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August 20, 2010

モスク建設騒動の正体

9.11で崩落した世界貿易センター跡地の2ブロック北の通りにイスラム教のモスク付きコミュニティセンターを建設する動きが表沙汰になったのはこの5月のことでした。それからまたぞろかまびすしくイスラム嫌悪症が表面化しています。とはいえよく調べると「そんな場所によくも」と気色ばんでいるのはよそに住んでいる人たちのようで、伝えられる全米調査での70%の反対に対し、当地マンハッタンでは36%の人しか反対していません(クィニピアク大調査)。もっともこれは6月末の時点での調査ですから、それ以来のメディアの報じ方次第で少し数字は変わっているかもしれません。ただ、NYのメディアは比較的冷静かつ論理的に報じていて、街頭でカメラに応える人たちもいたって寛容です。

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【扇型の窓のあるビルを取り壊して13階建てのモスク付きコミュニティセンターが出来る。来年のWTCテロ10周年の9.11に竣工というのも反対者の神経を刺激している要因の1つ。これは8/17日に撮影した写真。この時にも地元NYのテレビ局などがお昼のニュース用に中継車とリポーターを待機させていた】

モスクを計画するのは「コルドバ・イニシアティヴ」という6年前に出来た団体で、かつてイスラム、ユダヤ、キリスト教の3者が平和共存していたスペインのコルドバの名にちなみます。イスラム教社会と西側社会の友好的な橋渡しを行うことを趣旨とし、このコミュニティセンターの中にはイスラム教徒以外も利用できるカフェやプール、芸術センターも作る予定とか。そもそもその前身のイスラム団体がたまたま世界貿易センターの近くだったので、今回もまた近くにモスクをということでした。というかさらにもっと積極的に、9.11テロへの直截的な批判の表明として敢えてこの地を選んだそうです。
 
イスラム教徒の人口は米国でも徐々に増えていて、いまは成人では150万人ほどいるといわれます。アメリカの総人口は3億人ほどなのでまだ微々たる数字(0.7%くらい)ですが、これは20年前の3倍の数字で、しかも都市部に集中しているので、大都市圏でのモスクの建設も必要となっているわけです。でも9.11以降イスラム教への風当たりが厳しいのは確かです。同じニューヨーク市内の他の場所、ブルックリンとかスタッテン島とかでもモスク建設反対運動が表面化しています。

しかし一方でニューヨーカーというのは自分たちこそ自由の担い手だという気概も持っていて、他文化・他宗教への敬意も「政治的な正しさ」として持つべきだと考える人も多い。そういうのを意地でも理解してやる、理解しないのは野蛮人だ、みたいな強迫観念めいた信念というか傾向もあって、たとえばさまざまな分野の日本文化を世界で最初にニューヨーカーたちが注目したのもそうした傾向のおかげなんですね。先の調査でもイスラム教に関し「本流のイスラム教は平和的な宗教だと信じている」と答えた人はNY市内全体では55%もいて、モスク建設反対にもなかなか複雑な葛藤があることが窺えます。

そんな中、オバマ大統領がホワイトハウスでのイスラム教指導者を招いた恒例の夕食会で、憲法での宗教の自由を掲げてモスク建設に賛同を表明し、翌日にそれを「一般論だ」と言い訳する事態も起きました。でもたしかに夕食会ではグラウンドゼロのその場所という言い方をしてたんで、「一般論」じゃないと受け止められたのは当然なんだけど、中間選挙を3カ月後に控え、反対論の多いモスク建設に触れることは政治的にあまり賢明とは言えないと軌道修正したのです。日本の民主党の菅政権ほどではないですが、未曾有の財政危機、泥沼化するアフガン戦争と難問山積のオバマ政権も最近は(というか最初からそのケがあったのですが)、保守・革新両方に目配せをするあまりどこにもブレイクスルーが見出せない凡庸な政府に成り下がっています。

このモスク建設問題で、みんな忘れがちなことがあります。
それは、あの9.11の3000人近い犠牲者の中には多くイスラム教徒の人たちも含まれていたという事実です。

彼らの遺族もあのテロに怒っている。その憤怒を平和への祈りに変える場として、現場近くにモスクを持つことの何がいけないのか。イスラム教とテロとを直接結びつけてはいけないことは頭ではわかっていても、生理的にまだまだ抵抗があるということなんでしょうが、そういう人たちを折伏するのは信教の自由だとか表現の自由だとかの文字面のお題目ではなくて、やはり生理に訴えるしかありません。そのためにはあのテロで殺され、そして遺族にも関わらず周辺住民から白い目で見られている米国内のイスラム教徒の遺族をもっと紹介することです。その存在にもっと多くの人が気づけばいいのにと思います。

私も日本語のダイジェスト版の制作を手伝っているエイミー・グッドマンらが主宰する独立系ニュースメディア「デモクラシー・ナウ!」がこの問題を取り上げています。以下のリンクに日本語で概略が紹介されています。さらにその見出しをクリックすれば英語のオリジナルのサイトでの詳報に飛べます。

「わが米国のことが心配です」: ムスリム指導者全米のモスク建設反対を語る

NYのイスラム教コミュニティセンター建設問題 共和党と同調して数人の民主党トップが反対 関係者座談会


もっとも、宗教というものにあまり信を置いていない私としてはこの件に関してFoxの人気テレビ番組のゲイのホストが「このモスクが完成した暁には、隣にゲイバーを開く」と表明したのが面白かった。このモスクを挟んで睨み合いとなりそうなイスラム教とキリスト教右派。そこに両方から忌避されているゲイバーを開く。イスラム教、キリスト教、どちらが本当に友好的、平和的なのか、ゲイバーを作ってみればすぐにわかる、というわけです。なんせ、いまも石打ちで女性やゲイたちを死刑にする因習が残るという事実は、誰が何と言ってもそれら宗教と関係していないわけがないのですから。

ゲイというものを置いてみると、このモスク問題の底に、他者=異なる人たちへの紋切り型の人間理解と差別の問題があるということが、はからずも浮かび上がるのです。偽善の仮面を剥ぐのに、ゲイという異化装置はけっこう使えますよ。

August 04, 2010

クローゼットな言語

「イマーゴ」という、今はなき雑誌に依頼されて書いた原稿を、昨日のエントリーに関連してここにそのまま再掲します。書いたのは2001年3月って文書ファイル記録にあるんですけど、当のイマーゴは96年に休刊になってるんで、きっと1995年11月号の「ゲイ・リベレイション」特集でしょうね。へえ、私、15年前にこんなこと考えてたんだ。時期、間違ってたら後ほど訂正します。

では、ご笑読ください。

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クローゼットな言語----日本語とストレートの解放のために


 「地球の歩き方」という、若い旅行者の自由なガイドブックを気取った本の「ニューヨーク」グリニッチ・ヴィレッジの項目最初に、「(ヴィレッジは)ゲイの存在がクローズ・アップされる昨今、クリストファー通りを中心にゲイの居住区として有名になってしまった。このあたり、夕方になるとゲイのカップルがどこからともなく集まり、ちょっと異様な雰囲気となる」と書かれている。「ブルータス」という雑誌のニューヨーク案内版では「スプラッシュ」というチェルシーのバーについて「目張りを入れた眼でその夜の相手を物色する客が立錐の余地なく詰まった店で、彼ら(バーテンダーたち=筆者註)の異様なまでの明るい目つきが、明るすぎてナンでした」とある。マックの最終案内という文言に惹かれて買ったことし初めの「mono」マガジンと称する雑誌の「TREND EYES」ページに、渋谷パルコでの写真展の紹介があったが、ここには「〝らお〟といっても(中略)〝裸男〟と表記する。つまり男のヌード。(中略)男の裸など見たくもないと思う向きもいるだろうが」とある。

 この種の言説はいたるところに存在する。無知、揶揄、茶化し、笑い、冷やかし、文章表現のちょっとした遊び。問題はしかし、これらの文章の筆者たち(いずれも無記名だからフリーランス・ライターの下請け仕事か、編集部員の掛け持ち記事なのだろう)の技術の拙さや若さゆえの考え足らずにあるのではない。

 集英社から九三年に出された国語辞典の末尾付録に、早稲田大学の中村明が「日本語の表現」と題する簡潔にまとまった日本語概論を載せている。その中に、日本では口数の多いことは慎みのないことで、寡黙の言語習慣が育った、とある。「その背景には、ことばのむなしさ、口にした瞬間に真情が漏れてしまう、ことばは本来通じないもの、そういった言語に対する不信感が存在したかもしれない」「本格的な長編小説よりは(中略)身辺雑記風の短編が好まれ、俳句が国民の文学となったのも、そのことと無関係ではない」として、「全部言い尽くすことは避けようとする」日本語の特性を、尾崎一雄や永井龍男、井伏や谷崎や芥川まで例を引きながら活写している。

 中村の示唆するように、これは日本語の美質である。しかし問題は、この美しさが他者を排除する美しさであるということである。徹底した省略と含意とが行き着くところは、「おい、あれ」といわれて即座にお茶を、あるいは風呂の、燗酒の、夕食の支度を始める老妻とその夫との言葉のように、他人の入り込めない言語であるということだ。それは心地よく面倒もなく、他人がとやかく言える筋合いのものではない関係のうちの言語。わたしたちをそれを非難できない。ほっといてくれ、と言われれば、はい、わかりましたとしか言えない。

 この「仲間うちの言語」が老夫婦の会話にとどまっていないところが、さらに言えば日本語の〝特質〟なのである。いや、断定は避けよう。どの言語にも仲間うちの符丁なるものは存在し、内向するベクトルは人間の心象そのものの一要素なのだから、多かれ少なかれこの種の傾向はどの社会でも見られることだろう。しかし冒頭の三例の文言が、筆者の幻想する「わたしたち」を土台に書かれたことは、自覚的かそうではないかは無関係に確かなことのように思われる。「ゲイの居住区として有名になってしまった」と記すときの「それは残念なことだが」というコノテイションが示すものは、「わたしたち」の中に、すなわちこの「地球の歩き方」の読者の中に「ゲイは存在しない」ということである(わたしのアパートにこの本を置いていったのは日本からのゲイの観光客だったのだが)。「異様なまでの明るい目つきが、明るすぎてナンでした」というときの「変だというか、こんなんでよいのだろうかというか、予想外というか、つまり、ナンなんでしょうか?」という表現の節約にあるものは、「あなたもわかるよね」という読者への寄り掛かりであり、あらかじめの〝共感〟への盲信である。「男の裸など見たくもないと思う向きもいるだろうが」という、いわずもがなのわざわざの〝お断り〟は、はて、何だろう? 取材した筆者もあなたと同じく男の裸なんか見たくもないと思ってるんだが、そこはそれ、仕事だから、ということなのだろうか? それとも三例ともにもっとうがった見方をすれば、この三人の筆者とも、みんなほんとうはクローゼットのゲイやレズビアンで、わざとこういうことを書き記して自らの〝潔白〟を含意したかったのだろうか……。

 前述したように、内向する言語の〝美質〟がここではみごとに他者への排除に作用している。それは心地よく面倒くさくもなく多く笑いをすら誘いもするが、しかしここでは他人がとやかく言える類のものに次元を移している。彼らは家庭内にいるわけでも老夫婦であるわけでもない。治外法権は外れ、そしてそのときに共通することは、この三例とも、なんらかの問い掛けが(予想外に)なされたときに答える言葉を有していないということである。問い掛けはどんなものでもよい。「どうしてそれじゃだめなの?」でもよいし、「ナンでしたって、ナンなの?」でもよいし、「何が言いたいわけ?」でもよろしい。彼らは答えを持っていない。すなわち、この場合に言葉はコミュニケイトの道具ではなく、失語を際だたせる不在証明でしかなくなる。そして思考そのものも停止するのだ。


 ここに、おそらく日本でのレズビアン&ゲイ・リベレイションの困難が潜在する。

 ことはしかしゲイネスに限らない。日本の政治家の失言癖がどうして何度も何度も繰り返されるのか、それは他者を排除する内輪の言葉を内輪以外のところで発言することそのものが、日本語環境として許されている、あるいは奨励されすらしているからである(あるときはただただ内輪の笑いを誘うためだけに)。「考え足らず」だから「言って」しまうのではない。まず内輪の言語を「言う」ことがアプリオリに許されているのである。「考え」はその「許可」を制御するかしないかの次の段階での、その個人の品性の問題として語られるべきだ。冒頭の段落で三例の筆者たちを「技術の拙さや若さゆえの考え足らず」で責めなかったのはその由である(だからといって彼らが赦免されるわけでもないが)。どうして「いじめ」が社会問題になるほどに陰湿なのか、それは「言葉」という日向に子供たちの(あるいは大人たちの)情動を晒さないからだ。「言葉じゃないよ」という一言がいまでも大手を振ってのさばり、思考を停止させるという怠慢に〝美質〟という名の免罪符を与えているからだ。だいたい、「言葉じゃないよ」と言う連中に言葉について考えたことのある輩がいたためしはない。

 すべてはこの厄介な日本語という言語環境に起因する。この厄介さの何が困るかといって、まず第一は多くの学者たちが勉強をしないということである。かつて六、七年ほど以前、サイデンス・テッカーだったかドナルド・キーンだったかが日本文学研究の成果でなにかの賞を受けたとき、ある日本文学の長老が「外国人による日本文学研究は、いかによくできたものでもいつもなにか学生が一生懸命よくやりましたというような印象を与える」というようなことをあるコラムで書いた。これもいわば内輪話に属するものをなんの検証(考え)もなく漏らしてしまったという類のものだが、このうっかりの吐露は一面の真実を有している。『スイミングプール・ライブラリー』(アラン・ホリングハースト著、早川書房)の翻訳と、現在訳出を終えたポール・モネットの自伝『Becoming a Man(ビカミング・ア・マン--男になるということ)』(時空出版刊行予定)の夥しい訳註を行う作業を経てわたしが感じたことは、まさにこの文壇長老の意味不明の優越感と表面的にはまったく同じものであった。すなわち、「日本人による外国文学研究は、いかによくできたものであっても、肝心のことがわかっていない小賢しい中学生のリポートのような印象を与える」というものだったのである。フィクション/ノンフィクションの違いはあれ、前二者にはいずれも歴史上実在するさまざまな欧米の作家・詩人・音楽家などが登場する。訳註を作るに当たって日本のさまざまな百科事典・文学事典を参照したのだが、これがさっぱり役に立たなかった。歴史のある側面がそっくり欠落しているのだ。

 芸術家にとって、あるいはなんらかの創造者にとって、セクシュアリティというものがどの程度その創造の原動力になっているのかをわたしは知らない。数量化できればよいのだろうが、そういうものでもなさそうだから。だがときに明らかに性愛は創造の下支えにとして機能する。あるいは創造は、性愛の別の形の捌け口として存在する。

 たとえば英国の詩人バイロンは、現在ではバイセクシュアルだったことが明らかになっている。トリニティ・カレッジの十七才のときには同学年の聖歌隊員ジョン・エデルストンへの恋に落ちて「きっと彼を人類のだれよりも愛している」と書き、ケンブリッジを卒業後にはギリシャ旅行での夥しい同性愛体験を暗号で友人に書き記した手紙も残っている。この二十三才のときに出逢ったフランス人とギリシャ人の混血であるニコロ・ジローに関しては「かつて見た最も美しい存在」と記し、医者に括約筋の弛緩方法を訊いたり(!)もして自分の相続人にするほどだった。が、帰国の最中に彼の死を知るのだ。その後、『チャイルド・ハロルドの巡礼』にも当初一部が収められたいわゆる『テュルザ(Thyrza)の詩』で、バイロンは「テュルザ」という女性名に託した悲痛な哀歌の連作を行った。この女性がだれなのかは当時大きな話題になったが、バイロンの生前は謎のままだった。いまではこれがニコロのことであったことがわかっている。

 『草の葉』で知られる米国の国民詩人ウォルト・ホイットマンはその晩年、長年の友人だった英国の詩人で性科学者のジョン・アディントン・シモンズに自らの性的指向を尋ねられた際に、自分は六人も私生児を作り、南部に孫も一人生きているとムキになって同性愛を否定する書簡を送った。これがずっとこの大衆詩人を「ノーマルな人物だった」とする保守文壇の論拠となり、さらにホイットマンが一八四八年に訪ねたニューオリンズ回顧の詩句「かつてわたしの通り過ぎた大きな街、そこの唯一の思い出はしばしば逢った一人の女性、彼女はわたしを愛するがゆえにわたしを引き留めた」をもってしてこの〝異性愛〟ロマンスが一八五〇年代『草の葉』での文学的開花に繋がったとする論陣を張った。しかしこれも現在では、その詩句の草稿時の原文が「その街のことで思い出せるのはただ一つ、そこの、わたしとともにさまよったあの男、わたしへの愛のゆえに」であることがわかっている。『草の葉』では第三版所収の「カラマス」がホモセクシュアルとして有名だが、それを発表した後の一八六八年から八〇年までの時期、彼がトローリー・カーの車掌だったピーター・ドイルに送った数多くの手紙も残っており、そこには結びの句として「たくさん、たくさん、きみへ愛のキスを」などという言葉が記されている。

 これらはことし刊行された大部の労作『THE GAY AND LESBIAN Literary Heritage』(Henry Holt)などに記されている一部であるが、同書の百六十数人にも及ぶ執筆者の、パラノイドとも見紛うばかりの原典主義情報収集力とそれを論拠としているがゆえの冷静かつ客観的な論理建ては、研究というものが本来どういうものであるのかについて、日米間の圧倒的な膂力の差を見せつけられる思いがするほどだ。日本のどんな文学事典でもよい、日本で刊行されている日本人研究者による外国文学研究書でもよい、前者二人に限らず、彼ら作家の創造の原動力となったもやもやしたなにかが、すべてはわからなくとも、わかるような手掛かりだけでもよいから与えてくれるようなものは、ほとんどないと言ってよい。



 「日米間の圧倒的な膂力の差」と一般論のように書きながら、厄介な日本語環境の困難さとしてこれを一般化するのではなく象徴的な二つの問題に限るべきだとも思う。

 一つは「物言わぬ日本語」の特質にかぶさる/重なるように、なぜその「もやもやしたなにか」がまがりなりにも表記され得ないのかは、「性的なるもの」に関しての「寡黙の言語習慣」がふたたび関係してくることが挙げられる(「もやもやしたなにか」がすべて性的なもので説明がつくと言っているわけではない)。日本語において議論というものが成立しにくいことは「他者を排除する言語習慣」としてすでに述べたが、そんな数少ない議論の中でもさらに「性的な問題」は議論の対象にはなりにくい。「性的なこと」が議論の対象になりにくいのは「性的なこと」が二人の関係の中でのみの出来事だと思われているからである。すなわち、「おい、あれ」の二人だけの閨房物語、「あんたにとやかく言われる筋合いのものではない」という、もう一つの、より大きいクローゼットの中の心地よい次元。そうして多くみんな、日本では性的なことがらに関してストレートもゲイもその巨大なクローゼットの中にいっしょに取り込まれ続ける。

 性的なことがらはしたがって学問にはなりにくい。クローゼットの中では議論も学問も成立しない。すなわち、「性科学」なる学問分野は日本では困難の二乗である。九月に北京で行われた国連世界女性会議で「セクシュアル・ライツ」に絡んで「セクシュアル・オリエンテイション」なる言葉が議論にのぼったとき、日本のマスメディア(読売、毎日、フジTV。朝日ほかは確認できなかった)はこれを無知な記者同士で協定でも結んだかのようにそろって「性的志向」と誤記した。「意志」の力では変えられないその個人の性的な方向性として性科学者たちがせっかく「性的指向」という漢字を当ててきた努力を、彼ら現場の馬鹿記者と東京の阿呆デスクと無学な校閲記者どもが瞬時に台無しにしてしまったのである。情けないったらありゃしない。

 考えるべきもう一つはクローゼットであることとアウト(カミング・アウトした状態)であることの差違の問題だ。先ほど引用した『ゲイ&レスビアン・リテラリー・ヘリテッジ』の執筆陣百六十人以上は、ほとんどがいずれも錚々たるオープンリー・ゲイ/レズビアンの文学者たちである。押し入れから出てきた彼らの情報収集の意地と思索の真摯さについては前述した。彼/彼女らの研究の必死さは、彼/彼女らの人生だけではなく彼/彼女のいまだ見知らぬ兄弟姉妹の命をも(文字どおり)救うことに繋がっており、大学の年金をもらうことだけが生き甲斐の怠惰な日本の文学研究者とは根性からして違うという印象を持つ。一方で、クローゼットたちは何をしているかといえば、悲しいかな、いまも鬱々と性的妄想の中でジャック・オフを続けるばかりだ。日本の文学研究者の中にも多くホモセクシュアルはいるが、彼らは一部の若い世代のゲイの学者を除いてむしろ自らの著作からいっさいの〝ホモっぽさ〟を排除する努力を重ねている。

 ここで気づかねばならないのは、「ホモのいやらしさ」は「ホモ」だから「いやらしい」のではないということだ。一般に「ホモのいやらしさ」と言われているものの正体は「隠れてコソコソ妄想すること」の「いやらしさ」なのであって、それは「ホモ」であろうがなかろうが関係ない。性的犯罪者はだいたいがきまってこの「クローゼット」である。犯罪として性的ないやらしいことをするのは二丁目で働くおネエさんやおニイさんたちではなく、隠れてコソコソ妄想し続ける小学校の先生だったりエリート・サラリーマンだったり大蔵省の官僚だったりする連中のほうなのだ。かつてバブル最盛期の西新宿に、入会金五十万円の男性売春クラブが存在した。所属する売春夫の少年たちは多くモデル・エイジェンシーやタレント・プロダクションの男の子たちで、〝会員〟たちの秘密を口外しないという約束のカタに全裸の正面写真を撮られた。これが〝商品見本〟として使われているのは明らかだった。ポケベルで呼び出されて〝出張〟するのは西新宿のある一流ホテルと決まっていて、一回十万円という支払いの〝決済〟はそのクラブのダミーであるレストランの名前で行われた。クレジット・カードも受け付けた。請求書や領収書もそのレストラン名で送られた。送り先は個人である場合が多かった。が、中に一流商社の総務部が部として会員になっている場合もあったのである。〝接待〟用に。

 これがすべて性をクローゼットに押し込める日本のありようだ。話さないこと、言挙げしないこと、考えないこと、それらが束になって表向き「心地よい」社会を形作っている。ゲイたちばかりかストレートたちまでもがクローゼットで、だからおじさんたちが会社の女の子に声をかけるときにはいつも、寝室の会話をそのまま持ち込んだような、いったん下目遣いになってから上目遣いに変えて話を始めるような、クローゼット特有の、どうしてもセクシュアル・ハラスメントめいた卑しい言葉遣いになってしまう。あるいは逆転して、いっさいの性的な話題をベッド・トークに勘違いして眉間にしわを寄せ硬直するような。性的な言挙げをしないのが儒教の影響だと宣う輩もいるが、わたしにはそれは儒教とかなんだとかいうより、単なる怠慢だとしか思われない。あるいは怠慢へと流れがちな人類の文化傾向。むしろ思考もまた、安きに流れるという経済性の法則が言語の習慣と相まって力を増していると考えたほうがよいと思っている。


 そのような言語環境の中で、すなわち社会全体がクローゼットだという環境の中で、リベレイションという最も言葉を必要とする運動を行うことの撞着。日本のゲイたちのことを考えるときには、まずはそんな彼/彼女たちのあらかじめの疲弊と諦観とを前提にしなければならないのも事実なのだ。このあらかじめの諦めの強制こそが、「隠れホモ」と蔑称される彼らが、その蔑称に値するだけの卑しい存在であり続けさせられている理由である。

 「日本には日本のゲイ・リベレイションの形があるはずだ」という夢想は、はたして可能なのだろうか? 「日本」という「物言わぬこと」を旨とする概念と「リベレイション」という概念とが一つになった命題とは、名辞矛盾ではないのか?

 ジンバブエ大統領であるロバート・ムガベがことし七月、「国際本の祭典」の開催に当たってゲイ団体のブースを禁止し、自分の国ではホモセクシュアルたちの法的権利などないと演説した際、これを取り上げたマスメディアは日本では毎日新聞の外信面だけだった。毎日新聞はいまでもホモセクシュアルを「ホモ」という蔑称で表記することがあり、同性愛者の人権についてのなんらの統一した社内基準を有していない。あそこの体質というか、いつも記者任せで原稿が紙面化される。逆にこのジンバブエの特派員電のように(小さな記事だったが)、記者が重要だと判断して送稿すれば簡単に紙面化するという〝美質〟も生まれる。ところでそのジンバブエだが、ニューヨーク・タイムズが九月十日付けで特派員ドナルド・G・マクニールの長文のレポートを掲載している。首都ハラレでダイアナ・ロスのそっくりさんとして知られるショウ・パフォーマーのドラッグ・クィーンを紹介しながら、「イヌやブタよりも劣るソドミストと変態」と大統領に呼ばれた彼らの生活の変化を報告しているのだが、ハラレにゲイ人権団体が設立されていて女装ショウがエイズ患者/感染者への寄付集めに開催されていること、ムガベが「英国植民地時代に輸入された白人の悪徳」とするホモセクシュアリティにそれ以前から「ンゴチャニ」という母国語の単語があること、などを克明に記してとても好意的な扱いになっている。

 ニューヨーク・タイムズがほとんど毎日のようにゲイ・レズビアン関連の記事を掲載するようになったのは九二年一月、三十代の社主A・O・ザルツバーガー・ジュニアが発行人になってからのことだ。それ以前にも八六年にマックス・フランクルが編集局長になってから「ゲイ」という単語を正式に同新聞用語に採用するなどの改善が行われていたが、同時にゲイであることをオープンにしていた人望厚い編集者ジェフリー・シュマルツがエイズでもカミング・アウトしたことが社内世論を形成したと言ってもよい。

 アメリカが「物言うこと」を旨とする国だと言いたいのではない。いや逆に、「物言うこと」を旨としているアメリカの言論機関ですら、ホモセクシュアリティについて語りだしたのがつい最近なのだということに留意したいのである。ホモセクシュアリティはここアメリカでも長く内輪の冷やかしの話題であり、自分たちとは別の〝人種〟の淫らな「アレ」だった。日本と違うのはそれが内輪の会話を飛び越えて社会的にも口にされるときに、そのまま位相を移すのではなくて宗教と宗教的正義の次元にズレることだ。つまり〝大義名分〟なしにはやはりこのおしゃべりな国の人々もホモセクシュアリティについては話せなかったのである。

 わたしの言いたいのは、日本語にある含意とか省略とか沈黙といった〝美質〟を壊してしまえということではない。そのクローゼットの言語次元はまた、壊せるものでもぜったいにない。ならば新たに別の次元を、つまりは仲間うちではなく他者を視野に入れた言語環境を、クローゼットから出たおおやけの言語を多く発語してゆく以外にないのではないかということなのだ。そしてそれを行うに、性のこと以上に「卑しさ」と(つまりはクローゼットの言語と)「潔さ」との(つまりはアウトの言語との)歴然たる次元の差異を明かし得る(つまりは本論冒頭の三つの話者のような連中が、書いて発表したことを即座に羞恥してしまうような)恰好の話題はないと思うのである。ちょうど「セクハラ」が恥ずかしいことなのだと何度も言われ続けどんどん外堀を埋められて、おじさんたちが嫌々ながらもそれを認めざるを得なくなってきているように。そうすればどうなるか。典型例は今春、ゲイ市場への販売拡大を目指してニューヨークで開かれた「全米ゲイ&レズビアン企業・消費者エキスポ」で、出展した二百二十五社の半数がIBMやアメリカン航空、アメリカン・エクスプレス、メリル・リンチ、チェイス・マンハッタン銀行、ブリタニカ百科事典などの大手を含む一般企業だったことだ。不動産会社も保険会社もあった。西新宿の秘密クラブではなく、コソコソしないゲイを経済がまず認めざるを得なくなる。

 インターネットにはアメリカを中心にレズビアン・ゲイ関連のホーム・ページが数千も存在している。エッチなものはほんの一握り、いや一摘みにも満たないが、妄想肥大症のクローゼットの中からはムガベの妄想するように「変態」しかいないと誤解されている。ここにあるのはゲイの人権団体やエイズのサポート・グループ、大学のゲイ・コミュニティ、文学団体、悩み相談から出版社、ゲイのショッピング・モールまで様々だ。日本で初めてできたゲイ・ネットにも接続できる。「MICHAEL」という在日米国人の始めたこのネットには二千五百人のアクティヴ・メンバーがいて、日本の既存のゲイ雑誌とは違う、よりフレンドリーなメディアを求める会員たちが(実生活でカミング・アウトしているかは別にしても)新たなコミュニケイションを模索している。「dzunj」というネット名を持つ男性はわたしの問い掛けにeメイルで応えてくれた。彼は「実は僕がネットにアクセスする気になったのも、もっと積極的にいろいろなことを議論してみたいという理由からだった」が、「ネット上の会話」では「真面目な会話は敬遠されるようです。ゲイネットこそ絶好の場であるはずなのに……」とここでも思考を誘わないわたしたち日本人の会話傾向を嘆いている。しかし彼のような若くて真摯な同性愛者たちの言葉が時間をかけて紡ぎ出されつつあることはいまやだれにも否定できない。「Caffein」というIDの青年は日系のアメリカ人だろうか、北海道から九州までの日本人スタッフとともに二百九十ページという大部の、おそらく日本では初めての本格的なゲイ情報誌を月刊で刊行しようとしている。米誌『アドヴォケート』の記者が毎月コラムを書き、レックス・オークナーという有名なゲイ・ジャーナリストが国際ニュースを担当するという。



 「ホモフォビア」という言葉がある。「同性愛恐怖症」という名の神経症のことだ。高所恐怖症、閉所恐怖症、広場恐怖症と同じ構造の言葉。同性愛者を見ると胸糞が悪くなるほどの嫌悪を覚えるという。長く昔から同性愛者は治療の対象として病的な存在とされてきた。しかしいまこの言葉が示すものは、高所恐怖症の改善の対象が「高い場所」ではないように、広場恐怖症の解決方法が「広場」の壊滅ではないように、同性愛恐怖症の治療の対象が「同性愛者」ではなく、彼/彼女らを憎悪する人間たちのほうだということなのである。その意味で、日本の同性愛者たちをいわれのない軽蔑や嫌悪から解放することは、とりもなおさず薄暗く陰湿な日本のストレートたちを、まっとうな、正常で健全な状態にアウトしてやることなのだ。そうでなければ、日本はどんどん恥ずかしい国になってしまうと、里心がついたかべつに愛国者ではないはずなのに思ってしまっている。         (了)

June 16, 2010

ヘレン・トーマス

ユダヤ系アメリカ人の伝統継承月間だった5月末、ユダヤ系オンラインサイトの記者に「イスラエルに関してコメントを」と請われ、勢いで「とっととパレスチナから出て行け(get the hell out of Palestine)」と答えてしまったヘレン・トーマスさんが記者引退に追い込まれました。私もワシントン出張の際に何度か会ったことのある今年で御年90歳の名物ホワイトハウス記者でした。

米メディアでは、彼女が続けて「ポーランドやドイツに帰ればいい」と答えた部分がナチスのホロコーストを連想させて問題だった、なんて具合に分析していましたが、はたしてそうなんでしょうか。

米国ではイスラエル批判がほとんどタブーになっています。タブーになっていることさえ明言をはばかれるほどに。

今回も、賛否両論並列が原則のはずの米メディアがいっせいにヘレンさん非難一色に染まりました。しかしだれもイスラエル批判のタブーそのものには言及しない。ヘレンさんはレバノン移民の両親を持つ、つまりアラブの血を引くアメリカ人です。だからパレスチナ寄りなんだと言う人もいますが、ことはそんなに単純ではないでしょう。

たとえばヘレンさんのこの発言後の5月31日に、封鎖されているパレスチナ人居住区ガザへの救援物資運搬船団が公海上でイスラエル軍に急襲され、乗船の支援活動家9人が射殺されるという大事件が起きました。ところがこんなあからさまな非道にさえも、米メディアはおざなりな報道しかしなかったし、オバマ大統領までもがこの期に及んでまだイスラエル非難を控えています。それに比してこのヘレン・バッシングはなんたる大合唱なのでしょう。アメリカでもこんなメディアスクラムが無批判に起こるのは、ことがイスラエル問題だからに違いありません。

じつは06年にアメリカで出版され、大変な論争を巻き起こした(つまり多く批判が渦巻いた)ジミー・カーターの「パレスチナ」という著作を、「カーター、パレスチナを語る|アパルトヘイトではなく平和を」(晶文社刊)というタイトルで2年前に日本で翻訳・出版しました。批判の原因は、アメリカの元大統領ともあろうメインストリームの人がこの本で堂々とイスラエル批判を展開したからです。

でもこの本の内容は、イスラエルが国際法を無視してパレスチナ占領地で重大な人権侵害を続けていることの告発と同時に、いまや10年近くも進展のない和平交渉を再開・進展させるための具体的な提言なのです。前者の事例も拡大を続けるイスラエル入植地、入植者専用道路によるパレスチナ人の土地の分断、無数の検問所によるパレスチナ人の移動の制限、分離壁の建設による土地の没収など、すべてカーター自身がその目で見てきた、そして米国外では広く認められている事実ばかりなのです。

なのに米国内ではほとんど反射的にこの本へのバッシングが起きた。とくにイスラエル人入植地や分離壁の建設政策を悪名高いあの南アの「アパルトヘイト」と同じ名で呼んだことが親イスラエル派を刺激したのでしょう。私も当時、ユダヤ系の友人にこの本を翻訳していることを教えたところ、露骨に「なんでまた?」という顔をされたのを憶えています。

ヘレンさんが生きてきた時代はジャーナリズムでさえもが男性社会でした。女人禁制だったナショナル・プレス・クラブでの当時のソ連フルシチョフ首相の会見を、彼女ら数人の女性記者が開放させたのは1959年のことです。

そんな強気の自由人が米国に隠然と存在するイスラエルに関する言論規制には勝てなかった。公の場でのイスラエル批判がキャリアを棒に振るに至る“暴挙”なのだとすれば、彼女の引退の理由は彼女の「失言」ではなく、「発言」そのものが原因だったのでしょう。

June 09, 2010

本格政権への期待

菅新内閣の発足で民主党への支持率がV字回復したというのは、とりもなおさず日本国民が政権交代に託した政治改革をいまも強く希求していることの現れなのでしょう。同時に、昨年の政権交代のときの浮き足立ったような高揚感もやや薄れ、菅首相の初めての記者会見はまったく大風呂敷を広げない、鳩山路線の現実的な軌道修正のような響きがありました。

いや、はっきり言いましょう。持論の「最少不幸の社会をつくる」はよいのですが、財政均衡と景気浮揚の兼ね合いや沖縄問題、機密費問題など、現在の閉塞状況の具体的な打開策がいまいち不鮮明で、記者からの質問にも文字通り「ごにゃごにゃ」と答えをはぐらかした感がいっぱいです。とくに記者会見のオープン化と官房機密費の問題は、あれは、あんまり考えてない人の顔でした。あきらかに回答を避けてましたし。

前政権の陥穽となった普天間の件でも、副総理だった菅さん自身から沖縄の人たちへの謝罪がまずあるべきでした。それがスルーだったので、自らの政権を高杉晋作の「奇兵隊」になぞらえたときには、奇兵隊ならぬ「海兵隊内閣か」とツッコミたくもなった次第。てか、奇兵隊、って、なんの譬えなんだかよくわからんぞ。全体的にあんまり用意周到、理論武装バッチリという感じがしなくて、ともすると菅総理、あまりに言質を与え過ぎて退陣となった鳩山さんの轍を踏むまいと縮み志向になっているんじゃないでしょうかね。まあ、そうであっても道理ですが。

しかしそれではあまりに自民党時代と同じで民主党であることの意味がない。逆にすぐに世論の飽きを招いてしまう。鳩山さんの唯一の功績は、政策決定に至る政治側からの果敢なアプローチが、事業仕分けや高速道路問題など、成功も失敗もゴタゴタまでもが国民の目に生々しく披露されたことなのですから。

にもかかわらず鳩山政権が短命だったのには、沖縄とカネの問題の後ろに2つの要因があります。1つはマスコミ、もう1つは官僚制度です。

政権交代が決まったときに産経新聞の記者が自社の公式ツイッターで「産経新聞が初めて下野なう」「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが産経新聞の真価を発揮するところ」とつぶやいて謝罪したのは憶えてるでしょ。でもこれはいいんです。新聞は報道機関であると同時に言論機関でもあるのですから。

問題は、反対があるときに必ず賛成の意見も併置させるという報道の大原則が日本ではあまり確立されていなくて、日本って褒めるよりも貶す傾向の強い文化なんだなあと改めて気づかされるほど予定調和的に批判・叱責論調でメディアがまとまってしまうところです。

前のブログでも書きましたがそれこそ政治記者クラブ的論理収斂。世論が結果的に偏るのは常ですが、その世論に情報を供給する報道メディアは、そろそろ賛否両論を戦わせるというフォーマットを社内的に、責務として定着させてほしいのです。

もう1つの官僚制度ですが、例えばアメリカやカナダでは政党間の政権交代のときに官僚制度の各部署のトップが地方単位まで数千人規模で入れ替わります。つまりその政権政党の息のかかった管理職が官僚システムを支配する。官僚はそこですでに味方になるのです。

日本は違います。官僚は替わりません。これを変えることはなかなか難しいでしょう。米加には、政権交代で職を失った際にはその人材が民間のシンクタンクや大学研究機関などに行けるパイプがすでに出来上がっていて、そういうものが機能しない限り官僚トップを路頭に迷わせることなどできません。なので官僚のクビのすげ替えは現状では不可能。ならば彼らをどう協力させるかというのが次の命題です。

政治主導を旗印に誕生した鳩山政権は、東京地検特捜部を筆頭にこの官僚システムの隠然かつ熾烈な攻撃に遭いました。普天間問題でも外務・防衛官僚たちが「県外・国外移転」を初めから相手にせず、鳩山さんを包囲し潰しにかかったのです。官僚たちはかくも優秀で、働かないとなるときも徹底的に実に優秀・有能に働かぬ道を見つけます。

さて、これらをどうするか?

メディアに関しては先ほども触れましたが、大臣たちの記者会見を徹底的にオープンにして既成の政治記者クラブ的談合報道を打破することなのです。政治記者クラブ的情報も必要でしょう。しかしそれだけで世論が形成されていいわけではない。そのために、政治は国民により直接に声を届けられるようにすることが必要です。私たちだってそっちのほうが情報の選択肢が増えてうれしい。

後者の官僚制度は、必要以上の官僚の締め付けをやめて有能な官僚との協力関係をどんどん築くことです。それでこそ税金も有効活用される。その上での政治主導です。

じつはこのメディアと官僚とをうまく使いこなしたのが小泉政権でした。小泉首相は彼の個人的な力量なのでしょう、政治記者クラブ的報道に関しては自身のワンフレーズ政治というか、自らの私的な言葉で風穴を空けて国民に直接声を届けたのでした。さらに官僚システムに関しても、竹中・飯島といった手下を駆使して根回しと恫喝とを周到に行っていた。

日本の政治の問題点は、官僚側が常に失敗を繰り返さないための保身的なマニュアルを用意してあるのに対し、政治側がそれを用意していないことです。日本の政治は、失敗をすべて政治家個人の責任にしてしまい、その失敗がなぜ起きたのかを勉強しないことです。今回も、鳩山政権がなぜ倒れたのかを、鳩山さんの政治的拙速さとその手腕の未熟さ、かつ小沢さん個人のカネの問題に帰結させようとするだけです。

この前のブログにも書きましたが、鳩山政権の失敗はそんな個人的な問題ではない。米国と日本の構造的な主従関係がそこにあり、それを官僚制度が制度として補足していたという、実に大きな事実が襲いかかってきたからです。これをどうするのか、どう対応するのか。これは普天間の共同声明で一息つけるような、そんな生易しいものではありません。菅政権はそこをこそ徹底して学習し、解決へ向けてとにかく一歩を踏み出すべきなのです。

菅内閣が本格政権になるかどうかは、おそらく参院選後にまた内閣改造があるでしょうからまだわかりません。いまのところはくれぐれも、失敗を恐れてなにもしないのがいちばんの良策みたいな自民党時代末期のような守りの姿勢に逆戻りしないように覚悟を決めてほしいということでしょうか。前述のように沖縄だって、このまま2+2の日米共同声明どおりに工事が進むなんて考えられないのですから(成田の土地強制収容闘争みたいなことだって予想されています)、参院選後に向けて、いまのうちにすくなくとも記者会見のツッコミにもっと明確に答えられるよう、せいぜい理論武装しておくべきでしょう。難題が目の前に山積している状況はなにひとつ変わっていないのですから。

June 02, 2010

鳩山政権を倒したもの

前回のエントリーと重複しますが、鳩山辞意表明を受けてNYの日本語新聞に依頼されて以下の文章を取りまとめました。ご参考まで。

***

原稿も見ずに正直な思いを語って、鳩山さんの辞意表明演説は皮肉なことにこれまででいちばん心に響くものでした。これをナマで視聴していたかどうかで今回の政局の印象はかなり変わると思います。この演説の本質は、これまでのマイナス面のすべてを逆転させて起死回生を図ったということでしょう。

そもそも辺野古問題の5月末決着宣言が自縄自縛の根因なのですが、社民党の連立離脱と総理辞任の「一石二鳥」のその石となった日米共同声明を外務省のサイトで読んでみると、実に象徴的なことが見えてきます。

日英両語で掲載されているこの共同声明、見ると日本語には「仮訳」とあるのです。つまり米国との共同声明ってのは英語がベースなんですね。日本語の声明文はそれを翻訳したもの。なるほど沖縄のことなのに日本語じゃないってのは、まあ米側は日本語、わからんからね……などと納得してはいけません。日本と外交交渉をする米側の役人はふつう日本語もペラペラです。しかし交渉では日本語は絶対に話さない。ぜんぶ英語。

そういうところからしてもイニシアチヴは端から米国にあった。日米関係というのはそういうものなのです。NYタイムズは「とどのつまり辺野古移設を謳った06年合意を尊重しろというワシントンの主張が勝利したのだ(won out)」と書きましたが、物事はそうなるように、そうなるようにと出来ていたのです。

そこを転換するに「5月末」は性急に過ぎた。しかも日本のメディアは各番組コメンテイターも含めて「米軍のプレゼンスが日本を守る抑止力である」という大前提の検証をすっ飛ばし、すべてを方法論に矮小化しました。また「米軍のプレゼンス」はいつのまにか「米海兵隊のプレゼンス」にすり替わり、まるで海兵隊が日本を守ってくれるという幻想を植え付けて、県外・国外移設を頭から幼稚なものと決めつけたのでした。

海兵隊はいまや第一波攻撃隊ではなく、戦闘初期では自国民=アメリカ人の救出隊なのです。それは抑止力ではない。第一波攻撃は圧倒的な空爆およびドローン無人攻撃機のより精緻な掃討だというのは湾岸戦争からアフガン、イラクへの侵攻を見ていれば明らかです。ではいったい、抑止力とは何なのでしょう? 海兵隊が沖縄に残らねばならぬ理由は何だったのでしょう?

社民党の辻元清美前国交副大臣によれば、あの首相の「腹案」というのはグアム移設案だったそうです。ですが今回も、外務省、防衛省の官僚たちが米国の意向を口実にしてつぶした。自民党時代も、米側はグアム全面移転を進めようとしたがそれに待ったを掛けたのはじつは日本側だと言われています。なぜか?

それは論理的に日本の「自主防衛」につながるからです。それは日米関係の構造の大転換につながります。そしてその場合、沖縄の「核」の抑止力も消えることになるからです。それが幻想であるか否に関係なく。

こうした変化を望まない勢力というのが日米双方に存在します。そうして図ってか図らないでか、自覚してか無自覚なのか、日本の新聞・テレビがそれを側面支援した。検察という“正義の味方”までがそこに巧妙に混じり込んでいたことにも無頓着に。

事業仕分けもそうでしたが、鳩山短期政権の功績は様々な問題を私たちの目の前にさらけ出してくれたことです。困ったことはそれらのすべてが予想を超える難題で、次の内閣でも別の政党でも、にわかには解決できないことがわかってしまったことなのです。参院選とか政局とか、事はそんなちっちゃな問題ではないようです。

May 29, 2010

普天間日米共同声明

日本での動きのあまりの速さに、この隔数日刊ではとても対処できないんですけど、でもここは書き留めておかねばならないでしょう。

外務省のサイトで日米共同声明の日本語の仮訳と英語版を見比べてみます。と書きながら、これ、不思議じゃありませんか? 日本語は「仮訳」なんです。つまり、これはまず英語で書かれていて、それをもとに日本語に訳しているんですね。ふうん、アメリカとの外交文書、共同声明ってのは、英語ベースなんだ。沖縄のことを書いているのに、日本語じゃない。なんとなく腑に落ちませんが、アメリカ側は日本語、わからんからね、……などと思ってはいけません。日本と外交交渉をするアメリカ側の役人はふつう日本語ぺらぺらです。でもってしかし、交渉では日本語は話さない。日本側に英語を話させたり、あるいは通訳を使って交渉します。でも英語ベースであるというそういうところからしてもう交渉のイニシアチヴは握られています。これはとても象徴的なことです。

その仮訳で、6段落めにこうあります。

両政府は,オーバーランを含み,護岸を除いて1800mの長さの滑走路を持つ代替の施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する意図を確認した。

英語ではこうです。

Both sides confirmed the intention to locate the replacement facility at the Camp Schwab Henoko-saki area and adjacent waters, with the runway portion(s) of the facility to be 1,800 meters long, inclusive of overruns, exclusive of seawalls.

日本語では「1800mの長さの滑走路」とある部分が英語では「the runway portion(s) of the facility to be 1,800 meters long」と、runway portion(滑走路部分)(s)となっています。つまり、複数形にもなり得ると書き置いているわけです。これはつまり、2006年の「現行案」と同じV字型滑走路に含みを持たせる表現でしょう。いったん土俵を割るとどこまでもずるずると下がってしまう、日本外交の粘りのなさがここにも現れてしまうのでしょうか。

そうやって英語で話が進められたとはいえ、しかし米国ではこの問題は大きな事案として報じられてはいません。これが「原案」回帰という辺野古移設じゃなければ大きなニュースになっていたんでしょうが、いまはアメリカでは例のメキシコ湾の原油流出と同性愛者の従軍解禁がトップニュースで、すべてそっちに目がいっています。おまけに軍の展開に関してはとても複雑で専門的な話が絡んで来るので、日本でもそうでしょうが一般のアメリカ人が関心があるかというと普通はそうじゃないでしょう。そして事はなにごともなかったかのように進んでゆく。NYタイムズのマーティン・ファックラーが23日の沖縄の抗議集会を伝えた記事で、「とどのつまり、辺野古移設をうたった2006年合意を尊重しろというワシントンの主張が勝利したのだ(won out)」と書いてるんですけど、そういうことだったのです。

昨年の時点から言っていますが、アメリカはいま(というか前から)沖縄のことで煩っているヒマはない。というか、すべてのシステムというのは、とにかくこれまでのとおりに事が進むことを至上の目標としています。これまでどおりなんだから過ちや危険や破綻は起きないはずなのです。それが保守主義。その中で、しかし世界情勢はそうは上手くは問屋がおろさない。韓国もフィリピンもあんなに従順だった時代を経ていつしかアメリカに反旗みたいなのを翻すようになって基地が要らないなんて言い出して、けっきょくは縮小されてしまった。その度に東アジア極東の軍事再編です。面倒臭いことこの上ない。そして唯一日本だけがそういう懸念から自由な安全パイだったわけです。

ところがその日本が変なことを言い出した、のが昨年の政権交代でした。しかしアメリカとしては実にまずい時期に言ってくれた。なにせこちらも政権交代の発足間もないオバマ政権が、アフガン、イラクの戦争でにっちもさっちもいかなくなっている。おまけに日本がやってくれていたインド洋の給油だってやめるとか言うわけです。これは困ったことです。

しかし、一方でオバマ政権もまた当時は、政権交代という同じダイナミズムを経験した日本の民主党政権と、新たな安全保障を築き上げる構えはあったのだと思います。当時、日本の保守メディアでさんざん紹介された旧政権、米共和党と日本の自民党の間で禄を食んでいたジャパン・ハンドラーの人たちとは違い、ジョセフ・ナイを始めとする米民主党の知日派たちは日本の民主党の、これまでの対米従属とは異なる自主防衛の芽を模索するかのような動きに注目していたのでした。そこから10年後20年後の新たな極東安全保障体制が出来上がるかもしれない期待を込めて。なにせ、長い沈滞の政治を経て、日本国民の70%もが支持した政権が発足したのです。この民意をアメリカ政府は恐れた。それこそがかつて韓国、フィリピンから米軍を追い出したものだったからです。

ところが、日本は思いもかけなかった動きを見せました。ここの国民たちは、沖縄の基地移転問題で、そもそもの原因であるアメリカを責めるのではなく、時の政権の不明瞭な態度を責め立てたのでした。

28日付けのNYタイムズは、A-7面という地味な位置取りの東京電で、「これで長引いた外交的論争は解決したが、鳩山首相にとっては新たな国内問題の表出となる」と書き始め、いみじくも次のようなフレーズで記事を〆ました。

Despite the contention over the base, most anger has been directed at Mr. Hatoyama’s flip-flopping on the issue, not the United States. Opinion polls suggest most Japanese back their nation’s security alliance with the United States.
(米軍基地をめぐる論議にも関わらず、怒りの向きはほとんどが米国ではなく、言を左右した鳩山首相へと向かっていた。世論調査ではほとんどの日本人が米国との安全保障同盟を支持している)

これはアメリカにとって僥倖というか、おそらくなんでなのかよくわからない日本人のねじれです。しかしこの間の日本メディアの報じ方を知っているわれわれにはそう驚くことでもありません。なぜなら、メディアのほとんどは、ワイドショーのコメンテイターも含めて、「米軍のプレゼンスが日本を守る抑止力である」ということを大前提にして論を進めていたからです。その部分への疑義は、最後の最後になるまでほとんど触れられさえしませんでした。

しかも精査してみれば、「米軍のプレゼンス」はいつのまにか「米海兵隊のプレゼンス」になり、まるで海兵隊が日本を守ってくれるような論調にもなった。そしてそのウソに、ほとんどのTVコメンテイターや社員ジャーナリストたちは気づかないか、気づかないフリをしたのです。

12000人のその海兵隊の8000人がグアムに移転するとき、海兵隊は分散配置できない、というウソが露呈しました。残るは4000〜5000人、という海兵隊のプレゼンスの減少は問題とされませんでした。しかも、海兵隊は第一波攻撃隊というかつての戦争のやり方がもはや通用しないにもかかわらず、いまもそれこそが抑止力なのだと信じる人たちが自明のことのように論を進めたのです。

イラクでもアフガンでも、攻撃の第一陣は圧倒的な空爆です。そこでぐうの音も出ないほどに敵を叩き、さらにはドローン無人攻撃機でより緻密に掃討する。そこからしか地上軍は進攻しない。それはもうあの湾岸戦争以来何度も見てきたことではなかったか。

では海兵隊はなにをするのか? 海兵隊は進攻しません。海兵隊は前線のこちら側で、もっぱら第一にアメリカ人の救出に当たるのです。アメリカ人を助け上げた後は場所にもよりますがまず英国人やカナダ人です。次に欧州の同盟国人です。日本人はその次あたりでしょうか。

この救出劇のために海兵隊は「現場」の近くにいなくてはならないのです。
で、これは抑止力ですか? 違います。日本を守る戦力ですか? それも違うでしょう。

いったい、鳩山さんが勉強してわかったという「抑止力」とは、どう海兵隊と関係しているのか? それがわからないのです。昨日の記者会見でその点を質す記者がいるかと思ったがいませんでした。

これに対する、ゆいいつ私の深くうなづいた回答というか推論は、うんざりするほど頭の良い内田樹先生のブログ5月28日付《「それ」の抑止力》にありますが、それはまた別に論じなくてはならないでしょうね。もし「それ」が本当ならば、すべての論拠はフィクションであり、フィクションであるべきだということになってしまうのですから。

それはさて置き、というふうにしか進めないのですが、もう1つ、この問題でのメディアの対応のある傾向に気づきました。じつは昨日、日本時間の夜の11時くらいから某ラジオに電話出演し、日米共同声明のアメリカでの報じられ方に関して話をしました。そのときにそこにその局の政治部記者も加わって、少ししゃべったんですね。その記者さんの話し方を聞いていて、ああ、懐かしい感じ、と思った。聞きながら、なんだかこういうの、むかし、聞いたことがあるな、と頭の隅のほうで思っていたのです。

彼は盛んに政権の不手際を指摘するのですが、なんというのでしょう、その、いちいちもっともなその口調、その領域内ではまったくもって反論できない話し方、それ、そういえばずいぶんとむかし、国会の記者クラブで他社や自社の記者仲間を相手に、いちばん反論の来ない論理の筋道を、どうにかなぞって得意な顔をしていた、かつての自分のしゃべり方になんだか似てる、と気づいたんです。

記者クラブでつるんでいるとなんとなくその場の雰囲気というか、記者同士の最大公約数みたいな話の筋道が見えてくる。それでまあ、各社とも政治部とか、自民党担当の主みたいな記者がいて、下手なこと言ったり青臭いこと言ったりしたらバカにされるんですよ。それでみんな、バカにされないようにいっちょまえの口を利こうとする。そうするときにいちばん手っ取り早く有効な話は、「あいつはバカだよ」ということになるのです。自分がバカだと言われないように、先にバカだというヤツを用意しちゃう。褒めたりはしない。なんか、自分がいちばん通な、オトナな、あるいは擦れ切った、という立ち位置に立つわけですね。そうしているうちに、それこそが最強のコメントだと思い込むようになる。そしてその記者クラブ的最大公約数以外の論の道筋が見えなくなってくるんです。というか、相手にしなくなってくる。

一昨日にテレ朝の「やじうま」とかいう番組に江川紹子さんが出ていたときもその感じでした。スタジオが鳩山の普天間迷走を責める論調になったときに、彼女が1人で「そうは言っても自分の国の首相が何かをしようとしているときに後ろから鉄砲を撃つようなことをしていたメディアの責任も問われるべき」みたいなことを言ったんですね。そうしたら、隣のテレ朝政治部の三反園某と経済評論家の伊藤某が、まるで彼女が何を言ってるのかわからないといった呆れ顔で(ほんとうにそんな顔をしたんです。信じられない!って感じの)いっせいに反論をわめきました。そのときもきっとそうだったです。彼らの反応を見る限り、彼らにはほんとうに、彼女が指摘したような「足を引っぱっていた」という意識はなかった。それは思いも寄らなかった批判だったのだと思います。そういう意見があるということすら、彼らは知らないのかもしれない。

したがって、日本のテレビに登場してくる各社の記者たちのコメントが多く一様にそういう利いた風な感じなのは、きっと記者クラブのせいなんだと、不覚にもいま思い至りました。これもピアプレッシャーというか、プレッシャーとすら感じられなくなった、システムとしては理想的な保守装置です。

うー、何を書いてるのかわからなくなってきたぞ。あはは。

あ、そうそう、で、ラジオで話していて、そのときもはたしてここは論争の場にしていいのか、それともどこか予定調和的にうなづいて終わるようにすべきか、私も日本人ですね、ちょいと逡巡しているあいだに10分間が過ぎて話は終わったのですが。

結論を言えば、鳩山政権のこの問題への取り組みは誠に不首尾だったと言わざるを得ません。
しかし、不首尾は政権だけではないし、民主党だけでもない。
自民党だって不首尾であり続けてきたし、言論機関だってそうだった。

そして、沖縄問題はたしかにいままさにこの不首尾から始まったのです。

May 04, 2010

突破力と粘着力

鳩山の沖縄・普天間基地の県外移設断念で、内閣支持率はきっと10%台あるいはそれ以下に急落しているに違いありません。政権交代というモメンタムを以てしてもこの政権に「突破力」がなかったことはこれで確実にわかりました。

ただ問題は、普天間がこの腰折れで終わり、「公約」違反の鳩山退陣で片をつけたら、続く政権は今後何年も沖縄を鬼門としてなんら基地問題を解決するような公約すら出さずにお茶を濁すだけでスルーしようとするのではないかという心配です。それはどう考えたってまずいでしょう。じゃあ、どうするのがいいのか? この政権にまだ問題解決の「執着力」や「粘着力」(っていうんでしたっけ?)を求めてなお期待をつなぐのか、それとも見限るのか?

じつはこの数週間でパラオやテニアン島の議会が米議会に対し普天間の海兵隊4000人の移設先に立候補しています。

アメリカの自治領であるテニアン島には60年以上前に4万人規模の米軍基地が建設されていました。島の面積の2/3がいまもその基地機能の再開を念頭に米国防総省に100年契約で貸与されているのです。テニアンにしてもパラオにしても、もちろん今回の基地誘致の議会決議は雇用創出やその他の経済的利益を見越してのことです。

そういう経済の思惑は両島に限りません。日本側だって辺野古への杭打ち移設で日本企業に流れる8600億円ともいわれる利権がある。それが、すでに滑走路が3本もあるテニアンなら一銭にもならない「恐れ」があります。

一方、アメリカ政府にしても普天間の移設先として「グアムとテニアンが最適」というドラフトを用意しながら(鳩山も沖縄訪問で「将来的にはグアム、テニアンが最適」と発言していました)、アフガンやイラクでの戦費がかさんでいるのとリーマン・ショック後の歳入不安で、そんなときに大規模な基地移転なんかでカネを使いたくないという事情も見えてきました。まあ、沖縄にいるかぎり例の思いやり予算で米側の負担はずいぶんとラクチンなのですから。

こうしたカネの事情をすっ飛ばして「5月末決着」を打ち出した鳩山の政治的ナイーブさが現在の彼の政権の苦境を生み出しているわけですが、このままでは県内移設反対の社民党がいつ政権を離脱してもおかしくない。それを見越して永田町は一気に政局へと傾くかもしれません。以前から言っていますが、「現状維持」を旨とする官僚システム内にはこれでほくそ笑んでいる向きも多々あるはず。じつはこの辺も普天間県外移設の、最大の影の抵抗勢力だったかもしれません。特に北沢防衛大臣など、いかにも面倒臭いことはしたくない官僚任せ閣僚の風情ですしね。

それにしても相変わらず新聞論調はダメですな。例によって読売は「だが、米側は、他の海兵隊部隊の駐留する沖縄から遠い徳之島への移転に難色を示す。杭打ち桟橋方式にも安全面などの理由から同意するかどうかは不透明だ」。産経も「米側は日本国内の動向を注視している。首相の腰が定まらなければ、日米協議も進展しまい」と、まるでいまでも米国の代弁者。沖縄の負担を軽減するための言論機関としての提案はぜんぜんやってこなかった。日米新時代への言論機関としての気概はまるでないんだから。

この政権に「突破力」がなかった、と冒頭に書きましたが、いまさらながらこうしたすべての事情が沖縄問題の「壁」であったわけで、それらを一気に「突破」するのは容易なもんじゃないと改めて思います。

それでも沖縄問題は続きます。私たちが鳩山政権を見限っても、冷戦構造崩壊後も残る沖縄の「異状」は存在し続けます。求められているのは政権の突破力や問題解決の粘着力ではあるんですが、じつは私たち国民の突破力と粘着力もまた必要なわけで、簡単に匙を投げる我々を沖縄の人たちはさてどう見てるんでしょうか。

May 02, 2010

「私」から「公」へのカム・アウト──エイズと新型インフルエンザで考える

2009年12月12日、大阪のJASE関西性教育セミナー講演会で話したことを要約しまとめたものを(財)日本性教育協会が『現代性教育研究月報』4月号で採録、さらにその原稿をこのブログ用に加筆したものを「Still Wanna Say」のページにアップしました。

ご興味ある方はどうぞ。

「私」から「公」へのカム・アウト──エイズと新型インフルエンザで考える

March 18, 2010

恋する世代

日本産品の海外進出の柱の1つがスシや茶道を取り巻く食文化ですが、もう1つの柱がソニーやトヨタなどがコツコツと積み上げてきたまじめなモノ作りでした。ところが最近それらに元気がない。こないだ、アカデミー賞を見ていて気づいたんですが、トヨタは例のブレーキ問題で自粛したのかCMを1本しか出してなかった。で、それに代わって目立ったのが韓国の現代自動車です。「ヒュンデ」って発音するんですけどね、こっちでは。なんか、ソニーもパナソニックもいまやサムソンに追い越されそうになってるんだか追い越されたんだか、アメリカではそんな日韓の入れ替わりというかせめぎ合いが熾烈になってきています。

で、そんなモノ作りに代わって日本ブランドとして頭角を現して久しいのはキティちゃんや村上隆デザインの「可愛いグッズ」。これはまだ他に脅かされる分野ではない、独壇場です。なんといっても2年前でしたか、中国の観光客誘致で当時の自民党政権が親善観光大使に選んだのはそのキティちゃんでしたから、日本は国を挙げて(意識してかしないでか)そんな日本印の「子供っぽさ」を販促用のアイデンティティとして使ってるのです。

先日、東京で宮台真司や東浩紀らそうそうたる頭脳を集め、その村上隆らの描く「子供っぽい日本」についてのシンポジウムが行われました。そこにパネリストとして招かれたボストン大学で日本文学を教えるキース・ヴィンセントと事前にそのテーマで話をしていて、興味深い現象を知りました。いまアメリカの大学で日本のことを勉強しようとしている若者たちは、80年代のいわゆるバブル経済期とは違って、日本を勉強することが今後の自分の職業人生にとって有利に働くからとかというのではあまりないそうです。そういうオトナの動機を持つ学生たちが専攻しているのはいまや日本ではなくて中国であるらしい。

ただし一方で、日本の経済がこうしてデフレ・スパイラルのとんでもないことになっていても、日本に興味を持つ学生たちの数というのはそんなに減ってはいないそうです。ではどんな学生たちが来るのかというと、その多くはアニメやマンガといった日本の大衆文化のファンたちだというんですね。ま、それは予想に難くない。

そのせいか、日本学科の学生たちというのは、たとえばフランス語や中国語を勉強したいという学生たちとはなんだかすごく違うらしいんですよ。日本留学を希望している学生たちは面接などで日本の、例えば食べ物が好きだ、ファッションが好きだ、ポップカルチャーが好きだとかと言いつつ、ほとんど必ず「日本自体を愛している」と口にするらしいのです。で、しばしばその「愛」は、子供時代からずっと続いているのだと打ち明けてくるんだそう。

そこで、この子たちが「日本を愛してる」と口にするそのなにか強迫観念的な、オタクっぽい感じには何が潜んでいるのか、キースは考えました。

結論は、彼らにとっての日本は単に「どこかもう1つの別の国」ではなく、他には存在しない「どこか違う、約束の地」なんじゃないかということだったそうです。

中国学科の学生たちは中国の経済発展の凄まじさに魅了されている。ロシア学科の学生たちは新興財閥とヤミ経済に好奇心を抱いている。その文化や言語を大人になるために必要な勉強としてとらえているのですね。アメリカのフランス語専攻の学生たちの夢というのもまあ大人っぽさへの憧れでもあって、いまでも例えばパリに住んでセーヌの左岸のカフェでワインを飲んでカミュを読んで、という感じなんだといいます。

ところがいまの日本学科の学生たちは、全部とはもちろん言いませんが、頭までズッポリと日本に恋しちゃってる。そしてこの恋愛感情の奇妙な強烈さは、おそらく彼らが日本文化を自分の子供時代に結びつけていることと関係しているのではないか。というのも、彼らの記憶の最初期は必ずポケモンやセーラームーンを通して日本とつながっていて、それでどこか無意識のレベルで、日本で勉強したら自分のあの幸せな子供時代をもう一度追体験できる、みたいな、そんなふうに想像しているようなフシがあると言うのですね。

今回のこの話に残念ながらオチはありません。その学生たちが今後、日米の双方の社会でどのような役割を果たしていくのかは、まだだれにもわからないからです。いったい、どういう新しい日米関係が彼らの世代を通して出来上がっていくのでしょうね。なんだかすごく興味があります。

March 10, 2010

敢てイルカ殺しの汚名を着て

アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞に日本のイルカ漁を扱う「ザ・コーヴ」が選ばれ、案の定日本国内からは「食文化の違いを理解していない」「牛や豚の屠殺とどう違うんだ」「アメリカ人による独善の極み」と怒りの反応が出ています。あるいは「アカデミー賞も地に墜ちた」とか。

まあ、賞なんてもんは芥川賞だって日本レコード大賞だってトニー賞だってノーベル平和賞まで、そもそも販売促進、プロモーションから始まったもので、それにいかに客観性を持たせるかで権威が出てくるのですが、ときどき先祖返りしてお里が知れることもなきにしもあらずですから、まあここは怒ってもしょうがない。ヒステリックになるとあのシーシェパードと同じで、それじゃけんかにはなるが解決にはなりません。というか、このコーヴ、日本じゃ東京映画祭とかなんとかで上映したくらいでしょ? ほとんどのひとが見ていないはず。見ているひとは数千人じゃないのでしょうか? あるいは多く見積もっても数万人? うーむ、いや、そんな多くはないか……。

「ザ・コーヴ」は毎年9月から3月までイルカ漁を行う和歌山県太地町をリポートした映画です。とはいえ、イルカの屠殺現場は凄惨なので、これがどう描かれるか心配した地元側が撮影隊をブロックしました。そこで一行は世界中からその道のプロを集めて太地町を隠し撮りしたのです。

隠し撮りの手法というのは、ジャーナリスティックな意義がある場合は認めて然るべきものだと私は思います。でも、それ以外は米国ではじつはものすごく厳しい倫理規定があって、一般人を映画に撮影する場合は、道路を行く名もなき人々なんかの場合以外はかならずその映画のプロデューサー側がその人に、「編集権には口を挟まない」かつ「上映を承諾する」、という旨の書類にサインをもらうことになっています。そうじゃなきゃ、この映画気に食わない、といって自分が映っていることで上映差し止めを求める訴訟を起こされたりすることもあり得ますから。

で、このコーヴは、これは告発ドキュメンタリーだと位置づけているのでしょう。だから太地町の人たちにはサインを求めなかった。そしてドキュメンタリーだから映っている人たちの顔にボカシも入れなかった。この辺はなんでもボカシャいいと思ってる日本の制作サイドとは違います。ところが映画の作りはそれはもう大変なサスペンス仕立てで、太地町vs撮影隊、というこの対立構図がとてもうまく構成されているんですね。撮影クルーはなにしろ世界記録を持つ素もぐりダイバー夫婦だとか水中録音のプロだとか航空電子工学士だとかまで招集して、まるで「スパイ大作戦」に登場するような精鋭たち。隠しカメラを仕込んだ「岩」や「木」はあの「スターウォーズ」のジョージ・ルーカスの特撮工房が作り上げた模型です。それらを設置する真夜中の模様も暗視カメラで記録されて、まるで戦場映画のようなハラハラドキドキ感。なにせ町中の人間が彼らを監視し、警察までが「グル」なのですから、こんな演出が面白くないはずがない。

しかしそれは最後のシーンで衝撃に変わります。そこには、入り江(コーヴ)に追いやられた大勢のイルカたちが漁民たちのモリでズボズボと突かれ、もがきのたうつ彼らの血で海が真っ赤に染まるようすが映っているのです。これはサカナ漁ではない映像です。これは屠殺です。

じつは今回のオスカーにはもう1作「フード・インク」という、食品産業をめぐるおぞましいドキュメンタリーも候補に上っていました。こちらは米国の食ビジネスの大量生産工業化とそのぞっとする裏面を取り上げたもので、米国人の日常生活の根幹を揺るがすショッキングな食の事実が満載です。でもこれに賞をあげたら食関連のスポンサーがいっせいに退くだろうなあ、と思っていたらやっぱり取れなかった。もっとも、映画としてはコーヴの方が確かに面白いのですが。

「イルカの屠殺現場は凄惨なので」と最初に書きました。でも思えばすべての動物の屠殺現場はすべて凄惨です。はっきり言えば私たちはそんなものは見たくない。

コーヴの不快の本質はそこにあります。それは、生き物は他の生き物を殺して食べるしか生きられないという現実を、私たちがどこかで忌避しているからです。みんなそれをやってるが、だれもそれを語りたくない。その結果、近代社会では屠殺の現場をどんどん分業化し、工業化し、近代設備の清潔さの装いの向こう側に囲い込んで見えなくしていったのです。それは、生活の快適さ(のみ)を求める近代化の当然の帰結でした。私たちは牛や豚や鶏の屠殺の現場すら知らない。でもそれは言わない約束だったでしょ? でも、どうしてイルカだけ、こうして「言っちゃう」わけ? しかも「告発」されちゃうわけ? コーヴでは、こうしてそこに制作者側への「自分たちのことは棚に上げて」感という「目には目を」の反発が加わり、より大きな反感が生まれたわけです。そっちがそういうつもりなら、こっちにも考えがあるぞ、です。戦争って、国民の意識レベルでは往々にしてそうやって始まるんです。

そういうときに「日本人は食べ物を粗末にしない。いただきます、と感謝して食べている」という反論は効き目がない。しかもそれ、ウソですから。食品ゴミの量は人口差をならすと日米でほぼ変わりなく、両国とも世界で最も食べ物を粗末にする国なのです。日本じゃ毎年2200万トンの食品ゴミが出てるんですよ。カロリー換算だと食べ物の30%近くが捨てられている。また、「食文化の差」という反論もこれだけ欧米化している時代にそう説得力を持たない。「日本食」の3大人気メニューはカレーにハンバーグにスパゲティでしょ? 古い? あるいは牛丼、ホルモン、回転寿しか? いずれもイルカやクジラではないわけで、そういう中途半端な反駁はすぐにディベートの猛者であるアメリカ人に突っ込まれてグーの音も出なくなります。

もっとも、彼らの振り回す、よくある「イルカは知能が高いから殺すな」という論理には簡単に対抗できます。それはナチスの優生学のそれ(劣った人種は駆逐されるべき)と同じものだ、きみはナチスと同じことを言っているのだ、と言えばいいんです。これはナチス嫌いのアメリカ人への反駁の論理としてはとても有効です。

なんとなく整理されてきました。だとすると、この映画が提起する問題で本当に重要なのは、「イルカの肉に含まれる水銀量は恐ろしく多く、それを知らされずに食べている消費者がいる」という点だけ、だということです。

ところが、私の知る限り、これに対し日本のどこも反論のデータを教えてくれていない。

それは、怒り過ぎているからか、それとも怒りを煙幕に事実隠しをしているからか?

私にはそれだけが問題です。それに対して「水銀量は多くない」というデータで反証できれば、この「ザ・コーヴ」は、敢てイルカ殺しの汚名を着ても、なに後ろ暗いことなく、いや生きることにいままでどおりすこしは悲しい気持ちで、しかしそうではあっても別段これを機に気に病むこともなく、そしてなおかつそうカッカと怒らずでもよい映画である、と明言(ちょっとくどいけど)できるのですが。

February 22, 2010

ワインと日本酒と

いまニューヨークではいろんな分野の日本ブランドの紹介が盛んに行われています。この1カ月だけでも長芋やゆず酢や包丁、醤油やお香や磁器や牛肉などありとあらゆる日本産品が目白押しでした。中でも毎月のように行われているのが日本酒のプロモーションです。そんなところに顔を出すとよく、海外で日本酒をワインのように飲んでもらうにはどうしたらよいだろうかと相談されもします。

これはとても難しい問題です。というのも、じつは日本酒とワインとでは、飲食という文化の中で立ち位置がまったく違うからです。それは、やはりご飯とパンがまったく違うのと一緒なんです。

私たち日本人は基本的に「コメっ食い」なんですね。食事の中心にはご飯があるんです。極端なことを言えば、ご飯を食べるためにおかずがあるんですね。おかずを食べるためにご飯があるのではない。逆です。すべてはご飯のためです。「ごはんがススムくん」というネーミングの良さもまさにそこにツボがあるからです。みそ汁だってスープと違って全部一度に飲むものではないでしょ? その都度口内をさっぱり流して、「さてまたもう一回」とご飯(とおかず)に再度取り組むためのものですよね。つまりはこれもまたご飯のため。

対してパンは、これも極端を言えば、逆に前菜や主菜を食べるためのものなんです。パンを食べることを目的に前菜や主菜を食べるのでは(ほとんど)ない。あくまでも前菜や主菜がメインで、それをよりよく楽しむために、口直しにパンに中継ぎをさせるみたいな感じなのです。ソースをすくうときとかもね。

だから、「主食」っていう概念もよくわからないんです。私たちは学校で「日本人の主食はご飯です」って教わりましたが、でも、そういうのを英語でなんと言うのか、そもそもそういう叙述が有効なのか、どうもしっくり来ないんです。We, the Japanese, live on rice. なんですけど、この live on というのが英語で使うかというと、「アメリカではパンが主食です」ってふうに言えるのか、また、live on の次にくるのがパンなのか肉なのかもじつはよくわからない。少なくとも「ご飯」とか「お米」とかがすんなり出てくるようには常識にはなっていない感じです。

よく、「ひとはパンのみにて生きるにあらず」といいますが、聖書の時代はほかに大した食べ物もなかったんでしょうね。だからそのころはパンはまだ食事の中での主役だったのかもしれません。でもいまは食事をするという意味で「パンを食べたい」と言うひとはいないなあ。日本語だと「ああ、ご飯食べたい」って、「食事したい」という意味と「(パンや麺モノではなく)お米のご飯が食いたい」という2つの意味で常套句ですが。

ワインもそうです。マルゴーとかムートンとかのビッグ・ワインなら違うかもしれませんが、一般的なテーブルワインは前菜・主菜で疲れた味覚(パレット)を立ち直させるためにあります。マリアージュと言ってワインと料理の相性の良さでもっと美味しくするための出会いの演出もあります。いずれにしても基本的には、前菜・主菜を食べるためにワインが存在します。ワインはむしろ日本の食文化の中でのみそ汁と似ているかもしれませんね。

で、日本酒はそうじゃありません。お酒はみそ汁の立ち位置ではなく、ご飯と同じ位置なのです。つまり日本酒もご飯なのです。ご飯同様、日本酒を飲むときは日本酒が主役なのです。食事をするためにお酒を飲むのではなく、お酒を飲むために食事が要るのです。その食事を酒のサカナと言います。漢字で書けば「酒菜(さかな=さけのおかず)」です。なので、お酒のあるときはご飯は食べず、ご飯のときはお酒は飲まない。この2つは基本的に同じもの、「お米」だからです。お鮨とお酒をいっしょにする人もいますが、本当はお鮨にはお茶です。そうじゃないと米と米で重複しちゃう。リダンダンシーです。

ワインとパンにはそういう関係はありません。しかもこういう、ワインを中心にした飲食の仕方はワインではあまりしません。うーん、食事が済んだあとのチーズのコースのときがやや酒飲みの感覚というか、酒と酒菜の関係に似ている感じでしょうか。いや、スパインのタパスとか、日本の酒の飲み方に近いかもなあ。そうね、日本酒って、基本的に小皿料理をお供にするんだな。あと、イタリアのバールでも立ち飲みでいろいろ小皿を出してくれる。でも、日本の会席料理みたいに、本格的な料理がワインを軸として供されるということは、ワイン飲みの会みたいなイベント以外はあまりないように思います。

ですから、ニューヨークのレストランで日本酒をワインのように飲んでもらうには、という問い掛けには、チーズコースとは言いませんが、なにか、食事がメインのコースの後か先にでも、お酒に合う肴の小皿コースを供してもらわねばならないということになりますか。ちょうどお鮨にスイッチする前のお造りの段階のような、そんな新しいコンセプトのコースが必要になってくるのだと思うのです。しかもそのとき、お酒はワインのように右手奥にあるのではなく、食事の皿をも差し置いて、食べる人の直近の中央に位置しなくてはならない。なぜならそこが主役たるお酒の位置なのですから。

このところ、ワインのような大吟醸酒が増えています。これはこれでとても素晴らしいですが、悲しいかな、輸送費がかかって日本で飲む時の倍ほどの値段がします。しかも「ワインのような大吟醸」なら、同じ値段のワインを飲んだ方がよほど美味しいのです。

先日、ある和食のシェフが各界の名士を招待してのディナーイベントで腕を振るった際、日本人の招待客に「まるでフレンチのシェフみたいで格好いいわね」と言われて憤慨していました。

フレンチの方が格好よいというのではなく、和も仏もそれぞれの本来の立ち位置で堂々と存在できる、そういう時代にしていきたいものです。

January 21, 2010

電子ブックと出版革命

アップルのタブレットMacが27日にも発表になるらしいと聞いて、これで日本でも電子書籍販売が加速するんじゃないかとちょっと期待しています。

というのも、電子書籍ってのはデータファイルですから、製本化する必要がないわけで、つまりは手元にあるいろんな原稿を「自費出版」する必要なく「販売」できるってことにつながりますよね。いや、拙文をちまちまと売ろうなんて魂胆ではなくて、じつはちゃんとアメリカで出版されたベストセラーなどの翻訳をしながらも、日本の出版社の都合で急に出版が取りやめになっちゃった原稿がいくつか手元にあるのです。それをどうにかできないかなあとつらつら思っていたのですが、根が無精なもので自分から別の出版社を探すでもなく売り込むわけでもなく、そのままほったらかし。それが出版側のリスクなく、というか出版が必要ないのだから誰のリスクを心配することもなく直接の販路を得ることになるわけで、これって、確実に現在の出版社の機能の大きな一部を削ぎ取っちゃうような、革命的出来事です。

まあ、出版というのは「本になる」といういっしゅ物神崇拝的な実体化を愛でる部分もあるわけで、その意味では出版社のその機能は失われることはないでしょうが、しかしこれはまさしくレコードが電子ファイルになってしまったと同じ流れが著述界にもやってくるということでしょう。

iTunesストアではそういう音楽界のインディーズのアウトプットは受け付けてるんだよね。
でも、大物アーティストたちがレコード会社というかCD会社?にいまもこだわってくっついているのはどういうことなんだろう? ああ、イベントとかプロモーションとかいろいろ抱き合わせでやってくれるからかな。それに、従来からの契約もあるだろうしね。

でも、出版界なんてそんな縛りはない。お抱え作家、なんてものは一時、半村良が「太陽の世界」を角川パッケージで書き続けると宣言したときくらいでしょう(←古い)。

これ、すごいことだなあ。

と思ってたら、先ほどこんなニュースが!!!!

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アマゾン、「Kindle」向け電子書籍の印税を引き上げ--「App Store」と同率に

CNET Japan
文:David Carnoy(CNET News)
翻訳校正:矢倉美登里、長谷睦
2010/01/21 12:24  

 Amazonが「Kindle Digital Text Platform(DTP)」を利用する作家や出版社に支払う印税を、電子書籍の表示価格の70%に引き上げると発表した。今回の動きは、米国時間1月27日にタブレット型端末を発表する可能性が濃厚なAppleに対する先制攻撃なのかもしれない。70%という印税率は従来の35%から大幅な引き上げとなるが、「App Store」でアプリを販売する開発者にAppleが支払う売上配分と同じであり、これは偶然の一致ではなさそうだ。

 Amazonによると、6月30日以降、印税率70%の新オプションを選ぶ作家や出版社は、Kindle向け電子書籍が売れるたびに、表示価格の70%から配信コストを引いた額を受け取ることになるという。この新しいオプションは、既存のDTP標準印税オプションを置き換えるものではなく、追加される形となる。従来の印税オプションは、印税率が35%で、表示価格の65%をAmazonが受け取っている。

 App Storeは、AmazonやBarnes & Nobleといった電子書籍ストアなどが提供する電子書籍リーダーアプリ(Kindleや「Stanza」)のほか、独立型アプリとして何千もの電子書籍を提供しているが、Amazonは、新しい価格体系がAppleがApp Storeで実施している印税プログラムに対応するものであるのかどうかについては、コメントしていない。ただし配信コストは、ファイルサイズに基づいて計算され、料金は1Mバイト当たり15セントになる点は明確にしている。

 Amazonのニュースリリースには以下のような記述がある。「現在のDTPファイルサイズのメジアン(中央値)である368Kバイトの場合、配信コストは売上部数当たり6セント未満になる。したがって、この新しいプログラムでは、作家と出版社は書籍が売れるたびにより多くの利益を得ることができる。たとえば、価格が8.99ドルの書籍だと、作家の手取りは標準オプションでは3.15ドルだが、新しい70%オプションでは6.25ドルになる」

 今回の発表は、印税率70%オプションの適用条件も定めている。このオプションを利用するには、以下の条件を満たしている必要がある。

 *作家または出版社が設定した価格が2.99~9.99ドルの範囲内である。

 *電子書籍の価格が、紙媒体の書籍の最低価格より20%以上安い。

 *作家や出版社が権利を持つすべての地域で作品の販売が可能。

 *テキスト読み上げ(text-to-speech)機能など、「Kindle Store」の幅広い機能に対応している。こうした機能は、AmazonがKindleおよびKindle Storeに機能を追加し続けるのにあわせて増えていく。

 *他店の価格(紙媒体の書籍の価格を含む)以下で提供される。Amazonがこのプロセスを自動化するツールを提供し、70%の印税はこの最低価格を基準として算出される。

 *著作権のある作品が対象で、1923年以前に出版された作品(パブリックドメインの書籍)は対象外。当初は米国で販売される書籍のみが対象となる。

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びっくりするのは電子書籍の印税ってアメリカでは35%もあったってこと。しかもそれを今度は倍の70%にするってことです。

ええええ!? 日本じゃ単行本でもせいぜい売価の10%。翻訳物だと8%。文庫だと5%ですよ。出版不況だから今はもっと安いかもしれない……。つまり2000円の本1つ売れても、日本じゃ書いた人には高々200円(税引き前)しか手に入らないってこと。初版なんて今きっと3000部がいいところだろうから、2000円の本1つ書いて出しても全部で60万円にしかならないということです。これじゃ生きてけないわね。でもこれがアメリカだったら420万円だ。うーん、俄然やる気が出てくるね。

そういやアメリカって、作家がものすごい前払金をもらったりしてますものね。それにしてもこんなに印税取ってたとは知らなんだ。てか、日本の出版社のほうがすごい搾取をしてるってことか。まあ、製本とか抜群にきれいですけど。

でも道理で大手出版社の社員は結構な高給取り。講談社とか集英社とか新潮社とかの社員ってエリートっぽいもんねえ。しかも作家は本を出していただけるところですから下手な文句も言えず、なんせ「東販/日販がこれじゃあ売れないって言うんで」という一言で、はあ、と言わざるを得ない。

ところが自分の時価の販路ができるとあれば話は違います。まあ、宣伝とかは必要でしょうが、私のような、べつに大して売ろうと思っていないのは読みたい/読ませたい人にだけ届けばよいわけで、これはうれしい。これは出版革命ですわ。

アメリカの一般の本屋さんはアマゾンの成長でどんどん閉店しています。統廃合と再編が進んで大手ブックチェーンだけがかろうじて生き残っている。それが今度は「本」そのものがなくなろうとしているのでしょう。もちろんここでも人間の「物」への執着はなくならないでしょうから本屋さんが完全に消滅することはないにしても、商売のメインストリームからは消えてゆく運命なんでしょうね。だからその大手書店チェーンも今、自社チェーンというかサイトでの電子書籍販売システムの構築に躍起になっているのです。

まあ、わたしが考えてるくらいですから日本の関連業者さんはすでに新たなビジネスモデルとビジネスチャンスをねらってがんばっているんでしょうけれど。

もっとも、次のようなニュースも

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Amazon、Kindle向け自費出版サービスを米国外に拡大

【世界中の出版社や個人が、電子書籍リーダー「Kindle」向けのコンテンツをKindle Storeで販売できるようになった。ただし対応する言語は英語、ドイツ語、フランス語のみ】

1月18日10時49分配信 ITmedia エンタープライズ

 米Amazonは1月15日、米国でのみ提供してきた電子書籍の自費出版サービス「Kindle Digital Text Platform(DTP)」を、米国外でも利用可能にしたと発表した。対応する言語は英語に加え、ドイツ語とフランス語。そのほかの言語についても段階的に対応していくという。

 DTPは出版社や個人がコンテンツをKindle Storeで販売できるようにするサービス。HTMLやテキスト、PDFファイルなどをアップロードするとKindleのフォーマットに変換され、Kindle Storeに登録される。書籍の価格は利用者が設定でき、売り上げの35%を受け取ることができる。これまでは米国の銀行口座と米国在住を証明するための社会保障番号(SSN)などが必要だったが、米国外の利用者はそれらの情報を記入せずに登録できるようになった。売上金の受け取りは小切手で行う。

 Kindleで表示できる文字は現状ではLatin-1と呼ばれる1バイトコードのみで、日本語などの2バイトコードに対応する見込みは具体的に明らかにされていない。
最終更新:1月18日10時49分

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日本語という言葉によって、日本はここでも守られて入るんですが、猶予の時間はそう長くはないと思います。

January 19, 2010

再び、ハイチ地震と日本

距離的にも近いし移民の数も多いからでしょうが、アメリカのハイチ地震への対応の早さは官民ともに見事でした。あまりに素早くかつ大規模なので、アメリカはハイチを占領しようとしているという左派からの批判もあるようですが、まあ、そこは緊急避難的な措置ということでそう目くじら立てても、他にそういうことをやってくれるところはないわけですし、って思っています。確かに航空管制とかもアメリカが肩代わりしてるようですしね。で、軍事的な貢献はしないと決めている日本は、だからこそこういうときにいち早く文民支援に立ち上がってほしいところなのですが、しかし今回もまた、今に至ってもまったく反応が著しく鈍いという印象です。

折しも日本のメディアは阪神淡路大震災15周年の特集を組んでテレビも新聞も大々的にあの地震からの教訓を伝えようとしていました。ところが、いま現在進行中のハイチ地震の支援についてはほとんど触れなかったのです。いったいどういうことなのでしょう? まるで何も見えていないかのように、阪神阪神と言っているだけ。そりゃ事前取材でテープを編集して番組に仕立て上げるという作業があったのかもしれないが、すこしは直前に手直しくらいできたでしょうに。ハイチ地震発生は12日。それから阪神淡路の15周年まで5日間あったんですから。あるいは大震災の教訓とはお題目だけで、実際はなにも得ていないのだという、これは大いなる皮肉なのでしょうか。小沢4億円問題も大変ですが、検察リークの明らかな世論誘導や予断記事を少し削って、もうちょっとハイチの悲惨について紙面や時間を割けないものかと思ってしまいます。

西半球で最貧国のハイチにはビジネスチャンスもほとんどないからというわけではないでしょうが、日本企業の支援立ち上がりもまったく目立ちません。一方で米企業の支援をまとめているサイトを見ると大企業は軒並み社員の募金と同額を社として上乗せして寄付すると宣言したりで、不況をものともせず雪崩れを打ったように名を連ねています。まあ、企業として税金控除ができるという制度の後押しもあるせいでしょうが。

それらをちょっと、日本でも知られている企業の例だけでも適当に抜き書きしてみましょうか。

▼アメリカン・エクスプレス;25万ドルを米国赤十字社、国境なき医師団、国際救援委員会、世界食糧計画友の会に。その他、アメックス社員の募金と同額を上乗せして寄付など。
▼アメリカン航空グループ(AMR);サイトを通じてアメリカ赤十字に寄付した人にその金額分のボーナスマイルを付与。ポルトープランスへの救援物資の輸送。
▼AT&T;携帯電話のテキストメーッセージで10ドルの寄付が米赤十字社に簡単にできるように設定。
▼バンク・オブ・アメリカ;100万ドルを寄付。うち50万ドルは米赤十字社へ。
▼キャンベルスープ;20万ドル。
▼キヤノン・グループ;22万ドルを米赤十字社へ。
▼シスコ基金;250万ドルを米赤十字社へ。そのほか社員募金と同額の寄付(上限100万ドル)
▼シティグループ;救援隊、医療用品器具、援助物資、衛星電話。
▼コカコーラ;米赤十字社へ100万ドル。
▼クレディスイス;100万ドルを米およびスイス赤十字社へ。
▼DHL;災害対応チームを派遣して空港でのロジスティックスに当たらせる。
▼ダウ・ケミカル;50万ドルを米赤十字社ハイチ地震援助基金へ。社員募金相当分を上限計25万ドルで世界食糧計画などに寄付。
▼デュポン;10万ドルを米赤十字社ハイチ援助基金に。
▼フェデラルエクスプレス;42万5000ドルを米赤十字社、救世軍などに。救援物資78パレット分を災害地に。総計で100万ドル以上。
▼ゼネラル・エレクトリック(GE);250万ドル。
▼ジェネラル・ミルズ基金;25万ドル。
▼ゴールドマン・サックス;100万ドル。
▼グーグル;100万ドルをユニセフとCAREへ。
▼グラクソ・スミス&クライン;抗生物質などの主に経口医薬品と現金。地方インフラの回復を待ってさらに供給予定。
▼GM基金;10万ドルを米赤十字社へ。
▼ヒューレット・パッカード;50万ドルを米赤十字社国際対応基金へ。社員募金と同額を上限25万ドルでグローバル・インパクトへ。
▼ホームデポ基金;10万ドルを米赤十字社へ。
▼IBM;技術およびサービスで15万ドル相当分。
▼インテル;25万ドル。および社員募金同額分を該当NGOへ。
▼JPモルガン・チェース;100万ドル。
▼ケロッグ;25万ドル。
▼KPMG;50万ドル。
▼クラフト・フーズ;2万5000ドル。
▼メジャーリーグ・ベースボール(MBL);100万ドルをユニセフに。
▼マスターカード;会員のポイントをカナダ赤十字社への現金募金に替えて振り込めるようにした。
▼マクドナルド;50万ドルを国際赤十字社連盟に。傘下のアルゼンチン企業の社員募金も同額分上乗せで計50万ドル寄付の予定。
▼マイクロソフト;125万ドル。その他、社員募金12000ドルを上限に同額を寄付。現地で活動のNGO要員へのMS社対応チームの派遣。
▼モルガン・スタンリー;100万ドル。
▼モトローラ;10万ドル。その他、上限25000ドルで社員募金に同額上乗せで寄付。
▼北米ネスレ・ウォーターズ;100万ドル相当分の飲料水
▼ニューズ・コープ;25万ドルを米赤十字社と救世軍に。その他25万ドルを上限に社員募金に同額上乗せでNGOに。
▼ニューヨーク・ヤンキーズ;50万ドル。
▼パナソニック;10万9962ドル(1000万円)。
▼ペプシコ;100万ドル。
▼トヨタ;50万ドルを米赤十字社、セイヴ・ザ・チルドレン、国境なき医師団に。
▼トイザらス;15万ドルをセイヴ・ザ・チルドレンに。
▼ユニリーヴァー;50万ドルを国連食糧計画に。
▼ヴェライゾン基金;10万ドル。携帯テキストで米赤十字社に寄付できるように変えた。
▼VISA;20万ドルを米赤十字社へ。
▼ウォルマート;50万ドルを米赤十字社へ。10万ドル相当の食糧パッケージを赤十字社へ。
▼ウォルト・ディズニー社;10万ドルを米赤十字ハイチ地震救援基金に。

  ……等々。これらは日本でも知られている名前を適当にピックアップしたもので、リストはこの倍以上あります。なお、リストは米時間19日午前の時点のものです。

電話会社ヴェライゾンとAT&Tは携帯のテキストメッセージで10ドルを寄付できる方法を広め、米市民からの募金は17日までに(地震発生後5日間)で1600万ドル(15億円)を突破したそうです。上記リストにはありませんが、アップルはアイチューンズ・ストアで楽曲やソフトを買うように寄付ができるようにもしています。米大リーグやNYヤンキーズが募金に名を連ねたのは、ハイチからの野球選手が多くいるからでしょうね。

思えば9・11もインド洋大津波の時もそうでした。世界の大災害に当たって、欧米の大企業はそのホームページを続々とお見舞いのデザインに変えていました。でもそのときも、日本の企業のホームページは相も変わらず自社の宣伝だけ。こんなに世界が大わらわなときに、能天気というか、危機管理ができてないというか、現実問題と隔絶してるというか、最も安上がりで手間も時間もかからない企業の社会貢献マーケティングのチャンスをみすみす見逃しているのです。

とはいえ、上記リストにはトヨタとパナソニックも名を連ねていますね。素晴らしい。いま両社のホームページを見たら、ちょこっと、控えめではありますが義援金の拠出についてニュースとして報告してありました。「わが社は◎◎ドルを寄付しました」ってHPに書き加えたって、こういう場合、だれも売名だなんて思いません。企業ってのは稼いでなんぼです。稼いで、それで堂々と寄付もする。それも次の稼ぎにつなげてまた寄付をする。そう、こういうことならどんどん売名すべし、です。

日本の企業にまた呼びかけます。御社のホームページ(トップページ)にいますぐハイチへのお見舞いの言葉を書き込むことです。そうしてそこからクリックで日本赤十字社なりへの募金ページに飛べるようにすることです。それだけで企業の社会意識の高さが示せます。それがCRMの初歩というものでしょう。それをぜひとも企業としてマニュアル化してほしい。

何度も言っていますが、私たちは超能力者じゃないから、なんでも言葉にしなくては通じないのです。お見舞いの言葉もそう。たとえ日本語で書いてあっても、企業としてのそのお見舞いの表明は消費者としての日本国民のお見舞いの言葉と募金に姿を変えて世界に表明されるはずです。

今回も、民主党政府になってからさえも、日本はまたフロリダにいた自衛隊の輸送機を使えないものかと調整してそれで時間を食って出遅れたようです。べつに自衛隊を使う使わないはいいから、そうじゃなくて、とにかく文民の発想で援助にいち早く立ち上がる。それが憲法9条を掲げる日本の国際貢献の基本形だと思います。

January 13, 2010

日米外相会談

さきほどTBSラジオからハワイで行われたクリントン-岡田会談に関してコメントを求められました。また5分程度だったんで思うように喋られず。早口になっちゃうんですよね。ダメポです。

というか、こちらはいまハイチの地震報道一色で外相会談に関してなんらテレビでは速報も続報もありません。新聞がかろうじてAPやロイター電を伝えているのですが、ワシントンポストがかなり今回の雰囲気の変わり具合を如実にというか、なんとなく描写していて面白いです。そこには、日米関係に詳しい人たちが「たかだか40機のヘリコプターの移設問題くらいで日米関係をハイジャックさせてはいけない」って言っている、って書いているのです。NYタイムズもまた、今回の会談を日本との関係を修復するためのものだと位置づけていたし、あらら、なんだか日本で伝えられているのとは違う感じです。(って、私は前から言っていたんですけどね)。

日本の報道をオンラインでチェックしてみたら、「普天間、平行線」という見出し。でもそれって「5月までに決める=5月までは決めない」ってことだからすでにわかってることで、いまのこの時点で見出しになるようなことではないはずです。ことさら日米の「亀裂」を取り上げてみて、この人たちは何が言いたいのか? というかどこに着目しているのか?

アメリカの新聞もかねてから普天間および沖縄にはかなり同情的な視線を持っていたのでしたが、今回はややそれとも報道の仕方が違うようです。より積極的に、日米の不協和音を鎮めるようなトーンが目立って、NYタイムズは「普天間という個別問題で日米同盟という大きな枠組みは壊れない(indestructible)のだ」ってクリントン国務長官が言ってることを取り上げています。

もちろん米国は「これまでの日米同盟こそがベストの道」という主張を崩してはいません。しかしそれはどういうことかというと、意地悪い言い方ですけど、これから20年先を見越した東アジアの安全保障のためにベストという意味じゃなくて、とりあえず今年のいまの時点のオバマ政権にとって一番いい、という意味なんですよね。というのもいまオバマ政権は内憂外患というか、支持率、昨日の NBCの調査で50%を初めて切って、46%になっちゃったんです。アフガン戦争の行方が見えないこと、失業率が10%を超えたままであること、税金を投入して救った金融業界へのボーナスがまた平均で5千万円だとかいうニュースが出始めて、国民の不満がたまりにたまっている。そういう大わらわなときに、これまでいつも助けてくれていた日本までが面倒臭いことを言い始めて、とことん困っているんです。ここはどうあっても、合意どおりに進めてほしい、それがベストな道なのだっていわざるを得ないでしょう。

で、そうしたうえでで、新聞の見出しはクリントン国務長官が日本の決定の遅れをアクセプトした、受け入れた、というトーンになっているのです。

じつはこれには伏線があります。1月6日のNYタイムズに、ジョセフ・ナイが、この人はハーバード大の名誉教授でリベラル派の国際学者といわれてる人で、民主党のカーターやクリントン政権で外交や軍事政策に関わった専門家でもあるんですが、この重鎮が、普天間移設問題に関して寄稿して「some in Washington want to play hardball with the new Japanese government. But that would be unwise(ワシントンの一部には、日本の新政権に対して強硬な姿勢をとりたがっている連中がいるけれども、そりゃバカだ)」といって、「忍耐強く交渉にあたるよう求めた」(朝日新聞)のです。

これを報じた朝日新聞を引きましょう。
同紙は「ナイ氏は『個別の問題よりも大きな同盟』と題する論文で、『我々には、もっと忍耐づよく、戦略的な交渉が必要だ。(普天間のような)二次的な問題のせいで、東アジアの長期的な戦略を脅かしてしまっている』とした。
 東アジアの安全を守る最善の方法は、『日本の手厚い支援に支えられた米軍駐留の維持』だと強調」した、というわけです。

まあ、「論文」というか、全体で750語ほどの新聞用の短い寄稿文なんですが、これとまったくおなじ文脈でクリントンが今回の岡田会談に臨んだように見受けられます。「中国の軍事的な台頭を考慮して」という部分ももちろん共有しています。

ナイはじつはクリントンの外交上の知恵袋でもあって、一時は駐日大使になるかとも思われた人なんですけど、結局はオバマの選挙スポンサーだったルースが大使になったという経緯があります。で、そのオバマがナイを嫌った理由の1つが、ナイってのがかなりこれが戦略的な人でして、これも日本の事情を慮ってというよりはアメリカの国益がどうか、東アジアのアメリカの覇権をどうするか、という(まあ、もっともな)立場なんですね。末尾にこの寄稿文全体を貼付けておきますが、この中で朝日が触れていないニュアンスとしてかれはこう言っています。

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Even if Mr. Hatoyama eventually gives in on the base plan, we need a more patient and strategic approach to Japan. We are allowing a second-order issue to threaten our long-term strategy for East Asia. Futenma, it is worth noting, is not the only matter that the new government has raised. It also speaks of wanting a more equal alliance and better relations with China, and of creating an East Asian community — though it is far from clear what any of this means.
たとえ鳩山氏が結果的に基地計画で折れたとしても、われわれは日本に対してより我慢強く戦略的なアプローチをしていかねばならない。われわれがいまやっていることは東アジアのためのわれわれの長期的戦略を二次的な問題で脅かしているという事態なのである。普天間は、そんなものは屁みたいなもんだし、日本の新政権が持ち出してきた数多くの問題の1つでしかない。新政権が言っているのはより平等な同盟関係とか、中国とのよりよい関係とか、東アジアのコミュニティの創造だとか、まあ、意味ははっきりとはわからないまでもそういうことなのだ。

When I helped to develop the Pentagon’s East Asian Strategy Report in 1995, we started with the reality that there were three major powers in the region — the United States, Japan and China — and that maintaining our alliance with Japan would shape the environment into which China was emerging. We wanted to integrate China into the international system by, say, inviting it to join the World Trade Organization, but we needed to hedge against the danger that a future and stronger China might turn aggressive.
東アジア戦略に関して1995年にペンタゴンの報告書を手伝ったときに、われわれの見据えたことはこの地域に3つの大国が存在しているという現実だった。すなわち、米国、日本、中国である。われわれが日本との同盟関係を維持することが中国が台頭してくるその環境を決定づけるのである。われわれは中国が国際的なシステムの中に入ってくるよう望んでいた。たとえば世界貿易機関(WTO)に参加するなどして。しかしわれわれは同時に未来のより強大になった中国が好戦的に変わる危険にも備えなくてはならなかったのだ。

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かなりしたたかでしょう。
そう、日本が中国を見ているように、アメリカもまた中国との関係で日本はとても重要な国なのです。その三つ巴の(?)バランスを上手く保たねば、この地域でのアメリカの覇権も危うい。そのためには普天間など取るに足らない問題だ、というわけです。おそらくこれはクリントン国務省の考え方と同じと考えてよい。

ワシントンポストはまさにそこを次のように書いています。(翻訳文のカッコ内は私の註です)

The new tone also stems from a growing realization in Washington and Tokyo that the base issue cannot be allowed to dominate an alliance crucial to both countries at a time when a resurgent China is remaking Asia, signing trade deals and staking claims to ocean resources.
ワシントンと東京で、再び台頭してきた中国がアジアを再構築し貿易問題をまとめ海洋資源の所有権を主張しようとしているとき、米日両国にとって死活の問題である同盟関係を基地問題などで右往左往させてはならないという認識が育ってきて、(日米間の亀裂、不協和音とは違う)あらたな傾向が出てきた。

(中略)
But Tuesday, Clinton was understanding.
火曜日(12日=日米外相会談の日)、クリントンは(日本の立場を)理解していた。

"We are respectful of the process that the Japanese government is going through," she said. "We also have an appreciation for some of the difficult new issues that this government must address," including the widespread opposition to the U.S. military presence on Okinawa.
「日本政府が経験している過程はわれわれも尊重している」と彼女(クリントン)は言った。「またこの(日本の)政府が困難で新たな問題のいくつかに取り組んでいることも私たちは評価している」と。その問題には沖縄の米軍の駐留に対する広い反対意見のことも含まれている。

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ね、いかに「普天間、平行線」という見出しが間違っているか、これでわかるでしょ?
岡田外相と、その報告を受けた鳩山首相が上機嫌そうだったのは、こういうことなのです。

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以下、ナイのエッセーを添付しときます。時間があったら翻訳しますけど、いまはちょっと全部は無理。

SEEN from Tokyo, America’s relationship with Japan faces a crisis. The immediate problem is deadlock over a plan to move an American military base on the island of Okinawa. It sounds simple, but this is an issue with a long back story that could create a serious rift with one of our most crucial allies.

When I was in the Pentagon more than a decade ago, we began planning to reduce the burden that our presence places on Okinawa, which houses more than half of the 47,000 American troops in Japan. The Marine Corps Air Station Futenma was a particular problem because of its proximity to a crowded city, Ginowan. After years of negotiation, the Japanese and American governments agreed in 2006 to move the base to a less populated part of Okinawa and to move 8,000 Marines from Okinawa to Guam by 2014.

The plan was thrown into jeopardy last summer when the Japanese voted out the Liberal Democratic Party that had governed the country for nearly half a century in favor of the Democratic Party of Japan. The new prime minister, Yukio Hatoyama, leads a government that is inexperienced, divided and still in the thrall of campaign promises to move the base off the island or out of Japan completely.

The Pentagon is properly annoyed that Mr. Hatoyama is trying to go back on an agreement that took more than a decade to work out and that has major implications for the Marine Corps’ budget and force realignment. Secretary of Defense Robert Gates expressed displeasure during a trip to Japan in October, calling any reassessment of the plan “counterproductive.” When he visited Tokyo in November, President Obama agreed to a high-level working group to consider the Futenma question. But since then, Mr. Hatoyama has said he will delay a final decision on relocation until at least May.

Not surprisingly, some in Washington want to play hardball with the new Japanese government. But that would be unwise, for Mr. Hatoyama is caught in a vise, with the Americans squeezing from one side and a small left-wing party (upon which his majority in the upper house of the legislature depends) threatening to quit the coalition if he makes any significant concessions to the Americans. Further complicating matters, the future of Futenma is deeply contentious for Okinawans.

Even if Mr. Hatoyama eventually gives in on the base plan, we need a more patient and strategic approach to Japan. We are allowing a second-order issue to threaten our long-term strategy for East Asia. Futenma, it is worth noting, is not the only matter that the new government has raised. It also speaks of wanting a more equal alliance and better relations with China, and of creating an East Asian community — though it is far from clear what any of this means.

When I helped to develop the Pentagon’s East Asian Strategy Report in 1995, we started with the reality that there were three major powers in the region — the United States, Japan and China — and that maintaining our alliance with Japan would shape the environment into which China was emerging. We wanted to integrate China into the international system by, say, inviting it to join the World Trade Organization, but we needed to hedge against the danger that a future and stronger China might turn aggressive.

After a year and a half of extensive negotiations, the United States and Japan agreed that our alliance, rather than representing a cold war relic, was the basis for stability and prosperity in the region. President Bill Clinton and Prime Minister Ryutaro Hashimoto affirmed that in their 1996 Tokyo declaration. This strategy of “integrate, but hedge” continued to guide American foreign policy through the years of the Bush administration.

This year is the 50th anniversary of the United States-Japan security treaty. The two countries will miss a major opportunity if they let the base controversy lead to bitter feelings or the further reduction of American forces in Japan. The best guarantee of security in a region where China remains a long-term challenge and a nuclear North Korea poses a clear threat remains the presence of American troops, which Japan helps to maintain with generous host nation support.

Sometimes Japanese officials quietly welcome “gaiatsu,” or foreign pressure, to help resolve their own bureaucratic deadlocks. But that is not the case here: if the United States undercuts the new Japanese government and creates resentment among the Japanese public, then a victory on Futenma could prove Pyrrhic.

December 31, 2009

オバマの1年

年末、TBSや東京FMや大阪MBSラジオなど、いろんなラジオ局から大統領がオバマになったアメリカの1年を振り返ってのコメントを求められました。オバマは「Change」と「Yes, we can」で大統領になったが、アメリカは変わったのか、うまく行っているのか、という質問です。それを5分とかで喋れと言われてもなかなかきちんと説明できなかったので(MBSは25分くれました、感謝)、ここでちょっと詳しくおさらいしてみることにします。

12月は青森と大阪で講演があって日本にいるのですが、ちょっと戸惑うのはオバマに対する評価の日米の温度の差です。なんだかある時期のゴルバチョフを連想させるようなところもあります。というのも、2009年を振り返るTVの特集などがこの時期あちこちで放送されていますが、そんな中には「オバマが世界を動かした」などと見出しを打ってはしゃいでいる番組もあったのです。しかしアメリカにいた私にはどうもそうは思えなかった。小浜市を初めとして世界は勝手にオバマに期待して動いたかもしれませんが、世界は動いてもアメリカだけはオバマでも動かなかったと言っていいかもしれません。

なぜならオバマの今年は、とにかく、前政権ブッシュの後始末に追われた1年だったからだと思います。チェンジに取りかかろうにも、まずは後始末しなければならなかった。そのためにはリベラル派と保守派との間で、彼は実に慎重な手探りの政策を続けざるを得なかったのです。それははたから見ていてじつに見事な綱渡りのようにも見えましたが、もちろんそれはリベラル派から見ればじつに欲求不満の募るやり方でした。なぜならオバマの1年はまた、国内で3割を占めるコアなこの保守・右派層の心証を害しないように布石を打った1年でもあったからです。

その一例が核廃絶宣言です。プラハ演説で核廃絶を述べたと思ったら、ノーベル平和賞のオスロでの演説では戦争の必要性、正当性をも説いた。じゃあいったいどっちなんだ、と世界は戸惑っているようでした。

しかし、アメリカではあのプラハ演説、画期的な宣言ではあったがだれも直近の問題とは受け取らなかったのです。つまりだれも真に受けなかったのですね。これだけ軍事・兵器産業が肥大化している大国が、ギアをシフトしてハンドルを回すにはものすごい時間とエネルギーが必要であることをみんな知っているからです。そんなことでははしゃげない。

あれは短期的視野ではなく、彼一流の理想論でした。ノーベル平和賞の委員会はおそらく賞のダイナミズムを彼のリベラリズムの推進力の1つとして加勢したいと思ったのでしょうが、あれは米国内ではむしろやぶ蛇だった面もあります。賞の受諾スピーチでニコリともしなかったオバマ自身がそれを痛いほど感じていたはずです。だからオスロではああして「正しい戦争」を言葉にしたのです。あれは、世界への演説ではなくて米国の保守右翼たちへ向けた演説でした。米国の大統領はかくも自国の、自国のみの国益を考えて行動するものだということをまざまざと感じさせてくれた演説でした。

イラク戦争からの撤退もそうでした。これは保守強硬派からは非難囂々でしたが、その顰蹙を買うのを避けるために戦争自体はやめられなかった。つまり、アフガン戦争にシフトしただけだったわけです。オバマはここでも綱渡りして保守派からもなんらかの安心を勝ち取ったのです。

彼は計算高いのでしょうか? そうかもしれません。同じように3割を占める国内のコアなリベラル派にはオバマ以外の選択肢はないのですから、いくらリベラルな政策が出てこずに苛ついても、それは保守反動からの反発とはまったく意味合いが違います。「裏切り者」となじっても、どこかにオバマへの期待を首の皮一枚でつないでいる、みたいな……。

景気や経済対策も大変でした。リーマン・ショック後の後始末です。GMの破綻。AIGやシティバンクやメリルリンチもそうです。これらを潰すことなく巨額の公的資金を注入しました。これも「大きな政府」を嫌う本来の共和党支持者たちの反発と、大企業優遇に不公平感を募らせるリベラルな民主党支持層と、金融資本で生きている影の共和党支持の金持ちたちの意向との、じつに捩じれた世論の中での決断でした。なのにいま莫大な税金を使って救った金融や保険企業が、景気回復はまだなのに勝手にまた儲け始め、ものすごい高額報酬を復活させ、なおかつ税金を返していないという問題が明るみに出ています。アメリカは失業率が10%なんですよ。どうしてこんな格差が生まれているのでしょう。

にっちもさっちもいかなかったオバマの1年でしたが、じゃあ、まったく成果が出ていないかというと、ここにきて国民医療保険改革がやっと形になってきたということはあります。こないだ、クリスマス前に連邦上院で医療改革法案が可決しました。これは大変なことです。ヒラリー・クリントンが議会にも出せずに頓挫・失敗した健康保険です。国民保険って、アメリカ社会にとってはほとんど革命にも近い大事業なのです。

なぜにそんな大問題なのかというと、アメリカという国家は、この健康保険問題にも象徴されるように、政府が国民のことについてなんだかんだ出しゃばってやってやる、あるいは規制してくるというのを可能なかぎり否定してきた国なんですね。自助努力をモットーにするというか、もともと国の成り立ちがそうだからなんですけど、とにかくまず自由人、自由な個人という存在があって、その後に国が出来る。その「国」の政府というのは、自由な個人に対しては最小限な規制しかしない。それが自由な国だ、というわけなのです。銃の規制が進まないのもそういう背景があるからです。

で、健康保険なんていうのも、国が個人の面倒を見るわけでしょ?、するとそれは社会主義的な制度だという批判が起こる。この「社会主義」という言葉は、アメリカではもう悪の権化みたいな響きです。ずっと米ソ冷戦構造で育ってきたひとたちですから、頭の中で「社会主義=悪者」という刷り込みが出来上がっています。

で、オバマに対して批判する人たち,保守・右翼層というのは、これはおそらく彼が黒人だということも深層心理にはあるんだと確信してるんですけど、「オバマはは社会主義者だ」という大々的な批判キャンペーンを繰り広げてきたのでした。オバマをヒトラーになぞらえる批判キャンペーンもありました。ヒトラーも国家社会主義政治家として登場してきたわけだからでしょう。まあ、ほとんどデマみたいなレベルの批判だったのですが、これが米国内ではけっこう功を奏したわけです。そこにFOXTVなどという保守メディアまでが結託して支持率は急落したわけです。

保守派からのオバマ批判はそれはそれは大変な1年でした。

そしてそんな中で、普天間が出てきたのです。

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よく日本の新聞の見出しなどで出てくる「米政府が不快感」というのは、まずはこうした背景を理解しておく必要があるでしょう。つまり、「もー、こんなにあちこちでめっちゃ大変なのに、えー、今度はニッポンまで? なんでだよー? いままではぜんぜん文句も言わなかった安全パイだったのに、よりによってなんでこんな大変なときに一度合意したことを急にダメって言ったりするわけえ?」ってなことです。アメリカの政治家も官僚も人の子ですからね。

鳩山政権の発足当初の、というか普天間合意見直し発言の当初の米政府の反応はまずはそういう次元でした。ぼやきレベルなのではっきり「不快感」を示すのも大人げないからオバマ政権だって時間稼ぎで成り行きを見ていたのです。そのうちに日本のメディアが米「側」の不快感を先取りしていろいろ言い出します。それに反応してアメリカのメディアも加わり、同じネタを日米のメディア間で紹介し合ったり孫引きしたりでたらい回しすることになります。そのうちにオバマ政権内でもそれまでの心理的なぼやきから派生したいろいろな理論武装が始まります。理論武装したらあとは言ってくるだけです。

で、そこからなのです。話し合いというのは。

普天間の問題は、基本的に2つの問題に集約されます。

1つは、20年後の日米同盟と、20年後のアジアと世界の安全保障がどうなっているかという問題。
もう1つは、沖縄に基地が集中している問題。

沖縄の基地集約問題はいずれ解決しなければならない問題だと言い続けてもう数十年経ちました。自民党政府は解決をずっと先送りしてきたのです。したがって、これを解決するときはつねに「何でいま?」という抵抗が起きます。それはもう宿命です。つまりこの「唐突感への抵抗」は、この問題に関する新しい障害ファクターではない。それはすでに織り込み済みのこととして考えるべきものなのです。

つまり、沖縄の基地負担は軽減しなければならない。これはすでに至上命題です。異論はない。では次の問題はいつ、どのように、ということになってきます。

それを20年後の日米同盟と、20年後のアジアと世界の安全保障に絡めて考えなければならないのです。その場合、沖縄の基地、日本国内の米軍基地そのものの存在意義にまで立ち入って考えていかなければならない。

沖縄の基地の役割は、冷戦構造下での共産主義体制への防波堤という意味からは大きく変わっています。当時は中国・ソ連が相手だった。でも今は違う。中東への中継地、あるいは北朝鮮への即応基地。でもね、普天間移設の海兵隊というのは、ぜんぜん即応部隊ではないんです。この無人遠隔攻撃の時代に、海兵隊というのは今でも最も勇敢な人的作戦展開の部隊なのです。つまり即応ではなく、最後に乗り込んで残る敵を殲滅するのが役割。するととうぜん沖縄にいなければならない部隊ではない、という結論になるのです。

さらに言えば、20年後を見据えた東アジアの安全保障は、すでに中国の協力なしには不可能です。アメリカが8000億ドルも中国に国債を買ってもらっている現在、いったい米中のどんな「有事」が成立できるのでしょう。北朝鮮問題だって、沖縄の基地なんかよりも中国こそが有効なのです。こないだの中国の副主席の天皇面会問題も、政治利用と言われましたが、これは深く国家の安全保障の問題のように見えます。戦争が始まるかもしれないときに、天皇をも総動員してその戦争を回避しようとするのは、それは政治利用とかそういう卑小な問題ではないのではないか。

そんなこんなの事情が背景にある普天間問題です。アメリカの、オバマ政権の都合を斟酌して「米政府が不快感」というのは、あまりにも問題を矮小化している。

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前述しましたが、アメリカはもとよりどの国だってまずは自国の利益にのみ則って外交を展開します。もちろん相手への斟酌は必要ですが、それは交渉の中ではぜったいに表立って出してはいけないのが常識です。ところがどうしても日本外交は笑顔外交なんですね。相手の気持ちを先取りして、ついつい退いてしまう。

もともとこの普天間・辺野古の移転にしても、3年前の日米合意に先立ってアメリカには全部グアムに移転するというオプションもあったのです。なのに当時の自民党政府と防衛庁は、まあ、急に全部いっぺんに行かれちゃ日本の安全保障もおぼつかなくなるし日本側の準備だって間に合わない、そんなにドラスティックなシフトではアメリカ側の負担にもなるだろうと考えた。で、日本側として普天間案をプッシュしたのです。アメリカとしては「そんなにまでおっしゃるのなら」ですよ。「じゃあ普天間で行こう。せっかくの思いやり予算もあるし、日米地位協定もある。そこまでいわれて据え膳食わぬは」です。カモが葱しょってるみたいなのですから。

アメリカの交渉というのはこれなんです。元々相手側からの思いやりなどは期待していません。交渉における品やカモネギなどは期待してないのです。アメリカ側が期待するのはじつはカウンターオファーです。えげつなくとも、それが交渉するときの役割分担です。言い合うことを第一の前提にして、その中でより良い結論を探り合う。これは裁判の検察と弁護人との立場にも似ています。どんなに悪いやつでも弁護人はそいつのいいところを言い立てるのが仕事ですし、どんなに情状酌量があろうとも検察は悪いところを言い募るのが仕事です。そういう中から結論を導き出すシステム。

交渉とはまさにそうなのです。心を鬼にして、そういう立場で言い立てる、吹っかける、吹っかけ返す。それがどうも日本人には分かっていません。外務省の官僚がワシントンの連中と交渉するのを見たことがありますが、彼らも分かってないんじゃないでしょうか? だいたい、議論に臨むときに笑顔を見せるということからしてダメなのです。官僚たちはみんなええとこのボンボンみたいになってしまって、ニコニコ相手の顔色をうかがいながら日本側の主張を出している。そんなことをずっと続けてきたのです。笑顔を見せていると、アメリカ人は「何が可笑しいんだ? なんか笑えることがあるのか?」とマジに思うんですよ。笑顔は彼らにとっては挨拶ではないのです。笑顔は「笑っちゃうこと」の表示なのです。ましてや交渉の潤滑剤ではけっしてありません。

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私は、極論を言えばアメリカが「世界の警察」を標榜するなら、日本は「世界の消防」を標榜すればよいのにと思っています。どうして日本は平和憲法を盾にして「日本は世界の消防だ」っていわないのかなあ、って思っています。

警察は権力をまとうので人に嫌われることもやらねばならないこともある。でも、消防を恨む人なんて、いませんよ。消防署、消防団員は、尊敬されることはあっても「消防出て行け」なんていわれたことはない。

アフガンでもイランでもイラクでも、日本は消防なんだ、サンダーバードの国際救助隊なんだ、って宣伝すればいいんです。それは最大の武器です。そんな人たちに鉄砲向けたりしたら、バチが当たる、そう思ってもらうことです。それがアメリカの手先と思われるから一緒になって攻撃されたり殺されたりする。警察と消防を、日米で分担するんですよ。それが何よりもこれからの安全保障の基盤だと思っています。丸腰で、もくもくと火を消し、人を救助し、復旧を手伝う。それを宣伝することが一番の,ソフトとしての実に有効な防衛手段なのです。軍服を着ている人間を攻撃するやつはたくさんいますが、丸裸の人間に切りつけられる人はそうはいません。まあ、丸腰で戦場に臨むというのは、ものすごく勇気の要ることですがね。

そういう立場に立って、私は沖縄の、日本国内の米軍基地はなくなるべきだと思っています。まあ、なくならないだろうという現実認識を担保にしている嫌いもなきにしもあらずですが、だからこそそう言い続けています。

December 14, 2009

年越しの果てに見えてくるもの

小沢幹事長の600人大訪中団や習近平中国副主席の天皇会見設定などを見ていると、普天間移設問題で結論を先送りにしている日本の民主党は、実は東アジア全体の安全保障の根本的再構築を狙っているのかと思ってしまいます。膨大な国債依存関係の米中接近を横目に、米中だけでは決めさせないぞとも言わんばかりの日中接近。

にもかかわらず日本での報道は相変わらずです。普天間先送りでは「米国が激怒」とまるで米政府の代弁者のような論調。小沢訪中団に関しても「民主党の顔はやはり小沢」と、些末な党内事情へと矮小化して報道する。

普天間問題で日本の新聞に登場する米国のコメンテイターたちはマイケル・グリーンやアーミテージなどだいたいが共和党系、あるいはネオコン系の人たちで、従来の「揺るぎない」日米関係、つまり「文句を言わない日本」との日米同盟を前提としてきた人たちです。メディアは彼らを「知日派」と紹介して鳩山政権の対応の遅れやブレを批判させているのですが、彼らの「知日」は自民党政府と太いパイプを持っていたという意味であって、「知日」というより自民党政権のやり方に精通しているという意味なのです。だから、民主党政権の(不慣れな)やり方に、やはり彼らも不慣れなために、「前のやり方はこうではなかった」という戸惑いや批判を口にしているにすぎない。その証拠に、自民党に同じ質問をしてごらんなさい。彼らと同じコメントが出てくるはずです。新聞は、そんな浅薄な、というかいちばん手近なやり方で論難しているのです。

米国のルース駐日大使に関してもそうです。岡田会談から始まる政権との会談で対応の遅れに不満表明と報じられていますが、大使というのも指名ポストながらも役人なのです。米政府の役人が米政府の従来路線の踏襲とその事務的な執行を目指すのは当然であって、これまでに決まった米国の立場を説明する以外の権限がないのだから「困った」と言うに決まっています。それ以外、何を言えるのでしょう? まさか、「わかった、私が政策転換をオバマに進言しよう」と言いますか? それが「ルース大使、声を荒げる」とか、見てきたような作文まで“報道”する新聞もありました。

米国のメディアは米国の国益を基に主張しますが、日本のメディアまでが米国の国益を主張するのはいったいどういうねじれなのでしょう。

普天間問題では、日米の取り決めは「合意」であって「条約」でも「協定」でもないのだから、それを検討し直すのは実は外交上は「あり得べからぬこと」ではないのです。もちろん重要な日米関係、事は慎重に進めねばなりませんが。

しかし8000億ドルもの米国債を保有する中国を抱えて、米国の東アジア安全保障の概念も、冷戦時とは大きく様変わりしています。日中の経済関係もますます重要になってきます。「対共産主義の防波堤」だったはずの日本の米軍基地の位置づけも、いまや不安定な中東への東側からの中継地へとシフトしています。沖縄に80%を依存する日本の米軍基地とはいったい何なのか? それは果たしてそもそも必要なのか?

日米中の3国によるここでの新たな枠組みの構築は、21世紀の枢要な安全保障へと発展するはず。小沢はそのあたりを見据えているのではないか? あるいはまた、鳩山の「常駐なき安保」という路線はあながち今も生きているのかもしれません。その枠組みの中で沖縄をどうするのか、そう考えるとこれは性急に結論を出せるものでもないのかもしれない。

習近平副主席の天皇会見で中国に貸しを作った民主党は、まずは直近の安全保障問題である北朝鮮に関して何かを狙っているのではないかといううがった見方もできます。政府要人か党首脳の電撃訪朝と拉致問題の解決・進展なんていうのもあり得ない話ではないかもしれません。新年に向けて期待したいところです。

October 26, 2009

デモクラシー・ナウ!

デモクラシー・ナウ!という米国の独立系ニュース報道サイトがあります。けっこう人気のあるメディアで、大手メディアの報道しないことをいつも丁寧に取り上げ、解説し、関係者にインタヴューして紹介しています。この6月にはゲイの従軍禁止政策に関しても放送しました。

このサイトの日本語版サイトもあって、じつはここにわたしも翻訳と監修で関係しています。その6月のゲイの従軍問題のインタビュー放送が日本語字幕付きでさきほどやっと公開されました。字幕作業で時間がかかるのでタイムラグがあるのはしょうがないのです。みんな、ほとんどボランティアスタッフが作業を進めているので、ご寛恕を。

さて、表題の話題は、10月11日にワシントンで行われた平等を求める政治行進の企画者であるあのクリーヴ・ジョーンズ(ミルクの映画でも出てきました)へのインタビューから始まります。ジョーンズのこのマーチへの思いやハーヴィー・ミルクとの関係が語られます。
http://democracynow.jp/submov/20090619-2

2回に分けて放送されています。後半が「ドント・アスク、ドント・テル(上官や同僚はその人が同性愛者であるかどうかを質問ないし、ゲイの兵士も自分からそうだと公言もしない限りにおいて、同性愛者も従軍できる)」とした従軍規定に関するものです。
http://democracynow.jp/submov/20090619-3

どうぞ時間のあるときにでも視聴してください。
米国では、メディアもこうして性的少数者の人権問題に正面から取り組んでいます。

October 13, 2009

平等を求める全米政治行進

毎年10月11日は米国では「全米カミングアウトの日 National Coming-Out Day(全米カミングアウトの日)」とされています。もっとも、これはべつに政府が定めた記念日ではありません。アメリカのゲイ・コミュニティが、まだ自分をゲイだと言えない老若男女に「カム・アウトする(自分が同性愛者だと公言する)」ことを勧めようと定めた日です。今はゲイだけでなくLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)と総称される性的少数者全体のカムアウトを奨励する日として、この運動はカナダや欧州にも広がっています。

その制定21年目に当たる今年の10月11日(日)、快晴のワシントンDCで数万人の性的少数者とその支援者を集めて「The National Equality March(平等を求める全米政治行進)」が行われました。日本ではほとんど報じられませんが、性的少数者たちの人権問題は米国では最大の国内的政治課題の1つです。

若い人たちがことのほか多く参加しています。なんか、ヒッピー・ムーヴメントみたいな格好をした人たちもたくさんいますね。このビデオの最後にはあのハーヴィー・ミルクの“弟子”であるクリーブ・ジョーンズも登場しています。インタビューアーが、このマーチが終わってみんな帰ってから何をすればよいか?と問いかけています。クリーブ・ジョーンズはすべての選挙区で自分たちの政治家に平等の希望を伝える組織を作るように勧めています。「私たちはこのマーチをするために組織化したのではない。組織化するためにマーチしたんだ」と話しています。

ところで National Equality March のこの「平等」とは、現在最大の議論の的である「結婚権の平等」をめぐってスローガン化しました。同性愛者たちも同じ税金を払っている米国民なのだから、同性婚も異性婚と同じく、平等に認められて然るべきだという議論です。そこから、これまで取り残してきた「雇用条件の平等」や「従軍権の平等」も含めて、LGBTの人権を異性愛者たちと等しく認めよという大マーチが企画されたわけです。

この行進の前日10日、オバマ大統領はLGBTの最大の人権組織ヒューマン・ライツ・キャンペーンの夕食会で演説し、選挙期間中の公約であった「Don't Ask, Don't Tell(訊かない、言わない)」政策の撤廃を改めて約束しました。

これはクリントン政権時代に法制化されたもので、それまで従軍を禁止されていた同性愛者たちが、それでも兵士として米国のために働けるように、上官や同僚たちが「おまえはゲイ(レズビアン)か?」と聞きもしないし、また本人が自分から「自分はゲイ(レズビアン)だ」とも言ったりはしない、と取り決めた規定です。つまり、ゲイ(レズビアン)であることを公言しない限り、ゲイではないとみなして従軍できる、としたもので、オバマ大統領は選挙戦時点からこれは欺瞞だとして廃止を宣言していました。ところがいまのいままでオバマ政権は、撤廃に向けての手続きを具体的にはなにも行っていなかったのです。

ノーベル平和賞とは、和平・平和への取り組みだけでなく人権問題での活躍に対しても表彰されます。まあ、まさかそれが後押ししたのでもないでしょうが、今回の公約再確認は、いつどのように具体化されるのか、見守っていきたいと思います。

ところでいまCNNが、カリフォルニア州での「ハーヴィー・ミルクの日」の制定に拒否権を行使するとしていたシュワルツェネッガー州知事が、一転、拒否権行使を否定し、制定を認めると発表したというのを報じていました。今も全米で同性婚の権利を勝ち取ろうという闘いが議会や住民投票の動きの中で続いています。

おそらく明日13日、デモクラシー・ナウ!という独立系報道メディアの'日本語版翻訳サイト'で、6月に放送されたLGBT問題のインタビューもアップされると思います。直接のリンクがわかったらここでも貼付けるようにします。

September 08, 2009

鳩山論文、その2

なにせこんな明確な政権交代は初めてのことなので、バタバタしているのは当事者だけでなくメディアも同じようなものです。岡田さんが外相と発表されるや、共同通信は米政府に「好感と懸念が混在」として、「野党代表の経験はあるものの政府機関を取り仕切るポストについたことがなく行政感覚が未知数である点を不安視する見方も」と配信しています。

しかしよく考えればそんなのは当たり前のことで、字数を費やすほどの情報ではない。どうもこの種の「言わずもがな」や「蛇足」の原稿が目につきます。その最たるものが例のNYタイムズ電子版で紹介された鳩山論文をめぐる顛末でした。

この前のエントリーでおかしいと書いたんですが、まあ、だいたい私の推測どおりでした。あれは寄稿ではなかったのですね。ちょっとこの顛末をまとめてみましょう。

最初に噛み付いたのは産経新聞です。鳩山代表が「寄稿した論文に対し米専門家らから強い失望の声」という記事で、同論文に対し「アジア専門の元政府高官は『米国に対し非常に敵対的であり、警戒すべき見方だ』とみる。米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)のニコラス・セーチェーニ日本部副部長は『第一印象は非常に重要で、論文は民主党政権に関心をもつ米国人を困惑させるだけだ』と批判。『(論文を読んだ)人々は、日本は世界経済が抱える問題の解決に積極的な役割を果たすつもりはない、と思うだろう。失望させられる』」と紹介したのです。

ここで紹介されるコメントはCSISのアジア上級部長だったマイケル・グリーンなど、ブッシュ前政権の安全保障政策を担ったサークルです。まあ当然ながら自民党=共和党外交に精通した人たち。つまり、まず鳩山外交への疑問と批判ありき、のメンツなわけです。

さすがは「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」と公的メディアで発言した記者のいる新聞社、「失望」を語る人に「失望」をコメントさせたに過ぎません。しかもこのコメント者たちはこの「寄稿」が実はNYタイムズに寄稿したものではなく、鳩山氏が日本の月刊誌「Voice」9月号に寄稿した日本国内向け論文を、通信社が適当に抜粋して配信したものだということを知らなかった。ネタ元の精査なくあたかも「米国側」の代表のようにコメントするというチョンボは、研究者としていかがなものか。

もっとも、(前エントリーでも書きましたが)電子版でも「オプ・エド」という投稿ページでの掲載でしたから、鳩山氏の「寄稿」と勘違いするのもそう非難できません。でもなんだか変だった。なんでまたこんな時期(選挙直前の8月27日付)に唐突にこんなものをNYタイムズなんかに“寄稿”したのか意味がわからなかったからです。さらにおかしなことに、文末に「 Global Viewpoint/Tribune Media Service」と付記があった。これは通信社の配信を示唆します。テキストの冒頭には確かに「By Yukio Hatoyama」とあったが、それは筆者名のことであって寄稿ではないのではないか、と気づくべきでした。まあ、批判のネタを見つけたと気が急いたのでしょう。

さて、では実際の米側の受け止めはどうなのでしょうか?

米国の民主党は、腹芸の共和党に比べ、人権や環境問題などわりと大義名分や理想論を打ち出して行動する政党です。しかも外交というのは議論から始まります。核持ち込み密約など、異常だったこれまでの日米関係を正常化するためにもどんどん言葉を交わす、そんなディベートができる信頼関係が成立すれば、米国にとっても頼もしい日本であるはずなのです。つまり岡田外相に求められるのは、共同配信で「不安」とされた「行政感覚」などではなく、むしろ議論の能力なのです。

そのあたりを先日、東京新聞特報部の記事でコメントしたので、ここにも転載しておきます。

東京090905.jpg

September 02, 2009

鳩山論文 on NY Times

鳩山論文のNYタイムズ寄稿あるいは転載の問題、なんで日本のメディアはNYタイムズに直接聞かないんだろう? 聞けばすぐにわかるのに。

読売は次のように書いてるけど、これ、せっかく電話取材してるのに、意味わかんない。
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民主・鳩山氏「米紙論文、反米ではない」

 鳩山代表は31日、党本部で記者団に対し、米国のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された鳩山氏の論文が米国内の一部から批判されていることについて、「決して反米的な考え方を示したものではないことは、論文全体を読んでいただければわかる」と強調した。

 論文は、米国主導のグローバリズムや市場原理主義を批判し、アジア中心の経済体制の構築などを主張している。鳩山氏は「寄稿したわけではない。(日本の)雑誌に寄稿したものを、抜粋して載せたものだ」と述べた。論文は日本の月刊誌「Voice」9月号に掲載されたもので、英訳は鳩山事務所で行ったという。同紙関係者は本紙の電話取材に対し、「紙幅に合わせて短縮し、いくつか不明瞭(めいりょう)な単語を変えたが、内容で本質的なことが編集で変えられたことは断じてない」と強調した。

(2009年8月31日22時04分 読売新聞)

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ね、何言いたいんだかわかんない記事でしょ。鳩山事務所が行った「英訳」ってのはVoiceの論文の英訳のことで、これはすでに鳩山サイトで公開済み。それを寄稿したのかしてないのか、って肝心部分をタイムズは応えてない(読売は聞いていない、あるいは字にしてない)し、そもそも「同紙関係者」ってだれよ? この記事、オレがデスクなら突っ返すわ。

とにかくあの“寄稿文”、NYタイムズの体裁では著者が By Yukio Hatoyama ってなってて、しかもOP-ED(opposite editorial page)っていう普通は寄稿などを載せるページに掲載してあるから、最初に報じた毎日が「鳩山側が寄稿した」ってとるのはまあ、宜なるかな、なんですがね、しかし、そういう寄稿文にしては不思議なことに、最後に「Global Viewpoint/Tribune Media Service」って添え書きがあるんですわ。これ、普通、コピーライトとか書き添える位置なんです。

これ、ウェブサイトからのスクリーンショットです。かの“寄稿文”の最後の部分です。
で、これにはね、「この論文のもっと長いバージョンは日本の月刊誌「Voice」9月号に掲載された」ってあるんですわ。これもおかしいわね。つまりこれが抜粋なのか、それとも端から長短2つのバージョンが用意されていて、それでこれはその鳩山本人が書いた短文バージョンなのか、ってこともわからん。

hatoyama_end.jpg


ですから、私としては、この、何気なく付記されている「Tribune Media Servise」がサービス(仲介)したんじゃないのかね、って思ってる。鳩山論文の英文はもともとあるわけだから、それをトリビューンの部局が鳩山事務所の了解を取るか取らずか、これは重要ってことで配信頒布した。で、トリビューンかNYタイムズが(読売は「同紙」って書いてたけど、わたしとしてはトリビューンが配信してるならふつうは前者だろうなあと思う)字数の関係でずいぶんと端折って(じゃっかん、英単語の入れ替えもあるようだけど)、アメリカに関係する議論のありそうな部分だけを抜粋した。鳩山事務所としてはそこまで明確に抜粋引用の条件を提示していなかった(これは甘いけどね)、って感じなのではないのだろうか?

しかし、それにしても、NYタイムズが「By Yukio Hatoyama」として彼が直接寄稿したような体裁にしたのは、これはほんと、まずいと思う。 それも、最後の「Global Viewpoint/Tribune Media Service」の付記を、何の説明もしていないというのも、姑息な感を否めない。それとも、こういうの、今までたくさんやっていて、慣例になっていることで、わたしがたまたま見逃し続けていたってことだけの話なのかもしれないですが。

だからこれは直接タイムズのOP-EDの担当者に取材すべきなんですわ。
わたしなんぞの個人がやっても時間かかるので、だれかやってくださいな。
てか、わたしこれから飛行機に乗ってまた東京なので、やれないのです。

ネットではいろいろとみなさん憶測で持論を展開しているが、そんなの屁にもならん。ちなみに、わたしの上記の憶測も、何の意味もないです。あしからず。

July 14, 2009

代弁者のいない死

死んだという事実すらもがなんだかステージ・パフォーマンスのようにメディアに横溢して、なにをどう考えればよいのかしばらくじっとしているしかなかった。それはまだ続いているけれど、さっきYouTubeでマドンナの欧州ツアーのステージを覗き見たらマイケルのそっくりさんの日本人パフォーマーが登場していて驚いた。そのうち、あ、こういうことなんだと気づいた。

ぼくは70年前後のスーパーハードなロックの時代に思春期を過ごしてきたせいで、80年代に入ってからのミーハーで商業主義なポップの時代にはほとんど同時代の音楽を聴かなくなった。それでもマイケルの「スリラー」のカセットテープ(!)はちゃんと買っていて、新人新聞記者としてかけずり回る中古車の中でほとんどエンドレスで繰り返し聞いていたものだ。なにせ世界で1億枚売れたんだから、ハードロックなぼくでさえその1人であってもおかしくはない。

でもだからといってMJに特別な思いがあったわけじゃなかった。みんながすごいすごいと言う「ビート・イット」にしても「バッド」にしても「ヒストリー」の短編映画にしても、コンセプトはこっぱずかしいくらいに子供っぽいし、そのうちにこの人の奇行ばかりがニュースを賑わし始めた。「キング・オブ・ポップ」だったMJは、次にどんな曲を出すのかよりも、次はどんな顔になっているのかのほうが話題になった。そうして例の男児性愛疑惑。MJは奇人変人の代名詞になった。彼のセックスにみんなが、というか、ぼくも思いを巡らせた。彼はゲイなのか、ペドフィリアなのか。まあ、それはそのうちぼくにとってはどうでもいいというか、きっと彼は性的少数者ですらなくて、少数者どころかひょっとしたら性的希有者、単独者かもしれない、とかまあ。

でもそれは社会的にはどうでもよいことではなくて、死んだ直後もテレビがそうしたゴシップをあえて無視するように彼を讃えれば讃えるほど、ぬぐい去れないスティグマ(穢れ)が影のように暗く向こうに佇んでいるような気がした。

でもさっき、現在進行中のマドンナの欧州ツアーで、マドンナの曲のメドレーの中で急にMJの「ビリー・ジーン」が流れ、日本人のMJソックリさんがそれを踊るのを見ていたら、ああ、マドンナはこうしてMJを追悼してるんだと思った。それでちょっと切なくなった。べつにマドンナもぼくにはお気に入りでもなんでもないのだが。

田村隆一はかつて「新しい家はきらい」だとしてその理由を「死者とともにする食卓もな」いからだと言った。詩人の谷郁雄はそれを引いて「詩人の仕事とは、生と死の間に境界線を引くことではなく、死者を日常の中に蘇らせることだ」と書いた。これは友人の張由起夫くんの指摘だ。

MJ以外にいま、世界中のどの世代も知っている「スター」はおそらくマドンナしか残っていない。MJもマドンナも、YouTubeもMP3もない「古い家」で育ってきた最後のスーパースターだ。マドンナはそんな同胞を「食卓」ならぬステージに蘇らせて追悼しようとしたのだろう、と張くんは言う。

YouTubeやオンライン市場はいま数限りない多くの才能に開放されているし、それらは実際に流通してもいる。でもその選択肢が多ければ多い分だけ、MJのような普遍的なスーパースターはもう誕生できない。MJですら、MJであることができない時代になっていたのだ。

オースン・スコット・カードの小説に「死者の代弁者」という長編がある。死者の思いを継ぐ者としての代弁者を描いた名作。でも、マイケルのような死者には代弁者もいない。だれが何と言おうと、あの歌と踊りは、彼以外にはできない。

代弁者のいない死。死の直前のリハーサルの動きを見て、本当にそう思った。彼は、永遠に喪われた唯一無二の何物かだったのだと今さらながら気づいた。それでいますこし、ぼくは立ちくらんでいるのだ。

June 04, 2009

Happy Pride Month

6月はプライド月間。しかも今年はストーンウォール・インの反乱から40周年のビッグイヤーです。NYでもいろいろなイヴェントが目白押しです。iTuneストアにもレインボーマークのゲイプライド・コーナーが設置されて、この辺はビジネス、さすがにうまいね。

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大統領のバラク・オバマと国務長官のヒラリー・クリントンがそれぞれ、このプライド月間を祝福する声明を発表しました。ブッシュ時代はパスされていましたが、クリントン時代から9年ぶりの復活です。

まずは大統領声明から。

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Forty years ago, patrons and supporters of the Stonewall Inn in New York City resisted police harassment that had become all too common for members of the lesbian, gay, bisexual, and transgender (LGBT) community. Out of this resistance, the LGBT rights movement in America was born. During LGBT Pride Month, we commemorate the events of June 1969 and commit to achieving equal justice under law for LGBT Americans.

LGBT Americans have made, and continue to make, great and lasting contributions that continue to strengthen the fabric of American society. There are many well-respected LGBT leaders in all professional fields, including the arts and business communities. LGBT Americans also mobilized the Nation to respond to the domestic HIV/AIDS epidemic and have played a vital role in broadening this country's response to the HIV pandemic.

Due in no small part to the determination and dedication of the LGBT rights movement, more LGBT Americans are living their lives openly today than ever before. I am proud to be the first President to appoint openly LGBT candidates to Senate-confirmed positions in the first 100 days of an Administration. These individuals embody the best qualities we seek in public servants, and across my Administration -- in both the White House and the Federal agencies -- openly LGBT employees are doing their jobs with distinction and professionalism.

The LGBT rights movement has achieved great progress, but there is more work to be done. LGBT youth should feel safe to learn without the fear of harassment, and LGBT families and seniors should be allowed to live their lives with dignity and respect.

My Administration has partnered with the LGBT community to advance a wide range of initiatives. At the international level, I have joined efforts at the United Nations to decriminalize homosexuality around the world. Here at home, I continue to support measures to bring the full spectrum of equal rights to LGBT Americans. These measures include enhancing hate crimes laws, supporting civil unions and Federal rights for LGBT couples, outlawing discrimination in the workplace, ensuring adoption rights, and ending the existing "Don't Ask, Don't Tell" policy in a way that strengthens our Armed Forces and our national security. We must also commit ourselves to fighting the HIV/AIDS epidemic by both reducing the number of HIV infections and providing care and support services to people living with HIV/AIDS across the United States.

These issues affect not only the LGBT community, but also our entire Nation. As long as the promise of equality for all remains unfulfilled, all Americans are affected. If we can work together to advance the principles upon which our Nation was founded, every American will benefit. During LGBT Pride Month, I call upon the LGBT community, the Congress, and the American people to work together to promote equal rights for all, regardless of sexual orientation or gender identity.

NOW, THEREFORE, I, BARACK OBAMA, President of the United States of America, by virtue of the authority vested in me by the Constitution and laws of the United States, do hereby proclaim June 2009 as Lesbian, Gay, Bisexual, and Transgender Pride Month. I call upon the people of the United States to turn back discrimination and prejudice everywhere it exists.

IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand this first day of June, in the year of our Lord two thousand nine, and of the Independence of the United States of America the two hundred and thirty-third.

BARACK OBAMA

**

次は国務長官声明。

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"Forty years ago this month, the gay rights movement began with the Stonewall riots in New York City, as gays and lesbians demanded an end to the persecution they had long endured. Now, after decades of hard work, the fight has grown into a global movement to achieve a world in which all people live free from violence and fear, regardless of their sexual orientation or gender identity.

"In honor of Gay and Lesbian Pride Month and on behalf of the State Department, I extend our appreciation to the global LGBT community for its courage and determination during the past 40 years, and I offer our support for the significant work that still lies ahead.

"At the State Department and throughout the Administration, we are grateful for our lesbian, gay, bisexual and transgender employees in Washington and around the world. They and their families make many sacrifices to serve our nation. Their contributions are vital to our efforts to establish stability, prosperity and peace worldwide.

"Human rights are at the heart of those efforts. Gays and lesbians in many parts of the world live under constant threat of arrest, violence, even torture. The persecution of gays and lesbians is a violation of human rights and an affront to human decency, and it must end. As Secretary of State, I will advance a comprehensive human rights agenda that includes the elimination of violence and discrimination against people based on sexual orientation or gender identity.

"Though the road to full equality for LGBT Americans is long, the example set by those fighting for equal rights in the United States gives hope to men and women around the world who yearn for a better future for themselves and their loved ones.

"This June, let us recommit ourselves to achieving a world in which all people can live in safety and freedom, no matter who they are or whom they love."

It will be interesting to see what, if any, statement Obama releases this month considering that most of his campaign promises to LGBT citizens remain unfulfilled.


じつはオバマ政権はいまのところLGBT問題に関しては優先順位が低いようで、すぐにも着手すると言っていた軍隊における「Don's ask, Don't tell」の撤廃もまだです。まずは経済問題、ついでアフガン、イラク、イラン問題、そして北朝鮮、というわけですが、いずれも難問であるため大変です。北朝鮮の最近の核実験とミサイル発射は、まさにそのオバマ政権の目を自分たちに向けさせるための行為なのですが、このままでは本当に核保有国として対等に対峙するという方向性なのでしょう。これは中国も許すはずがないので、次の一手、次の一手と、その都度新たな展開になる。LGBT問題は、だれかに丸投げしないと、いつまでも解決しない。するとそこから支持層に水漏れの一穴が開くかもしれません。

April 30, 2009

豚インフルエンザから新型インフルエンザへ

なんだか知らない間に、日本の報道は全部「新型インフルエンザ」になってしまいましたね。

「豚インフルエンザ」だと、豚肉加工業界が打撃を受けるかもしれないという風評被害回避の措置なんでしょうが、「新型インフルエンザ」だとこのウイルスの発生の理由が鳥だか豚だかはたまた何だか、わからんくなってしまうでしょうに。日本の政府の対応を見ていると(最近、わたし、このMacの上で日本の地上波テレビがオン・タイムで見られる無料ソフト=MacKeyHoleを入手しまして、きゅうに日本のテレビ事情に精通しております)、豚肉関連業界保護の姿勢がわざとらしいくらいに強調されていて、ちょっとなんだかなあって感じがします。もちろんその背後にはアメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉の圧力、つまりはアメリカ農務省からの要請や票田としての豚肉農家の思惑もあるんですが、こちらアメリカではまだそんな言い換えはしていません。Swine Flu は Swine Flu です。これってまた字面だけでごまかそうとする言葉狩りなんでしょうか。まったく、悪しき対応だと思います。

もう一点、日本の報道、とくにテレビは、一方で「正確な情報を」「落ち着いた対応を」と呼びかけてはいるくせに、その一方で豚フルーのニュースにおどろおどろしい効果音やら音楽ジングルをかぶせる。しかも例によって声優気取りのナレーションがまたまた低音恐怖フォントみたいなイントネーション。それはあまりにひどいんじゃないでしょうか? これは報道ですか? それともホラーですか? 視聴者を脅してどうするんでしょう。これをやめるだけでもずいぶんと「落ち着いた対応」が可能になるのではないでしょうか?

だって、まだ豚フルーの死者どころか感染者すら確認されていないのでしょう? 例の横浜の高校生にしたって、30日時点の簡易検査では陰性なのですし。なのにもう、アメリカよりもすごい騒ぎぶりです。アメリカの死者だって、じつは亡くなった男児は豚フルーの発症前から基礎疾患として免疫的な問題を持っていた子だったようです。

いや、この豚フルーが大した問題ではないと言っているのではありません。これは2つの意味で大変な問題です。それは後述しますが、ただ、大した問題ではあるが、同時にこういうのはパニックになってもどうにもならないんですね。どうしようもない。人ごみを避けるって言ったって、避けられない時だってあるでしょう。パンデミック、世界的蔓延の恐れ、と言ったって、これはあのエイズの場合と一緒で、いたずらに恐れて感染者の魔女狩りみたいなことになってもひどいでしょ? 現に、舛添厚生大臣が「横浜の高校生に感染の疑い」と、なんだか「情報の早期発表」なのか「フライング」なのかまたわからんような記者会見を行ったんで、ちょっと休んでる横浜の高校生みんな、あしたから大変ですよね。って、あ、ちょうど週末かつ黄金週間か。

そんなこと言ってもとにかくわかった段階で教えろ、というのは当然です。しかし、ああいう深夜1時半の、ドタバタした発表の仕方しかないもんでしょうか? もっとゆったりした顔で、ふつうに話せなかったものか? まあ、役者じゃなかったということですが、これは困ったもんだなあ。

この点を、産經新聞の宮田さんが的確に指摘していました。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090430/bdy0904300103001-n1.htm

「水際作戦とは感染した人の排除ではなく、可能な限り早い段階で治療を提供するためのものである」というのは、じつに重要な指摘だと思います。宮田さんは日本で最初期からエイズ問題を取材しつづけているベテランジャーナリストです。

ところで、冒頭部分で「アメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉」と書きました。お気づきの方もいるでしょうが、この3国は、NAFTA(北米自由貿易協定)の3国です。昨日の「デモクラシー・ナウ」では、この豚インフルエンザを「NAFTAインフルエンザ」なのだとするこれまた重要な批判が掲載されています。

http://www.democracynow.org/2009/4/29/the_nafta_flu

つまり、豚フルーの背景には家畜産業革命と呼ぶべきものがあるというのです。第二次大戦前は米国でも家禽や豚というのは全米的に裏庭で育てられていたわけで、鶏の群れ(flock)というのは70羽単位で数えられていた。それが大戦後にはHolly Farms, Tyson, Perdueといった大手家禽精肉加工企業によって統合され、ここで家禽や養豚の産業構造は大きく変わることになり、いまは米国内の養鶏、養豚業は南東部の数州に限られるようになった。しかもそれらは大規模畜養で、70羽とじゃなくて3万羽とかの単位です。

このビジネスモデルは世界に広がり、1970年代には東アジアに拡大して、たとえばタイではCP Groupという世界第4位の家禽精肉加工企業が出来、その会社が今度は80年に中国が市場を開放した後に中国での家畜革命を起こすわけです。

そうやって、世界中に「家禽の大都市」「豚の大都市」が出来上がっていった。もちろんこれにはIMFとか世銀とかあるいは政府とかの財政的後押しもあって、借金まみれだった各国国内の弱小酪農家がどんどんと外部の、外国の農業ビジネス大企業に飲み込まれていくわけです。

そして1993年からのNAFTAがある。これがメキシコでの養鶏・養豚業に大きな影響を与えるわけです。結果、そこの支配したのは米国のSmithfield Foodsという企業の現地法人でした。ベラクルス州ラグロリアという小村にあるこの会社の大規模かつ劣悪な養豚環境が、今回のH1N1ウイルスの発生源とされているのです。そりゃそうですわね、なんらの規制も監視システムも設けないでそういう大型酪農工場を貧困国にどんどん設置していけば、何らかの疾病が起きたときにそれは人口過密の大都市で起きたのと同じく大量の二次感染、三次感染へと連鎖して、ウイルスの変異がどんどん進む。そのうちに鳥や人間のインフルエンザ・ウイルスとも混じり合って、やがて人間世界へ侵出してくるのは当然のことと思われます。

先に「2つの意味で大変な問題」と書いたのは、1つは今後の感染拡大の問題ですが、2つ目はこの、産業構造としての食品工業のことです。

つまり、まとめれば次のようなことです。

1)豚インフルエンザに騒いでもあわててもしょうがありません。感染する時は感染する。
2)感染したら早めに治療するだけの話です。
3)感染したからと言って回りがパニックになっても何の意味もありません。
4)元凶は、私たち人間の食を支える農業ビジネスの歪さかもしれませんね。
5)いずれにしても、ニュースにホラー映画まがいのナレーションや音楽や効果音をかぶせるのはもういい加減やめにしたほうがいいです。
6)日本政府も、水際作戦とやらの全力投球はいいけれど、後先考えずこんなんでずっと保つんですか? 疲れてしまってへたったときにふいっと感染爆発って起きるもんなんですよ。長期戦なりの作戦展開をして対応すべきでしょうに。


お時間があれば次のビデオクリップを見てください。
まあね、このクリップにも効果音楽が被されていますけどね。

上のは「Food Inc.」という映画の、下のは「Home」というドキュメンタリー映画の予告編です。


April 13, 2009

ブロークバックはアダルト本?(続報追記)

アメリカのアマゾン・コムがなんだかわからない基準を持ち出して、ゲイ&レズビアン文学を「アダルト」分野に分類してセールスランキングから外すという愚挙に出ています。アダルト本、つまりエロ本ですね、そうやってセールスランキングの数字がなくなったのはジェイムズ・ボールドウィンの名作「ジョヴァンニの部屋」、それにアニー・プルーの「ブロークバック・マウンテン」、ええ、そうです、あのブロークバックです。

Giovanni's room.jpg  brokebackmt.jpg

そうやって外されちゃった著者の1人が何なんだ、ってアマゾンに問い合わせたら、次のような答えともならない答えがメールされてきたそう。

"In consideration of our entire customer base, we exclude 'adult' material from appearing in some searches and best seller lists. Since these lists are generated using sales ranks, adult materials must also be excluded from that feature.
われわれの全体の顧客基盤を検討した結果、「アダルト」な物品は一部の検索やベストセラーリストから除外しています。これらのリストはセールスランク(販売数順位)を基に作られているため、アダルトな物品もまたその扱いから外されることになります。

"Hence, if you have further questions, kindly write back to us.
そういうわけで、まだご質問がある場合は恐れ入りますがまたメールをどうぞ。

"Best regards, Ashlyn D Member Services Amazon.com Advantage"
敬具、アマゾン・コム・アドヴァンテージ、メンバーサービス部 アシュリン・D

まあ、理由説明になっちゃいませんね。

というか、除外対象のアダルト分類というのもいい加減で、LAタイムズによれば

アネット・ベニング主演で映画にもなったオーガスティン・バロウズの「ハサミを持って突っ走る(Running with Scissors)」(アルコール中毒の父と夢想家でレズビアンの母が離婚、精神科医の家で暮らすことになった少年オーガスティンの奇妙な日々を描く青春回顧録)
リタ・メイ・ブラウンの現代レズビアン小説の嚆矢「ルビーフルーツ・ジャングル(Rubyfruit Jungle)」
ヴィクトリア朝のレズビアンを描いたラドクリフ・ヒルの古典的名作「孤独の泉(The Well of Loneliness)」
ミシェル・フーコーの「性の歴史、第1巻(The History of Sexuality, Vol. 1)」
E.M.フォスターの「モーリス」(2005 W.W. Norton版)
アナイス・ニンの「小鳥たち」
ジャン・ドミニク・ボービーの「潜水服は蝶の夢を見る(The Diving Bell and the Butterfly)」(1997 Knopf版)
ゲイの自伝として初めて全米図書賞を受賞(1992年)したポール・モネットの「Becoming A Man(男になるということ)」
ホモフォビアの社会的研究書である「The Dictionary of Homophobia: A Global History of Gay & Lesbian Experience(ホモフォビアの辞書;世界のゲイ&レズビアンの体験の歴史)」
等々……

ところが外れてないのは

デビッド・セダリスの「すっぱだか(Naked)」
ヘンリー・ミラーの「北回帰線(Tropic of Cancer)」
ブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」
ウィリアム・バローズの「裸のランチ(Naked Lunch)」
アナイス・ニンの「愛の日記:近親相姦(Incest: From 'A Journal of Love)」
ミシェル・フーコーの「性の歴史、第2巻〜第3巻」
E.M.フォスターの「モーリス」(2005 Penguin Classics版)
ジャン・ドミニク・ボービーの「潜水服は蝶の夢を見る(The Diving Bell and the Butterfly)」(2007 Vintage International版)
等々……

と、同じ内容で版が異なると扱いが違っていたり、異性愛ものはオッケーだったり、ミシェル・フーコーをアダルト本とするのもすごいけど、「ビカミング・ア・マン」とか「孤独の泉」なんてセックス描写なんかただのひとつもないのですよ。支離滅裂というか、まあ、ゲイとかレズビアンとか付いたものを片っ端からアダルト分類して、とにかくホモレズ徹底除外っていう姿勢ですかね?

すでにこのランキング外しに抗議する署名運動がフェイスブックで盛り上がっています。
米国メディアも騒ぎ始めました。
まあ、いずれすぐにもアマゾンの意図が(さらにはきっと謝罪撤回が)出てくるでしょう。
なんと言い訳するのかしらね。
アマゾンの内部の一部過激分子が勝手にやったこと、とか言うのかしら?
まさかシステムの不具合とかっていうんじゃないでしょうね。
こんな恣意的な不具合なんてないもんなあ。
ちょっと楽しみ。(←意地悪)

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April 08, 2009

歴史的な採決

米北東部のバーモント州の州議会が7日、歴史を作りました。米国史上初めて採決によって同性婚の合法化を果たしたのです。これまでのマサチューセッツ、カリフォルニア、コネチカットの合法化は“過激派の最高裁判事”(By G.W.ブッシュ)による決定でしたからね。

バーモント州議会はじつは3月23日には州上院で、4月2日には州下院でそれぞれ同合法化案を可決していたのですが賛成票は拒否権に対抗できる数にまでは達していませんでした。そこで知事のジム・ダグラスが6日に拒否権を行使しこれを否決。しかし翌7日には、この拒否権の無効化に回る議員が増え、上院では23対5の圧倒的多数で、直後の下院でも100対49と、拒否権の無効に必要な3分の2以上の票を得て同性婚合法化案は再可決されたのです。

下院議長シャップ・スミスがこの最終投票結果を発表すると議場は大きな拍手喝采に包まれたようです。

そしていま、アイオワ州でも4月3日に州最高裁が判事全員一致で同性婚を禁じる州法を違憲とする裁定を行って、こちらの知事は最高裁の決定を尊重すると言っています。ですからこちらも合法化されます。

こうなると、カリフォルニアでのプロップ8が、いまさらながらバカみたいに見えてきます。だってアイオワですよ、アメリカ中部の田舎の代名詞みたいなところ、ハートランドですよ。

こういう、議会での同性婚賛成はここ数カ月でニューヨーク州、お隣のニュージャージー州、メイン州、ニューハンプシャー州でも増えてきています。次はきっとニューヨークとニュージャージーで議会による合法化がなされるでしょう。いやいや、戦いは佳境に入ってきました。

でもそれはすなわち、同性婚反対派がこれでまた恐怖をあおるキャンペーンを強化してくるということです。というか、もう、していますね。

下に映像をくっつけますので見てください。

これはゾンビではありません。死にそうな顔で同性婚合法化を憂う人たちです。すごいセンスです。言ってることも、「この問題をわたしたちの私生活に持ち込もうとしている」「わたしの自由が奪われる」「同性婚を認めない教会が政府によって罰せられる」「同性婚をオーケーと私の息子に教える公立学校の教師たちを親である私はただ黙って見ていることしかできない」ってめちゃくちゃ言いよるねん。揶揄ではなく、ほんとうにこの人たち、精神を病んでるのかしらって心配です。ほんとうに、ちゃんと病院に行くべきです。


March 20, 2009

ハートをつなごう

NHKの「ハートをつなごう」という番組のプロデューサーたちに先日の滞日の際にハーヴィー・ミルクの映画「ミルク」について寄稿を頼まれたのが出来ました。以下のリンクから、選んでください。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/lgbt/kiji/index.html

どうぞご笑読を。

4月の公開が近づいたら、このページでまたいろいろとこの映画製作の舞台裏の話を掲載するつもりです。

わが尊敬する大塚隆史さんもおっしゃってましたが、この映画は、あの、やはりオスカーを受賞したすごいドキュメンタリー「ハーヴェイ・ミルク」と対を為すものですわね。これを機に、そっちもまた多くのひとが見ることになるといいと思います。私もじつは80年代の終わりに新宿ゴールデン街の飲み屋である映画関係の若い人にそのドキュメンタリーをビデオで渡されて推奨されるまで、ミルクという人物についてはほとんど知らなかったのです。てか、情報がなかったんだよね。

おもえばずいぶんといろんな情報がいろんな人の手によって紹介されるようになったもんです。たった20年ですが、隔世の感です。

March 17, 2009

死んでゆく新聞

NYタイムズの本社ビルの一部が売りに出されたり、有名なサンフランシスコ・クロニクル紙が廃刊しそうだとかある新聞は全部オンラインに移行するだとか、「旧メディア」としての新聞の危機が叫ばれています。とはいえ、心配しているのはわたしたち新聞に関わっている者たちだけかもしれません。42%のアメリカ人は自分の住む町からそこの地方紙がなくなっても困らないと答えたことが最近の世論調査で明らかになりました。

べつにアメリカに限った話ではありません。日本でも新聞離れが言われて久しいし、じっさい、若者たちはニュースのほとんどを無料のオンライン新聞で得ています。あるいはニュースそのものをどこからも得ていないのかもしれませんが。

先月、創刊150周年を目前にしたコロラド州デンバーのロッキーマウンテン・ニューズ紙が廃刊に追い込まれました。最終発行日のその日、同紙のウェブサイトには「ファイナル・エディション(最終号)」と称して同社編集部の様子や記者・従業員へのインタビューが動画で掲載されました。

20分ほどのそのビデオで、ある記者が悲しそうな顔で訴えていました。

「新聞がなくなったらこれから誰が質問するんだ? ブロガーは質問なんかしないよ。それでいいのか?」

新聞はこれまで、莫大な金と時間を投資して有意の若者たちを訓練し一丁前のジャーナリストに育て上げてきました。時の権力のさまざまな形に「質問」の力で対峙できるように訓練してきたのです。新聞はしばしば「ペン」に喩えられますが、ペンよりも以前に権力の不正や怠慢や欺瞞を見逃さずに質問し調べ上げる「取材」の力によって支えられていたのです。もちろんその途中で権力にすり寄ったり自分を権力と同一化して弱い者いじめに加担するエセ・ジャーナリストも数多く生まれましたが、勘違いするやつが生まれるのはどの業界でもまあだいたい同じようなもんでしょう。

とにかくいまインターネット上にはそうして得られた情報が無料で開示されています。そうしてそれらを基に、多くの第2次、第3次情報が取材調査もしない手先の情報処理だけでえんえんと生み出されている。

そこには「ペン」だけがあって、その事実を支える種々の努力が欠如しがちです。そうすると何が起こるか? 「ペンは剣よりも強し」ではなく、ペンは剣と同じくひとを傷つける怖いものにも成り果てる。それは「2ちゃんねる」などの中の一部掲示板で繰り広げられる「あらし」や「まつり」にも如実に表れています。先日の日テレの「バンキシャ」虚偽証言タレナガシ岐阜県庁裏金作り報道も、結局はネット情報だけでやっちゃった結果なんでしょう?

だれが事実を検証するのか? だれが権力に対峙できるだけの知識と手法とを駆使して真実を知らせるのか? それはよほどの「ブロガー」でなければできないでしょう。もちろんそれは、よほどのジャーナリストでなければできないことでもありますが、「よほどのブロガー」はそんな「よほどのジャーナリスト」たちの第1次情報をネタ元の1つにしているのも確かなのです。

新聞を殺してもよいのか? そんな問いはしかし無効です。新聞はいずれ死にます。さらに、新聞が何ほどのもんだという批判もあるでしょう。しかし社会構造として新聞社が組織的に担っていた対抗権力の大量生産能力には小さからぬ意義があったと思うのです。

そうやって新聞が行ってきたジャーナリストの製造、つまり「質問」と「調査」の新しい担い手を、わたしたちの社会は早急に見つけ出さねば、あるいは育て上げねばならないのだと思います。

無理かもしれませんけどね。

November 20, 2008

白い結び目 WhiteKnot.org

カリフォルニア、ってわけではなく、アメリカでの同性婚の権利を支持しようという運動が新たな展開を見せています。

その中で、ホワイトノット運動というのが出てきました。
www.whiteknot.org
にアクセスすると詳細が書いてあります。

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つまりこれ、白い結び目を作ったリボンを胸につけて、ゲイへの平等な権利を静かに支持を訴えるもの。

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もちろんあのレッドリボンのバリエーションです。
白いリボンを結ぶってのが、「結婚」にもふさわしいでしょ。
いままさに始まろうとしている運動です。きっと、これは流行るね。
しかし、アメリカ人はこういうの考えるのうまいなあ。

作り方ですよ。

1)長さ15cm、幅2cm〜2.5cmほどの白いリボンを用意する。
2)真ん中部分で2度結びするんだけど、最初の結びをきつくすると2度目の結びで両端がそろえやすいですって。
3)両端を三角に、チョキの形に切り取る。こうするとほつれにくいし、きれい。
4)出来上がり、あとはこれを付けて外に出るだけ。

日本じゃまだだれもやってないでしょうね。
こっちでも始まったばかり。
どうぞお広めくださいな。

ハッカビーというエセ牧師

マイク・ハッカビーがね、あの、共和党の大統領選予備選の候補だった牧師上がりの政治家、前アーカンソー州知事です、「黒人とゲイとは違う」と言ってるんですね。黒人はかつて多くの者がリンチされ吊るされ殺された、と。ゲイは多くの基本的人権をすでに保障されている、と。それが黒人とは違うと。この人は、ゲイが生まれながらのものか後天的なものかはわからないと言いながら(わからないことにはおこがましくも首を突っ込むべきではないのです)、しかし何を為すかはその人の選択によるものだから、同性愛行為はその人の選んだものなのだ、という詭弁を弄しているのですね。知性というものがあるなら、この論理の破綻はすぐにわかるのだけれど、彼のターゲットとする支持者層はむしろそういう論理の瑕疵を探せる知性のないブッシュ的な人たちなものだから、すぐにこのレトリックを真に受けるのです。まあ、牧師というのはそもそもそういう詐欺的な要素がないと不可能な職業なのですけれど。

しかし、どうせ詐欺するなら、嘘でもいいから愛を説けよ、な。

最近、よく見ている朝のトーク番組「The View」からです。
3分過あたりぎから、核心部分です。

この男のレトリックというのはじつに卑劣です。「バラク・オバマはわたしの選択ではなかったが、彼は絶対にわたしの大統領だ」と口火を切った上で、オバマが選ばれたことを「この国は素晴らしい国だ、とても誇りに思う」と、自分の国家観に合わせて我田引水するのです。この国の素晴らしさは、あんた、まさにハッカビー的なものを排除した末に成し遂げられたものなんだよ、おっさん。あんたがそう言うのは違うでしょ。はあ? 自分の手柄にするなよなあ。

そうして「黒人の隔離政策を少年時代に知っている、あれはひどかった」と回顧しつつ、黒人とゲイとを比較してどう思うのかと訊いた左となりのジョーイ・ベイハーの質問に「ホモセクシュアルの人たちもすべての基本的人権を有していなければならない」と断っての冒頭紹介の理屈です。

まったくね、ハーヴィー・ミルクが暗殺され、マシュー・シェパードが磔にされ、いまも各地で有形無形のゲイバッシングが続いて人が死んでいることを、このおっさん、ホモセクシュアルたちはもっと殺されなければ黒人と同じには扱えない、とでも言いたいのでしょうか。きっと、そうなんでしょう。彼を傾聴する支持者たちの潜在意識に、確信犯としてそう訴えかけているのかもしれない。ものすごい卑劣さ、巧妙さ。

ゲイバッシングのことを口にしたジョーイに「じゃあ、クリスチャン・バッシングはどうなのか」と切り返し、これが次元の不利な展開だと気づくや「とにかく暴力はいけない」と納めるのです。

彼は現在、自分のトーク番組も持っていて(もちろんあのFoxニュースです)、この“人当たりのいい”しゃべり口とジョークの“うまさ”とで、次期大統領選に向けて始動しているわけです。今回は知名度に劣って途中で負けましたが、彼は次回の選挙では本命となって、臥薪嘗胆をねらう共和党保守派支持層の票を一手に集めるでしょう。

悪魔は、善意の顔でやってくる、という、彼がその典型的な人物です。

November 17, 2008

オルバーマン翻訳


Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast.

最後に、お伝えしていたとおり先週カリフォルニアで可決された提案8号のことについて特別コメントをします。同性カップルが結婚する権利を廃棄する、というものです。同性婚問題に関する均衡がこれで揺るがされました。全米で、です。

Some parameters, as preface. This isn't about yelling, and this isn't about politics, and this isn't really just about Prop-8. And I don't have a personal investment in this: I'm not gay, I had to strain to think of one member of even my very extended family who is, I have no personal stories of close friends or colleagues fighting the prejudice that still pervades their lives.

前置きとしてわたしの基準を言います。これはエールを送っているのでもなく、駆け引きをしようとしているのでもなく、そして本当は単に提案8号のことでもありません。わたしにはこの問題に関して個人的な思い入れもありません。わたしはゲイではないし、自分の家族親族の中にゲイがいるかと考えると、ずいぶんと範囲を広げても考え込んでしまうほどです。近しい友人や同僚たちの中に彼らの暮らしにいまも影を落とすこの偏見と闘っている者がいる、という私的なエピソードもありません。

And yet to me this vote is horrible. Horrible. Because this isn't about yelling, and this isn't about politics. This is about the human heart, and if that sounds corny, so be it.

しかし、そうではあっても、この投票はひどい。ひどすぎる。なぜならこれはエールでも駆け引きでもなく、人間の心の問題だからです。もしこの言い方が陳腐だと言うならば、そう、陳腐で結構。

If you voted for this Proposition or support those who did or the sentiment they expressed, I have some questions, because, truly, I do not understand. Why does this matter to you? What is it to you? In a time of impermanence and fly-by-night relationships, these people over here want the same chance at permanence and happiness that is your option. They don't want to deny you yours. They don't want to take anything away from you. They want what you want—a chance to be a little less alone in the world.

もしあなたがこのプロポジションに賛成票を投じたのなら、あるいは賛成した人を支持する、あるいはその人たちの表明する意見を支持するのなら、わたしはあなたに訊きたいことがある。なぜなら、ほんとうに、わたしには理解できないからです。どうしてこの問題があなたに関係あるんですか? これはあなたにとって何なんですか? 人と人との関係が長続きもせず一夜で終わってしまうような時代にあって、ここにいるこの人たちはただ、あなたたちが持っていると同じ永続性と幸福のチャンスを欲しいと思っているだけです。彼らはあなたに対し、あなたの関係を否定したいと思っているのじゃない。あなたたちからなにものかを奪い取りたいわけでもない。彼らはあなたの欲しいものと同じものを欲しいと思っているだけです。この世にあって、少しばかりでもさみしくなくいられるようなチャンスを、です。

Only now you are saying to them—no. You can't have it on these terms. Maybe something similar. If they behave. If they don't cause too much trouble. You'll even give them all the same legal rights—even as you're taking away the legal right, which they already had. A world around them, still anchored in love and marriage, and you are saying, no, you can't marry. What if somebody passed a law that said you couldn't marry?

それをあなたは彼らにこう言う──だめだ。そういう関係では結婚は許されない。ただ、行儀よくしているならば、きっと似たようなものなら。そんなに問題を起こさないなら、あるいは。そう、まったく同じ法的権利をあなたたちは彼らに与えようとさえするんでしょう。すでに彼らが持っていた法的権利を奪い取るのと引き換えに。彼らを取り巻く世界はいまも愛と結婚に重きを置くくせに、しかしあなたたちが言うのは、ダメだ、きみらは結婚できない。もしだれかがあなたは結婚できないと断じる法律を成立させたら、どういう気持ちですか?

I keep hearing this term "re-defining" marriage. If this country hadn't re-defined marriage, black people still couldn't marry white people. Sixteen states had laws on the books which made that illegal in 1967. 1967.

ずっと聞いているのは、結婚の「再定義」ということばです。もしこの国が結婚を再定義してこなかったなららば、黒人は白人といまでも結婚できていないはずです。1967年時点で、16の州がそれを違法とする成文法を持っていたんです、1967年に。

The parents of the President-Elect of the United States couldn't have married in nearly one third of the states of the country their son grew up to lead. But it's worse than that. If this country had not "re-defined" marriage, some black people still couldn't marry black people. It is one of the most overlooked and cruelest parts of our sad story of slavery. Marriages were not legally recognized, if the people were slaves. Since slaves were property, they could not legally be husband and wife, or mother and child. Their marriage vows were different: not "Until Death, Do You Part," but "Until Death or Distance, Do You Part." Marriages among slaves were not legally recognized.

この合州国の次期大統領になる人の両親は、彼らの息子がいずれこの国の指導者になろうと成長しているそのときに、この国の3分の1近くの州では結婚できなかったのです。いや、もっとひどいことがある。もしこの国が結婚を「再定義」してこなかったなら、黒人のある人々は他の黒人ともいまも結婚できていなかった。それはほとんどの人々が見逃しがちな、われわれの悲しむべき奴隷制度の歴史の最も冷酷な部分の1つです。なぜなら奴隷は所有物だったから、彼らは法的には夫にも妻にもなれなかった。あるいは母にも子供にもなれなかった。彼らの結婚の誓いは違うものだったのです。「死が汝らを分かつまで」ではなく、「死が、あるいは売り渡される距離が、汝らを分かつまで」だった。奴隷間の結婚は法的には認められていなかったのですから。

You know, just like marriages today in California are not legally recognized, if the people are gay.

そう、ちょうど、カリフォルニアの結婚が今日、もしゲイならば、法的に認められなくなったのと同じです。

And uncountable in our history are the number of men and women, forced by society into marrying the opposite sex, in sham marriages, or marriages of convenience, or just marriages of not knowing, centuries of men and women who have lived their lives in shame and unhappiness, and who have, through a lie to themselves or others, broken countless other lives, of spouses and children, all because we said a man couldn't marry another man, or a woman couldn't marry another woman. The sanctity of marriage.

われわれの歴史の中で、世間に強いられて異性と結婚したり、偽装結婚や便宜上の結婚や、あるいは自分でもゲイだと気づかないままの結婚をしてきた男女は数知れません。何世紀にもわたって、恥と不幸にまみれて生き、自分自身と他人への嘘の中でほかの人の人生を、その夫や妻や子供たちの人生を傷つけてきた男女がいるのです。それもすべては、男性は他の男性と結婚できないがため、女性が他の女性と結婚できないがためなのです。結婚の神聖さのゆえなのです。

How many marriages like that have there been and how on earth do they increase the "sanctity" of marriage rather than render the term, meaningless?

いったいそんな結婚はこれまでいくつあったのでしょうか? それで、そんな結婚がいったいどれほど結婚の「神聖さ」を高めているというのでしょうか? むしろそれは「神聖さ」をかえって無意味なものにしているのではないのか?

What is this, to you? Nobody is asking you to embrace their expression of love. But don't you, as human beings, have to embrace... that love? The world is barren enough.

これは、あなたにとって何なのですか? だれもあなたに彼らの愛情表現を信奉してくれとは言っていません。しかしその愛を、人間として、あなたは、祝福しなくてよいのですか? 世界はもうじゅうぶんに不毛なのに。

It is stacked against love, and against hope, and against those very few and precious emotions that enable us to go forward. Your marriage only stands a 50-50 chance of lasting, no matter how much you feel and how hard you work.

愛は追い込まれています。希望もまた。わたしたちを前進させてくれるあの貴重で数少ない感情が、劣勢にあるのです。あなたたちの結婚は50%の確率でしか続かない。どんなに思っていても、どんなにがんばっても。

And here are people overjoyed at the prospect of just that chance, and that work, just for the hope of having that feeling. With so much hate in the world, with so much meaningless division, and people pitted against people for no good reason, this is what your religion tells you to do? With your experience of life and this world and all its sadnesses, this is what your conscience tells you to do?

そうしてここに、その50%の見込みに、そのがんばりの可能性に、そしてその思いを持てることの希望に大喜びする人たちがいるのです。世界に蔓延する憎悪や無意味な分裂や正当な理由もなくいがみ合う人々を目にしながら、これがあなたの宗教があなたに命じた行為なのですか? これまでの人生やこの世界やそのすべての悲しみを知った上で、これがあなたの良心があなたに命じたことなのですか?

With your knowledge that life, with endless vigor, seems to tilt the playing field on which we all live, in favor of unhappiness and hate... this is what your heart tells you to do? You want to sanctify marriage? You want to honor your God and the universal love you believe he represents? Then Spread happiness—this tiny, symbolic, semantical grain of happiness—share it with all those who seek it. Quote me anything from your religious leader or book of choice telling you to stand against this. And then tell me how you can believe both that statement and another statement, another one which reads only "do unto others as you would have them do unto you."

人生というものが、むしろ不幸や憎悪の方を味方して、私たちみんなの拠って生きる平等な機会を何度も何度も揺るがしがちだと知っているくせに、それでもこれが、あなたの心があなたにこうしろと言っていることなのですか? あなたは結婚を聖なるものにしたいのでしょう? あなたはあなたの神を崇め、その神が体現するとあなたの信じる普遍的な愛というものを栄光に包みたいのでしょう? それなら、幸せを広めなさい。このささやかで、象徴的で、意義のある、一粒の幸せを広めてください。そういう幸せを求めるすべての人たちと、それを共有してはどうですか。だれか、あなたの宗教的な師でもいい、然るべき本でもよい、そんな幸せに反対せよとあなたに命じているものがあるとしたらなんでもいい、それをわたしに教えてほしい。そうして、どうしてその教えと、もう1つの教えの、両方をあなたが同時に信じていられるのかを教えてください。「自分が為してほしきものを他人に為せ」という教えです。

You are asked now, by your country, and perhaps by your creator, to stand on one side or another. You are asked now to stand, not on a question of politics, not on a question of religion, not on a question of gay or straight. You are asked now to stand, on a question of love. All you need do is stand, and let the tiny ember of love meet its own fate.

あなたはいま、あなたの国によって、そしてたぶんあなたの創造主によって、どちらかの側に立つようにと言われています。あなたは、政治の問題ではなく、宗教の問題でもなく、ゲイとかストレートとかの問題でもなく、どちらかに立つように求められているのです。何に基づいて? 愛の問題によってです。行うべきことはただ立つこと。そうしてそのささやかな愛の燃えさしが自身の定めを全うすことができるようにしてやることです。

You don't have to help it, you don't have it applaud it, you don't have to fight for it. Just don't put it out. Just don't extinguish it. Because while it may at first look like that love is between two people you don't know and you don't understand and maybe you don't even want to know. It is, in fact, the ember of your love, for your fellow person just because this is the only world we have. And the other guy counts, too.

べつにそれを手助けする必要はありません。拍手を送る必要もない。そのためにあなたが戦う必要もない。あなたはただ、その火を消さないようにしてほしい。消す必要はないのです。最初はそれは、あなたの知らない2人の人間のあいだの愛のように見えるかもしれない。あなたの理解できない、さらにはきっと知りたくもない2人の人間の愛です。しかしそうすることはあなたの、仲間の人間に対する愛の残り火なのです。なぜなら、私たちにはこの世界しかないのですから。その中でほかの人がそれをこそ頼りにしているのですから。

This is the second time in ten days I find myself concluding by turning to, of all things, the closing plea for mercy by Clarence Darrow in a murder trial.

この10日間で、こともあろうにこのコーナーを、ある殺人犯裁判での弁護人クラレンス・ダローの、慈悲を求めた言葉で閉じるのは2度目です。

But what he said, fits what is really at the heart of this:

しかし彼の言ったことは、この問題の核心にじつにふさわしい。

"I was reading last night of the aspiration of the old Persian poet, Omar-Khayyam," he told the judge. It appealed to me as the highest that I can vision. I wish it was in my heart, and I wish it was in the hearts of all: So I be written in the Book of Love; I do not care about that Book above. Erase my name, or write it as you will, So I be written in the Book of Love."

彼は裁判官に向かってこう言っています。「わたしは昨晩、昔のペルシャの詩人オマール・カイヤムの強い願いについて読んでいました」と。「それはわたしの想像しうる至高の希求としてわたしに訴えかけてきました。それがわたしの心の中にあったなら、そしてそれがすべての人々の心の中にもあったならと願わざるを得ません。彼はこう書いています;故に、我が名は愛の書物(the Book of Love)の中に刻みたまえ。あの天上の記録(Book above)のことは関知せず。我が名が消されようが、好きに書かれようが、ただしこの愛の書物の中にこそは、我が名を記したまえ」

November 12, 2008

キース・オルバーマン

MSNBCのニュースキャスターです。
翻訳してここに載せようとしたのですが、時間がなくて、まずはとにかく掲載したほうがよいと判断しました。
英語のわからない人も、彼の言いたい気持ちは伝わると思います。

自分はゲイでもなんでもないし、家族にもゲイはいないが、あのプロポジション8は、「ホリブル、ホリブル!(ひどい!)」と繰り返します。「これは人間の心の問題だ。この私の言葉が陳腐に聞こえると言うなら、陳腐に聞いていろ」と言います。そして「ゲイたちの愛が、あなたたちに何の関係があるんだ? あなたたちから何を奪うというのだ!」と続けるのです。どうしてそれを規制しようというのか、と。1967年に、アメリカでは黒人と白人の結婚できない州が16州もあった。奴隷は結婚を認められていなかった。あなたはそれと同じ不自由をゲイに強いているのだ、と言っています。

筑紫哲也が死にましたが、「少数派」を援護して来た彼なら、日本でも同じことを言ったでしょうか。
言ったかもしれませんね。勢いや情感は違うにしても。
この提案8号、日本ではあまり話題になっていないのでしょうか。

長いですが、まずは見てください。


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November 06, 2008

オバマの肩にのしかかるもの

これほどまでに人々の夢と希望と祈りとを託させれてしまった男というのは、最近ではついぞ見たことがありません。まるですべての救世主のように、そうではないとわかっているのだけれど。アメリカの民主党支持者、いや、理想主義者たちがいかにこの8年、つまり、ゴアがブッシュに敗れたあの日から、自分たちの国に失望しつづけてきたか、その反動なんでしょう。それはわたしもわかります。8年前のあの深夜、わたしはアパートを出てひとりでずっと地下鉄Dラインの終点までなんのあてもなく電車に揺られてましたし。

オバマの勝利演説は、とてもよかった。でも、彼の顔はとてもシリアスでしたね。笑顔を見せても笑ってはいなかった。それは、このじつに知的で、じつにまじめな男が、この日から今度は本当の戦いに出なくてはならないという覚悟を示していた、あるいは自覚していたということの証左のように見えました。バイデンは満面の笑顔でしたが、そこが正と副との責任の違いなのか、まあ、副大統領までガチガチならさらに大変。

マケインの早々の敗北宣言もまた素晴らしかった、と言う人もいます。アフリカ系アメリカ人の大統領が登場する意味を語って潔かった、と。しかし、負けた人間にそれ以外の何が言えるでしょう。その前日まで、いえ、数時間前まで、彼と彼の陣営はオバマのことをテロリストとつながりがある、白人を敵視する司祭とつながりがある、リベラルすぎて危険すぎる人物だ、と口を極めて中傷していたのです。あるいは、あなたたちが自分で稼いだ富を奪ってそれを社会に再配分しようとする共産主義者だ、社会主義者だ、と。

舌の根も乾かぬ、そのどの口で、オバマを支持するなんて言えるのでしょうね。まあ、マケインが変節したのはいまに始まったことではなく大統領候補になってすぐに保守派のケツの穴を舐め始めてからでしたから、驚くに値しないでしょう。マケインは、あのまま共和党のマーヴェリックでいたらよかったのに、今回の選挙で、サラ・ペイリンを選んだその件も含め、ほんとうに「男」を落としました(共和党の人間への言葉ですからこの性差別的表現も使ってよいでしょう)。

対してオバマはどんどん立派になっていったように見えます。
TV討論会でもCMでも、マケイン側の口撃と挑発には乗らなかった。
個人攻撃というか終盤に入っての集中的な中傷はブッシュ政権のカール・ローブの手法です。
それを逆手に取って、自分をとても抑制の利く、思慮深く上品な、しかも理路整然とした人間だと証明するのに成功しました。

かくして彼は生きながらすべての善的なものの象徴になってしまっています。それも、米国内だけではなくケニアでも欧州でも日本でも、さらにはイラクやイランやパキスタンですら。

黒人初のアメリカ合州国大統領ということで、もし自分が失敗したら次の黒人大統領の芽さえも摘むことにもなる、という恐れすら彼にはのしかかるでしょう。しかし、だから彼が勝利宣言に「1年で、1期で何かを達成することはできないかもしれない」と言ったのではないでしょう。そのあとに、「しかし私はいつもあなたたちに正直でありたいと思う」と続けました。失敗の言い訳の布石を打っておく、のではなく、これはきっと本心だとわたしは思う。

オバマが大統領になって、困るのはブッシュ批判で飯を食っていた私のような物書きとか評論家とか、あるいはコメディアンたちでしょうね。あの可愛い娘たちを見ていたら、オバマはクリントンみたいに不倫をするような気配はまったくないでしょうし、そうするとローブ派の連中はいったいどんなワナを仕掛けてくるのか……。

****

ところでカリフォルニアでは同性婚に住民投票がノーと判断しました。
52.5%対47.5%という票差でした。

そのグッタリ加減は今月20日に発売のバディ誌に書きましたので読んでください。

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ただ、少しだけ言わせてもらえば

19歳〜29歳の投票者は61%までがNO(同性婚禁止に反対)に投票しました。
19歳〜24歳に絞るとさらに上がって64%です。
30歳代以上はいずれも過半数がYES(同性婚禁止に賛成)に投票しました。
背景は、リベラルのオバマ票を掘り起こせば起こすほど、保守的キリスト教徒である黒人票が増えてしまった、というネジレの結果です。

もっとも、そんなネジレがあっても5%ポイント差という数字だった。

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じつは2000年に、カリフォルニアで同様の投票がありました。
そのときは、YESが61%、NOが39%でした。

そんなにグッタリする必要はないのかもしれません。
そう、時間の問題なのです。
もうすぐです。

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サンフランシスコでは今夜、市庁舎前に数千人のゲイ・レズビアンたちが集まってキャンドルを灯しているそうです。

November 05, 2008

オバマ勝利と日本の外交

オバマの勝利演説を聴きながら、選挙ウォッチパーティーを開いていた友人たちが静かに涙を流していました。ボストン大学で先生をやっているやつが私の横に来て「この国もまだ捨てたもんじゃないだろう」と言います。それにうなずきながら、こういう演説のできる大統領を持つアメリカを少しうらやましく思いました。日本にはこんな政治家はいないなあ。小泉は私語がうまかっただけで、演説はうまくはなかったし。

アメリカというのはこうして4年に1度、やり直しのチャンスというか、ダイナミズムの更新というか、そんなモメンタムを作るわけですね。政体自体がそっくり入れ替わるんですから、そりゃすごいもんです。ただ米民主党政権というのは歴代どうも「日本に冷たく中国を重視する」傾向にあると言われてまして、それを心配する向きもあります。しかし考えてみてください。共和党ブッシュの8年間だって小泉政権の時は9・11の余波のゴタゴタの中でなんだかうまく行っていた、ように見えただけで現在は結局、対北朝鮮宥和政策への転換で面目丸つぶれです。米国が日本のご機嫌を見ながら外交政策を変えたことなどいちどもありません。米国はあくまで時刻の国益でしか動きません。そのアメリカの国益を、日本はさっぱり誘導できてこなかったのです。外交官たちの説得下手というか、ディベイト下手というか、しかしこれはよくよく考えれば元は日本の自民党政権の問題なのだと思います。

日本の外務省ももちろん現在、ワシントンを中心に次期政権のブレインになると目される人たちに盛んに接触中です。オバマの対日ブレインには東アジア専門家のジェフリー・ベイダーや日本の防衛研究所にいたマイケル・シファー、日本生活も長くボーイング・ジャパン社長だったロバート・オアーらがそろっています。経済分野ではブルッキングズ研究所にいたジェイソン・ファーマンなんかもいます。さらにはオバマのこと、超党派で共和党もブレインも入ってくるかもしれません。

しかし日本側の政権がこうもコロコロ変わるせいで米側には彼ら外務官僚たちの背後に控えているはずの政治家たちがよく見えない(もっとも、見えたところでロクでもないやツラばかりですが)。そんなことで外交官だけを相手にまともに話し合おうと思うか? ふつう、思いませんわね。それも、こういうのってものすごく個人的な力量ってのが必要で、パーティーに行ってうまく話せるか、演技できるか、っていうような人間性にも関わる才能が必要なんですね。そういうの、できない役人が多すぎる(役人だけじゃなく日本人全般がそうなんですが)。その間に日米関係はそうして私的な斟酌や腹芸の取り入るスキなく、どんどん建前の議論で(これをやらせたらああ言えばこう言うのアメリカ人にかなう者はきっといません)米国主導で押し切られることになるのが常なのです。


新政権はまずは米国内の経済危機に取り組むでしょうが、その一方でイラク戦争撤兵からアフガン戦争増派へのシフト、テロ対策などは公約のタイムテーブルどおりに進めなくてはなりません。

この場合、外交とは米国にとっては安全保障の問題にほかならないのです。それは日本にとっては思いやり予算などを含む従来の基地問題やアフガン戦争支援のインド洋給油問題です。これらはたとえオバマ政権になったとしてもなんら変更を認めないでしょう。さっきも書いたようにアメリカはアメリカのことしか考えていませんから、あるいはこの財政危機でさらなる物的・人的支援だって要求してくるでしょう。オバマはブッシュ政権の一国行動主義からの転換を謳って「国際協調」という名の責任分担を図るでしょうから。

そんな中で、日本の対米外交はどう対応すればよいのでしょう。米国に押し切られるばかりなのでしょうか?

ここに来て、どうして日本がいつも米国の言いなりにならざるを得ないのかわかってきます。それは日米同盟、日米安全保障という政治的取り決めが、日本国憲法を上書きしているという倒錯のせいなのです。

日本は、日本の平和憲法を対欧米外交の切り札として使ったことがありません。海外への自衛隊派遣の困難の「言い訳」「言い逃れ」として使ったことは何度もありますが、外交の「背骨」として使ったことは一度もない。憲法のことになると遠慮がちに口ごもる、そんな外交なのです。で、安全保障に関してはその都度の対症療法で逃れてきたわけですよ。

こんなんでまともな外交ができるわけがありません。これは自民党が平和憲法をなおざりにしてきたそのツケが貯まったものです。そんなヘドロの中で泳がねばならない外務官僚にはお気の毒と言うしかありません。

この倒錯を解消する道は2つあります。平和憲法を正々堂々と盾にして、環境対策と復興支援を安全保障の中心に据える新機軸を構築・宣言すること。それは20世紀的ではないので旧態依然の国際政治においてとても受けは悪いでしょうが、可能なのです。倒錯解消のもう1つの道は、平和憲法そのものをやめちゃうことです。こっちの方が簡単だが、その以後がかえって大変で、簡単そうに見えてじつはこれは不可能なのです。

それともまだのらりくらりで乗り越えようとするのでしょうか。
まったく、自民党政治までが役所仕事のようになっているんですね。

米国はオバマに変革の希望を託しました。
日本の政治変革はいつ起きるのでしょう。
で、総選挙、どこに行っちゃったんでしょうか?

November 04, 2008

本日、オバマ勝利へ

ニューヨークは投票当日になりました。
すでにニュースショーは、アメリカってFOXニュースの登場からパーソナリティがばんばん私見を言うこういうニュースショーが増えてるんですけど、すでにオバマの勝利を伝えています(ってまだ確定ではないんですが)。

接戦州ですらもうこの終盤、マケインの選対は7時とか8時とかに閉まってしまうんですって。おまけに昼も人がいなくてガラガラ。インディアナとかヴァージニア州とかウィスコンシンとかの選対の写真が出るんですが、ほんと、手持ち無沙汰の人間が多くの電話デスクの並ぶ中でぽつねんとしているの図、とか、まあ、こういう写真は演出効果もねらっているんですがね。

対してオバマ選対はこの週末にはペンシルベニアで180万戸のドアをノックしたとか、フロリダでも100万世帯を戸別訪問したとかものすごく集中していて組織化されていて効率よく手配されているとか、そういうリポートですね。これは本来、共和党の草の根保守票の掘り起こしの手法だった。それが今回は民主党側が、若いボランティアを中心に功を奏しているのです。

それで、これでもし仮にマケインが勝つとしたらどういう理由が考えられるか、ということも話したりしているんですが、それはオバマに投票したら地獄に堕ちるとある教会の牧師が言ったせいだとか、そういう以外にない。あとは大規模な選挙不正があったとしか考えられない。なにせこの6週間で169の世論調査、そのすべてがオバマの勝利を予想しているんですよ。

これでマケインがもし勝つようなことがあれば、株やドルはまた暴落するでしょう。
各地で暴動が起こるに決まっています。

ブラッドリー効果? それもないでしょう、もう。

ここに来て問題は、その選挙不正とはまた違いますが、投票者が増えているのに、投票マシンがそれに対応し切れていないということです。すでに期日前投票でも明らかになっていますが、4年に一度しか使わないせいか、機械、アップデートしていないところが多いんですね。対して投票者登録はすでに1億4000万人です。これはすごい数です。前回の1億2230万人よりも14%も多い。

そのしわ寄せもあって、期日前投票ではノースカロライナ、フロリダ、ミズーリでは3日は7〜9時間も並んだそうです。ヴァージニアは40%も投票登録者が増えているのに、投票マシンは1台しか増えていない。すると1台のマシンに350人見当が並ぶことになります。今回の選挙は大統領選挙だけではなく、下院、上院、さらに地方議員、おまけに州民投票もあって、早くたって1人10分はかかるでしょう。そうすると、350人X10分で、3500分かかる。これって何時間? 60分で割ると58時間です。えー、2日以上かかるじゃないですか。どうするんでしょう?

さあ、本日は、何時ごろに当確が出るのか、そしてどのくらいの差でオバマが勝つのか、そういうことにしか注目点がない、となると平和なんですが。

October 28, 2008

傑作! バドのCM?

これ、すごいわ。

バドワイザーのCM、「ワザップ(Wassup?=What's up?)」。ホワッツ・アップ?ってのは「なにしてる?」「なんかある?」「なに起きてる?」「元気?」ってな意味なんだが、まずは8年前のオリジナルCMをどうぞ。



何の意味もなくバカみたいなワザップだけで時を過ごす5人の若者たち。
そんで、ブッシュの8年を経た、現在のCMを!
登場人物、同じです。



ところで、これ、バドのCMを模したショートフィルム?
オバマ陣営のCMなんでしょうか?
バドは登場してないしね。
1人は家を失い職探し中、1人はイラクに行ったまま。1人は事故?で重傷、1人は株で大損、そして最後に気候変動の大暴風雨。
で、最後のコピーで投票を呼びかける。
さすが。

で、「バドワイザーの意見を反映しているわけではない」と言っているのも手が込んでる、というか。
うふふ。

October 14, 2008

テロ国家指定解除の欺瞞

どの国もそうなんですが、外交というものはあくまで国益を第一に考えるものです。
ブッシュ政権はつねに、最近ではライス国務長官も「日本の立場は理解している」あるいは「拉致問題の重要性は認識している」という言い方しかしませんでした。「テロ国家指定の解除はしない」とはひと言も言っていなかったのです。その結論はどうなるか、そんなことはわたしでもわかる。つまり外交のプロたる外務省の役人たちがわからないはずがない。

アメリカは指定解除をするだろうというのは読めていたわけです。それを、まるで「寝耳に水」と驚いてみせるのは、これは日本国民に対する欺瞞です。そんなはずではなかった、という言い方ですよね。われわれは十分に努力してきてアメリカもそれを理解していたはずなのに、急に寝首をかかれた、という言い方。

これは責任逃れのへりくつです。知っていたんですよ。それを、それじゃ日本国民に格好がつかないから「知らなかった」「予想外だった」と言っている。一番正直なところは中曽根外相あたりの言っていた「一両日中はないと思った」というセリフでしょう。一両日中はないはずだったが、その次の日にはあるかもしれない。そういうこと。

ブッシュは、史上最低の大統領として名を残すことになるのはすでに明らかです。まあ、イラク戦争しかり、イラン政策しかり、イスラエル・パレスチナ問題然り、それは確実なんですが、せめて北朝鮮でどうにか格好を付けたかった。それが正直なところでしょう。

ただし、今回は時間の問題があった。
北が核施設運転再開をちらつかせるのはいつものことです。
どっちが我慢できるか、そのチキンゲーム。
ところが今回はブッシュ政権の命脈が尽きるというタイムリミットがあった。
ただそれだけのことです。いつもなら、むこうが核施設の無効化をしてから、解除です。それが待ちきれなかった。どうにかして先に進める必要があったということです。で、テロ国家指定解除を先出のエサにした。

麻生としては、拉致問題にいささかも影響はない、カードを失ったというわけではない、という言い方しか出来ません。ならば、「はじめから拉致問題とは関係ない。指定解除どうぞどうぞ」と言ってればよかったようなもんですがね。しかしカードを失ったのは確かなのです。麻生は先月の国連総会の訪米でもブッシュに会えなかった。アメリカも北朝鮮も、出ては消える日本の自民党政府を本格長期政権として相手にしていないということです。困ったもんです。

冒頭に言いましたが、今回のテロ国家指定解除は、日本との関係を損なっても、北との核問題解決がアメリカの国益、いや、ブッシュの個人の利益にとって重要だったという判断なのです。簡単なことです。

September 24, 2008

宿命としてのバブル

リーマン・ブラザーズの破綻から始まった先週から、いろいろとコメントを求められて大変でした。

世界的な金融・証券の統合・再編が始まったと見るべきでしょうね、なんてことを話してきましたが、おおむねその通りに進んでいるようです。ちょうど10年前にソロモン・バーニーがシティバンクと合併したんですが、これはまさに独立系の証券会社の存在価値が問われる事態になった先駆けだった。

いま現在、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーだけ独立系の証券会社なのですが、サブプライムでキャッシュフローの問題が出てきて、それで証券と金融が結びついてきているわけです。どうなるかと思ってたらこの1週間でもうほかの金融・銀行とくっつく、あるいは銀行になっちゃう、という動きが出ています。

と、エラそうなことを書いてるんですが、じつはわたし、経済のことがホントのところ、よくわからんのです。

どうしてモノを作ったり採ったりするという最も根幹で人間の命を支えている人たちが低収入にあえぎ、マケイン陣営に参加したヒューレット・パッカード(HP)の前CEOが4500万ドル(50億円弱)もの退職金をもらえるのかがよくわからん。

ちなみに、マケインはリーマン破綻に関するニュース番組出演で、ウォールストリートのこの苦難の原因の一端はCEOたちの強欲さだって非難したのに、このカーリー・フィオーナの4500万ドルに関しては「詳しくは知らないが」と前置きしつつ、「フィオーナはそれを受け取るのにふさわしい。なぜなら、彼女はよいCEOだから」って答えています。うーむ、このひと、だいじょうぶかいな? HPは2万人もレイオフしてるんだよ。そんでどうして4500万ドル払えるの? わからん。

50億円って、21歳から働いたとして70歳まで毎年1億円稼ぎつづけたっていう金額です。
まずもってそんなこと、人間に可能なんでしょうか?
あるいはそれを受け取るにふさわしい人間の価値って、どんな価値なんでしょう?

バブルって言いますが、価値のある株券が一夜にしてどうして紙切れ同然になってしまうのかもよくわかりません。いや、もともとは一枚の紙切れでしかなかったものが、どうして見る見るうちに巨額にふくれあがる価値を持つようになるのか、それがわからないと言ったほうが適当かもしれません。

リーマン・ブラザーズが破綻してどこがどう影響を受けるのか。これも複雑に絡み合って今ひとつイメージできない。つまりこれって風が吹けば桶屋が儲かる式の(この場合は桶屋がつぶれるってな式の)話とどう違うのかもよくわからない。AIGが救済され、リーマンが救済されなかったのもきっと風が吹いてつぶれる桶屋の数が違っていたからだったんでしょう。しかしリーマンは救済しなかったのに7月のベアスターンズはなぜ救済支援したのか、今度はそれがわからない。これは「場当たり」っていうのとどう違うのかわからない。わかるひと、います?

AIGっていうのは保険会社だけあって、じつはこの10年ほど世界中の企業間の投資のリスクを保証する“保険”ビジネスを続けていました。世界がつながっているのは、インターネット以上にこうした損の回避のもたれ合いだったのです。

で、保険が利いていると思って世界中の企業はどんどんカネを出し合ってきた。そうこうしているうちにそのカネの出し合いを「損しないように」保険していたAIGがつぶれそうになる。となると、こけるのはもう親ガメ子ガメ程度では済まなくなる、ってのはわかる。

だからブッシュ政権はAIGを救済したのだ、といわれます。しかし7千億ドル(75兆円)という米政府の不良債権買い取り計画がどうして可能なのか、それがよくわからない。

75兆円というのは日本の国家予算にも迫る金額。アメリカの納税者1人当たり40万円も金を出すってことです。その中には当然わたしも入っています(ってか、これ以上払わないようにいますぐ帰国して逃げちゃえばいいんだけどね)。ブッシュ、どうせ任期が12月までってことでやけくそになってこれだけの勇気を奮えたわけじゃないんでしょうね。ちゃんと根拠と責任をもっての決断だとよいのですが、なんかドタバタした緊急出動めいてみえるんですわ。あのポールソン財務長官ってのも、話してるの聞いてるとなんだか軽いんだよねえ、ノリが。

そういうわけだかどうだか、その財政出動を好感してNY市場がどんと戻ったのが先週末でしたが、と思ったらリーマンショック1週間の月曜22日にはまた327.75ドルも値を下げました。こういうのってどういう論理なのか、というかどういう根拠に基づいた動きなのか、その根拠の証明ができないのでなおさらわからないのです。

ただし、今回を含めこれまでの経験からうっすらとわかったこともあります。それは、証券経済はかならずバブルに陥るということ。実体経済から乖離して、どんどんカネがカネを産み記号が自己増殖してゆくのです。そこにモノの裏打ちはない。中身は空洞なのです。あのホリエモンのライブドアが株を小口に分けてどんどん高値にしてったのはまさにこれですもん。

いかにサブプライム問題がこうして大きな傷跡を刻んだとしても、けれどこの証券経済っていう流れはぜったいに元に戻ったりはしません。ならばそのとき、政府はそうした経済になんらかの規制を持ち出すのかどうか。

こうしてこの件はいま、共和党vs民主党、つまり小さな政府vs大きな政府という、今回のマケインvsオバマの大統領選挙の最大のテーマになったのです。

ってかね、オバマもマケインも、そう経済に強くはないでしょ。
さっきの元HPのフィオーナさん、マケインもペイリンも主要企業の経営者としては採用されないだろうってなコメントをして最近、表に出てこなくなったんですよ。ま、付け加えてオバマもバイデンもダメだって言ってはいるんですが。

今日のワシントン・ポスト紙によると、毎週記者会見をすると約束していたマケインは現在、40日にわたってその記者会見を回避しつづけているらしい。ボロを出さないようにしてるとしか思えませんな。登場の遅かったサラ・ペイリンにしても25日間、記者会見してないんだそうです。

まずいよなあ、それって。

September 12, 2008

9.11ーリプレイ

あの日は朝の7時近くまで仕事をしていて、それからベッドに入ってちょうどいい感じで寝ているところに東京からの電話が入って叩き起こされたのでした。それは新聞記者の後輩で、また与太話でもしようと電話をかけてきてるんだと思って「いま寝たばっかりなんだよ〜」と愚痴ったものです。そうしたら「起きてテレビをつけてみてくださいよ」と言います。「なんで?」「とにかく、テレビをつけて。大変なことになってるんですよ」。
そこでベッドからはい出してテレビをつけると、WTCが映っています。煙が出ている。見ると側面に斜め一文字に穴があいている。

ことがそれほど大事だと思わなかったのは、CNNのアナウンサーも、どの局のアナウンサーも、(こちらのアナウンサー、リポーターはみなそうなのですが)ぜんぜん興奮したそぶりを見せないで淡々とリポートしていたからです。そのうちになんか別の黒いものが画面に現れ、それが背後からもう一棟にぶつかった。

テレビは小さく「あ」とでも言ったのだったろうか。
寝ぼけているわたしには何が起きているのか即座には理解できませんでした。それが生放送であることもじつはよくわかってなかったのかもしれません。

以下が、翌年までに私が取材し、まとめた、あの日に起こったことです。

***

◆09/11 08:46am 
●ブルックリンの緊急通信センター 通信専門員ジャネット・ハーモン

 いつもと同じくよく晴れたきれいな朝だった。ニューヨ−ク市マンハッタン区の東対岸、ブルックリン区にある緊急通報センターで、通報受信オペレーターを15年間務めてきたベテラン通信員ジャネット・ハーモン(53)はいつもの朝のシフトで受信モニターに向かっていた。

 緊急通報センターは日本の110番と119番を統合したすべての種類の緊急電話を受け取る。米国の緊急電話番号は911番。1日平均3万2000件、年間では1200万件近い電話がかかってくる。受信装置はコンピュータと直結した105台。そこに常時最低でも60人が待機している。その背後には多民族都市ニューヨークならではの140カ国語に対応する通訳も控えている。

 そのとき、一本の電話が鳴る。70人ほどがシフトに入っていただろうか、たまたまハーモンがその電話を受けた。そのとたん、「オペレーター、オペレーター!」と緊迫した女性の声がヘッドフォンから飛び込んできた。「お願いだから、どんなことがあってもこの電話を切らないで!」。事件事故の通報を受ける場合、最も肝心なのは相手を落ち着かせることだとハーモンは知っている。「マダム」とあえて低い声でハーモンは応対する。「落ち着いて。どこからかけているの?」。女性が答える。「いまブロードウェイを車で下っているところ。いま、目の前で、世界貿易センターのタワービルに747(実際はボーイング767型機)がぶつかったの! ビルが火の玉なの! わざとぶつかったように見える!」。予断を挟まないこと、聞いたことそのままをコンピュータに打ち込んで、主観を交えないこと。車内での携帯電話なのだろうその女性の声の向こうから、同乗しているらしい男性の声が叫んでいるのが届いた。「全員をよこせと言うんだ! とにかく、警察も消防も全員を出動させてくれと言うんだ!」。

 ジャンボ機がぶつかった? 確認する自分の声がうわずっているのが自分でもわかった。そのとき、周りの受信モニターが連鎖反応のようにいっせいに鳴り出した。当の貿易センターの高層階から「閉じ込められた」と助けを求める電話もあった。応答する70人のオペレーターの声が受信センターのフロアで低く強く渦を巻きはじめた。

◆09/11 08:55am
●ブルックリン橋 NY消防長官トーマス・ヴォン・エッセン

 前夜やや夜更かしをしたせいもあってトーマス・ヴォン・エッセン消防長官はその日の朝のピックアップを8時半でいいと運転手に告げていた。自宅から消防本部のあるブルックリンには、マンハッタン島の東岸を南北に走る高速道FDRドライブを通ってブルックリン橋を渡る必要がある。

 夜更かしをしたのは31年前、初めて消防士になったときに赴任したサウス・ブロンクス区の第42はしご車隊で懇親会が催されたからだ。かつての同僚や師と仰いだ先輩たちと旧交を温めた翌朝の空は、やっとやや秋めいてきたようで爽快だった。そうしてブルックリン橋にさしかかろうとしたとき、何気なく見上げた窓の外に、何かが見えた。

 「あれは、雲かな?」とエッセンは運転手のジョン・マクラフリンに声をかける。ちらと視線を上げたマクラフリンはハンドルを握ったまま「いや、仕事のようですな」と答えた。だが、そのときはまだマンハッタン・ダウンタウンのビル群が視界を遮り、その黒い雲の立ちのぼる場所がどこなのか、見当はつかなかった。

 いったいどこなんだ、と見つめる西の空がビル群の間から覗いた。目を疑った。世界貿易センターの北タワーにぐっさりと穴が開き、そこから炎と黒煙が立ちのぼっていた。

 「なんてこった! 貿易センターに飛行機がぶつかったみたいだ!」とエッセンは叫んでいた。

 そのころすでに、ブルックリンの緊急通報センターのジャネット・ハーモンの打ち込んだコンピュータ情報は出動センターのモニターに流れ、消防本部の指令系統から第2次出動命令が発信された。それは十数秒後には第3次、第4次出動に、そしてたちどころに最大動員の第5次出動に変わった。

 マクラフリンは長官専用車の消防無線のスイッチを入れた。「ワールドトレードセンター、北タワーで爆発」。交信が錯綜する。第5次出動。エッセンは寒気を覚えた。黒く不吉な煙の噴出を見つめながら、「1000人単位の犠牲者……」とつぶやいたことを彼は憶えている。

◆09/11 08:58am
●FDNY ニューヨ−ク市内に位置する212消防署

 NY消防本部は全部で消防車隊が203隊、はしご車隊が143隊、ほかにも泡消火部隊の10隊などで構成され、人員は計1万1500人。その朝の勤務者はおよそその半数だった。夜勤と朝番との交替シフトは朝の9時。だがその日、朝のシフト交替はついに終わらないままだった。

 NY市警の警察官らは「ニューヨークの最たる精鋭たち(Finests)」と呼ばれる。対してNY消防本部(FDNY)の消防士たちには「ニューヨークで最たる勇者たち(Bravests)」という尊称が付いている。あまたの大火災にも恐れることなく立ち向かい、幾多の犠牲者を出してもつねに生活者の味方でありつづける消防士たち。1966年にはマンハッタン・ダウンタウンの「23丁目大火」で一度に消防署長2人を含む12人の消防士が殉職したこともあった。それが過去最悪の出来事だった。

 最初の出動命令は世界貿易センター(WTC)にほど近いグリニッチ・ストリートにある第10消防車隊に出された。「WTCで爆発」との報。その出動命令はすぐさま市内全域に拡大した。ニューヨーク中にけたたましいサイレンとクラクションの音が鳴り響いた。

 通常の火災はまず担当地区の消防車隊が対応し、そこにはしご車隊などが増員される。それで対応できないときはその地区全体の消防隊が「大隊(バタリオン)」として派遣される。それでもだめならより大きく地域(ディビジョン)全体の消防署の出動となる。そしてそれでも困難なら、市内全域の消防士が現場に急行する。しかしそんなことはかつてなかった。

 第一陣の現場到着隊は第10消防車隊を含みいずれもWTCに隣接する地区の消防署だった。夜勤を終えて交替して帰宅するはずだった60人の消防士たちもその中に加わっていた。現場に急行する消防車には通常の2倍の消防士たちが乗っていた。もっとも、午前9時29分には非番を含め市内の全消防士に出動および待機命令がかかったから、すでに非番もなにもあったものではなかった。現場ではだれが出てだれが出ていないかを点呼するゆとりもなかった。無線機も持たずに急行する者も多かった。周辺ビルまでもが炎上しはじめていた。どこから手を付ければいいのか、この道数十年のベテランたちでさえもたじろいでいた。現場は混乱を極めた。だが、混乱を見せてはいけなかった。逡巡を振り切るように、勇者たちは各自行動を起こしたのだ。ある者たちは自分の経験だけを頼りに果敢にタワービル上層階へと階段を駆け上っていった。数千人が避難を待っているのだ。

 まさか、この世界最強のビルがすぐにも崩壊しようとは、その時点ではだれも考えていなかった。

◆09/11 09:03am
●2機目が南タワーに突入

 消防、警察、救急隊の全体が事態の重大さに対応しはじめたとき第2弾が待ち受けていた。マンハッタンの南側から轟音とともに超低空飛行してきた航空機が、今度は無傷だった南タワーに激突したのだ。こちらの衝撃は北タワーよりも甚大だった。飛行機の速度は1機目よりも160キロ速い時速800キロ。総重量160トンのボーイング767は南タワーの78〜84階部分の南東のコーナーを切り裂くようにぶち抜いた。3万6000リットルものジェット燃料がビル内部に注ぎ込まれた。3分の1が衝突時に一瞬のうちに引火し大爆発を起こし、残り3分の2がビル内部で気化して充満するか火とともに伝い落ちていった。おそらく、そのとき何十人という人間たちが熱と圧力で蒸発した。

 南タワーにも即座に第5次出動命令が発動された。北タワーに展開していた消防士たちがここにも駆け込んでいった。数千段もの階段を駆け上がり、内部の数千人を安全に避難誘導するために。

 だが、その時点で両タワービルの火災温度は1100度にも達していた。フロアを支える鋼鉄のトラス群が熱にやられて溶けはじめていた。

 熱と煙に耐えきれず、高さ300メートル以上の上層階から自ら飛び降りる人も続出した。消防士にもすでに負傷者が出ていた。なにより、トラック大の瓦礫が断続的に地上に降り注ぎ、後続隊は燃えさかるタワーに近づくことも難しくなっていった。

◆09/11 09:59am
●南タワー、「もっと部隊をよこせ!」

 2機目でこれはテロだと断じられた。北タワーに1機目が突入した際、南タワーではこちらは被害がないから各自自分のデスクに戻るようにと館内アナウンスが行われていた。だから南タワー上層階で相当数の人々が閉じ込められてしまったのだ。

 そこに真っ先に飛び込んでいったオリオ・パーマー大隊長とロナルド・ブッカ消防隊長が、40分をかけていまやっと78階まで徒歩でたどり着いていたのだった。これまで消防士がたどり着いたのはおそらくせいぜい50階までだったろうと思われていた。だが、翌2002年8月に見つかった無線交信のテープに、激突部分であるまさにその78階で、多数のけが人の救出にあたる彼らの声が分析されたのだ。

 午前9時45分ごろの録音。パーマー大隊長が78階にいたけが人数人を含む10人のグループを41階のエレベータまで向かわせたと連絡している。そのエレベーターが、最後まで動いていたただ一基のものだった。

 南タワーを担当したドナルド・バーンズ指揮官の声も残っていた。「もっと部隊をよこしてくれ!」と何度も繰り返し叫んでいた。しかし、救助に向かった消防士たちは階段を降りてくる避難者たちに行く手を阻まれ、さらにいったいどちらのタワーのどこに行けばよいのかも混乱したままだった。

 14分後、午前9時59分、南タワーが内部へ向けて沈み込んでいった。崩壊速度は時速320キロ。ビル全体が崩落するのに10秒しかかからなかった。パーマー大隊長らの交信はそこで途絶える。41階に向かっていたはずの被救助者たちにとっても、14分という時間は外に出るにはあまりにも短すぎた。

 その直前、ワシントンDC郊外では国防総省にボーイング757が突入していた。さらに午前10時10分、ピッツバーグ郊外では別のハイジャック機が、明らかに乗客の抵抗に遭って突入目標に達することなく墜落した。

◆09/11 10:28am
●北タワーも……2万5000人を退避させて

 午前10時28分、そして北タワーもついに崩落した。立ちのぼる粉塵と炎の下でなおも消防士間の無線交信は雑音混じりで続けられていたが、それらもいっせいに静まりかえった。動けなくなった携帯者の位置を知らせるPASS(個人警報安全システム)モニターの音だけが瓦礫の下から聞こえていた。だが、崩壊とともにそれらは消防士たちの手から放れていた。音の聞こえるところに消防士はいなかった。

 消火用水を供給する水道本管ももう破断されて機能していなかった。近接のハドソン川から消防船が水を供給していたが、それではもちろん十分ではなかった。WTCの計6棟が崩落または炎上していた。約2万坪が燃え上がっていたのだ。

 ピート・ガンチ消防本部長、ウィリアム・フィーハン消防第一副長官、レイモンド・ダウニー救助(レスキュー)本隊長が殉職した。大隊長の18人、消防副隊長の77人も殉職した。第1レスキュー隊は消防士11人を一度に失った。第20はしご車隊は7人、第22消防車隊は4人を失った。消防全体では343人が亡くなった。消防車など装備の損壊損失は4800万ドル(当時レートで5700億円)に及ぶ。しかし、彼らの犠牲によって世界貿易センターの2塔からは計2万5000人が脱出できたのだ。

 火は以後、崩壊した地下で4カ月間にわたって燃え、くすぶりつづけることになる。

August 30, 2008

ヒラリーの影こそが

アメリカの民主党全国大会が終わり、今週末からは今度は共和党の大会に話が移ります。

結論から言うと、民主党大会の主役はオバマではなくヒラリーでした。
いや、オバマなんですよ、もちろん。でも、違うんだな。大会最後を〆る84000人を前にしたオバマの受諾演説を聴いていても、ふむ、それはひょっとすると単に私がいまもまだヒラリーに固執しているせいかもしれないとは思うけれど、どうも、「まさに主役はオバマです」ってすっと腑に落ちる、というようなもんではなかった。

それは大きく、2つありました。いや、3つかな。

まずはあのペプシセンターで27日に行われた各州ごとの点呼投票(Roll Call)で、これはアルファベット順にアラバマから、はい、あなたの州は誰に何票ですかって聞いていって、ヒラリー3票、オバマ21票、とかって答えてゆくんですが、そのときにCのカリフォルニアになったときに、カリフォルニア州、「わが州はパスします」って言ったんですね。へ? え、カリフォルニアはヒラリーが取った州です。代議員数441人。これが投票を棄権? テレビで見ている素人の私は、「あらら、これって造反票?」って思うじゃないですか。

オバマの有利は変わらない。でもカリフォルニアの代議員441人は、アメリカ民主党の象徴的存在です。これがパス。

そうしてまた投票点呼は進んでいきます。否応なくオバマ票よりも、それと彼女自身がオバマへって呼びかけたのにも関わらず依然続くヒラリー票に注目が集まりますよね。獲得代議員数よりはもちろん少ないのだけど、でも、各州、ヒラリー残党はいるわけですよ。ああ、民主党の亀裂はけっこうのこってるかもな、ってその線で原稿書きの方向性が決まるかなって思いますわね。そうしたら、こんどはHIKJの「I」で、イリノイが「わが種はパス」ってやったんです。

は?

イリノイって、今度は逆にオバマの出身州です。シカゴですからね。もちろんこの州はオバマが取った。なのに、なぜ?

ここで、いままではこれほど大統領選挙の過程を注視していなかった私は混乱しました。
こういう流れを知らなかったんですね。はい。あはは。

そんで、Nまで来て、ニューヨークになったときにわかったんです。
NYも代議員数では281人、これもヒラリーの州です。さて、どんな票が出るか、と思ったら、代議員団を差し置いてヒラリーがマイクに向かって「動議」とやったわけ。「もう、満場一致 acclamation でオバマを指名することを動議とします」って。それでニューヨークの票の何たるかも言わずに、議長がその動議を認めて、会場の拍手でオバマ指名を決めたわけです。

つまりね、その前までの段階でオバマは過半数の2118人に届いていなかったんですが、カリフォルニアとイリノイを足していればとっくに過半数に届いてしまっていたわけです。そうすると、ヒラリーがこの動議を出す必要はなくなるのね。この動議を出して党の満場一致でオバマと決めるためには、カリフォルニアとイリノイが投票してはいけなかったわけですよ。すごい操作でしょ。それも、ヒラリーのカリフォルニアと、オバマのイリノイを双方ともパスさせて、それでどうにも注目を浴びるニューヨークのロールコールの時点でヒラリーの動議で決める。3つのバランス。

ふむ、なるほど、そういうことね、というわけです。これ以上の演出はない。
これもそれも、ヒラリーがオバマを候補に押し上げた、ということのプレゼンテーションなのですね。

つぎに、まあ、オバマの演説です。27日のジョー・バイデンの演説のあとで登場してきた時も、そして28日の受諾演説も、演説はヒラリー・クリントン、ビル・クリントンの話から始まりました。その両クリントンとも、じつにみごとなオバマ支援演説をやってのけて、さすがにクリントンだなと思わせたものです。それをきちんと受けて、1800万というヒラリー票を味方に付けようというのは当然のことでしょう。なにせ、ブッシュの選挙では400万票の草の根保守キリスト教者たちが鍵を握った。1800万票は何をか言わんや、の数です。

ところで、この数日間の演説で最も感動的だったのはじつは私にとってはジョー・バイデンの息子のボー・バイデンの話でした。デラウェアの法務長官をやっている若い彼は、といってももう40代ですが、彼の一家を襲った交通事故の話をとても誠実に引用しながら彼の父親の人となりを紹介していました。連邦議員に当選しながらも入院している彼と次男に付き添うために議員辞職を考えていたということ、誰がなんと言っても彼のベッドの脇にいようとしていてくれたこと、その語り口もあって、私にはジョー・バイデンその人の演説よりも感動的でした。

ただ、ボー・バイデン演説以外の焦点は、やはりヒラリーだった。

これは29日の共和党の副大統領候補発表のときにはしなくもまた明らかになりました。

指名されたのはアラスカ知事のサラ・ペイリンです。44歳の彼女はだれにとってもサプライズでした。
しかし、最たるサプライズは彼女の演説でした。

彼女は妊娠中絶も反対、同性婚にも反対のバリバリの右派です。おまけにライフル銃は持っている、狩猟はスポーツとして大好き、という全米ライフル協会会員。このNRA400万人の票も大きい。経済政策も保守派です。アラスカの油田開発もオッケーです。この4月に生まれたばかりの男の子はダウン症で、彼女は彼を「神の恵み」と呼んで、中絶反対派の面目躍如といったところです。まあ、わたしもそれには異存はないんだけど。

で、彼女がオハイオの演壇で何と言ったかというと、自分がここに立っているさまざまな感謝の対象として「ヒラリー・クリントン上院議員」の名前を口にしたのですね。「クリントン・上院議員は女性にとってのガラスの天井に1800万のヒビが入ったと言った。それを今度は私たちが打ち破る番だ」とやったんです。

さすがにこれは、共和党の支持者の集まりの会場にヒラリーの話なんぞ聞きたいやつなどいなかったでしょうし、とても場違いな感じだったんですが、図らずもマケインの意図が見え透いたわけで、その意味でとても面白かった。つまり誰もが知っているように、マケインもヒラリー票が欲しいんですね。彼女が自分でこの演説を書いたとは思えません。もちろんそういう趣旨の発言をするのに、マケイン自身の許可があったことはたしかでしょう。

ペイリンはほとんど無名で、その意味では共和党支持者には落胆する人も多かったでしょうが、マケインとしてはオバマの47歳に対しての44歳、ヒラリーに対しての女性、そうして共和党の勝利の鍵を握る保守派への媚としての彼女を選んだのです。マケインはもともと共和党では一匹狼の中道だった人なのに、大統領候補になってからどんどん保守化していきました。まるで一匹狼の看板を下ろすように、同性婚に関しても急に口をつぐむようになりました。それは共和党候補としての宿命なんでしょうが、右傾化して票を獲得するならば大方の副大統領の予想はモルモン教のミット・ロムニー、あるいは南部バプティストのハッカビーかとも思われていました。でもそれでは新鮮味に欠けるし、ヒラリー票を奪えない。そういうところからのペイリンの選択だったのでしょう。

つまりここでもヒラリーなのです。

さて、そのヒラリーの扱いとして、オバマ民主党はとてもうまくやったと思います。一時の激情からマケインに投票すると言っていた人たちも、あと2カ月の間にはかならずオバマというか民主党支持に戻ってくると思います。ヒラリーの支持者が、ペイリンごときの撒き餌で最後までマケインについていくとはぜんぜん思えません。ペイリンって、ヒラリーの支持者がじつは最も嫌うようなタイプの女性なんじゃないかなあ。だいたい美人コンテストに出るってこと自体、ダメでしょう。

さてそのヒラリー、どう出るんでしょうね。オバマが盛んに持ち上げたマイル・ハイ・スタジアムでの受諾演説ではヒラリーもビルもその場にいませんでした。

彼女は、次の大統領選を視野に入れている。そう言う人は少なくありません。
マケインが当選しても2期目はないでしょうから、つまりはオバマが敗退して、ってことですが、そのときつまり2012年の大統領選挙では、ヒラリーが出てくるはずだというのですね。マケインがペイリンに禅譲する、というシナリオも考えられますが、昨日見ていたかぎりでは、ペイリンはそんなタマじゃないってことでしたし。まあ、彼女は、あまり頭よくないわね。あれはヒラリー支持者だけじゃなく、本来の共和党支持者からも反発を受けそうって気がします。これから2カ月のあいだに、副大統領候補感のディベイトなどで、きっとぼろが出てくると思います。

July 23, 2008

逝く者、去る者、生きる者

ちょっと前の話になるんですがね、ある年の感謝祭に友人にサウスカロライナの実家まで招待されたことがあります。七面鳥も食べて、さて翌日は私からのお礼ということで、友人のご家族をどこかにお連れしたいと申し出ました。「せっかくですからジャパニーズレストランは?」と提案すると「ああ、あります、あります」と言われて案内されたところが「鉄板焼き」でした。

なるほど、いまでこそ「スシ、サシミ」は有名ですが、いまでもきっと南部や中西部、いやいやニューヨークから少しでも出たら「ジャパニーズ・レストラン」とは「ヒバチ・ステーキ」屋さんのことなのでしょう(こちらではあの鉄板焼きをなぜかヒバチ(火鉢)ステーキって呼ぶんです。火鉢焼きはまた別にちゃんと火鉢のがあるんですがね、謎です)。友人の甥っ子の小学生は、ナイフやスパチュラをくるくる回しながら野菜やエビの頭を宙に飛ばすニホン人ふう料理人に大喜びでした。

15年もニューヨークに住んでいるのですが、じつは私はベニハナに行ったことがありません。ロッキー青木には1、2度会いしましたが、ろくに話もしませんでした。いつかそういう機会も来るだろうとのんびり構えて、敢えてその時を作ろうとは思っていなかった。そうして先日の訃報を目にしたのです。


そんなときに野茂の引退表明も行われました。
彼がこちらに渡ってきたのは13年前の95年でした。その前年から野茂の大リーグ挑戦はメディアで取り上げられていたのですが、それは好意的なものだけではけっしてありませんでした。「世話になった近鉄を捨てて、他の迷惑も考えずに米国に行く自分勝手な恩知らず」、たしかそんな論調でした。それはむろん、そう感じる者が少なからずいたという当時の日本社会の反映でもあったのです。いまでは信じられませんが、石もて野茂を追ったと同じニホン人たちが大リーグでの活躍で掌を返して彼を絶賛したのです。

野茂は批判にもなにも反論しませんでしたが、しかしあの彼の寡黙のどこに、単身アメリカに渡って野球をしなければならないという切実さが秘められていたのでしょう。インタビューでもする機会があったら聞こうと思っていたのですが、当時、その1年後に例の伊良部がヤンキーズに入ってきて、NY駐在の私としてはそっちを取材する機会はあったものの、野茂にはけっきょくいまも会ったことのないままです。

そんなことを思い出しながら、ロッキー青木のことをまた考えました。彼が留学生として渡米したのは48年前、1960年。NYのベニハナ・オブ・トーキョーの開業は1964年だそうです。

私がベニハナに行ったことがないのは、じつはどこかであれはニホンじゃないと恥ずかしく思っていたからです。いま私たちはそういうレストランを「なんちゃってジャパニーズ」って言ってバカにしています。味がどうのこうのというより以前に、まず、コンセプトから鼻で嗤っている。それはでも、ふと思うに、野茂を「ああいうはみだし者はニホン人じゃない」と非難した“世間”と本質的に同じじゃないか?

ロッキー青木が「ニホン」を伝えるためにどんなに必死にアイディアを振り絞ったか、私はその苦労すら顧みようと思ったことがありませんでした。そりゃ大変だったろうに。

そしていまロッキー青木も野茂英雄も、彼らの渡米は、ひょっとすると職業的な野心とか野望とかいうのとはちょっと別の、もっと個人的な、やむにやまれぬ自己実現のなんらかの手段だったのではないかと思い至るのです。

先週末、東京から出張でやってきたTV局の友人と会食しました。NYでとあるイベントを行うその下準備でさまざまな関係者に会いに来たそうですが、その彼が言うには「NYの日本人はみんな濃いですね。日本では周囲の評価がその人を決めるみたいなところがありますが、NYではみんな自分で自分の評価を決めているみたいな」

なるほどそうかもしれないなあ。
自ら選んでこっちで生きている人間はみんなどこかで見果てぬ自己実現を目指し、つまりはみんななんかヘンなやつなのかもしれません。最近の駐在で日本から派遣された会社員たちは違いますが、60年代、70年代にこっちに渡ってきたようなひとたちはそりゃもうひどく濃い。

変なやつって、英語ではweirdoって言います。
もっとはっきり言えば Queer ってことですわね。ふふ。

July 10, 2008

いまの子供と50年後の子供

温室効果ガスの世界全体の排出量を「2050年までに半減する」ではなく、さらには「半減するという長期目標を共有する」ですらなくて、「2050年までに半減するという長期目標を共有することを目指す」っていう、この、動詞が3つも入ったヘタクソな日本語の3重に薄められた「G8宣言」というのはまさにいまのアメリカの断固たる及び腰と日本政府の遠慮とを象徴していて興味深いものでした。

いや、じつはこういう何重もの言質回避の表現は国連の安保理決議などでも蔓延しているので、政治宣言としては驚くほどのことでもないのですが、米国シェルパ(実質的な議論を担う交渉代理人)のダン・プライス大統領補佐官が「素晴らしいG8宣言文」と自画自賛するのを聞けば、さすがは弁護士出身、そりゃつまり自分に有利に導けたって意味ね、とすぐにわかるというもんです。

日本政府も自画自賛していますが、こちらは欧州勢と米国との板挟みになって、それでもいちおう文言をまとめあげるのに成功したという意味でしょうか。しかしなんだかこれも、安易に「自分をほめてあげたい」と言いのける今時の甘ったれ風潮そのもの。欧州勢から「日本のリーダーシップが見えない」とさんざん呆れられているのを、米国しか見ていないので気づかなかった、あるいは政治理念もなくただまとめることしか考えていなかったってことです。

たしかにまとめあげたことは認めます。それもたしかにひとつの政治でしょう。そのようにしかものごとは進んでいかないのもわかります。だが、このなんとはなしの「切羽詰まっていなさ」は、政治的想像力の不在というか、つまりはこのサミットに出席しているすべての人間たちが、おそらくは50年後にはもうこの世にはいない、ということに関係しているのではないかと、ふと思ったりもするのです。

まあ、そんなことを言うのはエキセントリックだと思われてしまう、われわれのいまの有り様もあるのですがね。

とどのつまり、今回のG8はエコロジー(生態系)とエコノミー(経済)の兼ね合いをどうするかという人類の宿命に関する議論の場でした。つまり50年後の子供たちといまの子供たちの、両方を救うにはどうすればよいかということです。アフリカなどでの食糧危機を見ればそれはより切羽詰まった課題として目の前に立ち現れます。

もちろん、いまの子供たちに心配のない先進国では50年後を考える余裕もありますが、いま現在飢えている国ではいかに産業をおこしそれを基に人びとが食べていけるかを探るに精一杯です。そんなときに温暖化ガス排出規制など気にしている余裕はない、いま生き延びなければ50年後もないのだ、という論理になります。それもまたもっともで、新興国も交えた8日の会議では先進国側が先に80-95%の排出ガス削減を行えといった主張もなされました。それももっともなことなのです。

ところがそれではアメリカは産業が立ち行かなくなる。ガス排出規制のすくない新興国に産業が移行してしまう。そうすればアメリカの50年後もない。それがこの洞爺湖宣言に及び腰だったアメリカの、いまのブッシュ政権の論理です。しかしブッシュは洞爺湖で終始緊張感のない顔をしていましたね。はっきりいって大統領職を投げ出しているような顔だった。北朝鮮問題といいこのG8といい、とにかく任期内でいろんなことをとにかくまとめればよいという、冒頭の日本政府の交渉役みたいな心情なんでしょうか。自分の任期のことだけしか頭にないような。

しかし次のオバマあるいはマケイン政権がどう出るかはまた別の話になると思います。特にオバマ政権になれば、あのゴアが環境関連の特命大臣に任命されるということですし。日本も次の選挙で民主党が勝利して小沢政権になったら果たしてどう変わるかわかりません。不明なところも多いのですが、環境問題でも新味を出してくるはずです。

しかしそれまではおそらくこの問題に関する政治の力の不在が続くかもしれません。
そうしてその間にも刻々と地球環境はいま現在のわたしたちの生態系を破壊するように変化しているのです。
世界の食糧危機を深刻に憂慮すると言ったその舌の根も乾かぬうちに18コースもの豪華な晩餐を囲むサミットリーダーたちを見ていると、まさに人間の活動そのものが宿命的に持つ反生態系の害毒を思わずにはいられません。エコノミーとエコロジーは、だれがなんといったって対立する項目なのです。そこを誤魔化さずに折り合いを見つける、といっても、しょせんそれは破滅を先送りする手段を講じているだけのような気もします。

April 16, 2008

国おこし、都市おこし、個人おこし

40日間も日本に行っていました。日本にいると、日本語に守られてるせいでしょうね、国際的な時事ニュースをぜんぜん自分に引き付けて考えられなくなります。なんかまったりしてみ〜んな他人事っぽくなる。で、ここにもなにも書かない、という結果に。てか、たんにだらんとしてただけなんでしょうけどね。

さてさて、帰ってきたとたんサンフランシスコでの聖火の混乱です。中国当局もよく続けるなあと思うのですが、開会式のボイコット気運も高まる中、この問題はどう考えればよいのでしょう。スポーツと政治、五輪と政治の問題ですわ。

私も若かったころは「スポーツと政治は別だ」などと憤慨していましたが、でもずっと以前から五輪と政治はじつは同じものだったんですよね。というか、五輪はその国際的な注目度から、世界に向けて政治的メッセージを送る絶好の檜舞台でありつづけているのです。

ベルリン大会は国威発揚というナチスの政治的思惑の場だったですし、メキシコでは黒人差別に抗議する米国選手2人が表彰台で黒手袋の拳を突き上げました。続くミュンヘンではパレスチナゲリラのイスラエル選手襲撃が行われ、76年のモントリオールでは南アフリカの人種差別問題でアフリカ諸国の大量ボイコットが起こった。80年のモスクワではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西側のボイコット、続くロサンゼルスはその報復的な東側の逆ボイコットと、五輪はまさに常に政治とともにありました。

だいたい中国自体も五輪と政治を結びつけて国際社会にいろいろとメッセージを発してきたんですよ。56年のメルボルンから、ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワと、なんと7大会連続で五輪ボイコットです。モスクワ大会を除いて6回はぜんぶ台湾の国際認知問題が背景でした。

そもそもどうして五輪を招致するのか? それは五輪という由緒ある国際大会を主催することで国際社会の責任の一端を担う、一丁前の国家として認められたいという思いが基になっています。同時に、関連施設の建設によって国内の景気浮揚を図りたいというハコモノ行政的な意図もあります。つまり五輪は村おこしならぬ「国おこし」のネタだったのですわね。つまり。ズバリ政治そのもののイベントなわけで。

これは64年の東京五輪もそうでした。あのとき東京は高度成長のまっただ中で、日本は戦後復興の総仕上げをして国際社会への復帰を果たそうと五輪を招致したのです。そこではスポーツはたんなるダシでした。もちろん、日本の復権はスポーツ選手個人の頑張りに投影されてじつに感動的だったのですが、ほんとうの主眼はスポーツ選手個人の威信ではなく、国家としての威信にあったのです。それはまさに政治的思惑でした。

すでに五輪が2周目以降に入っている先進国では、長野やアトランタがそうだったように五輪は国おこしを経ていまはホントに開催都市の村おこしイベントです。一方、周回遅れの中国にとっては(今後のアフリカ、中東諸国なども含め)五輪は遅れてきた第二次「国おこし」運動の原動力なのです。今回の北京五輪も、中国政府のそんな思惑と欧米諸国の、五輪開催を機に中国の人権・民主化改善を促そうという思惑が合致して決まったものですからね。

そんな政治の舞台なのですからチベットが登場してもだれも文句なんか言えない。中国が「スポーツと政治は別だ」だなんて、どの口で言えるのか、です。

そう、「スポーツの祭典だから政治はタブーだ」と言うからややこしくなるのです。どうせならもうこれは政治だと開き直って五輪を機にどんどん主張をぶつけ合えばいいんですわ。それで大会がつぶれるようならつぶれちゃえ。そうなったらでも中国だって面目丸つぶれ、欧米だって思惑外れ、チベットは墓穴を掘る。そういうところにしか反作用としての収拾努力のベクトルは生まれないんじゃないの? じっさいの政治としてはいささかドラスティックにすぎるけどね、ま、思考実験としてはだからこそいまと違った落としどころが見つかるかもしれない。まあ難しいでしょうけどねえ(他人事っぽいなあ)。

ところで再びの東京五輪招致が進んでいます。これはすでに国おこしでもなく都市おこしとしても新味に乏しいやね。何のためにやるんでしょう。私には、自己顕示欲が脂汗になってるあの都知事の「自分おこし」のために見えるんですわ。彼個人の人生最後のステージにとっては格好の大イベントですもん。しっかし、そんな個人行事に付き合うのはまっぴら。

だいたい、新銀行東京にしても、解決にはもう何年もかかるけど、やつの物理的寿命はその前に終わるでしょう。未来のないやつ、つまりあの都知事に、「責任を取る」という考え自体が通用しないんです。死を前にしたら、無敵だなあ。だから政治家は若くなきゃダメなの。あと30年生きてると思ったら、ヘタなことできないもんねえ。

February 25, 2008

オスカー、レッドリボン、同性カップル

つらつらと横でアカデミー賞授賞式をつけながら原稿書きをしていると、時折映る会場の列席者の襟元にちらほらとレッドリボンがつけられているのに気づきます。日本ではなんだかすっかり流行り廃りのなかで忘れ去られてしまっている感のあるこの赤いリボンはもちろんエイズ禍へのコミットメントを示すもので、そりゃたしかに歳末の助け合い共同募金の赤い羽根のように政治家が襟元につけて国会のTV中継で映るようにする、みたいな善意のアリバイみたいなところもあるけれど、しかしハリウッドが被ったエイズ犠牲者の多さを考えればきっと、これらの人びとにとってはけっしてアリバイ作りのための仕草ではないのだろうなと思い至るのです。

思えばアカデミー賞の授賞式はこれまでも戦争や宗教や社会問題へのハリウッドの若い世代からのメッセージの場でもありつづけてきました。たしかにみんな大した俳優や制作者ではあるんだけど、よく見れば20代とか30代とかも多くて、そんな人びとの若い正義感のほとばしりが現れてもなんら不思議ではない。で、レッドリボンをつけている人たちは80-90年代は若かったけれど、いまは決してそう若くはないなあってことにも気づくのです。

エイズが死病ではないという謂いは、1995年のカクテル療法の成功から生まれてきました。当初はそれはやっとの思いの祝辞として、あるいはエイズ差別への対抗言説として宣言されたものだったのですが、人間というものはなかなか深刻だらけでは生きられないもんで、いつしか「死病ではない」が「恐れるに足らず」と翻訳され、「べつに大したことのないこと」となって、まあ、安心して生きたいのでしょう。いま、日本ではエイズ教育はどうなっているのかなあ。政府による啓発広報はなんだかいつもダサくておざなりで、いまも続いているのだろうか。ゲイコミュニティの中では善意の若者たちがいまも懸命にいろいろな形の啓発活動を模索しているけれど、その間にも日本のHIV感染者は特に若い世代で静かに確実に増えています。だって、社会全体が騒いでいないんだもの、ゲイコミュニティだけで笛を吹いたって気分はあまり踊らない。

学校で、エイズ教育してるのかなあ。あるいは性感染症に関することも。
ずっとエイズ啓発は教育現場で地道に続けることこそがゆいいつの方法論だって言い続けているのですが、でもね、そういうものはとりもなおさず性教育のことであり、セックスのことって、よほど信頼しているひとからじゃないと真面目に聞く耳なんか持てないもんなのです。だれが尊敬もしていない先生からセックスの話題なんて聞きたいもんか。だから大変なんですよね、性教育って。それを教える人間の、人間性の全体重が測られるから。

まあ、そんなアメリカだってエラいことは言えません。こっちだって若年層のHIV感染者は増加傾向にあるんですから。

今年のオスカーは、じつは候補作で私の見たのは「ラタトゥーユ(レミーの美味しいレストラン)」と「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(クリックしたら感想ブログに飛びますよん)くらいで、あまり関心がなかったのですが、両作とも健闘して受賞してましたから(特にマリオン・コティヤールの主演女優賞はアメリカの人びとには驚きだったようです)なかなか効率の良い見方でしたね。

ところで短編ドキュメンタリーで受賞した作品「Freeheld」は不覚にも知りませんでした。ダメだなあ。

ローレル・ヘスターはニュージャージー州で25年間、警官を務めて警部補になった女性です。映画制作(2006年)の6年前からパートナーを得てともに家庭を築いてきました。パートナーはステイシー・アンドリーという女性です。ところがローレルはそこで肺がんと診断されます。ローレルの願いは、自分の死後もステイシーが自分の遺族向けの死亡見舞金を得られるようにということでした。計13,000ドル(140万円)ほどの金額はけっして以後の生活に十分な金額というものではありませんが、少なくとも2人の思い出の家を維持してゆくだけの助けにはなる。ところが、居住地のオーシャン郡の代議員会はその死亡見舞金の受給資格を否定するのです。余命6カ月のローレルとステイシーは、もはやレズビアンであることを隠すことなく公の場で戦いに出る道を選びます。

こんなに愛し合っている2人を、否定する、否定できる人間がいるということは知っています。だからこそ、この38分のドキュメンタリーは作られたのでしょう。私たちには、それを見て受け止める作業が差し出されているのです。

この訴訟が1つのきっかけとなり、ニュージャージー州では6つの郡が法律を変えて同性パートナーにも年金受給資格を与えるようになりました。そしてローレルの死後9カ月後に、ニュージャージー州は州としてシヴィルユニオン法を可決したのです。

監督のシンシア・ウエイドの受賞スピーチです。

彼女自身はヘテロセクシュアルの既婚女性です。でも、スピーチでは「結婚している女性としての私は直面することのない差別に、この国の同性カップルが直面している」として、この映画をローレル・ヘスターの生前の遺言だと紹介しています。会場にはもちろんステイシーもやってきていたんですね。

今回のオスカーでも受賞コメントでのさりげないカムアウトがいくつかありました。ビデオを撮ってなかったので正確に確認できないのだけれど、作品賞も取った「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」のプロデューサーは、ステージ上で感謝する相手として最後に自分のパートナーとして「ジョン・なんとか」って名前を出し「ハニー」と呼びかけたのだけれど、「ジョン」だったのか「ジョーン」だったのか。なにせながら族でしたのでちょっといまは確認できず。
(確認しました。そのプロデューサーはスコット・ルーディンScott Rudinで、たしかにパートナーのジョンに向けて最後の最後にどさくさ紛れで「ハニー」って叫んでました。うふふ、よかったねスコットちゃん)

司会のジョン・スチュワートはゲイジョークとして楽屋裏で受賞した喜びでオスカー像同士をキスさせようとしている受賞者同士の会話を紹介してました。「でも、オスカーって男性よ」と1人。「そうね、でも、ここはハリウッドだから」と相手が言っていた、というもんです。ま、ネタでしょうけどね。

そうやって今年のオスカーも終わりました。地味目でしたね。
恒例の鬼籍に入った映画関係者の映像の最後に、ヒース・レッジャーが映りました。
なんだか胸が詰まりました。
でも例年になく、一人一人の映像が短かったような気がします。
で、ブラッド・レンフロがこの追悼映像リストになかったのは、どうしてでしょうね。忘れられちゃったんだろうかなあ。

February 13, 2008

オバマ1都2州も連勝

こうなるともうオバマを止められないのではないか、という印象です。
モメンタムは確実に彼に傾いた。女性票、高齢者票もオバマに流れ始めています。

思い返せば、スーパーチューズデーですでにその兆候はあったのでしょう。クリントンはカリフォルニア、ニューヨークを押さえたが、それでも代議員数で圧倒はできなかった。両者のあの時点の立ち位置は、下り坂でのそれと、上り坂でのそれの上下関係だったわけで、下り坂を転換できる得票ではなかったのです。

それを知ってか知らずか、アメリカのメディアの論調も概して追うオバマに好意的だったような、あるいは少なくとも面白がっているような、そんな印象でした。こうなるとそれ行けドンドンです。投票者のほうも尻馬に乗るというのか、そういう現象が起きているような気がします。民主党予備選の投票者でなくとも、街には「オバマ」と答えていたほうが楽という雰囲気が流れています。こうなると、もう止められないってのが常ですよね。

その直前情勢を、東京新聞4日付け夕刊文化面で分析しています。
ご笑覧ください。

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February 06, 2008

副大統領はだれだ!

どの州をだれが取ったとかはもう関係ない。どこの郡でだれがどれだけの代議員を獲得したかの、すごいミクロの戦い。で、得票数を合わせてみると、22州の得票総数ではヒラリーとオバマが本当にほとんど並ぶという前代未聞の激戦なんです。予想されていたとはいえ、攻めるオバマ、守るヒラリー、ゴジラ対キングギドラよりすごい。スーパーチューズデーは両者は互いに1歩も譲らず、やっぱり勝負は来月のオハイオ、テキサスあたりまでまた持ち越しです。

対して共和党は中道穏健派のマケインの勝利が近づきました。しかし驚いたのはやはりハッカビーの健闘です。キリスト教福音派、草の根保守層の存在感がまさに浮き彫りになった印象。この票田はもう1人の保守派ミット・ロムニーと分け合ってるんですが、ロムニーとしてはハッカビーさえ出てきてなければ(保守層の票を1本化できて)自分が波に乗れていたのにと思ってるはず。しかしほんと、この2人に分かれなければ、共和党保守派はマケインをとうに退けていたはずです。

さて、CNNなんぞはもう11月の本選挙をにらんで副大統領候補の話までしていました。その共和党の伝統的な支持基盤である保守層に嫌われるマケインは、いったいだれを副に据える心づもりか。

先週、序盤戦の失敗でジュリアーニが降りたときに、「自分は政治理念の同じマケインを支持する」と表明してその彼とハグし合ってましたね。それを見ながら、ふむ、マケインはひょっとしたらこのジュリアーニを副大統領候補として指名することもありかなと思った次第。

この2人が中道穏健派というのは、同性愛者たちの権利獲得や妊娠中絶に寛容だということからです。ジュリアーニはニューヨーク市長としてゲイ・プライドマーチには先頭切って歩いていましたし、マケインはブッシュが憲法修正で連邦レベルで同性婚を禁止しようとしたときに、共和党上院議員なのにそれに反対票を投じた。

このマケイン=ジュリアーニ・チケットは、大統領選で常にカギを握る、総投票者の30〜40%を占める中道浮動層をごっそり持ってゆく可能性がある。ヒラリーもオバマも急進的リベラルすぎると敬遠する中道層はすくなくないのです。そんな彼ら/彼女らは、マケイン=ジュリアーニのほうにずっと魅力を感じるのではないか。

しかし先週あたりからのハリウッドの動きは面白かったです。歌手や俳優たちがこぞってオバマ支持を表明し始めた。

このビデオもあちこちの友人からメールで回ってきました。すごいねえ、このアイディアと、もちろん、それを歌ってしまう才能。

ただ、これを見ながら、政治は芸能活動じゃないとゴアやケリーのときに苦虫をかみつぶしていた保守層の反発のことを思い出していました。ゴアのときも、ケリーのときも、こぞってハリウッドのスターたちが支持を表明して、それがキリスト教右派のやる気に油を注ぐ結果となった。アメリカはまだまだ実直な田舎の生活者の国。派手さを毛嫌いする層は確実に多数派なのです。そういうところからも、共和党は民主党よりも底力を持っていると見ていたほうがよい。

マケイン=ジュリアーニという、民主党の右派と支持層の矛盾しないチケットが出されたら、さて民主党はどうするのでしょう。こちらもヒラリーとオバマとが手を握り、夢の正副大統領チケットとなることはあり得るのでしょうか。

スーパーチューズデー直前のロサンゼルスでの2人の討論会では、さすが政治家同士、それまで修復不能なほどケチョンケチョンに言い合ってきたとは思えないほどの笑顔でした。ではこの2人のチケットはあり得るかというと、うーむ、ヒラリーが正の場合はあるかもしれませんが、彼女がオバマの副大統領候補に甘んじるかなあ。

ではそうなるとまた民主党の勝ちはないのか? また共和党政権なのか?

あります。民主党チケットが勝つための秘策は、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグを担ぎ出すことです。実務型の、堅実でまじめな副大統領候補。ヒラリー=ブルームバーグあるいはオバマ=ブルームバーグのチケットです。これは魅力的だ。マケイン=ジュリアーニに対抗するにはこれしかない。

しかし、ここには1つ落とし穴もあります。ブルームバーグは共和党を抜けていまは独立系の政治家。ですのでマケインがジュリアーニではなく、同じようにブルームバーグにアプローチしてくるかもしれないということです。これもあり得ない話ではありません。そうなると民主党が勝つ道はきっとなくなる。

しかしちょっと待ってほしい。それだとブッシュを2回も勝たせた3千万人キリスト教右派が取り残されることになります。中道と左派の戦いで、あと3分の1を占めるこの国の右派保守層の出番がない。

そう、共和党が本当に勝ちに出るなら、マケイン=ジュリアーニ/ブルームバーグではない。
その右派層をごっそりマケインに引き止めるには、マケインはバプティスト牧師のハッカビーを副大統領に指名することもあり得ます。
ただし、それではあまりにも政権に整合性がなさすぎ。ブッシュ父のときのクエイルみたいなバカだったらお飾りでよいでしょうが、ハッカビーはそうでもなさそうですしね。

ところでさっきハッカビーがCNNに出ていて、ラッシュリンボーやアン・クルターといった頭のおかしい右翼たちが「マケインが候補になるくらいならヒラリーに投票する」なんて言ってるのを「そういうことを言うのは本物の保守主義者ではない」と牽制してましてね、「私は同じ共和党としてマケインに投票する」と明言した。

じつはこうやって、現役の候補が、まだ自分が降りてもいないのに仮定の話としてもこうして他候補に「投票する」と言うのは珍しいことなんですね。これはこの時期、「おや、副大統領への布石かね?」とも勘ぐられる発言で……。

うーん、ポスト・ブッシュはもっと単純に民主党政権だと思っていた数年前が懐かしい。新たに副大統領候補という要素がカギになって、読みがじつに面倒になってきたわ。


ところでスーパーチューズデイに霞んでますが、南部、ものすごい竜巻が数十個も襲って現時点で45人も死んでいます。家からなにから根こそぎ持ってかれてます。
選挙のことは今日中にもこの竜巻のニュースに変わっていくでしょう。

スーパーチューズデー直前予想

2月4日付け 「東京新聞」夕刊文化面に掲載された原稿です。


*ゲラ刷りですので掲載記事はじゃっかんの修正があります(汗;)

◎攻めるオバマ、守るヒラリー
◎入り組む対立構図


5日のスーパーチューズデーを前にマンハッタンのレストランでひとしきり選挙談義になりました。経営コンサルタントの友人が「この国で黒人と女性とどちらが先に選挙権を得たか? その歴史に照らせばどちらが先に大統領になるかわかるさ」とうそぶきます。けれどこれはずるい謎かけなのです。

憲法上、米国の黒人層に参政権が与えられたのは1870年。しかし実際には関連法の追加追加で形骸化され、本当の選挙権はキング牧師が自由の行進で勝ち取った1965年まで待たねばなりませんでした。その間、女性は1920年の修正憲法で選挙権を得ました。では女性が先かというと、女性解放運動が実を結ぶのは60年代の黒人解放の後、70年代に入ってから。冒頭の「歴史に照らしてわかる答え」とはつまり「どちらも大変、紆余曲折」。

民主党の指名を争うオバマ、クリントン両候補が「これは人種選挙でもジェンダー選挙でもない」と言えば言うほど、この西部劇の国に残る根強い人種と性への偏見が透けます。黒人と女性の間隙を縫って、白人男性がまたまた大統領になる可能性も十分ですし。

その白人男性間で戦う一方の共和党もジュリアーニ撤退で構図がしぼれてきました。前2回の選挙でブッシュを当選させた宗教右派が今回のロムニー、ハッカビーをどう動かすかも気になりますが、マケインがこのまま連勝してやがてジュリアーニを副大統領候補に指名とでもなれば穏健中道派の大結集、これは強そうだ。先進的すぎるとオバマやクリントンを敬遠する層を一気に共和党に取り込むウルトラCです。ただしそれはまだ見えていない「おとぎ話」。スーパーチューズデー直前に分析するのは性急すぎる。

民主党に話を戻しましょう。なにより先週、ケネディ家の枢要メンバーがオバマ支持を表明したのにはだれもが驚きました。圧巻だったのはオバマ集会の壇上でエドワード、キャロラインらがそろい踏みしたテレビ映像です。

クリントンはファーストレディ時代からの盟友たるケネディ上院議員は当然自分を支持するものと思っていました。スーパーチューズデーの投票では2000人ほどの代議員を振り分けるのですが、カリフォルニアが441人、ニューヨークが280人、ニュージャージーが127人、ケネディ家の地元マサチューセッツが121人と、この4州だけで半数近い代議員を占めます。それらの州に特に影響力を持つケネディ家の思わぬ“造反”は彼女には大打撃です。

女性と黒人という要素の他に、民主2陣営にはベビーブーマーズ対ミレニアルズという対立構図も見えています。ブーマーズというのは日本でいう団塊の世代ですが、ミレニアルズというのは新千年紀世代、つまり西暦2000年以降に有権者資格の18歳になった若者世代の呼び名です。投票数こそそう多くありませんが、戸別訪問などでとにかくよく動く。大学生を中心に、そういう率先行動の若い運動員がオバマ陣営に目立ちます。彼らの純真で熱意ある説得が有権者の共感を呼んでいるのです。

対してクリントンはサウスカロライナで唯一勝利した年齢層が65歳以上の高齢者層でした。「ガラスの天井」という女性の昇進差別の時代を身に染みて知っているブーマーズ以上の世代が、「強すぎる」「男勝り」と嫌われる彼女をかばうように票を投じている。圧勝といわれていた数カ月前には予想もできなかった構図です。

夫のビル・クリントン元大統領の露出も増えていますが、なんだかずいぶん老け込んで演説の声にも力がなく、オバマ批判の言葉だけがとがって聞こえます。これも一般には先祖返りめいた印象をもたらしています。オバマも「未来vs過去」という新しい対立項を持ち出して、そんなクリントン陣営を真っ向から皮肉り始めました。

直前の雰囲気ではまたオバマに流れが傾きつつありますが、黒人票がオバマならラテン系の票がクリントンに流れることも。この激流の中で彼女がどれだけ既得陣地を守りしのげるか。民主党の指名勝負はマクロな州ごとではなく、代議員数のもっとミクロな足し算になるかもしれません。
(了)

January 09, 2008

ミレニアルズVSブーマーズ

ニューハンプシャーの開票がいま終わりました。しかしすごかったですね。昨日まで、というか開票が始まるまで断然劣勢を伝えられたヒラリーが大方の予想を裏切ってオバマをかわす──直前の世論調査がこうも外れるとはなんとも珍しいことです。

オバマの後ろに若者たちのパワーがあるのはアイオワで見せつけられました。そうしたら今度はヒラリーの後ろの女性たち、年長者たちが踏ん張ったようです。じつはきょうは1月にしては記録的な暖かさで、ニューハンプシャーはほんとうはこの時期寒さに凍っていて年長者が気軽に外に出向いて投票できるような感じじゃないんです。それがニューヨークなんて16度ありましたからね、NHが何度だったかは知らないけど、同じようなもんでしょ。同じ暖気に包まれる地域だし。で、それが年長者たちを投票に出かけさせた。

もう1つ、直前のヒラリーの「涙目」が女性たちをかき立てたのかもしれません。おまけに夫のビルまでが元大統領としては掟破りのオバマ口撃に参戦したのですから、クリントン世代の発奮もあったかもしれません。何て言ったかというと「オバマは上院議員になってからの議会での投票行動はヒラリーとまったく同じだ。それが何で彼女を自分とは違う旧体制の政治家だと批判するのか。Gimme a break, そんなフェアリーテイルは聞いたことがない!」──ふつうは大統領職をやった人間がこんな非難の言辞は吐かないというので各局のニュースコメンテイターはかなり今朝から批判的にこれを報じていたんですよ。Gimme a break! というのもかなりきつい言葉なんでね。冗談も休み休み言え、みたいな。フェアリーテイルはおとぎ話=嘘っぱちって意味です。

そうしたもんをぜんぶ跳ね返しての勝利。これを「組織票で勝るヒラリーが勝った」とさっそく分析しているのは読売ですが、それは違うでしょう。今日のニューハンプシャーの投票者数の予想外の多さはそれでは説明できません。

ビル・クリントンが指摘したようにアイオワ・ショック後のヒラリーは「旧体制政治家」の代表のようにエドワーズにまで攻撃されました。「毎日どうしてやる気満々で元気でいられるの?」と一般有権者に質問されて「It's not easy, It's not easy...(たいへん、ほんと、たいへん)」と心情を吐露した一昨日のヒラリーは、男たちにいじめられて歯を食いしばって耐える女性でした。わたしなんぞ、見ていて「こういうヒラリーは初めてだな」と、べつに肩入れしてないけどなんだかかわいそうに思った。しかもそれさえも新聞に「うそ泣き」とか言われてね、これはたまったもんじゃないわなあ。これ、ぜったい女性への侮蔑だよ。おまけにあのやり取りの翻訳、日本の新聞、けっこう間違ってるんだもんね。

◎気を取り直して「私はこの国から多くの機会をもらってきた。あとにさがることはできないの」と語り、支持者の励ましを受けた。(産経)
◎さらに「後ずさりするわけにはいかない。(大統領として)用意できている人もいれば、できていない人もいる」と述べ(毎日)
◎クリントン氏は、涙がこぼれないように顔を上向きにし、「簡単じゃない」と2度繰り返した。その後、支持者の拍手で気を取り直すと、「でも後ずさりするわけにはいかない。(時事)
◎女性から「どうやったら、いつも元気ですてきでいられるの」と聞かれると、「簡単ではない。本気で正しいことをやっていると信じていない限り、できることではない。多くの機会を与えてくれたこの国を後戻りさせたくない」と、やや声を詰まらせ、目を潤ませた。(読売)

でもこれ、
"I have so many opportunities from this country. I just don't want to see us fall backwards, you know?"
"This is very personal for me. It's not just political. It's not just public. I see what's happening. And we have to reverse it,"
あたりの翻訳なんですね。

これ、自分が「後ずさりできない」っていってるんじゃないのさ。
「私はこの国からたくさんのチャンスをもらってきた。だから、(そんな)私たち(の国)が後戻りするのを見たくないの」「これはとても個人的なことでもある。ただの政治的課題とか、公共のこととか、それだけじゃなくて。私にはいま何が起きつつあるのかわかっている。だから私たちでそれを逆転させないとって思うの」

けっこう、なまの感じが出てるセリフなわけですよ。「選挙はゲームだって言う人もいるけど、それは私たちの国のことであり、私たちの子供たちの未来のこと、つまり私たちみんなのことなの」とかってね、なかなかパーソナルな物言いなんです。

で、例によってこのインタビューがあっというまにYouTubeなどでネットに大量に流れ出しました。その時点でオバマ対ヒラリーはある意味明確に「女性嫌悪の男性たちvs判官びいきの女性たち」の戦いになったのではないか。加えて「ミレニアルズvsベビーブーマーズ」の図式が浮かび上がってもきた。そんな感じがするのですね。

「ミレニアルズ」とは聞き慣れない言葉ですが、現在25歳以下の若者たちをアメリカでは21世紀になって選挙権(18歳)を得た「ミレニアルズ=新千年紀世代」と呼ぶんです。

世代論に関する「ジェネレーションズ」などの共著があるウィリアム・ストラウスとニール・ハウによれば、オバマ支持のミレニアルズはその上の30〜40歳代(オバマがこれですね)のX世代(憧れは遊牧民)やヒラリー世代のベビーブーマーズ世代(理想主義者)、さらにその上の70代の沈黙の世代(芸術家)とは異なり、さらに上のGI世代と似ているんだとか。

GI世代とは第二次大戦を戦い、国連やソーシャルセキュリティ(米国の社会保障制度)という時代基盤を作り、戦後経済の拡大を担い、宇宙に乗り出し、冷戦と共産主義の終焉を見届けた、公共意識の強い建設者の世代で、憧れはヒーローだそうです。

GI世代のように、ミレニアルズもまたイラク戦争や地球温暖化など危機の時代に青春を過ごすヒーロー世代です。祖国アメリカへの忠誠心も強く、社会的責任感もX世代やブーマーズよりも真剣。ウェブ上ではそんな彼らが活発に社会問題を話し合ったり世論調査に参加したり疑似選挙を試したりしていたそう。

なるほどそんな彼らが本物の選挙に出てきたわけですね。どうも大学のゼミなども後押しして好きな候補の選挙事務所にボランティアで入り、選挙を実地で勉強してもいるらしく、そんな彼らが機動部隊としてかつてない戸別訪問を展開し、仲間意識で若者票を掘り起こした。「デモクラシー・ナウ www.democracynow.org」によると、オバマ選対に入ったプリンストン大学の政治学科の女子学生は「実際の政治運動には関わってこなかったけれど、演説会の熱狂はまるでロックコンサートみたい」と楽しそうに話していました。たしかに支持者の勧誘は大好きなミュージシャンの前売りチケットの直売みたいなもんでしょう。

アイオワでのオバマの躍進を演出したのは、前回04年の倍以上となったそんな若者票だったのです。それはニューハンプシャーでも同様でした。CNNがヒラリー勝利の報を打つのにAP通信より10分ほど遅れたのは、同州での学生街の3カ所の投票所がまだ開いていなかったからです。

いずれにしてもどんどんいろんな要素が絡みはじめてますね。つまりそれだけ浮動票が動くということで、それも直前にがらっと変わるということで、これじゃ世論調査も当たらないわけです。いやあ、それにしてもニューハンプシャーは驚いた。面白いなあ。

January 05, 2008

謹賀新年

明けました。おめでとうございましょうか。

とはいえ、このブログに何人ほどの読者がいらっしゃるのかもわからずに書き連ねているんですが、ずいぶん間があきましたね。12月は3週間ほど日本に行っていました。その間、いろいろとあったのにブログを怠けていました。今年は隔日刊くらいにはしたいんですが、まあ、無理でしょう。

さてさてアイオワ、やはりハッカビーが勝ちました。
アメリカでも日本でも民主党でヒラリーを制してオバマが勝ったというのの方が大きなニュースになっているようですが、私にはハッカビーの勝利のほうが今後、大きくなる可能性を宿すニュースだと思います。オバマの勝利は次のニューハンプシャーでもヒラリーに勝ったら、これは大ニュースですが。

さて、ハッカビーに関して毎日新聞はこれを『共和党の勝者ハッカビー候補は「ハートの人」』という見出しで分析しています。しかし、この見出しはあまりにもニホン的というか、どうしようもなく甘ちゃんだわなあ。

「保守的価値観と素朴な人柄を持つ「ハート(心)の人」が、データ分析を得意とする実業家で「ヘッド(頭)の人」と評されるミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事(60)より好まれた結果といえる。」という記事テキストに引っ張られた見出しなのですが、この文もいただけません。これはそんな牧歌的な話ではない。これは全米のエヴァンジェリカル(キリスト教福音派)を象徴して、アイオワの保守層が、モルモン教徒のロムニーからバプティストのハッカビーに雪崩れを打って乗り換えたということなのです。「ハート」だとか、そんなロマンティックな話なんかじゃまったくありません。わかってないなあ。これはすぐに南部州および中西部州へと燎原の火として広がるはずです。不足しているといわる資金などあっという間に集まります。キリスト教右派の金回りのことを考えたらそんなことはぜんぜん問題じゃない。

前回の「レノンの否定したもの」に続き、福音派のことをもうすこし書きましょう。

福音派とは、聖書にある「福音」を文字通りに信じ込む人たちです。聖書に間違いはない(無謬主義)として、各地で子供たちに「恐竜はいなかった」と教えています。笑い話ではありません。子供たちって恐竜が好きでしょ? だからその恐竜を掴みネタにするんですね。それで、この世は3千年前に神さまによって6日間で作られたもので(7日目はお休みの日ですわ)、数万年前にいた恐竜という話やその証拠たる化石自体が、悪魔が人間を惑わすために作り上げたとんでもない嘘っぱちだと教えるセミナーを全米のコミュニティ単位で開催し、悪魔の手先であるダーウィンと神様とを比較してどっちを信じるのかと子供たちに迫っているのです。おまけにそのための進化論否定の絵本まで大量に販売・配布しているの。ホントだよ。

それだけじゃない。南部州では福音派のプロレスや福音派の自動車愛好家クラブや福音派のドライブスルー教会まであります。プロレスはね、プロレス興行で戦って勝利したレスラー・プロモーターが試合後にリングに立ってマイクを握り、熱狂している観客に聖書の教えを説くというすごいものです。乗りとしてはテレビ伝道師やメガチャーチ(巨大教会)の煽動家と同じなんですが、そういうところに集まる信者数は全米でのすべてのスポーツ試合に集まる観客数よりも多い。

メガチャーチの会衆をテレビなどで見たことがある人も多いと思いますが、彼らはまるでアイドルを見るかのように説教師の話に感動して涙を流しているのですね。でも話の内容はべつに大したことはないのです。神さまがいつも私たちを見ていてくださるとか、そういうじつに念仏的な常套句でしかない。まあ、「相田みつを」みたいな話ですよ。しかし彼らはみんなそういう集会によって(あるいはそういう集団ヒステリーによって)「生まれ変わった(born-again)」経験を持っているのです。それは彼らがいうには「霊験」なのです。

こういうのはふつう、私たちは鼻で笑っちゃう。鼻で笑っちゃう人が多い州はアメリカでは「ブルー・ステート(青色の州)」といいます。青は民主党のシンボルカラー。対して共和党は赤(レッド)です。レッド・ステートは南部・中西部に集中していて、そんな州を、ブルーの北東部や北西部の州たちが「嗤う」。この図式をレッドステートの人たちも知っていて、これをじつに苦々しく思ってきた。それは南北戦争にもさかのぼります。

でも、アル・ゴアもケリーも、この鼻で笑っちゃうような人びとによって打ち負かされた。進化論を否定して神さまだけが頼りの、貧困で無教養でレッドネックでホワイトトラッシュな人びとが、ハーヴァードとかイェール出身のエリートたちの、その嗤った鼻を明かしてきたのです。

この爽快感は他の非ではない。そのことに彼らは気づいてしまいました。で、今回のハッカビーの背後には、そうした政治的宗教者たちのふたたびの大号令が働いているのですね。「アメリカを不信心なエリートたちから取り戻そう!」運動の、大統領選挙はまさしく最大の決戦場なのです。

味を占めたというか、かつてはアメリカのそうした大衆は「政教分離の原則に則って」というよりもむしろ高度に知的な場とされていた政治に怖じ気づいて距離を置いていたのですが、それがブッシュ陣営のカール・ローブらのネオコン選挙テクニックで火をつけられてしまって、いまやネオコンの煽動なしでも(あるいはわずかな後押しで)政治的に動く存在になったのでしょう。いまやメガチャーチはあからさまに政治と連動する保守派メッセージの場になっているんですね。

前回の大統領選でブッシュに投票したのは福音派=キリスト教原理主義といわれる人びとでは78%にも達しています。そんな彼らが今度はハッカビーを担ぎ出す。それは火を見るよりも明らかでしょう。そうしてこれまではイラク戦争や財政赤字や格差問題が焦眉の急だった大統領選の核心が、今後は再び同性婚への反対や妊娠中絶の反対やフェミニズム反対(=反ヒラリー)へと矮小化されるのです。

もう1つ懸念されることも書いておきましょう。それは彼らキリスト教原理主義者たちの一部が白人至上主義者たちのグループとも重なっているということです。これはまだ表面化していませんが、もしオバマが民主党候補として出てくることになると、さて、どんなことになるのか。

2008年は大統領選挙という政治の年だといわれるかもしれませんが、その実はむしろ裏では大変な「宗教の年」なのだと思っています。私はかなり以前に、アメリカはブッシュ後の民主党政権で同性婚容認へと大きく踏み出すに違いない、というような希望的観測を書きました。それは当時の欧州での同性婚容認の流れや、反ブッシュの世論から見ても当然と思われた。でも、それは私こそが甘チャンでした。

ブッシュの不人気で次回は共和党に勝機はないと見ていたのですが、果たしてそうなのかも私の見方は危うくなってきました。ヒラリー、オバマとも、この2人の民主党候補にこそ、「彼ら」は燃えるのではないか。それはもう、政策とかいう次元の問題ではないのかもしれないのです。どうしてハッカビーがニュースなのか、これでだいたいわかってもらえるのではないかと思います。

もっとも、そんなハッカビーの「燎原」は、次回ニューハンプシャーなどのブルーステーツの予備選では見えてこないでしょう。そういう意味ではこれから少し沈静化するかもしれません。しかしそれは鎮火ではなくて、熾き火化のようなものでしょう。どんなに時間が経っても、それは再び薪をくべればすぐに燃え上がるのです。思えば、アメリカとはそういうマグマを常に持ちつづけているピューリタン国家なのですから。

December 10, 2007

レノンが否定したもの

クリスマスが近づき、NYの中央郵便局では恒例の「オペレーション・サンタ」が続いています。恵まれない子供たちから「ディア・サンタ」という宛名だけで投函される願い事の手紙を局内の特設コーナーで公開し、NY市民がその中から願いを叶えてあげられると思った手紙を持ち帰って、サンタに成り代わって返事なり贈り物なりを送ってあげるというこの「作戦」は、いつも私に米国の善意というものを教えてくれます。

もっとも、クリスマスが近づくとアメリカ人は善い人になる、と事を単純化して済む時代でもありません。米国のキリスト教はなんだか本来のキリスト教と変わってきた印象があります。大統領選のたびにそんな思いが強くなるのです。

今回もその空気が流れ始めました。アイオワが近づくにつれ熱を帯びてきている共和党の予備選で、前アーカンソー州知事のマイク・ハッカビーが急浮上してきました。彼はもともと南部バプテスト教会の牧師。明確なキリスト教者を欠いていた共和党候補者の中で突然、キリスト教右派(福音派)の支持がこの彼に結集し始めています。アイオワでは、ともするとこのハッカビーがトップで指名を受けるかもしれない勢いです。

そうなるとそんな宗教保守層の票欲しさに、候補者たちは民主党の候補までも、まるで踏み絵を踏むように神への献身を表明しなくてはならなくなる。候補者たちに「あなたはどれだけ聖書を信じているか」という査問が行われ、いつか「宇宙は神が7日で創造したと信じるか」と審問が始まるのでしょうか。

かつてのキリスト教信者は福音派といえども全体としてはもっと寛容で政治的にも控えめでした。それがいつからか一枚岩のように結束し、聖書に誤りはないと声高に主張するようになった。

これはきっとテレビ伝道師たちやメガチャーチ(巨大教会)の威勢のよい説教の賜物でもあるのでしょう。昔は土地柄や歴史背景ごとにもっと機微に富んでいた信者たちが、何万人もの前で朗々と神を説く伝道師の姿に一元的になびくようになった。全員がこれこそが神の国を実現する教えだと信じ込んだ。

そんな彼らをうまく政治の場に呼び込んだのがブッシュであり、80年代のレーガン時代でした。そういえばテレビ伝道師たちが富と権力を持ち始めたのもレーガン時代からです。

選挙に立つような人はアメリカでは実は「神はいない」という当たり前のことさえ口にできないのです。この状況は、政教分離、言論・表現の自由のいずれの観点からも由々しきことなのに、大統領選ではそれが当然のことのように幅を利かせています。

そうしてこの国ではいまも同性愛憎悪が病的に強く、念仏のような妊娠中絶反対の繰り言が止みません。もっと重大な問題があるのに、そうやって恐怖カードをちらつかせる。そんな手法が今度の選挙でまた繰り返されるならウンザリです。

8日が命日だったジョン・レノンの「イマジン」は日本では平和の歌として知られていますが、じつはとてつもなく過激な宗教否定の歌です。多くの戦争の背景に宗教があるということを前提に「頭の上には空だけで天国なんて存在しない。ぼくらの下にも地獄なんてない」と宗教的妄想を唾棄して歌は始まり、「そのために殺すに値するものも、死ぬに値するものもない。宗教もないんだ」と歌うのです。レノンがCIAに監視されていた理由もわかるような気がします。

**

思い描いてみよう 天国なんてないんだって
そう考えるのは難しくはない
ぼくらの下には地獄もないし
ぼくらの上には空しかないんだ
思い描いてみよう みんな人間が
今日のためだけにただ生きているってところを

この世界に国なんてものもない
そう思ってみるのは難しくはない
人を殺したり、自分が死んだり、そんなふうに命を賭けるものなんかなにひとつなく
もちろん命を賭けるに足る宗教なんてのもありはしない
思い描くんだ みんな人間が
穏やかに幸せにただ生きているところを

ぼくを夢見るだけのばかだって言うかもしれないが
それってでもぼくだけじゃないから
きみもいつかぼくらといっしょになって
そして世界も一つになれればいい

思い描いてみよう なにがだれのものだなんて概念もなく
これはちょっと難しいかもしれないけれど
欲張ったりがっついたりする必要もなく
みんな兄弟みたいにつながって
思い描いてみるんだ みんな人間が
世界をすべて分け合っているところを

ぼくを夢見るだけのばかだって言うかもしれないが
それってでもぼくだけじゃないから
きみもいつかぼくらといっしょになって
そして世界も一つになれればいい

December 01, 2007

女の戦争

もうすぐまた日本に行くんですがね、日本に帰るたびに「女性に喜ばれる」「女性に人気」というフレーズがやたらあちこちで耳に入ってきて気になるんですよね。料理番組などで美味しくてヘルシーできれいな品が出ると「女性にはうれしいですね」というコメントが自動的に出てきます。ケーキやデザートの評もよく「女性には天国ですね」。小洒落た感じのものはすべて「女性にピッタリ」。そんな言葉を聞くたびに、べつに男だってこういうの好きでもいいじゃねえか、って突っ込みたくなるんですわね。

まあこれは女性を惹き付けなければ商売にならないという、もっぱらマーケティング上の要請なのでしょう。しかし世のTVリポーター諸氏はおおむね軽い乗りで、そこまで意識的には見えません。女性たちってみんなそんな簡単な生き物なんでしょうかね。なんか、バカにされてるって思わない?

米国のメディアで「これは女性にうってつけ」などと安易にコメントしたら、ジョークであってもステレオタイプのセクシスト(女性差別主義者)としてクビが危うくなるはずです。こうした反応は80年代のPC(政治的正さ)の風潮の中ですでに定着していて、オンナと見れば色目使うのが義務だと思ってるイタリア男だとかオンナと見ればからかうのが挨拶だと思ってるニッポンのおぢさんとかはあっというまにアウトでしょうな(と、これまたステレオタイプな決めつけ)。

というわけで、ハリウッドではもう一見か弱そうだった女性たちが猛然たるヒーロー的活躍をして大団円を迎える映画がパタン化して久しい。これまで男性に品定めされてきた女性たちは、いまは逆に男性を品定めする存在となっているわけで、かくしてそこにいま、ヒラリー・クリントンが登場してきたのでしょう。

で、このヒラリー、好感度も高いが逆に「絶対に嫌い」という人がほんと、異様に多いんですわ。私のまわりでも、最近いつもデートしてる友人のニューヨーカー、彼女も歴とした民主党支持の、知的でリベラルで柔軟な思考の持ち主なのですが、その彼女までもがしかし「ヒラリーだけは絶対いや」と宣言するのです。いわく、ぜんぶ大統領選用の演出だ。リベラルだったのが中道寄りになり、過去の発言も選挙用に言葉を濁す。選挙に有利なよう夫とも仲良いフリをする……云々。

しかしまあ、そんなの政治家ならだれでもやってることじゃないの、と思うのですが、「女性は女性に厳しいのかなあ」などというステレオタイプの分析も、これもまた女性差別主義者の言辞。

ただ、反ヒラリーの有権者の中には、ヒラリーの「男勝り」な部分を快く思っていない層がいることは確かだと思います。それはハリウッド映画も気に食わないような保守層だけではないはずです。「リベラルすぎる」という理論的な批判の裏で、どこかに「オンナのくせに」という苦々しい情念が女性有権者層も含めて存在するのではないか。あるいは自分はこんなに苦労して「オンナ」を続けてきたのに、颯爽たる女性像を見せつけられてまるで自分が否定されているように感じてしまう当事者たちの心理も。

そんなことを考えていたら、産経の30日のオンライン版に、ワシントンの古森のおぢちゃまがゾグビーの最新世論調査を引き合いにして、ヒラリーは共和党の有力5候補のどの候補にも勝てないという結果が出た、と書いてました。「今回の結果は巨大なインパクト」だってさ。

でもなんとなく、そういう懸念はわかります。これね、女性嫌悪なんですよ、きっと。世の男たちの中のミソジニー。女たちの中の近親憎悪。そういうものがもぞもぞと首をもたげている。どこまでが環境あるいは刷り込みによるものか、わからんのが厄介ですがね。

ヒラリーさんは今後、先頭を走れば走るほどそんな密かな女性嫌悪をあぶり出すようになるでしょう。反ブッシュで直進すると思われたこの選挙は、ヒラリーさんにはじつは政策論争の前にまずその性差の偏見と戦わねばならない、ものすごく複雑な選挙になりつつあります。今更ですがこれは、女性が初めて大統領になれるかどうかという、西部劇の国の大変な歴史の転換点なのです。

September 25, 2007

安逸を求める

イランのアフマディネジャドが国連総会出席でNYに来ています。
今日の午後にはコロンビア大学で講演を行いました。
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もちろんQ&Aの時間が設けられていて、聴衆の1人はイランにおけるゲイの人権と死刑執行について質問しました。これに対して彼は性的指向の観点はまったく無視して米国でも死刑制度があることを指摘して直接の回答を回避しました。しかし司会役の学務部長はさらに回答を促しました。その結果の彼の返答はこうです。

「イランにはあなたの国とちがってホモセクシュアルたちはいません。私たちの国にはそういうのはないのです。イランには、そうした現象はない。私たちの国にもあるのだと、だれがあなたに言ったのか知りませんが」

アフマディネジャドはもちろん聴衆から失笑とブーイングを浴びました。まあ、彼の言いたかったことは、「われわれはホモセクシュアルたちを殺しているからイランにはそういうのはなくなっているのだ」ということだったのでしょう。2年前の2005年7月に行われた少年2人の絞首刑を、私たちは忘れてはいません。
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宗教というのは、答えの用意されている教科書です。巻末を見れば練習問題の答が書いてあるから、それを憶えればいちばん手っ取り早いし神様・お坊さま・司祭さまにも誉められる。それでめでたいので自分で考える必要などありません。はたまた質問そのものの正当性、さらには答えの真偽を疑うということもありません。なぜなら、それは「信じる」ことをすべての基本においているからです。「信じる」は「疑う」の対義語です。そうして「疑う」は「考える」の同意語です。宗教に「なぜ?」は必要ない。むしろ、邪魔で、いけないことです。

なぜ? と考えずに済む人生は、なんと安逸なものでしょうか。もっとも、宗教的生活を送っている人たちも、誠実であればあるほど宗教的回答を突き超えて必ず「なぜ」を考えてしまうものですが。

その辺のことは2005/02/22の「生きよ、堕ちよ」でも書いていますが、思えば、日本語訳ではいまいちその過激さが伝わっていないジョン・レノンの「イマジン」も、じつはすごい宗教否定の歌なのです。多くの戦争の背景に宗教があるということがわかりきっているとして、頭の上には天国なんてない、ぼくらの下にも地獄なんてないんだ、と宗教的迷妄を唾棄して歌は始まるのです。レノンにはもう1つ、「God」というすごい歌があって(というかそのままなんですけど)、そこでははっきり「神なんか、自分の痛みを測るためのメジャーでしかない」と宣言しているんですよね。

しかしアフマディネジャドなるものに対抗するには、どうすればいいのでしょう。
憎悪と嫌悪にまみれた、聖という名の邪悪。
しかも、われわれには憎悪と嫌悪という武器はないのです。手ぶらで、丸腰で、身1つで、戦わねばならない。こまったもんです。

September 21, 2007

強きもの、その名は親

カリフォルニア州サンディエゴ市の市議会が19日、同性婚を禁止しているカリフォルニア州に対して、州最高裁判所がそれを違憲として覆すようにと求める決議を採択しました。まあ、それはよくあることで、それにカリフォルニア州は今月初めに州上院が賛成22反対15で同性婚法案を可決し、それにシュワルツェネッガー知事がまたまた拒否権を発動の構えという状況がつづく場所でもあって、米国における同性結婚問題の最前線でもあるのですが、今日のお話はそれをふまえて、じつは、そのサンディエゴ市長(共和党)が、その市議会の決議にやはり拒否権を発動すると思われていたところ、それをしないばかりか驚きの声明を会見で明らかにしたというお話です。

市長さんは共和党所属の人ですんでもちろん同性婚には反対の立場で、でもカリフォルニア州という土地柄もあってその代わりに「シビル・ユニオン」制度の導入をしようという立場の人でした。

昨晩の記者会見に出てきた市長はこう言いました。

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「Two years ago, I believed that civil unions were a fair alternative. Those beliefs, in my case, have since changed. The concept of a 'separate but equal' institution is not something that I can support.」
(2年前、私はシビルユニオンなら公正な別オプションだと信じていた。そうした信念はしかし私の場合、変わった。「別物の、しかし平等ではある」制度という考えは、私が支持できるものではない)

ん? どういう意味? シビルユニオンじゃなく、結婚じゃないと公正じゃないってこと?

そうなんです。
理由は?
サンダーズ市長の娘さん、リサさん(上記写真中央)、レズビアンなんですね。で、そのことを4年前に父親に打ち明けた。自分には大切な女性がいるとも。そうして、お父さんはずっとそのことを考えてきたんでしょう、「もうこれ以上、私にはこの国ですべての人に与えられている権利を彼女には認めないというわけにはいかなくなった」という結論に達したわけです。

市長さん、続けて曰く、「とどのつまり、私には彼ら彼女らの顔を見て、きみらの関係は、そしてきみらのまさに人生それ自体も、私が私の妻ラナと分かち合っているこの結婚と比べて無意味なものだとはとても言えるもんじゃないということだ」

サンダーズ市長は、この決定に当たって「ゲイである自分の友人たちやスタッフたちのことを考えた」といいます。

「I just could not bring myself to tell an entire group of our community they were less important, less worthy or less deserving of the rights and responsibilities of marriage than anyone else, simply because of their sexual orientation...I want for them the same thing that we all want for our loved ones. For each of them to find a mate, whom they love deeply and who loves them back. Someone who they can grow old together and share life's experiences.」
(我々のこのコミュニティのグループ全体に、彼らの重要性、彼らの価値、彼らの権利適性、彼らの結婚への責任感が、ただその性的指向を理由に、他の誰彼と比べて劣るものだとは、私にはどうしても言えなかった……私は、私たちのすべてが私たちの愛する者のために欲するのと同じものを彼らが得られるように求める。それは彼らが、深く愛し、同じように愛を返してくれる伴侶を見つけられるということだ。彼らがともに年を重ね、ともに人生の経験を重ねられるようなだれかを得られるということだ)

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サンダーズさん、共和党ってだけじゃなく、元は警察署長だった人だそうです。

子を思う親の気持ちってのは強いなあ。
福岡の、あの飲酒運転で3人の子供を失ったあの若いお父さんお母さんの思いも。
少年に、妻と子を殺された山口県光の旦那さんも。

August 27, 2007

恥で倒れた仏像

民主党の小沢代表が「アフガン戦争はアメリカの戦争」と言ってテロ特措法の延長に反対していますが、アフガン戦争とイラク戦争とを明確に区別できる人がいまどれくらいいるかというと、当事者のアメリカ人でさえあまりいないんじゃないかというのが正直な印象です。

日本だってそうでしょう。いまさっきもテレビで評論家諸氏がしっかりと「イラク戦争」と言い間違えてましたし。じつは小沢は、そんな“混乱”をうまく利用してテレビ中継までさせてシーファー大使に直かに反対を伝える政治演出を見せたんだと思ってるんですが、さて、どうなんでしょうね。

そもそも小沢の今回の特措法延長反対の宣言の真意は、確かに「アメリカにノーと言える政治家であるということの演出」ではありながらも、じつはアメリカそのものへの強気の「ノー」ではなくて、ブッシュ政権への「ノー」なのですね。ブッシュ不人気はもう米国内だけの現象ではなく、そうした国際的な「脱ブッシュ」の列に加わってみせたからといって日本の国益はそう損なわれまい。もし損なわれたとしても次のヒラリー率いる民主党政権(?)との関係でいくらでも修復できる、そうふんでの小沢一流の政治演出なのではないかと思えました。日本じゃテレビに登場する評論家たちのだれもそんなこと言ってないけど。

ただしこの小沢演出には落とし穴があるのです。

おさらいしてみましょう。
アフガン戦争のきっかけはイラク戦争と同じく例の9・11でした。ブッシュは世界貿易センタービルを破壊されて拳を振り上げた。それはよいのですが、さあさてそれをどこに振り落とせばよいのか、なにせ相手は国家ではなくて流浪のテロリスト、どこに拠点があるかも分からない。で、9.11の下手人としたオサマ・ビン・ラーディン率いる武装組織アルカイダを、アフガンのイスラム原理主義政権党タリバンがかくまっているとして、それでアフガニスタンに拳を振り下ろすことにした、というのが始まりでした。これで体裁は対アルカイダ=対タリバン=対アフガンという国家間の戦争になったのです。思い出してください。当時、アフガン空爆が「これは戦争か?」とさんざん議論されていたことを。

ところが数億ドルもかけて空爆・ミサイル攻撃しても破壊するのが数百円の遊牧テントだった。世界最貧国への攻撃というのは、じつにどうにも“戦果”が上がらない。箱モノ行政の逆ですね。おまけにどこに行ったかビン・ラーディンもさっぱり捕まらない。そこで国民の目をイラクの独裁者フセイン大統領に逸らせた、というのが次のイラク戦争でした。

米国では現在、撤退論かまびすしいイラク戦争に対して、アフガン戦争はあまり話題に上っていません。というのも、アフガン戦線はじつは昨年7月から軍事指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移行し、英・加・蘭・伊・独が主力構成軍です。米国はそうしてイラク戦とアフガンでのビン・ラーディン狩りに戦力を傾注した。なもんで、アフガン戦争を「アメリカの戦争」と言い切ってそれで済むかというと、それはちょっと違うのです。

しかもアフガニスタンは米国の石油戦略にとって重要な中央アジアからの天然ガス・石油パイプラインの敷設予定ルートでもあって、見捨てるわけにはいかない土地です。次期大統領を狙うヒラリーにしても撤退などは口にしていません。NATO諸国にとっても同じでしょうし、日本だってテロ特措法を成立させた当時の小泉政権は日米同盟と同時に石油のことも考えていたに違いありません。

そういう意味で、小沢のテロ特措法延長反対=アフガン戦線からの離脱宣言は、国内向けには演出で済むが、国際的にはよほど裏ですり合わせしなければならない事案なのです。日本の民主党は一刻も早く米民主党およびNATO諸国とそのあたりについてきちんと協議できるパイプを敷設すべきでしょう。

ただし、そこには問題があります。アフガン戦線はイラク戦争と同様に泥沼化してとんでもないことになっています。カルザイ政権も弱体のままです。アフガンへの関与は本来、自衛隊による給油活動などといった程度では済まされないはずのものです。もちろんそれは軍事後方支援などという単純なものではない。日本にはそうしたコミットメントの十全の覚悟があるのかどうか。

アフガンのあのバーミヤンの大仏がタリバンによって破壊されたとき、私たちはそれ以上に多くの人間の生と生活の破壊があったことも知らずに憤慨してみせました。あのときイランの映画監督マフマルバフはこう言ったものです。「あの仏像は誰が破壊したのでもない。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知を恥じて」──私たちはまだ無知なままなのです。

June 22, 2007

従軍慰安婦、全面広告の愚

何か問題があったときにその問題を指摘した相手のことを同罪じゃないかと責めても問題解決にはまったくなりません。「◎×君は廊下を走りました」と言われて「△◆君も走ったじゃないか」と言っても帳消しにならないばかりか、そういう抗弁はとても子供じみたものに受け取られるのが普通です。

それを大人が、それも国を代表する国会議員やジャーナリスト、大学の先生までが真顔で言ったら「子供じみた」では済みません。私が14日付のワシントンポスト紙に掲載された「THE FACTS(事実)」と大書された全面意見広告を見て、これはまずいことになるぞと思ったのはそういうことです。

この広告は、いわゆる従軍慰安婦問題で櫻井よしこや元産経の花岡信明、すぎやまこういちらの呼びかけに応じた日本の国会議員らが連名で「第二次大戦中に日本軍が強制的に従軍慰安婦を徴収したことを示す歴史文書は存在しない」と訴えたものでした。「米国民と真実を共有する」とうたった同広告は、「慰安婦は『性奴隷』ではなく、当時の世界では一般的だった公娼制度の下で行われていて大切に扱われていた」「多くの慰安婦女性は佐官級将校やあるいは将軍級よりもはるかに多い収入を得ていた」などとする5つの「事実」を列挙しています。それだけでも言い訳がましく響くのに、ダメを押したのが次の文章です。

「事実、多くの国が自国兵による民間人強姦を防ぐために軍用の娼館を設置していた(例えば1945年には占領当局はアメリカ兵による強姦を防ぐため、日本政府に対し衛生的で安全な“慰安所”の設置を求めた)」

いったい、どういう神経がしれっとこういう文章を書くのか。この記述内容が間違いだとは言っていません。問題は書き方です。「言い訳がましく響く」どころか、これはまるで「おまえの母ちゃんデベソ」ではないか。こんなふうに言われて、アメリカが「ああ、そうでした」と銃をしまうとでもお思いか。

これは本来、膝を突き詰めて腹を割って直談判しているときに出てくる話でしょう。説得とはそうやってするものだ。複雑に入り組んでいる国際問題ならなおさら。ところがブッシュ一辺倒で来た自民党は、米議会で勢力を得た米民主党のキーパーソンとの親密なパイプをだれも持っていなかった。だれもこういう話が出来ないのです。そうして、何を勘違いしたか、本来ならば密室でのせめぎ合いの一端を新聞紙上でかくも公然と高圧的に講釈したもうた。バカじゃないのか。

案の定、これが火に油を注ぐことになりました。副大統領のチェイニーもこれに目を剥き、4月の安倍訪米での謝罪でなんとなく鈍化していた米議会も一気に日本非難決議採択でまとまりました。掲載がNYタイムズではなくワシントン・ポストでまだしもよかった。NYタイムズならあっというまに一般市民にまで反日気運が広まったかもしれません。

思えばこのすり替えの論理は従軍慰安婦に限ったものではありません。故松岡農相のナントカ還元水に始まる事務所費乱用問題では「(民主党の)小沢さんの使い方はどうなんですか」と気色ばみ、年金問題では「そのときの厚生大臣は菅(直人)さんじゃありませんか」といずれも相手の責任に問題をずらす総理大臣がいます。

見逃せない点がもう1つ。「強制はなかった」という言い方は、沖縄戦での集団自決に関して「日本軍の強制はなかった」という論理とじつに似通っている。問題は、従軍慰安婦も集団自決も、それを「強制した文書が存在する、しない」ということではないのに。

あの沖縄戦で、日本軍の基地建設にも関わった沖縄島民は米軍にとらわれて軍事機密を明かしてしまうことを懸念されていた。それで日本軍は鬼畜米英を強調し喧伝し、重要な軍事物資であった手榴弾を島民たちに手渡す。たとえそこに言葉や文書による命令がなかったとしてもそれは自決への明確な誘導であり、その体制での誘導とは精神的な強制以外のなにものでもなかったことは想像に難くありません。ふだんは「すべてを言わずにそれを斟酌するのが日本語の美徳」などと言っておきながら、右翼保守派はこういうときに限って「具体的な言葉がなかった」と逃げ道に使う。まったく、汚いことこの上ない。

同様に、従軍慰安婦でも問題はそれを生み出した戦時体制全体なのであって、慰安婦はその中の一具体例でしかないのです。強制を示す文書がなかったといって鬼の首でも取ったかのようにはしゃいで新聞に全面広告を出すなど、やぶへび以外のなにものでもありません。そんなことを証拠立てたって本質としての軍国体制そのものが赦されるものではない。ここには例の靖国問題の本質も通底しているのです。

こうした一連の自虐史観の書き換えは安倍政権にとっては「戦後レジームからの脱却」の作業の一環かもしれませんが、米国では「第二次大戦の敗戦の否定」「戦時体制の肯定」として映っています。そこを相手にせずに慰安婦は強制しなかったと言っても、「だから何だって言うんだ」なのです。

今回の非難決議は、端緒はたしかに一議員の選挙区事情に動機付けされた側面もあったでしょうが、しかし現在ではすでに、いまの安倍政権を右翼政権ととらえる米民主党の政治的警戒感の表れへと変容しているのです。憲法改正や靖国参拝など、安倍晋三の体質を祖父の岸信介にまで遡って右翼や宗教右派と結びつけて論じるのが米国の民主党系知識人の傾向です。ですから慰安婦問題を足場に自民党の右傾化を阻もうというもうひとつ大きな政治的意図──まさに米民主党からの、米次期政権からの、これは申し置き状だと思って対処したほうがよいのでしょう。米民主党とのパイプをないがしろにしてきたツケが回ってきているのです。

May 08, 2007

ワシントン詣でが明かしたもの

日本の新聞が何を有難がってか「ジョージ、シンゾーとファーストネームで呼び合う仲になった」とうれしそうに記事にしているのを見て、いったいそのどこがニュースなんだとひとりで突っ込んでいました。「ロン、ヤス」の場合は短縮形でもあるのですこしは意味があったのかもしれませんが、「ジョージ、シンゾー」ではひねりもなにもあったもんじゃありゃーせん。当たり前の話だってだけです。

ゴールデンウィークは日本の政治家たちの外遊ラッシュでした。その中で安倍と大臣格上げになった久間防衛相、それに麻生外相という閣僚を含め、ワシントン詣では計30人ほどにもなったそうです。

で、安倍は従軍慰安婦問題でこれまでの御説とどうにもチグハグな感の否めない「謝罪」を強調して意味がわからない。久間も「イラク攻撃は誤り」発言や「(普天間基地移転で)やかましい文句をつけるな」発言、さらにはイージス艦機密漏洩事件の不祥事をひたすら謝る旅になってしまいました。結果、軍事機密保持協定に合意したという、まんまと米国の術策にはまったようなことになった。

これが野党から「強硬右傾化」政権と批判されている同じ政府なのか、「押しつけ憲法を自主憲法に書き換えるぞ」と力む前に、自分の自主自立を図ったほうがよいような体たらくです。

久間が撤回した「イラク攻撃は誤り」はいまでは当の米国人の大半が結論づけている正論なんですよ。それでブッシュ政権は支持率28%という最悪状態になっている。それを一度チェイニーや中央軍司令官が会ってくれなかったからといってどうしてビビることがあるのか。ビビっているのはブッシュのほうなのです。英国のブレアが退陣寸前なのも、イラク戦争で米国と歩調を合わせているのが背景です。ブッシュ政権が大きな顔をしていられるのはいまや日本政府に対してだけなのです。

その大きな顔にこれまたすくんだか、普天間基地問題は沖縄の人たちに説明する前にシンゾーが「合意どおりに着実に実施する」とジョージとの首脳会談で表明してしまった。自国民に伝える前に米国大統領に約束する首相とは何者なのか? まさに主客を転倒して、それでどうして美しい国になれるのか、わけがわからない。

以前から繰り返しているように、米国では来年の大統領選で民主党政権が生まれるかもしれません。今回のワシントン詣でで、日本の政治家たちにそうした民主党のキーパーソンとの個人的なコネクション、それこそ報道用ではないファーストネームの関係を模索した陰の動きがあったのかどうか……はなはだ心もとないところです。

どんなに日本がおもねってみても米国という国は結局はそのときの政権の都合の良いようにしか動きません。いつのまにか北朝鮮の拉致問題が国務省のテロ白書で昨年の3分の1の記述に縮小され、北担当のヒル国務次官補が「いまはわれわれが辛抱すべき」と北擁護に回っているのですからね。アベちゃんよ、どうしてお得意の拉致問題をジョージ君のケツにねじ込んでやんなかったのか。ケツはねじ込むためのものであってキスするためのものではないのだよ(お下品、しかし米国語の表現ではそういうのです。すんません)。

小泉政権での郵政民営化も米国の思惑どおりで日本売りだという批判がありました。
安倍内閣は国内向けには日本第一のような勇ましいことを発言しつづけていますが、米国詣ででのこの平身低頭ぶりを見ると、ミサイル防衛システム参加や集団的自衛権の容認、つまりは憲法9条の“改正”もじつはアメリカの思惑どおりじゃないかと気づきます。さすればこれは日本売りなどという甘っちょろいもんじゃなく、じつは「押し付け憲法」の受け入れなんかよりもはるかに手の込んだ「売国」の一環なのではないかとさえ思えてきます。いや、それはなかなか的を射ているかもしれません。

さて、ここまできて、冒頭の「ジョージ、シンゾー」関係がじつは別の意味でニュースだったのだと気づくわけです。

アベちゃんは揉み手をしながら媚び諂いを込めてジョージと呼んでいるかもしれないが、ジョージ君のほうは意のままになるペットでも呼ぶように「シンゾー」と呼び捨てにしている。そういう関係である。それを言外に伝えるニュースだったのかもしれません。いやちょっとニュアンスが違うか。ジョージは、ミスターと呼び合う関係にはどうにも弱いんだ。正式な話をしなくてはならなくなるから。オフィシャルな発言は気をつけなくてはならないし、そういうのはどうも憶えきれないから苦手。しかしファーストネームで呼び合うような状況ではジョークで誤魔化せるし持ち前のエヘッエヘッという自信なさげな笑いで逃げることもできる。なので、「なあ、シンゾーって呼んぢゃっていいかなあ? まあ、あんまり硬く考えないで話しようよ。難しいことは事務方がやるからさ」って意味なんですね。それをシンゾーはこれは親密さの現れだと受け取ってまんまと相手のゲームに載ってしまった、というわけです。

米国からの敗戦憲法を廃棄する気概にあふれているなら、ここはひとつ「シンゾー」と呼んでいいかと訊かれて相好を崩して尾っぽを振るのではなく、「いや、ミスター・アベ、あるいはプライムミニスター・アベときちんと呼んでいただきたい」と返すくらいの毅然たる態度を取るべきだったのです。相手はレイムダックの大統領。これはギョッとする。こんどの相手には誤魔化しは利かない、と、私語でしか得点を稼げないおバカな男は襟を正すでしょう。そして力を持たないアメリカから出来る限りの譲歩を引き出す。こんな駆け引き、北朝鮮ですら出来ることですよ。

ですからアメリカとの外交は戦略的にもむしろ、「ミスター」と呼び合うことから始まると心得たほうがよいのです。しかしまあこれも、いまとなってはあとの祭りですが。はあ〜。

May 02, 2007

「銃」と「人種」の不在

 バージニア工科大乱射事件から2週間が経ちました。いろいろと報道を追い、犯人の書いた「劇脚本」なるものも読んでみたのですが、なんだか肝心のことが茫漠としていて形にならず、ただ彼に蓄積された怒りの巨大さがわかっただけで、その発散のありようであったその字面のとげとげしさと今回の凶行との相似に鬱々とした気持ちになるだけでした。「脚本」はいずれも10枚ほどの短いフィクションなんですが、1つは「義理の父親」への、1つは「男性教師」へのありとあらゆる罵詈雑言で埋め尽くされていました。

 凶行のあいまに彼がNBCへ送りつけた犯行声明ビデオの言葉も基本的にそれと同じものでした。8歳のときから米国に移り住みながらまだアクセントの残る英語で発せられる同じような罵倒の数々はむしろ若い彼の孤立を際立たせて痛々しく、しかもやはりこの犯罪の理由のなにものをも説明していませんでした。

 そんな中、各局各紙ともこの事件報道から(犯人は中国系という誤報はありましたが)人種問題を注意深く除外していたのが印象的でした。チョ青年へのいじめめいたからかいや揶揄もあったようですが、そこに人種的なバイアスがかかっていたかどうかはあまり問題となっていませんでした。また、日本なら両親が謝罪を強要されるような状況が生まれていたかもしれませんがそういうプライヴァシーに無碍に踏み込むようなこともなく、むしろ韓国から“逆輸入”されるニュースのほうが人種や責任問題に敏感になっているようでした。

 もう1つ“除外”されていたのが銃規制の必要性でした。いまごろになってバージニア州知事が精神科医にかかった者のすべての履歴を警察のデータベースに登録して銃を買えないようにするという知事令を出したりしていますが、なんだか枝葉だけがサワついている印象で肝心要の部分は揺らぎもしていない。これについては大統領選を控え民主党が保守票にも食い込むため遠慮しているのだとか、悲劇を政治的に利用すべきではないとの空気が支配的だからなどの解説もありますが、私にはどうも銃規制を訴え続ける徒労感というか、諦観めいた思考停止があるような気がしてなりません。

 15年前にバトンルージュで起きた服部君射殺事件の裁判を現地でずっと取材していたことがあります。あのころは銃規制賛否どちらももっと熱心に議論を戦わせていた。ところがこの議論は実に単純で、「銃を持った強盗が襲ってきたときに銃で対抗する権利はだれにでもある」というのと「銃で銃を防ぐことは不可能だし時に事態をより悪くさせる」という意見に集約されてそれ以外はない。「規律ある民兵は必要だから」という、この国の建国史に関わる憲法条項もどちらの主張にもエサになって議論は平行線のまま。

 そうしてコロンバインが起き、今度は大学です。衝撃に加えうんざりとげんなりもが合わさって、マンネリな銃規制議論などだれも聞きたくないのかもしれません。この行きどころのなさは、泥沼なイラク戦争への閉塞感ともなんとなく似ています。考えるのに疲れているんですよね。

 でも、敢えて言えば「人種」と「銃」、この2つの問題の中立化と除外とが逆にこの事件への対応の方向性を見失わせているのかもしれないとも思うのです。事件はもちろん犯人青年の個別的な人格や精神状態に負うところが多いでしょうが、どんな犯罪にもなんらかの社会問題が影を落としているもの。

 PC(政治的正しさ)で無用な人種偏見を煽らない風潮は定着しましたが、大学女子バスケチームを「チリチリ頭の売女ども」と呼んでクビになった人気ラジオホストがいるようにこの国の人種差別はなくなっているわけではありません。犯人青年への「いじめ」に人種偏見は絡んでいなかったのか。この国に住む私たち日本人の経験からも、それは強く疑われもします。

 敢えて人種や銃の問題も新たに考え直して議論してみる。そんな局面が必要なのかもしれません。そういうぐったりするような議論を繰り返すことでしか(それこそがアメリカの原動力でもあったはずです)、次の暴力の芽を摘むことはできないのではないか──もっとも、1つを摘んでも別の1つが摘めるかどうかはだれにもわからないのですが。

 もう1つ、この事件、いやほとんどの大量殺人乱射事件に共通する要素があります。それは犯人(たち)の抱えるミソジニーとホモフォビアなのです。女性嫌悪と同性愛嫌悪。自分の男性性を回復するために、この2つを総動員して暴力に訴える。暴力こそが自分の男らしさの復元装置および宣伝吹聴器なのです。この点に関してはとても面白いのでじつはバディ誌の今月の原稿で書いて送ってしまいました。なので詳細はそちらでお読みくださいね。今月20日ごろに発売されるはずです。

April 20, 2007

サンジャヤがついに落選

いやいや、昨夜、とうとうサンジャヤが落っこちてしまいましたねー。
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相変わらず視聴率全米1位を独走する怪物番組「アメリカン・アイドル」第6シーズンの話であります。最終選考7人にしぼられて、私は今シーズン初めてちょくちょく見ていたのですが、動機はちょっと違って出場者の1人をめぐって全米を二分する論争が起きているのが面白かったから。

話題の中心がその最年少決勝進出者のサンジャヤ・マラカーくん(17)でした。
知らない人のためにざっと説明すると、この「アメリカン・アイドル」はタレント発掘のオーディション番組なんですが、歴代、優勝者ばかりか落選者すらレコード会社と契約するほど歌唱力第1の選考で知られていて、映画「ドリームガールズ」でオスカーを獲得したジェニファー・ハドソンもこの番組のファイナリスト(先に「準優勝者」と書きましたが、あずささんの指摘で間違いが判明。12人中、7週目に落とされたので6位とかの説もあり。すんません、このシーズン、気を入れて見てなかったの)。

んで審査員の1人に辛口のプロデューサー、サイモン・カウエルってのがいて、こいつのイギリス英語の酷評が呼び物でもあるんですが、サンジャヤはこのサイモンに「人気があっても歌も歌えないサンジャヤが勝ち進んだら審査員を辞める」とまでこき下ろされ続けながら今週まで来ていたわけですよ。視聴者投票では毎回抜群の人気だったし例のYouTubeでも圧倒的に再生数が多い。ブログ界もサンジャヤへの賞賛とこき下ろしで真っ2つに分かれて増殖を続けていた始末。もうすごいもんでした。「サンジャヤはアメリカン・アイドルの恥だ」とか「国家的陰謀だ」とか、酷評派は言いたい放題の2チャンネル状態。ま、ちょっとサンジャヤのなよなよしたところがホモフォビアを誘発してる気もしましたがまあそれは今回の話題ではないんで。

でね、「歌がヘタ」とは言われるものの、はっきり言ってジャパニーズ・アイドルたちを聞き慣れている私には「けっこううまいじゃないの」とかって感じなの。ちょっと音程が外れてふにゃらふにゃらした歌い方をするんだけど、まあそれも個性といえば個性かも、とかって。見ようによってはかわいくないこともないと思う人もいないことはないだろうし(それか結局!)。

しかしアメリカってのは、日本と違ってティーンズ・アイドルが一般エンタテインメント市場とは画然と異なる子供向け市場で住み分けているんですね。ガキのマーケットはぜったいにメインストリームには出てこれない。ガキが高級レストランに入れないのと同じです。ですんで、そんな米国のオトナというか一般向けの芸能市場では、毎回髪型を変えたり子供っぽく受け答えするサンジャヤの活躍は異常に映っていたわけです。

その結果、もうテレビやラジオのトークショー番組やニュースでもこの不可思議なサンジャヤ人気で花盛り。「サタデイ・ナイト・ライブ」でも面白可笑しいパロディになったし、ニューヨーク・タイムズなんぞは「勝利を第1の価値観とすることへの市民の反発の現れでは」と硬派に分析したりね。こないだのあるラジオ番組ではヒラリー・クリントンがサンジャヤ現象へのコメントを求められ「ここ最近で最高の質問ね」と笑いながら、「人間は投票したい人に投票できるもの。私の選挙もアメリカン・アイドルの投票も同じことよ」と答ってました。
だいたい、昨夜の落選は夜11時台の各局のニュースばかりか今朝のニュースでも取り上げられたんですよ。落選がニュースになる、そんなことってかつてないことでしたね。

思えばそう遠くない昔、たしかアメリカは「かわいらしさ」というものに日本とは違う基準を持っていました。それに気づいたのは例のキャベツ畑人形を初めて見た20年以上前なんですが、あのときアメリカ人の友人に「なんでこんなへちゃむくれの顔をした人形が可愛いのか」と問いつめたことがあります。ペットにする犬だってブルテリアだのフレンチブルドッグだのパグーだのと不細工な方が「可愛い〜!」と叫ばれていたんですよね。ま、それはいまもそうだけど。

それが最近はなんとなく変わってきてる。まずはあのポケモンかしら。それからキティちゃんでしょ、おまけにあのわけのわからん村上隆のデザインまで、どんどん日本的な、子供にもわかる「ど真ん中の可愛さ」が文化の本流に浸透してきている気がします。べつにどうでもいいことだけど、なんだか日本的な「子供文化」、はっきりいえば「ガキ文化」がこれからこの国にも上陸してきてるんじゃないかなと……。

そこにこのサンジャヤ旋風でした。彼の昨日の敗退を、さて、オトナ文化安泰の徴と見るか、それともガキ文化擡頭の序章と見るか。今回のアメリカン・アイドルは単なるタレント発掘というだけではなく、そういうオトナ文化とガキ文化の潮目、時代の変化の兆候と見るとなかなか考えさせられるものがありましたわ。

サンジャヤはきっとどっかのレコード会社が拾って、まあティーン向けの、それこそ日本的な意味でのアイドルCDを出すかもしれません。サンジャヤがあの屁みたいな声でジャズを軽く歌った回を見てて、あら、いいじゃないの、この子、とかって思っちゃった私は、きっとそのCDもチェックしてここでご報告することになるんでしょうか。はは。

March 17, 2007

虹色のタイムズスクエア

ピーター・ペース統合参謀本部長の「同性愛は不道徳」発言はその後も大きな反発を産んでいて、15日昼にはマンハッタン・タイムズスクエアで250人のゲイたちが集まって抗議のピケが行われました。これ、13日の夜にヴィレッジのゲイ&レズビアン・コミュニティ・センターで緊急抗議集会が開かれて、その場であのラリー・クレイマーが「私たちは自分たちが憎まれている存在だということを思い起こすべきだ」として、往年の「アクト・アップ(ACT UP=Aids Coalition to Unleash Power=私たちの力を解き放つためのエイズ連合)」的な実力行使の部隊を組織すべきだと訴えた、その呼びかけに応えたものだったんですね。ACT UPはそのクレイマーが1987年に組織したエイズ活動組織だから、まあ、懐かしいこと。
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クレイマーさん。

で、集まったのは当のクレイマーの他、ゲイだってバレて関連するスキャンダルでお隣ニュージャージー州の知事を辞めちゃったジェイムズ・マグリービーとか、マイケル・シニョリーレ、さらにはレインボウフラッグの発案デザイナーのギルバート・ベイカーなんかの往年のバリバリの活動家たちや若い連中も。いやはや。

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マグリービーさん。

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レインボウフラッグの発明者ベイカーさん。

しかし、年寄りたちが出てくると、ってか40代、50代、60代、70代という年齢層もそろっているこういう政治活動って、かっこいいなあ。若いもんも大切だが、やっぱり大人もいなくちゃね。それが自然というもんだもの。

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で、なんでタイムズスクエアかというと、あそこのブロードウェイと7番街がクロスする中洲の三角部分に、米軍のリクルートセンターがあるわけ。ここに抗議のターゲットを向けたんだけど、同センターはだれもいなくて、それをレインボウフラッグで取り囲む、ということに。
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こういうの、久しぶりですね。そうだな、マンハッタンで言うと、あのマシュー・シェパードの追悼集会が事前の予定なく五番街の大規模デモに変わった1999年以来かもしれません。

その模様が、YouTubeにアップされています。
しかしアメリカ人はこういう行動がうまいよね。
「Fire Pace, Hire Gays!(ペイスをクビにして、ゲイたちを軍に雇え)」なんてシュプレヒコール、ちゃんと韻を踏んでるんだもの。「Pace is immoral, Gays are fabulous」ってのも、不道徳はペースの方、ゲイはファビュラスなの!って意味ね。インピーチ・ブッシュというのもあります。これはブッシュを弾劾しろ、という意味。

日本も統一地方選と参院選の年、世界の動きを感じて、LGBTの政治の季節をつくりましょね。
いま発売中の週刊SPA! に、LGBTの政治家候補の特集が載ってます。参院選比例代表区に民主党から出る尾辻かな子(比例区投票では政党名と候補の個人名のどっちも書けるけど、彼女を当選させるには個人名の「尾辻かな子」って書いてね。尾辻だけじゃダメです。自民党にもう1人尾辻ってのがいるから)や中野区議選に出る石坂わたる(中野区の人たち、よろしく!)などが登場しています。読んでみてくださいな。

その1


その2

あ、そうそう、ゲイは不道徳かという質問に明確に答えていなかったヒラリーは、同じ15日、ちゃんと答えました。

"Well I've heard from a number of my friends and I've certainly clarified with them any misunderstanding that anyone had, because I disagree with General Pace completely. I do not think homosexuality is immoral. But the point I was trying to make is that this policy of Don't Ask, Don't Tell is not working. I have been against it for many years because I think it does a grave injustice to patriotic Americans who want to serve their country. And so I have called for its repeal and I'd like to follow the lead of our allies like, Great Britain and Israel and let people who wish to serve their country be able to join and do so. And then let the uniform code of military justice determine if conduct is inappropriate or unbecoming. That's fine. That's what we do with everybody. But let's not be eliminating people because of who they are or who they love."

みんな誤解してるようだけど、あたしは「ゲイは不道徳」っていうペースの意見には同意してなんかいないわ、ってなことです。「あたしの発言のポイントは、でも、Don't ask, Don't tell のほう。こんなの早くやめちゃえって前から言ってるでしょ。イギリスでもイスラエルでも従軍できるのよ。とにかく、その人がだれであるか、だれを愛してるかってことで従軍させないなんてことのないようにしましょ、ってことよ」って内容です。

March 15, 2007

「同性愛は不道徳」と発言するとどうなるか?

これは単純な言葉狩りの問題ではないのです。政治的に正しいとか正しくないとかとも違う。これはまさにじつに政治的な戦いの前線というか、戦陣のその最も切っ先の部分なのですね。権力闘争、政治闘争なのです。

発端はすでに日本でも報道されています。シカゴトリビューン紙という一流紙に12日、米軍制服組トップの統合参謀本部議長、ピーター・ペースのインタビューが掲載された。そこに次のような発言があったわけで。

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"I believe homosexual acts between two individuals are immoral and that we should not condone immoral acts. I do not believe the United States is well served by a policy that says it is OK to be immoral in any way. As an individual, I would not want [acceptance of gay behavior] to be our policy, just like I would not want it to be our policy that if we were to find out that so-and-so was sleeping with somebody else's wife, that we would just look the other way, which we do not. We prosecute that kind of immoral behavior."
「私は、2個人間の同性愛行為は不道徳なものだと信じている。そうした不道徳な行為をわれわれは容認すべきではない。いかなる形でも、不道徳であってもよろしいのだというようなポリシーでこの国がうまく行くとは私は信じていない。一個人として、(ゲイ的行動の受容を)私たちのポリシーにしたいとは思わない。それはちょうど、だれそれがだれか他の人の奥さんと寝ているとわかりそうなときに、目を逸らしてわざと見ないようにするような、そういうことはしないし、そういうのをわれわれのポリシーにしたくないのと同じことだ。そういった種類の不道徳な行動は訴追するものだ」

なるほどね。
統合参謀本部長というのは、ほら、前国務長官だったパウェルさんが湾岸戦争時に就いていた職位。けっこうなもんでしょ?
で、予想されたとおり人権団体やリベラル派のみならず米上院軍事委員会の共和党議員までもが「同性愛を不道徳とする立場に反対する」と述べたり、ゲーツ国防長官までもが現行政策(Don't ask, Don't tell)を遂行する上で個人的な意見は意味を持たない、とペース議長を批判するということになった。で、13日には「自分の個人的な道徳観に踏み込むべきではなかった」との声明を発表するに至ったわけです。でも謝っちゃいませんよね。ゲイは不道徳というその信念が間違いだったとも言っていない。

これらはじつはいまも触れた、「Don't ask, Don't tell」をこれからも維持するかという政策論争が根本にあるのです。去年の中間選挙で民主党が勝利したときに、まずは軍隊でのそういう偽善的なポリシーが変更される動きがヒラリーらを中心に出てくるだろうとわたしもここに書きました。それが現実的なものになってきて、保守派の間から「軍隊でおおっぴらにゲイが横行するなんて信じられない」という声が出てきた。ペースの発言はそうした文脈で登場したものなのです。つまり、まさに政治的な鍔迫り合いなわけで。

ところが今日、ワシントンポストの寄稿欄で、共和党の元上院議員、アラン・シンプソンが次のような論考を展開して「Don't ask, Don't tell」なんていうバカげた規制は撤廃してしまえと訴えたのです。これもかっこいいから読んでみておくれでないか。

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"In World War II, a British mathematician named Alan Turing led the effort to crack the Nazis' communication code. He mastered the complex German enciphering machine, helping to save the world, and his work laid the basis for modern computer science. Does it matter that Turing was gay? This week, Gen. Peter Pace, chairman of the Joint Chiefs, said that homosexuality is "immoral" and that the ban on open service should therefore not be changed. Would Pace call Turing "immoral"?

Since 1993, I have had the rich satisfaction of knowing and working with many openly gay and lesbian Americans, and I have come to realize that "gay" is an artificial category when it comes to measuring a man or woman's on-the-job performance or commitment to shared goals. It says little about the person. Our differences and prejudices pale next to our historic challenge."

「第二次世界大戦時に、英国の数学者でアラン・チューリングという男(訳注=もちろんチューリングはすごく有名ですからこんな持って回った言い回しは不要なんですけど、シンプソンは敢えてこう強調したんですね)がナチの通信暗号を解読する努力の先頭に立っていた。彼は複雑なドイツの暗号変換機をマスターして、世界を救うのに貢献し、さらにはその仕事が現代コンピュータ科学の基礎を成したわけだ。このチューリングがゲイであることは、問題か? 今週、統合参謀本部議長のピーター・ペース将軍はホモセクシュアリティを“不道徳”だと言って、ゲイたちがオープンに軍に奉仕することを禁止する規則はだから変えるべきではないと言った。ペースはこのチューリングを“不道徳”と呼ぶのだろうか?」
「1993年からこのかた、私は多くのオープンリー・ゲイ/レズビアンのアメリカ人を知り、ともに働いてきたことに大いなる満足を感じている。そうして得た私の理解は、仕事の現場でのその男性または女性の仕事ぶりや共通した目標への貢献ぶりを評価するときに、“ゲイ”というのはわざと持ってこられたカテゴリーだってことだ。それはその人間のある部分をしか語っていない。私たちの相違点や先入観など、われわれの歴史的な挑戦の前では色褪せてしまう」

かっこいいこと言いますわね、アメリカの政治家ってのは。

まあ、じっさい、チューリングの時代ってのはたしかに多くの人びとがチューリングを「不道徳」と非難したのは確かなのです。

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(合掌)

チューリングは1912年に生まれ、54年に死にます。享年42歳。
なぜ死んだのか? 同性愛関係が見つかり、悪名高い「gross indecency」罪で有罪判決を受け、ホルモン療法か刑務所行きかを命じられ、保護観察下でのホルモン療法を選択した1年後に青酸化合物を塗った林檎を食べて自殺したのです。

今週の国防総省の発表では、2006年度には612人が同性愛者として除隊されました。2001年の1227人に比べると半減しています。97年から01年までの5年間は年平均で1000人が除隊処分でした。その後の5年間ではこれが平均730人にまで落ちています。この減少はべつにゲイが少なくなったからではないでしょう。イラク戦争でゲイでもビアンでも必要だからと、多少のことは大目に見ているという偽善が働いているからなのです。

(追記)
ちなみに、「同性愛は不道徳」なのかどうか。
ヒラリー・クリントンは14日、この質問への直接な回答を回避して保守派層を刺激しない策をとっていると批判されています。しかし、それを言ったくらいで変わるのかなあ?

同性愛は不道徳なのか? ならば異性愛は道徳的なのか?
そう考えればわかることでしょう。
性指向は道徳とか倫理とか関係なしに、事実なのです。ヒラリーもそう答えればいいのにねえ。

January 26, 2007

喰えないヤツだね

CNNの中でもタフマンとされるウルフ・ブリッツァーが、ブッシュの一般教書演説のあとで副大統領のチェイニーに対面インタビューを行ないました。日本の新聞報道などでは上記映像の前半部分、つまり、ブッシュによるイラク増派政策への民主党からの批判を聞き、ブリッツァーが「イラク政策の失敗が政権の信頼を損ね、共和党内にも増派への疑問が広がっている」と言うと、チェイニーがひとこと、「ホグウォッシュ(hogwash=豚のエサ)」と吐き捨てるように一蹴した、という部分がニュースになっていますが、まあ、この男、ほんと、凄みがありますわね。

ホグウォッシュってね、このブルシット(牛の糞)と同じく、だれも喰わない戯言、っていう意味。それもこいつ、鼻で笑いながらこういうことを口の端でいうんだ。吐き捨てるように言う、というのがどういうことか、この映像は教科書だね。ブリッツァーもいちいち言葉に詰まるほどだもんなあ。はは。

で、日本ではニュースにならない部分を抜き出しましょう。同じインタビューでこの映像の最後の部分の質問は、あの娘のメアリーさんの妊娠問題についてです。そんなことも訊くわけです。
それはつぎのようなやりとりでした。
それにしてもどうしてこんなプライヴェートなことまで質問するのか?
それは、まさに先日、私がここで記した槙原カムアウト問題で触れたことです。
妊娠はプライヴェートなこと。しかし、レズビアンであるメアリーさんの妊娠は、いま最も議論の起きている人権問題に関わることだからです。ゲイのカップルに生まれる子供のこと。そうしてそのカップルと子供への法的保護。だからブリッツァーは質問しようとした。ところが……。

さあ、顛末は次のようなものでした。文字に起こします。

**
Q We're out of time, but a couple of issues I want to raise with you. Your daughter Mary, she's pregnant. All of us are happy. She's going to have a baby. You're going to have another grandchild. Some of the -- some critics, though, are suggesting, for example, a statement from someone representing Focus on the Family:
"Mary Cheney's pregnancy raises the question of what's best for children. Just because it's possible to conceive a child outside of the relationship of a married mother and father, doesn't mean it's best for the child."
(Q;もう時間がないんですが、もう1つ2つお訊きしたい。あなたの娘さん、メアリーのことです。妊娠なさった。とてもうれしいことです。赤ん坊が生まれるんですからね。あなたにまたお孫さんができるわけです。ただ、批判する人も、まあ、何人かいて、例えばですね「家族の価値」を標榜する代表者なんかからは「メアリー・チェイニーの妊娠は子供たちにとって何が最良なのかという問いを提起している」と声明を出したりしています。つまり結婚している母親と父親の関係の外で子供が生まれてもいいと思われたりして、それは子供にとってベストなことではない、と)
Do you want to respond to that?
(そういう発言について何か言いたいですか?)

THE VICE PRESIDENT: No, I don't.

(副大統領;いや、言うことはない)

Q She's obviously a good daughter --
(もちろんとても素晴らしい娘さんで……)

THE VICE PRESIDENT: I'm delighted -- I'm delighted I'm about to have a sixth grandchild, Wolf, and obviously think the world of both of my daughters and all of my grandchildren. And I think, frankly, you're out of line with that question.
(遮るように=筆者註)(うれしいことだ……6人目の孫が生まれようとしてるのだから、それはうれしいことだ、ウルフ、それにもちろん、娘2人の世界のことや私の孫たちみんなのことを考えるとね。で、思うに、率直に言えば、きみのその質問はルール違反だ)

Q I think all of us appreciate --
(たじたじになって)(いや、みんな評価すると思いますが、その……)

THE VICE PRESIDENT: I think you're out of -- I think you're out of line with that question.
(きみは論点から……その質問は、論点から逸れていて訊くべきことではないと思う)

Q -- your daughter. We like your daughters. Believe me, I'm very, very sympathetic to Liz and to Mary. I like them both. That was just a question that's come up and it's a responsible, fair question.
(しどろもどろ状態で)(あなたの娘さん、あなたの娘さんたちを気にかけているのです。私を知ってるでしょう、私はリズにもメアリーにも、とても、とても同情的だ。2人とも大好きです。これはただのふつうの質問ですよ。ふつうに頭に浮かんだ質問。それを責任をもって公正に質問しているのです。

THE VICE PRESIDENT: I just fundamentally disagree with your perspective.
(わたしは基本的に、そのきみの考え方には同意しない)

**
以上。そんなけ。
すごいでしょ。はは。
この"out of line"というのは、「線を越えてる」「はみ出している」「出過ぎだ」「分(ぶ)をわきまえない」「常軌を逸している」「規則違反だ」っていう、かなりきつい意味の婉曲な言い回しですわな。つまりね、ほんとはチェイニー、「たわごとだ」「何を言ってるんだ、バカ」「言って良いことと悪いことがあるぞ」という脅しをしてるわけです。脅し。でも、本質は何かというと、このおやじ、逃げてるんだ。都合が悪くなるとこうして脅して逃げる。

チェイニーは、同じこのインタビューで、イラクから手を引くことは「「アメリカ人は戦う根性がないとテロリストに言われる。それが最大の脅威だ」とも発言しています。彼の思考回路にはそれしかない。つまりメアリーさんのときと同じなんですね。都合が悪くなるとこうして「脅威だ」と言って脅すのです。で、なにも答えていない。「戦う根性」以外のものを相手に示し得ない、そういう思考回路こそがテロリストを煽るのだということに触れない。

こういうのを虚仮威しというのです。ホグウォッシュとは、まさにチェイニーに向けてこそ発せられるべき罵倒語です。おまえは豚も喰わねえわ、ってね。

January 05, 2007

さて、2007年の書き初めは

今年はどんな年かといえば、アメリカでは来年11月(という遠い先)の大統領選挙への動きが徐々に表面化してくる年です。昨年11月の中間選挙で民主党が主導権を握った米国上下院議会が4日から始まりました。ということで、上にはめ込んだのは、昨年12月29日にニューハンプシャー州ポーツマスのタウンホールで行なわれた、民主党の大統領選挙出馬表明者ジョン・エドワーズの公開討論会の模様です。エドワーズは、2004年の選挙でも大統領候補に出馬して、けっきょく予備選でケリー上院議員に破れましたがそのケリーに請われて副大統領候補としていっしょに選挙戦を戦っていた若手のホープです。

さて、その彼がヒラリーやオバマより早く出馬表明して、選挙戦を開始、でこの質疑応答に臨んだわけです。一般参加者からの質問はイラク問題やなにやらと多岐にわたりますが、ここではお隣りマサチューセッツ州からの参加者であるマークさんという人が、ゲイマリッジについて質問しました。内容はかいつまむと次のようなものです。

質問「同性婚に関してはこの国には多くの軋轢が生まれているようですが、あなたの見方はどういうものですか? というか、あなたを支持するこの国のゲイの有権者に、どういうふうに話しますか、つまりその、宗教的な意味での同性結婚ではなく、公民権としてのゲイ結婚について、つまり同性のパートナーと結婚できる市民としての資格を得ることができるという意味での結婚に関して」

エドワーズの回答には、いまのアメリカの抱える困難が如実に示されています。というか、アメリカの大統領選挙で勝ち抜くための戦略的な物言いの難しさというものでしょう。

エドワーズは逃げるのです。こう言って。
「私にとって、一つの最も難しい問題ですね、個人的に──いえ、難しい問題はたくさんありますが──他の問題のほとんどにはそんなに個人的な葛藤は抱かないわけで。ただこのことに関しては個人的な苦悩が続いています……というのも、問題は、わたしの見方で言えば、自分のパートナーといっしょに暮らしたいという男女は、尊厳と敬意をもって扱われるべきだしその公民権も持って然るべきである。それが、おっしゃるように、アメリカにおける権利と公正さと正義である、と思うわけであり、そこで、問題は次にでは「それはシヴィル・ユニオンやパートナーシップの認知やパートナーとしての諸手当への支持を通しては達成できないものなのか? これではゲイのアメリカ人が与えられるべきレヴェルの尊厳と敬意は得られないのか? あるいは、ゲイ・マリッジの事柄へと橋を渡らなければならないものなのか?」、と。わたしは個人的にそのことに関してものすごく悩んでいます。答えがわからないのです。わかればいいのですが……云々」

じつは今月発売のバディにも書いたのですが、民主党の中でも最も先進的な1人とされるヒラリー・クリントンもまたゲイ・マリッジに関しては言葉を濁しています。

つまり、同性結婚の問題は、大統領選挙にとって鬼門中の鬼門なのです。

ならこう言ってはどうなのか?
「わたしは同性結婚には賛成です。しかし、いま同性結婚を支持すると公言すれば、多数の有権者にそっぽを向かれることになる。そうすれば大統領にはなれない。アメリカ全体の意思としては同性婚はいまはまだ時期尚早なのだと判断せざるを得ない。なので、戦略的に、わたしは同性結婚をまだ推進しようという立場を取らないことにします。しかし、時期が熟するときは必ず来る。HIV/AIDSに関してもその理解が多数派を占めた時期が来たように。その時期はわたしの任期中に来るかもしれない。そのときに同性婚に踏み切るにやぶさかではない。しかしそれまでは同性シヴィルユニオン、あるいは同性パートナーシップ制度として下地を作りたいのです」

まあ、そんなことをおくびにも出したら、それは同性婚賛成ということであって、戦略的にそれを隠しているということになって、まあ、選挙で投票者を失うことになるのは同じです。なのでそうとさえ言えないということになる。

つまり、言えないのですよ。

言えるときはいつか?
それは、そう言ったほうが票が取れる、失う票よりも得る票が多くなるときです。そうしていまはそうじゃないんだろうなあということなのです。

ただし、あと2年のうちに、そのような状況にならないとも限らないのもまた事実です。
というのも、例の米軍の同性愛者の従軍問題、「Don't Ask, Don't Tell」ポリシーですね、それがもうすぐにでも翻される時が近づいているのですから。これもまた、「Don't Ask, Don't Tell」の妥協が発効した1994年には考えられなかった状況なのです。

さてさて2007年。
まあ、今年もどうにかみなさん、生き延びましょうぜ。そうすりゃなんかかならずいいこともあるでしょうから。

December 31, 2006

年が暮れる

やけに人の死ぬ12月だ。ジェラルド・フォードが死んだ。ジェイムズ・ブラウンが死んだ。青島も死んだし岸田今日子も死んだ。それでサダム・フセインは死刑になった。イラクでは開戦以来最も米軍兵士の死んだ月になった。

the Deadliest Month.

フセインの処刑を報じるCNNが、awaiting the first picture of the excution released というテロップを映しながら中継をしていた。アンダーソン・クーパーが「手に入り次第、お見せします。もちろん局内で内容を検討した上、事前に警告もおこなってから放送します」といっていた。見せねばならないんだろうな。

人は死に餓えているわけではないし、フセインの処刑は史実として記録が必要だろうが、その後放送された、首に吊るし縄を回されるフセインの映像を見ているときに、はてわたしはどう反応していいものか、考えはその先にどうしても行こうとしなかった。

わたしは死刑にはなんの効果もないと思っている。だから、効果を求めての死刑には反対だ。けれど、拷問され虐殺された148人の遺族の怨念が死刑を求めることに関して、わたしはなにも言えないと思う。

最も高貴な復讐は、赦すことである。
けれど、復讐がしたいのではない、ただ、永遠に赦したくないだけだ、という言葉に、対峙できる言葉をきっとわたしは持たない。

この死刑はさらにまた、刑罰ではなく政治的な権力闘争の結末として、歴史に多々在った死のひとつでもある。その場合もまた、わたしはそれを受け入れるしかないのだろうとも思う。そんなもんだ、と。

12月もまた、残酷な月である。
A Happy New Year というあいさつの空々しく響く大晦日の青空が暮れてゆく。

November 10, 2006

エルサレムで何が起きているか?〜その他ハガード続報

イスラエルの首都であり、古代からユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒の巡礼の中心地であるエルサレムで、数週間前から、きょう11月10日に開催されるゲイプライド「ワールドプライド」のパレードに反対する超保守派(ウルトラオーソドックス)のユダヤ教徒たちの暴動が起きています。パレード開催予定のハレディ地区では夜ごとに車がひっくり返されたり火をつけられたりと、なんともこの宗教的憎悪の激しさは神をも畏れぬ蛮挙です。もっとも彼らはそれが神の意思だと思っているのだからたちが悪い。去年も参加者が刺されるという襲撃事件が起きました。本来はことし8月10日に行われたワールドプライドですが、メインイヴェントだったパレードはレバノン・ヒズボラへの攻撃や度重なる妨害で2度にわたって延期され、規模の縮小も余儀なくされてきました。8月には「ソドムとゴモラの住人たち(同性愛者たち)を殺した者には賞金20000NIS(50万円)を与える」というお触れまで出たんですよ。

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イスラエルでは同性愛は違法ではありません。たしか2年前には史上初のゲイの国会議員も誕生している。商業都市であるテルアビブではもう何年も前から大規模にゲイプライドマーチが敢行されています。しかし聖地イスラエルは別なのでしょう。「去年の刃傷沙汰はことし起こることに比べたら子供だましだったとわかるだろう。これは聖戦の布告なのだ」とラジオ番組で宣言する右派指導者まで現れる始末です。

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米ボストングローブ紙には、わざわざブルックリン(ニューヨークのこの地区にはオーソドックスジュー=正統派ユダヤ教徒=の一大コミュニティがあります)から出向いている反ゲイ活動家のラビ、イェフダ・ラヴィンが「この共通の憎悪の強大さは、ユダヤ人とムスリムの共闘を生むほどだ」とコメントしていました。じじつ、世界三大宗教の代表者たちがそろって聖地でのゲイプライドの開催を禁止するよう政府に要求してもいます。パレスチナを巡って戦争までしているユダヤ人とアラブのイスラム教徒が、ホモセクシュアルを駆逐しようというその猛攻においてのみ結託できるというこの愚かさを、私たちはそれこそナチスのユダヤ人虐殺やキリスト教による十字軍の傲慢に喩えることができるのですが。

じつは今日11月10日は「クリスタルナハト=クリスタル(割れたガラス)の夜」の記念日なんですね。クリスタルの夜とは、ナチがユダヤ人の商店・住宅・教会堂を破壊し大虐殺を行った1938年11月9日から10日にかけての夜のことです。それもユダヤ教原理主義者たちの不興を買ったのでしょうが。

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そういうわけで、このパレードの開催に向けてまたもや警察が妥協策を提示して、これには8日のガザへのイスラエルの誤爆で市民が19人も死んで、パレスチナ側がその報復テロを予告しているのでその警備をしなくてはならないということが背景なんですがね、まさに前門の虎、後門の狼状態。場所をヘブライ大学構内のスタジアムに限定する野外集会ということになったようですが、それでパレードの代わりと言えるんだろうかという疑問も残ります。でもとにかくそれがあと数時間で始まります。警官隊は3000人体制で警備すると言っているのですが、さて週末にかけて予想されるこのエルサレムの混乱は日本では報道されるでしょうか。

しかしそれにしても、こんなにまで妨害されても暴力をふるわれても、どうしてゲイたちはパレードを行おうとするのでしょうね。
それがわからないひとには、たしかにこれはなんの意味も持たないニュースではあります。

**

全米福音派協会代表で自ら率いるニューライフ教会の司祭テッド・ハガードをアウトしたマイク・ジョーンズが、アウティングの行為によって福音派の連中から感謝されているというエピソードを紹介している。
コロラドスプリングスでホテルにチェックインした際、ニューライフ教会の信者という受付の男性が手を差し伸べてきて、「ありがとう。あなたのおかげで教会もテッドも救われた。テッドはこれで彼の必要とする助けを受けることができる」。
サイテー。
悔い改めよ、さらば救われん、ってことに収斂してしまっているようだ。

そのマイク・ジョーンズがもう1人をアウティング。

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ハガードの親友で全世界6000局で毎日放送されているラジオ番組「Focus on the Family」と、同名の非営利団体を持つ福音派クリスチャンの反ゲイ超保守派指導者、ジェイムズ・ドブソン=写真上=もゲイだ、と。

そのドブソン、ハガードのリハビリチームから「この重大な責任を負う仕事に対応できる時間がない」と辞去。神の助けを親友に与える時間のない宗教者とはいったい何ぞや。

そのハガードも登場した映画「ジーザス・キャンプ」(少年少女へのキリスト教洗脳サマーキャンプ)を率いるペンタコスタ派の司祭ベッキー・フィッシャー、「いまは危険な時期」ということでこのサマーキャンプを当面の間(数年間)中止すると発表。
おまえら、ずっと危険だったろ。

で、ハガードのリハビリとは、キリスト教系ニュースサイト「ChristianToday,com」によれば、

http://www.christiantoday.co.jp/news.htm?id=654&code=dom

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ハガード元米福音同盟代表、長期リハビリに参加へ
2006年11月10日 14時06分
 男性との「性的不品行」の疑惑を受けて米国福音同盟(NAE)代表を辞任したテッド・ハガード氏が、同性愛者向けの長期リハビリを始めることが10日、米国メディアの報道でわかった。

 メディアによると、リハビリはキリスト教理念に基づいて行われる。集団および個人カウンセリングと祈りで構成され、3−5年を要する。回復には個人差があり、個々の必要に応じてプログラムを組み立てる。

 祈りやカウンセリングでは、キリスト教徒として高い水準の聖潔を維持している人々と長期間交流をしながら、患者が自分自身の罪、不道徳さ、課題に正面から取り組む。

 コロラド州コロラド・スプリングスに拠点を置く福音主義キリスト教団体、フォーカス・オン・ファミリーのロンドン副代表はリハビリについて、「成功率は50パーセント。失敗して途中で逃げてしまった患者は正気を失って持ち物を売り払い、人々を避けながら寂しく余生を送るケースがほとんどだ」とプログラムの過酷さを明かした。リハビリの成果は患者の強い精神力と、支援側の正しい判断力にかかっているという。

 同団体創設者、ジェームズ・ドブソン師は当初ハガード氏の治療に参加する予定だったが、日程が合わず辞退が決まった。これまでにジャック・ヘイフォード牧師(チャーチ・オン・ザ・ウェイ主任、カリフォルニア州)とトミー・バーネット牧師(フェニックス・ファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド主任、テキサス州)らメガチャーチ(1万人を超す大規模な教会)の代表らがカウンセラーとして名乗りを上げている。

リハビリを経たハガード氏が宣教復帰するかは不明。同氏の弁護士で親友でもあるレオナルド・チェスラー氏は「彼(ハガード氏)は人生を神にささげて献身的に行き、今後も神の導きに自身を委ねたいと願っている」と話した。

***
これって、いわゆる「エックス・ゲイ(元ゲイ)」運動の“リハビリ”でしょう? 「ゲイを治す」というやつ。ああ、神さま。やっぱりけっきょくこいつら、なにもわかってないようです。なんたることか。


(冒頭のニュースの続報アップデートです)
イェルサレムのゲイプライド「ワールドプライド」、無事開催。

とはいえ、当初予定のパレードではなくヘブライ大学スタジアムを利用した青空集会(ラリー)に縮小(ってのは冒頭のブログのとおり)。反ゲイのユダヤ教、キリスト教、イスラム教の暴動や襲撃事件だけでなく、8日にガザ地区にイスラエル軍が誤爆して子ども7人を含む19人の一般パレスチナ市民が死亡するという事件があったため、パレスチナによる報復テロを恐れてイスラエルはそれでなくとも厳戒態勢。金属探知機などを使った3000人の警官の物々しい警備の中、取材者発表で1万人、警察発表で2000人、ってことはつまり、だいたい4000人が集まったってことでしょうね。
ほんと、イェルサレムは快晴のようでした。

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ところで、やっぱりラリーに妥協じゃなくちゃんとパレードをというLGBTの流れも止められず、ガン・アハアモン公園という別の場所から(大学との位置関係わかりません。すんません)「自然発生的な」パレードを計画していたグループもあった。で、こっちはパレードを始めようとしてあっという間に警官隊ともみ合いになって、30人の逮捕者を出したもよう。

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プライド反対の宗教学生のグループ250人がプライド集会後にデモを行ったらしいが、目立った衝突はなかった。

この問題に関する英語を話すイスラエル人及び他国人の意見はイスラエルの新聞ハーレッツ(って読むのかしら?)のサイトで読めます。なかなか興味深いです。

http://www.haaretz.com/hasen/pages/ArticleNews.jhtml?itemNo=784991&contrassID=13&subContrassID=1&sbSubContrassID=0

ken.mehlman.jpg

もう1人のアウティングされそうな隠れゲイ、共和党全米委員会(NRC)議長のケン・マールマン=写真上。先日のCNN「ラリー・キング・ライブ」でのビル・マーによる名指しが聞いたわけでもないんだろうが、どうも1月に議長職から退く予定らしいとのニュースが。まあ、選挙大敗の責任を取って、ということだろうが、“ゲイ疑惑”が弾けるまえに、ということなんでもあるんだろう。
しかしねえ……。
(さらに続報=マールマン、新年度はNRC議長職から退くことを発表しました。尻に火がついたんでね)

November 09, 2006

アメリカは変わるか〜中間選挙終わる

昨日からずっと中間選挙の結果を追って原稿を書いていました。やっと一息ついたのでブログにはLGBT関連のまとめを書き留めておこうと思います。とはいえ、まだ頭の中でまとめてるだけなので、書きながら、ということですか。

民主党の地滑り的勝利と言っていい下院での大量当選と、上院もまあヴァージニアのジェイムズ・ウェブの当選が確実になりましたので、あとはその票差が1%以内ということで負けた共和党の大物議員のジョージ・アレンが再カウントを要請するかどうかにかかっています。再カウントしてまた負けたらこいつは潔くないということでアレンは次の選挙にも目がなくなる。さあ、今か次か、どちらに賭けるか。

ということで民主党が議会を握るのは間違いありません。それでは同性婚などのLGBT関連の法案が通るようになるか。これにはまだ判断を示せません。プライオリティはまずはイラクなのです。さらに、ここで急進的に走ると次の08年の大統領選挙での反動が怖い。LGBT関連の事項に限らず、ここはまさに戦略的に事を進めるべきなのだと民主党側は思っていると思います。なぜなら、正念場はどうしたって2年後の大統領選挙なのですから。そのためには、次の2年間で議会では大統領を牽制しながら共和党からは妥協を引き出しながら建設的な施策を具現させることです。そうして国民の信頼を堅固にしてから大統領選挙に臨む。それしかありません。

ただ、布石というか伏線は張れました。まずはヒラリーがNY州の上院選で67%もの圧倒的な得票率で勝ったということです。同時に知事も同性婚賛成を公言している前州検察長官のスピッツァーが、その後任の検察長官にはリベラルで知られるマリオ・クオモ元州知事の息子であるアンドリュー・クオモが、そうして州会計監査官にも民主党のハヴェシ(彼はいろいろ私的流用などのスキャンダルがあったのに謝罪して当選)がそろって当選し、民主党の牙城である(あったはずの)ニューヨークの面目躍如といったところです(市長と知事が共和党だったのを、少なくとも知事だけは奪還したということで)。

このため、私としてはNY州が、同性婚に関する次の主戦場になるものだと思っています。

ところが、それもヒラリーが大統領になってからかもしれません。ヒラリー・ロダム・クリントンには昔からあまりに急進的だという批判がついて回っています。人気も高いが、毛嫌いする勢力も多い。しかも当選すればなにせ史上初の女性大統領ですからね、その抵抗勢力は筆舌に尽くし難いものになるに違いない。そこでより穏健なバラク・オバマの出馬が取りざたされてもいるわけです。もっとも、彼としても史上初のアフリカ系(父はケニア出身のイスラム教徒、毋はカンザス出身の白人、本人はプロテスタント)の大統領となるわけですが。

さてその同性婚問題は、今回の中間選挙で8州で「結婚は男女間に限る」という州憲法の新規定(修正)を作ろうとした住民投票が行われ、7州(アイダホ、サウスカロライナ、テネシー、ヴァージニア、ウィスコンシン、コロラド、サウスダコタ)で賛成多数だったものの、この種の住民投票としては初めて、アリゾナ州でこの提案が否決されたのです。

これは画期的なことです。なにしろ前回04年の選挙の時の住民投票では11戦11敗。しかも、そんな差別的な憲法修正に対する反対票が40%に届いたのがわずか2州だったのに、今回の7州のうちでこの提案の反対者が40%を超えたのは5州もあった。これは、確実に同性婚への理解がじわじわと広がっていることを指し示す証左でしょう。ニュースの見出としては「今回も7州で同性婚禁止の憲法修正案に賛成票」となるんでしょうがね、ほんとうは「アリゾナ州で同性婚禁止提案に史上初のノー」ってことのほうがニュースとしての読みは面白いでしょう。

ハガードのときも書きましたが、これってやはり同性婚は「どうでもよい問題」「そんなに目くじらを立てなくてもいいんじゃないの、ってな問題」に徐々になってきたことなのではないかと思うのです。わたしは、それは健全な推移だと思います。「同性婚は認めなくちゃ」という力の入った訴えの時期から、大衆レヴェルでは「まあ、そういう感じかな」というふうに変わってゆく。そうして、そういうふうにしてしか歴史ってのは変わらないんじゃないかと思うのですね。

また、Gay & Lesbian Victory Fund という、選挙に際してLGBTコミュニティとしてオープンリーゲイの候補への推薦を行う団体があるのですが、今回はそこが推薦した候補の67人もが当選したようです(中間選挙より前に行われた一部の選挙も含む)。ほとんどが州議会議員や市、郡レヴェルでの当選ですが、88人の立候補のうち67人が当選、しかもその37人が新人議員でした。州議会に初めてLGBT議員が登場したのがアラバマ州、アーカンソー州、オクラホマ州の3州で、公選のどのレヴェルでも歴史上、州内にオープンリーLGTBの公僕が誕生したことがないのはこれでアラスカなどの7州に減りました。さらに州議会議員でオープンリーLGBTがいたためしのない州もフロリダやハワイ、ペンシルバニアなど13州になりました。まあ、つまり計20州ではだれもオープンに選挙で公職に就いたことがないんですね。たしかトランスジェンダーの議員というのも、米国選挙史上では1人もまだ存在しません。イタリアのルクスリアさんや日本の上川さん、それにドイツのどこかではたしか首長さんがいましたよね、そういう意味では画期的なんです。

ただ、アメリカってのはいったん姿を現すと速い。トランスジェンダーの問題はいまから10年前まではゲイコミュニティの中でも議論にすらなっていなかったんですよ。ほんと、この7、8年なんです。それがいまや、そうそう、昨日のニュースでしたが、ニューヨーク市はいまトランスジェンダーの人たちの性別表記を早急に変えられるように法整備を進めているというのです。これまでは性別適合手術をしていないとジェンダー表記を変えられなかったのですが、これからはいわゆる性同一性障害という治療の過程にあれば、例えばホルモン治療を行っているとか心理療法に通っているとか、そういう医者の証明があれば、公文書でも性別を自分の心理上のジェンダーに合わせて変えてよいことになる。(続報=これ、市議会で否決されました。残念。時期尚早ということ。しかし推進派はこれからも強力にアクションを起こしてゆくとのことです)

これは9/11後のセキュリティチェックの厳格化で、そうしたトランスジェンダーの人たちがIDを見せる際にとても大変な目に遭っていることをどうにかしなければ、という動きなのですね。従来あった就職の際の履歴書の記載とかも重要ですが、とにかくいまはニューヨーク市内でちょっとしたオフィスビルに入るのにもIDを見せてチェックを受ける。空港でも史跡でも公的な施設はみんなそう。近くのデリでビールを買うときにだって21歳以上である証明としてIDの提示を求められるんだけど、その都度、トランスジェンダーの人たちはひどく嫌な思いをするわけですよ。それはちょっと想像力を働かせればすぐにわかることだ。

いまのニューヨークでは1971年から施行の法律で性別適合(性転換)手術を受けたひとにだけ出生証明の性別欄の書き換えが認められているんですが、テネシー、オハイオ、アイダホ州では書き換えは一切不可なんです。でも、こうしたこともかくじつに変わっていく方向にあるのです。アメリカって、そういうのがほんと目に見えるんです。これは住んでいてストレスのたまらないところですね。他にはたくさんストレスがあるようですが。

そうそう、もう1つ。
共和党上院のNO.3だったペンシルバニア選出のリック・サントラム=写真下=、このブルシット(http://www.bureau415.com/kitamaru/archives/000010.html)でもあの最高裁が同性間性行為の違法性(ソドミー法)を覆した際に「合意があれば家庭内でどんな性行為も許されると最高裁が認めたら、重婚や一夫多妻や近親相姦や不倫の権利も認めることになりなにをしてもよいことになってしまう」ってなブルシットを吐いたおバカなキリスト教原理主義(カトリックのオプス・デイ=ダ・ヴィンチ・コードにも出てきたセクトですわ)のホモフォビック議員ですが、落ちました。はは。

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ところで今日のラリー・キング・ライヴに、わたしがいつも注目しているコメディアンのビル・マーが出ていて今回の民主党の大勝利について(っていうか共和党の凋落について)話してたんですが、その中で彼、共和党全国委員会(RNC)の議長であるケン・マールマン=写真下=がゲイであるとアウティングしていました。かねてから噂のある人物だったんですが。

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しっかし、どうしてこうも保守派層や宗教人や共和党のエラいやつらがそろって隠れゲイで、しかもそろってアンチゲイな、というよりももっと明確にゲイバッシングな言動を繰り返すのでしょう。

それに関してはまた日をあらためてじっくり考察したいと思います。

November 07, 2006

企業の社会責任

マンハッタンのデパートのショーウィンドーでは数千万円もかけるホリデーシーズンの飾り付けが始まりましたよ。ハロウィンが終わるとあとは一気に感謝祭からクリスマス、そんでもってニューイヤーへ、とせわしない感じがするのはこちらでも同じですね。

さて、生き馬の目を抜くような厳しい商戦が展開するアメリカなんですが、一方で今年は「コーズ・リレーテッド・マーケティング(CRM)」という商法が注目されました。企業が社会貢献をうたってそれを販売促進につなげるというもので、この手法でのマーケティングが今年は昨年より20%以上増えて13億4千万ドル(1600億円)規模にもなるというのです。

「コーズ(cause)」というのは、社会の共通目標・大義といった意味です。日本語になりにくいし学校じゃあまり教わりませんが、けっこう使う英単語です。CRMには売上の一部を非営利団体の活動などに寄付したり、ボランティア活動などを奨励・後援したりする活動も含まれます。そうした大義に則って社会的問題を解決する姿勢を取ることで企業のブランド力が高まり、同時にその「コーズ」に共感するような社会意識の高い消費者を開拓することもできる。単なる寄付活動とも違って、問題解決を目指す公益セクターともマーケットを通じてつながることができる利点もあるようです。つまり、単なる慈善事業というのではなくて、その“善行”を販売戦略とうまく絡ませる手法、というわけですな。

そういえば先月は「乳がん啓発月間(breast cancer awareness month)」でした。タイムズスクエアのビルボードでもシンボルカラーのピンク色の啓発広告が目立ちました。キャンベルスープの赤い缶詰がピンク色になったり、ハードロックカフェがピンク色のピンを配ったりポラロイドがピンクのカメラを出したり、ほら、ぜんぶ自分のところの商品と関係づけたり販促とつなげたりしてるでしょ。昨年のハリケーン・カトリーナ災害ではFedexやMTVなどの企業が共同でキャンペーンを張ってボランティアを募り、休み期間の大学生らを大量にニューオリンズなどに送り込んだなんてこともありました(でもFedexって同性パートナーになんの保障もしてないわりとアンチゲイな企業です)。アップルがiPodの赤を発売してその売上の10ドル分をエイズ基金に寄付するという手法なんかはまんまズッポリとこれにあたりますよね。これは大人気で新たに8GB版も出したというニュースがまだ新しい。じつはこれ、「(PRODUCT)RED」というキャンペーンにアップルがのっかったもので、他にもアメックスの赤いカードとか、モトローラの赤い携帯とか、コンヴァースのシューズとかエンポリオ・アルマーニの赤い時計とかもあるんですわ。企業が乗り出すとほんとに社会の注目度が上がるし、それに顧客も応えるという双方向のコミュニケイティヴな関係がだんだん出来上がりつつある、という感じでしょうか。

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「13億ドル」というのは昔からあるスポーツ大会などのイベントスポンサー・マーケティング(冠大会とかです)の1割ほどの規模しかないのですが、こちらのスポンサー費の伸びがこのところ減少に転じているので、いずれCRMは企業からの強いメッセージ性を武器に遜色ないほどに重要な位置を占めてくると思います。イベントの冠って、あまりメッセージないですものね。

で、それを裏打ちするようにアメリカの次代を担う若年層が、けっこうこのCRMに反応しているって調査が今月になって出たんですね。

ボストンのリサーチ会社Cone & AMP Insightsってところから出されたアンケート結果なんですが、調べでは若年層の90%近くまでが社会問題の解決に積極的な企業ブランドの商品を購入したいとこたえてるんですって。

全米の13歳から25歳までの1800人に調査した結果で、この世代は2000年に成人(米国では21歳)となった1979年生まれから2001年に生まれた子までを含め、新世紀を表す「ミレニアルズ millenials」または「ジェネレーションY(Gen Y=Y世代)」とも呼ばれます。この世代とコーズ・リレーテッド・マーケティング(CRM)の関係を探ったわけですわ。

その結果、61%の回答者が自分は世界をよい方向に変革するのに責任があると考えており(すごい!)、同時に78%までが企業もその努力に加わるべきだと信じていると。また、ある企業がそうした社会の共通問題の解決や正義(コーズ)の実現に深く関わっているとわかった場合、75%の回答者がその企業の広告に注目するとし、90%までが、そうではない企業からコーズに関与している企業ブランドへの乗り換えを行う、と答えてるんです。

ほかにも、商品を買うときに69%がその会社の社会問題と環境問題への取り組みを考慮すると答え、66%が友人にもそういう企業のものを買おうよと勧めてるんだっていいます。

若者らしい(?)正義感に燃えた回答ですね。ってことはこれから年を取って次第にスレちゃって、そんなこと関係なくて安いもんがいいって思うようになるかもしれないってことだけど、ま、ここではね、こういう調査が出てこういう結果がアナウンスされて、それで企業がそういう方向にまたややプッシュされるということが面白いのであって。

先ほど触れた(PRODUCT)REDもそうですが、北米と英国に600店舗以上を持つ「アルドー」っていう靴屋さんチェーンがあって、そこでは昨年度から長期にわたって「エイズと戦うアルドー」キャンペーンを展開してます。若者に訴求するためにオスカー俳優のシャーリーズ・セロンやエイドリアン・ブローディ、人気シンガーのジョン・メイヤーやルダクリスらを起用してエイズの現実を直視する「聞く、見る、話す」っていうキャンペーンをやっているんですが、これがやはり成功しているらしい。

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企業が社会公共活動にまで目配せをするというのは確かに余裕のあるアメリカ資本主義ならではの話です。日本ではまだまだというか、そもそも社会事象にあまりに関心がない、あるいは、そういう“政治的”なことには商売はあまり首を突っ込まないという通念のせいかもしれませんね。CRMという新しいトレンドは、そういう“因習”とは逆のところ、つまり減点を気にする消極的なマーケティングではなく、得点主義の積極的なマーケティングにあるわけですから。

これはじつはLGBTマーケットに向けたアメリカの先進企業の取り組みとも共通するんですよ。LGBTコミュニティを顧客としてしっかりと認識するということは、マイノリティの人権擁護という、それこそ社会的なコーズなのですから。ね? こうして、ウォールストリートの金融界もいま劇的に変わってきている、というリポートを、今月20日発売のバディに書いています。

さわりは次のようなもんです。

「毎年LGBTを取り巻く企業環境の優劣ランキングを調査しているゲイ人権組織ヒューマンライツキャンペーン(HRC)によると、今年9月の調査では19もの企業が100点満点を取った。4年前はJPモルガンただ1社だったのに。市場価値で上位5社に入る米国の証券会社で満点を取らなかったのはこの調査に参加しなかったベア・スターンズ社だけだ。」

面白そうでしょ? お読みくださいな

November 04, 2006

どっちを見てもホモだらけ?

アメリカでまたまたとんでもないスキャンダルが発覚しました。

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テッド・ハガード(50)=写真上=という、全米3000万人もの信者を有する「福音派(Evangelical=エヴァンゲリオンの語源ですね)」のトップが、まあ、キリスト教保守派の総本山とも言うべき「全米福音教会協会(the National Association of Evangelicals=NAE)」の会長さんなんですけど、日本でいえば創価学会の池田大作みたいなひとですかね、このひとが、なんと3年間にわたって男性エスコート(プロの男娼です)と性的関係を続けていたってことを、このエスコートがばらしちゃったのです。うわっ、なに、それ? です。それだけでなくて、このハガードが覚せい剤(メタアンフェタミン)などの麻薬を使ってることも、「私のファンタジーは18歳から22歳くらいの大学生の男の子たち6人といっしょにセックスすることだ」なんて話してたこともばらしちゃった。おまけに「アート」と名乗ってこのエスコートに残していた伝言メッセージ(ボイスメール)も公開されました。麻薬を100ドルとか200ドル分、いますぐ手配できないかって言う話です。

この「福音派」、前の日記にも書いた例の「静かな広がり」の「ヘルハウス」のおっちゃん、なんとかロバーツ牧師ってのも所属している右翼バリバリの会派です。もちろん「ホモは地獄に堕ちろ!」派の中心組織。で、ハガードさん、本日の朝のニュースショーでニコニコしながら「私はゲイの関係など持ったこともない」「妻に忠実な夫だ」とかって余裕(のカラ元気?)でいってたけど(子供も5人!います)、NAEの協会長を辞任、自ら率いる「ニューライフ教会」(信者14000人、本部・コロラドスプリングス)の代表も降りると発表しました。このひと、「タイム」誌で「最も影響力のある福音派宗教人25人」に選ばれたようなやつで、「福音派教会の政治的方向性を支配するのに彼より強大な人物はいない」ってひとなのです。毎週月曜にはブッシュに週の初めのありがたい聖書のお話をしてるっていうし、電話すれば24時間以内に必ず大統領から返事が来るって豪語もしてる。

で、ご多分に漏れず、信者を前にしてはアンチ・ホモセクシュアルの説教をバシバシ。同性婚などもってのほかで大反対っていう急先鋒。いまアメリカで話題のドキュメンタリー映画「ジーザス・キャンプ」(少年少女たちを大量に動員してサマーキャンプをやるように福音派の教義を教え込むキャンプ。洗脳キャンプですね)にも噛み付いてる。彼自身が映ってますからね。

(ふうむ、私らもあんたが昨晩、何してたか知ったってわけよん)

いやいや、マーク・フォーリーといい、いったいこの保守派連中のホモセックス行為はいったい何なんでしょう。今回これをばらしたメイル・エスコートはマイク・ジョーンズさん(49)=写真下=ってひとなんだけど、つい最近、この3年間毎月決まって自分の体を買っていたこの相手がハガードだって気づいて、しかも同性婚やホモセクシュアルへの攻撃的なスピーチの内容を聞いて、このアウティングを決意したんだそうな。「みんな私を見て(メイル・エスコートなんて)反道徳的な人間だと言うかもしれないが、心では道徳的なことをしなければと思ってきた。言ってることとやってることのまったく違う偽善的な人間を公にすることが、わたしにとっての道徳的な行為だった」と話してます。で、ハガードとは完全に肉体関係だけで、「情緒的な関係emotional relationshipはまったくない」と。「心は孤独なクローゼット」ってなら同情の余地があるかもしれないが(そんなことねえか)、単純に肉体的快楽を追い求めてのゲイセックス狂いだってなら、あちゃちゃ、イタいですな、こりゃ。

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一方のハガードは「麻薬は買ったが興味があっただけで使ってはいない」と言い訳。マイク・ジョーンズをホテルに呼んでいた一件についても「マッサージをしてもらっただけでセックスはしていない」と言い張っております。なるほどね。

まあ、来週火曜日の中間選挙に向けて、ということもあるでしょうが、出てくるは出てくるは。

敬虔なキリスト教信者は、おそらくかわいそうなくらい混乱してるでしょうね。いったい、何がなんだかわからなくなってるんじゃないでしょうか。いやそれとも、こんなのはやはり神の与えた試煉だと考えているのかも。あるいはデマだ、信じない、とか。

わたしだってこうも続くといったい何だかわかりません。

こうしたスキャンダルはさて、選挙にどう影響してくるのでしょうか。

今回の選挙と前回の2004年選挙との大きな違いは、同性婚や人工中絶などのモラル・イッシュー(道徳問題)はひとびとの関心から離れてきているということです。CNNの調査では、同性婚が一番の争点と言うひとは1%にしかならない。これは日本のマスメディアでも「イラク戦争の泥沼化のことが大きすぎてそちらに目が回らない」というような言い方がなされているのですが、私にはどうももっと積極的に(あるいは消極的に?)、同性婚のことなどどうでもよくなってきたんじゃないかと思われるのです。どうでもよくなってきた、というのはもちろん、そんなに目くじらを立てるほどのことではないんじゃないか、認めてもいいんじゃないの、というような感じが、大勢を占めてきたんじゃないか、という意味です。

その証拠に、やはりCNNの最新の調査では、同性婚を認めるべきというひとは28%。ドメスティックパートナーなどのシヴィルユニオンの形を認めるべき、というひとは29%で、この2つを会わせると57%と、大きく過半数なのです。どちらも認めるべきではない、というひとは39%にとどまって、これは2年前とは大きな違いです。

そうしてこうした一連のスキャンダルで最も影響を受けると思われるのは、共和党、というかブッシュの支持母体であった草の根保守主義のキリスト者たちが、呆れて今回は投票にいかなくなる、ということなのではないかと思うのですね。つまり、2年前には同性婚支持派の拡大に危機感を持っていて投票に出かけた層が、今回はなんだかわからなくなって投票に出かけるだけの動機付けにも迷ってしまう、ということなんじゃないか。

だって、ホモセクシュアルはダメと言っていたひとがホモセックスを楽しんでいたとなると、これはそのひとが投票しようと訴えていた共和党も、ほんとに投票していいのかどうかわらなくなる。だって共和党にはマーク・フォーリーみたいなやつもいたということが明らかになったばかりですし。で、共和党も民主党もとにかくホモばっかりだ。もう政治はダメだ。投票にも行きたくない、という具合になるのではないか。

これが今回の共和党の不振の下支えになっているのではないかと思うのです。もちろん上の揺れを支えているのはイラクですけどね。

November 03, 2006

すっかりクレーマー〜朝日記事、続報

どんな組織でも、組織というのはすぐれた部分もあるし劣った部分もあります。ですから、例えば「朝日新聞をどう思いますか」と訊かれても「読売はどうですか」と言われても、応えはだいたい同じです。「すごい記者もいればひどい記者もいる。素晴らしいデスクもいればとんでもないデスクもいる。その比率はどの社もだいたい同じ」。

ですんで、新聞を読むときはいずれも記事を個別に判断しなければなりません。そうして同じ内容の、同じ題材を扱った他社の記事と比較してみれば、どの記事に何が足りないのか、何が余計なのか、何が舌足らずなのかがわかってきます。

先日の、朝日のイタリアの「ゲイの議員」の一件は、朝日新聞広報部から正式に「議員自身がゲイだと公表しているから」そう記したのだという回答をもらいました。しかし、実際は違うようです。善意に解釈して、ゲイとトランスジェンダーの違いがまだ行き渡っていない社会なので、朝日の筆者(ロイター電の訳者ですが)もそのイタリアでの言いに引っかかったのではないか、とも斟酌しましたが。

くだんのルクスリア議員は、自分では「ゲイ」と言っていないのです。

イタリアでゲイを公表している議員はGianpaolo Silvestriといい、ルクスリア議員と同じ選挙で初当選した、上院初のオープンリーゲイ議員です。一方、ルクスリア議員はイタリアではゲイの団体からも「Vladimir Luxuria, 1° deputata transgender d'Europa 」というふうに紹介されている。(参考=http://www.arcigay.it/show.php?1865)

英語版のウィキペディアでも以下の通りです。
「Luxuria identifies using the English word "transgender" and prefers feminine pronouns, titles, and adjectives.」
(http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Luxuria)
「英語でのトランスジェンダーという言葉を使って自分をアイデンティファイしている」、つまり、自分はトランスジェンダーだと言っているわけです。

したがって「本人がゲイであると公表しているため」という朝日広報部の回答は、裏が取れない。確認できない。 適当にごまかせると思って嘘をついたとは思いたくはありませんが、回答は結果としてはまぎれもなく嘘です。まあここでも斟酌すれば、ゲイライツを標榜とか、イタリアでゲイプライドを始めたとか、そういう記述に引っ張られたのかもしれませんけれど。

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それで終わればよかったのですが、翌々日にふたたびおかしな外信記事が朝日に載りました。以下のようなものです。

「お化け屋敷」で神の教え 若者呼ぼうと米で広がり

2006年11月01日03時13分
 ハロウィーンの“本場”の米国で、この時期、民間のお化け屋敷の形を借りてキリスト教の教えに基づく世界観を広めようとする「ヘルハウス」(地獄の家)が静かな広がりをみせている。若者を教会に引きつけようと、31日のハロウィーン本番にかけて、各地で人工妊娠中絶や同性愛の人たちが地獄に落ちる筋書きの「宗教お化け屋敷」が設営されている。

 ヘルハウスは、教会に通ったことのない10〜20代を主な対象にしている。七つの部屋を通り、最後は地獄と天国を体験する仕組み。同性愛、人工妊娠中絶、自殺、飲酒運転、オカルトなどにかかわった人たちが苦しむ様子が描かれる。

 ヘルハウスは30年以上前からあったが、95年に福音主義のニュー・デスティニー・クリスチャン・センターのキーナン・ロバーツ牧師が筋書きと設営の仕方をセットにして売り出して広まった。ハロウィーンを前に各地に設けられるお化け屋敷を利用した形だ。同牧師は「教会ドラマ」と呼ぶ。

 同牧師によると、800以上の教会が購入、米国の全州と南米を中心に20カ国に広がっている。米南部と西部が中心だが、ニューヨークでは今年、これを利用した舞台版のお化け屋敷も登場、連日大入りの人気だった。

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この最後の部分、「ニューヨークでは今年、これを利用した舞台版のお化け屋敷も登場、連日大入りの人気だった。」というのが引っかかりました。こんな宗教右翼のプロパガンダがニューヨークで流行るはずがないのです。流行ったらそれこそ大ニュースで、だとしたら私の日々のニュースチェックに引っかかってこないはずがない。ってか、だいたい、こんな宗教右派の折伏劇を取り上げてなんの批判も反対も紹介しないで「静かな広がりをみせている」だなんて、おまえはキリスト教原理主義宣伝新聞か、ってツッコミを入れたくなっても当然でしょう。

で、NYタイムズなどのアーカイヴを調べました。そうしたら案の定、話はまったく違ったのです。

このニューヨーク版はブルックリン・DUMBO地区の小劇場で10月29日まで2週間ほど行われていたものですが、これには今年初めのロサンゼルスでの「ハリウッド・ヘルハウス」というパロディ版が伏線にあります。キーナン・ロバーツ牧師の売っている筋書きと設定をハリウッドのプロダクションが買って脚本を作り、面白おかしいパロディにして上演した。地獄を案内する狂言回しの「悪魔」役はいまコメディアンとしてHBOで人気トークショー番組(毎回、政界や芸能界やメディアなど各界の左右の論客を3人呼んでそのときの政治問題を侃々諤々と議論する1時間番組)ホストを務めるビル・マー。これだけでもこの劇を「嗤いもの」にしようとしている意図がわかろうというものです。

で、そのヒットにかこつけて今度はNY版が出来上がった。しかしこちらはそう明確なお嗤いにはしなかった。「悪魔」役こそ誇張されて変だけれど、展開する寸劇はより生々しくシリアスにおどろおどろしく、制作陣の意図はむしろこうしたキリスト教原理主義の教条をナマのままに差し出したほうが観客の自ずからの批判を期待できるのではないか、ということだったようです。ってか、ここに来るような観客はみんな地獄に堕ちろと言われんばかりのニューヨーカーなんですから。

NYタイムズの劇評(10/14付け)は「Obviously, “Hell House” is a bring-your-own-irony sort of affair.(言うまでもなく、「ヘルハウス」は自らこの劇の皮肉を気づくためのもの)」と結んでいます。まあふつうそうでしょう。これで信仰に帰依しちゃうようなナイーヴなひとはとてもニューヨークでは生きていけないもの。ちなみにこの劇団、例のトム・クルーズの没頭する変形キリスト教集団「サイエントロジー」をおちょくった「A Very Merry Unauthorized Children’s Scientology Pageant」なんて劇をやってたりするようなところですし。

つまり、言うまでもなく、朝日のこの記事の結語はまったくの誤解を与える誤訳なのです(じつはこれはそもそも、APの英文記事の翻訳原稿でしかありません)。文脈としてはまったく逆であって、全米の教会ではまともに布教活動の一環として素人演劇で行われているが、NYでの連日の大入りの背景は逆に、そんなキリスト教原理主義のばかばかしさを笑う、あるいは呆れる、あるいはそのばかばかしさに喫驚するための、エンターテインメントなのです。ね、ぜんぜん意味が違ってくるでしょう?

「同性愛や人工妊娠中絶の人たちが地獄に堕ちる」というような、とてもセンシティヴな話題を取り上げるとき、まずこれをどういった姿勢で書くのか、どういった背景があるのか(ことしの米国は中間選挙で、モラル論争をふたたび梃子にしようとする右派の動きとこの「ヘルハウス」は無縁ではありません)、さらに、書くことで傷つくひとはいないのか、ということをまずは考えなくてはいけません。それだけではない。新聞社にはデスクという職責があって、記者がそういうものを書いてもデスクで塞き止めるというフェイル・セーフ機構があるはずなのです。朝日のこの記事、および例のトランスジェンダー議員の記事、立て続けに出ただけに、おいおい、だいじょうぶかいな、という心配と腹立たしさが募りました。こういうことを書くことで「だからマスコミは」「だから新聞記者は」「だからジャーナリズムは」という安直な批判言説を生み出してしまうとしたら、その失うものは筆者やデスクやその新聞社の名前だけにとどまるものではないのです。

朝日は10月半ばにLGBT関係で大阪の記者がレインボーパレードを取り上げたり、同性愛者の「結婚」も市長が祝福という記事を書いたり、「ダブルに男性同士」宿泊拒否ダメ 大阪市、ホテル指導、と教えてくれたり、ヒットを連発してくれてとてもありがたい限りだったのですが。

ね、ですから、「朝日新聞をどう思いますか」と訊かれても、それは全体としては応えられないわけで、これはよかったけれど、あれはひどかった、としか言えないのです。

October 11, 2006

全米カミングアウトの日

本日、10月11日は米国では「ナショナル・カミングアウト・デイ」です。

このリンクで、各界の著名人がゲイの人権とカムアウトを奨励するスピーチを行ったのがまとめられています。

これはゲイの最大の人権団体の「ヒューマンライツ・キャンペーン」という組織の総会とか表彰式とかでのビデオクリップ。最初はナブラチロワ姐さん。「メッセージはシンプルなたったひとつのこと。アウトなさい。カムアウトよ」。

ボーイスカウトでゲイ差別があって、ゲイのスカウトが追放されたときに「そんな差別をする組織になんかもう寄付しない」と表明したスティーヴン・スピルバーグも話してます。テレビのドラマでカムアウトしたときのエレン・デジェネレスも。

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アン・リーももちろんあの今年の人権大賞の授賞式のスピーチからの抜粋ね。同じくジェイク・ジレンホールもいます。彼はブロークバックに触れて「あの物語は、他のどの愛の物語とも平等だ」って言った部分をクリップされてますね。

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アン・ハザウェイなんか、自分のお兄ちゃんのマイクがこの秋に(今年のことか?)5年間付き合ったパートナーのジョシュと結婚するの、ってカムアウトしてる。「あたし、花嫁の付き添い役(ブライズ・メイド)よ!」だって。ふうん、兄ちゃん、嫁のほうなんだ(笑)

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「トランスアメリカ」のフェリシティ・ハフマンは、ヘテロセクシュアルから見るLGBTの問題ってものを「それって最初は、あなたかわたしか、という問題。次に、あなたとわたし、という問題。それから最後には、あなたはわたし、という問題」と、とても哲学的に語っている。これはなるほど、素敵な言い回しですわね。氷の微笑のシャロン・ストーン姐さんも、「わたしたちみんな、カムアウトしなきゃダメなの」って怖い顔だぞ。

クリントンは夫も妻も両方。撮影時に時間差はあるけどね。
今回のアルバムを出す前のとんでもなく太っていたころのジャネット・ジャクソンもいますね。わたしゃアリサ・フランクリンかと思った。

で、これを見ていて、というか最近、あの中村中ちゃんの出た「僕らの音楽」で、安藤優子さんがインタビューアーでよかったという話を聞いたりもしながら、来年の東京パレードとかには、こういう有名人を巻き込む努力もしてみたらどうだろうと思いました。

ねえ、安藤優子をパレードに誘うとかどうでしょう。彼女、わたしの大昔の「フロントランナー」を自分のニュース番組で宣伝してくれたくらいにゲイフレンドリー(なはず)。もちろん中村中ちゃんといっしょに歩いてもらう、という話で。そのころには彼女もビッグになってるでしょう。あるいは、こんどヘドウィグをやる山本耕史も歩かせる。あ、その話はまだここで書いてませんでしたが、来年2月、ヘドウィグの再々公演を、全面書き直しでやるのです。その翻訳をわたしが担当しています。詳細は別の書き込みで、後ほど。

話を続ければ、ほかには文化人から山田詠美はいかがでしょう? 村上龍といっしょに出てもらおう。あるいは詠美ちゃんを口説き落とした後で龍にもプッシュして、と頼む。あとは政治家も。自民も民主も関係なく巻き込んで、社民の福島瑞穂なんかは出てくるはずよ。辻元だってね。党派性とか政治利用とかうるさいやつがいるだろうけど、関係ないわ。

そんな人選を考えてるだけでも楽しいわ。

そんでかならず専門の担当係を付けて、失礼のないようにしてね。謝礼なんか必要ないから、このLGBTの問題がいかにヒップかということとわれらの熱意を伝える。さすればかならずや出てくれると思うけどね。とにかくより広い社会性を持たせることだ。

いかがなもんでしょう?
有名人って、こういうふうに利用されるために存在してるようなもんだしさ。
ぜひご一考を。

October 06, 2006

フォーリー報道について

5日配信の以下の共同通信の記事に、例によって同性愛者にいわれなき汚名を与える記述がありましたので指摘しましょう。

***
米議員の少年へのわいせつメールで波紋

 米与党共和党の前下院議員、フォリー氏が少年にいかがわしい内容の電子メールを送った問題で、議会上級スタッフは4日、AP通信に対し、少なくとも3年以上前に同氏の「不適切な行動」の存在を知り、ハスタート下院議長側近に注意喚起していたと語った。

 議長はメール問題を昨年知らされたが、文面については「先週まで知らなかった」と釈明。しかし、議長が早くから同氏の不審な行動を把握していた可能性が浮上した。中間選挙で下院共和党の敗北を確実視する声も出始める中、フォリー氏の議員辞職で幕引きを図る考えだった議長への辞任圧力が強まりそうだ。

 同通信によると、証言したのは、かつてフォリー氏の部下でもあったカーク・フォーダム氏。中間選挙で下院共和党の選対本部長を務めるレイノルズ議員の首席補佐官だったが、4日に辞職。フォリー氏はメール疑惑浮上を受け9月29日、議員を辞職した。

 フォーダム氏は数回にわたり、同性愛者のフォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取っていることを知り、議長側に伝達していたと指摘した。

 与党内では議長への不信感が高まっており、遊説先で議長の応援演説を断る議員も出始めた。 (共同)
[ 2006年10月05日 10:08 速報記事 ]
**

問題の箇所は第4段落、「同性愛者のフォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取っている」という部分です。

少年少女への「不適切な」性的行動は、ペドフィリア(少年/少女性愛)といわれます。
ペドフィリアとホモセクシュアルとは無関係で、別個の問題とされます。なぜなら、ほとんどのペドフィリアは異性愛者によるもので、しかも家庭内で起こる事例が多い。

ところがここで「同性愛者のフォーリー氏が」「不適切な行動」というふうに結びつけられると、一般的に「同性愛は異常、変態、不適切」という偏見がはびこる社会では、「同性愛者だからこういう不適切な行為もした」と容易に結論づけられることになります。

したがって、この問題を報じる米国では、つねに「同性愛と少年愛は別の問題」という但し書きが(テレビの場合は口頭での解説が)付けられています。とくに、フォーリー氏は今回、この(複数の)ページボーイとの関係に関して「アルコール依存症が原因」とか、「同性愛者ではあるがペドファイル(少年性愛愛好者)ではない」として“言い逃れ”しようとしています。

おそらく、筆者は「同性愛者ではあるがペドファイル(少年性愛愛好者)ではない」という部分の米国での報道情報を、自分の翻訳原稿の中にも手短に組み込もうとこのように1つの文でくっつけて書いてしまったのでしょうが、読解の結果は微妙に変わってしまいます。米国では今回の一件は「同性愛者のフォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取った」というテキストとしては、絶対に、報道されていませんし、公的に発表される文章としてはまったくの「不適切」と考えられます。

いっぱんの読者も、または編集者(デスク)もつい読み流してしまうような部分ですが、こうしたさりげない「刷り込み」が偏見と差別の下支えをしています。「同性愛者の」という形容句を抜かして、たんに「フォリー氏が議会でアルバイトをする少年に「不適切な行動」を取った」でも、なんら重要情報の欠如はなかったでしょうに。

いま最も先鋭な人権問題である性的少数者問題ですが、それに関する記述では、日本ではきちんとしたマニュアルもまだ出来上がっていません。

共同通信の記者ハンドブックでも、被差別部落や外国人に関する記述の厳然たる注意条項はありますが、性的少数者に関するものはおそらくまだまとめられていないのではないでしょうか? したがってスポーツ紙や夕刊紙では、90年代よりは幾分ましになったとはいえ、まだまだ時に目も当てられない野放し状態が続いています。

ことは今回のフォーリー事件に関する一件だけではありません。
共同通信にはぜひ、同性愛などの性的少数者問題への記述の指針を、過去の多数の事例を基に早急に明文化してもらいたいものです。そうすれば朝日、読売、毎日の三大紙のハンドブックも追随する(テレビや地方紙は共同マニュアルを転用しています)ことになっていますからね。

ということで、共同通信にメールで上記の申し入れをしておきますわ。
しっかし、こういうのは重箱の隅を突つくようなアラ探し、みたいなふうに受け取られるんだろうなあ。ほんとはそうじゃないんだけどよ、書いてるほうも疲れるわ。
やれやれ。

October 04, 2006

アメリカでいま一番のニュース

日本ではあまり報じられていませんが、まあ、それもうなづけます。日本には関係のない話だし、国際的なニュースでもない。しかし連日、いまアメリカのTV各局のニュースはこの話「下院議員マーク・フォーリーのページボーイ性的チャット問題」で持ち切りです。ページボーイってのは、政治家の雑用係のアルバイト少年たちのこと。ペンシルバニアのアーミッシュの学校での女児射殺事件や、北朝鮮の核実験宣言などを差し置いて、やはり下ネタというのは求められるんでしょうね。おまけに取材も簡単だ。

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朝日が書いていたので引用すると以下のようなもの。そうですね、こうして中間選挙に絡めてしか書けないかもね。

わいせつメールで下院議員スキャンダル 米中間選挙
2006年10月04日20時35分
 米与党・共和党のマーク・フォーリー前下院議員(52、フロリダ州)が10代のアルバイトの少年にわいせつなメールを送っていた疑惑が浮かび、11月の中間選挙を前に波紋が広がり始めた。共和党にとっては新たな逆風になりかねない。

 独身の同氏は6期を務めたベテラン。先月29日に突然、辞職し、アルコール依存症の治療などを理由に施設に入っている。米メディアによると、少年にメールを送り、「服を脱がしたい」「興奮させたか」などと伝えた、とされる。

 下院が独自調査を決めたほか、連邦捜査局(FBI)が捜査を開始。野党・民主党は与党の「セックス・スキャンダル」を攻撃する構えだ。

 児童の権利保護を推進する議連の会長だったこともあって、共和党内でもモラルに厳しい保守派が反発。同党のハスタート下院議長の辞任を求める声もあがっている。

しかしね、このフォーリーって男、どこまでゲスなんだか。
辞職してこないだは「アルコール依存症のリハビリに入る」とかいって酒のせいにして、次には「十代のときに教会の司祭にいたずらされたことがあって」と言い訳し、さらに昨日は「私はペドフィリア(小児性愛者・少年少女愛好者)じゃない」って言って(ペドフィリアだとそれで即、犯罪ですからね)、「でもゲイだということは知ってもらいたい」だってさ。へっ、人権を斟酌されるべき「ゲイ」?

おいおい、いい加減にしろよ、です。どこまで「なにか」の所為にするつもりなんだろう。

こちらのニュースではかならずこうした事件を報じるときに、「これはホモセクシュアルの問題ではありません。これはペドフィリアの問題です」っていうコメントが入ります。つまり、こうした犯罪は同性愛者だから起こすのではなく、異性愛者でも起こす、つまりは未成年者への違法な性的アプローチという犯罪なのだ、という論理立てを明確にしておくわけ。そうじゃないと性的少数者への言われない偏見をまた助長することになるから。その辺の建前はしっかりしています。

それでもってさらに、いやいや百歩譲って彼がもしゲイだとしても、こいつはクローゼットでいままでゲイだなんてことをこれっぽっちも言ってこなかった隠れホモなんですね。それが急に「ゲイだ」なんて言うことで、いったい何を「知ってほしい」というのでしょうか。

アメリカでは隠れホモセクシュアルはそれこそ「自己責任」なのです。処世としてホモセクシュアルであることをひた隠して余計(と思われるよう)な風当たりを回避する。

「ゲイ」という言葉には2つの意味があります。1つはホモセクシュアルということ。これは単純に性指向上の用語です。もう1つは、「ホモ」から解放されて「ゲイ」になった歴史的な経緯をふまえて、誇り高きその人格形成上のアイデンティティを示す言葉です。なので、彼は性指向はホモセクシュアルでも、人格的にはプライドとともに語られるゲイなんかじゃない。しかも共和党の政治家で、同性婚や性指向による差別禁止に関しても、1996年の結婚防衛法(DOMA=結婚は男女間に限ると規定した初の連邦法)では成立に賛成票を投じた。マーク・フォーリーはそういう輩です。そんなやつがいまごろ「私がゲイだということを知ってほしい」って、どのツラ下げて言えるんでしょう。

ですからこの犯罪は、クローゼットのメカニズムが生み出した行為でもある。そんで、この記事の最後に出てくるハスタート下院議長ってのが、これがまた数年前からフォーリーのこうした“性癖”を知っていたっていうんだな。共和党も裏と表の使い分けが狡猾というかなんというか……。ちなみに保守派で知られるFOXニュースは昨日の人気番組「オライリー・ファクター」で、フォーリーを3回も「フロリダ選出の民主党議員」って間違えてました。わざとなんだかどうだか、まったくねえ。

ところでね、アメリカでこれがこうも大きく連日ニュースで取り上げられるのは、やっぱ、どうしたってこれが異性愛ではなく同性の未成年への破廉恥行為、という、ホモフォビアも絡んだ、そういう下世話な要素があるのは否めないとは私も思うんですわ。そういうのも自覚しながらニュースを見ております。

ちなみに、朝日にある「メール」というのは、正確にはインスタントメッセージです。チャットみたいなもんね。このテキストを先月末、ABCニュースがすっぱ抜きました。当の少年と2003年時点で交わされたもの。いやはや、なんともえげつない内容。

「今週末はどっかの女の子が手で抜いてくれるのかな?」とか「それじゃ自分でマスかくのかい?」とか「キミくらいの年じゃあ毎日だろう」とか、少年が「そんなにエロくないよ、週に2、3回だ」と答えると「シャワーの中でとか?」って訊きやがるの。「シャワーは朝、さっと入るだけだからやらない」といえば、「じゃあベッドで仰向けかな?」だもんね。さらに少年が「いや、下を向いて」と書くと「ほんと? どうやって? ひざまずいて?」「いや、手は使わない。ベッド自体を使う」「じゃあどこに出すんだ?」「タオルの上」「ほんと! 全裸で?」「まあね」「それはいい。かわいいお尻が飛び跳ねてるわけか」

まだ行きますか?

それでローションだとかタオルの堅さだとかいろいろ詳細に訊きまくって、このエロおやじ、どんなフェティッシュがあるだとかも訊くわけよ。で、もちろん、「いま何着てる?」「普通のTシャツとショーツだよ」「大きくなってるのか?」「ああ」「脱がしてみたいなあ」「はは」「それで1つ眼の怪獣(おちんちんのこと)を握りしめてる?」「いや、今夜はやらないよ。そんなに興奮しないでよ」「でも硬くはなってるんだろ?」「それは事実」「測って長さを教えてくれないか?」「前にも言ったじゃん。7インチ半だよ」

ってな塩梅です。
原文は
http://abcnews.go.com/WNT/BrianRoss/story?id=2509586&page=1
から始まってます。
お好きな方はどうぞ。

October 03, 2006

HIVはゲイの病気です

このポスター及びキャンペーンはいまロサンゼルスのゲイ&レズビアン・センターが展開しているものです。

80年代に登場したAIDSは、最初期に「ゲイ関連病」とか「ゲイの癌」と呼ばれていたそのスティグマのせいもあって盛んに「ゲイの病気じゃない」「みんな危ないんだ」というふうに喧伝されて現在に至ります。たしかにゲイだけの病気じゃなかったわけだし。

それがいまふたたび、「ゲイの病気だ」というコピーで啓蒙されることに関しては、もちろんアメリカでも賛否が分かれています。ショッキングですし。

でも事実、ゲイの感染率が多いのは確かだし(ロサンゼルスではHIV感染者の75%がゲイです)、ここに来て95年までの「死への恐怖」を知らない若者たちの感染も増加してきている。

そこで、あの病禍を自分たちのものとして引き受け、さかんに予防啓発活動の先頭に立った80年代のゲイたちの活動や意識を想起・再燃させようと、こうしたコピーで世論をあおるという戦略は、私はありだと思う。ゲイに再びスティグマを塗り付けるためのコピーではなく、あの主体的なHIV/AIDSへのコミットメントを思い起こさせるためのコピーとして。もちろん、「汚れ(スティグマ)」を自覚させるためのなにげないカマシも含めてね。

それにこれはG&Lセンターがゲイコミュニティに向けて展開しているキャンペーンです。もちろん一般社会にも出回るでしょうけど、それも含めてゲイたちを身内として挑発している。そういうことが、まだ誤解はあるだろうけれど、できるような社会になったという自信もアメリカのゲイたちにはあるのかもしれない。右翼保守陣営からのキャンペーン・コピーだったら意味がまったく違ってきますけどね。まだそんなこと言ってるのかよ、ってな、勝手にしてろ、みたいな。

これとおなじく、感染率の増えているアフリカ系、ラテン系、女性コミュニティーは彼ら・彼女らなりに「HIVはアフリカ系アメリカ人の病気です」「HIVはヒスパニックの病気です」「HIVは女性たちの病気です」と発信するのもぜんぜんありじゃないでしょうか。そうして「HIVは男のビョーキです」ってのも、ある意味すごい。

それを日本に置き換えてみればつまり、日本でも、先進国でゆいいつ感染率が増加の一途であることを憂慮して、「AIDSはいま、ニッポン人のビョーキなのです」ってやってもいいと思う。

それにしても、こうしたコピーの変遷に時代を感じてしまいます。怠慢を繰り返してしまうわれら人間の愚かしさも同時に。

みんな、ほんと、気をつけてね。

October 01, 2006

Hand-Holding(手を取り合うこと)

こないだ、NYタイムズに興味深い記事が載ってました。5日付だったかな。

さいきん、NYの街なかで手を握って歩いている人たちが目立つってことから、STEPHANIE ROSENBLOOM記者が、あちこちの心理学者や社会学者に電話取材とかして一本の長文リポートをまとめてるのです。世相を社会心理学で分析するっていうジャンルね。

要旨はね、むかしは手を握り合うことは次のセックスに進む2人の親密さの初期のワンステップだったんだけど、いまはもっと進んだ関係のアナウンスメントの要素というか、周りに手をつないでいることを見せることで自分は「他の人求めてません」て表すと同時に、キス以上に相手に対する愛情や保護や慰撫を示す行為になっている、ってもんでした。手をつなぐことはいま、キスよりもマジで真剣な愛情表現なのだってことっすね。

いわれてみりゃそうですわね。たしかに手をつなぐってことはむかしはまだキスができない時点で(その前段階として、あるいはその代償として)の行為だったけど、いまではすでにキスもセックスもしたあとで手をつなぐ。じぶんたちは深い関係性の中にあるってことが、手をつなぐ行為におのずから示されている。手を握ってる連中はもう「いい仲」なわけですよ。むかしは、手を握ってるのは「うぶな仲」のシニフィエだったんだけど。

もちろん、こうした変化は性革命(性を公にすることは恥ずかしいことではない、という意識革命から派生したさまざまな性的事象の急変)を経たアメリカだから、の話だろうと思います。

また中村中の話を持ち出すけどさ、あの詩の「手をつなぐくらいでいい/並んで歩くくらいでいい/見えているだけで上出来」というのに登場する「手をつなぐくらい」という行為はもちろん、そんなところまで至っていない、ロマンスの初期段階でのささやかな願いですわね。とてもとても、このNYタイムズの取り上げているところになんぞ至っていない。

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で、街なかで手をつないで歩いているのはNYではゲイの男の子たちも多いんですね。チェルシー地区なんか、カップルは必ず手をつないでますし。NYタイムズの記事のちなみ写真はそんな男の子たちの手つなぎでした=上の写真。で、これにはもう1つ要素があって、それは「ゲイプライド」の示威行為、デモンストレーションにもなってるわけですよ。もちろんゲイバッシングなんかの危険も伴うけど、手をつなぐ2人は互いを互いで守り合うって意気込みだぞ(これは私のinterpretation)。あるいは2人で手をつないで逃げるのかも?(笑)。でも、いずれにしても手をつなぐのはいいもんだ。

手をつなぐことは、ときにはキスよりも気恥ずかしかったりしますわね。おかしいね、この心理。でもだからこそいま意識的にトゥマと手をつないでみる、握ってみる、トゥマと手を取り合ってみる、そういうことって、いいんじゃないかって思うよ。(あ、ちなみに、この「トゥマ」というのは、「妻・夫」の古語の発音です。自分の性愛の対象を指すジェンダーニュートラルな名詞で、尊敬する大塚隆史さんが「パートナー」とか「連れ」とか「相方」という言葉の代わりに広めようと提唱している言葉です) 。

キスだけでなく、手をつないでもごらん、若者たちよ。
こころがすこしジュンッとする。

(ところで「hold your hand」の「hold」、日本語にならないって書いてて気づきました。握るのともちょっとちがう=ちなみに握手の英語はshakehandsで、これは取った手を揺する行為を指した言葉。Hold は「つなぐ」でも「取る」でもない、「保持する」って感じね。大和言葉、なし、ってホントかよ)

July 07, 2006

NYの同性婚、認められず

州最高裁で認められませんでした。
4対2で敗訴。
理由は、簡単に言えば州の結婚法が、結婚は男女間だと規定してるから。それを同性婚も認めるようにするには、まずは州議会が州法を変えなきゃダメっていう論理です。

がっかりですね。結婚相手いないけど、そーいう問題じゃないってか。

まあ、マサチューセッツのドジョウの二匹目はNYにはいなかったわけっすね。
でも、同性婚を支持したジュディス・ケイ首席判事は「未来の世代が今日のこの判決を振り返って、必ずやこれは判断間違いだったと思うに違いないと信じている」と反対意見を付記しております。ふむ、けっこう力強いね。

市長のブルームバーグもコメントを発表して、「だれがだれと結婚しようと、そんなことは州の知ったこっちゃない」と。はい、そのとおり。「とはいえ、法律は立法府の議員が決めるもの。同性婚を認めるか否かは裁判所の問題ではない。んで、知事と私はどんな法であれ存在する法を執行する立場だ」として、そのうえで、「個人的には同性婚を認めるための法改正に賛成する」と言ってます。まあ、論理的に考えればそんなもんでしょう。

さらに、次期州知事候補のエリオット・スピッツァー(民主党)も同性婚支持派。彼が知事になる可能性は高く、そうすればこの秋以降、法改正へ向けて彼自身がプッシュする可能性もあって、また次があるさーね、って感じですな。

同じ日、南部ジョージア州では判事全員一致で同性婚が却下されました。

ほんと、結婚に関することになると、そんなに感情的な反発が強いんだなあ。
理屈じゃないっていうんだろうが、理解できませんなあ。

***
State's Highest Court Rules Against Gay Marriage

July 06, 2006

The state's highest court ruled Thursday that gay marriage is not allowed under state law.

In a 4-2 decision, the State Court of Appeals rejected arguments by same-sex couples throughout the state who said that state law violates their constitutional rights.

The court said New York's marriage law clearly limits marriage to between a man and a woman and any change in the law should come from the Legislature.

The case involved several lawsuits representing 44 gay and lesbian couples in the state.

Associate Judge Robert Smith wrote in the majority opinion wrote: "By limiting marriage to opposite-sex couples, New York is not engaging in sex discrimination. The limitation does not put men and women in different classes, and give one class a benefit not given to the other."

In a dissenting opinion, Chief Judge Judith Kaye said: "I am confident that future generations will look back on today's decision as an unfortunate misstep."

The cases decided Thursday were filed two years ago when high court judges in Massachusetts ruled same-sex couples there have the same rights to wed as straight couples.

Gay rights groups called the ruling a sad day for New York families, saying they are disappointed but that they are not giving up.

"It's so disheartening and so difficult to hear that the courts can't protect us, and we have to turn to the people," said plaintiff Cindy Blink.

They say they hope to have a gay marriage bill in front of state lawmakers by next year.

Both Mayor Michael Bloomberg and Governor George Pataki said they do not believe that same-sex marriage should be regulated by the courts.

Instead, they say it is a matter of changing the state's existing marriage law, a move that must be made in Albany.

"I haven't read the entire decision, but I just think it's right that any change in what has been the law of this state for over 200 years should be made by the elected representatives of the people and not by the court," said the governor.

"It's not the state's business who you can marry, and now, having said that, I also believe that it is up to the legislature to have laws. The governor and I will enforce whatever laws are on the books. And so I will personally campaign to change the law," said the mayor.

Democratic front-runner for governor Eliot Spitzer says he also supports gay marriage, which means if elected this fall, he could push for a law change.

The issue also has its detractors, including State Senate Majority Leader Joseph Bruno. He has said he will oppose any effort to legalize gay marriage.

June 14, 2006

FOXにもこんなキャスターが!

いやいや、すばらしい。
このYouTubeのビデオ、5分ありますが、5分見続ける価値あり。

<該当のYouTubeビデオ、著作権問題で削除>

イラクで亡くなった米兵の葬儀に、「こいつはゲイだ」として墓地への埋葬にデモ隊を送り出してたウエストボローバプティスト教会(カンザス州)の一派があるんだが、その広報の女性に、FOXニュースのジュリー・バンデラスがピチッと切れて烈火の如き猛攻撃。

こいつらね、9/11もイラクの戦死者もAIDSもなにも、すべて神の思し召しだっていうわけだ。いまのこの世の悪行がすべて報いとなって現れているんだというわけね。ゲイプライドなんてものは倒錯を誇ってることで、そんなんがあるせいで天罰が下っているってのさ。

いやはや、ジュリーさん、怒りようが尋常じゃない。「Oh, really?」ってのは、けっこうけんか腰の物言いでね、「あら、ほんと、はあ?」ってな感じ。よく見ると首を横に揺らしてる、もうこりゃ、本気だね。聖書のレヴィ記を引用する相手のシャーリー・フェルプス・ローパーに真っ向から噛み付き、おまけに声がきれいだから相手のきんきん声を圧倒してなおさら小気味よい。しかしこのおばちゃんも最初は低〜い声で穏やかぶってたんだけど、いやいやどんどん声は高くなるし叫ぶし、がははは。
しかしFOXって、保守派だと思ってましたが、こういうキャスターもいるのね。

「神の言葉が憎悪だなんて、そんなことはあるはずがない!」
「だれがあんたに神の代弁をさせる権利を与えてるの? 何者なのあんたは? 説教者?」
「あなたが憎悪をばらまいてるのよ。あなたこそが悪魔よ。聖書を信じてるって? なら、あなたこそが地獄に堕ちなさい!」
「あなたみたいな人はアメリカ人じゃないわ。その教会を持ってどこか他の国に行くべきよ!」

以上全部、ジュリーの発言。ふだんは同じ文句をゲイの方が言われているのに、それをそっくりお返ししてやっているという構図。これは、前から考えてないと出てこないしゃべりですね。お見事!

June 13, 2006

ちょっとまずい本当の話

 サッカー、こっちでも生中継されていて、見ましたよ。ニホン、いやいや、こっちのアナウンサーまでも川口のあの同点ゴール直前のフリーキックの止め方なんか、「ワールドトップクラス!」なんて褒めちぎってから、あやや、危ねえなあ、こういうときにぽろっと入れられちゃうんだよって思ってたらあっというまに入れられました。ひー。で、その後はぼろぼろと逆転追加点。

 あれ、なんだかんだいっても体力差でしたね。後半のシュート数も負けていたし、というか、攻め込むんだけど最後のシュートにまでつながらない。へなへなでした。あれほど戻りの速かったディフェンスも同点にされてからは気ばかり焦って攻め込んでカウンターアタックに戻ってこられなかった。

 ああいうときはみんな、精神力だとか気力だとかいうけど、大いなる間違いでね、私もずっとサッカーをやっていたからわかるんだけど、気力ってのも体力の一部でして、躯が動かないと頭もぜんぜん働かないんですよ。肉体はつながっているわけです。躯が動いてるから気力ってのも間に合うわけで、だから、精神論をぶつスポーツコーチなんてのは信用できんの。それはあくまでフィジカルな力と技が土台にあってこそのお話です。

 まあ、ニホン全国、サッカー熱に浮かれているようですが、この敗戦ですこしは冷めてくれるといいのですが。サッカーなんか知らないって人もかなりいると思うんだけど、そういうところに目が行かずにワーってなっちゃうファッショがありますわよね。そういうの、アメリカって、まあサッカーはそんなに人気があるわけじゃないけど、野球だってバスケットだってアメフトだって、わーっとなるところはなってるけどなってないところはなってないって感じで、怒濤の熱狂というのがないところは何だろうねって思います。大人なんだろうか?

 って,ここまでが枕でして、本日のお話はそういうのとはぜんぜん違って、映画を見てきたって話です。
 巷で評判のアル・ゴア“主演”の「an Inconvenient Truth」ってやつです。地球温暖化のドキュメンタリー。で、ドキュメンタリーだって聞いてたからそのつもりで見始めたんだけど、ドキュメンタリーというよりはアル・ゴアの地球温暖化に関する講義を映した映画なんですね、これが。

 冒頭の、うららかな陽射しを浴びて川の流れるシーンのナレーションからしてアル・ゴアの声で、おっと、こりゃアル・ゴアのプロモーション映画かって思いました。まあ、そういういともあるのかもしれないけど、そのうちにそんなことがどうでもよくなるくらいに大変な事態が起きているのだって教えられる、そういう映画です。

 さまざまなものの歴史に転換点というものがあります。大規模な戦争ではヒロシマ・ナガサキがそうでしたし、テロリズムではもちろん9・11がそうでしょう。そんな中で昨年のハリケーン・カトリーナもまた、アメリカ人の意識を根幹から変えそうな“事件”だったんでしょう。というのも、地球温暖化とか環境保全とかは、カトリーナ以前に口にしてもどこか他人事でそう切実さはなかった。けれどいまはガソリン高騰も相俟って、あれほどCO2を放出しまくっていたアメリカ人でさえもちょっとこりゃまずいかなと思い始めているような気がします。

 前述したように、映画は温暖化に関するアル・ゴアの講義をそのままなぞるようにして進みます。講義の冒頭での自己紹介で、彼はまず自分の肩書きを「the Former Next President of the United States(前・次期合衆国大統領)」とイッパツ笑わせてから、地球温暖化の凄まじい推移と影響とを写真やグラフを多用して視覚的にわかりやすく解説してゆくわけです。

 その語り口は映画脚本顔負けにユーモアに富みかつ真剣で、途中、暗い映画館の中でわたしゃいま自分がノートを取っていないことを後悔したくらいです。そのくらいネタが満載。なかにはすでに知っていることもありますが、しかしこうまとめて編年体・紀伝体、時間の縦軸と横軸を切り取りながら目の前に提出されると、あらら、こりゃほんと、Inconvenient(まずい)だわ、って気持ちがどんどん募ってくる。

 どんなことが起きているか? 「キリマンジャロの雪」として有名だったあの雪はもうないのです。カナダやヨーロッパのあの美しい氷河はすでに多くが消えています。太陽熱の反射板の役目を果たしてきたそんな氷面が小さくなって海はますます加速的に水温を上昇させています。ですからカテゴリー4とか5とかの強力ハリケーンはこの30年で倍増しています。気温上昇で蚊がアンデスの中腹まで飛んでいけてマラリアの被害地域が広がっています。一方で内陸部は日照りで干ばつが続き、シベリアでは永久凍土層が融けて居住地が崩壊しているのと同時に、湖が次々に消滅しています。そしてなによりもぞっとするのは、そうして融けた陸地の淡水が大量に海に流れ込むことで、塩水濃度のバランスが崩れて太平洋や大西洋の大きな海流が迷走するか止まってしまいそうなのです。「カタストロフィーちょっと好き」の私ですが、やっぱ、ちょっとぞっとします。

 もちろんこれらは「警告」ですからショッキングに編集されているかもしれません。スクリーンで示されるグラフだって縦の軸の単位がよく見えないので変化の度合いが劇的に強調されているかもしれない。しかしたとえ話半分だとしても「話半分であってほしい」と思えるくらいにこれは、ちょっとインコンヴィニエントな話なのです。

 そういや富士山の万年雪も最近は夏は融けていますよね。

 なんともぐったりします。でも、とてもアメリカ人的というか、最後にきちんと「いま自分に出来ること」が示されます。普通の電球を蛍光灯に変えるとかリサイクルするだとか木を植えるだとか、そういう当たり前のことなんだけど、ってか、遅すぎるよ、あんたら、って感じもしないではないが、中には冷凍食品を買わない、肉食を減らす、可能ならハイブリッドカーを買う、なんてのもあります。そしてもちろん連邦議員に手紙を書くなんてのも。

 こりゃ、日本で公開されるんでしょうか? 公開されたら、ぜひご覧になることをお勧めします。下手なスリラーなんかよりずっとドキドキします。

 もしくは、大学とか市民団体とか、そういうところで自主上映界なんか企画してはいかがでしょうかね。きっと、そういう趣旨を伝えたら安く貸し出してくれるんじゃないでしょうか? えっと、ウェブサイトは次のとおりです。

An Inconvenient Truth Oficial Site


 ブッシュ政権のこの6年で疲弊したアメリカ人の理想主義が、11月の中間選挙にどう影響するのかにもこの映画は一役買いそうです。それは人気凋落の現大統領に、さらにちょっとまずい話ではありましょう。

May 16, 2006

1ドルの仕事、1億円の仕事

 先月のフォーブス誌によれば、米国の売上上位500社(Forbs 500ってやつです)の昨年のCEO平均報酬は1090万ドル(12億円)だったそうですね。うち51%、560万ドル分がストックオプションの行使で得た収入だそうですんで、そのまま給与というわけでもないんですが、12億円というのは1カ月に1億円の収入ですわ。

 トップのキャピタル・ワン・ファイナンシャルのリチャード・フェアバンクCEO(55)にいたっては、ほとんどストックオプションながら2億4930万ドル(275億円)の収入だったとか。こちらは1日で7500万円の計算。いったいどういう仕事や業務がそれほどのお金の価値に値するのか、浅学な私には皆目見当もつきません。ちなみに日本の上場企業の社長さんは年収で平均4000万円くらいなんですって。まあ、このくらいなら想像できる金額ではありますがね。

 とふと、その号が発売されてややした5月1日に、全米で「移民がいなくなった日」と題した中南米系移民の一斉スト及びデモが行われました。米国内で働いている不法移民は720万人に及ぶのですけど、そのとき、頭の中で、あ、この人たちがみんな1日分の賃金で10セントずつ少なく支払われていれば、フェアバンクさんへの1日7500万円がちょうど出てくる計算だな、と思っておりました。いや、これはとても失礼な素人比較ではあります。フェアバンクさんのお仕事はとてもストレスフルで、1日7500万円もらってちょうど割が合うほどなんだ、というのかもしれない。でもねえ。ほんと、フェアバンクさん、貰ってるということはそれだけの価値を生み出してるってこと。そんな巨額なお金をまいにち生み出しているのかしら? まあ、いずれにしても氏に行っているお金はだれかがどこかで生み出しているに違いはないのでしょう。

 私は、じつはダウンタウンのSOHOの入り口というか、あのハウストンとブロードウェイの角にあるクレイト&バレルって店が好きで、ふと散歩がてらに覗くこともしばしばです。品の良い食器とかグラスとかがポーランドとかあそこらへんから大量に輸入されているせいでしょうか、すっごく安い値段で売られてたりして、うちでよくパーティーをやってワイングラスも大量に仕込まねば割れたりしてすぐなくなっちゃうので、あそこで大振りのボルドーとかブルゴーニュ・タイプのグラスをバーゲンで3ドルくらいで買っちゃうわけです。で、クリスタルなんですよ。大量生産品ではありますがいちおう手吹きですし、そんなとき、3ドルじゃなくたとえ5ドルもらっても10ドルでさえ、私にはこのグラスは作れないなあと思ってしまってしょうがない。だいたいNYではガラスの工房を借りるだけでも何十ドルもしますし、話は違うがコットンの下着が3枚で9ドルとかも私にはぜったい作れない。こちとら文章を書いてるだけですからね、よく考えると、けっこう自己嫌悪のタネが仕込まれたりします。

 でね、こんなに安くていいのかなあ、と思うわけです。まあ、バカラの200ドルのグラスにはそれなりの,それこそ品格みたいなものさえ感じられますが、作れないにしても、200ドルなら作ってもいいかなとは思う。で、クレイト&バレルの方のグラスは everyday wine 用だからこれでじゅうぶん。しかし、3ドルって、おれはぜったいに作れないというより、作らない。そんなお金で仕事なんかできませんもの。

 付加価値まで含めた第1次や第2次産業製品の総体価値がそのまま社会全体の実体価値ではないのでしょうが、どこかで富は生み出されている。それがわずかずつではあるが最下層には少なく配分され、わずかだからたいして騒ぎ立てたり怒ったりするほどのことでもないけれど、そうやって見過ごしているうちに過少払い分が上位層に順次吸収されていって、それで最終的に何百人か何千人かの、宝くじ的な報酬へとつながっていく。塵も積もれば、の逆典型。とどのつまりはこれが「格差社会」の仕掛けなんでしょ? ま、昔いってた資本主義経済の弱肉強食、食物連鎖ってヤツだけど。

 宝くじ、といいましたがそうですわね。100円くらい簡単に出しちゃいます。気にならない。でも格差社会が宝くじと違うのは、当選者がだいたい決まっているってことです。

 その当選者層に入り込みたいという各人の意欲と努力が競争と切磋琢磨という社会のエネルギーを生み出すのだ、という論理はよくわかりますし賛成もしますよ。だが、いくらなんでもひと月に1億円というのは違うだろうという気がするんですよね。

 だって方や人目につかぬNYのチャイナタウンの縫製工場では、背広1着縫って工賃はわずか1ドル前後なんすよ。たった1ドル。それも違うでしょう。そう思わへん?

 アメリカンドリームはいまや、いつか当たると思ってもじつは当たりくじのないインチキゲームと同じになっているとちゃうかという指摘もあります。むかし、お祭りの夜店にそういうのがあったけど。日本では小泉が格差社会について「成功者をねたむ風潮、能力のある者の足をひっぱる風潮は厳に慎んでいかないとこの社会の発展はない」なんて格差社会とはまったく関係ないことをいってごまかしてましたが、アメリカみたいに1着1ドルと1カ月1億円ってな差が出来ている社会、だれか調整してくれないと、こんなふうにねたみたくなってからでは遅いんですわ。で、小泉政権の“推進”する格差社会というのは、政府の社会不均衡調整機能ってもんをはなから放棄しちゃった職務怠慢なんじゃないのと思う今日この頃です。

March 24, 2006

アメリカが公正になるとき

 日本にとっては終わりよければすべてよしだったWBC。わたしはサッカー少年だったので野球というのはいつもグラウンドの奪い合いで目の敵にしていたスポーツ。どうでもいいといえばどうでもいい。しかしまあ、いろいろ書かねばならぬこともあるので決勝トーナメントくらいは見てました。このWBC、アメリカでの注目度が今イチだったのは、わざわざ「ワールド・ベースボール・クラシック」と銘打たなくともアメリカこそが「世界」の「ワールド・シリーズ」があるからですが、やや興味を引いたのはそんな唯我独尊のアメリカで、そのニュース報道や中継のアナウンスや解説の仕方にいままでにない謙虚さが目についたことです。

 あのタッチアップ得点のなかったこと問題や幻のポール直撃本塁打といった誤審のニュースやコラム、さらにアメリカチームの敗退報道だけではなく、それは日本の監督の王さんの紹介の仕方でも象徴的でした。アメリカでは日本のミスター・ベースボールたる長嶋茂雄はほとんど無名なんですが、世界最多ホームラン記録保持者が「サダハル・オー」であることは野球通には周知の事実なんですね。ただし王さんの868本という記録は、これまではあくまで日本における記録という紹介のされ方だった。で、アメリカの認める「ワールド」記録というのは、王さんよりも113本も少ないハンク・アーロン氏の755本だったわけです。

 ところが今回のWBCの報道では王さんの肩書きにNYタイムズ紙のスポーツライターが2人とも「プロ野球史上最多ホームラン打者」だとか「メジャーリーグ・ベースボールのナンバー1ホームラン打者」という言葉を使い、日米の野球に区別を付けていなかったのです。

 スポーツ界という最も保守的で愛国的な世界でも、新しい波は無視できません。いまやメジャーリーグでさえベースボールは野茂、イチロー、ゴジラ松井のエピソード抜きには語れない。王さんが現役の時代、一世代や二世代上のアメリカ人にとってはベースボールはヤキュウとは違うという矜持もあったのでしょうが、若い世代にとっては、ベースボールはまさにインターナショナル。中南米の出身者は活躍するは、韓国、台湾、日本人もいるはで、かつての狭量な「世界」観は確実に変わってきているのです。

 旧世代とは違う謙虚なアメリカ人が生まれてきている──これはどうも、あの9.11テロとも関係してるのじゃないかと思われます。ポスト9.11世代ともいうべき世代に、アメリカってどうしてこんなに嫌われてるんだと、世界をもっと謙虚に見直そうという空気が再度盛り返しているのは確かなのです。その雰囲気は、ブッシュさんへの支持率がいまや35%前後という危険深度にまで落ち込んでいる現状とも共鳴しています。

 もっとも、これらを指して「アメリカはどうでもよいときだけ公正になるんだよ」という批判もあります。同じ時期にニュースになった、例のBSEの牛肉問題の米国回答書なんかそのよい例です。

 回答は日本向け牛肉の脊柱混入を「特異な事例だった」と繰り返すだけのもので、じつは3月になって同じ脊柱混入事件が香港向け牛肉でも発生しているのですが、2例も3例も続くものが特異な事例か、という不信感は拭えません。おまけに輸入禁止に科学的根拠はないとして「米国産牛肉を食べて病気になるより牛肉を買いに行くときに交通事故に遭う確率のほうが高い」と解説してくれるにいたっては、人の神経を逆撫でるような、表現は悪いが「盗人猛々しい」という謂いを連想してしまったほどです。

 どうもアメリカは、どんな問題にも(とくに、どうでもよくはない問題に関してはより)自分こそがジャッジだと思い込む癖があるようですね。

 それはやはり同じころ3月20日に丸3年を過ぎたイラク侵攻に関してもいえたことです。これもサダム・フセインを無理矢理テロに関連するものに仕立て上げ、どうでもよくない問題にしてしまったせいで逆に泥沼にはまっています。不幸にもこれは、開戦前に最悪の事態として予測していたこととまったくそのとおりの展開になってしまっているのです。

 国益に関してカッカするとロクなことはない。WBCと違って、米国が牛肉とイラクに冷めた批評眼と公正さを取り戻すのは難しいでしょうが。

 愛国心というのは自分の国だとべつに気にも止めないのですが、他国の愛国心はときにひどく気味が悪い。イビキと同じでね、自分のは気にならないが、隣のヤツのはうるさくてしょうがないわけで。勝手なもんですね。

 そういえば今回のWBCでは、イチローがやけにカッカしていました。韓国に対して「向こう30年は日本に手は出せないなと思わせる勝ち方」だとか「ブーイングは好きだ」とか。

 味方や自分自身を発奮させるためのセリフだとしても、なんだかアメリカ的な力の入り方で、わたしは嫌な感じがした。王さんのことを「品格に長けた人だ」と賞賛できるような輩が、まったく品格に欠けるような煽り方をした。で、そのときは負けちゃった。

 やっぱり煽りすぎるとロクなことはないのです。

March 10, 2006

ブロークバックはただじゃ終わらない

オスカーに抗議して、「我々の作品賞はブロークバック・マウンテンです」という新聞一面広告=写真参照=を出そうという運動が始まりました。 「ありがとう;ブロークバック・マウンテン」という、ファンたち自身からの最優秀作品賞の授与ですね。

これがブログで紹介されるや、48時間で400人以上から17500ドル(200万円)が集まった。

呼びかけはアメリカでの熱狂的ファンサイト「the Ultimate Brokeback Forum」。落選の怒りをあたりかまわずぶちまけたりひたすら落ち込んだりという非生産的な行為の代わりに、この映画への制作陣への敬意と賞賛とを表明しようと新聞広告を打とうというわけです。画像にもあるように、2005年のベスト作品賞受賞映画賞を網羅して圧巻です。ただ1つ、オスカーだけがない。アカデミー会員のじいさんたちはこれをみて畏れ多くないか、ってわけですね。

言い出しっぺは私もこの欄とか自分のサイトとかでいろいろとネタ元にしていたDave Cullenくん。ふーん、本物だ、このブロークバック好きさ加減は。

こんなことはハリウッド映画史上かつてありませんでした。
面白いねえ。

ジャックとエニスの愛が社会によって否定されていたことに関する映画が、再び社会によって否定された(作品賞の落選)に我慢がならんというわけですね。アメリカ人の行動力って、ほんとこういうときに凄いと思います。

まずはハリウッドで最も読まれている映画関連新聞の「デイリーヴァラエティ」紙の本日10日付けで全面広告を打つとのこと。

さらに寄付を集めて他の雑誌や新聞にも、同様の広告を打つようです。
で、コピーは
「We agree with everyone who named 'Brokeback Mountain' best picture」
「わたしたちは、ブロークバック・マウンテンを最優秀映画賞に決めたすべての人々に賛同します」

で、日本からももちろん寄付できます。
http://www.davecullen.com/brokebackmountain/adcampaign.html
に行って、peypalのところをクリックして寄付が出来ます。
10ドルでもいいわけ。もちろん1ドルでもね。
でも、ビザかマスターカードを持ってないと難しいかも。

日本の新聞社にも教えましょうね。
こりゃぜったいに面白いネタだ。

March 08, 2006

ブロークバックの衝撃2

 今年のアカデミー賞は「クラッシュ」が作品賞を獲ったということより「ブロークバック・マウンテン」がそれを獲らなかったということのほうがニュースになっています。昨年12月の公開以来アメリカ社会にさまざまな「衝撃」を与えてきた「ブロークバック」ですが、作品賞を「クラッシュ」に横取りされた別の「衝撃」が返ってきちゃいました。記事の見出しも「アカデミー賞でのドンデン返し」とか「ブロークバックのバックラッシュ」とかですものね。

 アカデミー賞はその選考投票の内容を明らかにすることはありませんが、新聞各紙やロイターやAPなどがさまざまな見方を示しています。

 NYタイムズは作品賞を逃したことを;
 ブロークバックをだれも止められないと思っていた。だが最後に思わぬ事故(クラッシュ)が待ち受けていた。再びの屈辱的な教訓。アカデミーはだれかにどうこうすべきと言われるのが好きではないのだ。ジャック・ニコルソンが最後の封筒を開けたとき、すべての賭け金、一般の思惑、これまでの受賞暦が無に化した。「ホワー」とニコルソンは言った。

 たしかにニコルソンの反応は面白かった。「何たること!」という感じでしたものね。

 クラッシュはロサンゼルスのある交通事故が、いろんな場所のいろんな人々のいろんな話をない交ぜて思わぬ展開を見せていくというものです。そこには人種問題、貧富の問題、階級の問題、職業の問題、いろいろあって、オリジナル脚本賞も取っただけあってじつによく書けている。

 ところが、これが「今年の映画」かというと、正確にはアカデミー賞は去年の映画を対象とするのですが、その「いまのこの年の映画か」というと違うんじゃないか、というのが正直な印象です。「クラッシュ」のこの手法というのは「群像劇」の手法で、たとえばロバート・アルトマンの「ショートカッツ」(94年)なんかの手法なのです。またかよ、という感じ。

 さてそのうえで、NYタイムズとかAPでも共通しているブロークバックの敗因は、まず、ロサンゼルスという地の利/不利のことでした。NYタイムズの見出しは「ロサンゼルスがオスカーの親権を維持した」でしたし。
 つまりクラッシュはお膝元のロサンゼルスが舞台で、しかも登場するのはものすごい数の有名俳優たち。ブレンダン・フレイザーやサンドラ・ブロックの役などほんのちょいでなくてもかまわない、マット・ディロンもこれで助演男優賞候補?ってぐらいに出演時間もちょっと。そういう使い方をしてる。でもこれはハリウッドの俳優陣総出演というか、見事にむかしの東宝東映大映松竹オールスター大江戸花盛り、みたいな映画で、まさに化粧直しした新型ハリウッド映画なのです。対してブロークバックはカナダで撮影され、ロサンゼルス=西海岸資本が作った映画ではなくて、ニューヨーク=東海岸の資本が作った映画なんですね。これはいわばボクシング試合などのホームタウン・デシージョンではなかったか、そういう分析です。

 あるいはかねてから言われていたように、「ブロークバック」を、アカデミーの会員のご老人たちは観てもいないのではないか、という説。
 アカデミーというのは映画に関係するすべての職業の人から構成されていて、現在の会員は6000人くらい。そのうち投票するのは4500人とか5000人なんですが、ほかの賞のグループ、監督協会とか評論家協会とかよりも高齢化が進んでいて、そこに候補作品のDVDが送られてくるという仕組みです。それで自分で見る。日本にも何人も会員はいて、そこに字幕付きのも送られてます。
 だが、このカウボーイ同士のゲイの恋愛もの、そういうご年配の会員たちにとって、黙ってても観てくれる種類のものだろうかというと……。 「クラッシュは私たち自身が生きて働くこの業界をよく体現した映画だ( 'Crash' was far more representative of the our industry, of where we work and live)」とあるハリウッド関係者がNYタイムズの記事でコメントしています。対してブロークバックは「神聖なハリウッドのアイコン偶像に挑戦した、アカデミーのご年配方がそういうアメリカのカウボーイのイメージが壊れるのを観たいだろうかというと、答えは明らかだろう('Brokeback' took on a fairly sacred Hollywood icon, the cowboy, and I don't think the older members of the academy wanted to see the image of the American cowboy diminished.)」ということです。
 脚本を書いたラリー・マクマートリーもまた「Perhaps the truth really is, Americans don't want cowboys to be gay,(きっと真実はたぶん本当に、アメリカ人はカウボーイがゲイであってはほしくないということなんだろう)」と「bittersweet」なオスカーの夜を振り返っています。

 でも肝心なのはそれだけではないようです。
 クラッシュの配給会社は大手のライオンゲートですが、ここがクラッシュが候補に上ったとたん、じつはものすごいキャンペーンを展開したというんですね。というのも、その時点でもうクラッシュのアメリカでの劇場公開は終わっていて、DVDが発売されていた。このDVDを映画関係者に13万本以上もバラまいたというのです。対してブロークバックはDVDは市販用にはまだ出来ていない。だからバラまきようがない。13万本も作ったら破産してしまう。ふつう候補作は1万本とかが郵送されるようですが、クラッシュはその10倍以上です。ライオンゲートはほかの三流映画で稼いだお金をぜんぶつぎ込んでこのクラッシュをプロモートしました。何度も何度も、いろんな賞のたびに送るんです。そりゃ家に10本もたまったら観ますよね。クラッシュはこのプロモーションで数十万ドルつまり1億円近く使っています。そのほかにもパーティーはやるわ、贈り物はするわ、で、選挙運動じゃないですからそういうの、べつに逮捕されたりしませんからね。そういう背景があった。これはかつてあのイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のときに問題になったやり方です。あの映画もものすごいパーティーをやり、アカデミー会員に贈り物攻勢をかけ、あの主役のなんとかっていうコメディアンが愛嬌を振りまいた。で、オスカーを獲った。まるでオリンピックの招致合戦のような様相を呈しているわけですね。

 おまけに、クラッシュは「街の映画」でテレビ画面で見てもあまり印象は変わりませんが、ブロークバックは「山の映画」で、たとえ幸運に見てもらったとしても、あの広大な自然の美しさをバックに描かれる愛が、テレビの画面ではいまいち伝わらない。そういう不利もあったろう、と。

 つまり、今回の作品賞の顛末は、クラッシュが作品賞を獲る理由と、ブロークバックが作品賞を獲らない理由が、うまく二重合わせになった結果なのだろうということです。

 ま、しかし、冷静に考えるとBBMはいかにそれがエポックメーキングだとはいえ、アメリカ国内での興行成績はまだ8000万ドルに過ぎません。ゲイ関連の映画で、1億ドルを超えたのは過去にあのロビン・ウィリアムズの「バードケージ」(フランス版「ラ・カージュ・オ・フォー」のリメーク)だけなのです。BBMの観客数はこれまでで米国内1500万人くらいでしょうか。で、リピーターも多いから、つまりアメリカ人の95%以上はこの映画を観てもいないのですね。映画というのはそういう媒体です。テレビのヒット作なんか一日の1時間の番組で3000万人が見たりするのに。だから4200万人が視聴する中、94年4月にエレン・デジェネレスがテレビのコメディドラマでカムアウトしたときのほうがインパクトは強かったのかもしれない。

 あれから12年、時代の先端部分はたしかにBBMのような映画を作れるようにはなってきました。
 ただし、ジェイク・ジレンホールとヒース・レッジャーもインタビューで自分たちで言っていたように、「キスシーンでは最初、どうしても笑ってしまった」のですね。彼らですらそうなのですから、映画館であの男同士のキスシーンを見て笑ってしまわざるを得ない男たちというのはまだまだ相当数いるわけです。笑うだけではなく、「オーゴッド!」とか「カモン(やめてくれ)!」とか「グロース(キモイ)!」とか茶々を入れなきゃ見てられない連中だって。この映画を観た男性たちの中には、あえて「そんなに大した映画じゃなかった」という感想を、あえて表明しなければならない、というプレッシャーを感じている輩も多いのです。
 それはもちろんそういうホモセクシュアルな環境に耐えられない自分の中のホモセクシュアルな部分をごまかすためであり、あるいは一緒に映画を見ている仲のよい友人たちとの相互のピアプレッシャーでもあり、そういうのはさんざんわかっているのですが、やはりそういうのはまだ強い。ましてや、社会から隔絶して引退生活を送っているアカデミーの終身会員のお歴々がBBMに関して何を思っているのか、いや、なにも思っていない、ということは、つまりは見る必要性を感じない、というのは、ある意味当然ではあるのでしょう。

 歴史というのは、手強いのです。

 ただし、わたしには確実に空気が変わったのは感じられるのです。
 日本の配給会社ワイズポリシーの用意した掲示板に行ってみると(すこしでも映画にネガティブなことを書くと速攻で削除されるという恐ろしい掲示板らしいですが)、さまざまな人たちがゲイのことについて、あるいは自分はゲイであると明かして、さまざまに書き込みをしています。こういうことは「メゾン・ド・ヒミコ」でもあったようですが、あのときはオダギリ・ジョーのファンの女性たちに気圧されて掲示板でそう主人公にはなれなかった。でも、今回はBBMファンの女性たちと渡り合って余りある勢いや思いも感じられます。

 こういうのは「クラッシュ」には起きない。BBMの崇拝者は生まれていますが、クラッシュの崇拝者というのは聞いたことがない。
 ですんで受賞を逃したのはそれはそれでいいんじゃないかと。それが2006年という時代の断層なのではないかと思うわけです。BBMが、今後のハリウッド史の中で「アカデミーに作品賞を与えられなかったことが衝撃を与えた作品」として、長く語り継がれるだろう映画であることは間違いないのですから。

March 03, 2006

先行公開スタートですか?

 えっと、日本では4日に、渋谷だけなんでしょうか? ブロークバックの先行公開。
 で、一般のブログサーファーの方向けに、文章を書いてみます。こちらではこの日曜にアカデミー賞の発表および授賞式です。

 で、今年のアカデミー賞で最多8部門でノミネートされているのがその「ブロークバック・マウンテン」です。この映画はでも、オスカー云々以前、はるか12月初めの公開直後からアメリカではすでに社会現象になっていました、という話。というか、観てほしいのです。

 アメリカではすで公開から3カ月なんですが、この映画に関するブログやパロディサイトは数限りなく立ち上がり、新聞各紙は映画評から離れて「ガールフレンドにブロークバックを観に行こうと誘われて『いや』と応える男はクールじゃない」とかいう社会分析を載せたりしました。パーティーの席などで「ブロークバックは見た?」という会話は、自分がいかに差別や偏見を持たない人間であるかを示す格好のリトマス試験紙になっています。

 というのも、これは1963年から20年間にも及ぶ,米国中西部に生きるカウボーイ同士の恋愛の映画だからです。そう、男同士の愛。ただし、一般に信じられているステレオタイプの同性愛とは違いました。そこがミソだったのです。多くの人が知らなかった「愛」の、その愛の形と悲しみとがあらわになるこの映画で、「これが同性愛なら私はいままで大きな勘違いをしてきた」と思いはじめる人が出てきた。まるであの黒人差別をえぐったシドニー・ポワチエの映画「招かれざる客」のような真摯な議論を現代に持ち込んでいるのです。

 興味深いのはキリスト教右派とされる人たちの反応でした。欧州諸国やカナダなどの同性婚受容の動きの反動で、アメリカではいまこの同性間パートナーシップにあちこちで厳しい不寛容が表面化してきています。その不寛容の急先鋒である宗教団体の人たちまでも、ところが「この映画はとてもよい映画だけに、間違ったメッセージを送る恐れがある」となんとも及び腰の批判ぶりなのです。

 ここに至ってすでにゲイだなんだというのはあまり問題ではなくなりました。保守的とされる中西部や南部でさえもかなりの観客を動員しており、初めはプロモーションのために配給会社側もゲイ色を出さず「普遍的な愛の物語」と曖昧にプッシュしていたのですが、いまや観客のほうから「ゲイの恋愛だって普遍的なもの」との見方に自然にシフトしてきました。男性主義の米国社会にとって、それは実に衝撃的な問題提起なのでした。

 でも、一方でさきほど、こんなニュースを見つけました。

**
【第78回アカデミー賞】ミシェル・ウィリアムズ、“ゲイ映画”に出演したとして母校から縁を切られる

 アカデミー賞8部門でノミネートされている『ブロークバック・マウンテン』のミシェル・ウィリアムズが、映画の内容のせいで母校から縁を切られた。カリフォルニア州にあるウィリアムズの母校サンタフェ・クリスチャン・スクールの校長は、「卒業生がゲイをテーマにした映画で苦悩する女性を演じたのは非常に不快。彼女の行動は当校の価値観とは異なり、一切関わりは持ちたくない」とコメントしている。   (FLiX) - 3月3日13時19分更新

***
 ふむ、「卒業生がゲイをテーマにした映画で苦悩する女性を演じたのは非常に不快」なわけなんですか?

 つまりゲイをテーマにした映画で、「そんなふうに苦悩してはいけません。それは世間では「ホモフォビア」といわれます。恐怖症という病気なのです」ってことなのかしら? でそれが「当校」の価値観とは異なる、というのでしょうか?

 ええ、わかってますよ。もちろんそうじゃない。はいはい。
 そう、つまり、いまになってもこうなんですから、それだけコントラヴァーシャルな、ってことですね。なんだかんだいっても、「ゲイだなんだというのはあまり問題では」まだ、やはり、あるわけです。だからこの映画が人口に膾炙するわけで。

 しかし時代の変わり目というのでしょうか、ブッシュ政権下での9.11やその後のイラク戦争など、このところずっと政治的に息苦しかった風潮を打破しようとする意志が、今年のオスカー候補の面々には感じられます。テロ(ミュンヘン)や人種軋轢(クラッシュ)、政治による言論弾圧(グッドナイト&グッドラック)や同性愛(ブロークバック、カポーティ)──政治的議論の噴出する話題を映画が再び語りはじめました。時代のこの潮目を、「ブロークバック・マウンテン」を観てぜひ日本でも感じ取ってください。また、その感想はぜひこの「コメント」のところにもどうぞお書き込みください。わたしもみなさんの意見が聴きたいです。

December 28, 2005

ブロークバック・マウンテンの衝撃

映画を見て、原作を読んで、もいっかい映画を見て、もいっかい原作を確認して、ああ、そうだったのね、と細かいところまでいちいち納得して、そんで思ったのは、これはマジでヤバい作品じゃないの、ということでした。こんなの作っていいのかい、という感じ。

最初のとっかかりは、ヒース・レッジャーやジェイク・ジレンホールのインタビューでした。彼らがことさら強調していたのは、これは「ゲイのカウボーイの恋愛映画ではないと思う」ということだったのです。つまり、「普遍的な純愛の話だ」という翻訳でした。

それは、いまだにホモセクシュアリティがタブーであるアメリカの一般社会を相手にしてのプロモーション上の、つまりは女性客を排除しないための、ある意味でじつにハリウッド的なホモフォビックな発言ではないか、と、あまりよい気はしなかったのです。なぜなら、これはどう考えても「ゲイのカウボーイの恋愛の話」なのですから。あるいは、「カウボーイのゲイ・ラヴ・ストーリー」といってもいいけれど。

でも、「これはゲイのカウボーイの恋愛映画ではない」という言い方は、ある意味、とても的を得ているのです。そして、その場合、とてもヤバいことになる。それはアメリカ文化をひっくり返す危険があるのです。

ゲイのカウボーイの恋愛映画ではないとしたら、これは、男たちはときにこんな陥穽にはまり込むことがあるということになる。

じっさい、こういう事例はつまり「男しかいない特殊状況の中での疑似恋愛/疑似性行為」としてながく範疇化されてきたものです。刑務所の中とか、軍隊とか、よくある話。でも、女のいる環境に戻ればそれは終わることになっていたのです。

ところが終わらない。終わらないなら、いまでも一般に広く流通している従来の概念ならば「真性のゲイ」ということです。だが、ブロークバックの2人は妻も子供も作る。そして20年間も(とは一っても年に1、2回ですが)釣りや狩りと称しての密会を重ねるのです。

こんなことは実際には起きないよな、とか、これはフィクションだ、とかいってしまうのは簡単ですけれど、この実世界、だいたいどんなことでも起きますからね。

つまり、どう見ても「真性のゲイ」ではない二人が、「真性のゲイ」の関係を持つ。そんなことがこの映画では起こるのです。

この映画のなかの世界の流れ方は、簡単に言えば、ホモソシアルな関係は、ホモセクシュアルな関係と等しいということなのです。その間にはこの現実世界では確固たる垣根があって、いろいろなタブーがその垣根を作ったり支えたりしているのですが、このブロークバック・マウンテンという山の上では、下界のタブーは通用しない。ジャックの妻がのちに回想するように「ブロークバック・マウンテンって、青い鳥が歌ってウイスキーが噴水になってるような夢の場所をいってたんじゃないかって、ね」なのです。

そして、男たちは、その思いを胸に20年間を過ごしてゆく。その思いが垣根を踏み越えさせている。

これは例えばこれまでのハリウッドの典型的なバディームーヴィーでも描かれてきた関係でした。
たとえばあの「ロード・オヴ・ザ・リング」のフロドとサムもそうです。あんなふうに信じ合い、あんなふうに命を掛け合ってまでともに旅をする2人の関係は、とても尋常な友情ではありません。
たとえばワイアット・アープとドク・ホリデーもそうでしょう。ドク・ホリデーは「荒野の決闘」では愛する女を捨ててワイアットのもとに助太刀に駆けつけ、そうして死んでいくのです。
新撰組だってそう。ヤクザ映画もそう。
それらはすべて、もちろんすごくホモソシアルな関係なのです。女は要らない男同士の濃密な関係性。そして、それをホモセクシュアルなのだと言い切ってしまったのがブロークバックなのです。

これはですから、「ゲイのカウボーイの恋愛映画」であるほうがじつは安全だったのです。
だって、ゲイだもの、仕方がないだろう、なんですから。

でも、二人はゲイではない。ジャックのほうは後にゲイセックスを求めてメキシコに行くのではありますが、「あそこじゃなにも(おまえに求めて得られたものは)手に入らなかった」とエニスにいいます。近くの牧場主との関係も示唆されるのですが、一般に思われているゲイのステレオタイプとはかけ離れている。
その意味で、ゲイじゃない男たちのゲイの関係なのです。(ま、それも私たちから見ればとてもゲイなんですけれどもね)

しかし「ゲイのカウボーイの恋愛映画ではない」「もっと普遍的なものだ」といえばいうほど、これは危険な映画になります。
インタビューに答えてそういっている監督のアン・リーや主役の二人は、そのことをいっているんでしょうか。これは危険な映画である、と。

彼らは、これはだれにでも起きることで、たまたまその2人が男だったというに過ぎない、という意味でいっているのでしょうけれど(その証拠に、映画のポスターには「Love is a force of nature」とあるのです。ことさらに、「自然の力」である、と)、これって逆に、すごく危険じゃないですか。
ヤバいなあ、と冒頭に書いたのは、そういうことです。

この映画を見て、ストレートとされる男たちの反応が知りたいです。
“普遍的”な、そんな関係性を、みんな私たちはある時期を境に封印して生きてゆきます。そうして女と結婚する。ふつうはそれで終わりです。それからは揺るがない。それを揺るがすようなトピックは,それ以後の状況も環境もあってなかなか起こらないからでもあります。

ところがこの映画を見て、男たちは自分にとってのブロークバック・マウンテンを思い出してしまうのではないか。封印してきたあの思いを、掘り起こされてしまうのではないか。封印する過去などないやつもたくさんいますけれどもね。

それはヤバいことです。

女性にしても、この映画を見たら自分のボーイフレンドに対する見方が変わってしまうのではないか。このひとにもひょっとしたら、わたしの知らないブロークバック・マウンテンがあるのかもしれない、と。

それは危険な気づきです。
世界は一変してしまう。

保守派たちが、この映画に対していっていることが気になります。
彼らは、これを出来の悪い映画ではないといっているのです。とてもよい出来の映画だと。だが、これは不貞を勧める映画だとして非難しています。妻を裏切り、結婚生活を裏切り、子供を裏切る不道徳者の映画だとして。

そういうのを聞けば聞くほど、ああ、こいつらは知ってるんだ、と思わざるを得ません。
こいつらは、男は男が好きなのだということを知っている。だからタブーにしたのだ、と。

こいつらが怖れているのは、女と寝るように、男とも寝る、ストレートの男たちの可能性のことなのです。

ストレートとゲイというのはこの場合は本質主義的な物言いですが、こうするとますます、旧約のレヴィ記にある「女と寝るように男と寝る者」への非難は、ゲイに対するものではなく、ストレートの男たちのその傾向への非難だったのだとわかります。

「ブロークバック・マウンテン」は、それを暴くからヤバいのです。
そう、もちろんこれは,単なる「ゲイのカウボーイの恋愛映画」では、いまや、あり得なくなっているのです。だれにでも起こりうる、性愛の話なのです。それは多くの観客にとって、初めての衝撃なのです。

December 25, 2005

ホリデーズ・グリーティング

 「人事部社員行事担当のキャシーからこんな社内メールが回ってきた」というジョークがクリスマス前にニューヨークで流行りました。

 「お知らせします。今年のわが社のクリスマスパーティーは12月23日正午から近くのグリルハウスで個室を借り切って行います。バーも用意してます。バンドもキャロルを演奏しますのでみんなで歌いましょう。部長がサンタの格好で現れてもびっくりしないで。ツリーの点灯は1時。みなさんで10ドル以内のプレゼントを交換しましょう──キャシー」というのが1通目のメールでした。

 で、2通目になると「昨日のメールは別に非クリスチャンを無視したものではありません。ハヌカ(ユダヤの祭り)やクワンザ(アフリカ系の祭り)ももちろん祝いましょう。で、クリスマスではなくホリデーパーティーとします。ごめんなさい。キャロルとツリーも中止します──キャシー」。

 さらに3通目。「労組の方からプレゼント交換の10ドルは高過ぎるといわれ、逆に上層部からは10ドルは安いといわれたので、プレゼント交換は取りやめにします──キャシー」。

 さらに4通目。「気づかなかったのですが今年は12月20日からイスラム教の断食月ラマダンだそうです。日中は飲食は一切だめだそうで、でもパーティーはやるので、夕方まで食事を出さないか、食事は各自、袋に包んでもらって持ち帰りにするか検討中です。さらにゲイの社員の方からはみんな同じテーブルに座りたいとの要請があったので調整中です。ダイエット中の社員用には低脂肪の食品を用意します。糖尿病の方のデザートは果物を用意します。グリルハウスは低カロリー甘味料は使用しないとのことなので注意してください。あと何か忘れたことあったかしら???──キャシー」

 これで終わりではありません。結局こうなりました。
 「何なのよ、菜食主義者って! グリルハウスでやるって決めたのよ! 肉料理でしょう、グリルって! サラダバーがあるからそれを喰ってりゃいいじゃないの! オルガニックかって? そんなの知るか! ええ? トマトも感情を持ってるだって? 切るときに悲鳴をあげる? 上げてろ、バカ。あんたを切ってやるよ! あんたの悲鳴が聞きたいよ! あんたらみんな、酔っぱらい運転で帰って事故起こして地獄に堕ちればいいんだああああ!」

 最後のメールはキャシーの上司のジョンからでした。「キャシーのいち早い回復を祈っています。ところでホリデーパーティーは中止と決定しました。そのかわり23日は午後から休業で、ただしその分の給料も出すこととします」

 そうしてみんなハッピー、というのがオチでした。
 それに比べ、バチ当たりなほどに宗教を受け流している日本はなんといい国でしょうね。

 ちなみに一部日本の報道で、「アメリカでは最近、クリスマスツリーをホリデーツリーと呼ぶ」というふうにマジに書かれていたりしますが、あれは「こんなことをしてると、クリスマスツリーまでバカみたいにホリデーツリーと呼ぶようになってしまう」という保守派からのジョークです。クリスマスツリーをホリデーツリーと呼んでいるわけではもちろんありません。

December 18, 2005

フォード、翻りました

 保守派団体の圧力に屈してゲイ向けメディアからの広告一部撤退を発表した米国フォード・モーターが、10日を経て「ゲイ向けにグループ広告を新規に始める」とのまったく逆の決定を発表しました。ワシントンで、全米のLGBT人権団体のリーダーたちとの交渉を行ったようですね。同様なことは今年、マイクロソフト社のロビー活動でも起きており、まあ、企業もあっちから責められこっちから責められ、大変です。

 フォードが米国の超保守派団体「アメリカンファミリー協会(AFA)」のボイコット運動の訴えを受けてグループ内のジャガーとランドローバーのゲイ向け広告を中止すると発表したのが12月6日。しかし、14日かな、ジョー・レイモン副社長(人事担当)が「ジャガーとランドローバーを含む8ブランド(リンカーン、マーキュリー、ボルボ、マツダ、ダイムラー、アストン・マーチン)のフォード・グループすべての広告としてゲイ向けメディアへの広告をスタートさせる」とLGBT団体に向けて書簡を出したというわけです。同社は今回の決定を企業として性的少数者への反差別の流れを再確認したもの、位置づけているようで。

 フォードはジャガーとランドローバーの広告撤退も今年第3四半期で1億800万ドルの赤字を計上したため、としてAFAの圧力に屈したわけではないことを強調してました。でもこれが全米のメディアで取り上げられて(日本のメディアでも)、ゲイ団体ばかりか世論の反差別の気運をあおる結果になったわけですか。バックラッシュに対するバックラッシュですね。

 レイモン副社長は「重要な消費者すべてに向けてフォードが広告を発していきたいというのは本当。どっち付かずの態度をこれで一掃し、この問題を過去のものとしたい」とコメントしています。

 同様の問題は今年4月から5月にかけて、マイクロソフトがワシントン州のゲイ差別禁止法案に賛成していることをやはり保守派がボイコット運動で攻撃したときにも起きました。MS社は一時は同法案への支持を取りやめるという事態に陥ったんですけど、結局は「多様性を奨励し保護する法案を支持することは適切なこと」(S・ボルマーCEO)として従来の法案賛成の姿勢に立ち戻った経緯があります。

 フォードのゲイ向け広告はプリント部門だけで今年は百万ドル強とそう多くはないんですけど、まあ増加傾向にあって、さらに、例の雑誌「yes」にも書きましたがバイアコム系列の「Logo」チャンネルが開局するなど、LGBT向けの広告チャンスも増えています。

 あ、そうそう、それに「Brokeback Mountain」ね、これ、絶対見てほしいなあ。
 その映画に関しては、また別建てで書きますが、胸がつぶれます。英語、西部とテキサス訛りで半分くらいしか聞き取れませんが。ま、その話も後で。

 ほんじゃまた。

October 24, 2005

取材源の秘匿

 NYタイムズなどによるCIA工作員漏洩事件が大きな政治問題になってきました。ともするとチェイニー副大統領の辞任にも結びつきそうな雰囲気です(希望的観測)。しかしこれは最初からおかしな事件でした。

 発端は一昨年夏、アフリカ・ガボンの米国大使の妻がCIAのスパイだと報じられたことです。最初からおかしかったというのは、CIAのスパイであるという事実を報道することに何の意味もニュース価値もないからでした。いったいそんなニュースが誰の得になるのか、何のためになるのか、まったく意味をなさなかったからです。

 そこでわかってきたのは、この奥さんの夫である米国ガボン大使ジョセフ・ウィルソン氏が、ブッシュ政権がイラク開戦の理由だった大量破壊兵器疑惑を「脅威を誇張して事実をねつ造した」と批判していたという背景でした。ここで初めて利害関係が見えてきたのです。ウィルソン氏の奥さんがスパイだと露呈すれば著しい生命の危険にさらされる。つまり、政権批判への報復のために、肉体的・心理的嫌がらせをねらってホワイトハウスが意図的かつ巧みにそのスパイの人定情報をリークしたのではないか、というものでした。

 思えば、タイムズ記者のジュディス・ミラーが情報源の秘匿を盾に証言拒否で収監されたときも、米メディアはなにかが歯に挟まっているようなかばい方をしていました。なぜならこの場合、情報源を隠すことで守られていたのはブッシュ政権そのものの方だったわけですから。もともとの記事だって、前述したようにニュース価値のないものだったのですから。ふつうはそういう情報を握ってもまともな記者なら書きはしません。脅迫事件に加担するようなもんですもの。

 手元に文藝春秋の9月号があるのですが(芥川賞の発表があったのでそっちが目的で買ったのです)、ぐうぜん面白いものを見つけました。いつもはメディア批判で筆鋒鋭い「新聞エンマ帖」の欄が「取材源の秘匿が揺らいでいる」と題してとんでもない勘違い原稿をさらしているんですね。

 「ジャーナリストならば、情報提供者の秘密を守るため、その名前を明かしてはならないことは誰でも知っている」として、これを「最も重要な職業論理」と書いているのはいいのですが、ミラー記者の収監に関して日本の新聞はみな「対岸の火事的な報道に終止した」として「悪しき日本の新聞の習性を見る思いがした」と筆を滑らせるのです。

 エンマ帖氏は「仮に権力によって取材源の秘匿が否定され、ジャーナリストがそれを守らなくなれば、人々のジャーナリズムへの信頼は地に堕ちる」と説き、「日本のジャーナリスト」は「だが、いざという時、果たしてニューヨークタイムズの記者のように行動できるのか」と心配してくださっている。

 しかし事の顛末は逆でした。タイムズのミラー記者のように行動してしまえば、権力こそが取材源の秘匿によって守られ批判に頬かむりしていられるのです。ミラー記者ほか一連の漏洩情報の報道者たちはいずれも大量破壊兵器疑惑にも簡単に乗って検証もなく記事を大量生産し米国民の開戦意識をあおった、ブッシュ政権のいわゆる“御用記者”だったのです。

 これは情報漏洩事件ではなく、政権中枢である大統領補佐官カール・ローブや副大統領補佐官ルイス・リビーをリーク源とする、人命をも顧みない冷酷な情報操作と報復の事件でした。権力者の思い上がりも甚だしい、じつに恐ろしい話です。

さてブッシュ政権がどう後始末をつけるか。
チェイニーは辞めるのか。
政権末期のレイムダック化が進むのか。
これからいろいろと展開があるでしょう。

October 18, 2005

小泉靖国参拝NYタイムズ社説

NYタイムズの本日の社説でした。
かなり厳しい論調ですな。ま、リベラルですから、タイムズは。

それにしても、「右翼国粋主義者が自民党のかなりの部分を構成している」とか、「靖国は神社とその博物館で戦争犯罪を謝罪していない」というのは、なかなか正確で明確な意見です。

靖国が戦争を謝罪していないのは、死んだらみんな神様だからってわけでしょうかね。あそこの従業員たちはけっこう過激です。国家護持を狙っているくらいですからね。ものすごい政治力ですもの。

***
October 18, 2005
Editorial 社説
Pointless Provocation in Tokyo
東京での意味をなさない挑発行為

Fresh from an election that showcased him as a modernizing reformer, Prime Minister Junichiro Koizumi of Japan has now made a point of publicly embracing the worst traditions of Japanese militarism.

近代的改革者としての姿勢を見せつけた選挙から間もないというのに、首相小泉純一郎が今度は日本の軍国主義の最悪の伝統の公的な保持者であることを明らかにした。

Yesterday he made a nationally televised visit to a memorial in central Tokyo called the Yasukuni Shrine. But Yasukuni is not merely a memorial to Japan's 2.5 million war dead.

彼は昨日、全国放送される中、東京中心部にある靖国神社という追悼施設に訪問した。もっとも、靖国は日本の戦争犠牲者250万人を祀っているだけの施設ではない。

The shrine and its accompanying museum promote an unapologetic view of Japan's atrocity-scarred rampages through Korea, much of China and Southeast Asia during the first few decades of the 20th century.

同神社とその付属博物館は、20世紀初頭の数十年間、韓国朝鮮全土と中国・東南アジアの多くで極悪非道と恐れられた日本の残虐行為に関して悪びれることのない史観を標榜しているのである。

Among those memorialized and worshiped as deities in an annual festival beginning this week are 14 Class A war criminals who were tried, convicted and executed.

今週始まる例大祭で神として祝われ崇められる中には、裁判にかけられ有罪になり処刑された14人のA級戦犯も含まれている。

The shrine visit is a calculated affront to the descendants of those victimized by Japanese war crimes, as the leaders of China, Taiwan, South Korea and Singapore quickly made clear.

この神社参拝は、中国、台湾、韓国、シンガポールの首脳たちがすぐさま明確に指摘したとおり、日本の戦争犯罪によって犠牲になった人々の子孫への、計算ずくの侮辱である。

Mr. Koizumi clearly knew what he was doing. He has now visited the shrine in each of the last four years, brushing aside repeated protests by Asian diplomats and, this time, an adverse judgment from a Japanese court.

Mr.小泉は自分が行ったことを明確に認識している。彼はこの4年間、繰り返されるアジアの外交官たちの抗議を軽くいなし、さらに今回は日本の司法の違憲判決をも無視して、毎年この神社に参拝してきたのだから。

No one realistically worries about today's Japan re-embarking on the road of imperial conquest.

現実問題として、だれも日本が再び帝国主義的覇権の道を進むだろうなどとは心配していない。

But Japan, Asia's richest, most economically powerful and technologically advanced nation, is shedding some of the military and foreign policy restraints it has observed for the past 60 years.

しかしこの、アジアで最も裕福な、最も経済力を持ち技術的にも進んだ国家である日本は、過去60年間遵守してきた軍事的・外交的歯止めのなにがしかを切り捨てようとしているのである。

This is exactly the wrong time to be stirring up nightmare memories among the neighbors. Such provocations seem particularly gratuitous in an era that has seen an economically booming China become Japan's most critical economic partner and its biggest geopolitical challenge.

近隣諸国にあの悪夢の記憶を掻き回すのに、いまはまことにふさわしくない時期だ。このような挑発は、とくに経済的に急発展中の中国が日本の最も重大な経済的パートナーかつ最大の地政学的難題になりつつある時期にあって、まったく根拠のないものと思われる。

Mr. Koizumi's shrine visits draw praise from the right-wing nationalists who form a significant component of his Liberal Democratic Party.

Mr.小泉の同神社参拝は、彼の自民党の中でかなりの部分を構成する右翼国家主義者たちの賞賛を引き出した。

Instead of appeasing this group, Mr. Koizumi needs to face them down, just as he successfully faced down the party reactionaries who opposed his postal privatization plan.

このグループの要求を受け入れるのではなく、Mr.小泉は彼らを屈服させるべきなのである。ちょうど彼の郵政民営化案に反対した自民党反動派の連中を成功裡に屈服させたように。

It is time for Japan to face up to its history in the 20th century so that it can move honorably into the 21st.

名誉とともに21世紀に進んで行くために、日本はいまこそ20世紀の歴史を直視すべきなのである。

September 21, 2005

ご無沙汰

サーバーがダウンしていて、ずっと書き込みができませんでした。
その間にも日本の総選挙やらカトリーナの顛末やらいろいろなことがあったのですが、なんだか機を失してしまいました。

ただ、カトリーナの被害を見ていると、都市の衰亡の新しい形を見ているような気がするのです。アメリカはこれまで鉱山や鉄鋼や自動車産業の町のゴーストタウン化を経験してきました。が、中心気圧が904ヘクトパスカルというこの驚異的なハリケーンは、ニューオリンズの半数以上の被災者にもうこの街には戻りたくないと思わせているようなのです。たしかに復興ままならないうちに再び同じようなハリケーンが襲ってきたら(あるいは来年、再来年でも)この数字はもっと増えるでしょう。といっているうちに、リタが襲っているのですが。

カトリーナは沿岸部でさえ海水温が32度だったというメキシコ湾内の異常なエネルギーを吸収して発達したのでした。

カエルを水から茹でると(ってすごい実験ですが)気づかずにいつまでもじっとしているので最後には茹で上がって死んでしまうそうです。本当にそうなのか、なんとなく嘘っぽいのですが、ただし危険というのはそういうものかもしれない、という感じはします。

カトリーナがそのまま地球温暖化の兆候なのか私にはわかりません。ただ確実に地球環境はその方向で変わっていくはずです。産業構造の推移ではなく、自然環境の変化による町の放棄という事態の、これが米国での、目についた最初の例だったということにならなければよいのですが。
    *
ところで10年前に中西部一帯の大洪水を取材したことがあります。その際はいま批判の矢面に立っているFEMA(連邦緊急事態管理庁)が行く現場現場で活躍していて、州兵や民間ボランティアの活動をあまねく統率していて見事でした。

クリントン政権下での当時のFEMAは閣僚級の長官を擁した大きな組織でした。それを9・11以降のブッシュ政権が国土保安庁の傘下において権限を縮小し、大幅な予算カットと人員削減を行ったのです。

そこを攻めているヒラリーら野党民主党を見ていて、ふと日本の民主党のことが気になりました。沈滞気味とはいえアメリカの民主党は人権、福祉、外交、財政問題など共和党との違いがもっとわかりやすい。ところが日本の民主党は、惨敗した選挙前の話だけではなく43歳の前原某が代表になって、憲法9条の改正問題などなんだか言っていることがますます自民党に似てきた。

戦争なんて日本は絶対にやらないと思っていたのですが、最近はどうも違ってきたかもしれません。「いつまで北朝鮮に好きなこと言わせてるんだ」というイライラした層が確実に増えていて、そのあたりの無党派層が「変革攻撃型」の小泉さんや安倍さんを支持しています。すると先制攻撃型のミサイルを持てという世論まであと少しの距離なんじゃないかという疑心暗鬼まで生まれます。「戦争じゃない、自衛だ」という論もありますが、戦争はいつも自衛の論理で始まる。だから第9条があったはずなのです。
    *
われわれは愚かなカエルか、それとも心配症の炭坑のカナリアか。それがわかるときにはそれにはもう何の意味もないのですが。

September 03, 2005

カトリーナ

昨日あたりから人種問題が出てきました。
被災地の7割がアフリカ系住民だったことから、ブッシュは黒人のことなどかまっちゃいない、とか、ここが白人地域だったらトラックが到着するまで5日もかからなかったとか、なによりブッシュ自身が休暇をすぐに取りやめて現地入りしていただろうとか(9.11のときのあの8分間の空白を引き合いにして、今回は2日間もぼけーっとしていたとか)、そういう話。

面白い(と言っては不謹慎だが)写真が配信されているのです。

あの沢田教一の「自由への逃走」を想起させる、ニューオリンズの泥水の中を胸まで浸かりながらどこかへ行こうと必死な若い黒人男性のAP写真。両手にはどこかから調達してきた食べ物らしきもの。キャプション「強奪品を手に泥水の中を行く男性」。
まったく同じような構図で白人男女二人が泥水の中を食糧を手に移動するAFP写真。キャプション「どこかで見つけた食糧を手に避難する男女」。

メディアが「強奪」というふうに言うと、ニューオリンズのダウンタウンに残っている黒人層がみんな強奪者のならずものに見えてくるけれど、よくよく考えると食べるものも水もない状況で、近くのスーパーに行って、売ってもらおうにも誰も店員のいないところからとにかく飲食物を確保しようとしたらみんな強奪者になってしまうわね。まあ、あそこからテレビとか貴金属を奪おうとするやつらは強奪者というか火事場泥棒だろうが、水につかったテレビなど取ろうとするやつなどいまのところメディアでは見ないし、衣類だって必要だろ、そういうのをいっしょくたに強奪者扱いではあまりにも理不尽だわなあ。

10年前に中西部の大洪水を取材したことがあるけれど、あのときも堤防決壊。しかし水は今回のような「津波」状態ではなかったから住民は避難もできた。今度のはしかし、ひどすぎる。行政当局の、ひいてはブッシュの責任問題が出てくるはずです。

September 01, 2005

カトリーナと日本企業

そろそろこちらの企業のHPがお見舞いページ、寄付募集の呼びかけページに書き替わりはじめました。
9.11のときもそうでしたが、日本企業のこういうときの反応が鈍い。
インド洋津波のときも同じアジアのことなのにまだまだ遅くて欧米企業の後塵を拝したのです。
その都度言っているのですが(たしかここでも書いたか)、ソニー、トヨタ、日産、ホンダあたりの米国進出企業はいますぐにでもHPを書き換えるべきでしょう。
これは危機管理の一環です。

あ、いま見たら、トヨタとホンダはカトリーナへの見舞金を行ったことを今回は早くもHPで出してる。
そうそう、こういうのはタイミングですものね。

August 31, 2005

死者の代弁者

 ブッシュへの支持率がじわじわと40%にまで下がってきて、不支持の56%とともに最悪を記録しています。再選を果たした大統領というのは戦後ではウォーターゲート事件の渦中にあったニクソンを除いて、みな2期目のこの時期には60%ほどの支持率を維持していましたからこれは“異常事態”。これにはイラク戦争で米兵の息子を失い、テキサス州の大統領私邸近くで連日反戦と米軍撤退を訴えているシンディ・シーハンさんへの共感が広がっていることも影響しているのでしょう。

 そのシーハンさんの抗議活動に対してブッシュ共和党支持者のある男性が「戦死した息子は彼女を恥じているだろう。政府に反対なら4年ごとの選挙で不信任の意志を示せばいい」と言っているのを目にして、この夏の日本での靖国問題を思い出しました。靖国に関しても死者たちの思いを生きている者たちが代弁してかまびすしかった。

 死者は何を思っているのか、それを言葉にするのはおそらく不可能でしょう。靖国でいえば軍上層部の無謀な作戦で餓死した兵士たちの無念もあれば、殺したくもない非戦闘員を命令で殺さざるを得なかった人間としての恨みもあるに違いない。そうした彼らが合祀されたA級戦犯を赦すのかどうかはわかりません。生きている現在の日本人がそんな“英霊”たちを一緒くたにして「日本では死ねばみんな神様だ」と急に宗教じみるのも節操がないように見えます。

 しょせん死者の代弁は、死者を代弁しているのではなくて生者の声に過ぎないのでしょう。もっともその生者も、いつか死者になるものとしてのそのときの自らの代弁者として。

 ただしいくら自らの代弁だからといって、イラクで戦死した息子が反戦活動をする母親を恥じているかどうか、それは他人が言ってはならないことのように感じます。今回のブッシュ不支持率の増加もイラク反戦の気運の高まりというよりは、この母親シーハンさんへの批判をこれまでと同じく単純な、正義か悪か、敵か味方か、の二元論で片付けようとするブッシュ支持派の相変わらずの論調に、そろそろ中間派がウンザリしてきた、そんな世論が背景なのではないかと思われるのです。

 さて日本はどうなのでしょう。郵政改革の是非の二元論だけでも単純すぎるのに、今回の総選挙の日程を9月11日に決めた理由を「なにしろ同時多発テロの記念日であるから」「参院議員の反対派の同時多発に我々は巻き込まれてビルから転げ落ちたような格好でございますから」と明かした自民党の山崎拓前副総裁の無神経(http://www2.asahi.com/senkyo2005/news/SEB200508290007.html)を、私はあのテロ死者たちの目撃証人として、直後のユニオンスクエアに参集した夥しい追悼者の1人として、文字どおり吐き気を覚えるほどに恥じるのです。

 しかし“保守派”と呼ばれる人々に、国の違いを問わず、こうして情け知らずの発言が繰り返されるのは、いったいいかなる心理的メカニズムが働いているのからなのでしょうか。

June 02, 2005

傭兵、反日、第9条

 こちらに帰ってくる間際、イラクで負傷・拉致されたという齋藤昭彦さん(44)が死亡したという情報が流れました。それ以後、その話はどうなったのでしょう。日本政府は、齋藤さんのような存在に対してどういう立場を取るのでしょう。それとも、死んだままで終わりなのでしょうか。ここまで届くニュースにはそのへんのことはまったく触れられていません。

 やまぬばかりかいまもなお激化する自爆テロに、イラクでは米英軍も自兵の犠牲者を出してはならじと、自軍を第三国の傭兵部隊に守らせるというなんとも倒錯的なやり方を採用しはじめました。英国系“警備”会社の齋藤さんはそんな中で襲撃され拉致されたのです。

 日本では齋藤さんを「ボスニアでも活躍した傭兵」「フランス外人部隊にも所属」と、なんだか奇妙に思い入れがあるような、あるいは“超法規的”な存在への興味を拭えないような伝え方をしていました。
 「警備会社」に勤務の「警備員」といいますが、戦時における、しかも前線における警備員とはあるしゅの兵力に他なりません。それを「傭兵」と呼びます。
 しかし「傭兵」というのは国際法上では不法な存在なのです。戦争とは国家間にのみ存在し、その国家の正規軍のみが武力の行使権を有します。相手が撃ってきたときに撃ち返す正当防衛はだれにも認められますが、傭兵は私兵であり、人を殺せばテロリストと同じであって超法規的な存在ではない。傭兵が作戦行動として相手を殺害したらこれは殺人罪が適用されます。傭兵に法的な後ろ盾はありません。ジュネーブ条約で認められる「捕虜となる権利」も持っていません。ただ現実として、戦争の混乱の中で罪の有無がうやむやにされるというだけのことなのです。

 いやそれよりもなによりも「戦争の放棄」を謳う憲法を持つ国の国民として、齋藤さんは二重の意味で私たちとは異なる。もし彼がいまも日本国籍を持つ日本国民だとしたら(それは確認されています)、齋藤さんは日本憲法にも国際法にとっても「背反者」なのです。はたしてその認識が、私たちにあるのかどうか。彼には、ぜひ生きて還ってきてほしかった。そしてその特異な存在の、この世界でのありようを、ぜひわたしたち日本人に突き付けてほしかった。そこで明らかになる「日本」と齋藤さんとのねじれを、わたしたちの次の思索のモメンタムにしたかったのですが、政府も、報道も、そのへんについてはすでに終わったものとして扱っているような感じです。
             *
 ところで、アメリカの軍隊もじつは傭兵みたいなものだという意見があります。裕福な白人層はもう従軍などせず、米軍ではイラク開戦前は黒人が24%を占めていました。イラクでの犠牲者が増えるにつれ現在ではそれが14%にまで落ちていますが、ブッシュ政権はボーナスや傷痍金・死亡手当の増額など、金銭的報奨によって兵員志願を“買おう”としているというわけです。
 米国籍を持っていない者でも米軍には入れます。少しは国籍取得に有利になるのでは、という不法移民の心理にも働きかける策ですが、正規軍とはいえ、これでは傭兵「外人部隊」と同じでしょう。さらにテレビで連日放送される新兵募集のCMでは、教育を受けていない若い白人らも取り込もうと「軍で教育が受けられる」「資格が取れる」などの利点を強調します。しかしこうした“未熟”な米軍の存在がまた“プロ”の傭兵の新たな必要性を生むわけで、これらはもう戦争というものの構造的などうしようもなさの連環のような気さえします。
            *
 国連安保理の常任理事国入りを目指す日本に、お隣り中国・韓国の「反日」「抗日」の気運が根強かったのも日本で感じたことでした。
 直接の理由は小泉さんの靖国参拝と竹島領有などに関する教科書記述問題でした。それが第二次大戦中の話にまで及び、日本への警戒心までがまたぞろ出てきていました。そんなものはもちろんなんの根拠もない(はずな)のですが、そのときの日本側の“釈明”がどうも小手先のものに見えて仕方がありませんでした。

 私たちは戦後60年、「平和国家」としてやってきました。先ほども書きましたが世界でゆいいつ「戦争の放棄」を謳う憲法を持ち、60年ずっといちおうは平和外交を展開してきました。それは中国と韓国を説得するときの最も本質的な論理なのだと私には思われます。

 もっとも、それは軍事活動をとらざるを得ないことのある国連の安保理常任理事国に入る資格としてはそれは矛盾になりますが、しかし中韓を説得するときになぜ誰ひとりとして現存の憲法9条を持ち出さないのか、私にはどうしてもわかりませんでした。自民党は憲法9条に恥じるような、あるいは憲法9条を恥じるようなことしかしてこなかったからでしょうか。
 きっとそうなのでしょう。

 現代の傭兵の発祥は中世のフランスです。齋藤さんに対してと同じく、私はこの日本政府にも中世へと逆戻りするような愚かしき勇ましさを感じます。いや、それよりなにより、憲法違反としてこちらも訴追の対象ですらあるのではないかとさえ思っています。

May 09, 2005

マイクロソフト、折れる

ふーむ、やっぱりマイクロソフト、戻ってきました。
同性愛者差別禁止法に対して、「やっぱり、考え直したら、多様性だよね、こういうのは支持しなきゃいけないってわかったよ」というわけです。しかしスティーブ・ボルマーさんよ、「考え直したら」って、あんた、「考え直し」たせいでこういう議論の分かれる社会問題には企業はどちらも支持しない立場を取ろうって決めたんじゃないの。ま、こういうのはもうちょっと最初から真剣に考え込まなけりゃね。

詳細は
http://japan.internet.com/busnews/20050509/11.html
(とうか、このブログの末尾にもくっつけちゃお)

日本語、ちょっと読みづらいけど、ま、私のブルシットでこれまでの経緯を知っていればどうにか理解できると思います。いちばん最初に「これはこうやって報道されたら、法案の否決は変わらないにしてももう一回なんかあるような気もしますな。」と書きましたが、「一回」どころか、何度もあって結局ぐるっと回って元に戻った、ということでしょうか。

ヘテロな企業もなかなか大変です。
でも、まあ、よかったよかった。あはは。

****
「多様性を尊重」、Microsoft が同性愛者差別禁止法案を支持
▼2005年5月9日付の記事
■海外internet.com発の記事翻訳

Microsoft (NASDAQ:MSFT) は、ワシントン州が審議中の同性愛者差別禁止法案に対する支持を先ごろ撤回したが、その姿勢を変え、再び支持を表明した。

同社 CEO の Steve Ballmer 氏は6日、従業員に宛てた Eメールで、姿勢変更について説明した。それによると、民間企業がこうした政策論議に関わることが正しいことかどうかなど、同問題について熟慮した結果、論議はあるにしても多様性を尊重する方が良いとの結論に達したという。

Ballmer 氏は、次のように述べている。「この問題については様々な観点からの意見が寄せられたが、その意見とは別に、わが社が多様性を重んじている点については全ての人が強い支持を表明した。私にとって、これは大変重要なことだ。わが社の成功は、顧客と同じように多様な従業員を持つこと、および、そうした多様性の全てを活かすよう従業員が協力しながら働くこと、にかかっている」

Microsoft によると、社内通信を公開したのは、差別禁止法案に関する同社の姿勢について、広く一般の関心が高まっていた状況を考えてのことだという。

同社は、早くから同性愛者同士で暮らす従業員に対しても家族手当などの恩恵を与えている企業の1つだ。しかし、Ballmer 氏が先ごろ出した社内通信で、ワシントン州の同性愛者差別禁止法案について同社が中立的立場をとると決めた理由を説明したことから、同性愛者の人権擁護団体から非難が湧き上がっていた。

こうした事態を鑑み、あらゆる側面から問題を再検討した結果、職場における多様性も自社にとって重要だとの結論に達したと、Ballmer 氏は言い、次のように述べた。

「したがって、わが社が職場における多様性を奨励し保護する法案を支持することは、適切なことだ」

さらに、Ballmer 氏の通信は、雇用差別禁止連邦法に性的指向による差別禁止条項を加えることを支持している企業に Microsoft も仲間入りする意向だとも記している。連邦の雇用差別禁止法は、すでに人種/性別/国籍/宗教/年齢/身体障害による雇用差別を禁じているが、性的指向による差別も禁止すべきだという声も増えており、Microsoft もそれに賛同したことになる。

Microsoft Changes Stand on Gay Issues
By internetnews.com Staff

After withdrawing its support for a pending gay rights bill in Washington State, Microsoft (Quote, Chart) has changed its mind.

In an e-mail to employees Friday, Microsoft CEO Steve Ballmer said after thinking the issue over -- such as whether it was appropriate for a public corporation to get involved in such public policy discussions -- he decided to err on the side of diversity.

"Regardless of where people came down on the issues, everyone expressed strong support for the company's commitment to diversity," Ballmer's memo said. "To me, that's so critical. Our success depends on having a workforce that is as diverse as our customers -- and on working together in a way that taps all of that diversity."

Microsoft said it released the memo to the public in response to widespread public interest in the company's position about the anti-discrimination legislation.

Although Microsoft is among the earliest companies to extend company benefits to same-sex partners, a prior memo from Ballmer, explaining why Microsoft decided to remain neutral on an anti-discrimination bill in Washington State, sparked an uproar among gay rights groups.

"I said in my April 22 e-mail that we were wrestling with the question of how and when the company should engage on issues that go beyond the software industry. After thinking about this for the past two weeks, I want to share my decision with you and lay out the principles that will guide us going forward," Ballmer said.

"First and foremost, we will continue to focus our public policy activities on issues that most directly affect our business, such as Internet safety, intellectual property rights, free trade, digital inclusion and a healthy business climate."

But after looking at the question from all sides, Ballmer said he concluded that diversity in the workplace is also an important issue for the company.

"Therefore, it's appropriate for the company to support legislation that will promote and protect diversity in the workplace."

In addition, the memo said Microsoft would join other companies in supporting federal legislation that would prohibit employment discrimination on the basis of sexual orientation -- adding sexual orientation to the existing law that already covers race, sex, national origin, religion, age and disability.

"Obviously, the Washington State legislative session has concluded for this year, but if legislation similar to HB 1515 is introduced in future sessions, we will support it."

May 01, 2005

キャッチアップMS

先日来のマイクロソフトのごたごたは、先週、ビル・ゲイツが地元シアトルタイムズのインタビューに答えて「数多くの社員から批判のメールを受け取って驚いている。次にこういうことの決定を行うとき、これは主要な決定要素になるだろう」と語って、またまた方針転換を匂わす、あるいは鎮静化のための甘言をいっておく的な態度を見せました。

しかし一方で、マイクロソフトが反ゲイの保守派として有名なラルフ・リード(キリスト教者連合の前会長です)の運営するロビー会社(つまり、ワシントンDCで共和党にいろいろと働きかけて自社に都合のよいような政策を取るように動き回るための会社です)を使っていることが明らかになりました。マイクロソフトは今回のワシントン州のゲイ差別禁止法案に関してはこの会社は何の関係もないといっていますが、そもそも、そういうところに金を出して雇っているということ自体、何だかなあという感じがしますわね。

その辺の経緯について、日本語で、きちんとまとめたのを見つけましたので参考にしてください。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20083228,00.htm
です。(ここ、なんか、トラックバックができるようになっているみたいだけど、どうやってやればいいのかわからないので、また、上記URLをコピペしてね)
ここは、ネット関連の海外ニュースを翻訳紹介しているところなんですが、日本のメディアはこれは最初に共同がちょっと伝えただけで、そのまんまですね。他にどこも続報を行っていません。その程度の関心と言ってしまえばそうなのでしょうが。

April 25, 2005

MS続報、っていうか……

こないだのNYタイムズの報道の続きです。
まずは訳しましょうか。

***
Microsoft C.E.O. Explains Reversal on Gay Rights Bill
マイクロソフトのCEO、ゲイ人権法案への支持撤回を説明
By SARAH KERSHAW (記者署名サラ・カーショー)

Published: April 24, 2005

SEATTLE, April 23 - The chief executive of Microsoft, Steven A. Ballmer, sent what company officials described as an unusual e-mail message on Friday evening to roughly 35,000 employees in the United States, defending Microsoft's widely criticized decision not to support an antidiscrimination bill for gay people in Washington State this year.

シアトル23日─マイクロソフトのCEOスティーヴンAボルマーが金曜夜、アメリカ国内の約35000人の社員に、同社側言うところの"異例の"eメールを送信した。そのメールの中で彼は、広く批判されているマイクロソフトの決定、つまりワシントン州のゲイに対する反差別法案への今年の支持撤回決定を擁護してるってわけさ。

The e-mail message came as company officials, inundated by internal messages from angry employees, withering attacks on the Web and biting criticism from gay rights groups, sought to quell rancor following the disclosure this week that the company, which had supported the bill in past years, did not do so this year. Critics argue that the decision resulted from pressure from a prominent local evangelical Christian church.

このeメール・メッセージが送られてきたのは、同社側が、怒り心頭の社員からの社内メッセージやウェッブ上でのびびっちゃうような攻撃、ゲイ人権グループからの噛み付かれちゃいそうな批判なんかに圧倒されちゃって、どうにかしてこの、去年まではこの法案を支持してきたのに今年はそうじゃなくしたって今週明らかになったあとで起こってきた敵意みたいな感情を鎮めたいなあと思ってのことなんだわ。

In his message, posted on several Web logs on Saturday and confirmed by company officials, Mr. Ballmer wrote that he had done "a lot of soul searching over the past 24 hours." He said that he and Bill Gates, the founder of Microsoft, both personally supported the bill but that the company had decided not to take an official stance on the legislation this year. He said they were pondering the role major corporations should play in larger social debates.

メッセージってのはこの土曜日にいくつかのウェッブログでポストされてて、そんでもって同社側も確認した本物なんだけど、そのメッセージの中でミスタ・ボルマーは「この24時間にわたって魂の追求みたいな厳しい思索」を行ったと書いている。彼が言うのは、彼もビル・ゲイツも、マイクロソフトの創設者ね、ともに個人的にはこの法案を支持している、でも会社としては今年はこの法案に対して公的な立場を取らないことに決めたんだっていうわけ。ふたりはね、大きな企業というのが大きな社会的議論になっているようなことでどのような役割を演じるべきかについて熟考してたんだってさ。

"We are thinking hard about what is the right balance to strike - when should a public company take a position on a broader social issue, and when should it not?" he wrote. "What message does the company taking a position send to its employees who have strongly held beliefs on the opposite side of the issue?"

「なになにが正しいバランスの取り方なのか、私たちは懸命に考えている─公的な企業がある広範な社会問題に対して一つの立場を取るべきなのはいかなる時なのか、あるいはいかなる時には取るべきではないのか?」って書いてるのね。「ある立場を取っている会社が、その問題に対して反対の信念を強く持っているような従業員たちに対してはどのようなメッセージを送るのか?」って。

The bill, which has been debated in the Legislature for years and would have extended protections against discrimination in employment, housing and other areas to gay men and lesbians, failed by one vote on Thursday.

問題の法案はワシントン州議会で何年も議論されていたもので、雇用や住宅やその他の分野でのゲイ男性とレズビアンたちへの差別に反対して、法的保護を広げるはずのものだった。

Critics, including some Microsoft employees and a state legislator, who said they had conversations with company officials about their decision, said a high-level Microsoft executive had indicated that the company withdrew its support because of pressure from a local minister, Ken Hutcherson. Dr. Hutcherson opposed the bill and said he had threatened a national boycott of Microsoft.

マイクロソフトの従業員や州議会議員も含む複数の批判者は、今回のこの決定について会社側と話をして、会社が支持を引っ込めたのは地域の牧師のケン・ハッチャーソンの圧力によるものだとマイクロソフトの上の方のエラいさんが言っていたよって話している。ハッチャーソン博士(神学者なんだろうね;訳注)はこの法案に反対していてマイクロソフトに全米で不買運動をするぞと脅していたわけだしさ。

Company officials have denied any connection between the threatened boycott and their decision not to support the bill.

会社側は今回のこの法案不支持の決定とボイコットの脅しとは無関係だと否定してるけどね。

Microsoft, which is based in Redmond, Wash., east of Seattle, has long been known for being at corporate America's forefront on gay rights, extending employee benefits to same-sex couples. In his e-mail message, Mr. Ballmer said, "As long as I am C.E.O., Microsoft is going to be a company that is hard-core about diversity, a company that is absolutely rigorous about having a nondiscriminatory environment, and a company that treats every employee fairly."

マイクロソフトはワシントン州レッドモンド、シアトルの東ね、そこに本社を置いてるんだけど、長いこと“アメリカ株式会社”のゲイ人権に関する最先端を行っていたことで知られてたわけさ。従業員の福利厚生を同性カップルにも拡大したりしてさ。eメールのメッセージの中でミスタ・ボルマーは「私がCEOでいるかぎり、マイクロソフトは多様性に関して筋金入りの中心的存在になるし、差別のない環境を作ることに絶対的に厳格に取り組む会社になるし、そしてすべての従業員を公正に扱う会社になる」と言ってる。

Mr. Ballmer described the antidiscrimination measure as posing a "very difficult issue for many people, with strong emotions on all sides." He wrote, "both Bill and I actually both personally support this legislation," adding, "but that is my personal view, and I also know that many employees and shareholders would not agree with me."

ミスタ・ボルマーはこの反差別法案のことを「多くの人たちにとって、どんな立場であっても強い感情を伴うとても難しい問題」を投げかけるもの、としている。彼は「ビルも私も実際、個人的にはともにこの法案を支持する」と書き、続けて「しかしそれは私の個人的な意見であり、その私に賛成しない多くの従業員や株主がいることも知っている」と言うのね。

Blogs and chat rooms on the Web were filled Saturday with lively debate about Microsoft's actions, including postings from people who said they would now buy products from other software companies and encourage others to do the same.

ブログやウェブのチャットサイトは土曜日、マイクロソフトのこの動きに関して活発な議論で埋まった。そん中には、もうこれからは他のソフトウェア会社の製品を買うからみんなもそうしようと呼びかける人からの書き込みもあった。

One posting Friday on a Web log run by "Microsophist," who promises "an unfiltered and unfettered view of Microsoft from the inside," said of Mr. Ballmer's memo: "When I read the mail, I felt some relief (the situation wasn't as bad as I'd first thought) followed by disappointment as he's basically saying he doesn't want to do anything that might cross the religious right."

マイクロソフトに関する検閲も足かせもない内部からの見方を約束するという「マイクロソフィスト(マイクロソフトのソフィスト、つまりマイクロソフト学者ってなシャレかね;訳注)」という人の運営するあるブログの金曜の書き込みは、ミスタ・ボルマーのメモに関して「メールを呼んだとき、なにか安心した(最初に思ったほど事態は悪いわけじゃなかった)けど、その後でがっかりした。だって彼、基本的には、宗教的な権利とぶつかるかもしれないようなことはぜんぶ避けて通りたいって言ってるわけだからさ」

A gay Microsoft employee who read the e-mail message from Mr. Ballmer on Saturday and spoke on the condition of anonymity out of fear of retribution said: "Overall it's a good thing that Steve is reaffirming the company's commitment to it's internal anti-discrimination policies. But I'm disappointed that he would give equal weight to the views of employees or shareholders who would condone discrimination as to those who would be the subject of discrimination."

土曜日にミスタ・ボルマーからのメッセージを読んだゲイのマイクロソフト従業員は仕打ちが怖いという理由で匿名で話してくれた、「全体的に見て、スティーヴが会社の社内的な反差別方針への取り組みを再確認しているということはいいことだ。でも、これって差別を黙認するような社員や株主の意見は、差別の対象になるような人々の意見と同じだけ等しく重要だという判断なわけで、それは失望だよ」

***

あらら、思いのほか時間がかかってしまいました。長いしね。

記事の書き方ってもんがありますが、もとよりそれは公平なんてことはあり得なくて、どうしたって書き手の立場が反映してしまいます。この記事もそうで、まず、報道として取り上げるということ事態が一つの意思表明なわけですよね。そういうことも含めてフーコーは書くこと自体が権力になると言っていました。それはたしかにそうで、では、じゃあ、権力に汚されていないニュートラルな状態は何なのか、そのへんが読解のカギになるのです。

このボルマーさん、それはきっと難しい決断だったのだと思いますよ。で、これこそが「正しいバランス」の取り方だ、と思った。ほんとかなあ。

だってさ、「支持を取りやめる」という行為は「中立に戻る」というニュートラルな行為ではないのですもの。それは「在るもの」を「無くする」という積極的なマイナスの行為なのです。それはメッセージなのです。宣言です。どうしたってそうなってしまう。つまり、マイクロソフトはこうすることで結果的に、「積極的に差別を肯定する」のと実質的に同じメッセージを送ってしまったことになるのです。

「いやいや、そんなことは言っていない」とボルマーさんは言うでしょうけれど、問題は、言っている中味ではない。支持を取りやめると「言う」行為のことです。「支持を取りやめる」というアクションのメッセージ性のことなのです。(ほんとうは支持取りやめを発表しないでそっと黙っていたかったのかもしれないけれど、そんなこと、不可能ですものね。おまけにそれが公表されてしまってからもこのメールメッセージです。2回も「言」っちゃっている)。

ビル・ゲイツだってボルマーだって、(いくら理系だからといって)こうしたことに気づいていないわけはない。すっごく頭はいいはずですもんね。にもかかわらずそういうアクションを取った。これも「一つの立場」なわけで、「ニュートラルな立場」なんてあり得ないのです。ニュートラルなら、「立場」すらないんですよ。ふわふわ漂って、その「広範な社会問題」自体にコミットなんかしないで、どこにいるのかわからない、人々に意識すらさせない、これを社会問題におけるニュートラルなあり方というのです。中立なんてないのです。あるのは「支持」か「不支持」か、「考えてない」かです。あるいはもうちょっと踏み込んで「そんなのくだらん」と問題そのものを否定する立場。

たとえばナチスです。ナチスに対するニュートラルな立場、というのは何を意味しているのでしょうか。ふわふわ漂って、コミットしないで、なんにも考えていない、というならわかります。それはただのバカです。しょうがない。そうじゃないなら、ナチスに対する支持か不支持しかあり得ない。困っちゃって黙って隠れているというのはあります。あとは「どうせ他人事」というのもあるでしょう。でも、「私はナチスに対して中立でいたい。なぜなら、その支持者も不支持者も大いに感情的になってしまって、賛否両論、大きく分かれているからだ」というのは、つまりナチスを黙認してる、ってことと実質的に同じになってしまうでしょう。第二次大戦中のローマ法王がそうだった。そんでもって、けっきょく法王庁は戦後何十年もたってから謝罪することになるのです。ザマァミロ、と思った人は少なくなかったはずです。

でもって、ボルマーさん、社内的には同性カップルにも平等な環境を与えると言っている。なんじゃらほい? そういうのに反対の株主や従業員だっているでしょうに、それは問題ではないのかしら。これは偽善とか詭弁とかっていうもんじゃないかしらん? 

NYタイムズのこのサラさんは、この原稿の終わりに「これって差別を黙認するような社員や株主の意見は、差別の対象になるような人々の意見と同じだけ等しく重要だという判断なわけ」ってことだよね、というコメントを持ってきています。これがこの記事の結論でもあります。この皮肉と逆説と反語とがすべてを語っているのだと思います。

しかし、ほんとにボルマーとゲイツ、頭いいんだろうか……。

April 23, 2005

マイクロソフト

いやいや、まったく、「全米規模での福音派のマイクロソフト製品不買運動」と、全世界規模での性的少数者たちのMS製品ボイコット運動と、どっちがビジネスとして深刻な問題なのかなあ。ゲイは平和的だからボイコットしないって思われてるのかしら。いったい、どういう判断なのか、ほんとうに、よくわからんというのが正直な感想です。だって、どう考えたってこれって、MS側にとっては大変なイメージダウンですからねえ。

現場の担当者の判断ミスってのじゃないのかなあ。時代に逆行してるとかって、大げさに言うのが恥ずかしいくらいのベタな選択だもの。それとも、あれ? もう法王の影響? って、福音派って保守派とはいえプロテスタントで、カトリックじゃないんだから。あはは。ま、いずれにしてもブッシュ再選の重要なカギだった連中には違いないのだが。

でも、これはこうやって報道されたら、法案の否決は変わらないにしてももう一回なんかあるような気もしますな。

NYタイムズのオンライン・フォーラムにはすでに読者から1万件を越える書き込みがあるみたいです。いまざっと眺めてきたけど、しかしすごい数だ。おまけにNYT22日の記事はいま現在「最もeメールの来た記事」の3位だって。さすがにNYTの読者は反応が早いね。もちろん、MSはバカじゃないの、ってのが多いみたいだなあ。

あなた、まだウィンドウズですか? そろそろ考えた方がよくな〜い? iPodもあることだしさ。うふふ。

***
マイクロソフトに非難 同性愛権利擁護法案支持撤回で

 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版が22日伝えたところによると、これまで社内での同性愛者の権利擁護に努めてきた米ソフトウエア大手マイクロソフトが、キリスト教右派の「福音派」からの圧力に屈し、同性愛者への差別を禁じるワシントン州法案に対する支持を撤回したとして、自社社員や同性愛者権利擁護団体などから非難を浴びている。同法案は21日、州上院で1票差で否決された。

 圧力を加えたのは、同州レドモンドにある同社本社から数ブロックにある著名な福音派教会という。マイクロソフトは2年間にわたり同法案を支持してきたが、最近これを撤回した。

 同教会のハッチャーソン牧師は、マイクロソフト側と会合を持ち、全米規模でマイクロソフト製品の不買運動を起こすと伝えると、法案に対する支持を撤回した、と語った。マイクロソフト側は、支持撤回と教会とは無関係と否定している。(共同)

April 05, 2005

ゲイ向け広告急増中

先日のNYタイムズに、ゲイ向けの印刷メディア(雑誌とか新聞のことですね。調査は139の出版物を対象にしているそうです)における広告出稿量が2004年はそれまでの3年連続の落ち込みを一気に回復する、前年比28.4%増の2億700万ドル(推定値)に達した、という記事が載っていました。

もっともこれは2000年の2億1100万ドルよりはまだ少ないんですけれど、2001年の9/11テロがあってからは景気も大変でしたから、まあ、すごい数字といっていいのかもしれません。というのも、社会が動くときはかならず経済が先に動いているもんなんで、まあ、去年は同性婚のこともあったし、LGBTが社会的にも元気だったのを背景にしているのでしょう。そうしてその流れは今年2005年にもなんらかの形で現れるかもしれません。

あ、そうそう、ぜんぜん違う話ですが、マンハッタンのタイムズスクエア近くにあった「ゲイエティ」という男性ストリップの劇場が3月末にとつぜん予告なく閉鎖されたそうです。30年もそこで営業していたのに、どうもビルの新しいオーナーがリース契約を更新させてくれなかったらしい。まあ、家賃の高騰も背景にはあるんでしょうがね。

残念なことに、私はいちどもそこに行ったことがないのです。こんなことなら行っておけばよかったなあ。
42丁目以北の8番街あたり、そこらは前市長のジュリアーノが率先したタイムズスクエア周辺の浄化作戦で、ポルノショップやストリップ小屋がどんどんなくなっていたのですが、最近のリポートではまたポルノショップがオープンしてきているとかいうのを読んだばかりです。はて、それは何を意味してるんでしょうね。

なんか、とりとめもないニュースブログでした。はい、ではもう寝ます。
おやすみなさい。

March 26, 2005

弥生三月

あらららら、というまに3月が終わろうとしています。
なにもここに書いてこなかったのに。とほほ。
というのも、この10日間ほどずっとインフルエンザで寝込んでいました。熱があってむかむかして食欲もなく、頭もぼうっとしてなにもまとまったことを考えられず、それで仕事もまったくしないまま3月が過ぎてしまった、という感じです。まずいですね。わたしのようにフリーランスの場合は書いていないときは無給と同じで、会社員だったときには黙って昼寝をしてても勤務体系の中ではタクシーのメーターのようにカチャカチャと給料が加算されていたわけで、そのことはちょっと羨ましいというか、まあ、いまさらそんなことを言ってもしょうがないですけど。

さて、それでも3月の初旬はいろいろあって、考えることもあったわけで。
なかでも 24年間もCBSの夜のニュースの顔だった正統派キャスター、ダン・ラザーの降板はひとつの時代の終わりを感じさせました。個人的にはその前に引退したNBCのトム・ブロコウの柔軟な知性が好みでしたが、大事があってもほとんど表情を変えないラザーの存在感は群を抜いていました。

そのラザーが、あの9/11のあとのデビッド・レターマンのレイトショーで涙を流したのをおぼえています。それは悲嘆ではなく、一般市民を狙った不正義に対し、許せないという思いを募らせた涙だったように思います。彼はそのようにも正義を体現したひとでした。

その彼のこんかいの引退のきっかけは、昨秋の大統領選間際のブッシュ兵役疑惑誤報問題でした。30年以上昔の大統領のアラバマ州兵時代に、出頭拒否があったとするニセ文書をそのまま信じてしまったのはたしかにジャーナリストとしてあまりにお粗末でした。しかしブッシュの州兵としての義務不履行は明らかでしたから、別の証拠を探してその糾弾姿勢を貫くという選択肢もあったはずなんですね。それこそがいわゆるジャーナリスティックな意味での正義である、と。

けれど、そうしたことは可能だったのでしょうか。
わたしは、たとえそうしていてもブッシュ支持者はそのせいで投票を控えるようなことはしなかったと思うのです。そんなことは織り込み済みの話で、アルコールにも溺れたろう、コカインにだって手を出したかもしれない。頭だってそうよろしくない。だがそういう不完全な人間も、いまの彼を見ているとじつに人間くさくていいじゃないか||そんな大衆の思いがブッシュを支えていたと思うからです。

なんとなく「正義疲れ」という言葉が浮かびました。ラザーは、この大衆の正義疲れにやられたのではないか。正義正義と四六時中やられたらたしかにうんざりもします。ベトナムのころのことなど、もういいじゃないか、という疲弊感。PC(政治的な正しさ)という言葉があって、それは90年代になってからはさんざんジョークのネタにもなってきたのですが、しかしそれでも脈々とアメリカ社会で生き延びてはきたのです。でもそのPCが、ついにまじめな部分、シリアスな領域でも敗北してしまったのではないかと、そんな感じがするのです。

先日、大学の先生たちと話をしていて、クリントン時代は連邦政府が6月を「ゲイのプライド月間」と宣言するなど、社会的マイノリティーたちにカムアウトを奨励する時代だったという話になりました。それが社会正義でした。それがPCだった。

ならばブッシュの時代は? 「そうね、レッドステートにカムアウトを勧めた時代かな」というのがあるひとの意見でした。東部や西部などのインテリ・リベラルたちが牛耳っていた政治言論の場に、インテリではない者たち、つまりあまり物事を突き詰めては考えない大衆の意見、日常感覚での日常会話レベルの話をカムアウトさせた、というわけです。そういえば、それまであまり大きな声ではいえなかった「強さ」とか「男らしさ」とかいうものがまた大っぴらに口に出せるようになりました。少なくとも「強さ」や「男らしさ」はPCの語彙の中にはなかったものなのです。むしろ「弱さを考えよう」「男らしさに封じ込められた優しさに目を向けよう」というのがPCだったわけですから。

ダン・ラザーの「正義」や「男らしさ」は、じつはこのPCにおける「正義」と「男としての真っ当さ」だったのではないか。つまりしょせんはブルーステートのインテリのそれだったのかもしれません。それが、ブッシュの時代のレッドステートの大衆のカムアウトの流れに押し流されてしまった。それがラザーの降板、その背景の草の根保守主義の台頭ということなのではないでしょうか。

もっとも、いっけん粗っぽく見えるこの「レッドステートの時代」も、じつはネオコンというべつの種類のインテリたちによって演出されているのですが、もちろん、そんなことは主役に持ち上げられている大衆は意には介していないのでしょう。

そんな3月の最後に、いまテレビではテリー・シャイボさんの延命措置を、という一大キャンペーンがMSNBCの24時間ニュースなどで繰り広げられています。脳に損傷を受けて15年間「植物状態」の続いている41歳の女性に関して、尊厳死を求める夫と、延命を願う両親との間で司法や行政を巻き込んでの攻防が続いているのです。

テレビに登場してくる人間たちの話を聞いているとむかむかしてきます。ひとの命のことを、まるでわかったかのように、あるいは自分の命のことであるかのように話して恥じない。もちろんアドヴォケットとしての物言いが求められてはいるのでしょうが、正直なところ、わたしはシャイボさんのような方を前にすると、黙すしかない自分がいるのを意識します。わたしは彼女の生にそこまでコミットできない。コミットできるのはかろうじて夫と両親・家族だけなのでしょう。その中に入り込む不遜を、わたしは諾うことができない。ところが、プロライフの人たちは、「神」の名の下に断言しつづけるのです。

わたしのような考えは、この場合、実際の解決法としてはほとんど無効でしょう。
でも、神の名を借りて断言するよりも、こうしたことに対しては、わたしはその無効を抱え込みながら生きるしかないのだと思うのです。

延命措置も地獄、尊厳死も地獄です。シャイボさんと彼女を取り巻くその地獄を引き受けられない私は、彼女の夫にも、両親にも、そしてシャイボさん本人にも、どんな措置を選んでも選ばなくても、そうでしょうね、と呟くしかないのだと思います。

February 14, 2005

蛇足─アメリカ文化、日本文化

(先に02/05、02/12を読んでね。その続きなのだ)

さて、そうやって考えていくと、日米あるいは日欧米間の方法論の相違というのは、つまりは「怠け心」を奮起させて、やっぱやんなきゃだめかなあ、って思わせるための方法論の違いなんですね。「運動でなにをやるか、どうやるか」ではなく、もっと基本の基本、スタート地点に立つための方法論、あるいは立たせるための方法論の違い。

「運動」っていう言葉自体、翻訳語、翻訳概念ですからして「運動」そのものってのはそもそも端からすでに欧米型なんであって。ただしそれはちょっとしたアレンジやアイディアで日本“的”に持っていくことは可能だし、現にそういうふうなことはけっこう成功してもきた。日本文化って大陸や半島の影響を受けていたころからそうでしたから。

さて、そこでただし問題は、その「運動」なり「ムーヴメント」に到達する以前の、「怠けないでコミットしようよ」っていうことを、どう折伏するか、どう納得させるか、どう奮起させるか、ということなのでしょう。そこを、アメリカとかではキリスト教なり聖書の倫理観なり、あるいは社会契約みたいなものといった共通意識で一気にピョ〜ンと越えることも可能なんだけれど、そのような共通意識が(幸か不幸か)希薄ないまの日本の社会では、まずそこから始めなくてはならない。その大きなひと手間、それが苦労の原因の1つなんだなあ、ということなのです。そうしてそれこそが「日本的」の意味するところなのだということです。 そんな共通意識の、決定的な不在。

そこをはっきりさせるために「怠けもん」というキーワードは必要なのではないかと思うわけでした。

「アメリカアメリカアメリカアメリカ」ってみんな一言でいってますけど、知ってのとおりいろんなアメリカがあって、最近はブッシュの体現するようなアメリカを指すことが多いけどさ、ゲイプライドを成功させるようなアメリカ、同性婚を木で鼻をくくったように議論にも乗せたくないアメリカ、それに涙を流して抗議しようとする人たちのアメリカもあるでしょ。そうした種々様々な人間かつ社会のダイナミズムはどこから来ているのかなあ。

わたしはキリスト教なり宗教なりというのは唾棄したい人間ですが、だが、それを信じて慈善活動を続ける善意のアメリカ人というのはなかなか唾棄できない。たとえその善意がじつに恣意的な善意であったにしても、そのクリスチャニティーっていうものの実体性を、虚構性を含めて、その存在性を、日本の空洞部分に比較してよい意味でも悪い意味でもすげえもんだなあと思うのです。

底支え、というか、前回エントリーの「とー」さんのコメントで相応するものとしての「儒教・仏教的倫理観とか美意識」とかいう基盤部分が、そういうもんは共同幻想だと知っている上での知的なある人間社会の共通意識が、必要だなあって思うけど、まあ、共通意識ばかりが先走るとブッシュ・アメリカになっちまうわけで、そこをひとつひとつ検証しながらその都度作り上げていくというのはかなり大切な作業なんだと一方で信じてもいるのですけど、さて、そこで最初にも言った「怠けもん」の原則がふたたびノソノソと顔を出し作用して、そういうものを「ひとつひとつ検証しながらその都度作り上げていく」ということなどしないもんだ、という堂々巡りになるわけなんですよね。で、そこで思考停止。だれかやるでしょう症候群の千年寝太郎。

まあ、かんたんにはっきり言ってしまうとね、あなたの思っているとおり、「この国、何か、すごく間違ってるわ」状態なんだなあ。

教育なんだよね。学校教育ばかりか、社会教育までもが慎太郎的空疎に煽動されていて、そこをどう変えていくか。それを変えればどんなところでも10年以内で変わるのだ。

February 12, 2005

補足─アメリカ文化、日本文化

2月5日の“「日本とアメリカは違う」という物言い”に関しての付け足しなんですけどね。「アメリカ式のゲイリブは日本では根付かないのではないか」という命題について、ずっとむかしから、まあ、そりゃそうだろうけど、でも、どこまではパクれて、どこらからパクれなくなるのかなとつらつら考えているうちに、和の文化だとか、論破と納得の文化の違いだとか、ディベートの論理だとか、そういう文化論って、どこまで本当なんだろうかなあって思い至ります。

けっきょく、人間って、ほぼ共通して、面倒くさいことはできればやりたくない、という意識を持ってるでしょ。怠けもんなんですね。それがキーなんじゃないか。

そういうの、日本の「文化」なんていう立派なもんじゃなくて、「雰囲気」みたいなものって、とどのつまり「怠けもん」ってことじゃないのか。国会も地方議会も、話すの面倒だから議論しないってだけじゃないのって。そんでいままでは怠けていてもどうにかうまくやってこれた。それは戦後のお父さんやお母さんたちが築き上げてくれたものを食い潰すことでやってきたんですね。

だから、初期設定としての怠けもんでもよかったの。蓄積された文化/社会資本があったから。

で、アメリカって何が違うかっていうと、「怠けてちゃダメ」っていう、なんていうんでしょう、嫌いな言葉だけど「倫理」ってのが共通認識としてある。そういう、アンチ「怠けもん」の論理って、日本にないんじゃないか? キリスト教もないですしね。

アメリカには議論で勝つのに3つの決め言葉があります。
It is not fair.  それは公平ではない
It is not justice.  それは正義ではない
It is not good for children.  それは将来の子供たちに禍根を残す

この三つをいわれると、相手は怒ります。そんなことはない、とかって反論します。犯罪人だってこの三つには逆らえない。言い訳はするけど。

対して、日本でこういう共通認識ってあるのかしら、と思うわけ。共通認識なんて、ろくなもんじゃねえ、という考え方もしっかりと知的に押さえつつ、それでもコミュニティとして力を維持していけるような共通認識。

私たちの“世代”というのは、大昔の高校生のときに「かっこいいってことは、なんてかっこわるいことなんだろう」とか、「きみは空を行け、ぼくは地を這う」だとか、「愛と友情の連帯」だとか、そういうフォークシンガーや漫画家たちの“名言”を倫理めいた教訓譚の代わりに肝に銘じたことがあったんだけど、もちろんそんなのは行き渡らないですわね。学生運動はそうして終焉した。

そんで現在、アメリカ型ゲイリブが方法論として日本ではうまく行かない理由は、「日本の私たちは怠けもんだから」ってだけの話じゃないんでしょうかって思うわけ。

文化論みたいな難しいこというけど、そんなご立派なものじゃなくてほんとはものすごく単純なことじゃないの? 社会へのコミットメントに関して、怠けていてなーんにも考えてこなかったし、考えるの面倒だと思っててもだいじょうぶだからなんじゃないですか? じゃあ、日本に合う運動って、つまりは怠けもんでもできるような運動とはどういうものがあり得るか、ってことではないのか?

ねえよ、そんなの。
そこで、アメリカ式は合わない、ってのは、単なる怠慢の言い訳なのではないか、って思っちゃったりするわけなのです。ま、もちろん違う要素もありますけどね。

「怠けもん」ってのは、それは固有で決定的な「文化」なんかじゃなくて、教育で6年あれば変えられることでもあると思います。明治の教養人は議論をしたし、大正リベラリズムなんて時代もあったんですから。

問題はさ、怠けないでコミットしましょうってことなんではないか。そんで、ブッシュみたいな単純なひどい側面が出てきたら困っちゃうけど、それこそそこで日本の「和」の文化がフェイルセーフの機能を果たしてくれるはずだと信じつつ。

February 05, 2005

「過激派の判事が」

とまたブッシュ政権および保守派・宗教右翼連中が言いたてるんでしょうね。そうして第二次憲法修正運動のモメンタムに利用しようとする。しかし、そういう妨害・障壁はしょうがない。そうやりながらも進んで行かなくてはならないのだと思います。

というのは、NY州の地方裁判所が4日、5組の同性カップルが自分たちに結婚許可証を発行しないのは違憲だと訴えていた件で、この5組に結婚を認めないのは州憲法違反であるという判決を下したことを指します。

このパタンはすでにハワイでもマサチューセッツでもカリフォルニアでも行われたと同じもので、ニュース自体としてはあまり衝撃はないのかもしれません。しかし、ブッシュの第二期政権でも連邦憲法の修正を目指して結婚を異性間に限るとするという方針が示されての最初の司法判断として、さて、同性婚をめぐる攻防は再び仕切り直しで第2戦(?)あるいは、第3戦かもしれませんが、そういうところに入ったということでしょう。

さて、これが「過激派の判事」という、昨年、ブッシュの指弾した表現でなおも通じるのかどうか。
わたしは短期的にはこれは彼らの保守蒸気機関に石炭をくべるようなことにつながると思います。かっと赤い火がまた起ち上がるでしょう。

しかし、石炭はいつか消えます。その石炭をさっさと消費させなくてはならない。
カナダでは先日、連邦レベルでの同性婚認可の法案がやっと提出されました。ここでも最高裁の判断があってからの、1年以上たってのやっとの法案化です。
これは長期戦なのです。
    *
「日本とアメリカは違う」という物言いを、1980年代末の日本でのゲイムーブメントの最初からずっと聞いています。最初のころはまあそうだと思いました。当たり前の話です。
ただ、いまもそう言いつづけている人は、そういう世界の運動のモメンタムを自分の文化の中で取り入れる努力を怠っている、その言い訳としてしか聞こえていないのに気づいていないのでしょう。

日本とアメリカとは違います。それはあなたと私だって違う。
難しいことを言うと、それは対幻想と共同幻想というレベルと質の違いを含んだ対比ではありますが、そんなことは当然のことで、いまはとりたてて言挙げするほどのことでもないでしょう。私たちは靴を履き、服を着て、西洋便座に座り、ピザを食べています。その中からウォシュレットなんていう世紀の発明ができて、ピザにだってツナマヨなんていうものができている。

そのくせ、お寿司にアボカドが入っているとそんなものは寿司じゃないよね、なんていっている。それは、ゼノフォビアといいます。あるいは、自分たちの国や文化だけが特別だと思いたいことの反動による、他者への侮蔑です。

なにかをやるときには、差異を知りながらも同じことを見つめていなくてはならない。
そうしなければ仲間なんかできないし手をつなぐこともできません。
そろそろ欧米はね、違うんだよ、という、きいたような口はきかないほうがよい。かっこわるいでしょう。そんなのは言われなくともわかっているのですから。そういう輩は、じっさいは怠け者なのです。かまびすしくおしゃべりすることは得意でも、怠け者であることにかわりはありません。

December 23, 2004

あるクリスマス、ある新年

 クリスマスの週の夕食会の後、友人とさらに飲み直そうといことになってミッドタウンのバーに入った。カウンターで飲んでいるうちに右どなりの男性の話が耳に入ってきた。イラクから帰ってきて、来週またイラクに戻るのだという。
 その彼はジェリーさんといった。39歳、離婚したが2歳と4歳の子供がいる。その子らに会うのが今回のクリスマス休暇の目的だ。
    *
 米兵ではない。例のハリバートンの子会社KBRのイラク建設事業に、自分で建設請負会社を設立して参画し、04年3月からバグダッドに入っている。危険は厭わない。
 「ニューヨークで生きてきたんだ。いまじゃここもアメリカで最も安全な街の一つになったが基本は同じ。後ろに注意する。周りをよく見る。知らないやつは信じない」
 イラクで仕事をするには3つの「P」があるという。「Be Professional(プロであること)」「Be Polite(地元の人間に丁寧に接すること)」、そして「Be Prepared to kill(ひとを殺さなければならないときは躊躇なく殺せるようにいつでも心構えしておくこと」。この3Pを怠ったときは、自分が殺される(かもしれない)ときだ。
    *
 そんなところに身を投じたのは、90年代の証券市場やレストラン事業での失敗を「イラク」という大きなビジネスチャンスでオセロゲームよろしく一発逆転させるためだった。「イラク」はいま、どんなものでも求めている。そこに入り込めれば、一攫千金は夢ではない。危険は頭を使えば回避できる。
 日本人が殺されたのも知っている。斬首されたアメリカ人の通信技術者も、仕事仲間から聞いた話では「いいやつ過ぎた」らしい。「だめなんだ、それじゃ」と彼はいう。
 至る所に反米勢力のスパイはいる。仕事を通じて親しくなったイラク人に結婚式によばれたこともある。行かなかった。信じていないわけではない。しかしそういうときは万が一のリスクでも回避する方を取る。それだけのことだ。だいたい、危険だといっても2年近く戦争をしてきて米軍側の死者が1300人というのはけっこういい数字じゃないかと彼はいう。アメリカでは交通事故で年間4万人以上が死ぬのだ。
    *
 バグダッドでは米軍基地に暮らす。軍関連の仕事を請け負うハリバートンの関係だ。イラク復興事業に関与するイギリスやトルコなど数カ国の民間事業者もその米軍基地を拠点として活動するようになっている。ほかに安全なところがないからだ。危険なところに放置して拉致され、救出しなければならないとなったらなおさら厄介だからだ。
 橋やビルや学校など建設事業はKBRが一括管理し、その都度下請けの入札や談合が行われる。そこにジェリーさんのようなさまざまな中小事業者が仕事を求めて群がる。
 ジェリーさんの会社がビル建設を落札したら、そこから地元バグダッドの個人建設会社を孫請けにしてイラク人労働者を雇い入れ、工事に着手する。1万ドルあれば引退して悠々自適の生活ができるというイラクで、今年初めの労賃は1日3ドル以下だったのが、その後5ドルになり、10ドルになり、いまでは20ドルに近づいているという。
    *
 イラクの人々は「スウィートだ」とジェリーさんはいう。やさしい人びと。だが、そうやって割のいい仕事を求めて群がる彼らが、子供までもが物乞いのように雇用を懇願する。それを見るのは忍びない。だが、それが現実だ。
 「現実ってのは、これからどうするかってことだよ。アメリカ人がイラクにいる権利は本当はないのかもしれない。だが、もういるんだ。もしいまアメリカが手を引けば、この無政府状態のイラクにイランが侵攻してくるだろう。するとトルコもイランに攻め込むかもしれない。するとヨルダンがどう動くか。そんなことになったらまたアメリカがイラクに戻ってこなくてはならなくなる。そうなったらいまよりひどい混乱が起きるだけだ」
    *
 砂嵐は二度経験した。外になど出ていられない。それよりも怖かったのはゴルフボール大の雹(ひょう)の嵐だ。米軍宿舎がごんごんごんごん音を立てるものだから何だと思ったら雹だった。その雹よりいやなものが虫だ。凶暴なハエ。透明なサソリ。そして毒蛇。「おれはやっぱりニューヨーカーなんだ」と笑う。
 この経験は自分にとって何になるかと聞いてみた。「よりよい人間になると思う」と即答された。
 よりタフな人間?
 「いや、ベターな人間さ。ものをよく考え、状況を判断し、そして、ひとを裏切らない人間」。なぜなら、「なんといっても、イラクでの仕事の魅力は友情、同志愛なんだ。あそこくらい男の世界はないからな」
 すべて仕事が終わったら金を持ってニューヨークに戻ってくるのか? 「次はイランだな、イランに行く」
 そこまで聞いて零下11度の未明に別れた。
    *
 まだ酔いの残る翌朝、ベッドから起き上がってニュースをチェックすると、イラク北部、モスルの米軍基地がロケット弾で攻撃されたという記事が飛び込んできた。昼食中の米兵ら22人が死亡。ハリバートンの子会社KBRの社員4人も死亡していた──バグダッドではないとはいえ、それはジェリーさんの語った軍とKBRの話そのものだ。その話をしていた1時間後、時差8時間先での出来事だった。
    *
 ジェリーさんの話には数字のウソがある。
 米国の交通事故死は3億人の総人口に対する値だ。イラク派兵数は15万人。15万人当たりの交通死者は年20人に過ぎない。
 そしてもうひとつ。「P」はおそらく3つでは足りない。
 新しい年はイラクにもやってくる。ただしそれは、私たちの新年とは違うのも確かだ。

November 16, 2004

断罪の社会

(改訂版)
 もう選挙の必要がない2期目のブッシュに、かつてレーガンの2期目のような「思いやりのある保守主義」を期待する向きもあるのだけど、選挙後この2週間で出てきた政権の動きは残念ながらそうではないようです。

 みなさんもうご存じのように、選挙直後にこの勝利の仕掛人だった大統領政策顧問カール・ローブは、一度破れたはずの同性婚禁止のための連邦憲法修正の成立をいま一度図ると早ばやと表明しました。

 続いてブッシュが命じたイラク・ファルージャへの総攻撃は肝心のザルカウィ一派の中枢を獲り逃して地元反米勢力の若者たちら1600人を殺害するだけの、相変わらずの力任せの軍事行動です。昨夜はCNNをはじめ各局ともが、ファルージャのモスクで重傷を負って横たわっていた“武装勢力の1人”が「こいつ、死んだふりをしている」と叫ぶ海兵隊員によって銃で頭部にとどめを刺される映像が(肝心の瞬間は音声だけで)流されました。こういうことは戦場ではおそらくよくあることなのでしょうが、湾岸戦争以降のアメリカの戦場の内実はほとんど納税者には知らされないようになりました。戦争報道とは事実であればあるほどそのまま反戦報道であり、良き戦争映画もまたそのままどうしても反戦映画にならざるをえないという宿命があります。ホワイトハウスはこれでまた取材規制を強めるでしょう。

 というか、すでに竦(すく)んでしまっている社会のようすが先週の「プライベート・ライアン」の放送自粛の波からも窺えます。4文字言葉など暴力的な表現が多かったから、というのが退役軍人の日の放送を見送ったABC系列の3割以上を占める地方局の言い分でしたが、この映画はすでに2度、アメリカでは放送されているのです。それが今度は怖じ気づいた。表向きはFCC(連邦通信委員会)からの罰金が恐い、ということになっていますが、さて、厭戦メッセージを嫌ったからではなかったのかと勘ぐりたくなるような社会のムードなのです。

 そればかりではありません。ホワイトハウスは元UPIの名物記者ヘレン・トーマスさん(84)をこれまでの指定席だった記者会見室最前列から最後尾の席に“追放”してしまいました。ヘレンおばさんは、イラク戦争を恥知らずとののしりブッシュを史上最悪の大統領をこき下ろしている人です。1961年のケネディ政権以来ずっとホワイトハウス付きのジャーナリストとして活動し、一定の尊敬を受けている彼女がブッシュを観察してそう判断した。そうしたらあっという間に末席に追いやられた。

 笑ってしまうのは例のスペインの新首相からの再選お祝い電話をブッシュがとらない、という報道です。スペインはマドリッドの列車テロで200人近い死者を出して総選挙で政権交替になってしまい、そうして就任したいまのこのサパテロ首相がイラクからの撤兵も決断した。ブッシュにとっては裏切り行為に他ならなかったのでしょう。で、そんなやつからの祝い電話など取りたくもない、ということなのでしょうが、まったく大人げないというか、まあ、そういう精神性、精神年齢なんでしょう。

 極めつけは健康上の理由から辞任した悪名高きアシュクロフト司法長官の後任者の指名でした。後任のアルベルト・ゴンザレス(49)の名前を聞いたときは、なるほどそうかと思いました。ブッシュは包容など目指していないようです。こいつ、またやる気なんだ、という感じが、ほとんど確信に変わりました。

 ゴンザレスってのは「初のヒスパニック系司法長官」と紹介されていますが、マイノリティー出身だからといって穏健派かというととんでもありません。今回の選挙でも大多数のマイノリティーは民主党支持でしたが、数少ない富裕層のマイノリティーは圧倒的にブッシュ支持だった。現体制にうまく順応した少数派出身者ほど体制忠誠に傾くのは自然なのかもしれませんが、このゴンザレスも例に漏れずテキサス人脈の1人で、石油産業界専門弁護士としてエンロンなど業界とのつながりも深い人物です。

 ブッシュの州知事時代には知事の法律顧問として知的障害者への死刑執行にもゴーをかけるなどした大変なやつです。続く大統領法律顧問としても02年1月、アフガニスタン戦争で拘束したアフガン人捕虜をジュネーブ条約の適用となる「戦争捕虜」とすると人権に配慮しなくてはならなくなるため、「戦争捕虜」ではなく「テロリスト」、つまり犯罪者だと規定して拷問的な尋問も可能にしたのはこのゴンザレスのアイディアでした。これが後にイラク・アブグレイブ刑務所での虐待につながるのです。とんでもない話でしょ。

 政権内唯一の穏健派とされていたパウェル国務長官も予想どおり辞任です。きょうはその下のアーミテージも辞表を提出しました。「融和」など望むべくもないような雰囲気が続いています。そうして今度はコンドリーザ・ライスが国務長官になる。なんだか、ゴンザレスといい、みんなアンクル・トムみたいな連中ばかり。しかも、よくよく観察していると、新閣僚はますますテキサスの金権集団の利益代表みたいな連中ばかりなのです。カネですよ、カネ。この新政権は一皮むくと我利我利亡者の地獄の門みたいな様相を呈しはじめているのです。

 そんな中、カナダは本当にシアトルとサンフランシスコ、ロサンゼルスの3都市で米国からの移民歓迎のためのセミナーを開くそうですよ。

 保守ってのにはかつて、「やさしく穏やか」というイメージもあったんです。でも、そこからだんだん離れて、アメリカではこの勝利をかさに宗教右派をバックにした「偏狭で断罪的」というイメージに変わりつつあります。勝ち誇る者たちの威圧的な君臨。ほんとうは選挙を勝たせたのは宗教右派ではなくてふつうの穏やかで敬虔なキリスト者たちだっただけなのに、その意思を翻訳すると宗教右派的道徳至上主義になってしまうのは如何ともしがたいのでしょうか。倫理主義者の顔をして、その実はカネに飢えた私利私欲の塊。まったくぐったりします。

 ところでふと目を日本に転じると、最近やたらとニュースに映る「いろいろお世話になったりご迷惑をおかけした世間に感謝/謝罪する被害者(家族)の映像」というのが気にかかりませんか? あの無事解放されたイラク人質事件での家族コメントへのバッシングあたりが始まりなんでしょうけれど、香田さんの遺族にしても、新潟の被災者にしても、北朝鮮拉致被害者の家族会にしても、だれもかれもがテレビの前でよくよく「世間」に謝意を表明し,深々と頭を下げる映像がこれ見よがしに強調されます。これって、とても断罪的な「世間」への怯えを透かし見せているのではないかと気になってしょうがありません。

目に見えない時代の雰囲気、とでもいうのでしょうか、それがなんとなく息苦しくなってきている。日本とアメリカは、いまそんな気持ち悪さがなんともいえず似ているような気がします。

November 06, 2004

カナダ移住

ほんと、皆さん、カナダとかヨーロッパとかへの移住を口にする人が多い。
ま、ほとんどは口だけだろうけど、その手続きや詳細紹介のためのサイトが人気で。

ブッシュの次の4年についての考察はしてるんだが、まだぜんぜーん書く気しねえぜ。

「それより、みんな、外国なんか移住しないほうがいいよ。アメリカにいたほうが安全だ。だって、外国に引っ越したら、そこが次のブッシュの標的になるかもしれないじゃないか。」
ってのが本日のビル・マーのジョークでした。

またワインが空いちゃった。
さあ、クスリ服んで寝るか。
いま、TRIOっていうケーブルチャンネルで、日本のおじさんたちの自殺のドキュメンタリーをやっている。ひどい話だなあ。

November 03, 2004

負けたか

もう寝る。

ふむ、土俵際

フロリダがブッシュに行っちまったぜ。

ケリーは瀬戸際です。
CNNのリベラルのコメンテイターたちも元気がなくなってきた。

オハイオだ。これを落としたらまたブッシュです。

コメントはまだ。

October 25, 2004

チキンホーク

 選挙が近づくと投票権のない私のところにまで投票を促す電話やEメールが届きます。ときには面白いジョークや興味深い資料が届いたりもします。

 ジョークと言えばコメディ番組「サタデーナイトライブ」で副大統領候補のエドワーズが登場し、TV討論会のときのブッシュ大統領の背中の四角い盛り上がりを「あれはブッシュの電池さ」と言ったのには笑いました。もちろん番組の台本作家が考えたんでしょうけれどね。

 メールにあるリンクをクリックするとコンピュータ投票もどきのウェッブサイトが現れて、ブッシュとケリーのクリックボタンが並んでいるのもありました。それでケリーのボタンを押そうとするとそれがどんどんカーソルから逃げ回ってぜんぜん押せない。で、結局はブッシュのボタンをクリックするハメになる、というものです。前回のフロリダの混乱の、新たな陰謀を連想させる仕組みで、これは同種のものがいくつかあります。だいたい、民主党支持者の有権者登録がごっそりと捨てられていたなんていうニュースがあるくらいですから、本当に国際的な選挙監視団が必要なほどの険悪な陰謀が仕組まれているのかもしれませんな。

 イリノイ州上院議員のハワード・キャロルさん(民主党)から、というメールも回送されてきました。これは民主、共和両党に関係する大物政治家や論客たちがどれほど従軍経験があるかを列記したものでしてね、なかなか面白い。

 それを見るとケリー、エドワード・ケネディら、共和党から「超リベラル」と“非難”されている人たちはけっこう従軍しているのですが、共和党の右派といわれる人たちはあまり軍隊経験がないんですね。ブッシュのインチキ疑惑は周知のところですけど、チェイニー副大統領や、例の「四角い盛り上がり」でブッシュに“話す内容を無線で教えていた”との噂が出ていたカール・ローブ大統領顧問の二人はなんとベトナム徴兵を忌避しているし、タカ派のアシュクロフト司法長官もまるで軍隊経験なし。ネオコンの黒幕ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官もない。さすがにラムズフェルド国防長官は海軍で飛行指導教官を3年やっているんですが、かつて1996年の共和党副大統領候補だったジャック・ケンプは、むかし膝が悪いと言って軍隊には行かなかったのにNFLで8年も活躍していたという“強者”っす。

 面白いのはパット・ブキャナン、ビル・オライリー、マイケル・サベージ、ラッシュ・リンボーといった威勢の良い右派のトーク番組ホストや論客に軍隊経験がないことですね。

 従軍したこともないのにやたら戦争を煽るタカ派の連中を俗語で「チキンホーク(chickenhawks)」といいます。もともとはベトナム戦争時代に、反共を標榜しながら徴兵を忌避した人たち(チェイニーやローブ?)のことを指した言葉です。チキンは映画「理由なき反抗」でも出てきましたが「臆病者、小心者」という意味。アメリカのマッチョ文化では男に対する最大の侮辱語です。一方、ホークは「タカ」ですね。だから合わせると、「自分は肝っ玉が小さいくせにやたら若者を戦争に送れと吠えているタカ派人間」ってことですわ。

 今回の選挙では徴兵制復活への疑心暗鬼も話題です。かつてない数の若者たちが続々と有権者登録をしているのはそんな背景もあるようです。

 コメディアンのビル・マーがまた面白いことを言っていました。「9・11を境に世界は変わってしまったと言う人がいるが、そんなことはない。世界は変わってなんかいない。アメリカが初めて世界に加わっただけだ」。

 なるほどね。さてその世界に、次の4年、アメリカはどう向き合うつもりなのでしょう。私の予想では、若者たちが投票すればケリーは勝ちます。登録だけで思ったほど投票に行かなければブッシュの勝ちですね。

 次の大統領が重要なのは、じつは「大統領職」だけに限ったことではなく、アメリカの連邦最高裁の判事がみんな高齢化していて、数人、変わるということが大きいのです。そのときに、新しい判事を大統領が指名するわけですよ。ここでリベラルな判事になるか、ネオコン判事になるか、これで世界史はかなり変わっちゃうのです。もちろん例の同性婚のはなしも次の4年で最高裁の出番になるかもしれない。

 あと8日です。

October 21, 2004

スクリーミング・ダディー

しかし、西武鉄道・コクドのあの株の売り抜け、というか、自社株だから配分調整なんでしょうが、それにしてもあんな絵に描いたようなインサイダー売却はありませんね。堤義明さん、これで逮捕されなかったら、マーサ・スチュワートがかわいそうです。そのマーサはいま、キャンプ・カップケーキという通称のある“かわいい”軽犯罪者用刑務所で5カ月の禁固刑に服しています。控訴はしてますが。堤さんはそれでは済まないでしょう。これは経済システムを揺るがすほどの重罪なのですが、日本のご祝儀情実証券市場では、こういうことはままあるのかもしれません。しかし、もうそういう時代ではない。

ところで大統領選挙、あと12日後です。
そんな状況下、テレビ討論会は3回ともケリーの“勝ち”という評価なのに、どうしてまだブッシュに投票するという人が減らないどころか逆に増えたりするのか、民主党支持者の多いニューヨークにいるとそれがどうもよくわからんのです。日本にいたらもっとわからないでしょうね。

ブッシュの強さの一因は「セキュリティ・ママ(Security Moms)」だという意見があります。自分の子の安全を第一に考えて行動する母親たち、というような意味です。テロの脅威のなんとはなしの不安を抱えるそんな「セキュリティ・ママたち」が、対テロ強硬派のブッシュの人気の後ろ盾だというわけです。

でも、そうかなあと考えてしまいます。各種調査でも、ブッシュのイラク戦争の手法で「アメリカはより危険になった」と考えるひとは逆に多くなっている。おまけに女性層ではやはりケリー人気が根強い。

じゃあこのブッシュ人気はいったい何なんでしょう。わたしにはどうもこれは、この国に潜在する反インテリの気運のような気がするのですね。論理に対する感情の巻き返し、または不信、あるいは疲れ、のような感じですか。

あのテロを経て、さらに泥沼のイラク戦争を観て、なんだか、なにをやってもうまく行かないんじゃないか。考えても結論なんか出るわけないんじゃないか。えらそうなこと言っても、いったん始めたことは最後までやるしかないんじゃないか。面倒くさいこと考えてる暇があったら体を張って家族を守り敵を倒す、それがアメリカ人の精神の必要不可欠の一部だったのではないか……そんな感情です。そうして、それを体現しているのはアッケラカンのブッシュであって、難しい顔をして論理を尽くそうとするケリーではない。

ラジオのトーク番組はそういうトーンであふれています。なによりCNNを抜いて視聴率1位のFOXニュースの論調はそれです。

ぜんぜん関係ないんだけど、料理専門TVのフードチャンネルでエメリル・レガシというシェフがいます。やたら威勢がよくて「バン、バン!」とケイジャンスパイスを皿に勢いよく投げつけたりしてあっというまにものすごい人気者になりました。でもこの人の料理、よく見ていると勢いだけでけっこうデタラメなんですね。言っていることも繰り返しが多くボキャブラリーは限られ、しかもそれでもときどき言い間違う。元気がよいのにふととても頼りなさげでそんなときは鼻歌でごまかしたりする。巻き簾で日本の巻き寿司を作ろうとしたときなんて、えらそうに解説しながら海苔といっしょに巻き簾まで巻き込んでいたくらいです。

もっと論理的で丁寧でおいしそうなシェフはたくさんいるんですが、しかし彼が同局の一番人気なんですわ。「エメリル・ライヴ」というスタジオ公開料理ショーには、ニンニクや料理用の酒が登場するとそれだけでやたら腕を振り回し雄叫びを挙げて狂喜する男性客(女性連れ)でいっぱいなわけです。

この人を見るたびにわたしはなぜかいつもブッシュのことを思い出してしまうんですね。面倒くさい料理の組み立てのことなんか放っておいて、ニンニクとバーボンで味つけて最後にうまくなりゃそれでいいじゃねえかよ、なあ、みんな! というノリでしょうか。

で、かのブッシュの後ろには先述のセキュリティ・ママよりも、このスタジオ・オーディアンスのような、アドレナリン過多の、そんなスクリーミング・ダディーたちが五万と控えているんじゃないのか、と、あまり論理的じゃない連想をしてしまうのです。

これは手強いです。
なんせ、言葉が通じないんですもの。
参りましたね、また言葉が通じないそんな四年間を、世界は甘受しなくてはいけないのかもしれません。

October 13, 2004

最終ディベート

ふうむ、先ほど終了。わたしにはケリーがはるかに勝ったように見えたが、贔屓目かね。ケリーはちゃんとテレビ視線だったしね。ブッシュは質問者の方を向いて話しながらも、その質問に答えてないんだもの。たとえば最低賃金の引き上げに関しても、なんで子供たちの教育の話になるかなあ、ってな感じでしたね。しかもその話をほかの質問でも繰り返してた。

でも、ま、信仰に関しては、あのたどたどしさが逆にシンパには正直者だと思われたでしょうね。面白かったのは「ホモセクシュアリティは選択の問題か」という質問。ブッシュは「わからない。わたしは知らない」と判断を保留。わからねえんだったら自分で判断をするなよって突っ込みが入って然るべきだが、まあ、これも保守派にはぎりぎり容認でしょう。対してケリーはチェイニーの娘さんのマリーさんを持ち出して、「彼女はレズビアンだ。あなたが訊いたら、それは選択ではなくそう生まれたのだと答えるだろう。選択の問題ではない」と明確に答えていたこと。

そうしたらさ、おどろいたことにFOXニュースチャンネルでは、ここは保守派右翼の論陣が並ぶすごい偏向局なんだが、アメリカ大衆からの人気はCNNより高いんですね。そこのコメンテーターたちが、「そんなことを言うのはフェアではない」「明日、謝罪するハメになるだろう」とかって言ってやがるのだ。まあ、レズビアンであるということをいまだスティグマとしてしか考えていな連中の言いそうなことだわな。

あ、いまCNNのポールが出てきた。ケリー53%、ブッシュ39%でケリーの勝ち。ふむ、よしよし。みんな、ブッシュのバカさ加減にやっと呆れはじめたようである。

しかし、FOXに出てくるコメンテーターといいニュースキャスターといい、すっげえ悪人顔してるのはどうしてなんだろう。みんな、ふつうじゃなくひどい顔をしているのである。悪の頭領みたいなのだ。

ということで、ディベート直後の書き込みでした。対して深い分析はなし。それはあとからね。

October 06, 2004

書き忘れ

昨日は、気色ばんだときのチェイニーの迫力に気圧されして(ありゃ、テレビ画面を通してでもびびったね)、書くべきことをじゃっかん書き忘れた。

副大統領討論で、じつは2候補に呆れたこともあった。
あまりにイラクとか税金とか医療保険とかに気を取られていたのだろう、あるいはそもそも関心のうちになかったのかもしれない。司会者の黒人女性が、アメリカ国内でアフリカ系アメリカ人のHIV感染者が増えているが、どういう対策を考えているか、と質問した時のことだ。

最初に2分間、チェイニーが答え、つぎに90秒でエドワーズが反論する、というやり方だが、チェイニーは驚いたことに、さんざん型通りのエイズ対策予算の説明をしてから最後に「アフリカ系で増えているという数字は知らなかった」と口にしたのだ。

アフリカ系、ヒスパニック系、しかもその若い世代でまた再びHIV感染が増えているというのは何度もニュースに上っていることだし、もう常識と言ってよい。なのにこの回答。

じゃあエドワーズはどうかというと、こちらもアフリカ系ではなくアフリカでのエイズ禍についてしゃべくるという始末。アメリカ国内の問題としても紋切り型の言葉しか発せられなかった。

エイズはすでに政治課題ではなくなっているのか。そんなことはない。エイズは安全保障の問題ですらあるのだから、重要な国際課題でもある。だが、アメリカの国内問題としては、質問されるとすら思っていなかったのだろう。そんな“慢心”がありありと見て取れた。なんかね、さぶいなあ。人は攻撃的であるとき、弱者を忘れるんだわね。昨日の討論会はじつにともに攻撃的だった。

同じことはもう一点、イスラエル・パレスチナ問題にもいえる。
ブッシュ政権のイスラエル一辺倒の政策はすでに世界から批判を受けているものの、数はそう多くないとはいえ国内のユダヤ票を抱える政治家としては票にもならないパレスチナに同情しても何の役にも立たないということなのだろう。イスラエル問題を質問されたエドワーズも「押さえていなければならないのは、イスラエルには絶対的な自衛権があるということだ」と強調して、パレスチナ人による自爆テロへの反撃の権利だけを言い募っていた。いったい、パレスチナ人の自衛権はどこにいったのか。そんな簡単なことじゃないからこんなにも泥沼化しているのに、それをわかっていながらそうしかいえないどうしようもなさ。

ガザに侵攻したイスラエル軍の即時撤退を求める国連安保理決議案に5日、アメリカはまた拒否権を使った。ことし3月には、イスラエルがハマスの指導者ヤシン師をあんなにあからさまにミサイルで暗殺した時の非難決議でも拒否権を行使している。おいおい、そりゃあねえだろーと思ったよね、あんときゃ。

ケリー・エドワーズになってもこの状況は簡単には変わらないだろう。
しかし、エドワーズが口にしていた「fresh startを切るべき時だ」というのは、イスラエル・パレスチナ和平でもいままた望まれる課題なのだとつよく思う。

October 05, 2004

副大統領ディベイト&ルイジアナ

いやあ、チェイニー対エドワーズ、闘志むき出しの気迫いっぱいの討論でした。最初っからビシバシ火花が飛んでいましたね。ケリー対ブッシュの先週の討論が霞むくらいに両者真っ向からがっぷり四つ、90分間、わたしはまさに息を詰めてみていました。

とはいっても内容的には目新しいことはあまりなかったんですがね、でも、ケリー対ブッシュのときと同じように、ずっと両陣営の主張をトラックしているわれわれジャーナリストでもない限りはこういうふうにまとめて真剣に主張を聞く機会なんてふつうは初めてでしょうから、これでいいんだとおもいます。その意味では両者の口からぼこぼこ数字は出てくる、相手陣営を具体的に貶める、売り言葉に買い言葉もあって、じつに面白かった。

これは両者引き分けでしょう。でも、あの史上最強の副大統領を相手に引き分けに持ち込んだエドワーズがよくやったと見られるかもしれません。

面白かったのは、両者、同性婚に関しては意見は割れなかったということです。
ゲイの娘を持つチェイニーは、そのマリーさんが聴衆の中にいたということばかりではなく、本来はそんなものを憲法で禁止するなんていうブッシュ政権の方針には政治家としてよりも父親として組みしがたいところがあったんでしょう。エドワーズが「娘さんのこともあろうから、これに関しては副大統領も同じ思い(憲法で禁止すべきではないということ)だと思います」と言ったに対して、30秒の持ち時間があったにもかかわらず彼は単に「ありがとう、わたしの家族のことを気にかけてくれて」とのみ答えるだけでした。対してエドワーズも了解済みという顔で頷きながら「You are welcome」を何度も繰り返していました。

そんなこんなで1時間半が濃密に流れていきました。
じつはそれ以前に、今日は大きなニュースもあったのです。

バディの今月号にも送ったルイジアナ州での州憲法修正による同性婚の禁止なんですが、締め切りはもう終わっていて書き直せないんですけど、これは先月半ば、78%もの賛成多数で憲法修正が決まった。ところがきょう、判事がこの住民投票による憲法修正は無効だと判断したんですね。

とうのも、この修正条項には二つの違う目的が含まれていて、それを同等に禁止することが住民投票として正確にある一つの民意を反映しているとは言えない、というのが理由なのです。

じつはこの憲法修正で禁止するのは「同性婚」と同時に「内縁関係(civil union)」とも書かれていて、本来はこの二つを別々にして州民投票にかけなければならなかった、という論理なんですね。

なるほどね、その辺の法律的な精確さに欠けたということか。まあ、わたしは知りませんでしたが、言われてみればそのとおりです。

11月の大統領選挙のときには同時に総選挙も行われるし、同様のゲイ結婚禁止のための州民投票もほか11州で実施されます。

この政治へのダイナミズムは、ほんと、アメリカっていう国を面白くさせていますね。
特に今回は若い連中がとっても意欲的に投票行動に出ようとしています。ケリー・エドワーズが勝つようなことがあれば、これはクリントンの時と同じように若者票が重要な要因となるはずです。

May 20, 2004

北風と太陽

 イラク人虐待写真でくわえタバコで写っていた女性兵士が口をとがらせながら「あれは上官の命令だったのだから自分が悪いのではない」と言い張っているのを見て、小学校5年生のときに見た(再放送ですよん)『私は貝になりたい』というドラマを思い出しました。

 若い人は知らないかもしれませんが、第二次大戦中、上官の命令で捕虜の米兵を殺し(実際には銃剣で怪我をさせただけだったのですが)、東京裁判で死刑判決を受けたC級戦犯の床屋さんの物語です(C級というのは、A級とかB級とかと違って下士官、下っ端兵隊の戦犯を指します)。あのドラマでも、フランキー堺演じる戦犯とされた床屋さんは「上官の命令は天皇陛下の命令。つまり神様の命令です」と弁明していました。連合国によるアメリカ人検事はそれが理解できない様子で、たしか「しかし人間としてあなたはそれはやってはいけないことと判断できたのではないか」と詰め寄る。

 そうそう、飢えた捕虜によかれと思ってゴボウを食べさせてやったのを、人間の食べ物ではない木の根を食わせたと断罪されてもいた。その記憶があったせいで、ニューヨークでゴボウを「バードック」と呼んで売っているのを初めて見たときには複雑な気持ちになったものです。くだんの床屋さんは、そんなこともなにも通じないままに死刑に処される直前、こんなことなら人間に生まれ変わりたくなんかない、牛馬にだって人間にいじめられこき使われるだけだからいやだ、いっそ、そうだ、深い海の下の、人間に見つからずに黙ってしずかに命を送れる、私は貝になりたい、と思うのです。

 ブッシュ大統領がアルグレイブでの失策を「民主主義も間違うことがある」と演説したとき、こんなことで民主主義に汚名を着せるなんてひどい話だなあと思いましたが、いまでは上官の命令、あるいはラムズフェルド国防長官の虐待承認という報道まで出てきて、これは間違いというより確信犯だったのだという見方が強まっています。というか、これが戦争の正体なのですね。

 こうなると、この戦争で一つひとつどこがどうひどい話なのかとあげつらってもすでにきりがないように思います。ドミノ倒しのようにバタバタとみんな破綻してきて、最初のボタンの掛け違いがここまで来てしまった。イラク開戦でいえば、すでにあまり口にもされなくなった「大量破壊兵器の開発」という「難癖」からでしょうか。いやそもそも、9・11からイラクにまで飛び火させた、ブッシュ政権の基本的なスタンスこそが間違いだったのかもしれません。

 アメリカ人のほとんどは、イソップ寓話の「北風と太陽」の話を知りません。力ずくの強制がなんの解決にもならないのだということは、72年のミュンヘン五輪でのテロ以来、強硬策一筋で突き進んでいるイスラエルにいまだ平和が訪れていないことでも明らかなはずなのに、目先を変えたいのかブッシュ大統領は今度は「キューバのカストロ政権を転覆させる」と改めて言いはじめました。「北風と太陽」の話が私たち日本人の共通認識になったのは戦後の平和教育のせいかもしれません。でもそれは、血気盛んなネオコン政府には負け犬の哲学のように映るのでしょう。

 ただし、北風に衣服をはぎ取られ恥ずかしい写真まで撮られた者たちは、今後もアメリカに憎悪を持ち続ける。そしてそんな彼らがサダム後のイラクを作るのです。これを、日本政府はどう見ているのでしょう。

 平和と民主体制の達成ということを考えたら、キューバにしろイラクにしろ、そして北朝鮮にしろ、その国自身が内発的に変わっていくような状況を作り出していくしかない。それは大統領選挙用の4年とかいうスパンの話ではないのです。

 イラク撤兵のタイミングと理屈とを、アメリカも、そしてそれに追随してしまった自民党政府も、そろそろ考えるときが近づいているような気がしますね。

 まったく、憂鬱な5月です。憂鬱の原因の一つは、明日がまたまたわたしの誕生日だということもあるんですけど。

February 29, 2004

インセキュア

あちこちで同性婚の火の手が上がっていて、それと同じニュース画面でこの一週間はメル・ギブソンの「Passion of the Christ(「キリストの受難」っていう意味)」の封切りもあってキリスト者たちがうんざりするくらいテレビに出てた。

ローマ法王に向かってあいつはまだカトリックさが足りないなんて思っているメル・ギブソンにしてもそこまでは臆病で言えないし言う頭もないジョージ・ブッシュにしても、いまガチガチに宗教的な人間ってのはよく見るとみんな過去にアル中だったり自棄的だったりした連中でさ、どうしようもないやつだったのが神様に治してもらったって言ってるの。でも、実はいまも治ってないんじゃないかって思うところが多々あってね、ギブソンなんてひどいもんだよ、あっちこっちで怒鳴り散らしたり人を罵倒したり四文字言葉は吐くしホモはとんでもない、フェミニズムはダメだ、ユダヤ人は裏切り者だってな攻撃ばかりの人生。ブッシュだって辺り構わず武力行使。ああ、罪深いねえ。しかしカトリックもプロテスタントも楽なもん。神父さんに懺悔したり日曜礼拝に行けばそれで罪は購われちゃうわけ。やつらがどうして宗教的なのか、つまりはそういうことなのね。

そんでもってそういう連中に限って同性婚は社会を脅かす、神聖な結婚を脅かすって叫んでる。いったい何が怖いのか。そいつがいまひとつわからんなあとつらつら考えていたらわかった。

そういう連中って、そういえばなんにでもギャーギャー騒いで、そんで自宅や車の中に銃を大量に置いておくような輩じゃないの、ふと気づけば。もともとヒステリックなんだわ。そんじゃなきゃ銃なんてふつう持たんでしょう。そういう連中が「脅かされる」って、あんた、なんにでも脅かされて銃を構えるんだからね、いちいち相手にしてたらバカ見るわ。同性婚って、あんなの何を脅かすの?って聞くことは、ほんとはそんな質問は意味ないの。関係ないのよ。同性婚であろうが枯れススキであろうが同じなのよ。ぜんぜんだいじょうぶなんだよ、って諭してやっても聞く耳持たずにまた銃を買い込むようなやつらなんだから、なんであってもいいのよ。とにかく仮想敵にひとりでビビってるわけ。

これって、かんぺきにビョーキだわさ。神経症? 過剰防衛症? 被害妄想症? 何なんだろうなあって思うに、とどのつまりはさ、そういうやつらって基本的にまずもって自分自身がどうしようもなくインセキュア(insecure)なんだわなあ。自分自身が不安で不安でしょうがないの。自分に自信がなくて、いつもびくびくして、ひとのやることにいちいち疑心暗鬼なの。だから何にでも脅かされると騒ぐわけ。そういう「悪魔のささやき」に、そういうやつらはじつはだれでもない自分が唆されるんじゃないかって、怖いのかもね。余計なお世話だわなあ。他の人はあんたみたいにインセキュアじゃないから、ぜんぜんビビったりしてない。ビビってるのはあんただけで、それの道連れにしないでほしいわ、ってなもんよ。

問題はだから同性婚ではないんだわな。問題は彼らのそういうインセキュアネスなのね。それってセラピーの対象よ、立派に。そう思わへん?

さ、今週はそんでもメル・ギブソンの「passion of the Christ」を見に行ってこようっと。彼のインセキュアさがその映画にどう影響してるかとっても興味があるのよ。