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February 15, 2017

対米追従外交

日米首脳会談に関して官邸や自民党は「満額回答」と大喜びです。安倍首相も帰国後のテレビ出演でトランプがゴルフで失敗すると「悔しがる、悔しがる」とまるでキュートなエピソードでもあるかのように嬉々として紹介していました。でも、これ、アメリカ男性にはよくある行動パタンなんですよね。「少年っぽくてキュートでしょ」と思わせたいというところまで含んだ……。

「満額」とされる日米の共同声明は日本政府がギリギリまで文言を練ってアメリカ側に提起したものでした。安保条約による尖閣防衛などに関してはすでにマティス国防長官の来日時に言質を取っていたものの、外交というものはとにかく「文書」です。文字に記録しなければ覚束ない。

対するトランプ政権はアジア外交の屋台骨もまだ定まっていませんでした。日本の専門家もいません。そこに日本の官邸と外務省が攻め込み、まんまと自分たちの欲しかったものの文書化に成功したわけです。

でも、その共同声明の中にひとつ気になる文言があります。

「核及び通常戦力の双方によるあらゆる種類の軍事力を使った日本の防衛に対する米国のコミットメントは揺るぎない」

日本政府は米国の核抑止力に依存していることは認めています。しかしここにある「核を使って」とまで踏み込んだ発言を、これまで日本はしていたでしょうか? 「抑止力」とは核を実際には使わずに相手の攻撃を防ぐ効果を上げる力のことです。でも、その「核」を「使う」と書いた。これは大きな転換ではないのでしょうか? どの日本メディアもその点について書いていないということは、私のこの認識が違っているのかもしれませんが。

いずれにしてもアベ=トランプの相性は良いようで、産経新聞によると安倍首相は「あなたはニューヨーク・タイムズに徹底的にたたかれた。私もNYタイムズと提携している朝日新聞に徹底的にたたかれた。だが、私は勝った…」と言って、「俺も勝った!」と応じたトランプの歓心を得たとか得ないとか。

ただですね、報道メディアを攻撃するのはヒトラーの手法です。歴史的には褒められたもんじゃ全くないのですよ。

さて、マール・ア・ラーゴでの2日目のテラス夕食会で「北朝鮮ミサイル発射」の一報がホワイトハウスからトランプのもとに飛び込んできて、前菜のレタスサラダ、ブルーチーズドレッシング和えを食そうとした時にテーブルは慌ただしく緊急安保会議の場と化したんだそうです(CNNの報道)。その時の生なましい写真が会食者のフェイスブックにアップされて、一体こういう時の極秘情報管理はどうなんているんだと大問題になっています。安全保障上の「危機」情報がどうやって最高司令官(大統領)に届くのか、それがどう処理されるのか、というプロトコルは最高の国家機密です。つまりはアジア外交どころか絶対にスキがあってはいけない安保関連ですら、トランプ政権はスカスカであることを端なくも明らかにしてしまったわけです。大丈夫か、アメリカ、の世界です。

そこには血相を変えたスティーブ・バノン首席戦略官とマイケル・フリン安保担当大統領顧問も写り込んでいました。そしてそれから2日も経たないうちにそのフリンが辞任するというニュースも飛び込むハメと相成りました。

フリンはそもそもオバマ政権の時に機密情報を自分の判断で口外したり独断的で思い込みの激しい組織運営のために国防情報局(DIA)局長をクビになった人物です。当時のフリンを has only a loose connection to sanity(正気とゆるくしか繋がっていない)と評したメディアがあったのですが、事実と異なる情報を頻繁に主張したり、確固たる情報を思い込みで否定することが多く、そういうあやふやな情報は職員からは「フリン・ファクツ Flynn Facts」と呼ばれていました。まさに今の「オルタナティブ・ファクツ(もう一つ別の事実)」の原型です。

そんなフリンが昨年12月、オバマ大統領によるロシアの選挙介入に対する制裁があった際に、その解除についていち早く駐米ロシア大使と電話で5回も話し合っていたというのが今回の辞任の「容疑」です。そもそも彼は「宗教ではなく政治思想だ」と主張するイスラム教殲滅のためにロシアと手を組むべしという考えを持っていた人です。そのためにオバマにクビになってからはロシア政府が出資するモスクワの放送局「ロシア・トゥデイ」で解説役を引き受けたりもしていました。ロシアとはそもそも縁が深い。

今回の辞任は民間人(当時)が論議のある国の政府と交渉して、政府本来の外交・政策を妨害してはいけないというローガン法という決まりがあって、それに違反していると同時に、政策に影響を与えるような偽情報を副大統領ペンスに与えていた(ペンスには当初「制裁解除の交渉はしていない」と報告したそうですが、その後にその話は「交渉したかどうか憶えていない」と変わり、ならばそんな記憶力のない人物に安全保障担当は任せられないという話にもなりました。要は、法律違反、利敵行為、情報工作、職務不適格)という話です。まあしかし、それもフリンのそんな電話会議のことをペンスが承知の上だったなら副大統領までローガン法違反の”共犯”ということになりますから、それはそう言わざるを得ないのかもしれませんし。

つまり疑惑は辞任では収まらないということです。疑惑はさらに(1)こんな重要案件でフリンが自分一人の判断でロシア大使と会話したのか(2)その交渉情報は本当にトランプやペンスらに伝わっていなかったのか(3)ロシアとは他に一体何を話し合っていたのか、と拡大します。おまけにトランプ本人の例の「ゴールデンシャワー」問題もありますし。

実はトランプ陣営でロシア絡みで辞任したのは選挙期間中も含めこれでポール・マナフォート、カーター・ペイジに次いで3人目です。ここでまた浮かび上がるのがトランプ政権とロシアとの深い関係。だってトランプ自身も昨年7月の時点ですでにクリミア事案によるロシアへの制裁解除を口にしていたのですよ。この政権がロシアゲートで潰れないという保証はだんだん薄く、なくなってきました。

ところでそんな懸念はどこ吹く風、ハグとゴルフでウキウキのアベ首相は3月に訪独してメルケルさんに「トランプ大統領の考えを伝えたい」とメッセンジャー役を買って出る前のめりぶりです。トランプ政権の誕生で戦後日本の国際的な位置付けや対米意識により独立的な変化が訪れるのではないかと期待した向きもありますが、自民党政権によるアメリカ・ファーストの追従外交には、今のところまったく変化はないようです。

ところでこの「追従」って、世界的には「ついじゅう」と「ついしょう」の両方で捉えられています。就任1カ月もたたないうちにメキシコ大統領と喧嘩はする、オーストラリア首相とは電話会談を途中で打ち切る、英国では訪英したって議会演説や女王表敬訪問などとんでもないと総スカンばかりか英国史上最大の抗議デモまで起きるんじゃないかと言われている次第。こうして西側諸国から四面楚歌真っ最中のトランプ大統領が、アベ首相をキスでもしそうなくらいにハグし歓待したのも、そういう状況を考えると実に頷けるわけであります。

さあトランプ政権、次は誰が辞めさせられるのか? ショーン・スパイサーか、ケリーアン・コンウェイか、はたまたスティーヴ・バノンか──この3人が辞めてくれればトランプ政権もややまともになるとは思うのですが、しかしその時はトランプ政権である必要がなくなる時でもあります。アメリカは今まさに「ユー・アー・ファイアード」のリアリティ・ドラマを地で行っているような状況です。

January 25, 2017

今度はオルトファクト?

「オルト・ライト Alt-Right」だとか「脱真実 Post-Truth」だとかやたらと珍妙な政治用語に今度は「オルト・ファクト Alt-Fact」が加わりました。オルタナティヴ、つまり「そうじゃない、別の事実」ということでしょうか。

今回の出典はトランプ大統領就任式の人出についてのスパイサー新報道官の発言がきっかけです。オバマさんの最初の就任式(09年)の180万人に比して圧倒的に少ない「25万人ほど」とされたことに対し、この新報道官、「メディアがわざと過少な数字を報じている」「これは過去最大の就任式の人出だった、ピリオド」と、はっきり言ってキレ気味発言。

しかし空撮の写真を比較しても明らかなように(というか、オルトライトの連中はこの空撮写真自体をトリミングだとか角度が違うとかすり替えだとか加工だとか言ってるわけですが)、この過少報道内容は「事実」ではない。それを指摘されて、今度は同僚のケリーアン・コンウェイ新大統領顧問が「あなた方は虚偽だと言うが、スパイサーは別の事実 Alternative Fact を示したわけだ」とかばったのです。

それにしても「別の事実」って何だよ、それ?

スパイサー報道官の本音は「聴衆の数の話だけではない。トランプ大統領の信用性や大統領が示す運動を傷つけようという試みが常にある。非常にいら立たしいし、やる気をそがれる」ということらしいですが、こういう子供じみた対応はトランプ政権の「政権というものへの不慣れ」から生じる混乱です。

「政権」を起動させようとしているのかしていないのか、まるでいまもまだ選挙戦期間中ででもあるかのように全てを「勝ち負け」で考えるクセは続いており、相手の反応ばかりを追ってそれに対抗しようとすることだけが至上命題であるかのような浮ついた言動が目立ちます。就任式の人出のことなどどうでもいいことなのに、大統領自身まで「150万人はいた」と嘯くほど。そればかりかもう2ヶ月半も前に済んだ大統領選で、つい昨日の話です、改めて不法移民が300万から500万人投票したせいで総得票数でヒラリーに負けたとまた繰り返しているのです。

ロシアが握っているとされる例の「不名誉な情報」に関しては「裏も取れない情報をリークした」メディアを「ゴミ溜め」呼ばわりしたのに、「150万人」だとか「300万から500万人」だとかいう裏の取れない数字を発する自分の口は「ゴミ溜め」なんぞではなく、これはきっと「別の事実」製造器なのでしょう。オルトファクトとは、客観的とされる事実ではなく、自分に都合の良い解釈に基づく「事実」ということなのです。

本当にそんなことはもうどうでもいいのです。政権が発足してもう6日が経とうというのに閣僚はまだ3人しか議会承認されていません(しかも4人目に承認されそうなのは利益相反が最も危ういエクソンモービルのレックス・ティラーソンです)。オバマ時代もブッシュ時代も就任式時点で7人の長官が承認されていたのにです。

そのせいで各省庁とも引き継ぎがうまく行っておらず、国務省、国防総省、国家安全保障省といった喫緊の国際情勢を扱う省庁を中心にオバマ政権の次官・局長級の50人以上に暫定的な留任を依頼している状態。一方で在外米国大使は「新政権の顔」とばかりに全員を就任式時点で解任し、しかも新大使を決めきれずに大使不在状態が続いているというチグハグさ。

にもかかわらず簡単な手続きだけでどうとでもできる「大統領令」は就任直後から多発気味。オバマケア、TPP、そんな大問題をサイン1つで決めてしまってよいものなんでしょうか? だいたい、英国首相やメキシコ大統領、さらには安倍さんまでが続々と会談を望んで殺到するというのに、対応できる担当者さえまだわからないのです。そのくせホワイトハウスのウェブサイトからは、オバマ政権で培われてきたLGBTQの人権問題や気候変動などの環境問題に関する記述などが一斉に削除されました。

ことほど左様に政権交代を印象付ける意匠は派手やかに尽くされていますが、その中身のスカスカさは就任式の人出どころではありません。大丈夫なんでしょうか、アメリカ?

January 15, 2017

不名誉な情報

トランプ記者会見は日本ではとても奇妙な報道のされ方をしました。トランプにとって「不名誉な情報」のニュースが日本ではほとんど報道されないままだったので、彼と記者たちがなぜあそこまでヒートアップしているのかがまるでわからなかったのです。

で、彼の興奮は例によっていつもと同じメディア攻撃として報じられ、速報では「海外移転企業に高関税」とか「雇用創出に努力」とかまるで的外れな引用ばかり。NHKに至っては「(トランプは)記者たちの質問に丁寧に答えていた」と、一体どこ見てるんだという解説でした。

日本のメディアのこの頓珍漢は、米国では報じられていた「モスクワのリッツ・カールトンでの売春婦相手の破廉恥な性行為」が事実かどうか、裏が取れなかったことに起因しています。

日本のTVってそれほど「裏取り」に熱心だったでしょうか。例えば最近の芸能人らの麻薬疑惑。逮捕されれば即有罪のように断罪口調で飛ばし報道するのに、結果「検尿のおしっこがお茶だった」となると急に手のひら返しで「さん付け」報道。つまりはお上のお墨付き(逮捕)があれば裏は取れたと同じ、お上がウンと言わねば報じもしないというへなちょこでは、権力監視のための調査報道など、いくら現場の記者たちが頑張ったとしてもいつ上層部にハシゴを外されるか気が気じゃありません。

しかも今回のCNNの報道は、未確認情報を真実として報道したのではありません。CNNが報じたのはその未確認情報を米情報当局がトランプ、オバマ両氏へのロシア選挙介入のブリーフィングにおいて2枚の別添メモで知らせた、という事実です。これはトランプが指弾したような「偽ニュース」などではありません。しかもそれが大変な騒ぎになることは容易に予想できたのに日本のメディアはその事情すら報じ得なかった。

一方「バズフィード」はその「不名誉な情報」を含むロシアとの長期に渡る関係を記したリポート35枚をそのままサイトに掲載してしまいました。「米政府のトップレベルにはすでに出回っていた次期大統領に関する未確認情報を、米国民自らが判断するため」という理由です。

こちらは難しい問題です。「噂」を報じて国民をミスリードする恐れと、情報を精査して真実のみを伝えるジャーナリズムの責務と、精査できるのはジャーナリズムだけだというエリート主義の奢りと、そしてネット時代の情報ポピュリズムの矛盾と陥穽と。

いずれにしても日本のメディアは丸1日遅れで氏の「不名誉な情報」に関しても報道することになりました(裏取りは吹っ飛ばして)。その間にTVは勝手な憶測でトランプ氏を批判したり援護したりしていました。しかもCNNを排除した次の質問者の英BBCを、氏が「That's another beauty(これまた素晴らしい)」と言ったのを皮肉ではなく「ほめ言葉」として解説するという誤訳ぶり。BBCが「これまた素晴らしく」トランプ氏に批判的であることを彼らは総じて知らなかったわけです。

いや問題はそんなことではありません。問題の本質は、トランプがプーチン大統領に弱みを握られているのかどうか、米国政治がロシアに操られることになるのか、ということです。

真偽はどうあれ、今回の「暴露」でその脅迫問題云々がこの新大統領にずっと付きまとうことになります。いや、いっそのこと、「ああ、やりましたがそれが何か?」と開き直っちゃえばいいのにとさえ思います。そもそも女性器をgropingしたとかおっぱいを鷲掴みにしたとかしないとか、そんな山のような女性醜聞をモノともせずに当選したのです。「ゴールデンシャワー」など、脅しのネタなんかに全然ならないはずですからね。

January 06, 2017

「脱真実」の真実

米国にはCIAやFBI、その他国家安全保障省や各軍などに属する計17もの情報機関があります。そのいずれもが今回の大統領選挙でロシアのハッキングによる介入があったと結論づけているのですが、次期大統領ドナルド・トランプは、利益相反も懸念されるフロリダの自社リゾートホテルでの大晦日パーティー会場で、「私は誰も知らない情報を知っている」としてその介入がロシア以外のものであることを示唆し、その情報は「3日か4日にはわかる」と話していました。

1月6日現在、しかし彼しか知らないというその情報の確固たるものは開示されていません。それを紛らわすかようにトランプは「情報当局によるブリーフィングが金曜(6日)まで延期された」と、これまた延期された事実もない「情報」を、あたかも前述の情報に関連づけるかのようにツイートしていました。

「脱真実(Post-Truth)」とは、事実に裏打ちされた情報よりも自分にとって耳ざわりの良い恣意的な主張や解釈が好まれる世相のことです。非難と中傷が飛び交う大統領選が、脱真実の状況が拡大する格好の舞台を提供しました。フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディア(SNS)が最強の増幅器として機能したからです。

事実無根の情報を生み出すのは、既存のニュースサイトのように装った新興のネットメディアです。そこではアクセス数によって広告収入が得られるため、より多くの読者が飛びつくような"ニュース"が金ヅルです。そこで「ローマ法王がトランプ支持表明」「ヒラリー児童買春に関与」「ヒラリーとヨーコ・オノが性的関係」といった偽ニュースが量産されました。それらはSNSで取り上げらることで偽ニュースの元サイトがアクセス数で稼ぎ、それがサイト自身の拡大と増殖につながり、さらにそれがまたSNSで拡散し……というスパイラル構造が出来上がったのです。

情報サイト『バズフィード』(こちらはポッと出ではないニュース・サイトです)は、マケドニアの片隅でせっせとトランプ支持者受けする"ニュース"を紡ぎ出し、それらを無数のサイトから発信してカネ儲けをしていた十代の若者たちの姿をリポートしていました。それらを読みたがるのはヒラリーではなくトランプの支持者層でした。つまりこれは政治の話ではなく、経済の話だったのです。

トランプ政権入りのスティーヴ・バノンの関わる保守派サイト『ブライトバート・ニュース』も、そうした「脱真実」新興メディアの1つです。数多くの「バイアス報道」と「偽ニュース」を今も拡散しています。

偽ニュースの蔓延に対して、フェイスブックは先月、「ニュース」と思しき掲載情報の事実確認をABCニュースなどの外部のプロ報道機関とともに行うとに発表しました。でもそのABCニュースも、ブライトバートにかかれば「左傾バイアス」によって「ウソや捏造記事を歴史的に配信してきた企業」でした。つまりは「脱真実」を好む層にとって、ABCニュースやCNNなどの従来のニュースこそが、左寄りバイアスのかかる「偽ニュース」なのです。「事実を無視している」と言うその「事実」こそが、「バイアスのかかった事実」だと思われているわけです。

端的に言えばそのバイアスとは、黒人や女性や移民や性的少数者などの社会弱者(マイノリティ)たちの視点に立つバイアスです。つまりは「政治的な正しさ(PC)」の圧力です。実はそれこそが現在のジャーナリズムの立脚点です。それはトランプではなくヒラリーの標榜した「政治的な正しさ」でした。

一方、そこで捨て置かれていたのがマジョリティ(強者)の視点でした。つまり白人で男性で異性愛者の欧州系アメリカ人にとっての「事実」が不足していた。そこをブライトバートやトランプが掬い取ったのです。

それは「政治的に正しく」ないですが、彼らトランプ支持層の求める、彼らを主人公とする物語でした。「脱真実」とは「脱PC」のことであり、「PC」から自由な事実認識のことに他なりません。彼らの需要を満たして、それがカネと票とに繋がったのです。

その結果誕生した新しい大統領は、今度は「彼らの」というよりは冒頭の例のような、「自分の」読みたい物語を吹聴するツイートを連発するようになっています。かくして「脱真実」の傾向は米国で最大の権力者によって今年、さらに推進されることになります。その行方は誰にもわかりません。

January 01, 2017

1年後の明るい未来の夢

こんな恥ずかしい人物はいないと嫌悪する向きも多かったトランプ大統領でしたが、就任後ほぼ1年経った2018年の元日、予想に反してなかなかやるじゃないかという見方が広まっています。

最初は内政でした。オバマ前大統領の8年間とは真逆の政策は混乱もありましたが、それは長年続いた「政治的正しさ」のタブーを破ることの衝撃波のようなものです。オバマケアは早速上下両院で廃止の手続きが粛々と進められ、現在「トランプケア」と名前を変えた医療保険制度へとシフトしようとしています。共和党がもうそろそろその原案を出そうとしていますが、中身はあまりよくわからないですがきっとオバマケアより安価で広く行き渡るはずだと宣伝されています。オバマケアで新たにやっと医療保険を手に入れた2000万人の人たちも、それを廃止されて宙ぶらりんの状態の解消を今か今かと心待ちにしています。

さらには連邦法人税を35%から15%へと削減したことが功を奏したのでしょう、ダウは2万ドル越えで安定し、ウォール街はますます栄え、それに伴って社内留保を増やした大企業からは、ミット・ロムニーの夢見たトリクルダウン・マネーが社会の隅々に行き届く兆しが見えてきています。

もちろん背景には企業活動への各種の規制解除があります。トランプ政権は公約通りパリ協定など気候変動対策のムダな出費を停止しましたが、北極はだからと言って急にもっと融け出すわけでもなく、気候変動は人為的なものとは違う、大きな地球活動のうねりの一つに過ぎないことが周知されました。そこで国内でもシェールガスなどのエネルギー生産規制が次々と解除され、産業界は一段と活気を帯びたわけです。

当然の事ながら、水質汚染と先住民への環境正義が懸念されるとしてオバマ前大統領が中止したダコタ・アクセス・パイプラインの建設なども再開され、反対先住民を無視した強行手段は沖縄・辺野古移設問題での反対住民への対処の仕方と同じだとして安倍首相をも勇気づけました。

こうした経済第一主義は今後予定される道路や橋など国内インフレの大改修計画で加速が期待され、ラストベルト復興の予兆は国内の治安をも好転させています。

なにしろ犯罪歴のある200万人以上の不法移民をあっという間に強制送還したのです。残っているのはお墨付きの優良移民だけ。何と言っても銃の販売自由化が効果的でした。緩和された身元チェックでより多くの白人が簡単に重武装できるようになったのですから、一般の犯罪者ばかりかテロリストたちもすくみ上がるに決まっています。

驚いたのは国際関係です。ロシアのプーチン大統領に選挙で恩義のあるトランプ大統領はウクライナ・クリミア半島問題で実施されていた対ロ経済制裁をいち早く解除して、ロシアでも米国企業が自由に経済活動をできるようにしました。フロリダのトランプマンションではロシアの富豪たちが部屋を買い漁り、ロシア中でトランプホテルが建設ラッシュ。米露という超大国二国ががっちりとカネで結びつき、世界の不安要素を力づくで押さえ付けてくれるなんてことを、オバマ時代には予想できたでしょうか?

一方これに神経を尖らせるのが中国です。「一つの中国」など気にしないトランプ大統領はツイッターでも台湾総統と相互フォローの関係になりました。前代未聞のこの揺さぶりに中国も大量の米国債売却や中国内での米国企業規制強化などの脅しを試みましたが、トランプ大統領は「やれるものならやってみろ」と深夜の暴言ツイートを止めません。先読みできない滅茶苦茶に、カタブツ習近平と硬直した中国共産党は思考停止中のようです。おまけに世界の問題児・北朝鮮との関係も、こう着状態打破のためならトランプ大統領は金正恩に直接会ってもいいという神対応をほのめかして、これもまた歴史的なウルトラCが見られるかもしれません。

「政治的正しさ」よりも「まずはカネだ、ビジネスだ、取引だ」というトランプ流本音主義がどうも今後の世界の方向性のようです。人間、カネと仕事で満ち足りてさえいれば差別も憎悪も無くなるはず──それが新たな世界秩序なのかもしれませんね(ってホントかよ?)。

November 10, 2016

一夜明けて

一夜明けたアメリカは、まるで会う人会う人意気消沈して地下鉄も通りもなんだかゾンビがたむろしているような活気のなさでした。それが夕方6時からユニオンスクエアでの反トランプ集会がFBなどで呼びかけられ、あっという間に数千人が集まって五番街を北上してミッドタウンのトランプタワー前を埋め尽くしました。ヒラリー支持者層の多い都市部での反トランプ抗議デモがそうやって深夜を回っても続いています。カリフォルニアでもフィラデルフィアでもボストンでもシカゴでも、10代の若者たちも多い彼ら彼女らが口々に唱えているのは「Not Our President, We Didn't Vote You!(お前は私たちの大統領ではない。お前には投票しなかった!)」だったり「Dump Trump!(トランプをゴミ箱へ!)」です。性差別主義者で人種差別主義者のトランプを自分達の代表であるとなんかどうしたって認めたくないのです。その気持ちはとてもわかります。この国の分断はいま、内戦でも始まりそうな気運です。

いろんな言説が渦巻いています。総得票数ではヒラリーがわずかですが上回っていることで、アメリカが「トランプランド」というわけではないのだ、とか。確かにトランプは前回の共和党候補ミット・ロムニーの得票数を下回りました。つまり、前回オバマに投票した民主党の支持者たちがヒラリーにはそれほど投票しなかったというのがトランプ勝利の原因だということです。とするとヒラリーの敗因はまさに民主党支持者たちのほうにあるのですが、デモ参加者はそれでも「投票者の過半数がトランプではなくヒラリーに入れたのに、トランプが大統領だなんて言わないでほしい」と訴えます。

怒り、恐れ、不安、絶望、反感……今日のデモに表れたそんな参加者たちと同じ大きさの感情を、しかしおそらくトランプに入れた6000万人の半分は、すでにじっくりと、ゆっくりと、何年もかけて侵食されるような速度で感じていたんだろうと思うのです。それはこの民主主義の国で、民主主義的ではない経済がはびこり、そのせいで民主制度の恩恵から外されてしまったオハイオなどのラストベルト、あるいは中西部や南部の白人労働者たちの重苦しいストレス感情でしょう。それも、黒人よりも白人の労働者たちの方が疎外感は強いはずです。もともと民主制度の内側にいなかった黒人よりも、いたはずなのに気づけば民主主義から外されてしまった、弾き出されてしまったような白人労働者たちの絶望感というのは、違う意味で強く、痛みを伴うものだったはずです。

一方でいまデモをしている者たちは、言葉を持つ者たち、そしてそれを表明するショーウィンドウの都会という場所を持っている人たちです。彼らはこうして都会で抗議と怒りの集会もデモもできる。でも他方で、言葉も、それから集まってデモンストレーションを見せることのできる都会という場所も持たなかった彼らは、これまでずっと鬱屈を募らせるしかなかったのです。今回の投票はそんな彼らの積年の怒りのデモ(発露)だったわけです。

もう一つ、「6000万人の半分」と言いました。では別の半分は誰か? それはいわゆる中流以上のトランプ支持者です。彼らのトランプ支持はどういうものだったかというと、経済の民主主義をさらに遠のけ、富裕層は富裕層として安穏に暮らすための政治体制を望む者たちです。映画「イリジウム」で描かれたような、富裕層が生き残るためだけのセーフヘイヴンを志向する既得権者たちです。まさにトランプのいう「メキシコ国境の壁」の地域版です。その壁はつまり、排外主義、人種差別、「クッキーを焼かない女」たちへの侮蔑と嫌悪の象徴です。たとえそれを口にしなくても、それが隠れトランプの意味です。

もっとも、そんなふうに前者と後者がくっきり色分けできるわけでもありません。前者の中にも排外主義者や差別主義者は少なからず混在し、後者の中にも民主的な経済体制の再構築を望む者もいるはずです。隠れトランプとは、公には口にはできない隠れ排外主義、隠れ人種差別、隠れ性差別主義者のことです。そして昨日のブログで書いたように、民主的な経済システムからいつの間にか疎外されてしまっていた層はまた、民主的な情報システムからも疎外され、何が政治的な正しさなのか、どうしてそれが政治的に正しくかつ口にしてはいけないことなのか、納得できるような情報教育からも長く除外されていた者たちなのです。差別主義者であるのはただ単にそういう境遇の結果だったりもするのでしょう。「男が男らしくして何が悪いのか!」のその「男らしさ」の誤りも弊害も知りもせず教えられもしなかった人生。

トランプに票を投じた6000万人のうち、どれだけの数が非民主的経済的システムの犠牲者なのか、どれだけが逆に非民主的な経済体制をさらに推進して儲けることを考えている亡者なのか、それはわかりません。言えることは、トランプ自身は、人種差別主義で排外主義で性差別主義の後者だということです。前者の鬱憤を票としてうまく利用した、後者の代表です。前者の怒りは非民主的な経済から発した怒りでしたが、実際は、トランプというさらに非民主的な経済の体現者、差別と偏狭さの促進者を求めてしまった。それは「皮肉」というレヴェルの話ではありません。悲劇です。

トランプ勝利後、ノースカロライナ州ダーナムの壁に大書された落書きは「BLACK LIVES DON"T MATTER AND NEITHER DOES YOUR VOTES(黒人の命は大事じゃない。黒人の票だって同じだ)」というものでした。それは英語の文法的には本当は「Neither DOES your votes」ではなくて「Neither DO your votes」とすべきところです。

その愚かしさの持つ悲しさ。そしてそれを「愚かしい」と指摘できてしまう「知」の「上から目線」が彼らを怒らせた原因でもあるという、堂々巡りの「鶏と卵」です。どちらもがどちらもの原因であり結果であるという、種としての人間の「知」の限界です。

内戦状態のようなこの分断は、実はそんな怒りと怒りのぶつかり合いでは解決しません。大切なのは、政治的な民主主義と釣り合う、何にも増しての民主的な経済、そして民主的な情報共有と理解だったのです。

November 09, 2016

未来の新しい何か

開票からなんだか票の出方がやばいなあって思ってたんだよね。そうしたら日が変わって今度はミシガンやペンシルベニアまで持ってかれちゃう感じになって、てかその前からもうダメって感じだったんだけど、未明のタイムズスクエアはどんどん寒くなるし、お祭り騒ぎを期待して来た若者たちもまるで静かになるしで、まるでお通夜みたいになっちゃっててさ。

でも今もなんだかまだ冗談でも見てるような気がするんだな。だってトランプが大統領って、SF映画でアメリカが壊滅状態になっても誰も希望と再建の演説をしてくれる人がいなくなるってことでしょ。トランプみたいな大統領が登場する映画なんてコメディしかないでしょ? この価値観のでんぐり返り、どうするんだろ、ハリウッド。

それにしてもこの選挙、民主党と共和党ってこれまでは政策とか思想信条を基に「左右」で争ってきたんだけど、トランプ対ヒラリーは心理的というか心の動きの上での、理屈と感情、建前と本音、大脳皮質とその奥の原始的な反射脳、みたいな心の中の「上下」の層の争いみたいな感じがした。従来の政治的対立の構図とは違ってさ、なんかよくわからない下克上みたいな気がする。

正直、ダメだなこりゃ、と思った時の最初の感覚は、文化大革命やクメール・ルージュみたいな、やがて反知性主義革命が襲ってくるみたいな気分だった。そもそもこの選挙戦の初めに共和党自体がそんな下克上にメタメタにされたわけだしね。トリックスターがトリックスターの分を超えてキングになっちゃったわけだから。

本戦に入ってからのTV討論会だってまるで女と男の喧嘩だったし、でも実はそれが事の本質を衝いてたんだなとも思う。何かって言うと、トランプが「もうウンザリだ!」って唾棄して見せた「PC(政治的正しさ)」って結局、アメリカでは白人のヘテロセクシュアルの男たちの「この世界はオレ様のためにできてる」みたいな”独善”をことごとく否定するものだったわけでしょ? 「女は黙ってろ」とか「オカマは気持ち悪い」とか「黒人のくせに」とかメキシコ人のことを「オンブレ」と呼んだりとか。対してヒラリーはそういう「男」の非PCにことごとくケチつける嫌な女(ナスティ・ウーマン)の代表なわけ(と、少なくとも相手方の非PC頭はそう信じてた)。

そこに「なんでそんなこといちいち文句つけられるんだよ」と面白くない思いをしてきた層が食いついた。そうね、PCって80年代からだからここ30年くらい鬱憤をためてたんだ。「オレたちゃこの西部開拓の国の主人公だったのに、いつの間にか黒人や女やホモたちが偉そうにのさばるようになってよ」なんてさ。彼らは取り残されていたんだ。どうしてそんな「非PC」がダメなのか、誰も教えてくれないし考えることもしなかった。その思いを政治にする言葉も持たなかった。それを代弁してくれる政治家なんかトランプが現れるまでいなかったんだ。もう共感するしかないよね。そんな層が結構な数、ずっと鬱々と潜在していたことを、PCまみれの頭のいいエラいさんたちには(天才統計学者のネイト・シルバーを含めて)まったくわからなかったんだろうな。

するってえと、これは、黒人、女性、ゲイ(LGBTQ+)に続く、アメリカにおける(精神的かつ最大数の)被抑圧層の、遅れてきた大解放運動だったのかもしれないわね。確かにそれ(解放)はアメリカの伝統ではあるんだし。ただ、蓋を開けてみたら思いの外たくさんいた、なんとも奇妙な変形「マイノリティ=白人異性愛男性」運動……。トランプが白人女性層の票を集めたってのはあまり関係ない。白人異性愛男性主義の女性はたくさんいるわけだし。

こないだトランプ支持のある弁護士さんと話してて、彼が言うんだ。「この社会はもう飽和状態で閉塞状態で、内側からはどうにもできない。内側からは腐るだけだ。だからトランプみたいに外側から壊す奴が必要なんです」って。「でも、彼があぶり出した憎悪や差別はどうするんです?」と聞くと「そんな憎悪は昔からあるんですよ。この国はそういう差別や排斥感情を表沙汰にすることで解決してきたんです。トランプはそのための劇薬。アメリカ社会はそんな彼をも消費してゆくはずだと思う」。でも、劇薬にもほどがあるだろうさね。「それはそうだけど、ヒラリー支持者たちはそういう劇薬を使うのが怖い保守派、旧守派なわけですよ。私はトランプでもアメリカは大丈夫だと思います」とね。

ほとんどのトランプ支持者は彼ほどには後のことを考えてない。ただ一票を使って既成社会、上部社会にファックユーを叫びたかっただけかもしれない。後は野となり山となっても、トランプが開発してくれると期待して。でもその期待はきっと叶わなくてもいいんだ。どうせ失うものはとっくに失い終えているんだしって。

そう、トランプは革新候補だったんだよ。すでに未来の「新しい何か」しか残っていない彼らには。

そんなこんなでタイムズスクエアから帰ってきてからも日本のラジオやテレビに「トランプ大統領」の現地報告やら解説やらしてて、朝の9時過ぎになってやっとベッドに入った頃から友人たちがそろそろ起きだしたんだろう、ひっきりなしにテキストやLINEや電話がかかってくるんだよね。「ねえ、どうなるの、一体?」とか「クレイジー!」とか、ショックと不安を共有したいんだろう、とりとめもない放心状態で。若いゲイの子は「ねえ、またクローゼットに戻らなきゃダメなんでしょうか?」って。いやはや。

トランプを支持した者たちにとっての新しい何かは、新しい何かだからと言って常に素晴らしいものとは限らない。それが大問題なわけですわ。「Make America Great Again」のその「Great」は、すでに葬り去ったはずの「偉大さ」であって、新しい偉大さにはなりえないわけだから。

9.11に続いて、11.9という、アメリカの価値観の大転換を、二度も目の当たりにしているわけか。

長く居すぎたな。さてさて私はアメリカを去って、日本への拠点移動の準備をしますわね。クリントンから始まり、クリントンで終わる。

しかし、女性大統領を見たかったな、ほんと。

November 01, 2016

「女嫌い」が世界を支配する

投票日11日前というFBIによるEメール問題の捜査再開通告で、前のこの項で「勝負あったか?」と書いたヒラリーのリードはあっという間にすぼみました。州ごとの精緻な集計ではまだヒラリーの優位は変わらないとされますが、フロリダとオハイオでトランプがヒラリーを逆転というニュースも流れて、なんだかまた元に戻った感じでもあります。

だいたい今回のメール問題の捜査対象は、ヒラリーの問題のメールかどうかもわかっていません。ただFBIがまったくの別件で捜査していたアンソニー・ウィーナーという元下院議員の15歳の未成年女性を相手にしたエッチなテキストメッセージ(sexting)問題で彼のコンピュータを調べたところ、中にヒラリーのメールも見つかったので、それをさらに捜査しなくてはならない、というだけの話なのです。もっと詳しく言えばそのウィーナーのコンピュータは彼が妻と強要していたもので、かつその妻がヒラリーの側近中の側近として働いてきたフーマ・アベディンという、国務長官時代は補佐官を務め、今は選対副本部長である女性なんですね。ということで、そのアベディンのメールも調べることになっちゃう。だからその分の捜査令状もとらなくちゃならない、ということで、「ヒラリーのメール問題」とすること自体もまだはばかられる時点での話なのです。

つまりそのメールが私用サーバーを使った国家機密情報を含んでいるものとわかったわけでもなんでもないのですが、とにかくFBIのジェイムズ・コミー長官は自分の机の上に10月半ばまでに「ヒラリーのメールがあった」という書類が上がってきたものだから、これはこのまま黙殺はできない。捜査はしなくてはならないが、捜査のことを黙っていたりその情報自体を黙殺でもしたら後で共和党陣営にヒラリーをかばうためだったと非難されるに決まっている。しかしだからと言って捜査を開始したと言ったら選挙に影響を与えてしまうとして民主党側からも非難される。どっちが自分のためになるか、おそらく彼は苦渋の決断をしたんだと思います。その辺のジレンマの心境は実は彼がFBIの関係幹部に当てた短文のメールが公表されているのでその通りなんでしょう。でも、それは保身のための決断だった印象があります。

そもそもFBIの捜査プロトコルでは、捜査開始のそんな通告を議会に対して行う義務はないし、むしろ選挙に関係する情報は投票前60日以内には絶対に公表しないものなのです。つまり彼はヒラリーの選挙戦に悪影響を及ぼしても自分が職務上行うことを隠していたと言われることを避けた。そちらの方がリスクが高いと判断したんでしょう。つまりリスクの低い道を選んだわけです。誰にとってのリスクか? そりゃ自分にとってのリスクです。つまり保身だと思われるわけです。

で、週末にかけて、アメリカのメディアはコーミーのそんな保身を責めたり、いや当然の対応だと擁護したりでこの問題で大騒ぎです。

ところが問題はもう1つ別のところにあります。

8年前のヒラリー対オバマの大統領選挙の時も言ってきましたが、なぜヒラリーはかくも嫌われるのか、という問題です。なぜ暴言の絶えないトランプが支持率40%を割ることなく、2年前には圧勝を噂されたヒラリーが最終的にかくも伸び悩むのか?

この選挙を、「本音」と「建前」の戦いだと言ってきました。「現実」と「理想」とのバトル。そしてその後ろで動いているのが、もう明らかでしょう、実はアメリカという国の、いや今の世界のほとんどの国の、拭いがたい男性主義だということです。これまでずっとアメリカという国の歴史の主人公だった白人男性たちが今や職を奪われ、家を失い、妻や子供も去って行って、残ったのが自分は男であるという時代錯誤の「誇り」だけだった。いや、職も家も妻子も奪われていなくとも、もうジョン・ウェインの時代じゃありません。当たり前と思ってきた「誇り」は今や黒人や女性やゲイたちがアイデンティティの獲得と称してまるで自分たちの所有する言葉のように使っています。そこで渦巻くのは、アイデンティティ・ポリティクスに乗り遅れた白人男性たちの、白人(ヘテロ)男性であることを拠り所とした黒人嫌悪であり女性嫌悪でありゲイ嫌悪です。ヒラリーに関してもこの女嫌いが作用しているのです。

マイケル・ムーアの新作映画『Michael Moore in Trumpland』で、彼も私と同じことを言っていました。ムーアは昨年、映画『Where to Invade Next?』を撮るためにエストニアに行ったそうです。かの国は出産時の女性の死亡率が世界で一番少ない国です。なぜか? 保険制度が充実しているからです。アメリカでは年間5万人の女性が死んでいるのに。

そこの病院を取材した時にムーアは壁にヒラリーの写真が飾ってあることに気づきます。彼女もまた20年前に同じ目的で同じ病院に来ていたのです。国民皆保険制度を学ぶために。一緒に写る男性を20年前の自分だと言う医師がムーアに言います。「そう、彼女はここに来た。そして帰って行った。そして誰も彼女の話を聞かなかった。それだけじゃない。彼女を批判し侮辱した」

20年前、国民皆保険導入を主導したヒラリーは一斉射撃を浴びました。「あなたは選ばれてもいない、大統領でもない。だから引っ込んでいろ」と。それから20年、アメリカでは保険のない女性が百万人、出産時に亡くなった計算です。保険制度を語る政治家は以来、オバマまで現れませんでした。

ムーアは言います──ヒラリーが生まれた時代は女性が何もできなかった時代だった。学校でも職場でも女性が自分の信じることのために立ち上がればそれは孤立無援を意味した。だがヒラリーはずっとそれをやってきた。彼女はビルと結婚してアーカンソーに行ってエイズ患者や貧者のための基金で弁護士として働いた。で、ビルは最初の選挙の時に負けた。なぜか? 彼女がヒラリー・ロドムという名前を変えなかったから。で、次の選挙でヒラリーはロドム・クリントンになった。で、その次はロドムを外してヒラリー・クリントンになった。彼女は高校生の頃から今の今までそんないじめを生き抜いてきたのだ、と。

そんな彼女のことを「変節」と呼ぶ人たちが絶えません。例えば2008年時点で同性婚に反対していたのに今は賛成している、と。でも08年時点で同性婚に賛成していた中央の政治家などオバマをはじめとして1人としていなかったのです。

マザージョーンズ誌のファクトチェッカーによればヒラリーは米国で最も正確なことを言っている主要政治家ランキングで第2位を占めるのですが、アメリカの過半が彼女を「嘘つきだ」と詰ります。トランプは最下位ですが、どんなひどい発言でも「どうせトランプだから」の一言で責めを逃れられています。同ランク1位のオバマでさえ再選時ウォール街から記録破りの資金提供を受けていたのに、企業や金融街との関わりはヒラリーに限って大声で非難されます。大問題になっているEメールの私用サーバー問題だってブッシュ政権の時も同様に起きていますが問題にもなっていません。クリントン財団は18カ国4億人以上にきれいな飲み水や抗HIV薬を供与して慈善監視団体からA判定を受けているのに「疑惑の団体」のように言われ、トランプはトランプ財団の寄付金を私的に流用した疑惑があってもどこ吹く風。おまけにこれまで数千万ドル(数十億円)も慈善団体に寄付してきたと自慢していたトランプが実は700万ドル(7億円)余りしか寄付をしてこなかったことがわかっても、そんなことはトランプには大したことではないと思う人がアメリカには半分近くいるのです。

これは一体どういうことなのでしょう? よく言われるようにヒラリーが既成社会・政界の代表だから? 違います。だって女なんですよ。代表でなんかあるはずがない。

嫌う理由はむしろ彼女が女にもかかわらず、代表になろうとしているからです。ヒラリーを嫌うのは彼女が強く賢く「家でクッキーを焼くような人間ではない」からです。嫌いな「女」のすべてだからです。「女は引っ込んでろ!」と言われても引っ込まない女たちの象徴だからです。違いますか?

日本では電車の中で化粧する女性たちを「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」と諌める"マナー"広告が物議を醸しています。みっともないと思うのは自由です。でもそれを何かの見方、考え方の代表のように表現したら、途端に権力になります。この場合は何の権力か? 男性主義の権力です。男性主義を代表する、男性主義の視線そのものの暴力です。「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」は、どこをどう言い訳しても、エラそうな男(的なものの)の声なのです。

ヒラリーが女であること、そしてまさに女であることで「女」であることを強いられる。それはフェアでしょうか?

この選挙は、追いやられてきた男性主義がトランプ的なものを通して世界中で復活していることの象徴です。私が女だったら憤死し兼ねないほどに嫌な話です。そしてそれはたとえ7日後の選挙でヒラリーが勝ったとしても、すでに開かれたパンドラの箱から飛び出してきた「昔の男」のように世界に付きまとい続けるストーカーなのです。

October 10, 2016

勝負あったか?

前回、トランプに対するジャーナリスムの総攻撃が始まったと書きました。トランプをここまでのさばらせたのもマスメディアです。いざとなったらその落とし前をつけて、アメリカのジャーナリズムは選挙前に事実チェックでトランプ降ろしを始めるだろうと言ってきましたが、まさにそれが今度はワシントン・ポストによって実践されました。しかも今度は「Grab them by the pussy」という発言の録音ビデオです。

この問題はトランプによる一連の女性蔑視発言ではありません。「わいせつ」発言です。

ピューリタンが建国した米国で「卑猥な人格」は致命的でさえあります。たとえ「ロッカールーム・トーク」だと弁明しても、それは血気盛んなプロアスリートでも人気の芸能人でもありません。大統領候補です。

共和党のポール・ライアン下院議長はこれを受けて第2回討論会の席でなんと「投票先未定者」の聴衆席に座り、翌日には「トランプを支持しないし選挙応援もしない」と態度を変えました。彼だけではありません。トランプ支持取りやめは共和党の中でどんどん拡大しています。

背景には大統領選と同時に行われる下院選と上院改選があります。トランプへの嫌悪で、本来の共和党支持者たちが実際の投票所でトランプを支持する共和党の候補者たちの名前を選ぶことを忌避するかもしれない。それを避けるために自ら「そんなトランプは支持しない」と表明しておく必要があるわけです。ライアン下院議長もその辺りを睨んで、「今後は下院での過半数を確保することに集中する」と方針転換したわけです。

第2回討論会は実際、自分のことは棚に上げて全ての質問とその答えを相手への個人攻撃に転じさせたトランプにクリントンも応酬して下世話感甚だしく、メディアのコメンテイターが口々に形容するところによれば「テレビ放送が始まった1960年以降で『最低』『前代未聞』のもの」になりました。

象徴的なシーンはその「わいせつ発言」を責められたトランプが「俺は言葉だけだが、ビル・クリントンは実行したんだからもっとひどい」と言い返したところです。まるで小学生のようなすり替え、責任転嫁。もう1つは自分が大統領になったらEメール問題でヒラリーに特別検察官を立てて再捜査させるとするトランプに彼女が「彼のような感情的な人間がこの国の法の番人でなくてよかった」と言った際、「俺ならお前を牢屋に入れちゃうからな」と横槍を入れたシーンです。

政敵を刑務所に入れるのは民主主義ではない独裁国家の話です。これほど反アメリカ的な(あるいは子どもっぽい敵意剥き出しの)発言は「前代未聞」なのです。

クリントンとトランプの支持率の差は調査によっては11とか15ポイントの差まで広がりました。この時点での2桁の差は、とうとう勝負あったかの感さえあります。

しかしここで考えなければならないのは、トランプ支持層の中核をなすとされる、これまで政治になど関心のなかった学歴のない白人男性労働者層の他に、実はかなり知的な層にも「隠れトランプ支持者」がいるのではないかという説です。

ニューヨークなどの民主党の牙城の大都会で、おおっぴろげにトランプ支持を話せる人は多くはありません。お前はバカかと言われるのがオチです。ところが、"知的"に考えれば考えるほど「人権が第一」「移民も平等に」「差別はいけない」と言った「政治的正しさ(PC)」が行き詰まりを迎えるのは確実だ、と思っている人も相当数いるはずです。また、おそらくは富裕層(あるいは中流層以上)であろうそんな"知的"な人たちが、富裕層への課税を増やすというクリントンに反発し、税制を始めとして富裕層の自分自身が損をしないような政策しか絶対にとらないであろうトランプの方を支持するのはさらに確実だと思われるのです。

つまりは表向き「国のためにはクリントン」のPC顔をしながら、いざ投票となったら「自分のためにトランプ」支持に回ることも大いにあり得る。極端な格差社会とはそういうものです。解消できっこない、ならばこの道の延長戦でも、自分の世界だけはカネの力を使ってでも確保しておきたい、それが「神は自ら助くる者を助く」であると。

最後の3回目の討論会は19日のラスベガスですが、残念なことにそこでの焦点は経済ではなく外交問題です。彼らにトランプへの投票を確実にさせるような話題ではありませんが、しかしトランプ支持層というのは"知的"であろうがなかろうが、討論会はどうでもいい層なのかもしれません。だいたい彼は政策のことなどはなから全く話してなんかいないのですから。

October 03, 2016

ジャーナリズムの総攻撃が始まった

大統領選挙があと一月で決着します。ここにきて大手メディアが相次いで「トランプ大統領阻止」の論陣を張り、総攻撃を行っている感もあります。

驚いたのはUSAトゥデイです。ご存じのようにこの新聞は全米50州すべてで発行されていてどのホテルに泊まってもだいたい置いてあります。創刊34年というまだ新しい新聞ですが発行部数は190万部。政治的中立を謳ってこれまでの大統領選挙でどんな候補への支持も表明してきませんでした。曰く「私たちはその方針を変える必要性を感じてきませんでした。今の今までは(...Until Now.)」と。そして新聞社論説委員室の全員一致の総意として「トランプ候補は大統領として不適格」と結論付けています。しかもその理由の列挙で、「気まぐれで発言する」「偏見を振りまく」と続いた後で最後に「シリアル・ライアーである」と、まるで「シリアル・キラー(連続殺人犯)」みたいな「嘘つき魔」認定。結果、「彼には投票すべきではない」と明言しているのです。

激戦州かつ重要州のオハイオ州でも、これまで1世紀近く共和党候補しか支持してこなかった大手紙「シンシナティ・エンクワイアラー」がヒラリー支持に回りました。カリフォルニア州で148年間も共和党候補を支持し続けてきた「サンディエゴ・ユニオン・トリビューン」もヒラリー支持。アリゾナ州最大手の「アリゾナ・リパブリック」紙も創刊126年の歴史で初めて、さらに「共和党(リパブリカン)」というその新聞名の由来にも反して、トランプを「能力も品位もない」と断じました。ブッシュ元大統領の出身地であり最大の保守州であるテキサス州でさえ、主要紙「ダラス・モーニング・ニュース」が「トランプ氏の欠点は次元が違う」としてヒラリー支持という「苦渋の選択」をしました。大手メディアで正式にトランプを推したものは10月3日時点ではまだ存在しません(ヒラリーは30紙以上)。共和党予備選の時点ではマードック率いるニューズコーポレーションの「NYポスト」やゴシップと宇宙人ネタで売る「ナショナル・エンクワイアラー」など4紙が彼を支持していたのですが。

そんな中でトランプの連邦所得税の納税回避の可能性がNYタイムズによってスクープされました。発端は9月23日に同紙ローカルニュース担当記者に届いたマニラ封筒です。封筒はトランプの会社のもので、差出人の住所もマンハッタンの「トランプタワー」。中にあったのは、これまでトランプ陣営が公表を拒否してきた1995年の納税申告書のコピー3ページ分。そこにあった申告所得額は「9億1600万ドル(916億円)の赤字」でした。

当時の税制度では不動産会社がこうした巨額損失を計上した場合、その赤字を翌年以降に繰り越して、1年に5000万ドル(50億円)を上限としてその年の利益と相殺することが出来ます。つまり毎年の利益がその範囲内なら18年以上に渡って税金を納めなくてもよい計算になるわけです(ちなみにそれ自体は法律違反ではありません)。

さて、どこの誰が何のためにこんなコピーをタレ込んだのでしょう? トランプ陣営及び企業の内部の人間であることは間違いないでしょう。投票間際でも支持者離れを加速させるような暴言を繰り返すトランプのことです、これまでの選挙戦で十分パブリシティ効果も得られたことだし、今後のビジネスもそれで安泰。ひょっとしたら本当は面倒臭い大統領になんかはこれっぽっちもなりたくなんかなくて、「妻のメラニアに出させたんじゃないの?」という陰口まで聞こえています。いやはや。

ジャーナリズムの総攻撃が始まった

大統領選挙があと一月で決着します。ここにきて大手メディアが相次いで「トランプ大統領阻止」の論陣を張り、総攻撃を行っている感もあります。

驚いたのはUSAトゥデイです。ご存じのようにこの新聞は全米50州すべてで発行されていてどのホテルに泊まってもだいたい置いてあります。創刊34年というまだ新しい新聞ですが発行部数は190万部。政治的中立を謳ってこれまでの大統領選挙でどんな候補への支持も表明してきませんでした。曰く「私たちはその方針を変える必要性を感じてきませんでした。今の今までは(...Until Now.)」と。そして新聞社論説委員室の全員一致の総意として「トランプ候補は大統領として不適格」と結論付けています。しかもその理由の列挙で、「気まぐれで発言する」「偏見を振りまく」と続いた後で最後に「シリアル・ライアーである」と、まるで「シリアル・キラー(連続殺人犯)」みたいな「嘘つき魔」認定。結果、「彼には投票すべきではない」と明言しているのです。

激戦州かつ重要州のオハイオ州でも、これまで1世紀近く共和党候補しか支持してこなかった大手紙「シンシナティ・エンクワイアラー」がヒラリー支持に回りました。カリフォルニア州で148年間も共和党候補を支持し続けてきた「サンディエゴ・ユニオン・トリビューン」もヒラリー支持。アリゾナ州最大手の「アリゾナ・リパブリック」紙も創刊126年の歴史で初めて、さらに「共和党(リパブリカン)」というその新聞名の由来にも反して、トランプを「能力も品位もない」と断じました。ブッシュ元大統領の出身地であり最大の保守州であるテキサス州でさえ、主要紙「ダラス・モーニング・ニュース」が「トランプ氏の欠点は次元が違う」としてヒラリー支持という「苦渋の選択」をしました。大手メディアで正式にトランプを推したものは10月3日時点ではまだ存在しません(ヒラリーは30紙以上)。共和党予備選の時点ではマードック率いるニューズコーポレーションの「NYポスト」やゴシップと宇宙人ネタで売る「ナショナル・エンクワイアラー」など4紙が彼を支持していたのですが。

そんな中でトランプの連邦所得税の納税回避の可能性がNYタイムズによってスクープされました。発端は9月23日に同紙ローカルニュース担当記者に届いたマニラ封筒です。封筒はトランプの会社のもので、差出人の住所もマンハッタンの「トランプタワー」。中にあったのは、これまでトランプ陣営が公表を拒否してきた1995年の納税申告書のコピー3ページ分。そこにあった申告所得額は「9億1600万ドル(916億円)の赤字」でした。

当時の税制度では不動産会社がこうした巨額損失を計上した場合、その赤字を翌年以降に繰り越して、1年に5000万ドル(50億円)を上限としてその年の利益と相殺することが出来ます。つまり毎年の利益がその範囲内なら18年以上に渡って税金を納めなくてもよい計算になるわけです(ちなみにそれ自体は法律違反ではありません)。

さて、どこの誰が何のためにこんなコピーをタレ込んだのでしょう? トランプ陣営及び企業の内部の人間であることは間違いないでしょう。投票間際でも支持者離れを加速させるような暴言を繰り返すトランプのことです、これまでの選挙戦で十分パブリシティ効果も得られたことだし、今後のビジネスもそれで安泰。ひょっとしたら本当は面倒臭い大統領になんかはこれっぽっちもなりたくなんかなくて、「妻のメラニアに出させたんじゃないの?」という陰口まで聞こえています。いやはや。

September 10, 2016

いつか来た道

北朝鮮の核実験やミサイル発射でこのところ日米韓政府がにわかに色めき立って、韓国では核武装論まで出ているようです。日本での報道も「攻撃されたらどうする?」「ミサイル防衛網は機能するのか?」と「今ここにある危機」を強調する一方で、どうにも浮き足立っている感も否めません。

でも少し冷静になれば「攻撃されたらどうする?」というのは実はこれまでずっと北朝鮮が言ってきたことなのだとわかるはずです。戦々恐々としているのは北朝鮮の方で、彼らは(というか"金王朝"は)アメリカがいつ何時攻め込んできて体制崩壊につながるかと気が気ではない。何せ彼らはイラクのサダム・フセインが、リビアのカダフィが倒されるのをその目で見てきたのです。次は自分だと思わないはずがありません。

そこで彼らが考えたのが自分たちが攻撃されないための核抑止力です。核抑止力というのは敵方、つまり米国の理性を信じていなければ成立しません。理性のない相手なら自分たちが核兵器を持っていたら売り言葉に買い言葉、逆に頭に血が上っていつ核攻撃されるかわからない。しかし金正恩は米国が理性的であることに賭けた。

実はこれはアメリカと中国との間でかつて行なわれた駆け引きと同じ戦略なのです。冷戦下の米国は、朝鮮戦争時の中国への原爆投下の可能性を口にします。その中で中国が模索したのが自国による核開発でした。米ソ、中ソ、米中と三つ巴の対立関係の中で、核保有こそが相手側からの攻撃を凍結させる唯一の手段だと思われたのです。

そうして60年代、中国はロケット・ミサイルの発射実験と核爆発実験とを繰り返し、70年から71年にかけて核保有を世界に向けて宣言するわけです。それこそがどこからも攻め込まれない国家建設の条件でした。

慌てたのはアメリカです。どうしたか? 71年7月、ニクソン政権のキッシンジャー大統領補佐官が北京に極秘訪問し、それが翌72年のニクソン訪中へと発展するのです。米中国交正常化の第一歩がここから始まったのです。

今の北朝鮮が狙っているのもこれです。北朝鮮という国家が存続すること、つまりは金正恩体制が生き延びること、そのために米国との平和協定を結び、北朝鮮という国家を核保有国として世界に認めさせること。おまけに核兵器さえ持てば、現在の莫大な軍事費を軽減させて国内経済の手当てにも予算を回すことができる。

もちろん中国とは国家のスケールが違います(実際、アメリカが中国と国交を回復したのはその経済的市場の可能性が莫大だったせいでもあります)が、北朝鮮の現在の無謀とも見える行動は、アメリカに中国との「いつか来た道」をもう一度再現させたいと思ってのことなのです。

そんなムシのよい話をしかし米国が飲むはずもない。けれどいま米韓日の政府やメディアが声高に言う「北朝鮮からいまにも核ミサイルが飛んでくるかもしれない」危機、というのもまた、あまりにも短絡的で無駄な恐怖なのです。そんな話では全くないのですから。

さてではどうするか? 国連による経済制裁も実は、北朝鮮と軍事・経済面でつながりを持つアフリカや中東の国々では遵守されているとは言いがたく、そんな中での日本の独自制裁もそう圧力になるとは思えません。たとえ制裁が効果を持ったとしても国民の窮乏など核保有と国家認知の大目的が叶えばどうにでもなる問題だと思っている独裁政権には意味がないでしょうし、中国も手詰まりの状態です。なぜなら金正恩は金正日時代の条件闘争的な「瀬戸際外交」から、オバマ政権になってからの放置プレイにある種覚悟を決めた「開き直り外交」にコマを進めたからです。「いつか来た道」の再現には「この道しかない」わけですから。

金正恩の一連の行動は全て、動かないオバマの次の、新たなアメリカ大統領に向けてのメッセージなのだと思います。さて、彼女は/彼は、どう対応するのでしょう。

August 27, 2016

オルトライト?

大統領選はどんどんうんざりする方向に進んでいます。ここでもトランプvsクリントンの選挙戦を何度も「本音と建前の戦い」と説明してきましたが、このトランプ勢力の本音主義、白人男たちの言いたい放題の感情主義を具現する集団を、クリントンがとうとう「オルトライト(alt-right)」と名指しして批判しました。

「オルトライト」とは「オルタナティヴ・ライト Alternative Right」つまり「もうひとつ別の右派」「伝統的右翼とは違う右翼」のことで、本当は右翼かどうかも疑わしいのですが、この5〜6年、自分たちでそう呼んでくれと自称していた人たちのことです。トランプと同じく「政治的正しさ(Political correctness)なんか構ってられない」と、あるいはアメリカの主人公だった白人男たちの特権を取り戻せと、つまり「アメリカを取り戻す!(Make America Great Again!)」と言っている人たちです。

右翼とは本来、保守、愛国、国家主義を基盤としていますが、この「オルトライト」たちには今のアメリカ国家は関係ありません。白人のアメリカだけが重要なのです。したがって「黒人や有色人種はDNAからいって劣っているから差別されて当然」「移民・難民とんでもない」。それだけだと昔からある白人至上主義と似ていますが、彼らは女性差別も当然だと言ってはばからない。反フェミニズム、男性至上主義も取り込んでいるのです。

なにせ、彼らの理想の国は「女性が従順な日本や韓国」なのだそう。それだけではありません。ツイッターなど彼らのSNS上のアイコンはなぜか日本のアニメの女の子であることが多く、しかも日本のネット掲示板「2ちゃんねる」を真似た「4チャンネル」なる掲示板を作って好き勝手な差別的方言暴言で盛り上がっています。新作の女性版「ゴーストバスターズ」の映画で、ヒロインの1人の大柄な黒人コメディエンヌ女優の容姿をさんざんな悪口で侮辱、罵倒して、彼女がツイッターをやめると言うまでに追い込んだ輩たちもこの「オルトライト」たちです。

こういうと何か連想するものはありませんか? そう、日本でさまざまな差別的ヘイト・スピーチを繰り返す「ネトウヨ」と呼ばれる連中のことです。「ネット右翼」=匿名をいいことにネットを中心に辺り構わず差別的言辞を繰り返し、標的のSNSアカウントを「炎上」させては悦に入っている輩ども。

こちらも「右翼」という名が付いてはいるものの、本来の「保守」主義からは程遠く、「反日」「愛国」と叫びはしますが平和を唱える今上天皇をも「反日」認定したりと、まったく支離滅裂。むしろそういう真面目な主義主張や信条をからかうこと自体を面白がる傾向すらあります。

実際、「オルトライト」の名付け親とも言われる人物は、今回クリントンが名指しで批判したことに対して「やっと大統領候補みたいな大物政治家にも存在を認められた」と言って喜ぶのですからどうしようもありません。

反知性主義、排他主義、男性主義、そういうものが世界中で同時発生的に増殖しています。30年前のネオナチから続く流れにポップカルチャーが混じり込み、それにネットメディアが「場」を与えたのかもしれません。そのせいで今、アメリカの共和党が崩壊の危機にあります。

今回の大統領選挙は、そんな傾向に対抗する言説がどれだけ有効かを見る機会かもしれません。ただ、それにしてはクリントンの好感度がどんどん下がって、対抗言説どころの話ではなくなっているのが冒頭の「うんざり」の原因なのですが。

August 01, 2016

「トランプ大統領」の可能性

週をまたいでの共和、民主両党の全国大会が終わって、トランプ、クリントン両候補の正式な指名が決まりました。計8日間、演説だけでそれぞれが4日間ぶっ通しの大会を開けるという(しかもそのすべてをテレビがニュース中継するという)のは、アメリカという国の政治の言葉の強さを改めて思い知らされた感じです。

しかし「言葉が強い」というのは対立をもまた鮮やかに浮かび上がらせるもので、日本的な「まあまあ」も「なあなあ」も通用しない各4日間でした。トランプの共和党大会では歴代大統領やその候補たち主流派の重鎮の多くが欠席し、アイオワやコロラドなどの代議員たちも抗議の退場。クリントンの民主党でもサンダーズ派によるブーイングや退場騒ぎもありました。

さて、あと100日ほどで行われる11月の選挙の行方はどうなるのでしょう。最新の世論調査では支持率では再びクリントンがリードし、70%の確率でクリントンが大統領になるとの予想もあります。

しかしあえて気になる数字を挙げれば、実は大統領選挙というのはだいたい50%〜55%の投票率で推移しているということです。つまり総投票数は1億人から1億3千万人ほどで、民主、共和両党候補の得票数の差は、2000年のブッシュ対ゴアでは55万票という小差(しかも得票数ではゴアが勝っていました)、04年のブッシュ対ケリーでは300万票差、08年のオバマ対マケインでこそ1千万票という久々の大差でしたが、前回の12年オバマ対ロムニーではまた300万票差に戻りました。つまりいずれもかなりの僅差なのです。

両党で色濃い分裂と混乱で、実は58%もの有権者がトランプ・クリントンの2候補による選挙に不満を持っているという数字があります。すると今回の投票率は50%かそれ以下になる可能性もあります。つまり、それだけ少ない得票で大統領への道が開ける。つまりわずか数百万票の新たな掘り起こしで大統領の椅子はぐっと近づく。本当は州ごとの細かい分析が必要なんですがね。

ただし、それを起こしたのが2000年のブッシュ陣営でした。当時の敏腕選挙参謀カール・ローブは、それまで選挙になど行ったことのないキリスト教福音派の400万票を掘り起こしたと言われています。それが激戦州の要所要所で利いた。

それと同じ現象がトランプの予備選で起きました。予備選でのトランプの獲得票数は総投票数ざっと3000万票中の1400万票でした。この3000万票というのは共和党の予備選挙ではかつてない多さで、この増えた数百万票分はほとんどがトランプ票だったのです。

トランプ支持層の核は教育水準の低い白人労働者層とされます。この人たちは日頃から生活に不満を持ちながらもそれを政治に結びつける術を知らなかった人たちです。エリートが立候補する選挙にも「どうせ自分たちは関係ない」と無関心だった人たち。

それが今回は俄然、自分たちと同じような言葉でしゃべるテレビで知る顔が立候補して、エラそうな「政治的正しさ」連中をさんざんこき下ろしてくれている。

「そうじゃなくても黒人が大統領だなんて気に食わなかった。それが今度はオンナが大統領になるだなんてどういうことだ? アメリカの主人公は白人の男たちだったはずだ。それがいつの間にか隅っこに追いやられて、ああ、腹が立つ。俺たちのアメリカを取り戻そう!」なのです。

その人たちが数百万人分、そっくりトランプ票に上乗せされるとしたら? しかもこれまでより低い投票率の中で? それがこのままトランプ現象が続いた場合の私の”懸念”です。

July 19, 2016

分裂する共和党をつなぐもの

クリーブランドの共和党大会は波乱の幕開けでした。CBSの人気トークショーホストのコメディアン、スティーブン・コルベアが大会リハーサルの最中に突然、映画「ハンガー・ゲーム」の司会者役の扮装で勝手に壇上に上がり込み、「ハンガーゲームの始まり〜!」と叫んで退場させられるという一幕がありました。もちろんトランプをめぐる一連の共和党内の〝骨肉の殺し合い〟を皮肉ったものです。

波乱は開会後も続きました。反トランプ派の代議員が予備選の結果にとらわれずに投票できるよう規則を変更せよという〝反乱〟を起こそうとして叶わず、一斉に会場を立ち去るという事態が起きたのです。おまけに大統領経験者のブッシュ親子やブッシュ弟ジェブ、元大統領候補のロムニー、マケイン両氏ら重鎮も「アイスクリーム・パーティーがある」(何と重大な用件でしょう!)とか「仕事がある」とかいう理由で大会に姿を見せませんし、予備選を戦った地元のケーシック・オハイオ州知事でさえ目と鼻の先にいながら欠席なのです。

共和党内だけではありません。党大会にスポンサー支援していたコカ・コーラやペプシコ、フェデックス、ビザ、アップル、フォードなど数十の法人や個人が今回はスポンサーを降りました。これで資金不足に陥った大会準備委員会が、600万ドル(6億円)もの援助を共和党支持の大富豪、カジノ・ホテル王のシェルドン・アデルソンに依頼したという手紙も先週暴露されました。それもこれも、女性や移民、障害者などのマイノリティに関するこれまでのトランプの差別コメントが原因です。

そもそも共和党は福音派などのキリスト教右派とか男性主義を貫こうとする銃規制反対派だとか、政府はカネを使うような余計なことはするな(=オレたちから余計な税金は取るな)式の小さな政府主義のリバタリアンとかネオリベの大企業や富裕層とか、あるいは異人種異文化を嫌う白人主義の南部・中西部の労働者層とか、利害も思惑も向いてる方向もまったく違う人々の奇妙な集合体なのですが、その微妙な均衡状態がトランプという稀代のトリックスターの登場で崩れてきているのです。そんな分裂を象徴するかのように、共通する団結の象徴はただ一つ、「Lock Her Up!(あの女を牢屋に入れろ!)」と、メール問題のヒラリー・クリントンへの敵対心を連呼することでした。いわばそれだけがこの共和党全国大会の全員共通のテーマなのです。

最新の世論調査ではトランプvsクリントンという二者択一に、58%もの有権者が不満を持っているという結果が出ました。こうした状況で、いま最も不気味なのがこれまでの大統領選で何度も共和党の黒幕として動いてきた大富豪コーク兄弟の動向です。石油化学産業「コーク・インダストリーズ」のこの経営者兄弟はともにフォーブズの富豪十傑に入る大金持ち。というか会社は上場していないので、全部が親族経営で自分たちのもの。結果、2人合わせると計800億ドル(8兆円)という資産を持っているとされるのです。これは世界一の大富豪ビル・ゲイツの資産750億ドルをも凌駕する額です。

そのコーク兄弟は予備選ではずっと茶会系のテッド・クルーズを応援し、かつ、彼らが支援する共和党政治家を金持ちにシッポを振る「操り人形」とコケにした(もちろん自分はカネがあるからそんな必要はない、と自慢する)トランプを毛嫌いしてきました。

しかしここにきてトランプが副大統領候補として選んだのがインディアナ州のマイク・ペンス知事でした。実はこのペンスがコーク兄弟と昵懇で、本選挙でこれまでのように自費で選挙費用を捻出し続けるのがとうとう困難になってきたトランプにとって(彼の資産は40〜50億ドルほどでしかありません)、コーク兄弟との重要なパイプ役を果たすのではと言われているのです。ひょっとしたらこの「カネ」こそが、共和党の内部分裂を繋ぎ止める、「クリントン」以外のもう一つの共通項かもしれません。「カネ」を仲介させて、トランプはコーク兄弟と、すなわち共和党の中央とがもう一度手を結ぶ。仮面の結託。何せコーク兄弟にとって、毛嫌いの度合いはトランプなんかよりもずっとビル&ヒラリー・クリントンの方が強いのですから。

もっとも、このトランプ=コーク連合は間違いなくクリントンにとっても絶好の攻撃材料になります。それはトランプがこれまで攻撃してきたエスタブリッシュメントとの、トランプ自身の結託だからです──しかしまあ、トランプの支持者層というのはそんな「矛盾」を気にするような繊細な人たちではありませんが。

May 24, 2016

広島と謝罪と「語られていない歴史」

共同通信のアンケートで、広島や長崎の被爆者の8割近くの人たちがオバマ大統領に原爆投下への謝罪を求めないと答えました。「謝罪しろと言ったら来ないだろうから」と言う人もいました。確かに原爆ドームや展示館は、「来る」だけで何らかの思いを強いるものでしょう。

日本人は原爆を落とされた後の「結果」を見る。アメリカ人は原爆を落とす前の「原因」を見る。で、今も原爆投下を日本の早期降伏のために必要だったと考える人はアメリカに今も56%います。

でも同じアメリカ人でも44歳以下では投下を正しくなかったと答える人の方が多くなってきました。そんな世論と世代の変化を背景にオバマ大統領が広島で犠牲者を追悼します。これはアメリカ(大統領)が、原爆を落とした「結果」について触れる初めてのことでもあります。

もっとも、アメリカは第二次大戦前も今も同じ国体を保っています。同じ「国」が、自分の過去を謝罪することは、そこから続く現在の国のあり方を謝罪することにもなって論理的に難しい。1945年の前と後では国体の異なる今の日本が、違う国だったあの「大日本帝国」の慰安婦問題やバターン死の行進、南京虐殺を謝罪するのとは意味が全く違うわけです。

さて、それでもオバマ大統領が広島訪問にこだわったのは、もちろん就任直後に核廃絶を謳った09年のプラハ演説(ノーベル平和賞を受賞したきっかけです)の締めくくりを任期最後の年に行いたいという思いがあったのでしょう。でもこの間、世界の事情は大きく変わりました。「イスラム国」の台頭で核兵器は米ロ中といった国家間での交渉だけの問題ではなくなりました。世界の核管理の問題がより複雑になり、そこに北朝鮮やイランなどの不確定要素も加わって、核廃絶の道は遅々として進まないままです。

日本の事情もありました。鳩山政権時の09年にオバマ大統領が広島訪問を日本側に打診した際には、当時の藪中外務次官がルース駐日大使に「反核団体」や「大衆」の「期待」を「静めなければならない」ため「時期尚早」と自ら断っていたのです。民主党政権の得点になるようなことを、一官僚が個人的な忖度で回避したのだという見方もあります。

その後もオバマ大統領は広島訪問を探りますが、やがて与党に返り咲いた自民党・安倍首相が靖国参拝を断行したりハドソン研究所で「私を軍国主義者と呼びたい人はどうぞ」とスピーチしたりで日米関係は最悪になります。

それでもオバマ政権の嫌悪感をよそに憲法改定への道を探りたい安倍首相は、集団的自衛権の容認及び法制化で、米国(特に国防省)に擦り寄る作戦に出ました。同時に米国(これは国務省です)の強い要請のあった懸案の韓国との表面上の和解も果たして、外交的にも鎮静化を図ります。そうして伊勢・志摩サミットの開催で、オバマ広島訪問のお膳立てがそろったのです。

米側、というよりも任期最後の大統領の個人的な思いと、安倍首相の狙う平和憲法改定へ向けての参院選挙あるいは衆参同時選挙のタイミングが、ここで合致します。そこで広島の平和記念碑の前で日米トップのツーショットが世界に発信されるのです。この辺の安倍政権の算段は、偶然もありましょうが実に見事と言わねばなりません。

***

実は71年前の原爆投下の後で、7人いるアメリカの5つ星元帥及び提督の6人までが(マッカーサーやアイゼンハワー、ニミッツらです)原爆は軍事的に不必要で、道徳的に非難されるべきこと、あるいはその両方だと発言しています。その中の1人、ウィリアム・リーヒー提督は、原爆使用は「"every Christian ethic I have ever heard of and all of the known laws of war.(私の聞いたすべてのキリスト教的倫理、私の知るすべての戦争法)」に違反していると指摘し、「The use of this barbarous weapon at Hiroshima and Nagasaki was of no material assistance in our war against Japan. In being the first to use it we adopted an ethical standard common to the barbarians of the dark ages.(この野蛮な兵器を広島・長崎で使用したことは、日本に対する我らの戦争において何ら物理的支援ではなかった。これを使用する最初の国になることで、我々は暗黒時代の野蛮人たちに共通する倫理的基準を採用したのだ」とまで言っています。

これらはアメリカン大学のピーター・カズニック教授の「The Untold History of US War Crimes」(米国の戦争犯罪に関する語られない歴史)というインタビュー記事に中に出ています。

それによれば、戦争末期には日本の暗号はすべて米側に解読されていて、日本の軍部の混乱がつぶさにわかっていたのです。マッカーサーは「日本に対し、天皇制は維持すると伝えていたら日本の降伏は数ヶ月早まっていただろう」と発言しています。実際、1945年7月18日の電報傍受で、トルーマン大統領自身が「the telegram from the Jap emperor asking for peace.(日本の天皇=ジャップ・エンペラーからの和平希望の電報)」のことを知っていました。トルーマンはまた、欧州戦線の集結した1945年2月のヤルタ会談で、スターリンが3か月後に太平洋戦争に参戦してくるのに合意したと知っていました。その影響の大きさも。4月11日の統合参謀本部の情報部の分析報告ではすでに「If at any time the USSR should enter the war, all Japanese will realize that absolute defeat is inevitable. ソ連の参戦は、日本人すべてに絶対的な敗北が不可避であることを悟らせるだろう」と書いてあるのです。

さらに7月半ばのポツダムで、トルーマンはソ連の参戦を再びスターリンから直に確認しています。その時のトルーマンの日記は「Fini Japs when that comes about. そうなればジャップは終わり」と書いてあって、翌日には家で待つ妻宛の手紙で「We'll end the war a year sooner now, and think of the kids who won't be killed. 今や戦争は一年早く終わるだろう。子供達は死なずに済む」と書いていました。もちろん、日本の指導者達はそのことを知らなかったのです。

そして広島と長崎の原爆投下がありました。マッカーサーは広島の翌日に自分のパイロットに怒りをぶつけているそうです。そのパイロットの日記に「General MacArthur definitely is appalled and depressed by this Frankenstein monster. マッカーサー元帥は本当にショックを受けていて、このフランケンシュタインの怪物に滅入っていた」と記されていました。「フランケンシュタインの怪物」とは、人間の作ってしまったとんでもないもの、つまりは原爆のことです。

ただし、原爆が日本の降伏を早めた直接の契機ではなかったのです。46年1月、終戦直後の米戦争省の報告書は(最近になってワシントンDCの米海軍国立博物館が公式に見つけたものです)"The vast destruction wreaked by the bombings of Hiroshima and Nagasaki and the loss of 135,000 people made little impact on the Japanese military. However, the Soviet invasion of Manchuria … changed their minds."(広島と長崎の爆弾投下によってもたらされた広範な破壊と13万5千人の死は日本の軍部へ少ししか衝撃を与えなかった。しかし、満州へのソビエトの侵攻こそが彼らの意見を変えた)として、日本の降伏を早めたのは原爆ではなくてソ連の満州侵攻だったのだと分析しています。

あの当時、戦争の現場にいて原爆の非情な威力を目の当たりにした軍部のトップ達はおそらく自分たちの軍が犯したその行為の「結果」に、恐れをなしたのだと思います。それはしかし、取り返しも何もつくものではなかった。だから歴史を「語り直す」作業がそこから始まったのでしょう。「日本は原爆によって降伏を早めたのだ」と。「日本の本土決戦で奪われたであろう50万人のアメリカ兵の命と、やはり犠牲になったであろう数百万人の日本人自身の命をも救ったのだ」と。

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今は語られていないその歴史も、「戦争」を冷静に見ることのできる世代が育ち上がればやがて米国の正史になるかもしれません。それはひょっとすると数年先のことかもしれません。

でもその前に、次に安倍首相が真珠湾で謝罪し、さらに「トランプ大統領」が回避されれば、という条件が必要でしょうが。

April 20, 2016

個人的なことは政治的なこと

ニューヨークの予備選では「勝ち方」が問題でした。クリントンもトランプも有利が伝えられていましたから、あとはどのくらいの差で勝利するかだけがポイントでした。特に両候補とも直前の他州での”負け方”が気になっていたので、トランプはこのままでは7月の党大会の前に大議員数で過半数に達しないのではという懸念が生まれていたのでなおさらです。

民主党のクリントンとサンダーズの場合は得票率の差が二桁になるか一桁になるかがカギでした。十数%ポイントならクリントンの強さが示されて指名獲得へやっと最終ストレッチに入ることになります。逆に10%ポイント以下ならサンダーズの強さが改めて示され、まだもつれる可能性がありました。開票直後のCNNは独自の出口調査からかその差が開いていないとしてクリントンに当確を打つのをためらっていたから、クリントン陣営はヒヤヒヤだったでしょう。もっとも、結果はCNNの出口調査を全く裏切る15%ポイント差と、予想以上の大差でしたが。

一方の共和党はさすがに「ニューヨークの価値観」を非難した宗教右翼クルーズを選ぶわけにもいかず、トランプ以外に投票する積極的な動機はなかったのでしょう。かろうじてケイシックが2位につけたのはニューヨークの”良心”だったでしょうか。しかし60%もの得票率でNY州代議員95人をほぼ総取りできたのは、危ぶまれた指名獲得を引き戻した感もあります。

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それにしても今回の選挙で思うのは人々の個人的な本音の思いの強さです。ロングアイランドシティ、イーストリバー沿いのサンダーズの集会に行って話を聞くと、みんな口々に「政治的革命だ」と言います。「解決策(リゾルーション)がないなら革命(リボリューション)だ」というTシャツのアフリカ系の女性もいました。「クリントンはウォール街から巨額の選挙資金を受け取っているから金持ち優遇を止められるはずがない」と吐き捨てる黒人男性もいました。確かに1回の講演料が20万ドルとか30万ドルとか言われ、昨年から3回講演したゴールドマン・サックスでは計60万ドル(現レートで6600万円)が支払われたというので「こりゃダメだ」と思ったかつての支持者たちのサンダーズ流れが加速してもいるのでしょう。

上位1%の富裕層が世界全体の富の半分以上を所有していると言われます。先日、ボストン大学で講演してきましたが(私の講演料は数百ドルですw)、そこで聞いたのは米国の大学の授業料はいまや年間6万ドルもして、学生たちには卒業時には10万ドル台のローンがのしかかっているという話でした。聴衆の学生たちは中国の富裕層の子女もかなり目立ちました。講演が終わって雑談や立ち話になって、その中の1人の女子学生がニューヨークでいちばんの日本レストランはどこかと聞いてきました。私が「東京レベルの素晴らしい店もあるけど、すごく高いよ」と応えると、「大丈夫、お父さんに頼むから」と言われました。

若者たちにさえそんな歴然とした格差が存在する。そしてそれは米国内だけではなく世界単位で進んでいます。私たちを取り巻くそんな現状にはもう処方箋など残っていず、「革命だ」と叫ぶ以外にないような気がするのはわかります。

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何度も言いますが、米国はそうした個人の本音を公的な建前に昇華して歴史を作ってきた国です。黒人奴隷の問題は「私」的財産だった黒人たちが公民権という「公」の人間になる運動に発展しました。女性たちは60年代に「個人的なことは政治的なこと」というスローガンを手にして社会的な存在になりました。そして同性愛者たちも「個人的な性癖」の問題ではなく人間全部の「性的指向」という概念で社会の隣人となり結婚という権利をも手にしました。

それらの背景には私的な問題を常に社会的な問題に結びつけて改革を推し進めようという強い意志と、それを生み出し受け止める文化システムがありました。「私」と「公」の間に回路が通っている。そうでなければ「本音」はいつまでたってもエゴイズムから旅立てません。その双方向の調整装置が最大に稼働するのがこの4年ごとの大統領選挙なのでしょう。

日本ではなかなかこの私的な「本音」が公的な「建前」に結びつきません。「建前」はいま「偽善」だとか「嘘」だとかという意味が付随してしまって、人々から軽んじられ、嫌われ、疎まれてさえいる。

しかし考えてもみてください。理想、理念はすべて建前の産物です。「人権」も建前、「差別はいけない」も建前、「平等」も「公正」も「正義」もみんな建前を追求して獲得してきたものです。ところがそういうもの一般が、日本ではあまり口にされない。口にする人間はいま「意識高い系」と呼ばれて敬遠されさえします。だから問題を言挙げすると「我慢している人もいるのに自分勝手だ」「目立てばなおさら事態が悪くなる」と足を引っ張る。そうして多くの個々人が感じている不具合は、公的に共有され昇華されるより先に抑圧される。

日本をより美しくするにはこの「私」と「公」とをつなぐ回路を作らねばなりません。「個人的なことは政治的なこと The Personal is Political.」という50年も前の至言を知らねば、いまアメリカで起きているこの「革命」めいた混乱を理解することもできないのだと思います。

March 22, 2016

サフランから広がる世界

世界で最も高価なスパイスであるサフランは小売りだと1gで15ドルから40ドルもします。高いものだと金やプラチナにも匹敵する値段です。そのサフランが、タリバンとの戦いで荒廃したアフガニスタンで大量に栽培されていたことを知る人はあまりいません。そこに気づいたISAF(国際治安支援部隊)の若い米兵たちが退役後の今、現地のサフラン農家を組織・支援し米国のトップ・レストランなどへの販路を展開する会社を設立して注目を浴びています。現地農家はこれで収入が3倍になり女性の雇用も開拓、米側も高品質純正サフランを安価で入手できる、誰にとってもウィンウィンのビジネスです。

退役米兵が設立したのは「ルミ・スパイス(RUMI SPICE)」(本社・シカゴ)。アフガニスタン北西部ヘラート地区の農家に接触し、これまでに35軒と契約を結びました。CEOのキムバリー・ジュンさん(29)は6年前にアフガニスタンで治安部隊として地域再建と女性の社会進出の仕事に関わりました。そこには同僚兵で共同創設者となるエミリー・ミラーさん(29)=現最高広報責任者=もいて、退役後、ともにハーバード・ビジネススクールに入ってMBAを取得しました。そんな頃に、もう一人の共同創設者となるキース・アラニズさん(33)=現社長=からスカイプがかかってきたのだそうです。

当時アラニズさんはまだアフガニスタンで米陸軍の兵務に就いていて、彼女たちと頻繁に連絡を取り合っていました。ジュンさんは「アフガニスタン支援でやり残してきたことがたくさんあると気にかかっていた」と話します。アフガニスタンのサフランを米国市場につなぐというアイディアはその中で生まれました。それが会社という形になったのが、2年前、2014年の3月でした。

ジュンさんはそれから何度もアフガニスタンへ飛んで現地の農家と交渉する一方、サフラン畑の水事情を改善する専門家も雇います。さらに手作業で雌シベだけを選り分けねばならないサフランのために、これまでに現地の75人もの女性雇用を新たに創り出しました。「女性の社会進出と地位向上も私たちの目標の一つなのです」とミラーさんも言います。

ところでアフガニスタンの社会問題の1つはタリバンの資金源たるアヘンの密造です。原料となるケシ栽培根絶のために米国政府はこれまで9000億円も支援拠出してきましたが、タリバンは毎年200億円をも密売アヘンから得ています。「ルミ・スパイス」の目的はこのケシ栽培を、より高価なサフラン(クロッカスの一種)に置き換えることでもあります。

発足から2年、このユニークな事業がニューヨークのトップ・シェフたちの目に止まらないはずがありません。これまでに「ブーレイ」「ル・ベルナルダン」「ダニエル」「グラマシー・タヴァーン」などザガット、ミシュランの錚々たるトップ組がこぞって仕入先を「ルミ」に変更。その品質はシェフ、デヴィッド・ブーレイ氏も「色も最高、香りも最高。アフガン農家の誇りを感じる」と太鼓判を押しています。同社サイト(http://www.rumispice.com/)もサフランとオレンジのスープからサフラン・マキアートやサフラン・ウォッカ・カクテルまで、ユニークなレシピを紹介してネット販売顧客は全米4万世帯に及ぶとか。またホールフーズなどの大手スーパーなどの一般小売販路も拡大中です。

アメリカは世界中でいろんな横暴なこともやりますが、それとは別に、各々の善意をビジネスの形で実現しようというアメリカ人の個人的なアイデアと実行力にはいつも感嘆せざるを得ません。

February 23, 2016

丸山発言のヤバさ

CNNが「日本の国会議員が『黒人奴隷』発言で謝罪」という見出しで報道した自民党の丸山議員の発言は、大統領=オバマ=黒人=奴隷という雑な三段(四段?)論法(というか単純すぎる連想法)が、人種という実にセンシティブな、しかも現在進行形の問題で応用するにはあまりにもお粗末だったという話です。たとえ非難されるような「意図」はなかったとしても、そもそも半可通で引き合いに出すような話ではありません。とにかく日本の政治家には人種、女性、性的マイノリティに対するほとんど無教養で無頓着な差別発言が多すぎます。

この人権感覚のなさ、基準の知らなさ具合というのは、何度もここで指摘しているようにおそらく外国語情報を知らない、日本語だけで生きている、という鎖国的閉鎖回路思考にあるのだと思います。日本では公的な問題でもみんな身内の言葉で話すし、そういう状況だと聞く方も斟酌してくれる、忖度してくれる→そうするとぶっちゃけ話の方が受けると勘違いする→すると決まって失言する→がその何が失言かも勉強しないまましぶしぶ謝罪して終わる→自分の中でうやむやが続く、という悪循環。そういう閉鎖状況というのは昭和の時代でとっくに終わっているはずなのに、です。

かくして丸山発言は当事者の米国だけではなく欧州、インド、ベトナム、アフリカのザンビア等々とにかく全世界で報じられてしまいました。

このところこのコラムで何度も繰り返している問題がここにもあります。日本では本音と建前の、本音で喋るのが受けるという風潮がずっと続いています。建前は偽善だ、ウゾっぽい、綺麗事だ、とソッポを向かれます。だから本音という、ぶっちゃけ話で悪ぶった方がウケがいい。

しかし世界は建前でできています。綺麗事を目指して頑張ってるわけです。綺麗事のために政治がある。そうじゃなきゃ何のために政治があるのか。現状を嘆きおちょくるだけの本音では世界は良くなりはしない。

まあ、トランプ支持者にはそういう綺麗事、建前にうんざりしている層も多いのですが、CNNはじゃあこの丸山議員はわざと建前を挑発して支持者を増やそうとする「日本のトランプなのか?」と自問していて、しかし、そうじゃない、単に「こうした問題に無関心かつ耳を傾けないこの世代を象徴する政治家だ」と結論づけているのです。

さてしかし私は、今回のこの丸山発言、問題は報道されたその部分ではなくて実はその前段、「日本がアメリカの51番目の州になり、日本州出身の大統領が誕生する」と話した部分なんだと思います。

発言はこうです。日本が主権を放棄して「日本州」というアメリカの「51番目の州」になる。すると下院では人口比で議員数が決まるからかなりの発言力を持つし、上院も日本をさらに幾つかの州に分割したらその州ごとに2人が議員になれるから大量の議員役も獲得できる。さらに大統領選出のための予備選代議員もたくさん輩出するから「日本州出身大統領」の登場もおおいにあり得るぞという話。そこでこの「奴隷でも大統領になれる国」という発言が飛び出すのです。

日本がアメリカの属国状態だというのは事実認識としてわかりますが、しかし「日本が主権を放棄する」って「売国」ですか? いやもっと言えば、売国するフリしてアメリカを乗っ取ってしまおう、って話じゃありませんか?

これはヤバいでしょ。しかしそこはあまり問題にならないんですね(日本のメディアが詳報しないんで外国通信社もそこを報道しないため気づかれていないということなんでしょうが)。ま、日本のメディアが報道しないのは、そういうのはどうせ居酒屋談義だと知ってるからでしょうけど、政治がこういう居酒屋談義、与太話で進んでいる状況というのはいかがなんでしょうか。そして何より、この丸山発言に対して、当の自民党が総裁を始め幹部一同まで明確にはたしなめも断罪もしないという状況が、対外的メッセージとしてはそれを容認しているということになってしまって(まあ、事実そうなんですけど)さらにヤバいと思うのですが。

February 16, 2016

映画『あん』を観て

帰国便の機内で河瀬直美監督の「あん」という日本映画を見ました。永瀬正敏演じる訳ありのどら焼き屋さんに、樹木希林演じるお婆さんが仕事を求めて訪れて、絶品のあん作りを伝授する、というお話です。

美しい桜の景色から始まる物語は淡々と、けれど着実に進んで行きます。なるほどよくあるグルメ映画かと思う頃に、最初に描かれたお婆さんの手指の変形という伏線が顔を出してきます。彼女はほど遠からぬ所にある「らい病」つまりハンセン病患者の施設(旧・隔離施設)から通っていることが明らかになり、その噂で客足も遠のくことになるのです。

心にしみる佳作です。お婆さんはその店でのアルバイトを辞して「園」に戻ります。映画は「世間」の偏見と無理解とに直接対峙するわけではありません。店主の無言の悔しげな表情と、そして常連だった女子中学生と2人しての「園」訪問と再会とが、かろうじてこの病気を取り巻く「差別」と「やるせなさ」の回収に機能します。そして映画は観客の心に何らかの種子を植え付けて終わるのです。

一人一人の心の底に染み渡りながら、しかしその「種子」が「私」の土壌から芽吹いて「公」の議論に花開くことはあるのだろうかと思ったのは、翻ってアメリカの大統領選挙のことを考えたからでした。米国では4年に1度、全国民レベルで「私」たちが「公」の議論を戦わせる大いなる機会があります。というよりむしろ米国という国家そのものが、「私」の領域を「公」の議論に移し替えて成立、発展してきたものでした。

黒人奴隷の問題は「私」的財産だった黒人たちが「公民権」という「公」の人間になる運動に発展しました。女性たちは60年代に「個人的なことは政治的なこと」というスローガンを手にして社会的な存在になりました。そして同性愛者たちも「個人的な性癖」の問題ではなく人間全部の「性的指向」という概念で社会の隣人となり結婚という権利をも手にしました。

それらの背景には個人的な問題を常に社会的な問題に結びつけて改革を推し進めようという強い意志と、それを生み出し受け止める文化システムがありました。顧みれば社会問題に真っ向から取り組むハリウッド映画のなんと多いことよ。

人権や環境問題では地下水汚染の「エリン・ブロコビッチ」やシェールガス開発の裏面を描いたマット・デイモン主演の「プロミスト・ランド」がありますし、戦争や権力の非道を告発したものは枚挙にいとまがありません。ハンセン病に匹敵する「死病」だったエイズでもトム・ハンクスの「フィラデルフィア」などが真正面から差別を告発しています。今年のオスカーで作品賞などにノミネートされている「スポットライト」はカトリック教会による幼児虐待問題を真正面から追及するボストングローブの記者たちの奮闘を描いています。

映画としてどちらの方法が良いかという問題ではありません。アメリカはとにかく問題をえぐり出して目に見える形で再提出し、さあどうにかしようと迫る。彼我の差は外科手術と和漢生薬の違い、つまりは文化の違いなのでしょう。でも、後者は常に問題の解決までにさらなる回路を必要とするし、あるいは解決の先送りを処世として受け入れている場合さえあります。かくして差別問題は日本では今も多く解消されず、何が正義なのかという議論もしばしば敬遠され放置される……。

映画としての良し悪しではない。けれど社会としての良し悪しはどうなのでしょう? 個人の心に染み渡らねば問題の真の解決はないでしょう。しかし一方でそれを社会的な問題として言挙げしなければ、迅速な解決もない。その両方を使いこなす器量を、私たちはなぜ持ち合わせられないのかといつも思ってしまうのです。

February 02, 2016

偽善vs露悪

初戦アイオワでのトランプの敗北は、トランプ人気が実は「面白がり屋」たちの盛り上がりで支えられているということなのかもしれません。選挙はやはりその土地で実際に歩き回る「どぶ板選挙」のような運動が下支えするのでしょう。もっとも、来週のニューハンプシャーなど、これ以降の州ではあいかわらずの強さを示しているようですが。

対して民主党の方はクリントンとサンダーズが事実上の引き分けです。当初は(社会主義者と自称するがゆえに)泡沫とみられていたサンダーズがここまで健闘する背景には、若者たちに広がる社会格差感が(社会主義的メッセージを必要と感じるほど)深刻だということなのかもしれません。サンダーズはニューハンプシャーではクリントンを破るだろうと予想されています。

それにしてもアメリカはどうしてこうも大統領選挙で盛り上がるのでしょうか? 4年に1度の政治的お祭り、と言うのはわかりますが、どうしてその「政治」イベントが「お祭り」のようになるのでしょう?

政治が盛り上がるのは、この国では人間が社会的存在として成立するからじゃないかと思います。「有権者=社会的人間」として「投票=社会的行動」するためにあちこちで「政治=社会的言説」を語る。社会的言説とは「建前=理想と正義」を語って他人と生き方を共有することです。すなわち「社会」を作ることです。アメリカの政治社会史とは、黒人の公民権運動をはじめとして女性の権利、性的少数者の権利など、一人一人が「公民」=社会的存在になるためのうねりだったのですね。

ですから、社会的言説(建前)が必要で、それにコミットしたいと思うのは、基本的にはマイノリティの心性なんです。私的で個人的な言説では埒があかないので、次元を上げて社会の在り方を問題にする。個人の好み(本音)だけではない、どんな社会を求めるべきかを語らねばならない、という自覚。

そう、アメリカの今はみんながどこかでマイノリティだと自覚している時代なのです。人種や性指向に限らず、社会的にも経済的にも、価値観が多様になればなるほどみんながそれぞれのマイノリティです。だからこそそれぞれの場所で社会的言説(建前)がさらに必要になる。

大統領選挙というのはまさにそんなおおっぴらな社会的言説(政治)が許される、奨励される場なんですね。それは盛り上がるはずです

対して昨今の日本社会はどうでしょうか? 私たちはいつの間にか建前(社会的言説)を語ることがとても格好悪いことだと思うようになってきました。本音で生きようよ、と。

そういえば同調圧力の強い日本ではみんなが自分をマジョリティだと思いたがる。マジョリティという安心感があれば、それ以上の建前はあまり必要ないんですね。「本音で生きよう」とはつまり、すべてを個人的な領域で片付けることです。正義と理想は、ナニ格好つけてんだよ、となる。それは「偽善」で、個人の好みをあけすけに語る「露悪」にこそ価値が置かれる。それは当然、社会的存在としての人間を「偽善」として忌避する傾向につながります。よって露悪趣味のネット右翼が声を張り上げる。

実はこれまでのトランプの主張もこの「露悪」を利用したものでした。「政治的正しさ(PC)」を「偽善」として叩き、人間の、生物としての防御本能や恐怖という「本音」を前面に押し出して「私的正しさ」を主張してきた。

その意味で、私は今回の大統領選挙を、まさにこの「建前=公民=PC=偽善」と「本音=私民=非PC=露悪」の戦いの最たるものとしても見ています。

December 23, 2015

私怨と公憤

11月のパリ、12月のカリフォルニアのテロが象徴するように2015年は世界秩序が「イスラム国」に揺るがされた年でした。その反動でフランスでは移民排斥を謳う右翼政党「国民戦線」が大躍進し、米国でもイスラム教徒入国禁止をブチ上げたドナルド・トランプが共和党の大統領候補として相変わらず支持率トップを維持しています。2016年はどういう年になるのでしょうか。

「イスラム国」の惹き起こす各種の問題は今年も続くでしょう。「イスラム国」とは何かという問題に、私はこれは、私怨を公憤に簡単に変えてくれる「装置」なんじゃないかと感じています。

欧米でも「新住民」として定着しつつあるイスラム教徒は「旧住民」との間に様々な軋轢も持つでしょう。それは実は単に「新」と「旧」との軋轢に過ぎないのですが(日本でも新・旧住民間の軋轢は至る所で起きています)、それがここではキリスト教コミュニティとの宗教的軋轢として格上げされてしまう。

新住民たるイスラム教徒たちが「自分は疎外されている、いじめられている、仲間外れになっている」という鬱憤を抱くことはあるでしょう。これまでその鬱憤は私的なことでした。鬱憤を晴らすことも個人的な範囲で抑えられてきました。なのでそんな鬱憤には「晴らす」までに至らずさらに鬱積したものもあったでしょう。それはこの世の常です。それはまた様々な手段で解決していかねばならい。

ところがそこにいつの間にか「イスラム国」というお題目が与えられました。それを唱えるだけで、これは社会的な矛盾だ、キリスト教とイスラム教の宗教対決だ、思想戦争だという、なんだか大義名分のある(ような)鬱憤に格上げしてくれる。「イスラム教徒がいる場所がイスラムの国だ」という思想の下、単なる個人的な鬱憤だったものがなんだか偉そうな大問題に思えてくるのです。この短絡が成立すればもう際限がない。その鬱憤を晴らすことには大義がある。その大義のためには銃器を入手することも爆弾を作ることも人を殺すことも正しく思えてくるのです。

対してトランプが言ってることも同じです。彼の発言もとても個人的な敵対感情です。社会のこと、世界の仕組みのことなんか吹っ飛ばして、個人的な、私的な恐怖心を、大統領候補という大義名分のある地位で、なんだか公的なことのように言葉にする。いま起きていることはつまり、実は私怨と私怨のぶつかり合いなのです。なのにいつの間にか公憤、公の正義同士のぶつかり合いのようなものに、見かけ上は変貌している。

「驚愕反射テスト」というのがあります。突然大きな音を聴かせたり、感情をかき乱すような画像を見せたりする様々な「驚愕すること」に、どのくらい敏感に反応するかという検査です。その結果、保守派のほうがリベラル派よりも「ショックを受ける傾向」が強いという事実が「サイエンス」誌に発表されています。怖がりだとか臆病だとか、そういう生理的傾向が政治思想に影響するらしいのです。

強権主義だとか国家主義だとか男尊女卑だとかそういう強硬な「保守」思想が、結局はその人の性格の問題だなんてなんだかガッカリしますが、その意味では「恐怖をあおる」トランプの選挙手法は保守派の票の掘り起こしにはつながるのかもしれません。

でも、こちらの恐怖には相手側からも恐怖しか返ってきません。それが「公憤」を装う「私怨」同士の応酬につながっているのです。その傾向を、どうにか断ち切れないものかと考えあぐねる新年です。

December 08, 2015

排除と防衛の本能

6日に行われたフランスの地方選で極右政党の「国民戦線」が記録的な支持を集めました。得票率は全体の28%。5年前の前回選挙では11%でしたから2倍半にも増えました。全13の選挙区のうち半分近い6選挙区で首位、しかも党首マリーヌ・ルペン(47)とその姪の副党首マリオン・マレシャル・ルペン(25)は、それぞれ40%超の票を獲得したのです。

130人もが殺害された11月のパリ同時多発テロの不安が「反EU」「反移民」を訴える同党への共感を呼んでいるのでしょう。

同じことがカリフォルニア州の銃乱射テロでも言えます。共和党大統領候補ドナルド・トランプは例によって全てのイスラム教徒の米国渡航を禁止すべきだと主張し始め、支持率をさらに上げています。

銃規制問題も、こういう事件が起きるたびに米国社会には「銃規制すべきではない」「自分と家族を守るために銃所持は必要」という世論も逆に高まるのです。

これまで、米国で最も銃が売れた1日は3年前の12月21日でした。この日の1週間前、コネチカット州ニュータウンで26人殺害の例の「サンディフック小学校銃撃事件」が発生していたのです。

今年のブラックフライデーでも、過去最高の18万5千件以上の銃購入犯歴照会すなわち過去最高の銃セールスがありました。もっともブラックフライデーに限らず、銃の売り上げ自体も今年は年間を通して例年より増加しています。というか、4人以上が死傷した銃乱射事件自体が今年はすでにカリフォルニアの事件で355件目。こういうのを「負のスパイラル」というのでしょうか。

「反EU」「反移民」「難民規制」「反イスラム」「反銃規制」──これらはすべて人間として当然の防衛本能から始まっていることです。私たち人間は、経験則からも常に「悪いことが起きる」と想像してそれに対処できるようまずは身構えることから始めるようにできています。何かいいことがあるはずと想像してガッカリするよりも、初めに悪いことを想像していればそう落ち込まずにも済む、という先回りした自己防衛です。

しかしそればかりでは人間生活は営めません。周囲に戦々恐々としているだけでは友情も共存も平和すらも訪れません。つまりは繁栄もない。「己を利する」ことだけを考えていては結局周囲の反感を買って「己を利する」ことができなくなるという「利己主義」の矛盾がそこにあります。

「防衛」も似た矛盾を抱えています。究極の防御は「予防的防衛」です。「予防的防衛」は「予防的先制攻撃」にすぐにシフトします。そして「予防的攻撃」に専心すれば相手側も先に予防的攻撃を防ぐ予防的攻撃を画策するでしょう。

それが軍拡競争でした。7万発という、人間世界を何度滅ぼせばいいのかというレベルの核兵器が存在した80年代冷戦期の愚蒙を経て、私たちはその矛盾を知っていたはずでした。

それでも背に腹は変えられない。まずは生き延びねば話にならない。それはそうです。しかしそういうことを主張する人々が「防衛」の後の「共存」の展望を、「利己」の後の「利他」の洞察を、ほとんど度外視しているふうなのは何故なのでしょう。その人たちの脳はマルチタスクではないのでしょうか?

フランスやアメリカを笑ってはいられません。中国の脅威だ、北朝鮮のミサイルだ、と同じパニック感を背景に日本でもいま、平和共存の理念が排除防衛の本能に置き換わろうとしています。

背に腹は変えられません。が、背と腹はともに存在して人間なのです。

November 16, 2015

11.13と9.11

思えば14年前、私たちニューヨークに住む者たちは今のパリの人々と同じ恐怖と不安と怒りと悲しみとを共有していました。あのころアメリカには星条旗が溢れ、同じように「普段と同じ生活を続けよう。家にこもっていたらテロに屈したことになる」という呼びかけが誰からともなく発せられ、世界中から数限りない追悼と支持のメッセージが寄せられました。

ただ、14年前と今ではなにやら受け取り方が違うところもあります。Facebookではパリ市民への支援といたわりを込めて自分のアイコンにフランス国旗の三色を重ねる人が急増していますが、一方でパリ事件の前日にあった43人死亡のベイルートでの連続テロ事件には何ら大きな反応を示さなかった大多数の「自分」たちに、「この違いは何なのだろう」という疑問が浮かんでいます。FBが、パリ事件で急きょ適用した安否確認機能も、ベイルートやその他のテロ事件では有効にしなかったことへの批判が起きました。

思えば2001年のあの当時は、欧米はまだ自分たちが「無実の被害者」であることを信じていた時代だったのかもしれません。もっとも、現在のテロ戦争へと連なる動きは直接的には1979年のソ連アフガン侵攻あたりから始まってはいたのです。その時アメリカはソ連に対抗してアフガニスタンの反政府勢力に武器を提供しました。それがイスラム原理主義勢力で、そこにオサマ・ビン・ラーデンもいた。

やがてソ連は侵攻に失敗し91年の崩壊につながりました。中東ではイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争の勃発、そしてアフガンの無秩序状態と内戦が始まりました。タリバン、アルカイダは、そんな背景から起ち上がってきたのですから。

でも、それは世界貿易センターの崩壊という圧倒的な事件の前では吹っ飛んでいました。世界はアメリカを支持し、ビン・ラーデンは世界の悪者となり、やがてそれはサダム・フセインにも向けられて、米英などの「有志連合」によるイラク戦争へと突入していったのです。

フランスに溢れる「パリは恐れない」というスローガン、「我々はパリとともに立つ」というメッセージ──ニューヨークも同じものを経験しました。私はいまも、そこから起きた労わりと善意と親切と癒しとを忘れていません。そして同時に、狂騒と間違いをも。

イラク戦争の大義名分だった「大量破壊兵器」は虚偽でした。そしてそのウソから始まった戦争がイラクの混乱を招き、タリバン、アルカイダに続く原理主義「イスラム国」を生み出した。

私たちはもうそれを知っています。パリの虐殺に対し、FBの三色旗アイコンに賛否が分かれるのも、シリア出身の女性の「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います」というツイートがたちまち世界中に拡散しているのも、私たちは世界がすでに「あの時」よりも複雑になってしまったことを知っているからなのでしょう。

政治家に求められているのは常に、直近の問題解決能力と10年後のより良い未来を作る能力です。しかしその2つが両立しない場合、前者を行えば後者が成立しない場合、「目には目を」が世界を盲目にするだけの場合、私たちはどうすればよいのか? その難問がいま私たちに突きつけられています。

日本のある若手哲学者が「まいったな。これが21世紀か」と嘆いていました。ええ、これが21世紀なのでしょう。

November 09, 2015

旭日大綬章

ジャパンハンドラーとして有名なリチャード・アーミテージやブッシュ政権での国防長官ドナルド・ラムズフェルドの2人が秋の叙勲で旭日大綬章を受けることが発表されたその翌日、イラクの政治家アフマド・チャラビが自宅で心臓発作で死亡していたとの報が届きました。この取り合わせに興を殺がれたのは私だけでしょうか。

このチャラビという人物がアメリカを誘導してイラク戦争に突入させたのです。いえ、それにはもちろんチャラビを利用してイラクに介入し、中東におけるアメリカ戦略を有利に進めようとしたラムズフェルドらネオコン一派がいたことが背景でした。

チャラビはイラク・シーア派の名家の出で、16歳でマサチューセッツ工科大学に入るなど神童と呼ばれた人物。サダム・フセイン時代には国外に亡命していた反フセイン運動の政治策士でした。

憶えていますか? イラク開戦の理由は、9.11から続く対テロ戦争の流れで「イラクは核や生物化学兵器など大量破壊兵器を隠し持っている」というものでした。それが嘘だったことは今では明らかで、イラク進攻に前のめりだった当時のブレア英首相も先月、CNNのインタビューに答えて「情報が間違っていた」と謝罪したほどです。なぜそんな情報が流れたのか?

そこに反体制派組織イラク国民会議(INC)の代表のチャラビがいました。フセインの追放を目指していた彼が、ここぞとばかりに大量破壊兵器のニセ情報を軍事機密として売り込んだのです。「フセインに虐げられているイラク国民がアメリカの進攻を待ち望んでいる」「フセインを追放したらアメリカは解放者として歓迎される」とラムズフェルドや同じくネオコンの筆頭格ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)に信じ込ませたのも彼でした。

精緻に仕組まれたニセ情報だとしてもネオコンたちはなぜかくも簡単にそれを信じたのか? ネオコンは親イスラエルです。そのネオコンのパトロンたちに、チャラビはフセイン後に自分がイラクの指導者になれば、イラクをアラブ民族主義から脱却させて民主化し、その上でイスラエルと和平を結んでイスラエル企業がイラクでビジネスできるようにする、イラク北部のモスル油田とイスラエルの製油港はイファをつなぐパイプラインを作る、とも約束していたからです。

人は信じたい未来しか信じないと言いますが、米国とイスラエルの抱える難題を一気に解決するこの中東再編の「夢物語」にラムズフェルドらはまんまと引っかかったのでした。

この経緯はマット・デイモンが主役を務めた『グリーン・ゾーン』という映画にもなっています。懸命に大量破壊兵器を探しても見つからず、そのうちに国防総省の大変な情報操作と陰謀とが明らかになっていくという映画です。これに登場する亡命イラク人「アフマド・ズバイディ」のモデルがチャラビでした。

フセイン憎しの私怨と金儲けしか頭になかったようなチャラビは、果たしてイラクでも全く人望もなく、ラムズフェルドらがイラク新政権の首班に置こうとしたのも当然のように失敗しました。かくしてブッシュ政権ネオコン一派が夢見た「新イラク」は破綻し、そのゴタゴタを縫って「イスラム国」という化け物が誕生したのです。

その責任の一端にチャラビがいます。そしてもう一端にラムズフェルドらがいる。チャラビは暗殺もされかけましたが結局は自宅のベッドの上で病死しました。そしてイラク戦争の「戦犯」と批判されるラムズフェルドは安倍政権からは旭日大綬章を贈られるのです。

October 15, 2015

一億総活躍

第三次安倍改造内閣の目玉ポストと位置付けられている「一億総活躍」担当相とはいったい何なのか、海外メディアが説明に困っています。ウォールストリート・ジャーナルはこれを有名な映画の題に掛けて「ロスト・イン・トランスレーション」と見出しを打って説明しています。

そもそも「一億総ナントカ」というのは日本語でこそ聞き慣れてはいますが、外国語においては熟語ではないのでどう呼ぶのか思案にくれるわけでしょう。アベノミクスの「新3本の矢」を強力に推進していくというのですが、「強い経済」なら経済再生相、「子育て支援」と「社会保障」なら厚労相とどう違うのかもよくわからない。そんな内容以前にまずはそのネーミングをどう翻訳するかもわからない、というわけです。

WSJ紙はまず直訳を試みます。「All 100 Million(一億総)Taking Active Parts(積極参加)」。ところが「ワン・ハンドレッド・ミリオン」が日本国民のことだとは普通はわかりません。「アクティヴ・パーツ」は何への参加なのかもわからない。

そこで米国の通信社であるAP電の表記を引いてみます。するとAPは「一億」の部分の翻訳を諦めていて、で、「経済を強化し出生率を増やすことで人口を安定させ国家が浮揚し続けることができるようにする大臣」としていました。

これでは長すぎて話になりません。ではその内容をよく知っている日本の新聞の英字版はどうなんだろうと、そちらを当たってみます。すると毎日新聞は「minister to promote '100 million active people'」(一億の活動的な国民をプロモートする大臣)。読売は「promoting dynamic engagement of all citizens」(全市民のダイナミックな参画を推し進める)。ジャパンタイムズは、これまた長いですが「minister in charge of building a society in which all 100 million people can play an active role」(一億国民全員が積極的役割を担えるような社会を建設する担当大臣)。

ところがロイター電はちょっと違っていました。一応の説明をした後で安倍首相の「一億総〜」のスローガンを「戦時中のプロパガンダの不気味な残響」と注釈したのです。そうです、あの「一億総特攻」とか「一億総玉砕」「一億総懺悔」です。

そもそも「一億総〜」というネーミングはこれまで、戦中のプロパガンダへの反省や揶揄を込めて「一億総白痴化」だとか「一億総中流」だとかといった、何らかの恥ずかしさを伴った批評の文脈でしか使われてきませんでした。

そもそも「一億総〜」というネーミングは、戦後70年かけて培ってきた、一人一人が違っていいのだという成熟した民主社会とは真逆の呼びかけです。「神は細部に宿る」というせっかくの気づきを台無しにするベタ塗りの文化です。

そういえば「行きすぎた個人主義」だとか「利己的」だとかは安倍政権周辺の人たちが最も好む、パタン化した非難のフレーズです。「一億総〜」というのは確かに「個」ではなく「全体」を重視する発想ですしね。

そんなことを考えていたらある人から「一億総活躍」にピッタリの英語熟語があると言われました。「ナショナル・モービライゼーション National Mobilization」。国家国民を(National)全て動かすこと(Mobilization)、はい、すなわち日本語の熟語で言うところの「国家総動員」という言葉です。

ちなみにこの新大臣に任命された安倍首相の右腕、加藤勝信衆院議員は「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」などの政府批判メディア弾圧発言が相次いだ自民党「文化芸術懇話会」の顧問格でした。

一億総活躍

第三次安倍改造内閣の目玉ポストと位置付けられている「一億総活躍」担当相とはいったい何なのか、海外メディアが説明に困っています。ウォールストリート・ジャーナルはこれを有名な映画の題に掛けて「ロスト・イン・トランスレーション」と見出しを打って説明しています。

そもそも「一億総ナントカ」というのは日本語でこそ聞き慣れてはいますが、外国語においては熟語ではないのでどう呼ぶのか思案にくれるわけでしょう。アベノミクスの「新3本の矢」を強力に推進していくというのですが、「強い経済」なら経済再生相、「子育て支援」と「社会保障」なら厚労相とどう違うのかもよくわからない。そんな内容以前にまずはそのネーミングをどう翻訳するかもわからない、というわけです。

WSJ紙はまず直訳を試みます。「All 100 Million(一億総)Taking Active Parts(積極参加)」。ところが「ワン・ハンドレッド・ミリオン」が日本国民のことだとは普通はわかりません。「アクティヴ・パーツ」は何への参加なのかもわからない。

そこで米国の通信社であるAP電の表記を引いてみます。するとAPは「一億」の部分の翻訳を諦めていて、で、「経済を強化し出生率を増やすことで人口を安定させ国家が浮揚し続けることができるようにする大臣」としていました。

これでは長すぎて話になりません。ではその内容をよく知っている日本の新聞の英字版はどうなんだろうと、そちらを当たってみます。すると毎日新聞は「minister to promote '100 million active people'」(一億の活動的な国民をプロモートする大臣)。読売は「promoting dynamic engagement of all citizens」(全市民のダイナミックな参画を推し進める)。ジャパンタイムズは、これまた長いですが「minister in charge of building a society in which all 100 million people can play an active role」(一億国民全員が積極的役割を担えるような社会を建設する担当大臣)。

ところがロイター電はちょっと違っていました。一応の説明をした後で安倍首相の「一億総〜」のスローガンを「戦時中のプロパガンダの不気味な残響」と注釈したのです。そうです、あの「一億総特攻」とか「一億総玉砕」「一億総懺悔」です。

そもそも「一億総〜」というネーミングはこれまで、戦中のプロパガンダへの反省や揶揄を込めて「一億総白痴化」だとか「一億総中流」だとかといった、何らかの恥ずかしさを伴った批評の文脈でしか使われてきませんでした。

そもそも「一億総〜」というネーミングは、戦後70年かけて培ってきた、一人一人が違っていいのだという成熟した民主社会とは真逆の呼びかけです。「神は細部に宿る」というせっかくの気づきを台無しにするベタ塗りの文化です。

そういえば「行きすぎた個人主義」だとか「利己的」だとかは安倍政権周辺の人たちが最も好む、パタン化した非難のフレーズです。「一億総〜」というのは確かに「個」ではなく「全体」を重視する発想ですしね。

そんなことを考えていたらある人から「一億総活躍」にピッタリの英語熟語があると言われました。「ナショナル・モービライゼーション National Mobilization」。国家国民を(National)全て動かすこと(Mobilization)、はい、すなわち日本語の熟語で言うところの「国家総動員」という言葉です。

ちなみにこの新大臣に任命された安倍首相の右腕、加藤勝信衆院議員は「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」などの政府批判メディア弾圧発言が相次いだ自民党「文化芸術懇話会」の顧問格でした。

June 26, 2015

アメリカが同性婚を容認した日

2015年6月26日、連邦最高裁が同性婚を禁止していたオハイオ州など4州の州法を、法の下での平等を保障する連邦憲法修正14条違反と断じました。これで一気に全米で同性婚が合法となったのです。

聖書によって建国されたアメリカには戸惑いも渦巻いています。28日に全米各地で行われた性的少数者のプライド・パレードにも眉をひそめる人が少なからずいます。その「嫌悪」はどこから来るのでしょう? そしてアメリカはその嫌悪にどう片を付けようとしているのでしょう?

それを考えるには、1973年、1993年、2003年、2013年という節目を振り返ると良いと思います。

▼それは22年前のハワイで始まった

じつは「法の下での平等」というのは1993年にハワイ州の裁判所が全米で初めて同性婚を認めた時にも使われた論理です。ところがそれは当時、州議会や連邦政府に阻まれて頓挫します。それから22年、今回の連邦最高裁の判断までに何が変わったのでしょう?

これを知るには46年前に遡らねばなりません。69年6月28日にビレッジの「ストーンウォール・イン」というゲイバーで暴動が起きました。警察の摘発を受けて当時の顧客たちが一斉に反乱を起こしたのです。

そのころのゲイたちは「性的倒錯者」でした。三日三晩も続いたそんな大暴動も、新聞記事になったのは1週間経ってからです。それは報道に値しない「倒錯者」たちの騒ぎだったからです。

▼倒錯じゃなくなった同性愛

ところがその4年後の1973年、アメリカの精神医学会が「同性愛は精神障害ではない」と決議しました。同性愛は「異常」でも「倒錯」でももなくなった。では何なのか? 単に「性的には少数だが、他は同じ人間」なのだ、という考え方の始まりです。

その20年後の1993年には世界保健機関(WHO)が「同性愛は治療の対象にならない」と宣言しました。これで世界的に流れは加速します。ハワイが同性婚容認を打ち出したのもこの年です。

そして2000年以降オランダやベルギーなど欧州勢が続々と同性婚を合法化し始めました。

▼犯罪でもなくなった同性愛

そんな中、アメリカ連邦最高裁が歴史的な判断を下します。2003年6月26日、13州で残っていた同性愛性行為を犯罪とするソドミー法を、プライバシー侵害だとして違憲と断じたのです。これでマサチューセッツ州が同年、同性婚を合法と決めたのでした。

しかし2州目はなかなか現れませんでした。それが変わったのが2008年です。オバマ大統領が選ばれた年です。その原動力だった若い世代が世論を作り始めていました。

彼らの世代は性的少数者が普通にカミングアウトし、「異常者」ではない生身のゲイたちを十全に知るようになった世代でした。結果、2013年には「自分の周囲の親しい友人や家族親戚にLGBTの人がいる」と答える人が57%、同性婚を支持する人が55%という状況を作り出したのです。

▼だから法の下での平等

その年の2013年6月26日に再び連邦最高裁は画期的な憲法判断をします。連邦議会が1996年に決めた「結婚は男女に限る」とした結婚防衛法への違憲判断です。そして2年後の先週6月26日、さらに踏み込んで同性婚を禁止する州法自体が違憲だと宣言したわけです。

結論はこうです。1993年時点では、そしてそれ以前から、同性愛者は「法の下での平等」に値しない犯罪者であり精神異常者でした。それがいま、「法の下での平等」が当然の「普通の」人間だと考えられるようになったのです。人々の考え方の方が変わったのです。

ところで1973、1993、2003、2013年と「3」の付く年に節目があったことがわかりましたが、途中、1983年が抜けているのに気がつきましたか? そこに節目はなかったのでしょうか?

じつは1980年代は、その10年がすべての節目だったのです。何か? それはまるごとエイズとの戦いの時代だったのです。同性愛者たちは当時、エイズという時代の病を通じて、差別や偏見と真正面から戦っていた。その10年がなければ、その後の性的少数者たちの全人格的な人権運動は形を変えていたと思っています。

興味深いのは昨今の日本での報道です。性的少数者に関する報道がこの1〜2年で格段に増えました。かつて「ストーンウォールの暴動」が時間差で報道されたように、日本でもやっと「報道の意義のある問題」に変わってきたということなのかもしれません。

May 07, 2015

あめりか万歳!

安倍首相の米国訪問が終わりました。こちらではボルチモア暴動やネパール大地震が連日ニュースを占めていて、安倍関連はちょっとしか報道されていませんでしたね。日本のどこかの新聞が書いていたように「異例の歓待」とか「高い評価」とはちょっと違ったように思います。

上下両院合同会議での演説も、いろいろと反応を聞いていくと(1)米国にとっては非常に納得できるものだったでしょう。軍国主義者だと聞いていたがアメリカ留学の経験も話していたしアメリカが好きだと言っていたし、新ガイドラインとやらで自衛隊が出てきてくれるそうだし米国の安全保障にも100%の協力と貢献をすると言っていたし、これだけカモネギというかお土産抱えてわざわざこっちまでやってきてくれて、「なんだ、思ってたのと違って結構ナイスガイじゃないか」という印象で、大合格点だったようです。

報道のされ方もあって(2)日本国内での受け取られ方も大方はそうだったようですね。演説も全部英語で頑張ったしスタンディング・オベーションとやらが10回以上あったそうだし(3月のネタニヤフの時は23回ありましたが)、アメリカさんがそうやって喜んでくれていたんだから及第点。ただし米国ヨイショの度合いがちょいと過ぎて、そこがワザと臭いと思われなかったか心配。

一方で普段から安倍の家父長主義ぶりを警戒している(3)日米欧の監視層(これにはNYタイムズやワシントンポスト、英ガーディアンやBBCなどの報道機関も含まれます)には、慰安婦問題では謝罪も回避して女性の人権問題という一般論でごまかすし、国会審議も経ずに安保法制の今夏成立を国際公約してしまうし、さりげなく戦犯だった祖父・岸信介の名誉回復は図るし、許せない詭弁演説だったという感じでしょうか。おまけに日頃から英語で苦労して他人にも厳しい日本人の耳には、ブツ切れの単語と結語で高揚するあの英語(デモォークラシイイイとかリスポォン・・シビリテイイとか)はかなり恥ずかしいとクソミソでした。

もっとも安倍政権はこの演説を(1)の米国向けに行ったのであって(3)の批判層の歓心を買おう、汚名を濯ごうと思って用意したわけではなかったわけです。つまり(3)は相手にしていないのですから苦虫を噛み潰すのは当然。(1)の歓心を買うことが目的だったと思えば、歯が浮くようなアメリカ万歳でもオッケーだった──そういうことなのです。

ただ、演説でアベとエイブ・リンカーンとの近似を示唆したり(慰安婦が「性奴隷」だと言われてる時にですよ)、会見ではキング牧師の「I Have A Dream」を文脈を無視して引用したり(ボルチモアで黒人層がこれは「夢の未来」ではないと抗議してる時にですよ)、そういうセンスはかなり危なかったしジョークもなんだか滑ってたし。そもそも議員たちは事前配布の手元のスクリプトに目を落とさねばあのブツ切り英語はよく聞き取れなかったのだと思います。

じつはオバマの安倍への態度や会話も、よく観察すると心なしか終始硬かった、というか、なんだか素っ気ないというか、はっきり言えば軽蔑した相手への態度のようだったのですよ。日本政府が異様にこだわるファーストネーム呼称もすぐ忘れたし会見中は体の向きが外向きで、安倍首相の方へは向かないし。それに普通、共同記者会見した後は後ろ向いて去りながらも会話したりするもんなんですが、オバマはぜんぜん話しかけてなかったですもんね。笑顔が笑ってなかったんですよ。

その辺、行動心理学者に見せたら面白いだろうに、日本のテレビはどこもそんなことはしなかったです。きっと大歓迎だったと頭から信じているからでしょう。それはまあ、あれだけの「お土産」ですからねえ、失礼な対応はしませんでしたが……。

私が気になったのは1つ、安倍がオバマとの共同記者会見で指摘した「レッテル貼り」の批判というか例の「言い返し」台詞です。60年の安保改定の時に「戦争に巻き込まれる」というレッテル貼りが行われたが、それは間違いだったことは(戦争に巻き込まれなかった)歴史が証明している、と安倍は言っていました。しかしその戦争を防いだのは平和憲法でしたし、それを変えようとしてるのが安倍政権だという矛盾はどう考えればよいのでしょう。

戦後日本に山羊や羊を何千頭も贈ってくれた米国、民主主義のチャンピオンたる大使を次々と送り込んでくれた米国。それを褒め称えながら、民主主義の本当のチャンピオンたる「憲法」だけは「押しつけられた」と言うのは、「矛盾」というよりも「二枚舌」と呼ぶべきです。「賞賛」というより「面従腹背」というべきなのです。口では何とでも言っていいんだ、とこの人は思っているのだということなのです。

April 28, 2015

舌をまくほどにお見事!

日米の防衛協力ガイドラインが18年ぶりに改定されました。とはいえこれは国会で話し合われたわけでもなく、今回の安倍訪米に合わせてバタバタと日米両政府間で合意したのです。これで自衛隊は「周辺事態」を越えて世界規模で活動することができるようになる。集団的自衛権容認の閣議決定からこの方、安倍政権は思うがままに日本を変えています。

「え? オバマ政権ってそういう日本の軍事拡大を警戒してたんじゃないの?」と思う人もいるでしょう。

オバマ政権だけでなく欧米諸国およびその報道メディアはいまでも安倍首相の国家主義的な歴史認識を懸念しています。なぜなら彼の歴史修正の方向性は(「イスラム国」と同類の)第二次大戦以降の国際秩序への挑戦だからです。

NYタイムズは安倍訪米に先立って論説室の名前で今回の訪米の成否は「首相が戦争の歴史を直視しているかどうかにかかっている」と断言し、さらに別の記事でも「政府による報道機関の政権批判抑え込みが功を奏している」と批判の度合いを高めています。フォーブス誌に至っては首相の上下両院合同会議での演説はカネで買ったようなもんだというコラムを掲載するし、ウォールストリート・ジャーナルも首相は「歴史に関する彼の見解がかき立てた疑念」を抑止する必要があると指摘しました。英ガーディアンも安倍演説に先立ち「日本の戦時の幽霊がまだ漂っている」と警告していたのです。

けれど、安倍訪米団の最初の仕事であった防衛協力ガイドライン合意の際の相手方、ケリー国務長官の満面の笑みは、まるでそんな懸念など関係ないかのようでした。なぜか?

ちょっとおさらいしましょう。

オバマ政権はアフガン・イラク戦争からの撤退で「世界の警察」の地位から下りることを志向しました。これは何度も書いてきたことです。何千人もの若者たちの命と何億ドルもの軍事費を費やしても地域紛争は果てることなく続き、米国の介入が逆に恨みを買うことも少なくない。ならばその地域の安全保障はその地域で担ってもらおう、という方向転換でした。その中に「東アジア・太平洋地区のリバランス」というものも含まれています。

ここに安倍政権は乗ってきた。取り直しの形で登場してきた第二次安倍政権は、第一次で手もつけられずに退陣した悔しさからか平和憲法の改変と「美しい国」という家父長制国家の復活を明確に押し出してきました。しかしそれは2013年12月、靖国参拝を敢行することで米国の異例の「失望」表明を招き、失敗します。なぜなら日本の存在する東アジア「地域」では、それが中国と韓国を挑発して却って「地域」の安全保障を毀損するからでした。それはリバランスの目論見も崩れて米国の方針に叶わなかったからです。

そこで安倍政権は軌道修正をしました。靖国は参拝しない。ハドソン研究所での演説のような「私を軍国主義者と呼びたければどうぞ」的な無用な国粋主義発言も控える。今回の訪米での厚遇を目指して、安倍政権はこの1年ひたすら米国の歓心を買うためにそうやって数々の布石を打ってきたのです。

昨年7月の集団的自衛権の容認も米国支援を名目に憲法の実質的改変を含んで一石二鳥でした。従軍慰安婦問題については「人身売買」だったとの表現で主語を曖昧にしたまま反省の雰囲気を醸し出しました。先日のバンドン会議では中国の習近平主席と2度目の会談を実現させて「地域」の緊張緩和を演出し、「侵略戦争はいけない」という、これまた主語の違う一般論で先の大戦を反省したような演説も行った。

米政権が懸念するのは米国の安全保障政策に則らない他国の軍事拡大です。その意味で安倍政権は、中国の海洋進出などの脅威増大を背景に実に周到に米国に取り入った。これだけ上げ膳据え膳の「お土産」をもらって喜ばない政府はないし、その菓子箱の底に首相の恣意的な理想国家実現のプロジェクトを忍び込ませたわけです。

なんとも舌を巻くほどに見事な権謀術数ではないですか。

February 03, 2015

「あらゆる手段」って……

もう40年以上もニューヨークに住む尊敬する友人から電話がかかってきて「ねえ、教えて。安倍さんはどうして海外で働いている私たちを危険にさらすような演説をしたの? 最後の一人まで助けるとか言っておいて何もできないなら、何のための政府なの? 私たちは平和を貫く日本人だったのに、これからはテロや誘拐の対象になったの?」と聞かれました。それは私の問いでもあります。

安倍首相のエジプトでの2億ドル支援声明の文言が拙かったことは2つ前のこのブログ「原理には原理を」で紹介しました。日本人人質の2人が「イスラム国」の持ち駒になっていて、この犯罪者集団がその駒を使う最も有効なタイミングと大義名分を探っていた時にまんまとそれらを与えてしまった。そのカイロ演説がいかに拙かったかは、首相自身と外務省が自覚しているのです。なぜなら人質発覚後のイスラエル演説の語調がまるで違っていたからです。「イスラム国」の名指しは最初の呼びかけだけ。あとは「過激勢力」という間接表現。内容も日本の平和主義を前面に押し出したきわめて真っ当でまっすぐなもの。カイロ演説の勇ましさが呼び水だったと自覚していなければ、なぜこうも変わったのか。逆にいえば、なぜ初めからそういう演説をしなかったのか。

そして後藤さんも殺害されてしまいました。3日の国会で、安倍首相は「中東での演説が2人の身に危険を及ぼすのではないかという認識はあったのか?」と問われ「いたずらに刺激することは避けなければいけないが、同時にテロリストに過度に気配りする必要はない」と答弁しました。テロリストへの気配りなんか言っていません。「人質の命」への気配りでしょうに、この人は自分の保身のためにはこんな冷酷なすり替えをするのです。こんな時の答弁くらいもっと正面から堂々ときちんと誠実に答えたらどうなのでしょう。

おまけに言うに事欠いて「ご質問はまるでISILに対してですね、批判をしてはならないような印象を我々は受けるわけでありまして、それは正にテロリストに私は屈することになるんだろうと、こう思うわけであります」。この人は批判や疑義をかわすためならそんな愚劣な詭弁を弄する。

まだあります。安倍首相は後藤さん殺害を受けての声明で事務方が用意した「テロリストたちを決して許さない」との文言に「その罪を償わせる」と書き加えたのだそうです。

以前からこの人の言い返し癖、勇ましさの演出に危惧を表明してきましたが、この文言はCNNやNYタイムズなどでは「報復/復讐する」と紹介されています。NYタイムズの見出しは「Departing From Japan’s Pacifism, Shinzo Abe Vows Revenge for Killings(日本の平和主義から離れて、シンゾー・アベ 殺害の報復を誓う)」でした。それは日本政府として抗議したんでしょうか? 抗議してもシンゾー・アベの政治的言語の文脈ではそういう意味として明確に英訳した」と言われるのがオチでしょうが。

平和主義のはずの日本がなんとも情けない言われ様ですが、これはつまり平和憲法を変えてもいないのに、戦後日本の一貫した平和外交も変えてないのに、一内閣の一総理の積極的「解釈」変更と各種の演説によって、日本は世界に向けた「平和国家」という70年間の老舗看板を、勝手に降ろされてしまっているということなのでしょうか?

早くも政府は閣議で、今回の人質事件では「あらゆる手段を講じてきた。適切だった」との答弁書を決めたそうです。一方で菅官房長官は「イスラム国」は「テロ集団なので接触できる状況でなかった」とも明かしました。接触もできなかったのに「あらゆる手段を講じた」? 例えば接触して人質解放を成功させたフランス経由も試さなかった? つまり「イスラム国」のあの時の突然の要求変更は、2億ドルの身代金云々を告げたのに日本政府がぜんぜん何も接触してこなかったので、詮無く交渉相手をヨルダンに変えた、ということだったでしょうか? つまり初めから後藤さんらを救うための交渉などしてこなかったということなのでしょうか?

それを裏打ちするように、これも3日の参院予算委で岸田外相が、2人の拘束動画が公開された1月20日まで、在ヨルダン日本大使館に置いた現地対策本部の人員を増員していなかったことをしぶしぶ明らかにしました。つまり昨年8月の湯川さん拘束後の5カ月間、後藤さん拘束が発覚した11月になっても、現地はなにも対応を変えなかった。こういうのを「あらゆる手段を講じてきた」と言うのでしょうか?

冒頭に紹介した友人の「最後の一人まで助けるとか言っておいて何もできないなら、何のための政府なの?」という切実な問いに、いまの私は答えを知りません。

January 27, 2015

素晴らしい日本

湯川さんが殺害され、後藤さんの解放が焦眉の急となっている状況で、欧米のメディアが日本人社会の不可解さに戸惑っています。再び登場した「自己責任」社会の冷たさや、2人の拘束されている画像を面白おかしくコラージュ加工したものがツイッター上に多く出回っているからです。

ワシントンポストなどは「自己責任」論に関して04年のイラク日本人人質事件に遡って解説し、あの時の人質の3人は「捕らえられていた時より日本に帰ってきてからのストレスの方がひどかった」という当時の担当精神科医の言葉なども紹介しています。タイム誌は今回の事件でもソーシャルメディア上で溢れる非同情的なコメントの傾向を取り上げ、ロイター電は「それらは標準的な西洋の反応とは決定的な違いをさらけ出している」としています。

確かに米国でも「イスラム国」に人質に取られたジャーナリストらの拘束映像が放送されました。しかしどこにも自己責任論は見られませんでしたし、ましてや彼らをネタに笑うようなことは、少なくとも公の場ではありませんでした。そんなものがあったら社会のあちこちで徹底的に口々に糾弾されるでしょう。80年代にあった「政治的正しさ(PC)」の社会運動は、批判もあるけれどこういうところで社会的な下支えとしてきっちりと共有され機能しているのだなあと改めて感じます。

ちなみに「自己責任」に直接対応する英単語もありません。それを「self-responsibility」とする訳語も散見されますが、英語では普通は言わないようです。また、後藤さんのお母様が記者会見で最初に「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝ったことも欧米ではあまり理解できない。そもそも悪いのは「イスラム国」であって「息子」たちではない。

日本語の分かる欧米人は「自己責任」と聞くと「自分の行動に責任を持つ」という自身の覚悟のニュアンスとして、つまり立派なものとして受け止めるようです。でもそれをもし他者を責める言葉として使うならば、それは「It's your own fault」や「You were asking for it」というふうに言う。つまり日本で今使われる「自己責任」とはまさに「自業自得」という切り捨ての表出でしかないのですね。

2人の拘束画像を茶化すようなツイッター画像の連投は「#ISISクソコラグランプリ」つまり「クソみたいなコラージュ」という意味のタグを付けられて拡散しています。例えば拘束の後藤さんと湯川さんの顔がアニメのキャラクターやロボットの顔にすげ替えられているものや、黒づくめの「イスラム国」男が逆に捕らわれているように入れ替えられているもの、その男がナイフをかざしているのでまるで料理をしているように背景を台所に加工しているもの、と、それはそれは多種多様です。外電によればそんなパロディ画像の1つは投稿後7時間でリツイートが7700回、お気に入りが5000回という人気ぶりだったそうです。

こういう現象に対し「人が殺されようというときになぜそんなおふざけができるのか?」「日本人ってもっと思いやり深く優しい人たちじゃなかったのか?」という反応は当然起こるでしょう。

もっともこれを「アニメ文化の日本の若者たちらしい」「イスラム国を徹底的におちょくるという別の戦い方だ」と見た欧米メディアもありました。しかしそれはあまりに穿った見方だと思います。これらの投稿のハシャギぶりは、実際には「イスラム国」への挑発でしかなく、「イスラム国」関係者とみられるあるツイッターのアカウントは「日本人は実に楽観的だな。5800km(おそらく8500kmの誤記)離れているから安全だと思うな。我々の兵士はどこにでもいる」と呆れ、「この2人の首が落とされた後でお前たちがどんな顔をするか見てみたいものだ」と返事をしてきたのです。

「日本は素晴らしい国だ、凄い国だ!」と叫ぶネトウヨ連中に限ってこういうときに「自己責任だ」として他人を切り捨て、嘲り、断罪する。そういう日本は素晴らしいのでしょうか? それは自己矛盾です。そうではなく、「日本を素晴らしい国、凄い国にしたい」という不断の思いをこそ持ち続けたいのです。

January 21, 2015

原理には原理を

「イスラム国」が2億ドルの身代金を払わねば人質の日本人2人を殺害すると予告した事件は米国でも波紋を広げています。米国ではすでにジャーナリストら3人が容赦なく斬首されていて、この件で私に話しかけてきた友人たちも、2人の運命がすでに決まっているかのように「アイ・アム・ソーリー」と言うばかりでした。

米政府はこれまで交渉を表向き全く拒否して空爆を強化してきました。「それが功を奏しつつあってISIL(イスラム国)は追い込まれている」とも発表されたばかりでした。20日のオバマ大統領の一般教書演説でも「イスラム国」の壊滅を目指し、国際社会で主導的な役割を果たすとの決意表明がありました。

交渉しない代わりに、諜報力でどこに拠点があるのか割り出し、そこを急襲して人質を救出するという作戦も行われています。ところが失敗して、昨年12月には数日中に解放予定だった英国人人質を殺させてしまったこともある。

そういうのがアメリカのやり方です。まるでハリウッド映画です。そうじゃない世界の可能性というものはないのか? アメリカ式ではない別の道はないのでしょうか?

今回、拉致されているジャーナリストの後藤さんはシリアに入る際に「日本はイスラム国と直接戦っていない。だから殺されることはないだろう」と語っていました。しかし、安倍首相はエジプトでの記者会見で「イスラム国対策2億ドル支援」を勇ましく表明しました。曰く「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止める」「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドル程度支援をお約束」。

ところが人質殺害予告後のイスラエルでの会見はもっぱら「非軍事的な人道支援」を強調した内容で、「イスラム国」を刺激しないためか一転して名指しすらせずもっぱら「過激主義」とのみ呼んでいました。

私はイスラエルでの会見はとてもバランスのとれた、平和主義日本の立場をよく説明した声明だと思いました。それは日本憲法の前文と9条の精神を下地にしたもののようでした。「イスラム国」に対し「何を言っているのだ。日本は困っている人々に手を差し伸べる国家なのだ。2億ドルはそういう支援だ。そんな私たちの国民を殺害するなどイスラム法に則っても正義はない」と正面から啖呵を切れる論理だったと思えたのです。

ここに疑問が湧きます。エジプトでの声明とイスラエルでの声明との間にある明らかな語の選択と語調の差。それこそが安倍外交の齟齬、外務省の失敗の自覚なのではないか? エジプト声明での自慢気さに「拙い」と気づいての慌てての語調変更。

私は「イスラム国」には対抗すべきだと思っているし、「わざわざ標的になるような余計なことは言うな」とは思いません。ただ、彼らの原理主義への対峙は、米国追従やハリウッド的なテロ絶対悪説ではなく、もっと根源的な別の人間原理に基づくべきだと思っています。その原理とはまさに憲法前文と9条と民主主義による真正面からの反撃のことなのだと思うのです。そしてそれこそが、ハリウッド式ではない、世界のもう一つの在り方なのだ、ということなのです。

そんなことを言うとまた「平和ボケのお前が9条を掲げてシリアに入って、おめでたい人質救出交渉でもしてこい」とか「北朝鮮や領土問題の中国や韓国にも同じこと言えるのか」と言う人が現れます。はいはい、でも私が話しているのはそういうその場その場での対処方法の話なんかじゃないんです。

83年からパキスタンやアフガニスタンで戦火の中でも医療活動や水源確保・農業支援活動を続けてきた中村哲さんが毎日新聞の取材に答えて次のように語っています。

「単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」

平和憲法を平和ボケだとかお題目唱えてろとか言う人たちは、そんな中村さんたちの、現場の切実な安心感はわからんのでしょうね。

January 19, 2015

運動としての「表現の自由」

仏風刺誌「シャルリ・エブド」襲撃事件はその後「表現の自由」と「自由の限度」という論議に発展して世界中で双方の抗議が拡大しています。シャルリ・エブドの風刺画がいくらひどいからといってテロ殺人の標的になるのが許されるはずもないが、一方でいくら表現の自由といっても「神を冒涜する権利」などには「自由」は当てはまらない、という論議です。

私たちはアメリカでもつい最近同じことを経験しました。北朝鮮の金正恩第一書記をソニーの映画「ジ・インタビュー」が徹底的におちょくって果てはミサイルでその本人を爆殺してしまう。それに対してもしこれがオバマ大統領をおちょくり倒してついには爆殺するような映画だったら米国民は許すのか、というわけです。

日本が風刺対象になることもあります。最近では福島の東電原発事故に関して手が3本という奇形の相撲取りが登場した風刺画に大きな抗議が上がりました。数年前には英BBCのクイズ番組を司会していたスティーヴン・フライが、「世界一運が悪い男」として紹介した広島・長崎の二重被爆者の男性の「幸福」について「2010年に93歳で亡くなっている。ずいぶん長生きだったから、それほど不運だったとも言えないね」と話したところ在英邦人から抗議が出てBBCが謝罪しました。

シャルリ・エブドの事件のきっかけとなった問題は、風刺の伝統に寛容なフランス国内でも意見は分かれるようです。18日に報じられた世論調査結果では、イスラム教預言者ムハンマドを描写した風刺画の掲載については42%が反対でした。もっとも、イスラム教徒の反対で掲載が妨げられてはならないとの回答は57%ありましたが。

宗教批判や風刺の難しさは、その権威や権力を相手にしているのに、実際には権威や権力を持たない市井の信者がまるで自分が批判されたかのように打ちのめされることです。そして肝心の宗教そのものはビクともしていない。

でも私は、論理的に考え詰めれば「表現の自由に限度はない」という結論に達せざるを得ないと思っています。何が表現できて、何が表現できないか。それはあくまで言論によって選択淘汰されるべき事柄だと思います。そうでなくては必然的に権力が法的な介入を行うことになる。つまり風刺や批評の第一対象であるべきその時々の権力が、その時々の風刺や批評の善悪を決めることになります。自らへの批判を歓迎する太っ腹で寛容で公正な「王様」でない限り、それは必ず圧力として機能し、同時にナチスの優生学と同じ思想をばら撒くことになります。

もちろん、表現の自由の限度を超えると思われるようなものがあったらそれは「表現の自由の限度を超えている」と表現できる社会でなければなりません。そしてその限度の境界線は、その時々の言論のせめぎ合いによってのみ決まり、しかもそれは運動であって固定はしない。なので表現の自由とその限度に関する議論は止むことはなく、だからこそ自ずから切磋琢磨する言論社会を構成してゆく、そんな状態が理想だと思っています。

ヨーロッパというのは宗教から離れることで民主主義社会を形成してきました。青山学院大学客員教授の岩渕潤子さんによると「ヴァチカンが強大な権力を持っていた時代、聖書の現代語訳を出版しようとしただけで捉えられ、処刑された。だからこそヨーロッパ人にとってカトリック以外の信教の自由、そのための宗教を批判する権利、神を信じない権利は闘いの末に勝ち取った市民の権利だった」そうです。

対してアメリカは宗教とともに民主主義を培ってきた国で、キリスト教の権威はタブーに近い。しかしそれにしても市民社会の成立は「神」への永遠の「質問」によって培われてきたし、信仰や宗教に関係するヘイトスピーチ(偏見や憎悪に基づく様々なマイノリティへの差別や排斥の表現)も世界の多くの国々で禁止されているにもかかわらず「表現の自由」の下で法的には規制されていず、あくまでも社会的な抗議や制裁によって制御される仕組みです。もちろんそれが「スピーチ(表現)」から社会的行動に転じた場合は、「ヘイトクライム(偏見や憎悪に基づく様々なマイノリティへの犯罪行為)」として連邦法が登場する重罪と位置付けられてもいるのです。いわば、ヘイトスピーチはそうやって間接的には抑圧されているとも言えますが。

「表現の自由」の言論的な規範は、歴史的にみればそれは80年代の「政治的正しさ(PC)」の社会運動でより強固かつ広範なものになりました。このPC運動に対する批判もまた自由に成立するという事実もまた、根底に「正しさ」への「真の正しさ」による疑義と希求があるほどに社会的・思想的な基盤になっています。

でもここでこんな話をしていても、サザンの桑田佳祐が紅白でチョビ髭つけてダレかさんをおちょくっただけで謝罪に追い込まれ、何が卑猥かなどという最低限の自由を国民ではなく官憲が決めるようなどこぞの社会では、何を言っても空しいままなのですが。

December 23, 2014

クーバ・リブレ!

キューバとの国交正常化に向けてのホワイトハウスの動きには驚かされました。どの報道機関もスクープできなかった「青天の霹靂」でしたが、じつは昨年6月ごろからオバマ政権とカナダ、さらに仲介役としてこれ以上は望むべくもないローマ法皇庁のあいだで水面下の交渉が行われていたようです。オバマは大統領就任以前からキューバとの問題を解決したいと意欲的でしたし、そこに昨年3月、国際問題でも平和と公正を訴えて積極的にコミットする人物が法王になった。下準備を経て今年2月のオバマ・フランシスコ会談ではこの問題が内密に直接話し合われたといいます。

20年前にキューバに訪れたことがあります。ちょうどソ連崩壊でサトウキビと石油とのものすごい好条件のバーター貿易体制が崩壊した後で、この社会主義の優等生国が困窮の配給制を実施、路上に初めて物乞いの子たちが立つようになっていたころでした。

キューバではフィデルとエルネストという名前の人がとても多い。それは59年のバチスタ政権打倒でカストロとゲバラが英雄となり、当時生まれた男の子に多く彼らの名前が付けられたせいです。20年前のキューバでは、そのフィデルとエルネストたちが経済危機と独裁の圧政でその自分の名祖を罵っていました。

もっともキューバは他の社会主義の(ジメジメしたり暗かったり寒かったりする)どの国とも雰囲気が違っていて、それはきっとあの南国の明るい空気とスペイン語の陽気な発音のせいなんじゃないかと思いました。首都ハバナは新市街と旧市街に分かれていて、ヘミングウェイの愛した旧市街のバーでクーバ・リブレ(「キューバに自由を!」という名前のラムとコーラとライムのカクテル)などを飲んでいると若いお兄ちゃんが手招きしてきました。何だと思って近寄ると、いいものがあると言って路地に連れて行かれます。そこでそのお兄ちゃん、おもむろにズボンのベルトを外し、腹からコヒーバの葉巻を取り出すのでした。

コヒーバやモンテクリストは世界最上等の葉巻銘柄で、禁輸のせいでアメリカでは絶対に手が入らない垂涎の的でした。それが随分と安い。葉巻工場で働いている友達がこの経済混乱の中、生活のために横流しして観光客から米ドルを稼いでいるのだと言います。もっとあると言うので付いていくとたしかに木箱に入った「工場直送葉巻」が山積みになっていました。葉巻なんか吸わなかったけれど2箱買うとその夜、そのお兄ちゃんは街の裏側を案内してくれました。

友達がカリブ海を渡ってアメリカにイカダで亡命したという若者の家にもこっそりと取材に行きました。お母さんは配給手帳を見せてくれて、芋とババナしか手に入らないとカストロのダメさ加減を激しく非難していました。親戚にもアメリカに逃げた人がおり、ドルを地下送金してくれるネットワークのことも聞きました。自分たちもいつか亡命したいと言っていましたが、彼らはいまどうしているのかなあ。

それでもカストロ体制は90年代をなんとか乗り切り、21世紀に入ってからは各種経済システムの自由化を実施して、最近ではエボラ禍の西アフリカに国家事業でもある医師団の大量派遣を行って面目を施していました、米国内でもついひと月ほど前、この国際貢献に免じて経済制裁の緩和という動きも報じられていたのです。

ところがその一方で今年の原油急落はキューバにも大きな影を落としていました。ソ連の代わりにキューバを支えていた産油国ベネズエラが経済破綻に直面し、それがキューバ経済に波及していたのです。ラウル・カストロ政権としてもオバマ政権のこの「太陽政策」は渡りに船だったはずです。

もちろん、カストロ革命で米国に亡命せざるを得なかった当時の既得権益層はいつかキューバを取り戻そうと復讐心に燃えていたのですが、このオバマの方針変更でカストロ体制が延命するとカンカンです。でも、亡命移民の二世、三世はむしろこれを歓迎している。共和党の有望株マルコ・ルビオ上院議員(42)はキューバ系で、国交回復反対の急先鋒ですが、それはむしろ世代的には少数派。オバマ民主党は、200万人近いこのキューバ系有権者の票勘定もしたはずです。それはフロリダ州での次期大統領選にも関係してくるし、フロリダのヒスパニック票がいまプエルト・リコ系の方が多いという事実も分析したはずなのです。

ところで、来年から上下両院で多数派となる共和党は国交再開のための予算執行や経済制裁解除で徹底拒否に回るでしょう。大使館の設置にしてもその建設費などは議会の承認を経ないと出てきませんから。そこでオバマとしては大統領令でできる細々としたことで先に既成事実を積み重ねてゆく、という算段でしょう。共和党としても反対一本槍では、150kmも離れていないカリブ海の隣国との関係として、果たしてどれだけ支持されるでしょうか。じじつ、日本と違って党議拘束などない米国議会では、この国交再開を歓迎している共和党議員も出ています。なにせ50年以上も経済制裁を続けて埒が開かなかったのは、転機を訴えるのによいタイミングだったのかもしれません。

それにしてもオバマは中間選挙での敗北を経て、逆にオバマらしさを打ち出してきて、レイムダックになるのをまったく感じさせません。まあそれも来年の議会との攻防を見なくては判断するに早いでしょうが。

December 09, 2014

戦場の狂気

ファーガソンからスタッテン島の事件まで、黒人に対する暴力警察への抗議が止みません。抗議マーチの人たちとダウンタウンを歩きながら、この人たちはこの社会は自分たちが作っているのだという思いがとても強いのだなと感じました。

これは「水戸黄門」を期待している人たちではありません。コミュニティから国家まで、問題には自分自身が立ち上がらねばと思う人たちです。そんな社会では「権利」の反対語は「義務」ではありません。「権利」の反対語は自分でやらねばという「責任」「責務」の気持ちなのでしょう。

警官側もじつはかつてのKKKのような差別意識丸出しの時代ではもうないのです。ただ、差別は意識していなくとも「黒人は恐い」という、無知の偏見と思い込みがある。なにせ奴隷時代から白人が抑圧者だった国です。彼らは白人に対して敵意を持っているはずだと先読みする。犯罪に対処する警官にとって、普段から警戒するに越したことはないのですから。

この「先読み」はそこでは「偏見」ではなく標準的な「事前警戒」として認識されます。警官はそうして予防的な正当防衛権を行使する。ブッシュ時代に広まったテロ危険国家に対する「予防的先制攻撃」の考え方と同じです。

黒人に対する「プロファイリング」も、人種偏見のバイアスがかかっていると問題になっています。こういう事件が続くとなおのこと、黒人にとっては警官が脅威です。だから逃げようとする。するとまた「止まれ!」と言われて発砲される。対して警官の方もだからいっそう慎重に取り締まる、とはなかなかならない。どうしてもいつ反撃に転じられるか戦々恐々となって、いっそう過剰に自分を守ろうとする。

それは実は戦場での心理です。イラク戦争から帰ってきた元海兵隊員ロス・カプーティーさんの証言があります。あの高遠菜穂子さんが日本各地で彼の講演会を開催して紹介しました。

「私の同僚はイラクでパトロール中、道端に立っている老人を発見し、武器を持っていると判断し即座に射殺しました。が、手にもっていたのはコーランでした」「ファルージャに入る直前に軍の弁護士から交戦規定に関して一度だけ説明があった。自分の身に危険を感じた時に規定を破っても正当防衛ということで軍が守ると言われた」「もし規定違反をしてしまったような場合は、とにかく『身の危険を感じたから』と言いなさいと言われた」

思えば、警官たちが立て続けに不起訴になっているのはこの戦場の論理です。周囲はみな敵かもしれないという疑心暗鬼。そして恐怖を盾にした過剰な暴力の発散。その典型例が1999年にニューヨークで起きたアマドゥ・ディアロさん射殺事件でした。

ディアロさんは自宅アパート前で職質に遭い、警官たちに動かないように言われたにも関わらずポケットに手を入れたために計41発も銃撃されて即死しました。警官4人が過剰防衛で裁判にかけられましたが全員無罪になりました──「41発」という狂気。ポケットには財布しか入っていなかったのに。

この悪循環を断ち切るにはシステムを変えるというハード面での規制も必要です。大統領が導入を発表した警官のボディカメラ装着はニューヨークではじき始まろうとしています。イラクやアフガンからの米軍撤退であぶれた軍用武器が払い下げられて警察の重武装化が進んでいるのも規制しなくてはなりません。警察自体の銃規制が必要なのです。とはいえ警官たちの心の中の、戦場の狂気こそが問題なのですが。

November 17, 2014

エボラ禍で私たちにできること

米国移送の最初のエボラ感染患者がニューヨークの病院から退院する一方で新たに搬送されたシエラレオネの医師が治療の甲斐なくネブラスカ州で死亡するなど、エボラ熱との戦いはまだ続いています。感染爆発の西アフリカでは死者5000人を超えました。

これから始まる新たな社会問題もあります。エボラで死んだ親の子供たちが、感染を恐れる親戚にも見放されて続々
と孤児になっているのだそうです。中でも死者が3000人近いリベリアでは孤児の数も4000-5000人いると見られています。ところが彼らを世話する孤児院がない。

その孤児院を建設しようと、1人の牧師さんがこの夏からニューヨークで資金集めに奮闘しています。首都モンロビアで最大のキリスト教区を持つサミュエル・リーブズ牧師です。

そもそもなぜリベリアで感染被害が多いかというと、リベリアは家族や友人をとても大切にする社会で、道で会っても話をするときでもいつもハグしたりキスしたり手を取り合ったりしているのだそうです。また家族が亡くなるとみんなでその遺体を拭き清める習慣もある。そんな温かい関係がかえってエボラ熱の接触感染を広める仇となったのです。

にもかかわらずエボラの恐怖と社会的スティグマは家族親族の関係を断ち切るほどに強い。私たちも知っているエイズ禍の時と同じです。

リーブズさん自身、9月の故国からの電話で、幼馴染の隣の教区の牧師さんがエボラで急死したという方を受け取りました。国の保険証の担当官と一緒に国内のエボラ患者の支援と救済に飛び回っている最中に自身もエボラに感染してしまったのだそうです。

リーブズ牧師はどうにか孤児たちを引き受ける孤児院を作りたいと奔走しています。全米の教会を回り資金集めに忙殺されていた9月には、幼なじみだった隣の教区の同僚牧師さんがエボラで急死したという電話連絡も受けました。リベリアの厚生省の担当者といっしょに国内各地を回って患者たちの世話をしていて感染したそうです。

リベリアはやっと内戦が終わり民主社会を建設中でした。それがまた壊滅的な打撃を受けています。その立て直しは孤児院の建設から始まると言うリーブズ牧師は、最終的に国内に15の院が必要になると話しています。その第一号の建設地はすでにシエラレオネとの国境沿いに国際支援でできた医療センターと高校施設との共同敷地があるそうです。

資金集めの目標は1000万ドル(10億円)。そこにニューヨークで40年活躍しているジャズマンの中村照夫さんが慈善コンサートで資金集めに協力することになりました。中村さんは日本のジャズ界の大きな賞である南里文雄賞の受賞者で、20年来、日米でエイズの啓発コンサートも続けてきた人です。

今年も12月1日(月)は世界エイズデーです。この日に「エイズからエボラへ」という持続的な社会啓発を謳って中村さん率いるライジングサン・バンドがブルックリン・パークスロープの「ShapeShifter Lab(シェイプシフター・ラブ)」で7時から演奏します。寄付は現金と小切手で受け付けます。詳細は次のとおりです。

    *

【世界エイズデーコンサート=エイズからエボラへ】
日時=12月1日(月)午後7時〜9時
場所=ShapeShifter Lab (18 Whitewell Place, Broklyn, NY=最寄駅はR線のユニオン・ストリート)
出演=Teruo Nakamura & the Rising Sun Band, with Monday Michiru (Vocal/Flute)
入場料=15ドル
寄付願い=できれば10ドル以上を。小切手宛先は The Safety Channel。全額がモンロビアの「Providence Baptist Church Medical Center and Orphanage」へ寄付されます。

November 05, 2014

失望の選挙

2年前の大統領選の時には「オバマ人気」のことを書いていたのに、この中間選挙でこうなると予想していた人は少ないんじゃないでしょうか? しかしその「オバマ不人気」の原因はというとどうもはっきりしません。

強いて挙げれば医療改革で例の保険サイトが初っ端からひどいバグだらけだったこと。それに保険に関しては今のところ出費だけで、新たに病気になってその保険の恩恵を実感できる人がまだ少ない。かくしてプラス評価が出てこない。

イラク撤退。これは当初は評価されましたが、その空白をねらって隣のシリアからイスラム国が台頭してきた。しかもマンハッタンで斧を持ったイスラム国支持男が警官を襲って重傷を負わせ、カナダでは同じくオタワの国会でイスラム国支持男が銃を乱射して……はてイラク撤退は果たして良かったのかという疑念が大きくなっています。

外交上の疑念はそれ以前から芽生えていてイラクやシリアだけでなくリビアもぐちゃぐちゃ、ウクライナではプーチンの良いようにされたまま。「世界のリーダー」だったアメリカはこれでよいのか、あるいは「このままでは国内でまた本格的なテロが起きるかも」という不安が漂ってさえいるのです。

そこに経済です。失業率や株式市場などの数字上の好転がありながら、景気の良さが一般国民にほとんど実感されていません。つまり格差が広がって、単に上部の富裕層が数字を引っ張っているだけじゃないのか?

でも元を正せばこのすべては前政権の失政のせいでした。心の中で「なんでその責任がぜんぶオレに来るんだ?」とオバマは叫んでいるかもしれません。

大統領選挙は「希望の選挙」と呼ばれます。未来を語り、希望の道筋を示すのです。それに対して中間選挙は「失望の選挙」と呼ばれます。選んだ大統領に対して「こんなはずじゃなかったのに」と思う要素が強く出てくる。

この不人気の原因はオバマの失政というより、むしろ彼が2回の大統領選で示した「希望」の大きさに、現実が付いてきていないことへの「失望」なのではないのか。おまけに中間選挙ではその「失望」のせいかあるいは大統領選で示されるような「明確で大きな争点」の無さのせいか、オバマ旋風の基礎となった若者層、社会的マイノリティ層がそもそも投票に行かないという傾向も影響しました。そして決定的なのが、今回改選分の上院議員は、08年のオバマ旋風でに乗って「勢い」で当選した人たちが多かったということ。旋風なしに当選することはそもそも難しかったのです。

だからといって国民が共和党を支持しているのかというと、茶会派で極端に走る彼らへの信頼は厚くはありません。共和党に穏健派が少なくなったことで民主党にも極端に走る議員が増えて、議会に対する国民の信用は14%しかないのです。

こんな不安な時代に人が求めるのは、実はオバマのような理詰めのリーダーではないのかもしれません。「理」よりも「情」に届いてくる、明るく包容力のある人間なのかもしれません。かといって2年後の選挙で出てくるヒラリーがおおらかな「肝っ玉母さん」になれるかははなはだ心許ないのですが。ただしその選挙で改選される上院議員の多くは10年のお茶会旋風に乗って当選した共和党議員でもあります。それが「ヒラリー政権」の追い風になることは考えられます。

それ以前に、オバマが残る2年をどうやりくりするかが問題です。世界に山積する難問は、彼にレイムダックになるヒマを与えないからです。

October 10, 2014

「イスラム国」とは何か?

9.11の後で私たちはこれからの戦争が国家vs国家ではなく、国家vsテロ集団だということを知らされました。領土も持たず絶えず移動する相手にどういう戦争が可能なのか、それを考えている最中に今度は「イスラム国」が出てきました。
オバマ大統領も今年初め彼らをNBAになぞらえて「一軍に上がれない連中」「大した脅威ではない」と見ていました。ところがあれよあれよと勢力を拡大しシリアからイラクに侵攻し、この6月に指導者のアブバクル・バグダディが自らを「カリフ(ムハンマドの後継者=最高権威者)」と名乗って「イスラム国」の建国を宣言したころにはすでに国際的に無視できない存在になっていたのです。

アルカイダもタリバンも「国」を模索しませんでした。ところがこの「イスラム国」は「国」です。ただしこの「国」は私たちの言う「国」とは違うのです。

現在の世界は「それぞれが主権を有する国家」同士の共存体制を執っています。日本も米国も英国もぜんぶそんな「主権国家」です。この考え方は17世紀のウエストファリア条約で確立しました。この「主権国家」は帝国主義や植民地主義や第一次、第二次世界大戦を経て統合したり分裂したり独立したりして現在に至ります。ただし「主権国家の共存体制」といっても国境線がまっすぐだったりするアフリカや中東では無理矢理この「国家」像を押し付けられた感も残ります。

それに対して「イスラム国」の「国」は違います。これは国境や領土や国民といった世俗的な国ではなく「神の国」という意味です。イスラム教を真に信じる人がいれば国境も領土も関係なくそこが「イスラム国」だという意味なのです。

これはつまり、世俗的な「国家」を単位として構成されている現在の世界に対する、根本的な対峙なのです。そんな堕落した世俗の「国」ではなく、神の「国」なのだ、ということです。

そこに世界数十カ国から10000人以上の若者が戦闘員として集まっている。欧米からも3000人がシリアに入っていると言われます。彼らはイスラム原理主義への共鳴者だけではなく、金権主義で堕落した西欧社会に愛想を尽かした層、西欧で高まるネオナチなどによる移民排斥運動あるいは9.11以降の米国でのイスラム教嫌悪で真っ向から差別を受けた中東などからの移民2世3世です。さらには「自分探し」「英雄志向」「変身願望」の者たちも少なくありません。なにせイスラム教とは本来、困っている者たちを無償で支え合う理想の相互扶助、平等の宗教だからです。イスラム教においては利子を取ることさえ禁止されています。

ところが「イスラム国」はそこから徹底して異教徒を排斥する。異教徒なら奴隷にしても斬首してもかまわないと公言する。支持者たちはそれを「度を超した過激」とは見ずに「純粋」なイスラム主義と受け取る。

この「排斥主義」は元を正せば欧米のイスラム教徒排斥の裏返しです。国家であれば「自衛のための攻撃」と呼ばれ、国家でなければ「テロ」と呼び捨てるのはアルカイダやタリバンを相手にしたときだけではなく、イスラエルとパレスチナの関係でもそうでした。

そうした卑劣な「近代国家」像に「神の国家」の力を対峙させる──それは斬首された米国人ジャーナリストたちがその公開動画でオレンジ色の服を着せられていたことでも明らかです。あれは米国の、アブグレイブ刑務所の囚人服の再現なのです。私たちは私たちの拠って立つ世界の基盤への本質的な問いかけに直面しているのです。

August 30, 2014

氷のビショービショ

友人からチャレンジされて私もアイスバケットの氷水をかぶりました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病の支援を目的に7月末から始まったこのキャンペーンは有名人を巻き込んであっというまに300万人から計1億ドル以上を集めました(8月末現在)。昨年の同じ時期に米国ALS協会が集めた募金は280万ドルだったといいますから、このキャンペーンは大成功です。

フェイスブックやツイッターで映像画像を公開しているみなさんは嬉々として氷水をかぶっているようですが、スティーヴン・ホーキング博士も罹患しているこの病気はじつはとても悲惨なものです。四肢から身体全体にマヒが広がり、最後に残った眼球運動もできなくなると外界へ意思を発信する手段がなくなります。意識を持ったまま脳が暗闇に閉じ込められるその孤独を思うと、氷水でも何でもかぶろうという気になります。

啓発のためのこういうアイディアは本当にアメリカ人は上手い。バカげていても何ででも耳目を集めればこっちのもの。こういうのをプラグマティズムと呼ぶのでしょうね。もちろんチャレンジされる次の「3人」も、「幸福の手紙」みたいなチェーンメール方式と違って断る人は断ってオッケー、その辺の割り切り方もお手の物です。

レディ・ガガにネイマール、ビル・ゲイツやレオナルド・ディカプリオといった世界のセレブたちが参加するに至って案の定、これはすぐに日本でも拡散しました。ソフトバンクの孫さんやトヨタの豊田章男社長といった財界人から、ノーベル生理学・医学賞の山中教授、そして田中マー君も氷水をかぶりました。

ところがあるスポーツタレントがチャレンジの拒否を表明して、それが世間に知られると「エラい」「よく言った」と賞讃の声がわき起こったのです。ある意味それはとても「日本」らしい反応でした。その後ナインティナインの岡村隆史も「(チャリティの)本質とはちょっとズレてきてるんちゃうかな」と口にし、ビートたけしも「ボランティアっていうのは人知れずやるもの」と発言しました。こうした批判や違和感の理由は「売名行為」「一過性のブーム」「やっている人が楽しんでるだけで不謹慎」「ただの自己満足」といったものでした。

日本にはどうも「善行は人知れずやるもの」というストイックな哲学があるようです。そうじゃないとみな「偽善的」と批判される。しかし芸能人の存在理由の1つは人寄せパンダです。何をやろうが売名であり衆人環視であり、だからこそ価値がある。ビートたけしの言い分は自己否定のように聞こえます。

私はこれは日本人が、パブリックな場所での立ち振る舞いをどうすべきなのかずっと保留してきているせいだと思っています。公的な場所で1人の自立した市民として行動することに自身も周囲も慣れていない。だからだれかがそういう行動を取ると偽善や売名に見える。だから空気を読んで出しゃばらない。そんな同調圧力の下で山手線や地下鉄でみんな黙ってじっとしているのと同じです。ニューヨークみたいに歌をうたったり演説をする人はいません。

そういう意味ではアイスバケット・チャレンジはじつに非日本的でした。パブリックの場では大人しくしている方が無難な日本では、だから目立ってナンボの芸人ですら正面切っての権力批判はしない。むしろ目立つ弱者を笑う方に回る。

私は、偽善でも何でもいいと思っています。その場限りも自己満足も売名も総動員です。ALSはそんなケチな「勝手」を飲み込んであまりに巨大なのですから。

May 29, 2014

暴力のジェンダー

札幌市厚別区で行方不明になっていた伊藤華奈さんが殺害されていたという痛ましいニュースを目にしながら、その数日前に起きたカリフォルニア州サンタバーバラでの大量殺人事件の余波を考えていました。というのも「暴力には人種や階級、宗教や国籍の別はない。けれどジェンダー(男女)の別はある」という米国の女性作家の言葉が忘れられなかったからです。

サンタバーバラでの事件は単なる「もう1つの銃乱射事件」ではありませんでした。自殺した犯人の男子大学生(22)が残した犯行予告のビデオや百三十七ページの手記の内容が、全米の女性たちに異例の反応を惹き起こしたのです。なぜならば犯人は「自分のような完璧な紳士を相手にしないのは女たちの不正義であり犯罪だ。そんな女たち全員に罰を下してやるのがぼくの喜びだ」などと発言していたからです。

この激しいジェンダー間憎悪。ここにあるのは一義的には「モテない男の個人的な恨みつらみ」ですが、その根底には男たちの拭い去りがたい女性嫌悪、女性蔑視が横たわっているのではないか──その気づきが全米の女性たちに大議論を巻き起こしたのです。

ツイッターなどを舞台にしたその議論のハッシュタグ(合言葉)は「#YesAllWomen(そう、女たちはみんな)」。

男性性への批判に対して男たちが反論するときに「Not All Men(男がみんな〜〜だとは限らない)」と切り出す決まり文句があります。それに対抗して女性たちがいま、直言や皮肉として逆に「そう、女はみんな〜〜だ」という合言葉の下、自分の経験した性暴力や性差別、嫌がらせや性的脅しなどの具体例を報告しているのです。その数すでに百数十万件。つまりここにあるのは圧倒的なジェンダーの不均衡です。男女間の暴力事案の被害者は圧倒的に女性が多く、加害者は圧倒的に男性が多いという事実の列挙です。

しかも今回の犯人はメンズ・ライツ運動(男性の権利を取り戻す運動)に関わっていたこともわかりました。しかも彼の場合は女性の権利の台頭に恐れをなした男性側が、男性性の優位を訴えて権利回復を叫ぶというとても短絡的な主張です。これはつまりフェミニズムに出遭ったときに男性たちがそれを取り込んで柔軟かつ大らかに変わるのではなくて、そんな女性たちに対抗し競争して打ち勝つ、というなんとも子供じみた衝動なのです。

冒頭の「暴力にはジェンダーの別がある」というのは歴史家でもある作家レベッカ・ソルニットの新著「Men Explain Things to Me(私に物事を教える男たち)」の中の言葉です。今回の事件に関して彼女は「democracynow.org」という独立系の米ニュースサイトで「世界中で女性に対する性暴力が溢れている。なのにそれが人権の問題としてとらえられることは少ない」と論難しています。先のツイッターでの議論ではインドやアフリカ諸国などで多発する強姦事件や女性の人権無視も数多く言挙げされています。いやそれだけでなく、米テキサス州で「ビールとバイオレンスはドメスティックに限る!」と手書きの看板を出していたマッチョなバーもあることが報告されました。奨励される前者は国産ビール、後者は身内での暴力、特に女性への暴力のことです。

伊藤華奈さんへの加害者が男性なのかはまだわかっていません。しかし思えば先日のAKB握手会事件も男性が女性を襲ったものでした。暴力事案をこうしたジェンダーの視野から照らして見る。そうしなければ男たちは、犯罪に潜む身勝手な女性嫌悪と女性蔑視とに永遠に気づかないかもしれません。ええ、男がみんなそうだとは限らないのですが。

May 12, 2014

日系企業のみなさんへ〜任天堂事件の教訓

記憶に新しいところではこの4月、ファイアフォックスのモジラ社の新CEOがかつてのカリフォルニアでの反同性婚「Prop8」キャンペーンに1000ドルの寄付をしていたために就任10日で辞任に追い込まれました。東アジアのブルネイが同性愛行為に石打ち刑を適用することに対し全米でブルネイ国王所有のホテルチェーンにボイコットが起きていることも大きなニュースです。そういえばロシアの反同性愛法への抗議でソチ五輪で欧米諸国がそろって開会式を欠席したのもまだ今年の話でした。

性的少数者への差別や偏見に対してかくも厳しい世界情勢であるというのに、どうして大した思想も覚悟もあるわけでない任天堂米国社が、6月に発売するソーシャルゲーム「Tomodachi Life(日本名ではトモダチ・コレクション=先にコネクションとしたのを書き込み指摘により修正しました)」の中で同性婚が出来なくなっているのでどうにかしてほしいと言うファンからの要望に対して「任天堂はこのゲームでいかなる社会的発言も意図していません」「異性婚しかないのは、現実世界を再現したというよりは、ちょっと変わった、愉快なもう1つの世界だからです」と答えてしまったのでしょうか。

実は同じことは日本版リリース後の昨年暮れにも起きました。このときは日本国内での話題で、一部外国のゲームファンの中からも問題視する声がありましたが、任天堂はこれを「ゲーム内のバグ」と言いくるめて押し通し、肝心の同性間交際の問題には正面からはまったく対応しませんでした。そして今回に至ったのです。

これはマーケティング上の大失敗です。なぜならこれは、米国では誰から見ても明白に「大きな問題」になることだったからです。そして、同性婚を連邦政府が認めているアメリカで「異性婚しかないのは」「現実世界」とは違ってそれ「よりはちょっと変わった愉快なもう1つの世界」の話だからだと言うことは、まるで同性婚のある現実世界はその仮想世界よりも楽しくないという、大いなる「社会的メッセージ」を発することと同じだったからです。

果たしてこれをAP、CNN、TIME、ハフィントンポストなど、米国のほぼ全紙全局が一斉に報じました。AP配信の影響でしょうか、アメリカのゲーム関連のニュースサイトもちろん速報しました。「任天堂は同性婚にNO」という批判文脈で。それでもまだ任天堂は気づいていなかった。というのもハフィントンポストからの取材に対して日本の任天堂は「すでに発売された日本で大きな問題になってはいませんし、まずはゲームを楽しんでいただきたい」とコメントしたのです。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/08/nintendo-tomodachi_n_5292748.html
「日本では昨年発売されたものですし、お客様にも大変喜んでいただいています。
 ゲームの中で、結婚したり、子供を作ったりという部分が特徴的なのは確かですが、それだけではありません。いろいろなことができるゲームですし、その部分のみが取り上げられるのは、ゲームの中身が理解されていないのかな、という印象です。まだ海外では発売すらされていないので、そういった報道になるのかもしれません。すでに発売された日本で大きな問題になってはいませんし、まずはゲームを楽しんでいただきたいと思います。」

そして翌9日、任天堂は謝罪に追い込まれました。「トモダチ・ライフにおいて同性間交際を含めるのを忘れたことで多くの人を失望させたことに謝罪します」と。

We apologize for disappointing many people by failing to include same-sex relationships in Tomodachi Life.

TIMEは次のようにこの謝罪も速報しました。

The company issued a formal apology Friday and promised to be "more inclusive" and "better [represent] all players" in future versions of the life simulation game. The apology comes after a wave of protests demanding the company include same-sex relationships in the game

もっとも、任天堂は例の「社会的発言」云々のくだりなど、それ以前のコメントの「間違い」への反省の言及は一切ありませんでした。

LGBT(性的少数者)の人権問題に関してどうして日系企業はかくも鈍感なのでしょう。そもそもアメリカに進出していてもLGBTという言葉すら知らない人さえいます。かつて日系企業の米国進出期には女性差別やセクハラ、人種差別やそれに基づくパワハラが訴訟問題にも発展し、多くの教訓を得てきたはずです。にもかかわらず今度はこれ。実際は何も学んでこなかったのと同じではありませんか。

性的「少数者」として侮ってはいけません。米国社会では親しい友人や家族の中にLGBTがいると答えた人は昨年調査で57%います。同性婚に賛成の人は先日のCNN調査で59%にまで増えました。所謂ゲーム世代でもある18歳〜32歳の若年層に限ると、同性婚支持の数字は68%にまで跳ね上がるのです(ピューリサーチセンター調べ=2014.3.)。

つまり、LGBTに関して「あいつオカマなんだってさ」「アメリカにはレズが多いよな」などという言葉を吐こうものなら、あなたは7割の若者から差別主義者の烙印を押されることになるのです。それで済めば良いですが、もしそれが職場や仕事上の話題ならば、訴訟になり巨額のペナルティが科せられます。冒頭に挙げた例はビッグネームであるが故の社会制裁を含んだものですが、アメリカでは最近、せっかく新番組のTVホストに決まっていた双子の兄弟が過去のホモフォビックな活動を問題視されて番組そのものがあっというまにキャンセルされてしまった例もあります。こう言ったらわかるかもしれません。アメリカ社会で黒人にニガーという言葉を投げつけただけであなたは社会的にも経済的にも大変困ったことになります。その想像力をそっくりLGBTに対しても持つ方がよい。ホモフォビックな性的少数者に差別と偏見を向ける人は、よほどの宗教的な確信犯ではない限り、すでにそちらこそが少数派の社会的落伍者なのです。

そんなこんなで任天堂問題がツイッターなどを賑わしているさなかに、大阪のゲーム会社がまた変なことをやらかしていることが発覚しました。

ノンケと人狼を見分けて「(ホモ)人狼」を追放する「アッー!とホーム♂黙示録~人狼ゲーム~」だそうです。

こうなるともうわけがわかりません。

これがアップルやグーグルのゲームアプリとして発売されるというので、いまツイッターなどでみんながアップルとグーグルにこんなホモフォビックなゲームは販売差し止めにしてほしいという運動を起こしています。なにせアップルもグーグルも世界的にLGBTフレンドリーを公言している企業だから尚更、というわけです。

このゲーム会社、大阪のハッピーゲイマー(Happy Gamer)というところらしいですが、ツイッターで抗議されて慌ててこのゲームのサイトに「表現について」という急ごしらえの「表現について」http://ahhhh.happygamer.co.jp/expressというページを追加してきました。そこで「このゲームにおいて「性的少数者=人狼」のように表現はされておりません」と釈明したのです。でも、それ以前にこの会社、ツイッターで「#ホモ人狼 あ、ハッシュタグ作ったんで使ってくださいね!」という「人狼=ホモ」という何とも能天気な自己宣伝をばらまいていたんですね。頭隠して尻隠さずというのはこういうことを言うのです。あまりに間抜けで攻めるこちらが悲しくなってきます。

というわけでこの会社が両販売サイトから差し止めを食らうのも時間の問題です。おそらく零細企業でしょうし、「ホモ人狼」などと堂々と宣伝してしまうところから見てもまったく意識がなかったのは明らかですが、「差別するつもりはなかった」という言い訳が通用するのは小学生までです。ユダヤ人に、黒人に、世界中でどれほどそういう名目での差別が行われてきたか、「差別するつもりはなかった」ということをまだ恥ずかし気もなく言えるのもまた日本社会の甘やかなところなのだと、とにかく一刻も早く気づいてほしい。並べて日本の会社はこの種のことにあまりに鈍感過ぎます。

「差別するつもりはなかった」という言葉で罪が逃れられると思っているひとは、「殺すつもりはなかった」という言葉があまり意味のない言い訳であるということを考えてみるといいと思います。こんなことが差別になるとは知らなかったと言って驚く人は、こんなことで死ぬとは思っていなかったと言って驚く人と同じほど取り返しがつかないのです。LGBTに関して、いま欧米社会はそこまで来ています。

ゲイやレズビアンなどの市民権がいまどうして重要なのか。いつから彼らは「ヘンタイ」じゃなくなったのか。私はもう20年以上もこのことを取材し書いてきました。日本企業のこの状況を、ほとほと情けなく思っています。この問題について企業研修をやりたいなら私が無料で話してさしあげます。連絡してください。

April 28, 2014

尖閣安保明言のメカニズム

「尖閣諸島は安保条約の適用対象」という文言が大統領の口から発せられただけで、鬼の首でも獲ったみたいに日本では一斉に一面大見出し、TVニュースでもトップ扱いになりました。でも本当に「満額回答」なんでしょうか? だって、記者会見を聴いていた限り、どうもオバマ大統領のニュアンスは違っていたのです。

もちろんアメリカ大統領が言葉にすればそれだけで強力な抑止力になります。その意味では意味があったのでしょう。しかしこれはオバマも「reiterate」(繰り返して言います)と説明したとおり、すでに過去ヘーゲル国防長官、ケリー国務長官も発言していたこととして「何も新しいことではない」と言っているのです。

Our position is not new. Secretary Hagel, our Defense Secretary, when he visited here, Secretary of State John Kerry when he visited here, both indicated what has been our consistent position throughout.(中略)So this is not a new position, this is a consistent one.

ね、2度も言ってるでしょ、not a new position ってこと。これは首尾一貫してること(a consistent one)だって。

それがニュースでしょうか? それにそもそも安保条約が適用されると言ってもシリアでもクリミアでも軍を出さなかったオバマさんが「ロック(岩)」と揶揄される無人島をめぐる諍いで軍を動かすものでしょうか? だいたい、上のコメントだって実は中国をいたずらに刺激してはいけないと「前からおんなじスタンスだよ、心配しないでね」という中国に対する暗黙の合図なのです。

それよりむしろオバマさんが自分で安倍首相に強調した( I emphasized with Prime Minister Abe)と言っていたことは「(中国との)問題を平和裏に解決する重要さ(the importance of resolving this issue peacefully)」であり「事態をエスカレートさせず(not escalating the situation)、表現を穏やかに保ち(keeping the rhetoric low)、挑発的な行動を止めること(not taking provocative actions)」だったのです。まるで中学生を諭す先生のような言葉遣いです。付け加えて「日中間のこの問題で事態がエスカレートするのを看過し続けることは深刻な誤り(a profound mistake)であると首相に直接話した(I’ve said directly to the Prime Minister )」とも。

さらにオバマさんは「米国は中国と強力な関係にあり、彼らは地域だけでなく世界にとって重大な国だ(We have strong relations with China. They are a critical country not just to the region, but to the world)」とも言葉にしているのですね。これはそうとう気を遣っています。

注目したいのは「中国が尖閣に何らかの軍事行動をとったときにはその防衛のために米軍が動くか」と訊いたCNNのジム・アコスタ記者への回答でした。オバマさんは「国際法を破る(those laws, those rules, those norms are violated)国家、子供に毒ガスを使ったり、他国の領土を侵略した場合には(when you gas children, or when you invade the territory of another country)必ず米国は戦争に動くべき(the United States should go to war)、あるいは軍事的関与の準備をすべき(or stand prepared to engage militarily)。だが、そうじゃない場合はそう深刻には考えない(we’re not serious about those norms)。ま、その場合はそういうケースじゃない(Well, that’s not the case.)」と答えているのです。

どういうことか?

実は尖閣諸島に関しては、オバマさんは「日本の施政下にある(they have been administered by Japan)」という言い方をしました。これはもちろん日米安保条約の適用対象です。第5条には次のように書いてある;

ARTICLE NO.5
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.
第5条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する。

でもその舌の根も乾かぬうちにオバマさんは一方でこの尖閣諸島の主権国については「We don’t take a position on final sovereignty determinations with respect to Senkakus」とも言っているのですね。つまりこの諸島の最終的な主権の決定(日中のどちらの領土に属するかということ)には私たちはポジションをとらない、つまり関与しない、判断しない、ということなのです。つまり明らかに、尖閣諸島は歴史的に現在も日本が施政下に置いている(administrated by Japan)領域だけれども、そしてそれは同盟関係として首尾一貫して安保条約の適用範囲である(the treaty covers all territories administered by Japan)けれど、主権の及ぶ領土かどうかということに関しては米国は留保する、と、なんだかよくわからない説明になっちゃっているわけです。わかります?

つまり明らかに合衆国大統領は尖閣をめぐる武力衝突に関しての米軍の関与に関して、言葉を濁しているんですね。しかももう1つ、安保条約第5条の最後に「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動する」とあって、この「手続き」って、アメリカはアメリカで議会の承認を経なきゃならないってことでもありますよね。米国連邦議会が「岩」を守るために軍を出すことを、さて、承認するかしら? ねえ。

この共同会見を記事にするとき、私なら「尖閣は安保条約の適用対象」という有名無実っぽいリップサービスで喜ぶのではなく、むしろ逆に「米軍は動かず」という“見通し”と「だから日中の平和裏の解決を念押し」という“クギ刺し”をこそ説明しますが、間違っているでしょうか? だってリップサービスだってことは事実でしょう? 米軍が守るというのはあくまで日本政府による「期待」であって、政治学者100人に訊いたら90人くらいは「でも動きませんよ」と言いますよ。

ところがどうも日本の記者たちはこれらの大統領の発言を自分で解読するのではなく、外務省の解釈通り、ブリーフィング通りに理解したようです。最初に書いたようにこれは「大統領が口にした」というその言葉の抑止力でしかありません。そりゃ外務省や日本政府は対中強硬姿勢の安倍さんの意向を慮って「尖閣」明言を「大成功」「満額回答」と吹聴したいでしょう。でもそれは“大本営発表”です。「大本営発表」は「大本営発表」だということをちゃんと付記せねば、それは国民をだますことになるのです。

私がこれではダメだと思っているのは、何故かと言うと、この「尖閣」リップサービスで恩を売ったと笠に着て、米国が明らかにもう1つの焦点であったTPPで日本に大幅譲歩を強いているからです。ここに「国賓招聘」や「すきやばし次郎」や「宮中晩餐会」などの首相サイドの姑息な接待戦略は通用しませんでした。アメリカ側はこういうことで恐縮することをしない。ビジネスはビジネスなのです。

思えばオバマ来日の前週に安倍さんが「TPPは数字を越えた高い観点から妥結を目指す」と話したのもおかしなことでした。「高い観点」とはこんな空っぽな安保証文のことだったのでしょうか? 取り引きの材料になった日本の農家の将来を、いま私は深く憂いています。

April 26, 2014

勘違いの集団自衛権

みんな誤解してるようだけど、日本が戦争をしかけられるときには集団的自衛権は関係ないんだよ。つまり尖閣での中国との衝突なんて事態のときは、集団的自衛権は関係ないの。どうもその辺、混同してるんだな。集団的自衛権が関係するのは、日本の同盟国である米国が攻撃されたとき。それを米国と「集団」になって一緒に防衛するってこと。つまり米国が攻撃されたらそこに日本が出て行くってこと。米国と同盟国だから。さてそこでそれを「限定的に使うことを容認したい」って言い始めてるのが安倍政権。どこまでが「限定的」なのかは、そんなの、難しくて言えない、ってさ。個別に判断するようです。でも「地球の裏側にまで出かけることはない」とも言ってるけど、「じゃあどこなら行くの?」には答えられていない。

一方、尖閣でなにかあったときに米国が日本を助けてくれるのは、これは米国側からの集団自衛権、それと、それをもっと明確にしての日米安保条約。だから、尖閣の有事の時のために集団自衛権が必要だ、と思い込んでる人は間違いなの。で、今回の日米共同声明では、尖閣も含んだ日本の施政下の場所は、それは「安保条約第5条の適用下にある」ってこと。

いわば、米国から守ってもらいたいがために、日本も米国を一緒になって守りますよ、っていう約束がこんかいの「集団的自衛権の行使」容認に向けた動きなのです。つまり、なんかあったら日本もやりますから、という証文。先物取り引きみたいなもの。約束。だから、日本になんかあったらよろしくね、というお願いとのバーター取引なのね。

でも、じつはこれ、バーターにしなくてももう昔からそう決まっていたの。だって、安保条約、前からあるでしょ? 集団的自衛権行使します、なんて決めなくても、もうそれは約束だったんだから。

じゃあ、なんでいままたそんなことを言いだしたの? というのでいろいろ憶測があって、それは、1つは靖国参拝、1つは従軍慰安婦河野発言見直し、つまりは「戦後レジームからの脱却」「一丁前の国=美しい国」──そういうアメリカが嫌がることをやらなきゃオトコじゃねえ!と思い込んでるアベが、嫌がることの代償にアメリカが有り難がってくれることをやってやればあまり強いこと言わんだろう、ま、だいじょうぶじゃね?という思惑で(というか、もちろんそれはちゃんと武力行使もできるような「一丁前のオトコらしい国家」であることの条件でもあるんでそこはうまく合致するんだけど)、それで前のめりになっているわけ。だってほら、昨年12月26日の靖国参拝で「disappointed」なんて言われちゃったから、なおさら機嫌直さないといけないでしょ。

アメリカだって、助けてくれると言うのをイヤだなんて言いません。そりゃありがとうです。でも、要は、そんなこんなでアメリカが日本の戦争に巻き込まれるような事態はいちばん避けたいわけです。でも日本が集団自衛権行使容認に前のめりになればなるほど、中国や北朝鮮を刺激してそういう事態が訪れる危険度が高まるというパラドクスがあるわけ。だから、アメリカもアメリカに対して集団自衛権を行使してくれるのはありがたいけど、まあちょっとありがた迷惑な感じが付き纏う。

だから、こんかいの共同声明では、集団自衛権の「行使容認に向けての動き」を歓迎・支持する、ではなくて、集団的自衛権の行使に関する事項について「検討を行っていること」なわけよ、歓迎・支持の対象は。

でね、オバマが強調したのは「尖閣も守られるよ」ってことじゃないの。オバマが強調したのは「対話を通した日中の平和的解決」であり、オバマは「尖閣諸島がどちらに属しているかに関してはアメリカは立場を明確にしない」と繰り返したんです。さらに「米国は軍事的関与を期待されるべきではない」とも話した。

そりゃね、大統領が明言し共同声明にも「尖閣諸島を含む日本の施政下の土地」は安保条約第5条の対象だと明示したことは、それだけで他国からの侵略へのけっこうな抑止力になります。これまでに繰り返された国務長官、国防長官レベルの談話よりは抑止力になる。その意味ではよかった。でもそれだけです。

だいたい日米安保条約第5条にはこう書いてある。

「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するよう行動する」

つまりは、まずは尖閣をめぐって攻撃されても、まずは「自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」わけ。武力行使なんて、ここには明記されていない。

でもってこれ、「施政下」というのがじつはキモでね、「日本の領土」じゃないのよ。オバマは「尖閣諸島がどちらに属しているかに関してはアメリカは立場を明確にしない」と言って、「尖閣」とともに中国名の「釣魚島」の名前も言ってるのね。で、尖閣はいまは日本の実効支配下にあるけど、いったん中国が奪い取ったらこれは中国の施政下に入って、安保5条の適用される日本の施政下の領域じゃなくなるわけよ。ね? つまり、その時点で安保によって守られることから除外されるわけ。スゴい論理だよね。

そもそもあそこは無人島なんですよ。英語では「rock」と呼ばれるくらいに単なる岩なわけです(ほんとは海洋資源の権利とかあってそうじゃないんですけどね)。シリアやクリミアで軍事介入しなかったアメリカが、無人島奪還のために軍事介入しないでしょう。大義名分、ないでしょう。アメリカ議会、承認しないでしょう。するわけないもん。

だからここまで考えると、日本のメディアが今回の日米首脳会談、TPPはダメだったけど安全保障の上では尖閣の名前を出してもらって「満額回答だ!」「日米同盟の強固さに関して力強いメッセージをアピールできた!」なんて自画自賛してる政府や外務省の思惑どおりの報道をしてるけど、それ、自画自賛じゃなくて我田引水だから。実質的には何の意味もないってこと、わかるでしょ?

だから「尖閣、危ないじゃん、だから集団自衛権、必要なんじゃね?」と思ってるそこのキミ、それ、違うからね。

集団自衛権ってのは、日本が攻撃されていないのに、同盟国が攻撃されたときにそこに(友だちがやられてるのに助けないのはオトコじゃねえ!って言って)自衛隊派遣して、そんでお国のため、というよりも別の国のために、誰かが死ぬかもしれないってことだから。ま、その覚悟があるんならいいけど、そんで、誰か自衛隊員が不幸なことに殺されたら、それはもうそっからとつぜん日本の国の戦争ってことになって、そんで戦争になっちゃうってことだから。で、日本国が攻撃されるかもしれないってことだから、その覚悟、できてる? ていうか、それって、憲法、解釈変更だけでできちゃうの? ウソでしょうよ、ねえ。

そゆこと。

もいっかい言うよ、集団自衛権と尖閣は関係ない。なんか、オバマ訪日の安倍政権の物言いではまるでそうみたいだったけど、尖閣と関係するのは安保条約。集団自衛権は、その見返りとして日本が別の戦争に加わること。

でさ、その「別の戦争」だけど、友だちを助けないのはオトコじゃねえ、と反射的に思う前に、その喧嘩の仲裁に入るのがオトコでしょう、って思ってよ。そっちのほうが百倍難しい。それをやるのがオトコでしょうが。

というわけで、今回、アメリカの妥協を引き出せなかったTPPのほうが具体的な現実世界ではずっと大事なんです。私昔からTPP反対ですけど。

April 17, 2014

オバマ訪日に漕ぎ着けたものの

昨年のハドソン研究所での安倍さんの「軍国主義者と呼びたきゃ呼んで」発言から靖国参拝、さらにはNHK籾井会長や経営委員の百田・長谷川発言まで、あれほど敏感に反応してうるさかった欧米メディアの日本監視・警戒網が、この2〜3カ月ぱったりと静かなことに気づいていますか?

なにより安倍さん自身が河野談話の見直しはないと国会で明言してみせたりと、これまでの右翼発言を封印した。とにかくこれらはすべて来週のオバマ来日がキャンセルになったら一大事だからなんですね。

これにはずいぶんと外務省が頑張ったようです。岸田外相以下幹部が何度もオバマ政権に接触し、米国の顔を潰すようなことはもうしないと説明した。この間の板挟み状態の取り繕いは涙ものの苦労だったようです。そういえば岸田さんは最近では自民党でさっぱり影の薄いハト派、宏池会ですからね。そこには使命感に近いものもあったのではないでしょうか。

そうして一日滞在だったのが一泊になり、次に二泊になって宮中晩餐会へのご出席を願う国賓扱いにまで漕ぎ着けた。ふつうは向こうが国賓にしてほしいと願うものなのに、今度は日本政府からオバマさんにお願いしたのです。もっともそれでもミッシェル夫人は同伴させませんが。

そこで現在の注目点はいったい23日の何時に日本に到着するのかということです。夕方なら翌日の首脳会談の前に安倍さんがぜひ夕食会に招きたい。ところがオバマさんはいまのところ安倍さんと仲の好いところを見せてもあまり国益がなさそうです。なにせTPPの交渉がどうまとまるのか(17日になった現在もまだ)わからない。ウクライナ情勢が緊迫していてそこで安倍さんと食事しているのも得策ではない。なので直前までワシントンで仕事をして日本入りは23日深夜かもしれない。そうすると日本訪問は実質的に最初の計画どおり24日の一日だけという感じ。二泊するから日本のメンツは立て、実質一日だから米議会にも申し訳が立つ。

そこで安倍さん、今年に入って米国のご機嫌伺いに集団自衛権にやけに前のめりですし、先日はリニア新幹線の技術を無償で米国に提供するとまで約束する構えになりました。ものすごいお土産外交です。

ところが米国にとっても都合の良い集団自衛権はすでに織り込み済みで新味がない。極論を言えば、そういう事態にならないようにすることこそが重要なわけで、集団自衛権を使うような有事になったらそっちのほうが米国にとってはやばい。しかも集団自衛権が日本国内で盛り上がることでむしろ集団自衛権を発動しなければならないような状況を刺激するかもしれない。つまりは自国の戦争には協力させたいが日本が起こす紛争に巻き込まれるのはまったくもって困る、というわけなのです。それは米国の国益には反するのです。だから集団自衛権なんてものは、喫緊の議題としてはオバマさんにはむしろ、どっちでもいい、くらいなところに置いておいた方が得なわけです。

で、ならばとばかりにリニア新幹線です。普通は、大もとの技術は特許関連もあるので日本が押さえる、でもインフラや部品は無償で供与する、というのが筋です。しかしそれが逆。じっさい、無償で技術提供を行って引き換えに車両やシステムをたくさん買ってもらった方が得ということもあるでしょう。

でも、ご存じのようにアメリカは鉄道の国というよりは自動車やコミューター飛行機の国です。全米鉄道網というような大規模なものならともかく、いまのところリニアは可能性としてもワシントンDC、ニューヨーク、ボストンといった東部地域のみの感じで、そこら辺は厳密に損得勘定を計算してのもの、というより、大雑把にまあここで恩を売っとけば見返りもあるんじゃないかなあ、というような感じの判断だったなんじゃないでしょうか。しかもワシントンーボルティモア間の総工費の半額の5千億円ほどを国際協力銀行を通じて融資するという大盤振る舞いなんですよ。軸足はやはり「お土産」に置いていると言ってよい。

いかに靖国で損ねたご機嫌を取り繕いたいと言っても、これって安倍さんの大嫌いな屈辱外交、土下座外交、自虐ナントカではないですか?

というわけでオバマさんの訪日、どこが注目点かというと、23日の何時に到着するかということと、翌24日の共同声明でオバマさんが安倍さんの横でどんな表情を見せるか、ということです。満面の笑みか、控えめな笑顔か。宮中晩餐会は平和主義者の天皇のお招きですから満面の笑顔でしょうが、さて、安倍さんとはどういう顔を見せるのでしょうね。

March 29, 2014

48年間の無為

48年という歳月を思うとき、私は48年前の自分の年齢を思い出してそれからの月日のことを考えます。若い人なら自分の年齢の何倍かを数えるでしょう。

いわゆる「袴田事件」の死刑囚袴田巌さんの再審が決まり、48年ぶりに釈放されました。あのネルソン・マンデラだって収監されていたのは27年です。放送を終えるタモリの長寿番組「笑っていいとも」が始まったのは32年前でした。

48年間も死刑囚が刑を執行されずにいたというのはつまり、死刑を執行したらまずいということをじつは誰もが知っていたということではないでしょうか? なぜなら自白調書全45通のうち44通までを裁判所は「強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの」などとして任意性を認めず証拠から排除しているのです。残るただ1通の自白調書で死刑判決?

また、犯行時の着衣は当初はパジャマとされていましたが、犯行から1年後に味噌樽の中から「発見」された5点の着衣はその「自白」ではまったく触れられていず、サイズも小さすぎて袴田さんには着られないものでした。サイズ違いはタグにあったアルファベットが、サイズではなく色指定のものだったのを証拠捏造者が間違ったせいだと見られています。

いずれにしてもその付着血痕が袴田さんのものでも被害者たちのものでもないことがDNA鑑定で判明し、静岡地裁は「捏造の疑い」とまで言い切ったのでした。

ところがその再審決定の今の今まで、権力の誤りを立ち上がって正そうとした者は権力の内部には誰ひとりとしていなかった。それが48年の「無為」につながったのです。(1審の陪席判事だった熊本典道は、ひとり無罪を主張したものの叶わず、半年後に判事を辞して弁護士に転身しました。そして判決から39年目の2007年に当時の「合議の秘密」を破って有罪に至った旨を明らかにし、袴田さんの支援運動に参加しました。ところが権力の内部にとどまった人たちに、熊本氏の後を追う者はいなかったのです)

こうした経緯を考えるとき、私はホロコースト裁判で「命令に従っただけ」と無罪を主張したアドルフ・アイヒマンのことを思い出します。数百万のユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだ責任者は極悪非道な大悪人ではなく、思考を停止した単なる小役人だった。ハンナ・アーレントはこれを「悪の凡庸さ」と呼びました。

目の前で法や枠組みを越えた絶対の非道や不合理が進行しているとき、非力な個人は立ち上がる勇気もなく歯車であることにしがみつく。義を見てせざる勇なきを、しょうがないこととして甘受する。そうしている間に世間はとんでもない悪を生み出してしまうのです。その責任はいったいどこに求めればよいのでしょう?

ナチスドイツに対抗したアメリカは、この「悪の凡庸さ」に「ヒーロー文化」をぶつけました。非力な個人でもヒーローになれると鼓舞し、それこそが社会を「無為の悪」から善に転じさせるものだと教育しているのです。

こうして内部告発は奨励されベトナム戦争ではペンタゴンペーパーのダニエル・エルスバーグが生まれ、やがてはNSA告発のエドワード・スノーデンも登場しました。一方でエレン・ブロコビッチは企業を告発し、ハーヴィー・ミルクは立ち上がり、ジェイソン・ボーンはCIAの不法に気づいてひとり対抗するのです。

対して日本は、ひとり法を超越した「命のビザ」を書き続けた杉原千畝を「日本国を代表もしていない一役人が、こんな重大な決断をするなどもっての外であり、組織として絶対に許せない」として外務省を依願退職させ、「日本外務省にはSEMPO SUGIHARAという外交官は過去においても現在においても存在しない」と回答し続けた。彼が再び「存在」し直したのは2000年、当時の河野洋平外相の顕彰演説で日本政府による公式の名誉回復がなされたときだったのでした。すでに千畝没後14年、外務省免官から53年目のことでした。

それは袴田さんの名誉が回復される途中である、今回の「48年」とあまりに近い数字です。

February 23, 2014

拡大する日本監視網

浅田真央選手のフリーでの復活は目を見張りました。ショートでの失敗があったからなおさらというのではなく、それ自体がじつに優雅で力強い演技。NBCの中継で解説をしていたやはり五輪メダリストのジョニー・ウィアーとタラ・リピンスキーは直後に「彼女は勝たないかもしれない。でも、このオリンピックでみんなが憶えているのは真央だと思う」と絶賛していました。前回のコラムで紹介した安藤美姫さんといい、五輪に出場するような一流のアスリートたちはみな国家を越える一流の友情を育んでいるのでしょう。

一方でそのNBCが速報したのが東京五輪組織委員会会長森嘉朗元首相の「あの子は大事な時に必ず転ぶ」発言です。ご丁寧に「総理現職時代から失言癖で有名だった」と紹介された森さんのひどい失言は、じつは浅田選手の部分ではありません。アイスダンスのクリス&キャシー・リード兄妹を指して「2人はアメリカに住んでるんですよ。米国代表として出場する実力がなかったから帰化させて日本の選手団として出している」とも言っているのです。

いやもっとひどいのは次の部分です。「また3月に入りますとパラリンピックがあります。このほうも行けという命令なんです。オリンピックだけ行ってますと会長は健常者の競技だけ行ってて障害者のほうをおろそかにしてると(略)『ああまた27時間以上もかけて行くのかな』と思うとほんとに暗いですね」

日本の政治家はこうして自分しか知らない内輪話をさも得意げに聴衆に披露しては笑いを取ろうとする。それが「公人」としてははなはだ不適格な発言であったとしても、そんな「ぶっちゃけ話」が自分と支持者との距離を縮めて人気を博すのだと信じている。で、森さんの場合はそれが「失言癖」となって久しいのです。

しかしこういう「どうでもいい私語」にゲスが透けるのは品性なのでしょう。そのゲスが「ハーフ」と「障害者」とをネタにドヤ顔の会長職を務めている。27時間かけてパラリンピックに行くのがイヤならば辞めていただいて結構なのですが、日本社会はどうもこういうことでは対応が遅い。

先日のNYタイムズは安倍政権をとうとう「右翼政権」と呼び、憲法解釈の変更による集団自衛権の行使に関して「こういう場合は最高裁が介入して彼の解釈変更を拒絶し、いかなる指導者もその個人的意思で憲法を書き換えることなどできないと明確に宣言すべきだ」と内政干渉みたいなことまで言い出しました。国粋主義者の安倍さんへの国際的な警戒監視網はいまや安倍さん周辺にまで及び、というか周辺まで右翼言辞が拡大して、NHKの籾井会長や作家の百田さんや哲学者という長谷川さんといった経営委員の発言から衛藤首相補佐官の「逆にこっちが失望です」発言や本田内閣官房参与の「アベノミクスは力強い経済でより強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだ」発言も逐一欧米メディアが速報するまでになっています。

日本人の発言が、しかも「問題」発言が、これほど欧米メディアで取り上げられ論評され批判されたことはありませんでした。安倍さんはどこまで先を読んでその道を邁進しようとしているのでしょうか? そのすべてはしかし、東アジアにおけるアメリカの強大な軍事力という後ろ盾なくては不可能なことなのです。そしてそのアメリカはいま、日本経済を建て直し、沖縄の基地問題を解決できると踏んでその就任を「待ち望んだ安倍政権を後悔している」と、英フィナンシャルタイムズが指摘している。やれやれ、です。

February 17, 2014

自信喪失時代のオリンピック

安藤美姫さんが日本の報道番組でソチ五輪での女子フィギュア競技の見通しに関して「表彰台を日本人で独占してほしいですね」と振られ、「ほかの国にもいい選手はいるから、いろんな選手にスポットライトを当ててもらえたら」と柔らかく反論したそうです。

五輪取材では私は新聞記者時代の88年、ソウル五輪取材で韓国にいました。いまも憶えていますが、あのころは日本経済もバブル期で自信に溢れていたせいか、日本の報道メディアには「あまりニッポン、ニッポンと国を強調するようなリポートは避けようよ」的な認識が共有されていました。それは当時ですでに24年前になっていた東京オリンピックの時代の発展途上国の「精神」で、「いまや堂々たる先進国の日本だもの、敢えてニッポンと言わずとも個人顕彰で十分だろう」という「余裕」だったのだと思います。

でもその後のバブル崩壊で日本は長い沈滞期を迎えます。するとその間に、就職もままならぬ若者たちの心に自信喪失の穴があくようになり、そこに取って替わるように例の「ぷちナショナリズム」みたいな代替的な擬制の「国家」の「自信」がはまり込んだのです。スポーツ応援に「ニッポン」連呼が盛大に復活したのもこのころです。

知っていますか? 現在の日本では街の書店に軒並み「嫌韓嫌中」本と「日本はこんなにスゴい」的な本が並ぶ愛国コーナーが設けられるようになっているのです。なにせその国の首相は欧米から「プチ」の付かない正真正銘の「ナショナリスト」のお墨付きをもらっているのですから、それに倣う国民が増えても不思議ではありません。だからこそ64年の東京五輪を知らない世代の喪失自信を埋め合わせるように、日本が「国家的自信」を与える「東京オリンピック」を追求し始めたのも当然の帰結だったのでしょう。

そこから冒頭の「表彰台独占」コメントへの距離はありません。さらに首相による羽生結弦選手への「さすが日本男児」電話も、あざといほどに短絡的です。80年代にはあったはずの日本人の、あの言わずもがなの「自信」は、確かにバブルのように消えてしまったよう。まさに「衣食足りて」の謂いです。

そんな中で安藤美姫さんも羽生選手も自信に溢れています。それはやるべきことをやっている人たちの自信でしょうが、同時に海外経験で多くの外国人と接して、その交遊が「日本」という国家を越える人たちのおおらかさのような気がします。そしてその余裕こそが翻って日本を美しく高めるものだと私は思っています。じっさい、安藤さんのやんわりのたしなめもとても素敵なものでしたし、羽生選手の震災に対する思いはそれこそじつに「日本」思いの核心です。

スポーツの祭典は気を抜いているとことほどさように容易に「国家」に絡めとられがちです。だからヒトラーはベルリン五輪をナショナリズムの高揚に利用し、それからほどなくしてユダヤ人迫害の大虐殺に踏み切ることができました。ソチ五輪もまたロシア政府のゲイ弾圧に国際的な黙認を与えることかどうかで議論は続いています。

オリンピックはいつの時代でも活躍する選手たちに「勇気を与えてくれた」「感動をありがとう」と感謝の声をかけたくなります。そして表彰台の彼らや日の丸につい自己同一してしまう。そんなとき、私はいつも歌人枡野浩一さんの短歌を思い出します──「野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない」

はいはい、わかってはいるんですけどね。

January 20, 2014

逆張りの泥団子

昨年の夏に、来月7日から始まるロシアのソチ五輪ボイコットを呼びかけるハーヴィー・ファイアスティン氏の寄稿がNYタイムズに掲載されたことを紹介しました。プーチン政権による同性愛者弾圧を見過ごして五輪に参加するのは、ユダヤ人弾圧に抗議もせずドイツ五輪に参加した1936年の国際社会と同じ愚行だ、という意見でした。当時、私は、ロシア産品の不買運動もすでに始まっており、五輪を巡るこの攻防は国際的にはさらに大きな動きになるはずだと書きました。

果たして予想は当たり、国際社会はその後、米英仏独や欧州連合(EU)などの首脳が相次いで開会式への欠席を表明して、ソチ五輪は国際的にはロシアの人権弾圧に抗議を示す異例の事態下での開会となります。

そんなときに日本の安倍首相が、「北方領土の日」に重なるとして一旦は「欠席」だった開会式に一転、出席する意向を示しました。日本はいちおう西側社会の一員ですが、欧米と逆を行くこの対応は何なのでしょう。

「日ロ関係全体を底上げし、北方領土問題の議論に前向きな結果をもたらすことを期待」と外相が代わって意味づけをしましたが、プーチンさんとの首脳会談も日程的に難しいそうです。それでも開会式に出席すれば北方領土問題でロシアに貸しを作れると思っているなら、それはナイーブに過ぎます。それより何よりロシアの例の同性愛者迫害の一件はどうスルーするのでしょうか?

日本社会では性的少数者の人権保障はいまだ大きな政治課題に育っていないのは確かです。しかし性的少数者の人権保障はいまや先進民主主義国の重要な政治傾向。それを無視して、あるいは知らない振りをしてシレッと開会式に出る。こういうのを何と言うのでしたっけ? 「逆張り」?

そこで思い出すのは昨年12月10日のマンデラさんの葬儀です。アパルトヘイトという史上最大級の差別への反省から、自身で作った南アの新たな憲法で世界で初めて同性愛者などの性的少数者への差別をも禁止したこの偉人の弔問外交の場には、世界の首脳140人が一堂に会しました。それにも安倍首相は欠席した。その3日後に東京で開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)特別首脳会議のため、というのが公式理由でした。

でもここまで来ると安倍さんは仲間はずれ、つま弾きになりそうなところには行きたくない、歓迎されるところにしか行きたくないのだと疑ってしまいます。いろいろ文句を言ってくる欧米はメンツを潰されるので嫌いなのだと。

私は日本が国際社会で「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」国家であるという「名誉ある地位を占めたいと思」っています。でもここまで「逆張り」が続くと国際社会の動向の「読み違い」が原因というより読もうという努力をハナからしていない、いやむしろ確信犯的に「逆」を張ってどこまで「持論」を通せるか反応を試しているようにさえ思えます。その持論である「美しい国」には国際社会からの評価は必要ないのでしょうか。

国際社会に媚びろと言うのではありません。積極的平和主義だろうが何だろうが、政治も外交も一にも二にも正確な状況分析がすべての土台だということです。それなのに日本はいま、世界の情報を日本語だけで勝手にこねくり回して勝手に解釈している。伝言ゲームよろしくまったく違った牽強付会の泥団子をめでているのです。その泥団子はまずいどころか本来は食べる物ですらないというのに。

私はオバマさんの4月の来日が不安です。

January 14, 2014

爬虫類の脳

ディック・メッカーフ Dick Metcalf(67)という米国の銃器評論家の第一人者がいます。有名雑誌に連載を持ち、テレビでも自身の番組を持って最新銃器のレビューを行う大ベテラン。イェールやコーネル大学で歴史を教えてもいるその彼が昨年11月以降メディアから姿を消しました。なぜか? その経緯が新年早々のNYタイムズで記事になっていました。

40万購読者を誇る「Guns & Ammo(銃&弾薬)」という雑誌のコラムで10月末、彼が「Let's Talk Limits」というタイトルの下、「銃規制」を呼びかけたことが原因でした。とはいえ書いたことは「憲法で保障されている権利はすべて何らかの形で規制されている。過去もそうだった。そしてそれは必要なことなのである」ということだけ。つまり銃の所持権に関しても同じだろうということで、べつに声高に銃規制を叫んだわけでもありません。彼はそもそも銃所持権支持者なのですから。

ところがこれが掲載されるや抗議のメールが編集部に殺到し、あっという間に読者が大挙して定期購読をキャンセル。ネットでは大バッシングが始まり、長年のスポンサーだった銃器メーカーは支援を中止、出演していたテレビも打ち切りとなりました。そして彼は根城だった保守論壇から完全に干されたのです。

もちろん銃規制という国を二分するセンシティブな問題のせいもありましょう。でも注目したいのはこの間髪入れぬ激昂の反応です。ここには有無を言わせぬ敵愾心だけがあります。人間の知性と理性はどこに行ってしまったのか?

人間の脳は何百万年もかけて原始的な脳から層を重ね、いまの大脳皮質まで辿り着きました。原始的で凶暴な反応は上層の大脳皮質にまで行き着くことで理性的になり知性的に発展します。その最深部の最も原初的な層はR領域と呼ばれます。Rとはレプタイル(reptile, 爬虫類)のこと、つまり相手が近づくと誰彼なくとにかく反射的に噛み付いてみるヘビやワニなどの脳のことです。そういう爬虫類脳同然の反応……。

ことはアメリカに限りません。イギリスでは昨年夏、新しい10ポンド紙幣に女性の肖像画(ジェイン・オースティン)を採用するよう運動していたフェミニスト女性がツイッター上でレイプする、殺すと脅され、それを報道した女性ジャーナリストまでが脅迫された事件が起こりました。犯人2人には今月24日に判決が下ります。ナイジェリアでは反ゲイ法が成立発効して有無を言わさず待ち構えていたように100人以上のゲイ男性たちが逮捕されるという事態が起きています。翻って日本であっても、ツイッターで例えば例の安倍の靖国参拝を批判すると猛然とすぐに噛み付いてくる匿名の見知らぬ安倍崇拝者たちがいます。噛み付き口汚く罵り気勢を上げてはまたどこかに消える。これらはみんな同じタイプの人間たちです。こちらで丁寧に対応しても聞く耳など持ちません。

かつては発言するということはその言葉が実社会で他人からの批判や反論の摩擦を受けるということでした。ところがインターネットの一般化で摩擦を受けずに自分の言葉を直接そのまま発信できるようになった。それは権力を手にしたかのような幻想を与えます。1人評論家ごっこもできるし、切磋琢磨を経ない石のままの言葉を投げつける独善主義にもなれる。

ひとつ引用しましょう。たとえば私にツイッターで一方的に絡んできた彼は、私のことを「ジャーナリスト様」と揶揄しながらこう書いて溜飲を下げていました。「インテリを自称する連中は、知性が高くても精神的に成熟している訳ではなくむしろ未成熟。自分は何でも知っていて絶対に正しいと思い込み自分の理解できないものをくだらないと否定し、自分を理解しない人間を愚かだと見下す」

これもその彼に限ったことではありません。すべての噛み付き性向の者たちはまるでどこかで示し合わせてでもいるかのようにほぼこの「引きずり下ろし」とも呼ぶべきパタンを踏襲しています。なぜかわからないが自分よりもエラそうに社会的に発言している者たちへの攻撃パタンです。ここで図らずも白状するかのように記してしまっている、「愚かだと見下」されていると自分のことを妄想する被害者意識と劣等感。それらを起爆剤として彼らは自爆テロのように爆発するのです。

それは知性に敵対する行為です。そう考えて思い当たるのは、文化大革命やカンボジアのポルポトで、まず根絶やしにされたのが知識層だったという史実です。スターリニズムもそうでしたし、アメリカの赤狩りでも同じことが起こりました。権力側が彼ら反対勢力の知的抵抗を怖れたからというのもあったでしょうが、それよりもそれは一部大衆による、知識層への恨みにも似た劣等感とその反動が推進力でした。それらのドキュメンタリー映像に映る激昂する人々の顔は知識層への恐ろしいほどの憎悪と敵意に満ちています。本当は丁寧な知性は大衆の敵ではなく味方であったはずなのに。

知性は勉強ができるできないとは関係ありません。知性とは本来エリート主義とは無縁です。知性とは人々すべての善き人生のための問いかけと答えの運動のことなのです。なのに鼻持ちならない一部エリートたちへの嫌気から彼らと知性とを混同し、知性を蔑み敵対し夜郎自大になる──それがポピュリズムを煽る日本のネトウヨ(ネット右翼)や米国の「ティーパーティー」の、そしてその層を利用している日本の安倍政権や米共和党右派の、爬虫類的な大いなる禍いなのです。

世界で共通するこの反知性主義。「反」くらいな感じでは済まないほどの根拠のない怨念めいた憎悪が渦巻く日本のネット社会。知性フォビア。知性憎悪症。ポピュリズムというのはもともとは反エリート主義の大衆政治のことでしたが、その基盤となった大衆知がいつのまにか本当の知性に置き換わって知性を攻撃しだす。中途半端な知識人への嫌悪が知性を矮小化しその生き方と価値とを憎み倒すようになる。そうして鬱憤を晴らして、しかし彼らはどこに行くのでしょうか?

劣等感というものは、どう転んでも個人的鬱憤の次元から出るものではありません。どう鬱憤を晴らしてもそこから先はないのです。そこから先を作るのは劣等感ではなく知性です。もう一度言います。それは勉強ができるとかできないとかじゃなくて、現在を批評的に捉えて次のより自由な次元へと飛翔するための気真面目な問いかけの運動のことなのです。

ペンは剣よりも物理的には強いはずがありません。ペンが剣より強いのは人間の知性がそういう社会を志向するときだけです。そして反知性主義は、そういう社会を志向しません。剣がペンよりも強い世界、それは微笑みよりも噛み付く牙がすべてである爬虫類の世界です。

December 29, 2013

I am disappointed

クリスマスも終わってあとはのんべんだらりと年を越そうと思っていたのに、よいお年を──と書く前に驚かされました。安倍首相の靖国参拝自体にではなく、それに対して米国ばかりかヨーロッパ諸国およびEU、さらにはロシアまで、あろうことかあの反ユダヤ監視団体サイモン・ウィーゼル・センターまでもが、あっという間にしかも実に辛辣に一斉大批判したことに驚かされたのです。

中韓の反発はわかります。しかし英語圏もがその話題でもちきりになりました。靖国神社が世界でそんなに問題視されていることは、日本語だけではわからないですが外国に住んでいるとビシビシ刺さってきます。今回はさらにEUとロシアが加わっていることもとても重要な新たなフェイズと認識していたほうがよいでしょう。

こんなことは7年前の小泉参拝のときには起きませんでした。何が違うかと言うと、小泉さんについては誰も彼が国粋主義者だなんて思ってはいなかった。でも安倍首相には欧米ではすでにれっきとした軍国右翼のレッテルが張られていました。だって、3カ月前にわざわざアメリカにまで来て「私を右翼の軍国主義者だと呼びたいなら呼べばいい」と大見得を切った人です(9/25ハドソン研究所)。それがジョークとしては通じない国でです。そのせいです。

例によって安倍首相は26日の参拝直後に記者団に対し「靖国参拝はいわゆる戦犯を崇拝する行為だという誤解に基づく批判がある」と語ったとされますが、いったいいつまでこの「誤解」弁明を繰り返すのでしょう。特定秘密保護法への反発も「誤解」に基づくもの、武器輸出三原則に抵触する韓国への弾薬供与への批判も「誤解」、集団的自衛権の解釈変更に対する反対も「誤解」、この分じゃ自民党の憲法改変草案への反発もきっと私たちの「誤解」のせいにされるでしょう。これだけ「誤解」が多いのは、「誤解」される自分の方の根本のところが間違っているのかもしれない、という疑義が生まれても良さそうなもんですが、彼の頭にはそういう回路(など)の切れている便利な脳が入っているらしい。

果たしてニューヨークタイムズはじめ欧米主要紙の見出しは「国家主義者の首相が戦争神社 war shrine」を参拝した、というものでした。それは戦後体制への挑戦、歴史修正主義に見える。ドイツの新聞は、メルケル首相が同じことをしたら政治生命はあっという間に終わると書いてありました。英フィナンシャルタイムズは安倍首相がついに経済から「右翼の大義」の実現に焦点を移したと断言しました。

問題はアメリカです。クリスマス休暇中のオバマ政権だったにもかかわらず、参拝後わずか3時間(しかもアメリカ本土は真夜中から未明です。ケリー国務長官も叩き起こされたのでしょうか?)で出された米大使館声明(翌日に国務省声明に格上げされました)は、まるで親や先生や上司が子供や生徒や部下をきつく叱責する文言でした。だいたい「I am disappointed in you(きみには失望した)」と言われたら、言われたほうは真っ青になります。公式の外交文書でそういう文面だったら尚更です。

アメリカ大使館の声明の英文原文を読んでみましょう(ちなみに、米大使館サイトに参考で掲載されている声明の日本語訳はあまり日本語としてよくなくて意味がわかりづらくなっています)。

声明は3つの段落に分かれています。前述したようにこれはアメリカで人を叱りつけるときの定型句です。最初にがつんとやる。でも次にどうすれば打開できるかを示唆する。そして最後にきみの良いところはちゃんとわかっているよと救いを残しておく。この3段落テキストはまったくそれと同じパタンです。

第一段落:
Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan's leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan's neighbors.
日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかし、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させる行動を取ったことに、米国は失望している。

これは親友に裏切られてガッカリだ、ということです。失望、disappointedというのはかなりきつい英語です。
というか、すごく見下した英語です。ふつう、こんなことを友だちや恋人に言われたらヤバいです。もっと直截的にはここを受け身形にしないで、You disappointed me, つまり Japan's leadership disappointed the United States, とでもやられたらさらに真っ青になる表現ですが。ま、外交テキストとしてはよほどのことがない限りそんな文体は使わないでしょうね

ちなみに国連決議での最上級は condemn(非難する)という単語を使いますが、それが同盟国相手の決議文に出てくると安保理ではさすがにどの大国も拒否権を行使します。で、議長声明という無難なところに落ち着く。

第二段落;
The United States hopes that both Japan and its neighbors will find constructive ways to deal with sensitive issues from the past, to improve their relations, and to promote cooperation in advancing our shared goals of regional peace and stability.
米国は、日本と近隣諸国が共に、過去からの微妙な問題に対処し、関係を改善し、地域の平和と安定という我々の共通目標を前進させるための協力を推進する、建設的方策を見いだすよう希望する。

これはその事態を打開するために必要な措置を示唆しています。とにかく仲良くやれ、と。そのイニシアティブを自分たちで取れ、ということです。「日本と近隣諸国がともに」、という主語を2つにしたのは苦心の現れです。日本だけを悪者にしてはいない、という、これもアメリカの親たちが子供だけを責めるのではなくて責任を分担して自分で解決を求めるときの常套語法です。

そして第三段落;
We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past and his reaffirmation of Japan's commitment to peace.
我々は、首相が過去に関する反省を表明し、日本の平和への決意を再確認したことに留意する。

これもあまりに叱っても立つ瀬がないだろうから、とにかくなんでもいいからよい部分を指摘してやろうという、とてもアメリカ的な言い回しです。安倍首相が靖国を参拝しながらもそれを「二度と戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるという決意を伝えるため」だという意味をそこに付与したことを、われわれはちゃんと気づいているよ、見ているよ、とやった。叱責の言葉にちょいと救いを与えた、そこを忘れるなよ、と付け加えたわけです。

でも、それを言っているのが最後の段落であることにも「留意」しなくてはなりません。英文の構造をわかっている人にはわかると思いますが、メッセージはすべて最初にあります。残りは付け足しです。つまり、メッセージはまぎれもなく「失望した」ということです。

参拝前から用意していたテキストなのか、安倍首相はこの自分の行動について「戦場で散っていった方々のために冥福を祈り、手を合わす。世界共通のリーダーの姿勢だろう」と言い返しました。しかし、世界が問題にしてるのはそこじゃありません。戦場で散った人じゃなく、その人たちを戦場で散らせた人たちに手を合わせることへの批判なのです。これはまずい言い返しの典型です。この論理のすり替え、詭弁は、世界のプロの政治家たちに通用するわけがありません。とするとこれはむしろ、国内の自分の支持層、自分の言うことなら上手く聞いてくれる人たちに「期待される理由付け」を与えただけのことだと考えた方がよいでしょう。その証拠に、彼らは予想どおりこの文脈をそっくり使ってFacebookの在日アメリカ大使館のページに大量の抗議コメントを投げつけて炎上状態にしています。誘導というかちょっとした後押しはこれで成功です。(でも、米大使館のFB炎上って、新聞ネタですよね)

さてアメリカは(リベラルなコミュニティ・オルガナイザーでもあり憲法学者でもあるオバマさんは安倍さんとは個人的にソリが合わないようですが)、しかし日本の長期安定政権を望んでいるのは確かです。それは日本の経済回復やTPP参加で米国に恩恵があるから、集団自衛権のシフトや沖縄駐留で米国の軍事費財政赤字削減に国益があるからです。そこでの日本の国内的な反発や強硬手段による法案成立にはリベラルなオバマ政権は実に気にしてはいるのですが、それは基本的には日本の国内問題です。アメリカとしては成立してもらうに不都合はまったくない。もちろんできれば国民が真にそれを望むようなもっとよい形で、曖昧ではないちゃんとした法案で、解釈ではなくきちんと議論した上で決まるのが望ましいですが、アメリカとしては成立してもらったほうがとりあえずはアメリカの国益に叶うわけです。

しかしそれもあくまで米国と同じ価値観に立った上での話です。ところが、安倍政権はその米国の国益を離れて「戦後リジームからの脱却」を謳い、第二次大戦後の民主主義世界の成り立ちを否定するような憲法改変など「右翼の大義」に軸足を移してきた。

今すべての世界はじつは日本だけではなく、あの第二次世界大戦後の善悪の考え方基本のうえに成立しています。何がよくて何が悪いかを、そうやってみんなで決めたわけで、現在の民主主義世界はそうやって出来上がっているわけです。それが虚構であろうが何であろうが、共同幻想なんてみんなそんなものです。そうやって、その中の悪の筆頭はナチス・ファシズムだと決めた。だから日本でも戦犯なんてものを作り上げて逆の意味で祀りあげたのです。そうしなければここに至らなかったのです。それが「戦後レジーム」です。なのにそれからの「脱却」? 何それ? アメリカだけがこれに喫驚しているのではありません。EUも、あのプーチンのロシアまでがそこを論難した。その文言はまさに「日本の一部勢力は、第2次大戦の結果をめぐり、世界の共通理解に反する評価をしている」(12/26ロシア・ルカシェビッチ情報局長)。安倍首相はここじゃもう「日本の一部勢力」扱いです。

なぜなら、今回の靖国参拝に限ったことではなく、繰り返しますが、すでに安倍首相は歴史修正主義者のレッテルが貼られていた上で、その証左としてかのように靖国参拝を敢行したからです。そうとして見えませんものね。だからこそそれは東アジアの安定にとっての脅威になり、だからこそアメリカは「disappointed」というきつい単語を選んだ。

何をアメリカがエラそうに、と思うでしょうね。私も思います。

でも、アメリカはエラそうなんじゃありません。エラいんです。なぜなら、さっきも言ったように、アメリカは現在の「戦後レジーム」の世界秩序の守護者だからです。主体だからです。そのために金を出し命を差し出してきた。もちろんそれはその上に君臨するアメリカという国に累が及ばないようにするためですし、とんでもなくひどいことを世界中にやってきていますが、とにかくこの「秩序」を頑に守ろうとしているそんな国は他にないですからね。そして曲がりなりにも日本こそがその尻馬に乗ってここまで戦後復興してきたのです。日本にとってもアメリカは溜息が出るくらいエラいんです。それは事実として厳然とある。

それはNYタイムズが26日付けの論説記事を「日本の軍事的冒険は米国の支持があって初めて可能になる」というさりげない恫喝で結んでいることでも明らかです(凄い、というか凄味ビシバシ。ひー)。そういうことなのです。それに取って代わるためには、単なるアナクロなんかでは絶対にできません。そもそもアメリカに取って代わるべきかが問題ですが、独立国として存在するためには、そういうアナクロでないやり方がたくさんあるはずです。

それは何か、真っ当な民主主義の平和国家ですよ。世界に貢献したいなら、それは警察としてではなく、消防士としてです。アナクロなマチズム国家ではない、ジェンダーを越えた消防国家です。そうずっと独りで言い続けているんですけど。

いまアメリカは安倍政権に対する態度の岐路に立っているように見えます。「日本を取り戻す」のその「取り戻す日本」がどんな日本なのか、アメリカにとっての恩恵よりも齟齬が大きくなったとき、さて、エラいアメリカは安倍政権をどうするのでしょうか。

November 07, 2013

ストップ&フリスク

市政監督官のビル・デブラシオ候補が大勝したNY市長選ですが、ブルームバーグ市長の政策を「富裕層優遇」と真っ向から批判してきたことが功を奏したというより、私にはあの高校生の息子ダンテくんの超アフロヘア人気がカギを握っていたと見るのですがミーハーに過ぎるでしょうか?

さてハイラインの建造や歩行者天国の拡大、最近では(これは人気イマイチですが)シティバイクの設置といろいろとアイディアマンだったブルームバーグ市長ですが、確かに振り返れば市の貧困率は21%と過去最高ですし、NY市警による「ストップ&フリスク(通行人を呼び止めての職務質問と身体検索)は人種プロファイリング(人種偏見を基にした思い込みの捜査手法)だとして風当たりが強くなっています。ここら辺で違う風がほしいと思った向きがデブラシオというほとんど無名だった候補へ流れたのでしょう。

ところでこのストップ&フリスク、一般の注目を浴びたのは8月に地方判事が「この施策は憲法に違反する」と判断したのが発端です。警官が「白人だったならば呼び止められなかったであろう黒人やヒスパニックの人々」を日常的に呼び止めており、市警は「間接的な人種プロファイリング施策」に依拠しているとしたのです。

しかしそれが市長選挙直前の10月31日、思いがけぬ展開を見せました。控訴審がストップ&フリスク改革を停止し、警官たちに事実上同手法の継続を容認したのです。

そんな中、19歳の黒人男子大学生トレイヴォン・クリスチャンがこの4月にバーニーズNYで大好きなラッパーがしていたのと同じ350ドルのフェラガモのベルトを購入したところ、店から1ブロックのところで2人の私服警官に呼び止められ、「こんな高いものを買えるはずがない」として手錠を掛けられ、分署で2時間も拘束された件が公になりました。

クリスチャンはIDやレシートを見せたのですが偽造だと相手にされなかったとか。これとは別にやはりバーニーズで21歳の黒人女性が2500ドルのセリーヌのハンドバッグを買って同じような目に遭っていたことも新聞で報じられました。2人ともこれを人種偏見の違法行為として市警とバーニーズを訴えてニュースになったのです。

これは犯罪を起こす以前の予防的警戒と言えます。五番街やマディソン街などの高級地区から危なそうな人物を職質してその場から立ち去らせる。人種差別、人種偏見を基に予防的に犯罪可能性に対応する。この施策を支持したブルームバーグ市長は犯罪率の明らかな低下を支持の理由に挙げていました。

なるほどそうかもしれません。そしてこれはよく考えれば9.11以降にブッシュ政権が国際法を無視して行ってきた、そしてオバマ政権もそれを継承している対テロの予防戦争、予防的先制攻撃の思想と同じです。そうしてブッシュはアフガニスタンやイラクやパキスタンのアルカイダを叩き、オバマは怪しい者を証拠や訴追もなくグアンタナモ刑務所に予防的に拘禁している。いまそれから10年以上経って、その考え方がアメリカの一般社会にまで降りてき始めている。富裕層およびそれを取り巻く権力システムが、既得権益を守るために犯罪も成立していないうちから犯罪の憶測、見込みを取り締まる。黒人だ、ヒスパニックだということだけで高級ショッピングエリアから排除する。これはまさに予防的先制攻撃でしょう。

テロは起きてからでは遅いから事前に叩く──この考えが認められるなら犯罪にだって同じじゃないか、そういうことです。ビッグデータを駆使する対テロ予防の監視システムを認めるなら、それを人種プロファイリングという犯罪予防措置に敷衍して何が悪い、ということです。正当防衛の先取り理論。「悪は、危ないことをしてしまった後ではもう遅い。何かをしでかす前の芽の時点で摘み取るべし」なのです。

10年以上前にトム・クルーズ主演の「マイノリティリポート」というSF映画がありました。まさにこの予防的治安維持捜査の物語でした。原作はフィリップ・K・ディックの1956年の小説です。

翻って日本でさえも特定秘密保護法といい予防的治安維持といい、こないだまでSFの中だけだったものがどんどん現実になっています。一流のSF作家の予見の的確さに感心すると同時に、彼らが怖れたものを私達もまた十分に怖れているのか、私達の感性が試されているような気がします。

October 18, 2013

敗者は誰か?

連邦政府の閉鎖と債務不履行危機はけっきょく16日のギリギリのところで一時的ながらも決着を見ました。いったいあの騒ぎは何だったのでしょう?──オバマ大統領は法案署名後の深夜の演説で「ここに勝者はいない」と言いましたが、敗者はいました。誰か? それは国際的な信用を失ったアメリカそのものです。政府閉鎖期間中の経済損失は230億ドルとも言われています。

いや、国際的な顰蹙を買うもととなったのは何一つ言い分も通せずに妥協するしかなかった共和党だから、共和党こそが敗者ではないか、と言う人もいます。

暫定予算を人質に取っての彼らの要求はとにもかくにも医療保険制度改革(オバマケア)の廃止でした。手を替え品を替えしてやってきたオバマケア阻止行動の、これは43回目の試みでした。もちろん今回で43回目の失敗です。

オバマは折れる素振りさえまったく見せませんでした。完全無視をしたのです。そりゃそうでしょう、ここで妥協してオバマケア開始延期でもしたなら、その延期期限のときには次は「廃止だ」と要求がエスカレートするに決まっているからです。日本では元NHKの日高義樹や産経の古森のオジチャマやらが「オバマは指導力を失った」と我田引水、牽強付会の売文で露出していますが、いったい何をどう見ればそういう解釈が出来るのか私にはまったくわかりません。

だって、ぜんぜん折れないオバマを前に、じゃあせめて避妊医療の保険適用は外せないか? と言ってきたのは共和党です。もちろんノー。じゃ医療機器への課税廃止は? そんなのもダメ。ドサクサに紛れて石油掘削事業の再開や環境保護法の規制緩和やキーストーン石油パイプラインの建設再開の承認まで要求してきましたが、そんなのももちろん全部突っぱねられました。いやはや完敗です。

じつは共和党はベイナーが下院議長になってから1度も自分たちの重要法案を成立させたためしがありません。ティーパーティーの新人議員たちの威勢の良さに引きずられるだけで何一つまとめられないのです。「指導力を失った」という言葉はこのベイナーのためにある。普通の頭ならばそういう読解をします。共和党の完敗はベイナーの完敗なのです。

ではそのおおもとの敗因である茶会の一派はどうかというと、この人たち、自分たちが負けたとは思っていないのです。なぜか? なぜなら彼らはこの「大騒ぎ」の「オバマいじめ」で来年の選挙もまた勝てると確信したからです。政治家は選挙に勝てればいいのですから。

茶会の関係者たちは「オバマ憎し」「オバマケアこそが大問題」なのであって、アメリカの連邦制度がどうなろうが、デフォルトで世界経済がどうなろうが関係ないのです。そもそも連邦政府なんて必要ない、世界のことはどうでもいい「小さな政府」論者たち、あるいは「大きなこと」が考えられない人たちです。「茶会の女王」ミッシェル・バックマン(下院議員)なんか政府閉鎖でも「これこそが私たちの見たかったこと。こんな幸せなことはない」と言い放ったほどです。

この人たちの選挙区はレッドステート(共和党が優勢の州)の中でもさらに真っ赤な選挙区。そこの有権者たちはすっかり茶会の主張である「オバマケアは悪魔の政策でアメリカの自助の精神を破壊し、個人の健康のことにまで口出ししてくる社会主義の悪法だ」を信じているわけです。

ところで彼らに現在の医療格差をどうこうする解決策はありません。茶会は基本的に「アンチ」の党派で、アンチ以外の建設的な対案があるわけじゃないからです。ある意味、対案がないから熱狂できる。なぜなら、対案があったらそこでまたいろいろ考えなくちゃならなくなる。そうすると単純に熱狂しているだけでは済まなくなるからです。そういう面倒なものはない方が熱くなりやすい。そういうもんです。

で、茶会政治家にとっては11月の中間選挙本番より、じつは来年早々本格化する共和党予備選挙が重要です。そこで党候補になれればさっきも書いたようにその真っ赤な選挙区では民主党候補には楽勝できるのですから。しかも茶会スポンサーには全米4位の金持ちのコッチ兄弟や同7位のラスベガス賭博王エイデルソンが控えているのを忘れてはいけません。

この3氏、彼らだけで私財は計9兆円といわれています。日本の一般会計予算の10%に相当する大金です。こうしたことを背景に、去年の予備選では茶会の全面支援を受けた新人が穏健派の現職上院議員を蹴落として共和党候補になるという現象が起きました。これは衝撃でした。

私はこの選挙の傾向はジョージ・W・ブッシュの時の選挙に遡ると思っています。2000年のブッシュ対ゴアのときです。あのときに、副大統領のゴアを大統領にさせないために、ブッシュは、というよりブッシュ陣営の選挙参謀カール・ローブは「ゴアは同性婚や中絶にも理解を示す社会主義者だ」「このままではアメリカが壊されてしまう」と大々的に宣伝し、これまで選挙になんか行かなかった宗教的にとても敬虔な、キリスト教保守派の人々を投票に行くよう焚き付けたのです。そうやって400万人の新たな保守投票者を獲得した。これはブッシュに投票する人が1割増えたという計算です。

その宗教的な保守派の人々が一旦そうやって政治的な力に味をしめると、そこから茶会の波が起きるわけです。田舎の人たち、教会しか娯楽がないような人たち、自分の土地のことが人生の最重要な課題である人たち。それはどの国にもいる生活者です。ただそれが宗教と、それもものすごく狂信的な巨大チャーチと結びつき、そこにアメリカ的な、発言するのが美徳という精神文化が加わると、これほどに大きな政治勢力になる。茶会とはそうやって生まれてきたのだと私は総括しています。

それから13年、かくして共和党の(というか反オバマの、反民主の)候補者たちはそんな茶会とその大富豪スポンサーの歓心を買うためにどんどん右傾し、共和党は股裂き状態になっています。そしてそんな共和党に付き合いきれない民主党がいます。

アメリカの二極化は政治の機能不全につながっています。それはさらなる国際的信用失墜の敗者への道なのですが、もちろん茶会にはそれがひいてはどう自分たち自身の首を絞めることになるのか、理解する想像力も洞察力もありません。

October 03, 2013

靖国とアーリントンと千鳥ヶ淵と

しかし安倍政権もよほどオバマ政権に嫌われたものです。この前のエントリーでも安倍さんのハドソン研究所講演などにおける米民主党との疎遠ぶりに触れましたが、今度は日米外務・防衛担当閣僚会議に訪日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官が、10月3日のその会議の朝に、わざわざ千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、献花・黙祷したのです。

米国の大臣が2人そろって日本人戦没者を追悼する──この異例の弔意表敬は何を意味しているのでしょう?

これには伏線がありました。安倍が今年5月の訪米に際して外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」のインタビューでバージニア州にあるアーリントン国立墓地を引き合いに出し「靖国はアーリントンだ」という論理を開陳したのです。

「靖国神社についてはどうぞ、アメリカのアーリントン国立墓地での戦没者への追悼を考えてみてください。アメリカの歴代大統領はみなこの墓地にお参りをします。日本の首相として私も(そこを)訪れ、弔意を表しました。しかしジョージタウン大学のケビン・ドーク教授によれば、アーリントン国立墓地には南北戦争で戦死した南軍将兵の霊も納められているそうです。その墓地にお参りをすることは、それら南軍将兵の霊に弔意を表し、(彼らが守ろうとして戦った)奴隷制を認めることを意味はしないでしょう。私は靖国についても同じことが言えると思います。靖国には自国に奉仕して、命を失った人たちの霊が祀られているのです」

このケビン・ドーク教授のくだりは産經新聞への寄稿からの引用で、産経の古森のオジチャマも「靖国参拝問題で本紙に寄稿したジョージタウン大学のケビン・ドーク教授が『アーリントン墓地には奴隷制を守るために戦った南軍将兵の遺体も埋葬されているが、そこに弔意を表しても奴隷制の礼賛にはならない』と比喩的に指摘したことに触発され、初めて南軍将兵の墓を訪れてみたのだった」とコラム(2006年05月31日 産経新聞 東京朝刊 国際面)で触れているから、おそらくそれを読んでの引き合いだったのでしょう。

例によって古森のオジチャマはフォーリン・アフェアーズ記者への安倍の回答を、自分のコラムを読んでくれていたせいか「なかなか鋭い答えだと思います」と賞賛しています。

ですが今回、日本の首相たちのアーリントン墓地表敬訪問の返礼として、オバマ政権が選んだ場所はその「靖国」ではありませんでした。千鳥ヶ淵だったのです。これはつまり日本で「アーリントン」に相当するのは「靖国ではない」ということを暗に、かつ具体的に示したのです。かなりきつい当てつけです。普通の読解力があれば、これは相当に苦々しいしっぺ返しです。

アメリカとしては、東アジアでキナ臭いことが起きたら大変なのです。にもかかわらず相も変わらず中韓を刺激するようなことばかりする安倍内閣というのは何なのかと呆れている。安倍さんは民主党政権でぐちゃぐちゃになったアメリカとの関係を「取り戻す」と、これも自らの宣伝コピーとともに宣言してきましたが、「取り戻せた」と自賛するほどにはまったく至っていないのは自分でも知っているはず。

同時に千鳥ヶ淵献花はかつての敵国である米国による日本との完全な和解の象徴でもあります。いま敵対している中国や韓国との関係をも、このように敬意を示して和解に持っていけよ、というオバマ政権からのメッセージだと読めなくもありません。

「完全な和解の象徴」と書きましたが、じつはその「完全」にはきっと次があります。それは核廃絶を謳ってノーベル平和賞を受賞したオバマさんが広島に行くことです。

米国はイランや北朝鮮の核開発を認めるわけにはいきません。テロリストに核爆弾が渡るのも流血を厭わず阻止し続ける。その強硬一本の姿勢とともに、彼はヒロシマ献花という平和の象徴的なメッセージを世界に振りまく戦略を考えているのではないか。

折りも折り、日本の大使には「叔父(エドワード・ケネディ)とともに1978年に広島に訪れて深く影響を受けた」と承認のための上院公聴会でわざわざ話したキャロライン・ケネディがまもなく赴任します。大統領の広島記念式典への出席には米国内でいろいろと異論も多いのですが、天下の「ケネディ」とともに出席すればその批判も出にくくなるでしょう。

来年の8月、あるいは選挙もない任期最後の2015年8月に、私は今回のケリーとヘーゲルのように2人並んで広島で献花するオバマとケネディの姿が目に見えるような気がするのですが、ま、そんな先のこと、今から確定するはずもありませんけどね。

September 27, 2013

アベノミス

NY訪問を終える安倍首相のフェイスブックのページに「安倍政権の目指す方向を世界に発信できた有意義な出張でした」と書き込まれていました。「発信」といっても報じたのは日本のメディアで、アメリカではほとんど触れられていませんでしたが。

「発信」は今回、ハドソン研究所、ウォールストリートの証券取引所、そして国連総会での3つの演説でした。この中にオバマ政権との接触はありませんでした。

ハドソン研究所というのは限定核戦争を肯定したり核戦争下での民間防衛のあり方を論じたりしたタカ派の軍事理論家ハーマン・カーンの創設したシンクタンクです。もちろんここは共和党と親和性が高い。ちなみにこのカーンさん、あの名高い映画『博士の奇妙な愛情』の主人公ドクター・ストレンジラヴのモデルなんです。

もっとも、ここでの講演は安倍さんがそのカーンの名を冠した賞を授与された記念講演でした。同賞歴代受賞者はレーガンやキッシンジャー、そして前副大統領のチェイニーらほぼ共和党系。そんなところで「私を右翼の軍国主義者と呼びたければ呼んでください」とやればもちろんそれは受けるでしょう。けれど東アジアの、特に日中の緊張関係にヒヤヒヤしているオバマ政権はどう思うでしょう。それでなくとも安倍さんを「右翼の国粋主義者」として距離を置いているオバマ民主党です。中国を意識して言い返したつもりの先の決め言葉は、彼らには当てこすりと聞こえたに違いありません。

そして証券取引所でのスピーチでした。私はこれにも「おや?」と思いました。安倍さん、出だしで「ウォール街──この名前を聞くとマイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出す」とやったんですね。

この映画、オリバー・ストーンが監督で徹底してウォール街の嘘とごまかしと裏切りとインサイダー取引とマネーゲームのひどさとを描いたものです。そしてゲッコーこそがウォール街を具現する悪役なのです。それを思い出すと言うとは、安倍さんは金融マンたちを目の前にして皮肉をかましたんでしょうか?

彼はまだ続けます。「今日は皆さんに、日本がもう一度儲かる国になる、23年の時を経てゴードンが金融界にカムバックしたように『Japan is back』だということをお話しするためにやってきました」。そして「ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには3語で十分です。『Buy my Abenomics』」と……。

映画の続編で、慕ってくる青年にゲッコーが「Buy my book」つまりオレの本を買えばわかると言ったことに引っ掛けたわけですが、ゲッコーはその続編でも手痛いしっぺ返しを食らうのです。その文脈に沿えば、アベノミクスはしっぺ返しを食らう運命にあるってことの隠喩でしょ? これって自虐ジョークじゃないですか?

終始ヤンキーズやイチローやバレンティンや寿司の話などアメリカ人の好きそうなエピソード満載のスピーチで、安倍さんはとても得意げだったのですが、私は逆に微妙な違和感を持ちました。演説の〆で、この演説の悪ノリの印象は決定的になりました。

安倍さんは五輪開催を決めた日本に触れます。そこでヤンキーズのリベラ投手のテーマ曲を持ち出し(リベラはこの演説の翌日が引退試合でした)「日本は再び7年後に向けて大いなる高揚感の中にあります。それはヤンキースタジアムにメタリカの『Enter Sandman』が鳴り響くがごとくです」とやったんです。

でもこのヘビメタ曲、敵チームに対し、リベラが出てきたから「もうお前たちは眠りにつくしかない」と敗戦を言い渡す歌なんですよ。サンドマンというのはまさにその「眠りの精」こととなんですから。東京五輪に来る人たちに「さあ、おまえらはこれからやっつけられるんだぞ」と言うのは、それは大変失礼というもんじゃないでしょうか。

巷間なかなか評価の高い安倍さんのスピーチライターは元日経ビジネスの記者だった谷口智彦内閣審議官なのですが、安倍さん、本当にこのメタリカってヘビメタバンド、知ってるんでしょうかね。どこからどこまでが安倍さんのナマの言葉で、どこからどこまでが谷口さんの入れ知恵かはわからないのですが、いずれにしてもその比喩の原義の取り違えと文脈の無視、私には詰めの甘いミスとしか思えなかったのです。

September 26, 2013

ヤンテの掟

オバマ大統領が「アメリカはエクセプショナル(例外的で特別)な存在だ」と発言したことが国際的な波紋を生みました。シリア攻撃を踏みとどまった際の演説内での1節でした。これに対しロシアのプーチン大統領が異議を唱えた。ニューヨークタイムズへの寄稿の中で「理由がどうあれ、自分たちを特別な存在と見なすのは極めて危険」と批判したわけです。相手がロシアとあって共和党のタカ派議員たちは「侮辱的」「吐き気がする」といきり立ち、メディアもそろって大きく反応しました。

プーチンは「他人とは違うと思うのは傲慢」ということを言いたかったんでしょう。でもアメリカって「君は特別だ。君は他の人と違う。だから君には出来るんだ!」と励まして子どもを育てている国です。そうやって国民を鼓舞し、国造りをしてきた。その根本文化を「危険だ」と言われたらカチンと来ますわね。

ところが世界にはそれとは違う方向で国造りをしてきたところもあります。例えばデンマークには、まさにその逆の「自分が特別だと思うな」「他人よりも賢いと自惚れるな」「他人よりも重要人物だと思うな」などという十カ条を列挙した「ヤンテの掟」という教えがあるそうです。1933年に発表された小説に出てくる架空の町「ヤンテ」での掟だそうで、俗に「What-do-you-think-you-are!(自分のことを何様だと思ってるんだ)の掟」と呼ばれているんだとか(笑)。

世界最高水準の社会福祉国家で、国民の所得格差が世界で最も小さいこの国は、医療制度、教育、環境、経済的な豊かさなど百項目以上のデータを基にした「世界幸福地図」で1位になったこともあります。他人を出し抜いて1番になろうと血眼になるよりも、チョボチョボのところでお互い満足しましょうやという哲学というか覚悟なんでしょう。社会民主主義で税金も50%以上取られますし、ここではアメリカのウォールストリートみたいな生き馬の目を抜く狂騒は選択しなかったのでしょうね。さらに進めばそういう民衆の気質は、ソ連や中国などの社会主義独裁体制には最も都合の良いものでもあります。プーチンの発言はそっちのほうから出てきたものかもしれません。

そういえば日本も「最も成功した社会主義国」なんて言われたことがありました。「出る杭は打たれる」というまさに「ヤンテの掟」がある文化です。和を尊ぶ日本人には本来はそういう政治体制が似合っていたのかもしれません。

ただ70年代くらいからでしょうか、日本の映画館で、普通の人間が普通に物語を織りなすヨーロッパ映画がやたら勇ましいアメリカ映画に駆逐されてきたころから、私たちもとにかくヒーロー志向になりました。西部劇でも現代劇でもSFでも、ヒーローが、あるいはヒーローじゃなかった女性(『エイリアン』以降の特徴ですね)」とか老人(『コクーン』がそうでした)までもがヒーローになって活躍する映画ばかりになった。そのころから日本人は、「出ない杭」と「出る杭」のあいだで迷い始め、アメリカに引っ張られながらどっちにしようかの覚悟もなく、結局はその場その場でふらふら立ち位置を変える宙ぶらりんのまま今に到っているのかもしれません。

そんな折りも折り、国連総会でニューヨークにやってきた安倍首相が保守系シンクタンクの講演で「私を右翼の軍国主義者と呼びたいならそう呼んで結構」とヒーローばりに見栄を切りました。この人も「エクセプショナルな存在」であろうとするくせに自分の悪評がよほど気になるらしい。プーチンを無視するオバマとは対照的に、安倍さんの昔からの逆ギレ癖が心配です。何せ必ず言い返さないと気が済まない人。それは自分の自信がないことの現れです。英語ではinsecure と言います。

そういやこの人、去年12月の新幹線で、JR職員がある老人のために押さえていた席に座っちゃって老人からたしなめられても席を譲らず、「だから謝ってるんじゃないですか!」と逆ギレして狸寝入りを続けたってこともありました。いやはや。

September 03, 2013

孫子の兵法

シリアの首都ダマスカス近郊で毒ガス兵器による死者が1429人も出て(うち426人が子供だとケリー国務長官は言っています)、これを見逃すことは国際社会としてタブーである化学兵器、ひいてはイランや北朝鮮の核兵器開発をも見逃すという誤ったメッセージになる──これがオバマ大統領がシリア政府を攻撃しようとしている理由です。

もちろんこれ以上の一般市民の犠牲を防ぐという人道的な背景もありましょう。ですが国際的な軍事モラルとバランスの維持というのがアメリカにとっての第一の国益なのです。ええ、その「モラル」も「バランス」もアメリカにとっての、というのが国益の国益たる所以ですが、毒ガス兵器がむやみにテロリストやマフィアや犯罪組織に渡ったりするのは確かにまずい。

なのでシリアは(懲罰的にも、国際的な見せしめとして)叩かねばならない、というのが米政権の論理です。ところがアラブの春以来のこの2年半でシリアは内戦状態になり、しかも情勢は政府vs反政府勢力という単純な構図ではなくなっています。日本人ジャーナリストの山本美香さんも昨年8月、そんな混乱の中で政府軍に射殺されました。

反政府勢力の中にも民主化を求める市民勢力やアルカイダ系のイスラム原理主義集団、ジハード主義集団などが入り乱れていて、さらにそこにイランやロシアといった政府支援国、レバノンのヒズボラの参戦やトルコ、イスラエルといった敵対隣国の事情も絡み、国際社会もどう手をつけてよいかわからないのが現状です。

例えばオバマがトマホークを射ち込んで、シリア政府はどうするでしょう。シリアはロシアから地対空ミサイル防衛システムももらっています。報復としてアメリカではなくその同盟国のイスラエルにロシア製のスカッドミサイルを射ち込むということは大いに考えられます。その場合、それがまた化学兵器だったらそこから大変な戦端が開かれる恐れもあります。それを合図にレバノンもまたイスラエルを攻撃するでしょう。イスラエルはすでにそれに備えて「アイアン・ドーム」と呼ばれる防空システムを配備しています。アサド政権の後ろに控えるイランやロシアも黙ってはいないでしょう。アメリカではいま、サイバー・パールハーバー(コンピュータ戦争における真珠湾攻撃)も懸念されています。1週間前にニューヨークタイムズのサイトがハッキングされたのもシリア関連の攻撃だと言われているのです。なにより、個人の持ち込む兵器によるアメリカ本土でのテロも怖い。そんなことになる前にまずロシアと米国の反目が激化します。ロシアが動けばアメリカのソチ五輪ボイコットという事態もあるでしょう。

そしてそれらは、さらに先の、「ひいての」アメリカの国益につながるのだろうか?

その問題がオバマが今回の軍事介入をあくまで「限定的なもの」で「アサド政権の打倒を目指すものではない」として、慎重である理由です。トマホークを射ち込んでも次にどうなるのかが見えない。この軍事介入には「Bad ひどい」か「Worse よりひどい」か「Horrible とんでもなくひどい」の3つの選択肢しかないと言われる理由です。進むも地獄、進まぬも地獄……。

そこでオバマ政権の国防安保チームが知恵を絞ったのが今回の「軍事介入に当たって議会の承認を求める」でした。もちろん前週に英国議会がキャメロン内閣の軍事介入方針を否決した影響もあります。ただこれでオバマは、ブッシュのように猪突猛進はしないと宣言できました。なにせイラクもアフガンもリビアも、米国が軍事介入してうまく行った例はベトナム以降皆無なのですから、ノーベル平和賞受賞者としては1人で勝手にミサイルは射てません。でもこれで軍事介入の責任を議会にも分散させられる。リベラルの大統領としてはアリバイができる。

しかしその一方で東地中海のシリア沖に展開している5隻の駆逐艦、400基以上のトマホークはいまも待機状態で、いつ何時でも有事の際には攻撃できるようになっています。声明でも「司令官から常時報告を受けている。攻撃はいつでも可能。攻撃は一刻を争うもの(タイムセンシティヴ)ではなく、明日でも来週でも1カ月後でも有効だ」と断言しています。議会承認を求めると言う前にオバマがまずは「私は軍事介入を決心した」と明言したことも忘れてはいけません。

これはシリア政府に向けた恫喝です。アメリカの大統領は議会の承認を経ずに宣戦布告して60日間の軍事行動をとれます。つまり、議会の承認を求めるとは言ったものの、シリア政府軍に何か新たに不穏な動きがある際は火急の対応として攻撃できるんだ、とシリア側に宣告しているわけです。

これではシリア軍はなにもできません。いまシリアの司令本部や通信施設は攻撃を予測して移動し仮の状態です。兵器や部隊も分散させてシリア軍はいま本来の力を出せません。それが続く。つまり攻撃しないでも、軍事行動をとったに似た効果をもたらしている。これは孫子の兵法でいう「戦わずして人の兵を屈するは善の善」です。

もっともそれもかりそめのものです。9日以降の議会の承認審議は大揉めに揉めるでしょう。米国民の世論だって軍事介入にはもう乗り気ではない。もちろん介入が否決されてもオバマ大統領は次のシリアの出方でそれはまた変えることはできます。結局はやはり軍事介入、ということになる可能性も高い。シリア国内でも、アメリカの介入を求める人々が多く存在します。介入を求めない人々も多くいます。国際的にも賛否は真っ二つです。なにもしないでよいのかという人道的な憤りも加わって、アサド政権の非道さへの批判は高まる一方です。

しかし結局軍事介入することになっても、「その後」がわからないのはそのときも変わらないのです。そんなことも考えずに、アメリカよりも先に「アサド退陣」を求め、アメリカ国民よりも先に「アメリカ支持」方針を早々と打ち出してしまっている日本の安倍政権の不見識を、とても恥ずかしく思います。

July 24, 2013

ロシアの反ゲイ弾圧

ニューヨークタイムズ22日付けに、ハーヴィー・ファイアスティンの寄稿が掲載されました。
プーチンのロシアの反LGBT政策を非難して、行動を起こさずにあと半年後のソチ冬季五輪に参加することは、世界各国が1936年のドイツ五輪にヒットラーのユダヤ人政策に反発せずに参加したのと同じ愚挙だと指摘しています。

http://www.nytimes.com/2013/07/22/opinion/russias-anti-gay-crackdown.html?smid=fb-share&_r=0

以下、全文を翻訳しておきます。

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Russia’s Anti-Gay Crackdown
ロシアの反ゲイ弾圧
By HARVEY FIERSTEIN
ハーヴィー・ファイアスティン

Published: July 21, 2013


RUSSIA’S president, Vladimir V. Putin, has declared war on homosexuals. So far, the world has mostly been silent.
ロシアの大統領ウラジミル・プーチンが同性愛者たちに対する戦争を宣言した。いまのところ、世界はほとんどが沈黙している。

On July 3, Mr. Putin signed a law banning the adoption of Russian-born children not only to gay couples but also to any couple or single parent living in any country where marriage equality exists in any form.
7月3日、プーチン氏はロシアで生まれた子供たちを、ゲイ・カップルばかりか形式がどうであろうととにかく結婚の平等権が存在する【訳注:同性カップルでも結婚できる】国のいかなるカップルにも、または親になりたい個人にも、養子に出すことを禁ずる法律に署名した。

A few days earlier, just six months before Russia hosts the 2014 Winter Games, Mr. Putin signed a law allowing police officers to arrest tourists and foreign nationals they suspect of being homosexual, lesbian or “pro-gay” and detain them for up to 14 days. Contrary to what the International Olympic Committee says, the law could mean that any Olympic athlete, trainer, reporter, family member or fan who is gay — or suspected of being gay, or just accused of being gay — can go to jail.
その数日前には、それはロシアが2014年冬季オリンピックを主催するちょうど半年前に当たる日だったが、プーチン氏は警察官が同性愛者、レズビアンあるいは「親ゲイ」と彼らが疑う観光客や外国国籍の者を逮捕でき、最長14日間拘束できるとする法律にも署名した。国際オリンピック委員会が言っていることとは逆に、この法律はゲイである──あるいはゲイと疑われたり、単にゲイだと名指しされたりした──いかなるオリンピック選手やトレイナーや報道記者や同行家族やファンたちもまた監獄に行く可能性があるということだ。

Earlier in June, Mr. Putin signed yet another antigay bill, classifying “homosexual propaganda” as pornography. The law is broad and vague, so that any teacher who tells students that homosexuality is not evil, any parents who tell their child that homosexuality is normal, or anyone who makes pro-gay statements deemed accessible to someone underage is now subject to arrest and fines. Even a judge, lawyer or lawmaker cannot publicly argue for tolerance without the threat of punishment.
それより先の6月、プーチン氏はさらに別の反ゲイ法にも署名した。「同性愛の普及活動(homosexual propaganda)」をポルノと同じように分類する法律だ。この法は範囲が広く曖昧なので、生徒たちに同性愛は邪悪なことではないと話す先生たち、自分の子供に同性愛は普通のことだと伝える親たち、あるいはゲイへの支持を伝える表現を未成年の誰かに届くと思われる方法や場所で行った者たちなら誰でもが、いまや逮捕と罰金の対象になったのである。判事や弁護士や議会議員でさえも、処罰される怖れなくそれらへの寛容をおおやけに議論することさえできない。

Finally, it is rumored that Mr. Putin is about to sign an edict that would remove children from their own families if the parents are either gay or lesbian or suspected of being gay or lesbian. The police would have the authority to remove children from adoptive homes as well as from their own biological parents.
あろうことか、プーチン氏は親がゲイやレズビアンだったりもしくはそうと疑われる場合にもその子供を彼ら自身の家族から引き離すようにする大統領令に署名するという話もあるのだ。その場合、警察は子供たちをその産みの親からと同じく、養子先の家族からも引き離すことのできる権限を持つことになる。

Not surprisingly, some gay and lesbian families are already beginning to plan their escapes from Russia.
すでにいくつかのゲイやレズビアンの家族がロシアから逃れることを計画し始めているというのも驚くことではない。

Why is Mr. Putin so determined to criminalize homosexuality? He has defended his actions by saying that the Russian birthrate is diminishing and that Russian families as a whole are in danger of decline. That may be. But if that is truly his concern, he should be embracing gay and lesbian couples who, in my world, are breeding like proverbial bunnies. These days I rarely meet a gay couple who aren’t raising children.
なぜにプーチン氏はかくも決然と同性愛を犯罪化しているのだろうか? 自らの行動を彼は、ロシアの出生率が低下していてロシアの家族そのものが衰退しているからだと言って弁護している。そうかもしれない。しかしそれが本当に彼の心配事であるなら、彼はゲイやレズビアンのカップルをもっと大事に扱うべきなのだ。なぜなら、私に言わせれば彼らはまるでことわざにあるウサギたちのように子沢山なのだから。このところ、子供を育てていないゲイ・カップルを私はほとんど見たことがない。

And if Mr. Putin thinks he is protecting heterosexual marriage by denying us the same unions, he hasn’t kept up with the research. Studies from San Diego State University compared homosexual civil unions and heterosexual marriages in Vermont and found that the same-sex relationships demonstrate higher levels of satisfaction, sexual fulfillment and happiness. (Vermont legalized same-sex marriages in 2009, after the study was completed.)
それにもしプーチン氏が私たちの同種の結びつきを否定することで異性婚を守っているのだと思っているのなら、彼は研究結果というものを見ていないのだ。州立サンディエゴ大学の研究ではヴァーモント州での同性愛者たちのシヴィル・ユニオンと異性愛者たちの結婚を比較して同性間の絆のほうが満足感や性的充足感、幸福感においてより高い度合いを示した。(ヴァーモントはこの研究がなされた後の2009年に同性婚を合法化している)

Mr. Putin also says that his adoption ban was enacted to protect children from pedophiles. Once again the research does not support the homophobic rhetoric. About 90 percent of pedophiles are heterosexual men.
プーチン氏はまた彼の養子禁止法は小児性愛者から子供たちを守るために施行されると言っている。ここでも研究結果は彼のホモフォビックな言辞を支持していない。小児性愛者の約90%は異性愛の男性なのだ。

Mr. Putin’s true motives lie elsewhere. Historically this kind of scapegoating is used by politicians to solidify their bases and draw attention away from their failing policies, and no doubt this is what’s happening in Russia. Counting on the natural backlash against the success of marriage equality around the world and recruiting support from conservative religious organizations, Mr. Putin has sallied forth into this battle, figuring that the only opposition he will face will come from the left, his favorite boogeyman.
プーチン氏の本当の動機は他のところにある。歴史的に、この種のスケープゴートは政治家たちによって自分たちの基盤を固めるために、そして自分たちの失敗しつつある政策から目を逸らすために用いられる。ロシアで起きていることもまさに疑いなくこれなのだ。世界中で成功している結婚の平等に対する自然な大衆の反感に頼り、保守的な宗教組織からの支持を獲得するために、プーチン氏はこの戦場に反撃に出た。ゆいいつ直面する反対は、彼の大好きな大衆の敵、左派からのものだけだろうと踏んで。

Mr. Putin’s campaign against lesbian, gay and bisexual people is one of distraction, a strategy of demonizing a minority for political gain taken straight from the Nazi playbook. Can we allow this war against human rights to go unanswered? Although Mr. Putin may think he can control his creation, history proves he cannot: his condemnations are permission to commit violence against gays and lesbians. Last week a young gay man was murdered in the city of Volgograd. He was beaten, his body violated with beer bottles, his clothing set on fire, his head crushed with a rock. This is most likely just the beginning.
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの人々に対するプーチン氏の敵対運動は政治的失敗から注意を逸らすためのそれであり、政治的利得のためにナチの作戦本からそのまま採ってきた少数者の魔女狩り戦略なのだ。私たちは人権に対するこの戦争に関してなにも答えないままでいてよいのだろうか? プーチン氏は自らの創造物は自分でコントロールできると考えているかもしれないが、歴史はそれが間違いであることを証明している。彼の非難宣告はゲイやレズビアンたちへの暴力の容認となる。先週、州都ヴォルゴグラードで1人の若いゲイ男性が殺された。彼は殴打され、ビール瓶で犯され、衣服には火がつけられ、頭部は岩でつぶされていた。これは単なる始まりでしかないと思われる。

Nevertheless, the rest of the world remains almost completely ignorant of Mr. Putin’s agenda. His adoption restrictions have received some attention, but it has been largely limited to people involved in international adoptions.
にもかかわらず、そのほかの世界はほとんど完全にこのプーチン氏の政治的意図に関して無関心のままだ。彼の養子制限はいくらか関心を引いたが、それもだいたいは国際養子縁組に関係している人々に限られている。

This must change. With Russia about to hold the Winter Games in Sochi, the country is open to pressure. American and world leaders must speak out against Mr. Putin’s attacks and the violence they foster. The Olympic Committee must demand the retraction of these laws under threat of boycott.
この状況は変わらねばならない。ロシアはいまソチで冬季オリンピックを開催しようとしている。つまりこの国は国際圧力にさらされているのだ。アメリカや世界の指導者たちはプーチン氏の攻撃と彼らの抱く暴力とにはっきりと反対を唱えなければならない。オリンピック委員会は五輪ボイコットを掲げてこれらの法律の撤回を求めなければならない。

In 1936 the world attended the Olympics in Germany. Few participants said a word about Hitler’s campaign against the Jews. Supporters of that decision point proudly to the triumph of Jesse Owens, while I point with dread to the Holocaust and world war. There is a price for tolerating intolerance.
1936年、世界はドイツでのオリンピックに参加した。ユダヤ人に対するヒトラーの敵対運動に関して何か発言した人はわずかしかいなかった。参加決定を支持する人たちは誇らしげにジェシー・オーウェンズ【訳注:ベルリン五輪で陸上四冠を達成した黒人選手】の勝利のことを言挙げするが、私は恐怖とともにそれに続くホロコーストと世界大戦のことを問題にしたい。不寛容に対して寛容であれば、その代償はいつか払うことになる。

Harvey Fierstein is an actor and playwright.
ハーヴィー・ファイアスティんは俳優であり劇作家。

July 21, 2013

まずは撃て!

トレイボン・マーティン君殺害事件でのジマーマン被告無罪評決は、いまから21年前のハロウィーン前にルイジアナ州バトンルージュで起きた交換留学生服部剛丈君殺害事件の、ロドニー・ピアース被告無罪評決を思い出させました。

あの公判で辣腕と言われた被告弁護人アングルズビーは殺された服部君を身振り手振りを交えて「(ハロウィーンパーティー用の白いスーツという)奇妙な格好で自宅敷地に侵入し、かつヘラヘラと手を振り上げながら被告の近くへと向かってくる不気味な他人」として描写しました。「おまけにその手にはなにか黒い武器のようなものが握られていたのです(携帯電話でした)」「そんなならあなただって発砲していたでしょう?」と。そうして家の戸口に立った身長185cmの大柄な被告が身長170cmにも満たない体重60kgの小柄な少年を、あのダーティーハリーの44口径マグナムで撃つことが「正当防衛」となったのです。

トレイボン・マーティン裁判はこれよりも簡単でした。21年前にはなかった新たな「正当防衛」法が今回のフロリダ州を含む全米30州以上で制定されていて、「正当防衛」を立証するのにそんなに面倒な論理が必要なくなっていたのです。

その新法は「スタンド・ユア・グラウンド(Stand Your Ground)」法といいます。「自分の拠って立つ土地を固守せよ/一歩も退くな」という意味の、自分の権利を自分で守る西部開拓時代の勇ましいモットーをその名に戴いた法律で、「不正な脅威が迫っているという正当な確信があれば人は自己防衛のための当然の力を行使してもよい」というものです。そこに必要なのは「自分が脅威だと感じた」という「正しい確信」であり、これまで問われていた「差し迫った脅威だったか?」「脅威に対して退避行動を取ったか?」「過剰防衛ではないか?」などの要件をクリアする必要はありません。

これは、「犯罪者」に対する「被害者」の断固たる対決姿勢を保障することで犯罪そのものを減らそうというものなのですが、一方でこの法律が「Shoot First(まずは撃て)」法と呼ばれるように、何が何でもとにかく相手を撃ってから正当防衛を主張するケースが急増しているのです。そして多くの場合、撃った側が「脅威を感じた正当防衛」と主張すれば、撃たれた相手は死んでしまっていてそれに反論すらできないわけです。

事実、フロリダ州でこのStand Your Ground法が成立してから、「正当防衛」を主張する殺人事件はそれまでの3倍にも増えました。

今回の裁判でも陪審団は、トレイボン君が撃たれた瞬間にジマーマン被告に「馬乗り体勢になっていた」という検視結果などからジマーマン被告の「確信」した「脅威」を認めたのだろうと思われます。「脅威」があれば発砲も「正当防衛」であり、彼を有罪にはできません。なぜならそういう法律なのですから。

身長170cm、体重84kgの当時28歳の自称自警団員の被告が、身長は180cmながら体重は72kgしかない痩せた17歳の丸腰の黒人少年を「怪しいと思って」尾行し、自ら誰何し、そして結果的に取っ組み合いになって発砲したその経緯は、裁判ではほとんど問題とはならなかったのです。そこに人種偏見に基づくプロファイリングは存在しなかったのか、自称自警団というジマーマン被告のヒーロー気取りの独りよがりの正義感がそもそもの発端だったのではないかという問題は、被告弁護人の裁判戦略によってことごとく「関係のないもの」とされ、ただただジマーマン被告の行為が「スタンド・ユア・グラウンド」法に叶っているかどうか、だけが争われることになったのです。

この法律の制定を全米で推進しているのはあの全米ライフル協会(NRA)と、全米で企業に有利な立法や法改正を推し進める秘密主義の右翼団体「アメリカ立法交流評議会(ALEC)」です。そういえば服部君裁判でもNRAが被告の無罪を応援していましたっけ。

そこにあるのは「もっと銃を持とう! それで犯罪を減らそう!」という、例の、旧態依然のアメリカの西部劇精神です。そしてそんな銃の使用の正当性をめぐる争いのかまびすしさに、1人の少年の死の不当性という根源的な問題が、また無視されたのです。

June 15, 2013

ビッグブラザー

国家安全保障局(NSA)の国民監視システムの存在を暴露したエドワード・スノーデン(29)は愛国のヒーローかそれとも国家版逆の犯罪者か──オバマ自身が08年の大統領選挙のときに政府の腐敗を正す内部告発を「勇気と愛国心の行動」と話してもいて、あなたはどう思います?

ちょっと複雑な違いもあります。内部告発者とは「不正・不法を告発する人」です。ところがスノーデンの告発したことが政府の不正・不法なのかは微妙です。ベトナム戦争のときにダニエル・エルズバーグが漏洩した有名な「ペンタゴンペーパー」というのがあります。あのときは政府が議会や国民に嘘をついて戦争を準備した。その不正の経緯を証明する文書は立派に公開の根拠があった。でも今回の監視活動にはいちおう秘密裁判所の許可が出ていました。

オバマは電話の盗聴などしていないとも弁明しています。「封筒の外側を見ているだけ」と例える政府高官もいます。ところがスーザン・ランドーというサイバーセキュリティの専門家は、通話の内容そのものよりもそうしたメタデータ(具体的なデータではなくそれらを統括する、1つ次元が上のデータ)の方がはるかに多くの事実を明らかにできると言います。

彼女の説明はこうです。「例えばあなたが乳がんの検査でマンモグラムを受ける。数日後に医者が電話をかけてくる。あなたも医者に電話をかけ、その診察室に行ってそこから家族に電話をかける。何を話しているかその内容を知らなくとも、それは悪い知らせだとわかる」

別の例えもあります。サンマイクロシステムズがオラクルに買収されたときの話です。買収の前の週末、サンのCEOがオラクルのCEOと電話で話す。それで双方がともに顧問に電話をする。さらに担当者に電話をする。短い間にそれが何度も行われる。さて何が起きているか。月曜の朝の正式発表の前に、それが買収話だろうとわかってしまうのです。

今は携帯電話、携帯端末の時代。あなたのいる場所がGPS機能付きのそんな端末で4カ所判明すれば、95%の確率であなたが誰か、どういう人なのかもわかるそうです。盗聴禁止法というのはありますが、それは通話内容の盗聴を禁止するのであって、どこで何時に誰とつながったかという情報を収集することは禁じていないのです。

人間がスパイとしてそういう情報を収集するのをヒューミント(Human Intelligence)といいます。対して、コンピュータネットワークでこういうメタ情報を収集分析するのをシギント(Signal Intelligence)と言います。いまや007の時代じゃない。なにせ人間はカネがかかるし人数も必要だ。でもシギントの方法だとコストは何十分の1で済むのです。

09年に新型インフルエンザが流行した際、グーグルはそれに関連する言葉がどこでどれだけ検索されたかを調べて拡散地域を正確に割り出しました。疾病管理センターが同じ結論を導き出したのはその2週間後でした。昨年の米大統領選挙もNYタイムズの統計分析家ネイト・シルバーが100%の確率で州ごとの勝者を適中させました。これもメタデータ分析でした。もっと身近な例は、アマゾンで買い物したら次には必要なものがお勧め商品としてピックアップされている。これもシギントの一種です。

いまのこのシステムがあったら「9.11も防げたかもしれない」とFBI長官が言っています。それを言われると辛いニューヨーカーの私たち。そんなビッグブラザーの監視社会に私たちはすでに住んでいるのです。

June 10, 2013

テロ戦争の代償

「テロ戦争」の根幹が揺れています。情報こそすべての現代のテロ対策で、オバマ政権で引き継がれているPRISM(プリズム)と呼ばれる秘密の大規模国内監視プログラムが暴かれました。国家安全保障局(NSA)がネットや通信の大手企業中央サーバなどにアクセスして個人データや通話履歴を収集保存しているというのです。まるでオーウェルの「ビッグブラザー」の世界。

オバマは演説では理想主義者で人道主義者です。しかし今現在のことに関してはかなりシビアに対処するようで、理想の未来を語る一方でそのためにいまやれることは徹底してやる。司法手続きを踏まないグァンタナモ刑務所での無期限拘束や尋問もそうです。

今回のPRISMに関してもオバマは「100%の安全と100%のプライバシーと0%の不都合とを同時に手にすることはできない。社会としては何らかの選択をしなくてはならないのだ」として悪びれることがありません。09年のニューヨーク地下鉄爆破テロ計画は電話履歴の捜査によって回避できたというのですから、背に腹は代えられないのは確かなのですが。

多くの民間人犠牲者を出しながらも拡大する一方の無人機(ドローン)攻撃もそうです。

10年前には50機にも満たなかった米軍の無人機は現在、機数だけで言えば7000機と、軍所有の航空機の40%以上を占めるようになりました。米軍がこれまでの無人機攻撃で殺害した人々は主にパキスタン、イエメン、アフガニスタンなどで今年2月時点で計4700人とも言われています。

私はこの無人機が「戦争」の仕方を変えつつあると思っています。スピルバーグが「プライベート・ライアン」で描いたノルマンディ上陸作戦のような、ああいう多大な人命を犠牲にする揚陸強襲作戦というのはもうあり得なくなっています。

どうするかというと、緻密な(あるいは大雑把でもいいから)敵側情報を分析し、最初から最後まで無人機攻撃で叩く。実際の人間を投入するのは最後の最後だけ。味方の人的被害はこれで最小限に抑えられます。

しかしなにしろ1万キロ以上離れたネバダの砂漠の空軍基地からの遠隔操縦です。どういうことが起きるかというと、殺害した4700人のうち、テロ組織の首脳たちは全体の死者のわずか2%でしかないとされています。パキスタンでは3000人ほどが殺されているのですが、最大でうち900人近くがテロとは無関係の一般市民とも言われます。

それだけではありません。味方にだって取り返しの付かない傷が残る。先日、NBCが引退した無人機攻撃の27歳の遠隔操作官のインタビューを放送しました。彼は退任時に「これまであなたの参加した作戦で殺害した人員は推計1626人」という証明書を渡されたそうです。

「アフガニスタンで道を歩く3人の標的に向けてミサイルを2発撃ったことがあった。コンピュータには熱感知映像が映っている。熱い血だまりが広がっていくのが見えた。1人の男は前に行こうとしている。でも右足がなくなっている。彼は倒れ動かなくなる。血が広がり、それは冷えていってやがて地面の温度と同じ色になる」「いまでも目をつぶれば僕にはそのスクリーンの小さなピクセルの一つ一つが見える」「そして、彼らが実際に殺害すべきタリバンのメンバーだったのかどうかは、いまもわからない」「自分に吐き気がするんだ、本当に」

彼はいまPSTDに苛まれています。突発的な怒りの発作、不眠、そして記憶を失うほどの酒浸り。「背に腹は代えられない」と先ほど書きましたが、その結果もまた地獄なのです。

June 01, 2013

2013年プライド月間

私が高校生とか大学生のときには、それは1970年代だったのですが、今で言うLGBTに関する情報などほとんど無きに等しいものでした。日本の同性愛雑誌の草分けとされる「薔薇族」が創刊されたのは71年のことでしたが、当時は男性同性愛者には「ブルーボーイ」とか「ゲイボーイ」とか「オカマ」といった蔑称しかなくて、そこに「ホモ」という〝英語〟っぽい新しい言葉が入ってきました。今では侮蔑語とされる「ホモ」も、当時はまだそういうスティグマ(汚名)を塗り付けられていない中立的な言葉として歓迎されていました。

70年代と言えばニューヨークで「ストーンウォールの暴動」が起きてまだ間もないころでした。もちろんそんなことが起きたなんてことも日本人の私はまったく知りませんでした。なにしろ報道などされなかったのですから。もっともニューヨークですら、ストーンウォールの騒ぎがあったことがニュースになったのは1週間も後になってからです。それくらい「ホモ」たちのことなんかどうでもよかった。なぜなら、彼らはすべて性的倒錯者、異常な例外者だったのですから。

ちなみに私が「ストーンウォール」のことを知ったのは80年代後半のことです。すでに私は新聞記者をしていました。新聞社にはどの社にも「資料室」というのがあって、それこそ明治時代からの膨大な新聞記事の切り抜きが台紙に貼られ、分野別、年代別にびっしりと引き出しにしまわれ保存されていました。その後90年代に入ってそれらはどんどんコンピュータに取り込まれて検索もあっという間にできるようになったのですが、もちろんその資料室にもストーンウォールもゲイの人権運動の記録も皆無でした。

そのころ、アメリカのゲイたちはエイズとの勇敢な死闘を続けていました。インターネットもない時代です。その情報すら日本語で紹介されるときにはホモフォビアにひどく歪められ薄汚く書き換えられていました。私はどうにかアメリカのゲイたちの真剣でひたむきな生への渇望をそのまま忠実に日本のゲイたちにも知らせたいと思っていました。

私がアメリカではこうだ、欧州では、先進国ではこうだ、と書くのは日本との比較をして日本はひどい、日本は遅れている、日本はダメだ、と単に自虐的に強調したいからではありません。日本で苦しんでいる人、虐げられている人に、この世には違う世界がある、捨てたもんじゃない、と知らせたいからです。17歳の私はそれで生き延びたからです。

17歳のとき、祖父母のボディガード兼通訳でアメリカとカナダを旅行しました。旅程も最後になり、バンクーバーのホテルからひとり夕方散歩に出かけたときです。ホテルを出たところで男女数人が、5〜6人でしたでしょうか、何かプラカードを持ってビラを配っていたのです。プラカードには「ゲイ・リベレーション・フロント(ゲイ解放戦線)」と書いてありました。手渡されたビラには──高校2年生の私には書いてある英語のすべてを理解することはできませんでした。

私はドキドキしていました。なにせ、生身のゲイたちを見るのはそれが生まれて初めてでしたから。いえ、ゲイバーの「ゲイボーイ」は見たことがあったし、その旅行にはご丁寧にロサンゼルスでの女装ショーも組み込まれていました。でも、普通の路上で、普通の格好をした、普通の人で、しかも「自由」のために戦っているらしきゲイを見るのは初めてだったのです。

私はその後、そのビラの数十行ほどの英語を辞書で徹底的に調べて何度も舐めるほど読みました。そのヘッドラインにはこう書かれてありました。

「Struggle to Live and Love」、生きて愛するための戦い。

私の知らなかったところで、頑張っている人たちのいる世界がある。それは素晴らしい希望でした。そのころ、6月という月がアメリカ大統領の祝福する「プライド月間」になろうとも想像だにしていませんでした。

オバマが今年もまた「LGBTプライド月間」の宣言を発表しました。それにはこうあります。

「自由と平等の理想を持続する現実に変えるために、レズビアンとゲイとバイセクシュアルとトランスジェンダーのアメリカ国民およびその同盟者たちはストーンウォールの客たちから米軍の兵士たちまで、その歴史の次の偉大な章を懸命に書き続けてきた」「LGBTの平等への支持はそれを理解する世代によって拡大中だ。キング牧師の言葉のように『どこかの場所での不正義は、すべての場所での正義にとって脅威』なのだ」。この全文は日本語訳されて米大使館のサイトにも掲載されるはずです。

この世は、捨てるにはもったいない。今月はアメリカの同性婚に連邦最高裁判所の一定の判断が出ます。今それは日本でもおおっぴらに大ニュースになるのです。思えばずいぶんと時間が必要でした。でも、それは確実にやってくるのです。

February 26, 2013

アメリカ詣で

オバマ大統領にとって5人目の日本の首相が就任後の挨拶回りにやってきました。訪米前から日本側はメディアの報道も含めてTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加問題こそが今回の首脳会談の主要テーマとしていましたが、それは結局はTPP参加に進むと心に決めている安倍がいかにオバマから「聖域あり」との(参院選に向けた、自民党の大票田であるコメ農家の反対をなだめるための)言質を引き出すかといった、安倍側のみの事情であって、米国側にとってはとにかくそんなのは参加を決めてくれない限り主要問題にもなりはしない、といったところでした。

その証拠に、首脳会談の最初の議題は東アジアの安全保障問題だったのです。TPPはその後のランチョンでの話題でした。

東アジアの安全保障とはもちろん北朝鮮の核開発の問題であり、そのための日韓や日中関係の安定化のことです。とにかく財政逼迫のアメリカとしては東アジアで何か有事が発生するのは死活問題です。しかも米側メディアは安倍晋三のことを必ず「右翼の」という形容詞付きで記事にする。英エコノミストも「国家主義的な日本の政権はアジアで最も不要なもの」と新年早々にこき下ろしました。NYタイムズも「この11年で初めて軍事予算を増やす内閣」と警戒を触れ回ります。同紙は河野談話の見直しなど従軍慰安婦問題でも「またまた自国の歴史を否定しようとする」と批判しており、米国政府としても竹島や尖閣問題で安倍がどう中韓を刺激するのか気が気ではない。まずはそこを押さえる、というか釘を刺しておかないことには話が進まなかった。

会談では冒頭、オバマの質問に応える形で安倍がかなり安保や領有問題に関して持論を展開したようではありますが、中国との均衡関係も重視するアメリカは尖閣の領有権問題では踏み込んだ日本支持を表明しなかったのです。なぜなら中国は単に米国にとっての最大の貿易相手というだけでなく、北朝鮮を押さえ込むための戦略的パートナーであり、さらにはイランやシリアと行った遠い中東での外交戦略にも必要な連携相手なわけですから。ただ、この点に関しては安倍自身も夏の参院選が終わるまではタカのツメを極力隠すつもりですから、結果的にはそれはいまのところは米国の希望と合致した形になって、今回の首脳会談でも大きな齟齬は表に出はしなかった。しかしそれがいつまで続くのかは、わからないのです。安倍は、アメリカにはかなり危ないやつなのです。

読売などの報道では日本政府筋は概ねこの会談を「成功」と評価したようですが、ほんとうにそうなのでしょうか。アメリカにとっては単に「釘を刺す」という意味で会談した理由があった、という程度です。メディアも「警戒」記事がほとんどで成果などどこも書いていません。そもそもここまで慣例的になっているものを「成功」と言ったところでそれに大した意味はありません。もし今回の日本側の言う「成功」が何らかの意味を持つとしたら、それは唯一TPP交渉参加に関して「一方的に全ての関税撤廃をあらかじめ約束することを求められるものではない」という共同声明をギリギリになって発表できたということに尽きます。

しかしこの日本語はひどい。一回聞いてもわからないでしょう? 安倍や石原らが「翻訳調の悪文」として“改正”しようとしている憲法前文よりもはるかにひどい。「一方的に」「全ての」「あらかじめ」「約束」「求められる」と、条件が5つも付いて、「関税撤廃を求められるものではない」でも「一方的に関税撤廃を求められるものではない」でも「一方的に全ての関税撤廃を求められるものではない」でも「一方的に全ての関税撤廃をあらかじめ求められるものではない」でもありません。その「約束」を「求められるものではない」という五重の外堀に守られて、誰も否定はしないような仕掛け。それを示された米側が、しょうがねえなあ、と苦笑する姿が目に見えるようです。

これは国際的には何の意味もありません。ただただ日本国内および自民党内のTPP反対派に示すためだけに安倍と官僚たちが捩じ込んだ作文です。現に米国の報道は日本での「成功」報道とはまったく違って冷めたものでした。基本的にほとんどのメディアが形式的にしか日米首脳内談に触れていませんが、NYタイムズはそんなネジくれまくった声明文を「たとえそうであっても、この貿易交渉のゴールは関税を撤廃する包括的な協定なのである(Even so, the goal of the trade talks is a comprehensive agreement that eliminates tariffs)」と明快です。もちろん自民党内の反対派だってこんな言葉の遊びでごまかされるほどアホじゃないでしょう。TPP参加は今後も安倍政権の火種になるはずです。

というか、アベノミクスにしてもそれを期待した円安にしても株高にしても、実体がまだわからないものに日本人は期待し過ぎじゃないんでしょうか。TPPでアメリカの心配する関税が撤廃されて日本の自動車がさらに売れるようになると日本側が言っても、日本車の輸入関税なんて米国ではたった2.5%。為替レートが2〜3円振れればすぐにどうでもよくなるほどの税率でしかありません。おまけに日本車の70%が米国内現地生産のアメリカ車です。関税なんかかかっていません。

それにしても日本の首相たちのアメリカ詣でというのは、どうしてこうも宗主国のご機嫌取りに伺う属国の指導者みたいなのでしょう。それを慣例的に大きく取り上げる日本の報道メディアも見苦しいですが、「右翼・国粋主義者」とされる安倍晋三ですら「オバマさんとはケミストリーが合った」とおもねるに至っては、ブルータスよ、お前もかってな感じでしょうか。

まあ、日本っていう国は戦後ずっと自国の国益をアメリカに追従することで自動的に得てきたわけで、それを世界のリジームが変わっても見て見ない振りしておなじ鉄路を行こうとしているわけです。そのうちに「追従(ついじゅう)」は「追従(ついしょう)」に限りなく近づいていっているわけですが。

こうなると安倍政権による平和憲法“改正”の最も有力な反対はまたまたアメリカ頼みということにもなりそう。やれやれ。

February 19, 2013

暗殺の皇帝

24日にはアカデミー賞の発表です。ホメイニ革命後の79年に起きた在イラン米大使館人質事件での救出作戦を描いた『アルゴ』と、オサマ・ビン・ラーデン殺害作戦を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』とはともにCIAや軍の“活躍”の舞台裏を描いて、「ミッション・インポッシブル」や「007」みたいな派手なスパイものとは異なる現実を見せつけます。

両事件の間には30年あまりの時間差があります。が、CIAと米軍がいつの時代でも世界の最暗部で最も危険な諜報戦を繰り広げている事実は変わりません。しかしその戦法は先鋭化しています。1つは「水責め」尋問であり、もう1つは「ドローン」と呼ばれる無人機による敵の殲滅です。前者は30年前には違法でした。後者は技術的に存在しませんでした。

米議会では先日、そのCIA長官に新たに指名されたジョン・ブレナンと、CIAと密接に共同作戦を遂行する国防長官指名のチャック・ヘーゲルの承認公聴会が開かれました。2人とも議会承認は遅れています。

ブレナンはブッシュ政権下でCIA副長官でありテロリスト脅威情報統合センター(現在の国家テロ対策センターの前身です)の所長でした。『ゼロ・ダーク・サーティ』の冒頭で始まる水責め尋問シーンやビン・ラーデンの隠れ家に対しても検討された「無人機攻撃」の背後にいた人物の1人です。そして付いたあだ名は「暗殺の皇帝(The Assassination Czar)」

相手の首を水中にグイッと突っ込むのは息を止めて抵抗されたりしますが、水責め尋問は違います。相手の背中を板に固定して頭に布袋をかぶせて逆さ吊りにする。逆さまの状態で顔の部分に水を注ぐと、抵抗できないばかりか不随意の反射反応ですぐに水を肺に吸い込むことになって、「オレは溺死する!」という迫真の恐怖が襲うのだそうです。そうして容易に自白に至る。

しかし「その死の恐怖は錯覚である」というのが現在の米政府の主張です。錯覚なのでジュネーブ協約で禁じられている、実際に身体を傷つける「拷問とは違う」という論理。

しかしこれはベトナム戦争時の68年には違法とされました。それが対アルカイダ、対タリバンのテロ戦争で復活した。オバマ政権もそれを黙認・踏襲しているのです。

もう1つの無人攻撃機もやはり9・11以降のテロ戦争で実用化され、何千マイルも離れたネバダなどの空軍基地から遠隔操作されています。ビデオゲーム同様、自分の機が敵に撃ち落とされても操縦者は安全なモニターのこちら側にいます。

私はこの攻撃用無人機が心理的にも戦術的にも戦争の仕方を変えたと思っています。アフガニスタン戦争での昨年1年間の無人機攻撃は447回に及び、空爆全体の11.5%を占めるようになりました。前年の5%からの大きなシフトで、これは今後も拡大を続けるでしょう。

しかし無人機攻撃は大変な数の市民たちを誤爆してきました。死者のうちの20〜30%は一般市民で、高度な標的は殺害された者の2%に過ぎないという調査もあります。

このため、ブレナンの公聴会ではCODEPINKの活動家女性が米無人機攻撃で殺害されたパキスタン人の子供たちの名前のリストを掲げて抗議を行いました。独立系ニュースのデモクラシー・ナウ!は「無人機攻撃は単なる殺人ではない。そこに住むすべての人々を恐怖に陥れている。24時間絶え間なく遠鳴りの飛行音を聞き、学校や買い物や葬式や結婚式に行くにも怯えている。コミュニティ全体を混乱に陥れているのだ」とパキスタン現地の声を紹介しています。

思えば究極の戦略とは、「死」の格差を可能な限り広げることです。相手にはより大きな死の脅威を、味方にはより少ない死の怖れを。格差とはいま、富だけではなく命の領域にも及んでいる。「暗殺の皇帝」とはその格差の頂点に立つ者への尊称なのでしょうか、蔑称なのでしょうか。

オバマの2期目が始まっています。正義や人権を掲げる彼ですら、ブッシュ時代より暗くなった闇を背後に負っています。それにしてもCIA長官も国防長官も、自身の民主党ではなくて共和党からの人選だということに、オバマの逡巡が見て取れるのでしょうか? それとも汚いことは他人任せ、ということなのでしょうかね。そこにも政権を取った者の格差操作があるのかもしれません。

January 29, 2013

実名報道とは何か

日本では匿名報道とかボカシ報道が広がっています。読者・視聴者はそうして現場のナマの個人の証言や現実を知らずに済んでいます。アルジェリアの天然ガス施設の人質事件でも「実名にしなくとも」とか「遺族が可哀相」という反応が多くありました。

私は元新聞記者として実名報道こそが基本だと教わってきました。実名がわからないと取材元がわからない。取材できないと事実が確認できない。大袈裟な話をすれば、事実確認できない状態では権力が都合の悪い事実を隠蔽したり別の形に捏造する恐れがある。すべてはそこにつながるが故の、実名報道は報道の基本姿勢なのです。

しかし昨今の被害者報道を見ていると「実名」を錦の御旗にした遺族への一斉取材が目に余る。メディアスクラムというやつです。遺族や関係者だって心の整理がついていない時点での取材は、事実に迫るための手法とは確かに言い難いでしょう。

ただ、それを充分承知の上で、日本社会が「なにも実名にしなくとも」という情緒に流れるのには、なにか日本人の生き方に密接に関わっていることがあるからではないかと思っています。

苛酷な事件や事故で自分が死亡したとき、自分の死に様を報道してほしいかどうかはその人本人にしか決められないでしょうし、そのときの状況によっても違う。

それは人生の生き方、選び方なのでしょう。実際、苛酷で悲惨なドキュメンタリーや報道を好まない人もいるでしょうしその人はそういう現実になるべく心乱されない人生を送りたいのかもしれません。しかしそれでも誰かがその悲惨と苛酷とを憶えていなければならない。それも報道の役割の1つです。

記録されないものは歴史の中で存在しないままです。「存在しないままでいいんです」という人もいます。でも、その「存在しないままでいいと言う人たち」の存在も誰かが記録せねばならない。それは報道の大きな矛盾ですが、それも「書け」と私たちは教わってきました。なぜならそれは事実だからです。

「そんなことまで書くなんて」とか「遺族が可哀相」とか言っても、同時に「そこまで書かねばわからなかったこと」「別の遺族がよくぞ書いてくれたと思うこと」もあります。どちらも生き残った者たちの「勝手」です。私たちはその勝手から逃れられない。そのとき私たちは「勝手」を捨てて書く道を選ぶ。

それは、今の生存者たちだけではなく未来の生存者たちに向けての記録でもあるからです。スペイン戦争でのロバート・キャパの(撮ったとされる)あの『兵士の死』は、ベトナム戦争のエディ・アダムズのあの『サイゴンでの処刑』は、そういう一切の勝手な思いを超えて記録されいまそこにあります。それは現実として提示されている。

匿名でいいんじゃないか、遺族が悲しむじゃないか、その思いはわかります。実際、処刑されるあのベトコン兵士に疑われた男性の遺族は、あの写真を見たらきっと泣き叫ぶ。卒倒する。でも同時に、もしあの写真がなかったら、あの記事がなかったらわからなかった現実がある。反戦のうねりも違っていたでしょう。

解釈も感想も人それぞれに違う。そんなとき私たちは読み手の「勝手」を考えないように教えられた。それはジャーナリストとしての、伝え手としての「勝手」にもつながるからです。そうではなく、書く、写す、伝える、ように。なぜならそれは「勝手」以前の事実・現実だからだと教わったのです。そして読者を信じよ、と。

「読者を信じよ」の前にはもちろん、読者に信じられるような「書き手」であることが大前提なのですが。

日揮の犠牲者については、報道側もべつに「今すぐに」と急ぐべきではないと思います。こういう事態は遺族や企業の仲間の方々にも時間が必要です。今は十全に対応できないのは当然です。むしろ報道側には、ゆっくりじっくりと事実を記録・検証する丁寧さが必要とされている。1カ月後、半年後、10年後も。

大学生のときに教えていた塾の教材でだったか、ずいぶんと昔に目にした、(死者は数ではない、だから)「太郎が死んだと言え/花子が死んだと言え」という詩句がいまも忘れられません。誰の、何という詩だったんだろう──そうツイッターでつぶやいたら、ある方が川崎洋さんの『存在』という詩だと教えてくれました。

「存在」  川崎 洋

「魚」と言うな
シビレエイと言えブリと言え
「樹木」と言うな
樫の木と言え橡(とち)の木と言え
「鳥」と言うな
百舌鳥(もず)と言え頬白(ほおじろ)と言え
「花」と言うな
すずらんと言え鬼ゆりと言え

さらでだに

「二人死亡」と言うな
太郎と花子が死んだ と言え

January 22, 2013

本当に男らしい唯一の方法

オバマ大統領の2期目がスタートしました。2回目の就任演説は、もう選挙の心配をする必要がないせいか同性愛者の平等や気候変動、移民・人種など議論のある問題にも触れたオバマらしいものでした。

2期目の最大の課題はもちろん経済や財政の再建ですが、もう1つ、大統領選挙のときには話題にもならなかった銃規制にも踏み込まねばなりません。もちろん児童ら26人が犠牲になった昨年12月のコネティカット州ニュータウンの小学校乱射事件の影響です。

オバマは議会に対して軍用兵器並みの半自動ライフルや11発以上の連射が可能な高容量弾倉の販売禁止、私的売買での身元調査の義務化などの連邦法の制定を求めましたが、この提案に対して、全米ライフル協会(NRA)をバックにした共和党は武器を所持する権利を認めた合衆国憲法修正第2条に抵触すると即座に反発。同党のマルコ・ルビオ上院議員は「大統領の提案のうち、乱射事件を防止できた可能性のあるものは1つもない」「こうした暴力の陰にある真の原因に真剣に対処していない」と批判しています。

私もじつはこのルビオ議員の考えと同じ意見です。オバマ提案は摘出の必要なガンに絆創膏で対処するようなもので、「真の原因に対処していない」と。

乱射事件が起きるのは手の届くところに銃があるからです。理由のはっきりしない大量殺人の衝動を持ってしまう人は、社会のストレスの度合いなどでも違うでしょうがどの国でも存在してしまう。そのときに銃があるかナイフしかないかで被害を受ける人数の規模は違ってきます。そしてアメリカの場合は、そこに銃が、しかもけっこうな性能の最新銃器がそろっています。

銃規制反対派はそういう事情を知っています。そういう危険を取り除かない限り、自分を守る権利は譲れません。ところがそういう危険を取り除くことは可能なのでしょうか? 日本では秀吉の時の刀狩りがありました。明治政府になってからの廃刀令がありました。時の権力が一般の人々の武器所有を力で封じたのです。

対してアメリカは「時の権力」より先に個人が自ら危険に対処しながら国を広げていきました。当時の敵は野生動物や夜陰に乗じて襲ってくるかもしれない「インディアン」たちでした。その危険に対処する術が銃でした。おまけに独立戦争です。自国軍が整備されていない時代では、自分たちが軍に代わって英国軍と戦わねばならない時もある。その必要性が憲法修正第2条で「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、市民が武器を保持する権利は侵してはならない」と明文化されたのです。

そうして当然のようにそのまま銃器が手許に残り、現在では民間に3億丁近くも出回る社会になってしまいました。特にこうも乱射事件が多発すると人々が疑心暗鬼になるのももっともです。いや乱射事件じゃなくても年間3万人以上が銃で死ぬ社会。自宅だけではなく学校内も銃で自衛したいと思う人がいても当然でしょう。当然、NRAの乱射事件に対する公式見解はそうしたものです。

規制反対派は銃マニアなどではなくじつはそういった「自衛」主義者なのです。全国民が対象の「銃狩り」が行われれば事情も変わるでしょうが、権力が個人の自衛権を力づくで剥奪するなんてまったくアメリカ的じゃありません。銃規制反対派は、その矛盾を知っている。

銃規制の最大の欺瞞はそれが規制であって禁止ではないということです。対して、規制反対派の最大の欺瞞は権利保持に忙しいあまりに自らの「恐怖」の根本原因に目をつぶっていることです。前者ははなから根本解決を諦めており、後者はほとんど中毒症状です。

銃を持つのは周囲に対する「恐怖」「小心」という実に非“男性”的な理由なのです。それを銃によって自らこの国を切り拓いたというとても“男性”的な「自負」や「矜持」に置き換えて、しかもそれを「それこそがアメリカ文化だ」とする自己同一性で補強する。この欺瞞の論理に自覚的になり、かつそれを克服するとなれば、目指すべきは銃器の一斉放棄でしかありません。

それこそが最も「男らしい方法なのだ」と規制反対派に持ちかければ、話し合いの端緒は生まれるでしょうか? うーむ、彼らにそれはちょいと面倒臭すぎる論理でしょうね。

December 27, 2012

LGBT票が決めたオバマ再選

オバマ再選はすっかり昔のニュースになってしまいましたが、2012年の総括として、LGBT票が彼の再選に果たした役割についてはここに記しておいたほうがよいでしょう。

アメリカでは今回の選挙では、出口調査によれば全投票者中ほぼ5%が自らをLGBTと公言しました。今回は1億2千万人ほどが投票しましたから、5%というのは600万票に相当します。これが激戦州で実に雄弁にモノを言ったのです。

オバマは選挙人数では332人vs206人とロムニーに大勝しましたが、実際の得票数では6171万票vs5850万票と、わずか321万票差でした。つまり2.675%ポイント差という辛勝だったのです。

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)法科大学院ウィリアムズ研究所のゲーリー・ゲイツ博士とギャロップの共同調査によると、オバマとロムニーはストレートの投票者数ではほぼ拮抗していました。しかも、選挙を決めた最重要州のオハイオとフロリダの両州では、実はロムニーの方がストレート票では勝っていたのです。

ちょっと数字が並んで面倒くさいけれど、最後まで読んでください。オバマに勝利をもたらしたのがLGBTの票だったということがわかりますから。

もともと民主党(オバマの党)はゲイ票やアフリカ系、ラテン系、アジア系米国人の票、さらにユダヤ系の票にも強い党です。それぞれはそう大きくはないグループですが、これらマイノリティ層を全部合わせると全有権者の3分の1を占めます。対して共和党は残り3分の2の層で優位に立たねば選挙に勝てません。ここで支持者層の核を形成するのはキリスト教福音派と呼ばれる白人の宗教保守派層です。この人たちは全有権者数の4分の1を占めます。

ラテン系、アジア系の人口比率はここ最近拡大しています。これは移民の増加によるものです。同時に、ゲイだと公言する有権者も増えています。ギャロップの出口調査によると、65歳以上ではLGBTを公言する投票者は1.9%に過ぎませんでしたが、30歳から49歳の層ではこれが3.2%に上昇し、18歳から29歳層ではなんと6.4%に倍増します。もちろん年齢によって性的指向に偏りがあるはずもありませんから、これはもっぱらカムアウトの比率の違いなのでしょう。そしてそのLGBT層がニューヨークやロサンゼルスといった大都市部を越えて、いま激戦州と呼ばれるオハイオやフロリダなど複数の州でも拡大しているというのです。

共和党はヒスパニックやアジア系の票を掘り起こそうとしていますが、さて、ゲイ票はどうだったのか?

出口調査ではゲイと公言する有権者の76%がオバマに投票していたことがわかりました。対してロムニーに投じた人は22%でした(投票先を答えなかった人もいます)。ストレート票はオバマvsロムニーでともに約49%とほぼ同率だったのに、です。つまり、オバマに投票したLGBTの有権者は600万票のうちの76%=474万人、対してロムニーには22%=120万人。その差は354万票になります。

思い出してください。これは、全得票数差の321万票を上回る差です。つまり、ストレート票だけではオバマは負けていたのに、このLGBT354万票の差で逆転した、という理屈になるのです。

じつは共和党の内部にも「ログキャビン・リパブリカンズ」というゲイのグループがあります。ゲイの人権問題以上に、共和党のアジェンダである「小さな政府」主義に賛同して共和党支持に回っている人がほとんどなのですが、その事務局長を務めるR・クラーク・クーパーは「反LGBT、反移民、反女性権といった社会問題に関する不協和音の大きさに共和党はいま多くの票を失っている」と分析しています。

実際、同性婚に関してはすでに全米規模で賛成・支持が過半数を超えて多数派になりました。共和党支持者ではまだ同性婚反対に回る人が多いですが、それでも今年5月のオバマによる同性婚支持発言に対して、共和党の指導的な政治家たちはそろって静かでした。以前ならば声高に非難していたところなのに、有権者の支持を得られないとわかってその問題に反対するよりもその話題を避けるようにしたのです。とてもわかりやすい時代の変化でした。クーパー事務局長も「それが時代の進むべき方向なのだと(共和党の)議員たちもわかってきている」と話しています。「もっとも、それを公式に表明することはしないだろうが」

翻って日本の総選挙です。同性婚どころかLGBTの人権問題の基本事項すら国政の表舞台ではなかなか登場してきません。得票数では前回の民主党の政権交代が実現した選挙よりも減らしているくせに議席獲得数では大勝した今回の自民党は、ある選挙前アンケート調査ではLGBTの人権問題に関しては「考えなくともよい」「反対」とこたえたそうですね。

LGBT票は日本でも世界の他の国と等しい割合で存在しています。つまりそれが政治の行方を変える力は、いまこの時点でも日本に潜在しているということなのです。それがいつ顕在化するのか、そしてどういうふうな政党に何を託す形で姿を現すのか、長い目で見なくてはならないかもしれませんが、私はそれが少し楽しみでもあります。

November 14, 2012

自由か平等か

今回の大統領選挙で驚いたのは各種世論調査の正確さでした。NYタイムズのネイト・シルバーの「全州正解」には唖然としましたが、それも各社世論調査に数多くの要素を加味した数理モデルが基でした。ただ、それが可能だったのもオバマ民主党とロムニー共和党の主張の差が歴然としていたからでしょう。

大きな政府vs小さな政府、中間層vs富裕層、コミュニティvs企業、リベラルvs宗教保守、共生vs自律と種々の対立軸がありましたが、日本人に欠けがちな視点はこれが平等vs自由の戦いでもあったということです。

「自由と平等」は日本では今ひとつ意味が曖昧なままなんとなく心地よりスローガンとして口にされますが、アメリカではこの2つは往々にしてとても明確な対立項目です。この場合の自由は「政府という大きな権力からの自由」であり、平等は「権力の調整力を通しての平等」です。つまり概ね、前者が現在の共和党、そして後者が民主党の標榜するものです。

宗教の自由も経済の自由も小さな政府もすべてこの「自由」に収斂されます。アメリカでは自由はリベラルではなく保守思想なのです。何度も書いてきていますが、なぜならこの国は単純化すれば英国政府や英国教会の権力を逃れてきた人々が作った国であり、そこでは連邦政府よりも先にまずは開拓者としての自分たちの自助努力があり、協力のための教会があり、町があり、そして州があった。州というのは自分たちの認める最小の「邦 state」でした。それ以上に大きな連邦政府は、後から調整役として渋々作ったものでした。

アメリカが選挙のたびに真っ二つになるのもこの「古き良きアメリカ」を求める者たちと、そうじゃない新たなアメリカを求める者たちの対立が明らかになるからです。その意味でオバマの再選は、旧来の企業家たちにIT関連の若く新しい世代が多く混入してきたこと、それによりアメリカの資本構造が資本思想、経営思想とともに変わってきたこと、それによって成立する経済・産業構造とその構成員が多様化していること、などを反映した、逆戻りしないアメリカの変身を感じるものでした。オバマへの投票は言わば、元々の自由競争と自助努力の社会に、それだけではない何かを付加しないと社会はダメになるという決意だったように思えるのです。

翻って日本はどうでしょう? 新自由主義のむやみな適用で傷ついた日本社会に、民主党はこの「オバマ型」の平等社会を標榜したマニフェストを打ち立てて政権を奪取しました。けれどその際に「官僚から政治を取り戻す」とした小沢一郎はほとんど「いちゃもんレベル」の嫌疑で被告人とされ、前原ら党内からもマスメディアからもほとんど個人的怨恨のごとき執拗さで袋叩きに遭って政権中央から追われました。いまの野田政権は結局はマニフェスト路線とことごとくほとんど逆のことをやって民主党消滅の道を邁進しています。

野田は結局、民主党つぶしの遠謀深慮のために官僚機構が送り込んでいた「草」だったようにしか思えません。マニフェスト路線にあることは何一つやらず、ことごとくが「かつての民主党」雲散霧消のための道筋を突き進んだだけという、あまりにもあからさまな最後の刺客。日本に帰ってきたとたん年内解散、総選挙と言われても、これでは「平等」路線は選択肢上から消えてしまい、対する「自由」路線も日本型ではどういう意味かさえ曖昧で、そんな中で選挙をして、どこに、誰に投票するか、いったいどのように決められるのでしょう? そうして再び自然回帰だけを頼りにして自由民主党ですか?

指摘しておきますが、自民党はかつては「総合感冒薬」みたいに頭痛鼻水くしゃみ悪寒どんな症状にも対処する各種成分(派閥)が多々入っていましたが、いまはそうではありません。たとえば宏池会というのがありました。ここはかつて“優秀”だったとされる時代の官僚出身者たちを中心に穏健保守の平和主義者たちが集まる派閥で、経済にもめっぽう強かった、それがいまや二派に分裂して下野以降に外れクジをあてがわれた谷垣前総裁の派閥に成り果てる体たらく。時代は多様性なのにそれと逆行して、自民党はどんどんわかりやすく叫びやすい右翼路線に流れました。総合感冒薬から、いまは中国との戦争や核武装まで軽々に口にする安倍晋三が総裁の、威勢の良いだけのエネルギードリンクみたいなものです。何に効くのかもよくわからないまま昔のラベルで売り出してはいるのですが、中身が違っていて経済をどうするかの選択肢すら書いていないのです。

そこにメディアが煽る「第三極」です。それが男性至上主義ファシズムの石原慎太郎や橋下徹が中心だと聞くと、対立軸もヘッタクレもありゃあしません。ひょっとしたら野田も前原も民主党解党後にそそくさとこちらに鞍替えして何食わぬ顔をして連合政権にしがみつこうとしているのでしょうか。日本のメディアは、マニフェストを作った本来の民主党として本来の対立軸の「平等」路線を示し得た小沢一郎の「国民の生活が第一」を徹底して無視して、いったいこの国の何をどうしたいのでしょうか? それは言論機関としても支離滅裂にしか映らないのです。

November 07, 2012

オバマ大勝利の影の大接戦

大接戦と言われていた割には選挙人獲得数で大差がついた「オバマ大勝利」に見えますが、得票数ではともに5000万票台でその差はたった数百万票でした。勝利演説でオバマは「私たちは赤い州、青い州の集合体ではなく、ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカなのだ」といういつもの決め台詞を入れて、彼の中でも3本の指に入る名演説をぶちましたが、アメリカが二分化しているのは確かなのです。

それでもオバマが当選したのは、1つはロムニーという候補の今ひとつ他人を魅了しない人格に助けられた点は否めません。例の「愛犬天井括り付け長時間ドライブ」「高校時代のゲイ同級生いじめ」「47%切り捨て発言」。もちろん彼がモルモン教徒であることも影響したでしょう。

「ロムニー追い上げ」「接戦」と言われてきても、それはいつも一時的な盛り上がりで終わって最終的にはハリケーン・サンディでのオバマの「大統領ぶり」でロムニー熱もまた下がったところでの投票となった。その帰結がこのオバマ再選だったのでした。

しかしこれがもしもっと人好きのする候補だったなら、そしてサンディ被災のニュージャージー州の共和党知事クリスティのオバマ賛辞がなかったなら、オバマの再選はもっと難しかっただろうと思います。ロムニーの5千数百万票は、オバマのアメリカを社会主義、反聖書主義として忌み嫌う層が確実に存在しているということを改めて思い知らせます。そして、これは言わない約束ですが、黒人が大統領をやっているということがどうにも我慢ならない層もかなりいるということも。

Foxニュースの右派コメンテイターのビル・オライリーは「もう白人のアメリカは終わった」「物を欲しがる人間が多くなった(からバラマキ社会主義のオバマが当選した)」と本音を漏らしていました。

ただし、そんなせめぎ合いの中で米国社会はオバマの掛け声であった「Forward(前へ)」へ確実に進んだのも確かです。「正当なレイプなら妊娠しない」とか「レイプで授かった子も神の思し召し」と発言した共和党の上院議員候補は2人とも落選しました。代わりに史上初のレズビアン上院議員やアジア系(日系)上院議員、身障者の下院議員が誕生しました。さらに米国史上初めて住民投票によって、メイン州やメリーランド州などの同性婚が合法化される運びになりました。これまで33回も住民投票で否決されてきた同性婚提案なのです。

「多様性を認める社会、それがアメリカの強さなのだ」とオバマが訴えたとおり、時代は確実に前へ進んでいます。次の4年で現在3人いる75歳以上の連邦最高裁判事も、オバマの選ぶリベラル派の判事に交代するでしょう。これも大きな変化になります。

もっとも、不安材料も多々あります。まずは「財政の壁」が12月末に訪れることです。下院が共和党、上院は民主党とねじれ現象が続くことになり、議会との付き合い方も難しいままです。

ただ、ブッシュ政権の後片付けに追われた1期目と異なり、次にはもう選挙の心配のないオバマは、2期目は強気の政権運営をしてでしょう。とりあえず景気浮揚、雇用回復が急務です。勝利宣言のオバマの笑顔は、困難を知る人の節度ある笑顔でした。

November 05, 2012

スーパーストーム・サンディ

スーパーストームと呼ばれたサンディの被害でマンハッタンは大混乱だと日本のニュースでも大きく報じられていましたが、本当にひどい被災はじつはあまり日本では報道されていないスタッテン島やブルックリンを含むロングアイランドの海岸部、さらにはサンディが上陸で直撃したお隣ニュージャージーの沿岸部でした。こちらのニュースでも報道の中心はまずはマンハッタンだったのですが、いまはほとんどがニュージャージーやスタッテン島の被災に重点が移っています。

スタッテン島をスタート地点とするニューヨーク・マラソンが中止になったのも宜なるかな。日本人の私たちには尋常ではないところにある車やボート、ゴッソリとえぐられたり流されたりしている家並みは3・11を彷彿させて身につまされるものがあります。

あの時の東北もそうでしたが、最も大切なのはまずは必要物資や救援活動の情報でした。なのに停電のためにそれを必要とする人たちにこそ肝心の情報が伝わらない。

でも少なくともマンハッタンではiPhoneなどのスマートフォンを利用して、停電地区でもネット経由で復旧情報をいち早く知ることができていたようです。あちこちで善意の無料充電スポットが出来ていたのは新しい光景でした。日本人同士でも懸命に日本語で地下鉄やバスの運行状況やトンネルや橋の通行止め情報、電気の復旧の見通しなどをツイッターで共有していました。

そんな中、遅ればせながらミッドタウンの日本領事館も29日夜になってツイッターを始め、サンディ関連の「緊急情報」を流すというので大いに期待したのです。

ところがどうでしょう。とんと何もつぶやかない。最初の「緊急情報」は「緊急対策本部を立ち上げ」たという前日の領事館の対応の紹介。その後も具体的情報にはほとんど何も触れずに一次情報の英語のリンク先を紹介するだけ。橋や地下鉄の開通状況や電力復旧状況を流すのも遅いったらありゃしない。

そのツイッターは結局2日時点で終了していて「つぶやき」の数は5日間でたったの計17回。900人以上の人がフォローしているのに、きっとほとんど何の役にも立たなかったと思います。まさかいちいち稟議書を上げて何をつぶやいていいかダメかの上司決済を取っていたんじゃないでしょうね。こういう「お役所仕事」は、責任のある人が自分の責任ですぐに情報発信できるような仕組みにしないと何の役にも立たない。減点主義ではなく、得点主義で運営すべきなのです。それがなかなか出来ないのが日本型組織の、ひいては日本社会の弱点なんでしょうね。

ちなみに日本領事館のツイッターのアカウント名は「JapanCons_NY」。まるで商品評価の「Pros & Cons」の「Cons=ダメなところ」みたいな名前。おまけに「Cons」というのは「ペテン師たち con artists」とか「犯罪者たち convicts」とかいう意味でもあって、さらに動詞だと解釈すれば「日本がニューヨークをペテンに掛ける(con の三人称単数形)」ってな意味にもなってしまって……まったく、これは偽アカウントかと思ってしまうほどのセンスの無さでした。

さてそれでもやっと電気も地下鉄も復旧してきて、マンハッタンはこれで一安心と思っていたらいまさっき友人から電話があって「何言ってんのよ、うちのアパートは大変な孤立状態なのよ!」って……ああ、そういえばあのぶらぶらクレーンがまだ解決していないのでした。

彼女の住む高層アパートは56丁目。まさにあのクレーン宙づりのビル(57丁目)から短い方の1ブロックで、倒れたらビルを直撃するのでビル北側の住民全員が強制避難。撤去作業に4〜6週間かかるといわれるのですが工程の精査で作業は始まってさえいないそうです。おまけに今週半ばにはまた別の嵐がニューヨークを襲うともいわれているではありませんか。

カーネギーホールを含め周辺丸ごと封鎖状態の現場は、下を走る地下鉄も落下直撃の恐れで不通のまま。しかも落下したら地下に埋設のガスとか電気とかのインフラが直撃され、それがすべて基幹の本管であるためにマンハッタン中がブラックアウトする恐れもあるのだそう。「あたしのこと忘れないでよ!」と彼女に怒られたのも、じつにもっともなことです。

October 23, 2012

「みんな」か「個人」か

ちょいとブログの更新を怠っているうちに大統領選挙まであと2週間。第2回、そして昨日の第3回討論会でオバマが初回の失地をかなり回復したかに見えますが、それでもロムニーの巻き返し気運も衰えていません。世論調査によってオバマとロムニーの優位が入れ替わったりしていて、何が何だかわからない様相です。

最後の討論会は外交問題がテーマでしたが、しかし米国の有権者たちの関心は国内情勢、雇用や景気問題に集中しているようです。先日のWSJ紙とNBCの共同調査でオバマの経済運営に対して不支持(52%)が支持(46%)を上回り、外交に関しては支持(49%)が不支持(46%)を上回って、2人の支持率は47%で並びました。さあこれはいったいどういう選挙になるのでしょう? 

先日来、いろんな知人と話していて、結局この選挙はアメリカが欧州型の「みんなで稼いだおカネをみんなで分けてゆったり暮らそう」という社会を目指すのか、それとも米国式の高度資本主義の「稼いだ人が稼いだカネを個人の責任でもって社会に還元する」社会を目指すのか、という選択なのではないか、という結論になりました。

でも現在、前者の分が悪い。なぜなら欧州はいま財政破綻の債務危機に直面しているからです。ギリシャは公務員に偏った経済構造の歪みと賄賂経済が原因ですし、イタリアは南北格差と脱税の横行が原因。スペインはアメリカのサブプライムと同じ住宅バブルの崩壊で急失速しました。それぞれに原因が違うようにも見えますが、その一方でいずれでも高度の社会保障というバラマキ政策が背景にあります。

オバマはこの欧州型を標榜しているように見えるのです。「オバマケアだって」と19歳の大学生に言われました。「税金を使うだけでうまく行くはずがない。日本の国民健康保険だって実際は大赤字で破綻してるんじゃないですか?」

オバマへの逆風はそういう不安をロムニー陣営にあぶり出されたということかもしれません。しかしだからといってロムニーの描く政策でうまく行くという保証はどこにもないのです。

社会が、お金持ちたちの善意や責任感による「トリクル・ダウン(おこぼれ)」だけで成立するはずもなく、たとえば米国のお金持ち上位400人の資産を合わせると、それだけで1兆7千万ドルにもなって米国内総生産(GDP)の1割以上を占めます。その400人の平均資産は42億ドル(3300億円)。億万長者のロムニー本人もその所得の大半は投資利益で、所得税は15%しか払っていません(私を含め、普通の人たちの所得税はだいたい税率が30%です。これはけっこうきつい)。また米国ではいま地方だけでなく大都市部でさえも医師が不足していて、全米では医師がさらに1万3千人以上必要だというニュースも報じられています。こういう格差や偏差の現状を知ると、神の見えざる手だけではなく、政府による是正機能、調整機能が大いに必要なのではないかという気にもなってきます。実際にオバマの金融や自動車産業救済策は「政府の見える手」でした。

ロムニーは右派のライアンを副大統領候補に据えましたが、当選したら実際にどういう政府になるのか、中道なのか右派なのかじつは選挙用のスピーチが多すぎて正体不明なのです。ただそこは攻める側の強み、「4年間で失業率を4%台に戻す」としたオバマの公約の遅れを衝くことで、4年前の「チェンジ!」の掛け声をオバマ自身に突きつけている。

1カ月前には想像もできなかった激戦です。これもオバマの第1回討論会の生気のなさに起因しているのですから、スキを見せるのがいかに危険なことか、私も忘れられない勉強になりました。

August 29, 2012

銃を通して見える大統領選

服部君射殺事件というのを覚えていますか? 南部ルイジアナ州バトンルージュで92年10月17日、交換留学生だった服部剛丈くん(当時16歳)がハロウィーンのパーティー宅を間違えて別の家の敷地内に入り込み、家の主人ロドニー・ピアーズに44口径マグナムで撃たれて死亡した事件です。私は93年にニューヨークに赴任したので、初めてディープサウスと呼ばれる土地に出かけて事件後の裁判を刑事・民事とも取材しました。裁判所の下というか横の低地にはミシシッピ川が流れてたのですが、バトンルージュという州都はとても白人の街で、裁判の途中のお昼休みに近くのレストランにランチを食べに入ると、白人の住民の人たちから物珍しそうに見られたものです。

ところであのころはこの事件もきっかけとなって全米で銃規制論が盛り上がり、銃購入者の犯歴照会を義務化するなどのブレイディ法も成立しました。あれから20年が経ち、コロンバイン高校の乱射事件(死者15人)やバージニア工科大学乱射事件(同33人)、今年もバットマンのダークナイト・ライゼズの上映映画館での乱射事件(同12人)が起きています。先日のマンハッタンのエンパイア近くの銃撃事件は、負傷者の9人はすべて警官側の乱射による巻き添えだったとわかりましたが、いずれにしてもいまはどうして銃規制の話が盛り上がらないのでしょうか?

これを理解するにはこの国の成り立ちから押さえておかねばなりません。とはいえ簡単なことです。この国は、この人たちが銃で西へ西へと開拓していって作った国だということ。それは米国形成のアイデンティティに関わる問題なのです。そしてこの国の政府は、その人たちが国の形を作りつつ自分たちの権利を預託した調整機関に過ぎないということ。そこでは主人公は自分たちであって、調整役の政府は出過ぎたマネをするな、ということなのです。

これが「小さな政府」論の源です。アメリカ建国のもう1つのキーワードである「自助努力」で生活を切り拓いている我々から余計に税金を取ったり、ましてやそれを貧乏人に分け与えたりするのは悪しき「社会主義」となるのです。

銃も同じ。我々の命とも言える銃を取り上げるなんて、政府であろうとも何様のつもりだ、というわけです。だいたい、憲法修正第2条の「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有・携帯する権利は侵してはならない」というのは、この国の人民は1人1人がこの国を守る主人公なのだ、ということ。そのために武器の所有が認められているのです。

余談ですが、これに対して武士たちが帯刀を禁じられても渋々従ったのは、国家や政府に対する考えが米国とは逆だったからでしょうね。もっとも、実際に日本社会から刀がなくなったのはGHQへの武器供出命令のときと、それに続く銃刀法の厳格化でした。私の記憶では昭和30年代にはまだ無届けの日本刀なんかを飾ってる家もあったような気がします。

閑話休題。それでも大統領や指導者たちが何人も撃たれる歴史を経て、銃に関する政治的正しさ(PC)が力を持った時代には銃規制が進みました。じつは立法・行政として犯罪者が銃を手にしないようできることはだいたいやっているのです。もっとも、いくらでも細かく規制することはできますがそれは事実上「銃を持たせない」という範疇に踏み込んでしまうので、そうなると先に書いたように建国のアイデンティティに触れてしまってアウト。

例のバットマン映画館の乱射事件では「もし館内にだれか銃を持った客がいたら、反撃してあんな大事にはならなかったはずだ」と発言する規制反対派の人もいましたが、いま出てくる意見は規制に過剰反応するそんな「とんでも発言」ばかりで、規制派もうんざりして議論にもならない。エンパイアビルの銃撃でも明らかですが、負傷者9人はみな警官の発砲の流れ弾でした。警官ですら正確に撃てない。一般人が反撃したら、それこそ警察も入り乱れての大混乱になることは想像に難くありません。

銃で切り拓いてきた国と書きましたが、銃とキリスト教で切り拓いてきた、と言った方が正確でしょう。そうすると11月に迫った大統領選挙の構図も見えてきます。

銃規制反対派が先鋭化するのと同じく、キリスト教者たちもこのところずっと原理主義的な発言が続いています。それはティーパーティーに見られる共和党の右傾化と重なります。彼らのあまりの猛々しさに、いつの間にか共和党の中でも議論できる穏健派・中間派が影を潜めてしまった。それで猛々しい保守派右派には、医療保険改革を進め同性婚や中絶を認める黒人の大統領というのは、小さな政府や聖書から最も遠い反アメリカの人間に見える(もちろんもう1つの忘れてはならないキーワード、人種差別というのがこの論調の隠し味です)……。

オバマはなにがなんでも落選させねばならない相手。そのためにはモルモン教であったり多少人間性に欠けたり言を左右したり資産隠しをしたりイヌを車の屋根に括り付けて走ったりしててもそんなことは大目に見てロムニーを応援しなければならない。それが今回の共和党の大統領選挙なのです。

May 13, 2012

オバマのABCインタビュー

日本の新聞やTV報道ではあまり大きな扱いになっていないかもしれませんが、オバマが米国大統領として史上初めて同性婚を支持するという発言をした5月10日に放送した(収録は9日)ABCのインタビューから抜粋を紹介します。もちろんこのインタビューは経済やテロの話題にも及びましたが、最初にこの同性婚の話から始まりました。

ちなみに、日本のニュースでは「同性婚を容認」としているところもありますが、これは「容認」するとかしないとかの問題ではありません。大統領が容認しようがしまいが「結婚制度」はいまは州政府の管轄であって直接の影響は与えられないことが1つです。それに「容認」って、なんか上から目線に聞こえません? 実際、オバマはそんなふうなしゃべり方はしていません。とても慎重に言葉を選びながら、しかも「for me, personally」とか「important for me」と、これが個人的な思いであることを強調した上での発言でした。

この中で、自分の同性婚に関する考えが「進化」したと言ってますが、まあ、そりゃ「戦略的に変化してきた」ということだと思います。今年が大統領選挙の年だということも忘れてはいけません。オバマも政治家です。詳細はまた別に書きます(と思います)が、ウォールストリートのおカネがロムニーに流れているいま、それに対抗するカネヅルは裕福なゲイたちのピンクマネーであることも確かなのです。もちろん理想や変革への意志はありましょうが、一方で政治家としての選挙戦略を計算していないわけではないということです。さて、しばしば言葉を慎重に選びつつも、オバマはしっかりとはっきりと受け答えしています。以下がインタビューの内容です。翻訳しましたが、面倒臭くてブラシュアップも推敲もしてません。だって、思ったよりけっこう長かったんです。ひゅいー。

()内は意味の補足で私が付け加えています。その他説明は【訳注:】で示しました。

では、どうぞ。

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ROBIN ROBERTS: Good to see you, as always--

ロビン・ロバーツ:お会いできていつも嬉しいです。

PRESIDENT OBAMA: Good to see you, Robin.

オバマ大統領:こちらも嬉しいですよ、ロビン。

ROBIN ROBERTS: Mr. President. Thank you for this opportunity to talk to you about-- various issues. And it's been quite a week and it's only Wednesday. (LAUGH)

ロビン:ミスター・プレジデント、こうして様々な問題について話しを伺う機会をありがとうございます。今週は大変でした、しかもまだ水曜日です。

PRESIDENT OBAMA: That's typical of my week.

オバマ:私にはいつもこんな感じの1週間ですから。

ROBIN ROBERTS: I'm sure it is. One of the hot button issues because of things that have been said by members of your administration, same-sex marriage. In fact, your press secretary yesterday said he would leave it to you to discuss your personal views on that. So Mr. President, are you still opposed to same-sex marriage?

ロビン:そうでしょうね。いろいろ物議を呼びそうな話題の1つに、政権の内部からもいろいろ発言があるようですが、同性婚の問題があります。実際、報道官が昨日、その件に関しては大統領個人がお話しするのに任せると言っていました。ですんでミスター・プレジデント、あなたはまだ同性婚に反対の立場ですか?

PRESIDENT OBAMA: Well-- you know, I have to tell you, as I've said, I've-- I've been going through an evolution on this issue. I've always been adamant that-- gay and lesbian-- Americans should be treated fairly and equally. And that's why in addition to everything we've done in this administration, rolling back Don't Ask, Don't Tell-- so that-- you know, outstanding Americans can serve our country. Whether it's no longer defending the Defense Against Marriage Act, which-- tried to federalize-- what is historically been state law.

オバマ:まあ、そう、言っておかなければならないのは、前にも話したように私は、私はこの問題については進化を経てきたということです。前からずっと変わらず言ってきたのは、ゲイやレズビアンの、アメリカ人は公正に平等に扱われるべきだということです。ですからこの政権になって我々がいろいろやってきたことに加えて、ドント・アスク、ドント・テル【訳注:同性愛者だと明らかにしない限り米軍で働けるという施策】を廃止して、それでご存じのように、傑出した人材のアメリカ人がこの国のために(性的指向による除隊を心配せずに)働けるようになりました。それに政権としてはもう(連邦法の)結婚防衛法【訳注:オバマはDefense Against Marriage Actと言いマツがえているが、正確にはDefense of Marriage Act=DOMA】を擁護することはやめました。この法律は、結婚を連邦法で規定しようとしたものですが、これは歴史的にも州法の問題ですから。

I've stood on the side of broader equality for-- the L.G.B.T. community. And I had hesitated on gay marriage-- in part, because I thought civil unions would be sufficient. That that was something that would give people hospital visitation rights and-- other-- elements that we take for granted. And-- I was sensitive to the fact that-- for a lot of people, you know, the-- the word marriage was something that evokes very powerful traditions, religious beliefs, and so forth.

私の立場は、LGBTコミュニティのためのより広範な平等をというものです。かつて私は同性婚に関しては躊躇していました。ある意味なぜなら、シビル・ユニオン【訳注:結婚から宗教的意味合いを取り去った法的保護関係】で充分だろうと思ったのです。その、病院に見舞う権利とか、それとその他の、要素などを与えることで。それと、この事実にも敏感にならざるを得なかった、つまり多くの人にとって、知ってのとおりその、結婚という言葉はなにかとても強力な伝統や宗教的信念や、そういったいろいろを喚起するものだということです。

But I have to tell you that over the course of-- several years, as I talk to friends and family and neighbors. When I think about-- members of my own staff who are incredibly committed, in monogamous relationships, same-sex relationships, who are raising kids together. When I think about-- those soldiers or airmen or marines or -- sailors who are out there fighting on my behalf-- and yet, feel constrained, even now that Don't Ask, Don't Tell is gone, because-- they're not able to-- commit themselves in a marriage.

しかしこれも言わなくちゃならないんですが、ここ数年の間に、友人たちや家族や近しい人には話していますが、自分のスタッフたちのことを考えると、モノガマスの関係【訳注:付き合う相手は1人と決めている関係】をものすごく真剣に続けていて、同性同士の関係でですね。それと兵隊です、陸軍も航空兵も海兵隊もそれから水兵も、彼らは外に出て私の代わりに戦ってくれている、なのにまだ制約があるわけです。いまはもう「ドント・アスク、ドント・テル」はなくなりましたが、それでもまだ、結婚という形で、互いに結びつくことができないからです。

At a certain point, I've just concluded that-- for me personally, it is important for me to go ahead and affirm that-- I think same-sex couples should be able to get married. Now-- I have to tell you that part of my hesitation on this has also been I didn't want to nationalize the issue. There's a tendency when I weigh in to think suddenly it becomes political and it becomes polarized.

そしてある時点で、結論するに至った。つまり私にとっては、個人的にですが、私が思う、同性カップルが結婚できるようになるべきだということを、先に進め肯定することが私にとっては重要なことだとそう決めたんです。それから、これに関しては躊躇もあって、その1つはこの問題を全米的なものに広げたくなかったというのもあります。この件は考えようとすると突然政治的になるし対立問題になる傾向がありますから。

And what you're seeing is, I think, states working through this issue-- in fits and starts, all across the country. Different communities are arriving at different conclusions, at different times. And I think that's a healthy process and a healthy debate. And I continue to believe that this is an issue that is gonna be worked out at the local level, because historically, this has not been a federal issue, what's recognized as a marriage.

それでいま行われていることは、思うにアメリカ中で、この件に関しては各州で、断続的にですが、いろいろやっているということです。それぞれ異なったコミュニティがそれぞれ異なった結論に達している。それは健全なやり方ですし健全な議論だと思います。私もこれは地元のレベルで考えられる問題だとこれからも信じています。なぜなら歴史的にもこれは、結婚として何が相応しいかということは連邦政府の問題ではなかったわけですから。

ROBIN ROBERTS: Well, Mr. President, it's-- it's not being worked out on the state level. We saw that Tuesday in North Carolina, the 30th state to announce its ban on gay marriage.

ロビン:ええ、ミスター・プレジデント、州のレベルではうまく行っているわけではありません。8日の火曜日にはノースカロライナが同性婚を認めないとした30番目の州になりました。

PRESIDENT OBAMA: Well-- well-- well, what I'm saying is is that different states are coming to different conclusions. But this debate is taking place-- at a local level. And I think the whole country is evolving and changing. And-- you know, one of the things that I'd like to see is-- that a conversation continue in a respectful way.

オバマ:まあ、その、その、つまり異なる州は異なる結論に至るということで。しかしその議論は行われている、地元のレベルで。そしてこの国全体も進化し変わってきていると思います。それにご存じのように、私が望んでいることの1つは、互いを尊重する形で対話が続いていくことです。

I think it's important to recognize that-- folks-- who-- feel very strongly that marriage should be defined narrowly as-- between a man and a woman-- many of them are not coming at it from a mean-spirited perspective. They're coming at it because they care about families. And-- they-- they have a different understanding, in terms of-- you know, what the word "marriage" should mean. And I-- a bunch of 'em are friends of mine-- you know, pastors and-- you know, people who-- I deeply respect.

そして、その、結婚というものは厳密に定義されるべきだと、男と女の間に限って、と、非常に強く思っている人たちは、その多くはべつに意地悪な気持ちや考え方でそう思っているわけじゃない。彼らがそう感じているのは、家族のことを大切に思っているからです。そして、その、そうした人たち、その人たちは異なった理解をしている。つまりその、「結婚」という言葉がどういう意味なのかという点において、です。私はその、そういう人たちは私の友人の中にたくさんいます。牧師さんとか、ほかにも私の深く尊敬している人たちとか。

ROBIN ROBERTS: Especially in the Black community.

ロビン:特に黒人コミュニティの中に。

PRESIDENT OBAMA: Absolutely.

オバマ:おっしゃるとおり。

ROBIN ROBERTS: And it's very-- a difficult conversation to have.

ロビン:そしてそれは、話すのはとても、難しい。

PRESIDENT OBAMA: Absolutely. But-- but I think it's important for me-- to say to them that as much as I respect 'em, as much as I understand where they're comin' from-- when I meet gay and lesbian couples, when I meet same-sex couples, and I see-- how caring they are, how much love they have in their hearts-- how they're takin' care of their kids. When I hear from them the pain they feel that somehow they are still considered-- less than full citizens when it comes to-- their legal rights-- then-- for me, I think it-- it just has tipped the scales in that direction.

オバマ:ほんとうに。ただ、私は、そういう人たちにも、私が彼らを尊敬しているのと同じくらい、私が彼らの拠って立つところがどこかを理解していると同様に、こう伝えることが私にとって重要なのことだと思うのです。つまり私がゲイやレズビアンのカップルに会うとき、同性同士のカップルに会うとき、そこに、私は、なんと彼らが互いを大切に思い、なんと大きな愛をその心に宿しているのか、そして自分たちの子供のことをなんとじつに大切に思っているのか、ということを。彼らから私は、彼らの感じている苦悩を聞くのです。たとえば法的な権利に関して、そういう話になると彼らは、完全な市民というものよりも自分たちが劣った者として考えられている、そういうふうに感じるわけです。だから私が思うにそれが、そちらの方向に舵を切るきっかけだったのです。

And-- you know, one of the things that you see in-- a state like New York that-- ended up-- legalizing same-sex marriages-- was I thought they did a good job in engaging the religious community. Making it absolutely clear that what we're talking about are civil marriages and civil laws.

それと、あれです、ニューヨークのような州で、結局、同性婚が合法化されたのを見て、私が思ったのが、彼らが宗教のコミュニティとじつにうまく折り合いを付けたということでした。自分たちの言っているのが明確に公民としての結婚、民法上のものだということをはっきりさせて。

That they're re-- re-- respectful of religious liberty, that-- you know, churches and other faith institutions -- are still gonna be able to make determinations about what they're sacraments are-- what they recognize. But from the perspective of-- of the law and perspective of the state-- I think it's important-- to say that in this country we've always been about-- fairness. And-- and treatin' everybody-- as equals. Or at least that's been our aspiration. And I think-- that applies here, as well.

つまり、その、その、宗教の自由を尊重していて、つまりそう、教会とかその他の宗教的団体ですね、そういうところはいまでもまだ何が聖なるものなのか、何をそう認めるのか、自分たちで決められるのです。ただしかし、法律上の、国家としてのものの考え方から言って、重要なのは私が思うに、この国では私たちはいつも公正さというものを旨としてきたということです。そしてすべての人を平等に扱う、ということ。あるいは少なくともそれは私たちの目標でありつづけてきた。だから私が考えるのは、それをここでも適用するということなんです。

ROBIN ROBERTS: So if you were the governor of New York or legislator in North Carolina, you would not be opposed? You would vote for legalizing same-sex marriage?

ロビン:ではもしあなたがニューヨーク州の知事だったり、あるいはノースカロライナ【訳注:このインタビューの前日に同性婚は認めないという州憲法変更提案を住民投票で可決した州】の州議会議員だったとしたら、あなたは反対しない? つまり、同性婚を合法化することに賛成票を投じるわけですか?

PRESIDENT OBAMA: I would. And-- and that's-- that's part of the-- the evolution that I went through. I-- I asked myself-- right after that New York vote took place, if I had been a state senator, which I was for a time-- how would I have voted? And I had to admit to myself, "You know what? I think that-- I would have voted yes." It would have been hard for me, knowing-- all the friends and family-- that-- are gays or lesbians, that for me to say to them, you know, "I voted to oppose you having-- the same kind of rights-- and responsibilities-- that I have."

オバマ:そうするでしょう。それが、それが私の、通ってきた進化の一部です。私は自分に問いただしました、あのニューヨークの投票が行われた直後です。もし自分が州上院議員だったら、一時そうだったこともありますが【訳注:シカゴのあるイリノイ州上院議員だった】、どっちに投票していただろうか? そうして自分にこう言い聞かせたんです。「おいおい、つまり、賛成に投票してたよ」ってね。私にとって、ゲイやレズビアンの友人たちやその家族を知ってるわけですから、そんな、彼らぜんぶに向かって、「きみらが、私が持っているのと同じ種類の権利と責任を持つことに、反対する票を投じたよ」と言うのは私にはできかねたろうと。

And-- you know, it's interesting. Some of this is also generational. You know, when I go to college campuses, sometimes I talk to college Republicans who think that-- I have terrible policies on the-- the economy or on foreign policy. But are very clear that when it comes to same-sex equality or, you know-- sexual orientation that they believe in equality. They're much more comfortable with it.

それに、ね、面白いことに、これに関しては、ある部分は世代で違うんですよ。ほら、私も大学のキャンパスに行くことがあります。そこでときどき大学生の共和党支持者たちと話すんですが、彼らはその、私の政策をひどいと、経済政策とか外交とかですね、思っている。しかし話が同性カップルの平等の問題、つまりあの、性的指向の問題になると、明確に彼らはそれに関しては平等であるべきだと信じているんです。それがもう当然だと思っているわけです。

You know, Malia and Sasha, they've got friends whose parents are same-sex couples. And I-- you know, there have been times where Michelle and I have been sittin' around the dinner table. And we've been talkin' and-- about their friends and their parents. And Malia and Sasha would-- it wouldn't dawn on them that somehow their friends' parents would be treated differently. It doesn't make sense to them. And-- and frankly-- that's the kind of thing that prompts-- a change of perspective. You know, not wanting to somehow explain to your child why somebody should be treated-- differently, when it comes to-- the eyes of the law.

そう、そしてマリアとサーシャですが【訳注:オバマの2人の娘のこと】、友だちの親たちが同性のカップルという子もいるわけです。私は、何度もミシェルと一緒に夕食のテーブルを囲みながら話したりするわけです、その、娘たちの友だちやその親たちのことを。それでマリアもサーシャも、どうしてか彼女たちの友だちの親たちが異なる扱いを受けているということがわからないんですよ。そのことは彼女たちには意味不明なんです。そして、率直に言うと、そういうことが私の物の見方を変えるきっかけだったんですね。わかるでしょう、どうしてある人たちが異なる扱いを受けなければならないのか、そのわけを自分の子供に説明なんかしたくない。──法的見地の話ですが。

ROBIN ROBERTS: I-- I know you were saying-- and are saying about it being on the local level and the state level. But as president of the United States and this is a game changer for many people, to hear the president of the United States for the first time say that personally he has no objection to same-sex marriage. Are there some actions that you can take as president? Can you ask your Justice Department to join in the litigation in fighting states that are banning same-sex marriage?

ロビン:おっしゃってきたこと、そしていまおっしゃっていること、つまりこれは地元のレベル、州のレベルの問題であるというのはわかります。しかし合衆国大統領として、これは多くの人たちにとって、合衆国の大統領が初めて個人的にではあるにしろ自分は同性婚になんら異議はないと発言することは、これはこれまでの流れを変える大変な出来事です。

PRESIDENT OBAMA: Well, I-- you know, my Justice Department has already-- said that it is not gonna defend-- the Defense Against Marriage Act. That we consider that a violation of equal protection clause. And I agree with them on that. You know? I helped to prompt that-- that move on the part of the Justice Department.

オバマ:そうですね、私はほら、私の政府の司法省はすでにその、もう結婚防衛法の正当性を主張することはしないと言っています。これは法の平等保護条項に違反するものだと考えているわけで、私もその件に関しては司法省に賛成します。だから、ね? 私も司法省の一部にそう、そう動けと仕掛けたんですよ。

Part of the reason that I thought it was important-- to speak to this issue was the fact that-- you know, I've got an opponent on-- on the other side in the upcoming presidential election, who wants to-- re-federalize the issue and-- institute a constitutional amendment-- that would prohibit gay marriage. And, you know, I think it is a mistake to-- try to make what has traditionally been a state issue into a national issue.

この問題に言及することが重要なことだと思う理由の一部はつまり、知ってのように、来るべき大統領選挙で敵対する相手方は、この問題を再び連邦政府の問題にしたいという、つまり憲法の修正を行って同性婚を禁止しようとしている事実があるからです。それは、伝統的に州の問題だったものを連邦の問題にしようというのは私は間違いだと思う。

I think that-- you know, the winds of change are happening. They're not blowin'-- with the same force in every state. But I think that what you're gonna see is-- is-- is states-- coming to-- the realization that if-- if a soldier can fight for us, if a police officer can protect our neighborhoods-- if a fire fighter is expected to go into a burning building-- to save our possessions or our kids. The notion that after they were done with that, that we'd say to them, "Oh but by the way, we're gonna treat you differently. That you may not be able to-- enjoy-- the-- the ability of-- of passing on-- what you have to your loved one, if you-- if you die. The notion that somehow if-- if you get sick, your loved one might have trouble visiting you in a hospital."

風向きが変わってきていると思うんですね。ただ、すべての州で同じ向きに風が吹いているわけでもない。しかしこれから起きることは、その、州というものもだんだんわかり始める時が来る。その、私たちのために戦う兵士がいる、私たちの住む地区を守ることのできる警察官がいる、そして燃え盛るビルに飛び込んでゆく消防士がいる、私たちの持ち物や子供たちを救うためにです。 そこでそんな仕事を終えた彼らに私たちはこう言うんです、「ああ、ところできみに関しては扱いが違うんだ。きみはその、もしきみがその、仮に死んだとしても、きみの持っている物をきみの愛する人に譲り渡すことが、できる権利を、その、享受できないかもしれない。それからその、なぜか、きみが病気になってもきみの愛する人はきみを病院に見舞おうとして厄介なことになるかもしれない」と。

You know, I think that as more and more folks think about it, they're gonna say, you know, "That's not who we are." And-- and-- as I said, I want to-- I want to emphasize-- that-- I've got a lot of friends-- on the other side of this issue. You know, I'm sure they'll be callin' me up and-- and I respect them. And I understand their perspective, in part, because-- their impulse is the right one. Which is they want to-- they want to preserve and strengthen families.

ですから、そのことを考える人がだんだん増えてきていると思うんですよ。でそのうちに彼らは、ね、こう言うんだ。「それって私たちの思いとは違う」と。そして、そして、すでに言ったように、私は、私は強調したいんですけれど、私には多くの、この問題で違う立場を取る友だちもたくさんいます。そうきっと彼らは私にいろいろ言うのは知っています。そういう彼らを尊重もします。それにその考え方をある部分理解もできる。なぜなら、彼らのショックも当然だからです。彼らは家族というものを守りたい、強固なものにしたいのです。

And I think they're concerned about-- won't you see families breaking down. It's just that-- maybe they haven't had the experience that I have had in seeing same-sex couples, who are as committed, as monogamous, as responsible-- as loving of-- of-- of a group of parents as-- any-- heterose-- sexual couple that I know. And in some cases, more so.

彼らは心配してるんだと思います。家族ってものが壊れつつあるのが目に入らないのか、と。それは、ただ、たぶん、彼らは、私が同性カップルを見て知って経験したような、同じような経験をしていないんです。私の見てきた同性カップルは、自分の付き合いに同じように真剣で、モノガマスで、同じように責任を持っていて、同じように、私の知るヘテロセクシュアルのカップルと同じように愛情に溢れた親たちの一群なのです。ときには、より以上にそうでした。

And, you know-- if you look at the underlying values that we care so deeply about when we describe family, commitment, responsibility, lookin' after one another-- you know, teaching-- our kids to-- to be responsible citizens and-- caring for one another-- I actually think that-- you know, it's consistent with our best and in some cases our most conservative values, sort of the foundation of what-- made this country great.

そして知ってのように、家族や、互いの思いやりや、責任や、互いへの労りなどを考えるときに、それにそう、子供たちに、責任ある市民になることやみんなを大切に思うことを教えることもそうです、そういうときに私たちがじつに大切だと考える基本的な価値、彼らの思っているその価値は、私たちの最良のその価値と、ときにはまた私たちの最も保守的なそれとさえ、矛盾しないものなのです。いわば、この国を偉大にしてくれているもののその基礎と同じなのです。

ROBIN ROBERTS: Obviously, you have put a lot of thought into this. And you bring up Mitt Romney. And you and others in your administration have been critical of him changing positions, feeling that he's doing it for political gain. You realize there are going to be some people that are going to be saying the same with you about this, when you are not president, you were for gay marriage. Then 2007, you changed your position. A couple years ago, you said you were evolving. And the evolution seems to have been something that we're discussing right now. But do you-- do you see where some people might consider that the same thing, being politics?

ロビン:あなたは明らかにこの問題に関して多くのことを考えてきたようです。そしてミット・ロムニーのことも持ち出しました。あなたもあなたの政府の他の人たちも、彼が立場を変えたことを政治的な利益を得るためのものと見て、批判的ですね。でもこのことに関しては、あなたに対しても同じようなことを言う人たちもまたいるだろうことをご存じのはずです。あなたが大統領でなかったとき、あなたは同性婚に賛成でしたから。それで2007年になって、あなたは自身の立場を変えた。2年前、あなたは進化の途中だとおっしゃいました。そしてその進化というのは、いまここで話していることですよね。でも、それをそこで、同じことだと感じているかもしれない人がいるとは思いません? つまり、これも政治的(な一手)だと。

PRESIDENT OBAMA: Well, if you-- if you look at my trajectory here, I've always been strongly in favor of civil unions. Always been strongly opposed to discrimination against gays and lesbians. I've been consistent in my overall trajectory. The one thing that-- I've wrestled with is-- this gay marriage issue. And-- I think it'd be hard to argue that somehow this is-- something that I'd be doin' for political advantage-- because frankly, you know-- you know, the politics, it's not clear how they cut.

オバマ:そう、もし、もしここで私のこれまでの軌跡を見てくれたら、私はいつでも常にシビル・ユニオンを強く支持してきたということがわかるはずです。いつでも常にゲイとレズビアンに対する差別に強く反対してきました。その全体としての軌跡は首尾一貫しています。ただ1つ、私が苦慮してきたのがこの同性婚の問題です。そして、これがともかく私が政治的利益のためにやっていることだと言うのは、どうかなと思います。というのも、正直言うと、わかるでしょう、政治って、何がどうなるか、わからないんですから。

In some places that are gonna be pretty important-- in this electoral map-- it may hurt me. But-- you know, I think it-- it was important for me, given how much attention this issue was getting, both here in Washington, but-- elsewhere, for me to go ahead, "Let's be clear. Here's what I believe." But I'm not gonna be spending most of my time talking about this, because frankly-- my job as president right now, my biggest priority is to make sure that-- we're growing the economy, that we're puttin' people back to work, that we're managing the draw down in Afghanistan, effectively. Those are the things that-- I'm gonna focus on. And-- I'm sure there's gonna be more than enough to argue about with the other side, when it comes to-- when it comes to our politics.
たいへん重要になるいくつかの場所で、今回の選挙区のことですが、これは私に凶と出るかもしれません。それでも、その、この問題がここワシントンでもどこでもどれだけ関心の的になるかを考えれば、前に出て「はっきりさせよう。これが私の信じていることだ」と言うことは私にとって重要なことだったんです。でも、私はこのことに自分の時間の大半を割くわけにもいきません。というのも率直に言って、大統領としての私の仕事はいま、私の最大の優先事項は経済を成長させること、国民を職場に戻すこと、アフガニスタンからの撤兵を効果的にやり遂げること、それらを確実なものにすることなのです。そういうことに私は焦点を定めています。それが我々の政治問題となるときには、共和党側とは十二分に議論することがあると思います。

(以下、経済問題などに話題は移りますので、ここまで)

April 29, 2012

NYタイムズの記事をご紹介

ずっと昔、10年以上前かな、ホモフォビアの強い学生たちとゲイでも全然だいじょうぶって言う学生たちの2つのストレート男子グループを集めておチンチンに計測器を装着し、ゲイのポルノを見させて反応を測るって実験があったことを紹介したことがあります。どこの大学の実験だったか、でもいずれにしてもすごい実験でしょ。そのときに、やはり、ホモフォビアの強い学生たちの方がおチンチンが大きくなって勃起したっていう結果が出たのです。じゃあ、ゲイたちによる反ゲイ主義者たちへの反撃は、所詮ホモ同士の諍いに過ぎなくなるのかっていう立論までして、いやそうじゃないんだ、ってことを書いた記憶があるのですが、その文章、どこに収録したか、ちょっとすぐには見つかりませんでした。この私のウェブサイトのどっかにあるはずなんですが……。

ま、それは置いといて、このニューヨークタイムズの投稿記事も、上記のが肉体的実証(とはいえやはり神経作用と結びつく脳や意識の問題なのですが)とすれば、今回のこれはより心理学的な実証でもあるようです。

興味深い話なので、ちょっと時間のあった土曜日の昼下がり、日本語に訳してみました。
どうぞお読みください。

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Homophobic? Maybe You’re Gay
同性愛が大嫌い? きっとそれはゲイだから

By RICHARD M. RYAN and WILLIAM S. RYAN
Published: April 27, 2012


WHY are political and religious figures who campaign against gay rights so often implicated in sexual encounters with same-sex partners?

ゲイの人権問題に反対の論陣を張る政界や宗教界の人たちがなぜこんなにもしばしば同性相手の性的経験に関係してしまうのか?

In recent years, Ted Haggard, an evangelical leader who preached that homosexuality was a sin, resigned after a scandal involving a former male prostitute; Larry Craig, a United States senator who opposed including sexual orientation in hate-crime legislation, was arrested on suspicion of lewd conduct in a men’s bathroom; and Glenn Murphy Jr., a leader of the Young Republican National Convention and an opponent of same-sex marriage, pleaded guilty to a lesser charge after being accused of sexually assaulting another man.

ここ数年だけで、同性愛は罪だと説教してきた福音派の指導者テッド・ハガードが元売春夫に関係するスキャンダルの後に辞職し、憎悪犯罪の法制化に際して性的指向をその対象に含めることに反対してきた米上院議員ラリー・クレイグは男性トイレでの猥褻行為の疑いで逮捕され、青年共和党全国大会の代表で同性婚への反対者であるグレン・マーフィー・ジュニアは男性に対する性的暴行の罪で司法取引に応じて、より微罪での自身の有罪を認めた。

One theory is that homosexual urges, when repressed out of shame or fear, can be expressed as homophobia. Freud famously called this process a “reaction formation” — the angry battle against the outward symbol of feelings that are inwardly being stifled. Even Mr. Haggard seemed to endorse this idea when, apologizing after his scandal for his anti-gay rhetoric, he said, “I think I was partially so vehement because of my own war.”

1つの説として、ホモセクシュアルな衝動は、恥や恐怖の思いで抑圧されてホモフォビア(同性愛嫌悪症)として発現し得るというものがある。フロイトの言った有名な「反動形成」の現れ方だ──心の中で窒息している感情が外に出るのを押しとどめようとする怒りに満ちた戦い。ハガード氏でさえこの考え方に賛同しているようだ。自身のスキャンダルの後でこれまでの反ゲイ・レトリックを謝罪したとき、彼はこう言っている。「私が公平さを欠いてああも(反ゲイで)激しかったのは、それは私自身の(内なる)戦争のせいだった」

It’s a compelling theory — and now there is scientific reason to believe it. In this month’s issue of the Journal of Personality and Social Psychology, we and our fellow researchers provide empirical evidence that homophobia can result, at least in part, from the suppression of same-sex desire.

これは説得力のある考え方だ──そしていまそれは信じるに足る科学的な根拠を得ている。今月号のJournal of Personality and Social Psychology(『人格と社会心理学ジャーナル』)で、私と同僚の研究者たちは、ホモフォビアが、少なくともある程度以上に、同性への欲望の抑圧の結果であるという検証結果を提示している。

Our paper describes six studies conducted in the United States and Germany involving 784 university students. Participants rated their sexual orientation on a 10-point scale, ranging from gay to straight. Then they took a computer-administered test designed to measure their implicit sexual orientation. In the test, the participants were shown images and words indicative of hetero- and homosexuality (pictures of same-sex and straight couples, words like “homosexual” and “gay”) and were asked to sort them into the appropriate category, gay or straight, as quickly as possible. The computer measured their reaction times.

我々の論文では784人の大学生の参加を得て米独両国で行われた6つの研究をまとめてある。実験参加者はまず自分の性的指向をゲイからストレートまでの10段階に分けて位置づける。それから今度は、明らかには現れていない潜在的な性的指向を計測するよう設計されたコンピュータ処理によるテストを受ける。同テストでは、参加者は異性愛もしくは同性愛のどちらかを表象するような画像や言葉(たとえば同性同士や異性カップルの写真、「ホモセクシュアル」や「ゲイ」といった言葉など)を見せられ、できるだけ素早く、それがゲイとストレートのどちらなのか分類するように指示される。コンピュータは彼らのその反応時間を計測するのである。

The twist was that before each word and image appeared, the word “me” or “other” was flashed on the screen for 35 milliseconds — long enough for participants to subliminally process the word but short enough that they could not consciously see it. The theory here, known as semantic association, is that when “me” precedes words or images that reflect your sexual orientation (for example, heterosexual images for a straight person), you will sort these images into the correct category faster than when “me” precedes words or images that are incongruent with your sexual orientation (for example, homosexual images for a straight person). This technique, adapted from similar tests used to assess attitudes like subconscious racial bias, reliably distinguishes between self-identified straight individuals and those who self-identify as lesbian, gay or bisexual.

ちょっと普通と違うのは、そうした言葉や画像が表示される前に、「自分(me)」「他人(other)」という単語が画面上に35ミリ秒(千分の35秒)だけフラッシュのように現れるということ──参加者にとってサブリミナル(意識下)ではその単語を処理できるが、意識上では見たとは感じられない長さだ。これは「意味的連想」として知られるもので、自分の性的指向を反映する言葉や画像(たとえば異性愛者の人にとっては異性愛を表象する言葉や画像)の前に「自分」という単語が現れたときには、そうしたものを、自分の性的指向と合致しない言葉や画像(たとえば異性愛者の人にとっては同性愛を表象する言葉や画像)の前に「自分」という単語が現れたときよりも、速い反応速度で正しいカテゴリーに分類できるという考え方に基づく。このテクニックは潜在意識における人種偏見の有無などを調べる同様のテストから応用したもので、ストレート(異性愛者)だと自認している人たちとレズビアンやゲイ、バイセクシュアルとして自認している人たちとをきちんと識別できるとされる。

Using this methodology we identified a subgroup of participants who, despite self-identifying as highly straight, indicated some level of same-sex attraction (that is, they associated “me” with gay-related words and pictures faster than they associated “me” with straight-related words and pictures). Over 20 percent of self-described highly straight individuals showed this discrepancy.

このやり方を使って私たちは参加者をもう1つ下位のグループに分類した。つまり自分ではとてもストレートだと自認しているにも関わらずなんらかの度合いで同性に惹かれる感情を示した集団だ。(つまり、「自分」という表示の後のゲイ関連の言葉や画像に、ストレート関連の言葉や画像に対してよりも、より速く正しい反応を示した人たち)。高度にストレートだと自認している人たちの20%以上に、この矛盾が見られたのである。

Notably, these “discrepant” individuals were also significantly more likely than other participants to favor anti-gay policies; to be willing to assign significantly harsher punishments to perpetrators of petty crimes if they were presumed to be homosexual; and to express greater implicit hostility toward gay subjects (also measured with the help of subliminal priming). Thus our research suggests that some who oppose homosexuality do tacitly harbor same-sex attraction.

ここで見落とせないのは、こうした「矛盾した」人たちは同時に、他の参加者たちよりもっと顕著に反ゲイの行動様式に賛同する傾向があるということだ;たとえば軽犯罪であってもその人が同性愛者だと推認されたらより著しく厳しい刑罰を与えようとしたり、またはゲイ的なものに対してより激しい隠然たる敵意を示したりする(これも潜在意識を刺激して反応を測る閾下プライミング法 subliminal priming を使って計測した)。結果、私たちの調査は、ホモセクシュアリティに反感を抱くある人々はひそかに同性に惹かれる心を宿していることを示したのである。

What leads to this repression? We found that participants who reported having supportive and accepting parents were more in touch with their implicit sexual orientation and less susceptible to homophobia. Individuals whose sexual identity was at odds with their implicit sexual attraction were much more frequently raised by parents perceived to be controlling, less accepting and more prejudiced against homosexuals.

何がこの抑圧へとつながるのだろうか? 私たちにわかったことは、いろいろと自分を励ましたり受け入れたりしてくれる親たちを持っていると言う参加者たちは、自分の潜在的な性的指向ともより折り合いがよく、ホモフォビアに染まることもより少なかったということだ。一方で、自認している自分の性的なあり方が潜在的に性的魅力を感じる対象と一致しない参加者は、ずいぶんと大きな確率で、支配的であまり言うこともすることも認めてくれない、そしてホモセクシュアルの人々により偏見を持つと認められる親たちによって育てられている傾向があった。

It’s important to stress the obvious: Not all those who campaign against gay men and lesbians secretly feel same-sex attractions. But at least some who oppose homosexuality are likely to be individuals struggling against parts of themselves, having themselves been victims of oppression and lack of acceptance. The costs are great, not only for the targets of anti-gay efforts but also often for the perpetrators. We would do well to remember that all involved deserve our compassion.

自明のことだが強調しておくことが重要だ;ゲイ男性やレズビアンに対して反対の論陣を張るすべての人々が秘密裏に同性に魅力を感じているわけではない。しかし少なくとも同性愛に反対する人々の何人かは、自分の中のある部分と苦闘している人、自分で重圧と受容の欠如の被害者になってきた人であることが多い。代償は甚だしいものだ。たんに反ゲイ行動の標的になる犠牲者たちにとってだけでなく、反ゲイ行動を行う加害者たちにとってもしばしば。憶えておいた方がいいのは、私たちはこの件に関するどちらもすべてに思いやりを持たねばならないということだ。

Richard M. Ryan is a professor of psychology, psychiatry and education at the University of Rochester. William S. Ryan is a doctoral student in psychology at the University of California, Santa Barbara.

リチャード・M・ライアンはロチェスター大学の心理学、精神医学、教育学教授。ウィリアム・S・ライアンはカリフォルニア大学サンタバーバラ校の心理学博士課程の学生。

April 28, 2012

ガラパゴスのいじめっ子たち

昨夏以来、米国では10代の少年少女たちの相次ぐいじめ自殺が社会問題化しています。米国では毎年、1300万人の子供たちが学校やオンラインや携帯電話や通学のスクールバスや放課後の街でいじめに遭っています。300万人がいじめによって毎月学校を休み、28万人の中学生が実際にけがをしています。しかしいじめの現場に居合わせていても教員の1/4はそれを問題はないと見過ごしてしまっていて、その場で割って入る先生は4%しかいません。

米国のこの統計の中には日本の統計には現れてこない要素も分析されます。いじめ相手を罵倒するときに最もよく使われる言葉が「Geek(おたく)」「Weirdo(変人)」そして「Homo(ホモ)」や「Fag(オカマ)」「Lesbo(レズ)」です。そのいじめの対象が実際にゲイなのかトランスジェンダーなのかはあまり関係ありません。性指向や性自認が確実な年齢とは限らないのですから。問題は、いじめる側がそういう言葉でいじめる対象を括っているということです。また最近はゲイやレズビアンのカップルの下で育つ子供たちも多く、その子たちが親のせいでいじめられることも少なくありません。LGBT問題をきちんと意識した、具体的な事例に対処した処方がいま社会運動として始まっています。

ところで日本のいじめ議論でいつも唖然とするのが「いじめられる側にも問題があるのでそれを解決する努力をすべきだ」という意見が散見されることです。この論理で行けば、だから「ゲイはダメだ」「同性婚は問題が多い」という結論に短絡します。「あいつはムカつく。ムカつかせるあいつが悪い。いじめられて当然だ」と言う論理には、ムカつく自らの病理に関する自覚はすっぽりと抜け落ちているのです。

問題はいじめる側にあるという第一の大前提が、どういう経緯かあっさりと忘れ去られてすり替えられてしまうのはなぜなのでしょう。先進国で趨勢な論理が日本ではなぜか共有されていないのです。

先日もこんなことがありました。あるレズビアンのカップルが東京ディズニーリゾートで同性カップルの結婚式が可能かどうかという問い合わせを行いました。なぜなら本家本元の米国ディズニーでは施設内のホテルなどで同性婚の挙式も認めているからです。ところが東京ディズニーの回答は同性カップルでも挙式はできるが「一方が男性に見える格好で、もう一方が女性に見える格好でないと結婚式ができない」というものでした。

これだとたとえば男同士だと片方がウェディングドレスを着なくちゃいけなくなります。それもすごい規定ですが、ディズニーの本場アメリカではディズニーの施設はすべてLGBTフレンドリーであることを知っていた件のカップル、ほんとうにそうなのかもう一度確認してほしいと要望したところ、案の定、後日、「社内での認識が不完全だったこともあり、間違ったご案内をしてしまいました」というお詫びが返ってきました。「お客様のご希望のご衣装、ウェディングドレス同士で結婚式を挙げていただけます。ディズニー・ロイヤルドリームウェディング、ホテル・ミラコスタ、ディズニー・アンバサダーホテルで、いずれのプランでも、ウェディングドレス同士タキシード同士で承ることができます」との再回答だったそうです。

米国ディズニーの方針に対して「社内での認識が不完全だった」。しかし今回はそうやって同性婚に関する欧米基準に日本のディズニー社員も気がつくことができた。しかし、ではいじめに関してはどうか? 他者=自分と異なるものに対する子供たちの無知な偏見が、彼らの意識下でLGBT的なものに向かうという事実は共有されているのでしょうか? どうして欧米では同性婚を認めようとする人たちが増えているのか、その背景は気づかれているのでしょうか? 議論を徹底する欧米の人たちのことです、生半可な反同性愛の言辞はグーの音も出ないほどに反駁されてしまうという予測さえ気づかれていないのかもしれません。

大統領選挙を11月に控え、米国では民主党支持者の64%が同性婚を支持しています。中間層独立系の支持者でも54%が支持、一般に保守派とされる共和党支持者ではそれが39%に減りますが、それでも10人に4人です。この数字と歴史の流れを理解していなければ、それは米国のいじめっ子たちと同じガラパゴスのレベルだと言ったら言い過ぎでしょうか。

March 10, 2012

決戦の火曜日?

スーパーチューズデイが示したことは、共和党のロムニー候補はアメリカの保守派の心をつかんでいないという事実でした。「ロムニー、優位保つ」という見出しも散見されましたが、ニュースは「ロムニー、決め手を欠く」という点でした。共和党の牙城である保守的な南部・中西部では相変わらず勝てないままなのですから。

保守というと日本ではどこかの知事のように国家とか権威とか全体主義に結びつきますが、アメリカの保守は逆です。この国は英国や英国国教会とかの当時の“堕落”した権力から逃れて清潔なキリスト教(ピューリタン)の下に1人ひとりが開拓精神を持って建国した国です。保守というのはそこに回帰します。つまり国家主義には向かわず、むしろ個人の自由意志、自助精神に辿り着くのです。

共和党の支持者層とされる保守派とはそんな人たちです。で、敬虔なキリスト教保守派は(この人たちは往々にして金銭的に貧しい田舎の人たちでもあります)サントラムに結集しています。政府権力は余計なことをするな、と言う人たちはロン・ポールの徹底したリバタリアンぶりに惹かれています。もう1つの支持層は西部開拓魂やジョン・ウェインみたいなのにアイデンティファイした男性至上主義者です(これはどちらかというとインテリぶった民主党が嫌いで共和党に向かっているのでしょう)が、これらはギングリッチに流れています。

ではロムニーの支持者は何かというと、これは共和党のもう1つの支持者層である財界・富裕層で、政府の企業活動への規制や法人税は経済を圧迫するから撤廃・低減せよ、という人たちです。ロン・ポールとは別の方向からの、経済活動上の「小さな政府」主義者で、高度に金融資本化したアメリカの現在では伝統的な保守リバタリアンとはややニュアンスも違ってきました。

そして最後に、他の候補はあまりに極端なのでロムニーしかいないだろうという妥協的な中間層、浮動層もいます。基本的に彼らはそんなに保守ではありません。いわゆる穏健・中道派、という人たちで、そんなにロムニーに執着はしていない。いわば背理法での選択なのです。

加えて、サントラムは現在53歳。たとえロムニーがこのままだらだら獲得代議員数を増やして結局は共和党候補になるのだとしても、サントラムは今後も「次」があるので絶対に途中撤退はしません。ギングリッチも地元ジョージアで勝ったせいでいまは退くに退けず、選挙資金が続くまで指名争いを続けます。ポールはもともと選挙運動にカネをかけていないし、息子の上院議員ランド・ポールに政治主張を引き継がせるためにも好きなだけこの選挙戦を利用するでしょう。

かくして共和党は分裂しながら6月の予備選終了まで進んでいきます。中傷合戦もひどいこんな指名争いの状況をバーバラ・ブッシュ(ブッシュ母)は「知ってる中で最低のレース」と斬って捨てています。最近になってロムニー支持を表明していますが、「妥協というのは汚い言葉ではないわよ」と言っているのがなんとも象徴的です。

この状況でいまオバマは漁父の利を得ています。スーパーチューズデイに向けてイスラエル首相との会談や昨秋以来の記者会見をぶつけたのも選挙を睨んでの戦略。当日のその会見で記者に「ロムニーはあなたを無策の大統領と呼んでいますが、彼に言うことは?」と問われ、「うーん、グッド・ラック、トゥナイト(今夜、勝つといいね)!」と答えたのも余裕の表れでした。

January 26, 2012

共和党の4人──米大統領選挙基礎講座、みたいなもん

アメリカではここ連日、共和党の大統領候補指名争いの模様がニュースになっています。しかしいったい誰が本命なのか、いずれの候補も今ひとつ決め手に欠いて、アメリカにいてもよくわからないから日本では尚更でしょう。

米大統領選挙というのは基本的に2大政党である共和党と民主党の間で争われます。かつてのロス・ペローのように第3の政党候補が注目されることもありますが今回はその動きはありません。いまは現職の民主党オバマ大統領に対抗する候補を、誰に一本化しようか共和党が決めている段階です。これが予備選挙と呼ばれ、夏までに正式決定しますが、普通はもっと前の3月、つまり再来月ですね、多くの州で一度に予備選が行われるスーパー・チューズデイと呼ばれる決戦の火曜日(今回は3月6日)で大勢が決まると言われています。でも、今回はどうなんでしょうね。

というのも、いま注目されている4人の共和党候補は共和党の支持層を層ごとに縦割りしているような人たちばかりで、党全体をまとめるような突出した大物がいないのです。

共和党はオバマさんの民主党に比べて保守派です。アメリカの保守派というのは宗教における保守派と、政治における保守派の2つがあります。その2つともアメリカの建国の歴史に深く関わっています。

アメリカはキリスト教徒が作った国です。それも本国イギリスのキリスト教が堕落したと言って飛び出してきた厳格なプロテスタントたち、清教徒(ピューリタン)と呼ばれる人たちです。

この人たちにとって、人生は聖書が拠り所です。新大陸に渡り、西へ西へと開拓が始まったときも移住したその土地に作ったものはまずは教会でした。そこが公民館であり娯楽場であり学校であり政治の場でもあったのです。

こんな人たちを支持層にしているのがリック・サントラム候補です。この人は妊娠している女性が中絶するのはどんな理由があってもダメ、ましてや同性結婚などもってのほか、というキリスト教原理主義者です。宗教に対する考え方が違う日本人から見ると、なんだかものすごく頭がおかしくさえ見えます。

もう1つ、アメリカはそんな人たちが自分たちで作った国です。便宜上、議会や政府や裁判所なんかを作っていますが、それはあくまで調整役であって、この国の主人公は自分たちだという自負を持っています。そこでは自助努力こそがモットーであり、政府は余計なことはしなくてよい。そこから生まれるのが「小さな政府論」。この極端な形を標榜しているのがロン・ポール候補です。彼は徹底して「他人のことに口を挟むな」主義。福祉政策など不要、さらには外国に戦争に行ったりするなんてことも無駄なお世話だと言い切ります。

さて、その中間でキョロキョロしているのが穏健派と称されるミット・ロムニー候補です。前者2人に比べて、この人は「極端ではない」ということで支持と選挙資金を集めています。マサチューセッツ州知事で投資会社の経営者でもありましたから失業に悩む米国社会の経済政策も改善してくれるのではという期待もあります。共和党のもう1つの支持層であるビジネス界や富裕層からも、「落ち着きどころ」としての期待を集めている、といったところです。

ただ、その投資会社時代の大量解雇などの経営実態や、超高額所得のわりには税金を15%しか納めていないなどの金持ちぶりなども明らかになってきて、逆風も吹いています。州知事時代に彼が作った健康保険制度もまるでオバマの医療保険と同じで社会主義的だと攻められてもいます。おまけに彼のマサチューセッツ州というのは同性婚を認めた全米で最初の州だったのです。これも共和党らしからぬ、と不評。そこを突かれると言を左右するというか、いまは反対だと言ったりしてしどろもどろになったりするのです。

共和党の支持層の最後は、とにかく民主党が嫌いという勇ましい人たちです。この人たちの受け皿が1999年に政界を引退したはずのニュート・ギングリッチ候補です。この人は若い頃から連邦下院で鳴らした政治家で、クリントン政権時代は舌鋒鋭い野党の論客でした。というかケンカ口調が上手いんです。そう、宗教的、政治的保守派と続いて、最後はとどのつまりジェンダー的保守派、男性主義のショービニストなのですね。マイノリティに優しい民主党は、男らしくないと毛嫌いする人たち。

この人、がんで入院中の最初の奥さんを「大統領夫人になるには若さと美しさに欠ける」と言って離婚しちゃって不倫相手だった若い女性と結婚しちゃった人です。さらにはその奥さんのときにも不倫をしていてまた離婚、その10日後にまたその不倫相手と結婚した。それが現夫人です。まあ、この人を支持する人たちはそんなことはあまり気にしない人たちばかりですが、アメリカには西部劇時代から続くこういう保守的男性主義がいまもかっこいいと思っている人たちがけっこういるということでしょう。

頭の変な宗教右翼、頑固一徹の小さな政府論者、中途半端な穏健派、そして凶暴な男性主義者──この4人がいま、互いのアラをつついてとにかく指名争いでトップに立とうとしている。まあ、おそらく資金的な面からも今後はロムニーとギングリッチの2人へと絞られてゆくでしょうが、いまのところ、それが次の大統領を狙う共和党の現状です。

January 10, 2012

新年に考えること

子供のころはおとなになったらわかると言われつづけてきましたが、おとなになってわかったことは、おとなになってもいろんな答えがわかるわけではないということでした。にもかかわらず、疑問の数は以前より確実に多くなっているような気さえします。

昨年末からずっと考えているのは民主主義のことです。アラブの春も、99%の占拠運動のアメリカの秋も、根は民主主義に関わることです。でもそこに1つ大きな誤解があります。それは、民主主義になれば自分の思っていることがきっと実現するという誤解です。

民主主義は、何かを実現するにはおそらく最も非効率的な制度だと思います。なぜなら、民主主義とは、何かをやるためではなく、何かをやらせないための制度だからです。

それは「牽制」の政体です。「抑制」の政体と言ってもいい。様々な歴史がある個人や集団の暴走で傷ついてきました。そのうちに傷つけられてきた「みんな」こそが歴史の主役なのだという考え方が広がってきました。そこでそのみんなで、付託した「権力」の独善や独断や独裁や独走を許さない仕組みを作っていった。それが民主制度でした。

ところが民主制度になると、何かを実行するにもいちいち特定の集団の利益や不利益に結びつかないかとかみんな(=議会)で検証しなくてはなりません。ものすごく面倒くさいし時間もかってまどろっこしいことこの上ない。
 
「アラブの春」で指導者を放逐した「みんな」は、これから民主的な政体ができると期待しているのでしょうが、心配はなにせそういうシチ面倒くさい仕組みですから、直ちに現れない変化に業を煮やしてまたぞろ過激な原理主義思想が台頭してくることです。

アラブに限ったことではありません。イギリスやイタリアでの若者たちの暴動も、ウォール街占拠運動も、世界はいま、急激に変質する経済や社会の動きに対応し切れていないこの民主制度の回りくどさに、辟易し始めているのではないか?

冒頭に、疑問は多くなる一方なのに答えはわからないままだと書きました。世の中は情報や物流や金融が世界規模でつながることでとても複雑になってきています。ギリシャの債務が日本のどこか片田舎の農家の借金に関係してくる。いままで「風が吹けば桶屋が儲かる」噺を笑い話にしていましたが、いまやそれは冗談ではなくなっているのです。なのにその論理の飛躍をより緻密な論理で埋めつつ理解する能力を、人間はいまだ持ち得ていない。これからだって持てる理由もありません。それは私たちの処理能力を越えているようにさえ思えます。

そんなときに「風」と「桶屋」との間を快刀乱麻で切り捨てる人物が魅力的に見えてきます。先の大阪市長選挙での橋下徹市長の誕生は、きっとそうした「みんな」のもどかしさを背景にしています。暴れん坊将軍や水戸黄門といっしょです。しち面倒くさい手間を省いて1時間で悪者を退治してくれるのです。そして「みんな」は、世直しなんぞにあまり努力する必要もなく楽に暮らせるわけです。

めでたしめでたし? いえ、この話はところがここでは終わりません。なぜなら、フセインもカダフィもムバラクもサーレハもみな当初は暴れん坊将軍や黄門様と同じくみんなの英雄として登場してきたからです。しかし権力は堕落する。絶対的な権力は絶対的に堕落します。独占的な権力は独占的に堕落し、阿呆な権力は阿呆なくらいに堕落する。そうして「切り捨てられる」余計として、また「みんな」が虐げられるのです。

民主主義の中から登場したものたちが、その民主主義を切り捨てるような手法でしか政治を断行できないと判断するようになる。それは自己否定であり自己矛盾です。これは民主主義の、いったいどういう皮肉でしょうか? その答えを、私はずっと考えています。

December 24, 2011

捏造された戦争のあとで

先日の野田首相の東電福島第1「冷温停止状態」宣言を聞いていて、なにかどこかで同じ気分になったことがあるなあと思ったら、ジョージ・W・ブッシュが2003年、イラク開戦50日ほどで空母リンカーンの上に降り立って行った「任務完了(Mission Accomplished)」の演説でした。これからの問題が山積しているのに任務が達成されたなんて、バカじゃないかってみんな唖然としたものです。そして彼はその後、史上最低の大統領の1人に数えられるようになりました。

ブッシュのその任務完了宣言から8年有余経った12月14日、オバマ大統領が米軍の完全撤退をやっと発表しました。クリスマスの11日前でした。

クリスマスというのは家族が集まる1年の〆の大イベントです。このタイミングでの発表は、実際にクリスマスに帰国できるかは別にしてとても象徴的なことです。その後ろにはもちろん今年11月の大統領選挙のことがあります。共和党の候補指名争いの乱戦というか混乱というか、ほんとくだらないエキセントリズムの応酬のあいだに、オバマは着々と失地を回復しているようにも見えます。失業率は若干ながら改善し、議会では給与減税法案の延長を拒んだ下院共和党に怒りの演説をしてみせて翌日には明らかに渋面の共和党の下院議長ベイナーから妥協を引き出しました。イラク撤退もオバマの成果になるでしょう。戦争の終わり方は難しい。とくにブッシュの始めた「勝利」のない戦争を終わらせることは、尚更です。

たしかに今も米兵が反政府派の攻撃にさらされているアフガニスタンに比べると、イラクはまだマシに見えます。しかし撤退後は米軍というタガがはずれて治安は悪化するでしょう。事実、12月22日には早くもバグダッドで連続爆弾テロがあり60人以上が死亡しました。政権が空中分解する恐れもまだ色濃く残っているのです。

さまざまな意味で、イラク戦争は新しい戦争でした。そもそも発端が誤った大量破壊兵器情報による「予防的先制攻撃」でした。ブッシュ政権は同時に9.11テロとイラクの関連付けも命じていました。イラク戦争はつまり捏造された戦争だったのです。

他にも、戦争の末端で多く民間の軍事請負企業が協力していることも明らかになりました。ブラックウォーターという軍事警備会社が公的な軍隊のように振る舞い、実際米軍とともに作戦を遂行していました。さらにはその途中の2007年9月17日、バグダッド市民に対する無差別17人射殺事件まで起こしたのです。ブラックウォーターはこの年、悪名をぬぐい去るかのように社名を“Xe”(ズィー)に変更、さらには今月には名称を"Academi"(アカデミー)というさらに何の変哲もないものに再変更して、すでに新たに国務省やCIAと2億5000万ドルの業務請負契約を結んでいるのです。

一方で、ウィキリークスが公開した、ロイターのカメラマンら2人を含む12人の死者を出した2007年の米軍ヘリによるイラク民間人銃撃事件は衝撃的でした。ウィキリークスには米陸軍上等兵のブラッドリー・マニングの数十万点に及ぶ米外交文書漏洩もあり、これも従来なかった戦争への異議の形でした。

マニングはいま軍法会議にかけられ、終身刑か死刑の判決を下されようとしています。米軍の検察側の言い分は「ウィキリークスに重要情報を漏洩したことでアルカイダ側がそれを知ることになった。従ってこれは敵を利する裏切り行為だ」というものです。それはすべての戦争ジャーナリズムを犯罪行為に陥れる可能性を持つ論理です。どんな隠された情報も、公開することで敵に知れるわけですから。そこに良心の内部告発者は存在しようがありません。国家が間違いを犯していると信じたとき、私たちはそれをどう止めることができるのでしょうか?

大手メディアは一様に米国側の死者が約4500人、イラク側の死者は10万人と報じていますが、英国の医療誌Lancetは実際のイラク市民の死者は60万人を超えるだろうと記しています。実際の死者数は永遠に誰にも明らかになることはないでしょうが、米国側の公式推定である10万人という数字ではないと私は思っています。

そしていま米軍が撤退しても、例の民間の軍事請負業者はだいたい16000人もまだイラクに残るそうです。戦争の民営化から、戦後処理の民営化です。こうしてイラクの管轄は米軍から米国務省(外務省に相当)に移ります。バグダッドの米国大使館は世界最大の大使館なのです。そんな中、“戦後復興”に向けてすでに多くの欧米投資銀行関係者がイラクを訪れていることを英フィナンシャル・タイムズが報道していました。将来的に金の生る木になるだろう国家再建事業と石油取引の契約に先鞭を付けたいのです。

イラクはまだ解決していません。お隣イランでは核開発疑惑でイスラエルや米軍がまた予防的に施設攻撃をするのではないかと懸念されています。そしてアジアでは金正日死亡に伴う北朝鮮の体制移譲。そのすべてが米国の大統領選挙の動向とも結びついてきます。

2012年はあまり容易ではない年になりそうです。