPP反対派に示すためだけに安倍と官僚たちが捩じ込んだ作文です。現に米国の報道は日本での「成功」報道とはまったく違って冷めたものでした。基本的にほとんどのメディアが形式的にしか日米首脳内談に触れていませんが、NYタイムズはそんなネジくれまくった声明文を「たとえそうであっても、この貿易交渉のゴールは関税を撤廃する包括的な協定なのである(Even so, the goal of the trade talks is a comprehensive agreement that eliminates tariffs)」と明快です。もちろん自民党内の反対派だってこんな言葉の遊びでごまかされるほどアホじゃないでしょう。TPP参加は今後も安倍政権の火種になるはずです。

というか、アベノミクスにしてもそれを期待した円安にしても株高にしても、実体がまだわからないものに日本人は期待し過ぎじゃないんでしょうか。TPPでアメリカの心配する関税が撤廃されて日本の自動車がさらに売れるようになると日本側が言っても、日本車の輸入関税なんて米国ではたった2.5%。為替レートが2〜3円振れればすぐにどうでもよくなるほどの税率でしかありません。おまけに日本車の70%が米国内現地生産のアメリカ車です。関税なんかかかっていません。

それにしても日本の首相たちのアメリカ詣でというのは、どうしてこうも宗主国のご機嫌取りに伺う属国の指導者みたいなのでしょう。それを慣例的に大きく取り上げる日本の報道メディアも見苦しいですが、「右翼・国粋主義者」とされる安倍晋三ですら「オバマさんとはケミストリーが合った」とおもねるに至っては、ブルータスよ、お前もかってな感じでしょうか。

まあ、日本っていう国は戦後ずっと自国の国益をアメリカに追従することで自動的に得てきたわけで、それを世界のリジームが変わっても見て見ない振りしておなじ鉄路を行こうとしているわけです。そのうちに「追従(ついじゅう)」は「追従(ついしょう)」に限りなく近づいていっているわけですが。

こうなると安倍政権による平和憲法“改正”の最も有力な反対はまたまたアメリカ頼みということにもなりそう。やれやれ。

February 19, 2013

暗殺の皇帝

24日にはアカデミー賞の発表です。ホメイニ革命後の79年に起きた在イラン米大使館人質事件での救出作戦を描いた『アルゴ』と、オサマ・ビン・ラーデン殺害作戦を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』とはともにCIAや軍の“活躍”の舞台裏を描いて、「ミッション・インポッシブル」や「007」みたいな派手なスパイものとは異なる現実を見せつけます。

両事件の間には30年あまりの時間差があります。が、CIAと米軍がいつの時代でも世界の最暗部で最も危険な諜報戦を繰り広げている事実は変わりません。しかしその戦法は先鋭化しています。1つは「水責め」尋問であり、もう1つは「ドローン」と呼ばれる無人機による敵の殲滅です。前者は30年前には違法でした。後者は技術的に存在しませんでした。

米議会では先日、そのCIA長官に新たに指名されたジョン・ブレナンと、CIAと密接に共同作戦を遂行する国防長官指名のチャック・ヘーゲルの承認公聴会が開かれました。2人とも議会承認は遅れています。

ブレナンはブッシュ政権下でCIA副長官でありテロリスト脅威情報統合センター(現在の国家テロ対策センターの前身です)の所長でした。『ゼロ・ダーク・サーティ』の冒頭で始まる水責め尋問シーンやビン・ラーデンの隠れ家に対しても検討された「無人機攻撃」の背後にいた人物の1人です。そして付いたあだ名は「暗殺の皇帝(The Assassination Czar)」

相手の首を水中にグイッと突っ込むのは息を止めて抵抗されたりしますが、水責め尋問は違います。相手の背中を板に固定して頭に布袋をかぶせて逆さ吊りにする。逆さまの状態で顔の部分に水を注ぐと、抵抗できないばかりか不随意の反射反応ですぐに水を肺に吸い込むことになって、「オレは溺死する!」という迫真の恐怖が襲うのだそうです。そうして容易に自白に至る。

しかし「その死の恐怖は錯覚である」というのが現在の米政府の主張です。錯覚なのでジュネーブ協約で禁じられている、実際に身体を傷つける「拷問とは違う」という論理。

しかしこれはベトナム戦争時の68年には違法とされました。それが対アルカイダ、対タリバンのテロ戦争で復活した。オバマ政権もそれを黙認・踏襲しているのです。

もう1つの無人攻撃機もやはり9・11以降のテロ戦争で実用化され、何千マイルも離れたネバダなどの空軍基地から遠隔操作されています。ビデオゲーム同様、自分の機が敵に撃ち落とされても操縦者は安全なモニターのこちら側にいます。

私はこの攻撃用無人機が心理的にも戦術的にも戦争の仕方を変えたと思っています。アフガニスタン戦争での昨年1年間の無人機攻撃は447回に及び、空爆全体の11.5%を占めるようになりました。前年の5%からの大きなシフトで、これは今後も拡大を続けるでしょう。

しかし無人機攻撃は大変な数の市民たちを誤爆してきました。死者のうちの20〜30%は一般市民で、高度な標的は殺害された者の2%に過ぎないという調査もあります。

このため、ブレナンの公聴会ではCODEPINKの活動家女性が米無人機攻撃で殺害されたパキスタン人の子供たちの名前のリストを掲げて抗議を行いました。独立系ニュースのデモクラシー・ナウ!は「無人機攻撃は単なる殺人ではない。そこに住むすべての人々を恐怖に陥れている。24時間絶え間なく遠鳴りの飛行音を聞き、学校や買い物や葬式や結婚式に行くにも怯えている。コミュニティ全体を混乱に陥れているのだ」とパキスタン現地の声を紹介しています。

思えば究極の戦略とは、「死」の格差を可能な限り広げることです。相手にはより大きな死の脅威を、味方にはより少ない死の怖れを。格差とはいま、富だけではなく命の領域にも及んでいる。「暗殺の皇帝」とはその格差の頂点に立つ者への尊称なのでしょうか、蔑称なのでしょうか。

オバマの2期目が始まっています。正義や人権を掲げる彼ですら、ブッシュ時代より暗くなった闇を背後に負っています。それにしてもCIA長官も国防長官も、自身の民主党ではなくて共和党からの人選だということに、オバマの逡巡が見て取れるのでしょうか? それとも汚いことは他人任せ、ということなのでしょうかね。そこにも政権を取った者の格差操作があるのかもしれません。

May 13, 2012

オバマのABCインタビュー

日本の新聞やTV報道ではあまり大きな扱いになっていないかもしれませんが、オバマが米国大統領として史上初めて同性婚を支持するという発言をした5月10日に放送した(収録は9日)ABCのインタビューから抜粋を紹介します。もちろんこのインタビューは経済やテロの話題にも及びましたが、最初にこの同性婚の話から始まりました。

ちなみに、日本のニュースでは「同性婚を容認」としているところもありますが、これは「容認」するとかしないとかの問題ではありません。大統領が容認しようがしまいが「結婚制度」はいまは州政府の管轄であって直接の影響は与えられないことが1つです。それに「容認」って、なんか上から目線に聞こえません? 実際、オバマはそんなふうなしゃべり方はしていません。とても慎重に言葉を選びながら、しかも「for me, personally」とか「important for me」と、これが個人的な思いであることを強調した上での発言でした。

この中で、自分の同性婚に関する考えが「進化」したと言ってますが、まあ、そりゃ「戦略的に変化してきた」ということだと思います。今年が大統領選挙の年だということも忘れてはいけません。オバマも政治家です。詳細はまた別に書きます(と思います)が、ウォールストリートのおカネがロムニーに流れているいま、それに対抗するカネヅルは裕福なゲイたちのピンクマネーであることも確かなのです。もちろん理想や変革への意志はありましょうが、一方で政治家としての選挙戦略を計算していないわけではないということです。さて、しばしば言葉を慎重に選びつつも、オバマはしっかりとはっきりと受け答えしています。以下がインタビューの内容です。翻訳しましたが、面倒臭くてブラシュアップも推敲もしてません。だって、思ったよりけっこう長かったんです。ひゅいー。

()内は意味の補足で私が付け加えています。その他説明は【訳注:】で示しました。

では、どうぞ。

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ROBIN ROBERTS: Good to see you, as always--

ロビン・ロバーツ:お会いできていつも嬉しいです。

PRESIDENT OBAMA: Good to see you, Robin.

オバマ大統領:こちらも嬉しいですよ、ロビン。

ROBIN ROBERTS: Mr. President. Thank you for this opportunity to talk to you about-- various issues. And it's been quite a week and it's only Wednesday. (LAUGH)

ロビン:ミスター・プレジデント、こうして様々な問題について話しを伺う機会をありがとうございます。今週は大変でした、しかもまだ水曜日です。

PRESIDENT OBAMA: That's typical of my week.

オバマ:私にはいつもこんな感じの1週間ですから。

ROBIN ROBERTS: I'm sure it is. One of the hot button issues because of things that have been said by members of your administration, same-sex marriage. In fact, your press secretary yesterday said he would leave it to you to discuss your personal views on that. So Mr. President, are you still opposed to same-sex marriage?

ロビン:そうでしょうね。いろいろ物議を呼びそうな話題の1つに、政権の内部からもいろいろ発言があるようですが、同性婚の問題があります。実際、報道官が昨日、その件に関しては大統領個人がお話しするのに任せると言っていました。ですんでミスター・プレジデント、あなたはまだ同性婚に反対の立場ですか?

PRESIDENT OBAMA: Well-- you know, I have to tell you, as I've said, I've-- I've been going through an evolution on this issue. I've always been adamant that-- gay and lesbian-- Americans should be treated fairly and equally. And that's why in addition to everything we've done in this administration, rolling back Don't Ask, Don't Tell-- so that-- you know, outstanding Americans can serve our country. Whether it's no longer defending the Defense Against Marriage Act, which-- tried to federalize-- what is historically been state law.

オバマ:まあ、そう、言っておかなければならないのは、前にも話したように私は、私はこの問題については進化を経てきたということです。前からずっと変わらず言ってきたのは、ゲイやレズビアンの、アメリカ人は公正に平等に扱われるべきだということです。ですからこの政権になって我々がいろいろやってきたことに加えて、ドント・アスク、ドント・テル【訳注:同性愛者だと明らかにしない限り米軍で働けるという施策】を廃止して、それでご存じのように、傑出した人材のアメリカ人がこの国のために(性的指向による除隊を心配せずに)働けるようになりました。それに政権としてはもう(連邦法の)結婚防衛法【訳注:オバマはDefense Against Marriage Actと言いマツがえているが、正確にはDefense of Marriage Act=DOMA】を擁護することはやめました。この法律は、結婚を連邦法で規定しようとしたものですが、これは歴史的にも州法の問題ですから。

I've stood on the side of broader equality for-- the L.G.B.T. community. And I had hesitated on gay marriage-- in part, because I thought civil unions would be sufficient. That that was something that would give people hospital visitation rights and-- other-- elements that we take for granted. And-- I was sensitive to the fact that-- for a lot of people, you know, the-- the word marriage was something that evokes very powerful traditions, religious beliefs, and so forth.

私の立場は、LGBTコミュニティのためのより広範な平等をというものです。かつて私は同性婚に関しては躊躇していました。ある意味なぜなら、シビル・ユニオン【訳注:結婚から宗教的意味合いを取り去った法的保護関係】で充分だろうと思ったのです。その、病院に見舞う権利とか、それとその他の、要素などを与えることで。それと、この事実にも敏感にならざるを得なかった、つまり多くの人にとって、知ってのとおりその、結婚という言葉はなにかとても強力な伝統や宗教的信念や、そういったいろいろを喚起するものだということです。

But I have to tell you that over the course of-- several years, as I talk to friends and family and neighbors. When I think about-- members of my own staff who are incredibly committed, in monogamous relationships, same-sex relationships, who are raising kids together. When I think about-- those soldiers or airmen or marines or -- sailors who are out there fighting on my behalf-- and yet, feel constrained, even now that Don't Ask, Don't Tell is gone, because-- they're not able to-- commit themselves in a marriage.

しかしこれも言わなくちゃならないんですが、ここ数年の間に、友人たちや家族や近しい人には話していますが、自分のスタッフたちのことを考えると、モノガマスの関係【訳注:付き合う相手は1人と決めている関係】をものすごく真剣に続けていて、同性同士の関係でですね。それと兵隊です、陸軍も航空兵も海兵隊もそれから水兵も、彼らは外に出て私の代わりに戦ってくれている、なのにまだ制約があるわけです。いまはもう「ドント・アスク、ドント・テル」はなくなりましたが、それでもまだ、結婚という形で、互いに結びつくことができないからです。

At a certain point, I've just concluded that-- for me personally, it is important for me to go ahead and affirm that-- I think same-sex couples should be able to get married. Now-- I have to tell you that part of my hesitation on this has also been I didn't want to nationalize the issue. There's a tendency when I weigh in to think suddenly it becomes political and it becomes polarized.

そしてある時点で、結論するに至った。つまり私にとっては、個人的にですが、私が思う、同性カップルが結婚できるようになるべきだということを、先に進め肯定することが私にとっては重要なことだとそう決めたんです。それから、これに関しては躊躇もあって、その1つはこの問題を全米的なものに広げたくなかったというのもあります。この件は考えようとすると突然政治的になるし対立問題になる傾向がありますから。

And what you're seeing is, I think, states working through this issue-- in fits and starts, all across the country. Different communities are arriving at different conclusions, at different times. And I think that's a healthy process and a healthy debate. And I continue to believe that this is an issue that is gonna be worked out at the local level, because historically, this has not been a federal issue, what's recognized as a marriage.

それでいま行われていることは、思うにアメリカ中で、この件に関しては各州で、断続的にですが、いろいろやっているということです。それぞれ異なったコミュニティがそれぞれ異なった結論に達している。それは健全なやり方ですし健全な議論だと思います。私もこれは地元のレベルで考えられる問題だとこれからも信じています。なぜなら歴史的にもこれは、結婚として何が相応しいかということは連邦政府の問題ではなかったわけですから。

ROBIN ROBERTS: Well, Mr. President, it's-- it's not being worked out on the state level. We saw that Tuesday in North Carolina, the 30th state to announce its ban on gay marriage.

ロビン:ええ、ミスター・プレジデント、州のレベルではうまく行っているわけではありません。8日の火曜日にはノースカロライナが同性婚を認めないとした30番目の州になりました。

PRESIDENT OBAMA: Well-- well-- well, what I'm saying is is that different states are coming to different conclusions. But this debate is taking place-- at a local level. And I think the whole country is evolving and changing. And-- you know, one of the things that I'd like to see is-- that a conversation continue in a respectful way.

オバマ:まあ、その、その、つまり異なる州は異なる結論に至るということで。しかしその議論は行われている、地元のレベルで。そしてこの国全体も進化し変わってきていると思います。それにご存じのように、私が望んでいることの1つは、互いを尊重する形で対話が続いていくことです。

I think it's important to recognize that-- folks-- who-- feel very strongly that marriage should be defined narrowly as-- between a man and a woman-- many of them are not coming at it from a mean-spirited perspective. They're coming at it because they care about families. And-- they-- they have a different understanding, in terms of-- you know, what the word "marriage" should mean. And I-- a bunch of 'em are friends of mine-- you know, pastors and-- you know, people who-- I deeply respect.

そして、その、結婚というものは厳密に定義されるべきだと、男と女の間に限って、と、非常に強く思っている人たちは、その多くはべつに意地悪な気持ちや考え方でそう思っているわけじゃない。彼らがそう感じているのは、家族のことを大切に思っているからです。そして、その、そうした人たち、その人たちは異なった理解をしている。つまりその、「結婚」という言葉がどういう意味なのかという点において、です。私はその、そういう人たちは私の友人の中にたくさんいます。牧師さんとか、ほかにも私の深く尊敬している人たちとか。

ROBIN ROBERTS: Especially in the Black community.

ロビン:特に黒人コミュニティの中に。

PRESIDENT OBAMA: Absolutely.

オバマ:おっしゃるとおり。

ROBIN ROBERTS: And it's very-- a difficult conversation to have.

ロビン:そしてそれは、話すのはとても、難しい。

PRESIDENT OBAMA: Absolutely. But-- but I think it's important for me-- to say to them that as much as I respect 'em, as much as I understand where they're comin' from-- when I meet gay and lesbian couples, when I meet same-sex couples, and I see-- how caring they are, how much love they have in their hearts-- how they're takin' care of their kids. When I hear from them the pain they feel that somehow they are still considered-- less than full citizens when it comes to-- their legal rights-- then-- for me, I think it-- it just has tipped the scales in that direction.

オバマ:ほんとうに。ただ、私は、そういう人たちにも、私が彼らを尊敬しているのと同じくらい、私が彼らの拠って立つところがどこかを理解していると同様に、こう伝えることが私にとって重要なのことだと思うのです。つまり私がゲイやレズビアンのカップルに会うとき、同性同士のカップルに会うとき、そこに、私は、なんと彼らが互いを大切に思い、なんと大きな愛をその心に宿しているのか、そして自分たちの子供のことをなんとじつに大切に思っているのか、ということを。彼らから私は、彼らの感じている苦悩を聞くのです。たとえば法的な権利に関して、そういう話になると彼らは、完全な市民というものよりも自分たちが劣った者として考えられている、そういうふうに感じるわけです。だから私が思うにそれが、そちらの方向に舵を切るきっかけだったのです。

And-- you know, one of the things that you see in-- a state like New York that-- ended up-- legalizing same-sex marriages-- was I thought they did a good job in engaging the religious community. Making it absolutely clear that what we're talking about are civil marriages and civil laws.

それと、あれです、ニューヨークのような州で、結局、同性婚が合法化されたのを見て、私が思ったのが、彼らが宗教のコミュニティとじつにうまく折り合いを付けたということでした。自分たちの言っているのが明確に公民としての結婚、民法上のものだということをはっきりさせて。

That they're re-- re-- respectful of religious liberty, that-- you know, churches and other faith institutions -- are still gonna be able to make determinations about what they're sacraments are-- what they recognize. But from the perspective of-- of the law and perspective of the state-- I think it's important-- to say that in this country we've always been about-- fairness. And-- and treatin' everybody-- as equals. Or at least that's been our aspiration. And I think-- that applies here, as well.

つまり、その、その、宗教の自由を尊重していて、つまりそう、教会とかその他の宗教的団体ですね、そういうところはいまでもまだ何が聖なるものなのか、何をそう認めるのか、自分たちで決められるのです。ただしかし、法律上の、国家としてのものの考え方から言って、重要なのは私が思うに、この国では私たちはいつも公正さというものを旨としてきたということです。そしてすべての人を平等に扱う、ということ。あるいは少なくともそれは私たちの目標でありつづけてきた。だから私が考えるのは、それをここでも適用するということなんです。

ROBIN ROBERTS: So if you were the governor of New York or legislator in North Carolina, you would not be opposed? You would vote for legalizing same-sex marriage?

ロビン:ではもしあなたがニューヨーク州の知事だったり、あるいはノースカロライナ【訳注:このインタビューの前日に同性婚は認めないという州憲法変更提案を住民投票で可決した州】の州議会議員だったとしたら、あなたは反対しない? つまり、同性婚を合法化することに賛成票を投じるわけですか?

PRESIDENT OBAMA: I would. And-- and that's-- that's part of the-- the evolution that I went through. I-- I asked myself-- right after that New York vote took place, if I had been a state senator, which I was for a time-- how would I have voted? And I had to admit to myself, "You know what? I think that-- I would have voted yes." It would have been hard for me, knowing-- all the friends and family-- that-- are gays or lesbians, that for me to say to them, you know, "I voted to oppose you having-- the same kind of rights-- and responsibilities-- that I have."

オバマ:そうするでしょう。それが、それが私の、通ってきた進化の一部です。私は自分に問いただしました、あのニューヨークの投票が行われた直後です。もし自分が州上院議員だったら、一時そうだったこともありますが【訳注:シカゴのあるイリノイ州上院議員だった】、どっちに投票していただろうか? そうして自分にこう言い聞かせたんです。「おいおい、つまり、賛成に投票してたよ」ってね。私にとって、ゲイやレズビアンの友人たちやその家族を知ってるわけですから、そんな、彼らぜんぶに向かって、「きみらが、私が持っているのと同じ種類の権利と責任を持つことに、反対する票を投じたよ」と言うのは私にはできかねたろうと。

And-- you know, it's interesting. Some of this is also generational. You know, when I go to college campuses, sometimes I talk to college Republicans who think that-- I have terrible policies on the-- the economy or on foreign policy. But are very clear that when it comes to same-sex equality or, you know-- sexual orientation that they believe in equality. They're much more comfortable with it.

それに、ね、面白いことに、これに関しては、ある部分は世代で違うんですよ。ほら、私も大学のキャンパスに行くことがあります。そこでときどき大学生の共和党支持者たちと話すんですが、彼らはその、私の政策をひどいと、経済政策とか外交とかですね、思っている。しかし話が同性カップルの平等の問題、つまりあの、性的指向の問題になると、明確に彼らはそれに関しては平等であるべきだと信じているんです。それがもう当然だと思っているわけです。

You know, Malia and Sasha, they've got friends whose parents are same-sex couples. And I-- you know, there have been times where Michelle and I have been sittin' around the dinner table. And we've been talkin' and-- about their friends and their parents. And Malia and Sasha would-- it wouldn't dawn on them that somehow their friends' parents would be treated differently. It doesn't make sense to them. And-- and frankly-- that's the kind of thing that prompts-- a change of perspective. You know, not wanting to somehow explain to your child why somebody should be treated-- differently, when it comes to-- the eyes of the law.

そう、そしてマリアとサーシャですが【訳注:オバマの2人の娘のこと】、友だちの親たちが同性のカップルという子もいるわけです。私は、何度もミシェルと一緒に夕食のテーブルを囲みながら話したりするわけです、その、娘たちの友だちやその親たちのことを。それでマリアもサーシャも、どうしてか彼女たちの友だちの親たちが異なる扱いを受けているということがわからないんですよ。そのことは彼女たちには意味不明なんです。そして、率直に言うと、そういうことが私の物の見方を変えるきっかけだったんですね。わかるでしょう、どうしてある人たちが異なる扱いを受けなければならないのか、そのわけを自分の子供に説明なんかしたくない。──法的見地の話ですが。

ROBIN ROBERTS: I-- I know you were saying-- and are saying about it being on the local level and the state level. But as president of the United States and this is a game changer for many people, to hear the president of the United States for the first time say that personally he has no objection to same-sex marriage. Are there some actions that you can take as president? Can you ask your Justice Department to join in the litigation in fighting states that are banning same-sex marriage?

ロビン:おっしゃってきたこと、そしていまおっしゃっていること、つまりこれは地元のレベル、州のレベルの問題であるというのはわかります。しかし合衆国大統領として、これは多くの人たちにとって、合衆国の大統領が初めて個人的にではあるにしろ自分は同性婚になんら異議はないと発言することは、これはこれまでの流れを変える大変な出来事です。

PRESIDENT OBAMA: Well, I-- you know, my Justice Department has already-- said that it is not gonna defend-- the Defense Against Marriage Act. That we consider that a violation of equal protection clause. And I agree with them on that. You know? I helped to prompt that-- that move on the part of the Justice Department.

オバマ:そうですね、私はほら、私の政府の司法省はすでにその、もう結婚防衛法の正当性を主張することはしないと言っています。これは法の平等保護条項に違反するものだと考えているわけで、私もその件に関しては司法省に賛成します。だから、ね? 私も司法省の一部にそう、そう動けと仕掛けたんですよ。

Part of the reason that I thought it was important-- to speak to this issue was the fact that-- you know, I've got an opponent on-- on the other side in the upcoming presidential election, who wants to-- re-federalize the issue and-- institute a constitutional amendment-- that would prohibit gay marriage. And, you know, I think it is a mistake to-- try to make what has traditionally been a state issue into a national issue.

この問題に言及することが重要なことだと思う理由の一部はつまり、知ってのように、来るべき大統領選挙で敵対する相手方は、この問題を再び連邦政府の問題にしたいという、つまり憲法の修正を行って同性婚を禁止しようとしている事実があるからです。それは、伝統的に州の問題だったものを連邦の問題にしようというのは私は間違いだと思う。

I think that-- you know, the winds of change are happening. They're not blowin'-- with the same force in every state. But I think that what you're gonna see is-- is-- is states-- coming to-- the realization that if-- if a soldier can fight for us, if a police officer can protect our neighborhoods-- if a fire fighter is expected to go into a burning building-- to save our possessions or our kids. The notion that after they were done with that, that we'd say to them, "Oh but by the way, we're gonna treat you differently. That you may not be able to-- enjoy-- the-- the ability of-- of passing on-- what you have to your loved one, if you-- if you die. The notion that somehow if-- if you get sick, your loved one might have trouble visiting you in a hospital."

風向きが変わってきていると思うんですね。ただ、すべての州で同じ向きに風が吹いているわけでもない。しかしこれから起きることは、その、州というものもだんだんわかり始める時が来る。その、私たちのために戦う兵士がいる、私たちの住む地区を守ることのできる警察官がいる、そして燃え盛るビルに飛び込んでゆく消防士がいる、私たちの持ち物や子供たちを救うためにです。 そこでそんな仕事を終えた彼らに私たちはこう言うんです、「ああ、ところできみに関しては扱いが違うんだ。きみはその、もしきみがその、仮に死んだとしても、きみの持っている物をきみの愛する人に譲り渡すことが、できる権利を、その、享受できないかもしれない。それからその、なぜか、きみが病気になってもきみの愛する人はきみを病院に見舞おうとして厄介なことになるかもしれない」と。

You know, I think that as more and more folks think about it, they're gonna say, you know, "That's not who we are." And-- and-- as I said, I want to-- I want to emphasize-- that-- I've got a lot of friends-- on the other side of this issue. You know, I'm sure they'll be callin' me up and-- and I respect them. And I understand their perspective, in part, because-- their impulse is the right one. Which is they want to-- they want to preserve and strengthen families.

ですから、そのことを考える人がだんだん増えてきていると思うんですよ。でそのうちに彼らは、ね、こう言うんだ。「それって私たちの思いとは違う」と。そして、そして、すでに言ったように、私は、私は強調したいんですけれど、私には多くの、この問題で違う立場を取る友だちもたくさんいます。そうきっと彼らは私にいろいろ言うのは知っています。そういう彼らを尊重もします。それにその考え方をある部分理解もできる。なぜなら、彼らのショックも当然だからです。彼らは家族というものを守りたい、強固なものにしたいのです。

And I think they're concerned about-- won't you see families breaking down. It's just that-- maybe they haven't had the experience that I have had in seeing same-sex couples, who are as committed, as monogamous, as responsible-- as loving of-- of-- of a group of parents as-- any-- heterose-- sexual couple that I know. And in some cases, more so.

彼らは心配してるんだと思います。家族ってものが壊れつつあるのが目に入らないのか、と。それは、ただ、たぶん、彼らは、私が同性カップルを見て知って経験したような、同じような経験をしていないんです。私の見てきた同性カップルは、自分の付き合いに同じように真剣で、モノガマスで、同じように責任を持っていて、同じように、私の知るヘテロセクシュアルのカップルと同じように愛情に溢れた親たちの一群なのです。ときには、より以上にそうでした。

And, you know-- if you look at the underlying values that we care so deeply about when we describe family, commitment, responsibility, lookin' after one another-- you know, teaching-- our kids to-- to be responsible citizens and-- caring for one another-- I actually think that-- you know, it's consistent with our best and in some cases our most conservative values, sort of the foundation of what-- made this country great.

そして知ってのように、家族や、互いの思いやりや、責任や、互いへの労りなどを考えるときに、それにそう、子供たちに、責任ある市民になることやみんなを大切に思うことを教えることもそうです、そういうときに私たちがじつに大切だと考える基本的な価値、彼らの思っているその価値は、私たちの最良のその価値と、ときにはまた私たちの最も保守的なそれとさえ、矛盾しないものなのです。いわば、この国を偉大にしてくれているもののその基礎と同じなのです。

ROBIN ROBERTS: Obviously, you have put a lot of thought into this. And you bring up Mitt Romney. And you and others in your administration have been critical of him changing positions, feeling that he's doing it for political gain. You realize there are going to be some people that are going to be saying the same with you about this, when you are not president, you were for gay marriage. Then 2007, you changed your position. A couple years ago, you said you were evolving. And the evolution seems to have been something that we're discussing right now. But do you-- do you see where some people might consider that the same thing, being politics?

ロビン:あなたは明らかにこの問題に関して多くのことを考えてきたようです。そしてミット・ロムニーのことも持ち出しました。あなたもあなたの政府の他の人たちも、彼が立場を変えたことを政治的な利益を得るためのものと見て、批判的ですね。でもこのことに関しては、あなたに対しても同じようなことを言う人たちもまたいるだろうことをご存じのはずです。あなたが大統領でなかったとき、あなたは同性婚に賛成でしたから。それで2007年になって、あなたは自身の立場を変えた。2年前、あなたは進化の途中だとおっしゃいました。そしてその進化というのは、いまここで話していることですよね。でも、それをそこで、同じことだと感じているかもしれない人がいるとは思いません? つまり、これも政治的(な一手)だと。

PRESIDENT OBAMA: Well, if you-- if you look at my trajectory here, I've always been strongly in favor of civil unions. Always been strongly opposed to discrimination against gays and lesbians. I've been consistent in my overall trajectory. The one thing that-- I've wrestled with is-- this gay marriage issue. And-- I think it'd be hard to argue that somehow this is-- something that I'd be doin' for political advantage-- because frankly, you know-- you know, the politics, it's not clear how they cut.

オバマ:そう、もし、もしここで私のこれまでの軌跡を見てくれたら、私はいつでも常にシビル・ユニオンを強く支持してきたということがわかるはずです。いつでも常にゲイとレズビアンに対する差別に強く反対してきました。その全体としての軌跡は首尾一貫しています。ただ1つ、私が苦慮してきたのがこの同性婚の問題です。そして、これがともかく私が政治的利益のためにやっていることだと言うのは、どうかなと思います。というのも、正直言うと、わかるでしょう、政治って、何がどうなるか、わからないんですから。

In some places that are gonna be pretty important-- in this electoral map-- it may hurt me. But-- you know, I think it-- it was important for me, given how much attention this issue was getting, both here in Washington, but-- elsewhere, for me to go ahead, "Let's be clear. Here's what I believe." But I'm not gonna be spending most of my time talking about this, because frankly-- my job as president right now, my biggest priority is to make sure that-- we're growing the economy, that we're puttin' people back to work, that we're managing the draw down in Afghanistan, effectively. Those are the things that-- I'm gonna focus on. And-- I'm sure there's gonna be more than enough to argue about with the other side, when it comes to-- when it comes to our politics.
たいへん重要になるいくつかの場所で、今回の選挙区のことですが、これは私に凶と出るかもしれません。それでも、その、この問題がここワシントンでもどこでもどれだけ関心の的になるかを考えれば、前に出て「はっきりさせよう。これが私の信じていることだ」と言うことは私にとって重要なことだったんです。でも、私はこのことに自分の時間の大半を割くわけにもいきません。というのも率直に言って、大統領としての私の仕事はいま、私の最大の優先事項は経済を成長させること、国民を職場に戻すこと、アフガニスタンからの撤兵を効果的にやり遂げること、それらを確実なものにすることなのです。そういうことに私は焦点を定めています。それが我々の政治問題となるときには、共和党側とは十二分に議論することがあると思います。

(以下、経済問題などに話題は移りますので、ここまで)

April 28, 2012

ガラパゴスのいじめっ子たち

昨夏以来、米国では10代の少年少女たちの相次ぐいじめ自殺が社会問題化しています。米国では毎年、1300万人の子供たちが学校やオンラインや携帯電話や通学のスクールバスや放課後の街でいじめに遭っています。300万人がいじめによって毎月学校を休み、28万人の中学生が実際にけがをしています。しかしいじめの現場に居合わせていても教員の1/4はそれを問題はないと見過ごしてしまっていて、その場で割って入る先生は4%しかいません。

米国のこの統計の中には日本の統計には現れてこない要素も分析されます。いじめ相手を罵倒するときに最もよく使われる言葉が「Geek(おたく)」「Weirdo(変人)」そして「Homo(ホモ)」や「Fag(オカマ)」「Lesbo(レズ)」です。そのいじめの対象が実際にゲイなのかトランスジェンダーなのかはあまり関係ありません。性指向や性自認が確実な年齢とは限らないのですから。問題は、いじめる側がそういう言葉でいじめる対象を括っているということです。また最近はゲイやレズビアンのカップルの下で育つ子供たちも多く、その子たちが親のせいでいじめられることも少なくありません。LGBT問題をきちんと意識した、具体的な事例に対処した処方がいま社会運動として始まっています。

ところで日本のいじめ議論でいつも唖然とするのが「いじめられる側にも問題があるのでそれを解決する努力をすべきだ」という意見が散見されることです。この論理で行けば、だから「ゲイはダメだ」「同性婚は問題が多い」という結論に短絡します。「あいつはムカつく。ムカつかせるあいつが悪い。いじめられて当然だ」と言う論理には、ムカつく自らの病理に関する自覚はすっぽりと抜け落ちているのです。

問題はいじめる側にあるという第一の大前提が、どういう経緯かあっさりと忘れ去られてすり替えられてしまうのはなぜなのでしょう。先進国で趨勢な論理が日本ではなぜか共有されていないのです。

先日もこんなことがありました。あるレズビアンのカップルが東京ディズニーリゾートで同性カップルの結婚式が可能かどうかという問い合わせを行いました。なぜなら本家本元の米国ディズニーでは施設内のホテルなどで同性婚の挙式も認めているからです。ところが東京ディズニーの回答は同性カップルでも挙式はできるが「一方が男性に見える格好で、もう一方が女性に見える格好でないと結婚式ができない」というものでした。

これだとたとえば男同士だと片方がウェディングドレスを着なくちゃいけなくなります。それもすごい規定ですが、ディズニーの本場アメリカではディズニーの施設はすべてLGBTフレンドリーであることを知っていた件のカップル、ほんとうにそうなのかもう一度確認してほしいと要望したところ、案の定、後日、「社内での認識が不完全だったこともあり、間違ったご案内をしてしまいました」というお詫びが返ってきました。「お客様のご希望のご衣装、ウェディングドレス同士で結婚式を挙げていただけます。ディズニー・ロイヤルドリームウェディング、ホテル・ミラコスタ、ディズニー・アンバサダーホテルで、いずれのプランでも、ウェディングドレス同士タキシード同士で承ることができます」との再回答だったそうです。

米国ディズニーの方針に対して「社内での認識が不完全だった」。しかし今回はそうやって同性婚に関する欧米基準に日本のディズニー社員も気がつくことができた。しかし、ではいじめに関してはどうか? 他者=自分と異なるものに対する子供たちの無知な偏見が、彼らの意識下でLGBT的なものに向かうという事実は共有されているのでしょうか? どうして欧米では同性婚を認めようとする人たちが増えているのか、その背景は気づかれているのでしょうか? 議論を徹底する欧米の人たちのことです、生半可な反同性愛の言辞はグーの音も出ないほどに反駁されてしまうという予測さえ気づかれていないのかもしれません。

大統領選挙を11月に控え、米国では民主党支持者の64%が同性婚を支持しています。中間層独立系の支持者でも54%が支持、一般に保守派とされる共和党支持者ではそれが39%に減りますが、それでも10人に4人です。この数字と歴史の流れを理解していなければ、それは米国のいじめっ子たちと同じガラパゴスのレベルだと言ったら言い過ぎでしょうか。

January 10, 2012

新年に考えること

子供のころはおとなになったらわかると言われつづけてきましたが、おとなになってわかったことは、おとなになってもいろんな答えがわかるわけではないということでした。にもかかわらず、疑問の数は以前より確実に多くなっているような気さえします。

昨年末からずっと考えているのは民主主義のことです。アラブの春も、99%の占拠運動のアメリカの秋も、根は民主主義に関わることです。でもそこに1つ大きな誤解があります。それは、民主主義になれば自分の思っていることがきっと実現するという誤解です。

民主主義は、何かを実現するにはおそらく最も非効率的な制度だと思います。なぜなら、民主主義とは、何かをやるためではなく、何かをやらせないための制度だからです。

それは「牽制」の政体です。「抑制」の政体と言ってもいい。様々な歴史がある個人や集団の暴走で傷ついてきました。そのうちに傷つけられてきた「みんな」こそが歴史の主役なのだという考え方が広がってきました。そこでそのみんなで、付託した「権力」の独善や独断や独裁や独走を許さない仕組みを作っていった。それが民主制度でした。

ところが民主制度になると、何かを実行するにもいちいち特定の集団の利益や不利益に結びつかないかとかみんな(=議会)で検証しなくてはなりません。ものすごく面倒くさいし時間もかってまどろっこしいことこの上ない。
 
「アラブの春」で指導者を放逐した「みんな」は、これから民主的な政体ができると期待しているのでしょうが、心配はなにせそういうシチ面倒くさい仕組みですから、直ちに現れない変化に業を煮やしてまたぞろ過激な原理主義思想が台頭してくることです。

アラブに限ったことではありません。イギリスやイタリアでの若者たちの暴動も、ウォール街占拠運動も、世界はいま、急激に変質する経済や社会の動きに対応し切れていないこの民主制度の回りくどさに、辟易し始めているのではないか?

冒頭に、疑問は多くなる一方なのに答えはわからないままだと書きました。世の中は情報や物流や金融が世界規模でつながることでとても複雑になってきています。ギリシャの債務が日本のどこか片田舎の農家の借金に関係してくる。いままで「風が吹けば桶屋が儲かる」噺を笑い話にしていましたが、いまやそれは冗談ではなくなっているのです。なのにその論理の飛躍をより緻密な論理で埋めつつ理解する能力を、人間はいまだ持ち得ていない。これからだって持てる理由もありません。それは私たちの処理能力を越えているようにさえ思えます。

そんなときに「風」と「桶屋」との間を快刀乱麻で切り捨てる人物が魅力的に見えてきます。先の大阪市長選挙での橋下徹市長の誕生は、きっとそうした「みんな」のもどかしさを背景にしています。暴れん坊将軍や水戸黄門といっしょです。しち面倒くさい手間を省いて1時間で悪者を退治してくれるのです。そして「みんな」は、世直しなんぞにあまり努力する必要もなく楽に暮らせるわけです。

めでたしめでたし? いえ、この話はところがここでは終わりません。なぜなら、フセインもカダフィもムバラクもサーレハもみな当初は暴れん坊将軍や黄門様と同じくみんなの英雄として登場してきたからです。しかし権力は堕落する。絶対的な権力は絶対的に堕落します。独占的な権力は独占的に堕落し、阿呆な権力は阿呆なくらいに堕落する。そうして「切り捨てられる」余計として、また「みんな」が虐げられるのです。

民主主義の中から登場したものたちが、その民主主義を切り捨てるような手法でしか政治を断行できないと判断するようになる。それは自己否定であり自己矛盾です。これは民主主義の、いったいどういう皮肉でしょうか? その答えを、私はずっと考えています。

December 24, 2011

捏造された戦争のあとで

先日の野田首相の東電福島第1「冷温停止状態」宣言を聞いていて、なにかどこかで同じ気分になったことがあるなあと思ったら、ジョージ・W・ブッシュが2003年、イラク開戦50日ほどで空母リンカーンの上に降り立って行った「任務完了(Mission Accomplished)」の演説でした。これからの問題が山積しているのに任務が達成されたなんて、バカじゃないかってみんな唖然としたものです。そして彼はその後、史上最低の大統領の1人に数えられるようになりました。

ブッシュのその任務完了宣言から8年有余経った12月14日、オバマ大統領が米軍の完全撤退をやっと発表しました。クリスマスの11日前でした。

クリスマスというのは家族が集まる1年の〆の大イベントです。このタイミングでの発表は、実際にクリスマスに帰国できるかは別にしてとても象徴的なことです。その後ろにはもちろん今年11月の大統領選挙のことがあります。共和党の候補指名争いの乱戦というか混乱というか、ほんとくだらないエキセントリズムの応酬のあいだに、オバマは着々と失地を回復しているようにも見えます。失業率は若干ながら改善し、議会では給与減税法案の延長を拒んだ下院共和党に怒りの演説をしてみせて翌日には明らかに渋面の共和党の下院議長ベイナーから妥協を引き出しました。イラク撤退もオバマの成果になるでしょう。戦争の終わり方は難しい。とくにブッシュの始めた「勝利」のない戦争を終わらせることは、尚更です。

たしかに今も米兵が反政府派の攻撃にさらされているアフガニスタンに比べると、イラクはまだマシに見えます。しかし撤退後は米軍というタガがはずれて治安は悪化するでしょう。事実、12月22日には早くもバグダッドで連続爆弾テロがあり60人以上が死亡しました。政権が空中分解する恐れもまだ色濃く残っているのです。

さまざまな意味で、イラク戦争は新しい戦争でした。そもそも発端が誤った大量破壊兵器情報による「予防的先制攻撃」でした。ブッシュ政権は同時に9.11テロとイラクの関連付けも命じていました。イラク戦争はつまり捏造された戦争だったのです。

他にも、戦争の末端で多く民間の軍事請負企業が協力していることも明らかになりました。ブラックウォーターという軍事警備会社が公的な軍隊のように振る舞い、実際米軍とともに作戦を遂行していました。さらにはその途中の2007年9月17日、バグダッド市民に対する無差別17人射殺事件まで起こしたのです。ブラックウォーターはこの年、悪名をぬぐい去るかのように社名を“Xe”(ズィー)に変更、さらには今月には名称を"Academi"(アカデミー)というさらに何の変哲もないものに再変更して、すでに新たに国務省やCIAと2億5000万ドルの業務請負契約を結んでいるのです。

一方で、ウィキリークスが公開した、ロイターのカメラマンら2人を含む12人の死者を出した2007年の米軍ヘリによるイラク民間人銃撃事件は衝撃的でした。ウィキリークスには米陸軍上等兵のブラッドリー・マニングの数十万点に及ぶ米外交文書漏洩もあり、これも従来なかった戦争への異議の形でした。

マニングはいま軍法会議にかけられ、終身刑か死刑の判決を下されようとしています。米軍の検察側の言い分は「ウィキリークスに重要情報を漏洩したことでアルカイダ側がそれを知ることになった。従ってこれは敵を利する裏切り行為だ」というものです。それはすべての戦争ジャーナリズムを犯罪行為に陥れる可能性を持つ論理です。どんな隠された情報も、公開することで敵に知れるわけですから。そこに良心の内部告発者は存在しようがありません。国家が間違いを犯していると信じたとき、私たちはそれをどう止めることができるのでしょうか?

大手メディアは一様に米国側の死者が約4500人、イラク側の死者は10万人と報じていますが、英国の医療誌Lancetは実際のイラク市民の死者は60万人を超えるだろうと記しています。実際の死者数は永遠に誰にも明らかになることはないでしょうが、米国側の公式推定である10万人という数字ではないと私は思っています。

そしていま米軍が撤退しても、例の民間の軍事請負業者はだいたい16000人もまだイラクに残るそうです。戦争の民営化から、戦後処理の民営化です。こうしてイラクの管轄は米軍から米国務省(外務省に相当)に移ります。バグダッドの米国大使館は世界最大の大使館なのです。そんな中、“戦後復興”に向けてすでに多くの欧米投資銀行関係者がイラクを訪れていることを英フィナンシャル・タイムズが報道していました。将来的に金の生る木になるだろう国家再建事業と石油取引の契約に先鞭を付けたいのです。

イラクはまだ解決していません。お隣イランでは核開発疑惑でイスラエルや米軍がまた予防的に施設攻撃をするのではないかと懸念されています。そしてアジアでは金正日死亡に伴う北朝鮮の体制移譲。そのすべてが米国の大統領選挙の動向とも結びついてきます。

2012年はあまり容易ではない年になりそうです。

September 29, 2011

野田演説を書いたのはだれだ?

野田さんの首相としての外交デビューとなった今回の国連ニューヨーク訪問は、私の知る限り欧米メディアは一行もその中身を詳報しませんでした。原子力安全サミットでのスピーチも国連総会での演説も無視。かろうじて野田オバマ会談の内容がAPやAFP電などで型通りに伝えられただけです。

というのも、世界が注目している東電の原子力発電所事故の問題はすでに国会の所信表明などですでに伝えられていた内容だったし、冷温停止を年内に(2週間分だけだけど)前倒しするというのもこれにあわせたかのように細野原発相が直前に話していてすでにニュースではなかったからです。

それでも国連での第一声は震災支援への感謝と東電・福島第一原発事故の謝罪から始まりました。低姿勢なのは国会の所信表明と同じで、話し振りも真面目な人柄を表しているようでした。でも、震災から原発、金融危機回避の協調から、南スーダン国連PKOへの協力、中東やアフリカへの援助や円借款と種々多様なことを網羅して終わってみると、はて、何が言いたかったのか中心テーマが思い起こせない。

これは何なんでしょうか? 問題全般に配慮が行き届き、そつなくすべてに触れておく。どこからも文句の出ようのない及第点の演説テキスト。でも逆に、これだとすべての論点が相対化してしまって、主張も個性も埋没してしまう。なんだか「これもやりました、あれにも触れておきました」みたいな、学生の宿題発表みたいな印象だったのです。

総会演説は特にパレスチナの国家承認を訴えるアッバス議長、それに反対するイスラエルのネタニヤフ首相というアクの強い演説に挟まれて、さらには直後のブータンの仏教的幸福論にも高尚さと穏健さで負けて、これではニュースにしたのが日本からの随行記者たちだけというのも宜なるかな。まるでわざと、あまりニュースにならないように、目立たないように、と仕組んだみたいな演説構成だったのですから。

それを疑ったのが原発問題です。先に訪米した前原さんともども野田さんは「原子力発電の安全性を世界最高水準に高める」として、それを免罪符のように外国への原子力技術の協力や原発輸出を継続する考えもさりげなく表明したのです。でもこれって、欧米メディアで取り上げられていたら批判もかなり予想される発言じゃないですか?

考えても見てください。チェルノブイリ直後のゴルバチョフがそんなことを言っていたら世界はどう反応していたでしょう? 日本国内でだって、立派なはずのどっかの一流料亭が食中毒を起こして、それでも「これを教訓に安全面での最高水準を目指し、ご期待に沿うべく明日からすぐに弁当を売ります」などと言えますか?

だいたい日本の原発ってこれまでだって「世界最高水準の安全性」だったはず。にも関わらずこんな重篤な事故になり、だからこそ原発は危ないという話なのです。野田さんは「現在の放射性物質の放出量はいま事故直後の400万分の1」とさも自慢気でしたが、これだって事故後の放出が1週間で77万テラベクレル(テラは1兆)と天文学的ひどさなのに、それがたかだか400万分の1に減ったからと言って何の意味があるのか。おまけに累積残存放射性物質の問題はまるで片付いていないのですよ。

するってえと、野田演説は、誠実なのは話し振りだけで、肝心なところで実はチラチラとごまかしが仕込まれていたってことになります。しかも問題を指摘されそうな部分はみんな「演説全部をきちんと読んでもらえれば、それだけじゃないことも書いてある」「あくまで安全が徹底された上での話だ」という逃げができるように仕掛けられていました。こんな巧妙な、言質を取られないようにどうとでも読めるような、つまりはとても官僚的な演説を、いったい誰が考えたんでしょうね。

そうしたらこないだの毎日新聞、「野田佳彦首相が就任直後、政権運営について (1) 余計なことは言わない、やらない (2) 派手なことをしない (3) 突出しない、の「三原則」を側近議員らに指示していたことが分かった」と報じていました。これ、まさにそのままこんかいの国連演説にも言えることです。ということは、官僚的ながら、ひょっとすると自分で書いたのかもしれませんね。いやそれにしてもよくでき過ぎています。政権運営についても、だれか知恵のある官僚のアドバイスでもあったんじゃないかと勘ぐりたくもなります。

つまりはこの政権は既定路線からはみだそうとしない、波風立てずに長続きするように、という、ときどき爆発したり突出したりして官僚たちが右往左往した菅さんのときとはまた別の形の、官僚主導政治ってことでしょうか。民主党の拠って立つ政治主導はいったいどこに消えたんでしょうね。そりゃ難しいだろうけどさ。

オバマさんが「I can do business with him」と言ったそうですが、これを「彼とは仕事ができる」と日本語に訳してもちょっと意味が曖昧です。「仕事」っていろいろありますけど、ビジネスというのは、取引、商売のことです。ジョブやワーク(何かを為すため、作り上げるために動くこと)ではない。それもアメリカの企図している事業のための取り引きであって日本の都合は関係ありません。そんなビジネス、取引、契約の相手としてノダはふさわしいというニュアンスが窺えるのです。

選挙を控えて国の内外で問題山積の大統領は、安全牌のはずの日本にまで煩わされたくはない(鳩山さんのときには安全牌だったはずの日本にずいぶんと振り回されましたからね)。野田さんはまさに「米国の仕事上、もう煩う心配のない相手だ」という意味なのでしょう。そういや普天間やTPPでも米国の意向に沿って「宿題を1つひとつ解決していく」と表明していましたっけ。やれやれ。


【追記】というようなことをざっと先日のTBSラジオのdigなんかで話したのですが、途中、国連総会での野田演説がどうしてあの順番になったのか、パレスチナとイスラエルに挟まれてそこでも埋没しちまったみたいで、あれも仕組んだのかなんて勘ぐっちゃいましたが、いやそんなことはありませんでした。国連代表部に電話して訊いたら、そうそう、順番の決め方、思い出しました。あれは王様や大統領なんかの国家元首が最初にずらっと演説をするのですね。それから次に首相クラス、次に外相クラス、となる。

で、アッバスさんはパレスチナの暫定自治政府の大統領ながら、まだ国家として承認されていないので、最初の元首カテゴリーの最後に位置することになった。

次に首相クラスが来ます。ところでその前に、各国から国連事務局に、自国の代表が演説したい時間枠(何日目の午前か午後、という選択)というのを3つ提出するそうです。帰国日程もありますからね。

で、日本は初日は大統領クラスで埋まるので最初からそこの枠は選択せずに、2日目の午前が第1希望、3日目の午前が第2希望、2日目の午後を第3希望として出していました。「午後」というのは、みんな演説が長くなるので深夜になっちゃったりして大変だから午前を優先させたということです。で、結果、3日目の午前、アッバス大統領の後の、首相クラスのトップとして登場した、というわけです。

というか、同じ枠にイスラエルも希望してたんですね。国連事務局はそこで考えた。「パレスチナとイスラエルは同じ問題を話すだろうが、近すぎても刺激的過ぎる。で、そこに同じ枠希望の日本とブータンとをバッファーとして挿入しようと。日本は律儀に真面目な演説をするし15分の持ち時間を大きく越えるような真似もしたことがない。さらにブータンは仏教的平和国家で、緩衝剤としてはうってつけではないか」とまあ、この注釈は私の推測ですが、まあそんなところじゃないかなあ。

おかげでアッバスさんのときには満員だった総会場は野田さんのところでトイレタイムになっちゃって4割くらいまで聴衆は減りました(国連の日本代表部は、国連デビューの野田さんに、この順番なので聴衆は退席するかもしれないけれど、はんぶんも入っているのはいい方なのです、とガッカリしないよう説明していたそうです)。CNNも野田演説の前にカメラをスタジオに切り替えてアッバス演説の分析と解説の時間に使いました。で、次に総会場が映ったのはイスラエルのネタニヤフさんの演説だった、というわけです。あの人、そんなに演説はうまくないんだが、相変わらずドスが利いてましたね。もっとも、パレスチナの国家承認国連加盟に強硬に反対するネタニヤフさんでしたが、最新の世論調査では、69%ものイスラエル国民が「イスラエル政府は国連による独立パレスチナ国家承認を受け入れるべきだ」としているのです。調査はまた、占領地区に住むパレスチナ人の83%がこの国家承認の努力を支持していることも明らかにしています。

潮目は変わってきているのです。

June 07, 2011

6月はLGBTプライド月間

オバマ大統領が6月をLGBTのプライド月間であると宣言しました。今月を、彼らが誇りを持って生きていけるアメリカにする月にしようという政治宣言です。その宣言を、この末尾で翻訳しておきます。LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなどの性的少数者たちのことを指す頭字語です。

私がジャーナリストとしてLGBT問題を日本で広く伝えようとしてからすでに21年が経ちました。その間、欧米ではLGBT(当初はLGだけでしたが)の人権問題で一進一退の攻防もありつつ結果としてじつにめざましい進歩がありました。日本でもさまざまな分野で改善が為されています。性的少数者に関する日本語での言説はかつてはほとんどが私が海外から紹介したもののコピペのようなものだったのが、いまウィキペディアを覗いてみるとじつに多様で詳細な新記述に溢れています。多くの関係者たちが数多くの言説を生み出しているのがわかります。

この大統領宣言も私がクリントン大統領時代に紹介しました。99年6月に行われたのが最初の宣言でした。以降、ブッシュ共和党政権は宗教保守派を支持基盤にしていたので宣言しませんでしたが、オバマ政権になった09年から再び復活しました。

6月をそう宣言するのはもちろん、今月が現代ゲイ人権運動の嚆矢と言われる「ストーンウォール・インの暴動」が起きた月だからです。69年6月28日未明、ウエストビレッジのゲイバー「ストーンウォール・イン」とその周辺で、警察の度重なる理不尽な摘発に爆発した客たちが3夜にわたって警官隊と衝突しました。その辺の詳細も、今では日本語のウィキペディアで読めます。興味のある方はググってみてください。69年とは日本では「黒猫のタンゴ」が鳴り響き東大では安田講堂が燃え、米国ではニクソンが大統領になりウッドストックが開かれ、アポロ11号が月に到着した年です。

このストーンウォールの蜂起を機に、それまで全米でわずか50ほどしかなかったゲイの人権団体が1年半で200に増えました。4年後には、大学や教会や市単位などで1100にもなりました。こうしてゲイたちに政治の季節が訪れたのです。

72年の米民主党大会では同性愛者の人権問題が初めて議論に上りました。米国史上最も尊敬されているジャーナリストの1人、故ウォルター・クロンカイトは、その夜の自分のニュース番組で「同性愛に関する政治綱領が今夜初めて真剣な議論になりました。これは今後来たるべきものの重要な先駆けになるかもしれません」と見抜いていました。

ただ、日本のジャーナリズムで、同性愛のことを平等と人権の問題だと認識している人は、40年近く経った今ですらそう多くはありません。政治家も同じでしょう。もっとも、今春の日本の統一地方選では、史上初めて、東京・中野区と豊島区の区議選でゲイであることをオープンにしている候補が当選しました。石坂わたるさんと、石川大我さんです。

オバマはゲイのカップルが養子を持つ権利、職場での差別禁止法、現行のゲイの従軍禁止政策の撤廃を含め、LGBTの人たちに全般の平等権をもたらす法案を支持すると約束しています。「それはアメリカの建国精神の課題であり、結果、すべてのアメリカ人が利益を受けることだからだ」と言っています。裏読みすればLGBTの人々は今もなお、それだけ法的な不平等を強いられているということです。同性婚の問題はいまも重大な政治課題の1つです。

LGBTの人たちはべつに闇の住人でも地下生活者でもありません。ある人は警官や消防士でありサラリーマンや教師や弁護士や医者だったりします。きちんと税金を払い、法律を守って生きています。なのに自分の伴侶を守る法律がない、差別されたときに自分を守る法律がない。

人権問題がすぐれて政治的な問題になるのは当然の帰着です。欧米の人権先進国では政治が動き出しています。先月末、モスクワの同性愛デモが警察に弾圧されたため、米国や欧州評議会が懸念を表明して圧力をかけたのもそれが背景です。

6月最終日曜、今年は26日ですが、恒例のLGBTプライドマーチが世界各地で一斉に執り行われます。ニューヨークでは五番街からクリストファーストリートへ右折して行きますが、昨年からかな、出発点はかつての52丁目ではなくてエンパイアステート近くの36丁目になっています。これは市の警察警備予算の削減のためです。なんせ数十万人の動員力があるので、配備する警備警官の時間外手当が大変なのです。

さて、メディアでは奇抜なファッションばかりが取り上げられがちですが、数多くの一般生活者たちも一緒に歩いています。マーチ(パレード)の政治的なメッセージはむしろそちら側にあります。もちろん、「個人的なことは政治的なこと」ですが、パレードを目にした人はぜひ、派手さに隠れがちな地味な営みもまた見逃さないようにしてください。

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LESBIAN, GAY, BISEXUAL, AND TRANSGENDER PRIDE MONTH, 2011
2011年レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・プライド月間
BY THE PRESIDENT OF THE UNITED STATES OF AMERICA
アメリカ合州国大統領による

A PROCLAMATION
宣言


The story of America's Lesbian, Gay, Bisexual, and Transgender (LGBT) community is the story of our fathers and sons, our mothers and daughters, and our friends and neighbors who continue the task of making our country a more perfect Union. It is a story about the struggle to realize the great American promise that all people can live with dignity and fairness under the law. Each June, we commemorate the courageous individuals who have fought to achieve this promise for LGBT Americans, and we rededicate ourselves to the pursuit of equal rights for all, regardless of sexual orientation or gender identity.

アメリカのLGBTコミュニティの物語は、私たちの国をより完全な結合体にしようと努力を続ける私たちの父親や息子、母親や娘、そして友人と隣人たちの物語です。それはすべての国民が法の下での尊厳と公正とともに生きられるという偉大なアメリカの約束を実現するための苦闘の物語なのです。毎年6月、私たちはLGBTのアメリカ国民のためにこの約束を達成しようと戦ってきた勇気ある個人たちを讃えるとともに、性的指向や性自認に関わりなくすべての人々に平等な権利を追求しようとの思いを新たにします。

Since taking office, my Administration has made significant progress towards achieving equality for LGBT Americans. Last December, I was proud to sign the repeal of the discriminatory "Don't Ask, Don't Tell" policy. With this repeal, gay and lesbian Americans will be able to serve openly in our Armed Forces for the first time in our Nation's history. Our national security will be strengthened and the heroic contributions these Americans make to our military, and have made throughout our history, will be fully recognized.

大統領に就任してから、私の政府はLGBTのアメリカ国民の平等を達成するために目覚ましい前進を成し遂げました。昨年12月、私は光栄にも差別的なあの「ドント・アスク、ドント・テル」【訳注:米軍において性的指向を自らオープンにしない限り軍務に就けるという政策】の撤廃に署名しました。この政策廃止で、ゲイとレズビアンのアメリカ国民は我が国史上初めて性的指向をオープンにして軍隊に勤めることができるようになります。我が国の安全保障は強化され、ゲイとレズビアンのアメリカ国民が我が軍に為す、そして我が国の歴史を通じてこれまでも為してきた英雄的な貢献が十全に認知されることになるのです。

My Administration has also taken steps to eliminate discrimination against LGBT Americans in Federal housing programs and to give LGBT Americans the right to visit their loved ones in the hospital. We have made clear through executive branch nondiscrimination policies that discrimination on the basis of gender identity in the Federal workplace will not be tolerated. I have continued to nominate and appoint highly qualified, openly LGBT individuals to executive branch and judicial positions. Because we recognize that LGBT rights are human rights, my Administration stands with advocates of equality around the world in leading the fight against pernicious laws targeting LGBT persons and malicious attempts to exclude LGBT organizations from full participation in the international system. We led a global campaign to ensure "sexual orientation" was included in the United Nations resolution on extrajudicial execution — the only United Nations resolution that specifically mentions LGBT people — to send the unequivocal message that no matter where it occurs, state-sanctioned killing of gays and lesbians is indefensible. No one should be harmed because of who they are or who they love, and my Administration has mobilized unprecedented public commitments from countries around the world to join in the fight against hate and homophobia.

私の政府はまた連邦住宅供給計画におけるLGBTのアメリカ国民への差別を撤廃すべく、また、愛する人を病院に見舞いに行ける権利を付与すべく手続きを進めています。さらに行政機関非差別政策を通じ、連邦政府の職場において性自認を基にした差別は今後許されないとする方針を明確にしました。私はこれからも行政や司法機関の職において高い技能を持った、LGBTであることをオープンにしている個人を指名・任命していきます。私たちはLGBTの権利は人権問題であると認識しています。したがって私の政府はLGBTの人々を標的にした生死に関わる法律や、またLGBT団体の国際組織への完全な参加を排除するような悪意ある試みに対する戦いを率いる中で、世界中の平等の擁護者に味方します。私たちは裁判を経ない処刑を非難する国連決議に、「性的指向」による処刑もしっかりと含めるための世界的キャンペーンを率先してきました。これは明確にLGBTの人々について触れた唯一の国連決議であり、このことで、国家ぐるみのゲイとレズビアンの殺害は、それがどこで起ころうとも、弁論の余地のないものであるという紛うことないメッセージを送ってきました。何人も自分が誰であるかによって、あるいは自分の愛する者が誰であるかによって危害を加えられることがあってはなりません。そうして私の政府は世界中の国々から憎悪とホモフォビア(同性愛嫌悪)に反対する戦列に加わるという先例のない公約を取り集めてきました。

At home, we are working to address and eliminate violence against LGBT individuals through our enforcement and implementation of the Matthew Shepard and James Byrd, Jr. Hate Crimes Prevention Act. We are also working to reduce the threat of bullying against young people, including LGBT youth. My Administration is actively engaged with educators and community leaders across America to reduce violence and discrimination in schools. To help dispel the myth that bullying is a harmless or inevitable part of growing up, the First Lady and I hosted the first White House Conference on Bullying Prevention in March. Many senior Administration officials have also joined me in reaching out to LGBT youth who have been bullied by recording "It Gets Better" video messages to assure them they are not alone.

国内では、私たちはマシュー・シェパード&ジェイムズ・バード・ジュニア憎悪犯罪予防法【訳注:前者は98年10月、ワイオミング州ララミーでゲイであることを理由に柵に磔の形で殺された学生の名、後者は97年6月、テキサス州で黒人であることを理由にトラックに縛り付けられ引きずり回されて殺された男性の名。同法は09年10月に署名成立】の施行と執行を通してLGBTの個々人に対する暴力に取り組み、それをなくそうとする作業を続けています。私たちはまたLGBTを含む若者へのいじめの脅威を減らすことにも努力しています。私の政府はアメリカ中の教育者やコミュニティの指導者たちと活発に協力し合い、学校での暴力や差別を減らそうとしています。いじめは成長過程で避けられないもので無害だという神話を打ち払うために、私は妻とともにこの3月、初めていじめ防止のホワイトハウス会議を主催しました。いじめられたLGBTの若者たちに手を差し伸べようと多くの政府高官も私に協力してくれ、「It Gets Better」ビデオを録画してきみたちは1人ではないというメッセージを届けようとしています【訳注:一般人から各界の著名人までがいじめに遭っている若者たちに「状況は必ずよくなる」という激励と共感のメッセージを動画投稿で伝えるプロジェクト www.itgetsbetter.org】。

This month also marks the 30th anniversary of the emergence of the HIV/AIDS epidemic, which has had a profound impact on the LGBT community. Though we have made strides in combating this devastating disease, more work remains to be done, and I am committed to expanding access to HIV/AIDS prevention and care. Last year, I announced the first comprehensive National HIV/AIDS Strategy for the United States. This strategy focuses on combinations of evidence-based approaches to decrease new HIV infections in high risk communities, improve care for people living with HIV/AIDS, and reduce health disparities. My Administration also increased domestic HIV/AIDS funding to support the Ryan White HIV/AIDS Program and HIV prevention, and to invest in HIV/AIDS-related research. However, government cannot take on this disease alone. This landmark anniversary is an opportunity for the LGBT community and allies to recommit to raising awareness about HIV/AIDS and continuing the fight against this deadly pandemic.

今月はまた、LGBTコミュニティに深大な衝撃を与えたHIV/AIDS禍の出現からちょうど30年を数えます。この破壊的な病気との戦いでも私たちは前進してきましたが、まだまだやるべきことは残っています。私はHIV/AIDSの予防と治療介護の間口をさらに広げることを約束します。昨年、私は合州国のための初めての包括的国家HIV/AIDS戦略を発表しました。この戦略は感染危険の高いコミュニティーでの新たな感染を減らし、HIV/AIDSとともに生きる人々への治療介護を改善し、医療格差を減じるための科学的根拠に基づくアプローチをどう組み合わせるかに焦点を絞っています。私の政府はまた、ライアン・ホワイトHIV/AIDSプログラムやHIV感染予防を支援し、HIV/AIDS関連リサーチ事業に投資するための国内でのHIV/AIDS財源を増やしました。しかし、政府だけでこの病気に挑むことはできません。30周年というこの歴史的な年は、LGBTコミュニティとその提携者たちがHIV/AIDS啓発に取り組み、この致命的な流行病との戦いを継続するための再びの好機なのです。

Every generation of Americans has brought our Nation closer to fulfilling its promise of equality. While progress has taken time, our achievements in advancing the rights of LGBT Americans remind us that history is on our side, and that the American people will never stop striving toward liberty and justice for all.

アメリカ国民のすべての世代が私たちの国を平等の約束の実現により近づかせようとしてきました。その進捗には時間を要していますが、LGBTのアメリカ国民の権利向上の中で私たちが成し遂げてきたことは、歴史が私たちに味方しているのだということを、そしてアメリカ国民は万人のための自由と正義とに向かってぜったいに歩みを止めないのだということを思い出させてくれます。

NOW, THEREFORE, I, BARACK OBAMA, President of the United States of America, by virtue of the authority vested in me by the Constitution and the laws of the United States, do hereby proclaim June 2011 as Lesbian, Gay, Bisexual, and Transgender Pride Month. I call upon the people of the United States to eliminate prejudice everywhere it exists, and to celebrate the great diversity of the American people.

したがっていま、私、バラク・オバマ、アメリカ合州国大統領は、合州国憲法と諸法によって私に与えられたその権限に基づき、ここに2011年6月をレズビアンとゲイとバイセクシュアル、トランスジェンダーのプライド月間と宣言します。私は合州国国民に、存在するすべての場所での偏見を排除し、アメリカ国民の偉大なる多様性を祝福するよう求めます。

IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand this thirty-first day of May, in the year of our Lord two thousand eleven, and of the Independence of the United States of America the two hundred and thirty-fifth.

以上を証するため、キリスト暦2011年かつアメリカ合州国独立235年の5月31日、私はこの文書に署名します。

BARACK OBAMA
バラク・オバマ

May 03, 2011

ビン・ラーデンの「死」

タイムズ・スクエアもグラウンド・ゼロもホワイトハウス前も数百人、数千人の人たちの歓声と「USA! USA!」の連呼で埋まりました。2日朝のトーク番組も「ジョイアス・デイ(歓喜の日)が明けました」と始める司会者がいました。CNNも「アメリカ人が最も望んでいたことが起きた」と言うし、NYポストは例によって「GOT HIM!」です。ひどかったのはフォックス・ニュースが(ドサクサに紛れて?)オサマじゃなくて「オバマ・ビン・ラーデン殺害」とやって相変わらずだったこと。まあ、イラクの位置をエジプトと間違えたり、日本の核施設にShibuya Eggmanを含めたりという放送局ですからね。

ところでこの狂喜のさまには見覚えがあります。湾岸戦争の時もイラク侵攻の時も、同じ種類の歓呼が起きました。アメリカ中が星条旗で溢れ、当時の両ブッシュ大統領の支持率も80%とかに跳ね上がりました。その他の声は掻き消されるか、あるいはもともと存在さえしないかのように思えました。

日本でもこんな狂騒ばかりが報道されているせいでしょう。「人を殺しておいてこんなに喜ぶなんてアメリカ人って信じられない」という反応が数多く見られます。

ただ、そういう人は日本にも、おそらくきっと同じくらいいる。日本にもこういうときに熱狂して国旗を振り回す人は少なくないはずです。そうして、こういうときはそういう人たちの国名の連呼の方が大きく聞こえるし、メディアもそういう人たちの声の方が伝えやすい。いまアメリカから見えているのはそういう部分です。

こういうときに「まだ容疑者だったのだから殺害せずに取り調べるべきだった」とか「アメリカって野蛮だ」とかと言うと、それこそ空気が読めないヤツということになりましょう。だからそういう内省的な声はいま、鳴りを潜めている。いつもこうでした。でも、アメリカにはそういう声が聞こえはじめる時が必ず来る。この国はそんな2つがせめぎあう国なのです。だいたいイラク戦争にだっていまでは50%以上が反対しているのです。そういう声はメディアでは大きく取り上げられませんが。

印象的な写真があります。NYタイムズが2日未明にツイッターで紹介していたものです。グラウンド・ゼロに集まって熱狂する人ごみから1人離れて、消防士なんでしょうか、FDNYと書いてあるTシャツを着た男性が金網にしがみついて泣いている写真でした。

9.11の後、遺族や343人もの同僚を失ったFDNYの消防士たちを取材して、仇討ちの成就に対するある種の歓喜はわからなくもないのです。しかしそれをわかった上で、空気を読めないからではなく読んでいるからこそ、仇討ちでは解決しないものがあると言わなくてはならない。個人の死は等しく悲しいと言わねばなりません。

そう思うんだ、と言ったら、アメリカ人の友人から次のような引用がメールで送られてきました。

"no problem can be solved with the same kind of thinking that created it"
-albert einstein

「いかなる問題も、それを生み出したと同じ種類の思考によっては解決に至らない」
 ──アルバート・アインシュタイン

ところで、ジョージ・W・ブッシュが9.11直後の10年前に言ってたことですが、「ビン・ラーデンというのはネットワークの代表者の名前だ」という事実は、ブッシュにしてはよいところをついたものでした。ビン・ラーデンは死にません。なぜならそれは概念の名前であり、個人の殺害とは無関係なのです。そう、だからこそCIAは殺害後すぐに彼を海の中に葬った(と発表した)のです。イスラム教もキリスト教も同じなのですが、とにかく聖遺物があるとそこが聖地になる。彼を殉教者として祀らせない、聖地を作らせない、それが水葬の意味でした。まあそれも、同じ種類の思考方法の中の、手当に過ぎませんが。

殺害の成功を報告する1日深夜の10分ほどのオバマの大統領会見は、9.11の回顧からこの10年をなぞって「私たちは1つのアメリカの家族として団結した」と総括しました。全体を貫く「アメリカ的なものを守った」というトーンは、もちろん来年の大統領選挙を見つめたものでもありました。

オバマの支持率はこれで少し回復するでしょう。とりわけ、7月に予定していたアフガン撤退が、ビン・ラーデンの殺害という一区切りを得ながら着手できるということは大きい。さらに、これで巨大な財政赤字の元凶である軍事費の削減にも手をつけられます。おまけに今年の9.11の10周年には、オバマはヒーローとして登場することになるはずですから。なにかと批判の多いリビア攻撃にも、これで「任せておけ」という雰囲気ができるかもしれません。なにより、ビン・ラーデン殺害を喜んでいるのは、かつてオバマを支持し、しかしいっこうに好転しない就職事情や政治状況に悲観的になってオバマ離れをしていた若者たちにも多いのですから、彼らのオバマ回帰が始まるかもしれないのです。

オバマもまた、彼を取り巻く人々によって作り上げられた大統領です。つまり、ビン・ラーデンの殺害をも選挙に利用するネットワークの代表者の名前でもあるのです。

September 28, 2010

まずは検察が変だ

尖閣諸島沖の中国漁船船長の逮捕・勾留は、「国内法に基づき粛々と対応する」という菅政権の方針に反して、那覇地検が国益や外交上の配慮を理由に処分保留での釈放という措置をとりました。これには呆気にとられました。

菅政権の対応のちぐはぐさも問題ですが、それ以前に変だったのは那覇地検次席の記者会見でした。職務外である外交上の配慮を被疑者釈放の理由にし、その権限逸脱を検察自らが記者会見で明かしたのです。なぜ記者会見で釈放の理由を「我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮」したと述べる必要があったのか?

ここはむしろ、中国からの圧力とは関係なく、純粋に検察の職務である「捜査の結果」として処分保留の釈放を判断したと言い張っても何の不都合もなかった。それが茶番であることも重々承知の上で、そう言い切ることこそがこれまでの官僚たちの対応でした。

それが今回は違った。そもそも逮捕から勾留に進んでも外交問題には発展しないと外務省が読み違えたのがバカな話なのですが、いずれにしてもその結果、日本ではいまそんな官僚側の不手際を問題とするより「中国になめられた」「国辱だ」という対中国への怒りと不満が充満しています。

しかしあの那覇地検の会見を聞いて以来、いったい菅政権と検察のあいだに何があったのか、それが気になってしょうがない。中国になめられる云々前にそもそも検察が政府をなめてかかったんじゃないか、というのが1つの見方です。

船長釈放に当たって検察が政府から圧力を受けたことは確かです。検察が独自に勾留途中の被疑者を釈放するということはあり得ません。ところが検察としては、村木裁判での無罪、さらには証拠フロッピーの日付改ざん問題と、どんどん風当たりが強くなる現在、そこに勾留延長期間での船長釈放とでもなれば意味が通じない。ここはなんとしても自分たちの苦渋の判断を説明しなければならない。それでなければ対中国の日本の弱腰対応という批判が検察に集中してしまうことは目に見えています。そこでその「弱腰」の責任の所在を、「これは検察の判断ではなく政府の判断だ」と言い逃れをした、というのが今回の内情ではないか、という見方です。それこそ、そう発表することで日本の国益や外交上のメンツを著しく損なうことなどお構いなしに。

そうだとすると今回、検察は自己保全のためには国益をも犠牲にするのを厭わなかったということです。官僚制度vs民主党などという高尚な対決構図や意趣返しでも何でもない。これは後先かまわぬ自己防衛です。日本の官僚制はそこまで児戯に等しく幼児退行したということです。会見であんなことを言わなければ、船長釈放措置はこれほど「政治的」にはならなかったのですから。

しかしいま1つは、それを承知の上で菅政権が検察に罪を着せたという見方。面倒臭い外交上の言い訳も何も、ぜんぶ検察に言わせてしまえ、という政権の指図があったのか? まあねえ、そんなに今の内閣と検察が通じているとは思えないのですがね。

じつは中国政府の一連の抗議の中で「中国は強い報復措置をとる。その結果はすべて日本側が負うことになる」という警告が何度か発せられました。これはもちろん中国国内向けのアナウンスでもあるのですが、この文体、聞き覚えがあるでしょう? そう、あの北朝鮮とまったく同じものなんですね。ああ、中国ってこういう国だったんだ、と改めて思ったのは私だけではないでしょう。世界中の民主国のすべてがきっとそう感じたはずです。

そのとき、なめられようが国辱だろうが、そういう下品な恫喝のコメントを発する必要のない日本を私は誇らしく思いました。中国や北朝鮮とは違う、成熟した文化国家だと思った。むしろそれが外交上の重要な武器だとも思いました。実際、あの発言で、そして例のレアアースの禁輸措置で、世界各国の中国評価は一気に下がりました。というか熱が冷めて冷静になったと言いましょうか。事実、それらを背景にアメリカもまた中国への間接的なメッセージを発したのです。クリントン国務長官が尖閣諸島は日米安全保障の範囲内と発言したのは、その1つです。もっとも、実際に武力衝突が起きた場合に米軍が出るかというのはぜんぜん別問題ですが。

これは中国の敵失なのです。日本はこういうときにしっかりとそれを逆手に取って外交上の切り返しに使わねばならない。武力を行使しない日本は、そういう論理でしか対抗できないのですから。それが成熟した民主主義国の対応というものなのです。

しかしあの那覇地検の会見やその後の政府の答弁を聞いていて、ともするとこれは成熟などではなく、日本という国家システムの、単に未熟な幼児的思考放棄の姿だったのではなかったかとの思いもぬぐい去れない。今後、問題の漁船衝突のビデオは公開されるのでしょうか? 諸外国にどういうレアメタル貿易の需給構造の再構築を働きかけるのでしょうか? そういう経済的な安全保障をどう作って行くのでしょう? そのイニシアティヴを取ろうという意志も兆しも、菅政権に、はたして見えていますか?

中国の強硬姿勢は国内向けですからいずれ軟化するでしょうが、中国をやわらかく包囲する新たな外交システムを展開しなければならないときに、ともすると今回の那覇地検の会見に垣間見られたような日本国内での行政システムの崩壊が起きているのかもしれません。それは慄然とする話です。

August 04, 2010

クローゼットな言語

「イマーゴ」という、今はなき雑誌に依頼されて書いた原稿を、昨日のエントリーに関連してここにそのまま再掲します。書いたのは2001年3月って文書ファイル記録にあるんですけど、当のイマーゴは96年に休刊になってるんで、きっと1995年11月号の「ゲイ・リベレイション」特集でしょうね。へえ、私、15年前にこんなこと考えてたんだ。時期、間違ってたら後ほど訂正します。

では、ご笑読ください。

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クローゼットな言語----日本語とストレートの解放のために


 「地球の歩き方」という、若い旅行者の自由なガイドブックを気取った本の「ニューヨーク」グリニッチ・ヴィレッジの項目最初に、「(ヴィレッジは)ゲイの存在がクローズ・アップされる昨今、クリストファー通りを中心にゲイの居住区として有名になってしまった。このあたり、夕方になるとゲイのカップルがどこからともなく集まり、ちょっと異様な雰囲気となる」と書かれている。「ブルータス」という雑誌のニューヨーク案内版では「スプラッシュ」というチェルシーのバーについて「目張りを入れた眼でその夜の相手を物色する客が立錐の余地なく詰まった店で、彼ら(バーテンダーたち=筆者註)の異様なまでの明るい目つきが、明るすぎてナンでした」とある。マックの最終案内という文言に惹かれて買ったことし初めの「mono」マガジンと称する雑誌の「TREND EYES」ページに、渋谷パルコでの写真展の紹介があったが、ここには「〝らお〟といっても(中略)〝裸男〟と表記する。つまり男のヌード。(中略)男の裸など見たくもないと思う向きもいるだろうが」とある。

 この種の言説はいたるところに存在する。無知、揶揄、茶化し、笑い、冷やかし、文章表現のちょっとした遊び。問題はしかし、これらの文章の筆者たち(いずれも無記名だからフリーランス・ライターの下請け仕事か、編集部員の掛け持ち記事なのだろう)の技術の拙さや若さゆえの考え足らずにあるのではない。

 集英社から九三年に出された国語辞典の末尾付録に、早稲田大学の中村明が「日本語の表現」と題する簡潔にまとまった日本語概論を載せている。その中に、日本では口数の多いことは慎みのないことで、寡黙の言語習慣が育った、とある。「その背景には、ことばのむなしさ、口にした瞬間に真情が漏れてしまう、ことばは本来通じないもの、そういった言語に対する不信感が存在したかもしれない」「本格的な長編小説よりは(中略)身辺雑記風の短編が好まれ、俳句が国民の文学となったのも、そのことと無関係ではない」として、「全部言い尽くすことは避けようとする」日本語の特性を、尾崎一雄や永井龍男、井伏や谷崎や芥川まで例を引きながら活写している。

 中村の示唆するように、これは日本語の美質である。しかし問題は、この美しさが他者を排除する美しさであるということである。徹底した省略と含意とが行き着くところは、「おい、あれ」といわれて即座にお茶を、あるいは風呂の、燗酒の、夕食の支度を始める老妻とその夫との言葉のように、他人の入り込めない言語であるということだ。それは心地よく面倒もなく、他人がとやかく言える筋合いのものではない関係のうちの言語。わたしたちをそれを非難できない。ほっといてくれ、と言われれば、はい、わかりましたとしか言えない。

 この「仲間うちの言語」が老夫婦の会話にとどまっていないところが、さらに言えば日本語の〝特質〟なのである。いや、断定は避けよう。どの言語にも仲間うちの符丁なるものは存在し、内向するベクトルは人間の心象そのものの一要素なのだから、多かれ少なかれこの種の傾向はどの社会でも見られることだろう。しかし冒頭の三例の文言が、筆者の幻想する「わたしたち」を土台に書かれたことは、自覚的かそうではないかは無関係に確かなことのように思われる。「ゲイの居住区として有名になってしまった」と記すときの「それは残念なことだが」というコノテイションが示すものは、「わたしたち」の中に、すなわちこの「地球の歩き方」の読者の中に「ゲイは存在しない」ということである(わたしのアパートにこの本を置いていったのは日本からのゲイの観光客だったのだが)。「異様なまでの明るい目つきが、明るすぎてナンでした」というときの「変だというか、こんなんでよいのだろうかというか、予想外というか、つまり、ナンなんでしょうか?」という表現の節約にあるものは、「あなたもわかるよね」という読者への寄り掛かりであり、あらかじめの〝共感〟への盲信である。「男の裸など見たくもないと思う向きもいるだろうが」という、いわずもがなのわざわざの〝お断り〟は、はて、何だろう? 取材した筆者もあなたと同じく男の裸なんか見たくもないと思ってるんだが、そこはそれ、仕事だから、ということなのだろうか? それとも三例ともにもっとうがった見方をすれば、この三人の筆者とも、みんなほんとうはクローゼットのゲイやレズビアンで、わざとこういうことを書き記して自らの〝潔白〟を含意したかったのだろうか……。

 前述したように、内向する言語の〝美質〟がここではみごとに他者への排除に作用している。それは心地よく面倒くさくもなく多く笑いをすら誘いもするが、しかしここでは他人がとやかく言える類のものに次元を移している。彼らは家庭内にいるわけでも老夫婦であるわけでもない。治外法権は外れ、そしてそのときに共通することは、この三例とも、なんらかの問い掛けが(予想外に)なされたときに答える言葉を有していないということである。問い掛けはどんなものでもよい。「どうしてそれじゃだめなの?」でもよいし、「ナンでしたって、ナンなの?」でもよいし、「何が言いたいわけ?」でもよろしい。彼らは答えを持っていない。すなわち、この場合に言葉はコミュニケイトの道具ではなく、失語を際だたせる不在証明でしかなくなる。そして思考そのものも停止するのだ。


 ここに、おそらく日本でのレズビアン&ゲイ・リベレイションの困難が潜在する。

 ことはしかしゲイネスに限らない。日本の政治家の失言癖がどうして何度も何度も繰り返されるのか、それは他者を排除する内輪の言葉を内輪以外のところで発言することそのものが、日本語環境として許されている、あるいは奨励されすらしているからである(あるときはただただ内輪の笑いを誘うためだけに)。「考え足らず」だから「言って」しまうのではない。まず内輪の言語を「言う」ことがアプリオリに許されているのである。「考え」はその「許可」を制御するかしないかの次の段階での、その個人の品性の問題として語られるべきだ。冒頭の段落で三例の筆者たちを「技術の拙さや若さゆえの考え足らず」で責めなかったのはその由である(だからといって彼らが赦免されるわけでもないが)。どうして「いじめ」が社会問題になるほどに陰湿なのか、それは「言葉」という日向に子供たちの(あるいは大人たちの)情動を晒さないからだ。「言葉じゃないよ」という一言がいまでも大手を振ってのさばり、思考を停止させるという怠慢に〝美質〟という名の免罪符を与えているからだ。だいたい、「言葉じゃないよ」と言う連中に言葉について考えたことのある輩がいたためしはない。

 すべてはこの厄介な日本語という言語環境に起因する。この厄介さの何が困るかといって、まず第一は多くの学者たちが勉強をしないということである。かつて六、七年ほど以前、サイデンス・テッカーだったかドナルド・キーンだったかが日本文学研究の成果でなにかの賞を受けたとき、ある日本文学の長老が「外国人による日本文学研究は、いかによくできたものでもいつもなにか学生が一生懸命よくやりましたというような印象を与える」というようなことをあるコラムで書いた。これもいわば内輪話に属するものをなんの検証(考え)もなく漏らしてしまったという類のものだが、このうっかりの吐露は一面の真実を有している。『スイミングプール・ライブラリー』(アラン・ホリングハースト著、早川書房)の翻訳と、現在訳出を終えたポール・モネットの自伝『Becoming a Man(ビカミング・ア・マン--男になるということ)』(時空出版刊行予定)の夥しい訳註を行う作業を経てわたしが感じたことは、まさにこの文壇長老の意味不明の優越感と表面的にはまったく同じものであった。すなわち、「日本人による外国文学研究は、いかによくできたものであっても、肝心のことがわかっていない小賢しい中学生のリポートのような印象を与える」というものだったのである。フィクション/ノンフィクションの違いはあれ、前二者にはいずれも歴史上実在するさまざまな欧米の作家・詩人・音楽家などが登場する。訳註を作るに当たって日本のさまざまな百科事典・文学事典を参照したのだが、これがさっぱり役に立たなかった。歴史のある側面がそっくり欠落しているのだ。

 芸術家にとって、あるいはなんらかの創造者にとって、セクシュアリティというものがどの程度その創造の原動力になっているのかをわたしは知らない。数量化できればよいのだろうが、そういうものでもなさそうだから。だがときに明らかに性愛は創造の下支えにとして機能する。あるいは創造は、性愛の別の形の捌け口として存在する。

 たとえば英国の詩人バイロンは、現在ではバイセクシュアルだったことが明らかになっている。トリニティ・カレッジの十七才のときには同学年の聖歌隊員ジョン・エデルストンへの恋に落ちて「きっと彼を人類のだれよりも愛している」と書き、ケンブリッジを卒業後にはギリシャ旅行での夥しい同性愛体験を暗号で友人に書き記した手紙も残っている。この二十三才のときに出逢ったフランス人とギリシャ人の混血であるニコロ・ジローに関しては「かつて見た最も美しい存在」と記し、医者に括約筋の弛緩方法を訊いたり(!)もして自分の相続人にするほどだった。が、帰国の最中に彼の死を知るのだ。その後、『チャイルド・ハロルドの巡礼』にも当初一部が収められたいわゆる『テュルザ(Thyrza)の詩』で、バイロンは「テュルザ」という女性名に託した悲痛な哀歌の連作を行った。この女性がだれなのかは当時大きな話題になったが、バイロンの生前は謎のままだった。いまではこれがニコロのことであったことがわかっている。

 『草の葉』で知られる米国の国民詩人ウォルト・ホイットマンはその晩年、長年の友人だった英国の詩人で性科学者のジョン・アディントン・シモンズに自らの性的指向を尋ねられた際に、自分は六人も私生児を作り、南部に孫も一人生きているとムキになって同性愛を否定する書簡を送った。これがずっとこの大衆詩人を「ノーマルな人物だった」とする保守文壇の論拠となり、さらにホイットマンが一八四八年に訪ねたニューオリンズ回顧の詩句「かつてわたしの通り過ぎた大きな街、そこの唯一の思い出はしばしば逢った一人の女性、彼女はわたしを愛するがゆえにわたしを引き留めた」をもってしてこの〝異性愛〟ロマンスが一八五〇年代『草の葉』での文学的開花に繋がったとする論陣を張った。しかしこれも現在では、その詩句の草稿時の原文が「その街のことで思い出せるのはただ一つ、そこの、わたしとともにさまよったあの男、わたしへの愛のゆえに」であることがわかっている。『草の葉』では第三版所収の「カラマス」がホモセクシュアルとして有名だが、それを発表した後の一八六八年から八〇年までの時期、彼がトローリー・カーの車掌だったピーター・ドイルに送った数多くの手紙も残っており、そこには結びの句として「たくさん、たくさん、きみへ愛のキスを」などという言葉が記されている。

 これらはことし刊行された大部の労作『THE GAY AND LESBIAN Literary Heritage』(Henry Holt)などに記されている一部であるが、同書の百六十数人にも及ぶ執筆者の、パラノイドとも見紛うばかりの原典主義情報収集力とそれを論拠としているがゆえの冷静かつ客観的な論理建ては、研究というものが本来どういうものであるのかについて、日米間の圧倒的な膂力の差を見せつけられる思いがするほどだ。日本のどんな文学事典でもよい、日本で刊行されている日本人研究者による外国文学研究書でもよい、前者二人に限らず、彼ら作家の創造の原動力となったもやもやしたなにかが、すべてはわからなくとも、わかるような手掛かりだけでもよいから与えてくれるようなものは、ほとんどないと言ってよい。



 「日米間の圧倒的な膂力の差」と一般論のように書きながら、厄介な日本語環境の困難さとしてこれを一般化するのではなく象徴的な二つの問題に限るべきだとも思う。

 一つは「物言わぬ日本語」の特質にかぶさる/重なるように、なぜその「もやもやしたなにか」がまがりなりにも表記され得ないのかは、「性的なるもの」に関しての「寡黙の言語習慣」がふたたび関係してくることが挙げられる(「もやもやしたなにか」がすべて性的なもので説明がつくと言っているわけではない)。日本語において議論というものが成立しにくいことは「他者を排除する言語習慣」としてすでに述べたが、そんな数少ない議論の中でもさらに「性的な問題」は議論の対象にはなりにくい。「性的なこと」が議論の対象になりにくいのは「性的なこと」が二人の関係の中でのみの出来事だと思われているからである。すなわち、「おい、あれ」の二人だけの閨房物語、「あんたにとやかく言われる筋合いのものではない」という、もう一つの、より大きいクローゼットの中の心地よい次元。そうして多くみんな、日本では性的なことがらに関してストレートもゲイもその巨大なクローゼットの中にいっしょに取り込まれ続ける。

 性的なことがらはしたがって学問にはなりにくい。クローゼットの中では議論も学問も成立しない。すなわち、「性科学」なる学問分野は日本では困難の二乗である。九月に北京で行われた国連世界女性会議で「セクシュアル・ライツ」に絡んで「セクシュアル・オリエンテイション」なる言葉が議論にのぼったとき、日本のマスメディア(読売、毎日、フジTV。朝日ほかは確認できなかった)はこれを無知な記者同士で協定でも結んだかのようにそろって「性的志向」と誤記した。「意志」の力では変えられないその個人の性的な方向性として性科学者たちがせっかく「性的指向」という漢字を当ててきた努力を、彼ら現場の馬鹿記者と東京の阿呆デスクと無学な校閲記者どもが瞬時に台無しにしてしまったのである。情けないったらありゃしない。

 考えるべきもう一つはクローゼットであることとアウト(カミング・アウトした状態)であることの差違の問題だ。先ほど引用した『ゲイ&レスビアン・リテラリー・ヘリテッジ』の執筆陣百六十人以上は、ほとんどがいずれも錚々たるオープンリー・ゲイ/レズビアンの文学者たちである。押し入れから出てきた彼らの情報収集の意地と思索の真摯さについては前述した。彼/彼女らの研究の必死さは、彼/彼女らの人生だけではなく彼/彼女のいまだ見知らぬ兄弟姉妹の命をも(文字どおり)救うことに繋がっており、大学の年金をもらうことだけが生き甲斐の怠惰な日本の文学研究者とは根性からして違うという印象を持つ。一方で、クローゼットたちは何をしているかといえば、悲しいかな、いまも鬱々と性的妄想の中でジャック・オフを続けるばかりだ。日本の文学研究者の中にも多くホモセクシュアルはいるが、彼らは一部の若い世代のゲイの学者を除いてむしろ自らの著作からいっさいの〝ホモっぽさ〟を排除する努力を重ねている。

 ここで気づかねばならないのは、「ホモのいやらしさ」は「ホモ」だから「いやらしい」のではないということだ。一般に「ホモのいやらしさ」と言われているものの正体は「隠れてコソコソ妄想すること」の「いやらしさ」なのであって、それは「ホモ」であろうがなかろうが関係ない。性的犯罪者はだいたいがきまってこの「クローゼット」である。犯罪として性的ないやらしいことをするのは二丁目で働くおネエさんやおニイさんたちではなく、隠れてコソコソ妄想し続ける小学校の先生だったりエリート・サラリーマンだったり大蔵省の官僚だったりする連中のほうなのだ。かつてバブル最盛期の西新宿に、入会金五十万円の男性売春クラブが存在した。所属する売春夫の少年たちは多くモデル・エイジェンシーやタレント・プロダクションの男の子たちで、〝会員〟たちの秘密を口外しないという約束のカタに全裸の正面写真を撮られた。これが〝商品見本〟として使われているのは明らかだった。ポケベルで呼び出されて〝出張〟するのは西新宿のある一流ホテルと決まっていて、一回十万円という支払いの〝決済〟はそのクラブのダミーであるレストランの名前で行われた。クレジット・カードも受け付けた。請求書や領収書もそのレストラン名で送られた。送り先は個人である場合が多かった。が、中に一流商社の総務部が部として会員になっている場合もあったのである。〝接待〟用に。

 これがすべて性をクローゼットに押し込める日本のありようだ。話さないこと、言挙げしないこと、考えないこと、それらが束になって表向き「心地よい」社会を形作っている。ゲイたちばかりかストレートたちまでもがクローゼットで、だからおじさんたちが会社の女の子に声をかけるときにはいつも、寝室の会話をそのまま持ち込んだような、いったん下目遣いになってから上目遣いに変えて話を始めるような、クローゼット特有の、どうしてもセクシュアル・ハラスメントめいた卑しい言葉遣いになってしまう。あるいは逆転して、いっさいの性的な話題をベッド・トークに勘違いして眉間にしわを寄せ硬直するような。性的な言挙げをしないのが儒教の影響だと宣う輩もいるが、わたしにはそれは儒教とかなんだとかいうより、単なる怠慢だとしか思われない。あるいは怠慢へと流れがちな人類の文化傾向。むしろ思考もまた、安きに流れるという経済性の法則が言語の習慣と相まって力を増していると考えたほうがよいと思っている。


 そのような言語環境の中で、すなわち社会全体がクローゼットだという環境の中で、リベレイションという最も言葉を必要とする運動を行うことの撞着。日本のゲイたちのことを考えるときには、まずはそんな彼/彼女たちのあらかじめの疲弊と諦観とを前提にしなければならないのも事実なのだ。このあらかじめの諦めの強制こそが、「隠れホモ」と蔑称される彼らが、その蔑称に値するだけの卑しい存在であり続けさせられている理由である。

 「日本には日本のゲイ・リベレイションの形があるはずだ」という夢想は、はたして可能なのだろうか? 「日本」という「物言わぬこと」を旨とする概念と「リベレイション」という概念とが一つになった命題とは、名辞矛盾ではないのか?

 ジンバブエ大統領であるロバート・ムガベがことし七月、「国際本の祭典」の開催に当たってゲイ団体のブースを禁止し、自分の国ではホモセクシュアルたちの法的権利などないと演説した際、これを取り上げたマスメディアは日本では毎日新聞の外信面だけだった。毎日新聞はいまでもホモセクシュアルを「ホモ」という蔑称で表記することがあり、同性愛者の人権についてのなんらの統一した社内基準を有していない。あそこの体質というか、いつも記者任せで原稿が紙面化される。逆にこのジンバブエの特派員電のように(小さな記事だったが)、記者が重要だと判断して送稿すれば簡単に紙面化するという〝美質〟も生まれる。ところでそのジンバブエだが、ニューヨーク・タイムズが九月十日付けで特派員ドナルド・G・マクニールの長文のレポートを掲載している。首都ハラレでダイアナ・ロスのそっくりさんとして知られるショウ・パフォーマーのドラッグ・クィーンを紹介しながら、「イヌやブタよりも劣るソドミストと変態」と大統領に呼ばれた彼らの生活の変化を報告しているのだが、ハラレにゲイ人権団体が設立されていて女装ショウがエイズ患者/感染者への寄付集めに開催されていること、ムガベが「英国植民地時代に輸入された白人の悪徳」とするホモセクシュアリティにそれ以前から「ンゴチャニ」という母国語の単語があること、などを克明に記してとても好意的な扱いになっている。

 ニューヨーク・タイムズがほとんど毎日のようにゲイ・レズビアン関連の記事を掲載するようになったのは九二年一月、三十代の社主A・O・ザルツバーガー・ジュニアが発行人になってからのことだ。それ以前にも八六年にマックス・フランクルが編集局長になってから「ゲイ」という単語を正式に同新聞用語に採用するなどの改善が行われていたが、同時にゲイであることをオープンにしていた人望厚い編集者ジェフリー・シュマルツがエイズでもカミング・アウトしたことが社内世論を形成したと言ってもよい。

 アメリカが「物言うこと」を旨とする国だと言いたいのではない。いや逆に、「物言うこと」を旨としているアメリカの言論機関ですら、ホモセクシュアリティについて語りだしたのがつい最近なのだということに留意したいのである。ホモセクシュアリティはここアメリカでも長く内輪の冷やかしの話題であり、自分たちとは別の〝人種〟の淫らな「アレ」だった。日本と違うのはそれが内輪の会話を飛び越えて社会的にも口にされるときに、そのまま位相を移すのではなくて宗教と宗教的正義の次元にズレることだ。つまり〝大義名分〟なしにはやはりこのおしゃべりな国の人々もホモセクシュアリティについては話せなかったのである。

 わたしの言いたいのは、日本語にある含意とか省略とか沈黙といった〝美質〟を壊してしまえということではない。そのクローゼットの言語次元はまた、壊せるものでもぜったいにない。ならば新たに別の次元を、つまりは仲間うちではなく他者を視野に入れた言語環境を、クローゼットから出たおおやけの言語を多く発語してゆく以外にないのではないかということなのだ。そしてそれを行うに、性のこと以上に「卑しさ」と(つまりはクローゼットの言語と)「潔さ」との(つまりはアウトの言語との)歴然たる次元の差異を明かし得る(つまりは本論冒頭の三つの話者のような連中が、書いて発表したことを即座に羞恥してしまうような)恰好の話題はないと思うのである。ちょうど「セクハラ」が恥ずかしいことなのだと何度も言われ続けどんどん外堀を埋められて、おじさんたちが嫌々ながらもそれを認めざるを得なくなってきているように。そうすればどうなるか。典型例は今春、ゲイ市場への販売拡大を目指してニューヨークで開かれた「全米ゲイ&レズビアン企業・消費者エキスポ」で、出展した二百二十五社の半数がIBMやアメリカン航空、アメリカン・エクスプレス、メリル・リンチ、チェイス・マンハッタン銀行、ブリタニカ百科事典などの大手を含む一般企業だったことだ。不動産会社も保険会社もあった。西新宿の秘密クラブではなく、コソコソしないゲイを経済がまず認めざるを得なくなる。

 インターネットにはアメリカを中心にレズビアン・ゲイ関連のホーム・ページが数千も存在している。エッチなものはほんの一握り、いや一摘みにも満たないが、妄想肥大症のクローゼットの中からはムガベの妄想するように「変態」しかいないと誤解されている。ここにあるのはゲイの人権団体やエイズのサポート・グループ、大学のゲイ・コミュニティ、文学団体、悩み相談から出版社、ゲイのショッピング・モールまで様々だ。日本で初めてできたゲイ・ネットにも接続できる。「MICHAEL」という在日米国人の始めたこのネットには二千五百人のアクティヴ・メンバーがいて、日本の既存のゲイ雑誌とは違う、よりフレンドリーなメディアを求める会員たちが(実生活でカミング・アウトしているかは別にしても)新たなコミュニケイションを模索している。「dzunj」というネット名を持つ男性はわたしの問い掛けにeメイルで応えてくれた。彼は「実は僕がネットにアクセスする気になったのも、もっと積極的にいろいろなことを議論してみたいという理由からだった」が、「ネット上の会話」では「真面目な会話は敬遠されるようです。ゲイネットこそ絶好の場であるはずなのに……」とここでも思考を誘わないわたしたち日本人の会話傾向を嘆いている。しかし彼のような若くて真摯な同性愛者たちの言葉が時間をかけて紡ぎ出されつつあることはいまやだれにも否定できない。「Caffein」というIDの青年は日系のアメリカ人だろうか、北海道から九州までの日本人スタッフとともに二百九十ページという大部の、おそらく日本では初めての本格的なゲイ情報誌を月刊で刊行しようとしている。米誌『アドヴォケート』の記者が毎月コラムを書き、レックス・オークナーという有名なゲイ・ジャーナリストが国際ニュースを担当するという。



 「ホモフォビア」という言葉がある。「同性愛恐怖症」という名の神経症のことだ。高所恐怖症、閉所恐怖症、広場恐怖症と同じ構造の言葉。同性愛者を見ると胸糞が悪くなるほどの嫌悪を覚えるという。長く昔から同性愛者は治療の対象として病的な存在とされてきた。しかしいまこの言葉が示すものは、高所恐怖症の改善の対象が「高い場所」ではないように、広場恐怖症の解決方法が「広場」の壊滅ではないように、同性愛恐怖症の治療の対象が「同性愛者」ではなく、彼/彼女らを憎悪する人間たちのほうだということなのである。その意味で、日本の同性愛者たちをいわれのない軽蔑や嫌悪から解放することは、とりもなおさず薄暗く陰湿な日本のストレートたちを、まっとうな、正常で健全な状態にアウトしてやることなのだ。そうでなければ、日本はどんどん恥ずかしい国になってしまうと、里心がついたかべつに愛国者ではないはずなのに思ってしまっている。         (了)

June 16, 2010

ヘレン・トーマス

ユダヤ系アメリカ人の伝統継承月間だった5月末、ユダヤ系オンラインサイトの記者に「イスラエルに関してコメントを」と請われ、勢いで「とっととパレスチナから出て行け(get the hell out of Palestine)」と答えてしまったヘレン・トーマスさんが記者引退に追い込まれました。私もワシントン出張の際に何度か会ったことのある今年で御年90歳の名物ホワイトハウス記者でした。

米メディアでは、彼女が続けて「ポーランドやドイツに帰ればいい」と答えた部分がナチスのホロコーストを連想させて問題だった、なんて具合に分析していましたが、はたしてそうなんでしょうか。

米国ではイスラエル批判がほとんどタブーになっています。タブーになっていることさえ明言をはばかれるほどに。

今回も、賛否両論並列が原則のはずの米メディアがいっせいにヘレンさん非難一色に染まりました。しかしだれもイスラエル批判のタブーそのものには言及しない。ヘレンさんはレバノン移民の両親を持つ、つまりアラブの血を引くアメリカ人です。だからパレスチナ寄りなんだと言う人もいますが、ことはそんなに単純ではないでしょう。

たとえばヘレンさんのこの発言後の5月31日に、封鎖されているパレスチナ人居住区ガザへの救援物資運搬船団が公海上でイスラエル軍に急襲され、乗船の支援活動家9人が射殺されるという大事件が起きました。ところがこんなあからさまな非道にさえも、米メディアはおざなりな報道しかしなかったし、オバマ大統領までもがこの期に及んでまだイスラエル非難を控えています。それに比してこのヘレン・バッシングはなんたる大合唱なのでしょう。アメリカでもこんなメディアスクラムが無批判に起こるのは、ことがイスラエル問題だからに違いありません。

じつは06年にアメリカで出版され、大変な論争を巻き起こした(つまり多く批判が渦巻いた)ジミー・カーターの「パレスチナ」という著作を、「カーター、パレスチナを語る|アパルトヘイトではなく平和を」(晶文社刊)というタイトルで2年前に日本で翻訳・出版しました。批判の原因は、アメリカの元大統領ともあろうメインストリームの人がこの本で堂々とイスラエル批判を展開したからです。

でもこの本の内容は、イスラエルが国際法を無視してパレスチナ占領地で重大な人権侵害を続けていることの告発と同時に、いまや10年近くも進展のない和平交渉を再開・進展させるための具体的な提言なのです。前者の事例も拡大を続けるイスラエル入植地、入植者専用道路によるパレスチナ人の土地の分断、無数の検問所によるパレスチナ人の移動の制限、分離壁の建設による土地の没収など、すべてカーター自身がその目で見てきた、そして米国外では広く認められている事実ばかりなのです。

なのに米国内ではほとんど反射的にこの本へのバッシングが起きた。とくにイスラエル人入植地や分離壁の建設政策を悪名高いあの南アの「アパルトヘイト」と同じ名で呼んだことが親イスラエル派を刺激したのでしょう。私も当時、ユダヤ系の友人にこの本を翻訳していることを教えたところ、露骨に「なんでまた?」という顔をされたのを憶えています。

ヘレンさんが生きてきた時代はジャーナリズムでさえもが男性社会でした。女人禁制だったナショナル・プレス・クラブでの当時のソ連フルシチョフ首相の会見を、彼女ら数人の女性記者が開放させたのは1959年のことです。

そんな強気の自由人が米国に隠然と存在するイスラエルに関する言論規制には勝てなかった。公の場でのイスラエル批判がキャリアを棒に振るに至る“暴挙”なのだとすれば、彼女の引退の理由は彼女の「失言」ではなく、「発言」そのものが原因だったのでしょう。

January 19, 2010

再び、ハイチ地震と日本

距離的にも近いし移民の数も多いからでしょうが、アメリカのハイチ地震への対応の早さは官民ともに見事でした。あまりに素早くかつ大規模なので、アメリカはハイチを占領しようとしているという左派からの批判もあるようですが、まあ、そこは緊急避難的な措置ということでそう目くじら立てても、他にそういうことをやってくれるところはないわけですし、って思っています。確かに航空管制とかもアメリカが肩代わりしてるようですしね。で、軍事的な貢献はしないと決めている日本は、だからこそこういうときにいち早く文民支援に立ち上がってほしいところなのですが、しかし今回もまた、今に至ってもまったく反応が著しく鈍いという印象です。

折しも日本のメディアは阪神淡路大震災15周年の特集を組んでテレビも新聞も大々的にあの地震からの教訓を伝えようとしていました。ところが、いま現在進行中のハイチ地震の支援についてはほとんど触れなかったのです。いったいどういうことなのでしょう? まるで何も見えていないかのように、阪神阪神と言っているだけ。そりゃ事前取材でテープを編集して番組に仕立て上げるという作業があったのかもしれないが、すこしは直前に手直しくらいできたでしょうに。ハイチ地震発生は12日。それから阪神淡路の15周年まで5日間あったんですから。あるいは大震災の教訓とはお題目だけで、実際はなにも得ていないのだという、これは大いなる皮肉なのでしょうか。小沢4億円問題も大変ですが、検察リークの明らかな世論誘導や予断記事を少し削って、もうちょっとハイチの悲惨について紙面や時間を割けないものかと思ってしまいます。

西半球で最貧国のハイチにはビジネスチャンスもほとんどないからというわけではないでしょうが、日本企業の支援立ち上がりもまったく目立ちません。一方で米企業の支援をまとめているサイトを見ると大企業は軒並み社員の募金と同額を社として上乗せして寄付すると宣言したりで、不況をものともせず雪崩れを打ったように名を連ねています。まあ、企業として税金控除ができるという制度の後押しもあるせいでしょうが。

それらをちょっと、日本でも知られている企業の例だけでも適当に抜き書きしてみましょうか。

▼アメリカン・エクスプレス;25万ドルを米国赤十字社、国境なき医師団、国際救援委員会、世界食糧計画友の会に。その他、アメックス社員の募金と同額を上乗せして寄付など。
▼アメリカン航空グループ(AMR);サイトを通じてアメリカ赤十字に寄付した人にその金額分のボーナスマイルを付与。ポルトープランスへの救援物資の輸送。
▼AT&T;携帯電話のテキストメーッセージで10ドルの寄付が米赤十字社に簡単にできるように設定。
▼バンク・オブ・アメリカ;100万ドルを寄付。うち50万ドルは米赤十字社へ。
▼キャンベルスープ;20万ドル。
▼キヤノン・グループ;22万ドルを米赤十字社へ。
▼シスコ基金;250万ドルを米赤十字社へ。そのほか社員募金と同額の寄付(上限100万ドル)
▼シティグループ;救援隊、医療用品器具、援助物資、衛星電話。
▼コカコーラ;米赤十字社へ100万ドル。
▼クレディスイス;100万ドルを米およびスイス赤十字社へ。
▼DHL;災害対応チームを派遣して空港でのロジスティックスに当たらせる。
▼ダウ・ケミカル;50万ドルを米赤十字社ハイチ地震援助基金へ。社員募金相当分を上限計25万ドルで世界食糧計画などに寄付。
▼デュポン;10万ドルを米赤十字社ハイチ援助基金に。
▼フェデラルエクスプレス;42万5000ドルを米赤十字社、救世軍などに。救援物資78パレット分を災害地に。総計で100万ドル以上。
▼ゼネラル・エレクトリック(GE);250万ドル。
▼ジェネラル・ミルズ基金;25万ドル。
▼ゴールドマン・サックス;100万ドル。
▼グーグル;100万ドルをユニセフとCAREへ。
▼グラクソ・スミス&クライン;抗生物質などの主に経口医薬品と現金。地方インフラの回復を待ってさらに供給予定。
▼GM基金;10万ドルを米赤十字社へ。
▼ヒューレット・パッカード;50万ドルを米赤十字社国際対応基金へ。社員募金と同額を上限25万ドルでグローバル・インパクトへ。
▼ホームデポ基金;10万ドルを米赤十字社へ。
▼IBM;技術およびサービスで15万ドル相当分。
▼インテル;25万ドル。および社員募金同額分を該当NGOへ。
▼JPモルガン・チェース;100万ドル。
▼ケロッグ;25万ドル。
▼KPMG;50万ドル。
▼クラフト・フーズ;2万5000ドル。
▼メジャーリーグ・ベースボール(MBL);100万ドルをユニセフに。
▼マスターカード;会員のポイントをカナダ赤十字社への現金募金に替えて振り込めるようにした。
▼マクドナルド;50万ドルを国際赤十字社連盟に。傘下のアルゼンチン企業の社員募金も同額分上乗せで計50万ドル寄付の予定。
▼マイクロソフト;125万ドル。その他、社員募金12000ドルを上限に同額を寄付。現地で活動のNGO要員へのMS社対応チームの派遣。
▼モルガン・スタンリー;100万ドル。
▼モトローラ;10万ドル。その他、上限25000ドルで社員募金に同額上乗せで寄付。
▼北米ネスレ・ウォーターズ;100万ドル相当分の飲料水
▼ニューズ・コープ;25万ドルを米赤十字社と救世軍に。その他25万ドルを上限に社員募金に同額上乗せでNGOに。
▼ニューヨーク・ヤンキーズ;50万ドル。
▼パナソニック;10万9962ドル(1000万円)。
▼ペプシコ;100万ドル。
▼トヨタ;50万ドルを米赤十字社、セイヴ・ザ・チルドレン、国境なき医師団に。
▼トイザらス;15万ドルをセイヴ・ザ・チルドレンに。
▼ユニリーヴァー;50万ドルを国連食糧計画に。
▼ヴェライゾン基金;10万ドル。携帯テキストで米赤十字社に寄付できるように変えた。
▼VISA;20万ドルを米赤十字社へ。
▼ウォルマート;50万ドルを米赤十字社へ。10万ドル相当の食糧パッケージを赤十字社へ。
▼ウォルト・ディズニー社;10万ドルを米赤十字ハイチ地震救援基金に。

  ……等々。これらは日本でも知られている名前を適当にピックアップしたもので、リストはこの倍以上あります。なお、リストは米時間19日午前の時点のものです。

電話会社ヴェライゾンとAT&Tは携帯のテキストメッセージで10ドルを寄付できる方法を広め、米市民からの募金は17日までに(地震発生後5日間)で1600万ドル(15億円)を突破したそうです。上記リストにはありませんが、アップルはアイチューンズ・ストアで楽曲やソフトを買うように寄付ができるようにもしています。米大リーグやNYヤンキーズが募金に名を連ねたのは、ハイチからの野球選手が多くいるからでしょうね。

思えば9・11もインド洋大津波の時もそうでした。世界の大災害に当たって、欧米の大企業はそのホームページを続々とお見舞いのデザインに変えていました。でもそのときも、日本の企業のホームページは相も変わらず自社の宣伝だけ。こんなに世界が大わらわなときに、能天気というか、危機管理ができてないというか、現実問題と隔絶してるというか、最も安上がりで手間も時間もかからない企業の社会貢献マーケティングのチャンスをみすみす見逃しているのです。

とはいえ、上記リストにはトヨタとパナソニックも名を連ねていますね。素晴らしい。いま両社のホームページを見たら、ちょこっと、控えめではありますが義援金の拠出についてニュースとして報告してありました。「わが社は◎◎ドルを寄付しました」ってHPに書き加えたって、こういう場合、だれも売名だなんて思いません。企業ってのは稼いでなんぼです。稼いで、それで堂々と寄付もする。それも次の稼ぎにつなげてまた寄付をする。そう、こういうことならどんどん売名すべし、です。

日本の企業にまた呼びかけます。御社のホームページ(トップページ)にいますぐハイチへのお見舞いの言葉を書き込むことです。そうしてそこからクリックで日本赤十字社なりへの募金ページに飛べるようにすることです。それだけで企業の社会意識の高さが示せます。それがCRMの初歩というものでしょう。それをぜひとも企業としてマニュアル化してほしい。

何度も言っていますが、私たちは超能力者じゃないから、なんでも言葉にしなくては通じないのです。お見舞いの言葉もそう。たとえ日本語で書いてあっても、企業としてのそのお見舞いの表明は消費者としての日本国民のお見舞いの言葉と募金に姿を変えて世界に表明されるはずです。

今回も、民主党政府になってからさえも、日本はまたフロリダにいた自衛隊の輸送機を使えないものかと調整してそれで時間を食って出遅れたようです。べつに自衛隊を使う使わないはいいから、そうじゃなくて、とにかく文民の発想で援助にいち早く立ち上がる。それが憲法9条を掲げる日本の国際貢献の基本形だと思います。

January 14, 2010

地震で壊滅的なハイチ支援の緊急呼びかけ

アメリカのTVニュースではハイチの惨状がずっと報道されています。とんでもないことになっています。マグニチュードこそ7.0と阪神大震災(M7.3)より小さかったといえ、震源の浅さと脆弱な建物の倒壊のために被害の規模は何十倍にも及んでいます。死者はともすると十万人を超えるとか言っています。被災人口は300万人!

国連の仲裁で亡命大統領だったアリスティードが復帰した1994年に取材でニューヨークからハイチに入りました。ポルトープランスはとても貧しい首都で、首都でそうなのですから地方はもっと困窮した事態でした。建物はすべて2階建てか3階建てで、木造の他、セメントブロックをただ積み上げただけの家が並んでいました。支柱もないこれらの家屋が軒並み倒壊したのです。ツイッターにもフェイスブックにもハイチの人々の悲鳴が溢れています。

日本での報道がどうなっているのか、日本政府の対応がどうなのか、チェックしていません。
こういうとき、どうすべきか。

民主党でも、社民党でも、いや、自民党のだれか、ここが政治家の出番だ、売名行為といわれてもよい、すぐにテレビでもラジオでも日本国民に募金を呼びかけることです。500円でも100円でも1000円でも、政府のおカネの手配が遅れるなら、一般人がカネを出し合って送ってやることです。それをやってますか?

もう1つ、日本の企業各社のホームページ(トップページ)をいますぐハイチへのお見舞いの言葉で始まるデザインに書き換えることです。そうしてそこからクリックで国際赤十字なりへの募金ページに飛べるようにすることです。銀行は寄付金の振り込み料を無料にするようシステムを変えることです。

阪神・淡路大震災、9.11、インド洋大津波、世界中の大災害で欧米の各企業と各政府の反応の素早かったこと。日本の企業はぜんぜん駄目でした。とにかくお見舞いを表明すること、そこからいろいろな行動が始まります。政府がやるというのではなく、日本人がみんなでハイチを考えてください。それが日本という国なのだと表明してください。

いま、欧米の企業や政府がみんなそれに取りかかっています。企業もホームページを書き換えています。
これを読んだあなたの会社でも、そうしてください。

つい2日前のブログでハウツー本をけなしましたが、これこそ、ハウツーの重要さです。
思いは形にしなければ伝わらないのです。

December 14, 2009

年越しの果てに見えてくるもの

小沢幹事長の600人大訪中団や習近平中国副主席の天皇会見設定などを見ていると、普天間移設問題で結論を先送りにしている日本の民主党は、実は東アジア全体の安全保障の根本的再構築を狙っているのかと思ってしまいます。膨大な国債依存関係の米中接近を横目に、米中だけでは決めさせないぞとも言わんばかりの日中接近。

にもかかわらず日本での報道は相変わらずです。普天間先送りでは「米国が激怒」とまるで米政府の代弁者のような論調。小沢訪中団に関しても「民主党の顔はやはり小沢」と、些末な党内事情へと矮小化して報道する。

普天間問題で日本の新聞に登場する米国のコメンテイターたちはマイケル・グリーンやアーミテージなどだいたいが共和党系、あるいはネオコン系の人たちで、従来の「揺るぎない」日米関係、つまり「文句を言わない日本」との日米同盟を前提としてきた人たちです。メディアは彼らを「知日派」と紹介して鳩山政権の対応の遅れやブレを批判させているのですが、彼らの「知日」は自民党政府と太いパイプを持っていたという意味であって、「知日」というより自民党政権のやり方に精通しているという意味なのです。だから、民主党政権の(不慣れな)やり方に、やはり彼らも不慣れなために、「前のやり方はこうではなかった」という戸惑いや批判を口にしているにすぎない。その証拠に、自民党に同じ質問をしてごらんなさい。彼らと同じコメントが出てくるはずです。新聞は、そんな浅薄な、というかいちばん手近なやり方で論難しているのです。

米国のルース駐日大使に関してもそうです。岡田会談から始まる政権との会談で対応の遅れに不満表明と報じられていますが、大使というのも指名ポストながらも役人なのです。米政府の役人が米政府の従来路線の踏襲とその事務的な執行を目指すのは当然であって、これまでに決まった米国の立場を説明する以外の権限がないのだから「困った」と言うに決まっています。それ以外、何を言えるのでしょう? まさか、「わかった、私が政策転換をオバマに進言しよう」と言いますか? それが「ルース大使、声を荒げる」とか、見てきたような作文まで“報道”する新聞もありました。

米国のメディアは米国の国益を基に主張しますが、日本のメディアまでが米国の国益を主張するのはいったいどういうねじれなのでしょう。

普天間問題では、日米の取り決めは「合意」であって「条約」でも「協定」でもないのだから、それを検討し直すのは実は外交上は「あり得べからぬこと」ではないのです。もちろん重要な日米関係、事は慎重に進めねばなりませんが。

しかし8000億ドルもの米国債を保有する中国を抱えて、米国の東アジア安全保障の概念も、冷戦時とは大きく様変わりしています。日中の経済関係もますます重要になってきます。「対共産主義の防波堤」だったはずの日本の米軍基地の位置づけも、いまや不安定な中東への東側からの中継地へとシフトしています。沖縄に80%を依存する日本の米軍基地とはいったい何なのか? それは果たしてそもそも必要なのか?

日米中の3国によるここでの新たな枠組みの構築は、21世紀の枢要な安全保障へと発展するはず。小沢はそのあたりを見据えているのではないか? あるいはまた、鳩山の「常駐なき安保」という路線はあながち今も生きているのかもしれません。その枠組みの中で沖縄をどうするのか、そう考えるとこれは性急に結論を出せるものでもないのかもしれない。

習近平副主席の天皇会見で中国に貸しを作った民主党は、まずは直近の安全保障問題である北朝鮮に関して何かを狙っているのではないかといううがった見方もできます。政府要人か党首脳の電撃訪朝と拉致問題の解決・進展なんていうのもあり得ない話ではないかもしれません。新年に向けて期待したいところです。

September 16, 2009

セメンヤ

あの、「両性具有」だとアウティングされた南アフリカの陸上選手キャスター・セメンヤ、24時間自殺監視措置になった。だれとも会いたがらないそうだ。18歳の子に、なんとひどいことをしたんだろう。

あれはリークだったんだね。
メディアがそれに飛びついた。なんのために?
表向きは世界陸上の公正性のために。しかし、心理的には化け物がいると言いふらしたかったゆえに。

公式な、違う内容と違う形での発表が出来たはずなのに。
こんな残酷なことはない。

Gender Row Runner Semenya Placed On Suicide Watch

Monday, September 14, 2009 at 5:54:53 PM

South African runner Caster Semenya, who is at the center of a gender row, has been placed on suicide watch amid fears for her mental stability.

The Daily Star quoted officials as saying that psychologists are caring the 18-year-old round-the- clock after it was claimed tests had proved she was a hermaphrodite.

Leaked details of the probe by the International Association of Athletics Federations showed the 800m starlet had male and female sex organs - but no womb.

Lawmaker Butana Komphela, chair of South Africa's sports committee, was quoted as saying: "She is like a raped person. She is afraid of herself and does not want anyone near her. If she commits suicide, it will be on all our heads. The best we can do is protect her and look out for her during this trying time."

South African athletics officials confirmed Semenya is now receiving trauma counselling at the University of Pretoria.

Caster has not competed since the World Athletics Championships last month when the IAAF ordered gender tests on her amid claims she might be male.

Source-ANI
SRM

September 08, 2009

鳩山論文、その2

なにせこんな明確な政権交代は初めてのことなので、バタバタしているのは当事者だけでなくメディアも同じようなものです。岡田さんが外相と発表されるや、共同通信は米政府に「好感と懸念が混在」として、「野党代表の経験はあるものの政府機関を取り仕切るポストについたことがなく行政感覚が未知数である点を不安視する見方も」と配信しています。

しかしよく考えればそんなのは当たり前のことで、字数を費やすほどの情報ではない。どうもこの種の「言わずもがな」や「蛇足」の原稿が目につきます。その最たるものが例のNYタイムズ電子版で紹介された鳩山論文をめぐる顛末でした。

この前のエントリーでおかしいと書いたんですが、まあ、だいたい私の推測どおりでした。あれは寄稿ではなかったのですね。ちょっとこの顛末をまとめてみましょう。

最初に噛み付いたのは産経新聞です。鳩山代表が「寄稿した論文に対し米専門家らから強い失望の声」という記事で、同論文に対し「アジア専門の元政府高官は『米国に対し非常に敵対的であり、警戒すべき見方だ』とみる。米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)のニコラス・セーチェーニ日本部副部長は『第一印象は非常に重要で、論文は民主党政権に関心をもつ米国人を困惑させるだけだ』と批判。『(論文を読んだ)人々は、日本は世界経済が抱える問題の解決に積極的な役割を果たすつもりはない、と思うだろう。失望させられる』」と紹介したのです。

ここで紹介されるコメントはCSISのアジア上級部長だったマイケル・グリーンなど、ブッシュ前政権の安全保障政策を担ったサークルです。まあ当然ながら自民党=共和党外交に精通した人たち。つまり、まず鳩山外交への疑問と批判ありき、のメンツなわけです。

さすがは「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」と公的メディアで発言した記者のいる新聞社、「失望」を語る人に「失望」をコメントさせたに過ぎません。しかもこのコメント者たちはこの「寄稿」が実はNYタイムズに寄稿したものではなく、鳩山氏が日本の月刊誌「Voice」9月号に寄稿した日本国内向け論文を、通信社が適当に抜粋して配信したものだということを知らなかった。ネタ元の精査なくあたかも「米国側」の代表のようにコメントするというチョンボは、研究者としていかがなものか。

もっとも、(前エントリーでも書きましたが)電子版でも「オプ・エド」という投稿ページでの掲載でしたから、鳩山氏の「寄稿」と勘違いするのもそう非難できません。でもなんだか変だった。なんでまたこんな時期(選挙直前の8月27日付)に唐突にこんなものをNYタイムズなんかに“寄稿”したのか意味がわからなかったからです。さらにおかしなことに、文末に「 Global Viewpoint/Tribune Media Service」と付記があった。これは通信社の配信を示唆します。テキストの冒頭には確かに「By Yukio Hatoyama」とあったが、それは筆者名のことであって寄稿ではないのではないか、と気づくべきでした。まあ、批判のネタを見つけたと気が急いたのでしょう。

さて、では実際の米側の受け止めはどうなのでしょうか?

米国の民主党は、腹芸の共和党に比べ、人権や環境問題などわりと大義名分や理想論を打ち出して行動する政党です。しかも外交というのは議論から始まります。核持ち込み密約など、異常だったこれまでの日米関係を正常化するためにもどんどん言葉を交わす、そんなディベートができる信頼関係が成立すれば、米国にとっても頼もしい日本であるはずなのです。つまり岡田外相に求められるのは、共同配信で「不安」とされた「行政感覚」などではなく、むしろ議論の能力なのです。

そのあたりを先日、東京新聞特報部の記事でコメントしたので、ここにも転載しておきます。

東京090905.jpg

April 30, 2009

豚インフルエンザから新型インフルエンザへ

なんだか知らない間に、日本の報道は全部「新型インフルエンザ」になってしまいましたね。

「豚インフルエンザ」だと、豚肉加工業界が打撃を受けるかもしれないという風評被害回避の措置なんでしょうが、「新型インフルエンザ」だとこのウイルスの発生の理由が鳥だか豚だかはたまた何だか、わからんくなってしまうでしょうに。日本の政府の対応を見ていると(最近、わたし、このMacの上で日本の地上波テレビがオン・タイムで見られる無料ソフト=MacKeyHoleを入手しまして、きゅうに日本のテレビ事情に精通しております)、豚肉関連業界保護の姿勢がわざとらしいくらいに強調されていて、ちょっとなんだかなあって感じがします。もちろんその背後にはアメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉の圧力、つまりはアメリカ農務省からの要請や票田としての豚肉農家の思惑もあるんですが、こちらアメリカではまだそんな言い換えはしていません。Swine Flu は Swine Flu です。これってまた字面だけでごまかそうとする言葉狩りなんでしょうか。まったく、悪しき対応だと思います。

もう一点、日本の報道、とくにテレビは、一方で「正確な情報を」「落ち着いた対応を」と呼びかけてはいるくせに、その一方で豚フルーのニュースにおどろおどろしい効果音やら音楽ジングルをかぶせる。しかも例によって声優気取りのナレーションがまたまた低音恐怖フォントみたいなイントネーション。それはあまりにひどいんじゃないでしょうか? これは報道ですか? それともホラーですか? 視聴者を脅してどうするんでしょう。これをやめるだけでもずいぶんと「落ち着いた対応」が可能になるのではないでしょうか?

だって、まだ豚フルーの死者どころか感染者すら確認されていないのでしょう? 例の横浜の高校生にしたって、30日時点の簡易検査では陰性なのですし。なのにもう、アメリカよりもすごい騒ぎぶりです。アメリカの死者だって、じつは亡くなった男児は豚フルーの発症前から基礎疾患として免疫的な問題を持っていた子だったようです。

いや、この豚フルーが大した問題ではないと言っているのではありません。これは2つの意味で大変な問題です。それは後述しますが、ただ、大した問題ではあるが、同時にこういうのはパニックになってもどうにもならないんですね。どうしようもない。人ごみを避けるって言ったって、避けられない時だってあるでしょう。パンデミック、世界的蔓延の恐れ、と言ったって、これはあのエイズの場合と一緒で、いたずらに恐れて感染者の魔女狩りみたいなことになってもひどいでしょ? 現に、舛添厚生大臣が「横浜の高校生に感染の疑い」と、なんだか「情報の早期発表」なのか「フライング」なのかまたわからんような記者会見を行ったんで、ちょっと休んでる横浜の高校生みんな、あしたから大変ですよね。って、あ、ちょうど週末かつ黄金週間か。

そんなこと言ってもとにかくわかった段階で教えろ、というのは当然です。しかし、ああいう深夜1時半の、ドタバタした発表の仕方しかないもんでしょうか? もっとゆったりした顔で、ふつうに話せなかったものか? まあ、役者じゃなかったということですが、これは困ったもんだなあ。

この点を、産經新聞の宮田さんが的確に指摘していました。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090430/bdy0904300103001-n1.htm

「水際作戦とは感染した人の排除ではなく、可能な限り早い段階で治療を提供するためのものである」というのは、じつに重要な指摘だと思います。宮田さんは日本で最初期からエイズ問題を取材しつづけているベテランジャーナリストです。

ところで、冒頭部分で「アメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉」と書きました。お気づきの方もいるでしょうが、この3国は、NAFTA(北米自由貿易協定)の3国です。昨日の「デモクラシー・ナウ」では、この豚インフルエンザを「NAFTAインフルエンザ」なのだとするこれまた重要な批判が掲載されています。

http://www.democracynow.org/2009/4/29/the_nafta_flu

つまり、豚フルーの背景には家畜産業革命と呼ぶべきものがあるというのです。第二次大戦前は米国でも家禽や豚というのは全米的に裏庭で育てられていたわけで、鶏の群れ(flock)というのは70羽単位で数えられていた。それが大戦後にはHolly Farms, Tyson, Perdueといった大手家禽精肉加工企業によって統合され、ここで家禽や養豚の産業構造は大きく変わることになり、いまは米国内の養鶏、養豚業は南東部の数州に限られるようになった。しかもそれらは大規模畜養で、70羽とじゃなくて3万羽とかの単位です。

このビジネスモデルは世界に広がり、1970年代には東アジアに拡大して、たとえばタイではCP Groupという世界第4位の家禽精肉加工企業が出来、その会社が今度は80年に中国が市場を開放した後に中国での家畜革命を起こすわけです。

そうやって、世界中に「家禽の大都市」「豚の大都市」が出来上がっていった。もちろんこれにはIMFとか世銀とかあるいは政府とかの財政的後押しもあって、借金まみれだった各国国内の弱小酪農家がどんどんと外部の、外国の農業ビジネス大企業に飲み込まれていくわけです。

そして1993年からのNAFTAがある。これがメキシコでの養鶏・養豚業に大きな影響を与えるわけです。結果、そこの支配したのは米国のSmithfield Foodsという企業の現地法人でした。ベラクルス州ラグロリアという小村にあるこの会社の大規模かつ劣悪な養豚環境が、今回のH1N1ウイルスの発生源とされているのです。そりゃそうですわね、なんらの規制も監視システムも設けないでそういう大型酪農工場を貧困国にどんどん設置していけば、何らかの疾病が起きたときにそれは人口過密の大都市で起きたのと同じく大量の二次感染、三次感染へと連鎖して、ウイルスの変異がどんどん進む。そのうちに鳥や人間のインフルエンザ・ウイルスとも混じり合って、やがて人間世界へ侵出してくるのは当然のことと思われます。

先に「2つの意味で大変な問題」と書いたのは、1つは今後の感染拡大の問題ですが、2つ目はこの、産業構造としての食品工業のことです。

つまり、まとめれば次のようなことです。

1)豚インフルエンザに騒いでもあわててもしょうがありません。感染する時は感染する。
2)感染したら早めに治療するだけの話です。
3)感染したからと言って回りがパニックになっても何の意味もありません。
4)元凶は、私たち人間の食を支える農業ビジネスの歪さかもしれませんね。
5)いずれにしても、ニュースにホラー映画まがいのナレーションや音楽や効果音をかぶせるのはもういい加減やめにしたほうがいいです。
6)日本政府も、水際作戦とやらの全力投球はいいけれど、後先考えずこんなんでずっと保つんですか? 疲れてしまってへたったときにふいっと感染爆発って起きるもんなんですよ。長期戦なりの作戦展開をして対応すべきでしょうに。


お時間があれば次のビデオクリップを見てください。
まあね、このクリップにも効果音楽が被されていますけどね。

上のは「Food Inc.」という映画の、下のは「Home」というドキュメンタリー映画の予告編です。


April 08, 2009

歴史的な採決

米北東部のバーモント州の州議会が7日、歴史を作りました。米国史上初めて採決によって同性婚の合法化を果たしたのです。これまでのマサチューセッツ、カリフォルニア、コネチカットの合法化は“過激派の最高裁判事”(By G.W.ブッシュ)による決定でしたからね。

バーモント州議会はじつは3月23日には州上院で、4月2日には州下院でそれぞれ同合法化案を可決していたのですが賛成票は拒否権に対抗できる数にまでは達していませんでした。そこで知事のジム・ダグラスが6日に拒否権を行使しこれを否決。しかし翌7日には、この拒否権の無効化に回る議員が増え、上院では23対5の圧倒的多数で、直後の下院でも100対49と、拒否権の無効に必要な3分の2以上の票を得て同性婚合法化案は再可決されたのです。

下院議長シャップ・スミスがこの最終投票結果を発表すると議場は大きな拍手喝采に包まれたようです。

そしていま、アイオワ州でも4月3日に州最高裁が判事全員一致で同性婚を禁じる州法を違憲とする裁定を行って、こちらの知事は最高裁の決定を尊重すると言っています。ですからこちらも合法化されます。

こうなると、カリフォルニアでのプロップ8が、いまさらながらバカみたいに見えてきます。だってアイオワですよ、アメリカ中部の田舎の代名詞みたいなところ、ハートランドですよ。

こういう、議会での同性婚賛成はここ数カ月でニューヨーク州、お隣のニュージャージー州、メイン州、ニューハンプシャー州でも増えてきています。次はきっとニューヨークとニュージャージーで議会による合法化がなされるでしょう。いやいや、戦いは佳境に入ってきました。

でもそれはすなわち、同性婚反対派がこれでまた恐怖をあおるキャンペーンを強化してくるということです。というか、もう、していますね。

下に映像をくっつけますので見てください。

これはゾンビではありません。死にそうな顔で同性婚合法化を憂う人たちです。すごいセンスです。言ってることも、「この問題をわたしたちの私生活に持ち込もうとしている」「わたしの自由が奪われる」「同性婚を認めない教会が政府によって罰せられる」「同性婚をオーケーと私の息子に教える公立学校の教師たちを親である私はただ黙って見ていることしかできない」ってめちゃくちゃ言いよるねん。揶揄ではなく、ほんとうにこの人たち、精神を病んでるのかしらって心配です。ほんとうに、ちゃんと病院に行くべきです。


April 06, 2009

我慢のチキンレース

そりゃあミサイルが降ってくるとなれば誰だって慌てます。しかしもしそうだとしたら、そのときに為政者が準備すべきは、1つは落下あるいは攻撃地点の被害の予防と事後の救助、そしていま1つはミサイルを射った国との戦争です。

ところが日本政府はどうもその1つも真剣には準備していないようでした。迎撃用ミサイルは配備しましたが、「当たるわけない」と発言する高官までいてどこまで本気だったのか。というかそもそもこれが日本を狙っての「ミサイル」だったとはだれも信じてなかったんでしょう。つまり、この件はどこまで大変なことだったのか? 本当はそう大したことではなかったんじゃないのか?

日本のメディアはものすごい騒ぎでした。おまけに政府は発射の誤認と誤報騒ぎを2度まで起こして、私なんぞはこれでアジア各国に「日本はこれほどに平和国家。あなたの国を侵略する意図なんぞ微塵もありません」と宣伝する最高の材料だったと、いや冗談ではなく真面目にそう思いました。これこそが軍事に走る北朝鮮や中国に対する見事なアンチテーゼだと開き直ることです。

ところで北朝鮮という国の行動パタンはいつも決まっています。数年に1度、軍事的脅威で挑発して、国際社会がその暴走を止めようとさまざまな懐柔の餌を投げ与えてくるのを画策する。

今回のミサイルも、そもそも94年に問題となった核弾頭の原料となり得るプルトニウム生成の黒鉛減速炉から引き続くものです。このときのクリントン政権は北朝鮮の爆撃も検討しましたが、結局は特使のカーター元大統領が当時の金日成と会って代替の軽水炉を無償で建設してやるということになったのです。

とはいえ、それも何度もウラン濃縮計画を口にしたり黒鉛減速炉を再開したり、果ては国際原子力機関を脱退したり次には核拡散防止条約から脱退したり核兵器保有宣言をしたりで、軽水炉事業はついに05年11月に中止になりました。で、06年には核実験の強行です。

この一連の動きの中に今回のミサイル、というかロケットですわね、その発射があった。これは人工衛星だろうがなかろうが、テポドンの精度と射程が改善したことを国際的に見せびらかすためのものでした。おまけに北朝鮮は9日に最高人民会議、15日に故金日成の誕生日、25日には朝鮮人民軍の創設記念日を迎えます。これらを前に、金正日の健康不安で国内的な示威も必要でした。

つまり、今回のロケットでは北朝鮮としても切り離しの1段目ブースターなどを下手に日本本土に落とすわけには絶対にいかなかったのです。そんなことになったら本来の挑発・かく乱の意味がぶっ飛んでマジで大変なことになってしまいますから。日本政府中枢だってそのくらいは読んでいたでしょう。

ですので問題は今回ではない。次なのです。北朝鮮はしばらくは国内イベントで忙しいが、その後にどう動いてくるか? 弾道ミサイルの開発は今後、たしかに急速に進むでしょうから。

日本では早くも自民党の政治家から「北が核ミサイルなら日本も核武装すべき」という声が出ています。オバマが核軍縮に向けて米国の具体的な行動を宣言している時に日本が核兵器を持って何をしようというのか? 核兵器を持つこと、保管することは実際には技術的にとても難しいので、そんな一朝一夕に配備できるなんてことはまったくありませんからこれはブラフあるいは無知な発言なんですけれど、しかしそれにしてもそういう心情を吐露できてしまう野卑な政治状況というのはますます深化するかもしれません。

冒頭にも書きましたが、しかし政治家がまずは準備すべき被害の予防の最大のものとは、まさにそんな戦争をしたたかに事前回避することなんですね。そして上記のような短絡的な政治家の勇ましさは往々にそこに生きるわたしたち無辜の命を忘れがちなのです。それは北朝鮮政府と同じくらい始末が悪い。

で、戦争を回避するにはどうすべきか?
それはいまのところ、挑発には絶対に乗らない、ということしかないんだと思います。相手のチキンレースを受ける必要はまったくありません。メディアも、視聴率狙いでけたたましい番組や記事は作らんことです。もっとおとなになりましょうよ。だってこれは国家の安全保障にかかわることですもの。命がかかってる。ぎゃーぎゃー騒ぐやつは一番先に撃たれるんです。

表向きは騒がず、ときには無視もする。そして水面下で米韓と協調して探り合いを続ける。

でもね、最終的には北の体制を変えることしかないんだろうなあとは、みんなわかってるんだと思います。さてそれを、どうやるかですわ。知られないようにね。

November 05, 2008

オバマ勝利と日本の外交

オバマの勝利演説を聴きながら、選挙ウォッチパーティーを開いていた友人たちが静かに涙を流していました。ボストン大学で先生をやっているやつが私の横に来て「この国もまだ捨てたもんじゃないだろう」と言います。それにうなずきながら、こういう演説のできる大統領を持つアメリカを少しうらやましく思いました。日本にはこんな政治家はいないなあ。小泉は私語がうまかっただけで、演説はうまくはなかったし。

アメリカというのはこうして4年に1度、やり直しのチャンスというか、ダイナミズムの更新というか、そんなモメンタムを作るわけですね。政体自体がそっくり入れ替わるんですから、そりゃすごいもんです。ただ米民主党政権というのは歴代どうも「日本に冷たく中国を重視する」傾向にあると言われてまして、それを心配する向きもあります。しかし考えてみてください。共和党ブッシュの8年間だって小泉政権の時は9・11の余波のゴタゴタの中でなんだかうまく行っていた、ように見えただけで現在は結局、対北朝鮮宥和政策への転換で面目丸つぶれです。米国が日本のご機嫌を見ながら外交政策を変えたことなどいちどもありません。米国はあくまで時刻の国益でしか動きません。そのアメリカの国益を、日本はさっぱり誘導できてこなかったのです。外交官たちの説得下手というか、ディベイト下手というか、しかしこれはよくよく考えれば元は日本の自民党政権の問題なのだと思います。

日本の外務省ももちろん現在、ワシントンを中心に次期政権のブレインになると目される人たちに盛んに接触中です。オバマの対日ブレインには東アジア専門家のジェフリー・ベイダーや日本の防衛研究所にいたマイケル・シファー、日本生活も長くボーイング・ジャパン社長だったロバート・オアーらがそろっています。経済分野ではブルッキングズ研究所にいたジェイソン・ファーマンなんかもいます。さらにはオバマのこと、超党派で共和党もブレインも入ってくるかもしれません。

しかし日本側の政権がこうもコロコロ変わるせいで米側には彼ら外務官僚たちの背後に控えているはずの政治家たちがよく見えない(もっとも、見えたところでロクでもないやツラばかりですが)。そんなことで外交官だけを相手にまともに話し合おうと思うか? ふつう、思いませんわね。それも、こういうのってものすごく個人的な力量ってのが必要で、パーティーに行ってうまく話せるか、演技できるか、っていうような人間性にも関わる才能が必要なんですね。そういうの、できない役人が多すぎる(役人だけじゃなく日本人全般がそうなんですが)。その間に日米関係はそうして私的な斟酌や腹芸の取り入るスキなく、どんどん建前の議論で(これをやらせたらああ言えばこう言うのアメリカ人にかなう者はきっといません)米国主導で押し切られることになるのが常なのです。


新政権はまずは米国内の経済危機に取り組むでしょうが、その一方でイラク戦争撤兵からアフガン戦争増派へのシフト、テロ対策などは公約のタイムテーブルどおりに進めなくてはなりません。

この場合、外交とは米国にとっては安全保障の問題にほかならないのです。それは日本にとっては思いやり予算などを含む従来の基地問題やアフガン戦争支援のインド洋給油問題です。これらはたとえオバマ政権になったとしてもなんら変更を認めないでしょう。さっきも書いたようにアメリカはアメリカのことしか考えていませんから、あるいはこの財政危機でさらなる物的・人的支援だって要求してくるでしょう。オバマはブッシュ政権の一国行動主義からの転換を謳って「国際協調」という名の責任分担を図るでしょうから。

そんな中で、日本の対米外交はどう対応すればよいのでしょう。米国に押し切られるばかりなのでしょうか?

ここに来て、どうして日本がいつも米国の言いなりにならざるを得ないのかわかってきます。それは日米同盟、日米安全保障という政治的取り決めが、日本国憲法を上書きしているという倒錯のせいなのです。

日本は、日本の平和憲法を対欧米外交の切り札として使ったことがありません。海外への自衛隊派遣の困難の「言い訳」「言い逃れ」として使ったことは何度もありますが、外交の「背骨」として使ったことは一度もない。憲法のことになると遠慮がちに口ごもる、そんな外交なのです。で、安全保障に関してはその都度の対症療法で逃れてきたわけですよ。

こんなんでまともな外交ができるわけがありません。これは自民党が平和憲法をなおざりにしてきたそのツケが貯まったものです。そんなヘドロの中で泳がねばならない外務官僚にはお気の毒と言うしかありません。

この倒錯を解消する道は2つあります。平和憲法を正々堂々と盾にして、環境対策と復興支援を安全保障の中心に据える新機軸を構築・宣言すること。それは20世紀的ではないので旧態依然の国際政治においてとても受けは悪いでしょうが、可能なのです。倒錯解消のもう1つの道は、平和憲法そのものをやめちゃうことです。こっちの方が簡単だが、その以後がかえって大変で、簡単そうに見えてじつはこれは不可能なのです。

それともまだのらりくらりで乗り越えようとするのでしょうか。
まったく、自民党政治までが役所仕事のようになっているんですね。

米国はオバマに変革の希望を託しました。
日本の政治変革はいつ起きるのでしょう。
で、総選挙、どこに行っちゃったんでしょうか?

October 14, 2008

テロ国家指定解除の欺瞞

どの国もそうなんですが、外交というものはあくまで国益を第一に考えるものです。
ブッシュ政権はつねに、最近ではライス国務長官も「日本の立場は理解している」あるいは「拉致問題の重要性は認識している」という言い方しかしませんでした。「テロ国家指定の解除はしない」とはひと言も言っていなかったのです。その結論はどうなるか、そんなことはわたしでもわかる。つまり外交のプロたる外務省の役人たちがわからないはずがない。

アメリカは指定解除をするだろうというのは読めていたわけです。それを、まるで「寝耳に水」と驚いてみせるのは、これは日本国民に対する欺瞞です。そんなはずではなかった、という言い方ですよね。われわれは十分に努力してきてアメリカもそれを理解していたはずなのに、急に寝首をかかれた、という言い方。

これは責任逃れのへりくつです。知っていたんですよ。それを、それじゃ日本国民に格好がつかないから「知らなかった」「予想外だった」と言っている。一番正直なところは中曽根外相あたりの言っていた「一両日中はないと思った」というセリフでしょう。一両日中はないはずだったが、その次の日にはあるかもしれない。そういうこと。

ブッシュは、史上最低の大統領として名を残すことになるのはすでに明らかです。まあ、イラク戦争しかり、イラン政策しかり、イスラエル・パレスチナ問題然り、それは確実なんですが、せめて北朝鮮でどうにか格好を付けたかった。それが正直なところでしょう。

ただし、今回は時間の問題があった。
北が核施設運転再開をちらつかせるのはいつものことです。
どっちが我慢できるか、そのチキンゲーム。
ところが今回はブッシュ政権の命脈が尽きるというタイムリミットがあった。
ただそれだけのことです。いつもなら、むこうが核施設の無効化をしてから、解除です。それが待ちきれなかった。どうにかして先に進める必要があったということです。で、テロ国家指定解除を先出のエサにした。

麻生としては、拉致問題にいささかも影響はない、カードを失ったというわけではない、という言い方しか出来ません。ならば、「はじめから拉致問題とは関係ない。指定解除どうぞどうぞ」と言ってればよかったようなもんですがね。しかしカードを失ったのは確かなのです。麻生は先月の国連総会の訪米でもブッシュに会えなかった。アメリカも北朝鮮も、出ては消える日本の自民党政府を本格長期政権として相手にしていないということです。困ったもんです。

冒頭に言いましたが、今回のテロ国家指定解除は、日本との関係を損なっても、北との核問題解決がアメリカの国益、いや、ブッシュの個人の利益にとって重要だったという判断なのです。簡単なことです。

August 31, 2008

頭打ちとなる石油

日本に帰る飛行機代に多額の燃料費なるものが加算されるようになったのはいつからでしたっけ? この燃費サーチャージ、10月からまた1万円ほど上がるんですね。つまり日航や全日空なら通常の航空運賃の他に燃費追加でさらに6万6千円を払う計算です。これって、ちょっとまえの往復格安航空券そのものの代金だった。いまはそれが倍以上出さないと日本に帰れないのです。参ったなあ。

それもこれも原油の高騰に原因があるのですが、石油がこのままなくなってしまった世界を考えるとぞっとしてしまいますわね。


石油がなくなったら、おそらく私たち人類は重力の呪縛に捕われてもう二度と長時間にわたって空を飛ぶことはできなくなるんじゃないでしょうか。ハンググライダーなんかは別ですが(とはいえあの羽根も石油からできた繊維でしたっけ?)、アメリカから日本に帰ること自体が不可能に近くなる。帆船はあるでしょうけれど石油エネルギーがなくてどうやって船自体を、工具を、釘を作れるのか? おまけに温暖化の気候変動で海は大荒れです。

自動車はかろうじて自然エネルギーから得た電力や天然ガスなどで動くかもしれないので「江戸時代みたいな生活」というわけではないでしょうけれど、それにしても通信や情報を含めてすべての分野の産業が極端なほどに縮小するのは間違いありません。あ〜、こりゃ大変だ。気づけば周りは何から何まで石油エネルギー頼りなのです。

さて、石油はほんとうになくなるんでしょうか。いえ、なくならないんですって。どういうことかっていうと、なくなるよりもずっと以前に、石油が使えなくなる日が来るのです。そっちのほうが差し迫った危機です。

というのは、埋蔵石油はまだあっても、採り出しやすい石油は採ってしまって、残っているのは、その石油を採り出すのに、その石油の持つエネルギー以上のエネルギーが必要になるような石油だけ、という時がいずれ来るってことです。そうすると石油を採取する意味がなくなってしまう。

これって、すごいことではないでしょうか。この世に金で買えないものはない、っていう前提で資本主義が発展してきているのだけど、その下支えになっているのがエネルギーです。よくわかんないけど、エネルギー本位制? 金10gを買うのに、金12gが必要、っていうのは論理矛盾だけど、石油10バレル掘るのに石油12バレルが必要という破綻が訪れるわけですね。

そういう、掘り出せない石油が増えてくると、石油生産がいずれ頭打ちになります。その生産のピーク、つまり後は年々産出量が減るしかないという「頂点」が、じつはもうすでに来ているのではないかという説があります。実際、埋蔵石油の発見は40年以上前の1960年代半ばにピークを迎え、その後の発見は減る一方。つまり私たちはいま、60年代以前に発見された石油のストックをどんどん食いつぶしているだけなわけです。増産はできるけど、その分、あとが続かなくなる。

いやまだ石油生産のピークには至っていない、とする石油会社などの研究結果もあります。しかしその研究にしても多くが石油生産はあと10年ほどで、天然ガスもあと20年ほどで頭打ちになる、と結論づけているのです。

そんなに早く? ならばもっとメディアが騒いでもよいのにとも思いますが、騒いでも事実が変わらないのだとすれば、パニック回避のためにも敢えて看過しているのかもしれません(あるいは事の重大さにほんとうに気づいていないか)。

すると……そう、冒頭の私の心配は杞憂ではなくなります。原油の現在の高騰はもちろん、石油の値段が実需によって決まっているのではなく、金融商品化しているせいです。つまり々として取引されているからなのですね。でも、単にそんな投機筋の一時的な利益狙いではなく、ともするともうほんとうに石油はなくなるのだという“インサイダー”情報が背景にあるのかもしれない……航空運賃への燃費加算は今後も廃止されることなく慣例化し、その額も増大する一方──それは究極の格差社会が訪れる前触れかもしれません。つまり、お金を持つものだけが石油エネルギーを享受できる社会です。

なんだか、「格差」なんていうなまっちょろい言葉じゃ捉えきれない新しい時代が来るような気もします。世の金持ちたちはいま、そんなときのためにせっせとカネを溜め込んでいるんじゃないか? 自分たちだけは生き残る、という本能。

「頭打ちとなる石油」を意味する「ピーク・オイル(Peak Oil)」というキーワードを憶えておいたほうがよいかもしれません。

August 13, 2008

うるわしき毒

スポーツというのはじつはジャーナリズムの中で最も記述の難しい分野ではないかと思っています。中立が旨である報道の中で、スポーツ記事だけがそのカセをはらってなんとも身びいきだったりします。したがって、NBCの五輪中継を見ていてもあんまり面白くないということになります。日本がさっぱり出てこないしね。主役ではないのですから。

しょせん私たちは自分の知りたい情報しか知りたくないのかもしれません。たとえば北京五輪の射撃の表彰台で、銀と銅を獲得したロシアとグルジアの女子選手が頬にキスし合って抱き合ったというニュースが朝日のウェブサイトで紹介されました。

ご存じのようにロシアとグルジアは南オセチア自治州の統治をめぐって戦闘状態に突入したばかりでした。そして朝日のサイトは2人仲好く並ぶ写真に「スポーツは政治を越える」というロシア選手のコメントを引用し、見出しも「表彰台に友情の花」と紹介していたのでした。

スポーツは政治を越え「ない」ことはだれもが知っています。それどころかスポーツはつねに政治に利用される。中国での五輪の開催はまさしく、世界の先進国社会に正式に仲間入りしたい中国の政治的思惑と、中国も五輪の体面上、国際的に反発を買うような外交決断や人権侵害は避けるようになるだろうといった西側の政治的思惑の交差したところに成立したものです。

にもかかわらず「スポーツは政治を越える」と言うのは、私たちがつかの間のそんな幻想を信じたいと思っているからでしょう。シビアな現実世界の、それは一服の清涼剤めいて、私にはそれを責める気はありません。私も新聞記者1年生のときは「読者が感動できる物語を探して書くんだ」と先輩記者に叩き込まれた口です。

かくしてオリンピック報道は往々にして選手やその周囲の美談と感動の根性物語になります。

そんなことをつらつら考えていると、今度は五輪開会式でソロを歌った「天使の歌声」の女の子がじつは口パクで、舞台裏ではその子よりも見た目のそうよくはない、しかし歌はうまい別の女の子が歌っていたのだというニュースがありました。なるほど、世界が見たいだろうと思うものを見せる、それはスポーツ報道に限らない。新聞なら美談で、テレビなら画面上の美しさ。それがなんで悪いんだ、というところでしょうか。で、同じくあの開会式の花火のCGです。ふむ、徹底していますな。

しかし日本だってエラそうなことはいえません。ヤラセと演出の違いに敏感なのは、とりもなおさずヤラセでも視聴率が取れるという現実が厳然として存在するからです。中にはヤラセとわかっていてわざとそれを楽しむなんていう高度な視聴技術さえ新しい世代には育ってもいる。

視聴者も読者も、そうやって美談という名の毒消しを求める社会は幸せな社会なのでしょうか。そしてあるとき、美談そのものが現実を直視しないうるわしい毒になって蔓延している。

新聞記者時代、もう1つ大先輩から教わったことがあります。「ときには読みたくないことも書かねばならない。その社会にとって都合の悪いことも書かねばならない。あるときは害であることですら書かねばならない。なぜかわかるか? なぜなら、それが事実だからだ」

中立とか中道とか、そういうバランス感覚の問題ではなく、あるいは社会の木鐸なんぞといった大仰な構えからでもなく、それが単に「事実だから」というだけの単純明快な基準に、若かった私はまさに目からウロコが落ちた思いでした。

五輪のドラマが続いています。NBCやNYタイムズから知る数少ない日本人選手の活躍ぶりは、あんまり面白くないし物足りなくもあるけれど、逆に熱狂的にあおられる感じもなくて、スポーツ観戦のなんだか不思議に新しい経験です。

July 10, 2008

いまの子供と50年後の子供

温室効果ガスの世界全体の排出量を「2050年までに半減する」ではなく、さらには「半減するという長期目標を共有する」ですらなくて、「2050年までに半減するという長期目標を共有することを目指す」っていう、この、動詞が3つも入ったヘタクソな日本語の3重に薄められた「G8宣言」というのはまさにいまのアメリカの断固たる及び腰と日本政府の遠慮とを象徴していて興味深いものでした。

いや、じつはこういう何重もの言質回避の表現は国連の安保理決議などでも蔓延しているので、政治宣言としては驚くほどのことでもないのですが、米国シェルパ(実質的な議論を担う交渉代理人)のダン・プライス大統領補佐官が「素晴らしいG8宣言文」と自画自賛するのを聞けば、さすがは弁護士出身、そりゃつまり自分に有利に導けたって意味ね、とすぐにわかるというもんです。

日本政府も自画自賛していますが、こちらは欧州勢と米国との板挟みになって、それでもいちおう文言をまとめあげるのに成功したという意味でしょうか。しかしなんだかこれも、安易に「自分をほめてあげたい」と言いのける今時の甘ったれ風潮そのもの。欧州勢から「日本のリーダーシップが見えない」とさんざん呆れられているのを、米国しか見ていないので気づかなかった、あるいは政治理念もなくただまとめることしか考えていなかったってことです。

たしかにまとめあげたことは認めます。それもたしかにひとつの政治でしょう。そのようにしかものごとは進んでいかないのもわかります。だが、このなんとはなしの「切羽詰まっていなさ」は、政治的想像力の不在というか、つまりはこのサミットに出席しているすべての人間たちが、おそらくは50年後にはもうこの世にはいない、ということに関係しているのではないかと、ふと思ったりもするのです。

まあ、そんなことを言うのはエキセントリックだと思われてしまう、われわれのいまの有り様もあるのですがね。

とどのつまり、今回のG8はエコロジー(生態系)とエコノミー(経済)の兼ね合いをどうするかという人類の宿命に関する議論の場でした。つまり50年後の子供たちといまの子供たちの、両方を救うにはどうすればよいかということです。アフリカなどでの食糧危機を見ればそれはより切羽詰まった課題として目の前に立ち現れます。

もちろん、いまの子供たちに心配のない先進国では50年後を考える余裕もありますが、いま現在飢えている国ではいかに産業をおこしそれを基に人びとが食べていけるかを探るに精一杯です。そんなときに温暖化ガス排出規制など気にしている余裕はない、いま生き延びなければ50年後もないのだ、という論理になります。それもまたもっともで、新興国も交えた8日の会議では先進国側が先に80-95%の排出ガス削減を行えといった主張もなされました。それももっともなことなのです。

ところがそれではアメリカは産業が立ち行かなくなる。ガス排出規制のすくない新興国に産業が移行してしまう。そうすればアメリカの50年後もない。それがこの洞爺湖宣言に及び腰だったアメリカの、いまのブッシュ政権の論理です。しかしブッシュは洞爺湖で終始緊張感のない顔をしていましたね。はっきりいって大統領職を投げ出しているような顔だった。北朝鮮問題といいこのG8といい、とにかく任期内でいろんなことをとにかくまとめればよいという、冒頭の日本政府の交渉役みたいな心情なんでしょうか。自分の任期のことだけしか頭にないような。

しかし次のオバマあるいはマケイン政権がどう出るかはまた別の話になると思います。特にオバマ政権になれば、あのゴアが環境関連の特命大臣に任命されるということですし。日本も次の選挙で民主党が勝利して小沢政権になったら果たしてどう変わるかわかりません。不明なところも多いのですが、環境問題でも新味を出してくるはずです。

しかしそれまではおそらくこの問題に関する政治の力の不在が続くかもしれません。
そうしてその間にも刻々と地球環境はいま現在のわたしたちの生態系を破壊するように変化しているのです。
世界の食糧危機を深刻に憂慮すると言ったその舌の根も乾かぬうちに18コースもの豪華な晩餐を囲むサミットリーダーたちを見ていると、まさに人間の活動そのものが宿命的に持つ反生態系の害毒を思わずにはいられません。エコノミーとエコロジーは、だれがなんといったって対立する項目なのです。そこを誤魔化さずに折り合いを見つける、といっても、しょせんそれは破滅を先送りする手段を講じているだけのような気もします。

April 16, 2008

国おこし、都市おこし、個人おこし

40日間も日本に行っていました。日本にいると、日本語に守られてるせいでしょうね、国際的な時事ニュースをぜんぜん自分に引き付けて考えられなくなります。なんかまったりしてみ〜んな他人事っぽくなる。で、ここにもなにも書かない、という結果に。てか、たんにだらんとしてただけなんでしょうけどね。

さてさて、帰ってきたとたんサンフランシスコでの聖火の混乱です。中国当局もよく続けるなあと思うのですが、開会式のボイコット気運も高まる中、この問題はどう考えればよいのでしょう。スポーツと政治、五輪と政治の問題ですわ。

私も若かったころは「スポーツと政治は別だ」などと憤慨していましたが、でもずっと以前から五輪と政治はじつは同じものだったんですよね。というか、五輪はその国際的な注目度から、世界に向けて政治的メッセージを送る絶好の檜舞台でありつづけているのです。

ベルリン大会は国威発揚というナチスの政治的思惑の場だったですし、メキシコでは黒人差別に抗議する米国選手2人が表彰台で黒手袋の拳を突き上げました。続くミュンヘンではパレスチナゲリラのイスラエル選手襲撃が行われ、76年のモントリオールでは南アフリカの人種差別問題でアフリカ諸国の大量ボイコットが起こった。80年のモスクワではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西側のボイコット、続くロサンゼルスはその報復的な東側の逆ボイコットと、五輪はまさに常に政治とともにありました。

だいたい中国自体も五輪と政治を結びつけて国際社会にいろいろとメッセージを発してきたんですよ。56年のメルボルンから、ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワと、なんと7大会連続で五輪ボイコットです。モスクワ大会を除いて6回はぜんぶ台湾の国際認知問題が背景でした。

そもそもどうして五輪を招致するのか? それは五輪という由緒ある国際大会を主催することで国際社会の責任の一端を担う、一丁前の国家として認められたいという思いが基になっています。同時に、関連施設の建設によって国内の景気浮揚を図りたいというハコモノ行政的な意図もあります。つまり五輪は村おこしならぬ「国おこし」のネタだったのですわね。つまり。ズバリ政治そのもののイベントなわけで。

これは64年の東京五輪もそうでした。あのとき東京は高度成長のまっただ中で、日本は戦後復興の総仕上げをして国際社会への復帰を果たそうと五輪を招致したのです。そこではスポーツはたんなるダシでした。もちろん、日本の復権はスポーツ選手個人の頑張りに投影されてじつに感動的だったのですが、ほんとうの主眼はスポーツ選手個人の威信ではなく、国家としての威信にあったのです。それはまさに政治的思惑でした。

すでに五輪が2周目以降に入っている先進国では、長野やアトランタがそうだったように五輪は国おこしを経ていまはホントに開催都市の村おこしイベントです。一方、周回遅れの中国にとっては(今後のアフリカ、中東諸国なども含め)五輪は遅れてきた第二次「国おこし」運動の原動力なのです。今回の北京五輪も、中国政府のそんな思惑と欧米諸国の、五輪開催を機に中国の人権・民主化改善を促そうという思惑が合致して決まったものですからね。

そんな政治の舞台なのですからチベットが登場してもだれも文句なんか言えない。中国が「スポーツと政治は別だ」だなんて、どの口で言えるのか、です。

そう、「スポーツの祭典だから政治はタブーだ」と言うからややこしくなるのです。どうせならもうこれは政治だと開き直って五輪を機にどんどん主張をぶつけ合えばいいんですわ。それで大会がつぶれるようならつぶれちゃえ。そうなったらでも中国だって面目丸つぶれ、欧米だって思惑外れ、チベットは墓穴を掘る。そういうところにしか反作用としての収拾努力のベクトルは生まれないんじゃないの? じっさいの政治としてはいささかドラスティックにすぎるけどね、ま、思考実験としてはだからこそいまと違った落としどころが見つかるかもしれない。まあ難しいでしょうけどねえ(他人事っぽいなあ)。

ところで再びの東京五輪招致が進んでいます。これはすでに国おこしでもなく都市おこしとしても新味に乏しいやね。何のためにやるんでしょう。私には、自己顕示欲が脂汗になってるあの都知事の「自分おこし」のために見えるんですわ。彼個人の人生最後のステージにとっては格好の大イベントですもん。しっかし、そんな個人行事に付き合うのはまっぴら。

だいたい、新銀行東京にしても、解決にはもう何年もかかるけど、やつの物理的寿命はその前に終わるでしょう。未来のないやつ、つまりあの都知事に、「責任を取る」という考え自体が通用しないんです。死を前にしたら、無敵だなあ。だから政治家は若くなきゃダメなの。あと30年生きてると思ったら、ヘタなことできないもんねえ。

September 25, 2007

安逸を求める

イランのアフマディネジャドが国連総会出席でNYに来ています。
今日の午後にはコロンビア大学で講演を行いました。
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もちろんQ&Aの時間が設けられていて、聴衆の1人はイランにおけるゲイの人権と死刑執行について質問しました。これに対して彼は性的指向の観点はまったく無視して米国でも死刑制度があることを指摘して直接の回答を回避しました。しかし司会役の学務部長はさらに回答を促しました。その結果の彼の返答はこうです。

「イランにはあなたの国とちがってホモセクシュアルたちはいません。私たちの国にはそういうのはないのです。イランには、そうした現象はない。私たちの国にもあるのだと、だれがあなたに言ったのか知りませんが」

アフマディネジャドはもちろん聴衆から失笑とブーイングを浴びました。まあ、彼の言いたかったことは、「われわれはホモセクシュアルたちを殺しているからイランにはそういうのはなくなっているのだ」ということだったのでしょう。2年前の2005年7月に行われた少年2人の絞首刑を、私たちは忘れてはいません。
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宗教というのは、答えの用意されている教科書です。巻末を見れば練習問題の答が書いてあるから、それを憶えればいちばん手っ取り早いし神様・お坊さま・司祭さまにも誉められる。それでめでたいので自分で考える必要などありません。はたまた質問そのものの正当性、さらには答えの真偽を疑うということもありません。なぜなら、それは「信じる」ことをすべての基本においているからです。「信じる」は「疑う」の対義語です。そうして「疑う」は「考える」の同意語です。宗教に「なぜ?」は必要ない。むしろ、邪魔で、いけないことです。

なぜ? と考えずに済む人生は、なんと安逸なものでしょうか。もっとも、宗教的生活を送っている人たちも、誠実であればあるほど宗教的回答を突き超えて必ず「なぜ」を考えてしまうものですが。

その辺のことは2005/02/22の「生きよ、堕ちよ」でも書いていますが、思えば、日本語訳ではいまいちその過激さが伝わっていないジョン・レノンの「イマジン」も、じつはすごい宗教否定の歌なのです。多くの戦争の背景に宗教があるということがわかりきっているとして、頭の上には天国なんてない、ぼくらの下にも地獄なんてないんだ、と宗教的迷妄を唾棄して歌は始まるのです。レノンにはもう1つ、「God」というすごい歌があって(というかそのままなんですけど)、そこでははっきり「神なんか、自分の痛みを測るためのメジャーでしかない」と宣言しているんですよね。

しかしアフマディネジャドなるものに対抗するには、どうすればいいのでしょう。
憎悪と嫌悪にまみれた、聖という名の邪悪。
しかも、われわれには憎悪と嫌悪という武器はないのです。手ぶらで、丸腰で、身1つで、戦わねばならない。こまったもんです。

August 27, 2007

恥で倒れた仏像

民主党の小沢代表が「アフガン戦争はアメリカの戦争」と言ってテロ特措法の延長に反対していますが、アフガン戦争とイラク戦争とを明確に区別できる人がいまどれくらいいるかというと、当事者のアメリカ人でさえあまりいないんじゃないかというのが正直な印象です。

日本だってそうでしょう。いまさっきもテレビで評論家諸氏がしっかりと「イラク戦争」と言い間違えてましたし。じつは小沢は、そんな“混乱”をうまく利用してテレビ中継までさせてシーファー大使に直かに反対を伝える政治演出を見せたんだと思ってるんですが、さて、どうなんでしょうね。

そもそも小沢の今回の特措法延長反対の宣言の真意は、確かに「アメリカにノーと言える政治家であるということの演出」ではありながらも、じつはアメリカそのものへの強気の「ノー」ではなくて、ブッシュ政権への「ノー」なのですね。ブッシュ不人気はもう米国内だけの現象ではなく、そうした国際的な「脱ブッシュ」の列に加わってみせたからといって日本の国益はそう損なわれまい。もし損なわれたとしても次のヒラリー率いる民主党政権(?)との関係でいくらでも修復できる、そうふんでの小沢一流の政治演出なのではないかと思えました。日本じゃテレビに登場する評論家たちのだれもそんなこと言ってないけど。

ただしこの小沢演出には落とし穴があるのです。

おさらいしてみましょう。
アフガン戦争のきっかけはイラク戦争と同じく例の9・11でした。ブッシュは世界貿易センタービルを破壊されて拳を振り上げた。それはよいのですが、さあさてそれをどこに振り落とせばよいのか、なにせ相手は国家ではなくて流浪のテロリスト、どこに拠点があるかも分からない。で、9.11の下手人としたオサマ・ビン・ラーディン率いる武装組織アルカイダを、アフガンのイスラム原理主義政権党タリバンがかくまっているとして、それでアフガニスタンに拳を振り下ろすことにした、というのが始まりでした。これで体裁は対アルカイダ=対タリバン=対アフガンという国家間の戦争になったのです。思い出してください。当時、アフガン空爆が「これは戦争か?」とさんざん議論されていたことを。

ところが数億ドルもかけて空爆・ミサイル攻撃しても破壊するのが数百円の遊牧テントだった。世界最貧国への攻撃というのは、じつにどうにも“戦果”が上がらない。箱モノ行政の逆ですね。おまけにどこに行ったかビン・ラーディンもさっぱり捕まらない。そこで国民の目をイラクの独裁者フセイン大統領に逸らせた、というのが次のイラク戦争でした。

米国では現在、撤退論かまびすしいイラク戦争に対して、アフガン戦争はあまり話題に上っていません。というのも、アフガン戦線はじつは昨年7月から軍事指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移行し、英・加・蘭・伊・独が主力構成軍です。米国はそうしてイラク戦とアフガンでのビン・ラーディン狩りに戦力を傾注した。なもんで、アフガン戦争を「アメリカの戦争」と言い切ってそれで済むかというと、それはちょっと違うのです。

しかもアフガニスタンは米国の石油戦略にとって重要な中央アジアからの天然ガス・石油パイプラインの敷設予定ルートでもあって、見捨てるわけにはいかない土地です。次期大統領を狙うヒラリーにしても撤退などは口にしていません。NATO諸国にとっても同じでしょうし、日本だってテロ特措法を成立させた当時の小泉政権は日米同盟と同時に石油のことも考えていたに違いありません。

そういう意味で、小沢のテロ特措法延長反対=アフガン戦線からの離脱宣言は、国内向けには演出で済むが、国際的にはよほど裏ですり合わせしなければならない事案なのです。日本の民主党は一刻も早く米民主党およびNATO諸国とそのあたりについてきちんと協議できるパイプを敷設すべきでしょう。

ただし、そこには問題があります。アフガン戦線はイラク戦争と同様に泥沼化してとんでもないことになっています。カルザイ政権も弱体のままです。アフガンへの関与は本来、自衛隊による給油活動などといった程度では済まされないはずのものです。もちろんそれは軍事後方支援などという単純なものではない。日本にはそうしたコミットメントの十全の覚悟があるのかどうか。

アフガンのあのバーミヤンの大仏がタリバンによって破壊されたとき、私たちはそれ以上に多くの人間の生と生活の破壊があったことも知らずに憤慨してみせました。あのときイランの映画監督マフマルバフはこう言ったものです。「あの仏像は誰が破壊したのでもない。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知を恥じて」──私たちはまだ無知なままなのです。

August 26, 2007

転載;署名のお願い

現在イギリスに住むイラン人女性、ペガー・エマンバクシュさんは、レズビアンであることをカムアウトしている方です。パートナーが逮捕、拷問、死刑に処せられてから本国を脱出し、2005年にイギリスで難民申請を行いましたが却下され、あさって火曜日にイランに強制送還されることになりました。

イランは同性同士の性交渉を罰するいわゆるソドミー法があり、送還されればむち打ちと投石の刑を受けます。事実上の死刑です。

現在、強制送還に反対し、恩情的にイギリスに滞在する権利をペガーさんに与えるよう、世界的な署名活動が行われています。その呼び掛けが私のところにも来ました。

以下、転載します。

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3分あれば出来るアクションです。
レズビアンがイランへ強制送還=鞭打たれて死刑、という事態をとめるためのネット署名(英語)はこちらから。
1分あればすぐ出来ます。
http://www.petitiononline.com/pegah/petition-sign.html

お願いします!!

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
 【緊急コクチ】
 たくさんの方々にひろめてください。
 28日火曜日まで目が離せません。
 
 ーー以下記事要約/転送歓迎ーー

ペガー・エマンバシュクさん、イラン人女性、40歳。2005年にイランを脱出し、イギリスで難民申請をしたが、それが認められずにあと数日で故郷のイランに強制送還されようとしている。彼女は、レズビアン。レズビアンであるということは、イスラム法の下、イランでは死を意味する。石打ちの刑に処されることもある。

殺される確率が高いとわかっていて、彼女をこのまま強制送還させていいのか。国際難民法の述べる難民の定義を引用するが、「…人種、宗教、国籍もしくは 特定の社会的集団の構成員であるということ又は政治的意見を理由に迫害をうけるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる 者」(難民条約第1条)とは、彼女のことではないのか。

彼女の強制送還は、国による殺人である。これは許しがたい犯罪であり、人命の冒涜だ。国際社会は黙って見すごしていけない。ペガーさんのために一人一人のアクションを求めたい。

【英語サイト】
インディーメディア:
http://www.indymedia.org.uk/en/2007/08/379580.html

シェフィールドのメディア:
http://www.indymedia.org.uk/en/regions/sheffield/2007/08/378415.html

ネット署名(英語):
http://www.petitiononline.com/pegah/petition-sign.html


【日本語訳ブログ】:
http://pega-must-stay.cocolog-nifty.com/blog/

※記事は刻一刻と更新されて、新しい記事が出ていますので、トップから別の記事も見られます

June 22, 2007

従軍慰安婦、全面広告の愚

何か問題があったときにその問題を指摘した相手のことを同罪じゃないかと責めても問題解決にはまったくなりません。「◎×君は廊下を走りました」と言われて「△◆君も走ったじゃないか」と言っても帳消しにならないばかりか、そういう抗弁はとても子供じみたものに受け取られるのが普通です。

それを大人が、それも国を代表する国会議員やジャーナリスト、大学の先生までが真顔で言ったら「子供じみた」では済みません。私が14日付のワシントンポスト紙に掲載された「THE FACTS(事実)」と大書された全面意見広告を見て、これはまずいことになるぞと思ったのはそういうことです。

この広告は、いわゆる従軍慰安婦問題で櫻井よしこや元産経の花岡信明、すぎやまこういちらの呼びかけに応じた日本の国会議員らが連名で「第二次大戦中に日本軍が強制的に従軍慰安婦を徴収したことを示す歴史文書は存在しない」と訴えたものでした。「米国民と真実を共有する」とうたった同広告は、「慰安婦は『性奴隷』ではなく、当時の世界では一般的だった公娼制度の下で行われていて大切に扱われていた」「多くの慰安婦女性は佐官級将校やあるいは将軍級よりもはるかに多い収入を得ていた」などとする5つの「事実」を列挙しています。それだけでも言い訳がましく響くのに、ダメを押したのが次の文章です。

「事実、多くの国が自国兵による民間人強姦を防ぐために軍用の娼館を設置していた(例えば1945年には占領当局はアメリカ兵による強姦を防ぐため、日本政府に対し衛生的で安全な“慰安所”の設置を求めた)」

いったい、どういう神経がしれっとこういう文章を書くのか。この記述内容が間違いだとは言っていません。問題は書き方です。「言い訳がましく響く」どころか、これはまるで「おまえの母ちゃんデベソ」ではないか。こんなふうに言われて、アメリカが「ああ、そうでした」と銃をしまうとでもお思いか。

これは本来、膝を突き詰めて腹を割って直談判しているときに出てくる話でしょう。説得とはそうやってするものだ。複雑に入り組んでいる国際問題ならなおさら。ところがブッシュ一辺倒で来た自民党は、米議会で勢力を得た米民主党のキーパーソンとの親密なパイプをだれも持っていなかった。だれもこういう話が出来ないのです。そうして、何を勘違いしたか、本来ならば密室でのせめぎ合いの一端を新聞紙上でかくも公然と高圧的に講釈したもうた。バカじゃないのか。

案の定、これが火に油を注ぐことになりました。副大統領のチェイニーもこれに目を剥き、4月の安倍訪米での謝罪でなんとなく鈍化していた米議会も一気に日本非難決議採択でまとまりました。掲載がNYタイムズではなくワシントン・ポストでまだしもよかった。NYタイムズならあっというまに一般市民にまで反日気運が広まったかもしれません。

思えばこのすり替えの論理は従軍慰安婦に限ったものではありません。故松岡農相のナントカ還元水に始まる事務所費乱用問題では「(民主党の)小沢さんの使い方はどうなんですか」と気色ばみ、年金問題では「そのときの厚生大臣は菅(直人)さんじゃありませんか」といずれも相手の責任に問題をずらす総理大臣がいます。

見逃せない点がもう1つ。「強制はなかった」という言い方は、沖縄戦での集団自決に関して「日本軍の強制はなかった」という論理とじつに似通っている。問題は、従軍慰安婦も集団自決も、それを「強制した文書が存在する、しない」ということではないのに。

あの沖縄戦で、日本軍の基地建設にも関わった沖縄島民は米軍にとらわれて軍事機密を明かしてしまうことを懸念されていた。それで日本軍は鬼畜米英を強調し喧伝し、重要な軍事物資であった手榴弾を島民たちに手渡す。たとえそこに言葉や文書による命令がなかったとしてもそれは自決への明確な誘導であり、その体制での誘導とは精神的な強制以外のなにものでもなかったことは想像に難くありません。ふだんは「すべてを言わずにそれを斟酌するのが日本語の美徳」などと言っておきながら、右翼保守派はこういうときに限って「具体的な言葉がなかった」と逃げ道に使う。まったく、汚いことこの上ない。

同様に、従軍慰安婦でも問題はそれを生み出した戦時体制全体なのであって、慰安婦はその中の一具体例でしかないのです。強制を示す文書がなかったといって鬼の首でも取ったかのようにはしゃいで新聞に全面広告を出すなど、やぶへび以外のなにものでもありません。そんなことを証拠立てたって本質としての軍国体制そのものが赦されるものではない。ここには例の靖国問題の本質も通底しているのです。

こうした一連の自虐史観の書き換えは安倍政権にとっ