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November 26, 2008

読者からのあるコメント

清野さんという、このブログを読んでいてくれている方から、先日来の同性婚問題に関連して次のようなコメントが「白い結び目」のブログのコメント欄に書き入れられました。

わたしの論評は余計でしょう。
とても考えさせられる文書です。
みなさんにも読んでいただきたく、ここに再掲してご紹介します。

**

北丸さんおはようございます。早すぎますか?少しだけ私の後悔の話を聞いて下さい。

それは私がまだ23歳で大学を卒業して東京の会社に就職した年のことです。まだ新入社員研修をしていたばかりの頃、自分の不注意の為に会社内で事故を起こし入院し、手術ということになりました。大変な手術でした。

その入院中に会社の7年先輩のSさん(男性)が何度も見舞いに来てくれました。日々不安でいた私の所に特別何も言わなかったのですがよく来てくれていつしか仲良くなっていました。退院後も飲みに連れて行ってくれたり野球に連れて行ってくれたり、寄席やボウリングなど退社後や日曜日も先輩(これ以降彼と書きます)が連れていってくれました。お金も何事もないようにすべて彼が払ってくれていました。これは私が怪我をした事に対して気の毒と思っての事なのかな?と思っていました。また薄給の新人は会社ではこのように面倒みてもらえるものなのかな?と考えていました。実際他の先輩もよく私をドライブやスナックに連れて行ってくれていたのでそのようなものだと思っていました。

恋も知らず、社会も知らない私はまるでわかっていませんでした。その後も彼とは二人で旅行にも行きましたし、彼の家にも招待されたし、私のアパートに泊まりに来たこともありましたが私の中では仲が良い先輩の域を越えなかったし彼も何ももとめませんでした。ただ私を可愛がってくれるだけでした。

怪我の治りの悪かった私は普通の勤務が大変でこのまま会社に迷惑をかけ続ける事に対しても申し訳なく1年半後に決意して辞表を出しました。彼にも相談していましたが彼が何かを示唆することはありませんでした。

彼は変わらず引越しの準備を手伝い荷物を業者に出してくれたりといつものように私のすぐ近くにいてくれました。最後まで何も語らず、彼との別れが近づいていました。

山手線の電車に乗っていました。かなり混んでいました。私と彼は向き合うように立っていました。この電車を私が降りたら彼とはもう会えないと思ったら私の心の中から嗚咽のような感情が起こりました。涙が堰をきったように流れ出し電車の中で止まらなくなりました。そうすると彼がズボンのポケットからハンカチを出し私に渡し「返さなくていいから」といいました。私はもっと激しい涙がでてきました。そうするといつのまにか私の顎が彼の左肩にのっていました。そして彼はものすごくソフトに私を抱いていました。私はいつの間にか彼を抱きかえしていました。私の降りる駅まで彼は私を抱いていました。いやではありませんでした。私の降りる駅が来ました。何も言わず彼は私を降ろしました。でもいつもと違う顔でした。降りた私は暫くホームで涙が止まりませんでした。

それから私は次の日、田舎に帰りました。怪我の事で人生を失敗したような失意となんであんな会社に入ってしまったのだろうという悔しさで、会社の事はもう考えたくなくて電話もかけず、忘れたいという思いが私を包んでいました。2ヶ月後位にふいに彼から電話がありました。「なんで電話をかけないんだ?もっと電話をかけろよ。東京に出て来い」と言いました。いろいろと話しましたが、特に私の中で気持ちの変化はありませんでした。

それ以降私はその会社の事も彼の事もちっとも考えませんでした。東京に戻る気もありませんでした。彼からはその後電話はありませんでした。2年後位に彼が結婚して婿さんになったという噂をききました。でも遠い所の話のような感じでした。

それからまた何年もたち友人達との話のなかで私が「新人の頃はよかった。先輩に面倒みてもらったし、お金を自分で払った事もない」というと友人達から「そんな事はない」と言われました。「割勘だったよ」という話でした。旅行の話にしても電車の中の話にしても「それはその先輩がお前が好きだったんだよ」と断定されてしまいました。私もそうかな?と思い始めましたがそうではないだろうとも思います。ただ私のような者の為に彼が支払った金額は膨大だったのではないか?自分がその立場だったら後輩にそこまでやってあげる気がしませんでした。不意に彼の愛情に気がついてしまいました。私は子供だったと思いました。申し訳ないと思いました。謝らなければならない、感謝の気持ちを伝えなければならないと思いました。でも彼は会社も辞めて居所もわからなくなっていました。どうぞ彼が幸せでいて下さいといつも祈っています。

もしもあの頃、同性と結婚できる世の中だったら私は彼と結婚していたと思います。彼の幸せをそっと願うこともなく、今一人で寝るベットの中には彼がいて私が朝、目を醒ますと彼が「おはよう」と言ってくれる日常があったのではないかと思うのです。

November 20, 2008

白い結び目 WhiteKnot.org

カリフォルニア、ってわけではなく、アメリカでの同性婚の権利を支持しようという運動が新たな展開を見せています。

その中で、ホワイトノット運動というのが出てきました。
www.whiteknot.org
にアクセスすると詳細が書いてあります。

whiteknotad-300x250.jpgwhiteknotad-300x250-2.jpg

つまりこれ、白い結び目を作ったリボンを胸につけて、ゲイへの平等な権利を静かに支持を訴えるもの。

whiteknot.jpg

もちろんあのレッドリボンのバリエーションです。
白いリボンを結ぶってのが、「結婚」にもふさわしいでしょ。
いままさに始まろうとしている運動です。きっと、これは流行るね。
しかし、アメリカ人はこういうの考えるのうまいなあ。

作り方ですよ。

1)長さ15cm、幅2cm〜2.5cmほどの白いリボンを用意する。
2)真ん中部分で2度結びするんだけど、最初の結びをきつくすると2度目の結びで両端がそろえやすいですって。
3)両端を三角に、チョキの形に切り取る。こうするとほつれにくいし、きれい。
4)出来上がり、あとはこれを付けて外に出るだけ。

日本じゃまだだれもやってないでしょうね。
こっちでも始まったばかり。
どうぞお広めくださいな。

ハッカビーというエセ牧師

マイク・ハッカビーがね、あの、共和党の大統領選予備選の候補だった牧師上がりの政治家、前アーカンソー州知事です、「黒人とゲイとは違う」と言ってるんですね。黒人はかつて多くの者がリンチされ吊るされ殺された、と。ゲイは多くの基本的人権をすでに保障されている、と。それが黒人とは違うと。この人は、ゲイが生まれながらのものか後天的なものかはわからないと言いながら(わからないことにはおこがましくも首を突っ込むべきではないのです)、しかし何を為すかはその人の選択によるものだから、同性愛行為はその人の選んだものなのだ、という詭弁を弄しているのですね。知性というものがあるなら、この論理の破綻はすぐにわかるのだけれど、彼のターゲットとする支持者層はむしろそういう論理の瑕疵を探せる知性のないブッシュ的な人たちなものだから、すぐにこのレトリックを真に受けるのです。まあ、牧師というのはそもそもそういう詐欺的な要素がないと不可能な職業なのですけれど。

しかし、どうせ詐欺するなら、嘘でもいいから愛を説けよ、な。

最近、よく見ている朝のトーク番組「The View」からです。
3分過あたりぎから、核心部分です。

この男のレトリックというのはじつに卑劣です。「バラク・オバマはわたしの選択ではなかったが、彼は絶対にわたしの大統領だ」と口火を切った上で、オバマが選ばれたことを「この国は素晴らしい国だ、とても誇りに思う」と、自分の国家観に合わせて我田引水するのです。この国の素晴らしさは、あんた、まさにハッカビー的なものを排除した末に成し遂げられたものなんだよ、おっさん。あんたがそう言うのは違うでしょ。はあ? 自分の手柄にするなよなあ。

そうして「黒人の隔離政策を少年時代に知っている、あれはひどかった」と回顧しつつ、黒人とゲイとを比較してどう思うのかと訊いた左となりのジョーイ・ベイハーの質問に「ホモセクシュアルの人たちもすべての基本的人権を有していなければならない」と断っての冒頭紹介の理屈です。

まったくね、ハーヴィー・ミルクが暗殺され、マシュー・シェパードが磔にされ、いまも各地で有形無形のゲイバッシングが続いて人が死んでいることを、このおっさん、ホモセクシュアルたちはもっと殺されなければ黒人と同じには扱えない、とでも言いたいのでしょうか。きっと、そうなんでしょう。彼を傾聴する支持者たちの潜在意識に、確信犯としてそう訴えかけているのかもしれない。ものすごい卑劣さ、巧妙さ。

ゲイバッシングのことを口にしたジョーイに「じゃあ、クリスチャン・バッシングはどうなのか」と切り返し、これが次元の不利な展開だと気づくや「とにかく暴力はいけない」と納めるのです。

彼は現在、自分のトーク番組も持っていて(もちろんあのFoxニュースです)、この“人当たりのいい”しゃべり口とジョークの“うまさ”とで、次期大統領選に向けて始動しているわけです。今回は知名度に劣って途中で負けましたが、彼は次回の選挙では本命となって、臥薪嘗胆をねらう共和党保守派支持層の票を一手に集めるでしょう。

悪魔は、善意の顔でやってくる、という、彼がその典型的な人物です。

November 17, 2008

オルバーマン翻訳


Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast.

最後に、お伝えしていたとおり先週カリフォルニアで可決された提案8号のことについて特別コメントをします。同性カップルが結婚する権利を廃棄する、というものです。同性婚問題に関する均衡がこれで揺るがされました。全米で、です。

Some parameters, as preface. This isn't about yelling, and this isn't about politics, and this isn't really just about Prop-8. And I don't have a personal investment in this: I'm not gay, I had to strain to think of one member of even my very extended family who is, I have no personal stories of close friends or colleagues fighting the prejudice that still pervades their lives.

前置きとしてわたしの基準を言います。これはエールを送っているのでもなく、駆け引きをしようとしているのでもなく、そして本当は単に提案8号のことでもありません。わたしにはこの問題に関して個人的な思い入れもありません。わたしはゲイではないし、自分の家族親族の中にゲイがいるかと考えると、ずいぶんと範囲を広げても考え込んでしまうほどです。近しい友人や同僚たちの中に彼らの暮らしにいまも影を落とすこの偏見と闘っている者がいる、という私的なエピソードもありません。

And yet to me this vote is horrible. Horrible. Because this isn't about yelling, and this isn't about politics. This is about the human heart, and if that sounds corny, so be it.

しかし、そうではあっても、この投票はひどい。ひどすぎる。なぜならこれはエールでも駆け引きでもなく、人間の心の問題だからです。もしこの言い方が陳腐だと言うならば、そう、陳腐で結構。

If you voted for this Proposition or support those who did or the sentiment they expressed, I have some questions, because, truly, I do not understand. Why does this matter to you? What is it to you? In a time of impermanence and fly-by-night relationships, these people over here want the same chance at permanence and happiness that is your option. They don't want to deny you yours. They don't want to take anything away from you. They want what you want—a chance to be a little less alone in the world.

もしあなたがこのプロポジションに賛成票を投じたのなら、あるいは賛成した人を支持する、あるいはその人たちの表明する意見を支持するのなら、わたしはあなたに訊きたいことがある。なぜなら、ほんとうに、わたしには理解できないからです。どうしてこの問題があなたに関係あるんですか? これはあなたにとって何なんですか? 人と人との関係が長続きもせず一夜で終わってしまうような時代にあって、ここにいるこの人たちはただ、あなたたちが持っていると同じ永続性と幸福のチャンスを欲しいと思っているだけです。彼らはあなたに対し、あなたの関係を否定したいと思っているのじゃない。あなたたちからなにものかを奪い取りたいわけでもない。彼らはあなたの欲しいものと同じものを欲しいと思っているだけです。この世にあって、少しばかりでもさみしくなくいられるようなチャンスを、です。

Only now you are saying to them—no. You can't have it on these terms. Maybe something similar. If they behave. If they don't cause too much trouble. You'll even give them all the same legal rights—even as you're taking away the legal right, which they already had. A world around them, still anchored in love and marriage, and you are saying, no, you can't marry. What if somebody passed a law that said you couldn't marry?

それをあなたは彼らにこう言う──だめだ。そういう関係では結婚は許されない。ただ、行儀よくしているならば、きっと似たようなものなら。そんなに問題を起こさないなら、あるいは。そう、まったく同じ法的権利をあなたたちは彼らに与えようとさえするんでしょう。すでに彼らが持っていた法的権利を奪い取るのと引き換えに。彼らを取り巻く世界はいまも愛と結婚に重きを置くくせに、しかしあなたたちが言うのは、ダメだ、きみらは結婚できない。もしだれかがあなたは結婚できないと断じる法律を成立させたら、どういう気持ちですか?

I keep hearing this term "re-defining" marriage. If this country hadn't re-defined marriage, black people still couldn't marry white people. Sixteen states had laws on the books which made that illegal in 1967. 1967.

ずっと聞いているのは、結婚の「再定義」ということばです。もしこの国が結婚を再定義してこなかったなららば、黒人は白人といまでも結婚できていないはずです。1967年時点で、16の州がそれを違法とする成文法を持っていたんです、1967年に。

The parents of the President-Elect of the United States couldn't have married in nearly one third of the states of the country their son grew up to lead. But it's worse than that. If this country had not "re-defined" marriage, some black people still couldn't marry black people. It is one of the most overlooked and cruelest parts of our sad story of slavery. Marriages were not legally recognized, if the people were slaves. Since slaves were property, they could not legally be husband and wife, or mother and child. Their marriage vows were different: not "Until Death, Do You Part," but "Until Death or Distance, Do You Part." Marriages among slaves were not legally recognized.

この合州国の次期大統領になる人の両親は、彼らの息子がいずれこの国の指導者になろうと成長しているそのときに、この国の3分の1近くの州では結婚できなかったのです。いや、もっとひどいことがある。もしこの国が結婚を「再定義」してこなかったなら、黒人のある人々は他の黒人ともいまも結婚できていなかった。それはほとんどの人々が見逃しがちな、われわれの悲しむべき奴隷制度の歴史の最も冷酷な部分の1つです。なぜなら奴隷は所有物だったから、彼らは法的には夫にも妻にもなれなかった。あるいは母にも子供にもなれなかった。彼らの結婚の誓いは違うものだったのです。「死が汝らを分かつまで」ではなく、「死が、あるいは売り渡される距離が、汝らを分かつまで」だった。奴隷間の結婚は法的には認められていなかったのですから。

You know, just like marriages today in California are not legally recognized, if the people are gay.

そう、ちょうど、カリフォルニアの結婚が今日、もしゲイならば、法的に認められなくなったのと同じです。

And uncountable in our history are the number of men and women, forced by society into marrying the opposite sex, in sham marriages, or marriages of convenience, or just marriages of not knowing, centuries of men and women who have lived their lives in shame and unhappiness, and who have, through a lie to themselves or others, broken countless other lives, of spouses and children, all because we said a man couldn't marry another man, or a woman couldn't marry another woman. The sanctity of marriage.

われわれの歴史の中で、世間に強いられて異性と結婚したり、偽装結婚や便宜上の結婚や、あるいは自分でもゲイだと気づかないままの結婚をしてきた男女は数知れません。何世紀にもわたって、恥と不幸にまみれて生き、自分自身と他人への嘘の中でほかの人の人生を、その夫や妻や子供たちの人生を傷つけてきた男女がいるのです。それもすべては、男性は他の男性と結婚できないがため、女性が他の女性と結婚できないがためなのです。結婚の神聖さのゆえなのです。

How many marriages like that have there been and how on earth do they increase the "sanctity" of marriage rather than render the term, meaningless?

いったいそんな結婚はこれまでいくつあったのでしょうか? それで、そんな結婚がいったいどれほど結婚の「神聖さ」を高めているというのでしょうか? むしろそれは「神聖さ」をかえって無意味なものにしているのではないのか?

What is this, to you? Nobody is asking you to embrace their expression of love. But don't you, as human beings, have to embrace... that love? The world is barren enough.

これは、あなたにとって何なのですか? だれもあなたに彼らの愛情表現を信奉してくれとは言っていません。しかしその愛を、人間として、あなたは、祝福しなくてよいのですか? 世界はもうじゅうぶんに不毛なのに。

It is stacked against love, and against hope, and against those very few and precious emotions that enable us to go forward. Your marriage only stands a 50-50 chance of lasting, no matter how much you feel and how hard you work.

愛は追い込まれています。希望もまた。わたしたちを前進させてくれるあの貴重で数少ない感情が、劣勢にあるのです。あなたたちの結婚は50%の確率でしか続かない。どんなに思っていても、どんなにがんばっても。

And here are people overjoyed at the prospect of just that chance, and that work, just for the hope of having that feeling. With so much hate in the world, with so much meaningless division, and people pitted against people for no good reason, this is what your religion tells you to do? With your experience of life and this world and all its sadnesses, this is what your conscience tells you to do?

そうしてここに、その50%の見込みに、そのがんばりの可能性に、そしてその思いを持てることの希望に大喜びする人たちがいるのです。世界に蔓延する憎悪や無意味な分裂や正当な理由もなくいがみ合う人々を目にしながら、これがあなたの宗教があなたに命じた行為なのですか? これまでの人生やこの世界やそのすべての悲しみを知った上で、これがあなたの良心があなたに命じたことなのですか?

With your knowledge that life, with endless vigor, seems to tilt the playing field on which we all live, in favor of unhappiness and hate... this is what your heart tells you to do? You want to sanctify marriage? You want to honor your God and the universal love you believe he represents? Then Spread happiness—this tiny, symbolic, semantical grain of happiness—share it with all those who seek it. Quote me anything from your religious leader or book of choice telling you to stand against this. And then tell me how you can believe both that statement and another statement, another one which reads only "do unto others as you would have them do unto you."

人生というものが、むしろ不幸や憎悪の方を味方して、私たちみんなの拠って生きる平等な機会を何度も何度も揺るがしがちだと知っているくせに、それでもこれが、あなたの心があなたにこうしろと言っていることなのですか? あなたは結婚を聖なるものにしたいのでしょう? あなたはあなたの神を崇め、その神が体現するとあなたの信じる普遍的な愛というものを栄光に包みたいのでしょう? それなら、幸せを広めなさい。このささやかで、象徴的で、意義のある、一粒の幸せを広めてください。そういう幸せを求めるすべての人たちと、それを共有してはどうですか。だれか、あなたの宗教的な師でもいい、然るべき本でもよい、そんな幸せに反対せよとあなたに命じているものがあるとしたらなんでもいい、それをわたしに教えてほしい。そうして、どうしてその教えと、もう1つの教えの、両方をあなたが同時に信じていられるのかを教えてください。「自分が為してほしきものを他人に為せ」という教えです。

You are asked now, by your country, and perhaps by your creator, to stand on one side or another. You are asked now to stand, not on a question of politics, not on a question of religion, not on a question of gay or straight. You are asked now to stand, on a question of love. All you need do is stand, and let the tiny ember of love meet its own fate.

あなたはいま、あなたの国によって、そしてたぶんあなたの創造主によって、どちらかの側に立つようにと言われています。あなたは、政治の問題ではなく、宗教の問題でもなく、ゲイとかストレートとかの問題でもなく、どちらかに立つように求められているのです。何に基づいて? 愛の問題によってです。行うべきことはただ立つこと。そうしてそのささやかな愛の燃えさしが自身の定めを全うすことができるようにしてやることです。

You don't have to help it, you don't have it applaud it, you don't have to fight for it. Just don't put it out. Just don't extinguish it. Because while it may at first look like that love is between two people you don't know and you don't understand and maybe you don't even want to know. It is, in fact, the ember of your love, for your fellow person just because this is the only world we have. And the other guy counts, too.

べつにそれを手助けする必要はありません。拍手を送る必要もない。そのためにあなたが戦う必要もない。あなたはただ、その火を消さないようにしてほしい。消す必要はないのです。最初はそれは、あなたの知らない2人の人間のあいだの愛のように見えるかもしれない。あなたの理解できない、さらにはきっと知りたくもない2人の人間の愛です。しかしそうすることはあなたの、仲間の人間に対する愛の残り火なのです。なぜなら、私たちにはこの世界しかないのですから。その中でほかの人がそれをこそ頼りにしているのですから。

This is the second time in ten days I find myself concluding by turning to, of all things, the closing plea for mercy by Clarence Darrow in a murder trial.

この10日間で、こともあろうにこのコーナーを、ある殺人犯裁判での弁護人クラレンス・ダローの、慈悲を求めた言葉で閉じるのは2度目です。

But what he said, fits what is really at the heart of this:

しかし彼の言ったことは、この問題の核心にじつにふさわしい。

"I was reading last night of the aspiration of the old Persian poet, Omar-Khayyam," he told the judge. It appealed to me as the highest that I can vision. I wish it was in my heart, and I wish it was in the hearts of all: So I be written in the Book of Love; I do not care about that Book above. Erase my name, or write it as you will, So I be written in the Book of Love."

彼は裁判官に向かってこう言っています。「わたしは昨晩、昔のペルシャの詩人オマール・カイヤムの強い願いについて読んでいました」と。「それはわたしの想像しうる至高の希求としてわたしに訴えかけてきました。それがわたしの心の中にあったなら、そしてそれがすべての人々の心の中にもあったならと願わざるを得ません。彼はこう書いています;故に、我が名は愛の書物(the Book of Love)の中に刻みたまえ。あの天上の記録(Book above)のことは関知せず。我が名が消されようが、好きに書かれようが、ただしこの愛の書物の中にこそは、我が名を記したまえ」

November 12, 2008

キース・オルバーマン

MSNBCのニュースキャスターです。
翻訳してここに載せようとしたのですが、時間がなくて、まずはとにかく掲載したほうがよいと判断しました。
英語のわからない人も、彼の言いたい気持ちは伝わると思います。

自分はゲイでもなんでもないし、家族にもゲイはいないが、あのプロポジション8は、「ホリブル、ホリブル!(ひどい!)」と繰り返します。「これは人間の心の問題だ。この私の言葉が陳腐に聞こえると言うなら、陳腐に聞いていろ」と言います。そして「ゲイたちの愛が、あなたたちに何の関係があるんだ? あなたたちから何を奪うというのだ!」と続けるのです。どうしてそれを規制しようというのか、と。1967年に、アメリカでは黒人と白人の結婚できない州が16州もあった。奴隷は結婚を認められていなかった。あなたはそれと同じ不自由をゲイに強いているのだ、と言っています。

筑紫哲也が死にましたが、「少数派」を援護して来た彼なら、日本でも同じことを言ったでしょうか。
言ったかもしれませんね。勢いや情感は違うにしても。
この提案8号、日本ではあまり話題になっていないのでしょうか。

長いですが、まずは見てください。


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November 08, 2008

now he sings, now he sobs

こういう写真を見せられるとげんなりします。

喜ぶ禁止派1.jpg禁止派2.jpg

これは、カリフォルニアで同性婚を禁止する「プロポジション8(提案8号)」に対し、住民投票が賛成多数に傾いて快哉を叫ぶ人たちです。

オバマがアメリカの次期大統領に選ばれたとき、この国の黒人たちの多くが涙していました。黒人といってもみんながみんな同じ境遇にあるわけでもなく、それぞれに生活信条も態度も性格も思想も違うでしょうからいっしょくたに「黒人」という枠をはめることはできません。けれどこの夜、黒人たちは「黒人」だった。彼らに共通する「肌の色の歴史」を共有していた。それはぬぐい去れぬなにものかとして彼らのどこかにいまもあるのでしょう。その「負」が解放されて、彼らは涙したのです。

同じその日に、その制約を、その強制された「負」を、同性愛者たちはふたたび突きつけられました。当選したオバマが「黒人のアメリカもアジア系のアメリカも、ゲイのアメリカもストレートのアメリカもない。あるのはただユナイテッド(1つにまとまった)ステーツ・オブ・アメリカだ」と勝利宣言したと同じその日に、ストレートのアメリカがゲイのアメリカを否定したのです。

カリフォルニアではすでにこの4カ月半で1万8千組の同性カップルが結婚しています。彼ら/彼女たちの生活を、強奪する偏狭と非道とを、寛容と慈愛を説く宗教者たちが行いました。いまロサンゼルスでは、それを主導したモルモン教会に抗議のデモが続いています。モルモン教会は警官が警護する事態になっている。

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サンフランシスコでは市庁舎の前で多くのゲイたちがキャンドルを持って集まっています。まるであの、暗殺されたハーヴィー・ミルクのあの時のように。もう、ひとのよいゲイであることはやめにしたい、と。

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カリフォルニア各地で、いま抗議行動の呼びかけが飛び交っています。

同性婚禁止のこのニュースを聞いて、友人の1人が言っていました。
「悲しみ、ってきっと、大きな力になるんだね。その力が何かを変えて行くことを祈ろう。」

**

この州民投票(同性婚禁止提案)に反対運動を繰り広げていた「No on Prop 8」からカリフォルニアの友人に届いた手紙を紹介します。

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Dear Colin,
親愛なるコリンへ

We had hoped never to have to write this email.
このメールを書くなんてことがなければよいと願っていました。

Sadly, fueled by misinformation, distortions and lies, millions of voters went to the polls yesterday and said YES to bigotry, YES to discrimination, YES to second-class status for same-sex couples.
悲しいことに、偽情報と歪曲と嘘によって、数百万人の投票者が昨日、投票所に行ってこの偏見に「YES」を投じました。差別に「YES」と、同性カップルを第二級市民にすることに「YES」と投じたのです。

And while the election was close, and millions of votes still remain uncounted, it has become apparent that we lost.
開票の結果は接戦でいまだ数百万の投票が数えられていなかったながらも、だんだんと私たちの敗北は明らかになってきました。

There is no question this defeat is hard.
この敗北がつらいものであることに疑いはありません。

Thousands of people have poured their talents, their time, their resources and their hearts into this struggle for freedom and this fight to have their relationships treated equally. Much has been sacrificed in this struggle.
数千もの人々が自由のためのこの苦闘に、自分たちの関係が平等に扱われるためのこの戦いに、その才能と持てる時間と持てる資金とその心とを注ぎ込んでくれました。

While we knew the odds for success were not with us, we believed Californians could be the first in the nation to defeat the injustice of discriminatory measures like Proposition 8.
たとえいま勝算は私たちにないと知ってはいても、私たちは、カリフォルニア州民がこの国で最初にプロポジション8のような差別的な措置の不正を打ち砕くはずだと信じています。

And while victory is not ours this day, we know that because of the work done here, freedom, fairness and equality will be ours someday. Just look at how far we have come in a few decades.
たとえ今日勝利は私たちのものではないにしても、私たちは、ここでなされた私たちの努力のゆえに、自由と公正と平等がいつか私たちのものになるだろうと知っています。この数十年で私たちがどこまで来たか、それを見るだけで。

Up until 1974 same-sex intimacy was a crime in California. There wasn't a single law recognizing the relationships of same-sex couples until 1984 -- passed by the Berkeley School District. San Francisco did not pass domestic-partner protections until 1990; the state of California followed in 2005. And in 2000, Proposition 22 passed with a 23% majority.
1974年まで、同性間で親愛の情を示すことはカリフォルニアでは犯罪でした。同性間カップルの関係を認知した法律は1984年まで、バークリー学校区で可決されるまで、ただの1つもありませんでした。サンフランシスコがドメスティックパートナーの保護規定を可決したのは1990年のことでした。カリフォルニア州がそれに続いたのは2005年のことです。それに2000年には、プロポジション22は23%ポイントの差をつけて可決されていました【訳注:今回のプロップ8と同様に同性婚禁止を謳った州民投票提案。当時は61.5%対38.5%で可決】。

Today, we fought to retain our right to marry and millions of Californians stood with us. Over the course of this campaign everyday Californians and their friends, neighbors and families built a civil rights campaign unequalled in California history.
今日、私たちは私たちの結婚の権利を保持するために戦い、その私たちに数百万のカリフォルニア州民が加勢してくれました。毎日このキャンペーンを続ける中、カリフォルニア州民とその友人たち隣人たちそしてその家族たちは、カリフォルニア史上比類のない公民権運動を形作っていきました。

You raised more money than anyone believed possible for an LGBT civil rights campaign.
あなたたちはLGBTの公民権運動でだれひとり可能だとは思わなかったような多額の資金を集めてくれたました。

You reached out to family and friends in record numbers -- helping hundreds of thousands of Californians understand what the LGBT civil rights struggle is really about.
あなたたちはこれまでにない数の家族や友人たちにリーチアウトしてくれました──そのことで数十万人ものカリフォルニア州民がLGBTの人権というものがほんとうはどういうものか、それを理解する助けにできたのです。

You built the largest grassroots and volunteer network that has ever been built -- a coalition that will continue to fight until all people are equal.
あなたたちはこれまでで最大の草の根ボランティアのネットワークを作り上げてくれました──それは、すべての人間が平等になるまで戦い続ける共同体です。

And you made the case to the people of California and to the rest of the world that discrimination -- in any form -- is unfair and wrong.
そしてあなたたちが、カリフォルニアの人たちに、そして世界中の人たちに、差別はいかなる形でも不正で間違いだと教えてくれたのです。

We are humbled by the courage, dignity and commitment displayed by all who fought this historic battle.
この歴史的な戦いを戦ってくれたすべての人々の勇気と誇りと献身とに身が引き締まる思いです。

Victory was not ours today. But the struggle for equality is not over.
勝利は今日は私たちのものではありませんでした。しかし平等のための戦いは終わっていません。

Because of the struggle fought here in California -- fought so incredibly well by the people in this state who love freedom and justice -- our fight for full civil rights will continue.
ここカリフォルニアで戦われたこの苦労ゆえに、自由と正義を愛するこの州の人々によって信じられないほど果敢に戦われたこの苦闘ゆえに、完全な人権を求める私たちの戦いは続くのです。

Activist and writer Anne Lamott writes, "Hope begins in the dark, the stubborn hope that if you just show up and try to do the right thing, the dawn will come. You wait and watch and work: you don't give up."
活動家で作家のアン・ラモットが次の一節を書いています。「希望は闇の中で始まる。ただ姿を見せて正しいことをしようとすれば、それだけで夜明けは来る、と思う揺るぎない希望。だから待って、見て、頑張って。諦めてはいけない」

We stand together, knowing... our dawn will come.
私たちはともにいます。私たちの夜明けはやってくると知っています。


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Dr. Delores A. Jacobs
CEO
Center Advocacy Project

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Lorri L. Jean
CEO
L.A. Gay & Lesbian Center

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Kate Kendell
Executive Director
National Center for Lesbian Rights

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Geoff Kors
Executive Director
Equality California

**

わたしからも引用を1つ。
これは、あの『Queer as Folk』でデビーが言っていたことです。

Mourn Loss's Because There's Many
...Celebrate Victory Because There's Few.

喪われたものを悼め、なぜならそれは数多いから
しかし、勝利は祝え、なぜならそれは数少ないから

August 24, 2008

マシュー・ミッチャムが金メダル!

北京五輪でゲイだと公言している唯一の男子選手(オープンリーレズビアンは9人いますけどね,男はカムアウトできないんだなあ)、オーストラリアのマシュー・ミッチャム(20)が、10m高飛び込みで、圧倒的な強さを誇る中国勢の一角を崩してなんと見事に金メダルを獲得しました。
現在発売中のバディに彼のこれまでの歩みを書いていますので合わせてご笑読を。

決勝は、ものすごく劇的な展開でした。
18日の3mの飛び込みではマシューは決勝にも残らない16位だったんだけど、23日の10mの決勝には2位で乗り込んでいました。「まあ、ダメ元だと思ってリラックスして、ただこの瞬間を楽しもうと思った。メダルなんて、ぜんぜん考えてなかった」と話しています。

で、決勝の第1回ダイブは平凡なもので7点台、8点台の得点で9位でスタート。先行きが危ぶまれます。
しかし第2回の飛び込みで3回転半のサマーソルトを決めて10点満点を付けたジャッジが4人も。これで一気に2位に浮上したのです。
以後5回まで1位は中国の周がキープ。マシューは2位で0.8ポイント差で追うけれど、このままでは逆転は無理かと思われました。

ところが最終ラウンドで周が痛恨のミス。なんちゅうの、3回転半後ろ宙返り? 難易度3.4のその着水で体が曲がったのね。判定は6,7,8点台とまちまち。

ここでマシューは勝負に出ます。なんと難易度3.8と周を上回る難しい飛び込みを敢えて選び、しかもひねりも空中姿勢も完璧は着水。今度もまた4人から10点満点! これで112.10点を獲得し、周を4ポイントも追い抜いてみごと金を獲得したのです。

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これはゴールドメダルを決めたマシューの飛び込みです=NYタイムズなどから。

水から上がったマシューは得点を見て両手を突き上げて歓喜、しかしすぐに膝から落ちて泣き始めました。そうだわねえ、鬱病にもなったつらい練習からの復活だもの。恋人のラクランもマシューのお母さんといっしょにもちろんこの会場で彼を見つめていました。

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今大会、中国は飛び込みで8つの金メダルを独占するつもりでいました。その夢が20歳のオープンリーゲイの男の子に破られた。

飛び込み選手の選手生命のピークはふつう20歳代半ばです。つまり、マシューは次のロンドンでも連覇を狙う、いやその次の16年の五輪でも登場してくるでしょう。

なんだか、関係ないけど、うれしい。
ダイビングの金は過去に20年前のソウル五輪で連覇のグレッグ・ルゲイナスがいるけれど、彼は金を取ってからのカムアウトでした。それに比べると、時代も世代も遅々としながらも確実に変わっています。うーん。感慨深いなあ。

April 22, 2008

ゲイのペンギンのカップルの絵本

次のような文章を、3年前に、いつか書くかもしれない小説かなんかの挿話として書き置いたことがあります(ってか、ずいぶんと小説、書こうという気が起きてないなあ)。その絵本を読んだいつかの幼稚園児が、いずれ時がたって次のように気づくことを願って。

 同性愛のひとのカップルをこの目で初めて見たとき、ぼくはなぜかペンギンのカップルの姿を連想をした。で、それからも彼らに会うたびにずっと二羽のペンギンの姿が頭に浮かんだ。なぜだったのか、それからしばらくしてからわかった。ずっとずっとまえ、幼稚園のときに見た絵本のせいだ。そこにはオス同士のペンギンのカップルが仲良く二羽で暮らして、捨てられた卵まで孵したっていう物語が描かれていた。

 そう思い出したとき、同性愛のひとのカップルを見たのは彼らが最初ではなかったんだと気づいた。あの幼稚園の園長先生と若先生、ナギ先生とかいったっけ、あの2人も、カップルだったんじゃなかったのかって。

 そのとき、ぼくの頭の中でなんだかいっせいに世界の見え方が変わった。吹雪の中でぴったり身を寄せて立ち尽くす、目に見えない牡ペンギンや牝ペンギンのカップルが、あちこちにいっせいに見えだしたような気がしたんだ。

そのエピソードはたしか、アメリカで次のような絵本が出版されたのに触発されて書いたもんだったんですね。
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その本は翌年2006年に、スペイン語にも翻訳された。
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それがいま、日本語にもなりました。

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この物語の基になってるのはじつは実話なんですね。あのころ、ニューヨークではセントラルパークの動物園やコニーアイランドの水族館でオス同士のペンギンカップルが大きなニュースになりました。まあ、自然界には、とくに鳥類には同性同士のカップルがよく見られているんですが(同性愛は反自然というテーゼはすでに科学的には破綻してるんです)、そのセントラルパークのペンギンカップル、ロイとシロが、卵によく似た石を何日も温めるので、見かねた飼育係が別に産み落とされて親ペンギンに捨てられてしまった卵を彼らの巣に入れたところ、ひな娘のタンゴが生まれたんです。「and Tango makes three」はつまり、It takes two to tango (タンゴを踊るには2人が必要)というフレーズがあるんだけど、そのタンゴを踊ったら3人になっちゃった、っていう意味なんですよね。ちょっといい話。

翻訳したのは去年の参院選に民主党から立候補した前大阪府議、尾辻かな子さんら。
出版社はポット出版。

アマゾンでも買えるよ。

http://www.amazon.co.jp/タンタンタンゴはパパふたり-ジャスティン-リチャードソン/dp/478080115X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1208797882&sr=8-1

また、東京・大阪で出版記念パーティーも予定されているようです。

◇【東京開催】━━━━━━━━━━━━━━
日時:2008年4月27日(日)17:00~19:00
会場:九州男(くすお)
   新宿区新宿2-17-1サンフラワービル3F  
   電話03-3354-5050
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◇【大阪開催】━━━━━━━━━━━━━━
日時:2008年5月11日(日)15:00~17:00
会場:Village(ビレッジ)
   大阪市北区神山町14-3アド神山2F
電話 06-6365-1151
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会費:3,000円(絵本+1ドリンクつき)
主催:尾辻かな子とレインボーネットワーク

翻訳の尾辻かな子、前田和男両氏の挨拶の他、ゲストを交えてのトークショーも予定しているらしいです。時間と興味があったらどうぞ。

February 25, 2008

オスカー、レッドリボン、同性カップル

つらつらと横でアカデミー賞授賞式をつけながら原稿書きをしていると、時折映る会場の列席者の襟元にちらほらとレッドリボンがつけられているのに気づきます。日本ではなんだかすっかり流行り廃りのなかで忘れ去られてしまっている感のあるこの赤いリボンはもちろんエイズ禍へのコミットメントを示すもので、そりゃたしかに歳末の助け合い共同募金の赤い羽根のように政治家が襟元につけて国会のTV中継で映るようにする、みたいな善意のアリバイみたいなところもあるけれど、しかしハリウッドが被ったエイズ犠牲者の多さを考えればきっと、これらの人びとにとってはけっしてアリバイ作りのための仕草ではないのだろうなと思い至るのです。

思えばアカデミー賞の授賞式はこれまでも戦争や宗教や社会問題へのハリウッドの若い世代からのメッセージの場でもありつづけてきました。たしかにみんな大した俳優や制作者ではあるんだけど、よく見れば20代とか30代とかも多くて、そんな人びとの若い正義感のほとばしりが現れてもなんら不思議ではない。で、レッドリボンをつけている人たちは80-90年代は若かったけれど、いまは決してそう若くはないなあってことにも気づくのです。

エイズが死病ではないという謂いは、1995年のカクテル療法の成功から生まれてきました。当初はそれはやっとの思いの祝辞として、あるいはエイズ差別への対抗言説として宣言されたものだったのですが、人間というものはなかなか深刻だらけでは生きられないもんで、いつしか「死病ではない」が「恐れるに足らず」と翻訳され、「べつに大したことのないこと」となって、まあ、安心して生きたいのでしょう。いま、日本ではエイズ教育はどうなっているのかなあ。政府による啓発広報はなんだかいつもダサくておざなりで、いまも続いているのだろうか。ゲイコミュニティの中では善意の若者たちがいまも懸命にいろいろな形の啓発活動を模索しているけれど、その間にも日本のHIV感染者は特に若い世代で静かに確実に増えています。だって、社会全体が騒いでいないんだもの、ゲイコミュニティだけで笛を吹いたって気分はあまり踊らない。

学校で、エイズ教育してるのかなあ。あるいは性感染症に関することも。
ずっとエイズ啓発は教育現場で地道に続けることこそがゆいいつの方法論だって言い続けているのですが、でもね、そういうものはとりもなおさず性教育のことであり、セックスのことって、よほど信頼しているひとからじゃないと真面目に聞く耳なんか持てないもんなのです。だれが尊敬もしていない先生からセックスの話題なんて聞きたいもんか。だから大変なんですよね、性教育って。それを教える人間の、人間性の全体重が測られるから。

まあ、そんなアメリカだってエラいことは言えません。こっちだって若年層のHIV感染者は増加傾向にあるんですから。

今年のオスカーは、じつは候補作で私の見たのは「ラタトゥーユ(レミーの美味しいレストラン)」と「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(クリックしたら感想ブログに飛びますよん)くらいで、あまり関心がなかったのですが、両作とも健闘して受賞してましたから(特にマリオン・コティヤールの主演女優賞はアメリカの人びとには驚きだったようです)なかなか効率の良い見方でしたね。

ところで短編ドキュメンタリーで受賞した作品「Freeheld」は不覚にも知りませんでした。ダメだなあ。

ローレル・ヘスターはニュージャージー州で25年間、警官を務めて警部補になった女性です。映画制作(2006年)の6年前からパートナーを得てともに家庭を築いてきました。パートナーはステイシー・アンドリーという女性です。ところがローレルはそこで肺がんと診断されます。ローレルの願いは、自分の死後もステイシーが自分の遺族向けの死亡見舞金を得られるようにということでした。計13,000ドル(140万円)ほどの金額はけっして以後の生活に十分な金額というものではありませんが、少なくとも2人の思い出の家を維持してゆくだけの助けにはなる。ところが、居住地のオーシャン郡の代議員会はその死亡見舞金の受給資格を否定するのです。余命6カ月のローレルとステイシーは、もはやレズビアンであることを隠すことなく公の場で戦いに出る道を選びます。

こんなに愛し合っている2人を、否定する、否定できる人間がいるということは知っています。だからこそ、この38分のドキュメンタリーは作られたのでしょう。私たちには、それを見て受け止める作業が差し出されているのです。

この訴訟が1つのきっかけとなり、ニュージャージー州では6つの郡が法律を変えて同性パートナーにも年金受給資格を与えるようになりました。そしてローレルの死後9カ月後に、ニュージャージー州は州としてシヴィルユニオン法を可決したのです。

監督のシンシア・ウエイドの受賞スピーチです。

彼女自身はヘテロセクシュアルの既婚女性です。でも、スピーチでは「結婚している女性としての私は直面することのない差別に、この国の同性カップルが直面している」として、この映画をローレル・ヘスターの生前の遺言だと紹介しています。会場にはもちろんステイシーもやってきていたんですね。

今回のオスカーでも受賞コメントでのさりげないカムアウトがいくつかありました。ビデオを撮ってなかったので正確に確認できないのだけれど、作品賞も取った「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」のプロデューサーは、ステージ上で感謝する相手として最後に自分のパートナーとして「ジョン・なんとか」って名前を出し「ハニー」と呼びかけたのだけれど、「ジョン」だったのか「ジョーン」だったのか。なにせながら族でしたのでちょっといまは確認できず。
(確認しました。そのプロデューサーはスコット・ルーディンScott Rudinで、たしかにパートナーのジョンに向けて最後の最後にどさくさ紛れで「ハニー」って叫んでました。うふふ、よかったねスコットちゃん)

司会のジョン・スチュワートはゲイジョークとして楽屋裏で受賞した喜びでオスカー像同士をキスさせようとしている受賞者同士の会話を紹介してました。「でも、オスカーって男性よ」と1人。「そうね、でも、ここはハリウッドだから」と相手が言っていた、というもんです。ま、ネタでしょうけどね。

そうやって今年のオスカーも終わりました。地味目でしたね。
恒例の鬼籍に入った映画関係者の映像の最後に、ヒース・レッジャーが映りました。
なんだか胸が詰まりました。
でも例年になく、一人一人の映像が短かったような気がします。
で、ブラッド・レンフロがこの追悼映像リストになかったのは、どうしてでしょうね。忘れられちゃったんだろうかなあ。

February 20, 2008

最高裁は失礼だ

ロバート・メイプルソープの写真集が「猥褻ではない」とのお墨付きを日本の最高裁からいただいて、そりゃそうだ当然だと反応するのはちょっと違うんでないかいと思います。

以下、朝日・コムから


男性器映る写真集「わいせつでない」 最高裁判決
2008年02月19日11時09分

 米国の写真家、ロバート・メイプルソープ氏(故人)の写真集について「男性器のアップの写真などが含まれており、わいせつ物にあたる」と輸入を禁じたのは違法だとして、出版元の社長が禁止処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の上告審判決が19日あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「写真集は芸術的観点で構成されており、全体としてみれば社会通念に照らして風俗を害さない」とわいせつ性を否定。請求を退けた二審・東京高裁判決を破棄し、輸入禁止処分を取り消した。

 同じ作品を含む同氏の別の写真集について、最高裁は99年に「わいせつ物にあたる」として輸入禁止処分は妥当と判断していた。今回の判断には、わいせつをめぐる社会の価値観が変化したことが影響しているとみられる。

 堀籠幸男裁判官は「男女を問わず性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。多数意見は写真集の芸術性を重く見過ぎている」との反対意見を述べた。

 訴訟を起こしていたのは東京都内の映画配給会社「アップリンク」の浅井隆社長(52)。99年に浅井さんがこの写真集を持って米国から帰国した際、成田空港の税関から関税定率法で輸入が禁じられた「風俗を害すべき書籍、図画」にあたるとされ、没収された。

 写真集は384ページに男性ヌードや花、肖像など261作品を収録。税関はこのうち計19ページに掲載され、男性の性器を強調したモノクロの18作品を「わいせつ」とした。

 この判断に対し、02年1月の一審・東京地裁判決は「芸術的な書籍として国内で流通している」と処分を取り消し、70万円の賠償を国に命じた。しかし、03年3月の二審・東京高裁判決は「健全な社会通念に照らすとわいせつだ」として原告の逆転敗訴としていた。

 第三小法廷は(1)メイプルソープ氏は現代美術の第一人者として高い評価を得ている(2)写真芸術に高い関心を持つ者の購読を想定し、主要な作品を集めて全体像を概観している(3)性器が映る写真の占める比重は相当に低い——などと指摘。作品の性的な刺激は緩和されており、写真集全体として風俗を害さないと結論づけた。

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うーむ、アップリンクの浅井さんは、じつはこれを裁判を起こそうと思って仕組んだのですね。わざと国内での5年もの販売実績を作り、この写真集が公序良俗を紊乱していないという土台を築いてから外国に持ち出して再度入国した際にこれを摘発させるという手の込んだ作戦を練っていた。これは見事です。ですから、政治的にはこの最高裁の判断を導いた浅井さんには「でかした!」の賛辞を贈るにやぶさかではありません。

そのうえで、でも、本来は猥褻とはどういうものなのか、という点も浅井さんはわかっていらっしゃると思います。国家権力が定義するなんて、しゃらくせえ、って思ってらっしゃるわけだ。だから、これはあくまでも社会的な価値判断の変革を形にするための戦略的権謀術数なわけで。

では本質的にはどういうことなのか。
メイプルソープが、男性器とともに、どうしてああも多くの花の写真を撮ったか、というのは、それは美しいからです。
でも、花がどうして美しいのか?
それはあれが性器だからです。そう、最高裁まで争った人間の男性器と同じものなのですね。
あんなに卑猥な写真集はありません。まさに堀籠幸男裁判官がいうように「おしべめしべを問わず性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。写真集の芸術性に誤魔化されてはいけない」のです。

ですからあれは、猥褻なものをそのまま提示して美しいと感じさせているのです。
メイプルソープは、猥褻なものを提示して、猥褻って、なんて美しいんだっていっているのです。
それを、「猥褻ではない」って、本来は、最高裁はじつに失礼じゃないか、ってことです。

メイプルソープは、花と同様に、男性器を猥褻で美しいと思った(あるいはその逆の順番か)。その美しさはもちろん彼のセクシュアリティに結びついている美しさの感覚です。もっといえば人間であることに関係する美への感覚です(犬は人間の性器を美しいとは思わないでしょうし)。さらによくある70年代的言い方でいえば、彼は己の猥褻さへの欲望を解放しようとした。彼の写真を見ていれば、いまにも彼があの男性器に触れたい頬ずりしたいキスしたい口に含みたい、でもその代わりに写真に撮った、他人と共有したというのが伝わってきます。一見無機質にも思えるあの黒い男性器の鉱物のような銀粉のような輝きを、彼がまんじりと視姦しているのがわかるのです。それは花への視線と同じです。

じつは、花が性器だと気づいたのは、不覚にも私も、大昔にメイプルソープの写真集を目にしてからでした。ほんと、ありゃ、思わずあちゃーとかひえーとか呻いてしまいそうな、ときには赤面するほどいやらしくもすごい写真集ですものね。一部をご覧あれ

そうですよ、みなさん。

「何かご趣味は?」
「ええ、ちょっとお花を」
「あら、まあ……」

爾来、上記の会話の意味は、私にとって永遠に変わってしまったわけです。
蘭を集めております、とか、よくもまあ羞ずかしげもなく公言できるもんだ、と。
少しは赤面しながらおっしゃいなさいな、と。

卑猥とは何か、猥褻とは何か。
劣情を刺激するものでしょうかね。
劣情という言葉自体、価値観の入ったものだからわけわかんないですけど。

むかしね、「エマニエル夫人」って映画あったでしょ。高校か大学時代だったよなあ、あれ。
ボカシがかかるでしょ。あのボカシほど劣情を刺激するものはありません。いったい何が映っているのか、気になって気になって妄想がふくれます。ああ、そうだ、あの「時計じかけのオレンジ」もそうでした。ボカシが気になって、性ホルモン横溢の、脳にまで精液が回ってるような年齢でしたからね、もうおくびにも出さなかったが悶々と妄想を重ねていた時期ですね。

で、仕事でハワイに行ったときにヒマ見つけて当時まだあったタワーレコードでビデオを買ったんですよ、昔年の妄想を解決するために。

そうして見てみた。
ああ、オレはこんなものに欲情していたんだ、って、もう、ほんと、がっかりするような、なさけないようなものしか映ってませんでした。オレの青春を返せ、ってな感じです。

何だったんでしょう、あの「劣情」は。
ボカシは、罪だと思います。健全な欲望を、淫らにひねりまくります。
もちろん、罪もまたちょっとソソルものでもあるのですがね。はは。

何の話でしたっけ?
ま、そういうこってすわ。
失礼しました。