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January 12, 2010

二人で生きる技術

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よくわからないのですが、いわゆるハウツー本が本屋さんに並んでいたりするのを見るとなんとまあ恥ずかしいなあと思ってしまいます。コンピュータとかカメラとか、育児とか料理とか、そういうツールや技術系のハウツー本ならぜんぜんいいんですけどね。でも……と書いてみて、あら、本なんてみんなハウツーものみたいなもんかもしれないなと思ったりもします。そうだよね、こうやって書いていることも、結局は書き手が考えた答えを都合よく読み手に教えてるってことだもなあ、とかって……でも言いたいのは、なんというか、ほんとうはそういうのは手っ取り早く誰かの用意した答えを知るのじゃなくて、自分でちゃんと時間をかけて考えて答えを見つけていかなくちゃダメだろ、というような物事がこの世には確実にあるような気がするんですね。答えが大切なんじゃなくて、答えにいたるまでのプロセスが大切なのに、先に答えを聞いてしまってどうするんだ、ってことが。

太宰が、数学の教科書の後ろに問題の答が書いてあるのを見つけて、「なんと無礼な」か「失礼」だったか、そう思った、ってのがどっかにあったでしょ? あれなんだよね。あれを読んだからか、私は10代のころからレコードもベスト盤を買うのを恥ずかしいことだと思ってしまった。絶対に自分はベスト盤など買わないぞと誓った。で、中年になって、iTunesストアが出来て、往年のロックやジャズの懐かしい連中のコレクションを自分のMacに再収集しようとして、めくるめくほど数多のベスト盤の山を前に思わずその1つをポチってしまったとき、私はふと辺りを見回し、目撃者のいないことに軽く安堵しつつも激しく自らを恥じたものです。(でも1回ポチるともうあとは堰を切ったようにベスト盤の嵐でしたけど。ま、経済的にも全然安上がりですし、背に腹は変えられないという事情はありますな。年を取ると寛容になるもんです)

ハウツー本とベスト盤がどうして同じ次元で語られるのかってのは、つまり、ラクしていいとこ取りしようってことで、言い訳を言えば、わたしなんぞの、もうそうは新しいことなんか起きない年代の、しかも残された時間もそうない者にはそれでもぜんぜん大勢には影響がないってことなんだけど、これから人生を作っていく人たちが、対人関係とか仕事のしかたとか、恋愛とか人生とか、そういうもので教科書の後ろを見ちゃうみたいなやり方だと、それは本末転倒でしょーってことなんです。知ったふうなことばかり言って、その実ものすごく中身がなくて、ぜんぶどっかで聞いたようなことだけを題目のように繰り返して世を渡ってるような輩も(渡れてないか)けっこういます。話しててやになっちゃう。

だから、例えばジャーナリズム学科とかで勉強したって、それはちょっと違うんじゃないかって思う。火事や殺しや交通事故の現場でないと感じられないなにかがあって、それを書くことに苦悶して、そうやってからジャーナリズム学科でもういっかい勉強できるような、そんな環境やシステムが日本の職業ジャーナリストたちにも用意されていれば素晴らしいと思うけど、最初にジャーナリズム学科で技術を教わっても、まあ、人によるだろうけど、つまり、わかったふうに思っちゃいけないってことですわね。まあ、そうね、人によるか。ジャーナリスト学科で学んでも、知ったふうには思わないやつもいるもんね。技術はあるに越したことはないし、か。

そうですね。つまり、ハウツー本を読んで、知ったふうな口をきくやつがダメなんだ。だからといって「だからそれはハウツー本が悪いわけじゃない」ってわけじゃなくて、ハウツー本は九割がたそういう連中を確実に標的にして作られてるんだから、ダメに乗っかってカネ稼ぐための本だから、いわゆる故意の教唆だわね。ハウツー本もやっぱりダメなんだよ。

……といろいろと与太が長くなったですが、何が書きたいかというと、表題の本についてです。

年をまたいで「二人で生きる技術 〜幸せになるためのパートナーシップ」(ポット出版)を読んで、2010年のブログの最初のエントリーはこの本についてにしようと決めました。著者の大塚隆史さんは70年代後半にラジオ「スネークマンショー」で15分ほどの自身のコーナーを持ち、ゲイに関する幅広い話題を広く(多くゲイの)聴取者に語りかけていた人です。寡聞にして私はその当時そのラジオのことは知りませんでしたが、大塚さんにお会いした数年前、録音の残っていたものを集めたCDをいただいて、その話題の広さと深さにちょっと、というか、かなりショックを受けました。というのも、私が90年代から書いたり言ったりしていたことのほとんどは、すでに大塚さんがそのラジオ番組で10年以上前に言い尽くしていたことだったからです。はは、こりゃまいったね、というのが正直な感想でした。

「二人で生きる技術」はその大塚さんの、個人のパートナー史というべきものを通じて、パートナーであること、パートナーであろうとするというのはどういうことなのか、を示している本です。でも、これは教科書ではありません。ハウツー本でもありません。冒頭から多くを費やして、つまり私はそのことが言いたかったのです。

でね、ここで書かれるパートナー、「二人」というのは、男同士の二人です。で、だからこれはゲイのパートナーシップのためにだけに書かれた本かというと、じつはそうじゃない気がします。これは、同性間・異性間にかかわらず、最も困難な環境の1つにいる人たちが、どうやって伴侶を見つけ、どうやってその関係を続けるのかについての、普遍的な、かつとても個人的な努力の軌跡です。

私たちはここで「大塚隆史」というある個人の、パートナーを求めて止まない人生を覗き見ることになります。彼はこれまでに5人のパートナーと付き合っているのですが、彼の心にあったのはただ1つ、おとぎ話で結ばれたお姫さまと王子様がその後、「末長く幸せに暮らしました」という絶対命題でした。つまり彼にとっての傾注の対象は、物語の主要となるドラマティックな恋愛の部分が終わったあとの、「末長く」しかも「幸せ」な「暮らし」のことなのです。著者はこの「暮らし」のために懸命に精力を傾けます。これが「二人で生きる」ということであり、そのためには技術が必要なんだという気づきがあるんですが、でも、その技術がなんなのか、この本はハウツー本のように簡単にはそれを教えてはくれません。なぜなら、それは具体的には5人のパートナーそれぞれで違うことだったのですし、私たちはそのパートナーたちとの「暮らし」の丁寧で詳細な記述の各章を読み進めることで、筆者とそのパートナーの行った努力と獲得した技術とを追体験することになるのです。そうして、そうすることでしかわからないことというものがある。

男女の、あらかじめ当たり前として用意されている“ような”関係性とは違って、ゲイの男性(あるいは女性)2人の関係というのはなんとも手探りで、だれもの目に見えるロールモデル(理想のお手本)というのもそうあるわけではありません。男女の場合は恋愛のあとに結婚というものが控えているのを多くの人が認識しているでしょうが、日本のゲイの場合は結婚もシヴィルユニオンもドメスティックパートナーシップも現実問題として自らに引き寄せて考えている人はそう多くはないでしょう。すると勢い、状況的に、ゲイ男性カップルの関係性というのは恋愛の後は何なんだ、セックスの後は何になるんだろうということになります。

著者が行ったことは、まさにその「なにか」をハウツー本もなく自ら作り上げてゆくことでした。そしてそれのすべてをいま、身を以て示してくれることだったのです。彼以前にそれを作り上げた人はもちろんいたでしょうが、それを見せてくれた人はほとんど皆無だったからです。男女の恋愛を描いた小説や映画は数限りなくありますし、それこそ「その後」の「暮らし」を追ったドキュメンタリーもたくさんあります。でもそれらはほぼ、「二人で暮らす」ことをアプリオリな大前提として始めていて、そこを疑うことについて甘い。でも、ほんとうはそこから始めなくてはならないのではないか?

そう思ったとき、じつはそのことは男女のカップルにとってもほんとうは同じなのだということに気づくのです。恋愛ってそもそも自動的に始まってしまいます。恋愛の原動力はセックスへの希求(リビドー)なんですが、というかそれは主客転倒で、リビドーがセックスへと導く儀式としての恋愛を創造したんですが、自動的に始まる恋愛は自動操縦ではどうもうまく行かないほど複雑になってしまって、あるいはお見合いによるお付き合いでもいいんだけど、人間の私たちはいつの間にかそんな自動操縦のモードを手放さざるを得なくなってしまいました。

ところが恋愛(という捏造された儀式)の余勢をかって、なるがままに任せていればどうにかなるさと思っているカップルが多いのです。そもそもいろんな分野で自動操縦をやめてしまった人間たちが、どうして愛する人とだけは自動操縦で大丈夫だと思っていられるのか。

恋愛って、人生で何回も出来るもんじゃない。恋愛にベテランというのは存在しないのです。つまり、みんないくつになっても手探りで、素人なの。だから真剣にならないとすぐに失敗するのです。

「二人で生きる技術」に書かれている数多くの実際のエピソードは、読んでいて「他者」というものの発見に満ちています。人間って、みんな違うんだって改めて気づかされます。セックスの話も包み隠さず出てきます。エイズの話も、ウソの話も、浮気の話も出てきます。おそらく、多くの読者が泣くだろうエピソードも登場します。私も泣きました。そうして、他者というのは、改めてすごいなあと思った。自分の知らなかった他者たちをこうして知った「気づき」を、有り難く思うのです。

これは、自分の愛する女性との関係を当たり前と思っている男性たちに読んでもらいたい本です。あるいは愛する男性との関係で悩んでいる女性たちにも。関係性において、何事にも当たり前というのはありません。それは奇跡なのです。それが続くのは、さらにもっと大きな奇跡なのです。それを続けさせるための「技術」がこの本には書いてあります。最後の章にいくつか箇条書きにもなっています。でも、それは大した技術ではありません。いちばん重要なのは、そこまで読み進め、何かを読み取ろうとした努力に関係するものです。この本を読み進めたように、自分たちの関係を読解してみることがまず、そんな技術を体得するためのとっかかりだろうと思います。それは、関係を諦めない、おとぎ話を信じる力なのだと思います。

December 20, 2009

中村中〜阿漕な土産〜

渋谷CCレモンホールでの中ちゃんのコンサート、昨晩行ってきた。
アクースティック4人編成をバックのものだったが、中村中、この1年でずいぶんとすごくなった。まあ、声の出ること出ること。出だしはまだ緊張してるみたいだったけど、それがどんどん観客のエネルギーを吸い取るみたいにノリはじめ、ああいう状態は歌っている方もものすごくいい気持ちなんだろうなあと思うような歌になっていった。私も歌ってた頃があるから、なんとなくわかる。えー、こんなのも出るんだって、自分でもびっくりしちゃうくらいなときが訪れることがあるのだ。昨晩はきっとそんな感じだったんだろうって思う。

アクースティックだったから歌い方も変わったのかもしれない。ブレスの仕方が変わった。前回は4月に彼女のコンサートにいったんだが、まあ、ホールの大きさも違うし構成も違うから一概には断じられないけれど、前回はブレスまでをも効果音にしちゃうみたいな感じの歌い方。今回はもっとナチュラルなブレスだった。

そして、歌が確実にうまくなっていた。
だんだん、私の論評が届かないところにまで上がっていくような予感がする。

基本的に、ぼくはぼくが自分でできることと比べることでしか批評ができないのだ。

今年は彼女、事務所を変わったりでいろいろとあったみたいだけど、20代でいろいろと大変なことを経ていくのは彼女にとってきっと良いことなんだと思う。良いことにしていけなければ、もともとだめなんだとも思う。

いっしょに行ったトーちゃんとその夜遅く、さてそこで、プロデューサーとしていったいどういう道を彼女に用意すればよいののかということを考えた。ふうむ、と言ったきり、ふたりともその答えを言葉にすることはなかったけど、歌謡曲歌いの彼女としてと、歌謡曲作りの彼女としてと、どんな未来があるのだろうか。トーちゃんには先日からちあきなおみが頭の中に宿っていたせいもあって、なんとなく2人を比べているような節もあったのだが。

「友達の詩」は名作だが、これはできるべくしてできちゃった歌だろうから、そうじゃなくてモノ作りとして意識的に作り上げる歌がどういうものであるのか、ぼくにはまだ腑に落ちるものが聞こえていない。それは詩の問題だろうか? 彼女はもっともっと本を読むべきかもしれない。詩とか、俳句とか、短歌とかでもいい。寺山とか、ギンズバーグとか、そういう母恋いの詩とかも。そうして盗むところから再開してもいいと思う。

昨晩のコンサートを見ながら、彼女の40歳の、50歳のコンサートに行きたいとちらと思っていた。
それまで生きていようと思った。

November 13, 2009

宣伝──ヘドウィグ再降臨

考えてみたら、わたし、自分の本とか講演とかあんまりほとんど宣伝したことがないんだけど、山本耕史のヘドウィグはかなりプッシュしました。

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まあ、ミュージカル(といってよいのかどうか、これはけっこう演劇とロックコンサートのコラボみたいなステージ)の翻訳はこの作品が最初だったせいもありますが、山本耕史のヘドウィグをやったのは、山本耕史という役者のすごさを知ったという点でもよかったです。この人の仕事ぶりのすごさは、テレビではなかなかわからんと思う。そこら辺のいい加減な兄ちゃんかと思ってたら大間違い。プロというのはすごいと彼と会って思ったもん。

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というわけで、山本ヘドの再々演が今月末から始まります。
お勧めします。
今までヘドを見逃してきたなら、これを見逃すでありません。
今回は短期決戦。
なんか、衣裳とか、変えるとかって言ってるだけどどうなるんだろ。
じつは私もなにも聞いてない。
それに伴ってすこし演技も変わるのかしら? ちょっとたのしみ。

へど1.jpg

相手役のソムン・タクは、ジャニス・ジョプリンとグレース・スリックを足して2を掛けたような歌い方をします。たとえが古いといわれますが、現代の歌手でそいつらに匹敵するようなわかりやすい例は、あるんだろうか?

わたし、これを宣伝しても一銭にもなりませんが、お勧めします。

見なさい。見て、震えなされ。


詳細は以下にあります。

http://www.lovehed.jp

初めての方はぜひここでストーリーや歌詞の訳をおさらいしてから行った方がわかると思います。歌は字幕なしの英語で歌うの。


大阪はたった1回だけの公演。
前回、キャンセルになったからね。
11月27日(金)午後7時から、渾身の大阪厚生年金会館芸術ホール。

東京は12月2日(水) ~12月6日(日) ゼップ東京(お台場)
こちらは昼と夜の公演がいろいろ。

http://www.lovehed.jp/UserEvent/Detail/1

よろしく。


October 26, 2009

デモクラシー・ナウ!

デモクラシー・ナウ!という米国の独立系ニュース報道サイトがあります。けっこう人気のあるメディアで、大手メディアの報道しないことをいつも丁寧に取り上げ、解説し、関係者にインタヴューして紹介しています。この6月にはゲイの従軍禁止政策に関しても放送しました。

このサイトの日本語版サイトもあって、じつはここにわたしも翻訳と監修で関係しています。その6月のゲイの従軍問題のインタビュー放送が日本語字幕付きでさきほどやっと公開されました。字幕作業で時間がかかるのでタイムラグがあるのはしょうがないのです。みんな、ほとんどボランティアスタッフが作業を進めているので、ご寛恕を。

さて、表題の話題は、10月11日にワシントンで行われた平等を求める政治行進の企画者であるあのクリーヴ・ジョーンズ(ミルクの映画でも出てきました)へのインタビューから始まります。ジョーンズのこのマーチへの思いやハーヴィー・ミルクとの関係が語られます。
http://democracynow.jp/submov/20090619-2

2回に分けて放送されています。後半が「ドント・アスク、ドント・テル(上官や同僚はその人が同性愛者であるかどうかを質問ないし、ゲイの兵士も自分からそうだと公言もしない限りにおいて、同性愛者も従軍できる)」とした従軍規定に関するものです。
http://democracynow.jp/submov/20090619-3

どうぞ時間のあるときにでも視聴してください。
米国では、メディアもこうして性的少数者の人権問題に正面から取り組んでいます。

October 13, 2009

平等を求める全米政治行進

毎年10月11日は米国では「全米カミングアウトの日 National Coming-Out Day(全米カミングアウトの日)」とされています。もっとも、これはべつに政府が定めた記念日ではありません。アメリカのゲイ・コミュニティが、まだ自分をゲイだと言えない老若男女に「カム・アウトする(自分が同性愛者だと公言する)」ことを勧めようと定めた日です。今はゲイだけでなくLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)と総称される性的少数者全体のカムアウトを奨励する日として、この運動はカナダや欧州にも広がっています。

その制定21年目に当たる今年の10月11日(日)、快晴のワシントンDCで数万人の性的少数者とその支援者を集めて「The National Equality March(平等を求める全米政治行進)」が行われました。日本ではほとんど報じられませんが、性的少数者たちの人権問題は米国では最大の国内的政治課題の1つです。

若い人たちがことのほか多く参加しています。なんか、ヒッピー・ムーヴメントみたいな格好をした人たちもたくさんいますね。このビデオの最後にはあのハーヴィー・ミルクの“弟子”であるクリーブ・ジョーンズも登場しています。インタビューアーが、このマーチが終わってみんな帰ってから何をすればよいか?と問いかけています。クリーブ・ジョーンズはすべての選挙区で自分たちの政治家に平等の希望を伝える組織を作るように勧めています。「私たちはこのマーチをするために組織化したのではない。組織化するためにマーチしたんだ」と話しています。

ところで National Equality March のこの「平等」とは、現在最大の議論の的である「結婚権の平等」をめぐってスローガン化しました。同性愛者たちも同じ税金を払っている米国民なのだから、同性婚も異性婚と同じく、平等に認められて然るべきだという議論です。そこから、これまで取り残してきた「雇用条件の平等」や「従軍権の平等」も含めて、LGBTの人権を異性愛者たちと等しく認めよという大マーチが企画されたわけです。

この行進の前日10日、オバマ大統領はLGBTの最大の人権組織ヒューマン・ライツ・キャンペーンの夕食会で演説し、選挙期間中の公約であった「Don't Ask, Don't Tell(訊かない、言わない)」政策の撤廃を改めて約束しました。

これはクリントン政権時代に法制化されたもので、それまで従軍を禁止されていた同性愛者たちが、それでも兵士として米国のために働けるように、上官や同僚たちが「おまえはゲイ(レズビアン)か?」と聞きもしないし、また本人が自分から「自分はゲイ(レズビアン)だ」とも言ったりはしない、と取り決めた規定です。つまり、ゲイ(レズビアン)であることを公言しない限り、ゲイではないとみなして従軍できる、としたもので、オバマ大統領は選挙戦時点からこれは欺瞞だとして廃止を宣言していました。ところがいまのいままでオバマ政権は、撤廃に向けての手続きを具体的にはなにも行っていなかったのです。

ノーベル平和賞とは、和平・平和への取り組みだけでなく人権問題での活躍に対しても表彰されます。まあ、まさかそれが後押ししたのでもないでしょうが、今回の公約再確認は、いつどのように具体化されるのか、見守っていきたいと思います。

ところでいまCNNが、カリフォルニア州での「ハーヴィー・ミルクの日」の制定に拒否権を行使するとしていたシュワルツェネッガー州知事が、一転、拒否権行使を否定し、制定を認めると発表したというのを報じていました。今も全米で同性婚の権利を勝ち取ろうという闘いが議会や住民投票の動きの中で続いています。

おそらく明日13日、デモクラシー・ナウ!という独立系報道メディアの'日本語版翻訳サイト'で、6月に放送されたLGBT問題のインタビューもアップされると思います。直接のリンクがわかったらここでも貼付けるようにします。

September 16, 2009

セメンヤ

あの、「両性具有」だとアウティングされた南アフリカの陸上選手キャスター・セメンヤ、24時間自殺監視措置になった。だれとも会いたがらないそうだ。18歳の子に、なんとひどいことをしたんだろう。

あれはリークだったんだね。
メディアがそれに飛びついた。なんのために?
表向きは世界陸上の公正性のために。しかし、心理的には化け物がいると言いふらしたかったゆえに。

公式な、違う内容と違う形での発表が出来たはずなのに。
こんな残酷なことはない。

Gender Row Runner Semenya Placed On Suicide Watch

Monday, September 14, 2009 at 5:54:53 PM

South African runner Caster Semenya, who is at the center of a gender row, has been placed on suicide watch amid fears for her mental stability.

The Daily Star quoted officials as saying that psychologists are caring the 18-year-old round-the- clock after it was claimed tests had proved she was a hermaphrodite.

Leaked details of the probe by the International Association of Athletics Federations showed the 800m starlet had male and female sex organs - but no womb.

Lawmaker Butana Komphela, chair of South Africa's sports committee, was quoted as saying: "She is like a raped person. She is afraid of herself and does not want anyone near her. If she commits suicide, it will be on all our heads. The best we can do is protect her and look out for her during this trying time."

South African athletics officials confirmed Semenya is now receiving trauma counselling at the University of Pretoria.

Caster has not competed since the World Athletics Championships last month when the IAAF ordered gender tests on her amid claims she might be male.

Source-ANI
SRM

June 04, 2009

Happy Pride Month

6月はプライド月間。しかも今年はストーンウォール・インの反乱から40周年のビッグイヤーです。NYでもいろいろなイヴェントが目白押しです。iTuneストアにもレインボーマークのゲイプライド・コーナーが設置されて、この辺はビジネス、さすがにうまいね。

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大統領のバラク・オバマと国務長官のヒラリー・クリントンがそれぞれ、このプライド月間を祝福する声明を発表しました。ブッシュ時代はパスされていましたが、クリントン時代から9年ぶりの復活です。

まずは大統領声明から。

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Forty years ago, patrons and supporters of the Stonewall Inn in New York City resisted police harassment that had become all too common for members of the lesbian, gay, bisexual, and transgender (LGBT) community. Out of this resistance, the LGBT rights movement in America was born. During LGBT Pride Month, we commemorate the events of June 1969 and commit to achieving equal justice under law for LGBT Americans.

LGBT Americans have made, and continue to make, great and lasting contributions that continue to strengthen the fabric of American society. There are many well-respected LGBT leaders in all professional fields, including the arts and business communities. LGBT Americans also mobilized the Nation to respond to the domestic HIV/AIDS epidemic and have played a vital role in broadening this country's response to the HIV pandemic.

Due in no small part to the determination and dedication of the LGBT rights movement, more LGBT Americans are living their lives openly today than ever before. I am proud to be the first President to appoint openly LGBT candidates to Senate-confirmed positions in the first 100 days of an Administration. These individuals embody the best qualities we seek in public servants, and across my Administration -- in both the White House and the Federal agencies -- openly LGBT employees are doing their jobs with distinction and professionalism.

The LGBT rights movement has achieved great progress, but there is more work to be done. LGBT youth should feel safe to learn without the fear of harassment, and LGBT families and seniors should be allowed to live their lives with dignity and respect.

My Administration has partnered with the LGBT community to advance a wide range of initiatives. At the international level, I have joined efforts at the United Nations to decriminalize homosexuality around the world. Here at home, I continue to support measures to bring the full spectrum of equal rights to LGBT Americans. These measures include enhancing hate crimes laws, supporting civil unions and Federal rights for LGBT couples, outlawing discrimination in the workplace, ensuring adoption rights, and ending the existing "Don't Ask, Don't Tell" policy in a way that strengthens our Armed Forces and our national security. We must also commit ourselves to fighting the HIV/AIDS epidemic by both reducing the number of HIV infections and providing care and support services to people living with HIV/AIDS across the United States.

These issues affect not only the LGBT community, but also our entire Nation. As long as the promise of equality for all remains unfulfilled, all Americans are affected. If we can work together to advance the principles upon which our Nation was founded, every American will benefit. During LGBT Pride Month, I call upon the LGBT community, the Congress, and the American people to work together to promote equal rights for all, regardless of sexual orientation or gender identity.

NOW, THEREFORE, I, BARACK OBAMA, President of the United States of America, by virtue of the authority vested in me by the Constitution and laws of the United States, do hereby proclaim June 2009 as Lesbian, Gay, Bisexual, and Transgender Pride Month. I call upon the people of the United States to turn back discrimination and prejudice everywhere it exists.

IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand this first day of June, in the year of our Lord two thousand nine, and of the Independence of the United States of America the two hundred and thirty-third.

BARACK OBAMA

**

次は国務長官声明。

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"Forty years ago this month, the gay rights movement began with the Stonewall riots in New York City, as gays and lesbians demanded an end to the persecution they had long endured. Now, after decades of hard work, the fight has grown into a global movement to achieve a world in which all people live free from violence and fear, regardless of their sexual orientation or gender identity.

"In honor of Gay and Lesbian Pride Month and on behalf of the State Department, I extend our appreciation to the global LGBT community for its courage and determination during the past 40 years, and I offer our support for the significant work that still lies ahead.

"At the State Department and throughout the Administration, we are grateful for our lesbian, gay, bisexual and transgender employees in Washington and around the world. They and their families make many sacrifices to serve our nation. Their contributions are vital to our efforts to establish stability, prosperity and peace worldwide.

"Human rights are at the heart of those efforts. Gays and lesbians in many parts of the world live under constant threat of arrest, violence, even torture. The persecution of gays and lesbians is a violation of human rights and an affront to human decency, and it must end. As Secretary of State, I will advance a comprehensive human rights agenda that includes the elimination of violence and discrimination against people based on sexual orientation or gender identity.

"Though the road to full equality for LGBT Americans is long, the example set by those fighting for equal rights in the United States gives hope to men and women around the world who yearn for a better future for themselves and their loved ones.

"This June, let us recommit ourselves to achieving a world in which all people can live in safety and freedom, no matter who they are or whom they love."

It will be interesting to see what, if any, statement Obama releases this month considering that most of his campaign promises to LGBT citizens remain unfulfilled.


じつはオバマ政権はいまのところLGBT問題に関しては優先順位が低いようで、すぐにも着手すると言っていた軍隊における「Don's ask, Don't tell」の撤廃もまだです。まずは経済問題、ついでアフガン、イラク、イラン問題、そして北朝鮮、というわけですが、いずれも難問であるため大変です。北朝鮮の最近の核実験とミサイル発射は、まさにそのオバマ政権の目を自分たちに向けさせるための行為なのですが、このままでは本当に核保有国として対等に対峙するという方向性なのでしょう。これは中国も許すはずがないので、次の一手、次の一手と、その都度新たな展開になる。LGBT問題は、だれかに丸投げしないと、いつまでも解決しない。するとそこから支持層に水漏れの一穴が開くかもしれません。

April 13, 2009

ブロークバックはアダルト本?(続報追記)

アメリカのアマゾン・コムがなんだかわからない基準を持ち出して、ゲイ&レズビアン文学を「アダルト」分野に分類してセールスランキングから外すという愚挙に出ています。アダルト本、つまりエロ本ですね、そうやってセールスランキングの数字がなくなったのはジェイムズ・ボールドウィンの名作「ジョヴァンニの部屋」、それにアニー・プルーの「ブロークバック・マウンテン」、ええ、そうです、あのブロークバックです。

Giovanni's room.jpg  brokebackmt.jpg

そうやって外されちゃった著者の1人が何なんだ、ってアマゾンに問い合わせたら、次のような答えともならない答えがメールされてきたそう。

"In consideration of our entire customer base, we exclude 'adult' material from appearing in some searches and best seller lists. Since these lists are generated using sales ranks, adult materials must also be excluded from that feature.
われわれの全体の顧客基盤を検討した結果、「アダルト」な物品は一部の検索やベストセラーリストから除外しています。これらのリストはセールスランク(販売数順位)を基に作られているため、アダルトな物品もまたその扱いから外されることになります。

"Hence, if you have further questions, kindly write back to us.
そういうわけで、まだご質問がある場合は恐れ入りますがまたメールをどうぞ。

"Best regards, Ashlyn D Member Services Amazon.com Advantage"
敬具、アマゾン・コム・アドヴァンテージ、メンバーサービス部 アシュリン・D

まあ、理由説明になっちゃいませんね。

というか、除外対象のアダルト分類というのもいい加減で、LAタイムズによれば

アネット・ベニング主演で映画にもなったオーガスティン・バロウズの「ハサミを持って突っ走る(Running with Scissors)」(アルコール中毒の父と夢想家でレズビアンの母が離婚、精神科医の家で暮らすことになった少年オーガスティンの奇妙な日々を描く青春回顧録)
リタ・メイ・ブラウンの現代レズビアン小説の嚆矢「ルビーフルーツ・ジャングル(Rubyfruit Jungle)」
ヴィクトリア朝のレズビアンを描いたラドクリフ・ヒルの古典的名作「孤独の泉(The Well of Loneliness)」
ミシェル・フーコーの「性の歴史、第1巻(The History of Sexuality, Vol. 1)」
E.M.フォスターの「モーリス」(2005 W.W. Norton版)
アナイス・ニンの「小鳥たち」
ジャン・ドミニク・ボービーの「潜水服は蝶の夢を見る(The Diving Bell and the Butterfly)」(1997 Knopf版)
ゲイの自伝として初めて全米図書賞を受賞(1992年)したポール・モネットの「Becoming A Man(男になるということ)」
ホモフォビアの社会的研究書である「The Dictionary of Homophobia: A Global History of Gay & Lesbian Experience(ホモフォビアの辞書;世界のゲイ&レズビアンの体験の歴史)」
等々……

ところが外れてないのは

デビッド・セダリスの「すっぱだか(Naked)」
ヘンリー・ミラーの「北回帰線(Tropic of Cancer)」
ブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」
ウィリアム・バローズの「裸のランチ(Naked Lunch)」
アナイス・ニンの「愛の日記:近親相姦(Incest: From 'A Journal of Love)」
ミシェル・フーコーの「性の歴史、第2巻〜第3巻」
E.M.フォスターの「モーリス」(2005 Penguin Classics版)
ジャン・ドミニク・ボービーの「潜水服は蝶の夢を見る(The Diving Bell and the Butterfly)」(2007 Vintage International版)
等々……

と、同じ内容で版が異なると扱いが違っていたり、異性愛ものはオッケーだったり、ミシェル・フーコーをアダルト本とするのもすごいけど、「ビカミング・ア・マン」とか「孤独の泉」なんてセックス描写なんかただのひとつもないのですよ。支離滅裂というか、まあ、ゲイとかレズビアンとか付いたものを片っ端からアダルト分類して、とにかくホモレズ徹底除外っていう姿勢ですかね?

すでにこのランキング外しに抗議する署名運動がフェイスブックで盛り上がっています。
米国メディアも騒ぎ始めました。
まあ、いずれすぐにもアマゾンの意図が(さらにはきっと謝罪撤回が)出てくるでしょう。
なんと言い訳するのかしらね。
アマゾンの内部の一部過激分子が勝手にやったこと、とか言うのかしら?
まさかシステムの不具合とかっていうんじゃないでしょうね。
こんな恣意的な不具合なんてないもんなあ。
ちょっと楽しみ。(←意地悪)

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April 08, 2009

歴史的な採決

米北東部のバーモント州の州議会が7日、歴史を作りました。米国史上初めて採決によって同性婚の合法化を果たしたのです。これまでのマサチューセッツ、カリフォルニア、コネチカットの合法化は“過激派の最高裁判事”(By G.W.ブッシュ)による決定でしたからね。

バーモント州議会はじつは3月23日には州上院で、4月2日には州下院でそれぞれ同合法化案を可決していたのですが賛成票は拒否権に対抗できる数にまでは達していませんでした。そこで知事のジム・ダグラスが6日に拒否権を行使しこれを否決。しかし翌7日には、この拒否権の無効化に回る議員が増え、上院では23対5の圧倒的多数で、直後の下院でも100対49と、拒否権の無効に必要な3分の2以上の票を得て同性婚合法化案は再可決されたのです。

下院議長シャップ・スミスがこの最終投票結果を発表すると議場は大きな拍手喝采に包まれたようです。

そしていま、アイオワ州でも4月3日に州最高裁が判事全員一致で同性婚を禁じる州法を違憲とする裁定を行って、こちらの知事は最高裁の決定を尊重すると言っています。ですからこちらも合法化されます。

こうなると、カリフォルニアでのプロップ8が、いまさらながらバカみたいに見えてきます。だってアイオワですよ、アメリカ中部の田舎の代名詞みたいなところ、ハートランドですよ。

こういう、議会での同性婚賛成はここ数カ月でニューヨーク州、お隣のニュージャージー州、メイン州、ニューハンプシャー州でも増えてきています。次はきっとニューヨークとニュージャージーで議会による合法化がなされるでしょう。いやいや、戦いは佳境に入ってきました。

でもそれはすなわち、同性婚反対派がこれでまた恐怖をあおるキャンペーンを強化してくるということです。というか、もう、していますね。

下に映像をくっつけますので見てください。

これはゾンビではありません。死にそうな顔で同性婚合法化を憂う人たちです。すごいセンスです。言ってることも、「この問題をわたしたちの私生活に持ち込もうとしている」「わたしの自由が奪われる」「同性婚を認めない教会が政府によって罰せられる」「同性婚をオーケーと私の息子に教える公立学校の教師たちを親である私はただ黙って見ていることしかできない」ってめちゃくちゃ言いよるねん。揶揄ではなく、ほんとうにこの人たち、精神を病んでるのかしらって心配です。ほんとうに、ちゃんと病院に行くべきです。


March 20, 2009

ハートをつなごう

NHKの「ハートをつなごう」という番組のプロデューサーたちに先日の滞日の際にハーヴィー・ミルクの映画「ミルク」について寄稿を頼まれたのが出来ました。以下のリンクから、選んでください。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/lgbt/kiji/index.html

どうぞご笑読を。

4月の公開が近づいたら、このページでまたいろいろとこの映画製作の舞台裏の話を掲載するつもりです。

わが尊敬する大塚隆史さんもおっしゃってましたが、この映画は、あの、やはりオスカーを受賞したすごいドキュメンタリー「ハーヴェイ・ミルク」と対を為すものですわね。これを機に、そっちもまた多くのひとが見ることになるといいと思います。私もじつは80年代の終わりに新宿ゴールデン街の飲み屋である映画関係の若い人にそのドキュメンタリーをビデオで渡されて推奨されるまで、ミルクという人物についてはほとんど知らなかったのです。てか、情報がなかったんだよね。

おもえばずいぶんといろんな情報がいろんな人の手によって紹介されるようになったもんです。たった20年ですが、隔世の感です。

November 26, 2008

読者からのあるコメント

清野さんという、このブログを読んでいてくれている方から、先日来の同性婚問題に関連して次のようなコメントが「白い結び目」のブログのコメント欄に書き入れられました。

わたしの論評は余計でしょう。
とても考えさせられる文書です。
みなさんにも読んでいただきたく、ここに再掲してご紹介します。

**

北丸さんおはようございます。早すぎますか?少しだけ私の後悔の話を聞いて下さい。

それは私がまだ23歳で大学を卒業して東京の会社に就職した年のことです。まだ新入社員研修をしていたばかりの頃、自分の不注意の為に会社内で事故を起こし入院し、手術ということになりました。大変な手術でした。

その入院中に会社の7年先輩のSさん(男性)が何度も見舞いに来てくれました。日々不安でいた私の所に特別何も言わなかったのですがよく来てくれていつしか仲良くなっていました。退院後も飲みに連れて行ってくれたり野球に連れて行ってくれたり、寄席やボウリングなど退社後や日曜日も先輩(これ以降彼と書きます)が連れていってくれました。お金も何事もないようにすべて彼が払ってくれていました。これは私が怪我をした事に対して気の毒と思っての事なのかな?と思っていました。また薄給の新人は会社ではこのように面倒みてもらえるものなのかな?と考えていました。実際他の先輩もよく私をドライブやスナックに連れて行ってくれていたのでそのようなものだと思っていました。

恋も知らず、社会も知らない私はまるでわかっていませんでした。その後も彼とは二人で旅行にも行きましたし、彼の家にも招待されたし、私のアパートに泊まりに来たこともありましたが私の中では仲が良い先輩の域を越えなかったし彼も何ももとめませんでした。ただ私を可愛がってくれるだけでした。

怪我の治りの悪かった私は普通の勤務が大変でこのまま会社に迷惑をかけ続ける事に対しても申し訳なく1年半後に決意して辞表を出しました。彼にも相談していましたが彼が何かを示唆することはありませんでした。

彼は変わらず引越しの準備を手伝い荷物を業者に出してくれたりといつものように私のすぐ近くにいてくれました。最後まで何も語らず、彼との別れが近づいていました。

山手線の電車に乗っていました。かなり混んでいました。私と彼は向き合うように立っていました。この電車を私が降りたら彼とはもう会えないと思ったら私の心の中から嗚咽のような感情が起こりました。涙が堰をきったように流れ出し電車の中で止まらなくなりました。そうすると彼がズボンのポケットからハンカチを出し私に渡し「返さなくていいから」といいました。私はもっと激しい涙がでてきました。そうするといつのまにか私の顎が彼の左肩にのっていました。そして彼はものすごくソフトに私を抱いていました。私はいつの間にか彼を抱きかえしていました。私の降りる駅まで彼は私を抱いていました。いやではありませんでした。私の降りる駅が来ました。何も言わず彼は私を降ろしました。でもいつもと違う顔でした。降りた私は暫くホームで涙が止まりませんでした。

それから私は次の日、田舎に帰りました。怪我の事で人生を失敗したような失意となんであんな会社に入ってしまったのだろうという悔しさで、会社の事はもう考えたくなくて電話もかけず、忘れたいという思いが私を包んでいました。2ヶ月後位にふいに彼から電話がありました。「なんで電話をかけないんだ?もっと電話をかけろよ。東京に出て来い」と言いました。いろいろと話しましたが、特に私の中で気持ちの変化はありませんでした。

それ以降私はその会社の事も彼の事もちっとも考えませんでした。東京に戻る気もありませんでした。彼からはその後電話はありませんでした。2年後位に彼が結婚して婿さんになったという噂をききました。でも遠い所の話のような感じでした。

それからまた何年もたち友人達との話のなかで私が「新人の頃はよかった。先輩に面倒みてもらったし、お金を自分で払った事もない」というと友人達から「そんな事はない」と言われました。「割勘だったよ」という話でした。旅行の話にしても電車の中の話にしても「それはその先輩がお前が好きだったんだよ」と断定されてしまいました。私もそうかな?と思い始めましたがそうではないだろうとも思います。ただ私のような者の為に彼が支払った金額は膨大だったのではないか?自分がその立場だったら後輩にそこまでやってあげる気がしませんでした。不意に彼の愛情に気がついてしまいました。私は子供だったと思いました。申し訳ないと思いました。謝らなければならない、感謝の気持ちを伝えなければならないと思いました。でも彼は会社も辞めて居所もわからなくなっていました。どうぞ彼が幸せでいて下さいといつも祈っています。

もしもあの頃、同性と結婚できる世の中だったら私は彼と結婚していたと思います。彼の幸せをそっと願うこともなく、今一人で寝るベットの中には彼がいて私が朝、目を醒ますと彼が「おはよう」と言ってくれる日常があったのではないかと思うのです。

November 20, 2008

白い結び目 WhiteKnot.org

カリフォルニア、ってわけではなく、アメリカでの同性婚の権利を支持しようという運動が新たな展開を見せています。

その中で、ホワイトノット運動というのが出てきました。
www.whiteknot.org
にアクセスすると詳細が書いてあります。

whiteknotad-300x250.jpgwhiteknotad-300x250-2.jpg

つまりこれ、白い結び目を作ったリボンを胸につけて、ゲイへの平等な権利を静かに支持を訴えるもの。

whiteknot.jpg

もちろんあのレッドリボンのバリエーションです。
白いリボンを結ぶってのが、「結婚」にもふさわしいでしょ。
いままさに始まろうとしている運動です。きっと、これは流行るね。
しかし、アメリカ人はこういうの考えるのうまいなあ。

作り方ですよ。

1)長さ15cm、幅2cm〜2.5cmほどの白いリボンを用意する。
2)真ん中部分で2度結びするんだけど、最初の結びをきつくすると2度目の結びで両端がそろえやすいですって。
3)両端を三角に、チョキの形に切り取る。こうするとほつれにくいし、きれい。
4)出来上がり、あとはこれを付けて外に出るだけ。

日本じゃまだだれもやってないでしょうね。
こっちでも始まったばかり。
どうぞお広めくださいな。

ハッカビーというエセ牧師

マイク・ハッカビーがね、あの、共和党の大統領選予備選の候補だった牧師上がりの政治家、前アーカンソー州知事です、「黒人とゲイとは違う」と言ってるんですね。黒人はかつて多くの者がリンチされ吊るされ殺された、と。ゲイは多くの基本的人権をすでに保障されている、と。それが黒人とは違うと。この人は、ゲイが生まれながらのものか後天的なものかはわからないと言いながら(わからないことにはおこがましくも首を突っ込むべきではないのです)、しかし何を為すかはその人の選択によるものだから、同性愛行為はその人の選んだものなのだ、という詭弁を弄しているのですね。知性というものがあるなら、この論理の破綻はすぐにわかるのだけれど、彼のターゲットとする支持者層はむしろそういう論理の瑕疵を探せる知性のないブッシュ的な人たちなものだから、すぐにこのレトリックを真に受けるのです。まあ、牧師というのはそもそもそういう詐欺的な要素がないと不可能な職業なのですけれど。

しかし、どうせ詐欺するなら、嘘でもいいから愛を説けよ、な。

最近、よく見ている朝のトーク番組「The View」からです。
3分過あたりぎから、核心部分です。

この男のレトリックというのはじつに卑劣です。「バラク・オバマはわたしの選択ではなかったが、彼は絶対にわたしの大統領だ」と口火を切った上で、オバマが選ばれたことを「この国は素晴らしい国だ、とても誇りに思う」と、自分の国家観に合わせて我田引水するのです。この国の素晴らしさは、あんた、まさにハッカビー的なものを排除した末に成し遂げられたものなんだよ、おっさん。あんたがそう言うのは違うでしょ。はあ? 自分の手柄にするなよなあ。

そうして「黒人の隔離政策を少年時代に知っている、あれはひどかった」と回顧しつつ、黒人とゲイとを比較してどう思うのかと訊いた左となりのジョーイ・ベイハーの質問に「ホモセクシュアルの人たちもすべての基本的人権を有していなければならない」と断っての冒頭紹介の理屈です。

まったくね、ハーヴィー・ミルクが暗殺され、マシュー・シェパードが磔にされ、いまも各地で有形無形のゲイバッシングが続いて人が死んでいることを、このおっさん、ホモセクシュアルたちはもっと殺されなければ黒人と同じには扱えない、とでも言いたいのでしょうか。きっと、そうなんでしょう。彼を傾聴する支持者たちの潜在意識に、確信犯としてそう訴えかけているのかもしれない。ものすごい卑劣さ、巧妙さ。

ゲイバッシングのことを口にしたジョーイに「じゃあ、クリスチャン・バッシングはどうなのか」と切り返し、これが次元の不利な展開だと気づくや「とにかく暴力はいけない」と納めるのです。

彼は現在、自分のトーク番組も持っていて(もちろんあのFoxニュースです)、この“人当たりのいい”しゃべり口とジョークの“うまさ”とで、次期大統領選に向けて始動しているわけです。今回は知名度に劣って途中で負けましたが、彼は次回の選挙では本命となって、臥薪嘗胆をねらう共和党保守派支持層の票を一手に集めるでしょう。

悪魔は、善意の顔でやってくる、という、彼がその典型的な人物です。

November 17, 2008

オルバーマン翻訳


Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast.

最後に、お伝えしていたとおり先週カリフォルニアで可決された提案8号のことについて特別コメントをします。同性カップルが結婚する権利を廃棄する、というものです。同性婚問題に関する均衡がこれで揺るがされました。全米で、です。

Some parameters, as preface. This isn't about yelling, and this isn't about politics, and this isn't really just about Prop-8. And I don't have a personal investment in this: I'm not gay, I had to strain to think of one member of even my very extended family who is, I have no personal stories of close friends or colleagues fighting the prejudice that still pervades their lives.

前置きとしてわたしの基準を言います。これはエールを送っているのでもなく、駆け引きをしようとしているのでもなく、そして本当は単に提案8号のことでもありません。わたしにはこの問題に関して個人的な思い入れもありません。わたしはゲイではないし、自分の家族親族の中にゲイがいるかと考えると、ずいぶんと範囲を広げても考え込んでしまうほどです。近しい友人や同僚たちの中に彼らの暮らしにいまも影を落とすこの偏見と闘っている者がいる、という私的なエピソードもありません。

And yet to me this vote is horrible. Horrible. Because this isn't about yelling, and this isn't about politics. This is about the human heart, and if that sounds corny, so be it.

しかし、そうではあっても、この投票はひどい。ひどすぎる。なぜならこれはエールでも駆け引きでもなく、人間の心の問題だからです。もしこの言い方が陳腐だと言うならば、そう、陳腐で結構。

If you voted for this Proposition or support those who did or the sentiment they expressed, I have some questions, because, truly, I do not understand. Why does this matter to you? What is it to you? In a time of impermanence and fly-by-night relationships, these people over here want the same chance at permanence and happiness that is your option. They don't want to deny you yours. They don't want to take anything away from you. They want what you want—a chance to be a little less alone in the world.

もしあなたがこのプロポジションに賛成票を投じたのなら、あるいは賛成した人を支持する、あるいはその人たちの表明する意見を支持するのなら、わたしはあなたに訊きたいことがある。なぜなら、ほんとうに、わたしには理解できないからです。どうしてこの問題があなたに関係あるんですか? これはあなたにとって何なんですか? 人と人との関係が長続きもせず一夜で終わってしまうような時代にあって、ここにいるこの人たちはただ、あなたたちが持っていると同じ永続性と幸福のチャンスを欲しいと思っているだけです。彼らはあなたに対し、あなたの関係を否定したいと思っているのじゃない。あなたたちからなにものかを奪い取りたいわけでもない。彼らはあなたの欲しいものと同じものを欲しいと思っているだけです。この世にあって、少しばかりでもさみしくなくいられるようなチャンスを、です。

Only now you are saying to them—no. You can't have it on these terms. Maybe something similar. If they behave. If they don't cause too much trouble. You'll even give them all the same legal rights—even as you're taking away the legal right, which they already had. A world around them, still anchored in love and marriage, and you are saying, no, you can't marry. What if somebody passed a law that said you couldn't marry?

それをあなたは彼らにこう言う──だめだ。そういう関係では結婚は許されない。ただ、行儀よくしているならば、きっと似たようなものなら。そんなに問題を起こさないなら、あるいは。そう、まったく同じ法的権利をあなたたちは彼らに与えようとさえするんでしょう。すでに彼らが持っていた法的権利を奪い取るのと引き換えに。彼らを取り巻く世界はいまも愛と結婚に重きを置くくせに、しかしあなたたちが言うのは、ダメだ、きみらは結婚できない。もしだれかがあなたは結婚できないと断じる法律を成立させたら、どういう気持ちですか?

I keep hearing this term "re-defining" marriage. If this country hadn't re-defined marriage, black people still couldn't marry white people. Sixteen states had laws on the books which made that illegal in 1967. 1967.

ずっと聞いているのは、結婚の「再定義」ということばです。もしこの国が結婚を再定義してこなかったなららば、黒人は白人といまでも結婚できていないはずです。1967年時点で、16の州がそれを違法とする成文法を持っていたんです、1967年に。

The parents of the President-Elect of the United States couldn't have married in nearly one third of the states of the country their son grew up to lead. But it's worse than that. If this country had not "re-defined" marriage, some black people still couldn't marry black people. It is one of the most overlooked and cruelest parts of our sad story of slavery. Marriages were not legally recognized, if the people were slaves. Since slaves were property, they could not legally be husband and wife, or mother and child. Their marriage vows were different: not "Until Death, Do You Part," but "Until Death or Distance, Do You Part." Marriages among slaves were not legally recognized.

この合州国の次期大統領になる人の両親は、彼らの息子がいずれこの国の指導者になろうと成長しているそのときに、この国の3分の1近くの州では結婚できなかったのです。いや、もっとひどいことがある。もしこの国が結婚を「再定義」してこなかったなら、黒人のある人々は他の黒人ともいまも結婚できていなかった。それはほとんどの人々が見逃しがちな、われわれの悲しむべき奴隷制度の歴史の最も冷酷な部分の1つです。なぜなら奴隷は所有物だったから、彼らは法的には夫にも妻にもなれなかった。あるいは母にも子供にもなれなかった。彼らの結婚の誓いは違うものだったのです。「死が汝らを分かつまで」ではなく、「死が、あるいは売り渡される距離が、汝らを分かつまで」だった。奴隷間の結婚は法的には認められていなかったのですから。

You know, just like marriages today in California are not legally recognized, if the people are gay.

そう、ちょうど、カリフォルニアの結婚が今日、もしゲイならば、法的に認められなくなったのと同じです。

And uncountable in our history are the number of men and women, forced by society into marrying the opposite sex, in sham marriages, or marriages of convenience, or just marriages of not knowing, centuries of men and women who have lived their lives in shame and unhappiness, and who have, through a lie to themselves or others, broken countless other lives, of spouses and children, all because we said a man couldn't marry another man, or a woman couldn't marry another woman. The sanctity of marriage.

われわれの歴史の中で、世間に強いられて異性と結婚したり、偽装結婚や便宜上の結婚や、あるいは自分でもゲイだと気づかないままの結婚をしてきた男女は数知れません。何世紀にもわたって、恥と不幸にまみれて生き、自分自身と他人への嘘の中でほかの人の人生を、その夫や妻や子供たちの人生を傷つけてきた男女がいるのです。それもすべては、男性は他の男性と結婚できないがため、女性が他の女性と結婚できないがためなのです。結婚の神聖さのゆえなのです。

How many marriages like that have there been and how on earth do they increase the "sanctity" of marriage rather than render the term, meaningless?

いったいそんな結婚はこれまでいくつあったのでしょうか? それで、そんな結婚がいったいどれほど結婚の「神聖さ」を高めているというのでしょうか? むしろそれは「神聖さ」をかえって無意味なものにしているのではないのか?

What is this, to you? Nobody is asking you to embrace their expression of love. But don't you, as human beings, have to embrace... that love? The world is barren enough.

これは、あなたにとって何なのですか? だれもあなたに彼らの愛情表現を信奉してくれとは言っていません。しかしその愛を、人間として、あなたは、祝福しなくてよいのですか? 世界はもうじゅうぶんに不毛なのに。

It is stacked against love, and against hope, and against those very few and precious emotions that enable us to go forward. Your marriage only stands a 50-50 chance of lasting, no matter how much you feel and how hard you work.

愛は追い込まれています。希望もまた。わたしたちを前進させてくれるあの貴重で数少ない感情が、劣勢にあるのです。あなたたちの結婚は50%の確率でしか続かない。どんなに思っていても、どんなにがんばっても。

And here are people overjoyed at the prospect of just that chance, and that work, just for the hope of having that feeling. With so much hate in the world, with so much meaningless division, and people pitted against people for no good reason, this is what your religion tells you to do? With your experience of life and this world and all its sadnesses, this is what your conscience tells you to do?

そうしてここに、その50%の見込みに、そのがんばりの可能性に、そしてその思いを持てることの希望に大喜びする人たちがいるのです。世界に蔓延する憎悪や無意味な分裂や正当な理由もなくいがみ合う人々を目にしながら、これがあなたの宗教があなたに命じた行為なのですか? これまでの人生やこの世界やそのすべての悲しみを知った上で、これがあなたの良心があなたに命じたことなのですか?

With your knowledge that life, with endless vigor, seems to tilt the playing field on which we all live, in favor of unhappiness and hate... this is what your heart tells you to do? You want to sanctify marriage? You want to honor your God and the universal love you believe he represents? Then Spread happiness—this tiny, symbolic, semantical grain of happiness—share it with all those who seek it. Quote me anything from your religious leader or book of choice telling you to stand against this. And then tell me how you can believe both that statement and another statement, another one which reads only "do unto others as you would have them do unto you."

人生というものが、むしろ不幸や憎悪の方を味方して、私たちみんなの拠って生きる平等な機会を何度も何度も揺るがしがちだと知っているくせに、それでもこれが、あなたの心があなたにこうしろと言っていることなのですか? あなたは結婚を聖なるものにしたいのでしょう? あなたはあなたの神を崇め、その神が体現するとあなたの信じる普遍的な愛というものを栄光に包みたいのでしょう? それなら、幸せを広めなさい。このささやかで、象徴的で、意義のある、一粒の幸せを広めてください。そういう幸せを求めるすべての人たちと、それを共有してはどうですか。だれか、あなたの宗教的な師でもいい、然るべき本でもよい、そんな幸せに反対せよとあなたに命じているものがあるとしたらなんでもいい、それをわたしに教えてほしい。そうして、どうしてその教えと、もう1つの教えの、両方をあなたが同時に信じていられるのかを教えてください。「自分が為してほしきものを他人に為せ」という教えです。

You are asked now, by your country, and perhaps by your creator, to stand on one side or another. You are asked now to stand, not on a question of politics, not on a question of religion, not on a question of gay or straight. You are asked now to stand, on a question of love. All you need do is stand, and let the tiny ember of love meet its own fate.

あなたはいま、あなたの国によって、そしてたぶんあなたの創造主によって、どちらかの側に立つようにと言われています。あなたは、政治の問題ではなく、宗教の問題でもなく、ゲイとかストレートとかの問題でもなく、どちらかに立つように求められているのです。何に基づいて? 愛の問題によってです。行うべきことはただ立つこと。そうしてそのささやかな愛の燃えさしが自身の定めを全うすことができるようにしてやることです。

You don't have to help it, you don't have it applaud it, you don't have to fight for it. Just don't put it out. Just don't extinguish it. Because while it may at first look like that love is between two people you don't know and you don't understand and maybe you don't even want to know. It is, in fact, the ember of your love, for your fellow person just because this is the only world we have. And the other guy counts, too.

べつにそれを手助けする必要はありません。拍手を送る必要もない。そのためにあなたが戦う必要もない。あなたはただ、その火を消さないようにしてほしい。消す必要はないのです。最初はそれは、あなたの知らない2人の人間のあいだの愛のように見えるかもしれない。あなたの理解できない、さらにはきっと知りたくもない2人の人間の愛です。しかしそうすることはあなたの、仲間の人間に対する愛の残り火なのです。なぜなら、私たちにはこの世界しかないのですから。その中でほかの人がそれをこそ頼りにしているのですから。

This is the second time in ten days I find myself concluding by turning to, of all things, the closing plea for mercy by Clarence Darrow in a murder trial.

この10日間で、こともあろうにこのコーナーを、ある殺人犯裁判での弁護人クラレンス・ダローの、慈悲を求めた言葉で閉じるのは2度目です。

But what he said, fits what is really at the heart of this:

しかし彼の言ったことは、この問題の核心にじつにふさわしい。

"I was reading last night of the aspiration of the old Persian poet, Omar-Khayyam," he told the judge. It appealed to me as the highest that I can vision. I wish it was in my heart, and I wish it was in the hearts of all: So I be written in the Book of Love; I do not care about that Book above. Erase my name, or write it as you will, So I be written in the Book of Love."

彼は裁判官に向かってこう言っています。「わたしは昨晩、昔のペルシャの詩人オマール・カイヤムの強い願いについて読んでいました」と。「それはわたしの想像しうる至高の希求としてわたしに訴えかけてきました。それがわたしの心の中にあったなら、そしてそれがすべての人々の心の中にもあったならと願わざるを得ません。彼はこう書いています;故に、我が名は愛の書物(the Book of Love)の中に刻みたまえ。あの天上の記録(Book above)のことは関知せず。我が名が消されようが、好きに書かれようが、ただしこの愛の書物の中にこそは、我が名を記したまえ」

November 12, 2008

キース・オルバーマン

MSNBCのニュースキャスターです。
翻訳してここに載せようとしたのですが、時間がなくて、まずはとにかく掲載したほうがよいと判断しました。
英語のわからない人も、彼の言いたい気持ちは伝わると思います。

自分はゲイでもなんでもないし、家族にもゲイはいないが、あのプロポジション8は、「ホリブル、ホリブル!(ひどい!)」と繰り返します。「これは人間の心の問題だ。この私の言葉が陳腐に聞こえると言うなら、陳腐に聞いていろ」と言います。そして「ゲイたちの愛が、あなたたちに何の関係があるんだ? あなたたちから何を奪うというのだ!」と続けるのです。どうしてそれを規制しようというのか、と。1967年に、アメリカでは黒人と白人の結婚できない州が16州もあった。奴隷は結婚を認められていなかった。あなたはそれと同じ不自由をゲイに強いているのだ、と言っています。

筑紫哲也が死にましたが、「少数派」を援護して来た彼なら、日本でも同じことを言ったでしょうか。
言ったかもしれませんね。勢いや情感は違うにしても。
この提案8号、日本ではあまり話題になっていないのでしょうか。

長いですが、まずは見てください。


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November 08, 2008

now he sings, now he sobs

こういう写真を見せられるとげんなりします。

喜ぶ禁止派1.jpg禁止派2.jpg

これは、カリフォルニアで同性婚を禁止する「プロポジション8(提案8号)」に対し、住民投票が賛成多数に傾いて快哉を叫ぶ人たちです。

オバマがアメリカの次期大統領に選ばれたとき、この国の黒人たちの多くが涙していました。黒人といってもみんながみんな同じ境遇にあるわけでもなく、それぞれに生活信条も態度も性格も思想も違うでしょうからいっしょくたに「黒人」という枠をはめることはできません。けれどこの夜、黒人たちは「黒人」だった。彼らに共通する「肌の色の歴史」を共有していた。それはぬぐい去れぬなにものかとして彼らのどこかにいまもあるのでしょう。その「負」が解放されて、彼らは涙したのです。

同じその日に、その制約を、その強制された「負」を、同性愛者たちはふたたび突きつけられました。当選したオバマが「黒人のアメリカもアジア系のアメリカも、ゲイのアメリカもストレートのアメリカもない。あるのはただユナイテッド(1つにまとまった)ステーツ・オブ・アメリカだ」と勝利宣言したと同じその日に、ストレートのアメリカがゲイのアメリカを否定したのです。

カリフォルニアではすでにこの4カ月半で1万8千組の同性カップルが結婚しています。彼ら/彼女たちの生活を、強奪する偏狭と非道とを、寛容と慈愛を説く宗教者たちが行いました。いまロサンゼルスでは、それを主導したモルモン教会に抗議のデモが続いています。モルモン教会は警官が警護する事態になっている。

mormonnight.jpgmormonnight2.jpg


サンフランシスコでは市庁舎の前で多くのゲイたちがキャンドルを持って集まっています。まるであの、暗殺されたハーヴィー・ミルクのあの時のように。もう、ひとのよいゲイであることはやめにしたい、と。

market_protest.jpg mrnicegay.jpg

カリフォルニア各地で、いま抗議行動の呼びかけが飛び交っています。

同性婚禁止のこのニュースを聞いて、友人の1人が言っていました。
「悲しみ、ってきっと、大きな力になるんだね。その力が何かを変えて行くことを祈ろう。」

**

この州民投票(同性婚禁止提案)に反対運動を繰り広げていた「No on Prop 8」からカリフォルニアの友人に届いた手紙を紹介します。

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Dear Colin,
親愛なるコリンへ

We had hoped never to have to write this email.
このメールを書くなんてことがなければよいと願っていました。

Sadly, fueled by misinformation, distortions and lies, millions of voters went to the polls yesterday and said YES to bigotry, YES to discrimination, YES to second-class status for same-sex couples.
悲しいことに、偽情報と歪曲と嘘によって、数百万人の投票者が昨日、投票所に行ってこの偏見に「YES」を投じました。差別に「YES」と、同性カップルを第二級市民にすることに「YES」と投じたのです。

And while the election was close, and millions of votes still remain uncounted, it has become apparent that we lost.
開票の結果は接戦でいまだ数百万の投票が数えられていなかったながらも、だんだんと私たちの敗北は明らかになってきました。

There is no question this defeat is hard.
この敗北がつらいものであることに疑いはありません。

Thousands of people have poured their talents, their time, their resources and their hearts into this struggle for freedom and this fight to have their relationships treated equally. Much has been sacrificed in this struggle.
数千もの人々が自由のためのこの苦闘に、自分たちの関係が平等に扱われるためのこの戦いに、その才能と持てる時間と持てる資金とその心とを注ぎ込んでくれました。

While we knew the odds for success were not with us, we believed Californians could be the first in the nation to defeat the injustice of discriminatory measures like Proposition 8.
たとえいま勝算は私たちにないと知ってはいても、私たちは、カリフォルニア州民がこの国で最初にプロポジション8のような差別的な措置の不正を打ち砕くはずだと信じています。

And while victory is not ours this day, we know that because of the work done here, freedom, fairness and equality will be ours someday. Just look at how far we have come in a few decades.
たとえ今日勝利は私たちのものではないにしても、私たちは、ここでなされた私たちの努力のゆえに、自由と公正と平等がいつか私たちのものになるだろうと知っています。この数十年で私たちがどこまで来たか、それを見るだけで。

Up until 1974 same-sex intimacy was a crime in California. There wasn't a single law recognizing the relationships of same-sex couples until 1984 -- passed by the Berkeley School District. San Francisco did not pass domestic-partner protections until 1990; the state of California followed in 2005. And in 2000, Proposition 22 passed with a 23% majority.
1974年まで、同性間で親愛の情を示すことはカリフォルニアでは犯罪でした。同性間カップルの関係を認知した法律は1984年まで、バークリー学校区で可決されるまで、ただの1つもありませんでした。サンフランシスコがドメスティックパートナーの保護規定を可決したのは1990年のことでした。カリフォルニア州がそれに続いたのは2005年のことです。それに2000年には、プロポジション22は23%ポイントの差をつけて可決されていました【訳注:今回のプロップ8と同様に同性婚禁止を謳った州民投票提案。当時は61.5%対38.5%で可決】。

Today, we fought to retain our right to marry and millions of Californians stood with us. Over the course of this campaign everyday Californians and their friends, neighbors and families built a civil rights campaign unequalled in California history.
今日、私たちは私たちの結婚の権利を保持するために戦い、その私たちに数百万のカリフォルニア州民が加勢してくれました。毎日このキャンペーンを続ける中、カリフォルニア州民とその友人たち隣人たちそしてその家族たちは、カリフォルニア史上比類のない公民権運動を形作っていきました。

You raised more money than anyone believed possible for an LGBT civil rights campaign.
あなたたちはLGBTの公民権運動でだれひとり可能だとは思わなかったような多額の資金を集めてくれたました。

You reached out to family and friends in record numbers -- helping hundreds of thousands of Californians understand what the LGBT civil rights struggle is really about.
あなたたちはこれまでにない数の家族や友人たちにリーチアウトしてくれました──そのことで数十万人ものカリフォルニア州民がLGBTの人権というものがほんとうはどういうものか、それを理解する助けにできたのです。

You built the largest grassroots and volunteer network that has ever been built -- a coalition that will continue to fight until all people are equal.
あなたたちはこれまでで最大の草の根ボランティアのネットワークを作り上げてくれました──それは、すべての人間が平等になるまで戦い続ける共同体です。

And you made the case to the people of California and to the rest of the world that discrimination -- in any form -- is unfair and wrong.
そしてあなたたちが、カリフォルニアの人たちに、そして世界中の人たちに、差別はいかなる形でも不正で間違いだと教えてくれたのです。

We are humbled by the courage, dignity and commitment displayed by all who fought this historic battle.
この歴史的な戦いを戦ってくれたすべての人々の勇気と誇りと献身とに身が引き締まる思いです。

Victory was not ours today. But the struggle for equality is not over.
勝利は今日は私たちのものではありませんでした。しかし平等のための戦いは終わっていません。

Because of the struggle fought here in California -- fought so incredibly well by the people in this state who love freedom and justice -- our fight for full civil rights will continue.
ここカリフォルニアで戦われたこの苦労ゆえに、自由と正義を愛するこの州の人々によって信じられないほど果敢に戦われたこの苦闘ゆえに、完全な人権を求める私たちの戦いは続くのです。

Activist and writer Anne Lamott writes, "Hope begins in the dark, the stubborn hope that if you just show up and try to do the right thing, the dawn will come. You wait and watch and work: you don't give up."
活動家で作家のアン・ラモットが次の一節を書いています。「希望は闇の中で始まる。ただ姿を見せて正しいことをしようとすれば、それだけで夜明けは来る、と思う揺るぎない希望。だから待って、見て、頑張って。諦めてはいけない」

We stand together, knowing... our dawn will come.
私たちはともにいます。私たちの夜明けはやってくると知っています。


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Dr. Delores A. Jacobs
CEO
Center Advocacy Project

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Lorri L. Jean
CEO
L.A. Gay & Lesbian Center

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Kate Kendell
Executive Director
National Center for Lesbian Rights

GK_signature_gd.gif
Geoff Kors
Executive Director
Equality California

**

わたしからも引用を1つ。
これは、あの『Queer as Folk』でデビーが言っていたことです。

Mourn Loss's Because There's Many
...Celebrate Victory Because There's Few.

喪われたものを悼め、なぜならそれは数多いから
しかし、勝利は祝え、なぜならそれは数少ないから

August 24, 2008

マシュー・ミッチャムが金メダル!

北京五輪でゲイだと公言している唯一の男子選手(オープンリーレズビアンは9人いますけどね,男はカムアウトできないんだなあ)、オーストラリアのマシュー・ミッチャム(20)が、10m高飛び込みで、圧倒的な強さを誇る中国勢の一角を崩してなんと見事に金メダルを獲得しました。
現在発売中のバディに彼のこれまでの歩みを書いていますので合わせてご笑読を。

決勝は、ものすごく劇的な展開でした。
18日の3mの飛び込みではマシューは決勝にも残らない16位だったんだけど、23日の10mの決勝には2位で乗り込んでいました。「まあ、ダメ元だと思ってリラックスして、ただこの瞬間を楽しもうと思った。メダルなんて、ぜんぜん考えてなかった」と話しています。

で、決勝の第1回ダイブは平凡なもので7点台、8点台の得点で9位でスタート。先行きが危ぶまれます。
しかし第2回の飛び込みで3回転半のサマーソルトを決めて10点満点を付けたジャッジが4人も。これで一気に2位に浮上したのです。
以後5回まで1位は中国の周がキープ。マシューは2位で0.8ポイント差で追うけれど、このままでは逆転は無理かと思われました。

ところが最終ラウンドで周が痛恨のミス。なんちゅうの、3回転半後ろ宙返り? 難易度3.4のその着水で体が曲がったのね。判定は6,7,8点台とまちまち。

ここでマシューは勝負に出ます。なんと難易度3.8と周を上回る難しい飛び込みを敢えて選び、しかもひねりも空中姿勢も完璧は着水。今度もまた4人から10点満点! これで112.10点を獲得し、周を4ポイントも追い抜いてみごと金を獲得したのです。

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これはゴールドメダルを決めたマシューの飛び込みです=NYタイムズなどから。

水から上がったマシューは得点を見て両手を突き上げて歓喜、しかしすぐに膝から落ちて泣き始めました。そうだわねえ、鬱病にもなったつらい練習からの復活だもの。恋人のラクランもマシューのお母さんといっしょにもちろんこの会場で彼を見つめていました。

mitcham2.jpg

今大会、中国は飛び込みで8つの金メダルを独占するつもりでいました。その夢が20歳のオープンリーゲイの男の子に破られた。

飛び込み選手の選手生命のピークはふつう20歳代半ばです。つまり、マシューは次のロンドンでも連覇を狙う、いやその次の16年の五輪でも登場してくるでしょう。

なんだか、関係ないけど、うれしい。
ダイビングの金は過去に20年前のソウル五輪で連覇のグレッグ・ルゲイナスがいるけれど、彼は金を取ってからのカムアウトでした。それに比べると、時代も世代も遅々としながらも確実に変わっています。うーん。感慨深いなあ。

April 22, 2008

ゲイのペンギンのカップルの絵本

次のような文章を、3年前に、いつか書くかもしれない小説かなんかの挿話として書き置いたことがあります(ってか、ずいぶんと小説、書こうという気が起きてないなあ)。その絵本を読んだいつかの幼稚園児が、いずれ時がたって次のように気づくことを願って。

 同性愛のひとのカップルをこの目で初めて見たとき、ぼくはなぜかペンギンのカップルの姿を連想をした。で、それからも彼らに会うたびにずっと二羽のペンギンの姿が頭に浮かんだ。なぜだったのか、それからしばらくしてからわかった。ずっとずっとまえ、幼稚園のときに見た絵本のせいだ。そこにはオス同士のペンギンのカップルが仲良く二羽で暮らして、捨てられた卵まで孵したっていう物語が描かれていた。

 そう思い出したとき、同性愛のひとのカップルを見たのは彼らが最初ではなかったんだと気づいた。あの幼稚園の園長先生と若先生、ナギ先生とかいったっけ、あの2人も、カップルだったんじゃなかったのかって。

 そのとき、ぼくの頭の中でなんだかいっせいに世界の見え方が変わった。吹雪の中でぴったり身を寄せて立ち尽くす、目に見えない牡ペンギンや牝ペンギンのカップルが、あちこちにいっせいに見えだしたような気がしたんだ。

そのエピソードはたしか、アメリカで次のような絵本が出版されたのに触発されて書いたもんだったんですね。
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その本は翌年2006年に、スペイン語にも翻訳された。
tango_spanish.jpg
それがいま、日本語にもなりました。

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この物語の基になってるのはじつは実話なんですね。あのころ、ニューヨークではセントラルパークの動物園やコニーアイランドの水族館でオス同士のペンギンカップルが大きなニュースになりました。まあ、自然界には、とくに鳥類には同性同士のカップルがよく見られているんですが(同性愛は反自然というテーゼはすでに科学的には破綻してるんです)、そのセントラルパークのペンギンカップル、ロイとシロが、卵によく似た石を何日も温めるので、見かねた飼育係が別に産み落とされて親ペンギンに捨てられてしまった卵を彼らの巣に入れたところ、ひな娘のタンゴが生まれたんです。「and Tango makes three」はつまり、It takes two to tango (タンゴを踊るには2人が必要)というフレーズがあるんだけど、そのタンゴを踊ったら3人になっちゃった、っていう意味なんですよね。ちょっといい話。

翻訳したのは去年の参院選に民主党から立候補した前大阪府議、尾辻かな子さんら。
出版社はポット出版。

アマゾンでも買えるよ。

http://www.amazon.co.jp/タンタンタンゴはパパふたり-ジャスティン-リチャードソン/dp/478080115X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1208797882&sr=8-1

また、東京・大阪で出版記念パーティーも予定されているようです。

◇【東京開催】━━━━━━━━━━━━━━
日時:2008年4月27日(日)17:00~19:00
会場:九州男(くすお)
   新宿区新宿2-17-1サンフラワービル3F  
   電話03-3354-5050
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇【大阪開催】━━━━━━━━━━━━━━
日時:2008年5月11日(日)15:00~17:00
会場:Village(ビレッジ)
   大阪市北区神山町14-3アド神山2F
電話 06-6365-1151
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

会費:3,000円(絵本+1ドリンクつき)
主催:尾辻かな子とレインボーネットワーク

翻訳の尾辻かな子、前田和男両氏の挨拶の他、ゲストを交えてのトークショーも予定しているらしいです。時間と興味があったらどうぞ。

February 25, 2008

オスカー、レッドリボン、同性カップル

つらつらと横でアカデミー賞授賞式をつけながら原稿書きをしていると、時折映る会場の列席者の襟元にちらほらとレッドリボンがつけられているのに気づきます。日本ではなんだかすっかり流行り廃りのなかで忘れ去られてしまっている感のあるこの赤いリボンはもちろんエイズ禍へのコミットメントを示すもので、そりゃたしかに歳末の助け合い共同募金の赤い羽根のように政治家が襟元につけて国会のTV中継で映るようにする、みたいな善意のアリバイみたいなところもあるけれど、しかしハリウッドが被ったエイズ犠牲者の多さを考えればきっと、これらの人びとにとってはけっしてアリバイ作りのための仕草ではないのだろうなと思い至るのです。

思えばアカデミー賞の授賞式はこれまでも戦争や宗教や社会問題へのハリウッドの若い世代からのメッセージの場でもありつづけてきました。たしかにみんな大した俳優や制作者ではあるんだけど、よく見れば20代とか30代とかも多くて、そんな人びとの若い正義感のほとばしりが現れてもなんら不思議ではない。で、レッドリボンをつけている人たちは80-90年代は若かったけれど、いまは決してそう若くはないなあってことにも気づくのです。

エイズが死病ではないという謂いは、1995年のカクテル療法の成功から生まれてきました。当初はそれはやっとの思いの祝辞として、あるいはエイズ差別への対抗言説として宣言されたものだったのですが、人間というものはなかなか深刻だらけでは生きられないもんで、いつしか「死病ではない」が「恐れるに足らず」と翻訳され、「べつに大したことのないこと」となって、まあ、安心して生きたいのでしょう。いま、日本ではエイズ教育はどうなっているのかなあ。政府による啓発広報はなんだかいつもダサくておざなりで、いまも続いているのだろうか。ゲイコミュニティの中では善意の若者たちがいまも懸命にいろいろな形の啓発活動を模索しているけれど、その間にも日本のHIV感染者は特に若い世代で静かに確実に増えています。だって、社会全体が騒いでいないんだもの、ゲイコミュニティだけで笛を吹いたって気分はあまり踊らない。

学校で、エイズ教育してるのかなあ。あるいは性感染症に関することも。
ずっとエイズ啓発は教育現場で地道に続けることこそがゆいいつの方法論だって言い続けているのですが、でもね、そういうものはとりもなおさず性教育のことであり、セックスのことって、よほど信頼しているひとからじゃないと真面目に聞く耳なんか持てないもんなのです。だれが尊敬もしていない先生からセックスの話題なんて聞きたいもんか。だから大変なんですよね、性教育って。それを教える人間の、人間性の全体重が測られるから。

まあ、そんなアメリカだってエラいことは言えません。こっちだって若年層のHIV感染者は増加傾向にあるんですから。

今年のオスカーは、じつは候補作で私の見たのは「ラタトゥーユ(レミーの美味しいレストラン)」と「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(クリックしたら感想ブログに飛びますよん)くらいで、あまり関心がなかったのですが、両作とも健闘して受賞してましたから(特にマリオン・コティヤールの主演女優賞はアメリカの人びとには驚きだったようです)なかなか効率の良い見方でしたね。

ところで短編ドキュメンタリーで受賞した作品「Freeheld」は不覚にも知りませんでした。ダメだなあ。

ローレル・ヘスターはニュージャージー州で25年間、警官を務めて警部補になった女性です。映画制作(2006年)の6年前からパートナーを得てともに家庭を築いてきました。パートナーはステイシー・アンドリーという女性です。ところがローレルはそこで肺がんと診断されます。ローレルの願いは、自分の死後もステイシーが自分の遺族向けの死亡見舞金を得られるようにということでした。計13,000ドル(140万円)ほどの金額はけっして以後の生活に十分な金額というものではありませんが、少なくとも2人の思い出の家を維持してゆくだけの助けにはなる。ところが、居住地のオーシャン郡の代議員会はその死亡見舞金の受給資格を否定するのです。余命6カ月のローレルとステイシーは、もはやレズビアンであることを隠すことなく公の場で戦いに出る道を選びます。

こんなに愛し合っている2人を、否定する、否定できる人間がいるということは知っています。だからこそ、この38分のドキュメンタリーは作られたのでしょう。私たちには、それを見て受け止める作業が差し出されているのです。

この訴訟が1つのきっかけとなり、ニュージャージー州では6つの郡が法律を変えて同性パートナーにも年金受給資格を与えるようになりました。そしてローレルの死後9カ月後に、ニュージャージー州は州としてシヴィルユニオン法を可決したのです。

監督のシンシア・ウエイドの受賞スピーチです。

彼女自身はヘテロセクシュアルの既婚女性です。でも、スピーチでは「結婚している女性としての私は直面することのない差別に、この国の同性カップルが直面している」として、この映画をローレル・ヘスターの生前の遺言だと紹介しています。会場にはもちろんステイシーもやってきていたんですね。

今回のオスカーでも受賞コメントでのさりげないカムアウトがいくつかありました。ビデオを撮ってなかったので正確に確認できないのだけれど、作品賞も取った「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」のプロデューサーは、ステージ上で感謝する相手として最後に自分のパートナーとして「ジョン・なんとか」って名前を出し「ハニー」と呼びかけたのだけれど、「ジョン」だったのか「ジョーン」だったのか。なにせながら族でしたのでちょっといまは確認できず。
(確認しました。そのプロデューサーはスコット・ルーディンScott Rudinで、たしかにパートナーのジョンに向けて最後の最後にどさくさ紛れで「ハニー」って叫んでました。うふふ、よかったねスコットちゃん)

司会のジョン・スチュワートはゲイジョークとして楽屋裏で受賞した喜びでオスカー像同士をキスさせようとしている受賞者同士の会話を紹介してました。「でも、オスカーって男性よ」と1人。「そうね、でも、ここはハリウッドだから」と相手が言っていた、というもんです。ま、ネタでしょうけどね。

そうやって今年のオスカーも終わりました。地味目でしたね。
恒例の鬼籍に入った映画関係者の映像の最後に、ヒース・レッジャーが映りました。
なんだか胸が詰まりました。
でも例年になく、一人一人の映像が短かったような気がします。
で、ブラッド・レンフロがこの追悼映像リストになかったのは、どうしてでしょうね。忘れられちゃったんだろうかなあ。

February 20, 2008

最高裁は失礼だ

ロバート・メイプルソープの写真集が「猥褻ではない」とのお墨付きを日本の最高裁からいただいて、そりゃそうだ当然だと反応するのはちょっと違うんでないかいと思います。

以下、朝日・コムから


男性器映る写真集「わいせつでない」 最高裁判決
2008年02月19日11時09分

 米国の写真家、ロバート・メイプルソープ氏(故人)の写真集について「男性器のアップの写真などが含まれており、わいせつ物にあたる」と輸入を禁じたのは違法だとして、出版元の社長が禁止処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の上告審判決が19日あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「写真集は芸術的観点で構成されており、全体としてみれば社会通念に照らして風俗を害さない」とわいせつ性を否定。請求を退けた二審・東京高裁判決を破棄し、輸入禁止処分を取り消した。

 同じ作品を含む同氏の別の写真集について、最高裁は99年に「わいせつ物にあたる」として輸入禁止処分は妥当と判断していた。今回の判断には、わいせつをめぐる社会の価値観が変化したことが影響しているとみられる。

 堀籠幸男裁判官は「男女を問わず性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。多数意見は写真集の芸術性を重く見過ぎている」との反対意見を述べた。

 訴訟を起こしていたのは東京都内の映画配給会社「アップリンク」の浅井隆社長(52)。99年に浅井さんがこの写真集を持って米国から帰国した際、成田空港の税関から関税定率法で輸入が禁じられた「風俗を害すべき書籍、図画」にあたるとされ、没収された。

 写真集は384ページに男性ヌードや花、肖像など261作品を収録。税関はこのうち計19ページに掲載され、男性の性器を強調したモノクロの18作品を「わいせつ」とした。

 この判断に対し、02年1月の一審・東京地裁判決は「芸術的な書籍として国内で流通している」と処分を取り消し、70万円の賠償を国に命じた。しかし、03年3月の二審・東京高裁判決は「健全な社会通念に照らすとわいせつだ」として原告の逆転敗訴としていた。

 第三小法廷は(1)メイプルソープ氏は現代美術の第一人者として高い評価を得ている(2)写真芸術に高い関心を持つ者の購読を想定し、主要な作品を集めて全体像を概観している(3)性器が映る写真の占める比重は相当に低い——などと指摘。作品の性的な刺激は緩和されており、写真集全体として風俗を害さないと結論づけた。

****

うーむ、アップリンクの浅井さんは、じつはこれを裁判を起こそうと思って仕組んだのですね。わざと国内での5年もの販売実績を作り、この写真集が公序良俗を紊乱していないという土台を築いてから外国に持ち出して再度入国した際にこれを摘発させるという手の込んだ作戦を練っていた。これは見事です。ですから、政治的にはこの最高裁の判断を導いた浅井さんには「でかした!」の賛辞を贈るにやぶさかではありません。

そのうえで、でも、本来は猥褻とはどういうものなのか、という点も浅井さんはわかっていらっしゃると思います。国家権力が定義するなんて、しゃらくせえ、って思ってらっしゃるわけだ。だから、これはあくまでも社会的な価値判断の変革を形にするための戦略的権謀術数なわけで。

では本質的にはどういうことなのか。
メイプルソープが、男性器とともに、どうしてああも多くの花の写真を撮ったか、というのは、それは美しいからです。
でも、花がどうして美しいのか?
それはあれが性器だからです。そう、最高裁まで争った人間の男性器と同じものなのですね。
あんなに卑猥な写真集はありません。まさに堀籠幸男裁判官がいうように「おしべめしべを問わず性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。写真集の芸術性に誤魔化されてはいけない」のです。

ですからあれは、猥褻なものをそのまま提示して美しいと感じさせているのです。
メイプルソープは、猥褻なものを提示して、猥褻って、なんて美しいんだっていっているのです。
それを、「猥褻ではない」って、本来は、最高裁はじつに失礼じゃないか、ってことです。

メイプルソープは、花と同様に、男性器を猥褻で美しいと思った(あるいはその逆の順番か)。その美しさはもちろん彼のセクシュアリティに結びついている美しさの感覚です。もっといえば人間であることに関係する美への感覚です(犬は人間の性器を美しいとは思わないでしょうし)。さらによくある70年代的言い方でいえば、彼は己の猥褻さへの欲望を解放しようとした。彼の写真を見ていれば、いまにも彼があの男性器に触れたい頬ずりしたいキスしたい口に含みたい、でもその代わりに写真に撮った、他人と共有したというのが伝わってきます。一見無機質にも思えるあの黒い男性器の鉱物のような銀粉のような輝きを、彼がまんじりと視姦しているのがわかるのです。それは花への視線と同じです。

じつは、花が性器だと気づいたのは、不覚にも私も、大昔にメイプルソープの写真集を目にしてからでした。ほんと、ありゃ、思わずあちゃーとかひえーとか呻いてしまいそうな、ときには赤面するほどいやらしくもすごい写真集ですものね。一部をご覧あれ

そうですよ、みなさん。

「何かご趣味は?」
「ええ、ちょっとお花を」
「あら、まあ……」

爾来、上記の会話の意味は、私にとって永遠に変わってしまったわけです。
蘭を集めております、とか、よくもまあ羞ずかしげもなく公言できるもんだ、と。
少しは赤面しながらおっしゃいなさいな、と。

卑猥とは何か、猥褻とは何か。
劣情を刺激するものでしょうかね。
劣情という言葉自体、価値観の入ったものだからわけわかんないですけど。

むかしね、「エマニエル夫人」って映画あったでしょ。高校か大学時代だったよなあ、あれ。
ボカシがかかるでしょ。あのボカシほど劣情を刺激するものはありません。いったい何が映っているのか、気になって気になって妄想がふくれます。ああ、そうだ、あの「時計じかけのオレンジ」もそうでした。ボカシが気になって、性ホルモン横溢の、脳にまで精液が回ってるような年齢でしたからね、もうおくびにも出さなかったが悶々と妄想を重ねていた時期ですね。

で、仕事でハワイに行ったときにヒマ見つけて当時まだあったタワーレコードでビデオを買ったんですよ、昔年の妄想を解決するために。

そうして見てみた。
ああ、オレはこんなものに欲情していたんだ、って、もう、ほんと、がっかりするような、なさけないようなものしか映ってませんでした。オレの青春を返せ、ってな感じです。

何だったんでしょう、あの「劣情」は。
ボカシは、罪だと思います。健全な欲望を、淫らにひねりまくります。
もちろん、罪もまたちょっとソソルものでもあるのですがね。はは。

何の話でしたっけ?
ま、そういうこってすわ。
失礼しました。

October 30, 2007

時野谷浩というアホ

ひさしぶりにとんでもないタワケを見つけました。

時野谷浩.jpg

こいつは何者なのでしょう?
しかし、こんな記事を載せるゲンダイネット(って日刊ゲンダイ?)ってどういうタブロイド紙に成り下がったのかしら?

まずは以下をゲンダイネットから引用しましょう。

**
おネエキャラ“全員集合”はメシ時に放送する番組か
2007年10月29日10時00分

 23日に注目の「超未来型カリスマSHOW おネエ★MANS」(日本テレビ、火曜夜7時〜)がスタートした。昨年10月から土曜日の夕方に放送され、今月からゴールデンタイムに格上げされた全国ネットのバラエティーだ。

 番組の内容はタイトル通りで、“おネエ”言葉を話すおかまキャラの出演者が大騒ぎするというもの。レギュラーはIKKO(美容)、假屋崎省吾(華道)、植松晃士(ファッション)ら9人。

 23日の放送で特に目立っていたのはIKKOで、胸がはだけた黒いドレスを着て、ハイテンションで「どんだけ〜」を連発していた。視聴率は11.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。これを世帯数にすると関東だけで200万世帯近くが見た計算になる。

 東海大教授の時野谷浩氏(メディア効果理論)がこう言う。
「私は番組の冒頭を見て、夕食時に見る番組としてふさわしくないと判断したので、チャンネルを変えました。アメリカでは、不快に思う人に配慮してホモセクシュアルの男性をめったにテレビに出演させないし、もし登場させるとしても、ノースリーブの衣装は着させないなどの工夫を凝らします。日本のテレビ局にもそういった配慮が必要だと思います。特にゴールデンタイムは子供もテレビを見るし、夕食をとる人が多い時間帯だからなおさらです」

 メシがまずくなる。それが問題というわけだ。

***

>アメリカでは、不快に思う人に配慮してホモセクシュアルの男性をめったにテレビに出演させない

どこのアメリカなのでしょう?
すくなくとも私の住んでいるアメリカではホモセクシュアルの男性はかなりの番組で、ネタかとも思えるほどに出ているんですが……。

と思いながら再読すると(再読なんかに値するようなテキストではないのですが)

>もし登場させるとしても、ノースリーブの衣装は着させないなどの工夫を凝らします

あ〜、わかった、こいつ、ドラァグクイーンのことを「ホモセクシュアルの男性」だといってるんだ!
ひえー。いまどき珍しい、すげえアナクロ。
ドラァグクイーンというのはトランスヴェスタイトの商売版みたいなもんで、いわゆる女装しているプロたちですね。こういう基礎的なことも誤解しているようなひとを、東海大学はよう雇い入れてますな。

この時野谷、じつは先日も産経にこんなコメントを寄せていました。
記事はゲンダイネットのそれとじつは同じネタです。ふーむ。おもしろいねえ。

***
性差を超えたエンタメ人気 社会モラル崩壊の象徴?
2007.10.7 21:50

 性差を超えたエンターテインメントが世界的なブームだ。日本では中性的な男性タレントが大挙して出演するテレビ番組や、女性歌手のヒット曲を男性歌手がカバーした企画盤が人気を獲得。米ハリウッドでは男優が太った中年女性、女優が男性ロック歌手を演じ話題だが、「テレビ文化がけじめなき社会を作り上げた証明」と批判する専門家もいる。(岡田敏一)

 流行語「どんだけ〜」の生みの親で知られる美容界のカリスマ、IKKOさんや、華道家、假屋崎省吾さんら大勢の中性的な男性タレントが、最新ファッションや美容、グルメ情報などを紹介する日本テレビ系のバラエティ番組「超未来型カリスマSHOW おネエ★MANS」。

 昨年10月から毎週土曜日の午後5時半から約30分間放映しているが、「普通、女性ファッション誌によるテレビ番組の取材は皆無なのに、この番組には取材が殺到しました」と日本テレビ。

 夕方の放送にも関わらず若い女性の支持を獲得し、今月末から放送日時が毎週火曜の午後7時から約1時間と、ゴールデンタイムに格上げ、全国ネットに登場する。

 音楽の世界では、ベテラン男性歌手、徳永英明さんが、小林明子さんの「恋におちて」や、松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」といった有名女性歌手のヒット曲をカバーした「VOCALIST(ボーカリスト)」のシリーズが人気だ。

 男性歌手が女性歌手の楽曲に真正面から挑むという業界初の試みだが、平成17年9月の第1弾以来、毎年ほぼ同時期に発売。今回の第3弾(8月発売)までの売り上げ累計は計約150万枚。

 発売元であるユニバーサルミュージックの邦楽部門のひとつ、ユニバーサルシグマでは「主要購買層は20代から30代の女性ですが、予想以上の売り上げ」と説明する。

 ハリウッドでは「サタデー・ナイト・フィーバー」などでおなじみのスター、ジョン・トラボルタが、人気ミュージカルの映画化「ヘアスプレー」(日本公開20日)で特殊メイクで太った中年女性を熱演。

 また、ヒース・レジャーやリチャード・ギアら6人の俳優が米ロック歌手ボブ・ディランを演じ分けるディランの伝記映画「アイム・ノット・ゼア」(米公開11月)では、オスカー女優ケイト・ブランシェットが男装し、エレキギターを抱えて1960年代中期のディランを演じる。

 こうしたブームについて、松浦亜弥さんのものまねなどで人気のタレント、前田健さんは「歌舞伎や宝塚歌劇のように日本では男が女を演じる文化があるが、最近のブームは女性受けを狙ったもの。今の芸能界では女性の人気を獲得しなければスターになれないですから」と分析する。

 一方、メディアの変遷などに詳しい東海大学文学部広報メディア学科の時野谷浩(ときのや・ひろし)教授は「テレビの登場以前は社会のモラルが明確だった。男は男らしく、女は女らしかった。そのけじめを壊したのがテレビ文化。社会秩序を破壊している」と批判的に見ている。

****

もう、いかがなもんでしょうと問うのもバカ臭くなるような情けない作文です。

岡田というこの記者はたしかロサンゼルスでオスカーを取材したりしていた芸能記者だったはずです。ブロークバック・マウンテンとクラッシュのときのオスカーの授賞式(2005年?)ではもちょっとまともなことを書いていたように記憶していますが、なんでまたこんな雑な記事を書くようになってしまったんでしょう。いずれにしても東京に帰ったんですね。

だいたい、日本では徳永以前から演歌界では女歌を男が歌うというジェンダーベンディングの伝統があって、それはまあ、歌舞伎から続く男社会の伝統とも関係するのですが、そういうのをぜんぶホッカムリしてこういう作文を書く。大学生の論文だってこれでは不可だ。

いやいや、時野谷なるキョージュの話でした。

>テレビの登場以前は社会のモラルが明確だった。男は男らしく、女は女らしかった。そのけじめを壊したのがテレビ文化。

口から出任せ?
こいつ、ほんとに博士号を持ってるんでしょうか?
恥ずかしいとかいう以前の話。
反論の気すら殺がれるようなアホ。
どういう歴史認識なのでしょうねえ。

テレビの登場以前は、云々、と書き連ねるのも野暮です。ってか、なんで小学生に教えてやるようなことをここで書かねばならないのか、ま、いいわね、どうでも。

しかし、いま私がここで問題にしたいのは、じつはこの時野谷なる人物が、同じ論調の、同じネタで同じように登場してきたというその奇妙さです。もちろん同じネタとコメンテーターのたらい回しという安いメディアの経済学というのは存在します。でも、あまりにも露骨に同じでしょう、上記の2つは?

同じ論調、同じバカ、ってことで思い出したのは、あの、都城や八女市での男女共同参画ジェンダーフリーバッシングのことです。これ、似てませんか? 後ろに統一教会、勝共連合でもいるんでしょうかね。時野谷ってのも、その子飼いですかな。しかし、それにしてもタマが悪いやね。

<参考>
安倍晋三と都城がどう関係するか

October 11, 2007

出たか、妖怪!

毎日新聞.jpから抜粋
つまり、レゲエ音楽の流れるCMにIKKOというオネエ(TG? TV?)キャラが出てるのがとんでもないって、レゲエファンがマツリをしたって話ですわ。
西村綾乃記者、よくこのネタを見つけたね。面白い。(ちょっと文章が回りくどくてわかりづらいけど)

MINMI:楽曲提供CMにIKKO出演でバッシング ブログで反論

MINMIさん
 人気レゲエグループ「湘南乃風」の若旦那さん(31)との子供を妊娠中で、12月に出産を控えているソカシンガーのMINMIさん(32)が楽曲提供した化粧品のCMに、美容研究家のIKKOさん(45)が出演していることが、一部のレゲエファンの間で異論を呼び、MINMIさんの公式ブログの使用が一部制限される騒ぎになっている。

 CMは、8月から放送された美禅の「トリートメント・リップ・グロッシー」で、7月に発表したシングル「シャナナ☆」に収録した「MY SONG」が起用されている。だが、MINMIさんが歌う「ソカ」という音楽のルーツとなるレゲエ音楽では、同性愛を認めないというルールがあると解釈している人もおり、ソカシンガーとして世界からも注目されているMINMIさんの楽曲が使用されたCMに、“おねえキャラ”として人気を集めているIKKOさんが出演していることに対し反発した人たちが、MINMIさんのブログに中傷の書き込みを続けたという。そのため、ブログの書き込み機能を制限している。

 MINMIさんは、3日のブログで「CMを創ってる“美禅さん”が曲を気に入ってくれてmy song を使ってくれた。ギャラも発生してないし、出演者のキャスティング、内容とかは、もちろん向こうの制作の方やスタッフが決めて、私の仕事のはんちゅう じゃない」と再反論。続けて「もっと日本の今の社会で戦う相手考えたり訴えたりする事があると思う。勇気をもって、自分に正直でいるっこんなタフさとリアルさが私にとってのレゲエ。魂なんか全く売る気ないよ」とつづっている。

 MINMIさんは、02年8月、50万枚を売り上げたシングル「The Perfect Vision」でデビュー。ソカアーティストとして楽曲制作・提供のほか、イベントプロデュースなど幅広く活動している。【西村綾乃】

ソカはたしかに、ってかジャマイカそのものが土着宗教的にアンチゲイだし、元をただせばアフリカ諸国がそうだからしょうがない(ってわけじゃねえが)。つまりアンチゲイだから唄もそうなるってことです。
それを、日本のこのホモフォウブたちゃ唄とかミュジシャンがそうだからアンチゲイになるって、そりゃあまりに安易に主客転倒じゃねえの、ったく。頭使って考えろよなあ。それ、モジャモジャにするためにくっついてんじゃないんだってえの。

先日、産經新聞にもおバカなジェンダー境界曖昧バッシング作文記事が載ってたようだけど、ほんと、どーしてくれよう。

それにしてもこのMINMIさんとやらのコメントも、前半は及び腰ながら(ってかそれが事実だってことでしょうが)後半は意味やや日本語になってないがなかなか立派。

「もっと日本の今の社会で戦う相手考えたり訴えたりする事があると思う。勇気をもって、自分に正直でいるっこんなタフさとリアルさが私にとってのレゲエ。魂なんか全く売る気ないよ」
=翻訳=
「あんたら、そんなくだらんこと言ってるひまあったら、もっと戦うべき相手や訴えるべき事がこの日本社会の中にはたくさんあるでしょ。それを考えれや、なあ。IKKOがどうだとかは知らんけど、自分に正直でいるってすごい勇気だし、そういうタフさとリアルさとがわたしにとってレゲエから学んだもんだい。そのスピリッツを、あんたらがこのブログサイトを祭ったくらいで、あたしゃぜったいに手放したりはしないよ、あほ!」ってことですわね。

応援コメントは次の彼女のブログ・サイトからどんぞ。
http://blog.excite.co.jp/minmiblog/
って書いてから、上記ブログ、コメント制限してる事に気づきました。失礼。
どうにか、でも、彼女に応援コメントを伝えたいね。

それと、その化粧品メーカーのサイトはどうなんでしょ。
こりゃきっと、そのファッショ・ラスタファ連中がアンチゲイメールを殺到させてるかもしれない。
そうなったら、マジ、これはバカのたわ言じゃなくなるわ。

September 25, 2007

安逸を求める

イランのアフマディネジャドが国連総会出席でNYに来ています。
今日の午後にはコロンビア大学で講演を行いました。
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もちろんQ&Aの時間が設けられていて、聴衆の1人はイランにおけるゲイの人権と死刑執行について質問しました。これに対して彼は性的指向の観点はまったく無視して米国でも死刑制度があることを指摘して直接の回答を回避しました。しかし司会役の学務部長はさらに回答を促しました。その結果の彼の返答はこうです。

「イランにはあなたの国とちがってホモセクシュアルたちはいません。私たちの国にはそういうのはないのです。イランには、そうした現象はない。私たちの国にもあるのだと、だれがあなたに言ったのか知りませんが」

アフマディネジャドはもちろん聴衆から失笑とブーイングを浴びました。まあ、彼の言いたかったことは、「われわれはホモセクシュアルたちを殺しているからイランにはそういうのはなくなっているのだ」ということだったのでしょう。2年前の2005年7月に行われた少年2人の絞首刑を、私たちは忘れてはいません。
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宗教というのは、答えの用意されている教科書です。巻末を見れば練習問題の答が書いてあるから、それを憶えればいちばん手っ取り早いし神様・お坊さま・司祭さまにも誉められる。それでめでたいので自分で考える必要などありません。はたまた質問そのものの正当性、さらには答えの真偽を疑うということもありません。なぜなら、それは「信じる」ことをすべての基本においているからです。「信じる」は「疑う」の対義語です。そうして「疑う」は「考える」の同意語です。宗教に「なぜ?」は必要ない。むしろ、邪魔で、いけないことです。

なぜ? と考えずに済む人生は、なんと安逸なものでしょうか。もっとも、宗教的生活を送っている人たちも、誠実であればあるほど宗教的回答を突き超えて必ず「なぜ」を考えてしまうものですが。

その辺のことは2005/02/22の「生きよ、堕ちよ」でも書いていますが、思えば、日本語訳ではいまいちその過激さが伝わっていないジョン・レノンの「イマジン」も、じつはすごい宗教否定の歌なのです。多くの戦争の背景に宗教があるということがわかりきっているとして、頭の上には天国なんてない、ぼくらの下にも地獄なんてないんだ、と宗教的迷妄を唾棄して歌は始まるのです。レノンにはもう1つ、「God」というすごい歌があって(というかそのままなんですけど)、そこでははっきり「神なんか、自分の痛みを測るためのメジャーでしかない」と宣言しているんですよね。

しかしアフマディネジャドなるものに対抗するには、どうすればいいのでしょう。
憎悪と嫌悪にまみれた、聖という名の邪悪。
しかも、われわれには憎悪と嫌悪という武器はないのです。手ぶらで、丸腰で、身1つで、戦わねばならない。こまったもんです。

September 21, 2007

強きもの、その名は親

カリフォルニア州サンディエゴ市の市議会が19日、同性婚を禁止しているカリフォルニア州に対して、州最高裁判所がそれを違憲として覆すようにと求める決議を採択しました。まあ、それはよくあることで、それにカリフォルニア州は今月初めに州上院が賛成22反対15で同性婚法案を可決し、それにシュワルツェネッガー知事がまたまた拒否権を発動の構えという状況がつづく場所でもあって、米国における同性結婚問題の最前線でもあるのですが、今日のお話はそれをふまえて、じつは、そのサンディエゴ市長(共和党)が、その市議会の決議にやはり拒否権を発動すると思われていたところ、それをしないばかりか驚きの声明を会見で明らかにしたというお話です。

市長さんは共和党所属の人ですんでもちろん同性婚には反対の立場で、でもカリフォルニア州という土地柄もあってその代わりに「シビル・ユニオン」制度の導入をしようという立場の人でした。

昨晩の記者会見に出てきた市長はこう言いました。

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「Two years ago, I believed that civil unions were a fair alternative. Those beliefs, in my case, have since changed. The concept of a 'separate but equal' institution is not something that I can support.」
(2年前、私はシビルユニオンなら公正な別オプションだと信じていた。そうした信念はしかし私の場合、変わった。「別物の、しかし平等ではある」制度という考えは、私が支持できるものではない)

ん? どういう意味? シビルユニオンじゃなく、結婚じゃないと公正じゃないってこと?

そうなんです。
理由は?
サンダーズ市長の娘さん、リサさん(上記写真中央)、レズビアンなんですね。で、そのことを4年前に父親に打ち明けた。自分には大切な女性がいるとも。そうして、お父さんはずっとそのことを考えてきたんでしょう、「もうこれ以上、私にはこの国ですべての人に与えられている権利を彼女には認めないというわけにはいかなくなった」という結論に達したわけです。

市長さん、続けて曰く、「とどのつまり、私には彼ら彼女らの顔を見て、きみらの関係は、そしてきみらのまさに人生それ自体も、私が私の妻ラナと分かち合っているこの結婚と比べて無意味なものだとはとても言えるもんじゃないということだ」

サンダーズ市長は、この決定に当たって「ゲイである自分の友人たちやスタッフたちのことを考えた」といいます。

「I just could not bring myself to tell an entire group of our community they were less important, less worthy or less deserving of the rights and responsibilities of marriage than anyone else, simply because of their sexual orientation...I want for them the same thing that we all want for our loved ones. For each of them to find a mate, whom they love deeply and who loves them back. Someone who they can grow old together and share life's experiences.」
(我々のこのコミュニティのグループ全体に、彼らの重要性、彼らの価値、彼らの権利適性、彼らの結婚への責任感が、ただその性的指向を理由に、他の誰彼と比べて劣るものだとは、私にはどうしても言えなかった……私は、私たちのすべてが私たちの愛する者のために欲するのと同じものを彼らが得られるように求める。それは彼らが、深く愛し、同じように愛を返してくれる伴侶を見つけられるということだ。彼らがともに年を重ね、ともに人生の経験を重ねられるようなだれかを得られるということだ)

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サンダーズさん、共和党ってだけじゃなく、元は警察署長だった人だそうです。

子を思う親の気持ちってのは強いなあ。
福岡の、あの飲酒運転で3人の子供を失ったあの若いお父さんお母さんの思いも。
少年に、妻と子を殺された山口県光の旦那さんも。

August 26, 2007

転載;署名のお願い

現在イギリスに住むイラン人女性、ペガー・エマンバクシュさんは、レズビアンであることをカムアウトしている方です。パートナーが逮捕、拷問、死刑に処せられてから本国を脱出し、2005年にイギリスで難民申請を行いましたが却下され、あさって火曜日にイランに強制送還されることになりました。

イランは同性同士の性交渉を罰するいわゆるソドミー法があり、送還されればむち打ちと投石の刑を受けます。事実上の死刑です。

現在、強制送還に反対し、恩情的にイギリスに滞在する権利をペガーさんに与えるよう、世界的な署名活動が行われています。その呼び掛けが私のところにも来ました。

以下、転載します。

**

3分あれば出来るアクションです。
レズビアンがイランへ強制送還=鞭打たれて死刑、という事態をとめるためのネット署名(英語)はこちらから。
1分あればすぐ出来ます。
http://www.petitiononline.com/pegah/petition-sign.html

お願いします!!

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
 【緊急コクチ】
 たくさんの方々にひろめてください。
 28日火曜日まで目が離せません。
 
 ーー以下記事要約/転送歓迎ーー

ペガー・エマンバシュクさん、イラン人女性、40歳。2005年にイランを脱出し、イギリスで難民申請をしたが、それが認められずにあと数日で故郷のイランに強制送還されようとしている。彼女は、レズビアン。レズビアンであるということは、イスラム法の下、イランでは死を意味する。石打ちの刑に処されることもある。

殺される確率が高いとわかっていて、彼女をこのまま強制送還させていいのか。国際難民法の述べる難民の定義を引用するが、「…人種、宗教、国籍もしくは 特定の社会的集団の構成員であるということ又は政治的意見を理由に迫害をうけるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる 者」(難民条約第1条)とは、彼女のことではないのか。

彼女の強制送還は、国による殺人である。これは許しがたい犯罪であり、人命の冒涜だ。国際社会は黙って見すごしていけない。ペガーさんのために一人一人のアクションを求めたい。

【英語サイト】
インディーメディア:
http://www.indymedia.org.uk/en/2007/08/379580.html

シェフィールドのメディア:
http://www.indymedia.org.uk/en/regions/sheffield/2007/08/378415.html

ネット署名(英語):
http://www.petitiononline.com/pegah/petition-sign.html


【日本語訳ブログ】:
http://pega-must-stay.cocolog-nifty.com/blog/

※記事は刻一刻と更新されて、新しい記事が出ていますので、トップから別の記事も見られます

July 28, 2007

転載「最後のお願い」

日本では、投票日はもう明日ですか。

選挙のことを書くと、「こういうのは選挙違反になる」「自分のブログに特定候補の応援を公然と書いている。公選法で逮捕されてしまえ」という、いったい、こいつは全体主義の標榜者かというようなとんちんかんを書き連ねる輩が最近、とても増えているような気がします。まあ、ウェブサイトの発信の容易性の為せる業なんでしょうが、どうしてこういう、自分で自分の首を絞めるのが好きな連中がいるんだろうなあ。気づいていないんでしょうね。

基本は、個人の名の下に、自由にものが話せる、意見を述べられる。これが近代社会の基本です。だから憲法でも保障されている。それが許されないなら、そういう公選法の方が悪いのです(ってか、今の日本の公選法はそうはなっていないですから問題ないんですけどね)。

さて、私のところに、「最後のお願い」と題した次のようなメールが届きました。
なるほど、とても切実な思いが綴られています。
こういうきちんとしたことを、若い連中が書いてくれるんだなあ。
うれしいなあ。
ということで、ここに転載します。読んでみてやってください。

***

「世界が100人の村だったら」にはこう書かれています。
 異性愛者は89人います。
 同性愛者は11人います。

 日本にそんなに同性愛者がいるでしょうか?
 誰にもわかりません。
 少なくとも100人のうち3人か4人はいるだろう…とは言われています。
「いない」のではなく、きっと「見えない」のです。「ここにいるよ」と言うことができないのです。

 アフリカのある国の大統領はこう言いました。
「我が国には同性愛者などいない。いるとしたら、よその国に出て行ってくれ」
 そして、いまだに同性愛者だというだけで死刑になる国が世界に9つもあります。

 日本に生まれた同性愛者たちは、そうした国々に比べたらしあわせなのでしょう。
 でも、本当に私たちはしあわせでしょうか?

 思い出してください。
 あなたの周りで、今までにどれだけのゲイやレズビアンの友達が亡くなりましたか?
 日本でいちばん多い死因は、ガンや心筋梗塞です。
 でも、私たちの周りの友人たちは、同性愛者として生きて行ける自信がなくなって自殺してしまったり、エイズを発症したり、そうやって亡くなっていく方がなんと多かったことか…

 日本は先進国一の自殺大国ですが、それでも年間に自殺で亡くなるのは100人あたり0.024人です。
 今年の3月、ゲイの学生さんが自殺で亡くなりました。夢を抱いて生きてるはずの学生さんが…胸が痛みます。
 今もなんと多くの方が、未来に希望が持てず、命を絶っていることでしょう。
 日本は、私たちの社会は、まだまだ同性愛者が生きやすいとはとても言いがたいのではないでしょうか。

 今は陽気に(GAY)暮らしている私たち。でも、どんなに純粋にパートナーを愛し、長年いっしょに暮らしていても、法律上はただの「友人」ですから、扶養控除もありません。何十年か後、もしパートナーが重病で入院したとき、親族として扱ってくれないばかりか、面会すらさせてもらえないかもしれません。万が一パートナーが亡くなったとき、私たちはお葬式に出られるでしょうか? いっしょに住んでる家を追い出されたり、二人で買った家具などを親戚に持って行かれたりしないでしょうか? 生命保険を受け取れるでしょうか?
 私たちは日々、一生懸命働き、税金を収め、社会に貢献しています。にも関わらず、異性愛者が当然のように行使している権利を、何一つ与えられていないのです。

 70年代の東郷健さん以来、国政の場に出ようとするオープンな同性愛者はいませんでした。
 ようやく今、勇気と明るさと行動的な魅力を持ったレズビアンの政治家が現れました。彼女は、民主党の公認を得て参議院比例区に立候補するやいなや、日本中を席巻し、連日メディアをにぎわせ、同性結婚式を挙げ、同性愛者のイメージを「ケ」から「ハレ」へとSWITCHしてきました。まるでジャンヌダルクのように。なんと晴れやかで美しい革命でしょう!

 もし、彼女が当選したら、
 同性愛者として生きる意味を見出せなかった全国の同性愛者たちの希望の星となるでしょう。自分のセクシュアリティを呪い、自暴自棄になったり、命を失ったりという悲劇が繰り返されることはもうなくなるでしょう。

 もし、彼女が当選したら、
 私たちが胸を張って、プライドをもって同性愛者として生きていける時代が訪れるでしょう。街中で手をつなぎ、堂々とデートできるでしょう。

 もし、彼女が当選したら、
 同性婚(または同性パートナーシップ法)が遠からず実現するでしょう。性同一性障害特例法が誰も予想しなかったスピードで通ったように。

 もし、彼女が当選したら、
 HIV予防や陽性者支援に対する国家予算がやっと欧米並みになるでしょう(今は何十分の一くらいです)。今でも年に100人以上亡くなっているエイズ患者(異性愛者、同性愛者ともにです)の方もの命を救うだけでなく、HIV陽性者の方々がもっと生き生きと暮らせるようになるでしょう。

 もし、彼女が当選しなかったら…
 何も変わりません。
 それどころか、
 安倍晋三は「ジェンダーという言葉は使わないほうがいい」と発言するほどのバックラッシュの旗手であり、教科書から同性カップルに関する記述を削除し、そうやって「美しい国=正しい家族像」を作ろうとしています。
 状況は悪くなる一方でしょう。

 もし、彼女が当選しなかったら…
 政治家だけでなく国全体が「同性愛者は政治的な力を持っていない」と思うことでしょう。
 民主党も二度と同性愛者の候補を公認しないでしょう。
 この先、同性愛者の国会議員が実現するために、また30年もの時間を要するかもしれません。

 志半ばにして逝った、天国にいる私たちの仲間たちの無念さを、どうか忘れないでください。
 今、この瞬間、心重ねて、私たちが彼女を応援すること。
お盆に東京で開催されるパレードやレインボー祭りで同性愛者の国会議員の笑顔が全国の仲間たちを勇気づけること。
 それが、亡くなった友人や恋人たちへの供養になるでしょう。
 私たちはみんな遺族です。
 心にそれぞれの遺影を掲げて、この夏、私たちの手で、歴史を変えましょう。

July 25, 2007

尾辻かな子

レズビアンを公言して民主党の比例代表区から立候補している尾辻かな子に対して、「性癖を誇るな」と題して、ネット上で厳しく非難しているブログがありました。すこし引用しますね。

「いやらしいから無視するつもりであったが、いつまでも政治絡みのフォトに出ているので一言。
この人は、自分の性癖を選挙の道具にしている最低の人間である。
性同一障害と、ただの性癖を混同してはいけない。
性同一障害は、自分の体と心が、胎児のときのホルモンの影響などにより生じた、障害である。
尾辻かな子のレズはただの性癖、変態趣味でしかない。
糞をなめることが趣味な人や、○○が好きな変態の人と同じだ。
変態は変態同士、わからぬようにこっそり当事者で楽しむのは全く問題が無い。 アレをこうしようと、どうしようと当人同士の問題である。
しかし、その変態性、性癖を他人に見せ付けるのは、悪質な罪である。」

とまあ、こういう具合です。

きっと一般の認識では少なからずこうした判断を疑うことなくそのままにしている人はいるのでしょう。
同性愛が性癖なら、異性愛も性癖であることになりますが、その辺のことが理解されていないのですね。もちろん、「糞をなめることが趣味な人や、○○が好きな変態の人」は異性愛者の方が絶対数として圧倒的に多い、という事実は単に算数の問題です。
同性愛がセックスの問題、あるいはセックスの上の嗜好の問題だと思い込んでいるのは、これはひとえに情報の不足によるものです。だいたい、一般社会には、そうした同性愛に関する情報もないし、その情報を必要とする状況もないのだと思います。で、あいもかわらず40年も前の風俗綺譚の理解が依然はびこっている。だから、上記のようなものを書いて恥ずかしげもなく公然と曝してしまう輩が後を絶たない。
可哀相というかなんというか、まあ、しょうがないんだろうけどね。

(同性愛とは何なのか、と知りたい方は、以下のリンクを参考にしてください。もう10年も前ですが、ニューヨークの日本語新聞に「マジメでためになるゲイ講座」という連載を行いました。それを再録してあります)

目次(ここで「マジメでためになるゲイ講座」の各項目をクリック

簡単にまとめたQ&Aです

以下の動画は、CNNが中継した、YouTubeの投稿質問動画に答える民主党の各候補討論会。 一年以上も先だというのに米大統領選挙、かように盛り上がっているのですが、「その変態性、性癖を他人に見せ付ける」人々の結婚の問題がここでも話題になります。

まずはブルックリンのマリーさんとジェンさんのレズビアンカップルの「私たちを結婚させてくれますか?」の問いに各候補が答えます。

ここではすでに、「レズはただの性癖、変態趣味でしかない」というような「無知」や「偏見」は共有されてはいません。というか、排除されています。そういう物言いが、はるかかなたに片のついたブルシットであることをすでにほとんどの人々が理解していて、その上で、世界の論議はすでに先に行っているのです。ですから冒頭の引用のようなレベルの話は、ほとんどの人から相手にされません。議論にもなりません。話題にしても呆れられるか鼻で笑われるか、それこそ「糞」でも見るように目を背けられるかだけです。

さて、クシニッチはゲイカップルが結婚ができる「私が大統領となるより良き新たな時代へ歓迎します」と言葉を結び明快です。

"Mary and Jen, the answer to your question is yes. And let me tell you why. Because if our Constitution really means what it says, that all are created equal, if it really means what it says, that there should be equality of opportunity before the law, then our brothers and sisters who happen to be gay, lesbian, bisexual or transgendered should have the same rights accorded to them as anyone else, and that includes the ability to have a civil marriage ceremony. Yes, I support you. And welcome to a better and a new America under a President Kucinich administration."

「メリーとジェン、あなたたちの質問への答えはイエスです。なぜか。なぜなら憲法がそう言っているから。すべての人間は平等である。もしそうなら法の前では機会も平等だ。だからわれわれの、たまたまゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーである兄弟や姉妹たちは、他のみんなに与えられていると同じ権利を持っている。それには一般市民の結婚の儀式を行う権利も含まれる。イエス。私はあなたたちをサポートします。そして、クシニッチ大統領の政権下でのよりよく新しいアメリカに、私はあなたたちを喜んで迎え入れます」

続いて、レジー牧師の質問です。これはなかなかポイントを衝いた質問です。

「かつて宗教を理由に奴隷、人種隔離、女性参政権の否定を正当化していたことは間違いであり違憲であるといまの多くのアメリカ人は知っています。ではいまもなぜ、宗教を理由にゲイのアメリカ人が結婚することを否定するのが認められているのでしょう?」

司会のアンダーソン・クーパーは、進んで公言してはいませんが否定もしていないゲイのアンカーマンです。

エドワーズは、妻は賛成するが私は反対だ、と苦しい胸の内を披露して理解を得ようという戦術です。
つまりこれほどやはり政治に「宗教」が絡み付いている。

"I think Reverend Longcrier asks a very important question, which is whether fundamentally -- whether it's right for any of our faith beliefs to be imposed on the American people when we're president of the United States. I do not believe that's right. I feel enormous personal conflict about this issue. I want to end discrimination. I want to do some of the things that I just heard Bill Richardson talking about -- standing up for equal rights, substantive rights, civil unions, the thing that Chris Dodd just talked about. But I think that's something everybody on this stage will commit themselves to as president of the United States. But I personally have been on a journey on this issue. I feel enormous conflict about it. As I think a lot of people know, Elizabeth spoke -- my wife Elizabeth spoke out a few weeks ago, and she actually supports gay marriage. I do not. But this is a very, very difficult issue for me. And I recognize and have enormous respect for people who have a different view of it."

オバマは、明らかに答えを回避しています。彼の論理は、法の前ではみな平等だ、です。だから法的な権利はすべて保証するシビルユニオンを提案していると答えるのです。でも、それこそが質問のポイントなのですが、なぜ「結婚」ではダメなのかというには答えづらそうに何度も口ごもりつつ、結局は答えられていません。

同性婚はいまのアメリカにとって最大の政治課題ではありません。しかし主要な政治課題である。わずか人口の5%前後と言われている同性愛者たちのこの問題がなぜ主要課題であるのか。それは歴史を輪切りにしてはわからない。輪切りにすればそれはたった5%でしかない。けれど、歴史を縦切りにしたら、それはずっと昔から100%途切れることなく続いている、つまりは取り残している課題だからです。

それは一般に広く言われているような「性」の問題ではありません。
命の、「生」の問題なのです。

日本の参院選が日曜に迫っています。
参院比例区、個人名を書きます。
そこに「尾辻かな子」と書くことは、その取り残しを(同性婚とまでは行かずとも人権問題全般のこの取り残しを)、気にしていると表明することです。そういうことを「糞をなめることが趣味な人や、○○が好きな変態の人」だといまもかたくなに信じている人をこれ以上はびこらせないように、あるいは歴史の誤解をとくために、力を貸すことです、力を添えることです。
社民党じゃないが、「今回は」です。
なぜなら、日本の社会はこの問題に関して、最も弱い。最も無知だ。最も無関心だからです。
こんなにグローバルに発信し受信している今の日本が、世界に申し開きできない弱点なのです。

私のこのブログを読んでくれているヘテロセクシュアルの友人たち、あるいは通りすがりのROMさん、比例区、適当な意中の人がいないなら「尾辻かな子」を紹介します。

比例区は、「個人名」を書くことを忘れずにいてください。

http://www.otsuji-k.com/

May 02, 2007

「銃」と「人種」の不在

 バージニア工科大乱射事件から2週間が経ちました。いろいろと報道を追い、犯人の書いた「劇脚本」なるものも読んでみたのですが、なんだか肝心のことが茫漠としていて形にならず、ただ彼に蓄積された怒りの巨大さがわかっただけで、その発散のありようであったその字面のとげとげしさと今回の凶行との相似に鬱々とした気持ちになるだけでした。「脚本」はいずれも10枚ほどの短いフィクションなんですが、1つは「義理の父親」への、1つは「男性教師」へのありとあらゆる罵詈雑言で埋め尽くされていました。

 凶行のあいまに彼がNBCへ送りつけた犯行声明ビデオの言葉も基本的にそれと同じものでした。8歳のときから米国に移り住みながらまだアクセントの残る英語で発せられる同じような罵倒の数々はむしろ若い彼の孤立を際立たせて痛々しく、しかもやはりこの犯罪の理由のなにものをも説明していませんでした。

 そんな中、各局各紙ともこの事件報道から(犯人は中国系という誤報はありましたが)人種問題を注意深く除外していたのが印象的でした。チョ青年へのいじめめいたからかいや揶揄もあったようですが、そこに人種的なバイアスがかかっていたかどうかはあまり問題となっていませんでした。また、日本なら両親が謝罪を強要されるような状況が生まれていたかもしれませんがそういうプライヴァシーに無碍に踏み込むようなこともなく、むしろ韓国から“逆輸入”されるニュースのほうが人種や責任問題に敏感になっているようでした。

 もう1つ“除外”されていたのが銃規制の必要性でした。いまごろになってバージニア州知事が精神科医にかかった者のすべての履歴を警察のデータベースに登録して銃を買えないようにするという知事令を出したりしていますが、なんだか枝葉だけがサワついている印象で肝心要の部分は揺らぎもしていない。これについては大統領選を控え民主党が保守票にも食い込むため遠慮しているのだとか、悲劇を政治的に利用すべきではないとの空気が支配的だからなどの解説もありますが、私にはどうも銃規制を訴え続ける徒労感というか、諦観めいた思考停止があるような気がしてなりません。

 15年前にバトンルージュで起きた服部君射殺事件の裁判を現地でずっと取材していたことがあります。あのころは銃規制賛否どちらももっと熱心に議論を戦わせていた。ところがこの議論は実に単純で、「銃を持った強盗が襲ってきたときに銃で対抗する権利はだれにでもある」というのと「銃で銃を防ぐことは不可能だし時に事態をより悪くさせる」という意見に集約されてそれ以外はない。「規律ある民兵は必要だから」という、この国の建国史に関わる憲法条項もどちらの主張にもエサになって議論は平行線のまま。

 そうしてコロンバインが起き、今度は大学です。衝撃に加えうんざりとげんなりもが合わさって、マンネリな銃規制議論などだれも聞きたくないのかもしれません。この行きどころのなさは、泥沼なイラク戦争への閉塞感ともなんとなく似ています。考えるのに疲れているんですよね。

 でも、敢えて言えば「人種」と「銃」、この2つの問題の中立化と除外とが逆にこの事件への対応の方向性を見失わせているのかもしれないとも思うのです。事件はもちろん犯人青年の個別的な人格や精神状態に負うところが多いでしょうが、どんな犯罪にもなんらかの社会問題が影を落としているもの。

 PC(政治的正しさ)で無用な人種偏見を煽らない風潮は定着しましたが、大学女子バスケチームを「チリチリ頭の売女ども」と呼んでクビになった人気ラジオホストがいるようにこの国の人種差別はなくなっているわけではありません。犯人青年への「いじめ」に人種偏見は絡んでいなかったのか。この国に住む私たち日本人の経験からも、それは強く疑われもします。

 敢えて人種や銃の問題も新たに考え直して議論してみる。そんな局面が必要なのかもしれません。そういうぐったりするような議論を繰り返すことでしか(それこそがアメリカの原動力でもあったはずです)、次の暴力の芽を摘むことはできないのではないか──もっとも、1つを摘んでも別の1つが摘めるかどうかはだれにもわからないのですが。

 もう1つ、この事件、いやほとんどの大量殺人乱射事件に共通する要素があります。それは犯人(たち)の抱えるミソジニーとホモフォビアなのです。女性嫌悪と同性愛嫌悪。自分の男性性を回復するために、この2つを総動員して暴力に訴える。暴力こそが自分の男らしさの復元装置および宣伝吹聴器なのです。この点に関してはとても面白いのでじつはバディ誌の今月の原稿で書いて送ってしまいました。なので詳細はそちらでお読みくださいね。今月20日ごろに発売されるはずです。

April 27, 2007

国際反ホモフォビアの日のことなど

ことしもまた5月17日がやってきます。国際反ホモフォビアの日(IDAHO)です。
上記ビデオはそのアウエアネスのTVスポット。イギリスのかしら?
ナレーションは
「ホモフォビアに反対するCMを作ろうと思いました。パワフルでシンプルで真実の映像で。それでこの椅子に座ってくれる俳優たちを探したのですが、ヘテロセクシュアルもホモセクシュアルも、みんな断ってきました。残念です。今日でもホモであることを見せるにはほんとうに勇気が要ることだということでしょう。クイアとかダイクとかファゴットとかの言葉での罵倒はいまもずっと続いています。80カ国がホモセクシュアルを犯罪としています。うち9カ国では死刑に値するとしています。5月17日は国際反ホモフォビアの日です。怖いのはホモフォウブたち(ホモフォビアを抱える連中)です。ホモたちではありません」

9カ国は解放されたはずのアフガニスタン、イスラム原理主義のイラン、アフリカのモーリタニアとナイジェリア、 スーダン、同じアジアのパキスタン、親米親西欧であるはずのサウジアラビア、西洋資本がどんどん投入されて潤うアラブ首長国連邦、そしてイエメンです。

最後の字幕コピーで、「ホモフォビア」の「ホモ」の部分が「レズボ」「トランス」と変わります。
ゲイ・プライドがいまはLGBTプライドと呼称変えしているのと同じ配慮ですかね。

IDAHOのホームページはこちらです。

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もう先週になりましたが、4月18日はアメリカで「11th Annual National Day of Silence」でした。デイ・オヴ・サイレンス(沈黙の日)というのは、なにも話さない日。全米の大学や高校で、自分がゲイだと、トランスだと、言えないホモフォビックな状況に抗議するため、それに共感する学生たちが性的少数者であろうとなかろうとみんな、学校でひと言も話をしない、というパフォーマンスを続ける、というものです。参加者はDay Of Silence のワッペンをしたり、次のようなカードを無言で手渡して話しかける相手に理解を求めていました。

「今日、私が話をしない理由を理解してください。沈黙の日運動に参加しているのです。これは全米の若者の運動で、学校でレズビアンやゲイやバイセクシュアルやトランスジェンダーの人たち及びその同伴者たちが直面させられている沈黙に抗議するものです。私のこの強いての沈黙は、いじめや偏見や差別が強いる沈黙と共鳴しています。こんな沈黙を終わらせることがこれらの不正義と戦っていく第一歩だと信じています。きょう、あなたの聞かなかった声のことを考えてください。この沈黙を終わらせるために、あなたは何をしてくれますか?」

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市を挙げてゲイの観光客誘致に熱心なフィラデルフィアが、市内のゲイエリアに36個ものレインボーカラーのストリートサイン(通りの名前の表示板)を出しました。

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このことを「We Have a 'Gayborhood'」(neighborhood=おなじみの地区、とのシャレです)と報じた地元紙「the Philadelphia Daily News」の引用によると、LGコミュニティの観光市場はなんと540億ドル(65兆円)規模なんだって。これ、世界のかしら? まさか米国内ってことはないよね。だって日本の国家予算(80兆円)にも迫る額だもなあ。

**

誘致しなくてもじゅうぶんにゲイなロサンゼルスはウエスト・ハリウッド地区に、BMWの新型3シリーズのコンバーチブルのポスターが張り出されているんですが、これももちろんここのゲイ・コミュニティに向けての広告ですわね。

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「Hard top. Firm bottom. It's so L.A.」

格納式のハードトップの屋根を持つコンバーチブルは、屋根部分がなくなることで車体の剛性が弱くなるんですね。でもBMWはさすがに基部(bottom)の車体剛性もしっかり保ってぶれません。ロサンゼルスにぴったりの車です。

ってのが車の宣伝としての意味ですね。

で、「ガチガチのトップ(おにんにん)、締まったボトム(お尻)、もうまさにロサンゼルス」ってのが掛けてあるのさ。はは。

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おまけ。ハードトップ。

ikahako.JPG

これはぜんぜんゲイじゃありません。
ネットで拾ってきたんだが、ふつうに函館の業者が作った函館土産らしい。
イカの形をした陶器に入った日本酒っていうんだが。
まんまストレート。もうすこしひねるとかできなかったのか……。
あ"〜、って感じではあるものの、しかし、サイズはどのくらいなんだろ。
ぜったい狙っておりますな。

格調高く始まったのがなんだか下品に堕して終わりです。とほほ。

April 10, 2007

選挙ブルーにめげずにアフタケアもね

おそらく選挙ブルーの方も多いかと思います。

「石原圧勝」との報道に、「あんなに燃えたぼくの気持ちはどこにも形にならずに消えちゃった」と。

でも、「あんなに燃えたきみの気持ち」はすごく形になってます。もう新聞やテレビでは分析されているかもしれませんが、次の数字を見れば今回の選挙結果の読み方はそんなにがっかりするもんでもありません。

前回の都知事選、4年前、開票結果は次のとおりでした。

石原慎太郎  3,087,190 無所属
樋口恵子    817,146 無所属
若林義春    364,007 日本共産党
ドクター・中松 109,091 無所属
池田一朝     19,860 無所属

で一方、今回の開票結果は次のとおりです。

石原    2,811,486
浅野+吉田 2,322,872

何が読めるか? それは、投票率は前回より9.4ポイント以上も増えたのに、石原は28万票も減らしているということです。
対して、反石原票は今回、浅野と吉田(共産)を合わせただけで230万票もあった。前回と大違いでしょ?

これを考えると、各紙で見出としている「石原、浅野を110万票差で圧勝」という見方は、事実としてはそのとおりながらもニュアンスはちと違う。110万票差というのはすげえが、「常勝・石原」への批判票のこの増え方は尋常じゃない。そうじゃない?
この辺を読みましょう。50万票差です。これはどのくらいか? 総有権者1000万票の5%ですか。これ、そんな自慢できるような圧勝じゃないでしょう。ね?

選挙ブルーに関しては、私もエラそうなこと言えないです。ゴアがブッシュに負けたときには私、思わず深夜未明に家出をしてコニーアイランドまで地下鉄に乗って海を見に行ったし。はは。

石原も、すでに傲慢復活で開票の夜からぶちかましてますが、それも想定内でしょ。浅野が負けるのも想定内。でも、石原の勝ち方はみっともなかったわけで、その辺、強調してやればあの傲慢口も少しは黙らせられるのにねえ。

さて、まだこれから統一地方選の後半戦があります。また、ちょっと選挙に行こうかと思ってみましょう。

それともう1つ、新宿2丁目に浅野を呼んでくれた人、もう一回ご苦労ですが、浅野陣営にお礼メールでも送ってください。「その節はお世話になった」と。「LGBTコミュニティの応援も今ひとつ届かなかったのは残念無念だが」と。「しかし浅野さんは歴史を作ってくれた」と。「私たちを政治に向かわせてくれた」と。

浅野の2丁目遊説の言葉はちょっと(かなり?)頼りなかったけれど、これを機に彼を取り込む言質は取っているわけで。わかってないなら、わからせてあげることです。ま、ちょっと政治的にドラマクイーン入ってますけど、そういうねぎらいのメールですね。そういう腹ゲイ。

秘書の人へでもいいからさ。こういう後始末、そして次へのつなぎ、はすごく大切です。浅野、これからどうするにしても取り込むべき相手でしょう。政治に再度出てくるかもしれないんだし、いずれにしてもテレビには戻るでしょうしね。

んで、もう1つ、夏の「東京プライド」のパレードに浅野を招待してください。来るか来ないかは問題ではない。2丁目に来てくれたんだから、お礼の意味として招待するのは礼儀でしょう。少なくとも私たちのその姿勢は見せてあげるのは礼儀。んで、もちろんメディア向けの事前広報として、招待者の名前をプレスリリースに記載しちゃうのね。その辺、周到に。へへ。

LGBTが欧米諸国でマーケットとして認められてきたのは、「恩義に厚い(Loyalty)」ってこと。礼を尽くすことからすべては始まるのです。

そうそう、そういうの、個人で勝手に出してもよい。ゲイです、ってきちんと書き記した上でね。
宛先としては、メール、選挙期間中のキャンペーンは
yumenet@asanoshiro.org
だったんだけど、これはまだ通じるのかな?
郵便宛先なら次のとおりです。

〒252-8520
神奈川県藤沢市遠藤 5322
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス
総合政策学部
浅野史郎

民主党に手紙を出すのも、いいかもしれません。
メールは鳩山か円より子宛がよいでしょう。
info@dpj.or.jp
民主党web-site 問い合わせページ
「件名については、できるだけご意見やご質問の内容がわかるように」とのことです。
また「本文中に送信者の氏名が記入されていないメールには基本的にお返事いたしかね」るとのこと。ってことは、ふつうはお返事来るのね。

スネールメールは
〒100-0014
東京都千代田区永田町1-11-1
民主党本部
民主党幹事長
鳩山由紀夫

〒160-0022
東京都新宿区新宿1−2−8 國久ビル 2F
民主党東京都総支部連合会
円 より子

April 03, 2007

浅野史郎の二丁目遊説

次の記事はスポーツ報知とスポニチの記事です。

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浅野氏×ゲイ 新宿2丁目で異色コラボ…4・8都知事選

 東京都知事選(4月8日投開票)に向け残り1週間あまりとなった31日、前宮城県知事・浅野史郎氏(59)がゲイタウンとして知られる新宿2丁目に登場した。今知事選で候補がこの地区を訪れるのは初めてで、現場には約500人が群がった。この日は民主党・菅直人代表代行(60)とも遊説した浅野氏。幅広い支援を呼びかけながら、いよいよラストスパートが始まった。

 「ヒュー♪」「かっこいいわヨ」浅野氏が現れると一気に“黄色い声援”が飛んだ。狭い路上には約500人が集まり、まさに大歓“ゲイ”ムードとなった。

 マイクを握った浅野氏は「ここは通りがかったことはありますが、来るのは初めて。ちょっとおびえています」と恐縮気味。同性愛者らに対する具体的な政策について聞かれ「基本的にありません」と答えると「それじゃあ駄目だろ!!」と“黄色い声援”は野太いヤジに変わった。

 浅野氏が「(都政が住民らの)邪魔をしなければいい。誰にも迷惑かけていないんですから」と説明すると、住民らも納得した様子。普段はライターのエスムラルダさん(36)も「実際に来てくれて印象が変わった。社会的弱者が生きやすい社会にしてほしい」と話した。

 イベントには同性愛者であることをカミングアウトしている大阪府議の尾辻かな子氏や、性同一性障害を告白した世田谷区議の上川あや氏らが駆け付けた。会自体は浅野氏を支援する同性愛者の団体が主催しているが、選対関係者によると「浅野本人はそういう性的嗜好(しこう)はない」という。ただあまりの熱気に浅野氏も「(選挙戦で)一番の盛り上がりだったね」と苦笑した。 (報知)
===

「新宿2丁目」は浅野氏“大歓ゲイ”

 前宮城県知事の浅野史郎氏(59)が31日、ゲイタウンとして知られる「新宿2丁目」でマイクを握った。石原慎太郎知事(74)がかつて「2丁目」の景観を条例で規制する発言をしたため、同地区では「街が変えられてしまう」との危機感が広がっており、選挙に注目が集まっている。浅野氏はセクシュアルマイノリティーに対して“保護”する立場を示し、聴衆から拍手を受けた。

 浅野氏は「ここら辺は通りかかったことはあるんだけど、来たのは初めて。少し今、おびえています」とあいさつ。すると、約500人の聴衆からは笑い声が上がり、「おびえちゃダメ!」の野太い声のヤジが飛んだ。

 ゲイの街を揺らす原因は昨年9月の石原氏の発言。五輪招致に絡んで「新宿2丁目」について一部インタビューで「美観とは言えない」として「規制力のある条例をつくる」と語ったため、ゲイタウンは大騒ぎ。そこで都知事選候補で石原氏の最大の対抗馬といわれる浅野氏を集会に招くことになった。注目度は高く、浅野氏も「私の演説会でこんなに集まるのは珍しい…」とビックリ。

 「知事になった場合、セクシュアルマイノリティーに対してどんな政策をするのか?」と司会を務めた女装したフリーライターの男性(35)に問われ、「迷惑をかけているわけでないなら、自由にやれるように…というのが基本的な姿勢。邪魔はしません」と答え、大きな拍手を浴びた。そして「シロウさ〜ん」の声援を浴びながら20分弱の遊説で「2丁目」を後にした。

 演説後、27歳の男性は「ここで演説をする人はなかなかいないし、セクシュアルマイノリティーに対する理解を示してくれたと思う」と感想。30代の男性は「好みの候補者?誰っていうより、イシハラがイヤよ〜。弱者に対する発言がひどいじゃない!」と激怒。「ゲイはこれまで投票に行かない人が多かった。でもこの選挙の注目度は高い。この街には5万票があると言う人もいる。どう動くのか楽しみね」と話す人もいた。 (スポニチ)
**

報知の嫌らしい原稿の書き方はさておき、一般紙の報道はなかったようですね。ちょっと数紙の記者に聞いてみたところ、劣勢の浅野は後半戦に向けてどこにでも顔を出すので、いちいち付き合ってられないという心理がデスクレベルで働いているとともに、都知事選では性的少数者問題は争点でもなんでもないし、という感じが背景にあるようです。

私としてはしかしこれは単に一地方としての東京(都知事選)レベルの話ではなく、性的少数者の(初の一連の)政治的動き(の1つ)という意味では全国ネタだと思っているのですが、まだそういうきちんとした人権意識が日本の一般メディア内に育っていないのでしょう。だからキワモノ記事としてスポーツ紙だけが取り上げた。テレビニュースはあったようですが。

浅野に対しても、二丁目関連のあちこちから「ちょっとガッカリ」との声が聞こえてきます。しかしふつうはあんなもんなんですよ。札幌の上田さんが特別なのね。それより、ここまで連れてきた裏方さんたちの努力にまずは大いなる敬意を表したい。これは確かに歴史を作ったのだと思います。ほんとうにごくろうさんでした。

そのうえで敢えて敢えて敢えて苦言を呈させていただけば、浅野にきちんと事前にこの二丁目遊説の意義をレクチャーしてやるやつがいなかったようなのがちと残念です。すくなくとも話すべきポイントを箇条書きにでもして秘書に渡してやればよかったね。政治家なんてそういうもんなんだ。いろんなところに気を配らねばならないんだから何から何まで知ってるってもんじゃない。だからこそこっちから教えてやって初めてナンボのもんになる。教えてやれば百年前から知ってたような一丁前の話をしてくれるんです。擦り合わせもせずに質問ぶつけたらやはりちょっと苦しいかなあ(もし擦り合わせしてたのならごめんなさい)。 もっとも、知らないことを知らない、まだ考えてない、とはっきり言える浅野は、そういうところがいいのかもしれないしね。それにしてもLGBTコミュニティに関する基本認識は、教えてやらないとなんせ情報が流通していないんだから。

その、情報の欠落の問題です。
今回の都知事選で、一般都民は歌舞伎町がきれいにかつ安全になって(?)、きっと暴力団や外国人犯罪集団も駆逐されつつあると思っているのです。これはまったくもって歓迎すべきことだ、と。
おなじようなことが“性と享楽の魔界”である二丁目なる場所で行われて何が悪い、という受け取りなのです。思い起こしてもご覧なさいな、二丁目にデビューする前に、二丁目がいかに目くるめくほど恐ろしく兇まがしく妖しいものとして私たち自身にさえも映っていたかを。そこが浄化されるというのです。いい話じゃないですか! 一般には、「二丁目は性的少数者の数少ない命綱のコミュニティなんだ」とだけ訴えても、「へん、歌舞伎町だって暴力団の命綱の場所だろうが。同じこった」と返されるだけかもしれません。

そういう印象をくつがえせる、そうしたことにきちんと対抗しうる言説を、つまり「歌舞伎町」と「二丁目」はぜんぜん意味が違うのだということを決然と示しうる言葉の群れを私たちは必要としているのですが、それはまだまったく一般都民レベルには届いていないのでしょうね。それで石原の父権主義的な話し振りだけが彼らに響くという構図。断固たる上意下達でディーゼル車も排除して都内の空気はきれいになり、あの四男のスキャンダルの逆風はもう止んでしまったみたいだからそれで「石原で何が悪い」となっているんだ。傲慢、無礼、差別体質、それだけでは政治的にはまったく対抗できないのです。 なぜなら、都民はそれを飲み込んだ上で石原の父権を求めているのだから。強い父親でそういうオヤヂなやつはよくいる話、つまり慣れちゃってるんだから。そこをひっくり返せる物言いが、どうしたらできるのか。

遠く見ているだけの私には何を言う資格もないですけれど、裏方のプロモーターたちは、こういう選挙の時には遠慮なんかしてる暇はない。ほんとうに大変なのです。ご存じのように、人の好い素人じゃダメ。子供でもダメ。選挙で求められるのは、えげつない裏方と笑顔のおもて方。あたりかまわぬ挨拶と謝辞と、悪魔も騙せるほど頭の切れる参謀。マーケティングに精通したアイデアマンたちと、そしてそれを恥も外聞もなく実行してくれるピエロたち。 おお、かなりの人数が必要。

この選挙、きっと多くの人が傷つくでしょうが、どうせ傷つくなら覚悟の上で予定的にしっかりと傷つき、しっかりと這い上がり、さらに強い大人になろうじゃありませんか。ね。

March 30, 2007

オーディナリーという言葉

NHKで「夢見るタマゴ」って番組、ニューヨークでもTV Japanで放送されていて、例のあのダウンタウンの浜田が司会で、きのうは男性美容員っていう、デパートの化粧品売り場で客たちの化粧品相談やメーキャップ相談や実地をやってる男の子が出てきました。で、思ってたとおりの展開になるわけですね。つまり、浜田が「そっちのほうに間違えられへん? その世界、メケメケが多いやろ」ってなふうにいじって、あ〜あ、と思ってたら、その美容員も控えめながら「ぼく、あの、ノーマルです」って返事して、予定調和というか何というか sigh...。(この辺のノーマルのニュアンスへの引っかかりは、すでに10年近く前に書いたマジためゲイ講座の第一回目をご参考に)

まあ、きっと「ノーマル」という言葉は日本では外来語ボキャブラリーの偏狭さから「ストレート」という意味で使ってるんでしょうが、それでスタジオはまたパブロフの犬に成り果てたごとくお嗤いで反応して、いったいこの人たちっていつまでこういうことを続けてれば気づくんだろうとすでにパタン化した暗澹たる思いを横目に、そういやNHKだからってんで浜田もオカマを「メケメケ」と言い換えてるのか、その辺の放送コードはすでに確立してるのかねとか思うものの、言い換えててもけっきょくは同じだけどね、とか思いつつ、はたと膝を打ったのでした。

その膝を打ったことはあとで述べますので、まずは次のクリップを見てくださいな。
これは「2人の父親 Twee Vaders」ってタイトルの歌です。
どうもオランダのテレビ番組らしく、毎回、このKinderen voor Kinderen(子供たちのための子供たち?)という子供たちのグループが、いろんなメッセージソングを作って歌う番組らしい。


さて、英語の字幕によれば、歌の主人公の男の子はバスとディードリックという2人の男性カップルに1歳のときに養子にもらわれたと歌います。で、バスは新聞社で働く人で、ディードリックは研究所で働いてる人です。
歌詞は次のように続きます。

「バスはぼくを学校に送ってくれるし、ディードリックはいっしょにバイオリンを弾いてくれる。3人で家のTVでソープオペラを見たりもする。ぼくには2人の父さんがいる。2人の本物の父さんたち。2人ともクールだし、ときどきは厳しいけど、でもすごくうまくいってる。ぼくには2人の父さんがいる。2人の本物の父さんたち。で、必要ならば、2人はぼくの母さんにもなってくれる」

2番以降は以下のごとし。
**
ぼくがベッドに入るとき、
ディードリックが宿題をチェックしてくれる。
バスは食事の皿を洗ったり、洗濯をしてたり。
病気になって熱があるときなんか
ディードリックとバス以上に
ぼくのことを心配してくれる人なんかだれもいない。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
2人ともクールだし、ときどきは厳しいけど、
でもすごくうまくいってる。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
で、必要ならば、2人はぼくの母さんにもなってくれる。

ときどき学校でいじめられもする。
もちろんそんなことはイヤだけど。
おまえの親、あいつらホモだぞって。
それをヘンだって言うんだ。
そんなときはぼくは肩をちょっとすくめて
だから何だい? おれ、それでも父さんたちの息子さ。
そういうのはよくあることじゃないけど
ぼくにとってはぜんぜんオッケーさ。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
2人ともクールだし、ときどきは厳しいけど、
でもすごくうまくいってる。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
で、必要ならば、2人はぼくの母さんにもなってくれる。
**

これを見たあとでも浜田は「メケメケ」といって嗤えるんだろうか。(反語形)
ただたんに浜田は、このような情報を持っていなかったためにこういうことをお嗤いにしてしまえるのでしょう。(斟酌癖)
それを思うとそうした愚劣さを気づかずにさらしている彼が哀れでもありますが。(ちょっと本音)

さて、この歌詞の3番に、学校でおそらく浜田のようなガキどもから「あいつらホモだろ」といじられた主人公の少年が、「It's not ordinary」と述懐する部分があります。「But for me, it's quite ok」(でもぼくにとっちゃそんなのぜんぜんオッケーさ)と。

このオーディナリー、「それって普通じゃないけれど」と訳すとうまく伝えきれないものがあります。「普通」という言葉だと、多数決に基づく「正常さ、標準さ、規範的さ=ノーマル」という意味にもとられてしまうので。
で、ここはordinaryですので、日本語では「よくあること」と訳したほうがニュアンスが近い。
で、「はたと膝を打った」のは何かというと、父親が2人いることは「It's not ordinary」と歌うのを聞いてて、ああ、これ、使えるかも、と、さきほどの「ノーマル」に対比して思ったということなのです。

これから、ヘテロセクシュアルの人は、自分のことを「ノーマル」の代わりに「オーディナリー」です、って言えばいいんじゃないのかしら。(意地悪、入ってます)

で、ゲイはオーディナリーじゃないのね。
何か?

エクストローディナリー Extraordinary に決まってるんじゃないですか! (笑)

(付記)
じつは、この番組でプチッとキたのはほんとは上記の部分じゃなくて、「子供が言うことを聞かないときに浜田さんはどうしますか」という出演者からの問いに、浜田が「ぶん殴るよ、男だから」とかいうことを平気で口にして、それに合わせてスタジオのゲストの中尾彬だの加藤晴彦なのが「そうだそうだ」「すばらしい」と平気で賛成してたことでした。

いま日本のあちこちで頻発している児童虐待で死者まで出してることを、この人たち、どう思ってるのかなあ。そう言えば「オレの言ってる意味はぜんぜん違う」って返ってくるのは予測できるけれど、それとこれとが根でつながっていることには気づいていない。
ニュース見てないのかもしれないけど、ま、こういう輩はニュース見てても同じか、プライベートで言うことと、テレビでパブリックに言えることとの、場合分けがない。それは子供のすることです。まあ、「子供」とはいえ、上記ビデオで紹介した子供たちはそういうことはしないでしょうけどね。
だとすれば浜田以下のこの人たちは、きーきー騒いではしゃぐだけの猿と同じじゃねえか。
恥ずかしいなあ。

そしてもう1つ、こういうのを平気でオンエアーするのは、これが「将来の夢をひたむきに追いかける若者たちを紹介するバラエティー」と紹介しているように、なんでもありのジャンルの番組だというふうに思ってるからなのでしょうかね、NHK。
情けないことです。

追記)

しっかし、いまやってたんだけど、子供向けロボットドラマ「ダッシュマン」ってのでさ、悪者役の紫色の口紅塗ってる宇宙人みたいなのが、これまたオカマ言葉でしゃべってるのって、いったい何なのでしょう。

なんだかこれだけ続くとウンザリというか、ゲンナリというか。
いやがらせかよ、おい。
まいったなあ。

March 19, 2007

中国人を犯人にしない

いまに始まったことではないんだけどさ、ということではなく、いまもまだこんな体たらく、という感じですかね。TVジャパンの日曜番組で水谷豊の「相棒IV」ってのをやってて、今日のは「殺人生中継」なるタイトルでテレビ局の女子アナ殺人事件だったんですが、犯人はその女子アナを恋い慕って局に入った新人お天気キャスターのアナウンサー。「こんなに愛しているのに報われないなら、いっそこの手であなたを殺す」っていうストーカーまがいの脅迫状ってことは、つまりレズビアンのねじれた愛憎の結末、ってわけですか。
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女子アナ、レズビアン、愛憎、殺人、ともう、このとてもわかりやすい妄想世界はまさに世の“普通”の男性たちの典型ものなのかしら。ところがドラマのセリフではレズビアンも同性愛も単語としては出てこなくて、水谷豊の「相棒」である寺脇なんちゃらっていう刑事がもっともらしく愛ってもんを諭す場面まであってですね、なんだかその「倒錯性」はスルーなんです。べつに問題にもならない。ふうん、それって、人権遠慮? でもしっかりとレズビアンの関係性には殺人というスティグマをベタ塗りしてしまってるのにさ。

ま、それだけだったら私も見流してたんだけど、そのドラマが終わったら今度は続いて「アウトリミット」っていう、これまたへんてこなドラマ。元はWOWOWのドラマだったんですか? 岸谷五朗が主演のめちゃくちゃな刑事ドラマ。ここでもさ、麻薬密売のヤクザなんだかギャングなんだか、へんてこなスキンヘッド+タトゥーの兄貴と茶髪のチンピラが突然のホモ関係。よくわからんねえ。なんなんですかね。
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なんたっけ、あの芥川賞、蛇にタトゥー、か。ちがった。蛇にピアスだ。あれでも殺人犯が限りなくサド趣味の男性同性愛者に設定されていて、そのときも「おいおい」って書いたんですが、またこれですもんね。ちょっとメモとして書いておいてもよいかな、と。

人権メタボリックともいちぶでいわれる日本には、すでに謂れのないスティグマを負われている社会弱者に、さらに犯罪者という別のスティグマを塗り付ける惰性と安易が無自覚に繰り返されています。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、死者に鞭、ですよ。そうでなくてもパンチドランクでヘロヘロしてる同性愛という関係性を、またさらにそんなにいじめて、どうしたいのよ? 同性愛という言葉の持つ「変態性」「倒錯性」の雰囲気という先入観に寄り掛かったストーリーって、いい加減、拙いって気づきましょうよ。当のプロデューサーたちに「いじめってどう思います?」と訊けばしたり顔で「赦せません」って言うだろうくせに、これ、いじめですよ。どう? そうじゃない?

最近は「うたう警官」や「警察庁から来た男」などで注目の作家、佐々木譲さんと2年前にそんなことを話したときに、「そういえば、アメリカの推理小説ではかつて、中国人は犯人にしない、という暗黙のルールがあったんですよ」って教えてくれました。50年代、60年代かな、人種マイノリティだった中国移民への偏見と差別が蔓延してた時代、プロの作家たるもの、そういう偏見に安易にのっかって彼らを真犯人に設定するのは沽券に関わったんでしょうね。

どうなのよ、日本のプロデューサーたち。きみたちの沽券はどこよ?

March 17, 2007

虹色のタイムズスクエア

ピーター・ペース統合参謀本部長の「同性愛は不道徳」発言はその後も大きな反発を産んでいて、15日昼にはマンハッタン・タイムズスクエアで250人のゲイたちが集まって抗議のピケが行われました。これ、13日の夜にヴィレッジのゲイ&レズビアン・コミュニティ・センターで緊急抗議集会が開かれて、その場であのラリー・クレイマーが「私たちは自分たちが憎まれている存在だということを思い起こすべきだ」として、往年の「アクト・アップ(ACT UP=Aids Coalition to Unleash Power=私たちの力を解き放つためのエイズ連合)」的な実力行使の部隊を組織すべきだと訴えた、その呼びかけに応えたものだったんですね。ACT UPはそのクレイマーが1987年に組織したエイズ活動組織だから、まあ、懐かしいこと。
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クレイマーさん。

で、集まったのは当のクレイマーの他、ゲイだってバレて関連するスキャンダルでお隣ニュージャージー州の知事を辞めちゃったジェイムズ・マグリービーとか、マイケル・シニョリーレ、さらにはレインボウフラッグの発案デザイナーのギルバート・ベイカーなんかの往年のバリバリの活動家たちや若い連中も。いやはや。

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マグリービーさん。

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レインボウフラッグの発明者ベイカーさん。

しかし、年寄りたちが出てくると、ってか40代、50代、60代、70代という年齢層もそろっているこういう政治活動って、かっこいいなあ。若いもんも大切だが、やっぱり大人もいなくちゃね。それが自然というもんだもの。

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で、なんでタイムズスクエアかというと、あそこのブロードウェイと7番街がクロスする中洲の三角部分に、米軍のリクルートセンターがあるわけ。ここに抗議のターゲットを向けたんだけど、同センターはだれもいなくて、それをレインボウフラッグで取り囲む、ということに。
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こういうの、久しぶりですね。そうだな、マンハッタンで言うと、あのマシュー・シェパードの追悼集会が事前の予定なく五番街の大規模デモに変わった1999年以来かもしれません。

その模様が、YouTubeにアップされています。
しかしアメリカ人はこういう行動がうまいよね。
「Fire Pace, Hire Gays!(ペイスをクビにして、ゲイたちを軍に雇え)」なんてシュプレヒコール、ちゃんと韻を踏んでるんだもの。「Pace is immoral, Gays are fabulous」ってのも、不道徳はペースの方、ゲイはファビュラスなの!って意味ね。インピーチ・ブッシュというのもあります。これはブッシュを弾劾しろ、という意味。

日本も統一地方選と参院選の年、世界の動きを感じて、LGBTの政治の季節をつくりましょね。
いま発売中の週刊SPA! に、LGBTの政治家候補の特集が載ってます。参院選比例代表区に民主党から出る尾辻かな子(比例区投票では政党名と候補の個人名のどっちも書けるけど、彼女を当選させるには個人名の「尾辻かな子」って書いてね。尾辻だけじゃダメです。自民党にもう1人尾辻ってのがいるから)や中野区議選に出る石坂わたる(中野区の人たち、よろしく!)などが登場しています。読んでみてくださいな。

その1


その2

あ、そうそう、ゲイは不道徳かという質問に明確に答えていなかったヒラリーは、同じ15日、ちゃんと答えました。

"Well I've heard from a number of my friends and I've certainly clarified with them any misunderstanding that anyone had, because I disagree with General Pace completely. I do not think homosexuality is immoral. But the point I was trying to make is that this policy of Don't Ask, Don't Tell is not working. I have been against it for many years because I think it does a grave injustice to patriotic Americans who want to serve their country. And so I have called for its repeal and I'd like to follow the lead of our allies like, Great Britain and Israel and let people who wish to serve their country be able to join and do so. And then let the uniform code of military justice determine if conduct is inappropriate or unbecoming. That's fine. That's what we do with everybody. But let's not be eliminating people because of who they are or who they love."

みんな誤解してるようだけど、あたしは「ゲイは不道徳」っていうペースの意見には同意してなんかいないわ、ってなことです。「あたしの発言のポイントは、でも、Don't ask, Don't tell のほう。こんなの早くやめちゃえって前から言ってるでしょ。イギリスでもイスラエルでも従軍できるのよ。とにかく、その人がだれであるか、だれを愛してるかってことで従軍させないなんてことのないようにしましょ、ってことよ」って内容です。

March 15, 2007

「同性愛は不道徳」と発言するとどうなるか?

これは単純な言葉狩りの問題ではないのです。政治的に正しいとか正しくないとかとも違う。これはまさにじつに政治的な戦いの前線というか、戦陣のその最も切っ先の部分なのですね。権力闘争、政治闘争なのです。

発端はすでに日本でも報道されています。シカゴトリビューン紙という一流紙に12日、米軍制服組トップの統合参謀本部議長、ピーター・ペースのインタビューが掲載された。そこに次のような発言があったわけで。

peter_pace.jpg

"I believe homosexual acts between two individuals are immoral and that we should not condone immoral acts. I do not believe the United States is well served by a policy that says it is OK to be immoral in any way. As an individual, I would not want [acceptance of gay behavior] to be our policy, just like I would not want it to be our policy that if we were to find out that so-and-so was sleeping with somebody else's wife, that we would just look the other way, which we do not. We prosecute that kind of immoral behavior."
「私は、2個人間の同性愛行為は不道徳なものだと信じている。そうした不道徳な行為をわれわれは容認すべきではない。いかなる形でも、不道徳であってもよろしいのだというようなポリシーでこの国がうまく行くとは私は信じていない。一個人として、(ゲイ的行動の受容を)私たちのポリシーにしたいとは思わない。それはちょうど、だれそれがだれか他の人の奥さんと寝ているとわかりそうなときに、目を逸らしてわざと見ないようにするような、そういうことはしないし、そういうのをわれわれのポリシーにしたくないのと同じことだ。そういった種類の不道徳な行動は訴追するものだ」

なるほどね。
統合参謀本部長というのは、ほら、前国務長官だったパウェルさんが湾岸戦争時に就いていた職位。けっこうなもんでしょ?
で、予想されたとおり人権団体やリベラル派のみならず米上院軍事委員会の共和党議員までもが「同性愛を不道徳とする立場に反対する」と述べたり、ゲーツ国防長官までもが現行政策(Don't ask, Don't tell)を遂行する上で個人的な意見は意味を持たない、とペース議長を批判するということになった。で、13日には「自分の個人的な道徳観に踏み込むべきではなかった」との声明を発表するに至ったわけです。でも謝っちゃいませんよね。ゲイは不道徳というその信念が間違いだったとも言っていない。

これらはじつはいまも触れた、「Don't ask, Don't tell」をこれからも維持するかという政策論争が根本にあるのです。去年の中間選挙で民主党が勝利したときに、まずは軍隊でのそういう偽善的なポリシーが変更される動きがヒラリーらを中心に出てくるだろうとわたしもここに書きました。それが現実的なものになってきて、保守派の間から「軍隊でおおっぴらにゲイが横行するなんて信じられない」という声が出てきた。ペースの発言はそうした文脈で登場したものなのです。つまり、まさに政治的な鍔迫り合いなわけで。

ところが今日、ワシントンポストの寄稿欄で、共和党の元上院議員、アラン・シンプソンが次のような論考を展開して「Don't ask, Don't tell」なんていうバカげた規制は撤廃してしまえと訴えたのです。これもかっこいいから読んでみておくれでないか。

alan_simpson.jpg

"In World War II, a British mathematician named Alan Turing led the effort to crack the Nazis' communication code. He mastered the complex German enciphering machine, helping to save the world, and his work laid the basis for modern computer science. Does it matter that Turing was gay? This week, Gen. Peter Pace, chairman of the Joint Chiefs, said that homosexuality is "immoral" and that the ban on open service should therefore not be changed. Would Pace call Turing "immoral"?

Since 1993, I have had the rich satisfaction of knowing and working with many openly gay and lesbian Americans, and I have come to realize that "gay" is an artificial category when it comes to measuring a man or woman's on-the-job performance or commitment to shared goals. It says little about the person. Our differences and prejudices pale next to our historic challenge."

「第二次世界大戦時に、英国の数学者でアラン・チューリングという男(訳注=もちろんチューリングはすごく有名ですからこんな持って回った言い回しは不要なんですけど、シンプソンは敢えてこう強調したんですね)がナチの通信暗号を解読する努力の先頭に立っていた。彼は複雑なドイツの暗号変換機をマスターして、世界を救うのに貢献し、さらにはその仕事が現代コンピュータ科学の基礎を成したわけだ。このチューリングがゲイであることは、問題か? 今週、統合参謀本部議長のピーター・ペース将軍はホモセクシュアリティを“不道徳”だと言って、ゲイたちがオープンに軍に奉仕することを禁止する規則はだから変えるべきではないと言った。ペースはこのチューリングを“不道徳”と呼ぶのだろうか?」
「1993年からこのかた、私は多くのオープンリー・ゲイ/レズビアンのアメリカ人を知り、ともに働いてきたことに大いなる満足を感じている。そうして得た私の理解は、仕事の現場でのその男性または女性の仕事ぶりや共通した目標への貢献ぶりを評価するときに、“ゲイ”というのはわざと持ってこられたカテゴリーだってことだ。それはその人間のある部分をしか語っていない。私たちの相違点や先入観など、われわれの歴史的な挑戦の前では色褪せてしまう」

かっこいいこと言いますわね、アメリカの政治家ってのは。

まあ、じっさい、チューリングの時代ってのはたしかに多くの人びとがチューリングを「不道徳」と非難したのは確かなのです。

Alan_Turing.jpg
(合掌)

チューリングは1912年に生まれ、54年に死にます。享年42歳。
なぜ死んだのか? 同性愛関係が見つかり、悪名高い「gross indecency」罪で有罪判決を受け、ホルモン療法か刑務所行きかを命じられ、保護観察下でのホルモン療法を選択した1年後に青酸化合物を塗った林檎を食べて自殺したのです。

今週の国防総省の発表では、2006年度には612人が同性愛者として除隊されました。2001年の1227人に比べると半減しています。97年から01年までの5年間は年平均で1000人が除隊処分でした。その後の5年間ではこれが平均730人にまで落ちています。この減少はべつにゲイが少なくなったからではないでしょう。イラク戦争でゲイでもビアンでも必要だからと、多少のことは大目に見ているという偽善が働いているからなのです。

(追記)
ちなみに、「同性愛は不道徳」なのかどうか。
ヒラリー・クリントンは14日、この質問への直接な回答を回避して保守派層を刺激しない策をとっていると批判されています。しかし、それを言ったくらいで変わるのかなあ?

同性愛は不道徳なのか? ならば異性愛は道徳的なのか?
そう考えればわかることでしょう。
性指向は道徳とか倫理とか関係なしに、事実なのです。ヒラリーもそう答えればいいのにねえ。

February 15, 2007

いや、今度のヘドウィグは、よい!

ぼくは17のときにジーサス・クライスト・スーパースターをNYのブロードウェイで見て人生観を変えたってえ世代なんですよね、ぶっちゃけ。いや、それ以前にもいろいろほかにもファクターを得てはいました。ウッドストックもそうだし、コルトレーンはいたし、ジャニスもジミヘンも生きてたし。で、プロってもんの恐ろしさをそのときから知った、というか崇拝した。

で、です。そのときからプロじゃないものは見たくないと、いろんなものを見るたびにその思いが重なった。そんで、劇団四季のジーザス・クライストを見たときに、ものすごく怒ったわけですわ。ロンドン、ニューヨークでやったジーザス・クライストで世界中の劇団がこれを自分たちでもやりたいと思った。ところがどうだ、劇団四季のジーザス・クライストを見たら、世界中の劇団が、これはもう、どこでもやらなくてもよいと思うのではないか。

以来、基準にしたことがある。
自分の歌よりうまくないミュージカルは、見るべきではない。

わたし、じつはロック少年で、高校・大学までロックのバンドをやっていました。ドラムでしたがね。高音が出たんでバックコーラスというか、リード・ヴォーカルのラインから外れる部分をオレが歌う、みたいなこともやってたの。で、いまも、はは、ものすごく歌、うまいのよん。ハイウェイスター、歌えるんだぜ、へへ、みたいな。

また今回も前置き長いな。
本題に入ります。
もう昨日ですが、ヘドウィグのゲネプロ(舞台総練習)、見てきました。ええ、わたし昨日まで札幌でぎっくり腰で1週間寝てて、そんできょうやっと東京に着いたわけです。そんで最初のオーダーが、このゲネプロだったのです.

感想。
これは楽しみだ!

それじゃわからんな。まあつまりあのね、これは三上ヘドとはぜんぜん違います。三上のときは三上ですごかったけど、あれはいい意味でもそうでなくても三上のショウだった。彼の圧倒的なパワー。でも今度の山本ヘドは、山本だけのヘドではなく、中村中の絡むヘドであり、鈴かつさんのヘドであり、ジョン・キャメロン・ミッチェルの悲しみを背負ったヘドだったということだった。おまけにそれは日本のヘドだった。

しみじみするのはきっとセリフのせいでしょう(ちょっと自画自賛。えへへ)。
1つ1つのセリフがまるで詩のように響く。どうしてヘドウィグが書かれなければならなかったのか、それがわかる。ジョン・キャメロン・ミッチェルがなにを言いたかったのか、それが響いてくる。つまり、このヘドウィグは、悲しいの。これはショーじゃない。演劇なんだ。三上バージョンのように、ヘドウィグはオカマ笑いを笑いながら喋ったりはしない。酔っぱらって訥々と自分を語りだす。

で、なにはさておき、山本君、歌、うめえじゃないの、こいつ、って思いました。
中村中ちゃんはもちろん歌、うまいです。で、この2人の声のアンサンブルが、声質の差とその重なり具合がすごく気持ちいいんだなあ。そんでもって中村君のイツァークの出番、すごく工夫されていて、鈴木さん、これは考えたんですねー。ジョン・キャメロンがいまもう一度ヘドウィグをつくったら、やっぱりイツァークをこうするだろうって思った。いや、もっと正確に言うと、ジョン・キャメロンの気づかないイツァークを、鈴木さんはジョン・キャメロン本人に代わってジョン・キャメロン本人に気づかせてあげた、みたいな。こういうの、演出家やってて醍醐味だろうなあ。力量です。昨晩、初めてお会いしたけど、プロの顔をしてた。

でね、ヘドウィグの山本耕史、化粧その他、女装部分、すごいですわ。なんでこんな? って感じ。でも、言わせてください。ネタバレですけど。これが最後の転換ではじける。彼、すごく綺麗なの。
神々しいのでです。
うわ、芸能人って、こんなに綺麗なんだ、って、思ったです。
しかしなんであんな躯してるんだろ。ってか、あの肌。
思わず手を伸ばして、あ、すんません、ちょっと触っていいですか、ってお願いしたくなっちゃう。
それがわかるステージになってる。あの綺麗さにはひれ伏します。

でね、わたし、ゲネプロ見て、不覚にも左の目から涙が一粒こぼれました。
もう最後に近く、

(トミーの歌:)「LOOK WHAT YOU DONE. YOU MADE ME WHOLE. BEFORE I MET YOU, I WAS THE SONG. BUT NOW I'M THE VIDEO.(きみがしてくれたこと。ぼくを完全にしてくれた。きみ会う前、ぼくは歌でしかなかった。それがいまはビデオだ」

(ヘドウィッグの歌:)「LOOK WHAT I'VE DONE. I MADE YOU WHOLE. YOU KNOW THAT TOU WERE JUST A HAM. THEN CAME ME, THE DOLE PINEAPPLE RINGS...(あたしがやってあげたこと。あなたを完全にしてやった。ただのハムだったあなたのもとに、あたしが来たの、ドールのパイン缶の穴開きパインが)」

*****
ね、すごいでしょ。

悲しいヘドウィグを、ぜひ見てください。この劇が何を言おうとしていたのかを、山本君のことばで聞いてみてください。これは、おそらく、回を重ねるごとによくなってくるはずです。本日のこけら落とし、観客の入った中で山本、中村の2人が、どう化けるか、ものすごく楽しみです。この劇、翻訳してよかった、って昨晩、舞台を見ながら思いました。わたしの日本語がプロによってこなされ、配置され、語られるさまを見て、ゾクゾクしたもんね。はは。これは4月の新宿コマも見たくなってきた。そんときもまた日本に帰ってこようかしら。

****

で、ここで業務連絡。
あした金曜日の新宿FACEのチケットが何枚か別枠で出るそうです。
新宿FACE、ほんとは完売だったんですけど、十数枚かしら、会場の中央部分の席があるって。

わたしのこのブログで告知です。
早い者勝ち。
販売のサンライズ・プロモーション東京
0570-00-3337
ここに電話したら、買えるって。
16日のヘドウィグ、あるんですか? って電話で言ってみてください。

では、

February 13, 2007

元NBAスターのカムアウト

日本・札幌に帰っております。ところがインフルエンザと(急な雪かきによる)ぎっくり腰でこの1週間、ほとんどなにもやる気なしで過ごしてしまいました。その間、いろいろなことが起きたようです。

まず大きなニュースだったのは7日水曜日のジョン・アミーチ(36)のカムアウトでした。これはESPNというアメリカのスポーツ専門チャンネルで「Outside of the Lines」というタイトルを付けて特別枠で放送されました。

http://sports.espn.go.com/nba/news/story?id=2757105
(冒頭のYouTubeが削除されても上記のESPNサイトで動画が見られるかもしれません)

もっとも、このカムアウトは近々出版される彼の自伝「Man in the Middle」(ESPN Books)の中でなされているのですが、その前触れという形ですね。
amachiebook.jpg

彼のカムアウトの何がニュースかというと、米国4大プロスポーツの1つ、全米バスケット協会(NBA)ではこれが初めてのカミングアウトだということなのです。4大スポーツ(NBA, MLB, NFL, NHL)では6人目のゲイ男性、ということ。で、APなどが一斉にこれを報じることにもなっています。ここでも紹介したことのあるゲイ人権団体「ヒューマンライツ・キャンペーン(HRC)」は、例の「カミングアウト・プロジェクト」(カムアウトを呼びかける活動)でアミーチにスポークスパーソンになってくれるようお願いしているそうです。

アミーチはペン州立大学からオーランドー、ユタ、クリーブランドという名門チームでプレーして3年前に引退、現在はロンドンで暮らしています。さて、カムアウトのいきさつはまあ、だいたい同じです。現役時代には考えられなかったということ。しかしユタ・ジャズ時代からすこしずつゲイとしての生き方を受け入れてきたこと。2人のチームメートが、おそらく最初から彼がゲイであることをわかっていただろうということ。

その1人がグレグ・オスタータグ。彼だけがアミーチにゲイかと訊いてきたといいます。その彼に、アミーチは「You have nothing to worry about, Greg」と答えた。「そのことで、心配することはないもないよ、グレグ」。

もう1人は彼が「マリンカ」と呼ぶチームメートでした。これはロシア語で「おちびちゃん」という意味だそう。ロシア出身のアンドレイ・キリレンコという選手のことでした。質問されたわけではないが、おそらく彼もアミーチのセクシュアリティを知っていた。ユタ・ジャズでの最後のシーズン、クリスマスが終ったあるときのことだそうです。「マリンカがインスタントメッセージでぼくを大晦日のパーティーに招待してくれたんだ。自分は気に入った友達しか招待しない、と断りながらね。で、次のメッセージを読んだとき、ぼくは涙が出てきた。『ぜひ来てくれ、ジョン。もしいるなら、もちろんきみのパートナーも大歓迎だ、きみにとって大切なひとのことだ。連れてこいよ。それがだれであっても、ぼくはかまわない』」

その日は自分でパーティーを開くことになっていたので招待は断わらざるを得なかったそうですが、アミーチは代わりに500ドルもするジャン・ポール・ゴルティエのボトルのシャンパンをキリレンコに届けました。いい話だね。

さて、かつてのチームメートやコーチなどから、彼のカミングアウトへの反応が表に出てきています。
いろいろあって面白いです。

ダラス・マーヴェリックスのオーナー、マーク・キューバン「マーケティングの見地から言うと、たまたまゲイだった選手は、とんでもなく金持ちになりたいんならそりゃカムアウトすべきだな。マーケティング(商売)とエンドースメント(スポンサーの獲得などの社会的認知のこと)の話で言えばこんなに最高のことはない。単にスポーツ選手だっただけでは得られないくらい、多くのアメリカ人にとっての最高のヒーローになれる。で、金がポケットに入ってくるってわけだ。逆に言えば、だれかがゲイだからっていってそれで非難するようなことをしたら、そりゃつまはじきだ。抗議のデモはされるしいま持っているスポンサーまで失うことになる。なんでもいま世界中が、そりゃ難しいことだ、困難なことだって思うようなことをそれこそ自分が自分であるために困難をものともせずに立ち上がって克服しようとしたら、それがなんであろうとそれはもうアメリカン・ヒーローなんだ。それがアメリカの精神ってなもんだ。逆境に立ち向かい、自分が何者かであるために闘う、それがたとえ多くのひとには分かってもらえないようなもんでもだ、それは強い意志を持ってなくちゃできないってもんだ。苦しいことにも耐えてな。まあ、そうはいっても彼(アミーチ)をジャッキー・ロビンソン(黒人で最初の大リーガー)に喩えるつもりはないけど、しかしいろんな点で似たような部分もある。やつはロールモデルになるよ」

キューバンの上記のコメントはthe Fort Warth Star Telegramという新聞に載っていたものですけど、ま、そのまま受け取るにはちょっと理想的すぎますけどね。でもしかし、おそらく彼はそう言わねばならない、そう言うことでそういう理想に近づくべきだ、という思惑をしっかり意識して発言しているのだと思います。まあ、エール半分だな。いいやつだ。

ではほんとうのところは、ってんで次のコメントを。

ユタ・ジャズのコーチ、ジェリー・スローン(反ゲイの侮蔑語でアミーチを呼んだことがある輩らしいです)
「(侮蔑語で呼んだことは)ああ、そりゃきっと問題あったかもな。はっきりとは知らんが、だいたいおれはいつも人の心がわかるんだ、言葉じゃなくて。人間ってのはやりたいことをやるんだ。べつにそれが悪いとは思わんよ」(訳者注;英語でも言ってることがよくわからないのです=Oh yeah, it would have probably mattered. I don't know exactly, but I always have peoples' feelings at heart. People do what they want to do. I don't have a problem with that.)

クリーヴランド・キャヴァリアーズのレヴロン・ジェイムズ(現在の若手NO.1スタープレーヤー)
「チームメートってのは信頼が置けなくちゃダメだ。もしだれかがゲイでそのことを自分で認めてないとしたらそれはそいつが信頼が置けないやつだってことだ。チームメートの条件としてそれが第一のこと。みんな信頼してやってる。部室内、ロッカールーム内の規則てのを知ってると思うけど、ロッカールームで起きたことはそこから出してはいけない。それが信頼ってことだ、マジで。そういう信頼の問題ってすごく大きなもんだ」
(訳者注;これも何が言いたいんだかよくわからんね。カムアウトのパラドクスに関して、もうすこし理解があってもよさそうなもんだけど、高校卒業後すぐにキャヴァリアーズにドラフト1位で入ったもんだからいまもあまり世間のことを知る機会がないんだと思う。「カムアウトのパラドクス」ってのは、カムアウトしなかったら嘘つきになり、カムアウトしてもいままでずっと嘘つきだったということになること、あるいはカムアウトしたら嘘つきよりひどいゲイだということになるということ;したがって、ゲイであることはいずれにしても信頼の置けないやつであるという結論になるわけです)

オーランドー・マジックの選手グラント・ヒル
「ジョンがそうしたことで、きっと現役っでプレーしてる選手でも引退してる選手でも、励まされ自信を得て、これからカムアウトしやすくなるはずだと思う」

NBAのコミッショナー、デイヴィッド・スターン
「わがリーグはじつに多様性に富んでいる。NBAで問題なのはつねに「試合に勝ったか?」ということであり、それだけだ。それ以上の詮索は不要」

フィラデルフィア・シクサーズ、シャヴリック・ランドルフ
「おれにゲイだって寄ってこない限りおれは大丈夫さ。ビジネスの問題である限りいっしょにプレーすることに問題はないよ。まあ、でもロッカールームじゃちょっとぎくしゃくした感じになるだろうけどな」

トロント・ラプターズのコーチ、サム・ミッチェル
「スポーツってものの何たるかを考えると、それにロッカールームってのもあるしね、なかなか難しいものがあるな。タフな問題だよ。まあ、そんなにたくさんだとは思わないが、チームの1人か2人は(いやだってやつが)いるだろうね」

フィラデルフィア76サーズ選手、スティーヴン・ハンター
「マジかよ? やつがゲイだって? いまの時代、ダブル・ライフを送ってるやつっているからなあ。オレ、テレビたくさん見てるからわかるけど、結婚してる男がゲイの連中と遊び回っていろんなバカなこととか気持ち悪いこととかヘンタイなこととかたくさんやってるのを知ってるさ。まあ、オレに言い寄ってこなけりゃオレは関係ないけどね。男らしくバスケットボールをプレーしてちゃんとした人間として振る舞うなら、オレのほうには問題はないけど」

スポーツ界の抱える困難が、これらのコメントに如実に現れているようです。

January 31, 2007

「ゲイの高校生の普通な毎日」

「ゲイの高校生の普通な毎日」というブログを読みました。ちょっと前ですが、1月25日のです。この高校生ブロガーくんはカムアウトしていないようですが、そのブログに「実は最近仲いい子の部活の後輩の子がゲイなんだって聞いちゃったりしました」と書いていました。

どうも「ケータイを勝手に見られたりして、なかにブックマークしていたゲイサイトを見られてしまって判明した」らしい。で、噂が立って「それでかなり避けられたり陰で言われたりしてるみたい」なのですね。「これって全然他人事に思われへん」と彼は書きます。そうして「やっぱり……異性愛者からしたら同性愛者ってのは気持ち悪いもんでしかないみたいです。あと、どうもおかしな思考回路持った人ってイメージ多いし……。友達に言われましたもん。その子が近くにいるときに僕が背伸びしてお腹出してると『あいつには気をつけろよ。ゲイやから襲われるで!』」

「ゲイの高校生」くんは、「とりあえず作り笑いでごまかしたけどそれって憤慨。同性愛者がみんながみんなそんなやつじゃないですから。普通に常識ありますから」ととてもしっかりしたことを書いています。「カバちゃんとかおすピーとかかりやざきさん」のテレビのイメージの影響を感じながらもその3人を「すごく面白いからすきだけど」とフォローしてもいます。で、「同性愛者って実は、ふつうにキャラ薄く生きてる人が多いんだよぉ……ばれないようにばれないようにって、毎日繕いながらひっそりと恋愛生活してるんやしぃ」といまの高校生ゲイの世界をさりげなく、しかし的確に教えてくれます。「僕もいつかは同性愛者ってことを隠さずに生きていけるようになりたい。たとえ、何人の人が背中をむけても、きっと何人かはわかってくれるはずだって信じたいから」という彼は、そしてブログを「うん。強くなろう……」と結ぶのです。

いい文章だなあ。

さて、これを読んでどう思ったか。こんな21世紀になっても日本の高校生たちは20年前と同じ差別にさらされているのか、とか? あるコメントは「最近同性愛者に対する理解が増えたって言いますが、やっぱり表面上だけなんですかね……。私も憤慨です。同性愛とか別に普通なんですけどね。そうじゃない人のほうが多いのかーわからんなぁー」と言っていました。また別のひとは「やっぱり友達ゎみんなノンケだから、同性愛っぽい話とかが出るとキモって顔する人ばっかりで」とも。

コメント群もみなさん共感的で、早く噂が消えればいいのにとその噂の後輩くんを気遣ってくれています。やさしいね。

高校生ってどうなんでしょう。ほんとにそんなにホモフォビックなのかなあ。私は「最近同性愛者に対する理解が増えたって言いますが、やっぱり表面上だけなんですかね」というコメントに逆に気づくことがありました。

つまり、理解が増えたというのが表面的なら、理解のなさもまた表面的なんじゃないのかと。ホモフォビアも、ちゃんと理解して抱いてるんじゃなくて、そう凝り固まったものでもないんじゃないのかなって思ったわけです。みんななんとない受け売り、耳に挟んだものをまるで自分の考えたことのように思い込んじゃってるだけかも。そういうのもまたピアプレッシャーの一種でしょうね。みんながそう思ってる。そんな幻想からの圧力に押し流されてるだけ。

そうしたホモフォビアって、まあ高校生のリビドーの強さを纏ってなんだかすっごく厄介なバカ騒ぎめいたものにも見えるけれど、じつはそんなに大したもんじゃないんじゃないんでしょうか? そこを教育で衝いてやれば、かんたんに転ぶんじゃないかなあ。

教育ってカルチベートcultivateすることだっていったのは太宰治ですけど、そこに植えるのは正しさのタネなの。その正しさの芽を示してやること。それは情報のときもあるし態度のときもある。で、正しさはまずは信じるに足るものだってことを示してやること。まさにそれこそが必要なことなのではないか? それこそが「教育の再生」ってことの1つじゃないのか。

高校生のホモフォビアなんて幻想だ、そう実体があるものではないと書きました。中学生や小学生間のホモフォビアではもっとそうでしょう。正確な情報が与えられていないところでは幻想しか成立しませんからね。小学生と高校生のホモフォビアの違いは、まあ、時間が経過したせいで表層の角質化がやや進んだということくらいか。その証拠に(小学生の時とそう変わらないという証拠に)そういうホモフォビックな言辞を吐く高校生に「どうして?」って訊いてやったら、おそらく3つ目の「どうして?」くらいでそれ以上の答えに窮するでしょうから。

それが凝り固まっちゃったいい年のヤツなら、答えに窮する自分を認めたくなくて的外れな反撃に出たり無視を決め込んだりする。そこで終わりです。これは個別対応しても時間と労力の無駄だ。よほどの友達でない限り、そんな手間を敢えてこちらから割いてやる必要も気力もない。それは時代のパラダイムの変化で十把一絡げに変える以外にない。
でも高校生なら(それもまたわたしの甘っちょろい幻想かもしれないけれど)、自分が答えられないという事実に新鮮な驚きを覚えることも可能ではないか? 自分が答えに窮している瞬間に、あ、そっか、と蒙が啓かれる喜びを覚えることもできるのではないか? なぜなら、正しさに気づくことは楽しいことなのですから。ま、最近はキレる高校生もいるだろうけれどね。それはまた別の話。正しさが時としてとんでもなくイヤなものだってのも、それは次のレッスン。

で、私はそれが教育の醍醐味だと思う。そうしてそれはそんなに、というか、ぜんぜん、難しいことではないはずだ。その機会を、先生たちはどうして見逃しているのかなあ。もったいないなあ。

じゃあさ、先生という教育者たちがそれを見逃しているのなら、先生に頼らずに生徒たち同士が互いを触発し合うことだって、じつはそう難しいことではないと思うのです。さっきも書いたけれど、相手が友達だったらそういう触発の手間をかけてやってもいいじゃないですか。友情を手がかりにその友達のホモフォビアをちょっとずつ修正してやる。それはそいつのためです。放っておいたらホモフォビアを抱えたままのみっともないヤツになってしまうのですから。

「言うのは簡単だけれど」という声が聞こえてきそうだけれど、ほんとにそうかしら? 試したこともないんでしょ? どうしてそういえるのか? カムアウトの怖さはね、半分は妄想なんです。ビクついて頭の中で怖さが膨らんで……でも、じっさいはそんなに大変なことではないと思うなあ。十代のホモフォビアなんて枯れススキみたいなもので、そう大層なことではないという例証は欧米の中学や高校なんかでは枚挙にいとまがないのですから。大層な場合もあるけどね、それはだいたい、相手が集団でピアプレッシャーに凝り固まって、自分じゃどうにもできなくなるときです。でもそれはホモフォビアの強さというよりも、集団ヒステリアの強さなんだと思う。

やわらかな心の、やわらかさに期待できるような、そんな機会が、若い彼らのまわりにもっともっと増えるといいね。

January 26, 2007

喰えないヤツだね

CNNの中でもタフマンとされるウルフ・ブリッツァーが、ブッシュの一般教書演説のあとで副大統領のチェイニーに対面インタビューを行ないました。日本の新聞報道などでは上記映像の前半部分、つまり、ブッシュによるイラク増派政策への民主党からの批判を聞き、ブリッツァーが「イラク政策の失敗が政権の信頼を損ね、共和党内にも増派への疑問が広がっている」と言うと、チェイニーがひとこと、「ホグウォッシュ(hogwash=豚のエサ)」と吐き捨てるように一蹴した、という部分がニュースになっていますが、まあ、この男、ほんと、凄みがありますわね。

ホグウォッシュってね、このブルシット(牛の糞)と同じく、だれも喰わない戯言、っていう意味。それもこいつ、鼻で笑いながらこういうことを口の端でいうんだ。吐き捨てるように言う、というのがどういうことか、この映像は教科書だね。ブリッツァーもいちいち言葉に詰まるほどだもんなあ。はは。

で、日本ではニュースにならない部分を抜き出しましょう。同じインタビューでこの映像の最後の部分の質問は、あの娘のメアリーさんの妊娠問題についてです。そんなことも訊くわけです。
それはつぎのようなやりとりでした。
それにしてもどうしてこんなプライヴェートなことまで質問するのか?
それは、まさに先日、私がここで記した槙原カムアウト問題で触れたことです。
妊娠はプライヴェートなこと。しかし、レズビアンであるメアリーさんの妊娠は、いま最も議論の起きている人権問題に関わることだからです。ゲイのカップルに生まれる子供のこと。そうしてそのカップルと子供への法的保護。だからブリッツァーは質問しようとした。ところが……。

さあ、顛末は次のようなものでした。文字に起こします。

**
Q We're out of time, but a couple of issues I want to raise with you. Your daughter Mary, she's pregnant. All of us are happy. She's going to have a baby. You're going to have another grandchild. Some of the -- some critics, though, are suggesting, for example, a statement from someone representing Focus on the Family:
"Mary Cheney's pregnancy raises the question of what's best for children. Just because it's possible to conceive a child outside of the relationship of a married mother and father, doesn't mean it's best for the child."
(Q;もう時間がないんですが、もう1つ2つお訊きしたい。あなたの娘さん、メアリーのことです。妊娠なさった。とてもうれしいことです。赤ん坊が生まれるんですからね。あなたにまたお孫さんができるわけです。ただ、批判する人も、まあ、何人かいて、例えばですね「家族の価値」を標榜する代表者なんかからは「メアリー・チェイニーの妊娠は子供たちにとって何が最良なのかという問いを提起している」と声明を出したりしています。つまり結婚している母親と父親の関係の外で子供が生まれてもいいと思われたりして、それは子供にとってベストなことではない、と)
Do you want to respond to that?
(そういう発言について何か言いたいですか?)

THE VICE PRESIDENT: No, I don't.

(副大統領;いや、言うことはない)

Q She's obviously a good daughter --
(もちろんとても素晴らしい娘さんで……)

THE VICE PRESIDENT: I'm delighted -- I'm delighted I'm about to have a sixth grandchild, Wolf, and obviously think the world of both of my daughters and all of my grandchildren. And I think, frankly, you're out of line with that question.
(遮るように=筆者註)(うれしいことだ……6人目の孫が生まれようとしてるのだから、それはうれしいことだ、ウルフ、それにもちろん、娘2人の世界のことや私の孫たちみんなのことを考えるとね。で、思うに、率直に言えば、きみのその質問はルール違反だ)

Q I think all of us appreciate --
(たじたじになって)(いや、みんな評価すると思いますが、その……)

THE VICE PRESIDENT: I think you're out of -- I think you're out of line with that question.
(きみは論点から……その質問は、論点から逸れていて訊くべきことではないと思う)

Q -- your daughter. We like your daughters. Believe me, I'm very, very sympathetic to Liz and to Mary. I like them both. That was just a question that's come up and it's a responsible, fair question.
(しどろもどろ状態で)(あなたの娘さん、あなたの娘さんたちを気にかけているのです。私を知ってるでしょう、私はリズにもメアリーにも、とても、とても同情的だ。2人とも大好きです。これはただのふつうの質問ですよ。ふつうに頭に浮かんだ質問。それを責任をもって公正に質問しているのです。

THE VICE PRESIDENT: I just fundamentally disagree with your perspective.
(わたしは基本的に、そのきみの考え方には同意しない)

**
以上。そんなけ。
すごいでしょ。はは。
この"out of line"というのは、「線を越えてる」「はみ出している」「出過ぎだ」「分(ぶ)をわきまえない」「常軌を逸している」「規則違反だ」っていう、かなりきつい意味の婉曲な言い回しですわな。つまりね、ほんとはチェイニー、「たわごとだ」「何を言ってるんだ、バカ」「言って良いことと悪いことがあるぞ」という脅しをしてるわけです。脅し。でも、本質は何かというと、このおやじ、逃げてるんだ。都合が悪くなるとこうして脅して逃げる。

チェイニーは、同じこのインタビューで、イラクから手を引くことは「「アメリカ人は戦う根性がないとテロリストに言われる。それが最大の脅威だ」とも発言しています。彼の思考回路にはそれしかない。つまりメアリーさんのときと同じなんですね。都合が悪くなるとこうして「脅威だ」と言って脅すのです。で、なにも答えていない。「戦う根性」以外のものを相手に示し得ない、そういう思考回路こそがテロリストを煽るのだということに触れない。

こういうのを虚仮威しというのです。ホグウォッシュとは、まさにチェイニーに向けてこそ発せられるべき罵倒語です。おまえは豚も喰わねえわ、ってね。

January 24, 2007

宮崎県下のゲイは総勢……

以下、zakzak1/22より転載
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_01/g2007012207.html
(きっといずれすぐ消えるのでリンクしないで済ませます)
***
そのまんま東の知事当選にゲイが“ひと肌”


梅川新之輔ママとマドンナちゃん(写真の中央後方)も昨夜、そのまんま東さん(右)のお祝いに駆けつけた
 宮崎県知事選で劇的な圧勝を収めたそのまんま東氏だが、意外な応援団から熱烈な支持を得ていた。宮崎市内の会見場には2人の“和服美女”が登場し、東氏をねぎらう姿が見られたが、この2人、宮崎市内のゲイバー「こけっと」の梅川新之輔ママとマドンナちゃん(共に年齢不詳)=写真。

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 東氏はマドンナちゃんの高校時代の先輩という縁で、タレント時代から同店にたびたび遊びに行っており、今回の知事選で2人がひと肌脱いだというわけだ。

 「宮崎県内のゲイの大御所」(マドンナちゃん)という梅川ママの協力のもと、県下のゲイ全員に東氏への投票を呼びかけたところ、全員が快諾。つまり東氏は宮崎県内では「ゲイからの支持率100%」を達成したわけだ。

 ちなみに、梅川ママによると、宮崎県内のゲイは総勢約20人。わずかな数字だが、このような勝手連が東氏を知事に押し上げたのも事実。梅川ママは「今までのネオン街は死んだみたいだったけど、これで宮崎の景気もよくなるわぁ〜」と色気たっぷりに話していた。

**

ふうん、そうなんだ。20人ねえ。
ちなみに例のジェンダーフリー条例の都城もこの宮崎県。
ちなみにzakzakはフジ産経グループのタブロイド紙のウェブ版です。
この程度です。

January 20, 2007

槙原ケイムアウト?

このところ注目のakaboshiくんのブログが、槙原敬之のカムアウトのテキストを見つけたことでなんだかよくわからないことが起きています。日本テレビのウェブサイトで「第2日本テレビ」というのがあって、そこで見られると言うんだけれど、ぼくのコンピュータはMacなので見られない。といってるあいだに、どうも、その該当の動画ファイルが削除されてしまうということになっているようなのですね。

問題の動画はakaboshiくんによれば「2007年1月15日に放送された『極上の月夜〜誰も知らない美輪明宏の世界』という番組のインタビュー収録の場で語られたことであり、放送ではオンエアされなかったようです。しかし、ネット上に現在公開されている「槇原敬之インタビュー(後編)+槇原敬之『ヨイトマケの唄』ライブ」にて見ることができます」ということだったらしい。

akaboshiくんのブログには、しかし、いまも字に起こされた槙原の発言が載っています。よくはっきりしないけれど、でもまあ、文脈を辿ればカムアウトしたってことなんでしょうね。
akaboshiくんの再録したこの文字テキストは削除できないでしょう。
しかし、そのおおもとの動画ファイルがいまなくなってしまったというのはさて、いったいどういうことなんでしょうね?

ぼくはむかし槙原が覚醒剤で逮捕され、その際になんとかくんというこちらはゲイの男性とともに逮捕されたことで同性愛“疑惑”が週刊誌で仰々しく報じられたときに、てっきり彼も覚悟を決めてカムアウトするものだとばかり思っていました。だって、どうしたってその“疑惑”は蓋然性からいっても事実であって隠しようがなかったから。だから、それを見越して、バディのコラムで、「さて、ぼくらはどうするのか、槙原を見捨てるのか?」と書きもしました。

ところが、隠したんですね。どうしたもんだか彼は、自分はゲイではない、と言った。
おかしなもんでそして当時、日本の芸能マスコミはそれを通用させたんです。
それは何だったのか?

きっとね、ゲイであることは汚辱だってことだったんだとおもいます。汚辱だけれど法律に触れることではない。だから責めるべきことではない。だからそれはプライヴァシーに関することとしてマスから隠してやるべきことでもある。だからこれを不問に付すのが芸能メディアとしての取るべき道である、と判断したのでしょう。なんとまあ慈悲にあふれた対応か。

それは芸能マスコミのやさしさだったのでしょうか? スキャンダルとして、それは離婚や不倫や浮気や隠し子よりも“ヤバい”ことだった。だから、ほんとうにそんなにヤバいことだから、書かないでいてやるのが情けだ、と。そう、離婚や不倫や浮気や隠し子は「書ける」ことです。しかし「同性愛」はマジな部分では「書けない」こと。お笑いやからかいでは書けるけれど、マジな次元では書けないこと。マジでヤバいことだった。

ここにとても複雑な、メディアのズルさがあります。なぜ書けないのか? 書くとそれが人権問題になることを知っているからです。しかし、彼らはそれを人権問題として書かないのではない。プライヴァシーの問題だ、として書かないのです。

このレトリック、あるいはもっと明確に、トリックが、わかりますか?
もし同性愛が人権問題ならば、言論・報道機関はそれを書かねばならないのです。しかし、これがプライヴァシーの問題であるとすれば、彼らはそれを書かない口実を得ることになる。その境界線を行き来することで、日本のメディアはずっと同性愛に触れないできた。いや、触れないできた、というよりどっち付かずの態度を取りつづけてこられた、というべきかもしれません。そうしてここで明らかになるのは、先に書いた「慈悲」とは、同性愛者に対する慈悲ではないということです。あの「慈悲」は、彼ら自身に対する慈悲、自分たちのどっちつかずに対する優しい甘さ、怠けに対する赦しなのです。

さて槙原に戻りましょう。
槙原の動画ファイルが消えた。これは何を意味するのか?
日テレに聞いてみなきゃわからんでしょうけれどね、あるいは槙原サイドからやっぱりありゃあまずい、と削除依頼を受けたのか。

なんとなく察しうるのは、槙原本人も、それとその本人をいちばん近くから見ている“スタッフ”も、カムアウトしたい、そろそろそんなことから楽になりたい、ということです。もう、いいじゃねえの、そんなこと、という感じ。美輪明宏の影響もあると言うか、美輪明宏の名前を出してその神通力に頼ると言うか、そういう含意もあるでしょうね、あの文脈では。ただし、本人サイドはほんと、もうバレバレだし見え見えだし、ええい、やっちゃえ、という勢いだったのだと思うのです。

ところが、それはやっぱりまずかった。よくよく考えると、やっぱ、削除だろう、となった。そんなところではないでしょうか? その背景にはakaboshiくんが書いてる「可視化するホモフォビア」とともにもう1つ、ホモフォビアへのプレコーション(事前警戒)、というのもあるのだと思う。怖いんですよ、マーケットが。

マーケットとは企業のCM、そのCMで成り立っているテレビ番組、諸々のパブリシティ用の印刷メディア、そうしてそれらに誘導される一般購買層です。事前警戒とは、おそらくホモフォビアがあるに違いないと事前に予測して、それよる損害を回避しようと行動することです。つまり、「やっぱ、削除だろう」なのです。

ただね、こうした姿勢って、商売としてそろそろだめになってくると思います。つまりね、ホモフォビアを抱えているような購買層というのは、どうしたって賢い消費者ではないわけですよ。企業及びビジネス自体が必要としているのは賢い購買層なの。槙原がゲイだって分ったって、それでもいいじゃん、という消費層あるいはファン層こそがCMを打って効果的なターゲット層なわけで、ホモフォビアを抱えてるような連中なんてどこにでも流れるような連中で当てにならない。後者だけを見ていて恐れていもだめなのです。ビジネスとしてはこの2層に別々の戦略が必要になってくると思うのですよ。

もっとも、日本ではすごく賢い人でもピアプレッシャー(同輩圧力)のせいでホモフォビックだったりしてね、それを治療するには同じくピアプレッシャーを利用してカムアウトした人を周囲に増やすしかないんだけど。

ま、それはまた別のときにでも再び。

(上記テキストに一部誤りがあったので差し替え訂正しました=1/21。大麻で逮捕と思ったのは覚醒剤でした。それと、放送日時が去年暮れではなくてこないだの15日だったそうです)

January 12, 2007

ハーヴィー・ミルクの胸像


6年近く前から準備されていた、サンフランシスコ市庁舎にハーヴィー・ミルクの胸像を設置するプロジェクトですが、いまその市庁舎に最終候補の3作の粘土プロトタイプが展示されました。「ハーヴィー・ミルクをもういちど市庁舎へ」というスローガンもいいですね。

彼がどういう人かはもう少なからぬ人が知っていると思いますが、知らない人はこちらを'クリック'。ここでは「ハーヴェイ・ミルク」となっていますけど(わたしも昔そう呼んでいたし、映画のタイトルもそうでした)、彼、ほんとの読みは「ハーヴィー」なんですね。だいたい英語の名前の読みで最後が「-ey」となってるのは「エイ」じゃなくて「イー」です(英語豆知識!)。

最終候補の作家はいずれもサンフランシスコ湾エリアのひとたちで、近々、この中から1作が選ばれます。で、1年かけて粘土からブロンズ像にして、それで来年2008年5月22日という、ハーヴィーの誕生日(生きていたら78歳です)に、除幕式っていうのかしら、公開される予定です(あら、彼、わたしの誕生日と1日違いだわん)。2008年は、彼が暗殺されてからちょうど30年目でもあります。

これは一般から9万ドル(1050万円)の寄付を集めて推進されているプロジェクトで、1等賞には制作費も合わせて6万ドル(700万円)くらいが提供されるんですって。最終候補の3作には粘土代で2500ドルだそう。

で、候補作は左のがいちばん写実的だね。この、ネクタイが風に翻ってるところがいいなあ。
で、顔としてはわたしは右のが好きかも。まさによく知っているハーヴィー・ミルクの笑顔です。
真ん中のは2つの別の顔が付いている。ペルソナっていう概念か。

さあ、どれになるんでしょう。どれに決まるにしても、いつも思うんだけどアメリカ人ってのはほんと人を顕彰するのがうまいやね。サンフランシスコの市役所にハーヴィー・ミルクの胸像が建つって、じつにサンフランシスコらしい計らい。決まったらまたここでお知らせします。

January 05, 2007

さて、2007年の書き初めは

今年はどんな年かといえば、アメリカでは来年11月(という遠い先)の大統領選挙への動きが徐々に表面化してくる年です。昨年11月の中間選挙で民主党が主導権を握った米国上下院議会が4日から始まりました。ということで、上にはめ込んだのは、昨年12月29日にニューハンプシャー州ポーツマスのタウンホールで行なわれた、民主党の大統領選挙出馬表明者ジョン・エドワーズの公開討論会の模様です。エドワーズは、2004年の選挙でも大統領候補に出馬して、けっきょく予備選でケリー上院議員に破れましたがそのケリーに請われて副大統領候補としていっしょに選挙戦を戦っていた若手のホープです。

さて、その彼がヒラリーやオバマより早く出馬表明して、選挙戦を開始、でこの質疑応答に臨んだわけです。一般参加者からの質問はイラク問題やなにやらと多岐にわたりますが、ここではお隣りマサチューセッツ州からの参加者であるマークさんという人が、ゲイマリッジについて質問しました。内容はかいつまむと次のようなものです。

質問「同性婚に関してはこの国には多くの軋轢が生まれているようですが、あなたの見方はどういうものですか? というか、あなたを支持するこの国のゲイの有権者に、どういうふうに話しますか、つまりその、宗教的な意味での同性結婚ではなく、公民権としてのゲイ結婚について、つまり同性のパートナーと結婚できる市民としての資格を得ることができるという意味での結婚に関して」

エドワーズの回答には、いまのアメリカの抱える困難が如実に示されています。というか、アメリカの大統領選挙で勝ち抜くための戦略的な物言いの難しさというものでしょう。

エドワーズは逃げるのです。こう言って。
「私にとって、一つの最も難しい問題ですね、個人的に──いえ、難しい問題はたくさんありますが──他の問題のほとんどにはそんなに個人的な葛藤は抱かないわけで。ただこのことに関しては個人的な苦悩が続いています……というのも、問題は、わたしの見方で言えば、自分のパートナーといっしょに暮らしたいという男女は、尊厳と敬意をもって扱われるべきだしその公民権も持って然るべきである。それが、おっしゃるように、アメリカにおける権利と公正さと正義である、と思うわけであり、そこで、問題は次にでは「それはシヴィル・ユニオンやパートナーシップの認知やパートナーとしての諸手当への支持を通しては達成できないものなのか? これではゲイのアメリカ人が与えられるべきレヴェルの尊厳と敬意は得られないのか? あるいは、ゲイ・マリッジの事柄へと橋を渡らなければならないものなのか?」、と。わたしは個人的にそのことに関してものすごく悩んでいます。答えがわからないのです。わかればいいのですが……云々」

じつは今月発売のバディにも書いたのですが、民主党の中でも最も先進的な1人とされるヒラリー・クリントンもまたゲイ・マリッジに関しては言葉を濁しています。

つまり、同性結婚の問題は、大統領選挙にとって鬼門中の鬼門なのです。

ならこう言ってはどうなのか?
「わたしは同性結婚には賛成です。しかし、いま同性結婚を支持すると公言すれば、多数の有権者にそっぽを向かれることになる。そうすれば大統領にはなれない。アメリカ全体の意思としては同性婚はいまはまだ時期尚早なのだと判断せざるを得ない。なので、戦略的に、わたしは同性結婚をまだ推進しようという立場を取らないことにします。しかし、時期が熟するときは必ず来る。HIV/AIDSに関してもその理解が多数派を占めた時期が来たように。その時期はわたしの任期中に来るかもしれない。そのときに同性婚に踏み切るにやぶさかではない。しかしそれまでは同性シヴィルユニオン、あるいは同性パートナーシップ制度として下地を作りたいのです」

まあ、そんなことをおくびにも出したら、それは同性婚賛成ということであって、戦略的にそれを隠しているということになって、まあ、選挙で投票者を失うことになるのは同じです。なのでそうとさえ言えないということになる。

つまり、言えないのですよ。

言えるときはいつか?
それは、そう言ったほうが票が取れる、失う票よりも得る票が多くなるときです。そうしていまはそうじゃないんだろうなあということなのです。

ただし、あと2年のうちに、そのような状況にならないとも限らないのもまた事実です。
というのも、例の米軍の同性愛者の従軍問題、「Don't Ask, Don't Tell」ポリシーですね、それがもうすぐにでも翻される時が近づいているのですから。これもまた、「Don't Ask, Don't Tell」の妥協が発効した1994年には考えられなかった状況なのです。

さてさて2007年。
まあ、今年もどうにかみなさん、生き延びましょうぜ。そうすりゃなんかかならずいいこともあるでしょうから。

November 14, 2006

おお、南アフリカよ〜&その他の短信

14日、南アフリカの国会(下院)が、なんと230対41という圧倒的多数で、同性婚を容認しました。
くーっ、やってくれますね。「結婚を男女に限定するのは憲法に保障する平等権に違反する」っていう違憲判決が最高裁で出たんだけど、それに基づいて議会で審議していた。

オランダ、ベルギー、スペイン、カナダに次ぐ、国家としては5番目の同性婚容認国です。

southafricamap.jpg

南アフリカって、ネルソン・マンデラが大統領になったときに「いかなる差別も許さない」という、アパルトヘイトの反省を込めた厳しい憲法(1994)を作ったのですね。で、そこには世界で初めて性的指向による差別も禁止するという文言が明確に規定されていた。ですから時間の問題ではあったんだが、国論はやはり、この議会の票決のようには圧倒的ではなく、なかなかきわどい二分状態だったようですよ。

同性愛はアフリカのほとんどの国で刑法犯罪で、なかには強姦や殺人と同じ量刑であるという状態の中、南アにはゲイの人権団体「OUT」ってのがあります。そこのプログラムマネジャーってからうーん、行動計画部長? ま、そんな役職のメラニー・ジャッジさん、さっそく速報しているNYタイムズにこんなコメントをしてます。

「この問題は私たちの憲法がどのような価値を持っているかのリトマス試験紙でした。平等って本当にどういう意味なのか? それはどんな姿をしているのか? 平等というのはスライド制の中には存在しません」

いいこと言うねえ。

これは今後、今月中にも全州評議会(上院)で承認されたあと、大統領の署名で法律になります。発効はまだ先でしょうけど。
ただ、批判票をかわそうと、役場の窓口係員が宗教上の理由などで(良心・宗教・信念の自由ってやつね)個人として同性婚申請者を拒否することもできるようになってるのですわ。こりゃまずいってんで、これに関してはまたまた法廷闘争の動きもあるかもしれません。こんなことしてたら黒人と白人の結婚も個人の思想上宗教上の信念によって拒否していいってことになりますものね。

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パリで先週の木曜日に(ギネスの日だっけ?)「同じ場所で最も多くのひとがキスをする世界記録」ってやつがやられたんだけど、あつまったのは1188人でみごと失敗に終わりました。世界記録は昨年ブダペストで集まった総計11570人の同時キスなんだってさ。

でもでも、はい、あなたは何人、この写真の中で同性同士でのキスを見つけられますか?

いい写真だなあ。

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残念なニュース。
モントリオールで今夏開かれたアウトゲームズ、大赤字。
モントリオール市に350万ドル(カナダドルだから3億円くらいかな)の借金ですって。
シカゴのゲイゲームズも赤字だったので、やっぱり、2つの分裂は財政的には痛かったんだろうなあ。なんでも派手だったし。さて次回はどうなるのでしょう?

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デザイナーのトム・フォード、エステローダーの重役とのミーティングで、彼の新作香水「ブラック・オーキッド(黒蘭)」の香りを、「男性の股間の匂いにしたい」って、あんた……。
pagesix014b.jpg

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Gays.comのドメインネームが50万ドルで売れたそうです。6000万円。
そんなに価値があるんですね。
久しぶりのドメイン売買ニュース。
ちなみに「Gay.com」は有名サイトで、こっちは既存、健在です。

November 10, 2006

エルサレムで何が起きているか?〜その他ハガード続報

イスラエルの首都であり、古代からユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒の巡礼の中心地であるエルサレムで、数週間前から、きょう11月10日に開催されるゲイプライド「ワールドプライド」のパレードに反対する超保守派(ウルトラオーソドックス)のユダヤ教徒たちの暴動が起きています。パレード開催予定のハレディ地区では夜ごとに車がひっくり返されたり火をつけられたりと、なんともこの宗教的憎悪の激しさは神をも畏れぬ蛮挙です。もっとも彼らはそれが神の意思だと思っているのだからたちが悪い。去年も参加者が刺されるという襲撃事件が起きました。本来はことし8月10日に行われたワールドプライドですが、メインイヴェントだったパレードはレバノン・ヒズボラへの攻撃や度重なる妨害で2度にわたって延期され、規模の縮小も余儀なくされてきました。8月には「ソドムとゴモラの住人たち(同性愛者たち)を殺した者には賞金20000NIS(50万円)を与える」というお触れまで出たんですよ。

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イスラエルでは同性愛は違法ではありません。たしか2年前には史上初のゲイの国会議員も誕生している。商業都市であるテルアビブではもう何年も前から大規模にゲイプライドマーチが敢行されています。しかし聖地イスラエルは別なのでしょう。「去年の刃傷沙汰はことし起こることに比べたら子供だましだったとわかるだろう。これは聖戦の布告なのだ」とラジオ番組で宣言する右派指導者まで現れる始末です。

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米ボストングローブ紙には、わざわざブルックリン(ニューヨークのこの地区にはオーソドックスジュー=正統派ユダヤ教徒=の一大コミュニティがあります)から出向いている反ゲイ活動家のラビ、イェフダ・ラヴィンが「この共通の憎悪の強大さは、ユダヤ人とムスリムの共闘を生むほどだ」とコメントしていました。じじつ、世界三大宗教の代表者たちがそろって聖地でのゲイプライドの開催を禁止するよう政府に要求してもいます。パレスチナを巡って戦争までしているユダヤ人とアラブのイスラム教徒が、ホモセクシュアルを駆逐しようというその猛攻においてのみ結託できるというこの愚かさを、私たちはそれこそナチスのユダヤ人虐殺やキリスト教による十字軍の傲慢に喩えることができるのですが。

じつは今日11月10日は「クリスタルナハト=クリスタル(割れたガラス)の夜」の記念日なんですね。クリスタルの夜とは、ナチがユダヤ人の商店・住宅・教会堂を破壊し大虐殺を行った1938年11月9日から10日にかけての夜のことです。それもユダヤ教原理主義者たちの不興を買ったのでしょうが。

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そういうわけで、このパレードの開催に向けてまたもや警察が妥協策を提示して、これには8日のガザへのイスラエルの誤爆で市民が19人も死んで、パレスチナ側がその報復テロを予告しているのでその警備をしなくてはならないということが背景なんですがね、まさに前門の虎、後門の狼状態。場所をヘブライ大学構内のスタジアムに限定する野外集会ということになったようですが、それでパレードの代わりと言えるんだろうかという疑問も残ります。でもとにかくそれがあと数時間で始まります。警官隊は3000人体制で警備すると言っているのですが、さて週末にかけて予想されるこのエルサレムの混乱は日本では報道されるでしょうか。

しかしそれにしても、こんなにまで妨害されても暴力をふるわれても、どうしてゲイたちはパレードを行おうとするのでしょうね。
それがわからないひとには、たしかにこれはなんの意味も持たないニュースではあります。

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全米福音派協会代表で自ら率いるニューライフ教会の司祭テッド・ハガードをアウトしたマイク・ジョーンズが、アウティングの行為によって福音派の連中から感謝されているというエピソードを紹介している。
コロラドスプリングスでホテルにチェックインした際、ニューライフ教会の信者という受付の男性が手を差し伸べてきて、「ありがとう。あなたのおかげで教会もテッドも救われた。テッドはこれで彼の必要とする助けを受けることができる」。
サイテー。
悔い改めよ、さらば救われん、ってことに収斂してしまっているようだ。

そのマイク・ジョーンズがもう1人をアウティング。

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ハガードの親友で全世界6000局で毎日放送されているラジオ番組「Focus on the Family」と、同名の非営利団体を持つ福音派クリスチャンの反ゲイ超保守派指導者、ジェイムズ・ドブソン=写真上=もゲイだ、と。

そのドブソン、ハガードのリハビリチームから「この重大な責任を負う仕事に対応できる時間がない」と辞去。神の助けを親友に与える時間のない宗教者とはいったい何ぞや。

そのハガードも登場した映画「ジーザス・キャンプ」(少年少女へのキリスト教洗脳サマーキャンプ)を率いるペンタコスタ派の司祭ベッキー・フィッシャー、「いまは危険な時期」ということでこのサマーキャンプを当面の間(数年間)中止すると発表。
おまえら、ずっと危険だったろ。

で、ハガードのリハビリとは、キリスト教系ニュースサイト「ChristianToday,com」によれば、

http://www.christiantoday.co.jp/news.htm?id=654&code=dom

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ハガード元米福音同盟代表、長期リハビリに参加へ
2006年11月10日 14時06分
 男性との「性的不品行」の疑惑を受けて米国福音同盟(NAE)代表を辞任したテッド・ハガード氏が、同性愛者向けの長期リハビリを始めることが10日、米国メディアの報道でわかった。

 メディアによると、リハビリはキリスト教理念に基づいて行われる。集団および個人カウンセリングと祈りで構成され、3−5年を要する。回復には個人差があり、個々の必要に応じてプログラムを組み立てる。

 祈りやカウンセリングでは、キリスト教徒として高い水準の聖潔を維持している人々と長期間交流をしながら、患者が自分自身の罪、不道徳さ、課題に正面から取り組む。

 コロラド州コロラド・スプリングスに拠点を置く福音主義キリスト教団体、フォーカス・オン・ファミリーのロンドン副代表はリハビリについて、「成功率は50パーセント。失敗して途中で逃げてしまった患者は正気を失って持ち物を売り払い、人々を避けながら寂しく余生を送るケースがほとんどだ」とプログラムの過酷さを明かした。リハビリの成果は患者の強い精神力と、支援側の正しい判断力にかかっているという。

 同団体創設者、ジェームズ・ドブソン師は当初ハガード氏の治療に参加する予定だったが、日程が合わず辞退が決まった。これまでにジャック・ヘイフォード牧師(チャーチ・オン・ザ・ウェイ主任、カリフォルニア州)とトミー・バーネット牧師(フェニックス・ファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド主任、テキサス州)らメガチャーチ(1万人を超す大規模な教会)の代表らがカウンセラーとして名乗りを上げている。

リハビリを経たハガード氏が宣教復帰するかは不明。同氏の弁護士で親友でもあるレオナルド・チェスラー氏は「彼(ハガード氏)は人生を神にささげて献身的に行き、今後も神の導きに自身を委ねたいと願っている」と話した。

***
これって、いわゆる「エックス・ゲイ(元ゲイ)」運動の“リハビリ”でしょう? 「ゲイを治す」というやつ。ああ、神さま。やっぱりけっきょくこいつら、なにもわかってないようです。なんたることか。


(冒頭のニュースの続報アップデートです)
イェルサレムのゲイプライド「ワールドプライド」、無事開催。

とはいえ、当初予定のパレードではなくヘブライ大学スタジアムを利用した青空集会(ラリー)に縮小(ってのは冒頭のブログのとおり)。反ゲイのユダヤ教、キリスト教、イスラム教の暴動や襲撃事件だけでなく、8日にガザ地区にイスラエル軍が誤爆して子ども7人を含む19人の一般パレスチナ市民が死亡するという事件があったため、パレスチナによる報復テロを恐れてイスラエルはそれでなくとも厳戒態勢。金属探知機などを使った3000人の警官の物々しい警備の中、取材者発表で1万人、警察発表で2000人、ってことはつまり、だいたい4000人が集まったってことでしょうね。
ほんと、イェルサレムは快晴のようでした。

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ところで、やっぱりラリーに妥協じゃなくちゃんとパレードをというLGBTの流れも止められず、ガン・アハアモン公園という別の場所から(大学との位置関係わかりません。すんません)「自然発生的な」パレードを計画していたグループもあった。で、こっちはパレードを始めようとしてあっという間に警官隊ともみ合いになって、30人の逮捕者を出したもよう。

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プライド反対の宗教学生のグループ250人がプライド集会後にデモを行ったらしいが、目立った衝突はなかった。

この問題に関する英語を話すイスラエル人及び他国人の意見はイスラエルの新聞ハーレッツ(って読むのかしら?)のサイトで読めます。なかなか興味深いです。

http://www.haaretz.com/hasen/pages/ArticleNews.jhtml?itemNo=784991&contrassID=13&subContrassID=1&sbSubContrassID=0

ken.mehlman.jpg

もう1人のアウティングされそうな隠れゲイ、共和党全米委員会(NRC)議長のケン・マールマン=写真上。先日のCNN「ラリー・キング・ライブ」でのビル・マーによる名指しが聞いたわけでもないんだろうが、どうも1月に議長職から退く予定らしいとのニュースが。まあ、選挙大敗の責任を取って、ということだろうが、“ゲイ疑惑”が弾けるまえに、ということなんでもあるんだろう。
しかしねえ……。
(さらに続報=マールマン、新年度はNRC議長職から退くことを発表しました。尻に火がついたんでね)

November 09, 2006

アメリカは変わるか〜中間選挙終わる

昨日からずっと中間選挙の結果を追って原稿を書いていました。やっと一息ついたのでブログにはLGBT関連のまとめを書き留めておこうと思います。とはいえ、まだ頭の中でまとめてるだけなので、書きながら、ということですか。

民主党の地滑り的勝利と言っていい下院での大量当選と、上院もまあヴァージニアのジェイムズ・ウェブの当選が確実になりましたので、あとはその票差が1%以内ということで負けた共和党の大物議員のジョージ・アレンが再カウントを要請するかどうかにかかっています。再カウントしてまた負けたらこいつは潔くないということでアレンは次の選挙にも目がなくなる。さあ、今か次か、どちらに賭けるか。

ということで民主党が議会を握るのは間違いありません。それでは同性婚などのLGBT関連の法案が通るようになるか。これにはまだ判断を示せません。プライオリティはまずはイラクなのです。さらに、ここで急進的に走ると次の08年の大統領選挙での反動が怖い。LGBT関連の事項に限らず、ここはまさに戦略的に事を進めるべきなのだと民主党側は思っていると思います。なぜなら、正念場はどうしたって2年後の大統領選挙なのですから。そのためには、次の2年間で議会では大統領を牽制しながら共和党からは妥協を引き出しながら建設的な施策を具現させることです。そうして国民の信頼を堅固にしてから大統領選挙に臨む。それしかありません。

ただ、布石というか伏線は張れました。まずはヒラリーがNY州の上院選で67%もの圧倒的な得票率で勝ったということです。同時に知事も同性婚賛成を公言している前州検察長官のスピッツァーが、その後任の検察長官にはリベラルで知られるマリオ・クオモ元州知事の息子であるアンドリュー・クオモが、そうして州会計監査官にも民主党のハヴェシ(彼はいろいろ私的流用などのスキャンダルがあったのに謝罪して当選)がそろって当選し、民主党の牙城である(あったはずの)ニューヨークの面目躍如といったところです(市長と知事が共和党だったのを、少なくとも知事だけは奪還したということで)。

このため、私としてはNY州が、同性婚に関する次の主戦場になるものだと思っています。

ところが、それもヒラリーが大統領になってからかもしれません。ヒラリー・ロダム・クリントンには昔からあまりに急進的だという批判がついて回っています。人気も高いが、毛嫌いする勢力も多い。しかも当選すればなにせ史上初の女性大統領ですからね、その抵抗勢力は筆舌に尽くし難いものになるに違いない。そこでより穏健なバラク・オバマの出馬が取りざたされてもいるわけです。もっとも、彼としても史上初のアフリカ系(父はケニア出身のイスラム教徒、毋はカンザス出身の白人、本人はプロテスタント)の大統領となるわけですが。

さてその同性婚問題は、今回の中間選挙で8州で「結婚は男女間に限る」という州憲法の新規定(修正)を作ろうとした住民投票が行われ、7州(アイダホ、サウスカロライナ、テネシー、ヴァージニア、ウィスコンシン、コロラド、サウスダコタ)で賛成多数だったものの、この種の住民投票としては初めて、アリゾナ州でこの提案が否決されたのです。

これは画期的なことです。なにしろ前回04年の選挙の時の住民投票では11戦11敗。しかも、そんな差別的な憲法修正に対する反対票が40%に届いたのがわずか2州だったのに、今回の7州のうちでこの提案の反対者が40%を超えたのは5州もあった。これは、確実に同性婚への理解がじわじわと広がっていることを指し示す証左でしょう。ニュースの見出としては「今回も7州で同性婚禁止の憲法修正案に賛成票」となるんでしょうがね、ほんとうは「アリゾナ州で同性婚禁止提案に史上初のノー」ってことのほうがニュースとしての読みは面白いでしょう。

ハガードのときも書きましたが、これってやはり同性婚は「どうでもよい問題」「そんなに目くじらを立てなくてもいいんじゃないの、ってな問題」に徐々になってきたことなのではないかと思うのです。わたしは、それは健全な推移だと思います。「同性婚は認めなくちゃ」という力の入った訴えの時期から、大衆レヴェルでは「まあ、そういう感じかな」というふうに変わってゆく。そうして、そういうふうにしてしか歴史ってのは変わらないんじゃないかと思うのですね。

また、Gay & Lesbian Victory Fund という、選挙に際してLGBTコミュニティとしてオープンリーゲイの候補への推薦を行う団体があるのですが、今回はそこが推薦した候補の67人もが当選したようです(中間選挙より前に行われた一部の選挙も含む)。ほとんどが州議会議員や市、郡レヴェルでの当選ですが、88人の立候補のうち67人が当選、しかもその37人が新人議員でした。州議会に初めてLGBT議員が登場したのがアラバマ州、アーカンソー州、オクラホマ州の3州で、公選のどのレヴェルでも歴史上、州内にオープンリーLGTBの公僕が誕生したことがないのはこれでアラスカなどの7州に減りました。さらに州議会議員でオープンリーLGBTがいたためしのない州もフロリダやハワイ、ペンシルバニアなど13州になりました。まあ、つまり計20州ではだれもオープンに選挙で公職に就いたことがないんですね。たしかトランスジェンダーの議員というのも、米国選挙史上では1人もまだ存在しません。イタリアのルクスリアさんや日本の上川さん、それにドイツのどこかではたしか首長さんがいましたよね、そういう意味では画期的なんです。

ただ、アメリカってのはいったん姿を現すと速い。トランスジェンダーの問題はいまから10年前まではゲイコミュニティの中でも議論にすらなっていなかったんですよ。ほんと、この7、8年なんです。それがいまや、そうそう、昨日のニュースでしたが、ニューヨーク市はいまトランスジェンダーの人たちの性別表記を早急に変えられるように法整備を進めているというのです。これまでは性別適合手術をしていないとジェンダー表記を変えられなかったのですが、これからはいわゆる性同一性障害という治療の過程にあれば、例えばホルモン治療を行っているとか心理療法に通っているとか、そういう医者の証明があれば、公文書でも性別を自分の心理上のジェンダーに合わせて変えてよいことになる。(続報=これ、市議会で否決されました。残念。時期尚早ということ。しかし推進派はこれからも強力にアクションを起こしてゆくとのことです)

これは9/11後のセキュリティチェックの厳格化で、そうしたトランスジェンダーの人たちがIDを見せる際にとても大変な目に遭っていることをどうにかしなければ、という動きなのですね。従来あった就職の際の履歴書の記載とかも重要ですが、とにかくいまはニューヨーク市内でちょっとしたオフィスビルに入るのにもIDを見せてチェックを受ける。空港でも史跡でも公的な施設はみんなそう。近くのデリでビールを買うときにだって21歳以上である証明としてIDの提示を求められるんだけど、その都度、トランスジェンダーの人たちはひどく嫌な思いをするわけですよ。それはちょっと想像力を働かせればすぐにわかることだ。

いまのニューヨークでは1971年から施行の法律で性別適合(性転換)手術を受けたひとにだけ出生証明の性別欄の書き換えが認められているんですが、テネシー、オハイオ、アイダホ州では書き換えは一切不可なんです。でも、こうしたこともかくじつに変わっていく方向にあるのです。アメリカって、そういうのがほんと目に見えるんです。これは住んでいてストレスのたまらないところですね。他にはたくさんストレスがあるようですが。

そうそう、もう1つ。
共和党上院のNO.3だったペンシルバニア選出のリック・サントラム=写真下=、このブルシット(http://www.bureau415.com/kitamaru/archives/000010.html)でもあの最高裁が同性間性行為の違法性(ソドミー法)を覆した際に「合意があれば家庭内でどんな性行為も許されると最高裁が認めたら、重婚や一夫多妻や近親相姦や不倫の権利も認めることになりなにをしてもよいことになってしまう」ってなブルシットを吐いたおバカなキリスト教原理主義(カトリックのオプス・デイ=ダ・ヴィンチ・コードにも出てきたセクトですわ)のホモフォビック議員ですが、落ちました。はは。

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ところで今日のラリー・キング・ライヴに、わたしがいつも注目しているコメディアンのビル・マーが出ていて今回の民主党の大勝利について(っていうか共和党の凋落について)話してたんですが、その中で彼、共和党全国委員会(RNC)の議長であるケン・マールマン=写真下=がゲイであるとアウティングしていました。かねてから噂のある人物だったんですが。

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しっかし、どうしてこうも保守派層や宗教人や共和党のエラいやつらがそろって隠れゲイで、しかもそろってアンチゲイな、というよりももっと明確にゲイバッシングな言動を繰り返すのでしょう。

それに関してはまた日をあらためてじっくり考察したいと思います。

November 08, 2006

神戸新聞のこの連載はすごい!

最近、日本の新聞づいておりますが、今日のはたまたま、ホントにたまたま仕事途中の逃避行動でネットサーフィンしていて見つけたもの。

神戸新聞のこの夏の連載記事です。
こんな良い企画ものが載ったことをいままで知りませんでした。

例の、神戸で“見つかった”性同一性障害の7歳の男の子(心は女の子)の調査報道です。
タイトルは「ほんとうのじぶん —性同一性障害の子どもたち」
筆者は「霍見真一郎」記者。
筆致はあくまで真摯。余計な飾りのない、素晴らしい原稿です。

地方新聞にこうした良質な記事を書ける記者がいる。うれしいなあ。しかも男の人ですよ! こういう原稿、男イズムにかまけている男性記者たちにはなかなか書けない。いつもLGBT関係は女性記者の独壇場なのです。彼女たちはセクシズムに侵されてない、というより侵されてそれを弾こうと意識的なのだから。

時間があるときに読んでみてください。
最初のページはここです。
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200607gid/01.htm

私は読んでいて、不覚にも3度ほど涙が出ました。
一部、以下に抜粋。

**
 母は信じられず、日を置いて、幾度か同じ問いを投げかけ、そのたびに泣かれた。
 あるときは、「いつから女の子になりたいと思っていたの」と聞いた。春樹の答えはこうだった。
 「なりたいんじゃなくて、(生まれたときから)女の子なの」

**

くーっ。この春樹ちゃん、いろんな意味で、なかなかすごいんだ。
ちょっと遅きに失したけどおもわず賞賛のメールを送ろうとしたら、神戸新聞のサイト、読者からのフィードバックを受け付ける窓口がどこにあるのかわかりません。
webmasterにメールすればいいのかしら?
ぜひ、この霍見真一郎記者に謝意を伝えたいものです。
在り難いとは、まさにこのように、存在が稀であることへの謂いなのです。

November 04, 2006

どっちを見てもホモだらけ?

アメリカでまたまたとんでもないスキャンダルが発覚しました。

ted_haggard-thumb.jpg

テッド・ハガード(50)=写真上=という、全米3000万人もの信者を有する「福音派(Evangelical=エヴァンゲリオンの語源ですね)」のトップが、まあ、キリスト教保守派の総本山とも言うべき「全米福音教会協会(the National Association of Evangelicals=NAE)」の会長さんなんですけど、日本でいえば創価学会の池田大作みたいなひとですかね、このひとが、なんと3年間にわたって男性エスコート(プロの男娼です)と性的関係を続けていたってことを、このエスコートがばらしちゃったのです。うわっ、なに、それ? です。それだけでなくて、このハガードが覚せい剤(メタアンフェタミン)などの麻薬を使ってることも、「私のファンタジーは18歳から22歳くらいの大学生の男の子たち6人といっしょにセックスすることだ」なんて話してたこともばらしちゃった。おまけに「アート」と名乗ってこのエスコートに残していた伝言メッセージ(ボイスメール)も公開されました。麻薬を100ドルとか200ドル分、いますぐ手配できないかって言う話です。

この「福音派」、前の日記にも書いた例の「静かな広がり」の「ヘルハウス」のおっちゃん、なんとかロバーツ牧師ってのも所属している右翼バリバリの会派です。もちろん「ホモは地獄に堕ちろ!」派の中心組織。で、ハガードさん、本日の朝のニュースショーでニコニコしながら「私はゲイの関係など持ったこともない」「妻に忠実な夫だ」とかって余裕(のカラ元気?)でいってたけど(子供も5人!います)、NAEの協会長を辞任、自ら率いる「ニューライフ教会」(信者14000人、本部・コロラドスプリングス)の代表も降りると発表しました。このひと、「タイム」誌で「最も影響力のある福音派宗教人25人」に選ばれたようなやつで、「福音派教会の政治的方向性を支配するのに彼より強大な人物はいない」ってひとなのです。毎週月曜にはブッシュに週の初めのありがたい聖書のお話をしてるっていうし、電話すれば24時間以内に必ず大統領から返事が来るって豪語もしてる。

で、ご多分に漏れず、信者を前にしてはアンチ・ホモセクシュアルの説教をバシバシ。同性婚などもってのほかで大反対っていう急先鋒。いまアメリカで話題のドキュメンタリー映画「ジーザス・キャンプ」(少年少女たちを大量に動員してサマーキャンプをやるように福音派の教義を教え込むキャンプ。洗脳キャンプですね)にも噛み付いてる。彼自身が映ってますからね。

(ふうむ、私らもあんたが昨晩、何してたか知ったってわけよん)

いやいや、マーク・フォーリーといい、いったいこの保守派連中のホモセックス行為はいったい何なんでしょう。今回これをばらしたメイル・エスコートはマイク・ジョーンズさん(49)=写真下=ってひとなんだけど、つい最近、この3年間毎月決まって自分の体を買っていたこの相手がハガードだって気づいて、しかも同性婚やホモセクシュアルへの攻撃的なスピーチの内容を聞いて、このアウティングを決意したんだそうな。「みんな私を見て(メイル・エスコートなんて)反道徳的な人間だと言うかもしれないが、心では道徳的なことをしなければと思ってきた。言ってることとやってることのまったく違う偽善的な人間を公にすることが、わたしにとっての道徳的な行為だった」と話してます。で、ハガードとは完全に肉体関係だけで、「情緒的な関係emotional relationshipはまったくない」と。「心は孤独なクローゼット」ってなら同情の余地があるかもしれないが(そんなことねえか)、単純に肉体的快楽を追い求めてのゲイセックス狂いだってなら、あちゃちゃ、イタいですな、こりゃ。

mike_jones.jpgmikejones.jpg

一方のハガードは「麻薬は買ったが興味があっただけで使ってはいない」と言い訳。マイク・ジョーンズをホテルに呼んでいた一件についても「マッサージをしてもらっただけでセックスはしていない」と言い張っております。なるほどね。

まあ、来週火曜日の中間選挙に向けて、ということもあるでしょうが、出てくるは出てくるは。

敬虔なキリスト教信者は、おそらくかわいそうなくらい混乱してるでしょうね。いったい、何がなんだかわからなくなってるんじゃないでしょうか。いやそれとも、こんなのはやはり神の与えた試煉だと考えているのかも。あるいはデマだ、信じない、とか。

わたしだってこうも続くといったい何だかわかりません。

こうしたスキャンダルはさて、選挙にどう影響してくるのでしょうか。

今回の選挙と前回の2004年選挙との大きな違いは、同性婚や人工中絶などのモラル・イッシュー(道徳問題)はひとびとの関心から離れてきているということです。CNNの調査では、同性婚が一番の争点と言うひとは1%にしかならない。これは日本のマスメディアでも「イラク戦争の泥沼化のことが大きすぎてそちらに目が回らない」というような言い方がなされているのですが、私にはどうももっと積極的に(あるいは消極的に?)、同性婚のことなどどうでもよくなってきたんじゃないかと思われるのです。どうでもよくなってきた、というのはもちろん、そんなに目くじらを立てるほどのことではないんじゃないか、認めてもいいんじゃないの、というような感じが、大勢を占めてきたんじゃないか、という意味です。

その証拠に、やはりCNNの最新の調査では、同性婚を認めるべきというひとは28%。ドメスティックパートナーなどのシヴィルユニオンの形を認めるべき、というひとは29%で、この2つを会わせると57%と、大きく過半数なのです。どちらも認めるべきではない、というひとは39%にとどまって、これは2年前とは大きな違いです。

そうしてこうした一連のスキャンダルで最も影響を受けると思われるのは、共和党、というかブッシュの支持母体であった草の根保守主義のキリスト者たちが、呆れて今回は投票にいかなくなる、ということなのではないかと思うのですね。つまり、2年前には同性婚支持派の拡大に危機感を持っていて投票に出かけた層が、今回はなんだかわからなくなって投票に出かけるだけの動機付けにも迷ってしまう、ということなんじゃないか。

だって、ホモセクシュアルはダメと言っていたひとがホモセックスを楽しんでいたとなると、これはそのひとが投票しようと訴えていた共和党も、ほんとに投票していいのかどうかわらなくなる。だって共和党にはマーク・フォーリーみたいなやつもいたということが明らかになったばかりですし。で、共和党も民主党もとにかくホモばっかりだ。もう政治はダメだ。投票にも行きたくない、という具合になるのではないか。

これが今回の共和党の不振の下支えになっているのではないかと思うのです。もちろん上の揺れを支えているのはイラクですけどね。

November 03, 2006

すっかりクレーマー〜朝日記事、続報

どんな組織でも、組織というのはすぐれた部分もあるし劣った部分もあります。ですから、例えば「朝日新聞をどう思いますか」と訊かれても「読売はどうですか」と言われても、応えはだいたい同じです。「すごい記者もいればひどい記者もいる。素晴らしいデスクもいればとんでもないデスクもいる。その比率はどの社もだいたい同じ」。

ですんで、新聞を読むときはいずれも記事を個別に判断しなければなりません。そうして同じ内容の、同じ題材を扱った他社の記事と比較してみれば、どの記事に何が足りないのか、何が余計なのか、何が舌足らずなのかがわかってきます。

先日の、朝日のイタリアの「ゲイの議員」の一件は、朝日新聞広報部から正式に「議員自身がゲイだと公表しているから」そう記したのだという回答をもらいました。しかし、実際は違うようです。善意に解釈して、ゲイとトランスジェンダーの違いがまだ行き渡っていない社会なので、朝日の筆者(ロイター電の訳者ですが)もそのイタリアでの言いに引っかかったのではないか、とも斟酌しましたが。

くだんのルクスリア議員は、自分では「ゲイ」と言っていないのです。

イタリアでゲイを公表している議員はGianpaolo Silvestriといい、ルクスリア議員と同じ選挙で初当選した、上院初のオープンリーゲイ議員です。一方、ルクスリア議員はイタリアではゲイの団体からも「Vladimir Luxuria, 1° deputata transgender d'Europa 」というふうに紹介されている。(参考=http://www.arcigay.it/show.php?1865)

英語版のウィキペディアでも以下の通りです。
「Luxuria identifies using the English word "transgender" and prefers feminine pronouns, titles, and adjectives.」
(http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Luxuria)
「英語でのトランスジェンダーという言葉を使って自分をアイデンティファイしている」、つまり、自分はトランスジェンダーだと言っているわけです。

したがって「本人がゲイであると公表しているため」という朝日広報部の回答は、裏が取れない。確認できない。 適当にごまかせると思って嘘をついたとは思いたくはありませんが、回答は結果としてはまぎれもなく嘘です。まあここでも斟酌すれば、ゲイライツを標榜とか、イタリアでゲイプライドを始めたとか、そういう記述に引っ張られたのかもしれませんけれど。

**

それで終わればよかったのですが、翌々日にふたたびおかしな外信記事が朝日に載りました。以下のようなものです。

「お化け屋敷」で神の教え 若者呼ぼうと米で広がり

2006年11月01日03時13分
 ハロウィーンの“本場”の米国で、この時期、民間のお化け屋敷の形を借りてキリスト教の教えに基づく世界観を広めようとする「ヘルハウス」(地獄の家)が静かな広がりをみせている。若者を教会に引きつけようと、31日のハロウィーン本番にかけて、各地で人工妊娠中絶や同性愛の人たちが地獄に落ちる筋書きの「宗教お化け屋敷」が設営されている。

 ヘルハウスは、教会に通ったことのない10〜20代を主な対象にしている。七つの部屋を通り、最後は地獄と天国を体験する仕組み。同性愛、人工妊娠中絶、自殺、飲酒運転、オカルトなどにかかわった人たちが苦しむ様子が描かれる。

 ヘルハウスは30年以上前からあったが、95年に福音主義のニュー・デスティニー・クリスチャン・センターのキーナン・ロバーツ牧師が筋書きと設営の仕方をセットにして売り出して広まった。ハロウィーンを前に各地に設けられるお化け屋敷を利用した形だ。同牧師は「教会ドラマ」と呼ぶ。

 同牧師によると、800以上の教会が購入、米国の全州と南米を中心に20カ国に広がっている。米南部と西部が中心だが、ニューヨークでは今年、これを利用した舞台版のお化け屋敷も登場、連日大入りの人気だった。

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この最後の部分、「ニューヨークでは今年、これを利用した舞台版のお化け屋敷も登場、連日大入りの人気だった。」というのが引っかかりました。こんな宗教右翼のプロパガンダがニューヨークで流行るはずがないのです。流行ったらそれこそ大ニュースで、だとしたら私の日々のニュースチェックに引っかかってこないはずがない。ってか、だいたい、こんな宗教右派の折伏劇を取り上げてなんの批判も反対も紹介しないで「静かな広がりをみせている」だなんて、おまえはキリスト教原理主義宣伝新聞か、ってツッコミを入れたくなっても当然でしょう。

で、NYタイムズなどのアーカイヴを調べました。そうしたら案の定、話はまったく違ったのです。

このニューヨーク版はブルックリン・DUMBO地区の小劇場で10月29日まで2週間ほど行われていたものですが、これには今年初めのロサンゼルスでの「ハリウッド・ヘルハウス」というパロディ版が伏線にあります。キーナン・ロバーツ牧師の売っている筋書きと設定をハリウッドのプロダクションが買って脚本を作り、面白おかしいパロディにして上演した。地獄を案内する狂言回しの「悪魔」役はいまコメディアンとしてHBOで人気トークショー番組(毎回、政界や芸能界やメディアなど各界の左右の論客を3人呼んでそのときの政治問題を侃々諤々と議論する1時間番組)ホストを務めるビル・マー。これだけでもこの劇を「嗤いもの」にしようとしている意図がわかろうというものです。

で、そのヒットにかこつけて今度はNY版が出来上がった。しかしこちらはそう明確なお嗤いにはしなかった。「悪魔」役こそ誇張されて変だけれど、展開する寸劇はより生々しくシリアスにおどろおどろしく、制作陣の意図はむしろこうしたキリスト教原理主義の教条をナマのままに差し出したほうが観客の自ずからの批判を期待できるのではないか、ということだったようです。ってか、ここに来るような観客はみんな地獄に堕ちろと言われんばかりのニューヨーカーなんですから。

NYタイムズの劇評(10/14付け)は「Obviously, “Hell House” is a bring-your-own-irony sort of affair.(言うまでもなく、「ヘルハウス」は自らこの劇の皮肉を気づくためのもの)」と結んでいます。まあふつうそうでしょう。これで信仰に帰依しちゃうようなナイーヴなひとはとてもニューヨークでは生きていけないもの。ちなみにこの劇団、例のトム・クルーズの没頭する変形キリスト教集団「サイエントロジー」をおちょくった「A Very Merry Unauthorized Children’s Scientology Pageant」なんて劇をやってたりするようなところですし。

つまり、言うまでもなく、朝日のこの記事の結語はまったくの誤解を与える誤訳なのです(じつはこれはそもそも、APの英文記事の翻訳原稿でしかありません)。文脈としてはまったく逆であって、全米の教会ではまともに布教活動の一環として素人演劇で行われているが、NYでの連日の大入りの背景は逆に、そんなキリスト教原理主義のばかばかしさを笑う、あるいは呆れる、あるいはそのばかばかしさに喫驚するための、エンターテインメントなのです。ね、ぜんぜん意味が違ってくるでしょう?

「同性愛や人工妊娠中絶の人たちが地獄に堕ちる」というような、とてもセンシティヴな話題を取り上げるとき、まずこれをどういった姿勢で書くのか、どういった背景があるのか(ことしの米国は中間選挙で、モラル論争をふたたび梃子にしようとする右派の動きとこの「ヘルハウス」は無縁ではありません)、さらに、書くことで傷つくひとはいないのか、ということをまずは考えなくてはいけません。それだけではない。新聞社にはデスクという職責があって、記者がそういうものを書いてもデスクで塞き止めるというフェイル・セーフ機構があるはずなのです。朝日のこの記事、および例のトランスジェンダー議員の記事、立て続けに出ただけに、おいおい、だいじょうぶかいな、という心配と腹立たしさが募りました。こういうことを書くことで「だからマスコミは」「だから新聞記者は」「だからジャーナリズムは」という安直な批判言説を生み出してしまうとしたら、その失うものは筆者やデスクやその新聞社の名前だけにとどまるものではないのです。

朝日は10月半ばにLGBT関係で大阪の記者がレインボーパレードを取り上げたり、同性愛者の「結婚」も市長が祝福という記事を書いたり、「ダブルに男性同士」宿泊拒否ダメ 大阪市、ホテル指導、と教えてくれたり、ヒットを連発してくれてとてもありがたい限りだったのですが。

ね、ですから、「朝日新聞をどう思いますか」と訊かれても、それは全体としては応えられないわけで、これはよかったけれど、あれはひどかった、としか言えないのです。

November 02, 2006

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

一部スポーツ紙などですでに紹介記事が載りました=写真=が、NY発のグラムロック・ミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」が来年2月15日から新宿歌舞伎町のライヴハウスFACE、および大阪、名古屋、仙台、福岡で再々上演されることになりました。

その公式サイトが昨日、オープンしました。
http://www.hedwig.jp/

わたしが原作の台本を歌詞まで含めてすべて忠実に、なおかつ発語してもリズムが乱れないよう語呂よく翻訳しました。ってか、舞台セリフなんでかなり難しいんで、日本語の脚本は演出家の鈴木勝秀さんに改竄自由に任せています。

昨年まで三上博史でパルコ劇場で2年続きで公演が行われていますが、今回はより若い、原作に近いヘドウィグをねらってるそうです。で、そのヘドウィグは山本耕史が半裸になってやるの。そのジェンダー混乱のパートナー、イツァークを中村中ちゃんが演じます。

まあ、原作は90年代初めのジェンダーベンディングの傑作。あの当時の時代性、政治性もおおいに感じる。東西分裂と男女分裂とその和解と融合と。つまりはすごく深読み(もちろんクイアリードですがね)もできる物語です。ミュージカルというより、ロックのライブコンサートに近い舞台構成ですんで、タテノリ好きのひともどーぞ。

チケットは今月18日から電子チケットぴあとかローソンとかで発売になるそうです。

ロッキーホラーショーじゃないけど、ヘドウィグ・フリークという大ファン層が日本にもすでに存在してるそうなんで、会場はきっと若い女の子が圧倒的でしょうけど、冬の寒いさなか、熱い狂乱のステージの炎をあなたの心に点してください。

October 30, 2006

おいおい、朝日新聞よ

いったい何事かとびっくりして読んでみたら、へっ?

***

ゲイの議員の女子トイレ使用巡り大げんか 伊下院

2006年10月30日11時40分
 イタリア下院で27日、中道左派に所属するゲイの議員が女子トイレを使おうとしたところ、中道右派の女性議員から抗議されて大げんかになる騒ぎがあった。双方とも「セクハラ行為だ」と主張して譲らず、両派の院内総務による協議へ発展。下院議長に判断を仰ぐことで合意したという。

 抗議されたのは、今年4月の総選挙で当選し、「欧州初のトランスジェンダー議員」として注目されたブラジミール・ルクスリア議員。男性として生まれたが、日頃から「『彼女』と呼んでほしい」と求めている。休憩時間に女子トイレに入った際、ベルルスコーニ前首相率いる政党のエリザベッタ・ガルディーニ議員から「入るな」と怒鳴られたという。

 ルクスリア氏は「いつも女子トイレを使っているが、こんな経験は初めて。私が男子トイレに入ったらもっと大きな問題になる」。「トイレに『彼』がいたので驚いた。気分が悪くなった」とガルディーニ氏。

 判断を委ねられた議長は中道左派所属で、ルクスリア氏に同情的だ。

**

おいおい、ゲイの議員は女子トイレなんか使わんでしょうが。これ、引っかけ見出しですか?  だれが送稿した原稿でしょう? ローマ特派員?
ウェブサイト上では無署名でわかりませんが、休み明けの外信部の内勤がロイターかなんかを見て埋めネタで訳したんでしょうか? うーん、「女子トイレ」だもんねー。

本日夕刊内勤の外信部デスクおよび担当局デスク、こんな、サルでもわかるような基本的な間違いをスルーするなんて、いったいどういうデスク作業をしてるんだい?

呆れたぜメッセージは
http://www.asahi.com/reference/form.html
まで。

しかし、イタリアでのトランスジェンダー理解というのはこれほどにひどいのかなあ。文句を言ったこの女性議員って、中道右派ってことは、バカってことか。

こういうときに、「性同一性障害」っていう病理的な分類のターミノロジーが有効なんだってのは、とても哀しいけど、戦略上はそれが手っ取り早いのかね。わたしは手っ取り早くなくとも、出発点が早ければ結局はいまの時点でも本質的にも有効な言説が生まれていると思う。レトロスペクティヴにしかいえないが。だから、いまでも性同一性障害という言葉と同時に、トランスジェンダー/トランスセクシュアルという言説を日本でも生み出しておきたいと思う。それはきっと1年後のいま、回顧的に見てけっして戦略的という皮相なものではなく本質的に有効な足場になってくれると思うのです。

いま、新聞協会にね、こういう具体的な性的少数者に関する記事原稿の誤りを正すように申し入れしようと思っています。新聞協会は「新聞研究」という月刊誌を出しているのだけれど、そこへの寄稿もあり得ますね。こうしたなさけない具体例がいまでも数多簡単にピックアップできるという現状は、批判者にはおいしいが、ほんとはじつに哀しいです。

*****

で、上記内容を朝日新聞にメールしたところ、さっそく朝日新聞広報室からの回答が来ました。この辺はちゃんとしてますわね。回答文、すんごく短いけど。

以下転載します。


北丸雄二様

メール拝読しました。ご指摘の件ですが、トランスジェンダーのルクスリア議員を「ゲイの議員」と表現したのは、本人がゲイであることを公表しているため、とのことです。

朝日新聞広報部
**

ってわけで、次にコピペするのがこれに対するわたしの2信。でもいまその自分のを読み直して気づいたけど、「ゲイと自称」じゃなくてこの広報部の返事には「ゲイであることを公表」って書いてあるわい。つまりこれ、ひょっとして「カムアウト」の意味の誤解かな? She came out ってののcome outを「ゲイであることを公表する」って辞書に書いてある意味のまま理解したのかしら? トランスジェンダーとしてカムアウトしてるのかもしれないのに。だとしたら大ボケだ。

で、朝日の実際の紙面も友人が送ってくれました。夕刊2面のアタマの扱いだそうです。

じゃっかんウェブ版とは文言が異なります。トランスジェンダーの説明があるところが違いますね。


拝復、

さっそくの回答ありがとうございます。

ところで、「本人がゲイであることを公表している」としていますが、それは広義の「性的少数者」としての意味の「ゲイ」であって、一般の定義の「ゲイ」とは違うのです。それは自称の有無とは関係ありません。
もし彼女がゲイなら、「トランスジェンダーのレスビアン」、つまり、体は男でも心は女で、しかもゲイ(同性愛者)なら、好きなのは女性であるレズビアン、という意味になってしまいます。でも、ちがうでしょう?

トランスジェンダーの概念が行き渡っていない国ではそういう言葉がないのと同じですので、そういうところではトランスジェンダーのひとも「ゲイ」と自称したりするのです。
日本でもむかしはそうでした。トランスジェンダーもトランスベスタイト(異性装者)も性同一性障害者もゲイもみんないっしょくたに「おかま」だったでしょう? 違いますか? 今回の朝日の記述は、いま違うとわかっている上で、自称しているのだからと言ってあえてこの「おかま」という総称を使うのと同じことなのです(もちろん蔑称の意味を含んでいないのは承知しています)。

で、いまはどうか? 少なくともトランスジェンダーとゲイは違うということを、メディアの記述者は知っていなければならない。わたしが言っているのはそのことです。だって、「今年4月の総選挙で当選し、「欧州初のトランスジェンダー議員」として注目された」わけでしょう? 彼女はトランスジェンダーなのだって、メディアで確認されているのですから。筆者およびデスクはそこを配慮して記述すべきでしょう。この記事のままでは「ゲイ」への、また同時に「トランスジェンダー」への誤解を助長する、あるいは放置する。それは読者を混乱させるし、少なくともその混乱の素である「ゲイ」という単語を見出しに取ったことは賢明とはいえないと思います。(それに、こういう少数者の人権問題をトイレにかけて「落とし所どこ」とするのは、整理部記者冥利なんでしょうけれど、なんだかねえ……)

これにはロイターも配信していてロイター自身による日本語翻訳原稿もあるのですが、それもなんだかおちゃらけた感じ(当該議員を「元ドラァグクィーン」としたり「女装議員」と呼んだり、混乱しています)なのですが、こうしたことも含め、朝日新聞にはもう一歩、配慮のある対応をとっていただきたいものでした。ベテラン記者の郷さんなら、そのあたりのニュアンスをおわかりいただけると思うのですが。

いずれ、この問題は各紙の具体例を収集して新聞協会の「新聞研究」に載せたいと思っています。
この第2信に対する朝日新聞のコメントもいただけると助かります。

不一。

北丸雄二拝

***

そういうわけで、直後に第3信も追送しておきました。
私もヒツコイ
その文面は以下のとおり。

**

さきほど返信を送りましたが、もう一点、いま気づいて確認したいところがあります。

ご回答では「本人がゲイであることを公表しているため」とありましたのを、わたしは勝手に「ゲイであると自称している」と受け止めましたが、これはどちらなのでしょうか?
じつは、日本語のターミノロジーとして「ゲイであることを公表する」というのは、一般に英語の「come out」の辞書的定義の丸写しなのです。

まさか「She has already come out」という英文テキストを「本人がゲイであることを公表している」と理解した誤解、誤読、誤訳ではないでしょうね?

もし上記のような文だったならば、「She came out as gay」と「She came out as transgender」との2つの可能性があるのです。
彼女は「ゲイ」(イタリア語で何というのか知りませんけれど)と「自称」しているのでしょうか?(もっとも、英語で「She came out as gay」といったら先のメールでも触れたとおりレズビアンのことになりますが)。

ご面倒でもそのあたりも郷さんにご確認願えれば幸いです。
もしトランスジェンダーとしてカムアウトしているのをカミングアウトという言葉に引っ張られて「ゲイであることを公表」と訳していたのなら、ぜんぜん違う話になってしまいますから。

不一。

北丸拝

October 18, 2006

大阪ってすごいね

こんな記事が朝日・コムに載ってました。

http://www.asahi.com/national/update/1018/OSK200610180030.html

「ダブルに男性同士」宿泊拒否ダメ 大阪市、ホテル指導
2006年10月18日15時23分
 ダブルの部屋に男性2人で宿泊するのを拒否したのは旅館業法(宿泊させる義務)違反にあたるとして、大阪市保健所が同市内のホテルに対し、営業改善を指導していたことが18日、わかった。宿泊を拒まれたのは22日に同市の御堂筋で開かれる同性愛など性的少数者らによる「関西レインボーパレード2006」に参加予定だった東京都内の教員の男性(26)で、「イベント開催地での宿泊拒否は納得いかない」と話している。

 男性らの話によると、16日にインターネットの宿泊予約サイトを通じ、ホテルのダブルの部屋に、21日から1泊の予定で予約を入れた。しかし同日夜、ホテル側は「男性同士でダブルは利用できない」と電話で宿泊を拒否。17日、ホテルに再度連絡したが、同様に断られたため、保健所に通知したという。

 旅館業法などでは、宿泊業者が客を拒否できるのは、感染症の患者や賭博などの行為をする恐れがある場合などに限られている。ホテル側は「お客様が間違って予約されたものと判断し、ツイン部屋の利用を勧めただけだ。男性同士だから拒否したわけではない」と話している。

**

これ、いいねえ。
いいのは、大阪保健所の「迅速な対応」。保健所としてはちんたら対応することもできたんだろうけど、対応した担当者が即決したってことがすごい。

もっといいのは、この事実を保健所に届けた「都内の教員(26)」。うまい! えらい! 攻めどころを知ってる! 若い!(関係ない)
怒りをクローゼットに閉じ込めてはいけないのだ。

さらに僥倖は、大阪朝日のこの筆者の存在。

じつはこのところ、大阪朝日は

性的少数者らが御堂筋でパレードを開催へ 大阪
2006年10月12日

 同性愛や性同一性障害など性的少数者とその支援者が22日、性の多様性を認め合う社会の実現を訴える「関西レインボーパレード2006」を大阪市の御堂筋で開く。関西では初の開催で、約600人が中之島公園から難波まで、約1時間半かけてパレードする。

 実行委員会事務局長の尾辻かな子・大阪府議は「性的少数者はテレビの中にしかいないと思われている。地域で共に暮らしている姿を見てもらうことが、多様な社会を考えるきっかけになればいい」と話す。

という記事のほか、きょうも早朝の段階で


同性愛者の「結婚」も市長が祝福 大阪市が活性化戦略
2006年10月18日08時07分

 大阪市民であれば、ゲイやレズビアン同士の「結婚」を、市長が祝福します——大阪市は17日、街の活性化を目指す「創造都市戦略」骨子案を公表し、参考としてこんなプランを披露した。担当者は「議論はあるだろうが、多様性を許容するざっくばらんさが、大阪らしいのではないか」と話している。

 新戦略作成をめぐっては6月、市各局・区から選ばれた中堅職員30人がプロジェクトチームを結成。「交通利便性の向上」「大阪の売り出し」など5テーマを掲げ、15の事業案を考え出した。

 お金をかけない「既存施設の活用」の項目で挙がったのが、結婚祝福式だった。市内に住むカップルを月1回、10組ほど募り、市役所1階ホールで、市長がお祝いカードや握手などで祝福する。

 同性愛者ら国内では法的に結婚できないカップルも対象。行政が多様な人の生き方を積極的に認めることで、「本当に人にやさしいまち大阪」を目指すという。

 ほかの事業案は18日午前10時から、市経営企画室のホームページで確認できる。

っていう記事を連発しているのです。

これは市内版担当、市役所担当でしょう、ってことは筆者は若い記者でしょうかね。
同じ記者なんだろうか。
もしそうだとすると彼/彼女、やはりおいしいところに目をつけた。
別人だとすると、大阪朝日の人材はいいねえ、ってことになる。
やっとこういうのを旬な話題だと、さらには他社が書かないから書き得だと気づいたライターが出てきた。
書かない他社がいつまで無視できるか。かえって依怙地になる場合も多々あるけどね。

大阪朝日の社会部に、よくやってくれてるね、さんきゅーメッセージを届けましょう。あるいはこれらの記事の筆者への、感謝・賞賛メッセージですわな。
http://www.asahi.com/reference/form.html

さらには、大阪市役所、大阪保健所にもね。
http://www.city.osaka.jp/shimin/opinion/index.html


**
で、今回の教訓

同性2人でホテルに泊まろうとして、まあ普通は泊まれますが、それがダブルで、と申し込んだ場合に拒否されたとしたらどうするか。
マニュアルとして憶えていたほうがいいでしょうね。

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宿泊拒否にあったら、え、なんで? と思うこと。

思ったら、これってヘン、って怒っていいということ。

怒ったら、その怒りが冷めないうちにすぐに都道府県の旅館業法を担当している部署(政令指定都市なら市)に電話して報告すること。東京都の場合は福祉保健局環境衛生課です。まあだいたい、保健課、衛生課、観光課みたいなところでしょう。
メールよりやっぱり電話だろうね。向うもこっちの申告・告発が虚偽じゃないってわかりたいし。ま、名前は仮名でもいいでしょう。

同時に、国の法務局、都道府県、市町村の人権を担当する部署に人権侵害があったことを連絡すること。
(今回の「都内の教員(26)」さんも実際に市と府の人権担当に連絡を入れたそうですよ)

根拠は「旅館業法第5条」です。
同性2人でも、宿泊拒否は許されないんだってことを知識のワクチンとして持っておましょう。

よく男2人はお断りっていうラヴホテルがあると聞きますが、ラヴホテルだってじつはおんなじでしょう。(ん? あれ、風俗営業法の管轄じゃないよね=いまちょっと調べたら、両方で規制されてる。not sure。法曹関係者、教えて)

さらにもし、その都道府県(政令市)の動きが悪ければ、国の厚生労働省に訴えて下さい。もしくは「では厚労省に告発します」と言うこと自体も有効かもしれませんね。

October 11, 2006

全米カミングアウトの日

本日、10月11日は米国では「ナショナル・カミングアウト・デイ」です。

このリンクで、各界の著名人がゲイの人権とカムアウトを奨励するスピーチを行ったのがまとめられています。

これはゲイの最大の人権団体の「ヒューマンライツ・キャンペーン」という組織の総会とか表彰式とかでのビデオクリップ。最初はナブラチロワ姐さん。「メッセージはシンプルなたったひとつのこと。アウトなさい。カムアウトよ」。

ボーイスカウトでゲイ差別があって、ゲイのスカウトが追放されたときに「そんな差別をする組織になんかもう寄付しない」と表明したスティーヴン・スピルバーグも話してます。テレビのドラマでカムアウトしたときのエレン・デジェネレスも。

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アン・リーももちろんあの今年の人権大賞の授賞式のスピーチからの抜粋ね。同じくジェイク・ジレンホールもいます。彼はブロークバックに触れて「あの物語は、他のどの愛の物語とも平等だ」って言った部分をクリップされてますね。

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アン・ハザウェイなんか、自分のお兄ちゃんのマイクがこの秋に(今年のことか?)5年間付き合ったパートナーのジョシュと結婚するの、ってカムアウトしてる。「あたし、花嫁の付き添い役(ブライズ・メイド)よ!」だって。ふうん、兄ちゃん、嫁のほうなんだ(笑)

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「トランスアメリカ」のフェリシティ・ハフマンは、ヘテロセクシュアルから見るLGBTの問題ってものを「それって最初は、あなたかわたしか、という問題。次に、あなたとわたし、という問題。それから最後には、あなたはわたし、という問題」と、とても哲学的に語っている。これはなるほど、素敵な言い回しですわね。氷の微笑のシャロン・ストーン姐さんも、「わたしたちみんな、カムアウトしなきゃダメなの」って怖い顔だぞ。

クリントンは夫も妻も両方。撮影時に時間差はあるけどね。
今回のアルバムを出す前のとんでもなく太っていたころのジャネット・ジャクソンもいますね。わたしゃアリサ・フランクリンかと思った。

で、これを見ていて、というか最近、あの中村中ちゃんの出た「僕らの音楽」で、安藤優子さんがインタビューアーでよかったという話を聞いたりもしながら、来年の東京パレードとかには、こういう有名人を巻き込む努力もしてみたらどうだろうと思いました。

ねえ、安藤優子をパレードに誘うとかどうでしょう。彼女、わたしの大昔の「フロントランナー」を自分のニュース番組で宣伝してくれたくらいにゲイフレンドリー(なはず)。もちろん中村中ちゃんといっしょに歩いてもらう、という話で。そのころには彼女もビッグになってるでしょう。あるいは、こんどヘドウィグをやる山本耕史も歩かせる。あ、その話はまだここで書いてませんでしたが、来年2月、ヘドウィグの再々公演を、全面書き直しでやるのです。その翻訳をわたしが担当しています。詳細は別の書き込みで、後ほど。

話を続ければ、ほかには文化人から山田詠美はいかがでしょう? 村上龍といっしょに出てもらおう。あるいは詠美ちゃんを口説き落とした後で龍にもプッシュして、と頼む。あとは政治家も。自民も民主も関係なく巻き込んで、社民の福島瑞穂なんかは出てくるはずよ。辻元だってね。党派性とか政治利用とかうるさいやつがいるだろうけど、関係ないわ。

そんな人選を考えてるだけでも楽しいわ。

そんでかならず専門の担当係を付けて、失礼のないようにしてね。謝礼なんか必要ないから、このLGBTの問題がいかにヒップかということとわれらの熱意を伝える。さすればかならずや出てくれると思うけどね。とにかくより広い社会性を持たせることだ。

いかがなもんでしょう?
有名人って、こういうふうに利用されるために存在してるようなもんだしさ。
ぜひご一考を。

October 06, 2006

フォーリー報道について

5日配信の以下の共同通信の記事に、例によって同性愛者にいわれなき汚名を与える記述がありましたので指摘しましょう。

***
米議員の少年へのわいせつメールで波紋

 米与党共和党の前下院議員、フォリー氏が少年にいかがわしい内容の電子メールを送った問題で、議会上級スタッフは4日、AP通信に対し、少なくとも3年以上前に同氏の「不適切な行動」の存在を知り、ハスタート下院議長側近に注意喚起していたと語った。

 議長はメール問題を昨年知らされたが、文面については「先週まで知らなかった」と釈明。しかし、議長が早くから同氏の不審な行動を把握していた可能性が浮上した。中間選挙で下院共和党の敗北を確実視する声も出始める中、フォリー氏の議員辞職で幕引きを図る考えだった議長への辞任圧力が強まりそうだ。

 同通信によると、証言したのは、かつてフォリー氏の部下でもあったカーク・フォーダム氏。中間選挙で下院共和党の選対本部長を務めるレイノルズ議員の首席補佐官だったが、4日に辞職。フォリー氏はメール疑惑浮上を受け9月29日、議員を辞職した。

 フォーダム氏は数回にわたり、同性愛者のフォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取っていることを知り、議長側に伝達していたと指摘した。

 与党内では議長への不信感が高まっており、遊説先で議長の応援演説を断る議員も出始めた。 (共同)
[ 2006年10月05日 10:08 速報記事 ]
**

問題の箇所は第4段落、「同性愛者のフォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取っている」という部分です。

少年少女への「不適切な」性的行動は、ペドフィリア(少年/少女性愛)といわれます。
ペドフィリアとホモセクシュアルとは無関係で、別個の問題とされます。なぜなら、ほとんどのペドフィリアは異性愛者によるもので、しかも家庭内で起こる事例が多い。

ところがここで「同性愛者のフォーリー氏が」「不適切な行動」というふうに結びつけられると、一般的に「同性愛は異常、変態、不適切」という偏見がはびこる社会では、「同性愛者だからこういう不適切な行為もした」と容易に結論づけられることになります。

したがって、この問題を報じる米国では、つねに「同性愛と少年愛は別の問題」という但し書きが(テレビの場合は口頭での解説が)付けられています。とくに、フォーリー氏は今回、この(複数の)ページボーイとの関係に関して「アルコール依存症が原因」とか、「同性愛者ではあるがペドファイル(少年性愛愛好者)ではない」として“言い逃れ”しようとしています。

おそらく、筆者は「同性愛者ではあるがペドファイル(少年性愛愛好者)ではない」という部分の米国での報道情報を、自分の翻訳原稿の中にも手短に組み込もうとこのように1つの文でくっつけて書いてしまったのでしょうが、読解の結果は微妙に変わってしまいます。米国では今回の一件は「同性愛者のフォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取った」というテキストとしては、絶対に、報道されていませんし、公的に発表される文章としてはまったくの「不適切」と考えられます。

いっぱんの読者も、または編集者(デスク)もつい読み流してしまうような部分ですが、こうしたさりげない「刷り込み」が偏見と差別の下支えをしています。「同性愛者の」という形容句を抜かして、たんに「フォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取った」でも、なんら重要情報の欠如はなかったでしょうに。

いま最も先鋭な人権問題である性的少数者問題ですが、それに関する記述では、日本ではきちんとしたマニュアルもまだ出来上がっていません。

共同通信の記者ハンドブックでも、被差別部落や外国人に関する記述の厳然たる注意条項はありますが、性的少数者に関するものはおそらくまだまとめられていないのではないでしょうか? したがってスポーツ紙や夕刊紙では、90年代よりは幾分ましになったとはいえ、まだまだ時に目も当てられない野放し状態が続いています。

ことは今回のフォーリー事件に関する一件だけではありません。
共同通信にはぜひ、同性愛などの性的少数者問題への記述の指針を、過去の多数の事例を基に早急に明文化してもらいたいものです。そうすれば朝日、読売、毎日の三大紙のハンドブックも追随する(テレビや地方紙は共同マニュアルを転用しています)ことになっていますからね。

ということで、共同通信にメールで上記の申し入れをしておきますわ。
しっかし、こういうのは重箱の隅を突つくようなアラ探し、みたいなふうに受け取られるんだろうなあ。ほんとはそうじゃないんだけどよ、書いてるほうも疲れるわ。
やれやれ。

October 04, 2006

アメリカでいま一番のニュース

日本ではあまり報じられていませんが、まあ、それもうなづけます。日本には関係のない話だし、国際的なニュースでもない。しかし連日、いまアメリカのTV各局のニュースはこの話「下院議員マーク・フォーリーのページボーイ性的チャット問題」で持ち切りです。ページボーイってのは、政治家の雑用係のアルバイト少年たちのこと。ペンシルバニアのアーミッシュの学校での女児射殺事件や、北朝鮮の核実験宣言などを差し置いて、やはり下ネタというのは求められるんでしょうね。おまけに取材も簡単だ。

foley-mark-thumb.jpg

朝日が書いていたので引用すると以下のようなもの。そうですね、こうして中間選挙に絡めてしか書けないかもね。

わいせつメールで下院議員スキャンダル 米中間選挙
2006年10月04日20時35分
 米与党・共和党のマーク・フォーリー前下院議員(52、フロリダ州)が10代のアルバイトの少年にわいせつなメールを送っていた疑惑が浮かび、11月の中間選挙を前に波紋が広がり始めた。共和党にとっては新たな逆風になりかねない。

 独身の同氏は6期を務めたベテラン。先月29日に突然、辞職し、アルコール依存症の治療などを理由に施設に入っている。米メディアによると、少年にメールを送り、「服を脱がしたい」「興奮させたか」などと伝えた、とされる。

 下院が独自調査を決めたほか、連邦捜査局(FBI)が捜査を開始。野党・民主党は与党の「セックス・スキャンダル」を攻撃する構えだ。

 児童の権利保護を推進する議連の会長だったこともあって、共和党内でもモラルに厳しい保守派が反発。同党のハスタート下院議長の辞任を求める声もあがっている。

しかしね、このフォーリーって男、どこまでゲスなんだか。
辞職してこないだは「アルコール依存症のリハビリに入る」とかいって酒のせいにして、次には「十代のときに教会の司祭にいたずらされたことがあって」と言い訳し、さらに昨日は「私はペドフィリア(小児性愛者・少年少女愛好者)じゃない」って言って(ペドフィリアだとそれで即、犯罪ですからね)、「でもゲイだということは知ってもらいたい」だってさ。へっ、人権を斟酌されるべき「ゲイ」?

おいおい、いい加減にしろよ、です。どこまで「なにか」の所為にするつもりなんだろう。

こちらのニュースではかならずこうした事件を報じるときに、「これはホモセクシュアルの問題ではありません。これはペドフィリアの問題です」っていうコメントが入ります。つまり、こうした犯罪は同性愛者だから起こすのではなく、異性愛者でも起こす、つまりは未成年者への違法な性的アプローチという犯罪なのだ、という論理立てを明確にしておくわけ。そうじゃないと性的少数者への言われない偏見をまた助長することになるから。その辺の建前はしっかりしています。

それでもってさらに、いやいや百歩譲って彼がもしゲイだとしても、こいつはクローゼットでいままでゲイだなんてことをこれっぽっちも言ってこなかった隠れホモなんですね。それが急に「ゲイだ」なんて言うことで、いったい何を「知ってほしい」というのでしょうか。

アメリカでは隠れホモセクシュアルはそれこそ「自己責任」なのです。処世としてホモセクシュアルであることをひた隠して余計(と思われるよう)な風当たりを回避する。

「ゲイ」という言葉には2つの意味があります。1つはホモセクシュアルということ。これは単純に性指向上の用語です。もう1つは、「ホモ」から解放されて「ゲイ」になった歴史的な経緯をふまえて、誇り高きその人格形成上のアイデンティティを示す言葉です。なので、彼は性指向はホモセクシュアルでも、人格的にはプライドとともに語られるゲイなんかじゃない。しかも共和党の政治家で、同性婚や性指向による差別禁止に関しても、1996年の結婚防衛法(DOMA=結婚は男女間に限ると規定した初の連邦法)では成立に賛成票を投じた。マーク・フォーリーはそういう輩です。そんなやつがいまごろ「私がゲイだということを知ってほしい」って、どのツラ下げて言えるんでしょう。

ですからこの犯罪は、クローゼットのメカニズムが生み出した行為でもある。そんで、この記事の最後に出てくるハスタート下院議長ってのが、これがまた数年前からフォーリーのこうした“性癖”を知っていたっていうんだな。共和党も裏と表の使い分けが狡猾というかなんというか……。ちなみに保守派で知られるFOXニュースは昨日の人気番組「オライリー・ファクター」で、フォーリーを3回も「フロリダ選出の民主党議員」って間違えてました。わざとなんだかどうだか、まったくねえ。

ところでね、アメリカでこれがこうも大きく連日ニュースで取り上げられるのは、やっぱ、どうしたってこれが異性愛ではなく同性の未成年への破廉恥行為、という、ホモフォビアも絡んだ、そういう下世話な要素があるのは否めないとは私も思うんですわ。そういうのも自覚しながらニュースを見ております。

ちなみに、朝日にある「メール」というのは、正確にはインスタントメッセージです。チャットみたいなもんね。このテキストを先月末、ABCニュースがすっぱ抜きました。当の少年と2003年時点で交わされたもの。いやはや、なんともえげつない内容。

「今週末はどっかの女の子が手で抜いてくれるのかな?」とか「それじゃ自分でマスかくのかい?」とか「キミくらいの年じゃあ毎日だろう」とか、少年が「そんなにエロくないよ、週に2、3回だ」と答えると「シャワーの中でとか?」って訊きやがるの。「シャワーは朝、さっと入るだけだからやらない」といえば、「じゃあベッドで仰向けかな?」だもんね。さらに少年が「いや、下を向いて」と書くと「ほんと? どうやって? ひざまずいて?」「いや、手は使わない。ベッド自体を使う」「じゃあどこに出すんだ?」「タオルの上」「ほんと! 全裸で?」「まあね」「それはいい。かわいいお尻が飛び跳ねてるわけか」

まだ行きますか?

それでローションだとかタオルの堅さだとかいろいろ詳細に訊きまくって、このエロおやじ、どんなフェティッシュがあるだとかも訊くわけよ。で、もちろん、「いま何着てる?」「普通のTシャツとショーツだよ」「大きくなってるのか?」「ああ」「脱がしてみたいなあ」「はは」「それで1つ眼の怪獣(おちんちんのこと)を握りしめてる?」「いや、今夜はやらないよ。そんなに興奮しないでよ」「でも硬くはなってるんだろ?」「それは事実」「測って長さを教えてくれないか?」「前にも言ったじゃん。7インチ半だよ」

ってな塩梅です。
原文は
http://abcnews.go.com/WNT/BrianRoss/story?id=2509586&page=1
から始まってます。
お好きな方はどうぞ。

October 03, 2006

HIVはゲイの病気です

このポスター及びキャンペーンはいまロサンゼルスのゲイ&レズビアン・センターが展開しているものです。

80年代に登場したAIDSは、最初期に「ゲイ関連病」とか「ゲイの癌」と呼ばれていたそのスティグマのせいもあって盛んに「ゲイの病気じゃない」「みんな危ないんだ」というふうに喧伝されて現在に至ります。たしかにゲイだけの病気じゃなかったわけだし。

それがいまふたたび、「ゲイの病気だ」というコピーで啓蒙されることに関しては、もちろんアメリカでも賛否が分かれています。ショッキングですし。

でも事実、ゲイの感染率が多いのは確かだし(ロサンゼルスではHIV感染者の75%がゲイです)、ここに来て95年までの「死への恐怖」を知らない若者たちの感染も増加してきている。

そこで、あの病禍を自分たちのものとして引き受け、さかんに予防啓発活動の先頭に立った80年代のゲイたちの活動や意識を想起・再燃させようと、こうしたコピーで世論をあおるという戦略は、私はありだと思う。ゲイに再びスティグマを塗り付けるためのコピーではなく、あの主体的なHIV/AIDSへのコミットメントを思い起こさせるためのコピーとして。もちろん、「汚れ(スティグマ)」を自覚させるためのなにげないカマシも含めてね。

それにこれはG&Lセンターがゲイコミュニティに向けて展開しているキャンペーンです。もちろん一般社会にも出回るでしょうけど、それも含めてゲイたちを身内として挑発している。そういうことが、まだ誤解はあるだろうけれど、できるような社会になったという自信もアメリカのゲイたちにはあるのかもしれない。右翼保守陣営からのキャンペーン・コピーだったら意味がまったく違ってきますけどね。まだそんなこと言ってるのかよ、ってな、勝手にしてろ、みたいな。

これとおなじく、感染率の増えているアフリカ系、ラテン系、女性コミュニティーは彼ら・彼女らなりに「HIVはアフリカ系アメリカ人の病気です」「HIVはヒスパニックの病気です」「HIVは女性たちの病気です」と発信するのもぜんぜんありじゃないでしょうか。そうして「HIVは男のビョーキです」ってのも、ある意味すごい。

それを日本に置き換えてみればつまり、日本でも、先進国でゆいいつ感染率が増加の一途であることを憂慮して、「AIDSはいま、ニッポン人のビョーキなのです」ってやってもいいと思う。

それにしても、こうしたコピーの変遷に時代を感じてしまいます。怠慢を繰り返してしまうわれら人間の愚かしさも同時に。

みんな、ほんと、気をつけてね。

October 01, 2006

Hand-Holding(手を取り合うこと)

こないだ、NYタイムズに興味深い記事が載ってました。5日付だったかな。

さいきん、NYの街なかで手を握って歩いている人たちが目立つってことから、STEPHANIE ROSENBLOOM記者が、あちこちの心理学者や社会学者に電話取材とかして一本の長文リポートをまとめてるのです。世相を社会心理学で分析するっていうジャンルね。

要旨はね、むかしは手を握り合うことは次のセックスに進む2人の親密さの初期のワンステップだったんだけど、いまはもっと進んだ関係のアナウンスメントの要素というか、周りに手をつないでいることを見せることで自分は「他の人求めてません」て表すと同時に、キス以上に相手に対する愛情や保護や慰撫を示す行為になっている、ってもんでした。手をつなぐことはいま、キスよりもマジで真剣な愛情表現なのだってことっすね。

いわれてみりゃそうですわね。たしかに手をつなぐってことはむかしはまだキスができない時点で(その前段階として、あるいはその代償として)の行為だったけど、いまではすでにキスもセックスもしたあとで手をつなぐ。じぶんたちは深い関係性の中にあるってことが、手をつなぐ行為におのずから示されている。手を握ってる連中はもう「いい仲」なわけですよ。むかしは、手を握ってるのは「うぶな仲」のシニフィエだったんだけど。

もちろん、こうした変化は性革命(性を公にすることは恥ずかしいことではない、という意識革命から派生したさまざまな性的事象の急変)を経たアメリカだから、の話だろうと思います。

また中村中の話を持ち出すけどさ、あの詩の「手をつなぐくらいでいい/並んで歩くくらいでいい/見えているだけで上出来」というのに登場する「手をつなぐくらい」という行為はもちろん、そんなところまで至っていない、ロマンスの初期段階でのささやかな願いですわね。とてもとても、このNYタイムズの取り上げているところになんぞ至っていない。

05hands.600.jpg

で、街なかで手をつないで歩いているのはNYではゲイの男の子たちも多いんですね。チェルシー地区なんか、カップルは必ず手をつないでますし。NYタイムズの記事のちなみ写真はそんな男の子たちの手つなぎでした=上の写真。で、これにはもう1つ要素があって、それは「ゲイプライド」の示威行為、デモンストレーションにもなってるわけですよ。もちろんゲイバッシングなんかの危険も伴うけど、手をつなぐ2人は互いを互いで守り合うって意気込みだぞ(これは私のinterpretation)。あるいは2人で手をつないで逃げるのかも?(笑)。でも、いずれにしても手をつなぐのはいいもんだ。

手をつなぐことは、ときにはキスよりも気恥ずかしかったりしますわね。おかしいね、この心理。でもだからこそいま意識的にトゥマと手をつないでみる、握ってみる、トゥマと手を取り合ってみる、そういうことって、いいんじゃないかって思うよ。(あ、ちなみに、この「トゥマ」というのは、「妻・夫」の古語の発音です。自分の性愛の対象を指すジェンダーニュートラルな名詞で、尊敬する大塚隆史さんが「パートナー」とか「連れ」とか「相方」という言葉の代わりに広めようと提唱している言葉です) 。

キスだけでなく、手をつないでもごらん、若者たちよ。
こころがすこしジュンッとする。

(ところで「hold your hand」の「hold」、日本語にならないって書いてて気づきました。握るのともちょっとちがう=ちなみに握手の英語はshakehandsで、これは取った手を揺する行為を指した言葉。Hold は「つなぐ」でも「取る」でもない、「保持する」って感じね。大和言葉、なし、ってホントかよ)

September 23, 2006

ふたたび「友達の詩」について

いつか右手で書いていたものを左手に移し、右腕に筋肉をつけて左手をかばい、傷つきやすい心のかさぶたをはがしては心ではないところの皮膚を移植し、けんめいに、けんめいに、もう泣かないように、もう傷つかないように、もう死にたくならないように、いろんなものを弾き返せるように、鎧をまとい、剣を取って生きていく。おとななんてのも、一皮むけばそんなもんだ。

でも、土の中に埋めた、大昔の心のかけらの化石が、ときどき身を震わせて号泣したがる。
あのときの自分が、地層の奥で身悶えして泣きわめく。

そんなきっかけはいつもだいたいなにかの歌だ。

触れるまでもなく先のことが
見えてしまうなんて
そんなつまらない恋をずいぶん
続けてきたね

胸の痛み治さないで
べつの傷で隠すけど
かんたんにばれてしまう
どこからか流れてしまう

手をつなぐぐらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

忘れたころに
もいちど
会えたら
仲良くしてね

手をつなぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

手をつなぐぐらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な
人は友達くらいでいい
友達くらいがちょうどいい

中村中が15のときにかいたというこの詩は、おそらく、巧まざる心の動きのたぐいまれに巧みな描写だ。こうした複雑に折り畳まれた心象を、彼ら/彼女らはあらかじめ敷かれた鉄路のような強引さで運命的に手にしてしまう。そうした道筋しかないような袋小路。迷路とはいえしっかりと矢印の示されている十五夜。「先のことが見えてしまう」「そんなつまらない恋をずいぶん続けてきたね」と中村中は自分に向けてこともなげに言い切る。15歳の中村中の、「ずいぶん」とはどれほどの数を指すのだろうか。あるいはいまやっと21歳だという中村中の。

いやこれは、「触れるまでも」経験するまでもなく「先のことが見えてしまう」と知った15歳の中村中の、その15歳にとっての過去形ではなく、いずれの未来においてもこれからずっとすでに定まってしまっている先取りの過去のことなのだ。

誤読の罠にはまるのはそこばかりではない。

この詩で最も印象的なフレーズ、「手をつなぐくらいでいい」に耳を奪われ、わたしたちは中村中の、好きなひとへの最も適度な願いがまずどうしても、ふつうに考えれば最小限にささやかな願いと聞こえる、「手をつなぐ」ことだと言っているように読み取るのである。

だがこれは誤りである。
なぜなら、中村中は直後にその願いをさらに縮小し、望むことはじつは手をつなぐことではなく、ただたんに「並んで歩く」ことだと訂正するのだ。

そうしてそれすらもふたたび思い直す。
それすらも「危ういから」と、横に並び歩く距離ですらなく、はるかに遠い、ただ「見えてい」ることだけで満足するように、と、自分にとってはそれで「上出来」なのだ、と言い聞かせるのである。しかもそれもいまそこで具現している現実ではなく、「見えていれば」という形の、ここにいたってもまだあえかな希望としてのつつましやかな仮定法で。

接続詞のない、箇条書きのように並べられる3つの願い事はだから並列ではない。それはそっと提示された、譲歩と諦めと退却の、縮んでゆこうとする時系列だ。

だが、好きになればなるほど、その事実を思えば思うほど相手から遠く身を退かねばならない事情とはいったい何なのか。「並んで歩く」ことすら「危うい」状況とは何なのか。さらに続く、「忘れたころにもいちど会えたら、仲良くしてね」というさりげない謙譲は、何を忘れ、誰を主語とすることを前提としているのだろうか。

忘れることなど、じつはないのだ。なのに、「仲良く」というせめてもの願望は、忘れない限り成立し得ない。そうしてそれこそが、「友達」という中立性への、あらかじめ不可能な希求なのである。

その事情に共感できる経験を、わたしたちのだれが、どれほどが、共有しているのだろう。
「友達の詩」は、取っ付きやすいそのタイトルや、ともすればつねに微笑んでいるようにすら聞こえるその歌唱とは裏腹に、じつは安易な共感を求めていない。そんな有象無象を相手にしてはいない。「友達」へと向かうヴェクトルは、希望というよりもむしろ、退却しつづけた果ての絶望をあらかじめ先取りしたものだからだ。

大切な人が見えていれば、それだけでたしかに上出来だった。
そのひとはじつは「友達」ですらなかった。
「友達ぐらいでいい」のその「ぐらいで」とは、ただその程度を曖昧さで広げるものではなく、「ほんの〜だけで」「せめて〜ばかりで」とのニュアンスの、おおく自嘲的な否定さえ伴うむしろ小心な副助詞なのである。

中村中と、それらを共有する者たちはみな、そんな季節からの生き残りだ。
そうして肝心なことは、生き残りに恥じず、中村中の「友達の詩」はけっして嘆き節に陥らない、ということである。生き残るためにはつん抜けざるを得なかったようなその歌唱の決意的な明るさによって、いま、新しく生き残ろうとしている者たちは絶望を突きつけられつつもおそらくこれに励まされる。こんどこそこの詩を逆に、先取りの過去として嘆くのではなく消化するために。
中村中はこの絶望を消化して生き残った。だから、歌に凝結させ得た。このじじつは大切だ。
そこまで知ったとき、この詩を歌えるのは、おそらく中村中以外にはいないのだろうということにわたしたちは気づくのである。

中村中は、現代だ。
21歳にしての、この命の強さと美しさを、言祝がない手はない。

September 15, 2006

HRWが動いた

世界最大の人権組織"Human Rights Watch"が都城市の条例改正に関して抗議の書簡を送りました。市長と、市議会宛に送付したようです。内容は、だいたい尾辻さんや私たちが指摘したのと同じことです。翻訳はのちほど追記しましょう。

ところで、私もあの書簡を書いてから、ほんとオレって言い方がキツいなあ、と自分でもなんだかぐったりしたんですけど、さて、一地方都市の条例に、他の土地に住む、都城と直接関係のない人たちが何を言えるのか、もしくは何を言ってよいのか? という問題は考えなくてはならないでしょうね。

でもね、基本的にはこうだと思うの。
都城はまず、条例を市民に向けて制定しながらも、それは政治として、他者へ向けてのメッセージ性を帯びるのは当然だろうということ。
すると、それに関して、他者がどうとかこうとかいうのは間違いだ、となれば、そのジェンダーニュートラルな平等社会を作ろうという条例に、それはいかん、という、今回の“改悪”のきっかけとなった反対運動自体も市内・市民からというより勝共=統一協会=世界日報から来たんだから、それ自体も認められないだろうということになる。

つまりね、政治的ディスコースというのは、そういう性格を帯びざるを得ない。地域に関係なく、その反対も広く受ける、賛成も受ける、ということになるわけだ。公的言論というのは政治レヴェルの高低にかかわらずそういうもん。だから北朝鮮や中国の人権に関して我々が危惧し意見を言うことができる。アフリカやイスラム諸国でのゲイ弾圧に関して我々が抗議を行うのです。そこでもせめぎ合い。

したがって、都城が、他所の連中にいわれる筋合いはない、というのはぜんぜん成り立たない論理なんです。

ということで、HRWからの書簡は次のとおりっす。

Letter to the mayor of Miyakonojo Municipality about the removal of "sexual orientation" from the gender-equality ordinance

September 14, 2006


His Honor Nagamine Makoto
Mayor
Miyakonojo City
Miyazaki Prefecture
Japan

Dear Mayor:

On behalf of Human Rights Watch, I write in protest against the move to eliminate references to “sexual orientation” from Miyakonojo City’s “Ordinance for the formation of a gender-equal society.” Language affirming equality on the basis of sexual orientation has been part of that ordinance since 2003. Its proposed removal—by a process which has excluded the full input of citizens and civil society—would send a damaging message that your community is regressing from the promise of equality and its commitment to non-discrimination.

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Press Release, September 14, 2006

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On behalf of Human Rights Watch, I write in protest against the move to eliminate references to “sexual orientation” from Miyakonojo City’s “Ordinance for the formation of a gender-equal society.” Language affirming equality on the basis of sexual orientation has been part of that ordinance since 2003. Its proposed removal—by a process which has excluded the full input of citizens and civil society—would send a damaging message that your community is regressing from the promise of equality and its commitment to non-discrimination.

As you are aware, the Basic Law for a Gender-Equal Society (Law 78/1999), passed by Japan’s Diet in 1999, committed Japan to “respect for the human rights of women and men, including: respect for the dignity of men and women as individuals; no gender-based discriminatory treatment of women or men; and the securing of opportunities for men and women to exercise their abilities as individuals” (article 3). While the law did not propose penalties for discrimination, it was an important affirmation of government’s positive responsibility to promote equality at all levels. The same law made local governments responsible for “formulation and implementation of policies related to promoting formation of a gender-equal society corresponding to national measures (article 9). In response, Miyakonojo City in 2003 passed a human rights ordinance that affirmed the equality of people regardless of sexual orientation as well as gender. It was one of the first local governments in Japan to include sexual orientation in its commitment to promote equality. The final text of the ordinance was achieved through a process including open hearings at which citizens as well as local lesbian, gay, bisexual, and transgender (LGBT) groups spoke.

However, Miyakonojo City was consolidated with three other towns in January 2006, and officials agreed that ordinances enacted before this would undergo review. Human Rights Watch is concerned by reports that an open hearing was not held as the “Ordinance for the formation of a gender-equal society” was revised. LGBT groups and individuals and their supporters were denied the full opportunity to express their case. While municipal authorities insist that the proposal rises from discussions of a committee of experts, that discussion has not been made public.

Article 2.1 of the previous ordinance stated, “In the gender-equal society, for all people irrespective of gender and sexual orientation, human rights should be fully respected.” Article 2.6 defined “sexual orientation” as “a concept describing the direction of an individual’s sexuality, which can be directed to someone of the different or same gender, or to someone irrespective of their gender.”

In the ordinance now proposed, Article 2.1 now reads, “In the gender-equal society, for all people, their human rights should be equally respected.” Article 2.6 has been completely deleted.

The rationale for these proposed changes is explained, on the city’s website, as “to simplify the contents.” A simplification of an ordinance on gender equality which removes the term “gender” as well as “sexual orientation” is not a streamlining but a drastic weakening of the contents.

The Miyazaki Prefecture’s “Miyazaki Prefecture Development Policies of Human Rights Education,” introduced in 2005, includes a section on “Problems faced by gender minorities.” This section recognizes persisting discrimination and prejudice based on sexual orientation as well as gender, and urges active steps toward accepting sexual diversity. The new text of your city’s ordinance belies this aim. It also places your city at odds with the express finding of international human rights bodies that sexual orientation should be a status protected from discrimination. In 1994, the United Nations Human Rights Committee, which interprets and monitors compliance with the International Covenant on Civil and Political Rights (ICCPR), found that protections against discrimination in articles 2 and 26 of that treaty should be understood to include sexual orientation. Japan has been a party to the ICCPR since 1979.

The proposed revision of the gender-equality ordinance will be debated by the city assembly this week. I urge you to support retaining the existing language. Miyakonojo City’s resonant support of equality made it a model in Japan. Its example is too important for you to retract it now.

Sincerely,

Scott Long
Director
Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender Rights Program
Human Rights Watch

September 12, 2006

東京入りしました

26日まで滞在します。

札幌レインボーパレードと行き違いで(日本語、正しいか?)こっちに来てしまいましたが、レインボーのほうにはちゃんと挨拶してきました。みなさま、札幌を盛り上げてくださいね。参加者は千人くらいなので、沿道の通りすがりの人たちといかにコミュニケートするかってのがカギだと思います。そうしてそれが日本のパレードと欧米のパレードとがいちばん雰囲気の違うところ。

都城の一件もあるし、それもアピールしないとね!
他力本願のわたしですけど、参加の皆さん、よろしくお願いします。
札幌、このところずっと快晴だし、気持ちいいよ。涼しいし。

わたしはこちらで新聞社の人たちと少し会ってみます。
都城の話は、尾辻さんの活躍もあって宮崎日々新聞に記事、社説ともに掲載されました。

尾辻さんのブログへ飛びます


なかなかちゃんと的を射た記事及び社説です。
あとは全国紙での掲載ですわね。

September 11, 2006

都城市への手紙

前略

都城市男女共同参画社会づくり条例(案)に関して、「「性的指向」に関しては、人権問題の一分野であり、「すべての人」で包括できるという考え方に立ち、削除しました。」という貴市の考え方は、世界の進み行きの情勢に逆行する明確な誤りだと考えます。一行政機関ならびに議会の行う措置として、これはとてもまずいことです。

「すべての人」で包括できる、というなら、もともと、この条例は必要なかったのでした。なぜなら、すべての人びとの人権は既に憲法で保障されており、ならば、あえて市の条例でわざわざあらためて示す必要などない、ということでしょう。それをなぜ具体的に記述して市の条例としたのか? それは、憲法などで包括的にとらえてそれでよしとするのではなく、市として地域として、その時代にそった具体的な重点事項の指摘が必要だったからです。そうしてそれを世に先んじて正してゆく。都城は2年前、そういう都市になるぞとの重要な宣言を行ったのです。

その重点事項は、この2年で解決したのでしょうか?
それが解決したなら、めでたいことです。
新しい都城市は世界でもまれな人権的理想郷ということです。
ところが、ほんとうにそうなのですか?
そうではないでしょう?

ならば、なぜに「性的指向」を外したのか?
解決もしていないことを解決したかのように削除する。それは、文脈的に明確に、「性的指向」で指し示される人びとを除外する、「性的指向」という概念そのものをも排除する、というメッセージを世に与えるものです。

つまり、それは「そういう人権都市になるぞとのかつての重要な宣言」をあえて否定することです。こんなんならはじめから人権条例などないほうがよかった、というくらいに、これは結果的に「非・人権宣言」になってしまう宣言なのです。

そういう人権否定宣言を、都城は行う覚悟なのでしょうか?
そうではないでしょうに。
ただ、結果的には、時系列上の文脈的には、そうなってしまう。

まずいことです。これはいずれ貴市の歴史的な汚点として語られることになるでしょう。
貴市にとって、心ある貴市民にとって、恥ずかしい過去として振り返られる事例になるでしょう。

スペインのサパテロ現首相は、「性的指向」による差別を廃止しようと国家として同性間結婚を認める決定を下した際に、「わたしたちは同性婚を認める最初の国になる栄誉を得なかったが、同性婚を認める最後の国だとの不名誉は回避できた」と演説しました。南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領は「性的指向による差別は憲法として認めない」として世界で初めて「性的指向による差別の禁止」を盛り込んだ憲法を作りました。ケン・リヴィングストン・ロンドン市長はあえて「性的指向によりいじめにあうようなことがあってはならない」と発言して学校における同性愛嫌悪的ないじめ根絶の先頭に立つことを宣言しました。これが世界の良識です。これらに連なるものとしての以前の都城市の「都城市男女共同参画社会づくり条例」は、世界的にもじつに誇らしいものだったのでした。それは欧米のメディアでも伝えられたほどのニュースだったのです。それをご存知でしたか?

その歴史的快挙は、今度はまったく逆の反動としてニュースになります。
それは一地方のカルト機関紙でしかない「世界日報」が報じるよりも大きな恥辱としてほんとうの「世界」に伝えられるでしょう。
あなたの市を、わたしはとても恥ずかしく思います。
それは同じ日本人として、世界に尊敬されるべく生きようとする人間として、じつに悲しいことです。

悲しいことは正すべきです。
いつかまた、あなたの市の次の世代の市民が、正しい「性的指向」の概念にいち早く気づかれることを切に祈念しております。希望は未来にあります。というか、貴市の現状では、未来にしか、ありません。

ジャーナリスト、北丸雄二

September 10, 2006

エレンがオスカー司会者に

アウト・レズビアンのエレンが来年のオスカーの司会に決まりました。女性としてはウーピー・ゴールドバーグに次いで歴代2人目。エレンって、このところ毎日午前10時から1時間のトーク番組「エレン・デジェネレス・ショー」が人気で(私も見とります)、これをトークショー王者オプラ・ウィンフリーの「オプラ」にぶつけて午後4時からに編成替えになったばかり、というノリノリムード(昭和語)。

エレンって、日本だと彼女が話しているのを見たことのある人は少ないでしょうし吹き替えじゃ意味がないんだけど、見ていてほんとに嫌味がないっていうか、ジョークもすごくさらっとしているしなんとなくほんわかしていてきれいなのです。ゲストとのトークも粘着質じゃない、むしろはずしている部分がおもしろい、しかもしっかりエッジーなんだが意地悪じゃない、という感じ。そういう意味でもじつに頭のよいチャーミングな女性です。見た目どおりっていえば見た目どおりですわ。

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司会業でもね、2001年の9/11の直後のエミー賞の司会をやって、で例の、その年のオスカーで白鳥の変なドレスを着て登場したビョルクをパロってとんでもなく大きな白鳥の首巻きドレスを着て登場してみせて、うちひしがれていた観客・視聴者を笑わせた。あのとき、ああ、こんなときの笑いはこれしかないなって思ったもんです。いま、48歳。何度か顔を引っ張ってるけど(白人の女性は特に大変なんだよね)、いまでもとてもキュート。

さあ、今度は何を着て司会するんでしょうね。エレンは「タキシードにキュロットかしら? なんていうの、あれって、スコート?」とコメントした後で、「そういや、まだあの白鳥のドレスをもってるわ」と言ってました。ま、そんなことはないでしょうけど。

オスカーの司会はこのところ、ロビン・ウィリアムズからビリー・クリスタル、ウーピーにデイヴィッド・レターマン、そしてこないだのクリス・ロックと続いてたけど、これをするってのはアメリカの当代きっての人気コメディアン・コメディエンヌってことです。

最近のビアンはナブラチロワが全米オープンでダブルス優勝、モレスモのウィンブルドン優勝(全米じゃシャラポワに初敗戦だったけど)と、頑張ってるねえ。日本でも尾辻さんだし。

September 08, 2006

安倍晋三と都城がどう関係するか

こういうのはかつて学生運動華やかなりしころは常識だったんですが、いまじゃそうじゃないでしょうね。左翼が元気なころは右翼への警戒と分析が継続していたんですが、いまじゃだれも右翼のことを見張るようなことをしないから、いったい、都城の条例改悪の背景にだれがいるのか、それがどことつながっているのかということがわからず、なんとなく単発の事例として受け取られるような雰囲気もあります。でも、これらはすべて根はつながっているわけで、で、今回は、そういう状況背景のおさらいをすることにしましょう。個別の事象については自分で調べてね。ここでは「流れ」を見ていくということで。

都城市のあの条例が一票差で採択されたとき、いや、それ以前から、この「性別および性的指向にかかわらず」という人権条項に関する一大反対キャンペーンを繰り広げていたのが「世界日報」です。世界日報は、これに限らず、一連のジェンダーフリー施策・教育の反対キャンペーンを2002年あたりから本格化させています。

世界日報というのは「統一協会」(世界基督教統一神霊協会)の機関紙です(表向きは無関係と言っていますがね、だれもそんなブルシットは相手にしてません)。統一協会というのは、ご存知、霊感商法や合同結婚式などで悪名高い国際カルト宗教集団で、欧州では信者とわかると入国制限されている“危険団体”扱いです。創設者は、文鮮明です。

さて、都城のあのジェンダーフリー条例への反対をあおっているのがこの統一協会の日本支部であるというわけですが、この統一協会と深い関係にあるのが「国際勝共連合」です。歴代会長は全員、統一協会員。役員もほとんどが重なります。

この「国際勝共連合」は文鮮明が1968年1月に韓国で立ち上げた反共産主義団体です。同年4月にはあの笹川良一(一日一善のおじいさん、っていってももうわからんかなあ)の別荘に、文鮮明と日本の統一協会会長の久保木修己もやって来て日本の国際勝共連合を作った。で、この久保木が初代会長、さらに名誉会長が笹川良一ということになったわけです。勝共と言えば笹川と仲良しの児玉誉士夫なんていう右翼ブローカーも登場してくる(後のロッキード事件のメンツでもあります)。

さて、当時(70年代〜)の東西冷戦を背景に、この勝共は自民党の支持団体としても成長を続けます。それで、このときの自民党の右派の重鎮がこの勝共に深く関与していくことになる。これがA級戦犯不起訴となり復権していた岸信介だったわけです。

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【1974年11月に、統一協会本部で文鮮明と会談する岸信介=右】

岸信介って、日米安保条約の調印批准のときの総理大臣でね、治安維持法の再来と言われた警察職務執行法(警職法)の改定案を出したり(後に撤回)、教職員への勤務評定の導入を強行したりとかなりの全体主義者(ファシスト)で、けっきょくは安保反対闘争の激化(デモの東大生樺美智子圧死事件が引き金でした)で退陣に追い込まれたんですけど、まあ、日本政界の化けもんですわ。

んでもって、この岸が、いわずとしれた安倍晋三の祖父なんですね。もちろん、安倍晋三は岸信介マンセー、です。

おさらい。
つまり「岸信介=国際勝共連合=統一協会」というつながりがいま、「安倍晋三=国際勝共連合=統一協会」に移行しているというわけです。

その証拠が、今年5月13日に福岡マリンメッセで行われた統一協会の合同結婚式に安倍が祝電を打ったという事実です(各新聞のリンクを示したかったんだが、もう4カ月前でリンク切れでした。適当に探せばどっかにあると思いますけど)。おまけに、現在ベストセラーの安倍晋三の(ゴースト本)「美しい国へ」とかっていう本、これ、前述の統一教会会長久保木の「美しい国/日本の使命」って本のパクリなんですわな。題名まで似てるでしょ。こういう情緒的なものいいで誤摩化す(つまりは言語化=論理化を避ける)のが好きなんだなあ、右翼ってのは。「論理じゃない、言葉じゃないんです!」ってのが決まり文句だもんねえ。議論になんか、さいしょからする気がないわけですわ。頭ごなしですから。

で、この自民党=勝共=統一教会という日本右翼の腐れ縁、ファシスト連合が、都城をはじめとするジェンダーリベラリズムにも猛然と牙を剥いているわけです。頭ごなしに「ホモは死ね」ですから。憲法改正、ってのも、ともすると勢いをかって第24条の強化にまでつながるかもしれません。

で、わたしが「日本の現代LGBTコミュニティは、初めて有形の政治権力を相手にすることになるかもしれません」「戦争が始まると覚悟しといたほうがよいかも」と9月4日付けのこのブログで書いた意味が、これですこしはわかると思います。

September 06, 2006

英語でも回そう

NYのアジア人・太平洋諸島民のゲイ団体GAPIMNYのケン・タケウチさんから、例の都城の人権条例改悪に関する尾辻かな子さんの呼びかけの、彼の英語翻訳によるアクション・アラートが届きました。これがいまアメリカで回覧されはじめています。

ことはすでに日本だけの問題ではありません。
以下、転載します。

The following text is an ACTION ALERT letter from Ken Takeuchi, a member of NY base organization GAPIMNY.
I want you all to pass it on.

*********

Hello friends and family,

I've translated the open letter from Otsuji Kanako, the first openly lesbian politician ever in Japan. My apologies for a hasty translation, but the urgency and importance of taking immediate action is very much apparent I hope.

We cannot let this ordinance pass. No matter how advanced country like Japan has become, its records in LGBT rights have been non-existent. Being an ex-pat Japanese activist in NY, I cannot sit idly while this ordinance may set precedence in Japanese legal history. IF it comes to pass, it will bring dire consequences in the future LGBT rights in Japan.

PLEASE RE-POST, AND RESEND TO ALL YOUR FRIENDS AND COMMUNITY GROUPS YOU ARE PART OF NOW!!!

I feel that email petitions in Japanese would be most effective, but send them in English anyway if there's not enough time or resources to translate. We only have a week left, I desperately implore you to join in this petition.

You can visit following websites to learn more;

Otsuji Kanako's website;

Japanese;
http://www004.upp.so-net.ne.jp/otsuji/index.html

English;
http://www004.upp.so-net.ne.jp/otsuji/english.html

The proposed changes in the ordinance by Miyakonojo City

Japanese;
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/pabukome/shiminseikatu/seikatubunka/danjosyuseiitiran.jsp

English (There don't have the translated page, but you can get a sense of the city here)
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/shisei/kokusaikouryu/english/titleenglish.jsp

My appreciation goes beyond description for your help in this matter. Please feel free to send me questions, and I will do as much as I can to follow up.

Best regards and with utmost respect,

Ken Takeuchi
Steering Committee member at large, Gay Asian & Pacific Islander Men of NY (GAPIMNY)
http://www.gapimny.org

Member, Japanese Speaking LesBiGays in NY (JSLNY)
http://jslny.web.fc2.com/index.html

###

!!!ACTION ALERT!!!

By Otsuji Kanako
Assembly Member of Osaka Prefecture, Japan
Party: Independent (first elected in 2003)
Member of "Rainbow and Greens (Japan)"
Book: Coming Out (2005, Kodansya, Japanese only)
The first openly homosexual politician in Japan

I am sending a letter of protest and petition to city counsel members of Miyakonojo City in Miyazaki Prefecture. Please join my petition by sending emails in protest.

Petition emails should be sent to: otsuji_office@osaka.nifty.jp

The deadline is September 12th (11th in the U.S.) - Please take action now, since the committee meeting begins on the 15th.
In addition, individuals should send a message to the city assembly. It is important to send in numbers.

For the mayor of Miyakonojo City, Nagamine Makoto
Tel: +81 986-23-2111, Fax +81 986-25-7973
info@city.miyakonojo.miyazaki.jp

For office of Miyakonojo city assembly
TEL +81 986-23-7869, Fax +81 986-25-7879
gikai@city.miyakonojo.miyazaki.jp

===========An open letter of protest and petition===========

For the members of Miyakonojo City assembly,

An open letter of protest and petition against the deletion of "gender and sexual orientation" from the proposed ordinance, "Miyakonojo City Equal Rights Measure in Creating Better Society"

I sincerely respect your diligence in all of your endeavors. Currently the city assembly's new ordinance, "Miyakonojo City Equal Rights Measure in Creating Better Society" is being presented. In this new proposal, the wording of (applying to) "all people including gender and sexual orientation" which was originally present prior to consolidation of Miyakonojo City, was deleted. And instead, revised to be simply, "all people". What was the reason for deleting "gender and sexual orientation" from the original proposal? While many people are being discriminated based on "gender and sexual orientation" in current Japanese society, such act of deletion ignores the reality of discrimination, and may be taken as an approval of such activities. I simply cannot sit by and watch it pass.

In addition, I have been informed that the names of council members who created the ordinance have not been released. Furthermore no hearing was held by the city's community groups or party involved. Without the lack of opinions from them, the ordinance does not reflect the needs of Miyakonojo community.

The policy introduced in January 2005, "Miyazaki Prefecture Human Rights Education-Policies for Basic Development" clearly states the following fact. In chapter 4, section 2 titled, "Promoting the Policies of Various Fields" includes the topic, "Problems faced by minorities of gender and sexual orientation". It recognizes the existence of prejudice and discrimination, and the importance of accepting sexual and gender diversity. The policy encourages the city residents to take initiatives to put more effort in this matter. The current ordinance on the table completely contradicts Miyazaki prefecture's policy.

Please reconsider this proposal one last time. I implore you to reinstate the wording, "gender and sexual orientation".

Otsuji Kanako
Petition organizer, Osaka Prefecture Assembly Member

September 04, 2006

次から次へと

東京新聞2日付けの佐藤敦社会部長の石原慎太郎インタビュー。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060902/mng_____thatu___000.shtml

「メンタル面では、日ごろの情操を培う基本的なものを精錬するとかね。新宿の二丁目と歌舞伎町は美観とはいえないよね。銀座でもごてごてと色があるし。景観法ができたし、規制力のある条例を今年中に作ります。」

東京五輪を名目に、2丁目はつぶされますね。
さてどうしたものか。

日本の現代LGBTコミュニティは、初めて有形の政治権力を相手にすることになるかもしれません。だれでしょう、日本の差別は欧米とは違うなんて言っていたのは。「目立たないようにやれば、日本ってゲイでも生きやすい社会だから」と、うまくだましだましすり抜けてきた世渡りとしての生き方ですが、もうそんな世渡りでは済まなくなってくるかもしれませんね。

おまけに、あの九州・都城市が、町村合併に伴って、男女共同参画社会ってのを定義した条例文「性別や性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会をいう」っていう条項から、「性別又は性的指向にかかわらず」って部分を削除する流れになっているらしい。今月22日の議会で採決だって。

どうなんでしょう、このバックラッシュというか、いやそもそも前に進んだことなど微々たるものだったのだから、バックラッシュというよりも妖怪がとうとう姿を現したな、という感じに近い。

こっちは大阪府議、尾辻かな子さんのブログに反対表明の仕方と事情の詳細が。
http://blog.so-net.ne.jp/otsuji/

反対メールは次のメアドに名前と肩書きを書いてその旨を伝えれば尾辻さんが取りまとめてもくれるようです。これは12日まで。
otsuji_office@osaka.nifty.jp

いやはやしかしまったくもって、これから安倍政権ですぞ、みなさん。
こりゃ、戦争が始まると覚悟しといたほうがよいかもなあ。もっともそれも、わがほうに闘う気概があればの話なのだが。

August 29, 2006

ちょうど150人

報道機関への要望書間は、締め切り後の作業中もメールでの連名の申し出が続き、結局150人分を添付し、報道各社に送りました。在京新聞社の編集局長及び社会部長、在京テレビ局の報道局長及び報道部長、あるいは、報道番組のキャスター、プロデューサー宛です。この後、手がすいたら新聞社の一面コラム氏にも送ろうと思っています。

みなさんのご協力に感謝します。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

北丸雄二拝

August 20, 2006

ありがとう;署名最終結果

連名署名の受け付けを締め切ります。
ありがとうございました。

私の手元に、120人の名前をお預かりしました。これからカウントされた方々(まだ返事をお出しするひまがなかった方々)に返事を出します。
大半がわたしのこれまで知らなかった人たちです。16歳の大分の高校生という方からも署名をいただきました。ちょっとうれしかった(べつに年齢差別じゃないけどね、笑)。
このほかにも、他の方にとりまとめを頼んだ名前がまだ挙がってくるはずです。

で、最終稿の文面を少し変えました。
これで行きますが、この文面だと賛同できないという方はお手数ですがまたメールを下さい。お名前を外します。だいたい同じですが、ある部分ではさらに主張が明示的になっています。そのくらいの違いだと思います。

もう一つ、ぜひお願いがあります。
各新聞社・通信社で働いている皆さん、おたくの編集局長の名前、社会部長の名前、を教えて下さい。
テレビ局の場合は、新聞社の編集局長・社会部長に該当する報道局長? 報道部長? というのでしょうか、その方々の名前を私宛のメッセージでお知らせ下さい。
手紙は、個人名も含めて出したほうがよいと思いますので、ぜひ、ご協力下さい。
教えてもぜんぜん問題はないよね?

ということで文面again but a final versionです。
****
前略 編集局長ならびに社会部長さま(ここには各社における個人名を入れる予定です)

とつぜん長文の手紙を差し上げる無礼をお赦しください。
私たちは先日8月12日(土)午後に東京・渋谷から新宿にかけて行われた「東京レズビアン&ゲイパレード2006」を準備し、あるいは参加し、あるいは関心を持って見つめていた同性愛者などの性的少数者とそれに寄り添う異性愛者の有志のグループです。今回のこの手紙は、私たちのこの人権パレードが、翌日の新聞各紙でなにひとつ、あるいはテレビニュースでもほとんど取り上げられていなかったという事実に少なからぬショックを受けてお出しするものです。

12日当日は、東京はご存じのように激しい雷雨に見舞われ、午後3時から予定していたこの人権パレードもあわや中止に追い込まれるところでした。しかし中止にすることはどうしてもできませんでした。このパレードは1年近い大変な準備の末に行われる、性的少数者の年に1度の東京での示威行動です。もっとも「示威」といっても、もちろん私たちにはなんの「威力」もありません。私たちがこのパレードで目指しているのは「威」というよりもただただまずは「存在」を世に「示」したいということです。なぜなら私たちは、性的少数者への差別は、性的少数者の実際を知らない、あるいは実在すら知らない、多くの人たちのその無知と偏見から来ているものだと知っているからです。これを正していくには、第一に当事者たちの存在を具体的に示すこと以外に方法はないのだろうと考えています。私たちにとって、それは「カムアウト」という言葉で表されています。このような英語で表記せざるを得ないのは、それが日本的な方法ではないからなのでしょう。しかしとりあえずいまの私たちにはそれしかない。しかも欧米先進国に比べて著しく潜在している、あるいは言語化すらされていない差別感を抱える日本社会で、カムアウトすること自体にも大きなリスクが伴うのは確かです。ですから、このパレードには、取材されて顔が出ては困るという参加者のために例年、「取材および写真撮影不可」という隊列カテゴリーももうけているほどです。

あの激しい雷雨で山手線がスットップしていたこともあり、今年は参加者の激減が危惧されました。ですがあの雨の中、それでも昨年とほぼ同じ2292人が出発地点の代々木公園に集合し、予定の15分遅れで行進が開始となりました。雨は不思議と止んだのでした。沿道からの応援やイベント会場の参加者を合わせると私たちの数は計3800人にもなりました(デモ行進扱いのマーチは、東京では3000人を超える行進者は認められないようです)。東京ばかりではなく、みんなこの日のために全国から集まってくれた人たちです。ゲイとかレズビアンとか単純にカテゴライズされるけれど、中には学校の先生がおり、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどのグループもいました。HIV/AIDSの支援団体の人もいれば、会社員も弁護士も会計士もコンピューター技術者もフリーターも学生も、それにメディアで働くゲイやレズビアンも参加してくれました。日本で初めて政治家としてレズビアンであることをカムアウトした尾辻かな子大阪府議会議員や、トランスセクシャルを公言する上川あや世田谷区議会議員も歩きました。社会民主党の保坂展人さんは国会議員として初めてこのマーチに参加してくれ、そのもようをご自身のブログでも公開してくれました(http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/d/20060812)。事実上の同性婚を法的に保障している英国のロンドン市長ケン・リビングストン氏からは、このイベントは「日本のレズビアンやゲイの方々の貢献をたたえ、目下の課題である人権問題や法的平等を勝ち取るための戦いを知らしめる絶好の契機だ」(Tokyo Pride is a timely opportunity to celebrate the contribution of Japanese lesbian and gay people and to acknowledge their ongoing struggle for human rights and legal equality.)とのメッセージが寄せられました。その他にも多数の欧米の政治家、人権団体代表の方々からメッセージをもらいました。日本の政治家からは、上記御三方以外のものは、ありませんでした。

ご存じのように、同性愛者など性的少数者の人権問題は宗教問題を絡めながらも現在の先進諸国の最大の政治課題です。にもかかわらず日本では、そのことを議論するどころか口にすることすらも忌避される傾向にあります。欧米で真剣に議論されている同性結婚の問題も、日本の新聞で読むとなにか「遠い異国の話」でしかない。そんな風潮は、もともと「性的なこと」を話題に上らせるのをよしとしないという、日本の文化的背景も一因であろうとは承知しています。さらには議論して衝突することを嫌う社会であるせいでもありましょう。でも「結婚」は、たんに性の話でしょうか?

でも、私たちが「示」したいのは、私たちの「性」の話ではありません。それらもすべて含めた、私たちの「生」のことなのです。そのために私たちは年に1度のこのパレードで私たちの「生命」と「生活」の存在を世間に示しています。それが差別と偏見をなくしていく最初の一歩だということを、先輩諸国の人権運動の歴史が示してくれているから、だからこそ私たちはリスクを冒しても顔を見せ手を振って公道をパレードしているのです。また、そうでなくては、欧米諸都市での数万人、数十万人規模のゲイ・パレードの説明もつきません。そこに参加する警察官の、消防士の、裁判官や検事や弁護士など法曹界の、政治家の、銀行や会計事務所や一般企業の、ありとあらゆる分野の参加者たちの動機を説明できないのです。ロンドンやパリやニューヨークなどでは、市長や国会議員が先頭に立ってこの人権パレードを歩く。その意味を、読者・視聴者に伝え得た日本の新聞・テレビはほぼ皆無です。それは、日本のメディアに従事するほとんどのジャーナリストがその意味を即答できないことでも明らかでしょう。それは、政治的な点数稼ぎのためではすでにありません。

このパレードに先立つ7月に、東京・新木場公園で同性愛者を狙った強盗傷害事件が起きました。
時事通信による配信では次のような事件でした。

**
◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。
**

この記事の書き方のせいでもありましょうが、このニュースはインターネット上のブログやミクシィというSNSコミュニティ内で「突っ込みどころ満載」と形容され、さんざん面白おかしく取り上げられました。「衣服を着けずに歩いていた」のにどこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それって犯罪じゃないの? 両方とも犯罪者じゃないの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。そうしてこの被害者は、強盗傷害の犯人と同列に、あるいは揶揄の点からはそれ以上に非難されることになった。自業自得、自己責任、というふうにしか発想しないこの本末転倒、ニュースを読む側の倒錯。こうした日本社会の非情の背景にはいったい何があるのでしょう。それをめぐって東京のゲイ・コミュニティでは70人が出席する緊急討論会も行われたほどです。もちろん、それも報道はされませんでしたが。

私たちがなぜ性的少数者への差別の解消を訴えているのか。
それは、性的少数者を差別しない社会は、他のすべての差別や卑下に関しても許さない正しい社会になるだろうと思うからです。日本でこれまでほとんど知的議論の対象になってこなかった性的少数者という存在を理解することは、あるいはとても難しいことかもしれません。それでなくとも日本社会には面白おかしい「ハードゲイ」像とか「おかま」像とかしか表面化していないのに、いったいどうやってそんな固定観念から自由に同性愛者というものを受け入れていくことができるのか。あるいはいまだに同性愛というものを「そっちのセックスのほうが好きだから自分で選んでそうなった」と思っている無知がはびこる中で、どうやって正しい知識を広める機会を持てるのだろうか。私たちの課題はとてつもなく大きく、重たいものです。でも、それを超えて、日本というこの社会をもっと真っ当なものにしたいからこそ、これからもパレードを続けていこうと思っているのです。なぜなら、同性愛者たちにきちんと向き合える社会は、病者や老人や外国人など、いわれなき偏見と差別にうちひしがれているすべての種類の人びとにもきちんと向き合える社会だと信じているからです。

しかし、それを日本でも成功させるには私たちだけの力では足りません。私たちにも、どうしてもメディアの力が必要なのです。欧米でももちろんそうでした。マスメディア各社の力添えがない限り、私たちの3800人のパレードは沿道わずか数十メートルの幅の、延長わずか数キロでしかないその通りすがりの人びとにしか伝わらない。いや、通りすがりの人びとにすら無視されるかもしれないのです。お願いです。貴メディアの力をお貸しいただきたい。私たちのことを、興味本位のものではない、ジャーナリズムの目を通して報道してください。私たちの現在は、人種、宗教、病気、性別、階級、障害、年齢、それら歴史上のすべての差別問題の再現なのです。私たちは、歴史です。それも現在進行形の。

私たちが最も恐れることは、私たちが単なる情報として消費されてしまうことです。HIV/AIDSの問題でもそういう消費と疲弊とが進行しています。それは教育と啓発の問題なのに、いつのまにかファッションの問題に置き換わってしまっている。結果、日本は先進諸国中ゆいいつHIVにとても脆弱な国家になってしまっています。

私たちは生きています。私たちを、私たちという歴史を記録してください。
今後末永く、少しずつでいいですから私たちをジャーナリズムに載せていってください。
そのために、いますぐでなくとも、性的少数者の問題を長期的に「生」の問題として扱う社内態勢あるいは社内コンセンサスを形作っていただきたいのです。

パリのドラノエ市長も、ニューヨークのブルームバーグ市長も、スペインのサパテロ首相も、私たちが求めればニュースになるようなメッセージくらいいくらでも送ってくれるでしょう。現在の東京都知事に期待できることはまったくないにしても、しかしこれくらいのことは「外圧」を必要とせずに私たち日本社会の中でやり遂げたい。
どうか、この困難な人権運動にお力添えください。

長文の、一方的なお願いの手紙になりました。
貴重な時間を割いて読んでいただいたことを感謝いたします。

お願いついでにもう一件。
来る9月17日(日)に、北海道札幌市中心部でこの種のパレードの第二弾となる「第10回レインボーマーチ札幌」が行われます。他都府県からも多くの参加者が札幌に向かいます。札幌の上田文雄市長は、この人権マーチに賛同を表明している数少ない日本の行政執行者・政治家の一人です。紙面の余裕がありましたら、ぜひ取材・報道してみてください。
詳細は「www.rainbowmarch.org/」にあります。

貴社の、ますますのご発展をお祈りいたしております。

不一。

             在NYジャーナリスト 北丸雄二拝

この書簡に賛同する方の連名署名をネット上の私のブログなどで募ったところ、5日間で次の方々から私宛のメールでお名前をお貸しいただきました。全員のメールアドレスは私が保管してあります。ご覧のようにメディア関係者のほとんどは残念ながら匿名・仮名での署名でした。本来ならばメディア内部の私たちの仲間が率先して社内啓発に努めるべきなのでしょうが、現在の日本で、社内「カムアウト」することの複雑困難な背景が存在するという事情をこのことからもご高察くだされば幸いです。このお願いの手紙は、貴社内で公開くださってもかまいません。
この手紙に関するお問い合わせ、ご意見は、遠慮なく私宛にお返しください。

(以下、連名署名を並べます)

August 16, 2006

連名で要望を出しましょう

先日の東京LGパレードが、けっきょくどこの新聞でも報道されなかったということを知って、私はすごくショックを受けました。それで、次の内容で東京の報道メディア各社(朝・毎・読・日経・東京・産経・共同・時事、それとテレビ各局)に手紙、まあ、要望書ですね、それを送りたいと思っています。北海道新聞にも送ろうかしら。

この書簡の内容に、連名で名前を載せてくれるひとを募ります。
あなたの名前を貸してください。

肩書き(職業、なるべく具体的な社名)と名前をください。名前を出せないひとは、たとえば職業のほうは本当のものを書いて「TBS社員、何乃誰平(仮名)」とかいうふうにしてください。 パレードの準備委員会だった方、あるいはボランティアをしていた方は、その役付きも表記してください。

お名前は、わたし(yuji_kitamaru@mac.com)宛に、メールでその旨を知らせてください。この要望内容に賛同する方ならどなたでも結構です。
ここのブログのコメント欄でもよかったのですが、このコメント欄、不具合で使えません。
申し訳ない。近々、ブログページ自体を変えますのでお待ちください。

また、みなさん、ここにリンクを張ってこの連名署名への参加者を呼びかけていただけるとうれしいです。

で、書簡の内容です。長文注意。


***
前略 編集局長ならびに社会部長さま

とつぜんお願いの手紙を差し上げる無礼をお赦しください。
私たちは先日8月12日(土)午後に東京・渋谷から新宿にかけて行われた「東京レズビアン&ゲイパレード2006」を準備し、あるいは参加し、あるいは関心を持って見つめていた同性愛者などの性的少数者とそれに寄り添う異性愛者の有志のグループです。今回のこのとつぜんの手紙は、私たちのこの人権パレードが、翌日の新聞各紙あるいはテレビニュースでなにひとつ取り上げられていなかったという事実に少なからぬショックを受けてお出しするものです。

12日当日は、東京はご存じのように激しい雷雨に見舞われ、午後3時から予定していたこのパレードもあわや中止に追い込まれるところでした。しかし中止にすることはどうしてもできませんでした。このパレードは1年近い大変な準備の末に行われる、性的少数者の東京での年に1度の示威行動です。もっとも「示威」といっても、もちろん私たちにはなんの「威力」もありません。私たちがこのパレードで目指しているのは「威」というよりもただただまずは「存在」を世に「示」したいということです。なぜなら私たちは、性的少数者への差別は、性的少数者の実際を知らない、あるいは存在すら知らない、多くの人たちのその無知と偏見から来ているものだと知っているからです。これを正していくには、第一に当事者たちの存在を示すこと以外に方法はないのだろうと考えています。私たちにとって、それは「カムアウト」という言葉で表されています。もちろん、欧米先進国に比べて著しく潜在している差別感を抱える日本社会で、カムアウトすること自体にも大きなリスクが伴います。ですから、このパレードには、取材されて顔が出ては困るという参加者のために例年、「取材および写真撮影不可」という隊列カテゴリーももうけているほどです。

あの激しい雷雨で山手線がスットップしていたこともあり、今年は参加者の減少が予想されました。が、それでも昨年とほぼ同じ2292人が行進し、沿道からの応援やイベント会場の参加者を合わせるとその数は計3800人にもなりました。東京ばかりではなく、この日のために全国から集まってくれた人たちです。中には学校の先生がおり、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどのグループもいました。HIV/AIDSの支援団体の人もいれば、会社員も弁護士も会計士もコンピューター技術者もフリーターも学生も、それにメディアで働くゲイやレズビアンも参加してくれました。日本で初めて政治家としてレズビアンであることをカムアウトした尾辻かな子大阪府議会議員や、トランスセクシャルを公言する上川あや世田谷区議会議員も歩きました。事実上の同性婚を法的に保障している英国のロンドン市長ケン・リビングストン氏からは、このイベントは「日本のレズビアンやゲイの方々の貢献をたたえ、目下の課題である人権問題や法的平等を勝ち取るための戦いを知らしめる絶好の契機だ」(Tokyo Pride is a timely opportunity to celebrate the contribution of Japanese lesbian and gay people and to acknowledge their ongoing struggle for human rights and legal equality.)とのメッセージが寄せられました。その他にも多数の欧米の政治家、人権団体代表の方々からメッセージをもらいました。尾辻、上川両氏以外の日本の政治家からは、ありませんでしたが。

ご存じのように、同性愛者など性的少数者の人権問題は宗教問題を絡めながらも現在の先進諸国の最大の政治課題です。にもかかわらず日本では、そのことを議論するどころか口にすることすらも忌避される傾向にあります。新聞で読んでもなにか「遠い海外の話」でしかない。そんな風潮は、もともと「性的なこと」を話題に上らせるのをよしとしないという、日本の文化的背景も一因であろうとは承知しています。さらには議論して衝突することを嫌う社会であるせいでもありましょう。

でも、私たちが「示」したいのは、私たちの「性」の話ではありません。それらもすべて含めた、私たちの「生」のことなのです。そのために私たちは年に1度東京に集まってこのパレードで私たちの命の存在を世間に示したい。それが差別と偏見をなくしていく第一の道だということを、先輩諸国の運動の歴史が示してくれています。だからこそ私たちはリスクを冒しても顔を見せ手を振って公道をパレードしているのです。そうでなくては、欧米での数万人、数十万人規模のゲイ・パレードの説明もつきません。そこに参加する警察官の、消防士の、裁判官や検事や弁護士など法曹界の、政治家の、銀行や会計事務所や一般企業の、ありとあらゆる分野の参加者たちの動機を説明できないのです。

このパレードに先立つ7月に、東京・新木場公園で同性愛者を狙った強盗傷害事件が起きました。
時事通信による配信では次のような事件でした。

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◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。
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この記事の書き方のせいでもありましょうが、このニュースはインターネット上のブログやミクシィというSNSコミュニティ内で「突っ込みどころ満載」と形容され、さんざん面白おかしく取り上げられました。「衣服を着けずに歩いていた」のにどこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それって犯罪じゃないの? 両方とも犯罪者じゃないの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。そうしてこの被害者は、強盗傷害の犯人と同列に、あるいは揶揄の点からはそれ以上に非難されることになった。自業自得、自己責任、というふうにしか発想しないこの本末転倒、ニュースを読む側の倒錯。こうした日本社会の非情の背景にはいったい何があるのでしょう。それをめぐって東京のゲイ・コミュニティでは70人が出席する緊急討論会も行われたほどです。もちろん、それも報道はされませんでしたが。

私たちがなぜ性的少数者への差別の解消を訴えているのか。
それは、性的少数者を差別しない社会は、他のすべての差別や卑下に関しても許さない正しい社会になるだろうと思うからです。日本でこれまでほとんど知的議論の対象になってこなかった性的少数者という存在を理解することは、あるいはとても難しいことかもしれません。それでなくとも日本社会には面白おかしい「ハードゲイ」像とか「おかま」像とかしか表面化していないのに、いったいどうやってそんな固定観念から自由に同性愛者というものを受け入れていくことができるのか。あるいはいまだに同性愛というものを「そっちのセックスのほうが好きだから自分で選んでそうなった」と思っている無知がはびこる中で、どうやって正しい知識を広める機会を持てるのだろうか。私たちの課題はとてつもなく大きく、重たいものです。でも、それを超えて、日本というこの社会をもっと真っ当なものにしたいからこそ、これからもパレードを続けていこうと思っているのです。なぜなら、同性愛者たちにきちんと向き合える社会は、病者や老人や外国人など、いわれなき偏見と差別にうちひしがれているすべての種類の人びとにもきちんと向き合える社会だと信じているからです。

しかし、それを日本でも成功させるには私たちだけの力では足りません。私たちにも、どうしてもメディアの力が必要なのです。欧米でももちろんそうでした。マスメディア各社の力添えがない限り、私たちの3800人のパレードは沿道わずか数十メートルの幅の、延長わずか数キロでしかないその通りすがりの人びとにしか伝わらない。いや、通りすがりの人びとにすら無視されるかもしれないのです。お願いですから力を貸してください。私たちのことを、ワイドショー的な興味本位のものではない、ジャーナリズムの目を通して報道してください。私たちの現在は、人種、宗教、病気、性別、階級、障害、年齢、それら歴史上のすべての差別問題の再現なのです。

どうか、私たちのこの運動にお力添えください。
今後末永く、私たちをジャーナリズムに載せていってください。
性的少数者の問題を長期的に「生」の問題として扱う社内態勢を形作っていただきたいのです。

長文の、一方的なお願いの手紙になりました。
貴重な時間を割いて読んでいただいたことを感謝いたします。

お願いついでにもう一件。
来る9月17日(日)に、札幌中心部でこの種のパレードの第二弾となる「第10回レインボーマーチ札幌」が行われます。紙面の余裕がありましたら、ぜひ取材・報道してみてください。
詳細は「www.rainbowmarch.org/」にあります。

貴社の、ますますのご発展をお祈りいたしております。

不一。

August 06, 2006

新・新木場事件に思う

 2000年2月11日早朝、東京・新木場の「夢の島緑道公園」内でゲイ男性とおぼしき若い男性が頭や顔から血を流して倒れているのをジョギング中の会社員が見つけるという事件が起きました。やがてこの男性への強盗殺人容疑で江東区東雲2、無職、中野大助(25)=当時=と同区立中学3年の少年(14)、同区都立高校1年の少年(15)=同=ら計7人が強盗殺人容疑で逮捕されました。これはいわゆる、日本で初めて殺人にまで発展した「ホモ狩り」、ゲイバッシング殺人事件ですが、裁判では、この被害者男性の遺族であるお母さまの事情も鑑みて、事件をゲイバッシング=ヘイトクライム(憎悪犯罪)と規定するに至らず、たんなる通行人を狙った小遣い稼ぎの凶行、と認定するにととどまりました。

ところが同じようことが6年半後の先月、同じ場所で起きました。

以下、時事通信の記事です。

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◎同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁
 (時事通信社 - 07月27日 14:10)

 同性愛者の男性を襲い、現金を奪ったとして、警視庁城東署は27日までに、強盗傷害容疑で、東京都江東区内の都立高校生(18)ら少年4人を逮捕した。4人は中学時代からの遊び仲間で、調べに対し「同性愛者なら、被害に遭っても警察に届けないと思った」と話しているという。

 調べでは、高校生らは8日午後9時5分ごろ、同区の夢の島総合運動場内の遊歩道で、衣服を着けずに歩いていた板橋区の男性(34)に殴るけるの暴行を加え、現金2万1000円を奪うなどした疑い。男性は全身打撲の重傷を負った。

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 この事件は、ミクシィというSNSの中での日記書き込みで万人に「突っ込みどころ満載」と形容されました。そうしてまずは面白可笑しく取り上げられていったのです。「衣服を着けずに歩いていた」のに、どこに「現金2万1000円」を持っていたの? 「衣服を着けずに歩いていた」って、それも犯罪じゃないの? 逮捕されないの? 両方とも犯罪者じゃないの? で、「衣服を着けずに歩いていた」って、何をしてたの? どうして被害者が「同性愛者」だって分かったの? あそこはそういう場所なの? というふうに、“異様”な同性愛者たちの“異様な生態”の方に論が進んでいったのです。

 こうしてこの新・新木場事件は、各人が各様に(これはゲイであるかストレートであるか関係なく)「突っ込みどころ」のユニークさとその「突っ込み方」の面白さを競うような(あるいは競ってはいなくともここでなにか一言でも言っておきたいというような)対象となっていきました。もちろんすぐに「そうじゃないだろう」という対抗言説も生まれましたが、また同時に、同じゲイの中からも「こんな全裸徘徊をしているから襲われるんだ」「新木場は危ないと知っていてそういうことをしているのなら、それは自己責任ではないのか」という批判も生まれました。

 こうした反応をさまざまなブログやミクシィ内の日記などで読みながら、私はこれは基本的には社会的なコンセンサスの問題ではないかと思いました。コンセンサスとは、人びとに共通の、社会の大多数の人びとが同じようにもっともだと思う、その共通認識のことです。もちろん自然と形作られていくようなものもありますが、ゲイに関すること、LGBTに関わることでは、情報自体がいつもどこででも公になるというものではないですから、公のコンセンサスというものは、黙ったまま何もしないでいるといつまでもできてこないものです。

 たとえばこの新・新木場事件に10の論点があるとしたら、私の印象は、みんなが順不同に3を言ったり5を言ったり7を言ったり4を言ったり2を披露し合った、というものです。ときにはまだだれも言っていないからと6.5の部分を指摘したり、と。そうして、私たちは10の論点のすべてを消費しました。で、結果、なんらかのコンセンサスは得られたのか?

 『バディ』というゲイ雑誌の編集もしている斎藤靖紀さんは、ミクシィ内で「実際に既に重傷を受けている人間がいるのに、その罪よりも、そこにいたった行動のほうを問題にするのは、お願いだから別の機会にやってほしい」と書き込みました。これを受けて、同じく編集者であるみさおはるきさんが「今回の事件に対して『自己責任』とか『自業自得』って意見を出した人は、これが二丁目の近くでゲイを狙った事件で、たまたまそこに通りかかった自分が襲われて被害者になったとしたら「ゲイが集まることで有名な二丁目に行ったから自分は襲われたんだ、自業自得で自己責任だから仕方がない」なんて」言えるんだろうか、という視点を補足しました。

 斎藤さんがまとめたこの事件に対する人びとの反応はつぎのようなものです。

「事件が報道されたというのが最初の衝撃。

「被害者の変態行動どうよ」な声がワッと出たのが第一の反応

それを見て、「被害者の変態行動どうよな非情発信はどうよ」、というのがその次の反応↓

それを見て、「被害者の変態行動どうよな非情発信はどうよという言論統制的圧迫はどうよ」というのがその次の反応」

 このまとめはじつに要領を得たものでした。こうして、この事件に関する10の論点のほぼすべてが網羅されました。
 そういう書き込みを読みながら、私には、みさおさんにしても、斎藤さんにしてもみんなが一様に、最初の「被害者の変態行動どうよ」というものへの対抗言説として、様々な視点からこの事件に対してどういう態度を取るのが正しいのか、それを懸命に模索しているという印象を受けたのです。とにかく足場が必要だ。その足場がなければ、次のところに進めない。先ほどの物言いでいえば、その足場こそがコンセンサス、共通認識です。みんなが、あるいは少なくとも大多数がそうだと合意できるような、論理的な、しかも万人が納得するような平易な足場。斎藤さんがミクシの中で言っていたことはまさにそういうことでした。10ある論点のうち、1が定まらなければ2に行けないのに、どうしてみんな先に5とか7とか8とか9とかの話をするんだ? どうして1に関して、あるいはその派生としての2に関してきちんと合意もできていないまま3に進んじゃったり6を知ってるってひけらかしたりするんだ?

 そういうことなんだろうと思います。わたしたちは、こういうゲイバッシングに関して、いったいどこでどういうコンセンサスを形成してきたのか? いや、ゲイバッシングにのみ関係する問題ではありません。ゲイに対してまずは公の言説がほとんどなされていない日本という社会のなかで、言説がないのにコンセンサスが生まれるはずもありません。ではバッシングに関してはどうなのかというと、はて、いじめの問題は、いじめられる側にも問題がある、という物言いが平然と訳知り顔で公言されるような社会で、いったいどんなコンセンサスが真っ当なものなのでしょうか。

 思えば現代日本社会は、私の知る限り、公の議論と公のコンセンサスというものをないがしろにして成熟してきた社会のように思えます。戦後30年ほどは、つまりは1975年くらいまでは、いちおう、戦争をしないというコンセンサスがあったように記憶しています。もっとも、それもなんとなく戦後という時代の空気がそうだったのであり、べつに議論してそうなったのではなかった。だからいま、言葉としての伝達がないままになって久しく、ついに憲法9条もまたコンセンサスたり得なくなっている。

 すべてがこの調子です。日本社会は衝突を嫌う社会だという紹介が欧米では為されています。衝突を嫌うあまりに、議論をしなくなってしまった。自分たちの思考を言葉で切磋琢磨することを避けてきてしまった社会です。言葉がないところに、コンセンサスは生まれない。みんな、なんとなくそうでしょう、という雰囲気だけがフワフワと漂っていて、そしてひとたび問題が起きるや、そのなんとなくそうだという幻想の化けの皮がはがれることになる。え、そうじゃなかったの? と慌てるのです。そんな雰囲気だったのに、という共通認識は、じつは各自の勝手な思い込み、思い込みででっち上げられた誤解なのです。

 7月最終の週末に、つまりいまからつい1週間ほど前に、カリフォルニア州サンディエゴでゲイプライド・フェスティバルが行われました。29日夜の公園でのプライドコンサートの帰り道、3人のゲイ男性が、若者5人組に野球バットとナイフで襲撃されるという事件が起きました。3人は命に別状はなかったものの重傷を負い、容疑者の16歳から24歳までの男性が逮捕・起訴されました。前述のみさおさんが指摘した、「ゲイが集まることで有名な」ゲイプライドなんかに行ったから襲われた、のかもしれません。しかし、アメリカにおけるコンセンサスはすでに違います。

 サンディエゴの市長ジェリー・サンダーズは、すぐさま次のようなスピーチを行いました。
 「こんな下劣な犯罪を行うような輩に、あるいはこんなふうに人間を襲撃しようと企てているような連中に、言うべき言葉はわずかだ。きみたちは卑怯者だ(You are cowards.)。犯人たちは3人をバットで殴りながらゲイに対する卑劣な罵倒語を浴びせかけていた。これはヘイトクライムの、まさに定義そのものの犯罪だ。あきらかに、このケモノたちは被害男性たちをまたクローゼットに押し戻したかったのだろう。わたしたちは、ぜったいに、そんなことをさせないし、許しもしない」

 その前月の6月には、NYのゲイプライドに登場するはずだったケヴィン・アヴィアンスがやはり16-20歳の若者4人組に襲撃され、顎の骨を折る重傷を負いました。このときにはNY市長のマイケル・ブルームバーグが即座に「こんなヘイトクライムをしでかして逃げ仰せると思っていたら、それは悲しいくらいの大間違いだ」という声明を発表しています。

 学校での同性愛嫌悪的ないじめをなくすためにイギリスで先ごろ教師向けに作られたDVDの中で、ロンドン市長のケン・リヴィングストンは「私たちの目の前には、gay という言葉を侮辱的に用いるような低レベルな偏見・差別をなくすために、しなければいけないことがたくさんある」と訴えています。

 これがいまの欧米社会の世論の足場です(もちろん現実にはバッシングは頻発しているにしても)。そうしてこれさえあれば、私たちはみずからどんなジョークを言おうがあるいはだれかから笑い話にされようが迷うことはありません。なぜなら、これがいまの社会の背骨だという正義に支えられるからです。もちろんその背骨はアメリカではまだかぼそく、ちょっと横にずれて同性結婚とかの話になるとそれこそ屋台骨が揺らいだりするのですが、しかし暴力に関してはすでにこのサンダース市長らの言説に面と向かって反論することはできない。反論するには、面と向かわない、横を向いた、それこそ卑怯者のやり方でしかできない。

 今回の新・新木場事件で、私たち日本人社会はこの市長たちが代弁したようなコンセンサスを得てはいません。こんな基本的なことが、暴力を振るった者に対するこの絶対の批判が、社会で共有されていないのです。6年半前のあのオリジナルの新木場事件のときよりも、たしかに談論風発ではありましょう。いろんな意見が飛び交いました。相変わらず能天気で問題の核心をはずしているストレートのパッパラパー連中のことは別にしても、ゲイ・コミュニティ(もしそういうものがあるとしたら、ですが)、そしてそのコミュニティに寄り添おうとしているストレートの人びとの中で、たしかにかつてないほどの意見の披瀝と忌憚ない批判がありました。それは6年半という時間を感じさせる展開だと思います。

 ただしそれらは、足場がない限りどこにも行けないのです。10の論点を我れ先に見つけて発表し合うだけで、だからといってすごいね、よくわかったね、気づいたね、と褒められても、あるいはなにかを書き込んだことで自己充足していても、そこから私たちはいったいどこに行けばよいのでしょうか。このままでは私たちは、10の論点を情報として消費してしまったに過ぎない。私たちは、情報を消費するだけで、なんら新しい情報を作ってはいないのです。私たちは私たちのコンセンサスを作ってはいない。

 コンセンサスは、ゲイ・コミュニティの内部だけで作るものではありません。圧倒的な数を誇るヘテロセクシュアルの社会を巻き込まなければ、いえ、われわれの生きるそうした社会全体のなかでこそコンセンサスを作っていかなければ、意味がない。それはどういう運動かというと、じつは、大げさに聞こえるかもしれないけれど、日本の社会を変える運動なのです。たんにゲイに関するコンセンサスの話ではない。ゲイのことを軸にしながらいまの日本の社会のどうしようもなさを変えてゆくことにつながる、もっと大きな運動のことなのです。

 さてそのコンセンサスをどうやって形作ってゆくか。それは、先ほども言ったとおり、情報を消費するだけでなく、情報を作ってゆくことなのです。ゲイに関する、多種多様な情報を社会に向けて発信していく。これまではゲイコミュニティ内部への情報発信だったのを、これからはそれを外部へとつないでゆくこと。私たちの情報を一般社会へと広げてゆくことだと思うのです。これまでの10年間が個々人のカミングアウトの時代だとすると、そこを経ていま、今度はゲイコミュニティ自体が、一般社会へとカムアウトする時代になっていくのだと思います。

 おそらくそれにはまた10年を要するでしょう。でもそのとき、私たちの社会はいまよりもすこしだけ真っ当になっていることは確かだと思う。いやしかしまた、もしそうなっていないとしたら、それはつまり、だれもが不満を抱えているような、嫌な日本の病状が進行してしまっていることになるのだと思います。

 ですから、方法はやはり明らかです。ハーヴィー・ミルクが殺されて28年が経とうとしているいまも、彼が言ったことはだれがどこでどんな屁理屈をでっち上げようが保留をもうけようが、結論としてはぜったいに正しいものです。もちろん過程としてはさまざまな方法論や手練手管はあるでしょうけれど、それは28年を経ていままでだれもだれひとりとしてそのことを否定できなかったという歴史が証明しています。

 「カムアウト! カムアウト!」

 これを否定できた人はいません。すくみあがりたじろぎ留保したひとは多くいるけれど、否定できたひとはだれもいないのです。たとえカムアウトした先に死刑が待っていようとも、その死刑を覆すにはやはりカムアウトするしかないのだという理を、否定できはしない。
 それは、私たち自身を作り上げることです。私たちをこそ情報として発信することです。全裸徘徊が情報として誤解だと思うならば、全裸徘徊ではない自分自身をもまた伝えればよいだけの話です。

 「カムアウト! カムアウト!」

 このことをこそ、まずは私たちのコンセンサス、共通認識にする。いまはカムアウトできなくともよいのです。ただし、いまカムアウトできなくとも、カムアウトすることは正しいことなのだという結論は、揺らぎのないものなのだという歴史的な事実だけは知っておく。そういうことなのだと思います。そうみんなが思っていれば、それだけでも社会は確実に真っ当な方向に進んでゆくはずなのです。

July 22, 2006

トランスアメリカ

日本でもついに公開になりましたね。「トランスアメリカ」。
これは、“父”と息子のアメリカ横断(トランスアメリカ)の物語と同時に、トランスセクシュアルを取り巻くアメリカ(トランスアメリカ)の現状と希望とを描いた佳作です。

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監督のダンカン・タッカーに、この5月、日本公開に先駆けてマンハッタン・グリニッジヴィレッジの老舗カフェ「ラファエラ」でインタビューをしました。その内容をここで公開しますね。映画鑑賞の参考にしてください。

**

●赤ん坊が生まれるって?

DT そうエージェントを通して捜した代理母で。名前は知らされてない。もう38週目でいつ生まれてもおかしくない。生まれたって連絡が来たらすぐにカリフォルニアに飛ぶんだ。

●オープンリー・ゲイだって聞いたけど、赤ん坊って?

DT ゲイっていうか、ぼくはぼくに優しくしてくれる人とだったらだれとでも寝るよ(笑)。区別しないようにしてるのさ。この映画を作っていて学んだことの1つは、残忍性ってのは最近ではどの社会層にも見られるってことで、区別はない。男でも女でも保守派でもリベラルでも、黒人でも白人でも。人種って、アジア人とかヒスパニックのことも最近は話すけど、とにかくいろんな肌の色がある。セクシュアリティとかジェンダーってのも同じ数だけいろんな色があるんだってこと。ジェンダーって、ボートみたいなもんだと思う。ある人たちはボートの中心部に座っていて、真ん中だからあんまりボートも揺れない。でも縁の方にいる人たちにはボートは揺れてるんだ。すごく縁の人はそれで勢いあまってひっくり返って転げ落ちちゃうみたいにね。男も女もゲイとかストレートとか言ってるけど、そんな簡単なものじゃなくて、でも簡単に言っちゃえば僕らはただの性欲いっぱいのアニマルってことだよ。男で20歳だったりしたら、それこそ木の股とだってやれちゃうんだからね(笑)。
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●アメリカ人って、すぐにレーベル付けたがるからね。さて、赤ん坊に絡めて、もうすこし「家族」ってものについて話を聞かせて。これからあなたが持つ「家族」は一般に言う伝統的な「家族」とはちょっと違うでしょ?

DT たくさん親しい友だちがいて、彼らが家族を持っていて、あるいはいま付き合ったりしていて、そういうの見てて、このまま一人で待っていてもしょうがないなと思ったんだ。映画が出来上がって去年、マーケティングもとてもうまくいって、最後にはこうやって日本まで買ってくれたわけだしね、日本は最後の買い付け国の1つなんだよ。うれしかったね。で、映画がうまくいった。じゃあ次は何だってことになって。そうか、この映画で借金することもなくなったし、家も買えるし、子守りだって雇えるじゃないの、って気づいたわけ。で、ずっと長いこと自分の子供が欲しかったからね。よーしって。そんで、昨年の8月には代理母の女性が妊娠してくれたというわけ。

●この「トランスアメリカ」の制作自体が、家族を持とうと決心させてくれたというところもある?

DT その2つはいっしょだね。この映画、ずっと何年も作りたかった映画だし。

●ブロークバックマウンテンは7年かかってっていうのは有名だけど、この映画は?

DT 5年かな。で、いまでもまだこうしてインタビューで忙しくしてる(笑)。昨日なんて、カンヌでケヴィン・ジーガーが新人賞をもらったし、まだ続いてるものね。

●ケヴィン、よかったね。でも、とてもハンサムなんで、トビー役にはハンサムすぎて最初は採用しないつもりだったんだって?

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DT ああ、ほんとに彼は使うつもりじゃなかったんだ。彼はカナダのトロントの出身で、自分でこの役を取るためにリサーチをしてきてね、街に立つ若いハスラー(男娼)たちに話を聞いたりしたらしい。僕もこの役を作るためにいろんな若い連中に話を聞いたりしてたからね。で、リハーサルをやったんだけど、とにかく彼、あきらめないんだ。ダメだったらまた別のやり方を試すみたいな、全力で役作りをしてた。この役を取るという決心はすごいもんだったよ。で、彼に決めたんだ。

●あなた自身も、このニューヨークにある家庭や地元から疎外されたLGBTのための高校、ハーヴィー・ミルク・ハイスクールでリサーチをしたんでしょ?

DT いや、あそこはリサーチじゃなくて、あそこでボランティアで教えたりしてたんだよ。だからLGBTの若い子たちのことはわかる。それにあそこにはハスラーをやってる子がいるわけじゃないしさ。で、リサーチというか取材は別の場所でいろいろしたね。基本的にこれは、社会にミスフィットしてる人間を描いた映画なんだ。むかしジェイムズ・ディーンが「理由なき反抗」でやったのと同じなんだ。あれも社会に合わない、はじかれた若者の話だった。で、ジェイムズ・ディーンの役をもっとボリュームアップして、この「トランスアメリカ」のフェリセティ・ハフマンのブリーの役が、いまの社会の、べつの種類のだけど、ミスフィットということなんだよ。基本的に、このストーリーは、社会に誤解され、疎外されている人間が、いかに大人になるかを探す物語なんだよね。トランスセクシュアリティそのものが、いかに大人の自分に変身するかという問題だから。

●なるほど、そうか。性別適合手術までの話というのは、成長した自分になるための成長譚なんだ。

DT ぼくのいちばん好きな物語は何かというと、「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」なんだ。15歳のころに、あの本は7回も読んだ。で、自分の自由にできる予算内で「ロード・オブ・ザ・リング」を作るにはどうしたらいいかって考えたわけだ。そのためにはまず登場人物は、架空の存在じゃなくて実際の人間にしようと。で、それからそいつが探求の旅に出る。で、友だちに出遭い、敵に出遭い、故郷に帰ってきたときには別の人間に成長している。で、主人公は社会にミスフィットの存在で、どこにも自分が帰属していないと考えていて……そうやって組み立てていって、だからブリーとトビーは、どこかサムとフロドに似てるでしょ? ブリーはサムのように捨てにいく宝物を携えながら旅をしている。

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●ははあ、すごいなあ。で、トビーがブリーにセックスを提供しようとする場面も出てくるわけか。サムとフロドの2人の関係が、逆にトランスアメリカでは明示的にそこにかぶってくるね。面白いなあ。

DT トビーはセックスでしか他人と関われないからね。それ以外に方法を知らないんだ。

●あのシーンはどういうふうに演技指導したの?

DT ケヴィンにはとにかくシンプルに演じるようにって言った。「マイ・プライヴェート・アイダホ」で、リヴァー・フィニックスがキアヌに「I really love you, man」って言うシーンがあるだろ? あんなふうに、飾りのない、朴訥で裏のない正直な、まんまの感じで演じてくれっていったんだ。で、それがあのブリーに背を向けながら「It's like...I see you(見えるよ、本当のあんたが)」って言うシーンになった。

●あれはほんとうに胸がつぶれるシーンだった。

DT そう、あのシーンで、みんなに、居心地の悪さや悲しさや可笑しみや共感や、そうね、オエッていう感じとかも、そういうものすべてを同時に感じてほしかったんだ。肝心要のシーンだし。

●フェリシティ・ハフマンにしても、ブリーのこの役はまったく新しい経験だったんじゃないかな。

DT ホルモン剤の副作用でおしっこが近くなるせいで、夜に車を停めて路肩で用を足さなくてはいけなくなるシーンがある。道路を離れて草の生える場所でしゃがみ込んで用を足すにはヘビが恐くてダメ。で、やむなく立ち小便をするというシーンでね、これはいわば真実の暴露という場面で、いかに本物らしく撮るかがカギだと思って、医療用の模造ペニスを用意しようとしたら2万ドル(220万円)もするっていうんだ。それで12ドル95(1400円)で代用品を用意して小道具の人たちに中央に孔を通してプラスチックボトルからお湯が流れて出てくる仕組みにしたんだ。で、メイキャップの女性スタッフには本物らしく色を塗らせて、これは男性陣がボランティアでポーズをとってモデルになって(笑)。で、撮影の夜だったけど本番前にフェリシティがそれを付けるっていうんでトレイラーのトイレの中に入って、そうしたら蛍光灯の光ですっごく生々しく見えたんだそうだ。そえでフェリシティは「オー・マイ・ゴッド!」って言ってね、それで出てきて、泣き出したんだ。ただただ泣くだけだった。この映画の撮影はだいたい時系列に沿って順番に撮っていたから、彼女、そのころにはブリーにかなり自分をだぶらせていたんだと思う。で、そのとき初めてわかったんだって。ブリーがどんな荷物を抱えていたのか、ペニスを持っている女性が、どんなに辛い人生を送っているのかってことをね。ぼくはブリーを慰めるみたいにフェリシティを慰めてた。それからぼくらはもっと深い友だちになった。

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●トランスジェンダー、トランスセクシュアルの問題って、アメリカでもかなり最近になってやっと取り上げられてきたもので、LGBTコミュニティの中でも関心は90年代なんかぜんぜん高くはなかったよね。その意味では彼ら彼女たちはマイノリティの中のマイノリティでもある。

DT そうだね。ゲイ・コミュニティでもトランスジェンダー、トランスセクシュアルの人たちのことを理解していなかった。ものすごく極端なゲイな連中がトランスになるんだとか冗談みたいに言ったりしてた。彼らは心の中は本当の異性愛の男性と女性なんで、ゲイとは別の辛さがある。ゲイの人権運動の中でも救ってこなかった人たちだ。結婚しているせいで見えてこない人たちもいまもたくさんいるし。

●アメリカより先に、ベルギーとフランスだったか、ヨーロッパの映画で「ma vie en rose(ぼくのバラ色の人生)」というキュートな映画があったよね。ヨーロッパの方がこなれているというか寛容というか、同性婚の制度も進んでいるしそういう点では柔軟だなあと思う。

DT 「ぼくのバラ色の人生」に比べて、「トランスアメリカ」はもっと現実的でシビアで暗くてぐったりする映画だっていうわけじゃないよ。これは究極的にはコメディだし、人生を祝福する映画だと思う。泣いたり、いろんな感情も高まったりするかもしれないけれど、コメディというのは人びとに一体感を与え、希望を与えるものだ。差別されるマイノリティを描いた映画には古くは黒人差別の「アラバマ物語(To Kill a Mockinbird)」があり、最近では「ボーイズ・ドント・クライ」があるよね。「ボーイズ」はすごい映画だけど、異端者やはみ出し者は殺されるべきだと誤解される話だ。でも、この「トランスアメリカ」はアメリカで初めてトランスセクシュアルを主人公として、「死ぬ」のではなく「生きていく」話を提示した映画だよ。ハリウッド的なストーリー展開と冒険とコメディと、それからちょっと知的で人生の真実を伝える、自分が何ものかを教える、そんな要素とが融合した映画であってほしいと自分でも思ってるんだ。

●偶然だけど、ちょうど日本で、7歳の男の子が、自分が男の子であることを嫌がって女の子として小学校に通っているというニュースがあったんだよ。

DT ええ? それで、学校とか大人たちとかは受け入れてるの?

●学校はそのようだけど、周囲の大人たちにはそのことを知らない人もいて、匿名でのニュースだけど、こういうニュースになったらまたいろんな違った反応も出てくるかもしれない。

DT 日本の学校ってのは、とても画一的だって聞いたけど……。

●この映画の日本での公開がそういうところにもよい形で影響を与えてくれるといいなと思ってる。

DT あるトランスの人の話を聞いたんだけど、家族が10年以上も話をしてくれなかったんだって。でもこの「トランスアメリカ」を見てまた話をしてくれるようになったんだって聞いた。これはすごくいい話だと思う。ただ、言っておきたいけど、映画ってそれ自体はべつに「社会宣言」ではないんだから、それ自体に語らせるというかね。

●しかし、出来上がるまでが大変だったでしょう?

DT 永遠に出来ないんじゃないかと思った。借金は両親、兄弟、友人、クレジットカード会社と山のようにたまるし、これから10年はこの映画の借金返済に追われると思ってた。だれもこの映画が成功するなんて思ってなかったし、映画祭だってこれがコメディなのかドラマなのかわからないってなかなか受け付けてくれないし、そうしたらベルリン映画祭で賞をもらって、そこからバラエティ誌の映画評で褒められて、それからあれよあれよって間にみんなが注目ってことになってね。作り手側としてはね、アーティストとして俳優も撮影監督もメイキャップも衣装もほんとうに協力的でさ、給料を少なくしてもとにかく完成させようとして頑張ってくれたんだ。ただしビジネス側、制作陣、販売エージェントだとか配給会社だとか財務関係だとか、そっちはすごく保守的で偏狭で、大変だった。
ベルリンですらそうでね、「トランスアメリカ」は600席とか800席の会場で上映して、ベルリンの人たちで売り切れ状態だったんだけど、ハリウッドの関係者はだれも来なかった。たまたま知り合いのプロデューサーに会って聞いたら、「みんなトラニー(トランスセクシュアルへの蔑称)の映画なんて見ないんだよ。商売にならんから」と言うんだ。にもかかわらず賞をもらってバラエティに出たら掌を返したように殺到してきたってわけ。で、ビル・メイシー(エグゼクティヴ・プロデューサーでハフマンの夫)が「こいつらには見せるな。トライベッカ(NYで春に行われる映画祭)でやろう」って言ってきてね(笑)。で、トライベッカ映画祭でいくつかのオファーを獲得したんだ。だがまだそう大した数ではなかった。まあ、大都市でしか上映できないような映画だということで。ぼくとしては「愛と追憶の日々(Terms of endearment)」とか「黄昏(On Golden Pond)」とかを見て泣いたり笑ったりした家族層なんかもを狙って作ったつもりだったんだが、配給会社側も広告代理店側も、その辺がよくわかってなかったんだよね。だって、トビー役のケヴィン・ジーガーがいるんだぜ。こんなにきれいな男の子が出てて、女の子たちを初めとして女性層が来ないわけがない。ゲイだって来るさ。それにフェリシティ・ハフマンだよ、「デスパレート・ハウスワイブズ」の。ねえ、あんたらバカじゃないの、って言ってやったら、「でも、ストーリーがねえ」って言いやがってさ。

●そういう、性的少数者を描いた作品に対するマーケットの偏狭さってのは、そうすぐには変わらないかな?

DT これをやって気づいたことはね、ハリウッドでもどこでも、この世の中は政治だってことだね。ってことはまた、だれかひとりでもわかるやつがいれば、ルーズベルトでもチャーチルでもいいけど、大きく変わるチャンスもあるってことだ。ただ、なかなかそういう人物はいない。みんなわかってないんだ。この「トランスアメリカ」でゆいいつ、実際の人物をモデルにして描いた役柄がある。それはフィヌオラ・フラナガンが演じた、ブリーの母親役のエリザベス。ほんとに可笑しいしすごいキャラだし、最高。で、彼女は、実在する人物なんだ。でも、何人か評論家たちは「ありゃ,やり過ぎで、真実味がない」って言うんだよね。でも、あれは本当なんだ。ぼくの弟だって見たとたん「ダメだよ、ママを出しちゃ」って言ったくらいだから(笑)。

●この映画は、「家族」をもういちど作ろうとする映画でもあると思う。トビーは家族を知らない。ブリーは自分と家族を作り直そうとしている。あなたにとって、「家族」の定義って何です?

DT 家族って、だれもしないような世話をしてくれる人のこと。自分の欠けている部分を補ってくれる人。たとえば事故とかで手を失ったらさ、代わりにお尻を拭いてくれる人のことだよ(笑)。血とかじゃないね。そんなの、知らなければわからないもの。努力というか、コミットメントというか、自分を愛してくれていつも見ていてくれる人のことだな。

●次のプランは?

DT この夏にハリウッド・ミュージアムで「ブロークバック・マウンテン」と「トランスアメリカ」の両方のコスチュームを展示する展覧会があるんだ。フィヌオラとかトビーの服とか。それの運び出しを今週中にやらないと。

●映画は?

DT 赤ん坊が出来るから、1年は消えてるね。それで、本当にやりたい脚本を見つけてからだな。オファーはたくさんあるけど、やらなくちゃいけないってものはないから、まだ次のは考えてないよ。

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(了)

July 07, 2006

NYの同性婚、認められず

州最高裁で認められませんでした。
4対2で敗訴。
理由は、簡単に言えば州の結婚法が、結婚は男女間だと規定してるから。それを同性婚も認めるようにするには、まずは州議会が州法を変えなきゃダメっていう論理です。

がっかりですね。結婚相手いないけど、そーいう問題じゃないってか。

まあ、マサチューセッツのドジョウの二匹目はNYにはいなかったわけっすね。
でも、同性婚を支持したジュディス・ケイ首席判事は「未来の世代が今日のこの判決を振り返って、必ずやこれは判断間違いだったと思うに違いないと信じている」と反対意見を付記しております。ふむ、けっこう力強いね。

市長のブルームバーグもコメントを発表して、「だれがだれと結婚しようと、そんなことは州の知ったこっちゃない」と。はい、そのとおり。「とはいえ、法律は立法府の議員が決めるもの。同性婚を認めるか否かは裁判所の問題ではない。んで、知事と私はどんな法であれ存在する法を執行する立場だ」として、そのうえで、「個人的には同性婚を認めるための法改正に賛成する」と言ってます。まあ、論理的に考えればそんなもんでしょう。

さらに、次期州知事候補のエリオット・スピッツァー(民主党)も同性婚支持派。彼が知事になる可能性は高く、そうすればこの秋以降、法改正へ向けて彼自身がプッシュする可能性もあって、また次があるさーね、って感じですな。

同じ日、南部ジョージア州では判事全員一致で同性婚が却下されました。

ほんと、結婚に関することになると、そんなに感情的な反発が強いんだなあ。
理屈じゃないっていうんだろうが、理解できませんなあ。

***
State's Highest Court Rules Against Gay Marriage

July 06, 2006

The state's highest court ruled Thursday that gay marriage is not allowed under state law.

In a 4-2 decision, the State Court of Appeals rejected arguments by same-sex couples throughout the state who said that state law violates their constitutional rights.

The court said New York's marriage law clearly limits marriage to between a man and a woman and any change in the law should come from the Legislature.

The case involved several lawsuits representing 44 gay and lesbian couples in the state.

Associate Judge Robert Smith wrote in the majority opinion wrote: "By limiting marriage to opposite-sex couples, New York is not engaging in sex discrimination. The limitation does not put men and women in different classes, and give one class a benefit not given to the other."

In a dissenting opinion, Chief Judge Judith Kaye said: "I am confident that future generations will look back on today's decision as an unfortunate misstep."

The cases decided Thursday were filed two years ago when high court judges in Massachusetts ruled same-sex couples there have the same rights to wed as straight couples.

Gay rights groups called the ruling a sad day for New York families, saying they are disappointed but that they are not giving up.

"It's so disheartening and so difficult to hear that the courts can't protect us, and we have to turn to the people," said plaintiff Cindy Blink.

They say they hope to have a gay marriage bill in front of state lawmakers by next year.

Both Mayor Michael Bloomberg and Governor George Pataki said they do not believe that same-sex marriage should be regulated by the courts.

Instead, they say it is a matter of changing the state's existing marriage law, a move that must be made in Albany.

"I haven't read the entire decision, but I just think it's right that any change in what has been the law of this state for over 200 years should be made by the elected representatives of the people and not by the court," said the governor.

"It's not the state's business who you can marry, and now, having said that, I also believe that it is up to the legislature to have laws. The governor and I will enforce whatever laws are on the books. And so I will personally campaign to change the law," said the mayor.

Democratic front-runner for governor Eliot Spitzer says he also supports gay marriage, which means if elected this fall, he could push for a law change.

The issue also has its detractors, including State Senate Majority Leader Joseph Bruno. He has said he will oppose any effort to legalize gay marriage.

June 16, 2006

GAY PRIDE MONTH

6月はご存じのようにこっちはGay Pride Monthなわけで、それに伴って米国ではいろんなマーケットがさまざまなゲイ向けの企画を実行しています。

で、気づいたんですが、アップルのiTunes Music Storeが、ゲイプライドに合わせて、ゲイプライド月間のエッセンシャルズ・プレイリストを公開してます。ま、これで売れる売れないは別にして、iTMSとしても顧客のLGBT層に向けての企業姿勢は示しているわけですね。

で、日本のiTMSは、見てみましたがもちろんなにもやってません。
「エッセンシャルズ」という切り売りの売り方自体、ないみたいですね。あるのかな?

そこで、東京パレードは8月12日ですよね。札幌は9月17日。
これ、iTMSに企画として持ち込んだらいかがでしょう?
アップルが企業としてパレードに協賛してくれるのが一番ですが、同時に、iTMSでもエッセンシャルズみたいなコーナーを設けて、パレードの実行委員会とかバディとかと連動してゲイに人気の曲やシンガーのリストアップを行う、とかね。

そろそろ、LGBTマーケットも対外的な自己主張しないと。
そのためにはまずはゲイフレンドリーな企業を無理しゃり作っちゃうことですわ。

iTMSにはすでにメッセージを送ってみました。
iTunes Store Feedback

実行委のみなさん、お忙しいでしょうが、いかがでしょうかね?

June 14, 2006

FOXにもこんなキャスターが!

いやいや、すばらしい。
このYouTubeのビデオ、5分ありますが、5分見続ける価値あり。

<該当のYouTubeビデオ、著作権問題で削除>

イラクで亡くなった米兵の葬儀に、「こいつはゲイだ」として墓地への埋葬にデモ隊を送り出してたウエストボローバプティスト教会(カンザス州)の一派があるんだが、その広報の女性に、FOXニュースのジュリー・バンデラスがピチッと切れて烈火の如き猛攻撃。

こいつらね、9/11もイラクの戦死者もAIDSもなにも、すべて神の思し召しだっていうわけだ。いまのこの世の悪行がすべて報いとなって現れているんだというわけね。ゲイプライドなんてものは倒錯を誇ってることで、そんなんがあるせいで天罰が下っているってのさ。

いやはや、ジュリーさん、怒りようが尋常じゃない。「Oh, really?」ってのは、けっこうけんか腰の物言いでね、「あら、ほんと、はあ?」ってな感じ。よく見ると首を横に揺らしてる、もうこりゃ、本気だね。聖書のレヴィ記を引用する相手のシャーリー・フェルプス・ローパーに真っ向から噛み付き、おまけに声がきれいだから相手のきんきん声を圧倒してなおさら小気味よい。しかしこのおばちゃんも最初は低〜い声で穏やかぶってたんだけど、いやいやどんどん声は高くなるし叫ぶし、がははは。
しかしFOXって、保守派だと思ってましたが、こういうキャスターもいるのね。

「神の言葉が憎悪だなんて、そんなことはあるはずがない!」
「だれがあんたに神の代弁をさせる権利を与えてるの? 何者なのあんたは? 説教者?」
「あなたが憎悪をばらまいてるのよ。あなたこそが悪魔よ。聖書を信じてるって? なら、あなたこそが地獄に堕ちなさい!」
「あなたみたいな人はアメリカ人じゃないわ。その教会を持ってどこか他の国に行くべきよ!」

以上全部、ジュリーの発言。ふだんは同じ文句をゲイの方が言われているのに、それをそっくりお返ししてやっているという構図。これは、前から考えてないと出てこないしゃべりですね。お見事!

May 05, 2006

ホモフォビア撲滅運動

さいきんやたらと気が立っていて、それもこれも、わたしもご多分に漏れずミクシなんてものに参加しているのですが、そこで垣間見るいわゆる一般ピープルの「書き込み」というのでしょうか、あれです、日記とかレビューとかで書かれている内容ですわ、それに、いちいち反応してしまうのは大人げないと思いつつもついつい読み込んじゃったりしてしまい、なんというのでしょう、日本のいまの雰囲気というんでしょうか、乗っかっちゃっているその神輿というのでしょうか、そういうものがとてもとてもと繰り返すほどに阿呆らしくて、だいたいがまああれです、れいの「国家の品格」ですわ、あれ、まだ書籍売上で週間トップなんかを取っているのですよ、そんで、そのミクシ内にも溢れるレビューなんかを読んでいると、ほんと情けなくなるというか叱りつけたくなるというか、みなさん、まあ言祝ぐこと言祝ぐこと、いったいどーなっちゃってるんでしょう、日本の知的レベルは。そもそも、知的ということが価値を持ったことがないのかもしれない、というくらいにとんでもないことになってしまっているようです。

で、障害者自立支援法です、教育基本法です、共謀罪です。
わたしはかつて小泉の登場によって日本の政治に私語が持ち込まれたと、その点では評価した一人ではありますが、いま、そんな自分の不明を恥じます。ごめんなさい。この5年は、けっきょくとんでもないところに日本を招き入れてしまった。ワンフレーズ政治でどんどんひとびとがものを考えずに引っ張られるようになってしまった。小泉のことをちょっとでも面白がった自分が恥ずかしい。ことはホリエモンとは違って一国の総理大臣。権力の在り様が違った。自民党は壊れたわけではなく、小泉に成り代わっただけだった。

そういう苛立ちの中で、5月17日は国際的な「ホモフォビア反対運動の日」だということで、大阪府議の尾辻かな子さんから反ホモフォビアに関する協賛コメントを求められたので、書いたのですが、これもまたろくでもない文章になってしまいました。

http://actagainsthomophobia.txt-nifty.com/blog/cat5814336/index.html

こんなふうに書いていたら、伝えたい相手は却って引いてしまうだろうという、悪い見本のような文書です。でも、吐き捨てたかったわけですな。頭ごなしに、そう指弾したかった、そんな大人げない文章になってしまっております。

以下、反省を込めて、再録します。
腹を立てるとロクなことはありません。


ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じです。

それは病気です。

フォビアとは病気なのです。
病的な嫌悪感、恐怖心。

いろいろなフォビア(恐怖症)があります。広場恐怖症、閉所恐怖症、高所恐怖症というポピュラーなものから雷光恐怖症、水恐怖症、暗夜恐怖症、あるいは陶磁器類恐怖症、空気恐怖症、言語恐怖症などというわけのわからないもの、はては13という数字が駄目な十三恐怖症(トリスカイデカフォビア)なんていうものさえあります。この場合、治療の対象は「広場」でも「高所」でも「空気」でも「陶磁器」でもましてや「13」という数字でもないのと同じように「同性愛」ではありません。治療の対象は「恐怖症」のほうです。つまりあなたがホモフォビック(同性愛恐怖症的)ならば、治すべきはあなたの嫌いな「ホモ」たちではなく、あなた自身の恐怖・嫌悪という病的反応のほうだということです。

まずは病識を持つことです。自分が病気だと思っていない病人ほどたちの悪いものはありません。あなたが「生理的」に苦手だと思っている「ホモ」たちは、じつは「ホモ」たちが悪いのではなくてあなたの「生理」が異常なのだと自覚することです。

いやいや、そんなに大袈裟なものじゃなくて、ただなんとなく「嫌」なんだ、と思っているだけなら、ああ、そりゃよかった。それは病気ではありません。それはホモフォビアではない。それは思い込みです。あるいはたんなるフリ、そういう格好をしといたほうが無難だ、あるいは、受ける、というふうに思っての仕草に過ぎません。それは専門的な神経症の治療を施さなくともだいじょうぶです。だって、それはたとえば「納豆が嫌い」というのと同じ、「ヘビがだめ」「クモは苦手」「芋虫、食べられない」というのと同じだということでしょう? だれも無理なものを食べろなどとはいいません。触れともいいません。好きになれとは無理強いしない。安心なさい。万が一そういわれても決然とNOといえばよろしいだけの話です。だが、あなたが嫌っても苦手でも叫んでも、ヘビや納豆は厳然と存在する。カエルやナメクジに罪はない。ボクラハミンナ生キテイル。それが世界だ。そういうもんだ。

それとも、あなたはそれだけじゃ気が済まなくて、それらすべてを一掃したいと思っているのですか? だからヘビや納豆を見ただけでぎゃーぎゃー騒がしく自分の嫌悪を表明し賛同者を募るのでしょうか? ゴキブリはぜんぶ殺せ。クモは死ね。納豆なんか殺菌しろ。陶磁器は生き埋めだ。民族浄化だ撲滅だ。クリスタルの夜だ。セルビアの悪魔だ。

もし、そんなあなたが、好悪に関しても発達過程にあるせいで自分を納得させるためにもどうしても騒がしい表明をしてしまわざるを得ない小学生ではない場合、そんなあなたはやはり病気です。まあ、少なく見積もっても情操障害か。
さらにもし、そのあなた個人の嫌悪の対象が生きている人間であると認識していてすらも、その嫌悪と憎悪と恐怖とを聞こえよがしに振りまいて憚らないというのであるならば、あなたはやはりもっとしっかりと病識を持ったほうがよい。あるいは少なくとも犯罪の自覚を。

ですから、ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じなのです。
それは,病気だ。でないなら、犯罪です。
悪いことはいいません。お治しなさい。一刻も早く。
人間、ひとに危害を加えない努力が肝要なのです。
それがいまの人間社会というものの存在基盤なのですから。
ね。

(筆者注)上記の文章は「病気の人」たちを疎外しようとの意図で書かれたものではありません。むしろ、病者でもないのに「病者を騙る人」たちを炙るための文章であることをご斟酌ください。

April 10, 2006

DVD到着、BBM4回目鑑賞

DVD届きました。
いやこりゃいいわ。ヘッドフォンで聞いたら細かい囁きまでぜんぶ聞こえるし、おまけにキャプションを出したらセリフとぴったり。

画質も最高。2回目の夜のキスシーンでは、ふと顔を離したお2人の口のあいだに、唾液の糸がつーっと渡ってキラリと光ります。この夜、エニスはテントに帽子を脱いで入ってくるのですが、その帽子の様子は紳士が淑女にあらためてあいさつをするときのようでもあり、かつ、その帽子がジーンズの股間を覆うようにもなっているのでこれまたなにかの含意があるかのようにも受け取れます。そうしてたしかにエニスは「sorry」とつぶやいています。そうしてジャックが「It's allright...allright...」と応じる。なるほどねえ。あるよなあ、こういうやりとり。

4年ぶりのモテルのシーンでは、ジャックがあのルリーンと結婚する年にロデオで稼いだ金額が2000ドルと改変されていて、これは原作では3000ドルだったのですが、面倒な説明と誤読を避けるために2000ドルに引き下げてあまり金がなかったという筋運びにしたのが分かりました。それで資産家の娘であるルリーンと結婚した、というわけです。

この映画は、鑑賞者が勝手に読みを深めて栄養を与えて、各自で勝手に物語を膨らませてしまうように出来ています。そうすることをしない鑑賞者には、「なに、これ?」となるのでしょう。淡々と描いているブロークバック山での描写も見る人が見るとなにかの予兆にあふれて目が離せないけれど、そうじゃないと「なんにも筋がなくただただ冗漫」となる。

見る人の過去の記憶さえもが、この映画の伏線と化するわけです。病み付きになるはずです。だって、自分のことが描いてあるんだもんね。
すべてがスクリーン上で展開し、すべてがセリフで説明できる、隠し立てのない「クラッシュ」とは大違いの映画。

アルマもかわいそうだけど、アルマ以上に彼らはかわいそうだ。アルマがかわいそうだというのが第一義である感想は、アルマ以上にかわいそうな彼らをどう処理しているのでしょう。それが不思議です。彼ら以上にアルマがかわいそうなら、この映画は作られなかったはずですしね。つまりこの映画を、アルマがいちばんかわいそうな、性欲に駆られた男2人の不倫物語と評する人は、敢えてそういうふうに読もうとする、読みたいというバイアスにさらされているか、あるいはわざと人と違った感想を探しているか、のどちらかということになる。あるいはどんな映画を見ても間違えているのか。

誤解されるように書いちゃいましたが、ま、しかしこれはどっちがかわいそうか、という比較の問題ではないですね。ごめんごめん。むしろ、どちらのかわいそうさに着眼するか、という問題。かわいそうさ? 悲惨さ?

もちろんアルマはかわいそうです。そのかわいそうさがあるから、彼らのかわいそうさがなおさら引き立つ、という構造です。どっちのかわいそうさも外せない。そうしてそのかわいそうさの道筋の基本も外せない。その構造を知ったうえで、再度アルマとルリーンに目配せをする。そうしてクローゼットがすべての人々を失望させることに気づく、という展開が望ましい。なんちゃってね。

ヒース・レッジャーより、ジェイク・ジレンホールの方が演技はうまいな。というか、エニスって、難しいから、どうしてもヒースの演技のふとしたわざと臭さが垣間見えちゃうところがある。たとえばキャシーとのダンスのシーンは、ありゃ、ダンスのうまいヤツがわざとぎくしゃくやっているの図ですね。

しかし、まあ、また面白うございました。またも性懲りもなく泣きましたですし。うへー。

March 14, 2006

yes 創刊2号 本日発売


日本時間で本日15日発売(地方はちょっと遅れるかも)のタワーレコードの雑誌「yes」(880円)で、「ブロークバック・マウンテン」の小特集が組まれております。

ヒース・レッジャーのインタビュー、BBMの分析「ブロークバック山の案内図」、雑学情報集「ブロークバック付録袋(ふろくぱっく)」などが掲載されています。
一般書店、もしくはタワーレコード各店、あるいは以下のアマゾンでも買えます。

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ヒース・レッジャーのインタビューのさわり

Q この映画がLGBTの観客にとっていかに大事な映画になるかということをあなたに言ってきたゲイの友人はいた? 「こいつは重要だぜ、失敗するなよ」って?

H そういうこと、友だちに言ってもらわなくてもわかるからね(笑)。これが重要な物語であるということは理解してたし、これまで正しく語られてきたことのない話であるということもわかってた。これをやることで責任が生じるということも知ってた。

Q この役を手にするってことについてはどう? この映画ならいろんな俳優がやりたがっただろうなって思うけど。

H 実際のところ、ちょっと変でもあった。台本を読んでこれはすごいと思ったんだ。こんなに美しい脚本を読んだことがなかった。ほんとにそう。おれのエージェントに「制作サイドがきみにやってもらいたいって言ってきてる」って言われてね。で、そのときは、おれの役はジャックの方だったんだよ。で言ったわけ。「いや、ジャックってのはどうやってやったらいいのかおれにはわかんないな。エニスだったらやれるけど。2人のうち、エニスの物語だったらできる」って。それからプロダクションは他の俳優を当たってたみたいで、しばらくおれもその話は忘れてたんだ。オーストラリアに帰って家族に会ったりとかしてね。そうしたらまたその話が来てさ、「きみの希望どおりにやってみるってさ。エニスがきみでジェイクがジャックをやるって案だ。アン(・リー監督)に会うかい?」って言うから「もちろん会いたい」って言って〜〜〜(続く)


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映画分析記事のさわり

 朝ぼらけのワイオミングの山あいの道路をトラックが行き、グスタボ・サンタオラヤのスチール弦が冷気を貫き、エニス・デル・マーが美しい八頭身でトラックから静かに降り立ったとき、その歓喜と悲劇の物語はすでにそこにすべてが表現されていた。歓喜は遠い山に、悲劇は降り立った地面と地続きの日常に、そうしてすべての原因は不安げに結ばれるエニスの唇と、彼を包む青白い冷気とに。

 「Love is a Force of Nature」というのがこの物語の映画版のコピーだ。「愛とは自然の力」。a force of nature は抗し難い力、有無をいわせずすべてを押し流してしまうような圧倒的な力のことだ。「愛とはそんなにも自然で強力な生の奔流。だからそれに異を唱えることはむなしい」──そのメッセージ。

 しかしここにはもう1つの意味が隠されてある。(中略)このコピーの二重性は象徴的である。〜〜(続く)

March 10, 2006

ブロークバックはただじゃ終わらない

オスカーに抗議して、「我々の作品賞はブロークバック・マウンテンです」という新聞一面広告=写真参照=を出そうという運動が始まりました。 「ありがとう;ブロークバック・マウンテン」という、ファンたち自身からの最優秀作品賞の授与ですね。

これがブログで紹介されるや、48時間で400人以上から17500ドル(200万円)が集まった。

呼びかけはアメリカでの熱狂的ファンサイト「the Ultimate Brokeback Forum」。落選の怒りをあたりかまわずぶちまけたりひたすら落ち込んだりという非生産的な行為の代わりに、この映画への制作陣への敬意と賞賛とを表明しようと新聞広告を打とうというわけです。画像にもあるように、2005年のベスト作品賞受賞映画賞を網羅して圧巻です。ただ1つ、オスカーだけがない。アカデミー会員のじいさんたちはこれをみて畏れ多くないか、ってわけですね。

言い出しっぺは私もこの欄とか自分のサイトとかでいろいろとネタ元にしていたDave Cullenくん。ふーん、本物だ、このブロークバック好きさ加減は。

こんなことはハリウッド映画史上かつてありませんでした。
面白いねえ。

ジャックとエニスの愛が社会によって否定されていたことに関する映画が、再び社会によって否定された(作品賞の落選)に我慢がならんというわけですね。アメリカ人の行動力って、ほんとこういうときに凄いと思います。

まずはハリウッドで最も読まれている映画関連新聞の「デイリーヴァラエティ」紙の本日10日付けで全面広告を打つとのこと。

さらに寄付を集めて他の雑誌や新聞にも、同様の広告を打つようです。
で、コピーは
「We agree with everyone who named 'Brokeback Mountain' best picture」
「わたしたちは、ブロークバック・マウンテンを最優秀映画賞に決めたすべての人々に賛同します」

で、日本からももちろん寄付できます。
http://www.davecullen.com/brokebackmountain/adcampaign.html
に行って、peypalのところをクリックして寄付が出来ます。
10ドルでもいいわけ。もちろん1ドルでもね。
でも、ビザかマスターカードを持ってないと難しいかも。

日本の新聞社にも教えましょうね。
こりゃぜったいに面白いネタだ。

March 08, 2006

ブロークバックの衝撃2

 今年のアカデミー賞は「クラッシュ」が作品賞を獲ったということより「ブロークバック・マウンテン」がそれを獲らなかったということのほうがニュースになっています。昨年12月の公開以来アメリカ社会にさまざまな「衝撃」を与えてきた「ブロークバック」ですが、作品賞を「クラッシュ」に横取りされた別の「衝撃」が返ってきちゃいました。記事の見出しも「アカデミー賞でのドンデン返し」とか「ブロークバックのバックラッシュ」とかですものね。

 アカデミー賞はその選考投票の内容を明らかにすることはありませんが、新聞各紙やロイターやAPなどがさまざまな見方を示しています。

 NYタイムズは作品賞を逃したことを;
 ブロークバックをだれも止められないと思っていた。だが最後に思わぬ事故(クラッシュ)が待ち受けていた。再びの屈辱的な教訓。アカデミーはだれかにどうこうすべきと言われるのが好きではないのだ。ジャック・ニコルソンが最後の封筒を開けたとき、すべての賭け金、一般の思惑、これまでの受賞暦が無に化した。「ホワー」とニコルソンは言った。

 たしかにニコルソンの反応は面白かった。「何たること!」という感じでしたものね。

 クラッシュはロサンゼルスのある交通事故が、いろんな場所のいろんな人々のいろんな話をない交ぜて思わぬ展開を見せていくというものです。そこには人種問題、貧富の問題、階級の問題、職業の問題、いろいろあって、オリジナル脚本賞も取っただけあってじつによく書けている。

 ところが、これが「今年の映画」かというと、正確にはアカデミー賞は去年の映画を対象とするのですが、その「いまのこの年の映画か」というと違うんじゃないか、というのが正直な印象です。「クラッシュ」のこの手法というのは「群像劇」の手法で、たとえばロバート・アルトマンの「ショートカッツ」(94年)なんかの手法なのです。またかよ、という感じ。

 さてそのうえで、NYタイムズとかAPでも共通しているブロークバックの敗因は、まず、ロサンゼルスという地の利/不利のことでした。NYタイムズの見出しは「ロサンゼルスがオスカーの親権を維持した」でしたし。
 つまりクラッシュはお膝元のロサンゼルスが舞台で、しかも登場するのはものすごい数の有名俳優たち。ブレンダン・フレイザーやサンドラ・ブロックの役などほんのちょいでなくてもかまわない、マット・ディロンもこれで助演男優賞候補?ってぐらいに出演時間もちょっと。そういう使い方をしてる。でもこれはハリウッドの俳優陣総出演というか、見事にむかしの東宝東映大映松竹オールスター大江戸花盛り、みたいな映画で、まさに化粧直しした新型ハリウッド映画なのです。対してブロークバックはカナダで撮影され、ロサンゼルス=西海岸資本が作った映画ではなくて、ニューヨーク=東海岸の資本が作った映画なんですね。これはいわばボクシング試合などのホームタウン・デシージョンではなかったか、そういう分析です。

 あるいはかねてから言われていたように、「ブロークバック」を、アカデミーの会員のご老人たちは観てもいないのではないか、という説。
 アカデミーというのは映画に関係するすべての職業の人から構成されていて、現在の会員は6000人くらい。そのうち投票するのは4500人とか5000人なんですが、ほかの賞のグループ、監督協会とか評論家協会とかよりも高齢化が進んでいて、そこに候補作品のDVDが送られてくるという仕組みです。それで自分で見る。日本にも何人も会員はいて、そこに字幕付きのも送られてます。
 だが、このカウボーイ同士のゲイの恋愛もの、そういうご年配の会員たちにとって、黙ってても観てくれる種類のものだろうかというと……。 「クラッシュは私たち自身が生きて働くこの業界をよく体現した映画だ( 'Crash' was far more representative of the our industry, of where we work and live)」とあるハリウッド関係者がNYタイムズの記事でコメントしています。対してブロークバックは「神聖なハリウッドのアイコン偶像に挑戦した、アカデミーのご年配方がそういうアメリカのカウボーイのイメージが壊れるのを観たいだろうかというと、答えは明らかだろう('Brokeback' took on a fairly sacred Hollywood icon, the cowboy, and I don't think the older members of the academy wanted to see the image of the American cowboy diminished.)」ということです。
 脚本を書いたラリー・マクマートリーもまた「Perhaps the truth really is, Americans don't want cowboys to be gay,(きっと真実はたぶん本当に、アメリカ人はカウボーイがゲイであってはほしくないということなんだろう)」と「bittersweet」なオスカーの夜を振り返っています。

 でも肝心なのはそれだけではないようです。
 クラッシュの配給会社は大手のライオンゲートですが、ここがクラッシュが候補に上ったとたん、じつはものすごいキャンペーンを展開したというんですね。というのも、その時点でもうクラッシュのアメリカでの劇場公開は終わっていて、DVDが発売されていた。このDVDを映画関係者に13万本以上もバラまいたというのです。対してブロークバックはDVDは市販用にはまだ出来ていない。だからバラまきようがない。13万本も作ったら破産してしまう。ふつう候補作は1万本とかが郵送されるようですが、クラッシュはその10倍以上です。ライオンゲートはほかの三流映画で稼いだお金をぜんぶつぎ込んでこのクラッシュをプロモートしました。何度も何度も、いろんな賞のたびに送るんです。そりゃ家に10本もたまったら観ますよね。クラッシュはこのプロモーションで数十万ドルつまり1億円近く使っています。そのほかにもパーティーはやるわ、贈り物はするわ、で、選挙運動じゃないですからそういうの、べつに逮捕されたりしませんからね。そういう背景があった。これはかつてあのイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のときに問題になったやり方です。あの映画もものすごいパーティーをやり、アカデミー会員に贈り物攻勢をかけ、あの主役のなんとかっていうコメディアンが愛嬌を振りまいた。で、オスカーを獲った。まるでオリンピックの招致合戦のような様相を呈しているわけですね。

 おまけに、クラッシュは「街の映画」でテレビ画面で見てもあまり印象は変わりませんが、ブロークバックは「山の映画」で、たとえ幸運に見てもらったとしても、あの広大な自然の美しさをバックに描かれる愛が、テレビの画面ではいまいち伝わらない。そういう不利もあったろう、と。

 つまり、今回の作品賞の顛末は、クラッシュが作品賞を獲る理由と、ブロークバックが作品賞を獲らない理由が、うまく二重合わせになった結果なのだろうということです。

 ま、しかし、冷静に考えるとBBMはいかにそれがエポックメーキングだとはいえ、アメリカ国内での興行成績はまだ8000万ドルに過ぎません。ゲイ関連の映画で、1億ドルを超えたのは過去にあのロビン・ウィリアムズの「バードケージ」(フランス版「ラ・カージュ・オ・フォー」のリメーク)だけなのです。BBMの観客数はこれまでで米国内1500万人くらいでしょうか。で、リピーターも多いから、つまりアメリカ人の95%以上はこの映画を観てもいないのですね。映画というのはそういう媒体です。テレビのヒット作なんか一日の1時間の番組で3000万人が見たりするのに。だから4200万人が視聴する中、94年4月にエレン・デジェネレスがテレビのコメディドラマでカムアウトしたときのほうがインパクトは強かったのかもしれない。

 あれから12年、時代の先端部分はたしかにBBMのような映画を作れるようにはなってきました。
 ただし、ジェイク・ジレンホールとヒース・レッジャーもインタビューで自分たちで言っていたように、「キスシーンでは最初、どうしても笑ってしまった」のですね。彼らですらそうなのですから、映画館であの男同士のキスシーンを見て笑ってしまわざるを得ない男たちというのはまだまだ相当数いるわけです。笑うだけではなく、「オーゴッド!」とか「カモン(やめてくれ)!」とか「グロース(キモイ)!」とか茶々を入れなきゃ見てられない連中だって。この映画を観た男性たちの中には、あえて「そんなに大した映画じゃなかった」という感想を、あえて表明しなければならない、というプレッシャーを感じている輩も多いのです。
 それはもちろんそういうホモセクシュアルな環境に耐えられない自分の中のホモセクシュアルな部分をごまかすためであり、あるいは一緒に映画を見ている仲のよい友人たちとの相互のピアプレッシャーでもあり、そういうのはさんざんわかっているのですが、やはりそういうのはまだ強い。ましてや、社会から隔絶して引退生活を送っているアカデミーの終身会員のお歴々がBBMに関して何を思っているのか、いや、なにも思っていない、ということは、つまりは見る必要性を感じない、というのは、ある意味当然ではあるのでしょう。

 歴史というのは、手強いのです。

 ただし、わたしには確実に空気が変わったのは感じられるのです。
 日本の配給会社ワイズポリシーの用意した掲示板に行ってみると(すこしでも映画にネガティブなことを書くと速攻で削除されるという恐ろしい掲示板らしいですが)、さまざまな人たちがゲイのことについて、あるいは自分はゲイであると明かして、さまざまに書き込みをしています。こういうことは「メゾン・ド・ヒミコ」でもあったようですが、あのときはオダギリ・ジョーのファンの女性たちに気圧されて掲示板でそう主人公にはなれなかった。でも、今回はBBMファンの女性たちと渡り合って余りある勢いや思いも感じられます。

 こういうのは「クラッシュ」には起きない。BBMの崇拝者は生まれていますが、クラッシュの崇拝者というのは聞いたことがない。
 ですんで受賞を逃したのはそれはそれでいいんじゃないかと。それが2006年という時代の断層なのではないかと思うわけです。BBMが、今後のハリウッド史の中で「アカデミーに作品賞を与えられなかったことが衝撃を与えた作品」として、長く語り継がれるだろう映画であることは間違いないのですから。

March 03, 2006

先行公開スタートですか?

 えっと、日本では4日に、渋谷だけなんでしょうか? ブロークバックの先行公開。
 で、一般のブログサーファーの方向けに、文章を書いてみます。こちらではこの日曜にアカデミー賞の発表および授賞式です。

 で、今年のアカデミー賞で最多8部門でノミネートされているのがその「ブロークバック・マウンテン」です。この映画はでも、オスカー云々以前、はるか12月初めの公開直後からアメリカではすでに社会現象になっていました、という話。というか、観てほしいのです。

 アメリカではすで公開から3カ月なんですが、この映画に関するブログやパロディサイトは数限りなく立ち上がり、新聞各紙は映画評から離れて「ガールフレンドにブロークバックを観に行こうと誘われて『いや』と応える男はクールじゃない」とかいう社会分析を載せたりしました。パーティーの席などで「ブロークバックは見た?」という会話は、自分がいかに差別や偏見を持たない人間であるかを示す格好のリトマス試験紙になっています。

 というのも、これは1963年から20年間にも及ぶ,米国中西部に生きるカウボーイ同士の恋愛の映画だからです。そう、男同士の愛。ただし、一般に信じられているステレオタイプの同性愛とは違いました。そこがミソだったのです。多くの人が知らなかった「愛」の、その愛の形と悲しみとがあらわになるこの映画で、「これが同性愛なら私はいままで大きな勘違いをしてきた」と思いはじめる人が出てきた。まるであの黒人差別をえぐったシドニー・ポワチエの映画「招かれざる客」のような真摯な議論を現代に持ち込んでいるのです。

 興味深いのはキリスト教右派とされる人たちの反応でした。欧州諸国やカナダなどの同性婚受容の動きの反動で、アメリカではいまこの同性間パートナーシップにあちこちで厳しい不寛容が表面化してきています。その不寛容の急先鋒である宗教団体の人たちまでも、ところが「この映画はとてもよい映画だけに、間違ったメッセージを送る恐れがある」となんとも及び腰の批判ぶりなのです。

 ここに至ってすでにゲイだなんだというのはあまり問題ではなくなりました。保守的とされる中西部や南部でさえもかなりの観客を動員しており、初めはプロモーションのために配給会社側もゲイ色を出さず「普遍的な愛の物語」と曖昧にプッシュしていたのですが、いまや観客のほうから「ゲイの恋愛だって普遍的なもの」との見方に自然にシフトしてきました。男性主義の米国社会にとって、それは実に衝撃的な問題提起なのでした。

 でも、一方でさきほど、こんなニュースを見つけました。

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【第78回アカデミー賞】ミシェル・ウィリアムズ、“ゲイ映画”に出演したとして母校から縁を切られる

 アカデミー賞8部門でノミネートされている『ブロークバック・マウンテン』のミシェル・ウィリアムズが、映画の内容のせいで母校から縁を切られた。カリフォルニア州にあるウィリアムズの母校サンタフェ・クリスチャン・スクールの校長は、「卒業生がゲイをテーマにした映画で苦悩する女性を演じたのは非常に不快。彼女の行動は当校の価値観とは異なり、一切関わりは持ちたくない」とコメントしている。   (FLiX) - 3月3日13時19分更新

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 ふむ、「卒業生がゲイをテーマにした映画で苦悩する女性を演じたのは非常に不快」なわけなんですか?

 つまりゲイをテーマにした映画で、「そんなふうに苦悩してはいけません。それは世間では「ホモフォビア」といわれます。恐怖症という病気なのです」ってことなのかしら? でそれが「当校」の価値観とは異なる、というのでしょうか?

 ええ、わかってますよ。もちろんそうじゃない。はいはい。
 そう、つまり、いまになってもこうなんですから、それだけコントラヴァーシャルな、ってことですね。なんだかんだいっても、「ゲイだなんだというのはあまり問題では」まだ、やはり、あるわけです。だからこの映画が人口に膾炙するわけで。

 しかし時代の変わり目というのでしょうか、ブッシュ政権下での9.11やその後のイラク戦争など、このところずっと政治的に息苦しかった風潮を打破しようとする意志が、今年のオスカー候補の面々には感じられます。テロ(ミュンヘン)や人種軋轢(クラッシュ)、政治による言論弾圧(グッドナイト&グッドラック)や同性愛(ブロークバック、カポーティ)──政治的議論の噴出する話題を映画が再び語りはじめました。時代のこの潮目を、「ブロークバック・マウンテン」を観てぜひ日本でも感じ取ってください。また、その感想はぜひこの「コメント」のところにもどうぞお書き込みください。わたしもみなさんの意見が聴きたいです。