December 02, 2008

世界エイズデー

セックスって、気持ちいいですよね。
あれ、どうして気持ちいいんだろう。
男は射精の快感だっていうけれど、それだけじゃぜったいにない。
なんていうか、ふれあったり、だきあったり、だきしめあったりしているだけで、なんだかからだじゅうに気持ちのいいホルモンがじわじわとしみわたっていくみたいな、そんなじわじわした幸福感につつまれる。

これもじつは生殖のために遺伝子が仕組んだ(あるいは神が仕組んだ?)餌というか罠というかご褒美というか、そういうもんだってことは知ってるんですが、わたしが投げ遣りなときに陥る唯脳論に立脚すれば(ってまあそんなたいそうなもんじゃないが)、最初はそうだったかもしれないが、そのうちに脳がどんどんそれを自分で勝手に発展させて、快感ってものを別の回路でも関知できるように独立して作ってしまったんじゃないかと思うわけです。ちょうど、数字が数学をつくったように。

そうすると、わたしたちが思い込んでいる「性欲」とは、本当にわたしたちが思い込んでいるような「性欲」なのか、という反語が出てくる。そうして次のような仮説を、考えちゃうわけです。

つまりセックスとは、セックスを通じて、じつは人を好きになり たいという(そのほうが生物学的には変態的ではあるのですが)、そういう意志の欲望なのである、と。

まあ、戯れ言はこの辺にして、ていうか、もしそういう意志の欲望だとしたら、セックスは、ちゃんとセイファーなものでもぜんぜん問題はないわけで、というところにつなげたかったわけなんですがね。

で、12月1日は第20回の世界エイズデーでした。1988年に、世界先進国の厚生行政の大臣たちがサミットを開き、HIVの感染拡大を防ごうとこの日を設けたわけです。

でも、HIV/エイズはその後も第三世界へと拡大を続け、現在では世界で3300万人がHIVに感染し、その数は昨年2007年だけで270万人が増えました。この中には、もちろん、わたしたちの知人・友人、あるいはその知人・友人がおそらく含まれています。わたしたちが知らないだけで。あるいは、わたしたち自身かもしれません。

わたしの新聞記者時代の畏友、産經新聞の宮田一雄さんは日本でいち早くこの問題に取り組んだジャーナリストです。彼の飄々たるブログサイトを推薦します。鎌倉に住み始めて、「ビギナーズ鎌倉」というブログを書いていらっしゃいます。

'http://miyatak.iza.ne.jp/blog/

ニューヨークでは、先週のメイシーズ百貨店の感謝祭パレードで、キース・ヘリングのバルーンが登場しました。

キース・ヘリングもエイズ関連の合併症で1990年2月16日、31歳で亡くなりました。生きていれば来年50歳だった。

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ダウンタウンのバンクストリートからハドソン川に通じたところにあるハドソンリバー公園では、エイズ・メモリアルのベンチが設置されました。長さ12m強の、黒い御影石のベンチです。遊歩道に沿って少し湾曲しています。御影石には、旧いスカンジナビアの民謡の歌詞が刻まれています。

'I can sail without wind; I can sail without oars. But I cannot part from my friend without tears.'
わたしは風がなくとも舟を出せる。わたしはオールがなくとも舟を出せる。でも、涙がなければ、わたしはわたしの友と別れることができない。

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ニューヨークでは1日、エンパイア・ステート・ビルディングが恒例の赤い色に染まりました。

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November 27, 2008

ウニタの遠藤さん、死去

ウニタ書舗の元店主遠藤忠夫さんの訃報があった。

エリカっていう神田の薄暗い喫茶店で、よく話を聞いたなあ。
あの店、まだあるのかしら。

20年前の当時のぼくは警視庁の公安担当で、遠藤さんには取材で会う必要があったのだけれど、この歴戦の目撃者は妙にひょうひょうとしていてタバコなんぞをくゆらしながら新左翼の連中を温かく批判していた。当時は彼がゆいいつ重信房子なんかの日本赤軍とのパイプ役で、「こないだ重信に会いに行ってきたんだけど」と彼の語るベカー高原だとかゴラン高原だとかは、いまよりもはるかに少ない情報の中で妄想に近い地形となってぼくの頭の中で黄土色の風を吹かせていた。

そういえば彼は北朝鮮の赤軍の連中ともパイプを持っていた。あの大韓航空機爆破事件の蜂谷真由美こと金賢姫の一件でもずいぶんと裏の話を聞いた。あのころの公安は丸岡の逮捕とか泉水の逮捕とか、中核の圧力釜爆弾とか革労協のロケット弾とかスパイ事件もあって、なんでとつぜん思い出したように忙しかったんだろう。 そういえばあれが昭和の終わりだったんだ。

新聞記者のいいところは、新聞記者であるってことだけで業務と関係なくともいろんな人の話を聞けたことだった。記事にならない百万のエピソード。むしろそのほうが大切だったような気がする。

そういう意味では会社勤めのジャーナリストというのはかなり恵まれている。書かないときでも給料をもらえるんだから。わたしもその恩恵をずいぶんと受けてきた。いまでもそれが貯金だし。減らないし。ただ、アップデートは難しいかな。

遠藤さん、享年83歳。
そうか、あのころ遠藤さん、62、3だったんだ。
合掌。

November 26, 2008

読者からのあるコメント

清野さんという、このブログを読んでいてくれている方から、先日来の同性婚問題に関連して次のようなコメントが「白い結び目」のブログのコメント欄に書き入れられました。

わたしの論評は余計でしょう。
とても考えさせられる文書です。
みなさんにも読んでいただきたく、ここに再掲してご紹介します。

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北丸さんおはようございます。早すぎますか?少しだけ私の後悔の話を聞いて下さい。

それは私がまだ23歳で大学を卒業して東京の会社に就職した年のことです。まだ新入社員研修をしていたばかりの頃、自分の不注意の為に会社内で事故を起こし入院し、手術ということになりました。大変な手術でした。

その入院中に会社の7年先輩のSさん(男性)が何度も見舞いに来てくれました。日々不安でいた私の所に特別何も言わなかったのですがよく来てくれていつしか仲良くなっていました。退院後も飲みに連れて行ってくれたり野球に連れて行ってくれたり、寄席やボウリングなど退社後や日曜日も先輩(これ以降彼と書きます)が連れていってくれました。お金も何事もないようにすべて彼が払ってくれていました。これは私が怪我をした事に対して気の毒と思っての事なのかな?と思っていました。また薄給の新人は会社ではこのように面倒みてもらえるものなのかな?と考えていました。実際他の先輩もよく私をドライブやスナックに連れて行ってくれていたのでそのようなものだと思っていました。

恋も知らず、社会も知らない私はまるでわかっていませんでした。その後も彼とは二人で旅行にも行きましたし、彼の家にも招待されたし、私のアパートに泊まりに来たこともありましたが私の中では仲が良い先輩の域を越えなかったし彼も何ももとめませんでした。ただ私を可愛がってくれるだけでした。

怪我の治りの悪かった私は普通の勤務が大変でこのまま会社に迷惑をかけ続ける事に対しても申し訳なく1年半後に決意して辞表を出しました。彼にも相談していましたが彼が何かを示唆することはありませんでした。

彼は変わらず引越しの準備を手伝い荷物を業者に出してくれたりといつものように私のすぐ近くにいてくれました。最後まで何も語らず、彼との別れが近づいていました。

山手線の電車に乗っていました。かなり混んでいました。私と彼は向き合うように立っていました。この電車を私が降りたら彼とはもう会えないと思ったら私の心の中から嗚咽のような感情が起こりました。涙が堰をきったように流れ出し電車の中で止まらなくなりました。そうすると彼がズボンのポケットからハンカチを出し私に渡し「返さなくていいから」といいました。私はもっと激しい涙がでてきました。そうするといつのまにか私の顎が彼の左肩にのっていました。そして彼はものすごくソフトに私を抱いていました。私はいつの間にか彼を抱きかえしていました。私の降りる駅まで彼は私を抱いていました。いやではありませんでした。私の降りる駅が来ました。何も言わず彼は私を降ろしました。でもいつもと違う顔でした。降りた私は暫くホームで涙が止まりませんでした。

それから私は次の日、田舎に帰りました。怪我の事で人生を失敗したような失意となんであんな会社に入ってしまったのだろうという悔しさで、会社の事はもう考えたくなくて電話もかけず、忘れたいという思いが私を包んでいました。2ヶ月後位にふいに彼から電話がありました。「なんで電話をかけないんだ?もっと電話をかけろよ。東京に出て来い」と言いました。いろいろと話しましたが、特に私の中で気持ちの変化はありませんでした。

それ以降私はその会社の事も彼の事もちっとも考えませんでした。東京に戻る気もありませんでした。彼からはその後電話はありませんでした。2年後位に彼が結婚して婿さんになったという噂をききました。でも遠い所の話のような感じでした。

それからまた何年もたち友人達との話のなかで私が「新人の頃はよかった。先輩に面倒みてもらったし、お金を自分で払った事もない」というと友人達から「そんな事はない」と言われました。「割勘だったよ」という話でした。旅行の話にしても電車の中の話にしても「それはその先輩がお前が好きだったんだよ」と断定されてしまいました。私もそうかな?と思い始めましたがそうではないだろうとも思います。ただ私のような者の為に彼が支払った金額は膨大だったのではないか?自分がその立場だったら後輩にそこまでやってあげる気がしませんでした。不意に彼の愛情に気がついてしまいました。私は子供だったと思いました。申し訳ないと思いました。謝らなければならない、感謝の気持ちを伝えなければならないと思いました。でも彼は会社も辞めて居所もわからなくなっていました。どうぞ彼が幸せでいて下さいといつも祈っています。

もしもあの頃、同性と結婚できる世の中だったら私は彼と結婚していたと思います。彼の幸せをそっと願うこともなく、今一人で寝るベットの中には彼がいて私が朝、目を醒ますと彼が「おはよう」と言ってくれる日常があったのではないかと思うのです。

November 22, 2008

おだつ政治家

バラク・オバマの希望と展望と緊張感に溢れた演説に慣れてしまったせいか、日本の首相である麻生太郎の話し振りを聞いているとなんだかグッタリします。「(医者は)社会的常識がかなり欠落している人が多い。とにかくものすごく価値観が違う」という例の発言をあげつらっているわけじゃないんですがね。

「ものすごく価値観が違う」のは(敢えてカテゴライズすれば)医者に限らず高級レストラン通いの麻生さんを筆頭に政治家も似たり寄ったりで、過去、何人かの政治家にインタビューした際もときに開いた口が塞がらなかったことがありましたし、よく言うわ、という感じ。

それよりこないだのワシントンでのG20金融サミットの麻生の記者会見。

英語の話せる日本の政治家というのは、英語になると日本語よりも上機嫌で受け答えする傾向があるようで、私の知るかぎり例外は故・宮澤喜一だけ。宮沢喜一は英語になると逆により慎重かつ的確に受け答えして浮ついたところがなかった。でもこないだの麻生さん、外国人記者の質問にはニコニコと妙にうれしそうで、しかも「通訳が精確に伝えてくれるといいんですが」と、それが気の利いたコメントかのように2回も付け加えた。2回目はなんだかへんな英語も添えて(distort という結構な単語と、okay? というくだけた口語とがなんともチグハグでね)。ダシに使われたプロの通訳さんもお気の毒というかなんというか。

麻生は景気対策第1と言いながら第2次補正予算を出さないとか、解散先送りで延命ばかりだとか、まあ、そういう難しい話はさておき、私にはどうもこの人の性格がよくわからんのですわ。北海道弁で「おだつ」という方言(動詞)があるんですが、麻生太郎を見てるといつも「何ひとりでおだってるんだろう」と思ってしまうんです。

「おだつ」とは「調子に乗る」とか「はしゃぐ」とか、特に子供が大人のウケをねらって必要以上に目立とうとふざける、みたいな意味です。

68歳の政治家を捕まえて「子供みたい」というのもナンだけど、この人、ほんとにおだった言動が目立つ。秋葉原でオタク相手におだてるのは人気取りが宿命の政治家のパフォーマンスとしても、首相ぶら下がり取材の報道陣へのコメントでやたら新聞記者を皮肉ったり挑発したりするのも大人げない。べらんめえ調っぽい言葉遣いだってなんだか下品な方に流れるし、演説はやたらドスが利いてるがさっぱり高邁さが窺えない。ほんとうにいわれてるような上流階級の出とは思えない。ってか、上流階級ってったってみんな明治維新からの政治成金だしなあ。オダツのも宜なるかな。

あの総額2兆円の定額給付金構想にしても私には竹下内閣時の全国市区町村1億円ばらまきふるさと創世資金みたいな愚策に思えて仕方ないんです。これだってどうも熟慮というよりおだった結果の思いつきなんじゃないのか。ホント、自民党はいつからこんな子供じみた政党に成り果てたのか。民主党は、あれ、反対すべきです。

あ〜あ、と思ってテレビをつけたら、TVジャパンでやっている数カ月遅れの「笑点」では、アンジャッシュっていうなんだか知らん若手のコントのコンビが、「わたしカツラなのだしかもゲイよ」だなんてバカみたいなネタで5分間もいたずらに持ち時間をもたしてます。カツラの人間をからかって面白がるのは小学生くらいでしょう。そんでいまもまだ「ゲイ」ネタです。「若手」であることに、なんの意味があるのか。若手というのは、時代の新しさを背景にしているはずではないのか。なのにこれじゃただのバカじゃないですか。

この首相にしてこのコントあり。
日本はいったい何をしてるんだろー。

November 20, 2008

白い結び目 WhiteKnot.org

カリフォルニア、ってわけではなく、アメリカでの同性婚の権利を支持しようという運動が新たな展開を見せています。

その中で、ホワイトノット運動というのが出てきました。
www.whiteknot.org
にアクセスすると詳細が書いてあります。

whiteknotad-300x250.jpgwhiteknotad-300x250-2.jpg

つまりこれ、白い結び目を作ったリボンを胸につけて、ゲイへの平等な権利を静かに支持を訴えるもの。

whiteknot.jpg

もちろんあのレッドリボンのバリエーションです。
白いリボンを結ぶってのが、「結婚」にもふさわしいでしょ。
いままさに始まろうとしている運動です。きっと、これは流行るね。
しかし、アメリカ人はこういうの考えるのうまいなあ。

作り方ですよ。

1)長さ15cm、幅2cm〜2.5cmほどの白いリボンを用意する。
2)真ん中部分で2度結びするんだけど、最初の結びをきつくすると2度目の結びで両端がそろえやすいですって。
3)両端を三角に、チョキの形に切り取る。こうするとほつれにくいし、きれい。
4)出来上がり、あとはこれを付けて外に出るだけ。

日本じゃまだだれもやってないでしょうね。
こっちでも始まったばかり。
どうぞお広めくださいな。