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January 19, 2010

再び、ハイチ地震と日本

距離的にも近いし移民の数も多いからでしょうが、アメリカのハイチ地震への対応の早さは官民ともに見事でした。あまりに素早くかつ大規模なので、アメリカはハイチを占領しようとしているという左派からの批判もあるようですが、まあ、そこは緊急避難的な措置ということでそう目くじら立てても、他にそういうことをやってくれるところはないわけですし、って思っています。確かに航空管制とかもアメリカが肩代わりしてるようですしね。で、軍事的な貢献はしないと決めている日本は、だからこそこういうときにいち早く文民支援に立ち上がってほしいところなのですが、しかし今回もまた、今に至ってもまったく反応が著しく鈍いという印象です。

折しも日本のメディアは阪神淡路大震災15周年の特集を組んでテレビも新聞も大々的にあの地震からの教訓を伝えようとしていました。ところが、いま現在進行中のハイチ地震の支援についてはほとんど触れなかったのです。いったいどういうことなのでしょう? まるで何も見えていないかのように、阪神阪神と言っているだけ。そりゃ事前取材でテープを編集して番組に仕立て上げるという作業があったのかもしれないが、すこしは直前に手直しくらいできたでしょうに。ハイチ地震発生は12日。それから阪神淡路の15周年まで5日間あったんですから。あるいは大震災の教訓とはお題目だけで、実際はなにも得ていないのだという、これは大いなる皮肉なのでしょうか。小沢4億円問題も大変ですが、検察リークの明らかな世論誘導や予断記事を少し削って、もうちょっとハイチの悲惨について紙面や時間を割けないものかと思ってしまいます。

西半球で最貧国のハイチにはビジネスチャンスもほとんどないからというわけではないでしょうが、日本企業の支援立ち上がりもまったく目立ちません。一方で米企業の支援をまとめているサイトを見ると大企業は軒並み社員の募金と同額を社として上乗せして寄付すると宣言したりで、不況をものともせず雪崩れを打ったように名を連ねています。まあ、企業として税金控除ができるという制度の後押しもあるせいでしょうが。

それらをちょっと、日本でも知られている企業の例だけでも適当に抜き書きしてみましょうか。

▼アメリカン・エクスプレス;25万ドルを米国赤十字社、国境なき医師団、国際救援委員会、世界食糧計画友の会に。その他、アメックス社員の募金と同額を上乗せして寄付など。
▼アメリカン航空グループ(AMR);サイトを通じてアメリカ赤十字に寄付した人にその金額分のボーナスマイルを付与。ポルトープランスへの救援物資の輸送。
▼AT&T;携帯電話のテキストメーッセージで10ドルの寄付が米赤十字社に簡単にできるように設定。
▼バンク・オブ・アメリカ;100万ドルを寄付。うち50万ドルは米赤十字社へ。
▼キャンベルスープ;20万ドル。
▼キヤノン・グループ;22万ドルを米赤十字社へ。
▼シスコ基金;250万ドルを米赤十字社へ。そのほか社員募金と同額の寄付(上限100万ドル)
▼シティグループ;救援隊、医療用品器具、援助物資、衛星電話。
▼コカコーラ;米赤十字社へ100万ドル。
▼クレディスイス;100万ドルを米およびスイス赤十字社へ。
▼DHL;災害対応チームを派遣して空港でのロジスティックスに当たらせる。
▼ダウ・ケミカル;50万ドルを米赤十字社ハイチ地震援助基金へ。社員募金相当分を上限計25万ドルで世界食糧計画などに寄付。
▼デュポン;10万ドルを米赤十字社ハイチ援助基金に。
▼フェデラルエクスプレス;42万5000ドルを米赤十字社、救世軍などに。救援物資78パレット分を災害地に。総計で100万ドル以上。
▼ゼネラル・エレクトリック(GE);250万ドル。
▼ジェネラル・ミルズ基金;25万ドル。
▼ゴールドマン・サックス;100万ドル。
▼グーグル;100万ドルをユニセフとCAREへ。
▼グラクソ・スミス&クライン;抗生物質などの主に経口医薬品と現金。地方インフラの回復を待ってさらに供給予定。
▼GM基金;10万ドルを米赤十字社へ。
▼ヒューレット・パッカード;50万ドルを米赤十字社国際対応基金へ。社員募金と同額を上限25万ドルでグローバル・インパクトへ。
▼ホームデポ基金;10万ドルを米赤十字社へ。
▼IBM;技術およびサービスで15万ドル相当分。
▼インテル;25万ドル。および社員募金同額分を該当NGOへ。
▼JPモルガン・チェース;100万ドル。
▼ケロッグ;25万ドル。
▼KPMG;50万ドル。
▼クラフト・フーズ;2万5000ドル。
▼メジャーリーグ・ベースボール(MBL);100万ドルをユニセフに。
▼マスターカード;会員のポイントをカナダ赤十字社への現金募金に替えて振り込めるようにした。
▼マクドナルド;50万ドルを国際赤十字社連盟に。傘下のアルゼンチン企業の社員募金も同額分上乗せで計50万ドル寄付の予定。
▼マイクロソフト;125万ドル。その他、社員募金12000ドルを上限に同額を寄付。現地で活動のNGO要員へのMS社対応チームの派遣。
▼モルガン・スタンリー;100万ドル。
▼モトローラ;10万ドル。その他、上限25000ドルで社員募金に同額上乗せで寄付。
▼北米ネスレ・ウォーターズ;100万ドル相当分の飲料水
▼ニューズ・コープ;25万ドルを米赤十字社と救世軍に。その他25万ドルを上限に社員募金に同額上乗せでNGOに。
▼ニューヨーク・ヤンキーズ;50万ドル。
▼パナソニック;10万9962ドル(1000万円)。
▼ペプシコ;100万ドル。
▼トヨタ;50万ドルを米赤十字社、セイヴ・ザ・チルドレン、国境なき医師団に。
▼トイザらス;15万ドルをセイヴ・ザ・チルドレンに。
▼ユニリーヴァー;50万ドルを国連食糧計画に。
▼ヴェライゾン基金;10万ドル。携帯テキストで米赤十字社に寄付できるように変えた。
▼VISA;20万ドルを米赤十字社へ。
▼ウォルマート;50万ドルを米赤十字社へ。10万ドル相当の食糧パッケージを赤十字社へ。
▼ウォルト・ディズニー社;10万ドルを米赤十字ハイチ地震救援基金に。

  ……等々。これらは日本でも知られている名前を適当にピックアップしたもので、リストはこの倍以上あります。なお、リストは米時間19日午前の時点のものです。

電話会社ヴェライゾンとAT&Tは携帯のテキストメッセージで10ドルを寄付できる方法を広め、米市民からの募金は17日までに(地震発生後5日間)で1600万ドル(15億円)を突破したそうです。上記リストにはありませんが、アップルはアイチューンズ・ストアで楽曲やソフトを買うように寄付ができるようにもしています。米大リーグやNYヤンキーズが募金に名を連ねたのは、ハイチからの野球選手が多くいるからでしょうね。

思えば9・11もインド洋大津波の時もそうでした。世界の大災害に当たって、欧米の大企業はそのホームページを続々とお見舞いのデザインに変えていました。でもそのときも、日本の企業のホームページは相も変わらず自社の宣伝だけ。こんなに世界が大わらわなときに、能天気というか、危機管理ができてないというか、現実問題と隔絶してるというか、最も安上がりで手間も時間もかからない企業の社会貢献マーケティングのチャンスをみすみす見逃しているのです。

とはいえ、上記リストにはトヨタとパナソニックも名を連ねていますね。素晴らしい。いま両社のホームページを見たら、ちょこっと、控えめではありますが義援金の拠出についてニュースとして報告してありました。「わが社は◎◎ドルを寄付しました」ってHPに書き加えたって、こういう場合、だれも売名だなんて思いません。企業ってのは稼いでなんぼです。稼いで、それで堂々と寄付もする。それも次の稼ぎにつなげてまた寄付をする。そう、こういうことならどんどん売名すべし、です。

日本の企業にまた呼びかけます。御社のホームページ(トップページ)にいますぐハイチへのお見舞いの言葉を書き込むことです。そうしてそこからクリックで日本赤十字社なりへの募金ページに飛べるようにすることです。それだけで企業の社会意識の高さが示せます。それがCRMの初歩というものでしょう。それをぜひとも企業としてマニュアル化してほしい。

何度も言っていますが、私たちは超能力者じゃないから、なんでも言葉にしなくては通じないのです。お見舞いの言葉もそう。たとえ日本語で書いてあっても、企業としてのそのお見舞いの表明は消費者としての日本国民のお見舞いの言葉と募金に姿を変えて世界に表明されるはずです。

今回も、民主党政府になってからさえも、日本はまたフロリダにいた自衛隊の輸送機を使えないものかと調整してそれで時間を食って出遅れたようです。べつに自衛隊を使う使わないはいいから、そうじゃなくて、とにかく文民の発想で援助にいち早く立ち上がる。それが憲法9条を掲げる日本の国際貢献の基本形だと思います。

January 14, 2010

地震で壊滅的なハイチ支援の緊急呼びかけ

アメリカのTVニュースではハイチの惨状がずっと報道されています。とんでもないことになっています。マグニチュードこそ7.0と阪神大震災(M7.3)より小さかったといえ、震源の浅さと脆弱な建物の倒壊のために被害の規模は何十倍にも及んでいます。死者はともすると十万人を超えるとか言っています。被災人口は300万人!

国連の仲裁で亡命大統領だったアリスティードが復帰した1994年に取材でニューヨークからハイチに入りました。ポルトープランスはとても貧しい首都で、首都でそうなのですから地方はもっと困窮した事態でした。建物はすべて2階建てか3階建てで、木造の他、セメントブロックをただ積み上げただけの家が並んでいました。支柱もないこれらの家屋が軒並み倒壊したのです。ツイッターにもフェイスブックにもハイチの人々の悲鳴が溢れています。

日本での報道がどうなっているのか、日本政府の対応がどうなのか、チェックしていません。
こういうとき、どうすべきか。

民主党でも、社民党でも、いや、自民党のだれか、ここが政治家の出番だ、売名行為といわれてもよい、すぐにテレビでもラジオでも日本国民に募金を呼びかけることです。500円でも100円でも1000円でも、政府のおカネの手配が遅れるなら、一般人がカネを出し合って送ってやることです。それをやってますか?

もう1つ、日本の企業各社のホームページ(トップページ)をいますぐハイチへのお見舞いの言葉で始まるデザインに書き換えることです。そうしてそこからクリックで国際赤十字なりへの募金ページに飛べるようにすることです。銀行は寄付金の振り込み料を無料にするようシステムを変えることです。

阪神・淡路大震災、9.11、インド洋大津波、世界中の大災害で欧米の各企業と各政府の反応の素早かったこと。日本の企業はぜんぜん駄目でした。とにかくお見舞いを表明すること、そこからいろいろな行動が始まります。政府がやるというのではなく、日本人がみんなでハイチを考えてください。それが日本という国なのだと表明してください。

いま、欧米の企業や政府がみんなそれに取りかかっています。企業もホームページを書き換えています。
これを読んだあなたの会社でも、そうしてください。

つい2日前のブログでハウツー本をけなしましたが、これこそ、ハウツーの重要さです。
思いは形にしなければ伝わらないのです。

December 14, 2009

年越しの果てに見えてくるもの

小沢幹事長の600人大訪中団や習近平中国副主席の天皇会見設定などを見ていると、普天間移設問題で結論を先送りにしている日本の民主党は、実は東アジア全体の安全保障の根本的再構築を狙っているのかと思ってしまいます。膨大な国債依存関係の米中接近を横目に、米中だけでは決めさせないぞとも言わんばかりの日中接近。

にもかかわらず日本での報道は相変わらずです。普天間先送りでは「米国が激怒」とまるで米政府の代弁者のような論調。小沢訪中団に関しても「民主党の顔はやはり小沢」と、些末な党内事情へと矮小化して報道する。

普天間問題で日本の新聞に登場する米国のコメンテイターたちはマイケル・グリーンやアーミテージなどだいたいが共和党系、あるいはネオコン系の人たちで、従来の「揺るぎない」日米関係、つまり「文句を言わない日本」との日米同盟を前提としてきた人たちです。メディアは彼らを「知日派」と紹介して鳩山政権の対応の遅れやブレを批判させているのですが、彼らの「知日」は自民党政府と太いパイプを持っていたという意味であって、「知日」というより自民党政権のやり方に精通しているという意味なのです。だから、民主党政権の(不慣れな)やり方に、やはり彼らも不慣れなために、「前のやり方はこうではなかった」という戸惑いや批判を口にしているにすぎない。その証拠に、自民党に同じ質問をしてごらんなさい。彼らと同じコメントが出てくるはずです。新聞は、そんな浅薄な、というかいちばん手近なやり方で論難しているのです。

米国のルース駐日大使に関してもそうです。岡田会談から始まる政権との会談で対応の遅れに不満表明と報じられていますが、大使というのも指名ポストながらも役人なのです。米政府の役人が米政府の従来路線の踏襲とその事務的な執行を目指すのは当然であって、これまでに決まった米国の立場を説明する以外の権限がないのだから「困った」と言うに決まっています。それ以外、何を言えるのでしょう? まさか、「わかった、私が政策転換をオバマに進言しよう」と言いますか? それが「ルース大使、声を荒げる」とか、見てきたような作文まで“報道”する新聞もありました。

米国のメディアは米国の国益を基に主張しますが、日本のメディアまでが米国の国益を主張するのはいったいどういうねじれなのでしょう。

普天間問題では、日米の取り決めは「合意」であって「条約」でも「協定」でもないのだから、それを検討し直すのは実は外交上は「あり得べからぬこと」ではないのです。もちろん重要な日米関係、事は慎重に進めねばなりませんが。

しかし8000億ドルもの米国債を保有する中国を抱えて、米国の東アジア安全保障の概念も、冷戦時とは大きく様変わりしています。日中の経済関係もますます重要になってきます。「対共産主義の防波堤」だったはずの日本の米軍基地の位置づけも、いまや不安定な中東への東側からの中継地へとシフトしています。沖縄に80%を依存する日本の米軍基地とはいったい何なのか? それは果たしてそもそも必要なのか?

日米中の3国によるここでの新たな枠組みの構築は、21世紀の枢要な安全保障へと発展するはず。小沢はそのあたりを見据えているのではないか? あるいはまた、鳩山の「常駐なき安保」という路線はあながち今も生きているのかもしれません。その枠組みの中で沖縄をどうするのか、そう考えるとこれは性急に結論を出せるものでもないのかもしれない。

習近平副主席の天皇会見で中国に貸しを作った民主党は、まずは直近の安全保障問題である北朝鮮に関して何かを狙っているのではないかといううがった見方もできます。政府要人か党首脳の電撃訪朝と拉致問題の解決・進展なんていうのもあり得ない話ではないかもしれません。新年に向けて期待したいところです。

September 16, 2009

セメンヤ

あの、「両性具有」だとアウティングされた南アフリカの陸上選手キャスター・セメンヤ、24時間自殺監視措置になった。だれとも会いたがらないそうだ。18歳の子に、なんとひどいことをしたんだろう。

あれはリークだったんだね。
メディアがそれに飛びついた。なんのために?
表向きは世界陸上の公正性のために。しかし、心理的には化け物がいると言いふらしたかったゆえに。

公式な、違う内容と違う形での発表が出来たはずなのに。
こんな残酷なことはない。

Gender Row Runner Semenya Placed On Suicide Watch

Monday, September 14, 2009 at 5:54:53 PM

South African runner Caster Semenya, who is at the center of a gender row, has been placed on suicide watch amid fears for her mental stability.

The Daily Star quoted officials as saying that psychologists are caring the 18-year-old round-the- clock after it was claimed tests had proved she was a hermaphrodite.

Leaked details of the probe by the International Association of Athletics Federations showed the 800m starlet had male and female sex organs - but no womb.

Lawmaker Butana Komphela, chair of South Africa's sports committee, was quoted as saying: "She is like a raped person. She is afraid of herself and does not want anyone near her. If she commits suicide, it will be on all our heads. The best we can do is protect her and look out for her during this trying time."

South African athletics officials confirmed Semenya is now receiving trauma counselling at the University of Pretoria.

Caster has not competed since the World Athletics Championships last month when the IAAF ordered gender tests on her amid claims she might be male.

Source-ANI
SRM

September 08, 2009

鳩山論文、その2

なにせこんな明確な政権交代は初めてのことなので、バタバタしているのは当事者だけでなくメディアも同じようなものです。岡田さんが外相と発表されるや、共同通信は米政府に「好感と懸念が混在」として、「野党代表の経験はあるものの政府機関を取り仕切るポストについたことがなく行政感覚が未知数である点を不安視する見方も」と配信しています。

しかしよく考えればそんなのは当たり前のことで、字数を費やすほどの情報ではない。どうもこの種の「言わずもがな」や「蛇足」の原稿が目につきます。その最たるものが例のNYタイムズ電子版で紹介された鳩山論文をめぐる顛末でした。

この前のエントリーでおかしいと書いたんですが、まあ、だいたい私の推測どおりでした。あれは寄稿ではなかったのですね。ちょっとこの顛末をまとめてみましょう。

最初に噛み付いたのは産経新聞です。鳩山代表が「寄稿した論文に対し米専門家らから強い失望の声」という記事で、同論文に対し「アジア専門の元政府高官は『米国に対し非常に敵対的であり、警戒すべき見方だ』とみる。米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)のニコラス・セーチェーニ日本部副部長は『第一印象は非常に重要で、論文は民主党政権に関心をもつ米国人を困惑させるだけだ』と批判。『(論文を読んだ)人々は、日本は世界経済が抱える問題の解決に積極的な役割を果たすつもりはない、と思うだろう。失望させられる』」と紹介したのです。

ここで紹介されるコメントはCSISのアジア上級部長だったマイケル・グリーンなど、ブッシュ前政権の安全保障政策を担ったサークルです。まあ当然ながら自民党=共和党外交に精通した人たち。つまり、まず鳩山外交への疑問と批判ありき、のメンツなわけです。

さすがは「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」と公的メディアで発言した記者のいる新聞社、「失望」を語る人に「失望」をコメントさせたに過ぎません。しかもこのコメント者たちはこの「寄稿」が実はNYタイムズに寄稿したものではなく、鳩山氏が日本の月刊誌「Voice」9月号に寄稿した日本国内向け論文を、通信社が適当に抜粋して配信したものだということを知らなかった。ネタ元の精査なくあたかも「米国側」の代表のようにコメントするというチョンボは、研究者としていかがなものか。

もっとも、(前エントリーでも書きましたが)電子版でも「オプ・エド」という投稿ページでの掲載でしたから、鳩山氏の「寄稿」と勘違いするのもそう非難できません。でもなんだか変だった。なんでまたこんな時期(選挙直前の8月27日付)に唐突にこんなものをNYタイムズなんかに“寄稿”したのか意味がわからなかったからです。さらにおかしなことに、文末に「 Global Viewpoint/Tribune Media Service」と付記があった。これは通信社の配信を示唆します。テキストの冒頭には確かに「By Yukio Hatoyama」とあったが、それは筆者名のことであって寄稿ではないのではないか、と気づくべきでした。まあ、批判のネタを見つけたと気が急いたのでしょう。

さて、では実際の米側の受け止めはどうなのでしょうか?

米国の民主党は、腹芸の共和党に比べ、人権や環境問題などわりと大義名分や理想論を打ち出して行動する政党です。しかも外交というのは議論から始まります。核持ち込み密約など、異常だったこれまでの日米関係を正常化するためにもどんどん言葉を交わす、そんなディベートができる信頼関係が成立すれば、米国にとっても頼もしい日本であるはずなのです。つまり岡田外相に求められるのは、共同配信で「不安」とされた「行政感覚」などではなく、むしろ議論の能力なのです。

そのあたりを先日、東京新聞特報部の記事でコメントしたので、ここにも転載しておきます。

東京090905.jpg

April 30, 2009

豚インフルエンザから新型インフルエンザへ

なんだか知らない間に、日本の報道は全部「新型インフルエンザ」になってしまいましたね。

「豚インフルエンザ」だと、豚肉加工業界が打撃を受けるかもしれないという風評被害回避の措置なんでしょうが、「新型インフルエンザ」だとこのウイルスの発生の理由が鳥だか豚だかはたまた何だか、わからんくなってしまうでしょうに。日本の政府の対応を見ていると(最近、わたし、このMacの上で日本の地上波テレビがオン・タイムで見られる無料ソフト=MacKeyHoleを入手しまして、きゅうに日本のテレビ事情に精通しております)、豚肉関連業界保護の姿勢がわざとらしいくらいに強調されていて、ちょっとなんだかなあって感じがします。もちろんその背後にはアメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉の圧力、つまりはアメリカ農務省からの要請や票田としての豚肉農家の思惑もあるんですが、こちらアメリカではまだそんな言い換えはしていません。Swine Flu は Swine Flu です。これってまた字面だけでごまかそうとする言葉狩りなんでしょうか。まったく、悪しき対応だと思います。

もう一点、日本の報道、とくにテレビは、一方で「正確な情報を」「落ち着いた対応を」と呼びかけてはいるくせに、その一方で豚フルーのニュースにおどろおどろしい効果音やら音楽ジングルをかぶせる。しかも例によって声優気取りのナレーションがまたまた低音恐怖フォントみたいなイントネーション。それはあまりにひどいんじゃないでしょうか? これは報道ですか? それともホラーですか? 視聴者を脅してどうするんでしょう。これをやめるだけでもずいぶんと「落ち着いた対応」が可能になるのではないでしょうか?

だって、まだ豚フルーの死者どころか感染者すら確認されていないのでしょう? 例の横浜の高校生にしたって、30日時点の簡易検査では陰性なのですし。なのにもう、アメリカよりもすごい騒ぎぶりです。アメリカの死者だって、じつは亡くなった男児は豚フルーの発症前から基礎疾患として免疫的な問題を持っていた子だったようです。

いや、この豚フルーが大した問題ではないと言っているのではありません。これは2つの意味で大変な問題です。それは後述しますが、ただ、大した問題ではあるが、同時にこういうのはパニックになってもどうにもならないんですね。どうしようもない。人ごみを避けるって言ったって、避けられない時だってあるでしょう。パンデミック、世界的蔓延の恐れ、と言ったって、これはあのエイズの場合と一緒で、いたずらに恐れて感染者の魔女狩りみたいなことになってもひどいでしょ? 現に、舛添厚生大臣が「横浜の高校生に感染の疑い」と、なんだか「情報の早期発表」なのか「フライング」なのかまたわからんような記者会見を行ったんで、ちょっと休んでる横浜の高校生みんな、あしたから大変ですよね。って、あ、ちょうど週末かつ黄金週間か。

そんなこと言ってもとにかくわかった段階で教えろ、というのは当然です。しかし、ああいう深夜1時半の、ドタバタした発表の仕方しかないもんでしょうか? もっとゆったりした顔で、ふつうに話せなかったものか? まあ、役者じゃなかったということですが、これは困ったもんだなあ。

この点を、産經新聞の宮田さんが的確に指摘していました。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090430/bdy0904300103001-n1.htm

「水際作戦とは感染した人の排除ではなく、可能な限り早い段階で治療を提供するためのものである」というのは、じつに重要な指摘だと思います。宮田さんは日本で最初期からエイズ問題を取材しつづけているベテランジャーナリストです。

ところで、冒頭部分で「アメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉」と書きました。お気づきの方もいるでしょうが、この3国は、NAFTA(北米自由貿易協定)の3国です。昨日の「デモクラシー・ナウ」では、この豚インフルエンザを「NAFTAインフルエンザ」なのだとするこれまた重要な批判が掲載されています。

http://www.democracynow.org/2009/4/29/the_nafta_flu

つまり、豚フルーの背景には家畜産業革命と呼ぶべきものがあるというのです。第二次大戦前は米国でも家禽や豚というのは全米的に裏庭で育てられていたわけで、鶏の群れ(flock)というのは70羽単位で数えられていた。それが大戦後にはHolly Farms, Tyson, Perdueといった大手家禽精肉加工企業によって統合され、ここで家禽や養豚の産業構造は大きく変わることになり、いまは米国内の養鶏、養豚業は南東部の数州に限られるようになった。しかもそれらは大規模畜養で、70羽とじゃなくて3万羽とかの単位です。

このビジネスモデルは世界に広がり、1970年代には東アジアに拡大して、たとえばタイではCP Groupという世界第4位の家禽精肉加工企業が出来、その会社が今度は80年に中国が市場を開放した後に中国での家畜革命を起こすわけです。

そうやって、世界中に「家禽の大都市」「豚の大都市」が出来上がっていった。もちろんこれにはIMFとか世銀とかあるいは政府とかの財政的後押しもあって、借金まみれだった各国国内の弱小酪農家がどんどんと外部の、外国の農業ビジネス大企業に飲み込まれていくわけです。

そして1993年からのNAFTAがある。これがメキシコでの養鶏・養豚業に大きな影響を与えるわけです。結果、そこの支配したのは米国のSmithfield Foodsという企業の現地法人でした。ベラクルス州ラグロリアという小村にあるこの会社の大規模かつ劣悪な養豚環境が、今回のH1N1ウイルスの発生源とされているのです。そりゃそうですわね、なんらの規制も監視システムも設けないでそういう大型酪農工場を貧困国にどんどん設置していけば、何らかの疾病が起きたときにそれは人口過密の大都市で起きたのと同じく大量の二次感染、三次感染へと連鎖して、ウイルスの変異がどんどん進む。そのうちに鳥や人間のインフルエンザ・ウイルスとも混じり合って、やがて人間世界へ侵出してくるのは当然のことと思われます。

先に「2つの意味で大変な問題」と書いたのは、1つは今後の感染拡大の問題ですが、2つ目はこの、産業構造としての食品工業のことです。

つまり、まとめれば次のようなことです。

1)豚インフルエンザに騒いでもあわててもしょうがありません。感染する時は感染する。
2)感染したら早めに治療するだけの話です。
3)感染したからと言って回りがパニックになっても何の意味もありません。
4)元凶は、私たち人間の食を支える農業ビジネスの歪さかもしれませんね。
5)いずれにしても、ニュースにホラー映画まがいのナレーションや音楽や効果音をかぶせるのはもういい加減やめにしたほうがいいです。
6)日本政府も、水際作戦とやらの全力投球はいいけれど、後先考えずこんなんでずっと保つんですか? 疲れてしまってへたったときにふいっと感染爆発って起きるもんなんですよ。長期戦なりの作戦展開をして対応すべきでしょうに。


お時間があれば次のビデオクリップを見てください。
まあね、このクリップにも効果音楽が被されていますけどね。

上のは「Food Inc.」という映画の、下のは「Home」というドキュメンタリー映画の予告編です。


April 08, 2009

歴史的な採決

米北東部のバーモント州の州議会が7日、歴史を作りました。米国史上初めて採決によって同性婚の合法化を果たしたのです。これまでのマサチューセッツ、カリフォルニア、コネチカットの合法化は“過激派の最高裁判事”(By G.W.ブッシュ)による決定でしたからね。

バーモント州議会はじつは3月23日には州上院で、4月2日には州下院でそれぞれ同合法化案を可決していたのですが賛成票は拒否権に対抗できる数にまでは達していませんでした。そこで知事のジム・ダグラスが6日に拒否権を行使しこれを否決。しかし翌7日には、この拒否権の無効化に回る議員が増え、上院では23対5の圧倒的多数で、直後の下院でも100対49と、拒否権の無効に必要な3分の2以上の票を得て同性婚合法化案は再可決されたのです。

下院議長シャップ・スミスがこの最終投票結果を発表すると議場は大きな拍手喝采に包まれたようです。

そしていま、アイオワ州でも4月3日に州最高裁が判事全員一致で同性婚を禁じる州法を違憲とする裁定を行って、こちらの知事は最高裁の決定を尊重すると言っています。ですからこちらも合法化されます。

こうなると、カリフォルニアでのプロップ8が、いまさらながらバカみたいに見えてきます。だってアイオワですよ、アメリカ中部の田舎の代名詞みたいなところ、ハートランドですよ。

こういう、議会での同性婚賛成はここ数カ月でニューヨーク州、お隣のニュージャージー州、メイン州、ニューハンプシャー州でも増えてきています。次はきっとニューヨークとニュージャージーで議会による合法化がなされるでしょう。いやいや、戦いは佳境に入ってきました。

でもそれはすなわち、同性婚反対派がこれでまた恐怖をあおるキャンペーンを強化してくるということです。というか、もう、していますね。

下に映像をくっつけますので見てください。

これはゾンビではありません。死にそうな顔で同性婚合法化を憂う人たちです。すごいセンスです。言ってることも、「この問題をわたしたちの私生活に持ち込もうとしている」「わたしの自由が奪われる」「同性婚を認めない教会が政府によって罰せられる」「同性婚をオーケーと私の息子に教える公立学校の教師たちを親である私はただ黙って見ていることしかできない」ってめちゃくちゃ言いよるねん。揶揄ではなく、ほんとうにこの人たち、精神を病んでるのかしらって心配です。ほんとうに、ちゃんと病院に行くべきです。


April 06, 2009

我慢のチキンレース

そりゃあミサイルが降ってくるとなれば誰だって慌てます。しかしもしそうだとしたら、そのときに為政者が準備すべきは、1つは落下あるいは攻撃地点の被害の予防と事後の救助、そしていま1つはミサイルを射った国との戦争です。

ところが日本政府はどうもその1つも真剣には準備していないようでした。迎撃用ミサイルは配備しましたが、「当たるわけない」と発言する高官までいてどこまで本気だったのか。というかそもそもこれが日本を狙っての「ミサイル」だったとはだれも信じてなかったんでしょう。つまり、この件はどこまで大変なことだったのか? 本当はそう大したことではなかったんじゃないのか?

日本のメディアはものすごい騒ぎでした。おまけに政府は発射の誤認と誤報騒ぎを2度まで起こして、私なんぞはこれでアジア各国に「日本はこれほどに平和国家。あなたの国を侵略する意図なんぞ微塵もありません」と宣伝する最高の材料だったと、いや冗談ではなく真面目にそう思いました。これこそが軍事に走る北朝鮮や中国に対する見事なアンチテーゼだと開き直ることです。

ところで北朝鮮という国の行動パタンはいつも決まっています。数年に1度、軍事的脅威で挑発して、国際社会がその暴走を止めようとさまざまな懐柔の餌を投げ与えてくるのを画策する。

今回のミサイルも、そもそも94年に問題となった核弾頭の原料となり得るプルトニウム生成の黒鉛減速炉から引き続くものです。このときのクリントン政権は北朝鮮の爆撃も検討しましたが、結局は特使のカーター元大統領が当時の金日成と会って代替の軽水炉を無償で建設してやるということになったのです。

とはいえ、それも何度もウラン濃縮計画を口にしたり黒鉛減速炉を再開したり、果ては国際原子力機関を脱退したり次には核拡散防止条約から脱退したり核兵器保有宣言をしたりで、軽水炉事業はついに05年11月に中止になりました。で、06年には核実験の強行です。

この一連の動きの中に今回のミサイル、というかロケットですわね、その発射があった。これは人工衛星だろうがなかろうが、テポドンの精度と射程が改善したことを国際的に見せびらかすためのものでした。おまけに北朝鮮は9日に最高人民会議、15日に故金日成の誕生日、25日には朝鮮人民軍の創設記念日を迎えます。これらを前に、金正日の健康不安で国内的な示威も必要でした。

つまり、今回のロケットでは北朝鮮としても切り離しの1段目ブースターなどを下手に日本本土に落とすわけには絶対にいかなかったのです。そんなことになったら本来の挑発・かく乱の意味がぶっ飛んでマジで大変なことになってしまいますから。日本政府中枢だってそのくらいは読んでいたでしょう。

ですので問題は今回ではない。次なのです。北朝鮮はしばらくは国内イベントで忙しいが、その後にどう動いてくるか? 弾道ミサイルの開発は今後、たしかに急速に進むでしょうから。

日本では早くも自民党の政治家から「北が核ミサイルなら日本も核武装すべき」という声が出ています。オバマが核軍縮に向けて米国の具体的な行動を宣言している時に日本が核兵器を持って何をしようというのか? 核兵器を持つこと、保管することは実際には技術的にとても難しいので、そんな一朝一夕に配備できるなんてことはまったくありませんからこれはブラフあるいは無知な発言なんですけれど、しかしそれにしてもそういう心情を吐露できてしまう野卑な政治状況というのはますます深化するかもしれません。

冒頭にも書きましたが、しかし政治家がまずは準備すべき被害の予防の最大のものとは、まさにそんな戦争をしたたかに事前回避することなんですね。そして上記のような短絡的な政治家の勇ましさは往々にそこに生きるわたしたち無辜の命を忘れがちなのです。それは北朝鮮政府と同じくらい始末が悪い。

で、戦争を回避するにはどうすべきか?
それはいまのところ、挑発には絶対に乗らない、ということしかないんだと思います。相手のチキンレースを受ける必要はまったくありません。メディアも、視聴率狙いでけたたましい番組や記事は作らんことです。もっとおとなになりましょうよ。だってこれは国家の安全保障にかかわることですもの。命がかかってる。ぎゃーぎゃー騒ぐやつは一番先に撃たれるんです。

表向きは騒がず、ときには無視もする。そして水面下で米韓と協調して探り合いを続ける。

でもね、最終的には北の体制を変えることしかないんだろうなあとは、みんなわかってるんだと思います。さてそれを、どうやるかですわ。知られないようにね。

November 05, 2008

オバマ勝利と日本の外交

オバマの勝利演説を聴きながら、選挙ウォッチパーティーを開いていた友人たちが静かに涙を流していました。ボストン大学で先生をやっているやつが私の横に来て「この国もまだ捨てたもんじゃないだろう」と言います。それにうなずきながら、こういう演説のできる大統領を持つアメリカを少しうらやましく思いました。日本にはこんな政治家はいないなあ。小泉は私語がうまかっただけで、演説はうまくはなかったし。

アメリカというのはこうして4年に1度、やり直しのチャンスというか、ダイナミズムの更新というか、そんなモメンタムを作るわけですね。政体自体がそっくり入れ替わるんですから、そりゃすごいもんです。ただ米民主党政権というのは歴代どうも「日本に冷たく中国を重視する」傾向にあると言われてまして、それを心配する向きもあります。しかし考えてみてください。共和党ブッシュの8年間だって小泉政権の時は9・11の余波のゴタゴタの中でなんだかうまく行っていた、ように見えただけで現在は結局、対北朝鮮宥和政策への転換で面目丸つぶれです。米国が日本のご機嫌を見ながら外交政策を変えたことなどいちどもありません。米国はあくまで時刻の国益でしか動きません。そのアメリカの国益を、日本はさっぱり誘導できてこなかったのです。外交官たちの説得下手というか、ディベイト下手というか、しかしこれはよくよく考えれば元は日本の自民党政権の問題なのだと思います。

日本の外務省ももちろん現在、ワシントンを中心に次期政権のブレインになると目される人たちに盛んに接触中です。オバマの対日ブレインには東アジア専門家のジェフリー・ベイダーや日本の防衛研究所にいたマイケル・シファー、日本生活も長くボーイング・ジャパン社長だったロバート・オアーらがそろっています。経済分野ではブルッキングズ研究所にいたジェイソン・ファーマンなんかもいます。さらにはオバマのこと、超党派で共和党もブレインも入ってくるかもしれません。

しかし日本側の政権がこうもコロコロ変わるせいで米側には彼ら外務官僚たちの背後に控えているはずの政治家たちがよく見えない(もっとも、見えたところでロクでもないやツラばかりですが)。そんなことで外交官だけを相手にまともに話し合おうと思うか? ふつう、思いませんわね。それも、こういうのってものすごく個人的な力量ってのが必要で、パーティーに行ってうまく話せるか、演技できるか、っていうような人間性にも関わる才能が必要なんですね。そういうの、できない役人が多すぎる(役人だけじゃなく日本人全般がそうなんですが)。その間に日米関係はそうして私的な斟酌や腹芸の取り入るスキなく、どんどん建前の議論で(これをやらせたらああ言えばこう言うのアメリカ人にかなう者はきっといません)米国主導で押し切られることになるのが常なのです。


新政権はまずは米国内の経済危機に取り組むでしょうが、その一方でイラク戦争撤兵からアフガン戦争増派へのシフト、テロ対策などは公約のタイムテーブルどおりに進めなくてはなりません。

この場合、外交とは米国にとっては安全保障の問題にほかならないのです。それは日本にとっては思いやり予算などを含む従来の基地問題やアフガン戦争支援のインド洋給油問題です。これらはたとえオバマ政権になったとしてもなんら変更を認めないでしょう。さっきも書いたようにアメリカはアメリカのことしか考えていませんから、あるいはこの財政危機でさらなる物的・人的支援だって要求してくるでしょう。オバマはブッシュ政権の一国行動主義からの転換を謳って「国際協調」という名の責任分担を図るでしょうから。

そんな中で、日本の対米外交はどう対応すればよいのでしょう。米国に押し切られるばかりなのでしょうか?

ここに来て、どうして日本がいつも米国の言いなりにならざるを得ないのかわかってきます。それは日米同盟、日米安全保障という政治的取り決めが、日本国憲法を上書きしているという倒錯のせいなのです。

日本は、日本の平和憲法を対欧米外交の切り札として使ったことがありません。海外への自衛隊派遣の困難の「言い訳」「言い逃れ」として使ったことは何度もありますが、外交の「背骨」として使ったことは一度もない。憲法のことになると遠慮がちに口ごもる、そんな外交なのです。で、安全保障に関してはその都度の対症療法で逃れてきたわけですよ。

こんなんでまともな外交ができるわけがありません。これは自民党が平和憲法をなおざりにしてきたそのツケが貯まったものです。そんなヘドロの中で泳がねばならない外務官僚にはお気の毒と言うしかありません。

この倒錯を解消する道は2つあります。平和憲法を正々堂々と盾にして、環境対策と復興支援を安全保障の中心に据える新機軸を構築・宣言すること。それは20世紀的ではないので旧態依然の国際政治においてとても受けは悪いでしょうが、可能なのです。倒錯解消のもう1つの道は、平和憲法そのものをやめちゃうことです。こっちの方が簡単だが、その以後がかえって大変で、簡単そうに見えてじつはこれは不可能なのです。

それともまだのらりくらりで乗り越えようとするのでしょうか。
まったく、自民党政治までが役所仕事のようになっているんですね。

米国はオバマに変革の希望を託しました。
日本の政治変革はいつ起きるのでしょう。
で、総選挙、どこに行っちゃったんでしょうか?

October 14, 2008

テロ国家指定解除の欺瞞

どの国もそうなんですが、外交というものはあくまで国益を第一に考えるものです。
ブッシュ政権はつねに、最近ではライス国務長官も「日本の立場は理解している」あるいは「拉致問題の重要性は認識している」という言い方しかしませんでした。「テロ国家指定の解除はしない」とはひと言も言っていなかったのです。その結論はどうなるか、そんなことはわたしでもわかる。つまり外交のプロたる外務省の役人たちがわからないはずがない。

アメリカは指定解除をするだろうというのは読めていたわけです。それを、まるで「寝耳に水」と驚いてみせるのは、これは日本国民に対する欺瞞です。そんなはずではなかった、という言い方ですよね。われわれは十分に努力してきてアメリカもそれを理解していたはずなのに、急に寝首をかかれた、という言い方。

これは責任逃れのへりくつです。知っていたんですよ。それを、それじゃ日本国民に格好がつかないから「知らなかった」「予想外だった」と言っている。一番正直なところは中曽根外相あたりの言っていた「一両日中はないと思った」というセリフでしょう。一両日中はないはずだったが、その次の日にはあるかもしれない。そういうこと。

ブッシュは、史上最低の大統領として名を残すことになるのはすでに明らかです。まあ、イラク戦争しかり、イラン政策しかり、イスラエル・パレスチナ問題然り、それは確実なんですが、せめて北朝鮮でどうにか格好を付けたかった。それが正直なところでしょう。

ただし、今回は時間の問題があった。
北が核施設運転再開をちらつかせるのはいつものことです。
どっちが我慢できるか、そのチキンゲーム。
ところが今回はブッシュ政権の命脈が尽きるというタイムリミットがあった。
ただそれだけのことです。いつもなら、むこうが核施設の無効化をしてから、解除です。それが待ちきれなかった。どうにかして先に進める必要があったということです。で、テロ国家指定解除を先出のエサにした。

麻生としては、拉致問題にいささかも影響はない、カードを失ったというわけではない、という言い方しか出来ません。ならば、「はじめから拉致問題とは関係ない。指定解除どうぞどうぞ」と言ってればよかったようなもんですがね。しかしカードを失ったのは確かなのです。麻生は先月の国連総会の訪米でもブッシュに会えなかった。アメリカも北朝鮮も、出ては消える日本の自民党政府を本格長期政権として相手にしていないということです。困ったもんです。

冒頭に言いましたが、今回のテロ国家指定解除は、日本との関係を損なっても、北との核問題解決がアメリカの国益、いや、ブッシュの個人の利益にとって重要だったという判断なのです。簡単なことです。

August 31, 2008

頭打ちとなる石油

日本に帰る飛行機代に多額の燃料費なるものが加算されるようになったのはいつからでしたっけ? この燃費サーチャージ、10月からまた1万円ほど上がるんですね。つまり日航や全日空なら通常の航空運賃の他に燃費追加でさらに6万6千円を払う計算です。これって、ちょっとまえの往復格安航空券そのものの代金だった。いまはそれが倍以上出さないと日本に帰れないのです。参ったなあ。

それもこれも原油の高騰に原因があるのですが、石油がこのままなくなってしまった世界を考えるとぞっとしてしまいますわね。


石油がなくなったら、おそらく私たち人類は重力の呪縛に捕われてもう二度と長時間にわたって空を飛ぶことはできなくなるんじゃないでしょうか。ハンググライダーなんかは別ですが(とはいえあの羽根も石油からできた繊維でしたっけ?)、アメリカから日本に帰ること自体が不可能に近くなる。帆船はあるでしょうけれど石油エネルギーがなくてどうやって船自体を、工具を、釘を作れるのか? おまけに温暖化の気候変動で海は大荒れです。

自動車はかろうじて自然エネルギーから得た電力や天然ガスなどで動くかもしれないので「江戸時代みたいな生活」というわけではないでしょうけれど、それにしても通信や情報を含めてすべての分野の産業が極端なほどに縮小するのは間違いありません。あ〜、こりゃ大変だ。気づけば周りは何から何まで石油エネルギー頼りなのです。

さて、石油はほんとうになくなるんでしょうか。いえ、なくならないんですって。どういうことかっていうと、なくなるよりもずっと以前に、石油が使えなくなる日が来るのです。そっちのほうが差し迫った危機です。

というのは、埋蔵石油はまだあっても、採り出しやすい石油は採ってしまって、残っているのは、その石油を採り出すのに、その石油の持つエネルギー以上のエネルギーが必要になるような石油だけ、という時がいずれ来るってことです。そうすると石油を採取する意味がなくなってしまう。

これって、すごいことではないでしょうか。この世に金で買えないものはない、っていう前提で資本主義が発展してきているのだけど、その下支えになっているのがエネルギーです。よくわかんないけど、エネルギー本位制? 金10gを買うのに、金12gが必要、っていうのは論理矛盾だけど、石油10バレル掘るのに石油12バレルが必要という破綻が訪れるわけですね。

そういう、掘り出せない石油が増えてくると、石油生産がいずれ頭打ちになります。その生産のピーク、つまり後は年々産出量が減るしかないという「頂点」が、じつはもうすでに来ているのではないかという説があります。実際、埋蔵石油の発見は40年以上前の1960年代半ばにピークを迎え、その後の発見は減る一方。つまり私たちはいま、60年代以前に発見された石油のストックをどんどん食いつぶしているだけなわけです。増産はできるけど、その分、あとが続かなくなる。

いやまだ石油生産のピークには至っていない、とする石油会社などの研究結果もあります。しかしその研究にしても多くが石油生産はあと10年ほどで、天然ガスもあと20年ほどで頭打ちになる、と結論づけているのです。

そんなに早く? ならばもっとメディアが騒いでもよいのにとも思いますが、騒いでも事実が変わらないのだとすれば、パニック回避のためにも敢えて看過しているのかもしれません(あるいは事の重大さにほんとうに気づいていないか)。

すると……そう、冒頭の私の心配は杞憂ではなくなります。原油の現在の高騰はもちろん、石油の値段が実需によって決まっているのではなく、金融商品化しているせいです。つまり々として取引されているからなのですね。でも、単にそんな投機筋の一時的な利益狙いではなく、ともするともうほんとうに石油はなくなるのだという“インサイダー”情報が背景にあるのかもしれない……航空運賃への燃費加算は今後も廃止されることなく慣例化し、その額も増大する一方──それは究極の格差社会が訪れる前触れかもしれません。つまり、お金を持つものだけが石油エネルギーを享受できる社会です。

なんだか、「格差」なんていうなまっちょろい言葉じゃ捉えきれない新しい時代が来るような気もします。世の金持ちたちはいま、そんなときのためにせっせとカネを溜め込んでいるんじゃないか? 自分たちだけは生き残る、という本能。

「頭打ちとなる石油」を意味する「ピーク・オイル(Peak Oil)」というキーワードを憶えておいたほうがよいかもしれません。

August 13, 2008

うるわしき毒

スポーツというのはじつはジャーナリズムの中で最も記述の難しい分野ではないかと思っています。中立が旨である報道の中で、スポーツ記事だけがそのカセをはらってなんとも身びいきだったりします。したがって、NBCの五輪中継を見ていてもあんまり面白くないということになります。日本がさっぱり出てこないしね。主役ではないのですから。

しょせん私たちは自分の知りたい情報しか知りたくないのかもしれません。たとえば北京五輪の射撃の表彰台で、銀と銅を獲得したロシアとグルジアの女子選手が頬にキスし合って抱き合ったというニュースが朝日のウェブサイトで紹介されました。

ご存じのようにロシアとグルジアは南オセチア自治州の統治をめぐって戦闘状態に突入したばかりでした。そして朝日のサイトは2人仲好く並ぶ写真に「スポーツは政治を越える」というロシア選手のコメントを引用し、見出しも「表彰台に友情の花」と紹介していたのでした。

スポーツは政治を越え「ない」ことはだれもが知っています。それどころかスポーツはつねに政治に利用される。中国での五輪の開催はまさしく、世界の先進国社会に正式に仲間入りしたい中国の政治的思惑と、中国も五輪の体面上、国際的に反発を買うような外交決断や人権侵害は避けるようになるだろうといった西側の政治的思惑の交差したところに成立したものです。

にもかかわらず「スポーツは政治を越える」と言うのは、私たちがつかの間のそんな幻想を信じたいと思っているからでしょう。シビアな現実世界の、それは一服の清涼剤めいて、私にはそれを責める気はありません。私も新聞記者1年生のときは「読者が感動できる物語を探して書くんだ」と先輩記者に叩き込まれた口です。

かくしてオリンピック報道は往々にして選手やその周囲の美談と感動の根性物語になります。

そんなことをつらつら考えていると、今度は五輪開会式でソロを歌った「天使の歌声」の女の子がじつは口パクで、舞台裏ではその子よりも見た目のそうよくはない、しかし歌はうまい別の女の子が歌っていたのだというニュースがありました。なるほど、世界が見たいだろうと思うものを見せる、それはスポーツ報道に限らない。新聞なら美談で、テレビなら画面上の美しさ。それがなんで悪いんだ、というところでしょうか。で、同じくあの開会式の花火のCGです。ふむ、徹底していますな。

しかし日本だってエラそうなことはいえません。ヤラセと演出の違いに敏感なのは、とりもなおさずヤラセでも視聴率が取れるという現実が厳然として存在するからです。中にはヤラセとわかっていてわざとそれを楽しむなんていう高度な視聴技術さえ新しい世代には育ってもいる。

視聴者も読者も、そうやって美談という名の毒消しを求める社会は幸せな社会なのでしょうか。そしてあるとき、美談そのものが現実を直視しないうるわしい毒になって蔓延している。

新聞記者時代、もう1つ大先輩から教わったことがあります。「ときには読みたくないことも書かねばならない。その社会にとって都合の悪いことも書かねばならない。あるときは害であることですら書かねばならない。なぜかわかるか? なぜなら、それが事実だからだ」

中立とか中道とか、そういうバランス感覚の問題ではなく、あるいは社会の木鐸なんぞといった大仰な構えからでもなく、それが単に「事実だから」というだけの単純明快な基準に、若かった私はまさに目からウロコが落ちた思いでした。

五輪のドラマが続いています。NBCやNYタイムズから知る数少ない日本人選手の活躍ぶりは、あんまり面白くないし物足りなくもあるけれど、逆に熱狂的にあおられる感じもなくて、スポーツ観戦のなんだか不思議に新しい経験です。

July 10, 2008

いまの子供と50年後の子供

温室効果ガスの世界全体の排出量を「2050年までに半減する」ではなく、さらには「半減するという長期目標を共有する」ですらなくて、「2050年までに半減するという長期目標を共有することを目指す」っていう、この、動詞が3つも入ったヘタクソな日本語の3重に薄められた「G8宣言」というのはまさにいまのアメリカの断固たる及び腰と日本政府の遠慮とを象徴していて興味深いものでした。

いや、じつはこういう何重もの言質回避の表現は国連の安保理決議などでも蔓延しているので、政治宣言としては驚くほどのことでもないのですが、米国シェルパ(実質的な議論を担う交渉代理人)のダン・プライス大統領補佐官が「素晴らしいG8宣言文」と自画自賛するのを聞けば、さすがは弁護士出身、そりゃつまり自分に有利に導けたって意味ね、とすぐにわかるというもんです。

日本政府も自画自賛していますが、こちらは欧州勢と米国との板挟みになって、それでもいちおう文言をまとめあげるのに成功したという意味でしょうか。しかしなんだかこれも、安易に「自分をほめてあげたい」と言いのける今時の甘ったれ風潮そのもの。欧州勢から「日本のリーダーシップが見えない」とさんざん呆れられているのを、米国しか見ていないので気づかなかった、あるいは政治理念もなくただまとめることしか考えていなかったってことです。

たしかにまとめあげたことは認めます。それもたしかにひとつの政治でしょう。そのようにしかものごとは進んでいかないのもわかります。だが、このなんとはなしの「切羽詰まっていなさ」は、政治的想像力の不在というか、つまりはこのサミットに出席しているすべての人間たちが、おそらくは50年後にはもうこの世にはいない、ということに関係しているのではないかと、ふと思ったりもするのです。

まあ、そんなことを言うのはエキセントリックだと思われてしまう、われわれのいまの有り様もあるのですがね。

とどのつまり、今回のG8はエコロジー(生態系)とエコノミー(経済)の兼ね合いをどうするかという人類の宿命に関する議論の場でした。つまり50年後の子供たちといまの子供たちの、両方を救うにはどうすればよいかということです。アフリカなどでの食糧危機を見ればそれはより切羽詰まった課題として目の前に立ち現れます。

もちろん、いまの子供たちに心配のない先進国では50年後を考える余裕もありますが、いま現在飢えている国ではいかに産業をおこしそれを基に人びとが食べていけるかを探るに精一杯です。そんなときに温暖化ガス排出規制など気にしている余裕はない、いま生き延びなければ50年後もないのだ、という論理になります。それもまたもっともで、新興国も交えた8日の会議では先進国側が先に80-95%の排出ガス削減を行えといった主張もなされました。それももっともなことなのです。

ところがそれではアメリカは産業が立ち行かなくなる。ガス排出規制のすくない新興国に産業が移行してしまう。そうすればアメリカの50年後もない。それがこの洞爺湖宣言に及び腰だったアメリカの、いまのブッシュ政権の論理です。しかしブッシュは洞爺湖で終始緊張感のない顔をしていましたね。はっきりいって大統領職を投げ出しているような顔だった。北朝鮮問題といいこのG8といい、とにかく任期内でいろんなことをとにかくまとめればよいという、冒頭の日本政府の交渉役みたいな心情なんでしょうか。自分の任期のことだけしか頭にないような。

しかし次のオバマあるいはマケイン政権がどう出るかはまた別の話になると思います。特にオバマ政権になれば、あのゴアが環境関連の特命大臣に任命されるということですし。日本も次の選挙で民主党が勝利して小沢政権になったら果たしてどう変わるかわかりません。不明なところも多いのですが、環境問題でも新味を出してくるはずです。

しかしそれまではおそらくこの問題に関する政治の力の不在が続くかもしれません。
そうしてその間にも刻々と地球環境はいま現在のわたしたちの生態系を破壊するように変化しているのです。
世界の食糧危機を深刻に憂慮すると言ったその舌の根も乾かぬうちに18コースもの豪華な晩餐を囲むサミットリーダーたちを見ていると、まさに人間の活動そのものが宿命的に持つ反生態系の害毒を思わずにはいられません。エコノミーとエコロジーは、だれがなんといったって対立する項目なのです。そこを誤魔化さずに折り合いを見つける、といっても、しょせんそれは破滅を先送りする手段を講じているだけのような気もします。

April 16, 2008

国おこし、都市おこし、個人おこし

40日間も日本に行っていました。日本にいると、日本語に守られてるせいでしょうね、国際的な時事ニュースをぜんぜん自分に引き付けて考えられなくなります。なんかまったりしてみ〜んな他人事っぽくなる。で、ここにもなにも書かない、という結果に。てか、たんにだらんとしてただけなんでしょうけどね。

さてさて、帰ってきたとたんサンフランシスコでの聖火の混乱です。中国当局もよく続けるなあと思うのですが、開会式のボイコット気運も高まる中、この問題はどう考えればよいのでしょう。スポーツと政治、五輪と政治の問題ですわ。

私も若かったころは「スポーツと政治は別だ」などと憤慨していましたが、でもずっと以前から五輪と政治はじつは同じものだったんですよね。というか、五輪はその国際的な注目度から、世界に向けて政治的メッセージを送る絶好の檜舞台でありつづけているのです。

ベルリン大会は国威発揚というナチスの政治的思惑の場だったですし、メキシコでは黒人差別に抗議する米国選手2人が表彰台で黒手袋の拳を突き上げました。続くミュンヘンではパレスチナゲリラのイスラエル選手襲撃が行われ、76年のモントリオールでは南アフリカの人種差別問題でアフリカ諸国の大量ボイコットが起こった。80年のモスクワではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西側のボイコット、続くロサンゼルスはその報復的な東側の逆ボイコットと、五輪はまさに常に政治とともにありました。

だいたい中国自体も五輪と政治を結びつけて国際社会にいろいろとメッセージを発してきたんですよ。56年のメルボルンから、ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワと、なんと7大会連続で五輪ボイコットです。モスクワ大会を除いて6回はぜんぶ台湾の国際認知問題が背景でした。

そもそもどうして五輪を招致するのか? それは五輪という由緒ある国際大会を主催することで国際社会の責任の一端を担う、一丁前の国家として認められたいという思いが基になっています。同時に、関連施設の建設によって国内の景気浮揚を図りたいというハコモノ行政的な意図もあります。つまり五輪は村おこしならぬ「国おこし」のネタだったのですわね。つまり。ズバリ政治そのもののイベントなわけで。

これは64年の東京五輪もそうでした。あのとき東京は高度成長のまっただ中で、日本は戦後復興の総仕上げをして国際社会への復帰を果たそうと五輪を招致したのです。そこではスポーツはたんなるダシでした。もちろん、日本の復権はスポーツ選手個人の頑張りに投影されてじつに感動的だったのですが、ほんとうの主眼はスポーツ選手個人の威信ではなく、国家としての威信にあったのです。それはまさに政治的思惑でした。

すでに五輪が2周目以降に入っている先進国では、長野やアトランタがそうだったように五輪は国おこしを経ていまはホントに開催都市の村おこしイベントです。一方、周回遅れの中国にとっては(今後のアフリカ、中東諸国なども含め)五輪は遅れてきた第二次「国おこし」運動の原動力なのです。今回の北京五輪も、中国政府のそんな思惑と欧米諸国の、五輪開催を機に中国の人権・民主化改善を促そうという思惑が合致して決まったものですからね。

そんな政治の舞台なのですからチベットが登場してもだれも文句なんか言えない。中国が「スポーツと政治は別だ」だなんて、どの口で言えるのか、です。

そう、「スポーツの祭典だから政治はタブーだ」と言うからややこしくなるのです。どうせならもうこれは政治だと開き直って五輪を機にどんどん主張をぶつけ合えばいいんですわ。それで大会がつぶれるようならつぶれちゃえ。そうなったらでも中国だって面目丸つぶれ、欧米だって思惑外れ、チベットは墓穴を掘る。そういうところにしか反作用としての収拾努力のベクトルは生まれないんじゃないの? じっさいの政治としてはいささかドラスティックにすぎるけどね、ま、思考実験としてはだからこそいまと違った落としどころが見つかるかもしれない。まあ難しいでしょうけどねえ(他人事っぽいなあ)。

ところで再びの東京五輪招致が進んでいます。これはすでに国おこしでもなく都市おこしとしても新味に乏しいやね。何のためにやるんでしょう。私には、自己顕示欲が脂汗になってるあの都知事の「自分おこし」のために見えるんですわ。彼個人の人生最後のステージにとっては格好の大イベントですもん。しっかし、そんな個人行事に付き合うのはまっぴら。

だいたい、新銀行東京にしても、解決にはもう何年もかかるけど、やつの物理的寿命はその前に終わるでしょう。未来のないやつ、つまりあの都知事に、「責任を取る」という考え自体が通用しないんです。死を前にしたら、無敵だなあ。だから政治家は若くなきゃダメなの。あと30年生きてると思ったら、ヘタなことできないもんねえ。

September 25, 2007

安逸を求める

イランのアフマディネジャドが国連総会出席でNYに来ています。
今日の午後にはコロンビア大学で講演を行いました。
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もちろんQ&Aの時間が設けられていて、聴衆の1人はイランにおけるゲイの人権と死刑執行について質問しました。これに対して彼は性的指向の観点はまったく無視して米国でも死刑制度があることを指摘して直接の回答を回避しました。しかし司会役の学務部長はさらに回答を促しました。その結果の彼の返答はこうです。

「イランにはあなたの国とちがってホモセクシュアルたちはいません。私たちの国にはそういうのはないのです。イランには、そうした現象はない。私たちの国にもあるのだと、だれがあなたに言ったのか知りませんが」

アフマディネジャドはもちろん聴衆から失笑とブーイングを浴びました。まあ、彼の言いたかったことは、「われわれはホモセクシュアルたちを殺しているからイランにはそういうのはなくなっているのだ」ということだったのでしょう。2年前の2005年7月に行われた少年2人の絞首刑を、私たちは忘れてはいません。
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宗教というのは、答えの用意されている教科書です。巻末を見れば練習問題の答が書いてあるから、それを憶えればいちばん手っ取り早いし神様・お坊さま・司祭さまにも誉められる。それでめでたいので自分で考える必要などありません。はたまた質問そのものの正当性、さらには答えの真偽を疑うということもありません。なぜなら、それは「信じる」ことをすべての基本においているからです。「信じる」は「疑う」の対義語です。そうして「疑う」は「考える」の同意語です。宗教に「なぜ?」は必要ない。むしろ、邪魔で、いけないことです。

なぜ? と考えずに済む人生は、なんと安逸なものでしょうか。もっとも、宗教的生活を送っている人たちも、誠実であればあるほど宗教的回答を突き超えて必ず「なぜ」を考えてしまうものですが。

その辺のことは2005/02/22の「生きよ、堕ちよ」でも書いていますが、思えば、日本語訳ではいまいちその過激さが伝わっていないジョン・レノンの「イマジン」も、じつはすごい宗教否定の歌なのです。多くの戦争の背景に宗教があるということがわかりきっているとして、頭の上には天国なんてない、ぼくらの下にも地獄なんてないんだ、と宗教的迷妄を唾棄して歌は始まるのです。レノンにはもう1つ、「God」というすごい歌があって(というかそのままなんですけど)、そこでははっきり「神なんか、自分の痛みを測るためのメジャーでしかない」と宣言しているんですよね。

しかしアフマディネジャドなるものに対抗するには、どうすればいいのでしょう。
憎悪と嫌悪にまみれた、聖という名の邪悪。
しかも、われわれには憎悪と嫌悪という武器はないのです。手ぶらで、丸腰で、身1つで、戦わねばならない。こまったもんです。

August 27, 2007

恥で倒れた仏像

民主党の小沢代表が「アフガン戦争はアメリカの戦争」と言ってテロ特措法の延長に反対していますが、アフガン戦争とイラク戦争とを明確に区別できる人がいまどれくらいいるかというと、当事者のアメリカ人でさえあまりいないんじゃないかというのが正直な印象です。

日本だってそうでしょう。いまさっきもテレビで評論家諸氏がしっかりと「イラク戦争」と言い間違えてましたし。じつは小沢は、そんな“混乱”をうまく利用してテレビ中継までさせてシーファー大使に直かに反対を伝える政治演出を見せたんだと思ってるんですが、さて、どうなんでしょうね。

そもそも小沢の今回の特措法延長反対の宣言の真意は、確かに「アメリカにノーと言える政治家であるということの演出」ではありながらも、じつはアメリカそのものへの強気の「ノー」ではなくて、ブッシュ政権への「ノー」なのですね。ブッシュ不人気はもう米国内だけの現象ではなく、そうした国際的な「脱ブッシュ」の列に加わってみせたからといって日本の国益はそう損なわれまい。もし損なわれたとしても次のヒラリー率いる民主党政権(?)との関係でいくらでも修復できる、そうふんでの小沢一流の政治演出なのではないかと思えました。日本じゃテレビに登場する評論家たちのだれもそんなこと言ってないけど。

ただしこの小沢演出には落とし穴があるのです。

おさらいしてみましょう。
アフガン戦争のきっかけはイラク戦争と同じく例の9・11でした。ブッシュは世界貿易センタービルを破壊されて拳を振り上げた。それはよいのですが、さあさてそれをどこに振り落とせばよいのか、なにせ相手は国家ではなくて流浪のテロリスト、どこに拠点があるかも分からない。で、9.11の下手人としたオサマ・ビン・ラーディン率いる武装組織アルカイダを、アフガンのイスラム原理主義政権党タリバンがかくまっているとして、それでアフガニスタンに拳を振り下ろすことにした、というのが始まりでした。これで体裁は対アルカイダ=対タリバン=対アフガンという国家間の戦争になったのです。思い出してください。当時、アフガン空爆が「これは戦争か?」とさんざん議論されていたことを。

ところが数億ドルもかけて空爆・ミサイル攻撃しても破壊するのが数百円の遊牧テントだった。世界最貧国への攻撃というのは、じつにどうにも“戦果”が上がらない。箱モノ行政の逆ですね。おまけにどこに行ったかビン・ラーディンもさっぱり捕まらない。そこで国民の目をイラクの独裁者フセイン大統領に逸らせた、というのが次のイラク戦争でした。

米国では現在、撤退論かまびすしいイラク戦争に対して、アフガン戦争はあまり話題に上っていません。というのも、アフガン戦線はじつは昨年7月から軍事指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移行し、英・加・蘭・伊・独が主力構成軍です。米国はそうしてイラク戦とアフガンでのビン・ラーディン狩りに戦力を傾注した。なもんで、アフガン戦争を「アメリカの戦争」と言い切ってそれで済むかというと、それはちょっと違うのです。

しかもアフガニスタンは米国の石油戦略にとって重要な中央アジアからの天然ガス・石油パイプラインの敷設予定ルートでもあって、見捨てるわけにはいかない土地です。次期大統領を狙うヒラリーにしても撤退などは口にしていません。NATO諸国にとっても同じでしょうし、日本だってテロ特措法を成立させた当時の小泉政権は日米同盟と同時に石油のことも考えていたに違いありません。

そういう意味で、小沢のテロ特措法延長反対=アフガン戦線からの離脱宣言は、国内向けには演出で済むが、国際的にはよほど裏ですり合わせしなければならない事案なのです。日本の民主党は一刻も早く米民主党およびNATO諸国とそのあたりについてきちんと協議できるパイプを敷設すべきでしょう。

ただし、そこには問題があります。アフガン戦線はイラク戦争と同様に泥沼化してとんでもないことになっています。カルザイ政権も弱体のままです。アフガンへの関与は本来、自衛隊による給油活動などといった程度では済まされないはずのものです。もちろんそれは軍事後方支援などという単純なものではない。日本にはそうしたコミットメントの十全の覚悟があるのかどうか。

アフガンのあのバーミヤンの大仏がタリバンによって破壊されたとき、私たちはそれ以上に多くの人間の生と生活の破壊があったことも知らずに憤慨してみせました。あのときイランの映画監督マフマルバフはこう言ったものです。「あの仏像は誰が破壊したのでもない。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知を恥じて」──私たちはまだ無知なままなのです。

August 26, 2007

転載;署名のお願い

現在イギリスに住むイラン人女性、ペガー・エマンバクシュさんは、レズビアンであることをカムアウトしている方です。パートナーが逮捕、拷問、死刑に処せられてから本国を脱出し、2005年にイギリスで難民申請を行いましたが却下され、あさって火曜日にイランに強制送還されることになりました。

イランは同性同士の性交渉を罰するいわゆるソドミー法があり、送還されればむち打ちと投石の刑を受けます。事実上の死刑です。

現在、強制送還に反対し、恩情的にイギリスに滞在する権利をペガーさんに与えるよう、世界的な署名活動が行われています。その呼び掛けが私のところにも来ました。

以下、転載します。

**

3分あれば出来るアクションです。
レズビアンがイランへ強制送還=鞭打たれて死刑、という事態をとめるためのネット署名(英語)はこちらから。
1分あればすぐ出来ます。
http://www.petitiononline.com/pegah/petition-sign.html

お願いします!!

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
 【緊急コクチ】
 たくさんの方々にひろめてください。
 28日火曜日まで目が離せません。
 
 ーー以下記事要約/転送歓迎ーー

ペガー・エマンバシュクさん、イラン人女性、40歳。2005年にイランを脱出し、イギリスで難民申請をしたが、それが認められずにあと数日で故郷のイランに強制送還されようとしている。彼女は、レズビアン。レズビアンであるということは、イスラム法の下、イランでは死を意味する。石打ちの刑に処されることもある。

殺される確率が高いとわかっていて、彼女をこのまま強制送還させていいのか。国際難民法の述べる難民の定義を引用するが、「…人種、宗教、国籍もしくは 特定の社会的集団の構成員であるということ又は政治的意見を理由に迫害をうけるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる 者」(難民条約第1条)とは、彼女のことではないのか。

彼女の強制送還は、国による殺人である。これは許しがたい犯罪であり、人命の冒涜だ。国際社会は黙って見すごしていけない。ペガーさんのために一人一人のアクションを求めたい。

【英語サイト】
インディーメディア:
http://www.indymedia.org.uk/en/2007/08/379580.html

シェフィールドのメディア:
http://www.indymedia.org.uk/en/regions/sheffield/2007/08/378415.html

ネット署名(英語):
http://www.petitiononline.com/pegah/petition-sign.html


【日本語訳ブログ】:
http://pega-must-stay.cocolog-nifty.com/blog/

※記事は刻一刻と更新されて、新しい記事が出ていますので、トップから別の記事も見られます

June 22, 2007

従軍慰安婦、全面広告の愚

何か問題があったときにその問題を指摘した相手のことを同罪じゃないかと責めても問題解決にはまったくなりません。「◎×君は廊下を走りました」と言われて「△◆君も走ったじゃないか」と言っても帳消しにならないばかりか、そういう抗弁はとても子供じみたものに受け取られるのが普通です。

それを大人が、それも国を代表する国会議員やジャーナリスト、大学の先生までが真顔で言ったら「子供じみた」では済みません。私が14日付のワシントンポスト紙に掲載された「THE FACTS(事実)」と大書された全面意見広告を見て、これはまずいことになるぞと思ったのはそういうことです。

この広告は、いわゆる従軍慰安婦問題で櫻井よしこや元産経の花岡信明、すぎやまこういちらの呼びかけに応じた日本の国会議員らが連名で「第二次大戦中に日本軍が強制的に従軍慰安婦を徴収したことを示す歴史文書は存在しない」と訴えたものでした。「米国民と真実を共有する」とうたった同広告は、「慰安婦は『性奴隷』ではなく、当時の世界では一般的だった公娼制度の下で行われていて大切に扱われていた」「多くの慰安婦女性は佐官級将校やあるいは将軍級よりもはるかに多い収入を得ていた」などとする5つの「事実」を列挙しています。それだけでも言い訳がましく響くのに、ダメを押したのが次の文章です。

「事実、多くの国が自国兵による民間人強姦を防ぐために軍用の娼館を設置していた(例えば1945年には占領当局はアメリカ兵による強姦を防ぐため、日本政府に対し衛生的で安全な“慰安所”の設置を求めた)」

いったい、どういう神経がしれっとこういう文章を書くのか。この記述内容が間違いだとは言っていません。問題は書き方です。「言い訳がましく響く」どころか、これはまるで「おまえの母ちゃんデベソ」ではないか。こんなふうに言われて、アメリカが「ああ、そうでした」と銃をしまうとでもお思いか。

これは本来、膝を突き詰めて腹を割って直談判しているときに出てくる話でしょう。説得とはそうやってするものだ。複雑に入り組んでいる国際問題ならなおさら。ところがブッシュ一辺倒で来た自民党は、米議会で勢力を得た米民主党のキーパーソンとの親密なパイプをだれも持っていなかった。だれもこういう話が出来ないのです。そうして、何を勘違いしたか、本来ならば密室でのせめぎ合いの一端を新聞紙上でかくも公然と高圧的に講釈したもうた。バカじゃないのか。

案の定、これが火に油を注ぐことになりました。副大統領のチェイニーもこれに目を剥き、4月の安倍訪米での謝罪でなんとなく鈍化していた米議会も一気に日本非難決議採択でまとまりました。掲載がNYタイムズではなくワシントン・ポストでまだしもよかった。NYタイムズならあっというまに一般市民にまで反日気運が広まったかもしれません。

思えばこのすり替えの論理は従軍慰安婦に限ったものではありません。故松岡農相のナントカ還元水に始まる事務所費乱用問題では「(民主党の)小沢さんの使い方はどうなんですか」と気色ばみ、年金問題では「そのときの厚生大臣は菅(直人)さんじゃありませんか」といずれも相手の責任に問題をずらす総理大臣がいます。

見逃せない点がもう1つ。「強制はなかった」という言い方は、沖縄戦での集団自決に関して「日本軍の強制はなかった」という論理とじつに似通っている。問題は、従軍慰安婦も集団自決も、それを「強制した文書が存在する、しない」ということではないのに。

あの沖縄戦で、日本軍の基地建設にも関わった沖縄島民は米軍にとらわれて軍事機密を明かしてしまうことを懸念されていた。それで日本軍は鬼畜米英を強調し喧伝し、重要な軍事物資であった手榴弾を島民たちに手渡す。たとえそこに言葉や文書による命令がなかったとしてもそれは自決への明確な誘導であり、その体制での誘導とは精神的な強制以外のなにものでもなかったことは想像に難くありません。ふだんは「すべてを言わずにそれを斟酌するのが日本語の美徳」などと言っておきながら、右翼保守派はこういうときに限って「具体的な言葉がなかった」と逃げ道に使う。まったく、汚いことこの上ない。

同様に、従軍慰安婦でも問題はそれを生み出した戦時体制全体なのであって、慰安婦はその中の一具体例でしかないのです。強制を示す文書がなかったといって鬼の首でも取ったかのようにはしゃいで新聞に全面広告を出すなど、やぶへび以外のなにものでもありません。そんなことを証拠立てたって本質としての軍国体制そのものが赦されるものではない。ここには例の靖国問題の本質も通底しているのです。

こうした一連の自虐史観の書き換えは安倍政権にとっては「戦後レジームからの脱却」の作業の一環かもしれませんが、米国では「第二次大戦の敗戦の否定」「戦時体制の肯定」として映っています。そこを相手にせずに慰安婦は強制しなかったと言っても、「だから何だって言うんだ」なのです。

今回の非難決議は、端緒はたしかに一議員の選挙区事情に動機付けされた側面もあったでしょうが、しかし現在ではすでに、いまの安倍政権を右翼政権ととらえる米民主党の政治的警戒感の表れへと変容しているのです。憲法改正や靖国参拝など、安倍晋三の体質を祖父の岸信介にまで遡って右翼や宗教右派と結びつけて論じるのが米国の民主党系知識人の傾向です。ですから慰安婦問題を足場に自民党の右傾化を阻もうというもうひとつ大きな政治的意図──まさに米民主党からの、米次期政権からの、これは申し置き状だと思って対処したほうがよいのでしょう。米民主党とのパイプをないがしろにしてきたツケが回ってきているのです。

May 08, 2007

ワシントン詣でが明かしたもの

日本の新聞が何を有難がってか「ジョージ、シンゾーとファーストネームで呼び合う仲になった」とうれしそうに記事にしているのを見て、いったいそのどこがニュースなんだとひとりで突っ込んでいました。「ロン、ヤス」の場合は短縮形でもあるのですこしは意味があったのかもしれませんが、「ジョージ、シンゾー」ではひねりもなにもあったもんじゃありゃーせん。当たり前の話だってだけです。

ゴールデンウィークは日本の政治家たちの外遊ラッシュでした。その中で安倍と大臣格上げになった久間防衛相、それに麻生外相という閣僚を含め、ワシントン詣では計30人ほどにもなったそうです。

で、安倍は従軍慰安婦問題でこれまでの御説とどうにもチグハグな感の否めない「謝罪」を強調して意味がわからない。久間も「イラク攻撃は誤り」発言や「(普天間基地移転で)やかましい文句をつけるな」発言、さらにはイージス艦機密漏洩事件の不祥事をひたすら謝る旅になってしまいました。結果、軍事機密保持協定に合意したという、まんまと米国の術策にはまったようなことになった。

これが野党から「強硬右傾化」政権と批判されている同じ政府なのか、「押しつけ憲法を自主憲法に書き換えるぞ」と力む前に、自分の自主自立を図ったほうがよいような体たらくです。

久間が撤回した「イラク攻撃は誤り」はいまでは当の米国人の大半が結論づけている正論なんですよ。それでブッシュ政権は支持率28%という最悪状態になっている。それを一度チェイニーや中央軍司令官が会ってくれなかったからといってどうしてビビることがあるのか。ビビっているのはブッシュのほうなのです。英国のブレアが退陣寸前なのも、イラク戦争で米国と歩調を合わせているのが背景です。ブッシュ政権が大きな顔をしていられるのはいまや日本政府に対してだけなのです。

その大きな顔にこれまたすくんだか、普天間基地問題は沖縄の人たちに説明する前にシンゾーが「合意どおりに着実に実施する」とジョージとの首脳会談で表明してしまった。自国民に伝える前に米国大統領に約束する首相とは何者なのか? まさに主客を転倒して、それでどうして美しい国になれるのか、わけがわからない。

以前から繰り返しているように、米国では来年の大統領選で民主党政権が生まれるかもしれません。今回のワシントン詣でで、日本の政治家たちにそうした民主党のキーパーソンとの個人的なコネクション、それこそ報道用ではないファーストネームの関係を模索した陰の動きがあったのかどうか……はなはだ心もとないところです。

どんなに日本がおもねってみても米国という国は結局はそのときの政権の都合の良いようにしか動きません。いつのまにか北朝鮮の拉致問題が国務省のテロ白書で昨年の3分の1の記述に縮小され、北担当のヒル国務次官補が「いまはわれわれが辛抱すべき」と北擁護に回っているのですからね。アベちゃんよ、どうしてお得意の拉致問題をジョージ君のケツにねじ込んでやんなかったのか。ケツはねじ込むためのものであってキスするためのものではないのだよ(お下品、しかし米国語の表現ではそういうのです。すんません)。

小泉政権での郵政民営化も米国の思惑どおりで日本売りだという批判がありました。
安倍内閣は国内向けには日本第一のような勇ましいことを発言しつづけていますが、米国詣ででのこの平身低頭ぶりを見ると、ミサイル防衛システム参加や集団的自衛権の容認、つまりは憲法9条の“改正”もじつはアメリカの思惑どおりじゃないかと気づきます。さすればこれは日本売りなどという甘っちょろいもんじゃなく、じつは「押し付け憲法」の受け入れなんかよりもはるかに手の込んだ「売国」の一環なのではないかとさえ思えてきます。いや、それはなかなか的を射ているかもしれません。

さて、ここまできて、冒頭の「ジョージ、シンゾー」関係がじつは別の意味でニュースだったのだと気づくわけです。

アベちゃんは揉み手をしながら媚び諂いを込めてジョージと呼んでいるかもしれないが、ジョージ君のほうは意のままになるペットでも呼ぶように「シンゾー」と呼び捨てにしている。そういう関係である。それを言外に伝えるニュースだったのかもしれません。いやちょっとニュアンスが違うか。ジョージは、ミスターと呼び合う関係にはどうにも弱いんだ。正式な話をしなくてはならなくなるから。オフィシャルな発言は気をつけなくてはならないし、そういうのはどうも憶えきれないから苦手。しかしファーストネームで呼び合うような状況ではジョークで誤魔化せるし持ち前のエヘッエヘッという自信なさげな笑いで逃げることもできる。なので、「なあ、シンゾーって呼んぢゃっていいかなあ? まあ、あんまり硬く考えないで話しようよ。難しいことは事務方がやるからさ」って意味なんですね。それをシンゾーはこれは親密さの現れだと受け取ってまんまと相手のゲームに載ってしまった、というわけです。

米国からの敗戦憲法を廃棄する気概にあふれているなら、ここはひとつ「シンゾー」と呼んでいいかと訊かれて相好を崩して尾っぽを振るのではなく、「いや、ミスター・アベ、あるいはプライムミニスター・アベときちんと呼んでいただきたい」と返すくらいの毅然たる態度を取るべきだったのです。相手はレイムダックの大統領。これはギョッとする。こんどの相手には誤魔化しは利かない、と、私語でしか得点を稼げないおバカな男は襟を正すでしょう。そして力を持たないアメリカから出来る限りの譲歩を引き出す。こんな駆け引き、北朝鮮ですら出来ることですよ。

ですからアメリカとの外交は戦略的にもむしろ、「ミスター」と呼び合うことから始まると心得たほうがよいのです。しかしまあこれも、いまとなってはあとの祭りですが。はあ〜。

December 31, 2006

年が暮れる

やけに人の死ぬ12月だ。ジェラルド・フォードが死んだ。ジェイムズ・ブラウンが死んだ。青島も死んだし岸田今日子も死んだ。それでサダム・フセインは死刑になった。イラクでは開戦以来最も米軍兵士の死んだ月になった。

the Deadliest Month.

フセインの処刑を報じるCNNが、awaiting the first picture of the excution released というテロップを映しながら中継をしていた。アンダーソン・クーパーが「手に入り次第、お見せします。もちろん局内で内容を検討した上、事前に警告もおこなってから放送します」といっていた。見せねばならないんだろうな。

人は死に餓えているわけではないし、フセインの処刑は史実として記録が必要だろうが、その後放送された、首に吊るし縄を回されるフセインの映像を見ているときに、はてわたしはどう反応していいものか、考えはその先にどうしても行こうとしなかった。

わたしは死刑にはなんの効果もないと思っている。だから、効果を求めての死刑には反対だ。けれど、拷問され虐殺された148人の遺族の怨念が死刑を求めることに関して、わたしはなにも言えないと思う。

最も高貴な復讐は、赦すことである。
けれど、復讐がしたいのではない、ただ、永遠に赦したくないだけだ、という言葉に、対峙できる言葉をきっとわたしは持たない。

この死刑はさらにまた、刑罰ではなく政治的な権力闘争の結末として、歴史に多々在った死のひとつでもある。その場合もまた、わたしはそれを受け入れるしかないのだろうとも思う。そんなもんだ、と。

12月もまた、残酷な月である。
A Happy New Year というあいさつの空々しく響く大晦日の青空が暮れてゆく。

December 30, 2006

フセイン処刑間近

CNNはあと3時間後と言っています。
日本時間では正午までに。これがこの日のイラクの夜明けに当たるらしい。

アメリカによるイラク侵攻が始まったときに、わたしは次のように書きました。

2003/04「よい戦争のよくない未来」

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 第一、フセイン政権が崩壊したとしてでは次に誰がイラクを統治するのか。亡命イラク人に人材はいない。優秀な官僚機構を持つとされる唯一の政党バース党をフセイン色を一掃した上で傀儡政権として利用するのか。

 しかしそんな政権で誇り高きイスラム教徒が、近隣イスラム諸国が黙っているはずもない。米英がいくら共同声明で殊勝なことを言っても国連にいまさらなにを頼めるのか。米英が安保理を見限った傷は簡単には癒えない。

 したがってそんな新政権を支えるためには米軍の長期占領が必要となる。散発的な対米進駐軍ゲリラの危険は消えるはずもない。そのうち内戦が勃発する危険さえある。そうなったら次に生まれるのは反米政権でしかないのである。

 フセインの首を取ったとする(それは当初から圧倒的な軍事力を背景に時間の問題でしかない)。ではその次にどうするのか? 戦争は、実はそこから始まるのである。だからこの戦争の行方がわからないのだ。

 ところでテロはどこに行ったのだ? 最初は対テロ戦争だったんじゃないか? テロもまた、さて、そこからまたぞろ生まれるのである。米国とアラブの共栄どころか反米の世紀が始まるのである。いや、それはすでに始まっているのかもしれない。
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上記の予測はほとんど当たりましたが、ゆいいつ、フセインの絞首刑は予想していませんでした。フセインの「戦死」ならこれは事の推移として“自然”だったのだけれど、裁判から死刑判決そして処刑、ということになるとそこにより大きな米国の恣意が入り込んでくることになる(実際、死刑判決は米国の中間選挙の直前にアナウンスされたのですし)。それに「年内の執行」というこの「年内」という概念自体、欧米的ですしね。

この処刑がバース党の残党周辺にさらなる報復の火種を与えることになるかもしれない。しかしフセインを生かしておいてはこの内戦状態の中、いつフセインが獄中から逃げ出して復活するかもしれない、という恐れは現政権、および米政権にとっての最悪の悪夢ですから。

この処刑はですから、シーア派やクルドへの圧政と虐殺の罪と同時に、いやむしろ現時点での意義としては、政敵の抹殺ということであります。状況は違えど、本質的にスターリンとどう違うんだか。とはいえわたしに言えることなどそうあるわけでもなく、まあ、最初のパジャマのボタンの掛け違いを、しかしとにかく最後までやってしまわないことにはうかうかベッドにも入れない、ということなんだろうなあということ。もっとも、ベッドに入って寝ついてからも、きっとどこかがずれてて寝づらくて、きっと夜中に目を覚ますことになるんだろうなあということです。

歴史は残酷だね。

November 14, 2006

おお、南アフリカよ〜&その他の短信

14日、南アフリカの国会(下院)が、なんと230対41という圧倒的多数で、同性婚を容認しました。
くーっ、やってくれますね。「結婚を男女に限定するのは憲法に保障する平等権に違反する」っていう違憲判決が最高裁で出たんだけど、それに基づいて議会で審議していた。

オランダ、ベルギー、スペイン、カナダに次ぐ、国家としては5番目の同性婚容認国です。

southafricamap.jpg

南アフリカって、ネルソン・マンデラが大統領になったときに「いかなる差別も許さない」という、アパルトヘイトの反省を込めた厳しい憲法(1994)を作ったのですね。で、そこには世界で初めて性的指向による差別も禁止するという文言が明確に規定されていた。ですから時間の問題ではあったんだが、国論はやはり、この議会の票決のようには圧倒的ではなく、なかなかきわどい二分状態だったようですよ。

同性愛はアフリカのほとんどの国で刑法犯罪で、なかには強姦や殺人と同じ量刑であるという状態の中、南アにはゲイの人権団体「OUT」ってのがあります。そこのプログラムマネジャーってからうーん、行動計画部長? ま、そんな役職のメラニー・ジャッジさん、さっそく速報しているNYタイムズにこんなコメントをしてます。

「この問題は私たちの憲法がどのような価値を持っているかのリトマス試験紙でした。平等って本当にどういう意味なのか? それはどんな姿をしているのか? 平等というのはスライド制の中には存在しません」

いいこと言うねえ。

これは今後、今月中にも全州評議会(上院)で承認されたあと、大統領の署名で法律になります。発効はまだ先でしょうけど。
ただ、批判票をかわそうと、役場の窓口係員が宗教上の理由などで(良心・宗教・信念の自由ってやつね)個人として同性婚申請者を拒否することもできるようになってるのですわ。こりゃまずいってんで、これに関してはまたまた法廷闘争の動きもあるかもしれません。こんなことしてたら黒人と白人の結婚も個人の思想上宗教上の信念によって拒否していいってことになりますものね。

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パリで先週の木曜日に(ギネスの日だっけ?)「同じ場所で最も多くのひとがキスをする世界記録」ってやつがやられたんだけど、あつまったのは1188人でみごと失敗に終わりました。世界記録は昨年ブダペストで集まった総計11570人の同時キスなんだってさ。

でもでも、はい、あなたは何人、この写真の中で同性同士でのキスを見つけられますか?

いい写真だなあ。

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残念なニュース。
モントリオールで今夏開かれたアウトゲームズ、大赤字。
モントリオール市に350万ドル(カナダドルだから3億円くらいかな)の借金ですって。
シカゴのゲイゲームズも赤字だったので、やっぱり、2つの分裂は財政的には痛かったんだろうなあ。なんでも派手だったし。さて次回はどうなるのでしょう?

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デザイナーのトム・フォード、エステローダーの重役とのミーティングで、彼の新作香水「ブラック・オーキッド(黒蘭)」の香りを、「男性の股間の匂いにしたい」って、あんた……。
pagesix014b.jpg

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Gays.comのドメインネームが50万ドルで売れたそうです。6000万円。
そんなに価値があるんですね。
久しぶりのドメイン売買ニュース。
ちなみに「Gay.com」は有名サイトで、こっちは既存、健在です。

November 10, 2006

エルサレムで何が起きているか?〜その他ハガード続報

イスラエルの首都であり、古代からユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒の巡礼の中心地であるエルサレムで、数週間前から、きょう11月10日に開催されるゲイプライド「ワールドプライド」のパレードに反対する超保守派(ウルトラオーソドックス)のユダヤ教徒たちの暴動が起きています。パレード開催予定のハレディ地区では夜ごとに車がひっくり返されたり火をつけられたりと、なんともこの宗教的憎悪の激しさは神をも畏れぬ蛮挙です。もっとも彼らはそれが神の意思だと思っているのだからたちが悪い。去年も参加者が刺されるという襲撃事件が起きました。本来はことし8月10日に行われたワールドプライドですが、メインイヴェントだったパレードはレバノン・ヒズボラへの攻撃や度重なる妨害で2度にわたって延期され、規模の縮小も余儀なくされてきました。8月には「ソドムとゴモラの住人たち(同性愛者たち)を殺した者には賞金20000NIS(50万円)を与える」というお触れまで出たんですよ。

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イスラエルでは同性愛は違法ではありません。たしか2年前には史上初のゲイの国会議員も誕生している。商業都市であるテルアビブではもう何年も前から大規模にゲイプライドマーチが敢行されています。しかし聖地イスラエルは別なのでしょう。「去年の刃傷沙汰はことし起こることに比べたら子供だましだったとわかるだろう。これは聖戦の布告なのだ」とラジオ番組で宣言する右派指導者まで現れる始末です。

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米ボストングローブ紙には、わざわざブルックリン(ニューヨークのこの地区にはオーソドックスジュー=正統派ユダヤ教徒=の一大コミュニティがあります)から出向いている反ゲイ活動家のラビ、イェフダ・ラヴィンが「この共通の憎悪の強大さは、ユダヤ人とムスリムの共闘を生むほどだ」とコメントしていました。じじつ、世界三大宗教の代表者たちがそろって聖地でのゲイプライドの開催を禁止するよう政府に要求してもいます。パレスチナを巡って戦争までしているユダヤ人とアラブのイスラム教徒が、ホモセクシュアルを駆逐しようというその猛攻においてのみ結託できるというこの愚かさを、私たちはそれこそナチスのユダヤ人虐殺やキリスト教による十字軍の傲慢に喩えることができるのですが。

じつは今日11月10日は「クリスタルナハト=クリスタル(割れたガラス)の夜」の記念日なんですね。クリスタルの夜とは、ナチがユダヤ人の商店・住宅・教会堂を破壊し大虐殺を行った1938年11月9日から10日にかけての夜のことです。それもユダヤ教原理主義者たちの不興を買ったのでしょうが。

jerusalem2.jpg

そういうわけで、このパレードの開催に向けてまたもや警察が妥協策を提示して、これには8日のガザへのイスラエルの誤爆で市民が19人も死んで、パレスチナ側がその報復テロを予告しているのでその警備をしなくてはならないということが背景なんですがね、まさに前門の虎、後門の狼状態。場所をヘブライ大学構内のスタジアムに限定する野外集会ということになったようですが、それでパレードの代わりと言えるんだろうかという疑問も残ります。でもとにかくそれがあと数時間で始まります。警官隊は3000人体制で警備すると言っているのですが、さて週末にかけて予想されるこのエルサレムの混乱は日本では報道されるでしょうか。

しかしそれにしても、こんなにまで妨害されても暴力をふるわれても、どうしてゲイたちはパレードを行おうとするのでしょうね。
それがわからないひとには、たしかにこれはなんの意味も持たないニュースではあります。

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全米福音派協会代表で自ら率いるニューライフ教会の司祭テッド・ハガードをアウトしたマイク・ジョーンズが、アウティングの行為によって福音派の連中から感謝されているというエピソードを紹介している。
コロラドスプリングスでホテルにチェックインした際、ニューライフ教会の信者という受付の男性が手を差し伸べてきて、「ありがとう。あなたのおかげで教会もテッドも救われた。テッドはこれで彼の必要とする助けを受けることができる」。
サイテー。
悔い改めよ、さらば救われん、ってことに収斂してしまっているようだ。

そのマイク・ジョーンズがもう1人をアウティング。

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ハガードの親友で全世界6000局で毎日放送されているラジオ番組「Focus on the Family」と、同名の非営利団体を持つ福音派クリスチャンの反ゲイ超保守派指導者、ジェイムズ・ドブソン=写真上=もゲイだ、と。

そのドブソン、ハガードのリハビリチームから「この重大な責任を負う仕事に対応できる時間がない」と辞去。神の助けを親友に与える時間のない宗教者とはいったい何ぞや。

そのハガードも登場した映画「ジーザス・キャンプ」(少年少女へのキリスト教洗脳サマーキャンプ)を率いるペンタコスタ派の司祭ベッキー・フィッシャー、「いまは危険な時期」ということでこのサマーキャンプを当面の間(数年間)中止すると発表。
おまえら、ずっと危険だったろ。

で、ハガードのリハビリとは、キリスト教系ニュースサイト「ChristianToday,com」によれば、

http://www.christiantoday.co.jp/news.htm?id=654&code=dom

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ハガード元米福音同盟代表、長期リハビリに参加へ
2006年11月10日 14時06分
 男性との「性的不品行」の疑惑を受けて米国福音同盟(NAE)代表を辞任したテッド・ハガード氏が、同性愛者向けの長期リハビリを始めることが10日、米国メディアの報道でわかった。

 メディアによると、リハビリはキリスト教理念に基づいて行われる。集団および個人カウンセリングと祈りで構成され、3−5年を要する。回復には個人差があり、個々の必要に応じてプログラムを組み立てる。

 祈りやカウンセリングでは、キリスト教徒として高い水準の聖潔を維持している人々と長期間交流をしながら、患者が自分自身の罪、不道徳さ、課題に正面から取り組む。

 コロラド州コロラド・スプリングスに拠点を置く福音主義キリスト教団体、フォーカス・オン・ファミリーのロンドン副代表はリハビリについて、「成功率は50パーセント。失敗して途中で逃げてしまった患者は正気を失って持ち物を売り払い、人々を避けながら寂しく余生を送るケースがほとんどだ」とプログラムの過酷さを明かした。リハビリの成果は患者の強い精神力と、支援側の正しい判断力にかかっているという。

 同団体創設者、ジェームズ・ドブソン師は当初ハガード氏の治療に参加する予定だったが、日程が合わず辞退が決まった。これまでにジャック・ヘイフォード牧師(チャーチ・オン・ザ・ウェイ主任、カリフォルニア州)とトミー・バーネット牧師(フェニックス・ファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド主任、テキサス州)らメガチャーチ(1万人を超す大規模な教会)の代表らがカウンセラーとして名乗りを上げている。

リハビリを経たハガード氏が宣教復帰するかは不明。同氏の弁護士で親友でもあるレオナルド・チェスラー氏は「彼(ハガード氏)は人生を神にささげて献身的に行き、今後も神の導きに自身を委ねたいと願っている」と話した。

***
これって、いわゆる「エックス・ゲイ(元ゲイ)」運動の“リハビリ”でしょう? 「ゲイを治す」というやつ。ああ、神さま。やっぱりけっきょくこいつら、なにもわかってないようです。なんたることか。


(冒頭のニュースの続報アップデートです)
イェルサレムのゲイプライド「ワールドプライド」、無事開催。

とはいえ、当初予定のパレードではなくヘブライ大学スタジアムを利用した青空集会(ラリー)に縮小(ってのは冒頭のブログのとおり)。反ゲイのユダヤ教、キリスト教、イスラム教の暴動や襲撃事件だけでなく、8日にガザ地区にイスラエル軍が誤爆して子ども7人を含む19人の一般パレスチナ市民が死亡するという事件があったため、パレスチナによる報復テロを恐れてイスラエルはそれでなくとも厳戒態勢。金属探知機などを使った3000人の警官の物々しい警備の中、取材者発表で1万人、警察発表で2000人、ってことはつまり、だいたい4000人が集まったってことでしょうね。
ほんと、イェルサレムは快晴のようでした。

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ところで、やっぱりラリーに妥協じゃなくちゃんとパレードをというLGBTの流れも止められず、ガン・アハアモン公園という別の場所から(大学との位置関係わかりません。すんません)「自然発生的な」パレードを計画していたグループもあった。で、こっちはパレードを始めようとしてあっという間に警官隊ともみ合いになって、30人の逮捕者を出したもよう。

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プライド反対の宗教学生のグループ250人がプライド集会後にデモを行ったらしいが、目立った衝突はなかった。

この問題に関する英語を話すイスラエル人及び他国人の意見はイスラエルの新聞ハーレッツ(って読むのかしら?)のサイトで読めます。なかなか興味深いです。

http://www.haaretz.com/hasen/pages/ArticleNews.jhtml?itemNo=784991&contrassID=13&subContrassID=1&sbSubContrassID=0

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もう1人のアウティングされそうな隠れゲイ、共和党全米委員会(NRC)議長のケン・マールマン=写真上。先日のCNN「ラリー・キング・ライブ」でのビル・マーによる名指しが聞いたわけでもないんだろうが、どうも1月に議長職から退く予定らしいとのニュースが。まあ、選挙大敗の責任を取って、ということだろうが、“ゲイ疑惑”が弾けるまえに、ということなんでもあるんだろう。
しかしねえ……。
(さらに続報=マールマン、新年度はNRC議長職から退くことを発表しました。尻に火がついたんでね)

November 03, 2006

すっかりクレーマー〜朝日記事、続報

どんな組織でも、組織というのはすぐれた部分もあるし劣った部分もあります。ですから、例えば「朝日新聞をどう思いますか」と訊かれても「読売はどうですか」と言われても、応えはだいたい同じです。「すごい記者もいればひどい記者もいる。素晴らしいデスクもいればとんでもないデスクもいる。その比率はどの社もだいたい同じ」。

ですんで、新聞を読むときはいずれも記事を個別に判断しなければなりません。そうして同じ内容の、同じ題材を扱った他社の記事と比較してみれば、どの記事に何が足りないのか、何が余計なのか、何が舌足らずなのかがわかってきます。

先日の、朝日のイタリアの「ゲイの議員」の一件は、朝日新聞広報部から正式に「議員自身がゲイだと公表しているから」そう記したのだという回答をもらいました。しかし、実際は違うようです。善意に解釈して、ゲイとトランスジェンダーの違いがまだ行き渡っていない社会なので、朝日の筆者(ロイター電の訳者ですが)もそのイタリアでの言いに引っかかったのではないか、とも斟酌しましたが。

くだんのルクスリア議員は、自分では「ゲイ」と言っていないのです。

イタリアでゲイを公表している議員はGianpaolo Silvestriといい、ルクスリア議員と同じ選挙で初当選した、上院初のオープンリーゲイ議員です。一方、ルクスリア議員はイタリアではゲイの団体からも「Vladimir Luxuria, 1° deputata transgender d'Europa 」というふうに紹介されている。(参考=http://www.arcigay.it/show.php?1865)

英語版のウィキペディアでも以下の通りです。
「Luxuria identifies using the English word "transgender" and prefers feminine pronouns, titles, and adjectives.」
(http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Luxuria)
「英語でのトランスジェンダーという言葉を使って自分をアイデンティファイしている」、つまり、自分はトランスジェンダーだと言っているわけです。

したがって「本人がゲイであると公表しているため」という朝日広報部の回答は、裏が取れない。確認できない。 適当にごまかせると思って嘘をついたとは思いたくはありませんが、回答は結果としてはまぎれもなく嘘です。まあここでも斟酌すれば、ゲイライツを標榜とか、イタリアでゲイプライドを始めたとか、そういう記述に引っ張られたのかもしれませんけれど。

**

それで終わればよかったのですが、翌々日にふたたびおかしな外信記事が朝日に載りました。以下のようなものです。

「お化け屋敷」で神の教え 若者呼ぼうと米で広がり

2006年11月01日03時13分
 ハロウィーンの“本場”の米国で、この時期、民間のお化け屋敷の形を借りてキリスト教の教えに基づく世界観を広めようとする「ヘルハウス」(地獄の家)が静かな広がりをみせている。若者を教会に引きつけようと、31日のハロウィーン本番にかけて、各地で人工妊娠中絶や同性愛の人たちが地獄に落ちる筋書きの「宗教お化け屋敷」が設営されている。

 ヘルハウスは、教会に通ったことのない10〜20代を主な対象にしている。七つの部屋を通り、最後は地獄と天国を体験する仕組み。同性愛、人工妊娠中絶、自殺、飲酒運転、オカルトなどにかかわった人たちが苦しむ様子が描かれる。

 ヘルハウスは30年以上前からあったが、95年に福音主義のニュー・デスティニー・クリスチャン・センターのキーナン・ロバーツ牧師が筋書きと設営の仕方をセットにして売り出して広まった。ハロウィーンを前に各地に設けられるお化け屋敷を利用した形だ。同牧師は「教会ドラマ」と呼ぶ。

 同牧師によると、800以上の教会が購入、米国の全州と南米を中心に20カ国に広がっている。米南部と西部が中心だが、ニューヨークでは今年、これを利用した舞台版のお化け屋敷も登場、連日大入りの人気だった。

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この最後の部分、「ニューヨークでは今年、これを利用した舞台版のお化け屋敷も登場、連日大入りの人気だった。」というのが引っかかりました。こんな宗教右翼のプロパガンダがニューヨークで流行るはずがないのです。流行ったらそれこそ大ニュースで、だとしたら私の日々のニュースチェックに引っかかってこないはずがない。ってか、だいたい、こんな宗教右派の折伏劇を取り上げてなんの批判も反対も紹介しないで「静かな広がりをみせている」だなんて、おまえはキリスト教原理主義宣伝新聞か、ってツッコミを入れたくなっても当然でしょう。

で、NYタイムズなどのアーカイヴを調べました。そうしたら案の定、話はまったく違ったのです。

このニューヨーク版はブルックリン・DUMBO地区の小劇場で10月29日まで2週間ほど行われていたものですが、これには今年初めのロサンゼルスでの「ハリウッド・ヘルハウス」というパロディ版が伏線にあります。キーナン・ロバーツ牧師の売っている筋書きと設定をハリウッドのプロダクションが買って脚本を作り、面白おかしいパロディにして上演した。地獄を案内する狂言回しの「悪魔」役はいまコメディアンとしてHBOで人気トークショー番組(毎回、政界や芸能界やメディアなど各界の左右の論客を3人呼んでそのときの政治問題を侃々諤々と議論する1時間番組)ホストを務めるビル・マー。これだけでもこの劇を「嗤いもの」にしようとしている意図がわかろうというものです。

で、そのヒットにかこつけて今度はNY版が出来上がった。しかしこちらはそう明確なお嗤いにはしなかった。「悪魔」役こそ誇張されて変だけれど、展開する寸劇はより生々しくシリアスにおどろおどろしく、制作陣の意図はむしろこうしたキリスト教原理主義の教条をナマのままに差し出したほうが観客の自ずからの批判を期待できるのではないか、ということだったようです。ってか、ここに来るような観客はみんな地獄に堕ちろと言われんばかりのニューヨーカーなんですから。

NYタイムズの劇評(10/14付け)は「Obviously, “Hell House” is a bring-your-own-irony sort of affair.(言うまでもなく、「ヘルハウス」は自らこの劇の皮肉を気づくためのもの)」と結んでいます。まあふつうそうでしょう。これで信仰に帰依しちゃうようなナイーヴなひとはとてもニューヨークでは生きていけないもの。ちなみにこの劇団、例のトム・クルーズの没頭する変形キリスト教集団「サイエントロジー」をおちょくった「A Very Merry Unauthorized Children’s Scientology Pageant」なんて劇をやってたりするようなところですし。

つまり、言うまでもなく、朝日のこの記事の結語はまったくの誤解を与える誤訳なのです(じつはこれはそもそも、APの英文記事の翻訳原稿でしかありません)。文脈としてはまったく逆であって、全米の教会ではまともに布教活動の一環として素人演劇で行われているが、NYでの連日の大入りの背景は逆に、そんなキリスト教原理主義のばかばかしさを笑う、あるいは呆れる、あるいはそのばかばかしさに喫驚するための、エンターテインメントなのです。ね、ぜんぜん意味が違ってくるでしょう?

「同性愛や人工妊娠中絶の人たちが地獄に堕ちる」というような、とてもセンシティヴな話題を取り上げるとき、まずこれをどういった姿勢で書くのか、どういった背景があるのか(ことしの米国は中間選挙で、モラル論争をふたたび梃子にしようとする右派の動きとこの「ヘルハウス」は無縁ではありません)、さらに、書くことで傷つくひとはいないのか、ということをまずは考えなくてはいけません。それだけではない。新聞社にはデスクという職責があって、記者がそういうものを書いてもデスクで塞き止めるというフェイル・セーフ機構があるはずなのです。朝日のこの記事、および例のトランスジェンダー議員の記事、立て続けに出ただけに、おいおい、だいじょうぶかいな、という心配と腹立たしさが募りました。こういうことを書くことで「だからマスコミは」「だから新聞記者は」「だからジャーナリズムは」という安直な批判言説を生み出してしまうとしたら、その失うものは筆者やデスクやその新聞社の名前だけにとどまるものではないのです。

朝日は10月半ばにLGBT関係で大阪の記者がレインボーパレードを取り上げたり、同性愛者の「結婚」も市長が祝福という記事を書いたり、「ダブルに男性同士」宿泊拒否ダメ 大阪市、ホテル指導、と教えてくれたり、ヒットを連発してくれてとてもありがたい限りだったのですが。

ね、ですから、「朝日新聞をどう思いますか」と訊かれても、それは全体としては応えられないわけで、これはよかったけれど、あれはひどかった、としか言えないのです。

October 30, 2006

おいおい、朝日新聞よ

いったい何事かとびっくりして読んでみたら、へっ?

***

ゲイの議員の女子トイレ使用巡り大げんか 伊下院

2006年10月30日11時40分
 イタリア下院で27日、中道左派に所属するゲイの議員が女子トイレを使おうとしたところ、中道右派の女性議員から抗議されて大げんかになる騒ぎがあった。双方とも「セクハラ行為だ」と主張して譲らず、両派の院内総務による協議へ発展。下院議長に判断を仰ぐことで合意したという。

 抗議されたのは、今年4月の総選挙で当選し、「欧州初のトランスジェンダー議員」として注目されたブラジミール・ルクスリア議員。男性として生まれたが、日頃から「『彼女』と呼んでほしい」と求めている。休憩時間に女子トイレに入った際、ベルルスコーニ前首相率いる政党のエリザベッタ・ガルディーニ議員から「入るな」と怒鳴られたという。

 ルクスリア氏は「いつも女子トイレを使っているが、こんな経験は初めて。私が男子トイレに入ったらもっと大きな問題になる」。「トイレに『彼』がいたので驚いた。気分が悪くなった」とガルディーニ氏。

 判断を委ねられた議長は中道左派所属で、ルクスリア氏に同情的だ。

**

おいおい、ゲイの議員は女子トイレなんか使わんでしょうが。これ、引っかけ見出しですか?  だれが送稿した原稿でしょう? ローマ特派員?
ウェブサイト上では無署名でわかりませんが、休み明けの外信部の内勤がロイターかなんかを見て埋めネタで訳したんでしょうか? うーん、「女子トイレ」だもんねー。

本日夕刊内勤の外信部デスクおよび担当局デスク、こんな、サルでもわかるような基本的な間違いをスルーするなんて、いったいどういうデスク作業をしてるんだい?

呆れたぜメッセージは
http://www.asahi.com/reference/form.html
まで。

しかし、イタリアでのトランスジェンダー理解というのはこれほどにひどいのかなあ。文句を言ったこの女性議員って、中道右派ってことは、バカってことか。

こういうときに、「性同一性障害」っていう病理的な分類のターミノロジーが有効なんだってのは、とても哀しいけど、戦略上はそれが手っ取り早いのかね。わたしは手っ取り早くなくとも、出発点が早ければ結局はいまの時点でも本質的にも有効な言説が生まれていると思う。レトロスペクティヴにしかいえないが。だから、いまでも性同一性障害という言葉と同時に、トランスジェンダー/トランスセクシュアルという言説を日本でも生み出しておきたいと思う。それはきっと1年後のいま、回顧的に見てけっして戦略的という皮相なものではなく本質的に有効な足場になってくれると思うのです。

いま、新聞協会にね、こういう具体的な性的少数者に関する記事原稿の誤りを正すように申し入れしようと思っています。新聞協会は「新聞研究」という月刊誌を出しているのだけれど、そこへの寄稿もあり得ますね。こうしたなさけない具体例がいまでも数多簡単にピックアップできるという現状は、批判者にはおいしいが、ほんとはじつに哀しいです。

*****

で、上記内容を朝日新聞にメールしたところ、さっそく朝日新聞広報室からの回答が来ました。この辺はちゃんとしてますわね。回答文、すんごく短いけど。

以下転載します。


北丸雄二様

メール拝読しました。ご指摘の件ですが、トランスジェンダーのルクスリア議員を「ゲイの議員」と表現したのは、本人がゲイであることを公表しているため、とのことです。

朝日新聞広報部
**

ってわけで、次にコピペするのがこれに対するわたしの2信。でもいまその自分のを読み直して気づいたけど、「ゲイと自称」じゃなくてこの広報部の返事には「ゲイであることを公表」って書いてあるわい。つまりこれ、ひょっとして「カムアウト」の意味の誤解かな? She came out ってののcome outを「ゲイであることを公表する」って辞書に書いてある意味のまま理解したのかしら? トランスジェンダーとしてカムアウトしてるのかもしれないのに。だとしたら大ボケだ。

で、朝日の実際の紙面も友人が送ってくれました。夕刊2面のアタマの扱いだそうです。

じゃっかんウェブ版とは文言が異なります。トランスジェンダーの説明があるところが違いますね。


拝復、

さっそくの回答ありがとうございます。

ところで、「本人がゲイであることを公表している」としていますが、それは広義の「性的少数者」としての意味の「ゲイ」であって、一般の定義の「ゲイ」とは違うのです。それは自称の有無とは関係ありません。
もし彼女がゲイなら、「トランスジェンダーのレスビアン」、つまり、体は男でも心は女で、しかもゲイ(同性愛者)なら、好きなのは女性であるレズビアン、という意味になってしまいます。でも、ちがうでしょう?

トランスジェンダーの概念が行き渡っていない国ではそういう言葉がないのと同じですので、そういうところではトランスジェンダーのひとも「ゲイ」と自称したりするのです。
日本でもむかしはそうでした。トランスジェンダーもトランスベスタイト(異性装者)も性同一性障害者もゲイもみんないっしょくたに「おかま」だったでしょう? 違いますか? 今回の朝日の記述は、いま違うとわかっている上で、自称しているのだからと言ってあえてこの「おかま」という総称を使うのと同じことなのです(もちろん蔑称の意味を含んでいないのは承知しています)。

で、いまはどうか? 少なくともトランスジェンダーとゲイは違うということを、メディアの記述者は知っていなければならない。わたしが言っているのはそのことです。だって、「今年4月の総選挙で当選し、「欧州初のトランスジェンダー議員」として注目された」わけでしょう? 彼女はトランスジェンダーなのだって、メディアで確認されているのですから。筆者およびデスクはそこを配慮して記述すべきでしょう。この記事のままでは「ゲイ」への、また同時に「トランスジェンダー」への誤解を助長する、あるいは放置する。それは読者を混乱させるし、少なくともその混乱の素である「ゲイ」という単語を見出しに取ったことは賢明とはいえないと思います。(それに、こういう少数者の人権問題をトイレにかけて「落とし所どこ」とするのは、整理部記者冥利なんでしょうけれど、なんだかねえ……)

これにはロイターも配信していてロイター自身による日本語翻訳原稿もあるのですが、それもなんだかおちゃらけた感じ(当該議員を「元ドラァグクィーン」としたり「女装議員」と呼んだり、混乱しています)なのですが、こうしたことも含め、朝日新聞にはもう一歩、配慮のある対応をとっていただきたいものでした。ベテラン記者の郷さんなら、そのあたりのニュアンスをおわかりいただけると思うのですが。

いずれ、この問題は各紙の具体例を収集して新聞協会の「新聞研究」に載せたいと思っています。
この第2信に対する朝日新聞のコメントもいただけると助かります。

不一。

北丸雄二拝

***

そういうわけで、直後に第3信も追送しておきました。
私もヒツコイ
その文面は以下のとおり。

**

さきほど返信を送りましたが、もう一点、いま気づいて確認したいところがあります。

ご回答では「本人がゲイであることを公表しているため」とありましたのを、わたしは勝手に「ゲイであると自称している」と受け止めましたが、これはどちらなのでしょうか?
じつは、日本語のターミノロジーとして「ゲイであることを公表する」というのは、一般に英語の「come out」の辞書的定義の丸写しなのです。

まさか「She has already come out」という英文テキストを「本人がゲイであることを公表している」と理解した誤解、誤読、誤訳ではないでしょうね?

もし上記のような文だったならば、「She came out as gay」と「She came out as transgender」との2つの可能性があるのです。
彼女は「ゲイ」(イタリア語で何というのか知りませんけれど)と「自称」しているのでしょうか?(もっとも、英語で「She came out as gay」といったら先のメールでも触れたとおりレズビアンのことになりますが)。

ご面倒でもそのあたりも郷さんにご確認願えれば幸いです。
もしトランスジェンダーとしてカムアウトしているのをカミングアウトという言葉に引っ張られて「ゲイであることを公表」と訳していたのなら、ぜんぜん違う話になってしまいますから。

不一。

北丸拝

October 10, 2006

北の核実験の真意

バグダッドの米軍基地で大規模な爆発があったようです。CNNはそれをトップで報じています。でも犠牲者は出ていないっていってますね。いま現在、まだバグダッドは深夜なので原因は何なのか、現場がどうなっているかの映像も来ていませんが、あさになれば状況は変わるかもしれません。それにしてもこの2日間でバグダッド周辺では110人を超える死体が捨てられているのが見つかったとか、とんでもない状況が続いています。

それと北朝鮮ですが、どうも北朝鮮の核実験、失敗したんじゃないかという話が強くなっていますね。
4キロトンの爆発力が予想されていて(北があらかじめ中国にそう報告していたようです)、しかしどうも500トン、もしくは200トンくらいの爆発力しかなかったようだという話で、核爆発まで行っていないんじゃないかということまでいわれています。

そうすると、未確認ながらいまさっき行われたという再実験の動きというのも、じつはその失敗のためにさらに実験するということなのかもしれません。7月のテポドンの発射のときも失敗していますしね。

同時に、アメリカは軍事的な作戦の行使はないと断言し始めています。理由の1つはよい標的がないこと。もう一つは犠牲者が100万人にも及ぶだろうこと。

日本ではおそらく脅威ばかりが強調されているでしょうけど、ちょっと冷静になって考えてほしいのはね、北朝鮮はね、これで日本や韓国を核攻撃する、というわけではない、ということなのです。そうなれば北朝鮮自体がなくなってしまうということですから、そんなことはしない。それは北の脅しなんです。いつものはったり。今回の核実験というのは、あくまでそのハッタリの度合いを強める、そのハッタリの脅威を、真実味を強める演出でしかないんですよ。そこを読まなければならない。

もちろん米軍が攻撃したら核をぶっ放す、というか自滅覚悟でいわば国家単位の自爆テロをやらかすでしょうが、それはアメリカといえどもやりません。やらないって言ってる。

つまりね、この核実験は、核攻撃をするためではなくて、もう核実験をやらない、ってことを条件に米国から譲歩を引き出すためのネタ作りなんです。核実験をやらないから米国に二国間の直接交渉に出て来い、って、その要求を実現させるための、いわば都合の良くでっち上げたご褒美なんです。核実験もしない、核をテロリストや他の国家にも売らないから、という、自分でネタを作ってその自分のネタで揺すって、そのネタを引っ込めるからこうしろ、と迫るための、じつに稚拙なマッチポンプなんです。つまり、自分で日本刀振り回して、もう振り回さないからカネをくれって言ってるのと同じなんですね。だからここは、そのカネの中味、何が欲しいのか、どうして欲しいのかをはっきりさせた上で、それにどう対処するのかを戦略的に考えるべきなんです。
それを見極めた上での外交上の作戦を練るのが必要なんですよ。

いまおそらく日本では北に対抗するための核武装論や、憲法9条改正論がまた熱を帯びつつあるかもしれません。しかし、そりゃあ、ぜんぜん有効じゃない。日本が核武装してどうするんですか、余計に混乱するだけなんですよ。核武装論者で改憲論者の安倍さんはこれで勢いづくでしょうけど、それはちょっと、為にする議論です。

北が国家自爆テロにまで進んだらどうするか?
そんときは東アジアは壊滅状態です。日本がいまから核武装したって間に合わないし、間に合ったところで自殺テロ志願者にはなんの効果もないし、さらにはいま核武装していたとしたって壊滅を防ぐためのなんの役にも立たない。でしょ? わかります? だから、道は、北に自爆テロをやらせないためにはどうするかってこと。それを考えない限りどうしたってダメだってことです。そんで、それは日本の軍備拡張でも憲法改正でもぜんぜんないってことですわ。

しかし中国はこんかいで北への影響力というのをすっかり失っているということを証明してしまったね。テポドンの7月のときもそうだったけど、胡錦濤の官僚体制が、北との人間的な人脈を蔑ろにしてきた結果なんだろうね。そうすると北がいまどこに逃げ道を模索しているかというと、ロシアなんだろうなあ。今回の実験でも、中国より先にロシアに事前通告していたって、これはどういう兆候なのか、とても興味深いですね。

今朝の朝日の天声人語(さいきん、このコラムがまた甘っちょろくてかつての栄光はどこ行っちゃったんだろうねえっていうような文章しか載せてない情けない一面コラムに成り下がってますが)がアインシュタインの言葉を引用してました。

「第三次世界大戦がどのようにおこなわれるかは私にはわからないが、第四次世界大戦で何が使われるかはお教えできる。石だ!」

この引用以外は、またまたひどいテキストでしたが。

July 13, 2006

予防的先制攻撃論

安保理、難航してます。
中国、どうも北への交渉の窓口を失っているようです。韓国での南北協議も、北の代表は憮然として(本来の使い方と違うけど、ムッとして、という意味で)帰って行っちゃいました。
北は、ぜんぜん言うことを聞かないね。
中国が交渉に失敗して、なんの譲歩も北から引き出せないですごすごと帰ってきたら、中国はかなり国際社会でのメンツを失う。中国がいまでも安保理で存在意義を持っていられたのは、この北朝鮮カードがあったからという部分が大きい。さあ、どうするんだろう。

前回の続きですが、これって、戦略的に1度も歴史上“実験”されたことがないけど、「射つぞ、射つぞ」っていうやつに、最も有効な対処方法は、「射たないぞ、こっちは絶対に射たないぞ」って、世界中に聞こえるようにいうことなんじゃないかと思ったりするんですよね。そういうのって、相手として、一番いやなやつじゃないですか、喧嘩するときなんか。そんなやつを殴ったら、非難囂々ですよ、ふつう。つまり、そんな国にミサイル射り込んだら、それこそ周り、というか世界中が黙っていないでしょ。大変なことになりますわ。
もちろん、国際社会上の政治的言語としてどういうふうに言い回すかはありましょうが、そういうことを宣言するってのは、相手方の武力行使回避のとんでもない抑止力になるのではないか。

先制攻撃論は、相手にこそ先制攻撃の論拠を与える、という意味で、思っていても報道陣のいるところで口にしてはいけないもんです。本気でそれを考えているときは、相手にそれを気取られないところで一気に先制攻撃をしなくてはならない。おくびにも出してはいけない。そんなの、戦争の仕方の初歩中の初歩でしょうが。そうじゃなきゃ、相手に政治的にも外交的にも責め込まれちゃうんだから。

ですから、額賀とか安倍とかがそれを言うってことは、よっぽど迂闊か、あるいは為にするための国内向けの政治的発言以外の何ものでもないんでしょう。さて、では何のためかと言うと、もちろん9条憲法改正ですわね。

そんなことのために、ほんとうに、そんな形式的なことのために、額賀も、麻生も安倍も、北朝鮮に対して日本国民を人身御供に差し出すような、まかり間違えば相手の発射を誘発するような発言をしれっとするってえのは、政治家として売国的に言語道断だってことを、誰も言わんのはどうしてなんでしょう?

繰り返しますが、日本は、戦争をしたら只の国なんです。戦争をしたら弱いのです。戦争をしないから強いんですよ。

戦争をしないぞ、絶対にしないぞ、ぜったいにおまえなんか攻めてやらねえぞ、てめえ、この野郎、って大声で宣言することが、一番の武器なのだということに、気づけよなあ。

ってか、それこそが憲法9条なんでしょうにねえ。
この稀代の武器を、自民党政権は未だかつて、使ったことがないのです。
なんなんだろ、この憲法への背任行為は。

July 11, 2006

北朝鮮をどうしてくれよう

 横田めぐみさんの死亡説を繰り返すだけの元夫とか「ミサイル発射は平壌宣言に違反しない」と会見でしゃーしゃーとうそぶく外交官とか、まったく北朝鮮の連中は自分の言っていることが世界にもまともに聞こえると信じてるのか。もういい加減にしろよ、てめえ、ってそう、気色ばみたくなるのも当然ですわね。

 ただふと気づいたんだけど、前段の金英男さんも会見で虚勢を張った宋日昊(ソン・イルホ)日朝交渉担当大使も、なんだか自分でもうんざりしてるような顔つきでした。国際社会から繰り返される突き上げ質問にうんざりなのか、それらに同じように答えなければならない自分の現状にうんざりなのかは分かりませんが、以前はもっと毅然として強面だったような印象があるんだけど……。

 そのうんざりさ、げんなりさを知っている拉致被害者の1人、地村保志さんが金英男さんについて「彼も被害者の1人だ」と言っていました。洗脳というよりは恐怖から、彼らはそういうふうにしか言えない。ま、宋大使ほどのエリートにもその斟酌が適当かは分からんけど。

 そこを承知でなおかつ斟酌すれば、本当に「世界からの被害」妄想を信じさせられている人たち以外は、北朝鮮では支配層ですら体制にがんじがらめで、どうしたらよいか分からなくなっているんだと思うわけで。改革を唱えるのも体制批判。粛清渦巻いたスターリン時代の旧ソ連と同じで、互いが互いの脅威を妄想してだれもが動けない。まさに恐怖政治の硬直した成れの果て。こういう時に動けるのは軍部だけなのは歴史が示しています。それが今回のミサイル発射でもあるのでしょう。(それにしても、ゴルバチョフってのは、情況の後押しがあったとはいえ、勇気があったよねえ)

 いまや麻薬や偽ドル、偽タバコまで作っているそんな国家に、はたしてどんな策が有効か。だいたいこのミサイルだって、ひょっとしたら販売促進キャンペーンの一環の商品デモかもしれないのであって。

 日本国内での経済制裁と国連安保理を通じた制裁決議提案も「いい加減にしろ」というメッセージです。それは伝わるでしょう。ただし、それであの国が折れるかどうかは五分五分ですよ。逆に言えば、制裁発動もあの国に対するこちら側の瀬戸際外交になります。チキンゲームに参加ってこと。そうしてついに、北のミサイル発射基地に予防的先制攻撃を行えないか、という意味の発言が額賀防衛庁長官から出ました。「先制攻撃」って単語は注意深く回避されていたけど、これはブッシュのサダム・フセインに体する攻撃の口実になったものとまったく同じもんですわ。その米国もおそらくすでに北の軍部を一気に機能不全に陥れ、反攻を最小限に食い止めるような軍事作戦の立案を行っているでしょう。

 ダダをこねればアメを与える、といった従来回路を断ち切り、次の一歩を進めたいってのが例の六カ国協議の狙いです。次の一歩を、というのは北も同じなんでしょう。ただしその一歩が、体制のがんじがらめでこれまでと同じような方法でしか出せない。病理的にはガチガチの硬直部を内部から解きほぐしてやるような東洋医学的な説得と懐柔が一番の打開策なんでしょうが、そんなのんきな時間もない。本当にどうすればよいのでしょうか。

 言えることは、西洋的処方であるもう一方の軍事行動はどうしたってオプションではないということです。有事となれば数百万という北の難民が韓国や中国、ロシアへと流出し、それは東アジア全体のより重大な危機に直結します。ことは38度線の問題ではなくなり、黙視するはずもない中国の軍事行動は容易に台湾問題へとも飛び火するでしょう。先制攻撃論をぶつというのは逆に日本も相手方の先制攻撃の対象になるということで、それは危険を回避するどころか更なる危機を呼び込むことにもなるのです。国内向けの政治的発言であるという読みもできますが、すぐに国際的にニュースになってしまうようないまの状況でそういう発言をすることがどういうことなのか、額賀発言は到底そこまで覚悟した上とは思えないんですけどね。アメリカでは早くも各方面から日本の憲法改正や軍事大国化を予想/懸念するコメントや新聞社説まで登場しています。懸念の背景には、アジアが火種になれば、世界経済は崩壊するって読みがあるんでしょう。日本が振り上げる拳は、そこまでの責任を負えるのか? 拳ってものは、振り上げたあとの後味の悪さに必ず後悔するものなのです。それは個々人の人生の中でも充分に学習してきたでしょう。

 カギはやはり国連安保理なんだと思います。日本の手腕の見せどころは軍事ではなく世界をまとめる外交努力以外にはないのです。とにかく中国を動かすことです。腹芸でも脅しでも使えるものはなんでも使って。中国に平壌説得の時間的猶予を与えたのはその意味では正しいでしょう。六者協議への無条件復帰、それを中国が説得する。説得したのに失敗して、でも安保理では拒否権行使だっていうのは論理的にもおかしいですから、中国も今回ばかりはのっぴきならない状況に押し込まれました。とにかくあくまで外交というか、政治なんです。

 日本が戦争をするようになったらそこらの国と同じでチキンゲームです。日本は戦争をしない。だから強いのです。そうでなければ、これまで66年も、何のための平和国家だったのか分からんでしょう。平和国家の、手練手管を、しかしさて、外務省という最低の官僚組織は持ってるのかしらねえ。

February 22, 2006

生きよ、堕ちよ

 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画問題はなおも世界で拡大しています。先日もまたナイジェリアで、暴徒化したデモ参加者がキリスト教系住民16人を死なせるという惨事になりました。厳格な宗教戒律と縁の薄いわれわれ日本人には、あの9.11をも広義に含めて、さらには15年前に筑波大学構内で首を切られて惨殺されたサルマン・ラシュディ『悪魔の詩』翻訳者五十嵐一助教授の未解決事件をも含めて、何のための宗教なのかと眉をひそめたくなるような事件が続きます。

 風刺画問題はもちろん宗教と表現の自由との対立の問題です。

 どの宗教でも同じですが、宗教原理主義は聖俗の区別をゆるさず、すべてが「聖」であるために批判の入り込む余地はありません。批判というのは人類の生み出してきた「知」の産物なのですが、宗教原理主義においての「知」はすべて“神学”に寄与するためのものですから、宗教自体への批判は「知」ですらない蛮行なのです。

 これに対して西洋式の「知」はもとより宗教から乖離するように発展してきました。「知」は一切の外側にあって、その対象は対内的な権威を剥ぎ落とされ検証され論評され批判される。そこからこれまでに積み立てられた価値自体の解体である「脱構築」などという手法まで生まれました。

 いわば「知」にタブーはない。一方で「聖」は「聖」以外のものを、あるいは「聖」自体をもタブーにすることによって存在しています。世界各地のイスラム教徒の暴動はタブーとしてのこの宗教的「聖」と、タブーを認めない表現・言論の自由を基盤とする「知」との衝突なのです。

 そんな中で、「表現の自由は重要だが、相手の宗教に対する敬意を欠いてはいけない」という論調があります。ローマ法王までが「人類の平和と相互理解のためには、宗教とその象徴を尊重することが必要だ」と発言しました。しかしそれはもともと両立し得ないものです。表現の自由は元来、宗教的なるものへの異議申し立てを行っても殺されないようにと確立された概念なのですから。それは「それでも地球は動いている!」という叫びの後ろ盾なのです。それは、宗教への敬意を否定してもよいという「知」の覚悟のことなのです。どうしてそれらが共存し得ましょうか。

 ただし、巷間いわれるように、問題はイスラム教ではないのです。問題は「原理主義」のほうにある。イスラムでもカトリックでもユダヤでも同じ。ブルーノを火あぶりに処しガリレオを迫害したのはローマ・カトリックでした。それは原理主義カトリックの時代だった。いまだってキリスト教原理主義の人々はアメリカでもそれ以外の価値観に対してとても攻撃的で、一部では白人優越主義者と重なっていたりさえします。

 先日、イスラムに詳しい知人から、イスラム諸国の人たちの大半はニュースになるような過激な人たちじゃなく、むしろ、同じように俗っぽくて面白い人たちなんだと教わりました。それは原理主義への冒涜でしょう。でもそんな原理主義からの乖離、つまり宗教的な“堕落”こそが、私たちが歴史の中でいまやっと到達している「人間主義」なのです。

 イスラム諸国で、そういう“堕落”した人間主義の台頭する余地があるのかどうかはわかりません。シーア派とスンニ派でも違うようですし、中東とアジアでもまた違う。ただ,いまや世界宗教となっている広大なイスラム文化圏の内部でも、この人間主義と原理主義との葛藤がいつかかならず表面化するはずだとは、私はひそかに信じているのです。外部からの「知」の攻撃よりも、内部の「知」の、内部に見合った広がり方に期待しているのです。

October 18, 2005

小泉靖国参拝NYタイムズ社説

NYタイムズの本日の社説でした。
かなり厳しい論調ですな。ま、リベラルですから、タイムズは。

それにしても、「右翼国粋主義者が自民党のかなりの部分を構成している」とか、「靖国は神社とその博物館で戦争犯罪を謝罪していない」というのは、なかなか正確で明確な意見です。

靖国が戦争を謝罪していないのは、死んだらみんな神様だからってわけでしょうかね。あそこの従業員たちはけっこう過激です。国家護持を狙っているくらいですからね。ものすごい政治力ですもの。

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October 18, 2005
Editorial 社説
Pointless Provocation in Tokyo
東京での意味をなさない挑発行為

Fresh from an election that showcased him as a modernizing reformer, Prime Minister Junichiro Koizumi of Japan has now made a point of publicly embracing the worst traditions of Japanese militarism.

近代的改革者としての姿勢を見せつけた選挙から間もないというのに、首相小泉純一郎が今度は日本の軍国主義の最悪の伝統の公的な保持者であることを明らかにした。

Yesterday he made a nationally televised visit to a memorial in central Tokyo called the Yasukuni Shrine. But Yasukuni is not merely a memorial to Japan's 2.5 million war dead.

彼は昨日、全国放送される中、東京中心部にある靖国神社という追悼施設に訪問した。もっとも、靖国は日本の戦争犠牲者250万人を祀っているだけの施設ではない。

The shrine and its accompanying museum promote an unapologetic view of Japan's atrocity-scarred rampages through Korea, much of China and Southeast Asia during the first few decades of the 20th century.

同神社とその付属博物館は、20世紀初頭の数十年間、韓国朝鮮全土と中国・東南アジアの多くで極悪非道と恐れられた日本の残虐行為に関して悪びれることのない史観を標榜しているのである。

Among those memorialized and worshiped as deities in an annual festival beginning this week are 14 Class A war criminals who were tried, convicted and executed.

今週始まる例大祭で神として祝われ崇められる中には、裁判にかけられ有罪になり処刑された14人のA級戦犯も含まれている。

The shrine visit is a calculated affront to the descendants of those victimized by Japanese war crimes, as the leaders of China, Taiwan, South Korea and Singapore quickly made clear.

この神社参拝は、中国、台湾、韓国、シンガポールの首脳たちがすぐさま明確に指摘したとおり、日本の戦争犯罪によって犠牲になった人々の子孫への、計算ずくの侮辱である。

Mr. Koizumi clearly knew what he was doing. He has now visited the shrine in each of the last four years, brushing aside repeated protests by Asian diplomats and, this time, an adverse judgment from a Japanese court.

Mr.小泉は自分が行ったことを明確に認識している。彼はこの4年間、繰り返されるアジアの外交官たちの抗議を軽くいなし、さらに今回は日本の司法の違憲判決をも無視して、毎年この神社に参拝してきたのだから。

No one realistically worries about today's Japan re-embarking on the road of imperial conquest.

現実問題として、だれも日本が再び帝国主義的覇権の道を進むだろうなどとは心配していない。

But Japan, Asia's richest, most economically powerful and technologically advanced nation, is shedding some of the military and foreign policy restraints it has observed for the past 60 years.

しかしこの、アジアで最も裕福な、最も経済力を持ち技術的にも進んだ国家である日本は、過去60年間遵守してきた軍事的・外交的歯止めのなにがしかを切り捨てようとしているのである。

This is exactly the wrong time to be stirring up nightmare memories among the neighbors. Such provocations seem particularly gratuitous in an era that has seen an economically booming China become Japan's most critical economic partner and its biggest geopolitical challenge.

近隣諸国にあの悪夢の記憶を掻き回すのに、いまはまことにふさわしくない時期だ。このような挑発は、とくに経済的に急発展中の中国が日本の最も重大な経済的パートナーかつ最大の地政学的難題になりつつある時期にあって、まったく根拠のないものと思われる。

Mr. Koizumi's shrine visits draw praise from the right-wing nationalists who form a significant component of his Liberal Democratic Party.

Mr.小泉の同神社参拝は、彼の自民党の中でかなりの部分を構成する右翼国家主義者たちの賞賛を引き出した。

Instead of appeasing this group, Mr. Koizumi needs to face them down, just as he successfully faced down the party reactionaries who opposed his postal privatization plan.

このグループの要求を受け入れるのではなく、Mr.小泉は彼らを屈服させるべきなのである。ちょうど彼の郵政民営化案に反対した自民党反動派の連中を成功裡に屈服させたように。

It is time for Japan to face up to its history in the 20th century so that it can move honorably into the 21st.

名誉とともに21世紀に進んで行くために、日本はいまこそ20世紀の歴史を直視すべきなのである。

June 02, 2005

傭兵、反日、第9条

 こちらに帰ってくる間際、イラクで負傷・拉致されたという齋藤昭彦さん(44)が死亡したという情報が流れました。それ以後、その話はどうなったのでしょう。日本政府は、齋藤さんのような存在に対してどういう立場を取るのでしょう。それとも、死んだままで終わりなのでしょうか。ここまで届くニュースにはそのへんのことはまったく触れられていません。

 やまぬばかりかいまもなお激化する自爆テロに、イラクでは米英軍も自兵の犠牲者を出してはならじと、自軍を第三国の傭兵部隊に守らせるというなんとも倒錯的なやり方を採用しはじめました。英国系“警備”会社の齋藤さんはそんな中で襲撃され拉致されたのです。

 日本では齋藤さんを「ボスニアでも活躍した傭兵」「フランス外人部隊にも所属」と、なんだか奇妙に思い入れがあるような、あるいは“超法規的”な存在への興味を拭えないような伝え方をしていました。
 「警備会社」に勤務の「警備員」といいますが、戦時における、しかも前線における警備員とはあるしゅの兵力に他なりません。それを「傭兵」と呼びます。
 しかし「傭兵」というのは国際法上では不法な存在なのです。戦争とは国家間にのみ存在し、その国家の正規軍のみが武力の行使権を有します。相手が撃ってきたときに撃ち返す正当防衛はだれにも認められますが、傭兵は私兵であり、人を殺せばテロリストと同じであって超法規的な存在ではない。傭兵が作戦行動として相手を殺害したらこれは殺人罪が適用されます。傭兵に法的な後ろ盾はありません。ジュネーブ条約で認められる「捕虜となる権利」も持っていません。ただ現実として、戦争の混乱の中で罪の有無がうやむやにされるというだけのことなのです。

 いやそれよりもなによりも「戦争の放棄」を謳う憲法を持つ国の国民として、齋藤さんは二重の意味で私たちとは異なる。もし彼がいまも日本国籍を持つ日本国民だとしたら(それは確認されています)、齋藤さんは日本憲法にも国際法にとっても「背反者」なのです。はたしてその認識が、私たちにあるのかどうか。彼には、ぜひ生きて還ってきてほしかった。そしてその特異な存在の、この世界でのありようを、ぜひわたしたち日本人に突き付けてほしかった。そこで明らかになる「日本」と齋藤さんとのねじれを、わたしたちの次の思索のモメンタムにしたかったのですが、政府も、報道も、そのへんについてはすでに終わったものとして扱っているような感じです。
             *
 ところで、アメリカの軍隊もじつは傭兵みたいなものだという意見があります。裕福な白人層はもう従軍などせず、米軍ではイラク開戦前は黒人が24%を占めていました。イラクでの犠牲者が増えるにつれ現在ではそれが14%にまで落ちていますが、ブッシュ政権はボーナスや傷痍金・死亡手当の増額など、金銭的報奨によって兵員志願を“買おう”としているというわけです。
 米国籍を持っていない者でも米軍には入れます。少しは国籍取得に有利になるのでは、という不法移民の心理にも働きかける策ですが、正規軍とはいえ、これでは傭兵「外人部隊」と同じでしょう。さらにテレビで連日放送される新兵募集のCMでは、教育を受けていない若い白人らも取り込もうと「軍で教育が受けられる」「資格が取れる」などの利点を強調します。しかしこうした“未熟”な米軍の存在がまた“プロ”の傭兵の新たな必要性を生むわけで、これらはもう戦争というものの構造的などうしようもなさの連環のような気さえします。
            *
 国連安保理の常任理事国入りを目指す日本に、お隣り中国・韓国の「反日」「抗日」の気運が根強かったのも日本で感じたことでした。
 直接の理由は小泉さんの靖国参拝と竹島領有などに関する教科書記述問題でした。それが第二次大戦中の話にまで及び、日本への警戒心までがまたぞろ出てきていました。そんなものはもちろんなんの根拠もない(はずな)のですが、そのときの日本側の“釈明”がどうも小手先のものに見えて仕方がありませんでした。

 私たちは戦後60年、「平和国家」としてやってきました。先ほども書きましたが世界でゆいいつ「戦争の放棄」を謳う憲法を持ち、60年ずっといちおうは平和外交を展開してきました。それは中国と韓国を説得するときの最も本質的な論理なのだと私には思われます。

 もっとも、それは軍事活動をとらざるを得ないことのある国連の安保理常任理事国に入る資格としてはそれは矛盾になりますが、しかし中韓を説得するときになぜ誰ひとりとして現存の憲法9条を持ち出さないのか、私にはどうしてもわかりませんでした。自民党は憲法9条に恥じるような、あるいは憲法9条を恥じるようなことしかしてこなかったからでしょうか。
 きっとそうなのでしょう。

 現代の傭兵の発祥は中世のフランスです。齋藤さんに対してと同じく、私はこの日本政府にも中世へと逆戻りするような愚かしき勇ましさを感じます。いや、それよりなにより、憲法違反としてこちらも訴追の対象ですらあるのではないかとさえ思っています。

April 19, 2005

新法王 ラツィンガー

新法王に選ばれたヨーゼフ・ラツィンガーについて、「Becoming a Man」というポール・モネットの半自叙伝に次のような記述があります。彼は24年にわたって教理省長官を務め、教義において超保守的とされた前法王ヨハネ・パウロ2世の側近中の側近でした。バチカンのこの20数年間の超保守主義を形作って恥じなかった人物です。エイズ禍初期の80年代に、いかにひどい憎悪の言葉が彼らの口から発せられたか。そういう男が今度の法王です。

ただし、違う読みもあります。ラツィンガーはいま78歳。法王としてもっても数年でしょう。このラツィンガーで保守派の生き残り連中のガス抜きをして、改革派は次を狙っている。それが今回のコンクラーベ、比較的早く決まった理由だと。とりあえず花を持たせておいて保守派の顔も立て、さて、次がどうなるか。じつはバチカンの次回のコンクラーベはすでにいまこの時から始まったと言ってもいいのだと思います。

****以下、「Becoming a Man--男になるということ」からの抜粋訳

 「ローマ・カトリックの問題点は」と、ある司祭が残念そうにぼく【註;ポール・モネット】に語ってくれたことがある。「ずっと逆上ってアクィナス【註:トマス・アクィナス。中世イタリアのローマ・カトリック神学者でスコラ哲学の大成者。主著「神学大全」】に帰結する」と──13世紀カトリックのあの野蛮人。女性とゲイに関するやつの煮え滾ぎるナンセンスが聖書と同等の権威になったのだ。これは憶えておく価値がある。最初の千年王国では、教会はゲイとレズビアンをも歓迎する場所だった。既婚聖職者を受け入れていたと同じようにゲイとレズビアンをも受け入れていたのだ。さらにもう一つ、優しきヨハ2ネ23世【註:1958〜63年のイタリア人ローマ法王。62〜65年にかけ、第2ヴァチカン公会議を開催。キリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定したことで有名】時代に、偏見と頑迷さとが俎上に上りそうになった瞬間があったことをぼくは知っている。第2ヴァチカン公会議が光を注いでいたそのときに、フェミニズム運動とストーンウォール革命とがあの家父長制度の目の前でぼくらへの鞭打ち刑を打ち砕いたのだ。その二つの出来事が時期を同じくしたのはけっして偶然ではない。

 しかし第2公会議は自らを去勢した。いまやバラ色の60年代ではすでになく、新たな異端審問が咆え声も高らかに全速力で疾走している。率いるのは錦織の法衣を着た狂犬病のイヌ、ローマ法王庁の枢機卿ラツィンガー【註:こいつが今度の法王】だ。ゲイを愛することは「本質的な邪悪である」という御触れを発布した悪意のサディスト神学者。エイズ惨禍のこの10年間、ぼくは道徳的堕落に関するグリニッジ標準時のごとき存在としてのあのポーランド人法王【註;ヨハネ・パウロ2世】の教会に何度か足を運んだ。ぼくなりのささやかなやり方でナチ突撃隊長【@シュトゥルムフューラー】ラツィンガーへの返礼をするために。法王の植民地の手先どもが一週間でもいいから黙っていてくれることはまずない||ニューヨークではオコーナー【註;1984年から2000年までNYのローマ・カトリック教会大司教で、法王の最高顧問である枢機卿の一人だった。2000年5月死去】が、ロサンゼルスではマホーニー【註;同じくLAの大司教・枢機卿】が、自分らの女性恐怖症と同性愛恐怖症とを辺りかまわず吐き散らかしている。セックスはついには死に至るのだと勝手に勝利に呆けながら。

 けれどぼくは、たとえそうでもカトリックそのものを憎むことはしないように努めている。これに関しては、神は罪は憎むが罪人を憎むのではないという法王さまたちご自身のお言葉に倣うのだ。そうしてぼくはミサにやってくるかよわい老婦人たちのために、あのブロケードの法衣の向こうにどうやるのか神を見ようとする貧しい異国の人々のために、さらには遠慮がちにこの恐怖の時代はやがて終わりますとぼくに手紙を寄越した怯える司祭たちのためにすら、舌を噛んでじっと言葉をこらえるのだ。

April 08, 2005

スワジランドって知ってる?

本日は次のような衝撃的なニュースが。

More than half of young Swazis are HIV-positive

According to the 9th HIV Sentinel Survey, conducted by the Swaziland National AIDS Task Force, 56% of the nation's adults ages 25-29 are infected with HIV. Data for the survey were taken from pregnant women who attended prenatal clinics in 2004; this group is considered a valid model for projecting the adult population's overall HIV rate. According to the survey, the HIV infection rate among people ages 19-49 rose to 42.6% from the 38.6% recorded last year. Helping to drive the epidemic, activists say, is a reluctance to test for HIV and a cultural taboo against admitting illness. Reuters obtained a copy of the report, which is to be released later this month by the health ministry. (Reuters)

スワジランドっていうのは南アフリカの中に包まれるようにあって、モザンビークと隣接している世界最貧国のひとつです。モザンビークはその4倍くらい貧乏ですけど。

上記のニュースはそのスワジランドのエイズ調査で、全国の25〜29歳の成人の56%がHIVに感染していることがわかったというものです。2004年に産婦人科に訪れた妊娠女性の追跡調査からわかったもので、19〜49歳の感染者は前年の38.6%から42.6%に上昇。感染拡大の原因はHIV抗体検査をなかなか受けないことと、病気であることを認めるのが文化的なタブーになっていること、だと書いてあります。詳細は今月中に保健当局から発表されるって。

しかし、56%って、すごすぎないか。 国が滅びるぞ、ほんと。

米国CIAの調べではスワジランドはキリスト系の土着信仰が40%、カトリッックが20%、英国国教会とかメソジストとかモルモンとかユダヤ教といった厳格宗教が合わせて30%だそうです。つまり、ポープの教えと似たり寄ったりでコンドームは使っちゃいけないというのもあるはず。というか、こういうところではコミュニティーの機能として教会が進んでコンドームを配布しないことには新しいコンドームも手に入らないし、そうすると古いのを使い回しして大変なのです。

ニューヨークのセントルークス病院でエイズ研究を80年代初期から続けている稲田頼太郎先生は最近毎年ケニアに入って地域医療検診を行ってエイズ教育にも力を入れてるんだけど、ぜんぜん追いつかないんだよ、って暗い表情です。先生のいつも行く地域でも、30代の女性の感染率が40%近いとか言っていました。とんでもない数字です。そうして、これらの数字のうしろには、ひとりひとりの悲劇がひとりひとりの名前とともに山積みになっている。

われわれにできることはなにか?
即効性のあることなんかほとんどありません。稲田先生のように現地に乗り込んでコンドームを配ったりする人もいるでしょうが。でもまずは事実を知ること。それを人口に膾炙させること。そこから動き出すものを信じるしかないのです。そうして各自が、各自でできることをやるしかない。

April 06, 2005

マンデート難民の取り扱い変更か?

朝日ウェッブ版に次の記事を見つけました。

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国連認定難民は強制収容せず 法務省が新方針

2005年04月07日00時05分

 法務省は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から難民と認定された外国人(マンデート難民)について、今後は原則として強制収容せず、在留特別許可を柔軟に与えていく方針を決めた。同省はこれまで「UNHCRの認定基準は、国が批准した難民条約と目的や対象が異なり、一律に扱えない」として本国へ強制送還するなどして、国際的な批判を浴びていた。

 関係者によると、国内には約25人のマンデート難民がいるが、03年ごろからは国連も新たなマンデート難民認定を日本ではしておらず、取り残された形だ。同省は、こうしたケースに一定の理解を示す一方、UNHCRにも他国への定住あっせんなどの努力を求め、問題解決をねらう。

 マンデート難民をめぐっては、今年1月、UNHCRが認定したクルド人アハメッド・カザンキランさん親子を政府がトルコへ強制送還。UNHCRや国際的な人権団体・アムネスティ・インターナショナルから「国際法の原則に反する」などと抗議を受けていた。

 このため法務省は対応を検討。難民認定の基準は変えないが、国連側との情報交換を増やすことで「新たな事実が判明したり、くむべき事情が明らかになったりした場合」などには、在留特別許可を与えることにした。

 また、難民認定をめぐる訴訟などで国側が勝った場合も強制退去とはせず、UNHCRと協力し、安全な第三国への定住をはかる。

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さて、「今後は」とありますが、これがはたしていつからの話なのか、シェイダさんは該当するのか、とても気になるところです。近々に支援グループからも報告があると思います。

それにしても1月にトルコに強制送還されたクルド人父子、その後、どうなっているのでしょうか。追跡調査はしているのでしょうか。ひょっとしたら外務省、法務省の追跡調査で収監されたとわかって急きょこの取り扱い変更に結びついたのでなければいいのですが。新聞各紙のトルコのカバーはどこの海外支局がやっているのかなあ。ぜひ取材してほしいです。

April 03, 2005

法王死す

ヨハネ・パウロ2世を「最低の法王」って書いたら、「やっぱりその理由をきちんと書かなくてはダメですね」っていうような意味のことをおそらく言っているんだろう人から罵詈雑言メールが来たんで、アカウンタビリティーっていうのとはちょっと違うけど、でも、まあ、これだけポープ礼賛コメントが溢れる中、流れに棹さすのも対抗文化的には意味がないことではないと思うので、メモ書きのように書き残すのもいいかしらと思いました。とはいえ、わたしはいままたブーレイに行って3人でおいしいワイン4本飲んで帰ってきたばかりなので、幸せにヨッパゲていますので、書くことも幸せな感じになってしまうかもしれません。差し引いてお読みください。(今日が万愚節ならいいんだけど)

共同電がこんなことを報じています。
「国営イタリア放送は2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は死の瞬間まで意識があり、最期の言葉は「アーメン」だったと報じた。」

ひとりの有名な人間の死に関してある好ましい物語を付随させようというのはわからないことではありません。しかし偶像化はかの宗教も、なかでもカソリックは嫌うことではなかったか。とくに最期に際しては、すでに声も出なくなっていたと報じられたポープがとつぜん「アーメン」とどうやって「言葉」にしたのか、その辺はどうなのでしょう? いつの時点での「最期の言葉」なのか。

いえいえ、しかし問題はそういう、言ったか言わないか、ではないのです。「最期の言葉は「アーメン」だったと報じ」ること、もしくは「報じ」させることが期待する、人々に与える効果、の物語性なのです。ひとはそれを単なる事実としては聞かないでしょう。つまり、「あ、そうなの」では終わらない。「ああ、やっぱりそうだったか」となり、そこから始まって「いやいやさすが法王だよね」となって、カソリックにおける「敬虔」という意味を補強する契機となる。ま、そんなのはあたりまえですがね。そのつもりで発表してるんだから。わたしがいやなのは、その演出なのです。

これが或るカリズマ的な俳優ていどの人の死だったりしたときにはべつにわたしもかまいません。しかしポープの後ろには11億人がいるのです。11億人への演出。ひとりの人間の死に哀悼の意を表するのはやぶさかではありませんが、かれは「ひとりの人間」ではありませんでした。そういう地位を、かれは選んだのです(選ばれたといっても、互選ですからね、それをよしとしたわけです)。

ヨハネ・パウロ2世の功績として26年間の在位でポーランドの「連帯」を支持して旧ソ連・東欧の崩壊にも積極的に関わった、というのがあります。89年のベルリンの壁の崩壊は、いまでもくっきりとおぼえています。あのときに法王がどんな役割を果たしたのだったか。
そんなの、たいしたもんではありませんでした。あの当時の世界中の新聞を読んでごらんなさい、どこにも法王がどうしたこうしたから、とは書いてありません。あのあとです、そういえば法王も祖国ポーランドの自主労組「連帯」を支持してたよね、共産主義を非難してたよね、あ、そうなんだ、ヨハネ・パウロ2世も、世界史としてあの激動の時代に関わっていたんだよね、……と「記述」されたのは。

でも、待ってください。あの当時、イタリアもそうですけど西側社会でポーランドの「連帯」を支持していなかった「指導者」はいませんでした。ポープがそのone of themだったからといって、それは功績でしょうか? ベルリンの壁は、わけのわからないうちに民衆の力と情報の力によってたたき壊されたのです。法王は関与していたか? そう、まあ、せいぜい多く見積もって、というかカソリック教徒でハンマー持って壁まで繰り出していった連中のことを考慮に入れるとコンマ何%くらいは、というものでしょう。

毎日ウェッブサイトにはこうも書いてあります。「キリスト生誕2000年を祝う「大聖年」を主宰し、分裂したキリスト教会の和解や異宗教との対話に力を入れていた。」

これは2000年3月12日の「赦しを請う日」ミサで、ヨハネ・パウロがカトリック教会が過去にユダヤ人や女性、異端者、原住民などに対して残酷な扱いをしたことを「7つの罪」として謝罪したことを指しています。その7つは「一般的な罪」「真理への奉仕において犯した罪」「『キリストの体(教会)』の一致を傷つけた罪」「イスラエルの民に対して犯した罪」「愛と平和、諸民族の権利と文化・宗教の尊厳を犯した罪」「女性の尊厳・人類の一致を犯した罪」「基本的人権に関する罪」だそうです。かれはイスラエルにも訪問しましたしね。とくにナチス統治下で、カソリック教会がナチスの手下になってユダヤ人虐殺にも関与していたことを指すとはされますが、まあ、“懺悔”はまったく具体的ではありませんでした。

その点を問題にして、ニューヨークタイムズは「法王、2000年間の過ちに赦しを求める」という見出しでユダヤ人問題を中心にものすごく大きな記事を特集で掲載しました。ユダヤ人の数多く住むアメリカだからなのですが、第二次大戦中に当時の法王ピウス12世らカソリックの教会指導者がホロコーストに対して沈黙どころか黙認さえしていたのに、ヨハネ・パウロ法王とそれに続く枢機卿たちの謝罪の言葉に、具体的にホロコーストを示す言葉がひとつもなかったとユダヤ人たちが「失望」しているという話でした。

いえ、でもこれもべつにそんなことは問題ではないとわたしは思います。

だって、具体的にいおうがいうまいが、ホロコーストに当時のバチカンがかかわっていたというのは周知の事実ですし、問題はむしろ、そんなことをなぜ2000年まで(在位26年でなんと21年目の出来事です)はっきり謝らずに放っておいたのか、ということではないか。赦しを請うなら、もっと早くしていてこそ「ああ、さすがヨハネ・パウロだ」というものではないか。なぜならすでに1962年から65年にかけて、ヨハネ23世が開いた第2ヴァチカン公会議がキリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定しているからです。もっとも、ヴァチカンはそのあとで再び反動期に入りましたけれど。

ヨハネ・パウロは病弱になった1994年ごろからさかんにカソリック教会の謝罪を口にしているのですが、謝罪する勇気があるからえらいのでしょうか。湾岸戦争やイラク戦争にもつよく反対していたのですが、それがえらいのかしら。だって、あなただってわたしだって反対していましたよ。法王だって反対するでしょう、そりゃ。聖職者として戦争に反対するのは当然のことですしね。ましてや、かつてナチスに加担した宗教ならばなおさらのこと。

わたしは「いまのヨハネ・パウロはこの時代にあって過去の遺物のような最低の法王だった」と書きました。振り返って見ると、かれは時代の流れに合わせて最後にのこのこと出てきて行動しているだけだからです。そんなのはだれでもできることではないのか。それをしたからといってえらいわけではないんじゃないか。それが「この時代にあって」と書いた理由です。「この時代」とはどんな時代だったか。それは、東西冷戦の激化を受けた時代であり、米ソの均衡が崩れた時代であり、エイズの襲った時代であり、新たな概念の宗教戦争およびテロが勃発しつつある時代でもあります。そのときに、かれは時代をなぞったかもしれないが、時代を新しく導くことはしなかった。数多くの人が知っている、もしくは信じたいことがらは言葉にしたが、そういう人々の誤謬を指摘する知恵と勇気は持たなかった。精力的に世界中を旅し、日本を含む130以上の国・地域を訪問して「空飛ぶ聖座」といわれた、と報じられてもいますが、そりゃこの時代、どの時代よりも空路が発達したのだから、聖座だって高級マグロだってかつてなく空を飛ぶでしょう。明仁天皇だって、歴代のどの天皇よりも外遊してるんじゃないでしょうか。そういうことです。

これが、ヨハネ・パウロを強いて評価する必要を感じない理由です。
では、「この時代にあって最低」と敢えて貶めるのはどういうことか。
それはね、ま、あまりにもマンマなんで、わざわざ書く必要もないでしょう。この手で書き記すことさえ汚らわしい。
ええ、そう、あなたも知っているとおり、そういうことです。

ここまで書いたら、さすがに酔いもすっかりさめてしまいました。
ああ、もったいない。くそ。

April 01, 2005

ローマ法王

こちらはただいままだ4月1日なわけで、そんなところに「ポープが死んだ」というニュースがものすごい勢いで米国メディアでもただいま取りざたされています。しかしバチカンはまだ死んでいないと発表するし、CNNも「ちょっとお待ちください」などと冷静を呼びかけているし、「しかしHe is dyingはまちがいないわけで」とか言っちゃうし。
なるほど、いずれにしても死期は近いからということでだれかがエイプリルフールに力を得てやっちゃったんだかも。こりゃ、四月でバカにされたかもしれませんな。

いまのヨハネ・パウロはこの時代にあって過去の遺物のような最低の法王だったとわたしは思っているけれど、彼が死んだからといって次がまともということはまあ、あり得ないことだと思います。宗教とは、いかに過去にしがみつくかをその存在のダイナミズムにしているからです。むしろこんな時代だからといってさらに保守的な法王が選出される、あるいは選ばれたひとが自分でそう思い込んでしまうというようなことになるのではと危惧しています。もちろん、そうならないことを望んではいますが。

それにしても、昨日のテリ・シャイボさんの尊厳死問題と合わせて、アメリカはこれでまた翼賛的なキリスト教礼賛が始まるのではないかと不安です。たしかに1人の法王の死は宗教右派にとっては確実に大きなモメンタムになるわけで、テリさんの栄養チューブを元に戻さなかった裁判所の判事たちへもいままた「過激派の判事」なる、あの同性婚のときのブッシュ政権からの攻撃と同じような心情を基にした非難が社会ばかりか議会でも渦巻いているような雰囲気です。バックラッシュというのでしょうか、反動というのでしょうか、後の世に、なるほどこういう時代だったのだと振り返られるような、そんな過ちはいまのうちから警戒しなくてはならないでしょう。テレビではすでにヨハネ・パウロの「いかに偉大だったか」「いかに庶民的だったか」「いかに若者に好かれていたか」についての、歯の浮くようなコメントが溢れはじめています。

テレビがクールメディアだと言ったのはどこのだれの嘘でしょう。

February 24, 2005

片腹痛し

ロイター電で、

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が22日に出版された自身の新刊の中で、同性婚は「新たな悪魔の思想」の一端であり、知らぬ間に社会を脅かしているとの見方を示した。同著では、同性婚以外にも中絶などの社会問題に触れ、20世紀に行われたユダヤ人などに対する撲滅行為にも匹敵する「合法的根絶行為」と言明。

なんて伝えられていて、まったく、病膏肓に入るとはこのことだと思いました次第。

ローマカトリックは、第二次大戦中、もちろんナチを支持していました。時のローマ法王はピウス12世です。ユダヤ人はカトリックの慈悲を受けない。彼はそう考えていた。同時にあの時代、LGBTたちはそのユダヤ人同様、ヴァチカンの戦況報告室で冷血に画策される虐殺の犠牲者だったわけでもあります。ピウスとは、ニュルンベルクが見逃した戦争犯罪人の名前なのです。

ローマンカトリックがそのことを謝罪したのはつい最近、1997年のことです。それまで頬っかむりをしてきた。それがどうでしょう、ピウスに連なるいまのヨハネ・パウロが、「ユダヤ人などに対する撲滅行為にも匹敵する」などとあたかも100年前からユダヤ人撲滅行為に反対していたかのような口ぶりでしれっとあらたな撲滅行為に加担する。歴史は繰り返す、というのは愚かしい彼のためにあるような成句です。恥を知っているなら、ふつうはそんな比喩は恐れ多くて口が腐ってもいえない。

かたはらいたし、とはこのことです。

いったい、この頑迷なる善意というのは、何に起因しているのでしょう。
こういうのは悪意より始末に悪い。

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さらに再び

asahi.comから
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 フジテレビジョンの村上光一社長は24日の定例記者会見で、ライブドアによるニッポン放送株の取得を巡る他の民放各局の報道について「あまりにも、ちょっと狂騒曲的。ニュースはただおもしろおかしくやればいいのではない」と批判した。もっともフジ自身が娯楽路線をとってきただけに「自省を込めて」とも前置きした。
 村上社長は「(他の民放の)報道番組を見ていると、あまりにもちゃらちゃらして『えーっ』と思う例が頻発していた。いかがなものか。(ライブドアに)テレビは公共の電波だと言っている時期だからこそ、きちっとやらなければいけない」と強調した。
***

おいおい、ニュース番組のタイトルからかつて「ニュース」という単語を外してみせたのはどこの局だったっけ? ニュースに効果音入れたりオドロオドロしい音楽をかぶせて視聴率稼ごうとしたのはどこの局だよ。声優使ってドラマ仕立てで報道して視聴者の劣情をあおってきたのはどこのどなたさまですかってんだ。

フジテレビが「公共の電波」っていうのは、日テレが「公共の電波少年」っていうくらいにコントラディクションじゃあありませんかえ? どの口からそんな言葉が出てくるんだろ。まったく、社長ってのはどこまで厚顔にならんとできないもんなのか。この世で一番恥ずかしいことは、恥を知らないということなのだ。

ふむ、「デイリー・ブルシット」のブルシット叩きらしくなってきましたな。

しかし、わたしは罵詈雑言がかなりきつい、ということをある人から指摘された。
叩くときは、けっこう、完膚なきまでに言葉を連ねる、しかも、かなり強烈なグサグサの感じがするらしい。

先日の「怠けもん」発言も、けっこう、本来の標的とは別のところでグサグサ刺された感じがするという人がいるようだし、そういえばその昔、金原ひとみの「蛇にピアス」を叩きのめしたら、思いもかけぬ方向にいたぼせくんから「そういう言い方はない」的な叱責をいただいた。こちとら、ゲイの視点からあえてだれも触れないでいる蛇ピアのぬぐい去り難いホモフォビアを指摘しただけだと思っていたんだが。反省。

悪口は自分に返ってくる、って、なんてったっけ? なんか、成句があったような気がするけど。

くわばらくわばら。

January 26, 2005

インド洋大津波

 きのう銀行に小切手を入れに行って、自動振込機の初期画面がインド洋大津波の寄付金を呼びかける画像だったのに驚きました。

 インド洋大津波から今日で1カ月です。アメリカのテレビでは元大統領のブッシュ父と前大統領のクリントンとが2人仲良く並んで被災者支援の募金を呼びかける公共広告が流れています。いわく「起きたことは変えられません。しかし、これから起きることは(あなたの支援で)変えられます」。

 正月に日本に一時帰国していたのですが、同じアジアでの大災害にも関わらずこうした支援呼びかけはあまり目につきませんでした。中越地震の支援で目一杯だったからなのでしょうか。対してアメリカに帰ってみると、企業も芸能界もこぞってお金を出したり集めたりして遠いアジアの被災国に送ろうとしています。というか、その広報、プレゼンテーションの仕方がじつにうまいんですね。

 同じようなことを9・11のときにも感じました。あのテロの直後、米国企業のホームページは一斉に追悼を表したものに書き換えられましたが、米国内にある日系企業のホームページはまるでなにもなかったかのようにいつまでも“平時”の宣伝ページのままだったのです。企業広報というか、社会事象に対する対応の仕方がまるで鈍いのです。

 今回の大津波もそうです。これ聞こえよがしに「寄付をした」と吹聴はしていませんが、米国企業のウェッブサイトにはさりげなく自社の寄付実績が書き添えられ、同時に赤十字などへの寄付金の案内が書き加えられるようになりました。コカ・コーラは1000万ドル(10億円強)を寄付、同じくペプシコもインド、インドネシア、スリランカなどでボトル飲料水の無料配給など多大な寄付を行っているようです。アメリカン・エクスプレスは社員が100万ドルを集め、社としてもそれに同額の100万ドルを追加して計200万ドルを寄付しました。AOL、アマゾン、アップル・コンピュータ、ヤフーなどのホームページでもみんな義援金団体へのリンクが貼られ、テレビ各局も寄付を募る緊急番組をプライムタイムにCMなしで放送しました。ラジオもそうですね。クリア・チャンネルも全米1200局のラジオ網を使ってユニセフの広報キャンペーンに協力していました。

 ハリウッドの大物俳優たちや音楽家たちもノーギャラでそれに出演しては視聴者からの寄付金の電話を受け取ったりしているのです。NBCテレビですが、インド洋大津波の被災者救済のための募金2時間特番「ツナミ・エイド」をロサンゼルスのユニバーサルスタジオからCMなしで生中継しました。
 この番組にノーギャラで出演したのは音楽界からはマドンナやエルトン・ジョン、グラミー賞歌手のノラ・ジョーンズら。映画界からはお膝元とあってブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ベン・アフレック、ニコラス・ケイジ、トム・セレック、ジェームズ・カーン、モーガン・フリーマンといったそうそうたる顔です。番組ではクリント・イーストウッドらが地震から津波発生までの過程や被災状況を報告し、数々の悲劇を言葉で再現しました。マドンナは犠牲者への哀悼を示して黒衣でジョン・レノンの「イマジン」を歌い上げ、ブラッド・ピットら多くのセレブは自ら電話オペレーターとなって視聴者からの寄付金の電話を受け付ける、といった演出です。

 じつは米国企業ではこうした“危機”あるいは“大事”に対処する部署が決まっていて、その場合にどうするかのマニュアルがシステムとして確立しています。このマニュアルは必要なものです。「まずいことをやらなかった」からよしとする消極的な対応は「よいこともしなかった」と同義であって、企業にとっては社会的怠慢と受け取られます。それはいまや減点の対象なのです。

 日本企業が、あるいは日本政府がいまひとつ世界にその存在感をアピールできないのは、こうした社会的責任へのアプローチを示すのに怠慢だからだと思えてなりません。やっと大企業が動き出していますが、おかしなことになんだかそろってついこのあいだ、1月24日付けでHPを書き換えているところが多い。はて、談合でもあったのかしらん。

 NHKで辞職なさるエラいさんの退職金が1億円だとかそれ以上だとか言われていますが、全部とはいわないけれど半分くらいポンとそれを寄付したりしたら、ずいぶんと汚名返上になるでしょうにね。

November 01, 2004

誤謬

香田さんのことを、「冬山に夏服で登って遭難した」だとか、「周囲が危険だと止めているのにライオンを見たかったからというのでライオンの檻に入っていって食われてしまった」とかいう比喩を使う人がいるようです。

とてもわかりやすい比喩です。
わかりやすいのは無意識に受けをねらっているからでしょうか。
受けをねらうと間違えます。
この比喩には決定的な欠陥がある。

相手を自然や動物に喩えているところです。
がさつな思考としか言いようがありません。
こういう思考からは、相手を征服する、あるいはねじ伏せる、という結末しか生まれてこない。簡単ですが、その論理が破綻しているということはいますこしの知恵があればわかるでしょうに。なさけない。

さて、あと24時間後には、選挙の行方も見えてきているでしょうか。

October 31, 2004

予想されたこととはいえ

かわいそうなことです。
ご冥福を祈ります。

憎悪の種子が、またどこかで芽吹くのかもしれません。

October 30, 2004

とりとめなく

情報の錯綜に翻弄される家族の心情を思い遣るといたたまれません。
本人の生命が危機に瀕していることは、連絡のあった遺体が別人とわかっても同じなのですから。

まだ頭が整理できていませんが、次のようなことは書き留めておいてよいと思います。

1)イラクには、このように人間の死体があちこちでみつかるのだということ。
2)おそらくそのうちの少なからぬ人たちが、死因も身元も確認されぬまま葬られるのだということ。
3)「香田さん発見」という報を出したアメリカ軍は、「一見、明らかに」イラク人だという遺体と日本人との区別もつかないのだということ。
4)その前日までにあった「遺体発見」のロシア情報や中国情報には飛びつかなかったにもかかわらず、対米追従の日本政府は、アメリカの情報はとにかくまずは正しいという固定観念を持っているらしいということ。
5)おそらくそれが、イラク開戦における「大量破壊兵器の存在」という誤情報への追随とも関連しているのだということ。

クウェートに搬送されたあの遺体は、いったい誰なんでしょう。彼はこれから、どうされるのでしょうか。

違うって!?

遺体が香田さんのものではない、と細田官房長官。
いったい、どうなっているのだろう。
先日の新潟の母子の生存情報の混乱といい、じつにお粗末な話だ。
ひとの生死に関わる情報が、こうも軽んじられている。

香田さんには、生きていてほしいものだ。

October 29, 2004

やっぱりそうでした

だめでしたか。ご両親、ご家族、そして本人も、無念でしょう。

今回の場合は、日本の国内でもおそらくあまり同情論は見られないのでしょう。
あんなところに、こんな時期に、しかも半ズボン、長髪ででかけたら、さあ捕まえてください、殺してくださいと言うようなものだ、というのはだれもがわかる物言いです。だれもが言える。おまけにイスラエルを経由して入っているということは、その形跡が見つかれば有無を言わさずにこれは彼らにとってはスパイです。

でも、だれにも言えることはその「だれにも」に任せておきましょう。
もっと本質的なことは、そもそも、ひとはこうして殺されてよいものなのか、という問いです。もっと突き詰めれば、先日、米軍によるイラク空爆や攻撃で、これまでに民間人10万人が死んだという推計が出ました。そのことです。そんな中でこの殺害が行われました。

前回はザルカウィ一派と書きましたが、香田さん拉致殺害の実行グループはなんとなく違うような気もします。心情的には一派なんでしょうが、なにか、血気盛んな周辺グループが日本のことも自衛隊のこともあまりわからないままとにかくザルカウィ本流と「同調的な行動」をとった、ということのような感じもします。

そういう闇雲な憎悪が生まれています。

こういう私自身も、もしイラクに生まれていたら、アラブに生まれムスリムだったら、おそらくアメリカを強く憎悪しているだろうと思うのです。で、その中で日本人を殺しているかもしれない。それが大義だと思っているかもしれません。

ひとは、大義がないとひとなど殺せないのです。殺せる人は怒りや嫉妬や憎悪で我を忘れていて、かつ、その憤怒が殺害実行中も持続するようなひとです。ふつうはとちゅうで揺らぎます。そうして意識や論理や理性を頭に上らせる。でも、それが大義だった場合、意識と論理と理性でも殺害の大義はなおさら補強されてしまう。みんな、正義の人になっているのです。

正義のひとブッシュは、そうやってイラクを攻撃しました。
アメリカの対イラク攻撃はじつは9/11の八つ当たりで、たまたま都合の良い標的だったのです。大義はここにも存在していました。大量破壊兵器の隠匿です。攻撃は正義だった。しかもビンラーデンとつながっている、と来れば、大義を為すのに何の躊躇もない。(でも、じっさいは石油利権というお金の問題が深く関与していたのですが、それはブッシュのへらへら笑いの奥に隠れたネオコン連中のお仕事でした)

そうして、イラクは絶対にゲリラ化して内戦状態になる、ということを多くのひとが予測し警告し開戦を急ぐなと繰り返していたのに、その後の始末を考えずにブッシュ政権は沙漠で10ドルのテントを1億円のミサイルで攻撃するという愚を冒さなければならないビンラーデンから矛先を変えて、建物も立派な目に見える攻撃対象イラクを選んだのです。

9/11はさかのぼればイスラエルとアラブ、パレスチナの問題が根です。
そうしてイスラエルとパレスチナではイラクと同じようなことが起きている。
ブッシュは、もうひとつのパレスチナ問題をイラクに移植してしまっただけなのです。それが軍事産業と石油屋を永遠に儲けさせるサイクルを作っている。

そして、ひとはそんな中で殺され合ってよいものなのかという問いがここに重なるのです。

よいはずがありません。イラク人だって、パレスチナ人だって、ユダヤ人だってアメリカ人だって日本人だって、そもそも、そうやって殺されてはいけない。

その状況の解決法はまた別の問題ですが、いま言いたいことは、殺された香田さんを馬鹿だとか呆れるだとか自業自得だという物言いは、じつはまったく意味のないことだということなのです。
合掌。

May 17, 2004

我も人の子、彼も人の子

 アルグレイブでの虐待がラムズフェルドの承認を得ていたという記事がニューヨーカーに載っていました。

 86年の三井物産マニラ支店長若王子信行さん誘拐事件のときに、犯人グループと接触しようとルソン島の山奥の村々を徘徊したことがあります。反政府組織の巣窟だなどとの情報でいったいどんなにヤバいところなのかと内心穏やかではありませんでしたが、しかしじっさいに現地に入ってみるとどこででも人は生活していて家庭を持ち子供は遊び、なんのことはない、これが人間なんだといまさらながら気づかされました。

 その印象はボスニア戦争でも同じでした。人は家庭人であり、そして狙撃手でもある。ペルーの日本大使館人質事件でも現地入りした親友が教えてくれた印象は同じでした。殺された犯人たちはみな若くテレビも見たことのない山村の青年団みたいな者たちだった。

 ぼくらはついついこの種のことを忘れがちです。この世にはショッカーみたいな純粋な「悪者」がいて、こいつらはなんらの背景も持たずに闇雲に「われわれ」を倒すことだけを考えている。それはハリウッドが描いたかつての「インディアン」であり、安物ギャング映画の悪漢像です。

 東京新聞のウェッブサイト(www.tokyo-np.co.jp/kousoku/)で、「拘束の三日間」という連載を読むことができます。バグダッド郊外で武装グループに拉致されたジャーナリスト安田純平さん(30)の手記です。拘束の模様を、安田さんは次のように書いています。

 「監視役として、私たちの傍らに座ることの多い家主のひざの上では五歳の男の子が寝ている。近所の子どもたちが珍しいもの見たさに集まってくると、家主が追い払った。近隣から続々と人々が訪ねてくる」「アラブの布クフィーヤを使った覆面の仕方を教えてもらった。大喜びした家主は、客人が訪ねてくるたびに『やってみせろ』と私を促す。やってみせると、部屋に笑いが広がった」「食後に移動した草原の星空の下で、新たに訪ねてきたイラク人男性が英語で言った。『米軍の攻撃で千人を超える死傷者が出ていることを知っているか。われわれの生活を脅かすならば、戦う』」

 テロだテロリストだというメディアの連呼に、ぼくらはついついプロの殺人鬼のような「敵」像を形作りがちです。アメリカにいる私たちにはファルージャで、ナジャフで、米軍に殺されている人たちの情報はまるで入ってきませんし。それどころか戦死米兵の情報すら具体的ではなく、やっとABCのテッド・コッペルが『ナイトライン』でイラク開戦以来の721人の犠牲者の顔を映し出し名前を読み上げ、USAトゥデイが一面トップを犠牲者の顔写真で埋め尽くすなどし始めたばかりです。

 人間のことなど考えていたら戦争はできません。だから死者たちは「数」に貶められ、捕虜たちは性的に拷問される。いったい、何のための戦争だったのでしょうか。

 4月のイラク側の死者は1361人。昨年3月の開戦以降、月間で最悪の数字だそうです。この1361人の顔と名が世界に読み上げられることは、おそらくありません。

May 07, 2004

イラクとベトナム

アメリカのメディアは連日、例のイラクの刑務所の性的拷問・虐待問題で大変。
当のアメリカ人はというと、困ってる感じなのですね。どう反応したらいいか。そりゃ、けしからんとは思ってるし、ひどい、とかって言うんだけどさ、でも、困ってる、当惑、ってのが近いかね。

外国に送っている兵士たちってのは、アメリカ人にとってはヒーローなわけだよね。そんなヒーロー像が瓦解するわけだから、まあ、いってみればバットマンが実は覆面の変態強姦魔だったって新聞でスッパ抜かれるときの子供たちの反応を思い浮かべればいいの。

これってね、ベトナム戦争のときのソンミ村を連想しました。1968年の事件だからわたしゃここにゃいなかったわけで実際は知らないのだが、きっと、同じような反応があったんじゃないかなあ、と。

ソンミ村ってのは、カレー中尉ってのが(ほんとはカリー中尉って発音するんだけど、当時の日本の新聞はみんな「カレー」ってやってた。カレーライスに引っ張られたんだわね)ソンミ村の非戦闘員の村民を皆殺しにしちゃったっていう事件。

ベトナム反戦運動の一つのモメンタムになった事件でね、イラクのこのアグレイブ刑務所問題も、ともするとラムズフェルド更迭、米軍撤兵、ということに結びつくかも。でも、まあ、所期の目的も達成せずに撤兵なんてことになったらブッシュはつぶれるけどね。

April 16, 2004

なんかいやらしい国だなあ

人質の解放が行われて、よかったよかったと思っていたら、自民党議員どもから自己責任論が噴出してるんだそうだ。まったくねえ、こいつら、いったい政府を何様だと思っているんだろう。政府とは、公僕の集まりなんだぜ。自国民を保護・救出するのが義務なんだ。下僕なのよ。それがなにを偉そうに、「政府のいうことを聞いてないからこうなった」だなどと、まるで政府が「日本」であるかのような物言いを。

これじゃ全体主義国家ではないかよ。大政翼賛、国家主義。そういう基本的なことも分らんのが政治をやっているということだ。

おまけに小泉まで「3人の解放について「大変難しい交渉だった。関係者や関係国に協力・支援いただき、感謝している」と語った。」(朝日・コム)だと。政府は本当に交渉したのか? その交渉が功を奏して解放されたのか? 違うだろうが。逆でしょ。

逢沢はアンマンだかで指くわえてなにもできなかったわけでしょう? 日本政府はこの解放にはむしろ抵抗勢力として働いたわけだよ。それがまるで自分が解放させたかのように。なんだよ、それって。日本政府の今回の自衛隊派遣が本来の友好的な日本像を逆転させて3人の拉致・誘拐を誘ったわけだ。謝るのは3人ではなく日本政府ではないのかね。

イラク復興支援の活動には別の路がたくさんあった。なのにそれを検討することもなく対米追随の路を選んだ。だからこうなった。猛省すべきは3人ではなく小泉政権だ。そんなことも分らんで論理をすり替えてまるで自分の手柄のように、居丈高に3人を叱責するアホどもがうじょうじょしてる。卑しい、さもしい、とんでもない国だ。本質を押さえないでシレッとして権力的に振る舞うとは、まったく、つくづく、なんとも馬鹿げて怒り心頭なのである。これだもの、いじめや嫌がらせがはびこるわけだよ。あー、腹が立つ。

April 15, 2004

帰米しました

昨夕、NYに帰宅しました。今回、初めてノースウエストに乗ったんだけど、ありゃ、すごいね。フライトアテンダントのおばさんたちなんか、自分の家でお洗濯してる最中にちょっと駆けつけたって感じの仕事ぶり。髪は輪ゴムでひっつめただけ、化粧はしてない、かろうじて制服ゴトキものは着ているが、何日続けて着ているのってな感じ。うーん、この割り切り方は見事というか見物というか。

えー、先日の二丁目での同性婚に関するお話会はけっこう人が集まって楽しかったね。お集りの皆さん、ありがとうござんした。その日の昼まで缶詰めだったものだからぜんぜん用意が悪くてちょっと恐縮。わしも上記ノースウエストのお洗濯おばさんみたいだったかも。

さてと、日本にいるときにどっかの新聞で、イラクの人質3人の実家に嫌がらせ電話が殺到しているという報道を見ました。それと、あの女性のホームページもひどい書き込みで閉鎖に追いやられたとか。そういうのはどこの国でもあることなのでそれ自体はそういうもんかなと思うけど、でも、この「量」はどこの国にもあるものではありません。

わたし、「よってたかって」というのがいちばん嫌です。人間のさもしさと卑しさと、それに対する自覚のなさとが重なって、本来そこにある以上の、さらにものすごく邪悪なものが新たにそこに生まれます。どんなに嫌なものでも、それに対してそれに見合う権力以上に大きな力でよってたかって責めて(攻めて)いったら、わたしはそれに対する「嫌さ」よりも、寄ってたかってそうすることの「嫌さ」のほうが嫌です。というか、「寄ってたかって」という言葉自体、力の差を前提としているのだから、そもそも「嫌さ」をあらかじめ含んでいるわけだけどね。

イラクの人質のことをいえば、「(復興支援は国がやっているのに)自分で進んでそういう危険なところに行ったのだから自業自得だ」というのが嫌がらせを言う人たちの背景になっている意見のようです。というか、こういうのってなんでもそうなんだけど、まず結論が先に出てくるのね。この場合で言えば「こいつら、自業自得じゃん」ってうの。そんでもって、そこから理由を考えていろいろ後付けする。もちろん、「なんでこんなこと(わざわざイラクなんかに行ってボランティア活動なんか)するのか、わけわからない」っていうのとか、「そういうのって自己満足でしょ」とか、「善行とかって、偽善じゃないの」とか、「難しいこと考えて自分でみんな背負っちゃってるような気になってるのって、勝手にやれば」とかっていう心象がまずあるわけ。それから、理由付けが行われる。そういう手順なのね、往々にして。

まあ、それはそれでわからなくもない。しかしさ、じつは「日本」っていう国のイメージは、「国」「外務省」がやっている以上に、外国の人にとってはこうした民間外交の善意(あるいは悪意)によって形作られていることが多いのです。外務省ってね、外国に大使館とか領事館とかおいていますが、あんまり仕事しないの。というか、一般レベルで言うとほとんど仕事してない。一般の人々に日本を発信するということは、ほとんどがNGOとかの民間外交が担っているわけです。それ以外にも、留学生とか、企業の駐在員とかね。そういうところでの個人的なつながりが外国人にとっての日本を形作っている。ですから、イラクでも、自衛隊が行けばいいというもんではなくて、その周辺にいろんなレベルでの民間の日本人がいて初めて「日本」という国家像ができてくるわけ。それは、日本でアメリカのこととか考えても同じでしょ。アメリカ大使館の活動なんか知らないけど、二丁目の外人バーならわかる、ってこと。

それをさ、「よけいなことしやがって、それで人質になってるんだから自業自得」ってのはさ、批判のスジ、外してるのよ。よけいなこと、なんかじゃなく、むしろ彼らこそが「日本」なの。それを助けずして、誰を助けるの? 自国民を見殺しにする国家は、はっきりいって、国家であることの体を成さないのです。「日本」を見殺しにする日本「政府」って、何よ、ということなのです。

この倒錯にのっかって、嫌がらせ電話をかけたりするなよなあ。それって、二重の意味でビョーキです。

April 09, 2004

いま日本

もう、渋谷のホテルに缶詰状態で働かされてます。
今週末には終わる予定。しかし、日曜には二丁目でお話し会をやらねばならない。テーマは米国の同性婚の行方。話すこと、なにも用意してないのですが。さて、どうなるか。

それよりも、あのイラクの3人。
政府は「それがテロリストの思うつぼなんですよ」って言うけど、ちょっと待てよ、あれって、そもそも「テロリスト」なのかね? あの連中をああいう行動に駆り立てたのは米国であり、それに追随した日本政府だわな。すると、方法論としてはテロリストの手口なんだが、そうさせたのは世界のコンセンサスもイラクのコンセンサスも無視して突っ走ったブッシュの生んだ「敵意」なんではないか? おまけにあのモスクの破壊だ。パンドラの箱を開けておいて、「(3人殺害予告のような)こういうことをやるのはけしからん」と言うのは、本末転倒なのではないか? おれがイラク人だったら、ぜったいに反米闘争に参加していたと思うもん。

イラクの現状はすでにテロではない。あれはゲリラ戦なんだ。ゲリラ戦が続いているところに世界の市民が出かけていっている。そこで起きた事件だ。

そう前提を立て替えてみると、自衛隊は撤退すべきなの。そもそもいくべきところではなかったのだから。
イラク復興に協力したいなら、撤退後に態勢立て直して再結集すべき。たとえそれに何億円かかろうとも、ね。